Naonシャッフル 第3夜

【本文には書ききれなかったゴシック娘(当時)たち】
ROCKHURRAH WROTE:

何とこの「Naonシャッフル」のシリーズも一年も書いてなかった事に気付いてしまった。企画考えるのに力を使い果たして、その後はどうでも良くなるのがお家芸というわけか? しかも「飽き」が書いてる途中で訪れて後半がだんだんぞんざいになってゆくのもROCKHURRAHの得意技。いかに勢いだけで書いてるかって事だね。

そんなわけで久々に「 Naonシャッフル」の記事でも書いてみるか。
世の中にユニークな音楽をやっている(あるいはやっていた)女性アーティストはたくさん存在していたが、そういう究極を目指す記事ではなくて、単にたまたま思いついたものを連ねてゆくだけというのがこのシリーズのスタイルだ。だからむしろ一般的には何の変哲もないバンドやあまり取り柄のないバンドも混じっているだろうけど、そっちの方が後世に残った音楽よりも知る機会も思い出す機会も少ないのは確か。
そう考えるとちょっとは80年代ニュー・ウェイブの歴史学(そんな学問あるのか?)に貢献してるに違いないし、誰かが少しでもこの記事に興味を持ってくれればそれでいいのだ。

今日の括りは何だかわからんが、翳りのある曲調を得意とするバンド達について。なぜだかパンク、ニュー・ウェイブの時代と言えば明るくてキャピキャピ(たぶん完璧なる死語)女のバンドよりもこういう暗めの路線の方が目立っていたし個人的に記憶に残っているものが多い。気のせいかな?

この手の音楽を世間的にはポジティブ・パンクとかゴシックとかダーク・サイケとか呼んでいた時代があった。これについては格別詳しい事も書いてはいないが拙作記事「時に忘れられた人々【04】Positive Punk」に少し書いたか?

元祖とも言えるスージー&ザ・バンシーズは1978年頃のデビュー直後からすでにダークに沈み込む曲調でそういう音楽のルーツと言えるが、ポジティブ・パンクが栄えたのは大体1982年くらいから1985年くらいの期間だった。まだそういう名称は付けられてなくても、潜在的には1979年くらいから同じ傾向のバンドは存在していた。
すぐに新しい流行りが生まれてあっという間に廃れてゆく80年代ニュー・ウェイブの中では6年という月日はかなりの長期間であり、いかにイギリスの若者がこの手の音楽を支持していたかという証でもある。表でエレポップ(テクノ・ポップ)とかニュー・ロマンティックとかファンカ・ラティーナとか流行ってた裏側ではこういう音楽が脈々と受け継がれてきたわけだ。
この時代のイギリスに行ったわけでもないROCKHURRAHだが、日本で細々と陰鬱な音楽を買い漁っていた情景を思い出しながら書いてみよう。

Skeletal Family

イギリス北部、ヨークシャー出身のスケルタル・ファミリーは1982年にデビューしたバンドだ。バンド名はデヴィッド・ボウイの異様な名曲「永遠に周り続ける骸骨家族の歌」が由来との事。
ヨークシャーと聞いてROCKHURRAHが即座に思い出すのはビル・ネルソンのバンド、ビー・バップ・デラックスだが、単に同郷なだけで全然関係ない話。書く必要性は全くなかったな。
どうやら鉱山とか工業とかで栄えた土地らしいが、だだっ広い野原が広がってるという勝手な印象がある。プロモの背景もそんな感じだし。
アン・マリー・ハーストという女性ヴォーカルをメインに成り立っていたバンドだが、この人以外の男メンバーは地味で特徴があまりないなあ。紅一点のアン・マリーは赤い髪をちょいとモヒカン風にした、ケバいと言えばそうだが、もっとすごいのがウヨウヨいたこの時代としては割と普通で際立った個性はないかも。やってる音楽はスージー&ザ・バンシーズ直系の暗くて直線的、割と雑な楽曲が多いけど同時代のネオ・サイケとかよりは攻撃的で、やはりポジパンの部類に入るんだろう。
このビデオで注目すべきはやはりアン・マリーのヴォーカル、というよりは「困ったような、泣いたような、でも笑ったような」表情。日本の能とか狂言の世界ではこういう微妙な表現が重要な要素らしいが、まさか遠く離れた英国で相通じるものを見つけるとは。
もしかしたらスッピンは単なるタレ目なだけかも知れないが、この表情だけは素晴らしい個性だと思うよ。曲もWah!のピート・ワイリーのようなギターで(というか「Seven Minutes To Midnight」のパクリのように聴こえる)なかなか良し。

Ghost Dance

ポジパンもこの時代の音楽も疎いという人が見れば「上のバンドと全然区別つかないよ」という意見が出そうだが、ROCKHURRAHにもあまり区別はついておらぬから心配せずとも良い(笑)。
ゴースト・ダンスは上のスケルタル・ファミリーのアン・マリーが元シスターズ・オブ・マーシーのゲイリー・マークスと共に始めたバンドで、1985年にデビューした。この時期が微妙で、すでに意外と長く続いたポジパンもダーク・サイケも終わろうかという頃。 だからなのか知らないが、このゴースト・ダンスよりもポジパン真っ只中だったスケルタル・ファミリーの方が個人的な好みには合ってる。
こちらの方が成功したようで楽曲もさすがシスターズ・オブ・マーシーのオリジナル・メンバーがやってるだけあってスケールがでかい、音楽的な完成度も高いんだろうけどね。ネタ切れというわけでもなかろうが、ヤードバーズやスージー・クアトロ、ロキシー・ミュージックなどのカヴァー曲も目立つ。
問題のアン・マリーはスケルタル・ファミリー時代と比べて特別な変化もなく、ずっと同じスタイルのまんまだね。演奏が変わっただけじゃ揺らぎもしないという強い個性のわけでもないのに、相変わらず何とも言えない表情(切ないけど笑ってるようにも見える)のヴォーカル。ファンにとってはそこがたまらん魅力なのかも知れないけど「大丈夫?」と思ってしまうよ。

Brigandage

続いては初期パンクの頃から活動をしていたらしいブリガンデージ。日本での知名度はたぶんほとんどないように思えるし、ROCKHURRAHもこのバンドについて知ってる事は少ないけど、とにかくカッコイイし書いてる人も滅多にいないから、アムンゼン(南極に最初にたどり着いた人)状態で書かせて頂こう。
このバンドについて知ったのはポジパン全盛期の頃出ていた「The Whip」というコンピレーション・アルバムに収録されていたから。ブリガンデージは曲も見た目もパンクでポジパン専門のバンドよりは明らかに線も太くアグレッシブな音楽なんだが、ちょうど聴いてた時はポジパン寄りの音楽だった。「The Whip」はセックスギャング・チルドレンやマーク・アーモンドが中心となったポジパンの名盤コンピレーションと言われていた。たぶん結構入手困難だったように記憶する。
ブリガンデージはNMEやFACEなどイギリスの音楽系雑誌とかでポジパン特集やってる時に顔は見かけたもんだが、レコードがバンドの全盛期に出なかったもんだから実際のその音楽についてはあまり知られていなかったというパターンね。
その後、ブリガンデージを探してやっとレコードを入手したんだが、ジャケットがガッカリ仕様だったのだけは覚えてる。先に書いた雑誌に載ってた顔立ちではなく、ちょっとぽっちゃりした顔のぼんやり写真だったから。曲は良くて名盤だと思うんだけど、これをジャケット買いする人間はそうそういないだろうなあ。雑誌で見たのはたぶん初期の頃だと思うけど、かなり派手なヴィジュアルとおしゃれなパンク・ガールといった雰囲気がこのレコード・ジャケットにはなくて「写真で見た時は美人だったけど会ってみたら大した事なかった」という騙された感の漂うものだったなあ。曲はいいんだけど。
なぜかレコードではなくカセットテープでリリースされたような粗悪な音のものまで持ってたけど、その頃にはもうポジパン聴いてなかったんじゃなかろうか?あまり記憶に残ってないんだよな。
このバンドはミッシェル・ブリガンデージという女性が中心になって70年代後半から活動していたらしいが、何と9回もメンバー・チェンジしていて最後の方はいつ頃なのかよくわからん。
ライブ映像見てもらえればわかるけど演奏も歌い方もふてぶてしくて声が良く出てる。かなり場馴れしたバンドだという事がわかるね。特に映像2曲目の「Horsey Horsey」が大好きな曲だ。ライブは違うけどスタジオ盤ではちょっとアコースティックな感じで哀愁ある中東風のフレーズが印象的な名曲だった。この時は普通の金髪だが、最初の頃はモヒカンでもっと過激だった印象がある。
しかし最近のものと違って革パンの股上が異常に深いハイウェスト仕様。80年代は確かにこうだったよねぇ。
この手のバンドを幾多も持ってて(今どきそんな人いるのか?)「もっとパンチのあるヤツが聴きたいよね」などと思ってる人がいたらオススメ出来るので、もし見つけたらROCKHURRAHの言葉を信じて買ってみてね。

Baroque Bordello

続いてはは1981年から活動していたらしいフランスのバンド、バロック・ボールデロだ。
ROCKHURRAHがネオ・サイケとかポジティブ・パンクを聴いていた時代にフランスではオルケストル・ルージュとかレ・プロヴィソワールとか素晴らしいバンドがいて、勝手に「フランス、すごい」と思い、フランス物のニュー・ウェイブばかりを探していた時期があった。このバンドはその頃にタイトル忘れたがフランスのバンドによるカヴァー・ヴァージョンばかりを集めたコンピレーションで知ったもの。このアルバムでピンク・フロイドの初期の名曲「See Emily Play」をカヴァーしていたのが印象的で、ずっと気になっていた。
この時代、フランスにはインヴィタシオン・オゥ・スーサイド(自殺への招待)という暗黒なレコード・レーベルがあって、クリスチャン・デスとか前述のレ・プレヴィソワールとかジャド・ウィオとかなかなかレベルの高い音楽をリリースしていた。が、このバロック・ボールデロはそういう系列とは違っていてガレージ・レーベルというところを中心に活動していた模様。先に書いたカヴァー曲ばかりのコンピレーションもこのレーベルだったように思ったが、バロック・ボールデロのレコードも確か1枚持ってたかな?
正直言って参考文献はフランス語だし時代は古いし、この現代に調べようと思ってもなかなか難しい。昔はネットとかもなかったから。よりいっそう情報を仕入れるのに苦労したもんだ。
つまりこのバンドについてはワガママそうでちょっと怖い見た目の女性ヴォーカルという以外はよくわかってないという事だ。
歌っている動画も見当たらなかったのでどういうバンドなのか不明だろうが、この曲はデビュー曲で元キュアーのローレンス・トルハーストがプロデュースしたそうだ。どこかで聴いたような歌声とメロディで、興味ない人から見れば違いもよくわからんだろうな。顔はワガママそうだが声はそうでもないから、根はいい子に違いない。

Malaria

4つしか書いてないけどあまり違いもないし早くも飽きてきたので、この5つ目で一旦終わるつもりだ。

最後に書くのはポジティブ・パンクとかのジャンルではあまり語られる事がないであろう、ドイツのバンド、マラリアについて。
英語力が極めて低いROCKHURRAHなのでドイツ語力はなおさら、あるはずもない。だからメンバーの名前を見てもどうカタカナ表記していいかわからず途方に暮れてしまう事もしばしば。ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの事をなかなか書かない理由のひとつでもあるね。このバンドも「読めん!」と唸ってしまう名前のメンバーばかりで構成されている。
マラリアはドイツのニュー・ウェイブが始まったくらいから活動していたマニアDというバンドを母体とした、全員女性のバンドだ。
このマニアDはニュー・ウェイブ初期のガールズ・バンドと言えば誰もが連想するようなド派手なファッションや髪型で、元ニュー・ウェイブ少女だった(現在の年齢は秘密)方々は写真を見ただけで「懐かしいわぁ」と涙するくらいに80年代そのもののルックスだった。マラリアになってからはカラフルさがなくなり、当時はカラス族などと呼ばれたような漆黒のファッションだった。コム・デ・ギャルソンやニコル、コムサ・デ・モードにY’sなどなど、今はどうか全然知らないが、80年代初期にはみんな真っ黒だったな。とにかく全員がモデル並みのルックスでヴィジュアル的にはドイツでもトップクラス。
おっと、音楽について全く書いてなかったよ。
ノイエ・ドイッチェ・ヴェレとはドイツのニュー・ウェイブの事だが、そのいくつかの有名バンドに関わっていた人材を擁していたのがマラリアだ。何だか具体性がない発言で申し訳ないが、書くと長くなってしまうし横道にそれてしまうのがわかりきってるからテキトーにしか書かないのだ(断言)。
このバンドは本来はDAFのようなエレクトロニクスによる単調なビートにドイツ語の巻き舌ヴォーカルがかぶさってゆくというパターンが多いのかな。たまたま今回紹介したPVの方が上に書いたようなバンドと相通じるだけで、本当は違った感じなので誤解しないように。
ポジパンとかそういう範疇には入らないんだろうけど、ただ暗い曲調を得意としていて、ビデオとかは結構ゴシックな雰囲気を漂わせてるね。

大して面白くもなく興味深い記事でもない割に長々と書いてしまって失礼つかまつった。
この手のバンドを書く時に必ず誰もが言及するだろう4AD系列のコクトー・ツインズとかデッド・カン・ダンスとか見事にすっ飛ばしてるところがROCKHURRAHの王道嫌いを物語っているかも。

最近ブログをあまり書いてないけど、この手の過去ニュー・ウェイブ記事を書かせればまだまだその辺のオタクよりは深遠だね。ではまたこのサイトで会いまちょう。

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