没後150年 歌川国芳展

【歌川国芳展のチラシ。鯉の表現が見事!】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPE今年初のブログは、「没後150年 歌川国芳展」について書いてみたいと思う。
国芳展については数ヶ月も前から情報を入手していて、絶対に観に行こうと決意を固めていた展覧会である。(おおげさ)
そう言っている割には開催されてから、少し時間が経ってからの鑑賞となってしまったね。
成人の日、長年来の友人Mを交えて、ROCKHURRAHと共に3人で六本木に向かったのである。

開催している森アーツセンターギャラリーは、先月にも「メタボリズムの未来都市展」を鑑賞した、今まで何度も通っている場所…と思いきや!
通常「森美術館」と呼んで、鑑賞していたのは53Fのギャラリーだったことが判明!
今回の歌川国芳展は52Fでの開催なので、かなり久しぶりに行く場所だったみたい。
恐らく52F展示会場がメジャーな催しで、53Fはアヴァンギャルドな展示が多いのかもしれないね。
友人MもSNAKEPIPEもアヴァンギャルド志向だからねえ。(笑)
52Fの展示会場入り口に人が並んでいるのを横目で見て、上に上がっていたことを思い出す。
52Fはメジャー系だからお客さんが多いんだ、と入り口で待たされながら気付くSNAKEPIPE。
恐ろしや!入場制限をかけられるほどの大盛況、会場はお客さんで溢れかえっていたのである。

「どうぞ」と案内の方にうながされて会場に入るなり、飛び込んできたのは人、人、人!
思わず友人Mと顔を見合わせてしまう。
ちょっと待ってよ!なんなの、この人の群は?
浮世絵の展覧会が初めてだったため、会場の様子や浮世絵のサイズについて想像していなかったSNAKEPIPE。
浮世絵ってサイズが小さいのね…。
そして一枚の浮世絵に群がる大勢の人達。
「入り口付近が一番混雑しているので、空いている場所からご鑑賞下さい」
なんてアナウンスまでされてるし。
「せっかく来たから、展示順を無視して観て回ろう」
とかなり奥のほうまで歩いて鑑賞を始める。
浮世絵の真正面でじっくり鑑賞できることは稀で、ほとんどが人と人の隙間から「覗き」みたいな感じで鑑賞するハメになってしまった。
こんな鑑賞スタイルになるとは非常に残念!
今更ながら浮世絵人気を思い知り、こういう展覧会もあるんだな、と再認識したSNAKEPIPEである。

展示は10の括りで分けられていたので、それぞれについて簡単に感想をまとめてみたいと思う。
1:武者絵―みなぎる力と躍動感

「入り口付近が最も混雑」の原因は、最初のチャプターに「武者絵」があったからなんだよね。
そして国芳の他の展覧会では「妖怪画」として括られていたジャンルも、今回の展示では混在していたので尚更大人気だったみたいね。
ものすごい迫力と色調に圧倒されてしまう。
どの作品も、とてもカッコ良いなあ!
こりゃ、人が動かなくなるのも納得だね。
一枚一枚ゆっくり鑑賞したくなるもん。
牛歩になるはずだわい。(古い)
調べてみると「武者絵の国芳」と言われていたと書いてある。
うん、確かに一番初めに結論を言うのは心苦しいけれど、この武者絵シリーズが一番ガツンと効いたね!
国芳の代表作とされる作品群は、ほとんどがこの「武者絵シリーズ」の展示になってたね。
今回の展覧会で絶対に鑑賞したかった「相馬の古内裏」も無事に「覗き」で拝観!
いやあ、カッコ良いことこの上なし!(笑)
1845-46年の作品とのこと。
ひ~!今から160年も前だよ~!
この想像力、素晴らしいね!

上の作品、「源頼光公館土蜘作妖怪図」の構図の斬新さを御覧なさいよ!
上斜め半分が妖怪なんだよね。
ほとんど水木しげるの世界よ!(笑)
1843年の作品だって。すごいっ!
ゲゲゲの鬼太郎好きにはたまらないね!

2:説話―物語とイメージ

古くからの故事伝説や物語を視覚化したシリーズ。
上は「龍宮玉取姫之図」1853年の作品。
荒れ狂う波の表現と、空想上の生き物であるドラゴンの躍動感が見事!
「藤原鎌足は唐から渡来の霊玉を途中で龍神に奪われるが、志渡の海女が竜宮へ潜入して取り返す。だが眷属に追われた海女は、自らの乳房の下を切って玉を隠し、ようやく敵から逃れ、鎌足に玉を渡して死ぬことになる」という部分を表現しているらしい。
波の間に見え隠れしている魚達が着物を着ているところが素晴らしい!

3:役者絵―人気役者のさまざまな姿

歌舞伎役者のブロマイド的な作品である。
友人Mは歌舞伎について詳しいので余計に楽しめたようだけれど、ほとんど知識のないSNAKEPIPEには構図とか色彩などを鑑賞するにとどまった。
それにしても歌舞伎役者の名前というのはずっと変わっていないんだねえ。
上は「坂東しうかの唐土姫・三代目尾上菊五郎の天竺冠者・五代目沢村宗十郎の斯波右衛門」1847年の作品。
ガマガエルの妖術を使っている場面らしいけど、なんとも斬新な構図だよね。

4:美人画―江戸の粋と団扇絵の美
浮世絵の美人画というと、浮世絵の中でも花形的な存在だと思うけれど、国芳に限っては少し様子が違っていた。
なんと、女の顔にほとんど違いがないのである。
武者絵や役者絵のイキイキとした雰囲気はあまり感じられない。
もしかしたら女の顔より男を描くほうが得意だったのかもしれないね。
「鏡面シリーズ」という女が鏡に映った自分の姿を描いている作品群は、鏡の縁にかけられた布まで描かれていて、なんとも凝った構成になっているのが興味深かった。

5:子ども絵―遊びと学び
こちらも美人画同様、かなりぞんざいな顔の描き方だった。
江戸時代の子供の「遊び」や「学び」を主題にした浮世絵、ということなので余計に面白みに欠けたのかもしれないけどね。
サーッと鑑賞しただけで終わりにしてしまった。(笑)

6:風景画―近代的なアングル
風景を描いたシリーズ。(まんまじゃん)
SNAKEPIPEには「東海道五十三次」との違いが感じられなかった。
ずっと前から「東海道五十三次は江戸時代のスナップフォト」と思っているSNAKEPIPEなので、人物描写を含めた秀逸な作品だと思っている。
歌川広重とは同年生まれの同時代絵師だったようなので、風景画に関しては広重のほうに軍配が上がりそう。
特別国芳らしさが表れてるな、と感じた作品は見当たらなかったな。

7:摺物と動物画―精緻な彫と摺
摺物というのは特別注文の非売品だった作品のことらしい。
木版技術の粋を集め、素材も金粉や銀粉などを使用したり上質の紙に摺っているとのこと。
江戸時代の印刷技術の高さにびっくり。
これらは恐らく印刷物になった状態で鑑賞しても、よく解らない部分かもしれないね。
とても美しい作品群だった。

8:戯画―溢れるウィットとユーモア

動物やダルマ、妖怪などを擬人化して江戸っ子に仕立てあげている作品である。
これも国芳の得意分野だったようで、とてもイキイキとしている。
ユニークな作品が多く、江戸時代の笑いについても考えさせられる。
意外と日本人の「笑い」というのは、江戸あたりから変化していないのかもしれないね?
非常に細かい部分まで精緻に描かれていて、観ていて飽きない。
それにしても、国芳はネコ好きで有名だったようで、確かにネコの絵が多いんだよね。
でも全然顔がかわいくないの。なんでだろう?(笑)
上の作品「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」は複数の人で一人の男の顔を作っている寄せ絵である。
手の部分までも人で形作られていて、とても面白い。
16世紀のイタリアの画家、アルチンボルドの寄せ絵を感じさせるよね。
今回の展覧会では、鼻の部分の人が一番最後に飛び乗って顔を完成させるイメージフィルム(?)が流れていてニヤリとさせられた。

9:風俗・娯楽・情報
時事世相の報道メディア的な題材を錦絵にしたコーナーである。
そのため題材が幅広いのが特徴的だ。
浮世絵というのが当時の新聞・雑誌の代わりだったり、写真の前身だったということが良く解る。

10:肉筆画・板木・版本ほか
浮世絵というのは版画のことだけを指すんじゃないんだね。
いわゆる絵、肉筆画と呼ばれるモノも浮世絵の中に入るということを初めて知ったSNAKEPIPE。
皆様は御存知でしたかな?(笑)
最後のチャプターでは国芳の肉筆画、そして国芳の下絵を元に彫られた木版の展示などがされていた。
肉筆画はほとんどが美人画だったので、前述したように「同じ顔」オンパレードでイマイチ面白くなかった。
木版は、ものすごく細かく彫られていてびっくりした。

これもまた鑑賞後に得た知識だけれど、浮世絵の世界というのには必ず4人が関わっているらしいんだよね。
版元から依頼を受けた絵師が下絵を描き、それを彫師が彫り、摺師が色を乗せて擦る。
こういう役割分担があって一枚の浮世絵が出来上がるようなんだけど、一枚の作品となった時に名前が出るのは伝統的に絵師だけだったみたい。
恐らく「凄腕の彫師」とか「技を持った摺師」みたいな一流の職人はいたはずだけど、名前が出ることがない裏方稼業だったんだねえ。
そんなことを知ることができたのも、初めて浮世絵鑑賞をしたからなんだね。
人が多過ぎてキチンと鑑賞できたとは言い難い展覧会だったのは残念だけど、浮世絵をもっと知りたいと思うきっかけになったのは良かった。

国芳展は前期と後期の2期に分けられていて、作品のほとんどを総入れ替えするそうなので、本当はどちらの展覧会も鑑賞したいと思っていたんだけどね。
あの人の多さ、牛歩での鑑賞には正直ゲンナリしてしまったので、後期はパスだな。
今回の森アーツセンターギャラリーの対応にも問題アリだなと感じたしね。
お客さんの誘導もなし、白線を越えて鑑賞している人への注意喚起もしていない。
展覧会図録を会場でしか販売していない、なんてちょっとビックリ。
鑑賞した人しか買えないシステムにしてるんだよねえ。
森美術館はやっぱり53Fの展覧会に期待だね。(笑)

ウィリアム・ブレイク版画展/メタボリズムの未来都市展

【ブレイク展とメタボ展を合わせた画像。意味不明。(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

長年来の友人Mから連絡をもらい、横浜美術館で開催中の松井冬子展へ誘われたのは今から2ヶ月ほど前のことである。
予定を合わせ、せっかくだからお昼は中華街にでも繰り出して豪勢にいこうか、などと約束の前日に電話していた時に
「げえっ!うそーーー!」
といきなり大声を出す友人M。
何事かと思い聞いてみると、な、なんと!
約束をしていた木曜日は横浜美術館の休館日!
せっかくの計画がお流れになってしまった。
二人共全く休館日のことを調べていなかったとはなんとも不覚!深く反省!(ぷっ)
それでも「アート鑑賞をしたい確率95%と推測されます」という、ゼルダのファイに指摘される状況だったので、今鑑賞できる面白そうな企画はないものか、と調べまくったのである。
ROCKHURRAHも一緒に調べてくれて、探し当てたのがウィリアム・ブレイク版画展。
これは良い!と横浜から急遽上野に行き先を変えたのである。

上野は中田商店動物園に行く用事で年に何度か訪れる場所である。
そういえば今年の花見も上野公園に行ったんだっけ。
身近に感じられる土地だけれど、上野に点在する美術館や博物館の全てを巡った記憶がほとんどない。
今回ウィリアム・ブレイク版画展を開催している国立西洋美術館にはもしかしたら初めて行ったのではないだろうか。
現在開催している目玉はゴヤ展なので、ウィリアム・ブレイク展はオマケ程度の扱いだろうと予想はしていたけれど、ここまで予想的中とは!
常設展の中の一角に設けられた特設会場といった感じで、その場所に行くまでの道のりの長いこと、長いこと!
友人MもSNAKEPIPEもあまり興味を示さないような何枚もの「西洋絵画」を通り抜け、移動距離にして恐らく1万マイル程歩いて(大げさ)やっと会場に到着。参るな!(プッ)

ウィリアム・ブレイクは1757年イギリス生まれの詩人、画家、版画職人である。
「当時、英国の版画家たちの主な仕事は、画家から提供された原画を忠実に複製することでした。この趨勢に抗い、自らの創意に従って制作を進めたブレイクは、異色の存在であったと言えるでしょう。」
という西洋美術館の説明にあるように、ブレイクは独自のセンスと創造力で作品作りをしていたようである。
そしてその仕事は同時代人にはほとんど理解されることはなかった、という悲しい事実も初めて知ったSNAKEPIPE。
今では世界中にファンがたくさんいるのにね!
多くのアーティストに多大な影響を与えていることは、wikipediaなどでご確認頂きたいと思う。
実はSNAKEPIPEはブレイクについてそこまで詳しいわけではなくて、興味の対象となったきっかけは、トマス・ハリスの著作「レッド・ドラゴン」の巻頭に「巨大な赤い龍と太陽の衣をまとった女」というブレイクの水彩画が載っていたこと。
小説の中でかなり重要な役割を担っていたこの絵画がとても幻想的で、すっかり魅了されたSNAKEPIPE。
ウィリアム・ブレイクと聞いて初めに思い浮かべたのが「レッド・ドラゴン」というのは友人Mも同じだったようである。

今回の版画展では、旧約聖書「ヨブ記」やダンテの「神曲」の挿絵が展示されていた。
エングレービングという版画の技法で制作された30点程を鑑賞することができる。
細部まで丁寧に描きこまれた幻想的な世界観は、非常に魅力的で、是非ブレイクの挿絵付き「ヨブ記」と「神曲」を入手し、読んでみたいと思ったSNAKEPIPE。
だけど本の挿絵なので、B5くらいの小ささしかないんだよね!
しかも大人気のゴヤのあとで「ついでだから」みたいな人が大勢いる中、この展示だけを目的に来た友人MとSNAKEPIPEには非常に残念な鑑賞時間になってしまった。
せめて図録やポストカードを手に入れたいと思ったのに、ブレイク関連は全く販売されていない。
うーん、とってもガッカリ!

ブレイク展だけではとても「アート鑑賞満足度」がアップしなかったので、もう一つ観に行こうということで六本木に移動。
森アーツセンターギャラリーで開催されている「歌川国芳展」はROCKHURRAHを加えた3人で行く予定なので今回はパス!
ということで「メタボリズムの未来都市展」を鑑賞することに決定!
恐らくほとんどの方が「えっ?メタボ?」と腹回りのサイズを気にする例のあの言葉を思い浮かべるはずであり、SNAKEPIPE自身も同じように思っていたのである。
ところが!なんとこれは「1960年に開催された『世界デザイン会議』を機に、建築家の黒川紀章菊竹清訓槇文彦大髙正人、デザイナーの栄久庵憲司粟津潔、建築評論家の川添登らによって結成されたグループの活動」とのこと。


「生物学用語で『新陳代謝』を意味する『メタボリズム』。それは、環境にすばやく適応する生き物のように次々と姿を変えながら増殖していく建築や都市のイメージでした。戦争で荒廃した日本が復興し高度経済成長期へと移行した時代に、東京湾を横断して伸びていく海上都市、高く延びるビル群を車が走る空中回廊でつないだ都市などを発想し、未来の都市像を考える活動でした。」

SNAKEPIPEが少し文章を要約したけれど、メタボリズムの活動とはなんぞや?には上のような説明がされている。
建築家を中心により良い社会、環境との共存、狭い日本の土地問題など、様々な観点から都市計画を考えていたグループ、といえるんだろうね。
そしてこの計画というのが、奇想天外なモノ、いわゆるSF的な感じの建築、などがたくさんあって非常に興味深い。
1950年代から1960年代の建築家というのは、空想を実現する力があったんだね!
それらのほとんどが計画のみで「実施せず」とされていたので、何かしらの原因があって実現には及ばなかったんだろうけど、発想の豊かさには驚かされる。
もしそれらの計画が全て実施されていたら、現代の日本はかなり変わっていたんだろうね。
ただし、DNAらせん状の家とか、ビッチリと横並びに並んだ幾何学模様型の建築などは、方向音痴のSNAKEPIPEには厳しいかもしれないな。
自分の家に帰れない人続出、なんて事態が大量発生しそう。(笑)

どの世界でも同じだと思うけれど、例えば写真家といえば?などと質問をした場合、恐らく返ってくる答は「アラーキー篠山紀信!」の二人くらいだと思う。
この現象ってきっと30年前から変わってないような気がするけどどうだろう?
そして同じことが建築の世界にもあるように感じる。
というのも、SNAKEPIPE自身が「建築家といえば?」と質問を受けた場合に、知っているのが「磯崎新と黒川紀章」しかいなかったからである。(笑)
以前建築を志している友人と話をした時その話になり、SNAKEPIPEが2名しか知らないことを打ち明けると非常に驚かれたものだ。
えっ、それしか知らないの?と思ったに違いない。
でもきっとその友人に写真家について尋ねたら同じレベルだっただろうね。
今回展示で紹介されていた建築家も、初めて名前を知った人ばかり。
その世界に入らないと知らないことっていっぱいあるもんね!

50年も前に斬新な空想力で都市の変革を真剣に考えていた日本の建築家がいたことを知ることができて、今回の「メタボリズム」展を鑑賞できて良かったと思う。
それにしても図録4800円は高過ぎ!買えましぇ~ん!(涙)

ゼロ年代のベルリン展鑑賞

【毎度お馴染み?展覧会告知ポスターを撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

「やっぱり文化の日には文化的なことがしたいよね」
と出かけたのが東京都現代美術館
2008年の文化の日にも全く同じようなことをしていたことに後から気付いたよ。(笑)
3年前に観たのは森山大道とミゲル・リオ=ブランコの共同展示で、「大道・ブランコ・コーヒー」としてブログにまとめてるね。
今回の現代美術館の企画は「1989年の壁の崩壊後、政治、経済、文化の実験場として世界の注目を集めてきたベルリンに住む18組のアーティストの紹介」とのこと。
元々そんなにドイツのアートについて詳しいわけでもないし、特にベルリンと限定されてしまった場合には一人のアーティストも知らない状態での鑑賞となる。
興味を感じることができるのかどうか判らないまま、文化的なモノを求めて美術館に向かったのである。

11月3日は薄曇りの、散歩を楽しむには丁度良い気温の日だった。
東京都現代美術館までの道のりには木場公園が広がっているので、毎回美術館を訪れる時には公園内をゆっくり散歩するのがならわしになっている。
今回もいつも通り散歩を楽しみながら歩くROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
都会の喧騒を忘れるような緑に囲まれた公園って気持ち良いねー!
かなりの数のランナーが走っていて、その足の筋肉に見惚れるSNAKEPIPE。
結構な年配の方も走り慣れた様子で、しっかりとした筋肉を保持。
うーん、負けていられませんな!
SNAKEPIPEも頑張って筋力アップしないとね。(笑)

現代美術館の館内は、文化の日だというのにガランとしていて予想していたよりずっと来客数が少なく感じた。
いいねー!ゆっくり鑑賞するには最適!(笑)
関係ないけど、チケットもぎりの女性が菊地凛子に瓜二つでびっくり!
絶対「似てる!」って言われてるんだろうなあ。(笑)
凛子似の彼女から受け取ったリーフレットを見ながら会場を歩く。
ほとんどのアーティストが1970年以降の生まれ。
ということで40歳以下の若手が中心の展覧会なんだね。
18組の中でSNAKEPIPEが気になったのは3組のアーティスト。
それぞれについて感想をまとめてみようかな。

この展覧会ですっかりファンになってしまったのが、シンガポール生まれのミン・ウォン
パゾリーニ監督1968年の作品「テオレマ」を再演した作品なのである。
「テオレマ」というのは、突然現れた謎の青年がきっかけで崩壊していくイタリアのブルジョア階級を描いた物語とのこと。
「実生活を営むヨーロッパにおいても、映画の中でも『よそ者』を演じるウォンが示すのは、アイデンティティとは演じることで存在し補強されるが、その存在を維持するためには演じ続けなくてはならない」
という意味のアートらしい。
この説明を受ければ「なるほど」と思う人もいるのかもしれないけれど、SNAKEPIPEにとっては「ウォーリーを探せ!」みたいに劇中の「ミン・ウォンを探せ!」状態で映像に目が釘付け。

パロディと言ってしまって良いのかどうか迷うところである。
演じている時のミン・ウォンはワハハ本舗梅ちゃんに似ていて、そこもまた大注目!
残念ながら「テオレマ」を鑑賞していないので、ミン・ウォンがどこまで再演しているのか判らなかったけれど、その成り切りぶりには目を見張るものがあった。
だって、家族全員を一人で演じちゃうんだもん!
主人、妻、娘、息子、家政婦、訪問者とざっと数えただけで6人!
特に女装シーンの熱演はすごい!
現代アートの鑑賞で腹を抱えて笑ったのは初めての経験だったかもしれないなあ。(笑)
結局ミン・ウォンがやりたいことは森村泰昌と同じなんだろうね。
森村泰昌は写真を使い、ミン・ウォンはその映像版っていう理解で良いのかもしれないね。
そして劇中の演じているウォン自身を肖像画として油絵にしている展示もあって、興味深かった。
このポストカードがあったら欲しかったなあ!(笑)

次に気になったのはフィル・コリンズの「スタイルの意味」という映像作品。
そう、元ジェネシスの…じゃなくて!(笑)
同姓同名の別人で、ターナー賞候補になったこともある1970年生まれのアーティストなんだよね。
イギリス生まれとのことなので、もしかしたら意外と多い名前なのかな?
ちなみにあっちのフィル・コリンズは1951年生まれだから60歳、還暦だね!(笑)
「スタイルの意味」という作品は、何故なのか解らないけど「Oi!/スキンヘッズのブーム」が起きているマレーシアが舞台。
1960年代にイギリスで流行した反体制的なスタイルである、Oi!/スキンヘッズの代表的なファッションであるMA-1にジーンズ、編上げブーツでイキがる若者の集団を記録した作品である。
熱帯雨林気候で、平均気温が27℃という国でMA-1着るのは暑くないか?(笑)
恐らく日本人もそうだと思うけど、マレーシアでOi!を気取っている彼らも、本場イギリス人からは僧侶に見えるんだろうね。
どこかの寺院で、仏像レリーフの前に立たせて撮影したのはそういう意味だったんじゃないかな?
「スキンヘッズのスタイルがいかに『ねじれ』を持って受容されているか」
に焦点を当てたそうなので、きっと「滑稽さ」を表したかったんだろうね。
以前ROCKHURRAHが「ROCK連想ゲーム」で紹介したことがあるジェネレーション69というシンガポールのOi!パンクバンドを知った時に感じた違和感と似た種類なんだろうね。(笑)

最後にもう一つ。
マティアス・ヴェルムカ&ミーシャ・ラインカウフの作品「ネオンオレンジ色の牛」。
これもまた映像作品だったんだよね。
前にも書いたことがあったけど、「現代アート」とされる作品で最近多いのが映像作品だから仕方ないのかもしれないけどね。
本当はチラッと観て「?」と思ったら最後まで観ないSNAKEPIPEなんだけど、今回は一応観たんだよね。(笑)
タイトルは「時計じかけのオレンジ」みたいで何が起こるのか想像がつかない感じだけど、実際の作品は単純なものだった。
地下鉄の線路内や橋の下などの「こんな場所で?」というような場所でブランコをする、というパフォーマンスを記録した映像だったんだよね。
アート、というよりはシルク・ドゥ・ソレイユなどのサーカスっぽい感じ。
なーんて例えで書いたけど、観たことないんだよね。(笑)
もしくは、いつでもどこでも同じ振り付けしてるVISAカードのCFに出演してるマットさんみたいな感じ、とでも言えば良いのか。(笑)
マティアス・ヴェルムカ&ミーシャ・ラインカウフは無許可でゲリラ・パフォーマンスを行うと紹介されていて、止まっているバスや電車の窓をゲリラ的に「無許可で」掃除するアートも行なっているとのこと。
ウチの近所で毎週同じジャンパー着て「ゲリラ的に」掃除している中高年の方々がいるんだけど、もしかしたらアレもパフォーマンスアートなのかも?(笑)

紹介した3つの作品共に共通して感じたのは「現代アート定義領域の拡張」かな。
それぞれをパロディ、ドキュメント、大道芸などと言葉を替えて紹介することもできる作品だったからね。
ただ、やっぱり全体的には物足りなさを感じてしまった。
SNAKEPIPEには現代美術館の常設展のほうが好みだなあ。
もっと面白い企画を用意してもらいたいと思うし、展覧会開催中に図録が用意できていないという事態は避けて欲しいよね。
9月下旬から始まっている展覧会なのに、未だに図録が出来上がっていないなんてちょっとひどい!
図録を購入するのが楽しみなSNAKEPIPEには、特にお気に入りの美術館だけに残念に感じてしまった。

畠山直哉展 Natural Stories

【東京都写真美術館入り口にあったポスター。ビルが写り込んでるところが良いね!】

SNAKEPIPE WROTE:

10月1日より東京都写真美術館で「畠山直哉展 Natural Stories」が開催されている。
畠山直哉氏といえば!
このブログの大好評シリーズである「好き好きアーツ!」の第一弾で特集した、SNAKEPIPE大のお気に入りの写真家なのである。
『「好きな写真家は?」と質問されたら「畠山直哉!」と即答する。
もちろん他にもたくさん好きな写真家はいるけれど、一番は畠山氏である。』
と書いたのが2008年8月のこと。
その中にも記述しているけれど、SNAKEPIPEは1996年頃から畠山直哉氏のファン。
とは言っても最近の活動についてはほとんど情報を得ていなかった。
もっとも畠山直哉氏だけに限らず、写真全体に関して興味を失っていた、というほうが正解なのかもしれない。
最近は全く撮影をしていないしね。
今は様々な作品を鑑賞することに興味が移っていて、展覧会情報をチェックし、面白そうな企画があったら足を運ぶことが楽しみなのである。

「畠山直哉個展開催」の情報はまだ暑かった頃に知った。
先のことで待ち遠しい、と思っていたのに…月日の経過の速いことよ。
あっという間に10月になってしまった。
秋晴れの少し汗ばむくらいの気温の日、恵比寿にある東京都写真美術館に足を運んだ。
この美術館に来るのはかなり久しぶりのことだ。
前回行ったのは川田喜久治の展覧会「世界劇場」だったかも?
調べてみたら2003年だって!ひゃあ~!8年も前か~!(笑)
毎回展覧会情報のチェックの中に写真美術館も入っているので、余程SNAKEPIPEの琴線に触れる企画がないってことなんだろうな。
もう少し頑張ってくれよ、写真美術館!

畠山直哉氏首都圏での初個展とのこと、かなりワクワクドキドキしながら会場へ。
「作品にはキャプションがありませんのでお持ち下さい」
受付で作品リストを手渡される。
ふーむ、キャプション無しって珍しいかも?
休日にもかかわらず、人の入りはまばら。
作品鑑賞するのには良い環境だね!(笑)

初めに目に飛び込んできたのは山の写真。
あれ?なんだか違う…?これではまるで山岳写真だ。
「畠山直哉ってこういう写真撮る人なの?」
とROCKHURRAHが怪訝そうに尋ねてくる。
「うっ、違うはず…なんだけど…」
前述したように最近の写真界、そして畠山直哉氏の動向について情報を得ていなかったSNAKEPIPEなので確実な答が返せないのがもどかしい。
「畠山直哉、変わっちゃったのかなあ?」
と首をかしげながら鑑賞している途中だったので、尚更である。

展示順に「もうひとつの山」「テリル」「アトモス」「シエル・トンベ」「ヴェストファーレン」と鑑賞し、撮影年度を確認するとやっぱりSNAKEPIPEが追いかけていた時代より後の外国で撮った写真である。
畠山直哉氏のその後をやっと知ることができたわけだ。(笑)
そしてやっと「ライム・ヒルズ」になり安心してしまった。
やっぱりSNAKEPIPEは「ライム・ヒルズ」のシリーズが大好き!
確かに見比べると「テリル」は雰囲気が似ているかもしれない。
けれども明らかに違うのはインダストリアルなオブジェクトの有無である。
「自然と都市」を表現していた写真集「ライム・ワークス」には工場写真が多く入っていたからね。
そこに魅力を感じていたんだな、と改めて気付く。
どの写真も畠山直哉氏らしい「静謐さ」を感じることはできるけれど、やっぱりなんとなく物足りなさを感じてしまった。
そして以前の写真ではあり得なかった「写真の中に人物が入っている」点にも驚いた。
人を風景の一部と考えて写り込んでも構わなかったのかもしれないけれど、「ライム・ワークス」と「アンダーグラウンド」でファンになったSNAKEPIPEには不満が残る。
SNAKEPIPEが持っている畠山直哉氏の印象は
・日本の風景なのにどこかの外国みたいにカッコ良い無人の風景写真を撮る
・だまし写真のように不思議な風景を切り取る写真家
・現代アートに通じる観念や理論を持ち、写真を語れるインテリ
である。
こんな3種の神器ならぬ、3本の金棒を持つ憧れの写真家のその後の活動が…今回の展示作品とは!
日本の風景を外国の景色に変化させてしまうマジシャン的魔力は、実際に外国の風景に対峙した時に発揮できなかったのだろうか。
今「好きな写真家は」と問われても「2003年頃までの畠山直哉!」という言い方になってしまいそうなのが残念である。
インダストリアル好き、というSNAKEPIPEの好みの問題なんだろうね。

以前から数枚の写真や情報だけ知っていた「ブラスト」のシリーズが連続写真、しかも大迫力の300インチ大画面で鑑賞することができたのは嬉しかった。
「ブラスト」というのは石灰岩の採掘の際、山を切り崩すために発破をかける現場を小型カメラで連続撮影した作品である。
畠山直哉氏は「光のマケット」など写真を使った現代アート、といったほうがしっくりくるような作品を今までに発表していて、「ブラスト」も勝手にそんな作品なんだろうと予想していたSNAKEPIPE。
今回のパラパラ写真(笑)を鑑賞して、その思いを強くした。
ダイナマイトの爆発により、岩が粉々にコマ送りのように砕け散っていく様子はまるでクレイ・アニメのようで興味深かった。
一羽の鳥が爆発現場から飛び去る最後の展示作品「ア・バード/ブラスト」は、アートとしても秀逸だと思うし、畠山直哉氏の思いを受け取ったような気がした。
このブログではあえて詳しく書かないけれど、畠山直哉氏は岩手県陸前高田の出身なのである。
地震後の地元の写真も展示されていたが、SNAKEPIPEには書くべき言葉が見つからない。

これからの畠山直哉氏がどのように変化していくのか。
また見つめていきたいと思う。