SNAKEPIPE MUSEUM #05 Stephen Shore

【この風景を懐かしいと感じてしまうSNAKEPIPEはアメリカ人か?(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

今回のSNAKEPIPE MUSEUMは「ニュー・カラー」の写真家として有名なスティーブン・ショアーを取り上げてみたいと思う。

スティーブン・ショアーは1947年ニューヨーク生まれのアメリカ人。
6歳で写真の暗室作業を始め、17歳の時にはアンディ・ウォーホルのスタジオ「ファクトリー」でたむろする人物を撮っていた、というから非常に恵まれた環境にお育ちで!(笑)
1972年頃より4×5や8×10の大型カメラで「ロード・ムービー」ならぬ「ロード・フォト」(というのか)を展開、アメリカやカナダの風景をカラーで撮影している写真家である。

実を言うとSNAKEPIPEは特別ショアーに思い入れがあるわけでもなく、写真集も所持していなければ写真展を観たこともないんだな。(笑)
たまに頭の中にフッと浮かんでは消える写真の中にショアーの色があるのだ。
そう、ショアーの写真の特徴の一つが色。
一番初めにニュー・カラーの写真家と書いたように、独特の色使いをする。
フィルターを使ってやや赤味を強めているために、それが昔っぽいなんとも懐かしい雰囲気を醸し出す。

そしてもう一つの特徴は「空っぽ」。
上の写真には人と犬が写っているけれど、景色の中に溶け込んでいるため存在感は薄い。
どことなく寂寥感があり胸がしめつけられるような感じがする。
あの時のあの空気、あの匂いを一瞬にして思い出させるような。
子供の頃にタイムワープする感覚に近いのかもしれない。
なんとも甘酸っぱくて、せつないよねえ。

ロバート・フランクの有名な写真に、まっすぐに伸びる道路を縦位置で切り取った作品がある。
あれは確かジャック・ケルアックの小説「路上」に使われていたような。
あの写真が撮影されたのが1955年らしいので、アメリカ人っていうのは50年代から「ロード」系が好みなんだね。
ケルアックの小説が1957年。
アメリカ大陸は広いから「放浪」とか「横断」が可能だし、車で行かれるとこまで行ってみようや!なんて若者文化が発生するのも納得。
日本ではロードムービーって難しいもんね。(笑)

ノーマンズランド (no man’s land)という言葉がある。
これは実際にオクラホマにある土地の名前だったり、軍事用語だったり、映画のタイトルにも使用されているようだけど、SNAKEPIPEが使いたいのは言葉通りの意味合いね。
人がいない、荒涼とした場所。
だだっ広くて、ずっと先のほうまで見通せる、歩いても歩いても変化のない風景。
人がいた気配はあるけれども、全く姿を見かけない。
ヴィム・ヴェンダースの作品「パリ・テキサス」の中に似た場面があることを思い出す。
SNAKEPIPEにはそんな寂しい土地への憧れがある。
そこで写真を撮ってみたい、とも思う。
その憧れを体験したのがショアーなんだろうね。(笑)

絶版となっていたショアーの写真集が手に入るらしい!
お値段的にも手が出せないほどではないからGETしたいな。
アメリカ人のノスタルジア。
ちょっとおセンチで感傷的な「アメリカ人の孤独」を垣間見ることができるような気がするからね。

SNAKEPIPE MUSEUM #04 Cindy Sherman

【どんな役でも成り切っちゃう!デ・ニーロ顔負けのシンディ・シャーマン】

SNAKEPIPE WROTE:

ジム・ジャームッシュ
監督の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(原題:Stranger Than Paradise)という80年代に大ヒットした映画がある。
当時には珍しくモノクローム映像、お洒落系としてもてはやされた。
SNAKEPIPEも当時観たはずだけれど、特別な事件が起こるわけでもなく淡々とした時間の流れに退屈してしまった。

当時仲良くしていた映画好きの年長の女性は
「ストレンジャー・ザン・パラダイスは写真集を観る感覚でずっと部屋に流しておきたいくらい素敵」
と評価しているのを聞きびっくりした。
なんであんなに退屈な映画を?と思ったからだ。
それからかなり後になって父親(写真家)から似た話を聞くことがあった。
「ストレンジャー・ザン・パラダイスはロバート・フランクなんだよ」
この時には既に写真を始めていたSNAKEPIPEなので、父親が言わんとすることが解った。
ロバート・フランクは「アメリカ人」という写真集が有名な、後の写真家に多大な影響を与えた大御所の写真家!
納得したSNAKEPIPEはもう一度あの映画を鑑賞してみた。
そしてやっと当時の年長の女性の言葉と父親のロバート・フランク発言を理解することができたのである。

ストレンジャー・ザン・パラダイスは、全てのシーンが一枚写真として完成している、言うなれば連続スチール写真映画だったんだ!
写真集を観ている感覚という言葉が大正解、と気付かされたのである。
一枚でバッチリ決まる写真を連続させて映画を作るという大胆な試みを成功させたジャームッシュ。
そしてこれから紹介するのはジャームッシュを逆転させた手法を使った写真家なのである。

シンディ・シャーマンの写真を初めて目にしたのはいつだったろうか。
やっぱり「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の時期と同じくらいだったのかもしれない。
映画の中のワンシーンをシンディが自作自演で撮影するシリーズは衝撃的だった。
映画の中のひとコマを作る写真、ということでジャームッシュとは逆なのである。
例えば上の写真は怯えた表情と暗闇の表現から恐らく恐怖映画をイメージしてるんだろうな、と想像する。
何者かの気配を感じ取り、これからどうしたらいいのか様子を伺っている感じ。
そして学生服のように見えるので、少女を設定しているようである。
他の写真でも様々な人物に成り切り、いろんな映画のワンシーンを演じるシンディ。
全部の写真が同一人物とは思えないほどの変貌ぶりに驚かされる。

変身願望や自己愛が強いのか。
当時はあまり使われなかったと思うけど、いわゆる「コスプレ」好きとも言えるよね。(笑)
映画のあの人の役をやってみたい、というような。
SNAKEPIPEはあまり深く意味を考えなかったけど、写真そのものがとても好きだった。
元々スチール写真が好きだから余計にね。
調べてみるとどうやらかなり思想を持った写真だったようで、写真家というよりは現代アートとして分類されるのかもしれない。
非常に詳しい説明はこちらの評論家の方には負けちゃうのでSNAKEPIPEが今更どうこう言うまでもないね。(笑)

現代美術館で開催されたシンディ・シャーマン展を観に行ったのが1996年とは。
もうすでに14年も前だったのね。(とほほ)
上述のスチール写真のシリーズの次には死体を演じ、その次にはもう自分自身ではなく人形を使った写真へと移っていた。
そしてその人形も更に解体されて行き、物(ぶつ)化していく。
どんどん壊れていってるなあ、と感じた。
ここまでくると「性」の問題ではなくて「生」とか「死」になってくるのかもしれないね。

2003年の木村伊兵衛賞を受賞した澤田知子もシンディ・シャーマンと同じ手法を使っていたなあ。
本人がいろんな役に成り切るってことでね。
シンディがシリアス写真だとすると澤田知子はさすが関西出身、「お笑い系」だったけどね。(笑)
20年以上経ってもまだまだ影響力大のシンディなんだね。

その後のシンディ・シャーマンの活動については不明だけれど、作品がかなり人気で高額らしいのできっと今頃はお金持ちなんだろうな。(笑)
物となった肉体の次の世界をどう表現していくのか。
こうなったらもう輪廻転生しかないかも?!
スペルは違うけど、名前からしてシャーマン(祈祷師)だしね!

SNAKEPIPE MUSEUM #03 Giorgio de Chirico

【この場所に行ってみたい!塔の中に入ってみたい!】

SNAKEPIPE WROTE:

今回のSNAKEPIPE MUSEUMはイタリア人の画家キリコを取り上げてみよう。
とは言っても、別に批評家の真似事をしたいわけではないので軽く感想をまとめるってことだけどね!

キリコのイタリア広場を描いた作品は、全部というわけではないけれどシンメトリー構造になっていることが多い。
これは恐らく意図的に作られた構図なんだろうし、キリコの好みなんだろうね。
その左右対称具合がなんとも心地良く感じられる。
そしてイタリアならではの色使い。
オレンジ系の配色が得意なのかな。
上の絵はかなり影の部分が広く、イタリアンカラーは控え気味になっているけれどやっぱりオレンジ系から派生した色になっている。
空の色とのバランスも素晴らしいよね!

そしてなんといっても上の絵の最大の魅力は中央にある建物だろう。
小さな窓、そして右に見える戸口。
先端のギザギザした王冠みたいな部分。
廃墟好きのSNAKEPIPEには、全てがヨダレが出るほど好みである。
一体何のための塔なんだろう。
中で何が行われてるんだろう、と想像するだけでワクワクする。

キリコは風景画だけじゃなくて人形(マネキンとかトルソー)もたくさん描いていて、それらの作品も大変魅力的!
ただこのブログに書きたいと思ったのはやっぱり風景の絵だったんだよね。
何故ならキリコの風景画は写真的だから。
SNAKEPIPEもこの広場にいたらシャッター切りまくると思う。
ここまで下の影の部分を入れるかどうかは不明だけどね。
多分塔に興味があるからどんどん近づいて撮るだろうね。
写真の場合は特に光と影に関心を持つと思うけど(そうじゃないと撮れないし)、ここまで影に情熱を傾けて描く画家って少ないんじゃないかな。
そうね、「キリコはオレンジと影の画家」って言い切っちゃってもいいか。
オレンジ色の憎いヤツ、ね。(古い)

何年か前にROCKHURRAHと出かけた「デ・キリコ展」、確か移転前の東京大丸だったかな。
あまりキリコを知らないと言っていたROCKHURRAHも「面白い!」と大絶賛。
絵画だけじゃなくてキリコの絵でおなじみの騎士がブロンズ像になっているものも展示されていて、
「ウチに欲しいよね」
と話したのを思い出す。
当然のことながら図録とポストカードも購入してホクホクしながら帰ったっけ。(笑)
キリコは構図、色使い、テーマと全てにおいてバランス感覚に優れた画家なんだな、と再認識したあの時。
理屈じゃなくて感覚で大好きだな!
またどこかでキリコ展あったら観にいきたいと思う。

SNAKEPIPE MUSEUM #02 Bernard Faucon

【キャンプ?焚き火?まさか山火事?!】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPE MUSEUM第2弾はベルナール・フォコン
その昔は「フォーコン」と書いてあったような気がするけど、表記変わること多いもんね。(笑)
SNAKEPIPEは昔覚えた通りにフォーコンとして書いていこうかな。

「もう一度観たい」写真は数多くあるけれど、できれば写真集も欲しかったと思う写真家の一人がフォーコンである。
少年マネキン人形のシリーズを初めて観た時にすっかりファンになってしまった。
というよりそのシリーズ以外をほとんど知らないSNAKEPIPE。
ご本人のHPにまだまだ現役で活動されている情報が載っていて、びっくり!
もうマネキンシリーズはとっくにやめてる模様なので、SNAKEPIPEが知ってるのはフォーコンのほんの初期だけみたいね。

「サマー・キャンプ」と題された少年マネキンシリーズは6×6でスナップショットっぽく撮影されたコンストラクテッド・フォト、いわゆる「作りこみ」写真である。
あの少年の日の夏休みのこと。
みんなでキャンプに行ったっけ。
いたずらで点けた火が思いのほか大きくなっちゃって、慌てて手を離したら周りの草を焼いちゃって。
いつもは怒るキャプテンも、何故だか大喜びで歓声を上げてる。
みんなの顔が輝いて見えたのが不思議だった・・・。

SNAKEPIPEがお話を作るとどうも「どっかで聞いたような」オリジナリティのないものになるから要注意だ。(笑)
「陳腐だ」といつもROCKHURRAHから言われてるしね!
ま、創作話はいいとして。

「ぼくのなつやすみ」というゲームソフトのCFを観たのはいつだったろうか。
調べてみるとどうやら1975年に9歳という設定、ということは現在の40代をターゲットにしたゲームのようである。
そうそうセミを捕ったな、川で泳いだな、なんて感じの「昔を懐かしむ」追体験ゲームなのかな。
観たこともやったこともないので憶測で書いてしまって申し訳ないんだけど、この感覚とフォーコンの写真世界が少しだけ似ているような気がしている。

少年時代の良い思い出も悪い思い出も、今となっては二度と体験できない記憶の中にだけ存在するものである。
郷愁は甘酸っぱさよりも、涙の塩辛さやほろ苦さを強く感じる。
少年時代はもう戻らないんだよね。
そして思い出はずっとフレームに固定されたまま変化することはない。
なんだかちょっと物悲しいね。
ちょっとおセンチになっちゃう。(ぐっすん)

それにしてもフォーコンは一体今まで何体のマネキン人形を所持していたんだろう?
写真で観ているだけでも顔やスタイルの違うマネキンが相当数いるよ。
外国にはこんなにたくさんの種類のマネキン人形がいるんだなあ、と違う感心をしてしまう。
そしてそのマネキン達の衣装を揃えるだけでもかなり大変だっただろうな、と余計な心配までしてしまったSNAKEPIPEである。