ふたりのイエスタデイ chapter20 /ファンカ・ラティーナ

20210207 top
【Haircut 100のアルバム「ペリカン・ウェスト」のジャケット】

SNAKEPIPE WROTE:

毎週楽しみに観戦しているアメリカPGAツアー。
ほとんどの試合はアメリカ本土で開催されているけれど、選手はアメリカ人ばかりではない。
世界各国から参加していて、最近では南米の活躍が目立つ。
チリやアルゼンチンでゴルフ、というイメージはないけれど、実際に選手が活躍しているから驚いてしまうね。
南米といえば、サッカーにサルサやボサ・ノヴァ、サンバなどのラテン音楽と思ってしまうのはステレオタイプ過ぎるのかな?

80年代に流行ったニュー・ウェイブに、ラテン音楽をミックスするジャンルがあった。
ファンカ・ラティーナと呼ばれ、一世を風靡したんだよね。
ファンクとラテンをミックスさせた造語は、誰が考えたのやら?
この言葉はもしかしたら日本だけで通用している言葉だったのかもしれないけれど、当時はジャンルとして確立されていたように思う。
いくつものバンドが、ラテン要素を含んだ曲を発表していたんだよね。
ノリの良さと一緒に歌えるメロディーラインで、SNAKEPIPEも大好きだったよ!

Haircut 100の「Favorite Shirts」はファンカ・ラティーナを代表する曲と言っても過言ではない。
そしてこの曲の邦題「好き好きシャーツ」が、当ブログのカテゴリー「好き好きアーツ」の元ネタ!(笑)
2020年8月の「ふたりのイエスタデイ chapter19 /Altered Images」で、オルタード・イメージのクレアちゃんの肖像画を描いたことを書いたけれど、実はこのバンドのヴォーカルも描いていたことも思い出した。
ニック・ヘイワード(トップ画像一番左)がアイドル的な風貌で、とても人気があったからね。

軽快なギターのカッティングが印象的で、本格的なファンクでもラテンでもないけれど、ニュー・ウェイブ世代のライト・リスナー向けラテン音楽入門になったバンド、とROCKHURRAHが語っているよ。
そしてHaircut 100の特徴は、トップのレコード・ジャケットでも分かるように、白いセーターをインにして、その上からサスペンダーを使用するスタイルだったり、お坊ちゃま風の服装が多かったこと。
なんとセーターの上からのサスペンダーは、当時はROCKHURRAHも真似ていたらしいよ。(笑)
その頃ROCKHURRAHは、地元の北九州在住だったので、そういう服装を理解してくれるのは、限られた人だけだったみたい。
苦労したんだねえ、ROCKHURRAH!(涙)

良家のご子息がバンドをやってる、みたいな風貌なのにファンクっぽいノリの良い音楽だったというギャップも魅力だったんだよね。
ファンクにラテンというと、みずみずしい印象にはなりづらいのに、Haircut 100には爽やかさがある。
彼らのおかげで(?)ファンカ・ラティーナが幅広い世代に支持されて、一大ムーブメントになったのでは、とROCKHURRAHが推測しているよ。
Haircut 100は他にも「Love Plus One」(邦題:渚のラブ・プラス・ワン)などヒット曲を出している。
この邦題も非常に気になるけれど、レコード会社の人のセンスだろうね。(笑)

続いてはModren Romanceの登場だよ!
「Ay Ay Ay Ay Moosey」(邦題:今夜はアイ・ヤイ・ヤイ!)もノリノリになっちゃうダンス・チューンだよね。(笑)
そしてまた気になるのが邦題なんだけど、SNAKEPIPEとROCKHURRAHはこのタイトルで覚えてるんだよ。
当時は原題を知らなかったしね。
そして今回初めて動いている姿を観たよ。
こんな顔だったとは知らなかったね。

ファンカ・ラティーナについて書くことをROCKHURRAHに話すと、次々とバンド名が出てくるんだよね。
Blue Rondo à la Turkのような長いバンド名もスラスラ口にできる。 
若いうちに覚えたことって忘れないものだね。(笑)
曲は「Me and Mr. Sanchez」。
とても懐かしいよ!
Blue Rondo à la Turk解散後、結成されたMatt Biancoもヒットしたね。

これも長いバンド名のRip, Rig & Panic
そんなに長くないか?(笑)
この映像は、どうやらイギリスのホームドラマの中で「You’re My Kind of Climate」を演奏しているシーンらしい。
それでこんな扮装をしてるんだね。
音楽に合わせているのか、ドラマの展開のせいなのか、かなり民族音楽要素が強い。
ヴォーカルのネナ・チェリーは服装のせいはもちろんだけど、「Buffalo Stance」の頃とはまるで別人だわ!

Pigbagは、上に書いたRip, Rig & Panicと一緒に「The Pop Group」というバンドを組んでいたという。
解散後、メンバーがそれぞれバンドを作ったってことだね。
The Pop Groupは硬派なメッセージ色の強いバンドだったらしいけれど、Pigbagのヒット曲にいたっては歌詞がない!
インストゥルメンタルの「 Papa’s got a brand new pigbag」は、日本ではHONDAのCMでも使われていたっけ。
ああ、懐かしき80年代よ!(涙)

最後はアメリカのバンドにしよう。
Kid Creole & the Coconutsは音楽性はもちろんのこと、そのファッションにも注目が集まったんだよね。 
1940年代頃流行したダブダブのシルエットをした「ズート・スーツ」を身に着け、イカサマ師かチンピラかといったインチキ臭い風貌のキッドがヴォーカルだった。
ここでもまたROCKHURRAHのエピソードがあるんだけど、ズート・パンツも着ていたらしいよ!
音楽とファッションが密接に絡んでいた時代だからね。

思い出しながらツラツラと書き綴ってみたけれど、とても懐かしくなってしまったね!
どうしてファンカ・ラティーナのようなムーブメントが起きたのかは謎だけど、日本でもジュディ・オングの「魅せられて」、久保田早紀の「異邦人」や庄野真代の「飛んでイスタンブール」がヒットしたように、異国情緒ブームが起きたことがあったもんね? (古い!)
仕掛け人がいるのかもしれないけれど、世の中の流れが同じような方角を向くことってあるのかもしれない。

久しぶりにファンカ・ラティーナを聴いたら楽しくなってしまった。
さあ、踊ろう!
みんなでアイ・ヤイ・ヤイ!(笑)

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