痛くて怖い物語

【「28日後…」でチンパンジー教育用に使用されていた映像より】

ROCKHURRAH WROTE:

今まで滅多に映画鑑賞記みたいなものを書かなかったROCKHURRAHが久々に映画について書いてみよう。
映画に関してはROCKHURRAHサイトのキーワードとも言える「70〜80年代の・・・」限定というわけにはいかないが、そもそも昔はよく見かけた定番の映画(と言ってもちょいマニアックなもの)でさえ大手レンタル屋チェーンとかでは見事に姿を消しているという嫌な時代。仕方なく入手しやすい映画ばかり観ているけど、ブログで感想書きたくなる程の作品は少ないなあ。しかも面白いのはSNAKEPIPEの「CULT映画ア・ラ・カルト」シリーズでもう書いてしまってるから、それ以外の「地味な映画」担当になっちまった(笑)。まあそんな映画の中から何とか探して書いてみましょう。微妙にちょっと前の映画なのがROCKHURRAH流時代遅れのススメというわけ。

さて、今回はありそうでなさそうな怖い話というような括りでいくつかピックアップして軽く書いてみようか。ROCKHURRAHが書く時はいつもなんだが、相変わらず考察も批評も特になくて、単にこんな映画もあったなあ、という程度だから何も期待しないで。
また、ネタバレにならないように書いてるつもりでもうっかりバレてしまったらごめん。


まずはクエンティン・タランティーノが製作総指揮でイーライ・ロス監督の「ホステル」から。この世界では若手と言ってもいいのかな?作品数も少ないからこの「ホステル」が代表作となる。結構話題になってたから知ってる人は知ってるだろうが、監督の名前を聞いても知らない人も多いかも。この人はタランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」に俳優として出てたのも記憶に新しい(劇中に出てくるナチス映画もイーライ・ロスが監督)。
ストーリーは単純なものだが、3人組のバックパッカーがヨーロッパで無軌道な旅をしている最中の怖い話。旅先で紹介されたスロバキアにあるホステル、そこが問題の場所なんだが最初は楽しい天国のような歓待を受ける3人。それが一転して次々と・・・とまでは行かない少人数だな。2人いなくなれば次は3人目だって事くらいは誰でもわかる。
まあ世にも恐ろしい目に遭ってしまうわけだ。古典的すぎて涙が出てしまう展開だが、オーソドックスでも怖いものは怖いのよ、という自信に充ち溢れた作品。ジャンルとしてはものすごく痛い系列かな?
「SAW」や「マーターズ」なども似たタイプで得体の知れない敵という存在はあるんだが、こちらは割と直球勝負。というか勝負したくないタイプ。いやあ、絶対こんな目に遭いたくないものだ。


この映画はヒットしたために続編「ホステル2」も同監督で2007年に公開された。前作ラストの後日談が映画の冒頭で出てきていきなりショッキング。今度は女子美大生3人組プラス1名で発端も展開も同じようなもの。やっぱりまんまとスロバキアに誘われてしまう。途中まではここまで前作を踏襲した2も最近では珍しい、とまで思ったが最後だけ大どんでん返し。いや、その展開も充分読めるけどね。
タランティーノ監督の「デス・プルーフ in グラインドハウス」にも似たラストの爽快感はあるものの、この主役以外だったら全く救いようのない映画だったろうね。
前作では少しだけしか説明されてなかった得体の知れない組織もある程度全貌が明らかになってゆく。こういう組織が現実にあってもちっともおかしくはないという気がする点がこの映画の恐ろしい部分かな。

しかしこの2本の映画を観て「絶対にスロバキア行きたくねー」と思った人は数知れずいるに違いない。実在する国で観光による収益もあるだろうにねえ。スロバキアの人にとっても別の意味で背筋の凍る映画だと言えよう。


さて、次はダニー・ボイル監督の「28日後…」について。「トレインスポッティング 」や「スラムドッグ$ミリオネア 」など大ヒットした映画を撮っているから、90年代以降のイギリスを代表する監督と言ってもいいだろう。
ストーリーとしてはこれまた割と単純なもの。感染症にかかった猿に噛まれた事によりレイジ・ウィルスなるものが人間の間であっという間に大流行。噛まれるとわずか数秒で凶暴なゾンビのような人間となり、見境なく人を襲って次々と感染者が増えてゆく。そしてロンドンは死者と感染者ばかりの街になってしまい、イギリスは壊滅状態となる。それから28日後に病院で目覚めた男が主人公だ。同じように何らかの理由で感染せずに生き延びた仲間に出会い、感染者から必死に逃げてゆくというサバイバル・ホラーだ。
「ナイト・オブ・ザ・リビンデッド」や「ゾンビ」「バイオハザード」などのパターンを踏襲してはいるもののさすがイギリス映画。上記のアメリカ物に比べるとずっとダークで主人公たちのバイタリティが低い感じがする。もっとうまい逃げ方もあるだろうに、と何回も思うもどかしさがある。逆に感染者たちの凶暴具合、その勢いは大変なもので、こんなのに追いかけられたらたまったもんではない。
この監督の特色なのか「トレインスポッティング 」「スラムドッグ$ミリオネア 」などと同じく冒頭に全力疾走するというスピーディな映像効果(上記の感染者から逃げる図)が印象的だ。
見た目も冴えず最初はダメ男に見えた主人公が愛する女のためにランボー(古い)並の活躍をするのはちょっと有り得ない展開だが、よくわからないウィルスによる感染の恐怖というのは誰にとっても非現実的なものではないはず。その辺の潜在的な弱点をよく捉えた映画だと思える。
また、映画の内容とは関係ないがイギリスを舞台としている事からイギリス軍のDPM迷彩服がふんだんに登場するのも個人的にはポイント高い。


この「28日後…」もヒットしたのでファン・カルロス・フレナディージョ(長い)なる別の監督でダニー・ボイルが製作総指揮という続編「28週後…」が2007年に公開された。
前回と同じ舞台設定だがこれは別なエピソード。しかも前作よりは格段に複雑な話。
28日後と同じ頃(変な表現)、別の土地で生き延びた夫婦と一時的な仲間たちがいた。しかし隠れ家に子供を匿った事から追ってきた感染者集団の襲撃を受けてしまう。そして全滅してしまうエセ・コミューンなのだが、この時に妻を見捨てて逃げた非道な夫が物語のキーマンとなる。
28日後騒動の後(変な表現)、壊滅したイギリスはアメリカ軍の統治により復興が進んでいて「まあ、もう大丈夫なんじゃない?」という程度の安全宣言が出された。これが28週後というわけ。生き延びた人たちは安全区域で米兵に守られて生活していて、最初に一人だけ逃げた夫も外国にいた二人の子供を引き取り、とりあえずはメデタシ。当然の展開だが「お母さんはどうしたの?」という問いかけに自分だけが生き延びたウソの顛末を語り、保身を図る嫌なおやじ。悲しむ子供は立ち入り禁止となっている自宅に戻り、それが元でまたしてもレイジ・ウィルスがあっという間に再発してしまう・・・。そして米軍は事態を鎮圧するために地区内の人間も感染者も全部焼いてしまおう、というコード・レッドなる非常手段を発令する。
主人公は二人の子供でサバイバル生活に突入してゆくが、それを助けるのが後に「ハート・ロッカー」で戦争ジャンキーみたいな爆発物処理人役を演じるジェレミー・レナーだ。しかしこちらでもあちらでも米軍の軍曹役という事でACU迷彩着用のどちらも同じ姿。巷ではACU迷彩が最も似合う俳優という事で通っているのかね?どちらかと言えば軍人のキリッとしたタイプではないしSNAKEPIPEによると「デュラン・デュランのサイモン・ル・ボンをふくよかにしたような顔」とのこと。この3人ともう一人女性兵士を加えた一団で感染者や米軍から逃げたり戦ったりするというのが大まかなあらすじだ。

前作では一旦助けてもらったイギリス軍こそが感染者よりも恐ろしい存在だったが、この続編ではアメリカ軍兵士でプロのスナイパーが味方、という事で多少の希望がある。がしかし、この兵士は軍の脱走者と同じ扱いという事で、敵の強大さという点では遥かにスケールアップしている。やっぱりね、と思う救いようのなさは「ゾンビ」や「サンゲリア」などと同類だね。


最後はジャウム・コレット=セラというあまり知名度はないと思われる若い監督の作品で「エスター」。この映画自体は結構怖いという評判だったので観た人も多いはず。

両親と2人の子どもがいる家庭。一見幸せに見えるが三人目の子供を流産したという悲しみが一家の影になっている模様。両親は孤児院に行き、養女に出来そうな子供を物色する。そこで偶然に出会った少女がエスターというわけだ。絵を描くのがうまく聡明な少女で、この子を引き取る事にする。兄妹の妹は難聴なんだが、エスターはすぐに手話を覚えて妹とも仲良くしてメデタシ。が、兄の方はどうやらこのエスターが気に入らなくて家にやってきた他人扱いする。エスターの服装が今風ではなくて一緒にいるのが恥ずかしいというような思春期にありがちなものだろう。それなりに馴染んできたエスターだったが、学校ではイジメに遭っていて家では母親や兄ともちょっとうまくいかないところがある。
まあそういう感じのはじまりでエスターの理解者は優しい父親と難聴の妹だけとなる、という部分が割ときめ細かく描写されていて、後半になってからはこのエスターの怖い部分が徐々に明らかになってゆく。

今時珍しいほど古典的ホラー要素を踏襲していて「最近のホラーは派手でショッキングなばかりで面白いのがないねぇ」などと思ってたROCKHURRAHもビックリのずっしりとした王道ホラーだった。今回ピックアップした中では最も飛躍がなくて、現実的な恐怖を追求した作品だと言える。しかし全然子供がいなくて寂しい夫婦というわけではなくて2人もちゃんと子どもがいるのに、それでもなおかつ、充分に物心ついた子供をさらに欲しがるこの両親の気持ちはちょっと理解出来ないなあ。

こんな感じでちょっと怖い映画を選んでみたが、最近は「ホラー映画苦手」と言っていたSNAKEPIPEも普通に平気で観れるようになって喜ばしい。変態サイコキラーが街中を脅かすような映画は大好きのくせにね(笑)。また書けるような題材があったら映画についても書いてゆこう。

尚、来週はrockhurrah.comのサーバーが大掛かりなメンテナンスを行うため、ブログは休ませてもらうかも。この場を借りて告知させて頂きます。

田中一村展~新たなる全貌~

【千葉市美術館前の柱に貼られていたポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

敬老の日を含む3連休、猛暑も収まってキレイな秋晴れ。
お出かけするには持ってこいですな!
行楽の秋、食欲の秋、芸術の秋!(笑)
ということで出かけてみたのが千葉にある千葉市美術館
SNAKEPIPEはアイラブ千葉なのに、この美術館のことは全然知らなかったよー!
現在開催しているのが「田中一村 新たなる全貌」展である。

ここで田中一村について簡単にご紹介。
1908年栃木県生まれの日本画家。
幼少の頃より水墨画に才能を発揮し「神童」と呼ばれるほどの画力を持つ。
東京美術学校(現:東京芸術大学)中退後、千葉に暮らし50歳で奄美大島に移住する。
1977年に69歳で亡くなる。
没後にNHKの「日曜美術館」の紹介で、一躍脚光を浴びる。

「日曜美術館の紹介で脚光を浴びた」のが1985年の番組だと思うんだけど。
実はSNAKEPIPE、その番組観てるんだよね。(笑)
その後、SNAKEPIPEもすっかり一村ファンになっちゃったのね。
日本画と聞いた時に思い浮かべる画風とはまるで違う、斬新な色使いや構図。
もちろんモチーフも南方の動植物だからエキゾチックだし。
日本画家というよりは現代アートに分類したくなる画家なんだよね。
以前書いた松井冬子の先輩って感じか?

千葉駅から歩くこと約15分。
国道126号沿いに千葉市美術館はあった。
今まで行ったことがある美術館って建物として独立している場合が多かったので、まるでマンションのような美術館って初めてかも。
美術館前の柱に開催している田中一村のポスターが貼られていなかったら、素通りしちゃったかもしれないね。(笑)
この建物は区役所や図書施設との複合施設になっているため、美術展は7階と8階の2フロアで開催されている。
やっぱりこの美術館、変わってるね!

千葉駅から歩いている時にはガランとして、人通りが少なかったのでとても快適な散歩を楽しめたんだけど。
田中一村は大人気!
これだけの人、一体どこから来たの?というくらい館内に溢れる人の多さにびっくり!
恐らく美術館側もこんなに人が多くなるとは予想してなかったのでは?
そしてその観客の約9割がご高齢の方!
もしかして敬老の日にちなんで何かイベントがあったの?と思ってしまったほど。
初めて行った美術館だから他の企画の時がどうなのか分からないけど、元々年齢層が高い美術館なのかもしれないね。

今回の田中一村展は
「一村ゆかりの地にある美術館が共同で本格的に取り組む初めての回顧展で、近年の調査で新たに発見された資料を多数含む約250点の出品作品による、過去最大規模の展観となります」
と書かれている通り、かなり見ごたえのある展覧会だった。
神童と言われた子供時代の作品から始まり奄美大島に移り住むまで、という時系列で構成されていた。
田中一村は20年間くらい千葉に住んでたことがある、というのが今回の企画の趣旨(?)で千葉市美術館の開館15周年特別企画になってるんだよね。(笑)
そのため「千葉時代」として、昭和13年から33年までの千葉を描いた作品が展示されている。
この時代の作品の中にはすでに、後の奄美時代のようなデザインや構成の片鱗を観ることができる。
北欧のテキスタイルみたいな色彩とかデザインなんだよね。
日本人離れした感覚を持っていたんだろうね。

この千葉時代から田中一村は写真撮影も始めていたらしい。
オリンパスフレックスの二眼を使って、恐らくは絵のモチーフ用の写真を撮っている。
自分で焼付けもやってたというから、写真も好きだったみたいね。

とても印象的だったのが数多く残されている襖絵。
数少ない理解者から依頼を受けた、個人宅の襖に描かれた絵である。
襖4枚とか8枚続きを一枚の絵として完成させてるんだけど、この構図が素晴らしい。
SNAKEPIPEが特に気になったのが「花と軍鶏」と題された襖8枚に描かれた作品。
これは軍鶏師(という職業なのか?)の家用に、タイトル通り軍鶏2羽と花を描いている。
非常に興味深いのはその構図。
もしかしたら日本画の世界ではそんなに珍しくないのかもしれないけど、SNAKEPIPEにはとても斬新に映った。
こんな襖のあるお宅ってどんな豪邸なんだろうね?(笑)

観終わって帰り道のこと。
SNAKEPIPEはとても不思議な体験をしてしまった。
ROCKHURRAHと普段通りに会話をしたり歩いたりしていたはずなのに、途中で意識が飛んでいる!
目覚めながらに眠っていたような、夢見ていたような。
そう、脳内トリップ!
これ、すごい!
田中一村の絵にはトリップ効果があるのかも!(んなバカな)
ただし「すごい」と思っているのはSNAKEPIPEだけで、話しかけても反応がヘンだったのを目の当たりにしたROCKHURRAHには迷惑なだけだったみたいだけど。(笑)

田中一村は今でいうところのスローライフというのかな。
世間の評価などを気にせず、自分のペースで好きな作品を描き続けた画家なんだね。
没後に評価された、というところがちょっと悲しいけどご本人にとっては描き続けることが幸せだったのかもしれないしね?
南方の画家というとゴーギャンを思い浮かべるけど、SNAKEPIPEは作風や没後に評価されたという部分も含めてアンリ・ルソーに似ていると思った。
アンリ・ルソーも大好きな画家の一人だしね!
そして奄美大島と言えば忘れちゃならない我等が鳥飼否宇先生!
奄美の自然を愛し移住するところは田中一村と鳥飼先生、よく似てらっしゃる!
奄美、いいなあ。
一度行ってみたいなあ!(笑)

世界一カルトな親子の作品!Surveillance鑑賞

【どうしてこの顔にしたんだろう?ホラーっぽいけどね!】

SNAKEPIPE WROTE:

毎週2、3本の映画鑑賞の習慣はずっと続いているため、TSUTAYAには月に数回通っている。
テレビや雑誌をほとんど活用しない生活を送っているため、TSUTAYAで情報を知ることも多い。
先日も「ご冥福をお祈りします」と書いてある看板をふと見ると、なんとびっくり!
あの今敏監督が亡くなっていて、特集がされていた。
えーーーっ!新作を楽しみにしてたのに!
豊かな才能を持った方がお亡くなりになるとは非常に残念。
今敏監督、たくさんの素敵な作品をありがとう!

先日はTSUTAYAの新作コーナーがちらっと目に映った。
ジェニファー・リンチ
ん?んんん?どこかで聞いたことがある名前。
おっ!そうだよ!そうだよ!ソースだよ!(古い)
ジェニファーってデヴィッド・リンチの娘じゃん!(笑)
「イレイザー・ヘッド」で「天国ではなんでも最高!」と歌っていたあの少女!
リンチ作品に子役で出演してたんだよね。
「ツインピークス ローラ・パーマーの日記」を書いたのも彼女。
大人になってからは確か肩にコーヒーカップのTATOO入れてた記憶が…。
と、ここまでの間がほんの数秒の話ね。
見上げるとジェニファー・リンチの紹介がされている。

鬼才デヴィッド・リンチの娘。
1993年に「ボクシング・ヘレナ」で監督デビュー。
本作は実に14年ぶりの最新作となる。

「ボクシング・ヘレナ」は観た記憶があるなあ。
確か手足を切断された女が出てきたような…。
随分昔のことだからすっかり忘れてるけど、確かに当時は「リンチの娘が監督デビュー」として鳴り物入りで宣伝されてたっけ。
映画自体をあまりよく覚えていないということは、多分あまり気に入ってなかったのかもしれないね。(笑)

そしてその最新作「サベイランス」の大きなポスターも展示されている。
「製作総指揮:デヴィッド・リンチ」
ええーーーっ!親子で作った映画だったのーーー!
リンチアンのSNAKEPIPEがこんな情報を見逃していたとは不覚!
んもお、これは一刻も早く観なければっ!

ドキドキしながら鑑賞開始。
観る前からこんなに興奮するのは本当に久しぶり。
Executive Producer  DAVID LYNCH
というクレジットを観ただけで失禁しそうになったくらい!(お下品な)

この映画、オープニング・クレジットだけでかなり怖い!
心臓がバクバクするほど映像に惹きつけられる。
これは期待できそうだ。
簡単にあらすじを書いてみようか。
「サンタ・フェの田舎町で起こった猟奇的な無差別殺人事件。
捜査に乗り出したFBIによって、殺人現場に居合わせた3人の生存者たちは、奇妙にも監視されながら事情聴取される。」(公式サイトより)

田舎町で起こる殺人事件といえば、リンチの十八番。(笑)
そしてそこに出てくるFBI、と聞けば「ツインピークス」を思い出すのも仕方ないよね。
あれだけ強い個性を持ったリンチが父親だから、影響受けて当然!
ま、前述したように幼少時代からリンチとは密接に関わってたみたいだし。
ところどころで出てくるショットも
「うわー、リンチっぽい!」
とニヤニヤしながら観てしまった。(笑)

主役を演じたのがビル・プルマン
あっ!「ロスト・ハイウェイ」に出てた俳優!
あれから13年くらい経ってるけど、それにしても太ったねー。
言われないとあの時の俳優と同じとは思えないほど。
ただし太ったおかげで(?)時々ロバート・デ・ニーロに似てたよ。(笑)

地元警察官役で出ていた「スターシップ・トゥルーパーズ」でお馴染みのマイケル・アイアンサイド
彼はジャック・ニコルソンに似てるし。
一瞬だけ観た時にはデ・ニーロとニコルソンという二大大物俳優が出演してる映画だと勘違いされそうだよね。(笑)

そして監督ジェニファー・リンチはリンチのそっくりさん、というところで
「そっくりさん大集合の映画」
とも言えそうね。(笑)

リンチ特有の「不条理世界」はあまり感じられなかったけれど、なかなか見ごたえがある作品だった。
構成も面白かったしね!
あの結末はミステリーの世界では「やってはいけないこと」になるんじゃないかね?
詳しくは書かないけど。(笑)

劇中で流れたヴァイオレント・ファムスの「Add It Up」にROCKHURRAHがノリノリ!
映画の中でもラジオから流れてくる曲に合わせて皆が「懐かしい!」と盛り上がっている。
1983年の曲とのことなので、丁度ジェニファー・リンチが思春期だった頃なんだろうね。
かなりカッコいい曲なので皆様も是非聴いてみて!
ROCKHURRAH RECORDSで販売中!(宣伝してみたよ)
シングルのジャケットに少女が写っていて、それがまたこの映画に出てくる少女みたいでつながりを感じるよね。
<ROCKHURRAHによる追記>
つながりと言えば上の写真にある気色悪いマスク男。これも実はヴァイオレント・ファムスの1stアルバム・ジャケットの土偶みたいな写真と奇妙にも似ている。この辺からも着想を得たのかもね。
<以上>

「サベイランス」は2008年ニューヨーク・シティホラー映画祭最優秀監督賞受賞、主演女優賞受賞、2008年シッチェス国際映画祭作品賞受賞らしい。
ん?2008年って2年前だよね。
どうして今年になって日本で公開されたのか不思議。
その経緯はよく分からないけど、リンチファンには嬉しい出来事だった。
今度はリンチ本人の新作を楽しみに待ちたいと思う。

マン・レイ展~知られざる創作の秘密

【国立新美術館入り口近くの看板】

SNAKEPIPE WROTE:

中学・高校の6年間、SNAKEPIPEが所属していたのは美術部だった。
中学の時はデッサンをやらされたり、毎年恒例になっている行事や「○○のためのポスター」を描かされたりして自分が本当に描きたいと思って描いたわけではなかった気がする。
高校になっても恒例行事に関する義務的な絵を描くことはあったけれど、中学よりは自由があった。
本当に自分が描きたいと思う題材を好きに描いたように記憶している。
随分後になってから、高校時代に描いていた絵が「シュールレアリスム」だったんだと気付く。
幻想的で夢を再現したような、有り得ない光景。
想像したことを絵で説明したい欲求を持っていたようだ。
10代後半からSNAKEPIPEはやっと「自分が本当に好きな美術」についての勉強を自主的に始める。
美術の授業には「シュールレアリスム」についての項目はなかったからね。
「シュールレアリスム」について調べていくと、かなりの数のアーティストの名前がぞくぞくと登場してくる。
ダリ、マグリット、キリコ…。
絵を描くアーティストのほうが知名度が高いかもしれないけれど、高校時代から写真に興味を持っていたSNAKPIPEが気になったのはマン・レイだった。

「マン・レイって誰?」という方のために簡単に説明しておこうかな。
マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudsitzky, 1890年8月27日 – 1976年11月18日)は、アメリカのフィラデルフィア生まれのユダヤ系ロシア人。
画家でもあり、彫刻家でもあり、写真家でもある。
映画も撮ってるしね。
アートに関することを全部一人でやっちゃった人なんだよね。(笑)
写真、と一口に言っても実験写真(レイヨグラフ、ソラリゼーションなどの技法を使ったもの)からファッション写真、ポートレイト写真など様々。
今でいうところのマルチ・アーティストって感じかな?
だから「マン・レイって何をやった人?」と聞かれると答えるのが大変。
SNAKEPIPEにとっては写真家としてのイメージが強いけど、ROCKHURRAHには画家として認識されてるしね!

なぜROCKHURRAHがマン・レイの絵を知っているのか訊ねてみると
「Skidsのジャケットに使われていたから」
とのこと。
元々このバンドが大好きだったので、その影響でマン・レイにも興味を持つようになったらしい。
ROCKHURRAHの場合は音楽から入ったパターンだね。
もしこのバンドがマン・レイの写真を使用していたら、写真家として認識していたのかもしれないね。(笑)

マン・レイ展」が開催されているのを知り、興奮した。
今まで何枚もの写真を目にしているし、マン・レイに関する書籍なども所持しているSNAKEPIPEだけれど、展覧会は初めてなのである。
同じくROCKHURRAHも初めてとのこと。
場所は六本木にある「国立新美術館」、ここも初めてなので是非行ってみることにした。

六本木って美術館がいっぱいあっていいよねー!
六本木ヒルズにある「森美術館」、今回行く「国立新美術館」、「サントリー美術館」等々。
森美術館には面白そうな企画の時に何度か足を運んでいるけれど、今回の「国立新美術館」はヒルズとは反対方角に進むこと約10分。
「政策研究大学院大学」という大学なのか大学院なのか判らない名前の学校を左手に見て、新美術館はあった。(笑)
さすがに「新美術」なだけあって、新しくてキレイな建物!
ミュージアムショップに建物のポストカードもあったしね。(笑)
施設内もとてもキレイでピカピカ。
長い傘の持込は禁止、と書いてあるのが今まで行ったことのある美術館にはなかったルールかな!

「マン・レイ展」は活動していた場所と年代で4つのブースに分けられていた。
1:ニューヨーク 1890年~1921年(マン・レイ0歳から30歳まで)
日本でいうと明治23年~大正10年。
生まれはフィラデルフィアだけど、7歳でニューヨークに移ってるらしい。
そのニューヨークで画廊を経営するアルフレッド・スティーグリッツと知り合いになり…って軽く紹介されてるけどさ!
スティーグリッツって「近代写真の父」なんて言われてる大御所中の大御所よ!
その大物写真家と知り合いになるってところで、もう道は拓けてるよね。(笑)
この頃の作品はほとんどが絵画。
SNAKEPIPEが目を引いたのは「飾り文字の習作」と題された1908年の作品。
まだ17、18歳の頃の作品だけど、とてもデザイン的でおしゃれだった。
相当「できる子」だったんだろうな。(笑)
キュビズムにも影響を受けてるようなので、吸収する力もあるんだねえ。

2:パリ 1921年~1940年(マン・レイ31歳から50歳まで)
日本でいうと大正11年~昭和15年。
マン・レイの有名な作品はやっぱりこのシュールレアリスム時代の物が多いかな。
この頃のパリには強い憧れがあるSNAKEPIPE。
物凄く面白そうな時代、面白そうな場所!
カフェのあちらこちらで、後に有名になるアーティスト達がたむろして議論してたり。
人と人との出会いが新たな作品を生む力になったり、企画が出来上がったりしてイマジネーション渦巻くエネルギーに溢れた街だったんじゃないか、と想像する。
タイムワープできたら行ってみたいな!(笑)

パリ時代になると写真の展示が増えてきて、有名人のポートレイトがいっぱい。
モデルで愛人だった「キキ・ド・モンパルナス」の写真があると「マン・レイだなー!」と思ってしまう。
SNAKEPIPEにとってはキキのポートレイトが馴染み深いのかもしれないね。
それにしてもあの有名な「アングルのヴァイオリン」が展示されていないとはびっくり!
fの文字を背中に付けた、女性の丸みを帯びた裸体(キキ)をヴァイオリンに見立てた作品ね。
リトグラフとして後年の作品にあったけど、やっぱり写真で観たかった。

3:ロサンゼルス 1941年~1950年(マン・レイ51歳から60歳まで)
日本でいうと昭和16年~昭和25年。
この頃は戦争の時代。
本当はパリに滞在していたかったマン・レイも仕方なくアメリカに戻ったらしい。
そこで晩年を一緒に過ごすことになる女性、ジュリエットと結婚。
この時55歳くらいかな?
マン・レイというのは女性がいないとダメな人みたいで、女性からインスピレーションを受けて作品作りをしていたようなところがあるよね。(笑)
ジュリエットは今までのマン・レイの愛人でありモデルであった女性達とは、ちょっと違う印象を受ける。
そこが良かったのかな?(笑)

4:パリ 1951年~1976年(マン・レイ61歳から86歳)
日本でいうと昭和26年から昭和51年。
戦争終わった!パリに戻るべ、そうするべ!と夫婦揃ってパリへ。
やっぱりマン・レイにとって居心地がいいのはアメリカじゃなかったんだね。
高齢になっているせいか、あまり出歩かなくてアトリエに夫婦で引きこもり状態だったみたいだけど、なんだか楽しそう!
妻のジュリエットをモデルに写真(カラー・ポジフィルム)撮ったり。
ゆっくりした時間を仲良く過ごしてたんだろうな、と想像する。
そのカラー・ポジフィルムはマン・レイが考案した色彩定着を使っている、というから驚いちゃうよね。
いくつになっても新しいことにチャレンジしてたんだな、と。

かなり展示数が多くて、見ごたえのある展覧会だった。
だけど、2番目のパリ編でも書いたように「マン・レイといえばこれ!」と思われるような作品の展示が少なかったのが残念!
「アングルのヴァイオリン」も「涙」も針付きアイロン「贈り物」もなかったからね!
ジャン・コクトーの写真なんて3CMくらいの円形で、まるで集合写真から切り取られたくらいの小ささ。(笑)
出てはいけない線ギリギリに立って、ズズーーッと前のめりになってようやく見えたくらいだったし。

「マン・レイについて」なんてあまりに奥が深過ぎて、SNAKEPIPEには恐れ多すぎて書けましぇん!
ましてや「ダダとは」「シュールレアリスムとは」なんてことも、その道の評論家の方にお任せしましょ!(笑)
今回の展示を観て一番に感じたのは、やっぱりヨーロッパ(特にパリね)の文化、芸術のレベルの高さ。
マン・レイが一番ノリノリだった昭和15年までのパリでの20年間、日本での芸術ってどんな状態だったんだろう?
日本でもダダイストやシュールレアリストはいたと思うけどね。
SNAKEPIPEが興味を持っている前衛写真家小石清の写真集「初夏神経」出版が1933年。
割とイイ線いってるか。(笑)
この時代の日本のアートシーンについてはもっと調べてみたいと思う。