俺たちドイト系

【何だかわからないがDIYっぽい映像、本文とは何も関係なし】

ROCKHURRAH WROTE:

先日、用事があり家の近所のドイトに行ってみると「この度、ドイト各店舗の運営がPPIHからコーナン商事株式会社に承継されたことに伴い、2020年1月27日(月)より全店休業とさせて頂いております」などと入り口に書いてあって営業してなかったのでビックリした。
ドイト、などと書いても近場にこの店がある以外の全国の人にとっては「何それ?」だろうけど、確かドン・キホーテ傘下のホームセンターの名称だ。
調べてみると東京、埼玉、福島などの一部の地域にしか店舗がないためにあまり知名度はないと思うし、ROCKHURRAH家の二人もたまたま越した近くに店舗を見つけただけで、それ以前にはドイトなんてものも知らなかったよ。
以前は千葉に住んでいたため、「ホームセンターと言えばコーナンPROショップかスーパー・ビバホームに限る」と二人で語り合っていたものだった。
引っ越した先は都内で、そこまで巨大店舗が近場にはないし困っていたところ、実は歩いてゆけるほど近所にそういう名称のホームセンターがあると知って、喜んだのだった。ちなみに一部の地域を除いて全国展開しているカインズも歩いてゆける距離にあったので喜びは二倍・・・ってほどには利用してないけどね。

この冒頭でもわかる通り、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEはホームセンターが大好きなのだ。
10年くらい前は近くにコーナンPROショップがあるところに住んでいたため、大型連休の恒例行事みたいにスチールラックを買っては作り、部屋の配置換えなど作業に明け暮れていたものだ。
一般家庭にはここまでないと思えるくらいにスチールラックをさまざまな事に活用してて、物流倉庫を部屋にしたみたいな暮らしをしていた。大量の服を所有しているのでクローゼット=スチールラックだらけの部屋、というイメージだ。
これがアダとなって引っ越しの時はスチールラックの解体と組み立てに明け暮れる毎日。イヤになるくらい作って分解したものよ。
ラック以外でも何に使うのかよくわからない小さな金属パーツやボルトやナットなどなど、使う用事はなくてもついつい見てしまうのがウチの特色。二人ともそういう嗜好が似通っていて良かったよ。

ちなみにコーナンは割と全国に展開しているから知名度が高いホームセンターだと思うけど、現場関係のプロが揃えるだけの資材を扱っているPROショップまで併設されていると魅力倍増だ。
ドイトは他の店舗を知らないから近場だけに限って言えば、店構えや広さはそこまで大した事はなく普通のホームセンターに見える。が、中は意外とマニアックにPROショップやスーパー・ビバホームなどと同じような様々なパーツや工具を扱っていて、そこが良かったんだよね。
ドンキ系列からコーナン傘下になって何が変わるのかは不明だけど、リニューアルしたらまた行ってみよう。

さて、この導入部が一体今回のブログ記事とどうつながってゆくのか、みなさんも興味津々だとは思うが、ドイトという不思議な店名がカギとなっている。
ウチも「ドイトってなーに?」と思って近場だから試しに行ってみたらその疑問が氷解した(大げさ)のだ。
この店は大胆にもDO ITと書いて、これをドイトと読ませてると気付いた時は腰が抜けたよ(さらに大げさ)。
ローマ字くらいは何とか読めるけど英語はさっぱり、というおばちゃんとかがそのまま読んだのを大胆に店名にしたのか、逆にネイティブな発音を聞いてそのまま店名にしたのか?創業者が土井さんだったとか?などと気になって仕方がない。

ドイトの名前の由来はDo It Yourself(自分でやれ)からだと思うが、この頭文字D.I.Yが日本でも言われはじめたのはいつごろからだろう?ROCKHURRAHが育った北九州には大昔からナフコと言うこれまた意味不明な店名のホームセンターがあったけど、子供の頃からおそらくDIYコーナーとかあったと思う。
スチールラックを頻繁に作る割には日曜大工への興味はあまりないROCKHURRAHだが、ヒマと金と場所があったら自分で何でも手作りするのは楽しいだろうね。

ロックの世界でも卓越した演奏テクニックがなくても、自分たちだけで何とかやるDIY音楽としてパンクやニュー・ウェイブ、さらにパーソナルになった宅録なども生まれたが、出来上がりの良し悪し、オリジナリティのあるなしに関わらず、何かを創造する事は楽しい事だと思う。
音楽に限らずROCKHURRAHもSNAKEPIPEもそういう自作への情熱というか欲求が似通っているために、一緒にいて刺激しあえるところがいい。最近は色々と自作とは遠のいてるけどなあ。

いやー、今回は前置きが非常に長かったけどやりたい企画は単純明快、そう、ズバリ「Do It」が入った曲特集なんだよ。この展開で全く違うキーワードだったら逆にビックリだろうけどな。
いつもと違うのはDo itと入った曲をいくつか思い出したわけじゃなくて、この前置きだけ先に思いついたという逆さまだった事。結果を先に書くならいっぱいあるかと思った「Do It」はあまりなくて、今回もまた企画失敗の香りがぷんぷんしてきたよ。
まあそういう精神からすれば、失敗を恐れずにDo it(ドイト)!って事になるだろうから、何とか頑張ってみるか。
今回はちゃんと動いてるビデオの動画があまりなくて残念だが、たまにはこういう事もあるさ。

パンク / ニュー・ウェイブの世界で有名なドイトと言えばイアン・デューリーの1979年作2ndアルバムのタイトルがズバリ「Do It Yourself」だったのをまず思い出す。が、このアルバムにはそういうタイトルの曲は入ってなくて単にアルバムのタイトルなだけだった。
他に何かないかなと思って、真っ先に思い出したのがこれ、エコー&ザ・バニーメンの「Do It Clean」だ。
デビュー・アルバムから日本盤で堂々とリリースされていて、順風満帆にファンを増やしていった恵まれたスタートだったバニーズ(このバンドを80年代的に呼ぶと略してエコバニだったけど、通ぶった呼び方ではバニーズと言っててROCKHURRAHも周りもみんなこう呼んでた)だけど、全英1位とかってわけでもないバンドだったから、さすがにシングルまでは出してくれてなかったね。

この曲はアルバムには未収録のシングル「The Puppet」のB面だったから、輸入盤屋が近くにない地域の人にとっては当時は聴くに聴けなかったに違いない。
その頃「リヴァプール物と言えばROCKHURRAH」というくらいに奇妙な収集癖で、誰も知らないようなバンドを漁ってたんだが、誰でも知ってる大物、例えばエコー&ザ・バニーメンなどは「いつでも買える」というような理由で素通りしていた事を思い出す。もっとマニアックな人を気取っていたような、若くてひねくれてたあの頃の自分が今思えば恥ずかしいよ。
こう書くと全然持ってないか聴いてないかのように思われてしまうが、人並み以上にこのバンドの音楽も知ってるし好きなのは間違いないよ。東京に来る前から聴いてたしね。
そして、いつでも買えると思ってたレコードがこんなにも早くいつの間にか身の回りから消えてゆくとは、その頃は想像もしなかった。いや、消えたのはレコードじゃなくてレコード屋と言うべきか。

1980年リリースの「Do It Clean」は彼らの初期の作品につながる力強い名曲だけど、襟や袖の部分が切れたTシャツがヒラヒラしてるところでのギター、気が散って仕方ないような気がするよ。そんな神経質じゃ大物にはなれないか。
そして途中で何か探す謎の動きもあって珍しいビデオなんだけど、探してたのは何とタバコだった。そう、写真でもよく見かけるけどヴォーカルのイアン・マカラック(当時の呼び方のまま。今は違う呼び方されてる)はステージでの喫煙率が高いんだよね。アシスタントがつけてくれて無事に吸えたみたいだが日本では禁止されそうだね。
そういうアクシデント(?)も含めてファンにはたまらない貴重な映像だね。
邦題は「ドイトをきれいに(大ウソ)」。

続いては日本盤が出ていたにも関わらず微妙に地味な位置にあったバンド、グロリア・マンディの「Do It」だ。
邦題は「忘れじのドイト(絶対ウソ)」。
この「俺たち◯◯シリーズ」はROCKHURRAHが捏造した勝手放題な邦題をつける時とつけ忘れる時があって、つけ忘れたまま記事をアップさせた後で忘れた事に気付くと悔しい。けど、わざわざその部分だけ修正して更新するのもバカに思えてね。この歳になってこんなバカな事を真剣に考えるのも情けないなあ。

さて、このグロリア・マンディは時代的にはパンクの真っ只中からニュー・ウェイブに向かう頃の1978年〜79年に活動してたバンド。日本でも「反逆の狼火」などというタイトルでアルバムが出てたけど、指紋みたいなジャケットに全く魅力を感じずにROCKHURRAHは素通りしてしまった。改めて思うがROCKHURRAHは何にでも素通りが多すぎの気がするよ。
後に東京に出て最初は東北沢に住むんだけど、その超貧乏時代にこのバンドの「Glory Of The World」というシングルをなぜか買ったのを覚えてる。まだ毎日通うレギュラーな仕事やバイトがなく、単発のスポット的な仕事しかしてないような時だったな。
当時の下北沢にはレコード屋も数軒あったのに、まだ土地勘がないもんだから確かレコファンの近くにあった「五番街」という店で買ったような記憶。
この店がレコード屋だったのか何の店だったのか覚えてないが安いサングラスを買って、下北にもメガネ屋はあるのに、どういうわけか新宿で度付きサングラスにして以降、ROCKHURRAHと言えば度付きサングラスというイメージでずっと現在に至ってるよ。ああ懐かしき80年代のシモキタ。
それにしてもこの頃の若きROCKHURRAHは意味不明の行動してるな。二回も電車に乗って(作る時と取りに行く時)何で新宿で度付きサングラスにしたのか?

で、シングル聴いた印象は何かちょっと地味な感じで粘着質のヴォーカルが絡みつく、パンクなのかニュー・ウェイブなのかポジパンの先駆けなのかグラムの残党なのか判断の付きかねるシロモノだったな。
このバンドはジャケットとかにバンドのヴィジュアルを載せないタイプだったようで、声だけ聴いてもどんなバンドなのか想像がつかない。後で1stアルバム聴いたらちゃんとカッコ良かったので、あの時に知ってりゃ良かったと少し後悔したよ。
ヴォーカルのエディとサンシャイン(女性メンバー)は後にエディ&サンシャインというちょっとオシャレなエレポップのデュオを始めて、フランスのパンク・バンド、スティンキー・トイズをどうしても思い出してしまう。
スティンキー・トイズもメンバーの男女二人でエリ&ジャクノというエレポップ・デュオを後にやっていて、イメージ的にもかなりかぶるんだけど、当時そう思った人は多いはず。
ちょっと派手なおばちゃん顔のサンシャインと不気味な髪型で病的なエディ。
いかにもフランス風イケメンのジャクノとキツそうな目つきが鋭いエリ。
均衡が取れてるのかどうか、その後別離があったのかどうかは全く調べてないけど、まあ仲良くやって(ドイト)下さいよ。何じゃ?このいいかげんなコメントは?

動画なしが続くが、次はポルトガル産ニュー・ウェイブのバンド、ストリート・キッズの「Let Me Do It」だ。
邦題は「別れのドイト(ウソ)」。
当ブログの別企画で「80年代世界一周 葡萄牙編」などと書いても良かったのだが、惜しげもなく今回使ってやれ(ドイト)。まあそこまで温存するほどのバンドでもないしね。

ジャケットの雰囲気からしてディスク・ユニオンの7インチ・セールとかで200円で売っててもおかしくない感じだし、そう書いてたらどこかで見た事あるような気がしてきた。
ん、書いてるのは2020年だけどROCKHURRAHが言ってるのは最も頻繁にレコード漁りをしていた80年代のどこかの中古盤屋で、という話だよ。
ジャケット右側の二人が区別つかないところに見覚えがあるな(いいかげん)。
このバンドについて詳細は全くわかってないんだけど、この曲が1980年のデビュー・シングルらしい。

今もやってるのかどうかは知らないがROCKHURRAHが子供の頃、福岡地方のCMで「ポルトガル人が長崎へ カステラ カステラ・・・」などという歌があったのを思い出す。大航海時代にスペインと覇権を争っていたポルトガルもいつのまにか一線を退いてしまい、何だかのどかな大国になってしまったものだ。
そんな国でもパンクやニュー・ウェイブはちゃんと浸透して、イギリスよりは一年遅れくらいでも自分たちで音楽を作ってムーブメントを起こしてゆこう、という心意気は良いね。これこそいち早く海外に目を向けたエンリケ航海王子(1394年 – 1460年)の気概を受け継ぐ精神。
うーん、何だか壮大な決意を持ったバンドだと誤解されそうだけど、曲も演奏も歌い方もイギリスのB級エレポップにありそうな雰囲気でポルトガルっぽさは皆無だな。
初期ニュー・ウェイブの香りがするものはいつもROCKHURRAHの評価は高いんだけど、これもまた1980年のポルトガルだと考えると斬新なものだったんだろうね。
ナンバーワンなどとジャケットにシール貼ってるから、どこかで大ヒットしたんだろうけど、その頃のポルトガルではどういう音楽が流行ってたのかは不明。リスボンは燃えていたんだろうか?

静止画のビデオだとやっぱり飽きてしまうから次はこいつを。
ファン・ボーイ・スリー with バナナラマの「It Aint What You Do It’s The Way That You Do It」だ、タイトル長いなー。邦題は「酒と涙と男と女とドイト(ウソでしかも字余り)」でこれまた長い。

1979年頃にイギリスで大ブームだったのが2トーン・スカと呼ばれるネオ・スカのバンド達だった。
60年代ジャマイカのスカがジャマイカの労働者と共にイギリスに渡ってきて、70年代のパンクやニュー・ウェイブと出会って程よくミックスされたのがネオ・スカ。まあネオ・ロカビリーとかネオ・モッズとかネオ・アコースティックとか何でもネオをつけたがってたような時代だったからね。
この辺については確かROCKHURRAHの過去のブログ記事でも同じような事書いてたはずだが、さてどこだったかな?
スペシャルズ、セレクター、マッドネス、ビート、バッド・マナーズなどなど、個性派の面々が独自の音楽を構築していったが、スカというジャンルだけにこだわったバンドよりも自由に何でも取り入れたものの方が個人的には面白かった。中でも見た目も音楽も一番好きだったのがスペシャルズだったよ。
そのスペシャルズのテリー・ホール、ネヴィル・ステープル、リンヴァル・ゴールディングの三人が脱退してそのまま仲良く結成したのがファン・ボーイ・スリーだ。ここにどういう経緯でか加わったのがまだ初期の頃のバナナラマだった。
元々パンクやニュー・ウェイブのミュージシャンとの交友関係が広かった女の子たちだから、素人だった頃から目立ってたんだろうな。バナナラマは誰でも知ってるようなヒット曲を何曲も出した、80年代ニュー・ウェイブの世界に燦然と輝くガールズ・グループだけど、個人的にはファン・ボーイ・スリーとやってたこの頃が一番良かったな。

この曲は元はジャズの名曲だったという事だけど、歌い出しのTain’t What You Do It’s the Way That You Do Itというフレーズは確かに往年のものと近い。が、アレンジの巧みさなのか再現力の乏しさなのかは不明だが、原曲とはイメージがかけ離れたカヴァーとなっていて、独自の路線になってるのはさすが。いかにも80年代初頭のファッションや男三人女三人の健全交際みたいなビデオもいいね。

最後はこれ。
パンク界きってのメロディ・メイカーだったバズコックスの「Do It」。うーむ、知らん・・・と思ったら、これは何と1993年の曲だった。邦題は「帰って来たドイト(ウソ)」で決まりだね。

ROCKHURRAHが好きだったのはもちろん70年代のバズコックスで、もっと限定して言うならば後にマガジンを結成するハワード・ディヴォートがいた頃が一番。「Boredom」や「Breakdown」を初めて聴いた時の衝撃はピストルズを聴いた時以来のものだった。しかし数曲しか残さずディヴォートは去ってしまい、残されたギタリストのピート・シェリーが頑張って軟弱ヴォーカル術をあみ出した。
それ以降は、パンクを色々聴いてる人間ならば誰でも知ってるような曲を次々と量産し、後の時代にも多大な影響を与えたバンドとしてレジェンド級に名高いのは皆さん知っての通り。

一番輝いてた頃には観れなかったが、確か1990年前後くらいに来日したクアトロのライブは行ったんだよね。
みんな太ったおっさんになってたけど、さすがに百戦錬磨のライブ・バンドだから非常に密度の高い公演で、歳を取った事なんか忘れて熱狂したものだ。 この曲「Do It」はそれよりもさらに後って事になるな。
年齢を重ねて恰幅も当然良くなってるが、それを感じさせないほどの現役感に溢れてて、それは初心に帰ったような「Do It」というメッセージからも伺える。全体的に演奏の重量感が増して、ピート・シェリーがそこまでヘナチョコ・ヴォーカルじゃなくなっていた事が残念。
そのピート・シェリーは2018年に63歳で亡くなっているが、パンクをこれだけポップな表現で現代にまで残した功績は語り継がれてゆくに違いない。

以上、たかがドイト閉店くらいの事で連想が広がり、ここまでのブログ記事を書き上げた人間は未だかつていないだろう。これぞドイトが教えてくれたDIY精神だね。

ではまた、アテ マイス(ポルトガル語で「じゃあまたね」)
 

80年代世界一周 波蘭土編

【波蘭土は伝説的なバンドばかり】

ROCKHURRAH WROTE:

2019年の後半はブログを大々的にサボってしまってSNAKEPIPEに迷惑をかけたが、今年は少しは頑張って書いてゆきたいと思うよ。一応な。

全然関係ない話から入るが、BS12というチャンネルに個人的には大注目してて、ウチが(と言うかROCKHURRAH個人的なものが多いけど)懐かしいと思えるようなドラマをひっそり再放送してたりする。
何年か前の話。
大昔に大好きだった「傷だらけの天使」を再放送してるのに途中から気付いて録画してみたが、最初の数話が録れてなくてブルーレイ保存版が焼けない。こういうのは1話からちゃんと並べて焼きたいからね。そういう悔しい思いをしたのがこのチャンネルを初めて知ったキッカケだった。
子供から青年時代にかけて愛読してた「まんが道」のドラマ版を80年代にやってたのさえ知らなかったけど、それは運良く第1話から録画して観る事が出来た。 
運悪く完全に見逃したのが井上ひさし原作の珍しいミステリー「四捨五入殺人事件」。子供の時に原作を読んだ事あるから、他愛もない話ではあるけど、ドラマ版も観てみたかったよ。
さらに脱線するが井上ひさし原作のドラマでは、大昔に石坂浩二がやってた「ボクのしあわせ(モッキンポット師の後始末)」を子供の時に観てたので、どこかでそんなのを再放送してくれたら嬉しいんだが。
さらに海外ドラマもなかなかでドイツの大スケール・ドラマ「バビロン・ベルリン」、ウチでもシーズン1は観てた「ハンニバル」などなど、BS12偉い!と賛辞を惜しまないROCKHURRAHなのだった。
そして極めつけが大昔に楽しく観てた革新的ホームドラマ「ムー」の再放送。
同じく大好きで観ていたSNAKEPIPEと一緒に観る事が出来て嬉しいよ。
こんな時代にまた見れるとは偉い!BS12! 
などと大絶賛してBS12をここまで持ち上げてるROCKHURRAH RECORDSだから、いずれは番組プロデューサーの目にも留まるだろう(希望)。ぜひ続編の「ムー一族」もやって下さいね。 

何で突然こういう関係ない話になったかと言うと、その「ムー」の中で郷ひろみや登場人物の口ぐせになってるのが「一応な」というギャグなのか何なのかよくわからない受け答え。
これでやっと冒頭の文章につながったけど、うーむ、たったこの一言を説明するのに、ここまでの行数書いたのはROCKHURRAHくらいしかいないだろうな。

さて、久しぶりのブログだから何をやろうかと迷ったけど、今回は去年の3月以来やってなかった「80年代世界一周」という企画にしてみよう。
80年代ニュー・ウェイブの中でも、あまり多く取り上げられないような国のバンドに焦点を当てるというナイスな企画なんだけど、 これを専門的に語ってゆければ非常に有意義な記事になったに違いない。
が、そこまで英米以外のニュー・ウェイブに通暁してるわけでもなくて、偏った聴き方しかしてないROCKHURRAHがかなりいいかげんに書いてるので、真面目に研究してるマニアな人とは絶対に語り合えないレベルだよ。

今週は東ヨーロッパの波蘭土=ポーランドに焦点を当ててみよう。
世界一周などとシリーズ・タイトルつけた割には世界の歴史や地理、文化などには全く詳しくないROCKHURRAHだが、やっぱり頭の中にあった場所と地図のポーランドの位置が大きく外れていたよ。
大国ロシア(ソ連)とドイツに挟まれて、例えば国取りシミュレーション・ゲーム的に言えばかなり不利な立地だと言える。実際に過去にはその2つの国によって侵攻されまくってポーランドという国が消滅していた時代もあった、そういう悲惨な歴史が色濃く残る国という印象だ。
今回のブログのテーマはポーランドの80年代ニュー・ウェイブについてだから、政治的な事は抜きにして語りたいんだけど、80年代にはどうしてもまだ社会主義による規制が多かったのは確か。

ポーランドの民主化運動を弾圧するために1981年から戒厳令が敷かれ、「連帯」と呼ばれる労働組合(反共産主義)が取り締まられたり、夜間外出禁止などの規制があったという。民衆の力によって結局は民主化が進み、戒厳令は停止されたんだけど、81〜83年というのがちょうどその時期に当たる。
映画とかでよくあるように夜間外出で怪しいヤツと憲兵に見つかり、逃げたら銃殺・・・というほどではないとは思うけど、実際はどの程度の厳しさだったのか。
そういう戒厳令の中、どうやって彼らは音楽活動をしてたのか、その辺の知識不足は見てきたわけじゃないからわからないけど、まあ堅い話は抜きにして始めようか。

ポーランドと言えば真っ先に思い浮かぶのが首都ワルシャワ、国名よりも有名かも知れないね。
ワルシャワと言えばショパン、などと観光ガイドブックには書いてあるようだが、ROCKHURRAHの世代ではデヴィッド・ボウイの「ワルシャワの幻想」と答える人が多いだろう。
SNAKEPIPEだったら間違いなくボウイではなくスターリンかな?
昔から王道嫌いなROCKHURRAHだけど、80年代初頭くらいまでのデヴィッド・ボウイは一通りは聴いて影響は受けてるのは確か。ただ横顔がカッコいいジャケットの「Low」はちょっと苦手で眠くなる曲も含まれているな。
そこに収録されてる「ワルシャワの幻想」は大半がインストで短いヴォーカル部分は何語なのか不明の歌(ボウイ発案の言葉らしい)が入った名曲で、ジョイ・ディヴィジョンの元のバンド名もここからつけたワルシャワだった。
80年代のいつくらいだったろうか?吉祥寺にWarsawというレコード屋があったのを思い出す。
気になって調べてみたら1990年に開店とある。ROCKHURRAHの記憶もあやふやだな。
そこで一般的にはかなり無名だったベルギーのラ・ムエルテというバンドについて店員と話した時、勧めてきたレコードを全て、さらにそこに置いてないのもすでに持ってると言ったら「え?全部持ってるんですか?」と驚かれたのを覚えている。
これがROCKHURRAHにおけるワルシャワの連想なんだけど、ワルシャワという綴りも響きもいいね。

そんな憧れの地、ワルシャワ出身なのがこのバンド、Brygada Kryzysだ。
実は過去の記事「読めん!編」でも書いてたんだけど、ブリガダ・クリジスと書いてたサイトがあったので、それに倣ってみた。クライジズの方がしっくりくるけど。
パンク、ニュー・ウェイブ世代のポーランドを代表するバンドと言っていいだろう。
と言うより、少なくともその時代に日本の輸入盤屋でもレコードが見つけられた数少ないポーランドのバンドがこれくらいしかなかったんじゃないかな?
1979年に結成して80年代前半に活躍したらしいが、イギリスのフレッシュ・レコードというレーベルから出してたので日本でも少しは流通してたというわけ。
元々KryzysというバンドがあってそこからBrygada Kryzysになったようだが、どちらも共産主義のプロパガンダ・アート的なジャケットに魅力を感じながらも、個人的には素通りしてしまったのが悔やまれる。
フレッシュ・レコードから出てたアルバムは、倒れゆく文化科学宮殿(というイメージ)の横に、いかにも東欧系イケメンが立ってるというROCKHURRAH的には気になるジャケットだった。
いや、その当時は文化科学宮殿なんてものの存在を知らなかったから、エンパイアステートビルか何かだと思ってたに違いない。
実はちょっと前に「世界ふれあい街歩き」で知ったばかりの文化科学宮殿、スターリンが自分の威光を示すためにポーランドに建てたという悪名高き建造物で、地元の人間は貶しまくってたよ。そんなにイヤだったら壊してしまえばいいのにとも思うが、やっぱりもったいないのかね?
そういうスターリニズムの象徴のようなものをぶっつぶせ、と言ってるかのようなのがこのジャケットのコンセプトなのかな?と想像してみたよ。
がしかし、Kryzys名義のレコードはモロにプロパガンダ・アートみたいなのもあるし、「Komunizmu 」なんてタイトルもある。うーむ、ポーランド語も読めないし、反共産主義なのか支持派なのかよくわからんな。

その頃のポーランドはロックが盛んな自由な国ではなかっただろう(想像)けど、このバンドは一応英米にも通用する音楽性と見た目で、この国の音楽としてはかなり堂々としたものだった。
ちなみにポーランドを実質的に支配していたソ連のロックは、国が認めた国家公務員みたいな当たり障りのないロック・バンドもいたが、過激だったり思想的に反共産主義になるものは当然認められてなかったという事になるらしい。ポーランドもたぶん同じような政策だろうから、この手のバンドは反体制として抑圧されてたんじゃなかろうか。ポーランド人の友達もいないから本当は全然わかってないけど。

この曲ではないが、なぜかレゲエっぽい曲調もやってて、その辺はクラッシュやラッツあたりの影響なのかな。
上の曲「Wojna」はポーランド語で「戦争」の事だけど、本当の意味でこの国が自由を謳歌出来るような戦後になったのは日本よりずっと後になってからなんだよね。
うーむ、珍しくいいかげんじゃない方向に話を持っていけた気がするよ。

次もまたワルシャワのバンド、Dezerter。
普通に読んでデザーターかと思ったらデゼルテルなどとよそでは書かれてた。エレキテルみたいなもんか?

1981年にSS-20というバンド名で活動を始めたらしいが、SS-20というのは旧ソ連の核搭載中距離弾道ミサイル、Raketa Sredney Dalnosti (RSD) Pionerという物騒なシロモノ。
そういうバンド名は日本で言えば原爆オナニーズみたいなもんか。
この時代の映像が残ってるが、これは本当にアンダーグラウンドな通路の奥で演奏してるという、こちらが想像する通りの「戒厳令下のポーランドでの非合法地下演奏集会」みたいな感じだった。
観てないけど「ソハの地下水道」というポーランド映画を思い出したよ。それよりもずっと前にポーランドの著名な監督、アンジェイ・ワイダによる「地下水道」というのもあり、これまた未見。
その辺の影響が強いのかもね、などといいかげんな感想を書いてみたけど信用しないように。
SS-20はその後、さすがにバンド名がヤバかったのかDezerterと改名したらしいが、ポーランドの人気、実力No.1パンク・バンドだという。No.2は知らないが。

今では世界のどんな国の音でも手に入るかも知れないけど、80年代初頭にリアルタイムでポーランド盤のレコードは入手困難だったんじゃなかろうか。
聴いてみるとこれはまさに正統派ハードコア・パンクでポーランド語とも見事にマッチしている、と思いきや歌詞の最後に一拍置いて「オー」という掛け声、これでいいのかNo.1。
演奏が速く歌も速いハードコアの場合は、どこの国の言葉もちゃんと一応それっぽく聴こえてしまうという錯覚効果があるからね。
試しにROCKHURRAHが定番としている各国語によるブログの締めくくりフレーズ「ではまた、ド・ヴィゼーニャ(ポーランド語で「さようなら」)」のド・ヴィゼーニャをこの曲で連呼してみてもたぶんそれなりのはず。

ビデオでは地下活動してるはずのバンドが(勝手な想像)こんなにたくさんの聴衆の前で堂々と演奏してて映像もちゃんとしてる、と思ったらこれはポーランドのヤロチンというちょっと笑ってしまう町で開かれる大規模な野外ロック・フェスティバルでの模様を収録したものだった。
木場公園の木場ストック(ウッドストックにかけた情けない野外フェス)よりはずっと面白そうだな。

こちらはワルシャワの西300kmほどにあるポズナン出身のLombardというバンド。
ポズナンは古くからある都市だという事だが、カラフルな壁や屋根がきれいなおとぎ話の街のような感じだね。
首都ワルシャワと同じく戦火にさらされたけど街並みは復元されていて、昔のまんまを残そうという住民たちの熱意に頭が下がるよ。こういうのが本当の民度の高さというものだね。
さて、そんな美しい街の出身であるLombardは1981年に結成、現在もまだやってるというから相当に息が長いバンドだ。
これもまた普通に読めばロンバードなんだけど、上のデゼルテルみたいな感じでロンバルドなどと言うのかな?
紳士服のメーカーとかでありそうだよね。ビジネスマンの強い味方、防水、防汚、防臭、防シワ加工がほどこされたロンバードの高級スーツ、とか。

このバンド、本来はたぶんニュー・ウェイブでも何でもなくて古臭くて垢抜けない(今どきあまり言わない表現)男たちのパッとしないバンドだったんだろうが、なぜかその頃目新しかったパンク、ニュー・ウェイブ系の美女に歌わせてみたら思いのほか成功したというパターン。しかもこのバンドはもうひとり歌姫を擁してるんだよね。
失礼な言い方なのを承知で言えば、こういうロックの後進国に限らずイギリスでもアメリカでも垢抜けない男たちに囲まれた歌姫という形態のバンドが割とあるような気がする。レコード会社が「あんたたちのルックスでは売れそうにないから歌手志願のこの娘と一緒にやればデビューさせてやろう」みたいな戦略もあるだろう。
ダサいバンドが美人を誘ったらうまくヴォーカルになってくれたって話もあるにはあるだろうけど、こちらのロンバードはどうなのかね?日本語の情報が全くないのでその辺は全て想像ね。 

Małgorzata Ostrowskaという(読めん)ヴォーカル女性の見た目はかなり頑張ってるけど、バックバンドのどうでも良さが漲っててかわいそうになってしまうよ。
「パッとしないかも知れないけど楽曲作ったのは俺たちなんだよ」などと言い張るかも知れないが、うーん、もう少しセンスのいいバックバンドと出会ってたらMałgorzata嬢もポーランドを代表する歌姫になれたかも。

お次はこちら、ワルシャワの南に位置するプワヴィという工業都市出身のSiekieraというバンド。
うーむ、日本語にすると「斧」というバンド名なのはわかったが、カタカナで書いてくれてるサイトが見つからないのでROCKHURRAH得意の「読めん!」だよ。たぶんみんな自信を持って読めんに違いない。
普通に読むとシェキエラなんだろうが、どうせまた違うんだろうな。

京都のJet Setというレコード屋はROCKHURRAHも何回か行ったことあるけど、そこのコメントでは「’80s欧州最大級の音楽フェスJarocin Festivalでも多くの観客を沸かせた伝説のバンド」と評されているな。
おお、デゼルテルの時にも出てきたヤロチン・フェスね。
しかし「伝説の」などと書いてはいるものの当時の日本で紹介されてたのかね?数少ないマニアはいたんだろうけど、いつ、いかなる時に伝説となったのか知りたいよ。

どうやら初期はOi!スキンヘッドとハードコア・パンクの折衷みたいなバンドだったとの事だけど、同名の別バンドじゃないかと思って調べてみたら、やっぱり同じバンドらしい。うっそー、初期と後期で見た目と音楽性が全く違うのにビックリだよ。レコード・デビューした時にはすでに後期のサウンドになっていたと言うべきか。本当なのかな?

上の方のビデオの曲「Misiowie Puszyści」は1986年に出た1stシングルのB面の曲。
日本語に訳すと「ずんぐりしたクマ」などと、ほのぼのしたタイトルだが副題の「Szewc zabija szewca」は「靴屋は靴屋を殺す」という意味不明のもの。確かに聴けばそんな感じだね(いいかげん)。
鋭角的なギターと呪術的な歌、イギリスの暗めのバンドのエッセンスも取り入れた、この時代のポーランドとしてはかなり通好みの音楽。チープだけど「いかにも」な場所で撮影されたビデオも雰囲気にバッチリ合ってるね。
イギリスやドイツのダークなパンクが好きだったら気に入るかも。
しかし上のハードコアと同じバンドなのか?今でも信じられんぞ。 

ポーランドのロックだとかニュー・ウェイブ時代の事情をさっぱり知らずに書いてるから、最も重要なバンドをすっ飛ばして書いてたりするのは当たり前。そういう知らぬもの勝ちな態度で書いてきたけど、最後はこのRepublikaだ。
これはどう考えてもリパブリカで読み方間違ってないよな。
そして、どうせまたポーランドの伝説的なバンドなんだろうなあ。
共和国という意味のバンド名で多くの共和国はナントカRepublikaとなるが、ポーランドだけはRzeczpospolitaという特殊な単語が使われた共和国になる。何でかは不明だし今知ったけど明日には忘れる知識だなあ。 

Republikaはワルシャワ北西のトルンという世界遺産の街出身で、1981年くらいから活動してるとの事。
とても有名なポーランドのバンドらしく、英訳された歌詞まで載ってるビデオもあったしトリビュート・バンドまで存在してるそうだ。
ビデオももう少し凝ってて面白いものもあったんだが、これはデビュー曲の「Kombinat」でおそらくライブ風景という珍しいもの。原曲は1983年リリースだがたぶんその頃の映像だと思う。
日本でも使うコンビナートという言葉、元はロシア語だったのも今、調べて初めて知ったよ。
ブログの内容によるけど、何かわからないものに対して調べる事によって少しは何かの知識を得る。
人から教えられた事よりもその方が後に残る記憶になるね。 

ヴォーカルがキーボードの割にはテクノやシンセポップの要素は特になく、初期ニュー・ウェイブ時代の簡素なアイデアをそのまんま楽曲にしたような懐かしい感じがするよ。歌い方や曲調はヒカシューに似てると横でSNAKEPIPEが言ってたが、見た目の割には結構情感たっぷりに歌い上げるタイプ。なぜか真上からのカメラアングルもライブ映像としては斬新。
結構、芸達者なヴォーカルらしくて途中からキーボードをフルートに替えて熱演してるさまがロキシー・ミュージックに途中から参加したエディ・ジョブソンを思い出す。あっちはキーボードからヴァイオリンに持ち替えてのソロ・パートだったけど。

以上でポーランド編は終わりとするが、動画のないバンドは敢えて取り上げなかったから、かなり偏ったものとなったのは間違いないよ。この国のパンクやニュー・ウェイブなら任せろというほど詳しい国はないから、今後もこういう姿勢になるのは間違いないね。

それでは皆さん、風邪やインフルエンザに気をつけて。
ド・ゾバチェーニャ(ポーランド語で「ではまたね」) 

2020年元旦

20200101_top.jpg
【ROCKHURRAHが18歳の時に作った曲の歌詞をフランス語化してみたよ。陳腐?】

ROCKHURRAH WROTE:

明けましておめでとうございます。
2020年もROCKHURRAH RECORDSをよろしくお願いします。

年頭の挨拶が去年元旦のブログと全く同じだな・・・。

ブログ記事の方ですっかりご無沙汰になってしまったROCKHURRAH、何と10月以来の登場となるよ。
その間、何かやってたのか?と言うと特に何もやってなくて、SNAKEPIPEの横にいるんだけどあまり役に立ってない状態。「冬になれば行動的になる」などと夏の間は書いてたのにね。
強いて言えば今回の年賀状デザインを試行錯誤してたくらいか。
秋冬になってからブログを書く最終リミットである土曜日に出かける用事が多く、帰ってからでは筆が遅いROCKHURRAHでは間に合わないから、割とスラスラ書けるSNAKEPIPEにお願いしてしまうという悪い習慣。
絶対に文筆家には向かないだろうな。
いつもそんな時に記事を仕上げてくれるSNAKEPIPEには本当に感謝してるよ。

久しぶりだからどんな感じで記事を書いてたのかさえ忘れてしまってるような気がするが、そうそう、去年はどんな一年だったか振り返るというのが元旦ブログの定番だったね。

2019年は個人的には「とてもしんどかった」「とても残念」に満ち溢れた一年だったな。
しんどいの方は人が読んでも面白くないし、同じような体験で共感や同情してくれる人はいなくはないだろうけど、書いてて楽しいものでもないから省略するよ。ただ年末までとにかく「きつかった」なあ。

残念の方はブログ記事でも書いたけど、夏にiPhoneを間違って洗濯してしまったのがまずひとつ。
日常生活ではしょっちゅう「スマホを落としてダメになってしまった」とか「無くしてしまった」とか実際に聞いてて、慣れっこみたいなリアクションや対応をしてる人が多いのに驚いてしまう。
ROCKHURRAHは基本的には「ものを無くさない、壊さない」というのをモットーとしてるので、たかが数万円のものでも悔しくて残念という気持ちが強いよ。

もう一つ、心の大きな喪失感は去年秋のZOZO CHAMPIONSHIP。
この日を楽しみに上記の「きつかった事、しんどかった事」を耐えてきたROCKHURRAHだったが、何とチケット買った観戦日がよりによって台風上陸の真っ只中。中止ならまだわかるが観客の安全を考えての「無観客試合」として、チケット持ってて試合もやってるのに観に行けないというこの虚しさ情けなさ。
これは去年一番のマイナスな出来事だったよ。今でも思い返すと怒りがこみ上げてくる。
マキロイやスピース、タイガー・ウッズが観たかったなあ。

良かった方の出来事は2018年に引っ越してから、周りの環境が良くなってストレスが少なくなった事や美術館やちょっとしたギャラリーの展覧会に気軽に行きやすくなった事が大きいね。そんなに大した距離の差でもないんだけど、フットワークは明らかに軽くなったはずだよ。

さて、遂に2020年を迎えることになってしまった。 
ROCKHURRAHの世代が子供の頃はノストラダムスの大予言の影響で、1999年が世界にとって節目の年だと色々と悪い想像をしてたもんだけど、特に世界地図が変わる事もなく21世紀になり、はや20年も経過している。
子供の時に想像してた未来社会とは全然違うけど、イヤな未来にだけはなって欲しくないよ。

今年はやっぱり雰囲気が好きな成田に初詣に行ってきた。都内にも色々あるけど、やっぱり「ちょっと出かけてきた」という雰囲気を味わいたいからね。
そして恒例のおみくじ、2年連続で大吉だったROCKHURRAHは今年は吉、毎年パッとしない運勢ばかり引いてきたSNAKEPIPEが見事、大吉になって大喜び。めでたい正月になって良かったね。
二人とも今年から環境が変わるので、それが開運へのきっかけになればいいと思うよ。
毎年のように言ってるけど、今年も自分たちにとって楽しいと思える事を一番大事にして暮らしてゆきたいよ。
 

ニッチ用美術館 第5回

【なぜか前よりも貧相になったオープニング映像】

ROCKHURRAH WROTE:

2017年の春から始めた新企画「ニッチ用美術館」なんだが、トップ画像を動画にするのがちょっと面倒な事もあって、なかなか新しい記事が書けないでいる。要するに記事の下準備に時間がかかるってわけね。

ちなみにタイトル見ればあのTV番組のパロディなのはすぐにわかるが、何でニッチなの?という説明が毎回必要なのがさらに難点。 まあ前回までの記事の冒頭にしつこく説明が書いてあるので律儀に読んでもらえればウチの方針もわかるだろう。
で、やってる事はROCKHURRAHの得意分野、70年代パンクや80年代ニュー・ウェイブの時代のレコード・ジャケットを展示して、それをアート的視点から語ってみようという試み。
しかし語るほどアート界に詳しくないというパラドックスに満ち溢れた記事になっていて、何だかよくわからん趣向になってるな。これがROCKHURRAHの底の浅いところ。

では時間もあまりない事だし、早速第5回目の展示を見てみるか。

ROOM1 鑵詰の美学

チャプターのタイトルが第2回から、なぜか普段使わないような難しい漢字でやるようになってしまったんだが、それを考えるのが面倒になったのでまた通常の読み書きが出来るタイトルに一部戻す事にした。そこまで面倒を苦にするタイプじゃなかったんだけど、最近個人的に週末にあまりヒマがなくてね。
日常的に鑵詰と書く人はあまりいないと思うが、普通は缶詰でコトが足りるよね。自分でもこの鑵の字は書かない(書けない)なあ。
同じような意味なら罐という漢字の方がもう少しポピュラーな気がするけど、あえて一般的ではないはずの鑵にしてしまった。
止せばいいのに調べてしまったら林芙美子や泉鏡花などもこの鑵詰を使用していた模様。

ROCKHURRAH家ではほとんど缶詰を食べないので、缶切りは昔ながらの安っぽい手動のものしか使わない。フチに引っ掛けてキコキコ上下に切ってゆくタイプね。何十年使ってる?というほどの年代物だけど何も問題ないよ。
ツナ缶やフルーツ缶などプルタブで引っ張って開ける形式のが増えたからか、最近では缶切りを使えない若者が増えているという話を聞いたのがすでに何年前なのか?
実はSNAKEPIPEも瓶や缶のフタを開けるのがあまり得意ではないんだけど、これは使い方知らないわけじゃなく単に腕力なさすぎなだけ(笑)。 

ちなみにこの缶詰というシロモノ、発明されたのは19世紀初めらしいが、これを開けるための缶切りが登場するのはそれから数十年経ってからの話だと聞いた事がある。それまではかなりバカっぽい開け方をしてたんだろうな、と想像するよ。斧で叩き割る、とか大鋏でぶち切るとか、銃で撃ち抜く、とかそういう開け方したんじゃなかろうか?
開ける時の苦労を全然考えずに発明者は「缶に入れる事によって保存が出来た、ワハハ便利!」などとはしゃいでたんだろうな。

さて、このどうでもいい導入部から鑵詰、鑵入りをテーマとしたジャケットになるのはミエミエだが、それ以前にジャケット写真を展示したから見れば一目瞭然だったな。
レコードのジャケット・アートという観点からはどうかな?とは思うけど、映画のフィルムを入れる缶のような形態で発表されて音楽界を驚かせたのが、パブリック・イメージ・リミテッド(PIL)の2ndアルバム「メタル・ボックス」だ。

「(パンク)ロックは死んだ」という有名な発言でセックス・ピストルズを脱退したジョニー・ロットンが本名ジョン・ライドンに戻りスタートさせたのがPILだった。
パンク・ロック以降のニュー・ウェイブの中で、既存のジャンルに当てはまらないような音楽をポスト・パンクと後の時代には言うようになったようだが、この時代に生まれた「何と呼べばいいのかわからない音楽」はみんなが勝手に何か名付けていたような感じだった。
ジョニー・ロットンの「ロックは死んだ」発言やワイアーの「ロックでなければ何でもいい」みたいな発言は一人歩きして様々な音楽論が交わされたけど、そこまで深読みしなくても、単純に昔のようなロックをやらないという意味合いでいいんじゃなかろうかと思うよ。パンク以降に生まれた音楽は何かの影響を足したり引いたりして自分なりのスタイルを作り上げてきたわけだからね。

パンクの大スターだったジョニー・ロットンのバンド、PILはセックス・ピストルズとは全然違った方向性で初期ニュー・ウェイブの時代に衝撃を与えたのは間違いない。
その2ndアルバム、1979年に発売された本作「メタル・ボックス」は缶に入った状態で売られているという見た目のインパクトが大きく、話題性も抜群だったな。
映画のフィルム入れる缶みたいだと連想したが、実は地雷をイメージしたものだったらしい。うーん、どっちも現物を見た事ないから何とも言えないな。

缶の中身はLPではなく12インチ・シングル3枚組という構成。
LPよりも高音質だという事でパンク以降に急速に普及した12インチ・シングル。
多くのバンドが7インチと12インチの両方を同時リリースして、12インチの方には少しボーナス・トラックをつけるという手法がポピュラーになったのも70年代後半からだったね。
ROCKHURRAHはどちらかというとパンク・ロックの象徴のような7インチ・シングルに魅力を感じて、こればっかりを集めてたけど、収納場所を考えれば全部12インチで統一した方が良かったのかも。
ちなみにレコードを缶に入れて発売するというアイデア自体はPILより前にもあったようで、グラモフォンというレコード会社がすでに1971年に商品化していたようだ。
が、ROCKHURRAHの全く興味ないような古いロックのものだったので知りもしなかったよ。

後にLPレコード2枚組として発売されたけど、同じレコードでこのようにコレクターズ・アイテム盤と通常盤みたいに発売する手法もこのレコードくらいから登場したように思う。そういう意味でもPILは先駆者だったんだろうね。

収録曲の中でも有名なのがこの「Swan Lake」、訳さなくてもわかる通り「白鳥の湖」を大胆にアレンジしたPILの初期代表曲でもある。シングルの時はなぜか「Death Disco」となってたな。
「地を這うような」とよく評されるジャー・ウォブルの重低音ベースラインと金属質なキース・レヴィンのギター、そこにジョン・ライドンのグニャグニャなヴォーカルが加わったPILの音楽は当時としてはとても斬新なものだった。
こういう音楽はポスト・パンクという言葉がまだ一般的でなかった時代にはオルタナティブという括りで語られていたように記憶する。
もちろん、90年代によく言われてた「オルタナ系」とはニュアンスも違うし、この当時は「オルタネイティブ」とみんな言ってた気がするよ。
この後にイギリスの新しい音楽はよりポップになる路線とこのように従来とは違う刺激的な音楽になる路線、PILやスリッツあたりから分岐されてゆきパンクもニュー・ウェイブも多様化していった。
普通だったら売れない路線でもそこそこの知名度や評価を得る、その先駆けになったバンドとしてPILの残した功績は大きいと思うよ。

ROOM2 渺乎の美学
通常の読み書きが出来るチャプター・タイトルに戻すとさっき書いたばかりなのにまた一般的じゃない小難しい表現にしてしまう。この辺にまだ迷いが感じられるな。
渺乎と書いて「びょうこ」と読む。
大変小さいさま、という意味合いらしいが昔の物書きでもない限り、たぶん使わないだろうな。ROCKHURRAHもこんな言葉を今まで使った事がないよ。
 
狭い日本の狭い部屋を考えたら電化製品でも何でもコンパクトになってゆくのは自然の流れ、というわけで1980年代以降はずっとその傾向になってきていたのは間違いない。
特に身につけて持ち運ぶものは小型化・軽量化が必須となっているのは皆さんご存知の通り。

最近では知る人も少ないけどMD、ミニディスクが90年代に登場した時にROCKHURRAHは飛びついて購入した。
フロッピーディスクをちょっと小型にした手のひらサイズが気に入ったのと、カセットテープよりは劣化が少なそうに感じたから、録音出来るソニーのMDウォークマンを持ってたよ。
当時持ってたMacはHDDの容量がとても少なくて、音楽だの映像だのを中に貯め込む事が出来なかった。
Macで録音したレコードを波形編集ソフトで編集、それをさらにMDに録音・・・などというかなり面倒な事を喜んでやってた記憶があるよ。よほどヒマだったのかねえ? 

スマホとかは軽量化も必要だけど、より大画面でより高性能というユーザーのわがままに翻弄されて、一定の大きさから脱却出来なくなってるのが実情だね。
映画「ズーランダー」で馬鹿らしいくらいの小さな携帯電話が出てきて笑ったけど、小型化を突き詰めるとああいうギャグにしかならない。シャレで実現化するメーカーがあったら一瞬だけでも話題になるだろうね。
SFやアニメにあるように目の前の空間がディスプレイになって・・・などというのが実現するかどうかは科学知識のないROCKHURRAHにはわからないけど、もっと違う新しいテクノロジーも生まれる可能性はあるだろうね。 

さて、これもまたジャケットアートについて語る「ニッチ用美術館」の主旨とは違うけど、レコードを聴くという根本的な事をとってもニッチに展開した功績により、ここに紹介したいと思う(偉そう)。
上のジャケットだけを見ても何だかよくわからん普通の感じだが中身はこうなってるのさ。

90年代くらいを知る人ならシングル盤のCDで8センチのものがあったのを覚えているだろう。いつの間にか消えてしまって見なくなったけど、あれを彷彿とさせるこの代物は実は小さなレコード盤なんだよね。そして左上にあるのがこのミニミニ・レコードを再生するための専用プレイヤー。
実用的じゃなくても意味不明の小さいポケットがついた服とか見ると「かわいー」と気に入ってしまうSNAKEPIPEだったらこれを評価してくれるだろうか?

このレコードを聴く事だけのために作られた小型プレイヤー、そしてこの小型プレイヤーでしか再生出来ない(試してみたわけでないから詳細は不明)小型レコード。この組み合わせ以外には全く意味をなさないシロモノという点で現代アート的手法と言えるんだろうか。
とにかく「誰にでも等しく体験出来る」という事に対するアンチテーゼなのかは不明だけど、問題作なのは確かだね。ROCKHURRAHの解釈は陳腐だね。

Die Geniale Dilletanten(天才的ディレッタント)というダダイストのグループを主宰していたヴォルフガング・ミュラーによってベルリンで誕生したDie Tödliche Doris(ディー・テートリッヒェ・ドーリス)、芸術活動の一環としてバンド形式のパフォーマンスを行っていた三人組だ。
ウチのブログでも何度も書いてきたノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)の中でもとびっきりの変わり種として名高い。
このレコードのセットもコレクター心をくすぐるユニークなものだが、他の作品でも別々にリリースされた2枚のレコードを同時にかけると第3の音楽が現れる、とか音楽そのものよりも現代アート的「こけおどし」みたいなものが話題となっていたね。
日本では「致死量ドーリス」という漫画のおかげなのか、バンドの予想を超える知名度を得たけど、漫画の読者が彼らの音楽を理解出来たか(聴いたりしてたのか)どうか不明。ちなみに昔は古本屋で働いてたから買い取りやクリーニングはしてたROCKHURRAHだけど、漫画は読んだことない。

ノイズと不協和音による破壊的で即興的な演奏をするバンドは山ほどいて、個人的に心地良いノイズもあれば不快なだけのノイズもある。そういう音楽は全くダメって人の方が世の中の大多数だとは思うけど、アーティストと聴き手の波長が合ってれば(または合わなければ)どんな音楽でも最高だったり最低だったりする。ん?当たり前?
このバンドはROCKHURRAHにとってはやりたい事があまり伝わって来ない類いだったけど、何枚かはレコードも持っていた。上述の第3の音の片割れも持ってたけどもう1枚は持ってないし、同時にかける2台のプレイヤーも持ってなかったから未体験。

そう言えば大昔に下北沢のレンタル店で働いていた折、同僚の子がこのプレイヤー付きレコード・キット「Chöre & Soli」を店に持ってきて自慢していたので、見たり触ったりした記憶がある。今だったら相当に高値のレコードだと思うけど、この頃は限定1000部でも普通に手に入れる事が出来た良い時代。
仕事中だからさすがに聴いてはいないけど、内容は理解に苦しむ変なアカペラだったはず。

ビデオの方は現代アートにありそうな不穏で不気味なもの。よくわからん映像作品として鑑賞はしても、これを聴いて「さすが」などと感銘を受けるほどROCKHURRAHの心は広くないよ。

ROOM3 益荒男の美学
一般的にあまり馴染みがなく、使われない言葉だとは思うが、ある年齢以上の相撲好きの人ならばすぐに読めてしまうだろう。1980年代後半に福岡出身で益荒雄(ますらお)という人気力士がいたからだ。
などと知った風に書いてるROCKHURRAHだが、相撲に興味を持って観ていた記憶は特にないなあ。さらに同郷だからといって応援するような意識もなく、何に対しても割と薄情な青年時代だったなと思うよ。それくらいでも名前を知ってる有名人だったという事だね。

益荒男とは「強く勇ましく、りっぱな男性」だというような意味らしいけど、パンクの世界で最も強そうな見た目と言えばOi!と呼ばれた一派かな?と思ってつけたのがこのチャプター・タイトルだ。ただし「りっぱな男性」かどうかは個人差があるので不明だけどね。

ロックに詳しくない人間と友達になった事があまりないので、そういう人たちがどんな認識を持ってたのかは知らないけど、想像するとおそらくハードコア・パンクと昔のヘヴィメタルの違いなどはイマイチわからんのじゃなかろうかと思えるよ。服装やアイテムも一部共通だしね。
今の時代はファッションと聴いてる音楽がまるで一致してない場合も多数なので断言は出来ないけど、逆にオイ!については特徴が顕著でヴァリエーションが少ないから、比較的わかりやすいジャンルじゃなかろうかと推測する。
とにかく一番の特徴はスキンヘッド、坊主頭。そして裾を短くロールアップしたジーンズにドクターマーチンやゲッタグリップなどの編上げブーツ。ジーンズはなぜかベルトではなくサスペンダーで吊るすのが定番。これにMA-1を着たら大体誰でもOi!、あるいはスキンズとして見た目は通用するでしょう、という世界。
服装や使われてるアイテムから、イギリスでは工場や物流倉庫の労働者たちに支持されて、70年代後半のパンク・ロック発生のすぐ後くらいからOi!のムーブメントは一大勢力になっていった。
ネオナチとOi!の集団の見分けがつきにくいために極右思想と誤解されたり、大規模な暴動事件により色々とトラブル、紆余曲折のあったジャンルだったが、あまり難しく深い思想を語らないROCKHURRAHだから、この辺を詳しく書くのはよそう。
ニッチ用美術館の趣旨とは違うからね。

さて、そんな時代背景をいいかげんに綴ってきたが、このジャケットはOi!の有名バンド、ビジネスの1stアルバムのものだ。
1979年結成との事だけど、レコード・デビューは少し遅く、このアルバムなども1983年の発表だ。
初めて知ったのはまだROCKHURRAHが小倉に住んでた頃、福岡のKBC(この記事にも書いてる伝説のレコード屋)で見かけて気になっていたものだ。
ガラの悪そうな工場労働者のイラストは80年代最初の頃のTシャツとかでいかにもありそうなもの。
大昔に竹下通りにあった「赤富士」で買った似たようなシャツを、修学旅行のみやげで友達にもらって喜んで着ていたのを思い出す。
まだその頃のROCKHURRAH少年はロシア構成主義もプロパガンダ・アートも知らなかったけど、こういうジャケットに惹かれるのは昔も今も好みが変わってないって事だね。ぶれてないけど進歩もしてないのか。
ジャケットのデザインとしてはむしろ下に小さく写ってるメンバーの写真が邪魔だと思えるよ。 

ビジネスはエンジェリック・アップスターツとか4スキンズとかちょっとカッコいいバンド名(あくまでも個人の感想です)に比べると、イマイチありきたりな名称だし、メンバーの見た目も地味でイマイチ。
要するに失礼ながらOi!を目指す若者が「マネしたい」と思うような要素があまりないようなバンドだったな。
しかし曲はカッコ良くて好みって人も多い事だろう。「バナナ・ボート・ソング」として有名な「Day-O」をちゃんとパンクの名曲としてカヴァーするようなセンスが玄人受けするバンドだったよ。
一般的なヒットとは無縁のバンドでプロモーション・ビデオやTV出演の映像とかもないけど、数少ない動いてる映像がこれ。うーん、曲は確かに王道だけどやっぱり見た目がなあ。客の方にむしろ益荒男がいそうだよ。

ROOM4 鶯乱啼の美学
一般的には使いそうのない言葉を必死で調べてわざわざ使ったのがミエミエのタイトルだが、鶯乱啼と書いて「おうらんてい」と読むらしい。誰がどんな時に使うのかは全く想像もつかないけど、昔の書物にでも出典があったのかね?「うぐいすが激しくそこかしこでさえずるさま」などと勝手な解釈をしてみた。
これは3月の異名との事だけど、ちょっと調べただけで数十もの異なる呼び名が出てきてビックリだよ。言葉遊びなのか新しい名称を発明したのか、昔の人の言葉や表現に対するこだわりには脱帽するばかり。
ヤバい、などと全国共通で使ってる場合じゃないよ。

で、何でこのジャケットのチャプター・タイトルが鶯乱啼なの?とまともに疑問に思ってくれる人も少ないはずだが、鶯乱啼→3月→弥生→彌生という事でやっとつながった。ROCKHURRAHのこじつけもひどすぎ。
描いた人はまるで違うとは思うけど、このジャケット見たら彌生しか思いつかなかったというワケ。草間彌生以前にも水玉や南瓜を描き続けた人はいたかも知れないけど、こういう模様を世界的に有名にしたのはたぶん彌生、きっと彌生(意味不明)。

このド派手なジャケットは1980年代後半に活躍したスペースメン3というバンドの1990年に出たシングルのもの。
彼らやメンバーのソニック・ブームは同時代というよりは少し後に一部で熱狂的なファンがいて評価が高かったという記憶があるが、デビューした80年代後半の頃は「久々に登場したドサイケのバンド」という印象だった。
単語みたいに書くと意味の通じない現代人もいるかも知れないから説明するが「すんげーサイケ」とか「超サイケ」とかではなく、なぜかこの時代にはドサイケと言う表現が一部では(もしかしてROCKHURRAHの周りだけ?)使われていたのだ。ド素人とかと同じような使い方かな?
確かにスペースメン3の最初の頃は本格的にサイケデリックを志すバンドとして、80年代のお手軽なネオ・サイケなどとは一線を画する路線だった。ただし個人的な好みで言うと、一体何が素晴らしかったのかROCKHURRAHにはイマイチわかってないバンドのひとつだった。
かつてネオ・サイケとかのレコードを漁ってた頃に1〜2枚は所持していたし、その後のソニック・ブームまで持ってたから何かを感じて買ったのは間違いないんだが・・・。

なんか抑揚がなくてどこを聴いても同じような感じ、しまいには寝落ちしてしまうような音楽だという印象なんだよ。音楽に何を求めるかは個人の嗜好だとは思うけど、ドラッグ・カルチャーが基本的にはないはずの日本では根付くのが難しい種類の音楽だと感じたよ。

上の彌生ジャケットのシングル曲「Big City」はそんな彼らの中ではノイジーなファズ・ギターも入ってない、珍しく聴きやすい一曲。同時代のマンチェスター・サウンド(マッドチェスター)あたりとも通じる雰囲気で、彼らのコアなファンからはたぶんあまり評価されないような気がするよ。
全く影響は受けてないだろうし偶然なんだろうけど、スキッズのヒット曲「Charade」のB面だった「Grey Parade」みたいなフレーズが後ろの方で流れているけど、スコットランド民謡とかに原典があるのかな?

初期とは演奏のスタイルが違うせいもあるけど、やっぱり根底にあるのは「抑揚がなく、どこを聴いても同じような感じ」の金太郎飴状態。オーストラリアのサイエンティスツというドサイケなバンドもそういう路線を得意にしてたのを思い出す。
ROOM4まで書いておいて言うのも何だが、実は今回選んだジャケットのバンド、個人的に聴き狂ってたようなのがなくて、そのせいもあって筆が重いんだよね。ここまで書いてそれを打ち明けるか?
ニッチ用美術館、わずか5回目で存続の危機だね。

ROOM5 安娜の美学
「○○の美学」が思いつかなくてついに当て字に走ってしまった、というくらいに今回のは、人によっては取るに足らないチャプター・タイトルで相当に悩んでしまった。

「安娜?うーん、聞いた事ない言葉だよ」と大部分の人が思うだろうけど、これは中国語でアンナという女性名を表記する時に使う漢字のヴァリエーションのひとつらしい。
日本ではAnnaはアンナでいいけど、中国になるとなぜか漢字表記される場合もあるようだ。カタカナがない国だからそうなってしまうのかね。大して調べずに行き当たりばったり書いてるから、その使い方のルールなんかも全然わかってないんだけど。
身近な例を言うと、かつてパソコンのメインボードを中心に扱う台湾の企業(の日本拠点)で働いた時に、社員はみんな外人の名前で呼び合っていて、ジェニファーだのアンディだの、一体どこの国?と思っていたものよ。

というわけで無理やり中国語の安娜をチャプター・タイトルにしてみたが、たぶん中国要素はまるでないなあ。

さて、美術館とタイトルに付けるくらいだから一つくらいは絵画風のジャケットを展示しなきゃな、と思って選んだのがこれ、1986年にリリースされたアンナ・ドミノの2ndアルバムだ。
うーん、選んでは見たものの、この手の普通の意味での風景画や静物画を特に苦手としているROCKHURRAH。
誰かの作風(強いて言えばセザンヌにちょっと近い?)でこんなのあったかも、くらいの印象しかなく、もし美術館で展示してあっても素通りしてしまうだろうな、という感想しか持てないよ。ごめんよ安娜さん。
このジャケットだけ見ても何だかよくわからんけど、裏ジャケはこの絵の延長である部屋の内部になっていて、椅子に座ったアンナ・ドミノ本人(おそらく)の似てない姿も描かれている。
自分の方を表ジャケットにしてないのはあまり気に入ってなかったのかもね(推測)。

アンナ・ドミノはアメリカ軍人の娘として、なぜか東京の米軍関係の病院で生まれたアメリカ人だ。若い頃にイタリアやカナダ在住の経験もあり、オンタリオ芸術大学でレコーディングの技術も身につけたという、羨ましいようなインターナショナルな経歴を持つ才女なんだね。
そんな彼女が活動の拠点としてレコードを出してたのがアメリカではなく、ベルギーのLes Disques du Crépusculeという有名レーベルだった。別に詳しくは書いてないが「ニッチ用美術館 第3回」でも少し取り上げたクレプスキュール・レーベル(ポール・ヘイグの項参照)は、80年代前半くらいにオシャレなカフェなどのBGMで需要が多く、そういう雰囲気のあるアーティストを続々とリリースしていたよ。
スピログラフ(曲線の模様を描く歯車のような定規)で描かれたようなレーベル・マークも知名度が高く、クレプスキュールのレコードは日本のレコード屋で簡単に手に入るくらいに、インディーズ・レーベルとしては最も普及していたと思うよ。
イザベル・アンテナとアンナ・ドミノはその中でもレーベルの看板娘として人気になったものだ。
アンナ・ドミノはとにかく80年代的な割と鋭い眼差しの美貌と髪型やファッションで、しかも上記のようなすごい経歴の才女。いかにもフランス風美女のイザベル・アンテナと比べるとちょっとキツめの印象があって好みが分かれるところ。

1stアルバムではタキシードムーンのブレイン・L・レイニンガーや後にリヴォルティング・コックスで有名になるベルギーの奇才リュック・ヴァン・アッカー、日本でもヒットしたヴァージニア・アストレイなどが参加していたが、上のジャケットの2ndはさらに豪華・・・かどうか微妙なメンバー。
同じくタキシードムーンのスティーブン・ブラウン、アソシエイツのアラン・ランキン、ベルギーのシンセ・ポップで有名なテレックスのマルク・ムーランとダン・ラックスマンなどが参加している。
プロモーション・ビデオかと思ったら映像をバックに、スティーブン・ブラウンと共に口パクで歌うアンナ・ドミノというリアルタイムのステージだったから少し驚いたよ。それにしても一分の隙もない美貌とスタイル。
この手の音楽に興味ない人でも思わず見とれてしまうに違いない(大げさ)。

本文よりもチャプターのタイトルに悩み、苦労してしまった今回の「ニッチ用美術館」だが、いいかげんながらも何とか書く事が出来たよ。
公開するのは本日10/13なんだけど、記事を書いてたのは大型台風接近と大ニュースになっていた土曜日の話。災害アラートが何度も鳴ったり、いつ停電になるかも知れないという状況でよくも、こんな関係ないブログを書いてたもんだ。

ではまた、オゲヴヮ(ハイチ語で「さようなら」)。