ビザール・ショッピングバッグ選手権!16回戦

【デ・ラ・ソウルの「Shopping Bags」】

SNAKEPIPE WROTE:

昔はよく電車の中で見かけた、ティファニーのショッピングバッグ。
水色が変色してボロボロになっているのに、後生大事に持ち歩いている女性を何人も見たものだ。
「私、ティファニーで買い物したんだから!」
と誇示したかったんだろうね。
確かにお洒落なショッピングバッグだと、包んでもらって渡されると嬉しいし、そのまま取っておくことも多い。
SNAKEPIPEは紙袋を持ち歩く習慣はないので、ボロボロになるまで使うことはないけど。(笑)
ショップで使用するお店専用の袋は、たいていの場合その店のロゴが入っていて、持っているだけでステイタスを感じる場合もあるだろうね。
前述したティファニーみたいに。
以前はファッション業界について多少の知識はあったけれど、最近はすっかり疎くなっているので、トレンドについてもほとんど知らない。
当然ながらショップの袋も分からないなあ。

世界のビザールな逸品をご紹介する「ビザール・グッズ選手権」、 今回はショップで使用するショッピングバッグについて特集してみたいと思う。
今どきについては分からなくても、ビザールには興味あるからね!(笑)

海外のショッピングバッグはユニークなタイプが多いね。
 では最初は持ち手を工夫したデザインから見ていこうか。
「FITNESS COMPANY」とロゴが入っているので、フィットネス関連の会社だと予想できるよね。(当たり前か)
持ち手がバーベルになっていて、それを軽々と持ち上げているように見えるところがポイント!
会社(ショップ)の特性を前面に打ち出した秀逸なデザインだと思うね。
このショッピングバッグの素材が紙なのか、ビニールなのかは不明。
そして何かフィットネス用品を購入した際に渡されるのか、通っている人用のバッグなのかも分からないけど、ちょっと欲しくなってしまうね。(笑)

 こちらも持つことで生きるデザインね。
うひゃー、輸血しながら歩いているなんて!
と勘違いしてしまうよね、これは。(笑)
「VOLUNTEERS NEEDED」と書いてあるので、「ボランティア募集」だね。
献血の呼びかけということなのかもしれないね?
ということは、輸血じゃなくて血が抜かれてる状態を表しているのかも?(笑)
献血とデザインが見事に融合されていて、こちらも良いね!
SNAKEPIPEは貧血気味なので、 今まで一度も献血したことないけど、こんなバッグもらえるならやってみたいね!

 持ち手を上手に使ったこちらはいかが?
一番初めに紹介したフィットネスクラブに通じる縄跳びのヒモを持ち手にしたショッピングバッグね!
下がっていても、上がっても絵になるところがポイント。
YKMと書いてあるので調べてみると、商品デザインやWEBデザイン、アプリの開発などを行っている会社みたいだね。
なるほど、そんな会社なら抜群のセンスで人目を引くショッピングバッグ作れるよね!
さすがだな、と感心しちゃうよ。(笑)

 同じようにヒモがポイントになっているけれど、かなりブラックな印象のショッピングバッグもあったよ!
眠っているようなおじいさんのポートレートがプリントされているだけなら、そんなに不思議じゃないけど?
なんと持ち手を引っ張ると!
おじいさんの首にロープがかかってしまうんだよね。(笑)
このショッピングバッグにはロゴが見当たらないので、詳細は不明。
おじいさんの顔が安らかなところが救いかな。(笑)
もしおじいさんが悶絶の表情だったら、犯罪めいて怖いもんね!

 ギョッとしちゃうショッピングバッグもあったよ!
えっ、そんな見せちゃって良いの?
と思わず目を疑ってしまうほどリアルな女性の下半身がプリントされているよね。
この写真は狙って撮影されたに違いないから、ぴったりバッチリな位置にバッグを抱えているから余計にドギマギしちゃう。
写真が小さくてどのショップで使用しているのかを探すことができないのが残念!
日本では見かけないセンスだよね。
目立つことは間違いないなし!
お店の宣伝にはもってこいだけど、持つ人はちょっと恥ずかしいかも?

今回紹介した5つとも、どれも一捻りしてあって面白いデザインだったよね!
無地にお店のロゴだけ入ったシンプルなショッピングバッグが主流だけど、せっかくなら個性をアピールして、ショッピングバッグ目当てのお客さんが来るくらいのデザインにしても良いのでは?
きっと世界には他にも面白いショッピングバッグあるだろうね。
また特集してみたいと思う。

野又穫 展 「Ghost」浮遊する都市の残像 鑑賞

【展覧会告知ポスターを撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

かつて新宿で働いていた時、週に1度は必ず青山ブックセンターに立ち寄り、日本の写真家や読み方も分からないような外国のアーティストの画集や写真集を鑑賞していたSNAKEPIPE。
どうしても自分の物にしたい時には、値段に関係なく購入することにしていた。
食事よりも写真集が大事だったんだよね!
ある時、ふと目に止まったのが左の画集。
表紙に全く日本語が書かれていないので、恐らく外国のアーティストだと勘違いして観ていたはずだ。
ページをめくるうちに手が震え、心臓がバクバクしてきたことを覚えている。
何故なら、その画集にはSNAKEPIPEが撮りたいと思っている景色や建築物がそのまま表現されていたから!
最後のページまで鑑賞し、その作者が日本人と判り驚いた。
よくよく見れば、「のまた」と書いてあるじゃないの。(笑)
もう居ても立ってもいられない!
値段もちゃんと確認しないままレジに向かい、画集を購入したのである。
自分でもどうしてなのか分からないけど、ものすごく急いで帰宅し、慌ててもう一度鑑賞したっけ。
画集や写真集を購入したからといって、作品が自分の物になるわけじゃないけど、いつでも手に取って鑑賞できる安心感が重要だったんだね。

そんな衝撃的な出会いをしたアーティストの展覧会が「二人のホドロフスキー 愛の結晶展 鑑賞」で初めて行ったアツコバルーで開催されている。
野又穫 展 「Ghost」浮遊する都市の残像をとても楽しみにしていたSNAKEPIPE。
友人Mと待ち合わせ、ROCKHURRAHも加わった例の怪しい3人組、再びアツコバルーに参上である。(笑)
前回お邪魔した際に、写真撮影やブログへの掲載も快く承諾して頂いたアツコバルーの美人さんと入り口でバッタリ!
美人さん、相変わらずキュート、お会いできて嬉しいわ。
怪しい3人組を覚えていてくれたようで良かった。(笑)

ここで簡単に野又穣氏のプロフィールをご紹介してみようか。

1955年  目黒区の染物屋に生まれる
1975年  東京芸術大学美術学部入学。形成デザインを専攻
1978年  安宅賞受賞
1979年  東京芸術大学美術学部デザイン科卒業 マッキャンエリクソン博報堂へ入社
1984年  マッキャンエリクソン博報堂を退職し独立
1995年  第45回(平成6年度)芸術選奨新人賞美術部門受賞(文化庁)
2007年  第17回(平成18年度)タカシマヤ美術賞受賞
2014年  女子美術大学芸術学部デザイン・工芸学科ヴィジュアルデザイン      専攻教授

なんとも華々しい経歴だよね!
芸大から広告業界にいたとは知らなかった。
やっぱりその辺りが日本人離れしたセンスの良さと関係あるんだろうね。

「Ghost 浮遊する都市の残像」展会場に入ると、先客が数人いたけれど、ゆっくり自分の好きなペースで観ることができた。
アツコバルーの室内は天井にパイプが這っているインダストリアルな雰囲気なので、野又穣氏の作品を展示するのにピッタリね!
作品に近付いてみると、筆の跡がわかる。
でも少し離れてみると、スーパーリアリズムのように精緻な作品にみえるところが不思議!
印刷物になると更に「まるで写真」にみえてしまうんだよね。(笑)

野又穣氏の作品は、どれも「行ってみたい」とか「目の前に立ってみたい」と思ってしまう建築物が描かれている。
非常に気になる階段や、小さな窓やドア。
SNAKEPIPE MUSEUM #3 Giorgio de Chirico」で書いた大好きな画家、デ・キリコに通じるシンメトリー構図。

 一体何のための塔なんだろう。
中で何が行われてるんだろう、
と想像するだけでワクワクする。

デ・キリコの建物に対しての感想を書いているけれど、野又穣氏の作品にも同じ感想を持ってしまうね。

ひと通り鑑賞し、飲み物を頂きながら野又穣氏の画集を観て談笑していると、アツコバルーの美人さんが話しかけてくれた。
そして教えてもらったのが、今回の展覧会の作品はほとんどが2014年制作だということ。
30点以上の作品が今年描かれているとは、そのスピードに驚いてしまうね!
更にテーマが渋谷だということも教えて頂いた。
もちろん渋谷そのものを描いているのではなくて、野又穣氏の空想としての渋谷という意味でね!
SNAKEPIPEが疑問に感じていた「動物」についても簡潔に答えて頂いて、大笑いしてしまったよ!
まさかそんな意味だったとはね!(笑)

今まではアクリル絵の具を使っていたけれど、「Ghost」では油絵だったというのも教えて頂いた。
「油絵、良いねえ」
と芸大出身の野又穣氏が言っていたというからビックリだよね。(笑)
展示作品はどれもカッコ良くて美しかったけれど、SNAKEPIPEが非常に気になったのは、野又穣氏が朝日新聞に連載しているというドローイング!
上の画像は今回の展覧会にはなかった作品だけど、鉛筆で描かれてるんだよね。
色鉛筆で着色されている作品もあって、身近な道具でこんなに素敵な絵を生み出せるなんて!
嫉妬してしまうよね、この才能!(笑)

 帰宅後、かつて写真撮影に夢中になっていた頃の自分の写真を引っ張りだしてみた。
左の写真は写真学校に通っていた頃に撮った一枚で、モノクロームのフィルムを使っていた写真をデジタル化したもの。
現像も焼き付けも自分でやっていた。
フィルムの魅力はたくさんあるけれど、現像してみないと何が写っているのか分からないドキドキ感があったことが一番かな。
左の写真は撮影している時から興奮していたけれど、現像して焼き付けてからも嬉しかった記憶がある。
この写真、ちょっと野又穣氏の作品っぽいよね?(笑)
こんな風景を追い求めて休日の度に撮影していたあの頃。
SNAKEPIPEも若かったねえ。(笑)

アツコバルーの美人さんが教えてくれた情報に、野又穣氏が震災によって意識が変化した話がある。
震災前は建築物というのがどっしり構えていて揺るぎないものと思っていたけれど、震災によって認識が変わったというのだ。
地震による津波で今まであった物全てが簡単に流され、崩壊してしまったことは日本人なら誰もが知っている事実だからね。
そのため「Ghost」では、モヤがかかっているように浮遊しているのだという。
確かにSNAKEPIPEが観てきた野又穣氏の作品は、全ての建物がしっかり地に建っていたから、その違いは大きいよね。

2012年に大好きな写真家畠山直哉氏の写真展「Natural Stories」を鑑賞したけれど、畠山直哉氏自身が震災に遭っているために、観ていて辛くなる写真が並んでいたことを思い出す。
鑑賞した写真展や展覧会は記録の意味もあって、ブログに残すことにしているSNAKEPIPEが「書けない」と感じてしまった唯一の展覧会なんだよね。
崩壊の美学とでも言ったら良いのか。
畠山直哉氏の写真も日本人離れした感性と抜群の色や構図で、SNAKEPIPEを魅了した作品を数多く発表してきた写真家だったのに、震災の影響でその感性に変化が生じたようで非常に残念に思っている。
そして実はSNAKEPIPEも、崩れていく様や廃墟に魅了されていたのに、震災後にその美を疑うようになってしまったのである。
今でも大好きな崩壊や廃墟だけど、 同時にあの時の映像や記憶が蘇ってきてしまう。
自分の身内も友人の誰一人も被害に遭っていないのに、である。

SNAKEPIPEには3月11日が誕生日の友人がいて、毎年「おめでとう」を言うのが習慣になっている。
2012年に「おめでとう」を言うと
「この日のおめでとうは言いづらいでしょ?でもね、私は再生の日と考えることにしたから、ありがとうと言うね」
と答えてくれた。

野又穣氏は認識の揺らぎを見事に昇華し、表現しているんだと感じた。
きっとSNAKEPIPEの友人と同じように、自分の中で震災の折り合いがついているんだろうね。
画集でしか観ていなかったアーティストの作品を肉眼で観ることができて、本当に嬉しかったな!
アツコバルー、面白そうな企画がこれからもあるので、また行ってみたいと思う。
今回もまた撮影許可して頂いてありがとうございました!
アート談義、とても楽しかったです。(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #29 Wangechi Mutu

【「Riding Death in My Sleep」2002年の作品】

SNAKEPIPE WROTE:

今回のSNAKEPIPE MUSEUMはアフリカのケニア出身のアーティストをご紹介してみよう。
アフリカ系といえば「SNAKEPIPE MUSEUM #19 Kendell Geers」で特集したのが南アフリカのケンデル・ギアーズがいたっけ。
恐らく日本で開催される現代アート展では、アフリカ大陸からの作品を目にすることは少ないと思う。
そして自分の好みのアーティストに出会える確率も非常に小さいよね。
Wangechi Mutuの作品に出会った瞬間、ハッとした。
色使いも構図もモチーフも、とても新鮮に感じたのである。
調べてから初めて、ケニア出身の女性だと解り驚いた。

ワンゲチ・ムトゥは1972年ケニアのナイロビ生まれ。
現在はニューヨークのブルックリンに住んでいるという。
どうしてもケニアと聞くと、広大なサバンナと野生動物を思い浮かべてしまうけれど、ナイロビのロレト修道院で教育を受けた後にはウェールズのユナイテッド・ワールド・カレッジで学んだというから、10代でイギリスに渡ってるのね。
1990年代にはニューヨークに移り、エール大学を卒業したのが2000年とのこと。
ずっと社会研究やアートと科学について勉強していたというから、最初に書いた「広大なサバンナ」のイメージとは大きく異なっているようだね。

作品もアメリカ、イギリス、ドイツ、モスクワなど、世界各国で展示されているようで、どうやら2006年には森美術館で「アフリカ・リミックス展」として開催された展覧会にも参加していたことを今更ながら知ったSNAKEPIPE。
さすが、森美術館は早いね!(笑)

ワンゲチ・ムトゥがどんな女性なのか気になって画像検索してみたら、あらまびっくり!
ファッショナブルで知的な美女だったの!
ダイアナ・ロス(左)に似てると思ったんだけど。
右がワンゲチ・ムトゥなのね。
どお?似てない?(笑)

ワンゲチ・ムトゥの作品は、ネット上で見ていると判り辛いんだけど、描いている部分に写真を組み合わせたコラージュがほとんどなんだよね。
SNAKEPIPEも現物を見ていないのでハッキリ言い切れないんだけど、拡大して見ると明らかに写真が使われているのが判る。
左は「Family Tree」(2012年)というコラージュ作品。
例えば手だったり、目の部分に写真が使用されているよね。
SNAKEPIPE MUSEUM #22 Hannah Höch」で特集したダダの女流アーティストであるハンナ・ヘッヒもフォト・モンタージュで素晴らしい作品を完成させていたよね!

フォト・モンタージュをマネして作ってみようと
思った場合、今だったらフォトショップなどを使用して、
レイヤーを部分的に消したり、重ねたりすれば
なんとなくそれらしいものは作れるだろう。
表面的な技法を取り入れることは可能なんだけれど、
ハンナ・ヘッヒが作っていたような作品とは
まるで違うものになってしまうのがオチだ。

とSNAKEPIPEは書いている。
その時代の空気感を纏い、情熱の持ち方が作品に反映され、重要なエッセンスになっていたのではないか、とも続けて書いていて、もうあんな作品を作ることなんて不可能だろうと思っていたんだよね。
ところが、ワンゲチ・ムトゥは最近の雑誌から切り抜いた写真を使用して、上のような作品を制作しているというから驚いちゃうよね!
ワンゲチ・ムトゥにはダダの影響もあるのかもね?

ケニア・ナイロビをあえて前面に打ち出しているような作品もある。
「Misguided Little Unforgivable Hierarchies」
(2005年)は直訳すると「小さな許しがたい階層の間違った指導」になるのかな?
訳が難しいんだけど、なんとなく言いたいことは判るよね?
人種問題、性差別問題、奴隷制の問題など、恐らくワンゲチ・ムトゥは差別についての問題を作品に含ませているんだろうね。
モチーフに女性を多様していることからも、自らが女性であり、アフリカ系であるということで訴えたいことがあるんだろうなと予想する。
ただしSNAKEPIPEは、 そういった主義主張について理解したいわけではなくて、作品を観て「好き!」と思った、ということを一番に考えているので、あんまり作品やタイトルについて調べなくても良いのかもしれないなあ。

アフリカっぽさだけじゃなくて、アジアを感じる作品もあるんだよね。
「The Bride Who Married a Camel’s Head」(2009年) は「駱駝頭と結婚した花嫁」と訳して良いのかしら?
花嫁といっても、ちっとも晴々しくなくて、手には何やら血飛沫が上がった物体があるし、花嫁の肌色もどす黒いし、髪の毛は蛇だし。
グロテスクで禍々しい雰囲気が素晴らしい!
背景の空間の使い方が秀逸で惹かれてしまうね。
パッと観た時にはヒンドゥー教の絵なのかと思ってしまったSNAKEPIPE。
他に思い出したのはワヤン・クリッ(Wayang Kulit) の人形かな。
ワヤン・クリッとはインドネシアのジャワ島やバリ島で行われる、人形を用いた伝統的な影絵芝居のこと。
そこで使われている人形に上の作品が似ているように感じたけれど、どうだろう?

ワンゲチ・ムトゥは、コラージュ作品だけではなく、彫刻やビデオ作品も手がけている。

「The End of eating Everything」(2013年)を観ることができるので載せてみようか。
現代アートのビデオ作品には、意味不明のものが多いので敬遠しがちだけど、この作品は時間も長くなくてストーリーもあって判り易かった。
ちなみに出演している女性はワンゲチ・ムトゥ本人ではないみたいよ。

ワンゲチ・ムトゥの特徴であり最大の魅力は異種混同。
それは人間と動物のハイブリッドだったり、機械と人の融合や土着的な題材と現代的な題材のミクスチャーだったり。
大陸や人種、宗教までもミックスされている面白さがある。
だからこそ国や人種の違いを超えて、どこかに懐かしさを感じるのかもしれないね。
観たことがあるような、初めて観るアート。
また森美術館でワンゲチ・ムトゥ展、企画してくれないかしら?(笑)

アフリカ大陸はまだまだ未知なので、これからも探索してみたいよね。
他の国のアーティストももっと調べていきたいな!

誰がCOVERやねん4

【今回はひねりのない直球。扉絵もシンプルに手抜き】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAHが勝手に「過去の企画、再発掘」というような感じで、ピッタリと途絶えてしまったシリーズ記事を再び書こうとしているのは本人以外誰も気にも留めてない事と思う。

この「誰がCOVERやねん」のシリーズも1年くらいは書いてないなあ。
ブログ自体をそんなに書いてないから時の経つのもあっという間だよ。
最近はなぜかとても忙しくて、週末に頭を使う気力さえ出てこない始末。
もっとゆったり出来る時間があれば少しは何か出てくるのかも知れないが、本人の気質とは裏腹にあくせく毎日駆けずり回ってる。

さて、今回のテーマは特に決めてないけど、それでよろしいか?
この企画の当初は単に目に止まったカヴァー・ヴァージョンの曲を羅列して簡単なコメントを書くだけというシンプルなものだった。
しかし3回目くらいから飽きてきて少し趣向を凝らすようになったのが敗因。
色んな括りに自分でがんじがらめになってしまい、書くのが非常に難しくなってしまったのだ。
週末に頭を使う気力さえ出てこないのに難しいのは困る。
元来、ひねりすぎの傾向にあるROCKHURRAH、今日は久々に直球で行かせてもらおう。
曲も割とシンプルなのを選んだよ。
ちなみに今はじめて当ブログを読み始めた人にはわからないだろうが、ずっといつまでも70〜80年代のパンク、ニュー・ウェイブがメインの記事を書いてるから選曲見て「いつの時代?」とか思わないように。

Ca Plane Pour Moi / Sonic Youth

この曲は色んなところで使われているから知ってる人も多かろうが、ベルギーの70年代パンク・バンド、プラスティック・ベルトランがオリジナルだ。
元々はハブル・バブルというポップなパンク・バンドだったがプラスティック・ベルトラン名義のこの曲が奇跡の大ヒット。
ROCKHURRAHのブログでも何回も書き続けているね。

例えばパンクの代名詞、セックス・ピストルズやクラッシュやダムドなんかが、遊んでても超自然的な力で勝手にメジャーになったとは誰も思わない。目に見えないところで作曲者も演奏者も歌い手も何らかの努力はしてるのが当たり前だろう。
このプラスティック・ベルトランももちろん、どこか陰で努力してるのには違いなかろうが、そんな片鱗もぜーんぜん見せないところが素晴らしい。
ソロ・アーティストなのかバンドなのかもよくわからないが、全盛期にはバンド・メンバーもいないステージに一人で、軽薄そうな男が口パクのような歌を歌い飛び跳ねて踊ってるだけの能天気さ。
もちろん歌ってる姿を見たのはネット映像が普及したここ10年くらいの話で、それ以前の時代にはプラスティック・ベルトランがどういうライブを行うのか、そういう情報はなかった。
だから動いてる姿は近年になって知ったんだが、昔の映像とかいくつ見てもちゃんとしたライブっぽい姿は皆無なんだよね。 他に何か芸があるわけでもないだろうに、軽薄なぴょんぴょんダンスだけでメガヒットとは恐れいった。

曲調も簡単な3コードのロックンロールをひたすら単調なビートに乗せて歌うだけ、ただこの当時はロック的な歌には向かないと思われていたフランス語で見事にパンクをやっていたのが革新的と言えるのかな?
フランスではパンク初期の時代にメタル・アーバンやスティンキー・トイズなどのパンク・バンドがいたが、これらはいわゆるフレンチ風味はあまり感じられないものだった。
しかしベルギー=同じフランス語圏で生まれたこの曲はミッシェル・ポルナレフのようなフレンチ・ポップをパンクで再現したような軽薄・・じゃなかった軽快なエスプリの効いたもの。

日本盤が出た時は「恋のウー・イー・ウー」または「恋のパトカー」などという邦題がつけられていたな。
誰でもノリノリになれるハッピーさを持っていて、時代を超えて愛され続けるのもわかるよ。
有名無名に関わらずカヴァー曲の多さでもトップクラスだな。

その数あるカヴァーの中からROCKHURRAHがチョイスしたのがソニック・ユースによるもの。
プラスティック・ベルトランよりは遥かに知名度も高いと思われるが、1980年代初期から活動を続けているアメリカのバンドだ。
アメリカン・ロックなどと書くとROCKHURRAH世代ではどうでもいいバンドばかり思い浮かべてしまうが、実はノイズやアヴァンギャルド、オルタナティブなどのバンドの発生率も高い国なんだよね。
個人的にも大昔にはリディア・ランチやコントーションズ、ペル・ユビュとか聴き狂っていたもんな。
そういうノイジーなアプローチをしたロックの中で最も大成したのがソニック・ユースかも知れない。
個人的にはそこまでノイズという気はしないが。

ROCKHURRAHは彼らの全てを語れるほどにファンであった事はないけど、暴力的な混沌(ああ陳腐な言い方)を表現させたらピカイチのバンドだったね。
特にどんな曲をやっても見事にソニック・ユースっぽくなってしまう独特のギター奏法は数多くのギタリストに影響を与えたはず。
この「 Ca Plane Pour Moi」もまさにソニック・ユース調そのもので逆に何の飛躍もないけど、飛躍し過ぎて、このポップな原曲が途中で2回ほど眠くなってしまう16分もの壮大なノイズ組曲とかにならなくて良かった。

Teenage Kicks / Thee Headcoatees  

2曲目も軽快なので行ってみよう。元歌はアイルランドの70年代パンク・バンドだったアンダートーンズのヒット曲だ。
ウチのブログでもちょくちょく名前が出てくるけど、大体いつも同じような事書いてるな。
反体制とかアナーキーとか過激とかのいわゆるパンクのステレオタイプなイメージとはかけ離れた、7:3分け長髪の70年代予備校生みたいなルックスの好青年がこのバンドの主役、フィアガル・シャーキーだ。
何だこの長いセンテンスとひどい文章?大丈夫か?ROCKHURRAH。
メンバーも普通にセーターとか着てて、ステージ映えがしないことこの上ないというバンドなんだが、一応ロールアップしたジーンズからDr.マーチンのチラ見せ、ダブルのライダースがパンク要素というわけか?

初期パンクの中にはこういう風采の上がらないタイプのバンドも多く含まれていて、バズコックスとかサブウェイ・セクトとか。
あまり「華」がなくても、ちゃんと名曲を仕上げれば世界的に著名になれるというところがパンクの魅力でもあったな。

アンダートーンズもモロにそのパターンで、50〜60年代ポップスなどの要素をうまく取り入れた軽快な曲を数多く残したバンドだった。
「Teenage Kicks」はその中でも最大のヒット曲で、多くの人に愛され続けた時代を超えた名曲のひとつだと言える。
初めて聴いた人は必ずその甲高い歌声にビックリするけど、このファルセット・ヴォイスも彼らの魅力。

この曲も色んなバンドがカヴァーしているけどグリーンデイだのアッシュだの、ワン・ダイレクションまでやってるのか?
どちらかと言うとヤンチャな若造バンド(最後のはバンドとは言えないな)がそれぞれの世代で何となくカヴァーしたものばかり。いくつ聴いても全然面白くもない駄作カヴァーだと思える。全く意外性がないんだよね。
しかも全然ウチのブログ向けじゃない。
上に書いたバンド達も本家アンダートーンズよりもずっと世界的にヒットした奴らなのに、この安易さ、このリスペクト感のなさは一体何?と嘆かわしくなってしまうよ。

そんな中でROCKHURRAHが許せる数少ないものがこのヘッドコーティスによるもの。
1970年代から90年代にミルクシェイクス、マイティ・シーザーズ、ヘッドコーツなどなど数多くのガレージ系、ブリティッシュ・ビート系のバンドで活躍したビリー・チャイルディッシュが仕掛け人となって手がけたガールズ・グループがヘッドコーティスだ。
彼女たちは演奏が出来るわけではなくて音楽の方はビリー・チャイルディッシュ達が担当、この4人は歌って踊るだけの添え物みたいなもんだが、ジャケット写真とかではちゃんと楽器持ってていかにもバンド風。
この辺の捏造もまた60年代っぽいのかもな。
とにかく「Teenage」というには無理がありそうな迫力のアネゴが投げやりに歌い、そして演奏はラウドなガレージ・ロックンロール。
好きな人にはたまりませんな、の世界だな。
ん、何とここまで長文書いて気付いたがこのヘッドコーティスは同じシリーズ「誰がCOVERやねん3+」でも書いてて、しかも前回もほとんど同じようなコメント書いてるな(笑)。
しかも元歌のアンダートーンズもこっちの記事で同じような書き方してるよ。アメージング。
自分の過去に書いた記事さえ覚えてないとは呆れるばかりだが、自分の書いた事が一応いつでも主義一貫しててメデタシ。

Isolation / Die Krupps

80年代初期のニュー・ウェイブが好きな人ならば誰でも、とは言わないがかなりの人が知ってるに違いない伝説的なバンドがジョイ・ディヴィジョンだろう。
ロンドン・パンクが誕生して間もない頃のマンチェスターでセックス・ピストルズが観客わずか数十人というライブを行った際に居合わせて、衝撃を受けた人物が何人もいたらしい。
後のバズコックス、マガジンのハワード・ディヴォートや後のスミスのモリッシー、そして後のジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスなどがこの聴衆だったわけだが、彼らを中心にマンチェスターのニュー・ウェイブは花を開いてゆく。
パンクやニュー・ウェイブ初期の最重要レーベルのひとつ、ファクトリー・レーベルもここから生まれ、そしてジョイ・ディヴィジョンはそこの看板アーティストだった。
見たように書けばこういう感じでマンチェスター・ムーブメントは始まったんだろうけど、見てないROCKHURRAHはそこまで書けないのが悔しい。
とにかくジョイ・ディヴィジョンは音楽の流れがパンクからニュー・ウェイブに変換していった頃にファクトリー・レーベルから2枚の傑作アルバムを出し、インディーズ界のスーパースターとなってゆく。
が、度重なる癲癇の発作、鬱病、妻と愛人との三角関係などからイアン・カーティスは1980年に首吊り自殺をしてしまう。
自殺→レジェンドというのは個人的に好きじゃないからROCKHURRAHは今まであまりジョイ・ディヴィジョンの事を書いて来なかったが、彼らの作った音楽を愛しているのは今も変わらない。

彼らの最大のヒット曲は数多くのバンドがカヴァーしている「Love Will Tear Us Apart」だが、個人的に一番好きな彼らの曲は1stの1曲目「Disorder」、2番目に好きな曲が2ndの2曲目「Isolation」だ。
どちらもジョイ・ディヴィジョンの音楽を表すのにぴったりな単語をタイトルに用いているな。

その名曲「 Isolation」をカヴァーしたバンドは意外と少ないので少しビックリんこ。
有名どころではスマッシング・パンプキンズとこのデイ・クルップスくらいなのか?
スマパン、名前は知ってるけど特に興味ないからやはりROCKHURRAH的にはクルップスをチョイスするのが妥当だろう。
もう10年以上も延々とROCKHURRAH RECORDSでは語り続けていて、書いてる本人までもが「またか!」と思ってしまうが、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)の中心バンドのひとつがデュッセルドルフ出身のデイ・クルップスなのだ。

D.A.F.によってノイエ・ドイッチェ・ヴェレの洗礼を受けた者が次に辿り着くのがデア・プランかこのバンド、というくらいに大御所なんだが、シュタロフォンという鉄パイプで自作した鉄琴のようなパーカッションを叩きまくって演奏するインダストリアル系バンドの真骨頂のようなのがクルップスだ。
エレクトロニクスを多用した音作りなんだが繊細でもクールでもなくて肉体派、工場労働系なのがまず良い。
自分が育った北九州も西の方は製鉄工場が盛んだったし、環境的には似てるからよりシンパシーを感じてるのかも知れないね。
ROCKHURRAHは福岡の80’sファクトリーというライブハウスで彼らの演奏している映像を見て以来、感銘を受けた人間なのだが、途中からなぜかメタル系の要素が見え隠れするようなバンドに変貌してしまい、ずっとファンで追い続けたというには程遠い関係。
最初の頃はとても良かったけどなあ。

最大のヒット曲「Wahre Arbeit Wahrer Lohn」を何度も何度もしつこいくらいに手直した音源を発表し続けたユーゲン・エングラーの愛すべき偏執狂ぶり、そういう愚かな部分を含めての魅力がこのバンドにはあった。

彼の押し殺したヴォーカルのスタイルとイアン・カーティスの歌声には一見共通するものがあるけど、エネルギーを放出し続けるようなクルップスと心の暗黒を内側に貯めこんでしまったイアン・カーティスは正反対、という気もするな。

もっと書くつもりでいたけど、意外と長くなってしまったので今日はこの辺でやめておこう。
まずは週末に頭を使う気力が起きるくらいまでは回復したいもんだ。
ではまた来週。Hasta luego(スペイン語で「またね」).