ニッチ用美術館 第5回

【なぜか前よりも貧相になったオープニング映像】

ROCKHURRAH WROTE:

2017年の春から始めた新企画「ニッチ用美術館」なんだが、トップ画像を動画にするのがちょっと面倒な事もあって、なかなか新しい記事が書けないでいる。要するに記事の下準備に時間がかかるってわけね。

ちなみにタイトル見ればあのTV番組のパロディなのはすぐにわかるが、何でニッチなの?という説明が毎回必要なのがさらに難点。 まあ前回までの記事の冒頭にしつこく説明が書いてあるので律儀に読んでもらえればウチの方針もわかるだろう。
で、やってる事はROCKHURRAHの得意分野、70年代パンクや80年代ニュー・ウェイブの時代のレコード・ジャケットを展示して、それをアート的視点から語ってみようという試み。
しかし語るほどアート界に詳しくないというパラドックスに満ち溢れた記事になっていて、何だかよくわからん趣向になってるな。これがROCKHURRAHの底の浅いところ。

では時間もあまりない事だし、早速第5回目の展示を見てみるか。

ROOM1 鑵詰の美学

チャプターのタイトルが第2回から、なぜか普段使わないような難しい漢字でやるようになってしまったんだが、それを考えるのが面倒になったのでまた通常の読み書きが出来るタイトルに一部戻す事にした。そこまで面倒を苦にするタイプじゃなかったんだけど、最近個人的に週末にあまりヒマがなくてね。
日常的に鑵詰と書く人はあまりいないと思うが、普通は缶詰でコトが足りるよね。自分でもこの鑵の字は書かない(書けない)なあ。
同じような意味なら罐という漢字の方がもう少しポピュラーな気がするけど、あえて一般的ではないはずの鑵にしてしまった。
止せばいいのに調べてしまったら林芙美子や泉鏡花などもこの鑵詰を使用していた模様。

ROCKHURRAH家ではほとんど缶詰を食べないので、缶切りは昔ながらの安っぽい手動のものしか使わない。フチに引っ掛けてキコキコ上下に切ってゆくタイプね。何十年使ってる?というほどの年代物だけど何も問題ないよ。
ツナ缶やフルーツ缶などプルタブで引っ張って開ける形式のが増えたからか、最近では缶切りを使えない若者が増えているという話を聞いたのがすでに何年前なのか?
実はSNAKEPIPEも瓶や缶のフタを開けるのがあまり得意ではないんだけど、これは使い方知らないわけじゃなく単に腕力なさすぎなだけ(笑)。 

ちなみにこの缶詰というシロモノ、発明されたのは19世紀初めらしいが、これを開けるための缶切りが登場するのはそれから数十年経ってからの話だと聞いた事がある。それまではかなりバカっぽい開け方をしてたんだろうな、と想像するよ。斧で叩き割る、とか大鋏でぶち切るとか、銃で撃ち抜く、とかそういう開け方したんじゃなかろうか?
開ける時の苦労を全然考えずに発明者は「缶に入れる事によって保存が出来た、ワハハ便利!」などとはしゃいでたんだろうな。

さて、このどうでもいい導入部から鑵詰、鑵入りをテーマとしたジャケットになるのはミエミエだが、それ以前にジャケット写真を展示したから見れば一目瞭然だったな。
レコードのジャケット・アートという観点からはどうかな?とは思うけど、映画のフィルムを入れる缶のような形態で発表されて音楽界を驚かせたのが、パブリック・イメージ・リミテッド(PIL)の2ndアルバム「メタル・ボックス」だ。

「(パンク)ロックは死んだ」という有名な発言でセックス・ピストルズを脱退したジョニー・ロットンが本名ジョン・ライドンに戻りスタートさせたのがPILだった。
パンク・ロック以降のニュー・ウェイブの中で、既存のジャンルに当てはまらないような音楽をポスト・パンクと後の時代には言うようになったようだが、この時代に生まれた「何と呼べばいいのかわからない音楽」はみんなが勝手に何か名付けていたような感じだった。
ジョニー・ロットンの「ロックは死んだ」発言やワイアーの「ロックでなければ何でもいい」みたいな発言は一人歩きして様々な音楽論が交わされたけど、そこまで深読みしなくても、単純に昔のようなロックをやらないという意味合いでいいんじゃなかろうかと思うよ。パンク以降に生まれた音楽は何かの影響を足したり引いたりして自分なりのスタイルを作り上げてきたわけだからね。

パンクの大スターだったジョニー・ロットンのバンド、PILはセックス・ピストルズとは全然違った方向性で初期ニュー・ウェイブの時代に衝撃を与えたのは間違いない。
その2ndアルバム、1979年に発売された本作「メタル・ボックス」は缶に入った状態で売られているという見た目のインパクトが大きく、話題性も抜群だったな。
映画のフィルム入れる缶みたいだと連想したが、実は地雷をイメージしたものだったらしい。うーん、どっちも現物を見た事ないから何とも言えないな。

缶の中身はLPではなく12インチ・シングル3枚組という構成。
LPよりも高音質だという事でパンク以降に急速に普及した12インチ・シングル。
多くのバンドが7インチと12インチの両方を同時リリースして、12インチの方には少しボーナス・トラックをつけるという手法がポピュラーになったのも70年代後半からだったね。
ROCKHURRAHはどちらかというとパンク・ロックの象徴のような7インチ・シングルに魅力を感じて、こればっかりを集めてたけど、収納場所を考えれば全部12インチで統一した方が良かったのかも。
ちなみにレコードを缶に入れて発売するというアイデア自体はPILより前にもあったようで、グラモフォンというレコード会社がすでに1971年に商品化していたようだ。
が、ROCKHURRAHの全く興味ないような古いロックのものだったので知りもしなかったよ。

後にLPレコード2枚組として発売されたけど、同じレコードでこのようにコレクターズ・アイテム盤と通常盤みたいに発売する手法もこのレコードくらいから登場したように思う。そういう意味でもPILは先駆者だったんだろうね。

収録曲の中でも有名なのがこの「Swan Lake」、訳さなくてもわかる通り「白鳥の湖」を大胆にアレンジしたPILの初期代表曲でもある。シングルの時はなぜか「Death Disco」となってたな。
「地を這うような」とよく評されるジャー・ウォブルの重低音ベースラインと金属質なキース・レヴィンのギター、そこにジョン・ライドンのグニャグニャなヴォーカルが加わったPILの音楽は当時としてはとても斬新なものだった。
こういう音楽はポスト・パンクという言葉がまだ一般的でなかった時代にはオルタナティブという括りで語られていたように記憶する。
もちろん、90年代によく言われてた「オルタナ系」とはニュアンスも違うし、この当時は「オルタネイティブ」とみんな言ってた気がするよ。
この後にイギリスの新しい音楽はよりポップになる路線とこのように従来とは違う刺激的な音楽になる路線、PILやスリッツあたりから分岐されてゆきパンクもニュー・ウェイブも多様化していった。
普通だったら売れない路線でもそこそこの知名度や評価を得る、その先駆けになったバンドとしてPILの残した功績は大きいと思うよ。

ROOM2 渺乎の美学
通常の読み書きが出来るチャプター・タイトルに戻すとさっき書いたばかりなのにまた一般的じゃない小難しい表現にしてしまう。この辺にまだ迷いが感じられるな。
渺乎と書いて「びょうこ」と読む。
大変小さいさま、という意味合いらしいが昔の物書きでもない限り、たぶん使わないだろうな。ROCKHURRAHもこんな言葉を今まで使った事がないよ。
 
狭い日本の狭い部屋を考えたら電化製品でも何でもコンパクトになってゆくのは自然の流れ、というわけで1980年代以降はずっとその傾向になってきていたのは間違いない。
特に身につけて持ち運ぶものは小型化・軽量化が必須となっているのは皆さんご存知の通り。

最近では知る人も少ないけどMD、ミニディスクが90年代に登場した時にROCKHURRAHは飛びついて購入した。
フロッピーディスクをちょっと小型にした手のひらサイズが気に入ったのと、カセットテープよりは劣化が少なそうに感じたから、録音出来るソニーのMDウォークマンを持ってたよ。
当時持ってたMacはHDDの容量がとても少なくて、音楽だの映像だのを中に貯め込む事が出来なかった。
Macで録音したレコードを波形編集ソフトで編集、それをさらにMDに録音・・・などというかなり面倒な事を喜んでやってた記憶があるよ。よほどヒマだったのかねえ? 

スマホとかは軽量化も必要だけど、より大画面でより高性能というユーザーのわがままに翻弄されて、一定の大きさから脱却出来なくなってるのが実情だね。
映画「ズーランダー」で馬鹿らしいくらいの小さな携帯電話が出てきて笑ったけど、小型化を突き詰めるとああいうギャグにしかならない。シャレで実現化するメーカーがあったら一瞬だけでも話題になるだろうね。
SFやアニメにあるように目の前の空間がディスプレイになって・・・などというのが実現するかどうかは科学知識のないROCKHURRAHにはわからないけど、もっと違う新しいテクノロジーも生まれる可能性はあるだろうね。 

さて、これもまたジャケットアートについて語る「ニッチ用美術館」の主旨とは違うけど、レコードを聴くという根本的な事をとってもニッチに展開した功績により、ここに紹介したいと思う(偉そう)。
上のジャケットだけを見ても何だかよくわからん普通の感じだが中身はこうなってるのさ。

90年代くらいを知る人ならシングル盤のCDで8センチのものがあったのを覚えているだろう。いつの間にか消えてしまって見なくなったけど、あれを彷彿とさせるこの代物は実は小さなレコード盤なんだよね。そして左上にあるのがこのミニミニ・レコードを再生するための専用プレイヤー。
実用的じゃなくても意味不明の小さいポケットがついた服とか見ると「かわいー」と気に入ってしまうSNAKEPIPEだったらこれを評価してくれるだろうか?

このレコードを聴く事だけのために作られた小型プレイヤー、そしてこの小型プレイヤーでしか再生出来ない(試してみたわけでないから詳細は不明)小型レコード。この組み合わせ以外には全く意味をなさないシロモノという点で現代アート的手法と言えるんだろうか。
とにかく「誰にでも等しく体験出来る」という事に対するアンチテーゼなのかは不明だけど、問題作なのは確かだね。ROCKHURRAHの解釈は陳腐だね。

Die Geniale Dilletanten(天才的ディレッタント)というダダイストのグループを主宰していたヴォルフガング・ミュラーによってベルリンで誕生したDie Tödliche Doris(ディー・テートリッヒェ・ドーリス)、芸術活動の一環としてバンド形式のパフォーマンスを行っていた三人組だ。
ウチのブログでも何度も書いてきたノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)の中でもとびっきりの変わり種として名高い。
このレコードのセットもコレクター心をくすぐるユニークなものだが、他の作品でも別々にリリースされた2枚のレコードを同時にかけると第3の音楽が現れる、とか音楽そのものよりも現代アート的「こけおどし」みたいなものが話題となっていたね。
日本では「致死量ドーリス」という漫画のおかげなのか、バンドの予想を超える知名度を得たけど、漫画の読者が彼らの音楽を理解出来たか(聴いたりしてたのか)どうか不明。ちなみに昔は古本屋で働いてたから買い取りやクリーニングはしてたROCKHURRAHだけど、漫画は読んだことない。

ノイズと不協和音による破壊的で即興的な演奏をするバンドは山ほどいて、個人的に心地良いノイズもあれば不快なだけのノイズもある。そういう音楽は全くダメって人の方が世の中の大多数だとは思うけど、アーティストと聴き手の波長が合ってれば(または合わなければ)どんな音楽でも最高だったり最低だったりする。ん?当たり前?
このバンドはROCKHURRAHにとってはやりたい事があまり伝わって来ない類いだったけど、何枚かはレコードも持っていた。上述の第3の音の片割れも持ってたけどもう1枚は持ってないし、同時にかける2台のプレイヤーも持ってなかったから未体験。

そう言えば大昔に下北沢のレンタル店で働いていた折、同僚の子がこのプレイヤー付きレコード・キット「Chöre & Soli」を店に持ってきて自慢していたので、見たり触ったりした記憶がある。今だったら相当に高値のレコードだと思うけど、この頃は限定1000部でも普通に手に入れる事が出来た良い時代。
仕事中だからさすがに聴いてはいないけど、内容は理解に苦しむ変なアカペラだったはず。

ビデオの方は現代アートにありそうな不穏で不気味なもの。よくわからん映像作品として鑑賞はしても、これを聴いて「さすが」などと感銘を受けるほどROCKHURRAHの心は広くないよ。

ROOM3 益荒男の美学
一般的にあまり馴染みがなく、使われない言葉だとは思うが、ある年齢以上の相撲好きの人ならばすぐに読めてしまうだろう。1980年代後半に福岡出身で益荒雄(ますらお)という人気力士がいたからだ。
などと知った風に書いてるROCKHURRAHだが、相撲に興味を持って観ていた記憶は特にないなあ。さらに同郷だからといって応援するような意識もなく、何に対しても割と薄情な青年時代だったなと思うよ。それくらいでも名前を知ってる有名人だったという事だね。

益荒男とは「強く勇ましく、りっぱな男性」だというような意味らしいけど、パンクの世界で最も強そうな見た目と言えばOi!と呼ばれた一派かな?と思ってつけたのがこのチャプター・タイトルだ。ただし「りっぱな男性」かどうかは個人差があるので不明だけどね。

ロックに詳しくない人間と友達になった事があまりないので、そういう人たちがどんな認識を持ってたのかは知らないけど、想像するとおそらくハードコア・パンクと昔のヘヴィメタルの違いなどはイマイチわからんのじゃなかろうかと思えるよ。服装やアイテムも一部共通だしね。
今の時代はファッションと聴いてる音楽がまるで一致してない場合も多数なので断言は出来ないけど、逆にオイ!については特徴が顕著でヴァリエーションが少ないから、比較的わかりやすいジャンルじゃなかろうかと推測する。
とにかく一番の特徴はスキンヘッド、坊主頭。そして裾を短くロールアップしたジーンズにドクターマーチンやゲッタグリップなどの編上げブーツ。ジーンズはなぜかベルトではなくサスペンダーで吊るすのが定番。これにMA-1を着たら大体誰でもOi!、あるいはスキンズとして見た目は通用するでしょう、という世界。
服装や使われてるアイテムから、イギリスでは工場や物流倉庫の労働者たちに支持されて、70年代後半のパンク・ロック発生のすぐ後くらいからOi!のムーブメントは一大勢力になっていった。
ネオナチとOi!の集団の見分けがつきにくいために極右思想と誤解されたり、大規模な暴動事件により色々とトラブル、紆余曲折のあったジャンルだったが、あまり難しく深い思想を語らないROCKHURRAHだから、この辺を詳しく書くのはよそう。
ニッチ用美術館の趣旨とは違うからね。

さて、そんな時代背景をいいかげんに綴ってきたが、このジャケットはOi!の有名バンド、ビジネスの1stアルバムのものだ。
1979年結成との事だけど、レコード・デビューは少し遅く、このアルバムなども1983年の発表だ。
初めて知ったのはまだROCKHURRAHが小倉に住んでた頃、福岡のKBC(この記事にも書いてる伝説のレコード屋)で見かけて気になっていたものだ。
ガラの悪そうな工場労働者のイラストは80年代最初の頃のTシャツとかでいかにもありそうなもの。
大昔に竹下通りにあった「赤富士」で買った似たようなシャツを、修学旅行のみやげで友達にもらって喜んで着ていたのを思い出す。
まだその頃のROCKHURRAH少年はロシア構成主義もプロパガンダ・アートも知らなかったけど、こういうジャケットに惹かれるのは昔も今も好みが変わってないって事だね。ぶれてないけど進歩もしてないのか。
ジャケットのデザインとしてはむしろ下に小さく写ってるメンバーの写真が邪魔だと思えるよ。 

ビジネスはエンジェリック・アップスターツとか4スキンズとかちょっとカッコいいバンド名(あくまでも個人の感想です)に比べると、イマイチありきたりな名称だし、メンバーの見た目も地味でイマイチ。
要するに失礼ながらOi!を目指す若者が「マネしたい」と思うような要素があまりないようなバンドだったな。
しかし曲はカッコ良くて好みって人も多い事だろう。「バナナ・ボート・ソング」として有名な「Day-O」をちゃんとパンクの名曲としてカヴァーするようなセンスが玄人受けするバンドだったよ。
一般的なヒットとは無縁のバンドでプロモーション・ビデオやTV出演の映像とかもないけど、数少ない動いてる映像がこれ。うーん、曲は確かに王道だけどやっぱり見た目がなあ。客の方にむしろ益荒男がいそうだよ。

ROOM4 鶯乱啼の美学
一般的には使いそうのない言葉を必死で調べてわざわざ使ったのがミエミエのタイトルだが、鶯乱啼と書いて「おうらんてい」と読むらしい。誰がどんな時に使うのかは全く想像もつかないけど、昔の書物にでも出典があったのかね?「うぐいすが激しくそこかしこでさえずるさま」などと勝手な解釈をしてみた。
これは3月の異名との事だけど、ちょっと調べただけで数十もの異なる呼び名が出てきてビックリだよ。言葉遊びなのか新しい名称を発明したのか、昔の人の言葉や表現に対するこだわりには脱帽するばかり。
ヤバい、などと全国共通で使ってる場合じゃないよ。

で、何でこのジャケットのチャプター・タイトルが鶯乱啼なの?とまともに疑問に思ってくれる人も少ないはずだが、鶯乱啼→3月→弥生→彌生という事でやっとつながった。ROCKHURRAHのこじつけもひどすぎ。
描いた人はまるで違うとは思うけど、このジャケット見たら彌生しか思いつかなかったというワケ。草間彌生以前にも水玉や南瓜を描き続けた人はいたかも知れないけど、こういう模様を世界的に有名にしたのはたぶん彌生、きっと彌生(意味不明)。

このド派手なジャケットは1980年代後半に活躍したスペースメン3というバンドの1990年に出たシングルのもの。
彼らやメンバーのソニック・ブームは同時代というよりは少し後に一部で熱狂的なファンがいて評価が高かったという記憶があるが、デビューした80年代後半の頃は「久々に登場したドサイケのバンド」という印象だった。
単語みたいに書くと意味の通じない現代人もいるかも知れないから説明するが「すんげーサイケ」とか「超サイケ」とかではなく、なぜかこの時代にはドサイケと言う表現が一部では(もしかしてROCKHURRAHの周りだけ?)使われていたのだ。ド素人とかと同じような使い方かな?
確かにスペースメン3の最初の頃は本格的にサイケデリックを志すバンドとして、80年代のお手軽なネオ・サイケなどとは一線を画する路線だった。ただし個人的な好みで言うと、一体何が素晴らしかったのかROCKHURRAHにはイマイチわかってないバンドのひとつだった。
かつてネオ・サイケとかのレコードを漁ってた頃に1〜2枚は所持していたし、その後のソニック・ブームまで持ってたから何かを感じて買ったのは間違いないんだが・・・。

なんか抑揚がなくてどこを聴いても同じような感じ、しまいには寝落ちしてしまうような音楽だという印象なんだよ。音楽に何を求めるかは個人の嗜好だとは思うけど、ドラッグ・カルチャーが基本的にはないはずの日本では根付くのが難しい種類の音楽だと感じたよ。

上の彌生ジャケットのシングル曲「Big City」はそんな彼らの中ではノイジーなファズ・ギターも入ってない、珍しく聴きやすい一曲。同時代のマンチェスター・サウンド(マッドチェスター)あたりとも通じる雰囲気で、彼らのコアなファンからはたぶんあまり評価されないような気がするよ。
全く影響は受けてないだろうし偶然なんだろうけど、スキッズのヒット曲「Charade」のB面だった「Grey Parade」みたいなフレーズが後ろの方で流れているけど、スコットランド民謡とかに原典があるのかな?

初期とは演奏のスタイルが違うせいもあるけど、やっぱり根底にあるのは「抑揚がなく、どこを聴いても同じような感じ」の金太郎飴状態。オーストラリアのサイエンティスツというドサイケなバンドもそういう路線を得意にしてたのを思い出す。
ROOM4まで書いておいて言うのも何だが、実は今回選んだジャケットのバンド、個人的に聴き狂ってたようなのがなくて、そのせいもあって筆が重いんだよね。ここまで書いてそれを打ち明けるか?
ニッチ用美術館、わずか5回目で存続の危機だね。

ROOM5 安娜の美学
「○○の美学」が思いつかなくてついに当て字に走ってしまった、というくらいに今回のは、人によっては取るに足らないチャプター・タイトルで相当に悩んでしまった。

「安娜?うーん、聞いた事ない言葉だよ」と大部分の人が思うだろうけど、これは中国語でアンナという女性名を表記する時に使う漢字のヴァリエーションのひとつらしい。
日本ではAnnaはアンナでいいけど、中国になるとなぜか漢字表記される場合もあるようだ。カタカナがない国だからそうなってしまうのかね。大して調べずに行き当たりばったり書いてるから、その使い方のルールなんかも全然わかってないんだけど。
身近な例を言うと、かつてパソコンのメインボードを中心に扱う台湾の企業(の日本拠点)で働いた時に、社員はみんな外人の名前で呼び合っていて、ジェニファーだのアンディだの、一体どこの国?と思っていたものよ。

というわけで無理やり中国語の安娜をチャプター・タイトルにしてみたが、たぶん中国要素はまるでないなあ。

さて、美術館とタイトルに付けるくらいだから一つくらいは絵画風のジャケットを展示しなきゃな、と思って選んだのがこれ、1986年にリリースされたアンナ・ドミノの2ndアルバムだ。
うーん、選んでは見たものの、この手の普通の意味での風景画や静物画を特に苦手としているROCKHURRAH。
誰かの作風(強いて言えばセザンヌにちょっと近い?)でこんなのあったかも、くらいの印象しかなく、もし美術館で展示してあっても素通りしてしまうだろうな、という感想しか持てないよ。ごめんよ安娜さん。
このジャケットだけ見ても何だかよくわからんけど、裏ジャケはこの絵の延長である部屋の内部になっていて、椅子に座ったアンナ・ドミノ本人(おそらく)の似てない姿も描かれている。
自分の方を表ジャケットにしてないのはあまり気に入ってなかったのかもね(推測)。

アンナ・ドミノはアメリカ軍人の娘として、なぜか東京の米軍関係の病院で生まれたアメリカ人だ。若い頃にイタリアやカナダ在住の経験もあり、オンタリオ芸術大学でレコーディングの技術も身につけたという、羨ましいようなインターナショナルな経歴を持つ才女なんだね。
そんな彼女が活動の拠点としてレコードを出してたのがアメリカではなく、ベルギーのLes Disques du Crépusculeという有名レーベルだった。別に詳しくは書いてないが「ニッチ用美術館 第3回」でも少し取り上げたクレプスキュール・レーベル(ポール・ヘイグの項参照)は、80年代前半くらいにオシャレなカフェなどのBGMで需要が多く、そういう雰囲気のあるアーティストを続々とリリースしていたよ。
スピログラフ(曲線の模様を描く歯車のような定規)で描かれたようなレーベル・マークも知名度が高く、クレプスキュールのレコードは日本のレコード屋で簡単に手に入るくらいに、インディーズ・レーベルとしては最も普及していたと思うよ。
イザベル・アンテナとアンナ・ドミノはその中でもレーベルの看板娘として人気になったものだ。
アンナ・ドミノはとにかく80年代的な割と鋭い眼差しの美貌と髪型やファッションで、しかも上記のようなすごい経歴の才女。いかにもフランス風美女のイザベル・アンテナと比べるとちょっとキツめの印象があって好みが分かれるところ。

1stアルバムではタキシードムーンのブレイン・L・レイニンガーや後にリヴォルティング・コックスで有名になるベルギーの奇才リュック・ヴァン・アッカー、日本でもヒットしたヴァージニア・アストレイなどが参加していたが、上のジャケットの2ndはさらに豪華・・・かどうか微妙なメンバー。
同じくタキシードムーンのスティーブン・ブラウン、アソシエイツのアラン・ランキン、ベルギーのシンセ・ポップで有名なテレックスのマルク・ムーランとダン・ラックスマンなどが参加している。
プロモーション・ビデオかと思ったら映像をバックに、スティーブン・ブラウンと共に口パクで歌うアンナ・ドミノというリアルタイムのステージだったから少し驚いたよ。それにしても一分の隙もない美貌とスタイル。
この手の音楽に興味ない人でも思わず見とれてしまうに違いない(大げさ)。

本文よりもチャプターのタイトルに悩み、苦労してしまった今回の「ニッチ用美術館」だが、いいかげんながらも何とか書く事が出来たよ。
公開するのは本日10/13なんだけど、記事を書いてたのは大型台風接近と大ニュースになっていた土曜日の話。災害アラートが何度も鳴ったり、いつ停電になるかも知れないという状況でよくも、こんな関係ないブログを書いてたもんだ。

ではまた、オゲヴヮ(ハイチ語で「さようなら」)。

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