時に忘れられた人々【33】情熱パフォーマンス編5

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【何だかよくわからぬ情熱に溢れたファイター達】

ROCKHURRAH WROTE:

元旦以来全くブログを書いてなかったROCKHURRAHだが、実に久々の登場となるよ。
病気だったわけでもなく何か別の事に奔走してたわけでもないけど、3ヶ月もぼんやりしてたわけだ。
SNAKEPIPEがクリエイティブな事(ブログを書くのがそうらしい)してる間にお菓子を焼いたり(ウソ)家事をしたり、なんて家庭的な人なのだろう。

久々のブログで何を書こうかと思ったけど、今回はROCKHURRAHが長くしつこく続けてる「情熱パフォーマンス編」でいってみようか。初めて書いたのが2011年らしく、10年間でたった5回だけしか記事を書いてないけどね。

ROCKHURRAHが書くのはパンクや80年代のニュー・ウェイブに限ってなんだけど、ロックの誕生前から色々なジャンルの音楽で歌い手はいて、その人なりのパフォーマンスを演じてきたことと思う。

本人はごく自然に歌に込めた思いや情熱を表現してるつもりでも、ごくたまに、傍から見るとすごく変な動きにしか見えないものがある。
そういった一瞬を捉えて何だかそれなりのコメントをいいかげんに書いてゆく、というのがROCKHURRAHのいつものパターンなんだよ。
では早速見てみようか。

【道化る!】
Vertigo / Screamers

「おどける」という言葉はあっても日常的に「どうける」とはあまり言わない気がするが、そういう言葉もちゃんとあるらしい。
似たような言葉で「ふざける」というのもあるが、漢字で書くと「巫山戯る」と一気に難しくなって、とてもふざけては書けないなあ。

まずはLAパンクの中でも変わり種として名前が残っているバンド、スクリーマーズから。

1970年代半ばにはすでにシーンを確立していたニューヨーク・パンクの連中がいて、そこからの影響で70年代後半にロンドン・パンクが生まれたのはパンク好きだったら誰でも知ってるはず。
アメリカ各地でも当然パンクは伝染して独自の進化をするのも当たり前だけど、ニューヨーク以外の大都会でも続々とパンク・バンドが登場してシーンを形成していった。
ロサンゼルスも色々とバンドが登場して注目されていたが、ROCKHURRAHはイギリス物を漁るのに忙しくて、アメリカのパンクにはあまり関心を持たなかったという過去がある。
個人的にかろうじて知ってるのは後にニッターズ(Knitters)という本格的カントリー、ブルーグラスのバンドとなってファンを驚かせたXやヴォーカリストがジョン・レノン射殺の前日に自殺したジャームス(Germs)くらいか。
詳しい人だったらLAパンクだけで食っていける(何の商売かは不明)ほど豊富な人材を誇るジャンルだと思うよ。

そんな中で地元シーンでは有名、ただし世間ではほとんど知られてなかったのがこのスクリーマーズだ。
1977年から1981年頃まで活動していたロスのバンドなんだけど、何しろ活動中にまともなレコードは一枚も出してないので、例えば音楽雑誌でその名前を知った人でもリアルタイムで聴いた事ある人はほとんどいないという状況。
後に発掘音源みたいな形でリリースされて初めて知られる存在になったという。
YouTubeで手軽にビデオを見れる時代になるまでは「LAに行って観てきた」って人じゃない限り、どんなバンドなのかもわからなかった、都市伝説みたいなバンドだったに違いない。
ロクにレコード出してなかった割には動いてる映像はかなり多数残されていて、彼らの活動はある程度は知る事が出来る便利な世の中になったものよ。

このバンドが変わり種というのはギターもベースもなく、ドラムとキーボードのみでちょっと奇抜なパンクをやってるというバンド構成。
エマーソン、レイク&パーマーというギター無しのバンドもそれ以前にはあったから珍しいというほどのもんでもないけど、大体ギターが中心のパンク界では希少種には違いない。
ROCKHURRAHが勝手に似た印象のバンドとして思い出したのがイギリスのスピッツエナジーだ。
スピッツオイル、アスレティコ・スピッツ80などレコード出すたびに名前を変えるB級SFパンク・バンドなんだけど、初期では何とヴォーカルとエレキ・ギターのみでレコーディングしてた(ちゃんと売られてた)という、アマチュア・バンドにも劣る構成の変バンド。四畳半フォークならまだわかるけど、その言葉も現代では古語かもね。
スクリーマーズはそれに比べりゃずっとマトモにバンド形態なんだけど、途中で入るブレイクのような音の奇抜さがスピッツと似てると思った次第。

そんな彼らの情熱パフォーマンスはいかにもパンクといった顔立ちのヴォーカリストによる突然のコミカルな仕草が真骨頂。
情報がないから定かじゃないが、「昔ちょっと道化師をやってまして」とかそういうタイプだったのかね?
この曲だけでなくどこでもちょっとだけ奇妙な動きが入るのが絶妙で、思わず目が釘付けになってしまうよ。
派手に堂々とじゃなくて本人もちょっと恥ずかしいのか、小刻みで控えめなところがいいね。

【成り上がる!】
Holiday In Cambodia / Dead Kennedys

ロサンゼルスが出たから同じカリフォルニア州のサンフランシスコを代表するパンク・バンド、デッド・ケネディーズも挙げておこうか。
全米パンク界でもかなりな有名バンドでパンク好きだったら知らない人はいないくらいだろうね。
甘乃迪已死樂團として中国でも知られてる模様。何じゃそれ?
サンフランシスコ市長選にも出馬した事があるという上昇志向の強いジェイロ・ビアフラを中心としたバンドで、日本でも割とリアルタイムでレコードが出たから知名度も高いしファンも多かったな。
オルタナティヴ・テンタクルズというレーベルを立ち上げて数多くのパンク・バンドをリリースし、世に広めた功績は大きい。

ROCKHURRAHはあまり政治的なメッセージ性が好きじゃないのと独特のヴィヴラートした声が苦手なので、みんなが「デッケネ(通称)」と熱狂してる時も冷ややかに通過したけど、それでも「Holiday in Cambodia」や「Kill the Poor」「Nazi Punks Fuck Off」などは愛聴していたものだ。

その代表曲「Holiday in Cambodia」は何種類かのジャケットがある事で知られているシングルだが、ROCKHURRAHが持っているのは青と朱色みたいなヴァージョンだった。
単に空爆か何かのイラストだと思ってたら、調べてみると「バーニング・モンク・スリーブ」との事。よく見たら確かにモンク・イズ・バーニングだったよ(意味不明)。

1975年から79年までカンボジアの政権を握ったのがポル・ポト率いるクメール・ルージュ(ポル・ポト派)で、たったの4年間にカンボジア人口の4分の1の人が虐殺されたという恐ろしいまでの黒歴史。
そんなに大昔じゃなくてこんなに恐怖の政権があったのかと思うと、思い上がった人間の身勝手さに誰もが怒りを覚えるだろう。
たぶんその事についての強烈な批判が歌詞に込められていると勝手に想像したんだが、英語が苦手なROCKHURRAHにはよくはわからん。

ビデオは他のメンバーがクールに決めてるところに緑色のゴム手袋して明らかに挙動不審なビアフラ登場。怪人かよ!
この変な動きと顔芸でそんなシリアスな歌を歌うか?というふざけっぷりにこっちや後ろのメンバーが心配になるよ。
歌ってる時の表情がたまにE・YAZAWAに似てると思ったのはROCKHURRAHだけか?
やっぱりBIGになる人間には共通したものがあるのか。

【妨げる!】
Young Savage / Ultravox

昔から自己顕示欲が低くて、前に出る事が少なかったROCKHURRAH。
個人主義でリーダー的気質はたぶんないにも関わらず、周りに関羽とか張飛的な存在が大体いて支えてもらってたから、自分で思うよりリーダーになる場面も多かったな、と回想する。それが人徳ってもんか。
だからというわけじゃないが「妨げる」という行為が嫌いで、邪魔しない男としてずっと生きてきた。
最近は何するでも迷惑かける邪魔な人間が多くて困るよね。

続いてはヒステリックなおばちゃん顔で有名なジョン・フォックス率いる初期ウルトラヴォックス。
去年11月の記事で書いたばかりだが、よほど好きと思われても仕方ない頻度で書くな。

1970年代に出た3枚のアルバムでヴォーカルを担当し、80年代にソロとなってからは物静かなインテリといったイメージのジョン・フォックスだったが、最初の頃はかなりアグレッシブで危ない男だったようだ。

釘を打つようなリズムと乱暴な早口ヴォーカルはロンドン・パンクの代表的なスタイルと見事に一致してたし、もっと評価されて良かった時代にはちょっと不遇な扱いのバンドだったね。早すぎたニュー・ウェイブと言うべきか。
元ビーバップ・デラックスのビル・ネルソンやチューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンと共に未来派パンクの先鋒としてシンセサイザーの効果的な使い方を(ロック的に)世に知らしめた、その功績は大きい。

ブライアン・イーノ、スティーブ・リリーホワイト、コニー・プランクという最高級プロデューサーの力を得て作った3枚のアルバムはどれも先進性に溢れた傑作だったな。パンクの名盤として挙げる人も多いはず。
にも関わらず商業的には成功せず、ジョン・フォックスが脱退した後でリッチ・キッズやヴィサージで活動していたミッジ・ユーロが加入した途端に、メキメキ人気バンドになっていったという経緯がある。
SNAKEPIPEもジョン・フォックス在籍時のウルトラヴォックスは知らなかったという。完全に別物バンドだもんね。

後に初期ウルトラヴォックスのマネしたようなチューブウェイ・アーミーが「先進的」と言われバカ売れしたり、先進的な事を始めたから話題になって売れるわけじゃないという現実をイヤというほど味わったのが本家ジョン・フォックスだろうね。

ウルトラヴォックスは確かな演奏力を持ったバンドでレディング・フェスティバルの出演経験(シャム69やジャムも出てた豪華な顔ぶれ)もあるが、ドイツのTV番組で悪ノリし過ぎた映像がこれ。
どうせ歌も演奏も口パクなのはわかっちゃいるが、ジョン・フォックスのハメを外しすぎな態度にメンバーから苦情続出間違いなしだよ。
演奏してるのも構わず無理やり肩を組みコーラスさせたり完全に寄りかかったり、狭いステージなのに暴れまくってもう大迷惑な男。これがちゃんとしたライブだったら音はメチャクチャになるだろうし「あっち行けよー!」と言いたくなる。

ジョン・フォックスがなぜ脱退したのかは知らないが、周りの事を考えないワンマンっぽい雰囲気があるし(勝手な想像)、叩き上げのミュージシャンっぽいメンバーとは合わなかったのかもね。
などと言うよりも上の映像みたいなふるまいをしてたら、そりゃ追い出されてもするわな(完全に想像)、と思ってしまうよ。
「クワイエット・マン」などと歌ってる割には何をするでも俺様中心、騒々しそう。

【開き直る!】
Aubade a Simbad / Jad Wio

次はフランス産、どぎついアングラ感満載のデュオ、Jad Wioだ。
カタカナ表記した日本のサイトがほとんどなく、正式にはよくわからないが、ROCKHURRAHは当時はジャド・ウィオと呼んでいたよ。ジャド・ヴィオとも書かれているな。

その昔、フランスのOrchestre Rougeというバンドに大変のめり込んでいて、それをきっかけにフランス産のネオサイケ、ポジパンなどのダークな音を探してレコード屋巡りをしていた時期があった。
いや、レコード屋巡りはそのフランス産に限らず、パンクの頃もサイコビリーに凝ってた頃も日課のように各地に出没してたよ。
当時、世田谷代田に住んでたが、色んなレコード屋をはしごして必死で目指すレコードを入手していたもんだ。
新宿のヴィニール、渋谷のZESTやCSV、明大前のモダーン・ミュージック、下北沢のエジソン、高田馬場のオパスワンなどなど、足繁く通った店もあれば一回こっきりしか行かなかった店もある。安く掘り出し物を見つけたいからディスク・ユニオンやレコファンなどの中古屋などにも数日周期で通ってたな。

そんな中で知った数多くのバンドもあったけど、L’Invitation Au Suicideというフランスのレーベルが個人的にはお気に入りで、そこのレコードを見つけると優先的に買っていたもんだ。レ・プロヴィソワールやペルソナ・ノン・グラータなど質の高いバンドをリリースしてたからね。
Jad Wioもそこから出していたので知ったバンドだった。
バウハウスのピーター・マーフィーっぽいヴォーカルにダークな音作り、その当時のポジパンやゴシックと呼ばれる音楽の理想形に近かったが、メンバーのヴィジュアルも不明だったし「これ!」という個性、決め手がなかった。
だからその後、熱心に追いかける事もなくROCKHURRAH個人的にもダークの時代が終わりつつあった。

この二人組がレコードを出したのが84年くらいからで、ポジパン時代のピークをやや過ぎてなので日本ではそこまで話題にもならなかったもんね。どこの土地でも入手出来るわけじゃないフランス物だったからなおさらね。
うーん、Jad Wioの思い出ってほどの事もないくせに十数行も書いてしまったな。

そしてずっと後になってYouTubeで偶然に映像を見て仰天したのが上の姿。
こんな二人でやってたのか、まるでコミックバンドじゃん。
全盛期のラッキィ池田を思わせるようなクネクネの動きで、歌い踊る変態ヴォーカリストと楽器担当の自己陶酔感が満載のビデオでヴィジュアルとしてのインパクトは圧倒的。二人とも病気のような細さだね。
ここまでじゃないがROCKHURRAHもレコード屋通いしてた昔はやせ細っていたな。食うものも食わずレコードに費やしてたわけじゃないけど一生太らないと勝手に思ってたもんだ。が、今では・・・。

この二人は変でイビツな自分たちをちゃんと肯定するところから始まって、それでずっとやってきているのが偉いね。
普通だったらこの顔とスタイルに生まれてきて、こんなつながった眉毛描かないよな。

【供える!】
Tapetto Magico / The Wirtschaftswunder 

多くは生まれ育ちの環境によるもので個人の資質(?)や敬虔さとは関係なく、ROCKHURRAHは神仏とは縁のない暮らしをしてきた。父親が死ぬまでは家に仏壇もなかったし、物心ついてからじいちゃん、ばあちゃんと呼べる存在も身近にいなかったし。
だから何かを供えるという行為をした事もないし法事とも無縁の生活をしてたよ。

家が金田一耕助シリーズに出てくるような旧家だった、とか先祖代々住んできた家だったとか、そういう家庭に育った人ならばお供えくらいは日常的にしたことあるだろう。
宗教がもっとぐっと身近にある海外ではそんな罰当たりな子供はいなくて、誰でも先祖や神を敬う機会くらいはあるのだろう。

さて、最後に紹介する情熱パフォーマンスはこれだ。
ドイツ産ニュー・ウェイブであるノイエ・ドイッチェ・ヴェレの中でもパイオニア的存在であるのも関わらず、かなりイビツなバンドゆえに、メインストリームからやや外れてしまった感があるのがこのWirtschaftswunderだ。
読めん!編」 でも書いた通りなかなか読めんバンド名だが、ヴィルツシャフツヴンダーとROCKHURRAHは呼んでいたな。
日本語に訳せば「第二次大戦後の(ドイツの)急速な経済復興の奇跡」という意味らしいが、これがひとつの単語だと言うのが驚くべきドイツ語。

ヴィルツシャフツヴンダーはイタリア人とカナダ人とチェコスロバキア人とドイツ人による国際色豊かな4人組として1980年にデビューした。
ちょうど盛り上がっていたノイエ・ドイッチェ・ヴェレのブームに乗って人気バンドとなった・・・というわけにはいかなくて、大半のノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンドと同様、日本では一部の好事家以外には無視されるようなバンドだった。
ヴォーカルはいかにもイタリー系のマフィア顔だし、他のメンバーも誇れるような容姿をしてないというのに、古臭いポートレート風の顔写真ジャケットで買うのが恥ずかしかったり、1stシングルに至ってはひどいとしか言いようがないジャケットだったり、とにかくヴィジュアル戦略がまるでなってなかったな。

音楽の方はいかにもニュー・ウェイブ初期の実験的なもので、かなり奇抜で妙な躍動感と高揚感に溢れたすんごいもの。
これに比べると奇抜と言われてるらしい最初のスクリーマーズなんてかわいいものよ。
聴く人を選ぶがヘンなのを探していて見つけたならフェイバリットと叫ぶ人もいたはず。ニュー・ウェイブの盛んだった時代に多くの人に知られなかったのが残念なバンドだったよ。

このスタジオ・ライブのような映像もすごい迫力でROCKHURRAHの大好きなもの。
「Tapetto Magico」は1982年の2ndアルバムに収録されていた曲。
PILの「Flowers Of Romance」を思わせる中東風なのかアフリカのどこかの民族調なのかわからないが、とにかく名曲。

ヴォーカルも変だが左側のクラリネット男(キーボードもラッパもこなすマルチ・ミュージシャン)のテンションがすごい。どこかの部族で、獲ってきた獲物を神に捧げるかのような力のこもったアクション。顔もモロに戦士だよね。
目が釘付けになってやみつきになってしまうよ。どのビデオ見てもおっちょこちょいそうな小太りギタリストも本当にいい味出してるよ。素晴らしい。

以上、久しぶりのROCKHURRAHがお送りした80年代満載の記事、相変わらずのワンパターンで飽きられてしまうだろうか。
それではまた、ナ スフレダノウ(チェコ語で「さようなら」)。

2021年元旦

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【もらって嬉しくはないかも、の不気味な年賀状】

ROCKHURRAH WROTE:

あけましておめでとうございます。

去年が最高の一年だったって言える人もあまりいないだろうけど、2020年は多くの人にとってとてもいやな年だったはず。
何でもかんでも「コロナの影響で・・・」だったもんね。
コロナ禍で生まれた最大の便利な言葉だったかも。
便乗商法という言葉はあるけど、便乗値上げや便乗解雇などなど、何でもかんでもコロナのせいにすれば諦めるだろう、という安易な考えがまかり通ったイヤな新しい日常だったね。
TVでもバカのように毎日の感染者数や重症者、死者の推移を言うだけで、統計として危機感は増すだろうけど、それを知ったからといってどうなるの?という思いがするよ。
もう少し有用な事を語れよバカ、と怒る人も多数だろうな。

我がROCKHURRAH RECORDSに関してもコロナの影響で色んな事があったけど、そんな事をグダグダ書いても仕方ないからやめておこう。2019年も「しんどかった」などと書いてたけど引き続きのパッとしない運勢だったな。

良かった事と言えば、2020年はROCKHURRAHもSNAKEPIPEも珍しく、くじ運がとても良くて素晴らしかったのが特筆すべきかな?人生でこれだけ当たり年というのも滅多に無い出来事。
ん?宝くじとか金に関する事じゃないからね。

個人的には2020年後半には久々にゆったりした生活が出来たので、本を読んだりじっくりと調べ物をしたり、いつもとは違う時間の過ごし方が出来た、それだけは良かった。
が、12月になると突然に忙しくなってしまい、何と大晦日まで仕事というスケジュール。
若い頃は販売系が多かったから正月も大晦日も昼も夜も関係ないよって生活してたけど、SNAKEPIPEと一緒になってからは初めての出来事だよ。そうじゃなくても年末って感じは全然しなかったけどね。

毎年恒例のROCKHURRAH年賀状だけど、シュルレアリスムにダダ、ロシア構成主義など自分の好きな路線をごっちゃにしたらこんなのが出来上がったよ。マヤコフスキー好きだったらわかって貰えるかな?え?全然わからん?

毎年恒例だった初詣も今年は行かないつもりだし、同じ境遇の人も多いとは思うがNetflixで巣ごもり寝正月と決め込んだよ。
さて、今日は何を観ようかな?

大して気の利いた事も書けなかったけど、これもまたコロナの影響で(ウソ)。

では今年もROCKHURRAH RECORDSをよろしくお願いします。

80年代世界一周 亜爾然丁編

【予想外に豊富だった80年代亜爾然丁ロッカーの面々】

ROCKHURRAH WROTE:

以前に南米の80年代パンク、ニューウェイブ特集をしようと思ったら、予想外に層が厚かったからブラジルのみしか出来なかった。
それで今度は残りの南米について書いてみようか。
南米の音楽事情について全然詳しいわけでもなく、人から見たら何で書きたいのかがわからないというくらいのシロモノになるのは間違いないが、大体いつも割といいかげんに書いてるブログなので細かい事は気にしないで。

一口に南米と言っても相当な国がひしめいてて、地理や歴史に詳しくない人は国名を全部言えないのではないかと思う。
ROCKUHURRAHもスリナムとかガイアナなどはこれまでの人生で一度も話題にした事ない国名だったよ。
ブラジル以外の南米主要国はほとんどがスペイン語圏だから、国によって音楽のニュアンスが大きく変わる事はないような気がするな。
どうせその国の80年代がどうだったか?なんて知りもしないから、テキトーな順番で矢継ぎ早に書いてゆこう。

まず今回はブラジル以外の南米の国では一番メジャーそうな国、領土も南米二位という大国アルゼンチンから。
漢字で書くとタイトルのように亜爾然丁となる。爾がルで丁がチンなんだね。

この国に対するROCKUHURRAHのイメージは貧困で(どの国でもそうなんだが)アルゼンチン・タンゴとかガウチョとかフォークランド紛争(古い)とか、その辺の月並みなものしか思い浮かばないよ。
去年観に行った「永遠に僕のもの」や結構ヒットした「人生スイッチ」もアルゼンチン映画だったな。
その両方のプロデューサーだったペドロ・アルモドバル監督作品の常連、セシリア・ロスもアルゼンチン人だし、スペインとアルゼンチンは結構密接に関係してるという印象を勝手に持ってるよ。
ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれてるそうだし、旅番組とかで見てもたぶん好きな感じの国だと思った。
この国の80年代がどうだったかなんて知らないが、前回特集したブラジルと同じく、意外とパンク、ニューウェイブも発達してたのかな。

アルゼンチンのパンクとして真っ先に名前が挙がる大御所がこのLos Violadoresだ。スペイン語で「違反者」を意味するバンド名だがカタカナ表記したサイトが見つけられず、イマイチ読み方がわかってない。
そのまま読んでヴィオラドレスなどと書いて検索したら舞踏会か結婚式で着るようなすごいドレスが出てきたからきっと違うんだろうな。

1981年にブエノスアイレスで結成した4人組で最初の頃は割とガラの悪い見た目だったが、人気が出た頃にはニューヨーク・ドールズとハノイ・ロックスとダムドが合わさったようなルックスになっていた模様。ヴォーカルのPil Trafaは確かに南米を感じさせないルックスでロックスターになるのもよくわかるよ。
途中で何度か活動休止期間もあったようだが、1983年から現在までコンスタントにレコードも出していて、本国ではたぶん最も成功したパンク・バンドなんだろう。

ビデオの曲は1985年に出た2ndアルバムに収録でシングルにもなった代表曲「Uno Dos Ultraviolento」。
勝手に直訳すれば「ワン、ツー、超暴力」で何だかよくわからないタイトルだが、 血気盛んなラテン民族には大好評だったに違いない。
ベートーベンの「歓喜の歌」をイントロに使ったポップでパンクな曲調は日本で言えばラフィンノーズの「聖者が街にやってくる」とか思い出してしまったが、ちょうど同じ年の曲なんだよね。
曲の構成とかサビのハモリとか妙にラフィンノーズっぽいノリを感じるけど、こっちの方が軽いな。
どっちも影響を受けたものは違うかも知れないけど、日本もアルゼンチンも発想は同じようなものだと確認出来て良かった良かった。

ビデオでは「時計じかけのオレンジ」を模したヴォーカリスト、この辺もパンクの世界では世界共通に影響を受けてるというのがわかるね。こりゃ確かに「ワン、ツー、超暴力」だわ。

似てると言えばもう一つ思い出していいかな。
ギタリストはこの手のバンドには珍しくギブソン・エクスプローラー(コピーモデルかも知れないが)という珍妙な形のギターを持ってて、高校の時に先輩から借りて持ち帰ったのを思い出したよ。
当時は誰が使ってたか思い出せないが(おそらくフュージョン系)B.C. リッチとかアレンビックとかあまり伝統なさそうなギターが流行ってたから、色んなギターを弾いてみたいという欲求が強かったんだろう。
何行も書いたくせに、見た目の割には弾きにくくはないという感想くらいしかない。
大体同じようなフォルムのギブソンのファイヤーバードはヴィンテージ感があってカッコいいのに、この違いは何だろう?

アルゼンチンと言えば忘れちゃならない、80年代で最も知られたバンドがこのSoda Stereoだろう。
Sodaは単体ではソーダなんだろうがなぜかこのバンドはソダ・ステレオと呼ばれているそだ。
いや、スペイン語でもソーダでいいだろうに、などとどうでもいい感想をまず持ってしまうが、1982年に結成された3人組。
1984年に出た1stアルバムは驚くほどたくさん南米各国で再発を含めリリースされまくってるが、南米以外ではアメリカで随分後になって出たくらい。どうやら南米だけで大人気のバンドらしい。
などと無責任に書いたがラテンアメリカで初めて100万枚を超えたバンドらしく、全世界(大半は南米だと思うが)で700万枚も売れたレジェンド級の活躍をしたらしい。ここまで書いて気付いたが訂正するくらいなら書き直せば良かった。

そのアルゼンチンの伝説、Soda Stereoは1982年にブエノスアイレスで結成、1997年に解散するまでコンスタントにレコードを出して大成功を収めたという。1枚のレコードにつき30〜50くらいの各国盤がリリースされてるようなので、それはものすごい人気だったんだろう。
パンク的な要素はあまりないけどロックとラテン、レゲエ、スカなどが実にうまくミックスされていて、この辺はずっと後の時代のマノ・ネグラあたりに通じる痛快なノリの良さ、勢いを感じる。

ビデオはアルバム・デビューより前の1983年の映像だが「Te Hacen Falta Vitaminas」(自動翻訳による勝手な邦題「あなたはビタミンが必要です」)はデビュー曲で1stアルバムにも収録されている、ヤンチャで元気のいい様子が伝わる名曲。
個人的にニュー・ウェイブに関しては後進国だと思っていた認識が大きな間違いだと反省したよ。

しかしヴォーカルのグスタボ・セラティは2010年(バンド解散後)にライブ後、脳卒中で4年間も昏睡状態となり2014年に55歳で死去している。
うーん、大成功したロックスターの死としてはやりきれないが、前回のブラジル編で書いた、国民的スターだったヘナート・フッソも30代だったな。
大スターであろうとなかろうと、何か自覚症状があった時は深酒とかのせいにせずに早めの検診を、としか言いようがないよ。

有名なバンドが続いた後で一気に情けなくなってしまうが、このTrixy y Los Maniáticosも1981年に結成したアルゼンチン・パンクの先駆者のようだ。はっきりは読めん、だがトリクシー&ロス・マニアティコスでいいのかな。
後にソロとなったトリクシー嬢(おばちゃんっぽいが)は最初に書いたLos Violadoresのバッキング・ヴォーカルなどもやってたみたいだから、その辺の縁でアルゼンチンのパンク・シーンが出てきたのかな。
何しろレコードのような音源も出してなくてずっと後にカセットが出たのみ、主要な曲はトリクシーのソロ曲とかぶってるし、とにかく情報がなさ過ぎて困ってしまうようなバンドだ。

なのにYouTubeにはTV出演の映像とか残ってるし何曲も聴けたりする。一体どうなってるんだ?
映像は悪いし上の2つのバンドと比べると明らかにクオリティは低いが、ラテンでも立派にロックンロールしてるぞという堂々とした姿勢が心を打つ(大げさ)。

レコード・リリースさえないインディーズ中のインディーズ・バンドが晴れてTV出演したという貴重な映像には違いない。
「ウチらはライブ・バンドやけんスタジオ盤なんか出さんっちゃ(なぜか突然方言)」などと言ったのかどうか、これこそがパンクの生き方なのかどうかは知らんが、そういうバンドを見つけるのこそが80年代世界一周の目指すところだよ。

長身でこの髪型やルックスは「フジヤマママ」で知られる女性ロッカー、パール・ハーバー(一時期クラッシュのポール・シムノンの奥さんだった)をちょっと思い出す。その辺を意識してるのかな?

で、また情報が少ないバンドその2、Alerta Rojaもアルゼンチンの最も初期パンク・バンド、Los Psicópatasが名前を変えたという3人組だ。
Los Psicópatasは1979年の結成で、その後Estado de Sitioと改名した後、三度目の正直でレコード・デビューした時にはAlerta Rojaになったらしい。全部読めん。日本語に訳すと「非常警報」というバンド名でいかにもだな。
一番上に書いたLos Violadoresよりも早い1982年にシングルを出し、83年と86年にアルバムも出してるようだがたぶん相当入手困難、忘れた頃の2013年にやっとこれまでの活動全曲入りのCDが出た。

そんな零細バンドなのになぜかちゃんとした映像が残ってて、これまた不思議の国アルゼンチン。
ビデオは1983年に出た1stアルバム収録の曲「Atrincherado(塹壕)」だ。
曲はLos Violadoresなどと比べるとラウドで荒々しく暗い雰囲気、あまり南米っぽくは感じないね。
このバンド、荒削りなパンクの1stも独特なダークさを展開した2ndもすごく良いので、中古盤屋でその全曲入りCD見つけたらぜひ買って欲しいくらいだよ。
ヴォーカルがちょっと垢抜けない(という言葉の方が垢抜けないが)しギターはベイ・シティ・ローラーズみたいなチェック・マフラーだし、見た目はともかく曲作りは相当のレベル、おそるべしアルゼンチン。

どこかの空き地みたいなところでビデオカメラさえあればタダで撮れるだろうけど、後ろの建物の壁に「BERLIN PUNX」と書いてあるように見えるからさらに意味不明。わざわざベルリンに撮りに行ったのか、ベルリンのパンクがアルゼンチンで落書きしたのか、どうでもいい事ばかり気になるよ。

割とストレートなノリのある音楽を好むのかは知らないが、アルゼンチンではイギリスの80年代のような暗い傾向のものはあまり見つからなかった。知識もないし探し方が悪かっただけかも知れないけどね。
ちょっといいなと思うと静止画だけのビデオで退屈だから不採用というのが多かったよ。
そんな中で無理矢理見つけたのがこれ、Los Pillosというバンド。

Pillosという言葉をGoogle翻訳してみたらラスカルズになって意味不明、日本語に翻訳してラスカルズって何だよ?
律儀に辞書で調べてみたらずる賢い奴、悪党、悪人、不良、ちんぴらなどなど、ラスカルズという語感でこんなの(写真)を思い浮かべてたのにガッカリだよ。
さて、そんなゴロツキどもは1984年にブエノスアイレスで結成、アルバム1枚だけ出して88年にはもう解散した短命のバンドだ。

長髪長身でダブルのライダース着て仁王立ち、という姿はラモーンズを意識してるのかはわからないけど、情感こめて歌う姿がちょっと気持ち悪い男。やってるのは全然違うタイプの内向的な線の細い音楽で、バンド名とのギャップを感じるよな。
しゃがんでて後に立つギタリストの、曲調に合ってるのか合ってないのかわからんグニャグニャしたフレーズだけが耳に残る。これだけが聴かせたかったかのようなプレイ。この全体的なアンバランス加減が理解されなかったんだろうかね。

見た目だけは欧米に負けてないぞ、というルックス重視だったのがVirusというバンド。
現在の状況を考えるとシャレにならないバンド名だが、80年代とかには何も考えず気軽に色んな名称にも使ってた言葉で、Discogsという音楽データベース・サイトで検索するとVirus (29)などと出てきて、ジャンルを問わず多くのバンドがVirusを名乗っていた事がわかる。このバンド名で29番目に登録されたというわけね。29どころかたぶんもっといっぱいあるに違いない。
韓国の女子ゴルファーで同姓同名が6人もいて、イ・ジョンウン6とか5とかいたのを思い出してしまったよ。

Virusは結成も1979年と早く、アルゼンチンのパンク・バンドが結成後にレコード・デビューするまで随分手間取ってるのを尻目に、1981年には早々とメジャーレーベルから1stアルバムを出してるやり手バンドでもある。
まあやってる音楽が違っててこちらは大衆受けのするポップなバンドで、TV出演映像とかもたくさん残ってるから比較のしようもないけどね。
この曲は1981年に出た初期のシングル「Wadu-Wadu」でたぶん大ヒットした代表曲。
ライブはたぶん86年くらいの映像かな(推測)。
ラテン歌謡をロックバンドがやるとこういう風になるんだろうな。ドラムやギターはもう少し違った傾向のものをやりたいのに無理してこういう路線にさせられてるように感じてしまうよ。全体的にはニュー・ウェイブというよりはもっと耳障りの良い、ROCKHURRAH的にはどうでもいい類いのシロモノ。
ヴォーカルが長髪美青年みたいなルックスでティーンの人気をさらってたのだろうと勝手に推測する。
別の時代の映像はポジパンみたいな化粧してる姿もあったので余計に見た目と音楽性のギャップがすごい。

このVirusの快進撃は続いて、デビューから1987年までは毎年アルバムが出ていたんだが、88年にヴォーカルのフェデリコ・モウラがエイズで死去、その後は弟が後を継いでヴォーカルとなったという。
まるで「タッチ」の逆みたいな感じだが、デヴィッド・ボウイの前座なども務めた事があるというからアルゼンチンではSoda Stereoと双璧をなすバンドだったんだろう。
Soda Stereoの場合は解散後だったけど、メインのヴォーカリストがいなくなった後に残されたバンドの継続というのもかなり難しい問題だろうね。
これから忘年会シーズン、年末年始を控えてるのでバンドのヴォーカリストの方は特に健康に気をつけてご自愛を。

ではまた、テゥパナンチス カマ(ケチュア語で「さようなら」) 

映画の殿 第40号 アウェイデイズ

20201101 top
【本編で流れるバンド達とフーリガンどもの記念撮影。縮尺合ってないな】

ROCKHURRAH WROTE:

映画館まで観に行った作品をこの「映画の殿」というシリーズ企画で取り上げる事は今までなかったんだけど、何と2年半も自分で書いてなかったのに気づいたから、こっちの方で書いてみよう。

新宿シネマカリテで細々と上映中の「アウェイデイズ」を観たい、とSNAKEPIPEを誘ったのは珍しくROCKHURRAHの方だった。
映画に関する興味の範囲がとっても狭く、大作や話題作にはまず行かない。
よほどの事がない限り映画館まで観に行きたいとは言わないROCKHURRAHなので「珍しく」なのだ。

ネットで面白そうな映画ないかな?と探していて、この映画の予告編を見たら突然、初期ウルトラヴォックスの「Young Savage」がかかっていたから「こりゃ観るしかない」と単純に思い込んだだけの話。
公開日を待って出かけようと計画したが、週末に別の用事が入ってるし上映期間が短そうだし、それで平日の夜を選んで行ってきたのもウチとしては珍しい出来事。

新宿シネマカリテは駅前映画館と言ってもいいくらいにアクセス抜群の位置にある小さな映画館。
過去にはジョニー・サンダースの映画「Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡」を観に行ったけど、この時もROCKUHURRAHが行きたがって観たんだった。
その手の音楽映画が多いってわけか。
19:20からの夜の上映だったけど、客の入りは予想よりは多く、ただし映画館としては情けないくらいのボチボチでかわいそうになるくらい、この業界も厳しいなと思ったよ。
しかも客層のほとんどが何でこの映画に来たのかわからないようなタイプの人々で理解に苦しむ。
まあ「とんかつDJアゲ太郎」とか行かずにここを選んだだけでも良しとしよう。

「アウェイデイズ(Awaydays 2009年)」は英国の作家ケヴィン・サンプソンによる小説が原作の映画で、2009年の作品なのになぜか11年も経ってやっと日本で公開されたというもの。
1979年のリヴァプールを舞台とした破滅的な青春映画に仕上がっていて、この当時のパンクやニュー・ウェイブがふんだんに使われているのが売りとなってる。

タイトルの”Awaydays”はフットボールのサポーターがライバル・チームの試合に遠征する事が本来の意味なんだが、この映画の中で扱ってるのは熱狂的すぎてタチの悪いフーリガンども。だから遠征といっても試合そっちのけで相手チームのフーリガンと乱闘やらかすのが目的、サッカーの試合シーンは皆無というありさま。
そんな人はいないけどフットボール青春映画だと勘違いしてサッカー好きの彼氏と観に行かないように。

1979年、イギリスのマージーサイドにあるバーケンヘッドという街が舞台となっている。
有名な都市リヴァプールの対岸にある街だそうで、造船所があるらしい。
ROCKUHURRAHが育った北九州で言えば戸畑と若松みたいなものか?地域の人以外にはさっぱりわからん例えだったかな。

主人公カーティは公務員をやっている若者で父親や妹と同居しているが、どうやら母親はすでに他界している模様。
具体的に何をしているのかはわからなかったが、叔父さんが上司を務める役所みたいなところで仕事中に似顔絵描いたりしてて、何もお咎めがないといういい身分。
おまけにアートスクールにまた戻りたいと言ったら「そりゃでかした」みたいに言われるお気楽な環境だよ。

しょっぱなから言うのも何だがこのカーティ、顔立ちも設定もファッションも全然イケてるとは思わなくて(おしゃれな人が多かった1979年だからなおさら)、主人公なのにどうでもいいキャラ。
パッとしないけどもう少し存在感がある俳優なら他にもいるだろうに、と思ってしまうよ。

妹とも仲が良く、写真は(こっちの勝手な理由で)遅れてしまった誕生日だかクリスマスだかのプレゼントを給料日に一緒に買いにゆくシーン。
孤独で平凡で面白くなかろうけど、これだけ見てると問題ない生活で恵まれてる方だと思うよ。
妹は高校生くらいなのか、あまり描写は出て来なかったが彼氏の代わりにお兄ちゃんに甘えるような、まだ幼い感じがする。写真では1960年代に誕生したイギリスのアウトドア・ブランド、マウンテン・エクイップメントのダウン・ベストを着ているね。こんなどうでもいい事を映画評で語るのはROCKUHURRAHくらいか。

カーティは地元リヴァプールの売出し中バンド、エコー&ザ・バニーメンのライブ会場でエルヴィスという若者に出会い、友達になる。
この映画のもう一人の主人公エルヴィスはカーティよりは顔立ちもまともだし、服装や髪型はすごく若い頃のジュリアン・コープをイメージしたような感じ。
革のジャケットにセーターはいかにも1979年、ニュー・ウェイブ以降のイギリスのバンドでありがちなファッションだし、大きめのM-65とか肩章のついたミリタリーっぽい服装とか、この時代のリヴァプールで流行ったものだ。

劇中でエコー&ザ・バニーメンらしきバンドを演じてるのはラスカルズだとの事だが、うーん、1970年代と80年代ばかりを語るROCKUHURRAHだからこの辺の(2000年代)バンドについては知らん、興味ないとしか言えない。
見た目だけでもせめてもう少し似たのはいなかったのかと残念な気持ちになるよ。

これが本物のエコー&ザ・バニーメンで曲は「All That Jazz」ね。
1980年に出た1stアルバムに収録。

リヴァプール出身としては最も有名になったバンドで、一番最初の頃はドラムがなく、ドラムマシーンを使っていた。
コルグのドラムマシーンがエコーと呼ばれてて(何でかは不明)、それがバンド名の由来になったという話。
ドラムがいなかった初期の頃もすごく良くて愛聴してたもんだ。
レコーディングのテクニックを使わなくてもシンプルなコードだけでも、後世に残る曲を作れるという見本みたいなのが初期のバニーズ(80年代的略称)だった。
うーん、上の曲とは関係ない感想だったな。
名曲揃いの1stの中では地味な曲で、何でこの曲を敢えて選んだんだろう?と思ってしまうよ。

エルヴィスは「パック」と呼ばれるフーリガンの一員で、カーティはその集団の仲間になりたがっているという設定。
エルヴィスのツテにより「俺の友達」みたいな感じでパックに出入り出来るというわけだ。
つまらん願いだが、願いは叶ったね。

イギリスを語る時に誰もが労働者と中流階級の格差、隔たりみたいなものを言うが、大昔の「小さな恋のメロディ」でも坊っちゃんの主人公、労働者階級の娘(ヒロイン)、労働者階級の親友という構図があって、その中での恋や友情が難しかったのを思い出す。
この映画もその辺の格差友情をテーマにしてるんだろうが、そこまで階級差を感じるものでもなかったから「小さな恋のメロディ」の方がよほど心に響いたよ(大げさ)。
もう一つの大きなテーマはあるんだけど、ネタバレなしで書くつもりだからエルヴィスの心情はしまっておこう。

パックに属するのは労働者階級の頭悪そうな奴らばかり(全く迫力ないが)、30代で6人の子持ち男がリーダーという、見るからにどうでもいいような集団。
そんな中にアートスクールなど行ってたカーティが入って受け入れられるものか、というのがエルヴィスの見解だが、うん、その通り。
一見さんお断りのような排他的な集団なんだよね。
こういうヤンキーどもの中でいっぱしに認められるにはもっとバカでクレイジーな事をしなけりゃいけない。

無理してなのか本気でこういう事をやって「はけ口」にしたかったのかは不明だけど、カーティはどんどんエスカレートして暴力的になる。右は乱闘中にキレたカーティのクレイジーさを表した写真だが、本編ではもっと変顔を見せてくれるよ。
カーティとエルヴィスのフラストレーションがあまり描かれてなかったから、おとなしい人が急に暴れだした、単なる危ない人が主人公の映画にしかなってなかったのが残念。え?描かれてたけど読み取れなかっただけ?

乱闘シーンでかかるのがマガジンの「The Light Pours Out Of Me」だ。
1978年の1stアルバムに収録でずっと後にバウハウスのピーター・マーフィーがカヴァーしてたな。
サッカー・チームとしてはリヴァプールの宿命のライバルだと思えるのがマンチェスター・ユナイテッド。マガジンはその敵地(?)マンチェスター出身のバンドだね。
シングル1枚だけでバズコックスを辞めたハワード・ディヴォートがやってたバンドで、粘着質のいやらしいヴォーカルと重厚で妖しい雰囲気の演奏が魅力だった。この曲単独のライブ・クリップがなかったので途中から貼り付けてみたよ。
これだけ画面のデカさが違うけど、諸事情があるので気にしないで。
マガジンは素晴らしいバンドなのでこの映画で興味持った人がもしいたら、ぜひ全曲聴いて欲しい。

左の写真見てわかる通り、何でこんな軍団に属したかったのかわからんほどにカッコ良くないのがパックの面々。
「アウェイデイズ」の原作者も監督もこの時代に実際にこういう事をやってたらしいので、これがその当時のリアルな姿で間違いないんだろうがなあ。
モッズやOi!(スキンズ)、テッズなどと違ってライフスタイルと音楽、ファッションが一致した集団じゃないのは仕方ない。単に同じチームを熱烈に応援してるだけの集まりだからね。
サッカーだからアディダスの限定モデルのスニーカーというのはわかるけど、そしてみんな制服みたいに同じ服装してたのはわかるけど、主人公を含め俳優たちの着こなしが全然似合ってなくて、SNAKEPIPEもROCKHURRAHも「こりゃひどい」という事で見解が一致したよ。

日本で言えばヤッケまたはカッパってところだろうが、アノラックというプルオーバー型のマウンテンパーカーみたいなもの。
ピーターストームというメーカーのはイギリス軍も使ってた由緒正しいアウターなんだが、雨が多く傘をさしたくない人が多いイギリスでは大変に重宝するから、アクティブな若者に大人気となる。

音楽的に言えば80年代にスコットランドで発生したギターポップの一派をアノラック(みんな着てたのが由来)と呼んでいたり、その後にマンチェスターで大ブームとなったマッドチェスターというムーブメントの頃に流行ったスカリーズというスタイルもアノラックが重要アイテムとなる。
どちらにも言える事だが、いわゆるスカッとカッコ良いロック・ミュージシャンのファッションとはほど遠い、その当時としては冴えない格好だった。
ROCKHURRAHも一時期アノラックなギターポップを聴いて、アノラックな音楽を作っていたが、こんな格好はしてなかったもんな。

今はゴアテックスとかの防水アウターがものすごく普及して立派な街着になってるから、マウンテンパーカーとかのヴァリエーションのひとつとして、またアノラックが流行り物になってるみたいだね。
確かにゲリラ豪雨とかスタジアムや野外フェスとかで雨が降った時には役立ちそう。

話が大幅にそれてしまったが、こんな乱闘ばかりしてるバカな集団と切れたがっているエルヴィスは音楽や芸術を愛する若者で、パックの中では浮いた存在。
同じく音楽好きのカーティとはいい関係になれると思っていたのだが・・・。
カーティはなぜか知らないがそんなバカな軍団の仲間になりたがっていて「そのココロは?」と問いたくなるよ。
エルヴィスと「仲間になるな」「いや、フーリガン王に俺はなる」などと諍いを起こしながらも友情を育んでゆく(?)。

写真はリヴァプールに実在したレコード屋プローブに仲良く買い物に行くところ。
並みの「アウェイデイズ」評では決して教えてくれないROCKHURRAHならではの得意分野になるが、妙なところで考証がしっかりしているのがこの映画の(個人的には)評価出来る部分。
レコード屋のドアにはリヴァプールに実在した伝説のライブハウスEric’sのポスターが貼られててマニアならニンマリしてしまう。

エリックスは70年代後半から80年代に花開いたリヴァプールのニュー・ウェイブ・バンドの多くがホームグラウンドにしていたライブハウスで、デフ・スクールやビッグ・イン・ジャパンなどを元祖として、数多くの有名バンドが巣立って行った場所だ。
物語の1979年には「言い伝え」並みの伝説的バンド、クルーシャル・スリーから別れた3人がエコー&ザ・バニーメン、ティアドロップ・エクスプローズ、ワー!ヒートという偉大なバンドをそれぞれ立ち上げて、その後に人気となる。その夜明け前くらいの時代だ。
ただしクルーシャル・スリーなどと探しても発掘音源も出てこない。
ただ単に有名になったミュージシャンが学生時代に一緒にやろうと始めたバンドに過ぎず、インタビューとかで「昔こういうバンドやってたんだよね」くらいのシロモノ。実際にちゃんと活動してたかさえ怪しいのに、ここまで有名になったバンド名というのも珍しい・・・。
そういう意味での「言い伝え」というわけだ。

他にも80年代ニュー・ウェイブ好きなら誰でも知るデッド・オア・アライブやフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、オーケストラル・マヌヴァース・イン・ザ・ダークなどなど、みんなエリックスのお世話になってるのは確か。
リヴァプール出身のバンドについて語っていたら「サタンタンゴ(7時間超えの長い映画)」が終わるほど。
実際は誰も知らんようなバンドがその何十倍もひしめき合ってたのが80年代リヴァプールの世界だ。

で、入ってゆくレコード屋プローブもリヴァプール好きにはたまらないプローブ・プラスというレーベルを持っていて、ちょっとマイナー系が多いが、メロトーンズやハーフ・マン・ハーフ・ビスケットなどは愛聴してたもんだ。愛聴多いな。
話がまた大幅にそれてしまったが、まともな映画評じゃなくてこの脱線こそがROCKHURRAHの書ける部分なのは確か。

この事をぜひ書いて欲しいという要望があったから書くが、映画の中で何回も出てくるのが頭突き。
レコード屋のシーンでも登場したんだけど、イギリスではポピュラーなケンカ術なのだろうか?不意打ちという点では有効だろうけど、これもまたフットボール文化の国ならでは。

エルヴィスが普段何をやってるのかは知らないが、途中で私物を売ってる古道具屋みたいな露店に立ってたから、きっとそういう仕事をしてるんだろうかね。ブラブラしてそうな割には意外といい部屋に住んでいるんだよね。
こんな出口のない生活を「いつ終わる?」とか、抜け出してベルリンに行きたいとか、彼らくらいの歳にもっと情けない四畳半の極貧暮らしをした我が身を思うと羨ましいばかり。
世の中には上も下(「男おいどん」とか「マイ・ディア・ミスター」のイ・ジアンとか)もあるからROCKHURRAHくらいでもまだマシな方なんだろうね。

写真中央に写ってるのが上に書いたリヴァプール・パンクの偉大な先駆者、ビッグ・イン・ジャパンのポスターで、これにもニヤリとしたROCKHURRAHだった。
このバンドが偉大なわけではなく、メンバーの大半が後の時代に有名になるという点で、80年代リヴァプール好きなら最重要だと言えるバンドなのだ。
「 From Y To Z And Never Again 」はたった2枚しか出なかった彼らの2ndシングルでROCKHURRAHも持ってたよ。
これまたリヴァプールを代表するZOOレーベルの記念すべき最初のシングルだったね。だからこんなに大きなポスターがあったのか。
本物が残ってたのか後から美術の人が作ったのか知らないが、この時代の音楽好きの部屋をうまく再現したものだ。
当時はものすごいヴィジュアルのジェーン・ケーシーがROCKHURRAHのアイドルで、Eric’sレーベルからの1stシングルも2枚も持ってたな。

エルヴィスの会話の中で「ダレク・アイのライブに行こう」と名前だけ出てきたのがこれ、リヴァプールの相当マニアじゃないと知らないマニアックなバンドがDalek I Love You。
後にティアドロップ・エクスプローズの主要メンバーになるデヴィッド・バルフェとアラン・ギルを中心にしたB級バンドだ。
かつてはROCKHURRAHも数枚持ってたが、錚々たるメンバーの割にはチープで、熱烈に好きになる要素がなかったな。
デヴィッド・バルフェは上に書いたビッグ・イン・ジャパンのメンバーでもあったけど、ブラーやシャンプーで有名なフード・レーベルのオーナーとして後の時代に名高い人だ。
Dalek Iには後のオーケストラル・マヌヴァース・イン・ザ・ダークのアンディ・マクラスキーもいたけど、複雑怪奇なリヴァプールの人脈をいちいち語ると「アンビアンス(上映時間720時間という世界一長い映画)」が終わってしまうほど(大げさ)。

後半になるとせっかく仲を育んだ二人の行き違いが増えて、さらにパック内での内紛、カーティの家庭内事情が情けない暴行事件にまで発展して、映画としては一番見どころとなる。この辺については敢えて書かないけどね。

ハナからまともな映画感想にはならないと自分で予想してたけど、ROCKHURRAHの書きたい部分が映画のテーマや物語ではなく、79年のリヴァプールや音楽について。興味の方向が違うので他の人の参考にはならないだろうな。

物語の冒頭、カーティが全力疾走するシーンで使われていたのがウルトラヴォックスの「Young Savage」、予告でも使われていたからこれがメインテーマとなるのかね。
映画の舞台となったリヴァプールとは特に関係なさそうだから、単に監督か音楽監督が当時好きだったから使ってみた、という感じかな?
元々タイガー・リリーというグラム・ロック寄りのパブ・ロック・バンドをやってたのがウルトラヴォックスと改名して、パンクの初期から活動してたバンド。
当時大ヒットしたチューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンが影響を受けたと公言して、そこから再評価されたけど、早すぎたニュー・ウェイブ・バンドだったね。
日本では三宅一生が出てたサントリーのCMで使われたので有名になり、ニュー・ロマンティックの時代に活躍した印象が強いけど、ミッジ・ユーロ加入前のジョン・フォックス時代が最高(ミッジ・ユーロもPVC2とかリッチ・キッズの頃は良かったけどね)って人も多いだろう。そんな初期ウルトラヴォックスの代表曲がこれ。釘を打つようなリズムと早口言葉のようなアグレッシブなヴォーカルに痺れるね。

過去に何度もジョン・フォックスを「エラの張ったオバチャンみたいな顔」とブログ記事で書いたのに、今はじめて自分で気づいたかのように「オバチャンみたいな顔だね」とSNAKEPIPEに言われてしまった。うーむ、人の記事全然読んでないな。

ライブハウスでカーティがナンパしようとした女の子が実はエルヴィスの幼馴染(?)だったというシーンで使われていたのがジョイ・ディヴィジョンの「Insight」だ。この曲は他のシーンやエンド・クレジットでもしつこく使われていたな。よほどこの曲が好きだったと見える。
「Insight」を歌ってるライブ映像がなかったから、これは誰かが他の映像と組み合わせて捏造したものだけど、一応動いてる映像が欲しかったんで我慢するか。イアン・カーティスの伝記映画「コントロール」のシーンが合成されてるね。
マガジンと同じくリヴァプールの宿敵、マンチェスターを代表するバンドで、今でもあちこちに名前が出てくるほど信者が多いね。
1979年はジョイ・ディヴィジョンがファクトリー・レコードから1stアルバムを出した頃で、誰もが熱狂・・・とまでは言わないが至るところで「すごいバンド」と評判になってた頃だね。
エルヴィスがジョイ・ディヴィジョンから特に影響を受けてたような言動もあったが、ROCKHURRAHも大昔に書いた記事にある通り、このバンドから連想する数々の思い出があるよ。

音楽的にも文化的にもこの当時の北九州に馴染めず疎外感を持っていた若き日のROCKHURRAH、映画のエルヴィスのように「この街を逃げ出したい」といつも考えていたもんだ。
楽しみは高速バスに乗って福岡まで一人でレコードを買いにゆくだけという孤独な少年だったが、そんな危険な精神状態の時に出会ったのがジョイ・ディヴィジョンだった。

関係ないけどROCKHURRAHが高1の時、直接知らない先輩が飛び降り自殺をしたというショッキングな出来事があった。
その先輩が綴った、世に出る予定のなかった文学作品が死後に自費出版されて、不謹慎だとは思うが興味本位で買ったものだ。
それから何十年・・・ROCKHURRAHの出た高校の人以外、誰も知らないだろうと思ったその人の遺作と日記が普通にアマゾンとかに売ってて、知ってる人も多数だと知り、とても驚いた。
山田かまちと一緒で17歳で夭折した作家として、普通に文学作品として語られているのだ。
逼塞感に満ち溢れたその人の詩を読むとイアン・カーティスと見事にオーバーラップしてしまう。
なんて事を思い出した次第。

ちなみにウチのブログにはじめてコメントを頂いたのがこの記事(上のリンク)で、北九州出身のミステリー作家、鳥飼否宇先生からのコメントだった事にSNAKEPIPEと二人で大喜びしたものだ。
それからも何度もコメントを頂いて、それを励みに14年も休まずブログを続けられた。
これもジョイ・ディヴィジョンやディス・ヒートにペル・ユビュといった音楽を、偶然同じ頃に同じ北九州で聴いてたという奇妙な「縁」から始まったんだな。
どこにも居場所がないような故郷の街だったけど、その窮屈さが懐かしくもあるよ。
いや、文脈的に今書くような話じゃないのは承知だけど、自分で当時に書いた事を読み返して懐かしむのも老化現象のはじまりなのか?

ブログの後半は映画というよりはROCKHURRAHのいつものパターンとなってしまったね。

全体として当時のニュー・ウェイブがふんだんに使われているところはいいけど、音楽がとても盛んなリヴァプールを舞台にした割にはご当地のバンドがあまり使われてなかったのが残念なところ。ポスターとかマニアックに用意したんだから余計にね。

最後に映画とは関係ないが、ライブ・クラブ、エリックスの歴史を振り返る映像で締めくくろう。
曲はジョニー・サンダースでこれまたリヴァプールとは特に関係ないけどな。ピート・ワイリーのWah!がこの曲をカヴァーしてたからそっちにしてれば良かったのに。

ネタバレを全然しないように書いてきたから映画後半の筋も全く触れてないけど、まあ明るく終わる雰囲気の映画じゃないのは予想通りだろうね。
カーティとエルヴィス、そしてパックの面々との関係がもっと描かれていたらもう少し映画としては見どころがあったんだろうが、そこまで深い絆もなかったところが逆にリアルな当時の姿だったのかな、と思うよ。

おそらく大ヒットするとは思えないし、公開が終わった後でDVDになったり、どこかで配信されるかさえ不明の映画だから、11年後でも観れて良かったよ。

それではまた、Ta-ra for now!(リヴァプール的表現で「またね!」)