時に忘れられた人々【02】国枝史郎

【国枝史郎伝奇文庫風にROCKHURRAHが勝手に制作】

ROCKHURRAH WROTE:

少年時代から現在まで趣味嗜好の根本がほとんど変わってないROCKHURRAHだが、今でも大事に持っているものは意外なことに、かつてコレクションしていたアナログ・レコードとかではなくて子供の頃に買った本だったりする。

レコードの方はパソコンで録音してCDにするというデジタル化での保存が比較的簡単に出来る(敢えてそういう事をしないのが真のコレクターなんだろうが、それは置いといて)から、よほどの宝物以外は手放して「あぁ惜しかった」という程にはならない。
ところが本の方は今まで何度もしてきた引越しの際に手放してしまったものが多く、その後新たに入手出来ずに困ったという経験も多いのだ。最近の古本屋事情もないものは徹底的にない、あるものはどこにでもある、という寒い状況。掘り出し物も滅多に見つからないときてる。自力でデジタル化も難しいしね。

そういう自分の書棚を改めて眺めると圧倒的に戦前戦後の古い探偵小説ばかり。ミステリーと言うより推理小説と言うより探偵小説と呼ぶ方がしっくりくるような作家群だ。それだけなら主義の一貫した奴でいいんだが、パンクでサイコビリーでホラー映画好きで探偵小説好きで裁縫や料理もちょっぴりこなす奴となると随分同志の人口は減ってくるだろうか?完全に同じ嗜好の人もまだまだいるかな。

前置きがとても長かったが、今回はその書棚の中から選んだ2冊の古びた本から話を進めようか。

「国枝史郎伝奇文庫 神州纐纈城」上下2巻だ。
数々の引越しでも絶対に手放さなかった少年時代からの宝物だ、って程にはそこまで貴重なものでもないが。
これは講談社が昭和50年代に出してた文庫で全28巻より成る国枝史郎の集大成、横尾忠則による装幀も素晴らしい。

多少はマニアックでも入門者にやさしい内容を心がけるrockhurrah.comであるから「国枝史郎って誰?」という現代っ子(この言葉がすでに死語か?)でもわかるように簡単な説明をしておくか。
国枝史郎は大正から昭和初期にかけて活躍した作家で主に伝奇小説と呼ばれるジャンルで類を見ない独創性を誇り、人気があった。ごく簡単に言えば日本独自の怪異とかファンタジーっぽいものを主題にした時代小説で燦然と輝く作品を描いたのがこの作家なのだ。決してエジソンとか二宮金次郎とか偉人を描いた伝記小説ではないので間違えないように。
この人が書いた小説の中で最も有名なのが「蔦葛木曽棧(つたかずらきそのかけはし)」「八ケ嶽の魔神」そして前述の「神州纐纈城(しんしゅうこうけつじょう)」の三大傑作だ。中でも「神州纐纈城」の素晴らしさは現代でも色褪せる事はない。

武田信玄の家臣、土屋庄三郎が出会った一枚の深紅の布「纐纈布」。
人間の生き血を絞り染めたという禍々しい布に誘われて庄三郎は武田家をドロップアウトしてしまう。要するに不思議な力で勝手に宙を舞う布を追っかけているうちにこの人は行方不明になってしまうのだ。現代社会で言えば無断欠勤で馘首といったところだろうが、戦国時代であるからして勝手にふらふら他国に行かれてしまっては困る。そこで信玄が庄三郎探索に差し向けた刺客が高坂弾正の庶子、高坂甚太郎なる凄腕の少年武士。鳥もちの竿を自在に操る武器とするやたら強い悪ガキだ。
富士山の麓を舞台にこの二人の追いつ追われつの物語になるのかと思いきや、予想は見事に覆されてどんどん場面は変わって、さらに出てくる登場人物のアクの強さ、奇っ怪さは増してゆく。「富士に巣くう魑魅魍魎」などと謳い文句に書いてある通り、妖怪などは出ないが人間こそが一番恐ろしい魑魅魍魎として描かれている。
富士山の麓に住む三合目陶物師(すえものし)と呼ばれる男。人を襲って陶器を焼く竃で処分してしまうという恐ろしい腕前の残忍な美形盗賊だ。
富士の洞窟の中で奇怪な造顔術(今で言う整形手術)を行う謎の美女、月子。罪業を背負った人々を整形し別人に生まれ変わらせるという闇商売をしている。
そしてタイトルにある通り登場する纐纈城と仮面の城主。富士の麓に住む人間をさらって来て冒頭に出てきた纐纈布を作るために生き血を絞り、染色する工場を持つという邪悪の総本山で、人工の水蒸気に隠され本栖湖の真ん中にある。城主は触れる者全てを一瞬で崩れた病人にしてしまうという「奔馬性癩患(ほんばせいらいかん)」なる恐ろしい病気の持ち主。醜い病気を隠すために能面を付けているのだ。
一方その纐纈城と対峙する富士教団神秘境。慈悲の心を持った救世主、光明優娑塞(こうみょううばそく)を勝手に教祖と仰ぐ狂信者の巣窟だ。

これらの主要登場人物が入り乱れてさらにその他大勢(剣聖塚原卜伝までも)登場するのだが、高坂甚太郎はこの纐纈城に導かれて囚われ、土屋庄三郎は富士教団神秘境へと彷徨い込んで、この二人は出会う事がない。
後半はなぜか激しい郷愁を感じた纐纈城主が遂に城を出て、人々を「祝福」しながら甲府に向かうという掟破りの展開。

素早い場面転換と複雑で奔放なストーリー、話はどんどん膨れ上がり脱線してしまい、この伝奇小説の裏バイブルのような作品は残念ながら未完のまま終わってしまう。
にも関わらず「神州纐纈城」は国枝史郎の最高傑作と呼ばれ、三島由紀夫をはじめ、後の時代の数多くの人たちにリスペクトされた。

ストーリー紹介になってなかったが読んでない人で興味を持ってくれる人も多いはず。何と大正14年の作品だよ、これ。
活劇映画もTVも漫画もアニメもTVゲームもなかった時代にこれを読んだ人が受けた衝撃は凄かったんじゃなかろうかと思える。ちょっと読んだだけでも誰でも映像が浮かんでくる程の妖しい魅力を持った小説だ。もともと大衆演劇畑出身の作家であるから映像的な描写やスピーディな場面展開はお手の物なんだろうが、今の人が想像するよりもずっと進んでた大正時代なんだね。

ROCKHURRAHの説明がヘタなので今時のアニメとかではありがちの舞台設定に感じてしまうだろうが、独特のリズム感溢れる名文とほぼ全ての登場人物に見え隠れするダークサイドな部分、読者の想像力をかきたてるような中途半端な終わり方が素晴らしく、不思議と子供っぽい部分はない。

話が大きくなりすぎて収拾がつかなくなり未完、と言えば昔の永井豪の漫画を思い浮かべてしまうが、まさに国枝史郎の小説は漫画向け(実際に永井豪と縁の深い石川賢が漫画にしている)と言える。がしかし、頭の中の映像化は簡単だがこの小説は数々のタブーなものがひしめいているので、実際の一般向け映画なりゲームなりには難しいかも知れない。タブーの部分を抜きにしたらこの作品の魅力は半減してしまうだろうから。でも、個人的にはぜひ誰か映像化に挑戦して欲しい(原作に忠実に)作品だ。

ちなみにSNAKEPIPEの昔の知り合いに纐纈さんという人がいたらしいが、本当にそんな名字あるんだね。纐纈城主の名字は纐纈ではないと思うけど羨ましい。画数が多くて難しいから何度も名前を書かなきゃならない場合は大変らしい。

代表作の中でちゃんと完結していて最もまとまりが良い「八ケ嶽の魔神」になるとさらに登場人物の暴走が激しく、読んでいて笑ってしまう部分もあるほど。
親の因果が子に報い、というこの手の小説にはお決まりの数奇な運命にある呪われた主人公、鏡葉之助(幼名猪太郎)の大活躍、というよりは暴れっぷりを描いた小説で「神州纐纈城」のような大傑作と比べるとかなり粗削りではあるんだが、これはこれで「凄い」と思える、ある意味アナーキーな作品。これまた大正時代に書かれたとは思えないような文体。筒井康隆がかつて「時代小説」という短編で国枝史郎をパロディにしていて、原典を知っていたら大笑い出来る内容だったのを思い出す。

さてさて、これからもう一つの長編「蔦葛木曽棧」についても書こうと思ったのだが、ここまで書いていて正直疲れてしまったので今日はここまでという事にしておこう。
それではごきげんよう。

(未完)

好き好きアーツ!#06 東松照明

【コンストラクテッド・フォトをSNAKEPIPEが制作。】

SNAKEPIPE WROTE:

今回は好き好きアーツとして日本を代表する写真家・東松照明氏を取り上げたいと思う。
とは言っても東松照明写真論として何冊も本が出ているので感想、のような書き方が無難だろう。

東松照明氏を知ったのは随分前のことだ。
以前にも書いたことであるが、SNAKEPIPEの父親は写真家である。
そして父親が東松照明氏の大ファンだったのである。
父親がいつもカバンの中に入れている写真がある。
取り出すと嬉しそうに顔をほころばせる。
それは東松照明氏と父親が一緒に写ったスナップ写真である。
先日のHELL-RACERとの記念写真に嬉々としているSNAKPIPEと同じように、父親にとってのアイドルは東松氏のようだ。
恐らく東松氏の偉業と実物とを知らない人は、「誰この人?」と中年男性二人が写った写真を怪訝に思うことだろう。
そう、東松氏は偉業を成し遂げた写真家、父親から見れば神様的な存在なのである。
実際にそのことに気付いたのはSNAKEPIPE自身が写真を撮り始めてからのこと。
どんな世界でも同じだろうけれど、その道に踏み込まないと「良し悪し」や「すごい!」の基準が解り辛いからだ。

東松照明氏の簡単な略歴を書いてみよう。(Wikipediaを参照)

1930年 愛知県名古屋市生まれ
1954年 愛知大学法経済学部経済学科卒業
「岩波写真文庫」のカメラマンスタッフになる
1956年 フリーとなる
1958年 日本写真批評家協会新人賞受賞
1959年 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立
(東松氏が「イネ」を集団名に考えていた話は有名である)
1961年 「hiroshima-nagasaki document 1961」
(第5回日本写真批評家協会作家賞)
1963年 アフガニスタンを取材
1972年 沖縄に移住
1974年 「New Japanese Photography」展
(ニューヨーク近代美術館)
荒木経惟らと「ワークショップ写真学校」を開講
1975年 写真集「太陽の鉛筆」で日本写真家協会年度賞
翌年芸術選奨文部大臣賞
1984年 「SHOMEI TOMATSU Japan 1952-1981」展
(ウィーン近代美術館など)
1992年 「SAKURA +PLASTICS」展(メトロポリタン美術館)
1995年 紫綬褒章受章
1998年 長崎に移住
1999年  「日本列島クロニクル―東松照明の50年」展
(東京都写真美術館)日本芸術大賞受賞
2000年 「長崎マンダラ展」(長崎県立美術博物館)
2002年 「東松照明展 沖縄マンダラ」(浦添市美術館)
2003年 「東松照明の写真 1972-2002」展
(京都国立近代美術館)
2004年 「Skin of the Nation」展
(ワシントン、サンフランシスコを巡回)
2006年 「愛知曼陀羅-東松照明の原風景」展
(愛知県美術館)
2007年 「東松照明:Tokyo曼陀羅」展(東京都写真美術館)

SNAKEPIPEが観に行った写真展が1999年の「東松照明の50年」展である。
この展覧会は「50年」と銘打ってあるだけに観ごたえ充分!
こうして全体像をみせてもらわないと、同じ写真家が撮った写真だとは分からないほどに多様なシリーズが展開されていた。

東松氏はいくつもの顔を持つ写真家なのである。
それぞれのテーマについて書いてみよう。

ドキュメンタリー写真として一番有名なのは「長崎」だろう。
戦争の傷跡を刻名に、冷静な目で描写している写真群。
原爆が落ちてから16年経った1961年から撮影を開始した、とのことであるが、文章にはできない写真が雄弁に長崎を伝える。
あまりにも有名な止まった時計の写真や溶解した瓶の写真は言いようもない独特の雰囲気を出している。
他には「チューインガムとチョコレート」の横須賀や「太陽の鉛筆」の沖縄、といった地名シリーズがある。
どのシリーズも長崎と同じように冷静でシャープな視線で事象を追いかけている。

アート系写真と呼びたい写真群もある。
海に流れついた漂流物を撮影した「プラスチックス」。
電子部品を自然物と混ぜて撮影したコンストラクテッド・フォト「ニュー・ワールド・マップ」や「キャラクターP・終の住処」もある。
「アスファルト」「廃園」「ゴールデンマッシュルーム」などはまるで実験映像のような感じ。
これらはすべて構図、色彩共にバッチリの素晴らしい仕上がり!
コマーシャル・フォトの先駆けとも言えるだろう。
悔しいくらい真似たくなるようなカッコいい写真ばかりである。

ネイチャーフォト、と言ってもいいシリーズもある。
長崎の諫早湾を撮った「ブリージングアース」。
千葉、和歌山、静岡などの岩場を写した「バイオ・バラエティ」。
岩場、とタイトルになければ宇宙写真のように見えてしまう不思議な写真群である。
東松氏の手にかかるとネイチャーフォトもまた違った趣きになってしまう。
非常にカッコいい。
これもまた真似たくなる写真だなあ。(笑)

ここまで顔を使い分け雰囲気を出すことができる写真家はそうそういない。
東松氏はバランス感覚、美的感覚共に非常に優れてるんだなあ、と感心。
そしてこれだけ多くの人物写真を撮れるのは、人格的にもバランスがいいからだと推測できる。
沖縄の人を撮るのに実際移り住み人々に慣れ親しんでから撮影を始めた、というエピソードを聞いたこともある。
ものすごい情熱!
意思の強さ!
うーん、3拍子どころか7拍子以上揃っちゃうんじゃないかね?(笑)

SNAKEPIPEが写真を撮り始めてしばらく経ってのこと。
今からもう10年以上は前のことだ。
その当時東松氏は千葉県の上総一ノ宮に住んでいたのである。
「東松さんのところに遊びに行って、ついでに写真を観てもらう?」
なんてアイデアを父親が口にしたことがあった。
そ、そんな!SNAKEPIPEみたいなド素人の写真を雲の上の写真家の方に観て頂くなんて恐れ多いにも程がある!
しかも遊びに、なんて気軽には行かれない!
そんなの無理、無理!と即座に断ったSNAKEPIPE。
今となっては
「あの時、行く!と言っておけば良かったな」
と後悔している。
偉大な写真家に会える機会なんてそう多くはないからだ。
そしてきっと父親もSNAKEPIPEをダシにして、本当は自分が神様にお目にかかりたかったのに違いない、と。

御年78歳の東松氏、ずっと元気で新作発表をお願いしたいところである。
2007年に写真美術館で開催された「Tokyo曼荼羅」は行かれなかったけれど、次回の写真展には是非足を運びたいと思う。
きっとまた「こんな写真が撮りたい!」と悔しい思いをするんだろうな。(笑)

DOUBLE MAX

【ダーク・ボガードとジェームズ・ウッズ演じる二人のMAX。あ、また帽子だ!(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

たまたま続けて観た映画の主役と主役級の人物の名前が同じマクシミリアン、通称マックスだった。
今回は二人のマックス、として二本の映画について感想をまとめてみたい。
どちらも今から20年以上も前に封切られた、かなり昔の映画である。

Once Upon A Time In Americaを初めて観たのはなんと長野県の松本だったSNAKEPIPE。
当時の友人の親戚の家に遊びに行った時のことだ。
封切りからかなりの時間が経ってからの上映で、地域の違いを感じたものだった。
内容は全く記憶になく、ただ寒かった印象しか残っていない。
雪が積もった寒い冬だったからだ。
そして今回久しぶりに再び観た。

Once Upon A Time In Americaは1984年のアメリカ・イタリア合作映画で、監督は「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」などのマカロニ・ウエスタンで有名なセルジオ・レオーネ
主人公ヌードルスを演じるのは泣く子も黙るロバート・デ・ニーロ。(意味不明)
そしてヌードルスと少年時代からの仲間として登場するのが、冷酷そうな顔立ちのジェームズ・ウッズ演じるマックス。
1920年代の子供時代から1960年代までの約40年間が229分(完全版)に収められている大作である。
あらすじはWikiなどをご参照ください。(笑)
通常なら主役のデ・ニーロについて考察するんだろうけど、今回はあえて準主役のマックスに焦点を当ててみよう。

冒頭、一体何が始まったのか分からない。
まるで後半から観始めてしまったように錯覚してしまう。
実際ディスク2枚組のため、2に取り替えてしまったほどだ。
ところがぎっちょん(死語)これが正解で、首をひねりながらま観続けると徐々に話が読めてくる。
回想シーンとして蘇る少年時代からの記憶。
少しずつカットとして挿入され、いつの間にか少年時代の話が主体になっている。
年老いた顔を観た後で少年の顔を観る驚き。
よく似た顔を選んでいるのはさすがだ。

この少年時代のエピソードが印象的である。
貧乏な生活を送っている主人公だけれど、なぜだかとてもお洒落に見える。
1930年代当時は帽子をかぶってブーツ、が一般的だったのかな。
ヌードルスとマックスは親友で、いつでも一緒。
初体験まで同時、というほどの仲良し。(言い方がヘン?)
お互いを信頼し合っていたけれど、青年になると少しずつ関係が変わっていく。

もっとお金儲けしてビッグになりたい、という現実主義のマックスに対して
「いつまでも下町のドブネズミのままでいる」
というヌードルス。
子供時代は並列だった力関係が、青年時代ではマックスがリーダーになっている。
この力関係のバランスがわだかまりになる。
そしてわだかまりが次第に取り返しのつかない大きな溝になってしまう。
「子供時代のままだったら良かったのに」
と思ってしまうSNAKEPIPE。
でもこういう「あのときのちょっとしたことが原因で仲たがい」ってよくあることかもしれないなあ。
均衡が崩れたことで仲間の結束が弱まってしまう。
それが後半の人生を決定づける悲劇の始まりである。

主役のヌードルスの性格描写はされていたけれど、マックスに関してはさほど描かれていなかったので想像するしかない。
特に今回は端折られてしまった30年があるため、尚更解り難いのかもしれない。
この二人は途中で別の道を行くけれど、結局は意外な形で再会する。
ここにこの映画の醍醐味が凝縮されているように感じる。
「男」特有の世界なのかな。(笑)

物語はまた青年時代のヌードルスに戻る。
阿片窟での、冒頭のシーンである。
「あ、これもドグラ・マグラだ!」
と声を上げてしまった。
こういう編集されると、現実なのか夢なのか分からなくなるから困ってしまう。
笑顔の意味?ゴミ収集車?うーん…。
やっぱり最期まで謎なのね。(笑)

もう一本は「愛の嵐」。
原題はIl Portiere di notte(英語ではThe Night Porter)。
1974年のイタリア映画で監督はリリアーナ・カヴァーニ
SNAKEPIPEはこの映画が大好きで今までに何度観たか忘れたほどであるが、不思議なことに何度観ても新鮮な印象を持ってしまう。
こちらのマックスはダーク・ボガード扮する元ナチスの将校で身分を隠すために夜にホテルで働く従業員。
将校だった時代に関係したシャーロット・ランプリング演じるユダヤ人美少女との再会から話が始まる。

この映画の中で最も有名なのはポスターや画像でも観ることができる、ランプリングがセミヌードにサスペンダー、腕までの長い革手袋にナチス帽で歌うシーンである。
けだるく歌うランプリングはデカダンスの象徴。
あの服装(というのか)が似合う女性は稀だろう。
SNAKEPIPEも大のお気に入りのシーンである。
こちらも回想シーンとして時々挿入される将校時代の映像。
当時のドイツは実際に退廃芸術が盛んだったのだろうか?
そんなに多くはない当時の映像はインパクトが強く「愛の嵐」を印象づける。

出会った当初は被害者と加害者のような無理強いの関係だったはずなのに、いつの間にか二人は愛情を感じ合ってしまう。
ストックホルム症候群というのか、もしくはそれ以上の関係である。
立場や時代が違っていたら出会わなかった二人。
そして再会が新たな悲劇になってしまう。

恐らくこの映画を観た人のほとんどは途中で
「なんでここで逃げないんだろう?」
と思うはず。
SNAKEPIPEもROCKHURRAHも同じように思った。
ヨーロッパは地続きだから、いくらでも他の国に逃げられそうに感じるけどね。
結局マックスは自ら蒔いた種から伸びた蔓で首を絞められてしまう。
どこに逃げても蔓はスルスルと伸びてくることに気付いていたのかもしれない。

この映画についてはいろんな言い方ができると思うけど、SNAKEPIPEは
「純愛映画」
と定義付けたい。
大島渚監督の「愛のコリーダ」も同じ理由から純愛映画なんだよね。(笑)

選んだ道の終点が悲劇につながってしまった二人のマックス。
破滅型にしか生きられないのが観ている側としては悲しくもあるけど、それが本当に不幸なのかどうかは本人にしか分からないんだろうね。
観終わった後に考えさせられる映画2本だった。

大道・ブランコ・コーヒー

【東京都現代美術館告知用ポスターを大道風にアレンジして制作】

SNAKEPIPE WROTE:

11月3日は文化の日。
芸術の秋、ということで今週は芸術鑑賞の話をしてみたいと思う。

行ってきたのは東京都現代美術館
ここは周りにゆったりとした公園がある大変立地の良いリッチな美術館。(ぷっ)
設備もキレイで前からお気に入りの場所である。
企画展で興味がある時にはなるべく足を運ぶようにしている。
今回は森山大道氏とブラジルの写真家ミゲル・リオ=ブランコ氏の共同展示。
大道氏がブラジルを、ブランコ氏が日本を撮影している。
そして「ネオ・トロピカリア~ブラジルの創造力」というブラジル現代アート展も同時開催されている。
まずはブラジル現代アートから観て回ることにした。

いきなり「3階からどうぞ」と言われ、エスカレーターで昇る。
「これってまるでIKEA方式だよね」
とROCKHURRAH。
そうそう、IKEAも全部見て下さいとばかりに2階から回って歩かないと出口に出られない名づけて迷路商法!(笑)
それほど現代アートに明るいわけでもないし、ましてやブラジルのアーティストに知った名前もないためサラサラと流して観る。
色彩が鮮やかなこと、音楽も一緒に聴いてちょうだい、みたいな複合型も目立つ。
SNAKEPIPEが気に入ったのはオスジェメオスという双子が描いた絵画。
ちょっと漫画チックだけど、ポップな色に似合わない不気味さが良かった。
現代アート展にはよくあることだけど、いろんな種類の作品があるためなのか、順路が非常に分かり辛い。
係の人もきちんと説明しないし、矢印があるわけでもないので迷うことが多くちょっと不親切だなと思った。

続いてはメインの写真展。
まずは入り口に大道氏の縦位置モノクロプリントが「どうだ!」とばかりに8枚並んで展示されている。
これが素晴らしい!
いかにも大道氏の作品でとてもイイ感じだ。
期待に胸を膨らませながら会場へ。
ブラジルは極彩色で陽気なサンバの国という印象なのに、大道氏はあえて(?)全てをモノクロームで記録。
サンサンと輝く太陽に白い歯を見せるブラジリアン、という写真も見当たらない。
ラテン音楽の中にたまに息苦しくなるほど「せつない」旋律があるけれど、その雰囲気に近い気がした。
一番広くスペースを割いていたのは大きな印画紙(全紙より大きく見えた)で壁一面の人物写真。
57枚すべてが人、というのはかなり迫力があった。
大道氏は写真界のパンク、と思ってるSNAKEPIPEだけど(笑)今回の写真展に関して言えば
「ずっしりした荷物を預けられた気分」
という感じか。
とても良い写真展だったと思う。

一方日本を撮影したブラジルの写真家、ブランコ氏。
こちらは反対に全てカラー作品、サイズは6×6。
コラージュで見せる作品が数点と一枚ごとに見せる作品とが混ざっていた。
あれ?コラージュの中に使われてた写真がまた個別展示されてる!
こういう2回展示の「使い回し」、というのもアリなのかね?(笑)
ブランコ氏は「日本」ということにこだわり過ぎたような気がするな。
刀鍛冶場や浮世絵、のような写真は日本人の目から見ると「いかにも」になってしまう。
SNAKEPIPEの個人的な感想をいうと
「こんな見せ方があったんだ」
と目からウロコ的な発想や切り取りなどもっとブランコ氏らしさが欲しかった。
ちょっと残念だ。

そして最期に常設展を観る。
お馴染みの草間彌生リキテンスタインの作品には見慣れているせいか親しみを覚える。
SNAKEPIPEが非常に気になったのは「白髪一雄」という画家。
前にも観ていたのかもしれないけれど、今回観た中では一番迫力を感じた好みの画家だ。
日本でのアクションペインティング創始者とは!
猪の毛皮の上に赤黒い絵の具を塗りたくった絵が素敵だった。
もっとたくさんの作品を観てみたいな!

訳分からん、と言いながらもやっぱりアート鑑賞は楽しいね!
また面白そうな企画展に行きたいと思う。