好き好きアーツ!#41 鳥飼否宇 part15–昆虫探偵–

【アンドレ・マッソン、1942年のリトグラフ。】

SNAKEPIPE WROTE:

小学生だった頃、木登りが大好きだった。
木の表面を這う虫や、葉から葉へ飛ぶ虫なんてへっちゃら。
どちらかと言えば、同じ木に集う仲間のような感覚を持っていた。
お気に入りの木を秘密基地にして、放課後を過ごすことが多かった。
ある時、作文に秘密基地について書き、クラス全員の前で発表することがあった。
文章が上手かったせいか(?)、SNAKEPIPEの秘密基地はクラスの男子の好奇心を煽ってしまったようだ。

「秘密基地の場所、分かったから!」

数日後、男子から突然言われる。
放課後になり、気もそぞろに基地に向かう。
木の上に隠していた小さいノートが地面に落ちている。
男子の言葉は嘘じゃなかったようだ。
秘密基地が発見され、荒らされたのだ。
怒り?
悲しみ?
敗北感?
なんとも表現できないような複雑な感情。
頭が真っ白になっていた。
目の前のノートから視線を外せないまま、立ち尽くすしかなかった。

その日以来木登りをやめてしまったのである。
あれほど仲間意識を持っていた昆虫のことも嫌いになってしまったのは、その経験からではないか、と分析しているSNAKEPIPE。
ううっ、今思い出しても苦い味が広がるなあ…。

今回の「トリカイズム宣言」は大ファンである本格ミステリ大賞受賞作家・鳥飼否宇先生2002年の作品、「昆虫探偵―シロコパκ氏の華麗なる推理」についての特集!
長過ぎる前振りでお分かり頂いたように(笑)、現在では昆虫が苦手になってしまったSNAKEPIPE。
そんな人でも、鳥飼先生の「昆虫探偵」を読めるのだろうか?
答えはイエス!
「昆虫探偵」では昆虫が擬人化されて登場するので、あんまり虫々した虫(変な表現だけど)になってないんだよね。(笑)
「昆虫探偵」は前口上、後口上、そして7つの話で構成される連作短編で、それぞれの短編のタイトルがミステリー小説のパロディになっている点も注目。
今回は元ネタ小説のカバーを使って、短編ごとに書いていこうかな!

2008年の記事「不条理でシュールな夏」でも少し触れたことがあるカフカの「変身」。
SNAKEPIPEの人格形成に必要だった小説、と書いているね。
ちなみに昔、家に住み着いていたクモに「ザムザ」と命名していたこともあったっけ。(笑)

「昆虫探偵」は、パッとしない人間だった葉古小吉が「変身」してヤマトゴキブリになったところから話が始まるんだよね。
ぎゃー!Gはちょっと…。
できるだけ遭遇したくない相手!
現実ではそうだけど、「昆虫探偵」の中ではユーモラスな存在なんだよね!
葉古小吉は昆虫界ではペリプラ葉古という名前になっていた。
どうやら学術名から取られたようだけど、検索するのが怖いのでやめておこう。
画像も一緒に出てくるからね。(笑)
ペリプラ葉古は人間だった頃、昆虫とミステリー小説が大好きだった、という設定から熊ん蜂探偵事務所の助手になるのである。
事務所の所長はクマバチのシロコパκ(カッパ)という名探偵!
この2匹(ふたり)に加え、口の悪い雌刑事(おんなでか)・クロオオアリのカンポノタスが難事件に挑む物語なのである。

第一話 蝶々殺蛾事件

横溝正史先生の「蝶々殺人事件」をもじったタイトルが付いているけれど、「人」の部分が「蛾」になっているところがポイント!
「昆虫探偵」の中では「匹」や「虫」などを「人」や「者」としてルビがふられている。
この細かい部分のこだわりに気付くと、より一層楽しめるんだよね!
単なる設定としてのみ、擬人化されているわけではないことが分かるし。

実はSNAKEPIPE、「蝶々殺人事件」未読なんだよね。
「えっ、読んでなかった?」
とROCKHURRAHにも言われてしまった。
読まないとね!(笑)

文中に出てくる「羊たちの沈黙」は「あの手の映画」の先駆け的存在であり、SNAKEPIPEの映画ベスト10には絶対入るフェイバリット!
ドクロメンガタスズメについての解釈は、なるほどねえと感心して読む。
SNAKEPIPEは、髑髏柄が絵になるから採用したんだろう、と単純に考えていたからね。(笑)

第一話である「蝶々殺蛾事件」はムクゲコノハという蛾がオオムラサキという蝶によって殺されたのでは?という事件を解決する話である。
美しい蝶であるオオムラサキの名前がササキアokm(オカマ)というオスだったり、ムクゲコノハはL・ジュノbgn(ビジン)だったり、ネーミングセンスも抜群!(笑)
これらも学術名を元に考えられてるみたいだけど、なかなか気が利いてるよね。

事件はその生物の特徴を知っていないと解けないんだよね。
そういう意味では恐らく生物学者や昆虫に詳しい人じゃない限り、謎解きできないんじゃないかな?
前代未聞のミステリー小説だよね。(笑)

第二話 哲学虫の密室

笠井潔氏の「哲学者の密室」のタイトルをもじっているとのこと。
この小説も非常に面白そう!
そして気になるのが、カバーに使用されている絵。
ヒエロニムス・ボッシュみたいだけど、ちゃんと確認できなかったよ。(笑)
「者」が「虫」になった第二話に登場するのは、ダイコクコガネ。
地中に作った育児室から子供が失踪した、という事件である。
地中の、糞球の中から、母親を見張りをくぐり抜けるという3重の密室における失踪という難題!
これもまた生物ならではの特徴が生かされた謎の解明になっている。
第二話のネーミングも最高で、4578でロクデナシ、11041でイトオシイ、0931でオオクサイ!(笑)

謎解きもさることながら、SNAKEPIPEが一番気になったのは子育てする昆虫がいるという点。
羽化するまで見守るなんて!
自然界の生存競争って本当に過酷で、その中を生き抜いて種の保存を一番に考えていくってすごいことだよね。
3cm足らずの昆虫にも知恵があって、それがDNAで継承されているという事実には驚かされる。

第三話 昼のセミ

北村薫氏の「夜の」のパロディだという。
氏の作品は何冊か読んだことがあるけれど、この作品は未読!
読みたいリストがどんどん増えるね。(笑)

第三話では行き倒れの外国虫、ティティウスシロカブトが登場する。
昔大好きだったゲーム「どうぶつの森」で、夜中にしか現れないヘラクレスオオカブトを採るのに苦労したことを思い出すね。
2006年に「最近はまっていること2」として画像載せてたね。(笑)
ひゃー!10年前だよ、こわいこわい。

外国虫であるティティウスシロカブト、TIT(タイタン)からアメリカのジュウシチネンゼミが全く鳴かないという話を聞き、調査に出るにしたシロコパκとペリプラ葉古。
外国虫の会話の時にはちゃんと「オーイエース」などと英語交じりの日本語になっているところが面白い。(笑)

第三話の謎は、かなり深刻な問題提起だよね。
この小説が書かれた2002年は今から14年前だけど、その時点でこのような現象が報告されているとしたら、現在はもっと危ないかもしれないね?
鳥飼先生の小説には、警鐘を鳴らし危機感を持つことを教えてくれる話があるのも魅力の一つだと思う。

蝉は土の中での生活が長くて、地上に出てからは短命とは聞いていたけれど、ジュウシチネンゼミは16年もの間土の中にいるとは驚き!
そういう種類の蝉がいることすら知らなかったからね。
虫生(じんせい)いろいろだねえ。(笑)

第四話 吸血の池
二階堂黎人氏の「吸血の家」を一文字変えたパロディね。
吸血と聞いて一番最初に浮かぶのは蚊かな。
ぶうぅぅぅーんと耳元で聞いたあの独特の音だけど、最近あまり聞かないんだよね。
えっ、加齢で音が聞こえなくなる?
そのせいなのかなあ?(笑)

第四話はその蚊が主役ではない。
フチトリゲンゴロウが体液を吸われた状態で殺されているのが発見された、という事件を見ていたG・パル*(アスタ) というアメンボが話を進行させる。
聞いているのは、すでにお馴染みになった熊ん蜂探偵事務所の2匹である。

思いもよらない肉食の方法を持つ昆虫がいる、ということが書かれていて恐ろしくなってしまう。
オタマジャクシや小魚を昆虫が食べるとは!
水面に浮かんだ昆虫を魚が食べるのは知っていたけど、逆もあるんだね。
そういえば蟻の大群が牛を飲み込むように覆い尽くし、あっという間に骨にしてしまう映像観たことあったっけ。
昆虫も怖いなあ。
体外消化、なんて初めて聞く言葉だったよ。
なるほどそれで吸血の池、なのね。(笑)

第四話の中で面白かったのは「手のひらを太陽に」についての解釈。
アメンボだって生きているという歌詞は失礼だ、とG・パル*が怒るのである。
ケラに「お」が付いている点にも言及されていて、確かにそうだと納得する。
今まで(というか子供の頃)は、意味を考えずに歌わされていたので、全然気付いてなかったことなんだよね!
3文字にしたいなら「おケラ」じゃなくても、いるだろうに。(笑)
そして飴のように甘い匂いがするからアメンボだったことも知らなかったよ!

第五話 生けるアカハネの死

山口雅也氏の「生ける屍の死」の「屍」が「アカハネ」になっているね。(笑)

アカハネは地名の赤羽じゃなくて(笑)、アカハネムシで、有毒のベニボタルに擬態している甲虫だという。

そのアカハネムシ、名前をシュードピロ・2356(シガナイ)から依頼を受ける熊ん蜂探偵事務所。
依頼内容は擬態の効果なく、仲間が殺(や)られている、というものだった。

捕食者が行う擬態と被食者の擬態についての説明は非常に興味深かった。
狩る側と食われる側、それぞれ知恵比べしてるってことね。

環境に適したように進化させたり、例えば体毛の色を変化させたりして生存競争に勝っていこうとする生物を知ると、
「何故人間にはその能力がないのか?」
といつも考えてしまうSNAKEPIPE。
退化してしまったのか、元々持っていない能力なのか。
生き物としての弱さを痛感するなあ。

第六話 ジョロウグモの拘

京極夏彦氏の「絡新婦の理」からのパロディだね。
2008年に「鵼の碑も蜂の頭もないよ」という京極夏彦氏の「妖怪シリーズ」に関する覚書を書いているSNAKEPIPE。

「んな、ばかな!」というラスト近くは息をつかせぬ激しい展開。
最後まで読んだらまた最初に戻らないといけない小説その2。

と書いていたね。
ちなみに「最初に戻らなきゃいけない小説その1」は「鉄鼠の檻」としているね。
いつ出るか、と待っていた京極夏彦の新作予定の「鵼の碑」は、一体どうなってしまったのか。
待っていたことすら忘れていたよ。

自分で書いた覚書を読んで、今までの「妖怪シリーズ」を思い出したけど、かなり記憶が薄れてきてるなあ。(笑)
以前だったら「あの分厚い本」を持ち歩くのは大変だったけど、今なら電子書籍で読めるからね!
そういう意味では便利な世の中になったもんじゃわい。(笑)

子供の頃に祖母の住んでいた田舎で大きな蜘蛛を見た記憶がある。
子供の目には天井一面が蜘蛛の巣に見えるくらいの巨大さ。
あれは何という種類の蜘蛛だったんだろう。
祖母宅の縁側の下にあった蟻地獄で遊んだのは、楽しかったなあ!
昆虫嫌いになる前の話だね。(笑)

第六話で最初に登場するのはジョロウグモ。
張ったクモの糸が、いつの間にか切られる事件が発生したという。
ああ、蜘蛛の糸!
好き好きアーツ!#08 鳥飼否宇 part2–太陽と戦慄/爆発的–」でも少し触れたっけ。
芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」の中では、糸を切るのはお釈迦様だったけれど、第六話には別の犯虫(はんにん)がいるんだよね。

この話もその種ならではの理論(というのか)があるんだよね。
ジョロウグモの名前の由来も初めて知ったよ。
勉強になるよね!(笑)

第七話 ハチの悲劇

法月綸太郎氏の「一の悲劇」の「一」が「ハチ」になってるよ。(笑)

第七話の主人公は熊ん蜂探偵事務所の探偵であるシロコパκなんだよね。
「昆虫探偵」の最終章は、驚くような内容になっていた。
まさかそんなことになるとはね。(笑)

そして後口上で、更にびっくり仰天させられてしまうのだ!
たまに四足で駆けている夢を見るSNAKEPIPEにとっては他人事じゃない気がするね。
読み終わって、シロコパκやペリプラ葉古に会えないのを残念に思う。
いつの間にか親しみを感じていたみたいだね。

「昆虫探偵」は昆虫の世界における事件を、その昆虫の特徴に基づいて謎解きする非常に珍しいミステリー小説なんだな、と再認識する。
登場するのが全て昆虫だもんね!
その中に光るネーミングセンスやギャグ、それぞれの昆虫の生き生きとした存在感、そしてタイトルまでパロディにしているところも含め、鳥飼先生にしか書くことができない独創的な小説だと思う。
「昆虫探偵」の続編、読みたいなあ!
もっと昆虫のことを知りたいと思ってしまうね。
あれ?昆虫、苦手じゃなかったっけ?(笑)

好き好きアーツ!#40 鳥飼否宇 part14–樹霊–

【私市康男の作品「冬至」をROCKHURRAHが作成】

SNAKEPIPE WROTE:

大ファンであるミステリー作家・鳥飼否宇先生の作品を再読して、感想をまとめるシリーズの続きを書いてみよう。
今回は2006年に発表された「観察者シリーズ」の「樹霊」!
今までに書いた鳥飼先生の作品に関する記事をまとめたカテゴリー「トリカイズム宣言」を読んでもらうとご理解頂けるのだけれど。
簡単に説明させてもらうと「観察者シリーズ」とは、大学サークルの野生生物研究会に所属していた4人が、卒業して何年(何十年?)経っても連絡を取り合い、奇妙な事件に巻き込まれる話なのである。

自称「観察者(ウォッチャー)」、通称トビさんこと鳶山久志が「観察者シリーズ」での探偵役として活躍する。
事件となる題材を拾ってくるのは、植物写真家である通称ネコこと猫田夏海、野生生物研究会メンバーの中での紅一点である。
売れっ子イラストレーターで、佐賀県生まれなのにベタベタの博多弁を話すジンベーこと高階甚平。
そして西荻窪で親からの遺産を相続し、マンションのオーナー兼「ネオフォビア」というバーの経営者である神野良。
この「付かず離れず」の良い距離感を保った4人が、摩訶不思議な自然現象だと思われた事象や事件を解決していくのが「観察者シリーズ」なのである。

今回の舞台は北海道!
「でっかいどう、北海道」の北海道である。
ん?わざわざ言うほどのことじゃない?
しかも古過ぎ?(笑)

植物写真家のネコが、北海道にある巨木の撮影をしているところから物語が始まる。
撮影していたのは「ミズナラ」という樹木。
推定樹霊1200年以上という非常に長生きの「ミズナラ」だという。
本当は文中に登場した「最上のミズナラ」や「双葉のミズナラ」の画像を載せたかったんだけど、著作権の問題を考慮して同種の「ミズナラ」画像(左)にしてみたよ。
長寿の巨木というと、例えばゲーム「ゼルダの伝説」に登場するような「デクの樹」様みたいに、なんでも知っている穏やかな賢人(賢木?)という印象があるよね。
長寿の巨木を前にしたら、霊験あらたかな気分で、知らず知らずのうちに手を合わせてしまいそうだもん。
きっとネコも撮影しながら巨木と対話していたんだろうね。

撮影終了後、ネコは「ミズナラ」のある場所を案内してくれた役場の職員から「古冠のミズナラが動いた」話を聞くのである。
ここで、SNAKEPIPEの自慢できないコーナー!(パチパチ!)
以前にも何度かブログに書いたことがあるけれど、関東地方(東京近辺)からほとんど出たことのないSNAKEPIPE。
授業での地理も苦手だったっけ。
そのため(?)地名も致命的に知らないことだらけ。(ぷっ!)
フルカップ(ブラ?)、振るカップ(揺らしてどうする?)と、全く違う想像をしてしまうのである。
どこにあるんだろう、と検索してみたけれど占冠はあっても古冠は出てこないなあ。
文中に北海道の日高地方とあったので、それで良いことにしよう!

好奇心旺盛なネコが「木が移動した」なんて話に飛びつかないわけがないよね。(笑)
更なる情報を得るために古冠村役場に向かうのである。
ここから先のあらすじはAmazonの商品紹介から引用してみよう。

役場の青年の案内でネコが目にしたのは、テーマパークのために乱開発された森だった。
その建設に反対していたアイヌ代表の道議会議員が失踪する。
折しも村では、街路樹のナナカマドが謎の移動をするという怪事が複数起きていた。
30メートルもの高さの巨樹までもが移動し、ついには墜落死体が発見されたとき、ネコは旧知の「観察者」に助けを求めるのだった。

「ミズナラ」に続いて「ナナカマド」(画像右)も移動するという謎を追いかけているうちに、失踪事件や殺人事件に巻き込まれ、古冠に足止めされてしまうネコ。
最初のうちはアイヌの方の自宅で手料理を頂いたり、アイヌの話を聞いたりして楽しそうだったのに。
もっと早く古冠を離れていれば良かったと後悔しているネコは、本当にかわいそうだった。
「樹霊」でのネコは今までにない「女性らしい」部分が表現されていて、ちょっとびっくりしちゃうんだよね。
そして長い付き合いだから分かるのか、ジンベーにあっさりと見抜かれていたところは、読んでいて微笑ましかった。
それにしても夜のホテルでネコとジンベーが2人きりになった時、ジンベーに強く腕を掴まれた瞬間、男女の関係を想像してしまった勘違いネコに笑ってしまったよ。(笑)
ジンベーとロマンチックなことが起こる確率は低いと思うけどね!

あらすじにある「30メートルもの高さの巨樹」というのが「ハルニレ」という樹木。
これもまた同種の画像を左に乗せてみたよ。
「フチ」と呼ばれている「ハルニレ」 だと文中にある。
「フチ」とはアイヌの言葉で「おばあさん」を意味するというから、これもまた長生きの樹木なんだろうね。
「樹霊」には植物の名前以外にアイヌの言葉がカタカナ表記されているので、植物の名前すら覚束ないSNAKEPIPEはたまに混乱することがあった。
もしかしたらSNAKEPIPEだけなのかも。(笑)

心細くなっているところへ、長い付き合いのトビさんやジンベーがかけつけてくれる。
トビさんは相変わらずトビさんらしい対応だったけれど、最終的には謎を解決しちゃうんだよね。
その語りは淀みなく、スラスラ読んでしまうんだけど、実は1回目に読んだ時にはトリックが難しくて理解し難かったことを告白しよう。
今回はその時の反省を活かして、脳内映像を混ぜながら注意深く読んでみたよ。
あれがこうなって、こうなるからと想像しながら読むと、なるほど!
そういうことだったのね! (笑)

トリックに関しては理解できたけれど、犯人の動機は難しかった。
理解や共感なんて簡単には言えない次元の話だと思うから。
そして他に方法はなかったんだろうか?とも考えてしまった。
非常に深刻で重いテーマだよね。
本当は誰もが考えなければいけない重要事項なんだと思う。
SNAKEPIPEには何ができるだろう?

「樹霊」では最後のほうにトビさんの珍しいシーンもあるんだよね。
飄々とした人間嫌いのトビさんらしからぬ、かなりレアな場面にも驚いてしまったSNAKEPIPE。
再読する度に新しい発見をして、嬉しいね!
いや、単なる物忘れ、とも言えるのか。(笑)

大好きなジンベーのファッションも素敵だったね!
レザーの上下にピンクのサングラスとは。
体型が小熊のジンベーなのに「好いとうもん、着とるだけっちゃ」の心意気が好きだよ。
このSNAKEPIPEが作った偽物の博多弁どうなの?(笑)

トビさんとネコが登場する「観察者シリーズ」は「中空」「非在」に続いての3作目になる。
読んでいる順番もまちまちで何度も読んでいる場合もあるので、SNAKEPIPEにとって「観察者シリーズ」の面々は旧知の仲のような存在。
そして鳥飼先生の著作から教えてもらうことが多いのも魅力なんだよね。
「樹霊」ではアイヌの文化や風習に関しての記述が興味深かった。
「カムイ」についての考え方は、例えばアメリカ先住民族であるインディアンが精霊に祈祷するのに近いように感じた。
森羅万象の全てに霊が宿っていて、その霊を敬い感謝することで共存していく、という解釈で良いのかな。
現代社会に生きていると難しいけれど、羨ましいと思ってしまう。
非常にシンプルだからね!
きっと鳥飼先生は奄美大島で、「カムイ」を体感なさっているのではないでしょうか。

次回のトリカイズム宣言は「昆虫探偵―シロコパκ氏の華麗なる推理」にしよう!
これもまた再読するのが楽しみ!(笑)

好き好きアーツ!#39 Alexandro jodorowsky Juan Solo

【海外では4冊に分かれて出版されたんだね】

SNAKEPIPE WROTE:

まさにホドロフスキー・イヤーだった2014年。
23年ぶりに映画監督としてホドロフスキーの自伝小説「リアリティのダンス」を題材にした映画「リアリティのダンス」が公開され、ホドロフスキーの来日もあった。
製作が途中で頓挫してしまった幻の映画「DUNE」についてのドキュメンタリー映画の公開もあった。
更に秋にはホドロフスキーの妻パスカルとの共作「2人のホドロフスキー展」があったよね。
それらの全てを鑑賞することができて大満足だったSNAKEPIPE!

2014年7月の記事「「リアリティのダンス」鑑賞」の最後に

「フアン・ソロ」(原題:Juan Solo)というホドロフスキー監督が原作で、1995年からシリーズとして刊行されたバンド・デシネを原作としたアクション映画を計画しているという。
底辺の中にいる一人の人間が犯罪に巻き込まれながら、自分が人間であることを発見していく物語とのこと。
日本でも「フアン・ソロ」は今秋出版予定とのことなので、それも楽しみ!(笑)

と書いていたんだよね。
ホドロフスキーが23年ぶりに映画監督として復活した時、様々なメディアで取り上げられたのが、次回作についてだった。
そのインタビューで答えていたのが「フアン・ソロ」!
ホドロフスキーは、バンド・デシネと呼ばれるベルギーやフランスの漫画の原作者としても有名なんだよね。
ホドロフスキーと漫画との関わりは1960年代からで、ホドロフスキー自身が描いていたこともあるし。
新聞に掲載されていた「Fabulas pánicas」は、2014年9月の「二人のホドロフスキー 愛の結晶展 鑑賞」で鑑賞済み!
モチーフも構図も色彩も独創的で、とても興味深かったことを思い出す。
ホドロフスキー自身が描いていたのは恐らくその時だけで、それ以降はバンド・デシネの原作者として活躍している。
有名な「アンカル」(原題:L’Incal )は1981年に刊行されているんだね。
「アンカル」はホドロフスキー原作、作画をメビウスが担当しているバンド・デシネで、日本でも大友克洋や寺田克也など名だたるマンガ家たちにも影響を与えた作品なんだよね。
上にも書いたけれど、次回作とされている「フアン・ソロ」は1995年から始まったホドロフスキーが原作の4部作で、日本では発売されていなかったんだよね。
ところが「フアン・ソロ」の発売予定があることが分かり、心待ちにしていたのである。
1995年に発売されてから約20年も経って、日本に入ってくるとは!
それも、もしかしたら2014年がホドロフスキー・イヤーだったせいかもしれないね?

バンド・デシネに詳しいサイトを定期的にチェックして、「フアン・ソロ」の発売を心待ちにする。
当初は2014年11月予定とされていた発売日を過ぎても、全く店頭に並ぶ気配はなし!
そのうち2015年になってしまい、SNAKEPIPEが発売日をチェックする回数も減っていた。
更に「フアン・ソロ」がホドロフスキーの次回作である、という情報が飛び交っていたはずなのに、いつの間にか「リアリティのダンス」の続編の情報が入ってくるようになっていた。
次回作は「エンドレス・ポエトリー 」って、はっきり出てるもんね!
「リアリティのダンス」の小説の中でも、最も面白かった部分がホドロフスキーの青年期の話だったので、それももちろん楽しみ!(笑)

つい最近、ふと「そういえばフアン・ソロはどうなったんだろう?」と思い出した。
検索してみると、驚いたことに既に発売されてたんだよね!(笑)
2015年の12月に!
最初に知った発売日よりも1年遅れとは。
ホドロフスキーの次回作でなくても良い。
楽しみにしていたホドロフスキー原作のバンド・デシネだもん。
慌てて本屋に走ったのである。

軍事政権下のメキシコ、ウアトゥルコ・シティ。
この町で娼婦として働くおかまの小人が、ある日、ゴミ箱に捨てられた尻尾の生えた赤ん坊を発見する。
フアンと名づけられた赤ん坊は、やがて育ての親であるおかまの小人と別れる時がくる。
フアンは形見としてもらった拳銃を手に、裏社会でのしあがっていく。
しかし、彼を待ち受けていたのは、思いもよらぬ運命のいたずらだった。

簡単なあらすじを書いてみたけれど、これだけではもちろん良く分からないよね。(笑)
ネタバレになるようには書かないけれど、もう少しだけ詳しく書いてみようか。

上の赤ん坊を抱いた画像は、「おちょこ」という名前の「娼婦」で「おかま」で「小人」が赤ん坊を見つけたところ。
犬の餌にくれてやろうとするけれど、尻尾が生えていることに気付き、自分の息子として育てることを決意するところが面白い。
「異形」という点に共感を覚えたんだろうね。
ホドロフスキーの映画には今までにもたくさんの「異形」いわゆるフリークスが出演しているよね。
「異形は自然の想像力が生んだ遺伝子の想像力だ」と言い切っているホドロフスキーにとって、フリークスは特別な存在だからね!

フリークスのフアンはいじめの対象になるが、力でねじ伏せる。
盗むことでやっと生きていかれるような世界。
他の子供達も似たような「食うか食われるか」という境遇なんだろうね。
人のことなんか構っていられるか!って感じね。

物は盗む、女は犯す。
今が楽しくて自分勝手に生きていかれれば良い、というまさに「その日暮らし」のフアン。
子分を従えてやりたい邦題。
言い方悪いけど、いかにもメキシコ!って感じなんだよね。(笑)
ロバート・ロドリゲス監督の映画のワンシーンみたいな雰囲気。
ホドロフスキーが映像にしたら違っていたのかな?

それにしても「フアン・ソロ」って名前、まるでスター・ウォーズの「ハン・ソロ」みたいじゃない?
人によってはスペイン語読みにした「ハン・ソロ」の話なのかと勘違いしそうだもんね。(笑)
調べてみたけど、「ハン・ソロ」はジョージ・ルーカスのオリジナルで、特にルーツがある名前ではないみたい。
「フアン・ソロ」の「フアン」はJuanなんだけど、これはプレイボーイの代名詞として有名な「ドン・ファン」と同じスペル。
「ソロ」の由来はバンド・デシネ中に出てきたように「天涯孤独」の意味だというから「独りぼっちのフアン」という名前ということになるね。
ということで「ハン・ソロ」の話ではないので、お間違いのないように!

フアンは勉強したことないはずなんだけど、悪知恵が働くというのか。
悪事にかけては天才的だったので、すぐに「その道」のプロになり金持ちの用心棒として頭角を現す。
ついにはメキシコ首相の身辺警護まで請負うことになり、首相の自宅に配属されるのである。
首相夫人と息子がいる邸宅に住み込むフアン。

首相夫人の部屋にあるキリスト像。
「いかにもホドロフスキー」だよね!
ホーリー・マウンテン」を思い出すね。

この邸宅であらすじにあった「思いもよらぬ運命のいたずら」を知ることになるフアン。
テーマになり易い話だけど、まさかそんなことだったとは!
自らの意思ではなく、「運命のいたずら」から開放されたフアンは、また別の「運命」へと導かれていく。
あらゆる蛮行を尽くしたフアンを、聖者として崇める村に辿り着いたのである。

この村でフアンは今までの自分と決別する。
残忍で身勝手だったフアンが他人のために思いやる気持ちを持つのである。
村人の勘違いから聖者とみなされていたけれど、今までの悪行を悔い改め村人のために祈りを捧げる。
その姿はまさにキリスト!
ホドロフスキーの代表作である「エル・トポ」で主人公エル・トポは「砂漠にいる4人の銃の達人」を卑怯な方法で殺害した後、絶望し死んでしまう。
その後フリークスの村で聖者として蘇る、その話をそっくり同じなんだよね。
俗物が聖者になる、という極端な話の展開。
「フアン・ソロ」の転換は唐突で、「なんで急に?」と思ってしまったSNAKEPIPEだったよ。

前述したように「フアン・ソロ」は1995年から始まった、今から約20年前に刊行されたバンド・デシネ。
この20年の間で映画はかなり変わったと思う。
タランティーノ以降、暴力表現は、それ以前より過激になったからね。
「レザボア・ドッグス」が1992年とのことなので、それが境目ということになるのかな。
そのため暴力的な表現にそれほど驚かなくなってしまっているんだよね。
「エル・トポ」は1970年の作品。
暴力的な表現の残酷さと映像の美しさのアンビバレントが秀逸なので、「フアン・ソロ」がソフトに感じてしまうのかもしれない。
ぷっ!アンビバレントだって。(笑)

もし「フアン・ソロ」が映画化されたとしたら、どんな映像になっていたんだろう。
バンド・デシネとしてみるのと違う感想になっていたかもしれないね?
バンド・デシネの紹介文に「主演俳優の死によってお蔵入りとなった、ホドロフスキーによる映画シナリオ」と書かれているんだけど。
ほとんど皆コピペして文章にしてるみたいで、それ以上突っ込んだ情報は皆無みたい。

ここでSNAKEPIPEの予想を書いてみようかな。
1995年にホドロフスキーの3男であるテオ・ホドロフスキーが交通事故のため24歳という若さで他界してるんだよね。
テオ・ホドロフスキーは「サンタ・サングレ」でチンピラ役でチラッと出演していたので、記憶している人もいると思う。
あの雰囲気だったら「フアン・ソロ」役はピッタリだったかも!と勝手に想像してしまった。
そのためホドロフスキーが息子のために書いたシナリオかも、と思ったんだよね。
ホドロフスキーの映画の主役は、息子達が演じているし。

1995年以前 ホドロフスキーが「フアン・ソロ」のシナリオ執筆
1995年 テオ・ホドロフスキー他界
1995年 バンド・デシネとして「フアン・ソロ」刊行される
2014年「リアリティのダンス」の次回作として「フアン・ソロ」が挙がる

時系列にするとこうなるんだけど、1995年以前に一度断念した映画化をもう一度構想したのが2014年なんじゃないかな、と思ったけど。
勝手な想像なので気にしないで。(笑)
それにしてもテオは24歳で亡くなってしまうなんて、早過ぎるよね。

今回のバンド・デシネ「フアン・ソロ」は作画担当のジョルジュ・ベスも素晴らしかった。
1コマ1コマが、まるでポストカードになりそうな出来栄え。
色使いも構図もバッチリで、まるで映画用の絵コンテみたい。
「フアン・ソロ」以外にもホドロフスキー☓ベスの「バンド・デシネ」があるようなので、また日本で発売して欲しいよね!

SNAKEPIPEが触れたホドロフスキー原作のバンド・デシネは、「アンカル」「メタバロンの一族」(原題:La Caste des Méta-Barons)に続いて3作目になる。
本当は他にもいっぱい原作として出版されているのあるんだよね。
全部集めて読みたいな!
そしてホドロフスキーの新作映画「エンドレス・ポエトリー」も楽しみだ!
情報検索を忘れないようにしないと。(笑)

好き好きアーツ!#38Alex de la Iglesia part3

【ROCKHURRAH RECOREDSが一番最初に触れたイグレシア監督作品がこれ! 】

SNAKEPIPE WROTE:

今年最初の記事なのに、通常と変わらないブログを続けるところがROCKHURRAH RECOREDS流!
時事ネタを書くのは前回のようなPOSTCARDを載せる時くらいだもんね。
ということでアレックス・デ・ラ・イグレシア監督の第3弾をまとめることにしよう。

最初はこちらの作品から。

日本では未公開の作品「オックスフォード連続殺人事件(原題:The Oxford Murders 2008年)」である。
まずはあらすじを書いてみよう。

世界的数学者のセルダム教授に憧れ、イギリスのオックスフォード大学に留学したアメリカ人青年マーティン。
セルダムの古い友人宅を下宿先にしたマーティンは、その家の夫人のもとを訪ねてきたセルダムと出会う。
一緒に夫人の部屋へ向かった2人は、そこで夫人の他殺体を発見してしまう。
セルダムのもとには連続殺人事件を思わせる謎めいたメモが届いていた…。

あらすじにあるアメリカ人マーティンを演じたのが「ロード・オブ・ザ・リング」でお馴染みのイライジャ・ウッド
いつも怯えたような困り顔をしているせいか、実年齢よりも若く見えるのが特徴か。
じゃあSNAKEPIPEも怯えた困り顔をしていれば、若く見えるかも?
えっ、違う?(笑)
実際には「オックスフォード連続殺人事件」の時に26歳くらいだったと思われるので、大学生役に無理はなかったと思う。
ただし、濃厚ラブ・シーンの時にはイライジャ・ウッドがまるっきり子供に見えてしまったね。
お相手はアルモドバル監督作品「トーク・トゥ・ハー」などに出演していたスペイン人女優レオノール・ワトリング
レオノール・ワトリングのほうが体格が良いせいもあるかもしれないけどね?

「オックスフォード連続殺人事件」での最大の見せ場と思われるのがワトリングの「裸にエプロン」なんだよね!
殿方の願望が世界共通というのがよく分かる映像。(笑)
映画の内容はともかく、このシーンのためだけに映画をレンタルしたり、購入する人がいるかもしれない。
レオノール・ワトリング、頑張りました!(笑)

世界的な数学者セルダムを演じたのが、敬愛するデヴィッド・リンチ監督作品「エレファント・マン」で主役だったジョン・ハート
と書いてはみたものの、「エレファント・マン」の時は特殊メイクだったから俳優の素顔は分からないよね。(笑)
今回は数学者というとても知的な役どころなんだけど、本当に教授に見えてしまうくらいぴったりと似合っていた。
SNAKEPIPEだけかもしれないけれど、「ロード・オブ・ザ・リング」のイアン・マッケラン(写真左)や鳥越俊太郎(写真右)、もしくは故・筑紫哲也と区別がつかなくなっちゃうんだよね。(笑)
初老の男性でやや長髪、という類似点が余計に似て蝶なんだろうけど!

ROCKHURRAHと「ヒカシューの巻上公一(写真右)に似てるよね!」と意見が一致したのがマーティンより先にオックスフォード大学に所属していたユーリ役のバーン・ゴーマン(写真左)。
こうして並べてみるとそんなに似てないし、むしろ顔としては漫才コンビ爆笑問題の太田光のほうが近いかも?(笑)
動きやセリフ回しの変態っぽさが巻上公一に近かったのかもしれないな。
あ、SNAKEPIPEはヒカシューの大ファンだからね!(笑)

もう1人特出すべき人物は「シド・アンド・ナンシー」や「ストレート・トゥ・ヘル」で有名な映画監督アレックス・コックスが俳優として出演していたことかな。
数学に没頭するあまり、廃人になってしまう役を好演していたね!
最近は映画を撮っていないのかな?


「オックスフォード連続殺人事件」は事件の謎解きに難解な数学的・論理学的要素を盛り込んだギジェルモ・マルティネスの原作が元になっているけれど、映画は全く難解ではない。
そのため何回も観なくて大丈夫!(ぷぷぷ!)
数学を知っていればもっと楽しめるのに、ということも全然ないと思われる。
もしかしたら原作はある程度の知識がないと難しいのかもしれないね?
「オックスフォード連続殺人事件」は今まで鑑賞してきたイグレシア監督の作品とは一味違う感じかな。
あまりハチャメチャじゃないし、タイトルバックも「らしくない」し。
所々で非常にスタイリッシュだな、と思うシーンはあるけどね!

続いてはイグレシア監督の一番初めに鑑賞した作品である「気狂いピエロの決闘(原題:Balada triste de trompeta 2010年)」ね!
ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)と金オゼッラ賞(脚本賞)を受賞し、ゴヤ賞では特殊効果賞やメイクアップ賞やヘアスタイル賞を受賞しているイグレシア監督の記念すべき作品なのである。

上に貼った「気狂いピエロの決闘」のリンクがWikipediaなんだけど、そこに書いてある「あらすじ」が素晴らしい!

とあるサーカス団のピエロと道化師が、美女を巡って血みどろの争いを繰り広げる

いくらなんでも短過ぎかな?(笑)
非常に簡潔でSNAKEPIPEは気に入ったよ!
一言付け加えるとすると、道化師とピエロの違いについてね。
道化師というのがクラウンを意味し、ピエロとは涙を描いているクラウンのことをいうらしい。
日本ではあまり区別しないで、全てをピエロと呼んでいるよね。
「気狂いピエロの決闘」ではクラウンとピエロの戦いが描かれているので、道化師とピエロという書き方に統一するので混乱されないように!

短いあらすじの中に出てきたピエロを演じたのが、我らがカルロス・アレセス!
アイム・ソー・エキサイテッド!鑑賞」や「映画の殿 第6号」他、数多くの記事で散々取り上げているから「またか!」と思われる方も多いかもね?(笑)
いじめられっ子が狂気を孕んでいく姿が本当にぴったり!
一番初めはそんなカルロス・アレセスの魅力に気付かず、更に他のキャストにも目を留めず鑑賞してしまったので、随分経ってから鑑賞し直したんだよね。
カルロス・アレセスの全裸シーンは本当にすごい!(笑)

こちらも何度も記事にしている「アイム・ソー・エキサイテッド!」や「カニバル」などで有名なアントニオ・デ・ラ・トーレ!
あらすじに書いてあった道化師役を演じているよ。
アントニオ・デ・ラ・トーレがカメレオン俳優であることも、今まで書いてきているんだけど、この時のアントニオ・デ・ラ・トーレは凶暴な悪い野郎を見事に演じていたよ。
あとになって調べて、初めてアントニオ・デ・ラ・トーレと判明し驚いた記憶がある。
スペインのデ・ニーロだよ、ほんと!(笑)

このピエロと道化師が血みどろの戦いを繰り広げる原因となる美女というのが曲芸師で道化師の恋人である。
演じたのはカロリーナ・バング、イグレシア監督作品の常連にして、ついに監督のワイフになってしまった女優ね!
この時のカロリーナ・バングは本当に宙吊りの曲芸を見せてるんだけど、練習したのかなあ。
とても上手だったよ。
彼女がちょっかいを出したせいで、ピエロは本気になり争いへと発展したことを考えると、一番悪いのはカロリーナ・バングかな?(笑)


前述したように、最初に観た時には出演者に気を配っていなかったので、スペインはもちろん世界各国での人気映画「トレンテ」シリーズのサンティアゴ・セグーラが重要な役で出ているところを失念してたんだよね。
ピエロのお父さんという役で、やっぱり職業はピエロ。
祖父もピエロだったというから代々受け継いでたんだね。
お父さんの時代がスペイン内戦真っ只中の1937年ということになっていて、ピエロの服装のまま戦場へと駆り出されるシーンがすごい。


かつて敬愛する映画監督デヴィッド・リンチが「Happy Violence」と提唱した、笑いと暴力の融合とでもいうのだろうか。
ROCKHURRAHが好きだったホラー映画の中にも笑いの要素があったというから、その系譜なのかもしれないけれど、恐怖と笑いがごたまぜになっている不思議なシーンがイグレシア監督のスタイルなのかな、と思う。
そしてそのシーンがとても好きだ!(笑)


人を笑わせるはずのピエロや道化師が恐怖の存在に変身する、というのも同じ原理だよね。
かわいい人形が光の当て方で怖く見えたりするような。
知っていた顔とは違う意味を持つのが怖いんだろうね。
ホラーと笑いの共存については、一度深く掘り下げて考察したいテーマかな!(笑)

「気狂いピエロの決闘」のタイトルバックも素敵なんだよね。
先に書いた1937年からピエロの時代になるまでの世界の歴史を写真で綴っていく、言ってみればフォトアルバム形式なの。
使われている写真が秀逸なので、とてもお洒落に見えるんだよね。
1枚1枚を見せる秒数はかなり短くて、少しでも気を抜くと次のシーンに移ってしまう。
右は歴史的に(スペインで?)有名な人物なのかSNAKEPIPEは知らないんだけど、その次の写真として「フラッシュ・ゴードン」のミン皇帝が映り込んでいるのが面白い。
一瞬だから気付いていなかったけれど、今回ゆっくり再生していて分かった左の画像。
下着姿のグラマーに隠れていたのは、体を槍で突かれている人物。
これもまた2つの要素の融合なんだね。
イグレシア監督も気に入ってるシーンだろうね。

今回の2作品で現在鑑賞できるイグレシア監督の映画は全て観ていることになるのかな。
本当は「どつかれてアンダルシア (仮)(原題:Muertos de risa 1999年)」のような初期の作品が観たいんだけど、残念ながらDVD化されてないんだよね。
初期の作品のDVD化を是非お願いしたいものだ!