怖い浮世絵展鑑賞

【太田記念美術館前のポスターを撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

情報収集能力に優れている長年来の友人Mや、ROCKHURRAHから勧められたり誘われて展覧会に行く事が多いSNAKEPIPE。
今回もROCKHURRAHから「面白そうだから行こう」とお誘いを受ける。
それは2012年「没後120年記念 月岡芳年展」で訪れたことのある太田記念美術館で開催されている「怖い浮世絵展」であった。
これは楽しみ!(笑)

梅雨が開けて、すっかり陽射しが真夏の原宿。
それでも表参道には「けやき」の木が生い茂っているため、大きな木陰を作っているので涼しく感じる。
自宅近辺より原宿のほうが涼しいとはね!(笑)
歩いて数分で太田記念美術館に到着。
アクセス抜群の場所にあるんだよね!

調べてみると太田記念美術館は1980年にオープンしたという。
ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも1980年代には原宿を毎週闊歩していたので、太田記念美術館の前は何度も通っていたんだろうね。
特別浮世絵に興味がなかったからだろうけど、太田記念美術館のコレクションを今まで観ていなかったとは!
その時代から鑑賞していたら、人生形成に何かしらの影響を及ぼしたんじゃなかろうか。(笑)
もしかしたらある程度の年齢になったからこそ、理解できることもあるかもしれないけどね!
さて、今回はどんな「怖い浮世絵」が展示されているんだろう?

前述したように場所は原宿だというのに、太田記念美術館の中は、それほど混雑していなかった。
オープンしたばかりという時間帯のせいだったのかもしれない。
できればゆっくり自分の好きなように鑑賞したいと思っているSNAKEPIPEとROCKHURRAHなので、とても良い環境だよね。
前回も似た状況だったので、太田記念美術館はいつでもこんな感じなのかな。
江戸東京博物館で開催されている「大妖怪展」だったら、大混雑でゆっくり鑑賞することは不可能だっただろうね。(笑)

展示はチャプターで分かれていて、

1 幽霊
2 化け物
3 血みどろ絵

とされていた。
上の画像は「 化け物」にあった歌川国芳の作品、「源頼光公館土蜘作妖怪図」(1842年〜1843年)である。
水木しげるがお手本にしたんじゃないかと思われるほど、妖怪達の賑やかで多種多様な表情が見事である。
ユーモラスな雰囲気もあるところが、怖い表現だけにとどまっていないんだよね。
江戸時代には妖怪は娯楽の対象で、キャラクター化され人気があったというのがよく分かるね!

上の画像は歌川国芳の弟子だった歌川芳員の「新田義興の霊怒て讐を報ふ図」(1852年)である。
妖怪画として興味があったというよりは、直線の使い方が気になったんだよね。
漫画の一コマのような感じもするし、横尾忠則の作品のような雰囲気もある。
もちろん横尾忠則が影響を受けて描いているんだろうけどね。(笑)
月岡芳年の作品にも、後の時代に影響を与えているような劇画チックな作品があったので載せておこう。
右は「羅城門渡邉綱鬼腕斬之図」(1888年)という上下2枚で構成されている作品である。
これも直線を効果的に使用しているんだよね。
右の作品では、右上に書かれているタイトル部分にまで直線が引かれているところに注目してしまう。
なかなかここまで大胆に描いている作品はお目にかかれないのでは?
かなりの迫力で、これもまた漫画の中の一コマのように見えたよ!
今から130年程前に、こんなにも斬新な手法が確立されていたことに驚いてしまうね!(笑)

歌川芳員の「大物浦難風之図」は1860年の作品だという。
「だまし絵」で有名な人物といえば例えばエッシャーがいるけれど、エッシャーが活躍していたのは1930年以降のようだね。
古いところでは1500年代のアルチンボルドになるのかな?
浮世絵の世界にも「だまし絵」は存在していて、歌川国芳の「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」は有名な作品だよね。
上の歌川芳員の作品にも「亡霊に見える」部分があるんだよね!
クリックすると大きな画像になるので、確認してみてね。(笑)

「幽霊」の章で印象的だった作品はこちら。
歌川国芳の「四代目市川小団次の於岩ぼうこん」(1848年)である。
「東海道四谷怪談」で演じられたシーンを切り取った作品だという。
美しい娘の「お岩」と亡霊の「お岩」がシンクロしている様子を表現しているとのこと。
この「薄ぼんやり」とした亡霊を木版にするってすごいよね!
浮世絵には、透けた布の表現などもあって、技術の高さに驚いてしまう。
若い娘だと思っていたら亡霊だった、というのは上田秋成の「雨月物語」にも似た話があったような?
江戸時代の人はホラーが好きだったんだね。(笑)

「怖い浮世絵」と聞いて最初に思い浮かんだのは、妖怪とか幽霊ではなくて「無残絵」だったSNAKEPIPE。
きっと前回同じ太田記念美術館で鑑賞した月岡芳年を思い出したからだろうか。
最終章である「血みどろ絵」は期待通り(?)無残絵が数多く並んでいた。
芝居の中のワンシーンを切り取った物もあれば、実際に起きた事件を題材にした作品もあった。
右の画像は月岡芳年が「郵便報知新聞」のダイジェスト版に載せた錦絵(1875年)である。
これは離縁した妻に復縁を迫ったが思い通りにならなかったため犯行に及んだという、実際の事件を題材にした作品とのこと。
再現フィルムならぬ、再現錦絵といったところか。(笑)
はっ、前回の記事の中では「報道浮世絵」と書いていたSNAKEPIPE。
似た表現になってしまうのは仕方ないね。(笑)

「血みどろ絵」を得意とする月岡芳年は、赤絵具に膠(にかわ)を混ぜてドロドロしたドス黒い赤で血を表現していたというから、並々ならぬ執着心が伺える。
「月岡芳年といえば無残絵」とイコールで結ばれるほど、芳年と血は密接だからね。
さすがに迫力のある「血みどろ絵」、大いに堪能させてもらったね!

「怖い浮世絵展」を鑑賞して、改めて思うのは江戸時代と現代の感覚にほとんど差がない、ということ。
「幽霊」も「妖怪」も「血みどろ絵」にしても、みんなが見たい物だったから人気があったことの証だよね。
現代でも「残酷」で「グロテスク」な事件に関心が集まるのは、同じ原理だと思う。
科学が進歩しても、人間そのものはそれほど変わっていないんだね。
逆にいえば、江戸時代の人は思った以上に進んでいたんだな、と思う。

世界中の人が驚いたというけれど、日本人でありながらSNAKEPIPEもROCKHURRAHも驚嘆してしまう浮世絵。
絵師に注目が集まることが多いけれど、木版にして刷る技術も素晴らしいよね。
日本が誇れる独自の文化、これからも注目していきたいと思う。

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