俺たちダーク村

【森の中の田舎町で繰り広げられる難解なドラマ】

ROCKHURRAH WROTE:

世間一般の流行りからすると「大変遅ればせながら」だけど、今年の春くらいからNetflixに加入して、週末になると映画やドラマを楽しんでいるROCKHURRAHとSNAKEPIPEだった。
字幕ものばかりだから平日の食事時とかには集中して観れない。 それで週末が多くなるんだけど、ドラマの続きが気になって最近では平日の夜にもなるべく時間を作るようにしている。 食事の支度や洗い物、風呂など省略出来ない部分ばかりだから、苦労はするけど頑張ってるよ。
ちなみにウチは食事や昼の弁当などインスタントなものは一切使わず、レンジで調理などはしないという方針で長年やってる家庭なので毎日、結構手間ヒマかけて作ってる。偉い?

Netflixはよその動画配信サービスにはないようなちょっとマイナーな映画とかも扱ってはいるが、誰もが言うように映画の方はタイトル数が少なくてイマイチという弱点がある。代わりにドラマが結構充実してて面白いから、今のところはそっちの方で満足してるよ。

Netflixに入ったら絶対に観るべきといわれてる大人気ドラマもちゃんと観ていて不覚にもハマってしまったが、その話はまた今度するかしないか? 
現在熱心に観ているのがドイツの「DARK」というタイムトラベル・ファミリー・ドラマだ。
darkという意味のドイツ語はdunkelだと思うが、これは原題も英語のdarkになってて世界向け仕様だな。

ドイツの一体どこよ?と問いたくなるほど森林地帯の過疎の町を舞台に繰り広げられる、タイトル通りのダークな物語。

田舎町で子供の失踪事件が発端、と聞くとあの映画やこのドラマなどを即座に思い出すだろうけど、ややこしいのは主要登場人物が何人も「これでもか?」というくらいに過去や未来に飛びまくる事。
ドイツ人の難しい名前や姓、顔を覚えるのもすぐには出来ないというのに、いくつもの時代にまたがって話が進行するから最初の方は意味不明の部分が多かったよ。
同じ人物だけど子供だったり年寄りになって登場したり、その関連性がわかってくるまでが大変。
ある時からその辺の謎が徐々に解けてゆき「これがここに繋がるんだ」という見事な展開となる。

あと少しで観終わるとは思うがまだROCKHURRAH家では進行中なので、詳しくは書けないけどね。
設定がドイツの田舎町という事で登場人物の顔やキャラクターが地味、というかあまり華がない俳優ばかりなのが惜しいところだね。
Netflixで大ヒットしたスペインのドラマ「ペーパーハウス」で、全員主人公になれるくらい際立ったキャラクターが数多く登場したのを観た後だったから、余計に地味に感じるよ。
その代わりに原発近くの荒涼とした風景、森の奥深さがとても印象的。地の果てや洞窟好きなROCKHURRAHはこんなところで暮らしたいとまで思ったよ。

さて、恒例だがタイトルにもあるしこの前置きでバレバレだけど、今回の「俺たち〜」シリーズはずばりDARKで行こう。
「暗い」とか「闇の」などという代表的な意味以外にも黒ずんだ、濃い、わかりにくい、秘した、暗愚な、陰険な、不機嫌な・・・などなど、世の中のネガティブさを一身に背負ったかのような幅広い表現に使われる言葉だとわかる。
ROCKHURRAHは思えば子供時代からそういう意味ではずっとダークな人間だったな。自分にとって一番身近な特徴かも知れないよ。

この「俺たち〜」シリーズは毎回同じ単語が曲名に含まれるものを選んで、さらに70年代パンクや80年代のニュー・ウェイブと呼ばれた音楽限定でロクでもないコメントをしてゆくだけという安直な企画だ。

そして、そんなどこにでもありそうなDARKをテーマに今回も書いてみようと思ったが、探し方が悪かったのか、思ったほどにはパンク、ニュー・ウェイブの世界はダークだらけじゃなかったのがとても意外。
毎回いくつかのYouTube動画を貼り付ける構成なんだが、全く動いてない静止画に音楽だけじゃ物足りなくて、なるべくライブやプロモなど動きのあるものを選ぶ関係で、動画がありそうにないマイナーなのは割愛しているせいもあるけどね。
世の中にダークは蔓延ってると思ってたから案外少ないなという感想だよ。

ROCKHURRAHがダークと聞いて真っ先に思い浮かぶのがこのバウハウスの名曲「Dark Entries」だ。

彼らがデビューしたのは1979年で、まだパンク以降のニュー・ウェイブがそこまで細分化されてない時代だが、80年代前半に起こるポジティブ・パンク通称ポジパンの元祖的な存在として名高い。

ポジパン、ゴシックというそれ系の一群を指す言葉がまだなかった時代、人は何と言ってたか知らないがROCKHURRAHとその仲間はこういう音楽の事をダーク・サイケと呼んでたなあ。
出どころは不明だが、暗い音楽の総称をネオ・サイケと呼んでたから、叙情派の線の細いネオ・サイケと区別するためにそう言ってたんだろう。
ちなみにネオ・サイケと呼ばれる音楽の中で60年代サイケデリックの影響を強く感じるようなのは実際は少なく、単にコード進行がマイナー調でメランコリックな曲調のものを、多くの人々はネオ・サイケと呼んでただけ。
ずっと後の時代にはこういう暗い路線のニュー・ウェイブはダーク・ウェイブと呼ばれるようになったらしいが、まあ五十歩百歩のネーミング・センスだよね。

そういうカテゴライズは大多数の人にはどうでもいいものだろうが、80年代のイギリスでも様々なバンドに影響を与えまくったのがバウハウス。
逆立てた髪とクッキリした化粧顔のピーター・マーフィーやダニエル・アッシュのヴィジュアルは後のポジパンにも受け継がれるものだし、それまでのグラム・ロックやパンクとは明らかに違う暗い曲調に魅せられた人も多かった。
決して売れ線の音楽とは言えないけれどヴィジュアルの良さもあって、バウハウスはこの手のバンドとしては異例の人気を誇り、短い活動期間でも強烈な印象を残したと言えるだろう。

たった3年ほどの活動期間で一時代を築いたバウハウスは解散、ピーター・マーフィーはジャパンのミック・カーンとちょっとの間だけダリズ・カーというユニットを組んでたな。
個人的にデヴィッド・シルビアンのヴォーカルはあまり好みじゃなかったから、ジャパンの音楽にピーター・マーフィーのキレのある声が絡むというこれは、企画モノだったとしてもなかなか良かった。
アート好きにはいちいち説明の必要もないがバウハウスの次はダリ、そして次は?と思ったらその後は凡庸にも単なるソロとなってしまって残念。
マガジンやペル・ユビュのカヴァーもナイスだしプロモでは逆さ宙吊り歌唱、と体を張ったパフォーマンスも健在だったが、時代が色々変わってゆく頃だったから、いつの間にか最前線から消えてしまったな。
一方の残りの3人はダニエル・アッシュの副業トーンズ・オン・テイルを経て、デヴィッドJとケヴィン・ハスキンスの兄弟を加えた仲良し3人組、ラブ&ロケッツを結成。
パッと見たら区別がつかないような似たようなジャケットのレコードを何枚も出して結構長く続いたはずだけど、ROCKHURRAHもその後はよく知らない。今でも仲良しなのかな?

バウハウスの初期シングル曲はアルバム未収録のものが多く、その時代に輸入盤屋がないような土地に住み、日本盤アルバムしか持ってなくてベスト盤も買わなかった人は、代表曲の多くを知らないというちょっと変わった境遇のファンになってしまう。
そんな人には出会った事ないが、その当時はそういう人もいたんだろうな。
1980年に出た2ndシングルの「Dark Entries」もシングル曲なんだが、ポール・デルヴォーの絵を使ったジャケットも美しく「夢にデルヴォー(© 府中市美術館)」などと独り言を言いたくなる。
エントリーは入場、加入、出場、入り口などの意味があるから直訳すれば闇入場。え?違うのか?
1stアルバムの邦題も「暗闇の天使(In The Flat Field)」などという意訳を超越したタイトルだったから「闇入場」でもいいじゃないかと思うが、今回のテーマであるダークというキーワードにはうってつけの曲なのではなかろうか。

バウハウスはライブも完璧に素晴らしいバンドだったから公式のライブ・ビデオが当時から出てて、ROCKHURRAHもダビングして持ってたのを何度も観たもんだった。上のビデオはその時の映像と一緒だけど観客もノリノリ、全盛期のライブ観てたら感動したに違いない。光と闇、静と動、白と黒、口にするのはたやすいけど、その辺をひっくるめてライブで表現出来る実力はさすが。

何年か前の話、MacのOSがMojaveという日本人には言いづらい愛称でリリースされた頃、目玉機能のひとつとして紹介されたのがダークモードという代物。
何のことはない、メニュー周りとかアプリケーションの背景が黒っぽくなって目が疲れないとか、黒っぽくておしゃれでカッコいいとかその程度のもので情けなくなった覚えがあるよ。そんな機能くらい最初から付けとけよと思ってしまった。
そのうちiPhoneのiOSにもその機能がついて、悪態をつきながらもROCKHURRAHもダークモードにしてるが、こんなものを目玉にしてるようじゃアップルの先行きも危ないものだ、とその頃は強く思ったもんだ。
ジョブスが亡くなってから先進性も冒険もなくなり、延長線みたいなことばかりしてて、古くからのMac好きが喝を入れたくなるのが今のアップルだ。そう思ってるのはROCKHURRAHだけではあるまい。

相変わらずその話とは何も関係ない驚きの展開になるわけだが、続いてのダーク村民はこれ、ザ・サウンドの「New Dark Age」だ。
日本ではあまり知名度ないけど、70年代末に始まったいわゆるネオ・サイケというジャンルの中では中堅以上の存在だろう。
元々、パンクの時代にアウトサイダーズというバンドをやってたエイドリアン・ボーランドがセカンド・レイヤーという2人組ユニットを79年頃始めて、そのメンバー2人がそのまんま中心となったバンドがザ・サウンドだった。
70年代後半の初期ニュー・ウェイブを熱心に漁ってた人(今はおっさんになってても)だったら「懐かしい」と喜ぶ人もいなくはないだろう。
セカンド・レイヤーはジャケットもカッコ良かったしジョイ・ディヴィジョン系列の音楽の中ではピカイチのセンスを持ってた通好みの音楽だったもんね。
その鋭敏な音楽センスを持ってたのが上のビデオ中央のぽっちゃり男だとは、その当時は思いもしなかったよ。

ザ・サウンドはエコー&ザ・バニーメンと同じコロヴァ・レーベルから1980年にデビューして、音楽誌や批評家たちから絶賛されてたバンド。ネオ・サイケという音楽を好む人達が求める理想の音、というようなソングライティングのうまさが光ってたからね。
しかし、どこの輸入盤屋でも比較的簡単に入手出来た割には実際に持ってる人や聴いた人が少ないバンドだったな。
ROCKHURRAHが下北沢の有名な古本屋&レンタルビデオ屋で働いてる頃に知り合った数人と「サウンドいいよ」などと盛り上がっていて、わずかにその周辺に広がった思い出があるけど、全世界にはその思いが伝わらなかったようだ。

1stアルバムの「I Can’t Escape Myself」や「Heyday」も文句なしだけど、ネオ・サイケという範疇に限って言えば1981年に出た2ndアルバムが、この手のジャンルの代表的な1枚にしてもいいくらい王道の出来だ。
初期のU2とか好きな人には間違いなくオススメ、などと三流レコード屋みたいなコメント(ROCKHURRAH自身がそうだったか)をしてみるが、今の時代に現在進行系みたいにこんなバンドの事を語ってる人いるんだろうか?いやない。

その2ndアルバムの最後を飾るのがこの「New Dark Age」なんだが、わざわざ動画探して貼り付けるのをためらうほど、このバンドはルックスの面でかなり難ありだった。
エイドリアン・ボーランドはデブなだけなら問題なかったが、目つきが怖くて何されるかわかったもんじゃないね。

そう、この人はこの時代はたぶんマトモで87年くらいまではコンスタントにレコードも出していた。
ザ・サウンドの後もちゃんと活動はしてるんだけど、いつの頃か精神を病んでしまい、1999年に電車に飛び込み自殺してしまった。
大多数の人は運転見合わせを恨み、運転再開後は何事もなかったかのようにすぐに忘れ去られてしまうのが飛び込み自殺。
体もバラバラになってしまうし、個人的にはこんな死に方を選ぶ人の気が知れないよ。
三回くらい自殺未遂があった末の自殺だから、この時未遂だったとしても遅かれ早かれという気はするが、何ともやりきれない末路としか言いようがないよ。

ダークと言えば思い出すのがラース・フォン・トリアー監督の数々の映画。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」がすでに20年前の映画だと知って愕然とするが、時の移り変わりは早いものですな。
ROCKHURRAHは昔からこの監督の作品を知ってたわけでなく、近年になって矢継ぎ早に旧作を観た覚えがある。
ハウス・ジャック・ビルト」をSNAKEPIPEと一緒に観たからなのか、その前なのかは覚えてないけど、主要なのは大抵観てるはず。とてもイヤな思いをする作品もあったけど引き込まれるものもあって「ドッグヴィル」や「アンチクライスト」、それに「ハウス・ジャック・ビルト」は好みのものだったな。
鬱三部作なんてのもあるくらい、この監督の作品は全体的にダークなものばかりだけど、好みのダークだったりイヤなダークだったり、ダークの種類にも色々あるって事だね。二行で四回以上もダークという言葉を使ったROCKHURRAHの神経も危ないな。

さて、重苦しいダークが続いたから違う路線もやってみるか。次の村民はこの人、スネークフィンガーの「The Man in the Dark Sedan」だよ。
元パブ・ロックの有名バンド、チリウィリ&ザ・レッドホット・ペッパーズのメンバーだったと書いても知らない人多数だろうが、そういう前歴を持つマルチ・ミュージシャンがどういう接点なのかわからないが、全米の前衛音楽集団(意味不明)レジデンツと出会い、そのサポートメンバーとなる。
チリウィリ&ザ・レッドホット・ペッパーズはイギリスのバンドにも関わらずブルースやカントリーにジャズ、ブギウギといった要素を詰め込んだアメリカ満載の音楽でROCKHURRAHはパスしたくなるような音楽だった。が、それだけの要素を詰め込むには大変に音楽的造詣が深くないと出来ないはず。
そしてレジデンツも古今東西の音楽を解体し、異常な音響工作で再構築をするのが得意(と個人的には思ってる)なバンドで、おそらく大変な音楽的造詣の深さを持ってるはず。
その両者が出会って一緒に活動してたわけだが、音楽的造詣の深さを感じさせないグンニャリした音空間に酔いしれたファンも多かろう。これぞ前衛の奥深さ(いいかげん)。

「The Man in the Dark Sedan」はスネークフィンガーのソロで1980年に出た2ndアルバムにも収録されたシングル曲。
MTVとかよりも前の時代だと思うけど、そしてこの時代にはレジデンツもスネークフィンガーも相当マイナーなアーティストだったはずだけど、なぜか立派なプロモーション・ビデオが存在していて、ラルフ・レコード(レジデンツが主催するレーベル)はちゃっかり販売してたな。

謎の奴隷みたいな集団に車をひかせて歌い跳ねるというだけのバカっぽい変な映像だが、曲もレゲエ調で一般的な意味のダーク要素は皆無。
スネークフィンガーは往年のテニス・プレイヤーだったジョン・マッケンローをちょっと思い出す不敵な顔つきだな。
周りはアングラ劇団なのか単なるエキストラなのかわからんが、ほとんどレジデンツと同じような雰囲気で、それなりに金のかかったビデオが存在してる事自体が驚き。

その後も元キャプテン・ビーフハート&マジック・バンドのメンバーなどとヴェスタル・ヴァージンズというバンドを組んで80年代後半も活躍していたが、87年のツアー中に心臓麻痺であっけなく死亡。
不謹慎なのを承知で言えば、彼の場合はやりきれない、と言うよりは好きなように生きて死んだ、という感じがする。
それもキャラクターなのかね。

今回のブログはとても時間がかかっている。
個人的にあまり時間がないのに、そして大した事も書いてないのに、書き方がまとまらなくてうなってる状態だよ。
気軽に何でも書けるような筆力があればなあ。ん?無駄な事を書かなければもっと早く終る?

で、次は初の女性村民。暗くはないけどとにかくダークという言葉がタイトルに含まれてるだけ。こんなんでいいのかダーク村?
80年代半ばにかの香織がやってたニュー・ウェイブ・カンツォーネ・バンド、ショコラータの「Nina From the Dark Moon」だ。
本場イタリアでもカンツォーネを取り入れたニュー・ウェイブなんて滅多にないと思えるから、このバンドの先進性は世界レベルだと思える。
かの香織は実家が江戸時代から続く造り酒屋の12代目跡継ぎだそうで、ショコラータのイメージとは結びつかないが、一度飲んでみたいものだ。

次もまた全然タイプの違う女性村民、リディア・ランチがやってたバンド、8・アイド・スパイ(カタカナで書くと情けない)の「Ran Away Dark」。
ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンで70年代後半に隆盛を極めたノー・ウェイブというジャンルの音楽があったが、不協和音だらけのノイジーな演奏にヒステリックなヴォーカルというバンドが多く、知らない人が聴いたらどのバンドも区別がつかないようなシロモノ。
リディア・ランチはこのノー・ウェイブの中心的な女性ヴォーカリストでティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスというバンドで活躍してたが、その後に始めたのが8・アイド・スパイだ。
メンバーと音楽スタイルが違ってもリディア・ランチのヴォーカル・スタイルは大して変わらず、一部の人にしか受け入れられないような音楽だったな。

無駄な事を書かずに簡素にしてみたけど、やっぱりこれじゃROCKHURRAHとは言えないなあ。いつも通り、ごちゃごちゃ書いた方がしっくりくるね。

Anne Clarkと検索してもなぜか女物の時計が出てくるばかり、まるでそんな人いなかったかのような扱いで、何か情報操作でもしてるのか?などど勘ぐってみる。まあ単に検索する人がとても少ないだけか。

アン・クラークはイギリスのシンガー、というよりはポエトリー・リーディングの女流詩人というような人。
80年代前半に活躍してレコード屋でとてもよくジャケットを見かけてたものだ。
ジャケットの雰囲気からしてベルギーのレ・ディスク・デュ・クレプスキュール(というレーベルがあった)あたりの女性シンガーかと勝手に思ってて、アンテナとかアンナ・ドミノとかと同類だと決めつけてた。
そしてZTT(トレヴァー・ホーンのレーベル)のアン・ピガールと混同してて同じ人だと思ってたもんだ。
第一、ずっとアンネ・クラークだと思ってたよ。実際は勝手な思い違いだったけど、そこまで大きな違いでもなかったので良しとしよう。

アン・クラークは渋いというか地味というか、アーテリーやカーメル、ザ・ルームくらいでかろうじて知られてるレッド・フレームというレーベルから83年にデビューして、このレーベルの中では筆頭くらいの出世はしたかな。
ただ、ボーイッシュにも程があるという残念な顔つきと、かわいげがない鋭い目つきで損してたタイプ。

そのアン・クラークの一番のヒット曲がこれ、1984年に出た「Our Darkness」だ。
男女2人で楽器担当の男とちょっとぽっちゃりな女ヴォーカルというとヤズーを思い出すが、意識してるのかどうか。
このビデオでは控えめな相方デヴィッド・ハーロウは、本当はモヒカンでヤズーのヴィンス・クラークと間違えそうな見た目の男。
他にも80年代前半に活躍した女流ピアニスト、ヴァージニア・アストレイや、元ウルトラヴォックスのジョン・フォックスなどともコラボしていた模様で懐かしい。

ちょっとイントロ長すぎて歌を聴く前に飽きてしまうが、エレクトロニクスの無機質な演奏によく合うスタイルの硬質な歌声でなかなかいいではないか。
詩の朗読とエレクトロニクスというのが珍しいスタイルで、曲にノッてるのかどうかは不明だが意欲的なのは確か。あとは厳しい顔つきだけが残念だね。

最後のダーク村民はこれ。
アメリカのシカゴ出身のDA! だ!曲は1981年リリースの「Dark Rooms」だ!
誰でも読める綴りだけにどう読むのが正しいのかよくわからんけど、ディーエー!なのかダ!なのか。
アメリカのTV番組出演の映像があったが、その時は司会者が「ダー」と言ってたからそれでいいんだろうね。
日本語でこのバンドについて書いてるサイトがなさそうだけど、たぶんみんなどう読めばいいのかわからないに違いないよ。

シカゴ・パンクなんてのがあるのかどうか知らなかったけど、1970年代後半から80年代前半にかけてこのDA!は活躍してたようだ。が、ビデオ見てわかる通り、その当時のアメリカの音楽とは思えないダークな音楽性と見た目で、こりゃ生まれる場所を間違えたなあ、と残念な気持ちになるよ。
明らかにイギリスの暗い系列の音作りで、イギリスだったらもっと話題になってたかも知れない。
メンバーは少し入れ替わりがあったみたいだけど、このビデオの時はギター以外は全員女性という珍しい構成。
ベース&ヴォーカルはびっくりしたような顔のローナ・ドンリーで、スージー・スーみたいな歌声だね。
シングルを2枚しか出してない弱小バンドなのにいち早くプロモーション・ビデオまで作って、これからのやる気は充分だったんだろうな。

しかしDA! は1982年に早々と解散し、その後ローナ・ドンリーはヒップ・ディープ・トリロジーというグランジっぽいバンドを始めた。これもなかなか良いバンドで凝ったプロモまで作って、これからのやる気は充分だったはずだが、アルバム1枚しか出してないところを見ると人気出なかったんだろうね。
その後は音楽活動から遠のいて図書館司書になった模様。
そして2013年、初婚なのかどうかは不明だが53歳で結婚して、まだ新婚のうちに突然の心臓発作で死んでしまった。
うーん、事象だけを追うと報われないような一生だけど、その時々は輝いていただろうし、運命を左右するのもその時の決断だったりするから、決して不幸な死とは言えないのかもな。

ドラマの方の「DARK」はここでこの人がこの人と会うと未来がひどいものになるから、それを阻止するために奮闘する人もいれば、自分勝手な都合だけで過去や未来に飛んで運命の歯車の一部になる人もいる。
ROCKHURRAHは迷わず、自分勝手な都合で80年代に戻って人生を修正したいと思うが、どうやってもマトモで立派な人にはなってないだろうな。きっとそういう生き方がしたいんだろう。

それではBis nächstes Mal! (ドイツ語で「また今度ね」)

俺たちドイト系

【何だかわからないがDIYっぽい映像、本文とは何も関係なし】

ROCKHURRAH WROTE:

先日、用事があり家の近所のドイトに行ってみると「この度、ドイト各店舗の運営がPPIHからコーナン商事株式会社に承継されたことに伴い、2020年1月27日(月)より全店休業とさせて頂いております」などと入り口に書いてあって営業してなかったのでビックリした。
ドイト、などと書いても近場にこの店がある以外の全国の人にとっては「何それ?」だろうけど、確かドン・キホーテ傘下のホームセンターの名称だ。
調べてみると東京、埼玉、福島などの一部の地域にしか店舗がないためにあまり知名度はないと思うし、ROCKHURRAH家の二人もたまたま越した近くに店舗を見つけただけで、それ以前にはドイトなんてものも知らなかったよ。
以前は千葉に住んでいたため、「ホームセンターと言えばコーナンPROショップかスーパー・ビバホームに限る」と二人で語り合っていたものだった。
引っ越した先は都内で、そこまで巨大店舗が近場にはないし困っていたところ、実は歩いてゆけるほど近所にそういう名称のホームセンターがあると知って、喜んだのだった。ちなみに一部の地域を除いて全国展開しているカインズも歩いてゆける距離にあったので喜びは二倍・・・ってほどには利用してないけどね。

この冒頭でもわかる通り、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEはホームセンターが大好きなのだ。
10年くらい前は近くにコーナンPROショップがあるところに住んでいたため、大型連休の恒例行事みたいにスチールラックを買っては作り、部屋の配置換えなど作業に明け暮れていたものだ。
一般家庭にはここまでないと思えるくらいにスチールラックをさまざまな事に活用してて、物流倉庫を部屋にしたみたいな暮らしをしていた。大量の服を所有しているのでクローゼット=スチールラックだらけの部屋、というイメージだ。
これがアダとなって引っ越しの時はスチールラックの解体と組み立てに明け暮れる毎日。イヤになるくらい作って分解したものよ。
ラック以外でも何に使うのかよくわからない小さな金属パーツやボルトやナットなどなど、使う用事はなくてもついつい見てしまうのがウチの特色。二人ともそういう嗜好が似通っていて良かったよ。

ちなみにコーナンは割と全国に展開しているから知名度が高いホームセンターだと思うけど、現場関係のプロが揃えるだけの資材を扱っているPROショップまで併設されていると魅力倍増だ。
ドイトは他の店舗を知らないから近場だけに限って言えば、店構えや広さはそこまで大した事はなく普通のホームセンターに見える。が、中は意外とマニアックにPROショップやスーパー・ビバホームなどと同じような様々なパーツや工具を扱っていて、そこが良かったんだよね。
ドンキ系列からコーナン傘下になって何が変わるのかは不明だけど、リニューアルしたらまた行ってみよう。

さて、この導入部が一体今回のブログ記事とどうつながってゆくのか、みなさんも興味津々だとは思うが、ドイトという不思議な店名がカギとなっている。
ウチも「ドイトってなーに?」と思って近場だから試しに行ってみたらその疑問が氷解した(大げさ)のだ。
この店は大胆にもDO ITと書いて、これをドイトと読ませてると気付いた時は腰が抜けたよ(さらに大げさ)。
ローマ字くらいは何とか読めるけど英語はさっぱり、というおばちゃんとかがそのまま読んだのを大胆に店名にしたのか、逆にネイティブな発音を聞いてそのまま店名にしたのか?創業者が土井さんだったとか?などと気になって仕方がない。

ドイトの名前の由来はDo It Yourself(自分でやれ)からだと思うが、この頭文字D.I.Yが日本でも言われはじめたのはいつごろからだろう?ROCKHURRAHが育った北九州には大昔からナフコと言うこれまた意味不明な店名のホームセンターがあったけど、子供の頃からおそらくDIYコーナーとかあったと思う。
スチールラックを頻繁に作る割には日曜大工への興味はあまりないROCKHURRAHだが、ヒマと金と場所があったら自分で何でも手作りするのは楽しいだろうね。

ロックの世界でも卓越した演奏テクニックがなくても、自分たちだけで何とかやるDIY音楽としてパンクやニュー・ウェイブ、さらにパーソナルになった宅録なども生まれたが、出来上がりの良し悪し、オリジナリティのあるなしに関わらず、何かを創造する事は楽しい事だと思う。
音楽に限らずROCKHURRAHもSNAKEPIPEもそういう自作への情熱というか欲求が似通っているために、一緒にいて刺激しあえるところがいい。最近は色々と自作とは遠のいてるけどなあ。

いやー、今回は前置きが非常に長かったけどやりたい企画は単純明快、そう、ズバリ「Do It」が入った曲特集なんだよ。この展開で全く違うキーワードだったら逆にビックリだろうけどな。
いつもと違うのはDo itと入った曲をいくつか思い出したわけじゃなくて、この前置きだけ先に思いついたという逆さまだった事。結果を先に書くならいっぱいあるかと思った「Do It」はあまりなくて、今回もまた企画失敗の香りがぷんぷんしてきたよ。
まあそういう精神からすれば、失敗を恐れずにDo it(ドイト)!って事になるだろうから、何とか頑張ってみるか。
今回はちゃんと動いてるビデオの動画があまりなくて残念だが、たまにはこういう事もあるさ。

パンク / ニュー・ウェイブの世界で有名なドイトと言えばイアン・デューリーの1979年作2ndアルバムのタイトルがズバリ「Do It Yourself」だったのをまず思い出す。が、このアルバムにはそういうタイトルの曲は入ってなくて単にアルバムのタイトルなだけだった。
他に何かないかなと思って、真っ先に思い出したのがこれ、エコー&ザ・バニーメンの「Do It Clean」だ。
デビュー・アルバムから日本盤で堂々とリリースされていて、順風満帆にファンを増やしていった恵まれたスタートだったバニーズ(このバンドを80年代的に呼ぶと略してエコバニだったけど、通ぶった呼び方ではバニーズと言っててROCKHURRAHも周りもみんなこう呼んでた)だけど、全英1位とかってわけでもないバンドだったから、さすがにシングルまでは出してくれてなかったね。

この曲はアルバムには未収録のシングル「The Puppet」のB面だったから、輸入盤屋が近くにない地域の人にとっては当時は聴くに聴けなかったに違いない。
その頃「リヴァプール物と言えばROCKHURRAH」というくらいに奇妙な収集癖で、誰も知らないようなバンドを漁ってたんだが、誰でも知ってる大物、例えばエコー&ザ・バニーメンなどは「いつでも買える」というような理由で素通りしていた事を思い出す。もっとマニアックな人を気取っていたような、若くてひねくれてたあの頃の自分が今思えば恥ずかしいよ。
こう書くと全然持ってないか聴いてないかのように思われてしまうが、人並み以上にこのバンドの音楽も知ってるし好きなのは間違いないよ。東京に来る前から聴いてたしね。
そして、いつでも買えると思ってたレコードがこんなにも早くいつの間にか身の回りから消えてゆくとは、その頃は想像もしなかった。いや、消えたのはレコードじゃなくてレコード屋と言うべきか。

1980年リリースの「Do It Clean」は彼らの初期の作品につながる力強い名曲だけど、襟や袖の部分が切れたTシャツがヒラヒラしてるところでのギター、気が散って仕方ないような気がするよ。そんな神経質じゃ大物にはなれないか。
そして途中で何か探す謎の動きもあって珍しいビデオなんだけど、探してたのは何とタバコだった。そう、写真でもよく見かけるけどヴォーカルのイアン・マカラック(当時の呼び方のまま。今は違う呼び方されてる)はステージでの喫煙率が高いんだよね。アシスタントがつけてくれて無事に吸えたみたいだが日本では禁止されそうだね。
そういうアクシデント(?)も含めてファンにはたまらない貴重な映像だね。
邦題は「ドイトをきれいに(大ウソ)」。

続いては日本盤が出ていたにも関わらず微妙に地味な位置にあったバンド、グロリア・マンディの「Do It」だ。
邦題は「忘れじのドイト(絶対ウソ)」。
この「俺たち◯◯シリーズ」はROCKHURRAHが捏造した勝手放題な邦題をつける時とつけ忘れる時があって、つけ忘れたまま記事をアップさせた後で忘れた事に気付くと悔しい。けど、わざわざその部分だけ修正して更新するのもバカに思えてね。この歳になってこんなバカな事を真剣に考えるのも情けないなあ。

さて、このグロリア・マンディは時代的にはパンクの真っ只中からニュー・ウェイブに向かう頃の1978年〜79年に活動してたバンド。日本でも「反逆の狼火」などというタイトルでアルバムが出てたけど、指紋みたいなジャケットに全く魅力を感じずにROCKHURRAHは素通りしてしまった。改めて思うがROCKHURRAHは何にでも素通りが多すぎの気がするよ。
後に東京に出て最初は東北沢に住むんだけど、その超貧乏時代にこのバンドの「Glory Of The World」というシングルをなぜか買ったのを覚えてる。まだ毎日通うレギュラーな仕事やバイトがなく、単発のスポット的な仕事しかしてないような時だったな。
当時の下北沢にはレコード屋も数軒あったのに、まだ土地勘がないもんだから確かレコファンの近くにあった「五番街」という店で買ったような記憶。
この店がレコード屋だったのか何の店だったのか覚えてないが安いサングラスを買って、下北にもメガネ屋はあるのに、どういうわけか新宿で度付きサングラスにして以降、ROCKHURRAHと言えば度付きサングラスというイメージでずっと現在に至ってるよ。ああ懐かしき80年代のシモキタ。
それにしてもこの頃の若きROCKHURRAHは意味不明の行動してるな。二回も電車に乗って(作る時と取りに行く時)何で新宿で度付きサングラスにしたのか?

で、シングル聴いた印象は何かちょっと地味な感じで粘着質のヴォーカルが絡みつく、パンクなのかニュー・ウェイブなのかポジパンの先駆けなのかグラムの残党なのか判断の付きかねるシロモノだったな。
このバンドはジャケットとかにバンドのヴィジュアルを載せないタイプだったようで、声だけ聴いてもどんなバンドなのか想像がつかない。後で1stアルバム聴いたらちゃんとカッコ良かったので、あの時に知ってりゃ良かったと少し後悔したよ。
ヴォーカルのエディとサンシャイン(女性メンバー)は後にエディ&サンシャインというちょっとオシャレなエレポップのデュオを始めて、フランスのパンク・バンド、スティンキー・トイズをどうしても思い出してしまう。
スティンキー・トイズもメンバーの男女二人でエリ&ジャクノというエレポップ・デュオを後にやっていて、イメージ的にもかなりかぶるんだけど、当時そう思った人は多いはず。
ちょっと派手なおばちゃん顔のサンシャインと不気味な髪型で病的なエディ。
いかにもフランス風イケメンのジャクノとキツそうな目つきが鋭いエリ。
均衡が取れてるのかどうか、その後別離があったのかどうかは全く調べてないけど、まあ仲良くやって(ドイト)下さいよ。何じゃ?このいいかげんなコメントは?

動画なしが続くが、次はポルトガル産ニュー・ウェイブのバンド、ストリート・キッズの「Let Me Do It」だ。
邦題は「別れのドイト(ウソ)」。
当ブログの別企画で「80年代世界一周 葡萄牙編」などと書いても良かったのだが、惜しげもなく今回使ってやれ(ドイト)。まあそこまで温存するほどのバンドでもないしね。

ジャケットの雰囲気からしてディスク・ユニオンの7インチ・セールとかで200円で売っててもおかしくない感じだし、そう書いてたらどこかで見た事あるような気がしてきた。
ん、書いてるのは2020年だけどROCKHURRAHが言ってるのは最も頻繁にレコード漁りをしていた80年代のどこかの中古盤屋で、という話だよ。
ジャケット右側の二人が区別つかないところに見覚えがあるな(いいかげん)。
このバンドについて詳細は全くわかってないんだけど、この曲が1980年のデビュー・シングルらしい。

今もやってるのかどうかは知らないがROCKHURRAHが子供の頃、福岡地方のCMで「ポルトガル人が長崎へ カステラ カステラ・・・」などという歌があったのを思い出す。大航海時代にスペインと覇権を争っていたポルトガルもいつのまにか一線を退いてしまい、何だかのどかな大国になってしまったものだ。
そんな国でもパンクやニュー・ウェイブはちゃんと浸透して、イギリスよりは一年遅れくらいでも自分たちで音楽を作ってムーブメントを起こしてゆこう、という心意気は良いね。これこそいち早く海外に目を向けたエンリケ航海王子(1394年 – 1460年)の気概を受け継ぐ精神。
うーん、何だか壮大な決意を持ったバンドだと誤解されそうだけど、曲も演奏も歌い方もイギリスのB級エレポップにありそうな雰囲気でポルトガルっぽさは皆無だな。
初期ニュー・ウェイブの香りがするものはいつもROCKHURRAHの評価は高いんだけど、これもまた1980年のポルトガルだと考えると斬新なものだったんだろうね。
ナンバーワンなどとジャケットにシール貼ってるから、どこかで大ヒットしたんだろうけど、その頃のポルトガルではどういう音楽が流行ってたのかは不明。リスボンは燃えていたんだろうか?

静止画のビデオだとやっぱり飽きてしまうから次はこいつを。
ファン・ボーイ・スリー with バナナラマの「It Aint What You Do It’s The Way That You Do It」だ、タイトル長いなー。邦題は「酒と涙と男と女とドイト(ウソでしかも字余り)」でこれまた長い。

1979年頃にイギリスで大ブームだったのが2トーン・スカと呼ばれるネオ・スカのバンド達だった。
60年代ジャマイカのスカがジャマイカの労働者と共にイギリスに渡ってきて、70年代のパンクやニュー・ウェイブと出会って程よくミックスされたのがネオ・スカ。まあネオ・ロカビリーとかネオ・モッズとかネオ・アコースティックとか何でもネオをつけたがってたような時代だったからね。
この辺については確かROCKHURRAHの過去のブログ記事でも同じような事書いてたはずだが、さてどこだったかな?
スペシャルズ、セレクター、マッドネス、ビート、バッド・マナーズなどなど、個性派の面々が独自の音楽を構築していったが、スカというジャンルだけにこだわったバンドよりも自由に何でも取り入れたものの方が個人的には面白かった。中でも見た目も音楽も一番好きだったのがスペシャルズだったよ。
そのスペシャルズのテリー・ホール、ネヴィル・ステープル、リンヴァル・ゴールディングの三人が脱退してそのまま仲良く結成したのがファン・ボーイ・スリーだ。ここにどういう経緯でか加わったのがまだ初期の頃のバナナラマだった。
元々パンクやニュー・ウェイブのミュージシャンとの交友関係が広かった女の子たちだから、素人だった頃から目立ってたんだろうな。バナナラマは誰でも知ってるようなヒット曲を何曲も出した、80年代ニュー・ウェイブの世界に燦然と輝くガールズ・グループだけど、個人的にはファン・ボーイ・スリーとやってたこの頃が一番良かったな。

この曲は元はジャズの名曲だったという事だけど、歌い出しのTain’t What You Do It’s the Way That You Do Itというフレーズは確かに往年のものと近い。が、アレンジの巧みさなのか再現力の乏しさなのかは不明だが、原曲とはイメージがかけ離れたカヴァーとなっていて、独自の路線になってるのはさすが。いかにも80年代初頭のファッションや男三人女三人の健全交際みたいなビデオもいいね。

最後はこれ。
パンク界きってのメロディ・メイカーだったバズコックスの「Do It」。うーむ、知らん・・・と思ったら、これは何と1993年の曲だった。邦題は「帰って来たドイト(ウソ)」で決まりだね。

ROCKHURRAHが好きだったのはもちろん70年代のバズコックスで、もっと限定して言うならば後にマガジンを結成するハワード・ディヴォートがいた頃が一番。「Boredom」や「Breakdown」を初めて聴いた時の衝撃はピストルズを聴いた時以来のものだった。しかし数曲しか残さずディヴォートは去ってしまい、残されたギタリストのピート・シェリーが頑張って軟弱ヴォーカル術をあみ出した。
それ以降は、パンクを色々聴いてる人間ならば誰でも知ってるような曲を次々と量産し、後の時代にも多大な影響を与えたバンドとしてレジェンド級に名高いのは皆さん知っての通り。

一番輝いてた頃には観れなかったが、確か1990年前後くらいに来日したクアトロのライブは行ったんだよね。
みんな太ったおっさんになってたけど、さすがに百戦錬磨のライブ・バンドだから非常に密度の高い公演で、歳を取った事なんか忘れて熱狂したものだ。 この曲「Do It」はそれよりもさらに後って事になるな。
年齢を重ねて恰幅も当然良くなってるが、それを感じさせないほどの現役感に溢れてて、それは初心に帰ったような「Do It」というメッセージからも伺える。全体的に演奏の重量感が増して、ピート・シェリーがそこまでヘナチョコ・ヴォーカルじゃなくなっていた事が残念。
そのピート・シェリーは2018年に63歳で亡くなっているが、パンクをこれだけポップな表現で現代にまで残した功績は語り継がれてゆくに違いない。

以上、たかがドイト閉店くらいの事で連想が広がり、ここまでのブログ記事を書き上げた人間は未だかつていないだろう。これぞドイトが教えてくれたDIY精神だね。

ではまた、アテ マイス(ポルトガル語で「じゃあまたね」)
 

俺たちメジャー衆

【相変わらず取って付けたようなビデオで飽きるね】

ROCKHURRAH WROTE:

タイガー・ウッズが実に久々の復活優勝で沸いた今年のマスターズ・トーナメント。
月曜の朝にニュース速報とかでも話題になったからゴルフ・ファン以外の人でも目にしたとは思うけど、日本では深夜から朝の時間にかかってしまうためリアルタイムで観られない人も多かったことだろう。
ウチもそのパターンでゴルフ中継は録画しておいて夜にちょっとずつ観るくらいしか時間が取れない。だからタイガー・ウッズ優勝の瞬間を観たのはその週の後半になってからだった。

いきなりROCKHURRAHのブログとは思えないスポーツネタで意外に思う人も多いだろうが、実はROCKHURRAHもSNAKEPIPEもBSでやっているPGAツアーの試合はほぼ毎週、欠かさず観ているくらいのゴルフ好き(この記事にも書いてるな)なのだ。実際の観戦ツアーに出かけるというほどの熱烈さはないから、半端なものではあるけど。

タイガー・ウッズは去年のPGAツアー最終戦、ツアー・チャンピオンシップでも復活優勝をしているけど、メジャー大会での優勝は11年ぶりなのでより一層の話題になってるというわけ。
背中や膝を何度も手術して、さらに愛人問題のスキャンダル、逮捕などでどん底の不振にあえいでいたのが去年くらいから復調してきて、やっとまた頂点に返り咲いた。この不屈のど根性(たぶん死語)にファンならば歓喜するよね。

多くの人が期待した「劇的な逆転優勝」というのとはちょっと違っていて、去年の全英オープンで優勝したイタリアのフランチェスコ・モリナーリが二度の池ポチャで自滅して何とかトップ。
いつの間にか追いついてきたダスティン・ジョンソンやブルックス・ケプカといった近年のメジャー・チャンピオン達、メジャー大会での優勝はまだないが上位の常連であるザンダー・シャフリーなどの混戦となって、最後は一打スコアを落としてもギリギリ逃げ切って勝ったという「辛勝」だったね。
タイガーはマスターズだけでも5度目の優勝というから、あとマスターズを勝ちさえすればキャリア・グランドスラム(4大メジャー大会全制覇)達成になるローリー・マキロイに分けてあげたいくらいだよ。

さて、このタイガー・ウッズのマスターズ優勝記念としてROCKHURRAHが陳腐な頭脳で考えたのがゴルフ用語にまつわる「俺たち〇〇シリーズ」だ。
知っての通り、70年代のパンクや80年代ニュー・ウェイブばかりに焦点を当てて記事にしている、現代とは思えない内容のROCKHURRAHブログ。パンクやニュー・ウェイブとゴルフは滅多な事では結びつかないと予測して実際にそうだった。だから苦肉の策で「ゴルフでも使われる用語をワンポイントで含んだ曲名」を選んで何とか記事にしてみよう。うーん、苦しい。

ゴルフの4大メジャー大会の中でも特に知名度が高いのがマスターズだが、ROCKHURRAHの世代で言えば往年の有名ゴルフ・ゲーム「遙かなるオーガスタ」で特におなじみの人も多かったはず。
大昔に中古ゲーム屋の店長をしていた頃にも入荷するとすぐに売れてしまうくらいに人気だったが、友達の家で徹夜でやっていた割にはあまりうまくならなかった記憶がある。
今では操作自体もあまり覚えてないけど、変なキャディーがつまらんアドバイスをしてくる、というどうでもいい記憶ばかりいつまでも覚えてるよ。

そのマスターズとはたぶん全然違う意味なんだろうが、とにかくマスターという言葉が入ったので選んでみたのがこの曲「Your Master Is Calling」。ピンク・ターンズ・ブルーはビデオを見る限りそんな風には見えないが1985年に結成されたドイツのバンドだ。
1979年くらいから1984年くらいまでのノイエ・ドイッチェ・ヴェレは好きで良く聴いてたROCKHURRAHだけど、バンド名が英語というだけでこのジャンル好きとしてはテンションが下がってしまう。ジャケットは有名でレコード屋でも良く見かけていたけど素通りしていたな。
改めて聴いてみたが80年代前半のネオ・サイケにも通じる哀愁のある曲調。ただしもう時代は80年代後半、しかもドイツだと考えるとちょっと微妙な立ち位置にいたのは間違いないバンドだな。
ヴォーカルの顔のペイントも寝てる間に落書きされたに違いなく、それだけ油断してる選手(ん?違うのか)には優勝のチャンスはないだろう。

ゴルフ場でグリーンと言えばホールが設けられていて、パットをするための区画なのは誰でも知ってる通りだが、この芝にもベント、高麗、バミューダにポアナなどなど、様々な種類があって素人にはわかりにくい部分。
癖があったり転がりにくかったり、逆に滑りが良すぎたり、その芝目を読んで適切なパットを出来るのが一流のプロというものだ。
パットがイマイチだけど世界一になったようなゴルファーは滅多にいないと思えるから、グリーン上がゴルフの中でも最重要な場所なのは間違いないだろう。ちょっと前はジョーダン・スピースがパットの名手と呼ばれていたけど最近は低迷してるので、今は抜きん出てうまい選手は見当たらないな。

グリーンと曲名についた歌は多数あったけど、どれもこれもゴルフのグリーンとはたぶん全く関係ないだろうと思われる。今回はパットだけにパッと思いついたこの曲で。

ロンドン・ パンクの時代にスタートしてネオ・モッズの頂点に君臨したメジャー・チャンピオンがジャムだが、その5枚目のアルバム「Sound Affects」に収録されていた名曲が「Pretty Green」だ。
この曲はいつものジャムの構成と同じなのになぜか聴いた印象がいつもと違う、その違和感とギリギリのバランスが面白い。5枚目ともなると円熟の境地になるくらいのキャリアなのにね。
同時期の大ヒット曲「Going Underground」が当時のジャムに期待されている要素が全て詰まった代表作なのと「Pretty Green」は対照的だと個人的には感じたけど、そんなでもない?

1パット目が入らなかったという事で2パット目がこれ。
グリーンと聞くといつも真っ先に思いつくくらいにROCKHURRAHに多大な影響を与えたのがマーチ・ヴァイオレッツのデビュー曲「Grooving In Green 」だ。相変わらずゴルフのグリーン要素は皆無だと思うけどね。

1980年代前半にイギリスで起こったのがポジティブ・パンクというムーブメントだ。
それよりちょっと前にバウハウスやジョイ・ディヴィジョン、スージー&ザ・バンシーズなどによって暗くゴシックな雰囲気を持つバンドがパンクに代わるものとして台頭してきたんだが、その発展型として毒々しい化粧やホラー映画の要素を取り込んだのがポジティブ・パンクの始まり。
ポジティブとは名ばかりの退廃的なバンドが蔓延って、バットケイヴというナイトクラブを中心に数年間栄えたものだ。
しかし見た目ばかりにこだわって音楽性に乏しいバンドも続々登場したり、同じ系統ばかりで飽きられたり、もうそんな時代じゃないんじゃないの?という風潮もあって80年代半ばには大体消滅してしまった。
そういうバットケイヴ的なこけおどしを抜きにしてゴシックやダーク・サイケを独自に突き詰めたバンドが地方都市から生まれていったのもこの時代だ。イギリス北部のリーズからシスターズ・オブ・マーシーやこのマーチ・ヴァイオレッツが登場して、化粧しなくても立派にゴシック道(?)を突き進める事を証明した。
この2つのバンドが同じマーシフル・リリースというレーベルから登場したけど、重苦しくひたすらに暗黒なシスターズ・オブ・マーシーに対してマーチ・ヴァイオレッツの方は男女混声の掛け合いやドラマティックな曲調で新境地を切り開いた。
上のビデオは2016年とかその頃のものだと思うんだがやってるのは1982年のこの曲、30年以上も経って尚も当時のままで観客を沸かせているのがすごい。最終的にゴスの帝王と呼ばれたのはシスターズ・オブ・マーシーだが、マーチ・ヴァイオレッツのちょっといかがわしいB級のイメージがやっぱり大好きで、ROCKHURRAHも今でもこんな昔の曲でノリノリになってるよ。

バンカーも誰でも知ってるゴルフ用語で主に砂の窪地の事だね。
PGAのコースには誰かがつけた通称のようなものが数多く存在していて、マスターズの開催されるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブでは11から13番ホールの「アーメンコーナー(最後は神に祈るしかない難所)」などが有名だが、バンカーにもちょっとした名前がつけられている事も多い。
オークモント・カントリー・クラブにある「教会の椅子」などは見た目そのまんまの大きなバンカーで捕まると苦戦すると言われている。が、トップレベルにいる選手たちは大抵は何事もなかったかのようにバンカーを脱出するワザを持っていてバンカー=大ピンチというほどでもないシーンもよく見かけるね。

ゴルフ用語のバンカー以外ではさらに一般的ではない意味でしか(たぶん)使われない言葉だけど、意外な事にバンカーがタイトルについた曲は予想よりも多かったのでビックリ。どれにしようか悩んだがちょっと珍しそうだったので今日はこれにしてみよう。
Poésie Noireというベルギーのバンドなんだけどポエジー・ノワール(またはノワレ)でいいのかな?
ROCKHURRAHがやってる「80年代世界一周」という英米以外のニュー・ウェイブを探してくるシリーズ企画記事でまだベルギーは特集してないけど、もしかしたらまたそこで登場するかもね。
1985年くらいから活動していてシスターズ・オブ・マーシーやデッド・カン・ダンスのツアー・サポートをしたような経歴らしいからその音楽もたぶんそういう傾向にあるんだろう。
そのものズバリ「Bunker Song」と題されたビデオの曲は1989年くらいのもの。
しかしヴォーカルの見た目はキュアーのロバート・スミスを彷彿とさせるようなメイク、それなのにヴォーカルは予想外のドスの利いた低音でかなり意外なスタイル。曲は往年のエレポップの王道を意識したようなもので、全体的なアンバランスが逆に新鮮だよ。さすがニュー・ウェイブ大国ベルギー物は一味違うね。

 「ゴルフなんて全く知らないよ」って人以外なら大抵は知ってると思うけど、規定打数より一つ少なくそのホールを上がれたらバーディ。パー4を3打で終わらせればいいってわけだ。ものすごくコンディションが悪くてごくたまに全部パー以上のプラス何打とかでも優勝出来る場合があるが、通常はバーディやイーグルをいかに多く取るかで優勝が決まると言っていい。

ゴルフ用語ではそういう意味を持つバーディだが、辞書を見ると一般的には「小鳥さん」となってるよ。ただの小鳥じゃなくてなぜか小鳥さんという敬称付きなのがよくわからん。
この言葉ですぐに思い浮かんだのがペル・ユビュの「Birdies」だ。

ロンドンパンクと同じ頃の1977年に1stアルバムを出したオハイオ州クリーブランドのバンドがペル・ユビュでROCKHURRAHのブログでもたびたび登場している。
デブでかなり変なヴォーカリスト、デヴィッド・トーマスを中心にしたバンドだが、アヴァンギャルドでフリーキーな演奏と絶妙のタイミングで入るノイズが混沌として入り混じった、非常にユニークなスタイルを持っていた。
最初の頃はまだロック的な格好良さもあったけど、マーキュリーやフォノグラムのメジャー・レーベルからよくぞ出せたもんだ。80年代くらいからアヴァンギャルドなセンスに磨きをかけた割と難解な作風になってゆくけど、この頃からようやく日本盤も出て、逆に知名度も上がっていったという妙な経歴のバンドだ。
「Birdies」はその日本盤が出た4thアルバムに収録の曲。

日本でも2枚組のサントラLPが出た「アーグ・ミュージック・ウォー」という音楽ドキュメンタリー映画があって、その当時に注目だったバンドの珍しいライブ映像が観れると期待していたもんだ。ところが日本で映画が公開されたのかされなかったのか不明だが、ROCKHURRAHは結局ずっと観る事はなかった。
上のライブ・ビデオはその映画のものだと思うが、デヴィッド・トーマスの明らかに異常だと思える目つきや奇妙なパフォーマンスのインパクトはさすがだね。巨体なのに意外と身軽で小鳥さんジャンプなどが観れる貴重な映像だな。

PGAツアーの試合を行っているのは大抵が世界の一流ゴルフ・コースで、ホテルやリゾート施設に併設されたカントリー・クラブなんだろうな。たまにすごく僻地っぽかったり砂漠の中だったりするけど、都会の近くよりは別世界みたいな感じがしていいな。

世界の一流品やラグジュアリーなものには全く関心がないROCKHURRAHだけど、ゴルフの場合はどうしても金持ちとか高級とかの印象を持ってしまうよ。試合中にギャラリー、マスターズの場合はパトロンと呼ぶらしいけど観客の服装とかを見ると特にそんな感じはしなくて普通だから、「周りは金持ちばかり」などと緊張する事はないんだろうけど。ROCKHURRAHと同じようにヒゲ、長髪、帽子、サングラスというギャラリーも多数見かけるから違和感はないかもね。

そんな数多くのドラマが生まれるカントリー・クラブをタイトルにしたのがアソシエイツの大ヒット曲「Club Country」だ。アソシエイツも何度もウチのブログでは取り上げてるけど、オペラ風の高音ヴォーカリスト、ビリー・マッケンジーの歌声と複雑怪奇に旋律が絡み合う曲作りが特徴のバンド。
日本ではヒットしそうにない要素たっぷりだけどイギリスではなぜか評価が高かったんだよね。
1982年に出た彼らの3rdアルバム「Sulk」は最もヒットした2曲が収録された代表作だけど、その頃が栄光のピークだったと言える。
その後は主要コンビ2人の喧嘩別れでどちらもパッとしない音楽活動を続けていたが、ビリー・マッケンジーが自殺(ずいぶん後になってからだけど)という最悪の結末となってしまう。

ビデオはそういう悲劇の片鱗もなかった人気絶頂の頃のもので、お色気ヴァイオリニストなども配置したゴージャスなステージとなっている。転落したけど見事に復活したタイガー・ウッズのように強い精神を持って続けて欲しかったよ。

というわけで書き始める前から書いてる本人が企画倒れになるのを確信していたけど、見事にタイガー・ウッズ優勝記念とはかけ離れた内容になってしまったね。ただしマスターズと絡めて書ける機会が今日しかなかったから、無理して書いてみたよ。
連休になったらもう少し時間をかけて何か書きたいね。

ではまたジュー ガン マイ(タイ語で「また会いましょう」)。 

俺たちペイン団

【マンネリだけど完治祈願でPainに関するビデオを作ってみたよ】

ROCKHURRAH WROTE:

半月ほど前にちょっと無理をしてしまい、急に腰を痛めてしまった。
その手の代表的な痛みというと誰もが思うのがぎっくり腰か椎間板ヘルニア、たぶんそれに近いものなのかな?
実はこの歳まで腰痛に悩まされた経験が一度もないのでよくわからないが、ぎっくり腰だろうがヘルニアだろうが、もっと激痛で動けなくなるという話をよく聞く。そこまでじゃないので毎日ちゃんと歩いて働いてはいるんだが、本当はもっと安静にしてないと治りにくいのは確かなんだろう。
ゆるい服装で家にいる時は日常の動作は問題なく出来るのに、靴を履いてバッグを持って歩くとだんだん痛みが出てくる。上半身と下半身がそこで分離したみたいな、かなりイヤなタイプの痛みなので早く完治したいものだよ。

というわけで最近ROCKHURRAHはこればっかり書いてるという噂の「俺たち◯◯シリーズ」、今回のテーマは自分にとって今一番密接な「痛み=pain」としてみよう。

割とポピュラーな英語で誰でも知ってるだろうし一部の薬の名前やペインクリニックという医院の名前で使われたりする。 が、日本人がこれをわざわざ英語で使う機会はあまりないと思える単語だな。
ペイン自体は体の痛みだけでなく精神的な痛みにも使える便利な単語らしいので、これが含まれる曲名も割と多く存在してるに違いない。さっそく探してみよう。

毎回ブログを書くのにどれだけ時間がかかってるんだ、と言われてしまうけど今回は無理な姿勢を長時間続けたくないという意向もあって、とにかく手っ取り早く書くというのをモットーにした。
だから動画を探す時間も短縮して「音と静止画のみの動いてない動画」みたいなのも採用したよ。
本当はなるべく動いてるようなのでやりたいんだけど、プロモ・ビデオもライブ映像もないようなマイナーどころから見つけて来てるので、仕方ないね。

最初に登場してもらったのは日本ではあまり知名度ないと思うが、プリンセス・タイニーミートの1986年の名曲「 Angels in Pain」だ。

歌詞の意味がまるでわかってないのにタイトルについてとやかく言うのも意味なしだが「痛みの天使」とはこれいかに?苦痛の中に光明を見出すというよくあるアレか?
そういう系列に疎いROCKHURRAHにはよくわからんがドーパミンとかエンドルフィンとかセロトニンとか、人の体の中で抑制したりバランスを取ったりするその能力はすごいなあと思いました。
大人とは思えないとても幼稚な感想で申し訳ない。
確かに電車とかで揺れるととたんに痛む背中・腰なんだが、気の持ちようでちょっとしたはずみに痛みが緩和する事がある。継続的な痛みで急に症状が良くなるはずがないので、これは脳内の何かが作用して暗示をかけてるんだなと思ったよ。これこそが痛みの天使というわけか。え?全然違う?

アイルランドのダブリンでパンクからニュー・ウェイブを通過した近所の悪ガキどもが兄弟とか従兄弟とかも巻き込んでバンドみたいなものを始めた。
1970年代後半から80年代にかけてはどこの都市でもそういうのがたくさんいたのは間違いないが、ひとつのバンドをやるにはメンバーが多すぎたのか(推測)だいぶ違う方向性で2つのバンドが同時期に生まれた。それがU2とヴァージン・プルーンズだった。
この2つのバンドはメンバー間で血縁関係があったり親交が深かったり、まさに兄弟バンドと言えるかも知れない。U2のボノとヴァージン・プルーンズのグッギ、ギャヴィン・フライデーは若い頃に同じ悪ガキ集団にいたというからね。
などと見てきたような書き方してるがもちろん見てもいないしインタビューしたわけでもない。

ROCKHURRAHは大成功したU2についてはあまり興味なかったけど、ヴァージン・プルーンズは大好きでよく聴いていたものだ。
女装した不気味なヴォーカル二人のデュエット。そして何とも言えない禍々しさに溢れたドギツイ音楽、当時熱狂して集めていたポジティブ・パンクというジャンルの中でもトップクラスの異端派変態的バンドだった。
彼らの独創的な音楽やパフォーマンスはROCKHURRAHのヘタな説明よりは映像観てもらった方が手っ取り早いだろう(いいかげん)。こんな感じね。

ん?もしかしてこの映像は前にも使ったか?しかも今回のペインとは特に関係ないよ。

そのヴァージン・プルーンズの初期メンバーでごく短い間在籍していたのがビンティ(Haa-Lacka Binttii)、プルーンズ脱退後に始めたのがこのプリンセス・タイニーミートというわけだ。

英国インディーズ・レーベルの最大手ラフ・トレードからセンセーショナルなデビューをした(ジャケットが国によっては発禁レベル?)にも関わらず、結局ちゃんとしたアルバムが出ずに短命に終わってしまったバンドだったな。 

歌い方にヴァージン・プルーンズからの影響が強く感じられるが電子楽器(言い方古い?)を多用してちょっとダンサブル、異端だけどなぜかポップという路線が個人的には好み。
グッギやギャヴィンという異常性が確立されたすごいキャラクターと比べると深みがないように感じてしまうが、愛すべき不肖の弟分という雰囲気が漂っていてプルーンズのファンからも支持されていたようだ。実際はどっちが年上かは全然知らないけどね。

さて、次のペイン団はこれ、カメレオンズの「Pleasure And Pain」だ。

「喜びと痛み」と聞くとSM的なものを連想してしまうが、英語さっぱりのROCKHURRAHは相変わらず歌詞とかは全く抜きにして話を進める。メンバーの見た目などから判断してそういう要素はたぶんないと思うよ。
キリスト教の国々で耐え忍ぶものと言えば試練などと言われたりするが、現代だろうが原始時代だろうが試練なんてものはどこにでも存在してる。物理的に乗り越えられないようなものに直面した時は内部に助けを求める・・・などと延々と書くつもりはまるでないけど、個人的にROCKHURRAHの今の痛みの状態じゃとても「喜び」などとは結びつかないよなあ。

1980年代初頭のニュー・ウェイブを語る時に必ず出てくるのがネオ・サイケデリックという音楽だが、60年代のサイケデリックとはだいぶ違ったニュアンスも感じられる。
一番多かったパターンと言えば、暗くてメランコリックな曲調と黒っぽい服装、うつむき加減の内向的な歌が特徴というバンド達。それらと同時代に本気の60年代型サイケ野郎がごっちゃに活動していたので、軽く一括りには出来ないジャンルではあるけど。

ジョイ・ディヴィジョンあたりをこの手の音楽の元祖として、その影響下にあるバンドが続々生まれたのもこの時代。そういう幾多のフォロワー的バンドを詳細に語るだけでも一冊の本が出来そうなくらいなんだが、ROCKHURRAHにはもちろんそんなウンチクもないのでネオ・サイケデリックに関しては当ブログでちょこっと書いたくらい。
それらとは少し違う路線で時代を乗り越えたバンドも多く存在してるけど代表的なのはエコー&ザ・バニーメンやサウンド、そしてこのカメレオンズとかになるのかな。え?後ろの2つは知らない?

カメレオンズはエコー&ザ・バニーメンと同じタイプの正統派ネオ・サイケのバンドで80年代前半に活躍した。本当のサイケデリックを知ってる世代には上記の「暗くてメランコリックな曲調と・・・」という雰囲気に属するのが正統派だと評されるのに違和感を覚える人も多くいた事だろう。
後の時代にはあまり「ネオ・サイケ」という言葉も使わずダーク・ウェイブなどと言われたりするジャンルだけど、その方が特徴を言い表してるのかもね。

カメレオンズと言えば・・・。
若き日のROCKHURRAHが上京してまだ住むところも決まってない頃、カメレオンズの「As High as You Can Go」という12インチ・シングルを買って、自分のステレオさえ持ってないのに友人の家でひっそり聴いていたのを思い出す。
家もなく仕事もなくただ音楽への情熱だけで、なーんの用意もないまま東京に出てきてしまった考えのない若き日のROCKHURRAHだが、その時も今も基本はほとんど変わってないのに自分でも驚いてしまう。
六畳一間くらいの部屋にこっそり居候してたから昼間でもコソコソしてたんだよね。
「ひっそり」というのはそういう意味。
出かける時は大家に会わないように静かに速足で部屋を飛び出したものだった。忍者みたいだね。
仕事を探し住む場所を探し、ここを出て行こうとしてたのにうまくゆかなくて、もがいていたな。
詳細はこの記事で書いたけど、友人には本当に迷惑かけたよ。

「Pleasure And Pain」はこのシングルに収録の曲でタイトルからすれば全然違った意味の曲なんだろうが、ROCKHURRAHにとっては「自分=真っ昼間に何してるかわからない怪しい人」この肩身の狭い思いこそがある意味のペインだったな。この頃はどこにも居場所を見つけられずさまよってたからね。

初期のエコー&ザ・バニーメンやティアドロップ・エクスプローズなどと似たような雰囲気のバンドで彼らよりもずっと長く活動しているカメレオンズ。ルックス的なスター性があまりないからか日本での知名度は低かったけど、地味で堅実ないい曲を数多く残していて80年代ネオ・サイケが好きだった人にはおなじみのバンドだと言える。
メンバーが描いたちょっと不気味なイラストのジャケットでも有名。

そう言えば元ビッグ・イン・ジャパンのメンバーだったビル・ドラモンドとデヴィッド・バルフによるプロデュース・チームで、初期Zooレーベル(リヴァプールの伝説的レーベル)のプロデュース活動をしていたのもカメレオンズという名前だったな。 このカメレオンズとは関係ないけどつい思い出してしまった。

カメレオンズの事を書いててさらに思い出したのがこれ。
またまた「俺たち〜」と書いてるのに女性アーティストになってしまったが、ピンク・インダストリーの1983年作「Enjoy The Pain」にしてみよう。個人的にはある意味ペイン団の女ボス的存在。

いやいや「痛みを楽しめ」などと言われても全くその気にはなれないこの鈍痛。これまでの他のタイトル見てても妙にネガティブじゃないものが続いてるな。多くの人が痛みの中に何か活路を見出したいんだろうか?
これまで骨折も大きな病気も怪我もなかったROCKHURRAHだが、それでも何度かは痛くて苦しい体験はしている。一ヶ月も続いた痛みはあっただろうか?と記憶をたぐってみても思い出せないって事は、そこまでひどいものはなかったんだろうね。痛みを語れるほどの人間じゃないな。

ウチのブログでも何度も書いてるけど(例えばこれ)、リヴァプールのニュー・ウェイブの歴史で最もルーツとなったパイオニア的存在がデフ・スクールとビッグ・イン・ジャパンの2つのバンドだった。
これを本気で書き始めるとえらい文章量になってしまうから敢えて詳しく書けないという事も何度も書いたな。

ビッグ・イン・ジャパンはリヴァプールのニュー・ウェイブ初期を支えたインディーズ・レーベル、Zooレーベルとも深く関わっている重要バンドだった。
パンクの時代、1977年くらいにデビューしたこのバンド、活動はごく短期間でシングル2枚しか出してないが、メンバーのほとんどが後に名を残した伝説のスーパー・グループなのだ。
時間短縮のためにメンバーの名前を出すだけにとどめるが、

  • ビル・ドラモンド(Zooレーベル経営者、後のKLF)
  • デヴィッド・バルフ(Foodレーベル経営者、ティアドロップ・エクスプローズなど多くのバンド参加)
  • イアン・ブロウディ(後のライトニング・シーズ、キングバード名義でプロデュース多数)
  • ジェーン・ケーシー(後のピンク・ミリタリー、ピンク・インダストリー)
  • ホリー・ジョンソン(後のフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)
  • バッジー(後のスージー&ザ・バンシーズなど) 

大げさな書き方した割には冷静に見るとあまり誰でも知ってるような人材は出てないけど、80年代ニュー・ウェイブに詳しい人ならばすごいメンツだったとわかってくれるだろうか。

その中で今回主役となるのはジェーン・ケーシー嬢。などと当時のままの記憶で書いてるがすでに現在は60歳くらいにはなってる計算。うーむ、時が止まってるのはROCKHURRAHの頭の中だけなのか。
ビッグ・イン・ジャパンの派手なイメージを担っていたのがスキンヘッドで不気味なメイクをしたジェーン・ケーシーとまだこの頃はパンク野郎だったホリー・ジョンソンの二人だった。

このバンドは短命に終わり、メンバーはそれぞれ次の活動を始めるがジェーン・ケーシーは1979年くらいにはすでにピンク・ミリタリーを結成していたな。
アーティストとしての主義なのか何なのかわからないが、この頃はそのヴィジュアルを前面に出すことがあまりなくなって、断片的な画像でしかこのバンドを知る事が出来ないのが残念。もちろん動いてる映像も皆無。
スージー&ザ・バンシーズの暗い曲をさらに地味にしたような音楽をやってて、本当にこの人、見た目の割にはずいぶん控えめな印象なんだよな。

たぶんピンク・ミリタリーはあまり売れなかったバンドだと思うけど、エレクトロニクスな要素を強くしたピンク・インダストリーとして再起を図った(?)のが1981年。
こちらはピンク・ミリタリーよりは少しは売れたのかな?
それにしてもレコード・ジャケットも割とぞんざいで、音楽は相変わらず地味でキャッチーさがない曲が多い。リズムの使い方などは現代でも通じるものがあるだけに実に惜しい。
この美貌とファッション・センスを活かせばもっとスターになれたかも、などと思ってしまうが、それを売り物にせず音楽活動をしていたのは立派だ。

ビデオも少しだけ残っててこの「Enjoy The Pain」はオフィシャルなプロモなのか何なのか不明だけど、実写映像と絵画の効果がこの時代には結構斬新なもの。ちょっとデヴィッド・リンチの作品っぽいなと素人目には思ったけど、SNAKEPIPEはどう見るだろうか?

ペイン団の最後はこれでいいかな。
クロックDVAの1981年の曲「Piano Pain」だ。

うーん、これまでタイトルについてどうでもいいコメントをしてきたが「ピアノの痛み」なんぞ知ったこっちゃない。
実家にエレクトーンなどというどうでもいい楽器が置いてあったがこれを取り入れたプロのミュージシャンは滅多にいないと思える(この辺ははっきり知らないけど)。
鍵盤と言えばアコーディオンもなぜかあったけど、部屋で奏でるには意外と音が大きすぎて、結局家族の誰も使いこなせてなかった気がする。
中学生くらいになるとキース・エマーソンやリック・ウェイクマンなどの影響を受けて、家にピアノのあるのが羨ましかったが、そういう友人を持った事もなかった。
結局、ピアノよりは自力で購入出来るギターを持ったけど、ロクに練習もしなかったので演奏力もないままだよ。

英国ヨークシャー州シェフィールドと言えばパンク、ニュー・ウェイブの時代にキャバレー・ヴォルテールやヒューマン・リーグが登場した事で知られているけど、クロックDVAもこの辺の出身だ。
中心人物アディ・ニュートンはヒューマン・リーグと名乗る前のザ・フューチャーというバンドにも在籍していたけどデビュー前に脱退している。「ズーランダー」のムガトゥ(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドがメジャー・デビューする前に脱退したという設定)みたいだね。
この後釜として入ったのが不気味な髪型で後世に名を残すフィル・オーキーだったという。

そのアディ・ニュートンによるクロックDVAもヒューマン・リーグと同時期にデビューした。ROCKHURRAHがまだレコード漁りを始めた頃からいるので名前は何十年も前から知ってるが意味不明のバンド名だな、とずっと思っていたよ。DVAはロシア語で「2」を表すらしいが、それがわかってもやっぱり意味不明。セクション25とかTV21とか同じ頃にそういう系統のバンド名が登場したけど流行っていたのかね?

音楽性はヒューマン・リーグとは大違いで、重苦しいリズムにアヴァンギャルドなサックスが飛び交い、低音の呪文のようなヴォーカルがかぶさってゆくというもの。相変わらず表現が陳腐だな。
まだニュー・ウェイブが登場して細分化されてないような混沌の時代に生まれた刺激的な音、こういうバンドがあったからこそ後の実験的な音楽が発展していったんじゃなかろうか。

体調や時間の関係もあったからちょっと短いけどこの辺でやめておくね。
腰は一回痛めると持病のようになって再発しやすいらしい。安静に療養出来るような境遇じゃないからなかなか治らないけど、早く自由に歩き回れるくらいには回復したいものだ。

それではまた、スローンラート(アイルランド語で「さようなら」)。