逸品制作日誌 ラビットファーベスト

【ウサギの毛皮で作ったベスト。SNAKEPIPE私用バージョン】

SNAKEPIPE WROTE:

プレゼント用にウサギの毛皮を使ったベストを制作した記事「ライブは手ぶらで」を書いたのが11月23日。
あの時の毛皮が充分に残っていたため、今度は自分用を制作してみた。
プレゼント用とは違うデザインで、革をミックスしたややハードな印象の逸品に仕上がり大満足である。
プレゼントは年上の女性用に制作したため、オール毛皮で前身頃にパッチポケットを配したオーソドックスなタイプ。
裏地にフリースを使い、強度面と保温性を高めた。
とても暖かい、と喜びの声を頂いた。
しかし、この成功の影には苦労話も存在しているのだ。

ウサギの毛皮を加工するのは今回が初めて。
去年おととし、と2年連続でムートンの加工を経験しているため、アレよりは薄いから大丈夫だろうとタカをくくっていた。
実際毛皮の厚みは何の支障もなく、ミシンはスイスイ進んだのである。
予想だにしていなかった問題は別のところにあったのだ。
ご存知の方も多いと思うが、ウサギの毛は非常に細い。
それが柔らかさになっているが、そこが問題だった。
毛皮を動かす度に毛が舞う。
細くて軽いために広範囲にフワフワ飛び散る。
おまけに目にも鼻にも入ってきて、鬱陶しいことこの上ない。
そこでウサギ制作用に作業服を考えてみた。
洋服に毛皮が付かないようにナイロンジャージ上下、
目の保護にメガネ、
鼻から吸わないようにマスク、
メガネの隙間をなくすために頭には労働者風にタオルを巻く、
と、万全の体制で制作にかかろうとするSNAKEPIPEを見たROCKHURRAH。
「まるで昔の暴走族だね」
うっ…。

ここで余談であるが、つい最近読んだニュースに、50代が暴走行為で捕まる、というのがあった。
前代未聞のことらしい。(笑)
イヤイヤ、世の中には年齢関係なく暴走したい人、いっぱいいるんじゃないかな?
暴走行為は危ないのであまり賛成はしないけど、その心意気はよく解る!
まだ走りたいのよね、若いのよね!
ここでもまた「Don’t Trust Over 30?」みたいな現象が起きている。
ほんと最近はまだまだ元気な中高年がいっぱいいるんだな。
おー!頑張ろうぜー!とこぶしを振り上げたくなるSNAKEPIPE。

話をウサギに戻して。
もうひとつはウサギは革が小さいため、パッチワークのように組み合わせて大きな一枚にしていることが多いため、ほつれ易い問題がある。
裁断してあらかたの大きさを決めた後で、おおざっぱにでも全体にミシンをかけてほつれにくくする作業が一工程入る。
これが非常に面倒!
でもやらないことには「穴あき」ベストになってしまう。
いくらアナーキーでもそれはちょっと。(ぷっ)
裁断してすぐに縫えるレザーとは違って、こういう工程が必要なのは仕方ないか。

上の2点の問題をなんとかクリアして(それでも目鼻に毛は入ってきたけど)、暴走族スタイルでミシンを踏み続けるSNAKEPIPEであった。
その苦労のおかげでなんとか自分用ベストが完成!
BINARY ARMYらしくミリタリー調のデザインにしてみた。
このベストをMA1の上に着るスタイリングがお気に入り。
中に着るんじゃなくて上に着る、というのがポイント!
逆に言えば、上に着られるくらい大きく作ったのね。(笑)
横幅の調整もできるようにサイドジッパーも取り付けたので、体にフィットさせる着方もオッケー!
うーん、なかなかやるなSNAKEPIPE!
今年の冬はこれで決まりだね!(笑)

好き好きアーツ!#06 東松照明

【コンストラクテッド・フォトをSNAKEPIPEが制作。】

SNAKEPIPE WROTE:

今回は好き好きアーツとして日本を代表する写真家・東松照明氏を取り上げたいと思う。
とは言っても東松照明写真論として何冊も本が出ているので感想、のような書き方が無難だろう。

東松照明氏を知ったのは随分前のことだ。
以前にも書いたことであるが、SNAKEPIPEの父親は写真家である。
そして父親が東松照明氏の大ファンだったのである。
父親がいつもカバンの中に入れている写真がある。
取り出すと嬉しそうに顔をほころばせる。
それは東松照明氏と父親が一緒に写ったスナップ写真である。
先日のHELL-RACERとの記念写真に嬉々としているSNAKPIPEと同じように、父親にとってのアイドルは東松氏のようだ。
恐らく東松氏の偉業と実物とを知らない人は、「誰この人?」と中年男性二人が写った写真を怪訝に思うことだろう。
そう、東松氏は偉業を成し遂げた写真家、父親から見れば神様的な存在なのである。
実際にそのことに気付いたのはSNAKEPIPE自身が写真を撮り始めてからのこと。
どんな世界でも同じだろうけれど、その道に踏み込まないと「良し悪し」や「すごい!」の基準が解り辛いからだ。

東松照明氏の簡単な略歴を書いてみよう。(Wikipediaを参照)

1930年 愛知県名古屋市生まれ
1954年 愛知大学法経済学部経済学科卒業
「岩波写真文庫」のカメラマンスタッフになる
1956年 フリーとなる
1958年 日本写真批評家協会新人賞受賞
1959年 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立
(東松氏が「イネ」を集団名に考えていた話は有名である)
1961年 「hiroshima-nagasaki document 1961」
(第5回日本写真批評家協会作家賞)
1963年 アフガニスタンを取材
1972年 沖縄に移住
1974年 「New Japanese Photography」展
(ニューヨーク近代美術館)
荒木経惟らと「ワークショップ写真学校」を開講
1975年 写真集「太陽の鉛筆」で日本写真家協会年度賞
翌年芸術選奨文部大臣賞
1984年 「SHOMEI TOMATSU Japan 1952-1981」展
(ウィーン近代美術館など)
1992年 「SAKURA +PLASTICS」展(メトロポリタン美術館)
1995年 紫綬褒章受章
1998年 長崎に移住
1999年  「日本列島クロニクル―東松照明の50年」展
(東京都写真美術館)日本芸術大賞受賞
2000年 「長崎マンダラ展」(長崎県立美術博物館)
2002年 「東松照明展 沖縄マンダラ」(浦添市美術館)
2003年 「東松照明の写真 1972-2002」展
(京都国立近代美術館)
2004年 「Skin of the Nation」展
(ワシントン、サンフランシスコを巡回)
2006年 「愛知曼陀羅-東松照明の原風景」展
(愛知県美術館)
2007年 「東松照明:Tokyo曼陀羅」展(東京都写真美術館)

SNAKEPIPEが観に行った写真展が1999年の「東松照明の50年」展である。
この展覧会は「50年」と銘打ってあるだけに観ごたえ充分!
こうして全体像をみせてもらわないと、同じ写真家が撮った写真だとは分からないほどに多様なシリーズが展開されていた。

東松氏はいくつもの顔を持つ写真家なのである。
それぞれのテーマについて書いてみよう。

ドキュメンタリー写真として一番有名なのは「長崎」だろう。
戦争の傷跡を刻名に、冷静な目で描写している写真群。
原爆が落ちてから16年経った1961年から撮影を開始した、とのことであるが、文章にはできない写真が雄弁に長崎を伝える。
あまりにも有名な止まった時計の写真や溶解した瓶の写真は言いようもない独特の雰囲気を出している。
他には「チューインガムとチョコレート」の横須賀や「太陽の鉛筆」の沖縄、といった地名シリーズがある。
どのシリーズも長崎と同じように冷静でシャープな視線で事象を追いかけている。

アート系写真と呼びたい写真群もある。
海に流れついた漂流物を撮影した「プラスチックス」。
電子部品を自然物と混ぜて撮影したコンストラクテッド・フォト「ニュー・ワールド・マップ」や「キャラクターP・終の住処」もある。
「アスファルト」「廃園」「ゴールデンマッシュルーム」などはまるで実験映像のような感じ。
これらはすべて構図、色彩共にバッチリの素晴らしい仕上がり!
コマーシャル・フォトの先駆けとも言えるだろう。
悔しいくらい真似たくなるようなカッコいい写真ばかりである。

ネイチャーフォト、と言ってもいいシリーズもある。
長崎の諫早湾を撮った「ブリージングアース」。
千葉、和歌山、静岡などの岩場を写した「バイオ・バラエティ」。
岩場、とタイトルになければ宇宙写真のように見えてしまう不思議な写真群である。
東松氏の手にかかるとネイチャーフォトもまた違った趣きになってしまう。
非常にカッコいい。
これもまた真似たくなる写真だなあ。(笑)

ここまで顔を使い分け雰囲気を出すことができる写真家はそうそういない。
東松氏はバランス感覚、美的感覚共に非常に優れてるんだなあ、と感心。
そしてこれだけ多くの人物写真を撮れるのは、人格的にもバランスがいいからだと推測できる。
沖縄の人を撮るのに実際移り住み人々に慣れ親しんでから撮影を始めた、というエピソードを聞いたこともある。
ものすごい情熱!
意思の強さ!
うーん、3拍子どころか7拍子以上揃っちゃうんじゃないかね?(笑)

SNAKEPIPEが写真を撮り始めてしばらく経ってのこと。
今からもう10年以上は前のことだ。
その当時東松氏は千葉県の上総一ノ宮に住んでいたのである。
「東松さんのところに遊びに行って、ついでに写真を観てもらう?」
なんてアイデアを父親が口にしたことがあった。
そ、そんな!SNAKEPIPEみたいなド素人の写真を雲の上の写真家の方に観て頂くなんて恐れ多いにも程がある!
しかも遊びに、なんて気軽には行かれない!
そんなの無理、無理!と即座に断ったSNAKEPIPE。
今となっては
「あの時、行く!と言っておけば良かったな」
と後悔している。
偉大な写真家に会える機会なんてそう多くはないからだ。
そしてきっと父親もSNAKEPIPEをダシにして、本当は自分が神様にお目にかかりたかったのに違いない、と。

御年78歳の東松氏、ずっと元気で新作発表をお願いしたいところである。
2007年に写真美術館で開催された「Tokyo曼荼羅」は行かれなかったけれど、次回の写真展には是非足を運びたいと思う。
きっとまた「こんな写真が撮りたい!」と悔しい思いをするんだろうな。(笑)

DOUBLE MAX

【ダーク・ボガードとジェームズ・ウッズ演じる二人のMAX。あ、また帽子だ!(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

たまたま続けて観た映画の主役と主役級の人物の名前が同じマクシミリアン、通称マックスだった。
今回は二人のマックス、として二本の映画について感想をまとめてみたい。
どちらも今から20年以上も前に封切られた、かなり昔の映画である。

Once Upon A Time In Americaを初めて観たのはなんと長野県の松本だったSNAKEPIPE。
当時の友人の親戚の家に遊びに行った時のことだ。
封切りからかなりの時間が経ってからの上映で、地域の違いを感じたものだった。
内容は全く記憶になく、ただ寒かった印象しか残っていない。
雪が積もった寒い冬だったからだ。
そして今回久しぶりに再び観た。

Once Upon A Time In Americaは1984年のアメリカ・イタリア合作映画で、監督は「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」などのマカロニ・ウエスタンで有名なセルジオ・レオーネ
主人公ヌードルスを演じるのは泣く子も黙るロバート・デ・ニーロ。(意味不明)
そしてヌードルスと少年時代からの仲間として登場するのが、冷酷そうな顔立ちのジェームズ・ウッズ演じるマックス。
1920年代の子供時代から1960年代までの約40年間が229分(完全版)に収められている大作である。
あらすじはWikiなどをご参照ください。(笑)
通常なら主役のデ・ニーロについて考察するんだろうけど、今回はあえて準主役のマックスに焦点を当ててみよう。

冒頭、一体何が始まったのか分からない。
まるで後半から観始めてしまったように錯覚してしまう。
実際ディスク2枚組のため、2に取り替えてしまったほどだ。
ところがぎっちょん(死語)これが正解で、首をひねりながらま観続けると徐々に話が読めてくる。
回想シーンとして蘇る少年時代からの記憶。
少しずつカットとして挿入され、いつの間にか少年時代の話が主体になっている。
年老いた顔を観た後で少年の顔を観る驚き。
よく似た顔を選んでいるのはさすがだ。

この少年時代のエピソードが印象的である。
貧乏な生活を送っている主人公だけれど、なぜだかとてもお洒落に見える。
1930年代当時は帽子をかぶってブーツ、が一般的だったのかな。
ヌードルスとマックスは親友で、いつでも一緒。
初体験まで同時、というほどの仲良し。(言い方がヘン?)
お互いを信頼し合っていたけれど、青年になると少しずつ関係が変わっていく。

もっとお金儲けしてビッグになりたい、という現実主義のマックスに対して
「いつまでも下町のドブネズミのままでいる」
というヌードルス。
子供時代は並列だった力関係が、青年時代ではマックスがリーダーになっている。
この力関係のバランスがわだかまりになる。
そしてわだかまりが次第に取り返しのつかない大きな溝になってしまう。
「子供時代のままだったら良かったのに」
と思ってしまうSNAKEPIPE。
でもこういう「あのときのちょっとしたことが原因で仲たがい」ってよくあることかもしれないなあ。
均衡が崩れたことで仲間の結束が弱まってしまう。
それが後半の人生を決定づける悲劇の始まりである。

主役のヌードルスの性格描写はされていたけれど、マックスに関してはさほど描かれていなかったので想像するしかない。
特に今回は端折られてしまった30年があるため、尚更解り難いのかもしれない。
この二人は途中で別の道を行くけれど、結局は意外な形で再会する。
ここにこの映画の醍醐味が凝縮されているように感じる。
「男」特有の世界なのかな。(笑)

物語はまた青年時代のヌードルスに戻る。
阿片窟での、冒頭のシーンである。
「あ、これもドグラ・マグラだ!」
と声を上げてしまった。
こういう編集されると、現実なのか夢なのか分からなくなるから困ってしまう。
笑顔の意味?ゴミ収集車?うーん…。
やっぱり最期まで謎なのね。(笑)

もう一本は「愛の嵐」。
原題はIl Portiere di notte(英語ではThe Night Porter)。
1974年のイタリア映画で監督はリリアーナ・カヴァーニ
SNAKEPIPEはこの映画が大好きで今までに何度観たか忘れたほどであるが、不思議なことに何度観ても新鮮な印象を持ってしまう。
こちらのマックスはダーク・ボガード扮する元ナチスの将校で身分を隠すために夜にホテルで働く従業員。
将校だった時代に関係したシャーロット・ランプリング演じるユダヤ人美少女との再会から話が始まる。

この映画の中で最も有名なのはポスターや画像でも観ることができる、ランプリングがセミヌードにサスペンダー、腕までの長い革手袋にナチス帽で歌うシーンである。
けだるく歌うランプリングはデカダンスの象徴。
あの服装(というのか)が似合う女性は稀だろう。
SNAKEPIPEも大のお気に入りのシーンである。
こちらも回想シーンとして時々挿入される将校時代の映像。
当時のドイツは実際に退廃芸術が盛んだったのだろうか?
そんなに多くはない当時の映像はインパクトが強く「愛の嵐」を印象づける。

出会った当初は被害者と加害者のような無理強いの関係だったはずなのに、いつの間にか二人は愛情を感じ合ってしまう。
ストックホルム症候群というのか、もしくはそれ以上の関係である。
立場や時代が違っていたら出会わなかった二人。
そして再会が新たな悲劇になってしまう。

恐らくこの映画を観た人のほとんどは途中で
「なんでここで逃げないんだろう?」
と思うはず。
SNAKEPIPEもROCKHURRAHも同じように思った。
ヨーロッパは地続きだから、いくらでも他の国に逃げられそうに感じるけどね。
結局マックスは自ら蒔いた種から伸びた蔓で首を絞められてしまう。
どこに逃げても蔓はスルスルと伸びてくることに気付いていたのかもしれない。

この映画についてはいろんな言い方ができると思うけど、SNAKEPIPEは
「純愛映画」
と定義付けたい。
大島渚監督の「愛のコリーダ」も同じ理由から純愛映画なんだよね。(笑)

選んだ道の終点が悲劇につながってしまった二人のマックス。
破滅型にしか生きられないのが観ている側としては悲しくもあるけど、それが本当に不幸なのかどうかは本人にしか分からないんだろうね。
観終わった後に考えさせられる映画2本だった。

ライブは手ぶらで

【ライブ用に制作したヒップバッグ。SNAKEPIPE私用バージョン】

SNAKEPIPE WROTE:

とんと最近ご無沙汰だったのが、ミシンを使った制作である。
夏は暑いし、短い秋は夏の疲れが出た、などと言い訳してる間にすっかり冬になってしまった。
去年も「PRESENT 4 U!」として記事にしたように、11月に誕生日を迎える友人知人を多数持つSNAKEPIPE。

去年は手編みの帽子を送った方には揃いのマフラー、とも考えたけれど帽子ほどには自信がない。(笑)
冬本番を前にしたこの季節なので、やっぱり防寒モノを考えることにした。
で、結論はウサギの毛皮のベスト。
裏地にはより暖かさを増すようにフリースを使用。なかなかの出来に満足だ。
ただ毛皮も裏地も黒で、写真にしてもイマイチ分かりにくいため今回は撮影しなかった。

モヒカン・ドクロを革素材でTシャツにあしらったプレゼントを渡した友人には財布を制作。
今回は彼が大ファンの「あるバンド」のトレードマークをリキテックスで自ら描いた革を使用。
著作権の問題がありそうなので、こちらも撮影はなし。(笑)
ファンが革ジャンに描いてると思えばそんなに気にしないでイイのかな?

と、11月に入り急にミシンを踏む機会が増えたことがきっかけになり、先週のライブには久しぶりにヒップバッグを自作。
このバッグ、本当に腰に付けるの?というくらい横幅が広い。
普通のバッグとして使用するにしても大き過ぎるくらいである。
何故こんな大きさにしたのかには理由がある。

ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも手ぶらでのお出かけが基本。
ヒップバッグを付けたり、ポケットを利用することがほとんどだ。
ところがせっかく身軽な服装で行ったのに、入場する際にフライヤーやライブハウス発行の小冊子などを受け取り、扱いに困ることが多いのである。

そう、今回制作のウエストバッグはその不満を解消するためのもの。
A4がきっちり収納できるサイズである。
しかもほとんど邪魔にならずにライブに専念できるし。
はい、確かにデカ過ぎですが。(笑)
冬物らしく一枚革のウサギを大胆に使い、ちょっとゴージャスにしたところがポイント。
パッと見るとまるでモモンガが腰にいるように見えるところもお洒落!(笑)
大層満足なSNAKEPIPEである。

金曜日の夜から制作を始め、土曜日のライブに間に合わせた根性!(笑)
やればできるじゃん!
この調子でプレゼント用に購入したウサギの毛皮の残りを使った制作や、以前購入した革を使った制作を始めていきたい。
ショップで販売してたヒップバッグも完売御礼!
また新しく作らないとね!