フランシス・ベーコン展鑑賞

【フランシス・ベーコン展の看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPE MUSEUM #7 Francis Bacon」を書いたのは2011年1月のこと。

「どこかで展覧会やってくれないかなあ。
大量の現物を目の前で観たいものである。」

という文章で締めくくったSNAKEPIPEの希望を叶えてくれることが判ったのは去年のことだった。
情報収集能力に長けた長年来の友人Mから電話があり、
「ベーコンさん、個展やるよ!」
とまるで知人であるかのような口ぶりで教えてもらったのである。
狂喜乱舞するSNAKEPIPE!
展覧会開始の3月を心待ちにしていたのである。

東京国立近代美術館に向かったのは、開催されてから1週間を過ぎた、少し桜が咲きかけた頃である。
コートを着るには暑く、薄手のジャケットでは寒い難しい春の陽気。
SNAKEPIPEもROCKHURRAHも得意のレザージャケットを着用し、待ち合わせ場所へと向かう。
なんと友人Mも同じくレザー着用!
レザー・トリオになってしまった。(笑)
なんとなく怪しい3人組、会場へと急ぐのである。

開催されてまだ日が浅いにも関わらず、そこまでの混雑は感じられない。
押し合いへし合いで、人の頭と頭の間から絵をやっと覗き見る、なんてことにはならなかった。
SNAKEPIPE命名の「国立系」がわんさかいるかと思っていたけど。
良かった、と胸を撫で下ろすSNAKEPIPE。
待ち望んだ展覧会だもん、じっくり鑑賞したいからね!

いつものブログ通り、展覧会の進行に合わせた感想をまとめていこうか。
今回のフランシス・ベーコン展は「身体」をテーマにして年代別に括られていた。

Chapter1 うつりゆく身体 1940s―1950s

「うつりゆく身体」とはA地点からB地点への移行の状態に見えることから名付けられたタイトルとのこと。
A→Bだけではなく、B→Aの移行にも見えることが特徴だと言う。

この章の中で気になった作品が「走る犬のための習作」(1954年)。

一本の線だけで何かを表現するのはベーコン得意の技法である。
簡単に引かれたように見える線なのに、これが舗装された道で脇に側溝があると解り、きちんと情報を提供しているのがすごいよね。
SNAKEPIPEが勉強不足なのか、ベーコンが描く動物の絵を鑑賞するのは、これが初めてである。

まさに犬が走っている!
左の絵は小さいので詳細までは確認できないと思うけれど、ピンク色の舌を出して犬が走っている映像を一時停止させたみたいな絵。
犬が完全にブレているため、より動きが感じられるのである。
この絵をモノクロームにして、コントラストやや強めに、ちょっと粒子を荒くしたら大道さんみたいじゃない?(笑)

「叫ぶ教皇の頭部のための習作」(1952年)の元ネタがエイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」(1925年)だというので、2枚を並べてみたよ。
「戦艦ポチョムキン」、懐かしいなあ!
もう何年も前に観ているので詳細は忘れているけれど、やっぱりあの階段のシーンは見事だよね。
もちろんこの乳母の顔もしっかり覚えている。
ベーコンのアトリエには、「戦艦ポチョムキン」のスチール写真の切り抜きがあったというから、かなり重要なモチーフと考えていたようだね。
上の作品は斜めになったメガネと共に、ベーコン最大の特徴である叫ぶ口が描かれていて、まさに乳母そのもの!
このベーコンの叫ぶ口にインスパイアされたのが、デヴィッド・リンチである。
エイゼンシュタイン→ベーコン→リンチと、映画→絵画→映画の順番だよね。
この先はまだ続いていくのかな?
後継者は…難しいかもね?(笑)

Chapter 2 捧げられた身体 1960s

無神論者であったベーコンは「磔刑図」をどのように考えて制作していたのか、ということに焦点を当てる。
キリスト教とは別の原始的な宗教においては、神に捧げられた「人間の生贄」としての犠牲的な行為とも言えるのではないだろうか。
なーんて解説文を要約して書いてみたけど、キリスト教についても、原始的な宗教についても詳しくないSNAKEPIPEがあれこれ言える立場じゃないよ。(笑)
解説抜きで好きな絵ってことで良いのだ!(笑)
ところがなんとも驚いたことに、ここまで「磔刑」について書いているのに、ベーコンの磔刑関連の絵は一枚もなし!
難解な解説書いておきながら、全く意味不明だね。

この章の中で気になった作品は「ジョージ・ダイアの三習作」(1969年)かな。
空き巣だと思ってベーコン宅へ泥棒に入ったジョージ・ダイアが、制作中のベーコンにバッタリ遭遇。
そのまま居付いて、ベーコンの愛人になってしまう話はベーコンの伝記映画「愛の悪魔」で観たSNAKEPIPE。
上は、その愛人であったジョージ・ダイアを描いた作品なんだけどね。
解説には「顔面中央に弾丸を打ち込まれたかのような黒い円形」と書いてある。
SNAKEPIPEも「鼻の穴にしては大きいかも」と思って観た。
しばらくじっと観ているうちに、思い付いた。
「これは…穴だ!」
ベーコンは同性愛者だったからね。
考え過ぎだったらゴメンナサイ!(笑)

Chapter 3 物語らない身体 1970s―1992

この章では、ベーコンの特徴である3枚1組みセット(三幅対というらしい)を多く展示していた。
何故「物語らない身体」というタイトルになっているか、というのは複数の空間と人物を描いているのにストーリーの発生を忌避しているから、とのこと。
そう言われても、SNAKEPIPEは勝手にお話作ってたけどね?(笑)

今回の展覧会で鑑賞できて最も嬉しかったのが「3つの人物像と肖像」(1975年)である。
この絵はポストカードを持っていて、ずっと部屋に飾っていた作品だった。
その実物を観ることができるなんて!

この絵の解説には「複数の人物のあいだに物語を発生するような視線のやり取りや、身振りの連関を見出すことはできません」ってきっぱり言い切られちゃってるんだけどね。
左のくねってる男性が恋人のダイア、真ん中がギリシャ神話で神の裁きを伝える復讐の女神、というところまで聞くといろいろと想像をしちゃうけどな。
そして右側は円形部分に組み合う男性とその下の部分には下半身ヌード。
恋人のジョージ・ダイアが自殺してしまった後に描いた作品らしい。
思い出と懺悔がテーマなのかな。

何故ジョージ・ダイアが自殺してしまったのか。
これは前述したベーコンの伝記映画「愛の悪魔」がbased on a true storyだった場合には、自殺の原因はベーコンにあると思うから。
SNAKEPIPEは自殺というよりも「ベーコンに殺された」と言ってもおかしくないんじゃないか、と思っているくらいだからね。
失って初めてその重要性に気付いた感じがするけど、どうだろう?
Chapter 4 ベーコンに基づく身体

最後の章では、 ベーコンからの影響を身体で表現しているアーティストを紹介していた。
日本からは我らが土方巽が登場!
本当にベーコンからインスパイアされ作品を作っていたんだって。
舞踏公演「疱瘡譚」のDVD映像と共に土方巽のスクラップブックを展示していた。
ペーター・ヴェルツとウィリアム・フォーサイスはベーコンの絶筆である未完の肖像を元にその線をなぞるようなダンスを披露していた。
巨大なスクリーンがいくつも並び、ダンスする人物のアップを鑑賞しても何も感じ取ることができなかったなあ。

Chapter1の中にインタビュアーと話をするベーコンの映像が流れていた。
とても興味深いことを語っていたので、書いてみようかな。
ベーコンにはいくつかのシリーズがあって、その中の一つに「教皇シリーズ」があるが、描くきっかけになったのはベラスケスであるという。
ベラスケス?
その昔、日曜美術館でベラスケス作「ラス・メニーナス」 の解読と解説をやっているのを見たことあるけど、それほど詳しくはない画家である。
ベーコンはベラスケス作「教皇インノケンティウス10世」を「人間の感じることができる最も偉大で深遠な事象を開放する最高の肖像画」と評していたとのこと。
だからこそこの絵画から着想を得て、「教皇シリーズ」を作成したらしい。
どうやらベーコンは、「教皇インノケンティウス10世」に、恐れながらも性的に魅了された父親を投影していたようである。
ベーコンが描く教皇は、半狂乱で叫び声をあげている。
恐れながら愛し、突き落とすようなネジれたベーコンの感情が表れてるね。
評論家の中にはベーコンの「教皇シリーズ」を「父殺し」と評する人もいるらしい。 更にベーコンは「ベラスケスの作品は怖くて観られない」と続け、インタビュアーに訳を尋ねられると
「冒涜しているから」
と答えるのである。

愛と憎しみ、恐れと冒涜といった感情が、複雑に絡まって対象に向かっていることがインタビューから解る。
ベーコンにとっての愛情表現は、相手にとっては愛情とは感じられない類だったのかもしれないな、と推測できるね。
自殺してしまった愛人、ジョージ・ダイアへの態度も、思いやりを持っているようには見えなかったベーコン。
ベラスケスの絵も「最高」と言っておきながら「冒涜」し、その冒涜している行為を自覚している人物なので、愛人ダイアのことを虐めているように見えたのも愛情表現だったのかもしれないね?

もしかしてこれは、小学生くらいの男の子が好きな女の子をからかったり、イジメたりするような図式と同じなのかしら?
そう考えるとベーコンについて解り易いかもしれないね。
SNAKEPIPEが高校時代に愛読していたのがオーストリアの精神分析学者であるジークムント・フロイトの著書である。
小児から大人に至るまでの5つの性的発達段階について言及されている文章を読んだ時には、衝撃を受けたものだ。

■口唇期 出生~2歳まで 口は最初に経験する快楽の源である。
■肛門期 2歳~4歳頃まで 小児性欲の中心は肛門になる。

乳児のうちから快楽を得ようしている、という説に驚いた女子学生だったSNAKEPIPEだけれど、この2つの段階をベーコンに当てはめるとしっくりくるんだよね。
ベーコンには口だけしか描かれていない作品が多数存在する。
口に非常に強い興味を示しているよね。
そしてベーコンは同性愛者だった。
上に載せた「ジョージ・ダイアの三習作」について書いた文章の中に「肛門期」に関する記述をしているSNAKEPIPE。
解ってもらえるかしら?(笑)
ベーコンは口唇期と肛門期のまま大人になってしまった画家だったのかもしれないね。
ベーコンの伝記を読んだことがないので、単なるSNAKEPIPEの推測だから信用しないでね。(笑)

ではここで突然だけど、ベーコンの絵画にちなんだそっくりさん劇場開幕!
ベーコンの絵のモチーフに良く似ているな、とSNAKEPIPEが思った物を紹介するコーナーだよ!(笑)

左はご存知モンスターハンターに登場するフルフル。
右はベーコンの作品「ある磔刑の基部にいる人物像のための三習作」(1944年)のうちの一枚である。
モンスターハンターでフルフル見た時に、即座にベーコンを思い出したんだよね。(笑)
これはどちらも男性器をモチーフにしているから、似てしまうのは仕方ないことなのかな。
ベーコンのほうもフルフルと同じように火属性に弱いかどうかは不明!

続いては「千と千尋の神隠し」より「カオナシ」に登場してもらいましょう!
対して右側はベーコンの「人物像習作II」(1945-46年)である。
変な形に曲がった体と、顔に入った縦2本の線と顔色などが酷似しているように感じたのはSNAKEPIPEだけかしら?
ちょっと苦しい?(笑)
ではそっくりさん劇場、これにて閉幕!

今回の展覧会では33点の作品をまとめて観ることができた。
これはベーコン没後アジアでは初めてのことらしいけど?
でもね、以前からベーコン個展を切望していたSNAKEPIPEにはまだ物足りないんだよね!
解説によれば、日本国内にはなんと5点だけしかベーコンの絵が所蔵されていないとのこと。
これにはびっくりしたSNAKEPIPE!
ベーコンは日本で知名度低いのね。
だから「国立系」の客が少なかったのか、と納得してしまった。
作品来ないなら自分から行けってことかな。
ロンドンのテート・ギャラリー行かないとダメかしら?(笑)

会田誠展~天才でごめんなさい~

【会田誠展:天才でごめんなさい トレイラー映像】

SNAKEPIPE WROTE:

どんな展覧会があるのかを検索している時に、森美術館にて会田誠展が開催されていることは知っていた。
だけどSNAKPIPEがモグリ(古い)だったため、実は会田誠というアーティストについては何も知らなかったんだよね。
美術館HPにある会田誠展の詳細を見ようとする前に出てくるのは、冒頭にも載せた水着姿の少女達の絵。
「スクール水着?ロリコン系?」
と思ってあまり興味を示さなかったのである。

「会田誠、観に行こうよ」
と長年来の友人Mから誘いがあったのは、それからしばらくしてからのことである。
「えっ、あのロリコンの?ちょっと好みと違うんじゃない?」
と誘いを断ろうとしていたSNAKEPIPEだったけれど、
「実際に観てから物を言おう」
とMの誘いに応じることを決断!
行って、観てから初めて感想が言えることになると思ってね。
ここらへんが最近少し変化してきたところ。
SNAKEPIPEも成長しているのだ。(笑)
そして年末に近い、夕方からは雨になる予報の寒い空を見ながら六本木に出かけたのである。

開催から少し時間が経過しているためか、普段ならもっと混雑している森美術館の客数はそれほど多くなかった。
できればじっくり時間をかけて作品と向き合って鑑賞したいと望んでいるSNAKEPIPEとMには好都合!
客が少なめ、というだけでは好都合とは言い切れないかな。
最近は作品解説をする音声ガイドサービスを利用する人が増えていて、通常の3倍近い時間を費やして鑑賞する人もいっぱいいる。
そういう観客をうまく避けながら鑑賞していく技は、いつの間にか身につけた。
誰だって自分の好きなように作品と対峙したいもんね?
あとは子連れの客も避けたいね。
本当に子供に観せて良い作品なのか、親が理解して連れてきてるのかなあ。
今回の会田誠展にも何組か子供連れを発見したけど、大丈夫なのかしらん?
それぞれのご家庭によって事情が違うだろうから、SNAKEPIPEがあれこれ言う問題じゃないけどね。(笑)

会場に入って一番初めに展示されていたのが「切腹女子高生」(2002年)である。
まさにタイトル通りに、切腹する女子高生を描いているもの。
内臓出てるわ、首はチョンパされてるわで「一番初めからこれか!」とちょっと驚いてしまう。
制服姿に日本刀と言うとタランティーノ監督の「キル・ビル」はもちろんのこと、タランティーノに影響を与えた「BLOOD THE LAST VAMPIRE」を思い浮かべるよね。
ちなみに「キル・ビル」は2003年公開、「BLOOD THE LAST VAMPIRE」は2000年とのこと。
もしかしたら会田誠氏もプロダクションIGのファンなのかも?(笑)
まるでビックリマンチョコのシールのようにキラキラした仕上がりは、日本古来からの責任の取り方=切腹という重さや覚悟を全く感じさせない。
このままステッカーにでもなりそうな明るい雰囲気こそが作品の狙いなんだろうね。
他にも風俗店のピンクチラシを一面に貼り付けた上に桜を描いた作品や、畑で育ったルイ・ヴィトンのバッグを「今年も豊作じゃー!」と農夫が掘り起こしてるような油絵などがあり、「パロディの人?」と思いながら歩を進める。

会田誠という美術家を評する場合に「現代美術界の奇才」や 「奇想天外」と共に「タブー」という単語も加わることが多いようだ。
作品を途中まで鑑賞していくうちに
「斜めから物を見る人」
「シニカルでブラックな笑い」
という感想を持ち始め、どんどん興味が湧いてくる。
こんなこと言ってもいいの?こんなことやっていいの?というような禁忌に触れるような作品まで登場する。
「18禁部屋」まで用意されているとはびっくり!
DVDレンタルショップの「アダルトコーナー」みたいだね。
入り口がカーテンになってるところも似てるかも。(笑)

「18禁部屋」には更にキワドイ作品が展示されていた。
とてもキレイな仕上がりの日本画と思いきや、描かれているのは手足を切断され首輪をされた全裸少女達を描いた「犬シリーズ」である。
「家畜人ヤプー」「孤島の鬼」にも登場した奇形人間の製造や永井豪の「バイオレンスジャック」を彷彿とさせるモチーフ。
確かこの手の「人間犬」は石井聰互だったか三池崇史の映画にも出てきたのを思い出す。
美少女を手に入れたい、ペットみたいに飼ってみたいという密かな願望は、絶対に口にしてはいけないし、やってはいけないタブーだろう。
少女のヌードだけでも禁止事項だしね。
それを堂々と描き、展示してしまうとは!
「18禁部屋」には他にも少女を食材に見立てた「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズや、 「美少女」とだけ書かれた壁に向かって、全裸でひたすら自慰行為を続ける作者を撮影したビデオなども作品として展示されていてエロとグロが盛りだくさん!
ジョン・ウォーターズの「モンドトラッショ」を彷彿とさせる写真もあったね。
ウォーターズは巨大ザリガニだったけどね!(笑)
一応カーテンで仕切りはされていたにしても、これらの作品を含めた展示にGOサインを出した森美術館の決断に拍手を贈ろう!(笑)

会田誠の作品には屏風絵が多いな、と思った。
もちろん「いわゆる日本の伝統的な屏風絵」とは全く違う。
本来なら鈴虫だったり、セミやカエルを描くところをゴキブリにする。
牡丹や菊を描くところを雑草にしてみる。
上の作品は「電信柱、カラス、その他」(2012年)で、タイトルそのままに電信柱とカラスを描いた作品である。
ブログ内では見えないけれど、左のカラスはセーラー服の一部を、真ん中のカラスは人間の指をくわえていて、不吉な予感を孕んでいる。
この屏風、欲しいなー!家に飾りたいなー!(笑)
SNAKEPIPEが今回の展覧会で一番気に入った作品である。

「自分のオリジナルタッチがない、一種のパロディ的な作家」と作者本人が語るように、作品のほとんどがパロディといって良いだろう。
前述したように伝統的な日本画は題材にしなかったであろうモチーフを描く。
巻物には2チャンネルからの転用文を、意味ありげな達筆で記す。(顔文字までご丁寧に縦書になっていた!)
現代アートにありがちな「ふざけて作ってない?」と聞きたくなるような意味不明の立体作品に似た作品を作る。
これもまた現代アートでお馴染みの「結局なにが言いたいの?」と訳が解らないまま、途中で鑑賞するのをやめるビデオ作品風の映像を撮る。
アートを知らない人が鑑賞しても面白いけれど、知っている人ならばその「ヒネり」に思わずニヤリとするだろうね。

「これはダメです」という社会的な規制やルールに対抗することで成り立っている作品が多い点が特徴でもあり、ちょっと弱い印象を受ける。
元となる常識や基準が作品着想の出発点だからだ。
それが作者の言う「オリジナルタッチがない」ということなんだろうけど。
時代と共に社会の基準やルールは変わることってあるよね。
10年後、20年後にも、これらの作品は「シニカルでブラックな笑い」を持って鑑賞することができるのだろうか?
益々規制が厳しくなって、作品展示そのものが不可能なんてこともあるかもしれないよね。
実際今は手に入らなくなってしまった本などもあるくらいだから。

森美術館のトレイラーの中にも出てくるビデオ作品「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ」(2005年)では会田誠自身がビン・ラディンに扮して片言の日本語を喋っている。
ビン・ラディンに似ていると言われたことから、おフザケで作ったビデオみたいだけど、本当に良く似ていて笑ってしまう。
東京藝術大学美術学部絵画油画専攻卒業、東京藝術大学大学院美術研究科修了という華々しい肩書きを持つ会田誠。
ビデオの中の偽ビン・ラディンではなく、美術界の過激派としてこれからもブラック・ジョークで笑わせて欲しいと思う。
そしてパロディだけではない、エリートならではの大真面目な作品も鑑賞してみたいとも思うのだ。
過激派でエリートな会田誠がパロディをパロディに仕上げたら巡り巡って真面目になってしまった、なんてパラドックスを観てみたいね!(笑)

ベン・シャーン展 —線の魔術師—

【埼玉県立近代美術館入り口にあった公園前の看板を撮影。光が良い感じ!】

SNAKEPIPE WROTE:

現在埼玉県立近代美術館で「ベン・シャーン展 線の魔術師」が開催されている。 ベン・シャーンと聞いて一体何をやっていた人なのか即答できる人はどれくらいいるだろうか。
例えばSNAKEPIPEだったら一番初めに思い浮かべるのは写真家としてのベン・シャーンである。
次に画家、と答えると思う。
高校の美術の教科書に載っていた絵を未だに覚えているからね。(笑)
この回答とは違うことを答える人もいるだろう。
ベン・シャーンは単なる画家としてだけではなく壁画、ポスター、挿絵、写真などグラフィックアートのあらゆる分野を手がけたマルチアーティストだからね。
戦争、貧困、差別などの社会派リアリズムをテーマにしている点がベン・シャーン最大の特徴なんだよね。

では簡単にベン・シャーンの経歴について書いてみようか。
1898年リトアニア生まれのユダヤ人。
迫害を恐れ、8歳の時に家族と共にニューヨークに移住。
石版画職人として生計を立てながら、美術学校や生物学などを学ぶ。
30歳の頃から労働者や事件をテーマにした絵を描き始める。
1935年から38年にかけて、再入植局(RA)と農業安定局(FSA)が行ったプロジェクトに写真家として参加する。
1942年から戦時情報局グラフィック部門(OWI)、1945年からは産業別労働組合グラフィック・アート部門(CIO-PAC)に所属し、ポスターを制作。
1969年に死去。

今回の展覧会の副題が「線の魔術師」だったのと、美術館のHPに載っていた紹介文の中に
「初公開の絵画・ドローイングを含むおよそ300点によって、ベン・シャーンの魅力を紹介していきます」
と書いてあったので、もしかしたらドローイングが中心の展覧会なのかも、とある程度の予想はしていたんだけどね。
それでも行ってみないと判らないから、と大雨の中ROCKHURRAHと二人で埼玉まで出かけたのである。

実はSNAKEPIPEが埼玉県に足を踏み入れるのはこれが2度目。
1度目は確か20歳くらいの頃にバイトで行ったことあるんだよね。
どうやら2007年に閉店してるみたいだけど、丸井所沢店に!
あの時は遠かったなー!(笑)
ROCKHURRAHは埼玉には今まで一度も縁がなかったと言う。
今回の埼玉県立近代美術館は「北浦和」という京浜東北線の駅から徒歩3分とのこと。
そこまで遠くはないかな?と軽い気持ちで出かけたけれど、やっぱり埼玉は侮れないね。
どうやら最高気温が千葉や東京とは違っているらしく、埼玉着いた途端に寒くてガタガタ震えてしまったほど!
「夏の最高気温も埼玉はいつでも2℃くらい高かったよね」
「きっと冬は2℃低いんだろうね」
などと固まりかけた唇をなんとか動かし、会話するROCKHURRAHとSNAKEPIPE。(大げさ)
何かお腹に温かい物を入れないと凍えてしまう、とまずは腹ごしらえ。
何故だか一人で来店する女性客ばかりのイタリアン・レストランでホッと一息。
都内でも、ここまで一人客ばかりって珍しいような気がする。
なんでだろうね?謎だな。

美術館は北浦和公園の中にあるので、公園を散歩しながら向かう。
このシチュエーション、木場にある現代美術館と同じ構造だよね。
あっちはMOMA、こっちはMOMAS?
うりゃ、思った通りにThe Museum Of Modern Art, Saitamaだったよ。
だからMOMAに付け足してSがあるんだね。ダサっ…。(笑)
千葉にあったらMOMACなのか。うーん、良い勝負だね!

11月から開催されているためもあるのか、美術館内はそれほど混雑していない。
走り回るような子供もいなくて良いね。
1階の常設展を鑑賞した後、いよいよ2階のベン・シャーン展へ向かう。

前述したSNAKEPIPEの予想は的中してしまった。
今回の展覧会はドローイングが中心で、最も関心を持っていた写真はなんと3点のみの展示という残念な結果にガッカリ。
色々な分野の仕事をしてきたアーティストの場合には、こういうことがあり得るんだよね。
ある特定の分野に焦点を当てるような企画ね。
ROCKHURRAHも退屈だったようで、途中で眠くなる始末。
わざわざ遠出したのに、大変申し訳ないことをしてしまった。済みません。
ということで今回のブログは以前のジェームス・アンソール方式
「こんな絵や写真を鑑賞したかった」という特集にしてみたいと思う。
これからまた同じようなブログの時には、アンソール方式と呼ぶことにしよう。
うん、それが良い!(笑)

SNAKEPIPEが高校の美術の教科書で観たのはこの絵。
バルトロメオ・ヴァンゼッティとニコラ・サッコ(1931-1932)である。
1920年代にアメリカで偏見による冤罪疑惑により大問題となったサッコ・ヴァンゼッティ事件で死刑執行された2人を描いた作品である。
容疑者の2人がイタリア系の移民であり、徴兵を拒否したアナーキストだったという理由から、警察は明確な物的証拠がないまま二人を検挙、さらにニセの目撃者まででっち上げる始末。
知識人や当時のイタリア首相まで有罪判決に抗議するほど、社会的な大問題になった事件だったなんてことは女子高生だったSNAKEPIPEは知らなかった。
ただ、この絵のインパクトはずっと覚えていたんだよね。

インパクト、という点では今回の展示の中で最大級だったのはポスターだね。
上は「This is Nazi brutality」(これがナチスの残虐だ) という1942年の作品である。
ポスターはどれも主題がはっきりしていて、ズバッと大きく描いているのが特徴的である。
ポスター本来の目的を果たしながらも、アート的である点が重要だね。

ポスターには採用されていなかったけれど、ベン・シャーンの作品でもうひとつ気になったのはフォント。
絵本や挿絵などの作品もたくさん制作しているベン・シャーン。
解説には自身の子供のために作ったと書いてあり、優しい作風に納得する。
左の作品はちょっと小さくて解り難いかもしれないけれど、独特のフォントが採用されている。
リンチ・フォントの時と同じようにシャーン・フォントと名付けたくなるね。(笑)
どうやら石版画職人だった頃に、レタリングの技術を習得したらしい。
確かにこの字体は素人じゃないよね。
今回の展覧会での主要な展示であるドローイングには、最小限の線だけでそっくりな人物画を描き切っている作品が多くあり、その見事さに驚かされた。
なるほど、展覧会の副題が線の魔術師なのもうなずけるね!

今回の展覧会には3枚しか展示されていなかったベン・シャーンの写真。
こんな作品群が観たかったー!という4枚を選んでみたよ。
1935年から1938年にかけて撮りためた写真はおよそ6000枚とのこと。
再入植局と農業安定局のプロジェクトによる撮影ということで、人物を中心に撮られtレいることが多いみたい。

恐らくSNAKEPIPEが選んだ上の写真は街中なので、ベン・シャーンの個人的な趣味のための写真なのかもしれないけどね?
どの写真を観ても、対象と写真家の距離が近い。
相手が警戒しないで被写体となっていることが判るので、ベン・シャーンはコミュニティやその街に同化して撮影を行なっていたんだろうね。
ドキュメンタリー・フォトとしても、スナップ写真としても優れた写真群だと思う。
写真展があったら観たいなー!写真集でも良いな!(笑)

ベン・シャーンは自分で撮影した写真を元にして、絵を描いていたようだ。
人物を描く際にも使用していたみたいだね。
上の作品「Handball」(1939年)も極めて写真的な絵画だよね。
いや、もう写真そのものと言って良いんじゃないかな?
恐らく写真で鑑賞しても充分カッコ良い作品だったと思うよ。
そう、ベン・シャーンは社会派に目覚める前から、まるで写真のような絵を描いていた。
絵の人なら中心を主題だけに置くような場合でも、ベン・シャーンはまるで広角レンズを覗いた時のような構図にしているのだ。
きっと写真家的な目を持った画家だったからこそ、グラフィックも手がけたマルチアーティストに成り得たんだろうなあ。

日本のリアリズムや社会派などと呼ばれるような、人間の苦悩や時事問題を扱うような文学、写真、映画、その他諸々の表現世界には、ほとんど興味がない。
今でも「しわが刻まれた老人の顔」や「農村で働く人達」をモノクロームで撮影し、「これぞリアリズム!」と叫ぶ人もいるだろう。
その手法が古いとか新しいとか、良いとか悪いの問題ではなく、単なるSNAKEPIPEの好みだからね。
それなのに何故だろう、1920年代や1930年代のアメリカやヨーロッパの写真となると、「カッコ良い!」と思い、更には「懐かしい」とまで思ってしまう。
これは以前SNAKEPIPE MUSEUMでStephen Shore について書いた時にも似たようなことを言ってるな。
一言で言ってしまうと「憧れ」になるのかもしれないね。

さて、今年は今回のブログが最終回ということになるんだね。
夏が長くて暑い日々が続いていたら、急に寒くなって。
あんまり師走だ、クリスマスだ、と感じないまま正月とは!トホホ。

今年もブログを一回も欠かさずに書き連ねることができて良かった!
来年もまたROCKHURRAHと二人で「次のブログはどうしようか?」と頭を抱えながら、何かしらの記事を書いていきたいと思っている。
ROCKHURRAHブログ・ファンの皆様!来年もよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年を!

ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅

20121104-top【府中市美術館前の看板を撮影。「夢に、デルヴォー。」ってコピーどうなの?】

SNAKEPIPE WROTE:

9月12日から11月11日まで府中市美術館でポール・デルヴォー展が開催されていることを教えてくれたのはROCKHURRAHだった。
ROCKHURRAHは以前よりデルヴォーのファンで、
「この展覧会には是非行きたい」
と強く希望。
そこで11月3日の文化の日らしく(?)デルヴォー展に出かけたのである。

それにしても…。
千葉県から府中に行くのって遠いんだよね。
ROCKHURRAHも、もちろんSNAKEPIPEも府中に行くのは初めてのこと。
府中で知ってることと言えば、競馬場と刑務所くらいのものか?
出かけた3日も府中競馬場ではレースが行われていたようで、府中近辺の人出は多かったみたいだね。

東京の西の地域は全体的にほとんど知らないんだけど、府中駅前を歩いてびっくり!
とても開けているし、道は広いし、伊勢丹まであるし!(笑)
住みやすそうな土地だな、と感じる。
I LOVE 千葉と言い続けてきたSNAKEPIPEだけど、それはもしかしたら単に他の土地を知らなかっただけ?
色々な選択肢があるんだな、ということをこの年齢になってやっと気付いたよ。(笑)

府中市美術館のHPには
「京王線府中駅からちゅうバスに乗って府中市美術館 下車すぐ 8番乗り場から、8時から毎時30分間隔で運行。運賃100円」
なんて書いてあるからすっかり信用していたけれど、このちゅうバスが曲者!
1時間に2本しかないと思って並んで待ってたのに、
「これは違う路線で美術館には行きません」
と運転手にあっさり言われてしまう。
ROCKHURRAHが再び検索してくれて、やっと武蔵小金井駅行きバスにて美術館に到着。
やっぱり初めての土地っていうのは難しいね。

府中市美術館は府中の森公園の中にある美術館で、緑の多いゆったりした空間が広がりとても気持ちが良い。
至る所にベンチが点在していて、市民の憩いの場といった感じね。
こんな公園が近くにあったら気軽に散歩が楽しめそう。
いいなあ、府中!(笑)

まずは簡単にポール・デルヴォーの略歴をまとめてみようか。
ポール・デルヴォーは1897年生まれのベルギーの画家である。
10歳の時にジュール・ヴェルヌの「地底旅行」を愛読し、13歳ではホメーロスの「オデュッセイア」を読む。
この読書体験が後のデルヴォーに強い影響を与えている。
22歳で美術アカデミー美術科に入学。
29歳の時にアンソールの影響を受ける。
おっ、先日出かけたアンソールの名前が出てくるなんて嬉しいね。(笑)
32歳で生涯の伴侶となるタムに出会うが、両親に反対され結婚を断念する。
そのタムとは18年後に再会し、なんとデルヴォーが55歳になってから結婚するんだよね。
ずーっとタムのことを考えていたようで、絵のモチーフにも繰り返しタムが出てくるところにデルヴォーの純粋さを感じたよ。
その愛情はタムが亡くなるまで続いていたようで、その死により絶筆したとのこと。
そしてデルヴォー本人はそれから6年後の1994年に96歳で死去。

それではポール・デルヴォー展についての感想をまとめてみようかな。
今回の展覧会は5章のチャプターに分かれて展示されていたので、その章ごとに追いかけてみよう。
わざわざ書くまでもなく、いつも通りじゃん。(笑)

第1章 写実主義と印象主義の影響
20121104-01デルヴォー初期の作品はほとんどが風景画で、当たり前だけどいわゆるデルヴォーらしさは確立されていない。
いかに見たままを絵にするか、を模索している様子は良く解ったよ。
そしてその後も繰り返し描かれるモチーフである蒸気機関車や駅もすでにこの頃に登場してるね。
若くして才能を認められただけあって、さすがに上手い絵が並んでいたよ。(笑)
上は「リュクサンブール駅」(1922年)という未完の作品である。
まだ下描きが残されている状態がアニメっぽっくて面白い。

第2章 表現主義の影響

ここではセザンヌ、モディリアーニ、アンソールなどに影響を受けた風景画が展示されている。
この頃から女性を描くことが多くなったのは、前述したタムというデルヴォーにとっての永遠の愛の対象と出会ったことに起因してるんだろうね。

第3章 シュルレアリスムの影響
20121104-02ポール・デルヴォーの作品はシュルレアリスムに分類されることが多いけれども、シュルレアリスムと一括りにするだけでは真の理解は得られない、と図録に書かれている。
SNAKEPIPEも大好きな画家、デ・キリコの作品との出会いからシュルレアリスム的要素が表れたとのこと。
このチャプターからデルヴォーらしい作品が展示されていて、第2章とは全く違う雰囲気に驚かされる。

このチャプターで非常に気に入ったのが「レースの行列に基づく舞台装置の習作」(1960年)というタイトルの作品である。
確かにデ・キリコの影響を受けている様子が解るよね。
墨と淡彩で描かれていて、モノクロームの世界も素敵!
デルヴォーの作品によく出てくる背景が、荒地とでもいうのか石がゴロゴロしている空き地みたいな空間。
上の作品にも両サイドに描かれていて、SNAKEPIPEはその背景に目を奪われたよ。
ガランとした風景は大好きだからね!(笑)

第4章 ポール・デルヴォーの世界
20121104_03上の作品は「エペソスの集いII」(1973年)である。
デルヴォーに特徴的なモチーフがふんだんに使用された、幻想的な作品だよね。
奥にギリシア・ローマ建築、真ん中にはトラム(路面電車)、そしてアーモンド型の目を持つドレスを纏った女性達、裸体。
ギリシア・ローマ建築は少年時代に愛読したホメーロスから、トラムは駅長になりたかったほど少年時代から魅了された列車への興味、そしてアーモンド型の目を持つ女性はデルヴォーの愛の対象であるタムからの影響、とのことである。
ずっと好きなものを想い続け、それを自身の画風とするところは、日本で言えば横尾忠則みたいだよね。

古代建築と列車が同居していて時代錯誤なこと、夜の場面みたいだけど女性には光が当たって時間の観念が欠落していること、女性しか存在していない世界、といったあらゆる矛盾点が何の違和感もなく描かれているのがシュルレアリスムとして分類される所以なのかもしれないね?
この世界観はデルヴォーならではの独特の雰囲気。
女性の目にほとんど光がなく、まるで人形のように見えるのも不思議な魅力だよね。
デルヴォーはモデルとして採用していた女性も長い間ずっと画家とモデルとして関係を続けていた、と書かれていた。
デルヴォーのキーワードは「長期間」なのかもしれない。

第5章 旅の終わり

デルヴォー80歳代にして、視力の低下という深刻な事態に陥ってしまう。
1986年に最後の油彩「カリュプソー」を描いた後、前述したように最愛の妻タムの死により絶筆してしまう。
20代から91歳で絶筆までのおよそ70年間、デルヴォーが描き続けていたとは驚きである。
もしタムが存命していたら、恐らく絶筆の時期も違ってきたんだろうね。
そして1940年代にはすっかり完成していた、いわゆる「デルヴォー式」とでも名付けたくなる、あの定番モチーフを使用した絵画群を、その後も執拗に描き、膨大な数の作品を仕上げていることにも驚かされる。

Wikipediaでデルヴォーと検索してみると、姫路市立美術館にはデルヴォー作品139点が所蔵されていると書かれている。
エルンスト展を鑑賞した横浜美術館にも18点のデルヴォー作品があるそうだ。
ベルギーにはもちろんポール・デルヴォー美術館があるので、一体全作品数がどれくらいあるのか不明なほどの量産型の画家といえるだろうね。
「思うような成果を達成できない、といつも感じていた」
と語るデルヴォーだからこそできた偉業なんだろうね。

「詩情と夢の画家」と評されるデルヴォーの魅力を知ることができた、とても良い展覧会だったと思う。
「~主義」や「~派」のような分類には、評論家じゃないSNAKEPIPEは興味を持っていない。
鑑賞して何かを感じることができたら、ただそれだけで嬉しくなってしまうのだ。
デルヴォーの絵画は、矛盾点の発見の面白さや全体として鑑賞した時には調和の美しさにまず目を引かれる。
そしてクローズアップと遠景など、フォーカスの当て方によって違った物語を作ることができるから、一粒で二度おいしいって寸法ね。
夢想家でなくても長い間、魅入られたようにじっくり鑑賞すること間違いなしだろうね!(笑)

先日鑑賞したジェームス・アンソールもデルヴォーと同じベルギーの画家で、益々ベルギーへの興味を持ったよ。
他の国にもまだきっと好きなアーティストいるんだろうね。
次の出会いがとても楽しみだ。