80年代世界一周 伯刺西爾編

【頑張れ伯刺西爾、負けるな伯刺西爾】

ROCKHURRAH WROTE:

暦の上ではやっと秋になったけど、まだまだイヤな暑さが続くね。
毎年暑さが激烈になってきてる気がするのはROCKHURRAHだけなのかな?
今まで暑くても食欲が落ちたりする事がなかったけど、今年はとにかくまず水分、ほとんど夏バテと言える状態が続いた。

ちなみに年齢と共に頭髪が柔らかく細くなったROCKHURRAHだがヒゲは相変わらず硬く、しかもあらゆる方向に伸びてるので整えてもあまりきれいにならないという厄介な顔つき。このためマスクをしてると繊維を突き破って少し出てきたりでみっともないし、汗をかくと口の周りが人一倍湿気に覆われて、大いに不快となる。
好んでマスクをつけてるとしか思えないような人もいるだろうが、こんなものつけたまま夏の屋外に出るとは苦痛極まりない。

どうでもいい前置きは短く切り上げて本題に入ろう。
今週は久々に書くシリーズ「80年代世界一周」にしてみよう。

洋楽と言えばイギリスやアメリカの音楽が真っ先に入ってくる日本だけど、それ以外のあまり紹介されないような国に焦点を当ててみようというのが趣旨の企画ね。
そしてROCKHURRAH RECORDSの最大の特徴と言えば1970年代~80年代のパンクやニュー・ウェイブばかりを執拗に語るという時代錯誤も甚だしい音楽ネタばかり。
現代の世界中の音楽はどこにいても配信出来るし知る事は出来る。
しかし、ネットもコンピューターも未発達の80年代バンドについては情報も少なくて探すのも大変だけど、少しでもその国の音楽事情がわかればという興味があって始めた企画だ。
そこまではナイスなアイデアだったんだけど・・・・。
20代の頃に世界を放浪してたような実績もまるでないROCKHURRAHが書いてるわけで、信憑性も全くないし、ウソをまことのように伝える筆力もないしで、何だかとても中途半端な記事になるのがやる前からわかってるというシロモノ。

さて、今週はどこの国に焦点を当てようか迷ったんだが、意外な事に比較的動画が多かったここに決めたよ。

タイトルにもある通り、今週は伯刺西爾編にしてみよう。
個人的に今はじめて使った漢字を含む四文字だが、これでブラジルと読むらしい。
誰もが知ってるかどうか不明だが、日本とは昔からとっても仲良しの国であり、南米の中では最も馴染みの深い国だと思う。
サンバにボサノヴァなど有名な南米音楽のメッカでもあるけど、ROCKHURRAHが言うようなパンクやニュー・ウェイブに結びつくようなものが果たして見つかるのか?

ではそろそろ始めるか。

ブラジルはおろか海外渡航歴がほとんどないROCKHURRAHだから、思い入れも思い出も全くない状態でこれから書き進めなきゃいけない。
知りもしない国についてのそんな特集をハナからやらなければいいと思う人もいるだろうが、そういう事を気にしてたらウチのブログは一歩も前に進まないに違いないよ。
だからこれからは無知と偏見に満ち溢れた内容になるだろう(断言)。

ブラジルと聞いて人がイメージするものは色々だろうが、ROCKHURRAHの場合は小学生くらいの時にはじめてこの国を認識した。

本を読んでるような印象が全く無かった父親だったが、なぜか本棚に極真空手の始祖、大山倍達の自伝やアントニオ猪木の自伝などがあって、父親が不在の時に読んだものだった。
とても厳しくて怖い存在の父親であまり親子交流の思い出もないけれど、プロレスが大好きで全日本、新日本、国際プロレスなどの試合はTVでよく観てたのを思い出す。アントニオ猪木の本はそれで持ってたんだろうな。
ROCKHURRAHが子供の頃はプロレスや空手、柔道、ボクシングなどの格闘技漫画が大流行していて、いわゆるスポ根漫画全盛期。個人的にもその時代の大半の作品は読んでるはず。
だから実在のレスラーの嘘か誠かわからないような逸話も漫画で知ったようなものだった。
大型バスを歯で引っ張ったとかそういう類いの話ね。
梶原一騎原作のものはかなり話に尾ひれをつける大げさなものが多かったから、いくら子供でもあまり信憑性があるとは思わなかったけどね。
個人的にはジャイアント馬場の「こんなので本当にKO出来るのかよ」とツッコみたくなるウソっぽい必殺技が好きで、全日本プロレス派だったROCKHURRAH。北九州に興行に来た時には会場にも行き、ブッチャーにタッチしようとして出来なくて、レフェリーのジョー樋口をわずかに触る事が出来ただけ。そう言えば黒い魔神ボボ・ブラジルなんてのもいたなあ。ブラジル人じゃなかったけど。
猪木や新日本プロレスにはそこまでシンパシーを感じてなかったんだが、自伝を読むとさすが、一代であそこまで登りつめるだけの事はあると感心したものだ。

ブラジルと言えばコーヒー、その広大なコーヒー園の労働力としてアフリカの奴隷が使われていたわけだが、それが奴隷制度廃止により、労働力を各国からの移民に求めるようになる。これが19世紀の終わり頃の話ね。
日本からも大量の移民がブラジルに移り住んで日系人が誕生するわけだが、猪木もその(第何次だかわからない)移民のうちの一家族だったという話。アントニオなどとついてるが日系人ではない、なんてのはみんな知ってるよね。
その猪木は少年時代から重いコーヒー豆の袋を担がされる労働に従事して、あの体格と筋肉を形成したわけだ。
強くなったのは偶然ではなくちゃんとした理由があるんだね。

などというどうでもいい回想は言うまでもなくこれから書く事には全くの無関係で伏線も何もない。省略したら大して書く事がなくなる場合にROCKHURRAHがよく使う手法だね。

さて、最初に登場するのはブラジルの本格的パンク・バンド、Os Replicantesだ。
南米で唯一、ポルトガル語を公用語とするブラジルではO(男性)やA(女性)などの定冠詞をつける場合があり、Osというのはその複数形だね。男性形だからオス、ではなくてオーエスと読むらしい。Replicantesは読んでの通り「ブレードランナー」に出てきたレプリカントの事ね。

軍事政権が長く続いたブラジルでは1970年代の一番大事な時代に、ロック的な土壌があまり大っぴらに発達する事が出来なかったという歴史がある。「80年代世界一周」で前に書いたポーランドとかと同じようなもんだね。
別にロックが禁止されてたわけじゃないみたいだが、反体制的なものが弾圧されるのはどこの国でも一緒。
ロックではどうしてもそういう表現が多くなるのは当たり前だから、こういう不遇の時代を乗り越えてみんなやってきたわけだ。
だからと言って検閲されそうにないような、花や緑や何のほころびもない青春などをテーマに歌っても若者の共感を得られるはずはないからなあ。
「おお牧場はみどり」などはコード進行も初期パンクと同じようなテイストだから、そういうカヴァーを考えた輩がいてもおかしくはないが、その歌詞じゃやっぱり人を感動させられないってものだ、ホイ。

そういう背景があって、軍事政権が終わった1985年くらいからやっと本格的にロック、あるいはパンクで自由に表現する事が可能になったというわけだ。他の自由な国に比べるとだいぶ遅れて感じるのはこの辺がポイントだね。

Os Replicantesは1983年に結成してから今でも活動してるらしい古株。
ブラジルでも南部の港町ポルト・アレグレの出身で、この町がどんなもんかは知らないが、訳せば「陽気な港町」の通り、おそらく活気のある威勢のいい若者が多く育ったに違いない。
パンクやロックの発達は遅れたが元からサンバやボサノヴァ、ショーロなどの複雑で独自な音楽はあったブラジルは、当然ながら達者な演奏者が多く、いわゆるストレートなパンクは意外と少ないと個人的には思ったよ。このバンドのような典型的なパンクは逆に新鮮だ。
ビデオもいかにも悪ふざけしたような若気の至りで頭悪そうだが、見た目も音楽も元気なこういうノリはいくつになっても好きだよ。

リオ・デ・ジャネイロやサンパウロといった南米の大都市に比べて忘れがちなのが首都、ブラジリアだろう。
前にSNAKEPIPEが書いた「オスカー・ニーマイヤー展とここはだれの場所?鑑賞」で登場したブラジルを代表する建築家、オスカー・ニーマイヤーとルシオ・コスタがやりたい放題に作った人工的未来都市、こんな企画がまかり通って本当に出来てしまったウソのような首都だと言う。何もなかった土地に翼を広げた鳥のようなかたちの町並みが広がり、未来的なデザインの建物が配置されている世界遺産だ。
やっぱりブラジルというのは国のお偉方だろうが何だろうが、何かを実現する行動力というか熱い情熱に漲ってる民族性なんだろうね。
実際には内陸部で交通が不便だとか他の都市に遠い(リオやサンパウロから車で16時間くらい)とか、生活するには色々不評だとは思うけど、SFっぽい未来的な都市に住みたければブラジリアが一番だね。
ウチの場合は未来都市への憧れがあっても、やっぱり近くにスーパー三軒くらいあって欲しいし、そのうち一軒は角上魚類であって欲しいし、薬屋もサンドラッグかトモズが近くにあって欲しい・・・などなど実生活での変なこだわりがあるからなあ。

そんなブラジリア出身で80年代ブラジルを代表するバンドだったのがLegião Urbanaだ。ポルトガル語を直訳すれば「都市軍団」となって意味不明だが、我がROCKHURRAH RECORDSのBinary Army(現在絶版中、ROCKHURRAH RECORDSのブランド)も二進法軍団だから仲間みたいなもんか。
相変わらずROCKHURRAHには「読めん!」というバンド名だから検索してみたら、レジァオン・ウルバーナと読むらしい。
ブラジルのパンクやニュー・ウェイブについての知識もないから見てきたようには書けないが、この国の最も有名で影響力のあるニュー・ウェイブ・バンドだったようだ。
ヴォーカルが電車男(TV版)、もしくは河野防衛大臣みたいなメガネ男で大人気バンドのフロントマンとは思えないが、これで国民の心をガッチリ掴んだというのが驚き。何とこのヴォーカリスト、ヘナート・フッソの伝記映画まであるという。

これがそのトレイラーだがドキュメンタリーではなく演じてるのは別人の俳優。当たり前か。
90年代に30代半ばで死亡したヘナート・フッソ、ジミヘンやジム・モリソン、イアン・カーティスなどと同じように神格化されているのかな?
トレイラーの中でスティッフ・リトル・フィンガーズの曲に合わせて歌っているシーンがあるが、本当にその通りパンクのなかったブラジルでパンクの啓蒙活動をして人気となったようだ。
その時のバンドがAborto Elétrico(アボルト・エレトリコ=電気妊娠中絶)というパンク・バンドだったが紆余曲折を経て1984年くらいにLegião Urbanaとして再出発する。この当時のブラジルではまだ珍しかったジョイ・ディヴィジョンやU2、スミスなどの影響を受けた音楽だと言われているが、確かに陽気そうなブラジルの中でそういう音楽性というのは滅多になさそうだね。

上の(トレイラーではない方)ビデオ「Que país é esse?」は1987年のヒット曲でジョイ・ディヴィジョンもスミスも感じなかったけど確かにU2には似てる壮大な曲。U2ならこの曲を5分以上の大作にするところを3分以内にまとめたのがさすが。
え?評価する視点がおかしい?

ブラジルに限らずスペイン、ポルトガルや南米のラテン民族は強い女性が多いという印象があるね。
Netflixで大人気のスペイン・ドラマ「ペーパーハウス」でもトーキョー、ナイロビ、ラケル警部、とにかく爽快に強い女性が出てくるし、言葉の語感だけでも大声でハキハキした受け答えが強い意志を持った人に見えてしまう。

サンパウロで1982年に結成されたAs Mercenáriasもまた、強い女性を感じさせるバンドだ。
またまたROCKHURRAHには「読めん!」だが、アス・メルセナリアスと呼ぶそうだ。 
Os Replicantesの時に書いた通り、Aが女性の定冠詞でその複数形だからアスというわけか。Assではないんだな。直訳すれば「傭兵」というバンド名だが、上の都市軍団と同じく、ここでも何かと戦ってるらしいな。

ニュー・ウェイブ世代の女性バンドと言えばスリッツ、レインコーツ、モデッツ、マニアD、マラリア、クリネックスなどが即座に思い出されるが、初期ニュー・ウェイブ時代はどれもやっぱりトンガッた(今どきたぶん言わない表現だな)女という印象が強い。
普通の女の子やかわいい、優しげな女性ヴォーカルがニュー・ウェイブの中で独り立ち出来るのはネオアコやギターポップなど、もう少し後の時代になってからだからね。
アス・メルセナリアスもそういう初期ニュー・ウェイブの女性バンドを踏襲するスタイルだが、「ブラジルのスリッツ」と言われるのがよくわかる音楽性。ただスリッツのほどに広がりはなく、割と単調なビートに引っ掻くようなギターや力強い歌声が絡む、力技でグイグイ押してゆくバンドという印象だ。さすが傭兵。
フリーキーな部分はあってもパンク的な要素の方が強いからROCKHURRAHとしてはスリッツよりむしろ好みだよ。

しかしこれまで出てきたどのバンドも「長く続いた軍事政権」の終焉間近である80年代前半に出てきたもの。
デビューはしたもののレコードをリリース出来ないから、ようやく出せたのが80年代後半になってから、もしくはずっと後になって発掘音源みたいな感じで再評価されたり、バンドの勢いを保ったままというのは難しいだろうにね。
映像で見るのはそういう規制がなくなって、堰を切ったように自由に表現出来る場を得た時期なのだろうか。実際に見てきたわけじゃないから、この辺の事情がはっきりわからないのがもどかしいな。

元々ロック的な土壌があまりなかったブラジルでパンクやニュー・ウェイブが意外なほど浸透してたのも驚きだけど、こういう電子楽器を使ったエレポップまであったのにビックリ・・・というのもお国柄に対する偏見なんだろうね。
サッカーでもカーニバルでもパッと思いつくのは陽気でお祭り好きなイメージだから、チマチマとシーケンサー打ち込んでるようなブラジル人をあまり想像出来ない。
ただ、先にも書いたように近未来的な人工都市を現実に作ってしまうような国でもあり、現在ではIT大国になっているという話もあり、侮るなかれ(自分に向けた言葉)。

そんなブラジルで上に書いたようなパンク/ニュー・ウェイブのバンドより先に人気となっていたのがこのAzul 29というバンドらしい。パンクに限らず反体制的なロックバンドに規制がかかってた80年代前半のブラジルで、あまり反体制っぽく見えない単なるポップスやエレクトロニクスを使ったこういうグループなら問題なく音楽活動が出来たというわけなのかな?
その辺は不明だけど、80年代前半にこのバンドはヒットして人気があったという。
「読めん!」バンド名が多いブラジルだけどこれは簡単に読めたよ、アズールはポルトガルやスペインで青のことだね。フランス語ではアジュールと言うらしい。
彼らの1984年のヒット曲が「Video Game」というから、おそらく当たり障りのない歌詞に違いない。

ものすごいマニアではないからあまり大っぴらには言わなかったが、子供の頃からゲームが大好きで、TVゲーム黎明期の頃からのキャリアを持つROCKHURRAHだった。その趣味(?)が高じてゲーム屋の取締役にまでなった経歴を持つ。
結構好みと適性があって、あの時代誰もがやってたインベーダーは相当練習してもイマイチ、代わりに得意だったのが風船割りとブロック崩しだったな。大ヒットしたパックマンも苦手で代わりにディグダグが得意。時代は大幅に飛ぶが「ストリートファイターII」よりも「鉄拳」といったように微妙な好みが激しくて、どのゲームも得意とは言い切れない。まあ万能な人はいないからみんなこんなもんか。
「ゼルダの伝説」や「モンスターハンター」なども根性で最後まで勝ち進んだ経験があり、その分析能力と機動力を生かしてより一層のスキルアップをを目指したいと考えております(履歴書)。

さて、そんなデジタル世代を84年に高らかに歌い上げたAzul 29のヒット曲が「Video Game」。
「スター・トレック」か「宇宙家族ロビンソン」のような服装は明らかに「ブラジルのクラフトワーク」を狙ったものと考えるが、なぜか音楽やってる人には到底見えないようなおっさんメンバーもチラホラ。細かい事を気にしないおおらかな国民性だから、これでもいいのだ。

書き始める前からわかってた事だがブラジルについて個人的な思い出などまるでないという事。これが敗因となって今回のブログも意味もないところで苦戦してしまったよ。
何とかごましてここまで書いてきたが、もういいかブラジル、さらばブラジル(無責任)。

最後は1982年にサンパウロで結成された大所帯バンド、Titãsだ。
レジァオン・ウルバーナと同じくブラジルを代表するバンドのひとつらしいが、これでチタンスと読むそうだ。
ギリシャ神話の巨人タイタンがポルトガル語ではチタンスになるようだが、この綴りを見ても「ン」は一体どこから?と思ってしまうのはROCKHURRAHだけか?そう言えばサンパウロもSão Pauloで「ン」の部分が見えないが、これがポルトガル語ってヤツなのか。

メンバーが8人くらいいるそうでヴォーカルも3人くらい、とても賑やかそうなのが取り柄のこのバンド。
長く続いてるバンドなので音楽性も時代によってもさまざま。
この辺の雑多さで思い浮かぶのはフランスのマノ・ネグラだけど、彼らほどの強力なバイタリティは感じない。ただラテン系ニュー・ウェイブの個性をうまく世の中に伝えた功績は大きいと思うよ。

1986年に出た3rdアルバム「Cabeça Dinossauro 」は不気味な坊主の鉛筆画みたいなジャケットで、とてもこんな曲が入ってるとは思えないけど、シングルにもなった「Aa Uu」はそこに収録。
最初はアッアとかウウッとかしか言わないのでちょっとバカっぽいけど、ちゃんと歌詞はあるようで良かった。
服の色がどんどん変わってゆくだけのシンプルなビデオだけど、いかにも80年代ミュージック・ビデオといった雰囲気でなかなか効果的に仕上がっているね。

以上、80年代ブラジルのパンクやニュー・ウェイブはこれくらいしかないわけじゃなく、意外とたくさんのバンドがいるし、音楽性もこちらが想像したよりもずっと高い表現力を持っていたりする。
そしてビデオを色々見る限りでは、軍事政権による表現の規制うんぬん、なんてまるでなかったかのように感じてしまうよ。

本当はブラジルに限定せずに南米全部でひとつに纏めようと思ったんだが、他の南米もまだまだいそうだから、それはまた別の機会に書いてみよう。

それではまた、ジャジョエシャペヴェ(南米先住民言語グアラニー語で「さようなら」)

80年代世界一周 波蘭土編

【波蘭土は伝説的なバンドばかり】

ROCKHURRAH WROTE:

2019年の後半はブログを大々的にサボってしまってSNAKEPIPEに迷惑をかけたが、今年は少しは頑張って書いてゆきたいと思うよ。一応な。

全然関係ない話から入るが、BS12というチャンネルに個人的には大注目してて、ウチが(と言うかROCKHURRAH個人的なものが多いけど)懐かしいと思えるようなドラマをひっそり再放送してたりする。
何年か前の話。
大昔に大好きだった「傷だらけの天使」を再放送してるのに途中から気付いて録画してみたが、最初の数話が録れてなくてブルーレイ保存版が焼けない。こういうのは1話からちゃんと並べて焼きたいからね。そういう悔しい思いをしたのがこのチャンネルを初めて知ったキッカケだった。
子供から青年時代にかけて愛読してた「まんが道」のドラマ版を80年代にやってたのさえ知らなかったけど、それは運良く第1話から録画して観る事が出来た。 
運悪く完全に見逃したのが井上ひさし原作の珍しいミステリー「四捨五入殺人事件」。子供の時に原作を読んだ事あるから、他愛もない話ではあるけど、ドラマ版も観てみたかったよ。
さらに脱線するが井上ひさし原作のドラマでは、大昔に石坂浩二がやってた「ボクのしあわせ(モッキンポット師の後始末)」を子供の時に観てたので、どこかでそんなのを再放送してくれたら嬉しいんだが。
さらに海外ドラマもなかなかでドイツの大スケール・ドラマ「バビロン・ベルリン」、ウチでもシーズン1は観てた「ハンニバル」などなど、BS12偉い!と賛辞を惜しまないROCKHURRAHなのだった。
そして極めつけが大昔に楽しく観てた革新的ホームドラマ「ムー」の再放送。
同じく大好きで観ていたSNAKEPIPEと一緒に観る事が出来て嬉しいよ。
こんな時代にまた見れるとは偉い!BS12! 
などと大絶賛してBS12をここまで持ち上げてるROCKHURRAH RECORDSだから、いずれは番組プロデューサーの目にも留まるだろう(希望)。ぜひ続編の「ムー一族」もやって下さいね。 

何で突然こういう関係ない話になったかと言うと、その「ムー」の中で郷ひろみや登場人物の口ぐせになってるのが「一応な」というギャグなのか何なのかよくわからない受け答え。
これでやっと冒頭の文章につながったけど、うーむ、たったこの一言を説明するのに、ここまでの行数書いたのはROCKHURRAHくらいしかいないだろうな。

さて、久しぶりのブログだから何をやろうかと迷ったけど、今回は去年の3月以来やってなかった「80年代世界一周」という企画にしてみよう。
80年代ニュー・ウェイブの中でも、あまり多く取り上げられないような国のバンドに焦点を当てるというナイスな企画なんだけど、 これを専門的に語ってゆければ非常に有意義な記事になったに違いない。
が、そこまで英米以外のニュー・ウェイブに通暁してるわけでもなくて、偏った聴き方しかしてないROCKHURRAHがかなりいいかげんに書いてるので、真面目に研究してるマニアな人とは絶対に語り合えないレベルだよ。

今週は東ヨーロッパの波蘭土=ポーランドに焦点を当ててみよう。
世界一周などとシリーズ・タイトルつけた割には世界の歴史や地理、文化などには全く詳しくないROCKHURRAHだが、やっぱり頭の中にあった場所と地図のポーランドの位置が大きく外れていたよ。
大国ロシア(ソ連)とドイツに挟まれて、例えば国取りシミュレーション・ゲーム的に言えばかなり不利な立地だと言える。実際に過去にはその2つの国によって侵攻されまくってポーランドという国が消滅していた時代もあった、そういう悲惨な歴史が色濃く残る国という印象だ。
今回のブログのテーマはポーランドの80年代ニュー・ウェイブについてだから、政治的な事は抜きにして語りたいんだけど、80年代にはどうしてもまだ社会主義による規制が多かったのは確か。

ポーランドの民主化運動を弾圧するために1981年から戒厳令が敷かれ、「連帯」と呼ばれる労働組合(反共産主義)が取り締まられたり、夜間外出禁止などの規制があったという。民衆の力によって結局は民主化が進み、戒厳令は停止されたんだけど、81〜83年というのがちょうどその時期に当たる。
映画とかでよくあるように夜間外出で怪しいヤツと憲兵に見つかり、逃げたら銃殺・・・というほどではないとは思うけど、実際はどの程度の厳しさだったのか。
そういう戒厳令の中、どうやって彼らは音楽活動をしてたのか、その辺の知識不足は見てきたわけじゃないからわからないけど、まあ堅い話は抜きにして始めようか。

ポーランドと言えば真っ先に思い浮かぶのが首都ワルシャワ、国名よりも有名かも知れないね。
ワルシャワと言えばショパン、などと観光ガイドブックには書いてあるようだが、ROCKHURRAHの世代ではデヴィッド・ボウイの「ワルシャワの幻想」と答える人が多いだろう。
SNAKEPIPEだったら間違いなくボウイではなくスターリンかな?
昔から王道嫌いなROCKHURRAHだけど、80年代初頭くらいまでのデヴィッド・ボウイは一通りは聴いて影響は受けてるのは確か。ただ横顔がカッコいいジャケットの「Low」はちょっと苦手で眠くなる曲も含まれているな。
そこに収録されてる「ワルシャワの幻想」は大半がインストで短いヴォーカル部分は何語なのか不明の歌(ボウイ発案の言葉らしい)が入った名曲で、ジョイ・ディヴィジョンの元のバンド名もここからつけたワルシャワだった。
80年代のいつくらいだったろうか?吉祥寺にWarsawというレコード屋があったのを思い出す。
気になって調べてみたら1990年に開店とある。ROCKHURRAHの記憶もあやふやだな。
そこで一般的にはかなり無名だったベルギーのラ・ムエルテというバンドについて店員と話した時、勧めてきたレコードを全て、さらにそこに置いてないのもすでに持ってると言ったら「え?全部持ってるんですか?」と驚かれたのを覚えている。
これがROCKHURRAHにおけるワルシャワの連想なんだけど、ワルシャワという綴りも響きもいいね。

そんな憧れの地、ワルシャワ出身なのがこのバンド、Brygada Kryzysだ。
実は過去の記事「読めん!編」でも書いてたんだけど、ブリガダ・クリジスと書いてたサイトがあったので、それに倣ってみた。クライジズの方がしっくりくるけど。
パンク、ニュー・ウェイブ世代のポーランドを代表するバンドと言っていいだろう。
と言うより、少なくともその時代に日本の輸入盤屋でもレコードが見つけられた数少ないポーランドのバンドがこれくらいしかなかったんじゃないかな?
1979年に結成して80年代前半に活躍したらしいが、イギリスのフレッシュ・レコードというレーベルから出してたので日本でも少しは流通してたというわけ。
元々KryzysというバンドがあってそこからBrygada Kryzysになったようだが、どちらも共産主義のプロパガンダ・アート的なジャケットに魅力を感じながらも、個人的には素通りしてしまったのが悔やまれる。
フレッシュ・レコードから出てたアルバムは、倒れゆく文化科学宮殿(というイメージ)の横に、いかにも東欧系イケメンが立ってるというROCKHURRAH的には気になるジャケットだった。
いや、その当時は文化科学宮殿なんてものの存在を知らなかったから、エンパイアステートビルか何かだと思ってたに違いない。
実はちょっと前に「世界ふれあい街歩き」で知ったばかりの文化科学宮殿、スターリンが自分の威光を示すためにポーランドに建てたという悪名高き建造物で、地元の人間は貶しまくってたよ。そんなにイヤだったら壊してしまえばいいのにとも思うが、やっぱりもったいないのかね?
そういうスターリニズムの象徴のようなものをぶっつぶせ、と言ってるかのようなのがこのジャケットのコンセプトなのかな?と想像してみたよ。
がしかし、Kryzys名義のレコードはモロにプロパガンダ・アートみたいなのもあるし、「Komunizmu 」なんてタイトルもある。うーむ、ポーランド語も読めないし、反共産主義なのか支持派なのかよくわからんな。

その頃のポーランドはロックが盛んな自由な国ではなかっただろう(想像)けど、このバンドは一応英米にも通用する音楽性と見た目で、この国の音楽としてはかなり堂々としたものだった。
ちなみにポーランドを実質的に支配していたソ連のロックは、国が認めた国家公務員みたいな当たり障りのないロック・バンドもいたが、過激だったり思想的に反共産主義になるものは当然認められてなかったという事になるらしい。ポーランドもたぶん同じような政策だろうから、この手のバンドは反体制として抑圧されてたんじゃなかろうか。ポーランド人の友達もいないから本当は全然わかってないけど。

この曲ではないが、なぜかレゲエっぽい曲調もやってて、その辺はクラッシュやラッツあたりの影響なのかな。
上の曲「Wojna」はポーランド語で「戦争」の事だけど、本当の意味でこの国が自由を謳歌出来るような戦後になったのは日本よりずっと後になってからなんだよね。
うーむ、珍しくいいかげんじゃない方向に話を持っていけた気がするよ。

次もまたワルシャワのバンド、Dezerter。
普通に読んでデザーターかと思ったらデゼルテルなどとよそでは書かれてた。エレキテルみたいなもんか?

1981年にSS-20というバンド名で活動を始めたらしいが、SS-20というのは旧ソ連の核搭載中距離弾道ミサイル、Raketa Sredney Dalnosti (RSD) Pionerという物騒なシロモノ。
そういうバンド名は日本で言えば原爆オナニーズみたいなもんか。
この時代の映像が残ってるが、これは本当にアンダーグラウンドな通路の奥で演奏してるという、こちらが想像する通りの「戒厳令下のポーランドでの非合法地下演奏集会」みたいな感じだった。
観てないけど「ソハの地下水道」というポーランド映画を思い出したよ。それよりもずっと前にポーランドの著名な監督、アンジェイ・ワイダによる「地下水道」というのもあり、これまた未見。
その辺の影響が強いのかもね、などといいかげんな感想を書いてみたけど信用しないように。
SS-20はその後、さすがにバンド名がヤバかったのかDezerterと改名したらしいが、ポーランドの人気、実力No.1パンク・バンドだという。No.2は知らないが。

今では世界のどんな国の音でも手に入るかも知れないけど、80年代初頭にリアルタイムでポーランド盤のレコードは入手困難だったんじゃなかろうか。
聴いてみるとこれはまさに正統派ハードコア・パンクでポーランド語とも見事にマッチしている、と思いきや歌詞の最後に一拍置いて「オー」という掛け声、これでいいのかNo.1。
演奏が速く歌も速いハードコアの場合は、どこの国の言葉もちゃんと一応それっぽく聴こえてしまうという錯覚効果があるからね。
試しにROCKHURRAHが定番としている各国語によるブログの締めくくりフレーズ「ではまた、ド・ヴィゼーニャ(ポーランド語で「さようなら」)」のド・ヴィゼーニャをこの曲で連呼してみてもたぶんそれなりのはず。

ビデオでは地下活動してるはずのバンドが(勝手な想像)こんなにたくさんの聴衆の前で堂々と演奏してて映像もちゃんとしてる、と思ったらこれはポーランドのヤロチンというちょっと笑ってしまう町で開かれる大規模な野外ロック・フェスティバルでの模様を収録したものだった。
木場公園の木場ストック(ウッドストックにかけた情けない野外フェス)よりはずっと面白そうだな。

こちらはワルシャワの西300kmほどにあるポズナン出身のLombardというバンド。
ポズナンは古くからある都市だという事だが、カラフルな壁や屋根がきれいなおとぎ話の街のような感じだね。
首都ワルシャワと同じく戦火にさらされたけど街並みは復元されていて、昔のまんまを残そうという住民たちの熱意に頭が下がるよ。こういうのが本当の民度の高さというものだね。
さて、そんな美しい街の出身であるLombardは1981年に結成、現在もまだやってるというから相当に息が長いバンドだ。
これもまた普通に読めばロンバードなんだけど、上のデゼルテルみたいな感じでロンバルドなどと言うのかな?
紳士服のメーカーとかでありそうだよね。ビジネスマンの強い味方、防水、防汚、防臭、防シワ加工がほどこされたロンバードの高級スーツ、とか。

このバンド、本来はたぶんニュー・ウェイブでも何でもなくて古臭くて垢抜けない(今どきあまり言わない表現)男たちのパッとしないバンドだったんだろうが、なぜかその頃目新しかったパンク、ニュー・ウェイブ系の美女に歌わせてみたら思いのほか成功したというパターン。しかもこのバンドはもうひとり歌姫を擁してるんだよね。
失礼な言い方なのを承知で言えば、こういうロックの後進国に限らずイギリスでもアメリカでも垢抜けない男たちに囲まれた歌姫という形態のバンドが割とあるような気がする。レコード会社が「あんたたちのルックスでは売れそうにないから歌手志願のこの娘と一緒にやればデビューさせてやろう」みたいな戦略もあるだろう。
ダサいバンドが美人を誘ったらうまくヴォーカルになってくれたって話もあるにはあるだろうけど、こちらのロンバードはどうなのかね?日本語の情報が全くないのでその辺は全て想像ね。 

Małgorzata Ostrowskaという(読めん)ヴォーカル女性の見た目はかなり頑張ってるけど、バックバンドのどうでも良さが漲っててかわいそうになってしまうよ。
「パッとしないかも知れないけど楽曲作ったのは俺たちなんだよ」などと言い張るかも知れないが、うーん、もう少しセンスのいいバックバンドと出会ってたらMałgorzata嬢もポーランドを代表する歌姫になれたかも。

お次はこちら、ワルシャワの南に位置するプワヴィという工業都市出身のSiekieraというバンド。
うーむ、日本語にすると「斧」というバンド名なのはわかったが、カタカナで書いてくれてるサイトが見つからないのでROCKHURRAH得意の「読めん!」だよ。たぶんみんな自信を持って読めんに違いない。
普通に読むとシェキエラなんだろうが、どうせまた違うんだろうな。

京都のJet Setというレコード屋はROCKHURRAHも何回か行ったことあるけど、そこのコメントでは「’80s欧州最大級の音楽フェスJarocin Festivalでも多くの観客を沸かせた伝説のバンド」と評されているな。
おお、デゼルテルの時にも出てきたヤロチン・フェスね。
しかし「伝説の」などと書いてはいるものの当時の日本で紹介されてたのかね?数少ないマニアはいたんだろうけど、いつ、いかなる時に伝説となったのか知りたいよ。

どうやら初期はOi!スキンヘッドとハードコア・パンクの折衷みたいなバンドだったとの事だけど、同名の別バンドじゃないかと思って調べてみたら、やっぱり同じバンドらしい。うっそー、初期と後期で見た目と音楽性が全く違うのにビックリだよ。レコード・デビューした時にはすでに後期のサウンドになっていたと言うべきか。本当なのかな?

上の方のビデオの曲「Misiowie Puszyści」は1986年に出た1stシングルのB面の曲。
日本語に訳すと「ずんぐりしたクマ」などと、ほのぼのしたタイトルだが副題の「Szewc zabija szewca」は「靴屋は靴屋を殺す」という意味不明のもの。確かに聴けばそんな感じだね(いいかげん)。
鋭角的なギターと呪術的な歌、イギリスの暗めのバンドのエッセンスも取り入れた、この時代のポーランドとしてはかなり通好みの音楽。チープだけど「いかにも」な場所で撮影されたビデオも雰囲気にバッチリ合ってるね。
イギリスやドイツのダークなパンクが好きだったら気に入るかも。
しかし上のハードコアと同じバンドなのか?今でも信じられんぞ。 

ポーランドのロックだとかニュー・ウェイブ時代の事情をさっぱり知らずに書いてるから、最も重要なバンドをすっ飛ばして書いてたりするのは当たり前。そういう知らぬもの勝ちな態度で書いてきたけど、最後はこのRepublikaだ。
これはどう考えてもリパブリカで読み方間違ってないよな。
そして、どうせまたポーランドの伝説的なバンドなんだろうなあ。
共和国という意味のバンド名で多くの共和国はナントカRepublikaとなるが、ポーランドだけはRzeczpospolitaという特殊な単語が使われた共和国になる。何でかは不明だし今知ったけど明日には忘れる知識だなあ。 

Republikaはワルシャワ北西のトルンという世界遺産の街出身で、1981年くらいから活動してるとの事。
とても有名なポーランドのバンドらしく、英訳された歌詞まで載ってるビデオもあったしトリビュート・バンドまで存在してるそうだ。
ビデオももう少し凝ってて面白いものもあったんだが、これはデビュー曲の「Kombinat」でおそらくライブ風景という珍しいもの。原曲は1983年リリースだがたぶんその頃の映像だと思う。
日本でも使うコンビナートという言葉、元はロシア語だったのも今、調べて初めて知ったよ。
ブログの内容によるけど、何かわからないものに対して調べる事によって少しは何かの知識を得る。
人から教えられた事よりもその方が後に残る記憶になるね。 

ヴォーカルがキーボードの割にはテクノやシンセポップの要素は特になく、初期ニュー・ウェイブ時代の簡素なアイデアをそのまんま楽曲にしたような懐かしい感じがするよ。歌い方や曲調はヒカシューに似てると横でSNAKEPIPEが言ってたが、見た目の割には結構情感たっぷりに歌い上げるタイプ。なぜか真上からのカメラアングルもライブ映像としては斬新。
結構、芸達者なヴォーカルらしくて途中からキーボードをフルートに替えて熱演してるさまがロキシー・ミュージックに途中から参加したエディ・ジョブソンを思い出す。あっちはキーボードからヴァイオリンに持ち替えてのソロ・パートだったけど。

以上でポーランド編は終わりとするが、動画のないバンドは敢えて取り上げなかったから、かなり偏ったものとなったのは間違いないよ。この国のパンクやニュー・ウェイブなら任せろというほど詳しい国はないから、今後もこういう姿勢になるのは間違いないね。

それでは皆さん、風邪やインフルエンザに気をつけて。
ド・ゾバチェーニャ(ポーランド語で「ではまたね」) 

80年代世界一周 南斯拉夫編

20190317【予想外に80年代ニュー・ウェイブの宝庫】

ROCKHURRAH WROTE:

毎回いつも書いてることだが、ROCKHURRAHが書くシリーズ記事はどれも、1970年代から80年代あたりのパンクやニュー・ウェイブと呼ばれた音楽ばかりをピックアップして特集にしている。
この「80年代世界一周」というのは日本に最も入って来やすいイギリスやアメリカ以外のニュー・ウェイブに焦点を当てた企画で、あまり馴染みのないバンドについてROCKHURRAHがいいかげんなコメントつけるだけという内容だ。
今どきこの手の80年代を大真面目に学ぼうとしてる人は少ないとは思うが、そういう人たちにとっては実に当てにならない読み物だという事だけは確かだよ。

さて、スペイン、イタリア、スイスと今まで書いてきたけど、今回は今はなき国に焦点を当ててみよう。
タイトルにもある通り南斯拉夫、これは一体どこの国?
かつてはひとまとめにユーゴスラビアと言ってたけど、1990年代に激しい内戦の末、今はいくつかの少国家に分裂してしまったという。これは歴史や世界情勢に疎いROCKHURRAHなんかより皆さんの方がよほど知ってると思われるが、ウチのテーマはそういうところにはないのも明らか。

ユーゴスラビアのニュー・ウェイブと言うと真っ先に思い浮かぶのがライバッハの存在だ。
ROCKHURRAHも好きなジャンルではあるんだけど、実は今日はライバッハ抜きにして語ってみたいと思う。
「何だかよくわからんがナチスっぽい、軍国主義っぽい」とか「今でも見え隠れする第二次大戦の爪痕」とか、ユーゴスラビアの音楽に対する勝手な偏見をROCKHURRAHが持ったのはこのバンドに原因があるからだ。 
たぶんそんな国じゃないはず。 

「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの連邦国家」とあるようにとても複雑な他民族国家だったらしいが、これだけのものが割と近場に混じり合ってると、かなり色んなものがミクスチャーされた文化になるのは当たり前だと想像出来るよ。

ではさっそくその独自の音楽文化に触れてみよう。

まずはユーゴスラビアのパンクと言うと必ず名前の挙がるPankrtiというバンドから。パンクルティとカタカナで書いてるサイトがあったからその読み方でいいのかな?

彼らは1977年にスロベニアで結成されたバンドだとの事。
旧ユーゴスラビアで一括りにされてた頃はそんな事なかっただろうが、独立して観光名所となったクロアチアなどと比べるとイマイチの知名度だと思える。街の屋根はみんな赤煉瓦色という印象だね。
こんな国にもパンク・バンドがいたとは。

パンクルティはその頃のユーゴスラビア版ニュー・ウェイブ(パンクを含む)、Novi Valというムーブメント(?)の中心的存在だったという話だが、驚くのはイギリスのパンクとのタイムラグがほとんどなく、社会主義のユーゴスラビアにもそういう波があったという事実だ。
うーん、パンクやニュー・ウェイブを若年より聴いてきたROCKHURRAHだけど、ノヴィ・ヴァルなどという動きがあった事など全く知らなかったよ。
ネットが普及した後の時代はそういう情報もすぐにキャッチ出来るんだろうけど、我等の時代にはそんな情報は日本には入ってなかったろうからね。ユーゴ帰りの友達もいなかったし。
社会主義という事に対する偏見、内戦やその後の分断された状況を断片的に見て勝手に勘違いしてたわけだけど、実は英米の影響がとってもすんなり入ってきて、さらに独自の味付けをこの当時から加えたバンドが数多くひしめいていたんだね。そういうユーゴスラビアの音楽事情にビックリするばかりだよ。
旧ユーゴは社会主義とは言っても昔のソ連や中国と比べると自由度が割と高かったらしいけど、よほど反体制じゃない限りは弾圧される事もなかったようだ。行って見てきたわけじゃないから詳しくはわからないけどね。

この曲「Totalna Revolucija(自動翻訳による邦題:総革命)」は80年に出た1stアルバムに収録。
演奏のチャチさはあるものの、イギリスのヘタなパンク・バンドよりは聴き応えのある曲が多数収録された名盤で、何だかよくわからんジャケットじゃなければどこでも通用してたに違いない。
曲はどこかで聴いたような既視感に溢れているが、今はどうしても思い出せない。何かのパクリだと思った人は教えて欲しいよ。ここまで出かかってるのに、何の曲だったかなあ?

これは聴けばすぐにわかる、セックス・ピストルズの「Anarchy in the U.K.」をカヴァー・・・と思いきや無理やりイタリアの革命歌と合体させてしまったという力技の一曲。
Bandiera Rossa」とは赤旗の事。
スキンヘッドのOi!とは対極にあるんだろうけど、結局は集団が拳を振り上げてみんなで合唱するような曲というのは、どちらの思想でも似通ったものになるんだろうな。「愛と幻想のファシズム」を思い出してしまったよ。

続いては上のパンクルティと同時期から活躍していたParafというバンド。パラフでいいのか?
ユーゴスラビアのパンクを集めたコンピレーション「Novi Punk Val 78-80」というアルバムでどちらのバンドも収録されてるが、こちらはクロアチアのバンドらしい。
アドリア海の真珠と評される美しくのどかな国、屋根がみんな赤茶色という印象ばかりだけど、こんな国にもパンクが根付いていたとは驚くばかり。

「Narodna Pjesma(自動翻訳による邦題:国民の歌)」は1980年に出た1stアルバム収録の曲だが、上記のノヴィ・ヴァルのオムニバスにも入ってる名曲。
見た目はニュー・ウェイブっぽいけどヴォーカルは結構なダミ声で曲調はスティッフ・リトル・フィンガーズやチェルシーあたりの王道パンクを思わせる。英米の70年代パンク・バンド達に混じっても遜色ない実力派バンドだと思うよ。1stアルバムの何が表現したいのかわからないジャケットじゃなければどこでも通用してたのに・・・。

「Rijeka」と題されたこの曲、クロアチアの都市名であり「川」という意味もあるらしい。
上のパンクルティがピストルズだったのに対してこちらはジョニー・サンダース&ハートブレイカーズやラモーンズでお馴染みのパンク史に残る名曲「Chinese Rock」をそのまんまクロアチア語か何かでカヴァー。
カヴァー(替え歌)対決としてはパンクルティの方が一枚上手だったね。
中国の革命歌と無理やり合体させたりしなくて良かったのか?

割とシリアスなバンドが続いたけどユーゴスラビアのニュー・ウェイブ(ノヴィ・ヴァル)はこちらが思ってるよりも遥かに奥深く、今頃知っても遅いかも知れないが、個人的にはかなり興味深いよ。
いいバンドに出会うために、時には面白くもないバンドさえも買い漁っていた青春時代に出会ってれば、きっとのめり込んだに違いない高レベルのバンドが色々いるもんだ。

このSarlo Akrobataは1979年結成のセルビアのバンドだとの事。サルロ・アクロバタでいいかな?
セルビアと聞いてもとっさには何も出てこないくらいヨーロッパの「あの辺」に疎いROCKHURRAHだけど、見どころはきっとたくさんあるに違いない(段々ぞんざいになってきた)。風景を検索してみたら「しつこい」と言われそうだけど屋根がみんな赤茶けた感じで、どれがどの国だか本気で区別がつかんよ。 

Sarlo Akrobataは上のビデオを観てもわかる通り、かなりコミカルでふざけたプロモーション映像が多いバンドで、三人のとぼけたキャラクターが絶妙。特にペドロ・アルモドバルか?というような髪型と体型のメンバーは顔だけで笑いを取れるし、悪ガキがそのまんま大人になったようなドラマー(真ん中の小柄な男)の動きや表情もお茶目。 

「Oko Moje Glave (自動翻訳による邦題:私の頭について)」は1981年の1stアルバムには未収録だが同年に出た「Paket Aranžman」というセルビアのニュー・ウェイブを集めたコンピレーションに収録。
シングルとアルバムを一枚ずつしか出してないバンドのはずなのになぜかプロモーション・ビデオがいくつか存在していて謎が深まる。
動きや歌はコミカルなのに演奏はタイトなベース・ラインとちょっとアヴァンギャルドなギター、スカやおそらく自国の伝統的な旋律なども取り入れていて、その構成力もお見事。 
英米のマネだけじゃなくてちゃんと独自路線を見出している、これぞ色んな国のニュー・ウェイブを知る醍醐味だと言える。

こちらのPekinska Patka(北京ダック)なるバンドも1978年結成のセルビア出身。
ビデオ見てわかる通り、「時計じかけのオレンジ」の影響を強く受けたバンドだと思える。
「時計じかけのオレンジ」と言えば70年代から活躍していたアディクツを真っ先に思い浮かべるが、日本にもハットトリッカーズという本格派のバンドがいたなあ。
大好きだったロビンが解散してもう8年にもなるが、最近はパンクやサイコビリー系のライブも全く行かなくなってしまった。ハットトリッカーズを単独で観た事はないけど、2011年以前にパンク系のイベントで知ったバンド。実に凝った衣装とメイクで一度観たら忘れないインパクトがあったものだ。

個人的な思い出話はどうでもいいとして、さて、このPekinska Patkaは素顔に付け鼻、ハットをかぶったというだけのお手軽コスプレでビデオの内容も 「時計じかけのオレンジ」の暴力シーンを元ネタにしたもの。
チープではあるけれどイギリスのバンドでも、まだそこまで凝ったプロモーション・ビデオがなかった時代だと考えれば、なかなか頑張ってるね(偉そう)。いつもこのコスチュームなわけではなく、このビデオだけこういうスタイルみたいだ。

「Stop Stop(自動翻訳による邦題:止まれ止まれ)」は1980年の1stアルバムに収録された曲で子供向けアニメ(あくまで70〜80年代の)のテーマ曲みたいな感じだが、テンポも速くてノリがいいね。ROCKHURRAHが言うところの「Funnyちゃんミュージック」という括りでもピッタリな内容。

これまたセルビアのバンドで1979年結成のElektricni Orgazamだ。
エレクトリチュニ・オルガザムと読むらしいがノヴィ・ヴァルの中で生まれたバンドとしては一番長続きしてる大御所だとの事。何と今でも活動してるらしいからね。
「Krokodili dolaze(自動翻訳による邦題:ワニが来る)」は81年の1stアルバム収録で最も初期の曲だけど、このアルバムに収録の曲だけでも何曲分もプロモーション・ビデオがあってそれもまた謎。
普通はシングル曲くらいしか作らないと思うのに、売れる気満々だったのかねえ?そういうお国柄なのか?
ヴォーカルの爛々とした目つきや動きがかなり不気味。アングラ演劇でもやってたんだろうか。
ライブのビデオもあったけどこの目つきで変な前かがみになったりシャープな動きで飛び跳ねたり、一人だけ異常なアグレッシブさだったよ。
しかも違うビデオを見るたびに長髪だったりクリクリのパーマだったり音楽性も変わったり、イメチェンし過ぎの印象があるよ。Wikipediaで見るとジャンルがパンク、ニュー・ウェイブ、ポスト・パンク、ネオサイケ、ガレージなど、まさにカメレオン・バンド。

後半は全てセルビアのバンドだけになってしまったがそれだけ音楽が盛んで層が厚いというわけなのかな?
このIdoli(イタリア語で「アイドル」を意味する)も同じで、そもそも上に書いたSarlo Akrobata(サルロ・アクロバタ)とElektricni Orgazam(エレクトリチュニ・オルガザム)、そしてIdoli(イドリ)の3バカ、じゃなかった3バンドはセルビアのニュー・ウェイブを集めたコンピレーションに仲良く収録されているのだ。
他のバンドがパンクっぽい見た目なのに対してこのイドリはヴォーカルがメガネ男という事もあって、割と軟弱な印象がある。軟弱もまたニュー・ウェイブの重大要素なのは間違いないので、こういう路線もあるよって事だね。
「Zašto su danas devojke ljute(自動翻訳による邦題:今日の女の子はなぜ怒っているのですか)」は81年に出た1stミニ・アルバムに収録。
ちなみにレコードを見た事ないような若年層でミニ・アルバムを小さいアルバムだと勘違いしてる人がいるんじゃないかと心配になったから言っておくが、曲数が少ない収録時間の短いアルバムの事だからね。え?誰でも知ってる?

ビデオはお揃いの服装のメガネ男がなぜだか手をつないでるというもので、きっとこれもまたニュー・ウェイブの重大要素についての歌なんだろうな。

ノヴィ・ヴァルのバンド達を追って紹介してきたが、これらが最も良かったのは80年代初頭くらいまでの時代。そこから徐々に政情は悪くなってゆき、国は分断されてバラバラになってしまった。
その手の話にはノー・コメントのROCKHURRAH RECORDSだが、この時代のユーゴスラビアのバンドが思ったよりも遥かに進んでた事に驚き、今さらながらこの国に興味を持ったよ。 

さて、次はどこの国に飛ぼうか。
ではまたナスヴィーデニエ(スロベニア語で「さようなら」)。  

80年代世界一周 瑞西編


【スイス人のイメージとはかけ離れた面々】

ROCKHURRAH WROTE:

一体いつまでかかるんだ、と言われそうだがまだまだ引っ越し荷物の整理がつかない。
ウチの場合少し特殊で、いわゆる家具っぽいモノは極めて少ない。代わりに物流倉庫とかで使ってそうなスチールラック(アングル棚)をたくさん持っていて、金属大好きな趣きのある部屋にしてるのが特色。
穴のいっぱい開いた柱やビス、これはイギリス生まれの組み立てDIY玩具、メカノにも通じる世界でROCKHURRAHには魅力的な収納家具なのだ。
しかしこれが結構な大きさのものなので作るも分解するのも厄介。毎回引っ越しの時は全部バラして全部組み立てるという儀式を行ってるんだが、面倒なのは確かだ。
おまけに工具やカッター、ハサミなど何でこんなに見当たらないんだ?というほどどこかに置きっぱなしにして見つからずいつも何かを探してる状態。二人とも5S活動の整理整頓がちっとも出来ない体質なのかも。

さて、そんな状況で今回書いてみるのはちょっと久しぶりだが「80年代世界一周」というシリーズ企画だ。
世界中を旅してもいないし、世界情勢にも疎いROCKHURRAHだからその国の魅力をお届けする、などという内容とは程遠いのは間違いないね。ハナから何の情報も持ってないから逆にいいかげんに書きやすいかな?と思って選んだ今回のテーマはスイス。
タイトル見てわかる通り、当て字で表すと瑞西になるらしいが、この当て字も今回初めて知ったくらい。

うーん、旅番組とかで見たようなありきたりなイメージは色々湧いてくるけど実際にどんな国なのかはさっぱりわからない。ウチが扱おうとしてるのは別に観光情報ではなくて70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブについてだから、余計に旅番組とはかけ離れた内容なのは間違いない。少なくともスイスらしくアルペンホルンやヨーデルを巧みに取り入れたバンドなんてのとはまるで違うと予想するよ(当たり前)。
ではどんなバンドが過去にいたのか時代を遡ってみよう。

スイスと言えば真っ先に思い浮かぶのがこのバンド、クリネックスだね。
英国インディーズ・レーベルの大手、ラフ・トレードがディストリビュートした事もあってニュー・ウェイブ時代のスイスのバンドとして日本でも最も知られた存在だった・・・と言うか他のスイスのバンドなんて「知らん」という人が多数なのではなかろうか?
ウチもティッシュは断然クリネックス派でありスコッティもエリエールも問題外だと思ってるが、昔は高嶺の花(大げさ)だったクリネックスも近所のスーパーやドラッグストアでは他のメーカーと大差ない価格になってしまってる状況。クリネックスが安くなったわけではなくて他のものが高くなっただけなのか?うん、誰もそんな話はどうでもいいのわかってるから。

で、クリネックスはスイスのチューリッヒで1978年に結成した全員女性のバンドだった。
この当時の女性バンドとしてはスリッツ、レインコーツ、モデッツ、マラリアなどと共にクローズアップされて後に続く女流バンド達に多大な影響を与えたから知名度も高いわけだ。
この手のバンドは男性を凌駕するほどのパワーもテクニックもないからアイデア勝負になりがちなんだけど、そのアイデアまでもが何となく似てしまいがちなのが少し弱点ではあるね。パンクっぽいところからスタートして試行錯誤してスカスカの演奏とエキセントリックなヴォーカルに活路を見出したというパターン。演奏力があまりないから少しズレてしまったような部分が偶然実験的となるところはニュー・ウェイブ初期の黄金比だと言えるね。これは当然、貶した評価ではなくて大好きなワイアーなどもそういう系列だし。

クリネックスはスイスでもレコード出してたようだけどROCKHURRAHはラフ・トレードから出てたシングルで上のビデオの曲を知ったよ。
スタジオ・ライブみたいな映像が結構残ってるから本国ではスイス・ウェイブの立役者として人気もあったんだろう。ヴォーカルがちょっとぽっちゃりの田舎娘っぽいけど、ニュー・ウェイブがまだ細分化する前の時代の「パンクに近いけどパンクではない何か新しいもの」を感じさせるバンドだったな。個人的にはスリッツやレインコーツよりも好きな感じだよ。

上に書いたクリネックス・ティッシュはアメリカのキンバリー=クラーク社の商品だとの事。そこから訴えられたらしく、このバンドはクリネックスというバンド名では活動出来なくなってリリパットと改名した。だからと言って特に音楽性が激変したわけじゃないけど、ヴォーカルが田舎娘から田舎のおばちゃんみたいな人に代わったり、曲作りやアレンジでだいぶこなれてきた感じはするね(いいかげん)。
スタジオ・ライブの映像ではよりによって撮影が入る時になぜこの服装?というようなセンスだったがこのプロモ(?)の時はそれなりに80年代風にしてていいね。

こちらはスイス初のパンク・バンドとされるチューリッヒのNasal Boysだ。結成は1976年だというからロンドン・パンクと同じ頃にやってたんだね。
パンクと同時期か少し前に結成したというようなバンドは世界中にいるだろうけど、聴いてみたら古臭いロックと変わらなくてガッカリという経験も多かったもんだ。けれどもこのNasal Boysはちゃんと本気のパンク路線だったのでスイスにもこういう系統がいるのが意外だった。
まあ現代的に見ればパンク自体が古臭いロックなんだろうけどね。

この映像も1977年のものらしいから、スイスでも英米と変わらないパンクの波が押し寄せていたのは確かだろう。クラッシュやダムドの前座もした事あるというから実力もあったに違いない。観客もノリノリで人気の高さを物語るね。ただし前にやった「80年代世界一周」はスペインとイタリア、どちらも言語に特色があった国だけどスイスの場合、ドイツ、フランス、イタリア、それにロマンシュ語といった言葉もマチマチ。だから「この辺がスイスらしいよね」という響きがないのが残念。

これまた1978年にはExpoというバンド名に改名しててアルバムも出してるようだが、Nasal Boys名義ではシングル1枚のみしかリリースしてない。パンクには多かった一発屋のひとつなんだろうけどライブの映像が残ってるだけまだマシだと言えるね。

そのNasal Boysのギタリストだったのがルドルフ・ディートリッヒなるどこかの王侯貴族みたいな名前の人。何と本名らしいから思わず「殿下」と言いたくなるね。
彼がその後に結成したのがスイス初かどうかは不明だが本格派ネオ・サイケ・バンド、ブルー・チャイナだ。
当時読んでた音楽雑誌でネオ・サイケと呼ばれた暗い音楽が数年間はもてはやされた時期があって、そこでも絶賛されてたからROCKHURRAHはレコード屋巡りの日々で必死に探してたもんだ。
買ったのはおそらく下北沢のレコファンだったと思うけど一時期はなぜか2枚同じレコードを持ってたな。
ビートルズの「Tomorrow Never Knows」のカヴァーだったけど人があまり知らないスイスだし珍しいし、自慢げに自分の選曲テープに入れてたのを思い出す。
カヴァー曲だけでなくオリジナルも好みにピッタンコ、ROCKHURRAHにとっては青春の思い出の1枚だったな。専門的な事はまるでわからないしあやふやな記憶だけで書いてるが、確か彼の所有する(だったか単にレコーディングしただけか不明瞭)スタジオがすごく音質の良い事で知られてて「さすが音の反響が違うね」などといいかげんな感想を持ってたもんだ。

チューリッヒと言えば個人的に真っ先に思いつくのがトリスタン・ツァラによって始まったチューリッヒ・ダダだ。ダダダではない。有名なキャバレー・ヴォルテールを中心として花開いたダダイスム運動はアートの世界で一番好きな分野かも知れない・・・って程には全然詳しくないんだけどね。
そういう攻撃的アートが生まれた土壌が昔からある国なわけで、スイス=平和でのどかな牧歌的音楽という先入観が間違いだったと気付くね。そう言えばさっきのリリパットの時に書き忘れたけど彼女達のレコード・ジャケットでモロに1920年代のダダっぽいのがあったなあ。 

この「We Talk」は1983年に出た1stアルバムに収録の曲。曲調とかはよくあるネオ・サイケの王道だがビデオの冒頭に出てくる変な説明書イラストみたいなのが気になって仕方ない。他の曲では鉄柱みたいなものをハンマーで叩いたり、デイ・クルップスを思わせるような行為までして意外と体を張ってるな。侯爵とは思えないよ(ウソ)。この辺のイビツなセンスが魅力なのかも。

ルドルフ・ディートリッヒはスイス・ウェイブの中心的存在らしいけど、その彼とブルー・チャイナのメンバーがプロデュースしたのがこのバンド、ガールズ・フロム・タヒチだ。スイスのバンドなのになぜにチャイナにタヒチ?
1984年に出た12インチ1枚のみしかリリースがなく、スイスのバンドに興味がある人(かなり少なそう)にとっても幻のバンドとも言える。
ROCKHURRAHは当時渋谷にあったゼスト(レコード屋)で偶然に見つけて所有していたが、とっても珍しいものなのでやっぱり自慢げに自分の選曲テープによく収録していたものだ。人が知らないようなバンドを見つける事が生きがいだったと見える。
ガールズ・フロム・タヒチはパンクっぽい直線的な攻撃性とダークな曲作りが魅力のバンドで、たった4曲を知るのみだけど今でもしっかりと記憶に残ってるって事はやっぱり聴き込んでたんだろうな。フランスのAusweisと雰囲気的には似た感じ、と言ってもマイナー過ぎて誰もわかっちゃくれまい。

次はこれ、黒衣の女性3人組によるポジティブ・パンク/ゴシック系バンド、The Vylliesだ。
1983年、まさにポジパン全盛期の頃にデビューしてるから、スイス初のゴシック系という事でよろしいのか?
このジャンルで全員女性というのは珍しいし、怖そうな魔女お姉さん3人組というヴィジュアルもあってポジパン本場の英国でも話題沸騰、というわけにはいかなかったらしい。
ROCKHURRAHもレコード屋で何度も彼女達のレコードを見かけたのにジャケットが好みじゃなかったので買った事はなかったな。勝手にバナナラマみたいなのを想像していたよ。
なぜかデビュー・シングルはギリシャから出してるんだね。
1985年と1987年にアルバムも2枚出してるけど個人的にこういう系統の音楽を聴かなくなった時期に当たるから、実は今回初めてYouTubeで彼女達の曲や動いてる姿を知った。なかなか見た目がいいしプロモーション映像とかもあって本国では人気があったのがよくわかるよ。
曲は教会の鐘の音で始まるモロにゴシックな感じで否が応でも期待出来るイントロ。電子楽器による打ち込み反復ビートと単調なベースだけで呪術的に歌い上げるのだが結構クセになりそうな曲で気に入った。途中でヴォーカル女性が「ア、アー、ア、アー」などと叫ぶあたりの狂気の雰囲気もクールなだけじゃない魅力。こんなドレスで楽器持つのもいいね。という事で今頃になってこのバンドを評価してもどうにもならないが、メンバーは今でも老魔女なのだろうかね?

さて、意外と層が厚くヴァラエティに富んだスイス・ウェイブだがタイムリミットなのでそろそろ最後にしよう。このバンドも忘れちゃならない。
前にこんな記事 でも書いてたGrauzoneだ。あの記事を書いたのは2015年の事だがその頃から「読めん」などと書いてて今でも読めん。素直にグラウゾーンでいいのかな?
スイスだけどドイツ語なのでどちらかというとノイエ・ドイッチェ・ヴェレに通じるような音楽なんだろうけど妙にポップだったり実験的だったりするので全部のレコード聴かないと正体がわからないタイプ。ビデオにも本人たちが全然出てないしね。しかも一体何が言いたいのかコンセプトがよくわからん。
タイトル「Eisbaer」はおそらくシロクマの事だと思うけど果たしてこのビデオと歌詞が合ってるのだろうか?
この曲がドイツやオーストリアでチャートに入ったそうだけど演奏や歌は初期ニュー・ウェイブを感じるものでなかなか気に入ったよ。

個人的に重要な書類を今から探さないといけないのであまり集中してブログが書けなかったけど、もう少しちゃんと落ち着いたらまた何か書けるかな。まずは部屋をちゃんとして何がどこにあるかわかるようにしないとね。

ではまたsta bain!(ロマンシュ語で「さようなら」)