塩田千春展:魂がふるえる 鑑賞

20190915 top
【どんよりした空模様がよく分かる一枚】

SNAKEPIPE WROTE:

森美術館で開催されている「塩田千春展:魂がふるえる」については、長年来の友人Mから「とても良かったので行ったほうが良いよ」とお勧めされていた展覧会である。
行ってみよう、と計画していた日には、令和元年台風15号(アジア名:Faxai/ファクサイ) が関東に上陸したのである。
過去最強クラスの強い勢力を持った台風の影響で、現在でも千葉県内では復旧作業が行われているほど。
ROCKHURRAH RECORDSは、幸いにして明け方の強風を感じる程度だったため、六本木行きを決行!(大げさ)
電車も少し遅れながらではあったものの、支障をきたすことなく六本木に到着したのである。
今回のトップ画像は、あえて空が映っているものにしてみたよ。
まだちょっと怪しい雲が見えるよね。

台風の影響で、展覧会場はガラガラに空いているだろうと予想していたけれど、通常より少し少ないくらい。
例えば観光客は近くに宿泊しているだろうから、あまり天候に左右されることがないのかもね?

最初に森美術館作成のPR動画を載せておこうかな。

塩田千春という名前を今まで聞いたことがないSNAKEPIPE。
経歴について調べてみたよ。

1972年 大阪府岸和田市生まれ
?年 大阪府立港南造形高等学校卒業
?年 京都精華大学洋画科卒業
1993年 オーストラリア国立大学(ANU)キャンベラスクールオブアートに交換留学生として留学
1996年 ハンブルク美術大学(HfbK)に入学
1997年から1999年 ブラウンシュバイク美術大学(HBK)にてマリーナ・アブラモヴィッチに師事
1999年から2003年 ベルリン芸術大学(UDK)にてレベッカ・ホーンに師事
2008年 平成19年度 芸術選奨新人賞、平成19年度 咲くやこの花賞 美術部門受賞
2015年 第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で日本代表に選出される
2010年度~ 京都精華大学客員教授

現在はベルリンを拠点に活動しているという。
それにしても一体いくつ大学に通ったんだろうね?
数えてみると5つだよ!
30歳近くまで大学生だったことになるのかな。
その間の生活費などはどうしていたのか、小さいことだけど気になってしまうよ。(笑)
それにしても、以前は確か「レベッカ・ホルン」と表記されていたように記憶してるけどね?
読み書きは変化することがあるから、まあいいか。

今回の展覧会についての説明文を森美術館のHPから載せてみよう。(一部抜粋)

ベルリンを拠点にグローバルな活躍をする塩田千春は、記憶、不安、夢、沈黙など、かたちの無いものを表現したパフォーマンスやインスタレーションで知られています。
副題の「魂がふるえる」には、言葉にならない感情によって震えている心の動きを伝えたいという作家の思いが込められています。
「不在のなかの存在」を一貫して追究してきた塩田の集大成となる本展を通して、生きることの意味や人生の旅路、魂の機微を実感していただけることでしょう。

「不在のなかの存在」なんて哲学的だわ!
一体どんな作品なんだろう?
森美術館では一部の作品を除いて、ほとんど撮影が可能なんだよね。
クレジット表記のルールを守れば、ネットへのアップもOKとのこと。
良い美術館だよね!(笑)
それでは気になった作品の感想をまとめていこう。
通常は展覧会の順路通りに作品を載せることが多いけれど、今回はなるべく作品の制作年順にしてみようかな。
理由は後ほど明らかになるであろう。

オーストラリアで留学中だった1994年の作品である。
「絵になる夢を見た」という塩田が、アクリル絵の具をかぶり、初めて身体表現に挑んだという。
そもそも自分自身が絵になるという発想が変わってるよね。(笑)
そして選んだ絵の具の色が赤というのも、血みどろのスプラッター状態にしか見えないし。
奇をてらう、というよりも死にたい気持ちを表しているように感じるんだよね。
この時塩田は22歳。
病んでいるようにみえるなあ。

1997年、ハンブルク美術大学時代の作品である。
アクリル絵の具をかぶった次には、泥水に浸かるパフォーマンス!
塩田千春、体張ってるよねえ。
泥の中で、塩田千春は何を思ったんだろう。
そしてまたこの行為も「死」を連想させるよ。
死人になりきることで、次のステップに進んだんだろうなあ。

1997年、ブラウンシュバイク美術大学在学中のパフォーマンス。
4日間断食した後、行ったのが全裸で斜面に掘った洞窟によじ登り、転げ落ちてはまた登ることを繰り返す行為だったという。
カミュの「シーシュポスの神話」を思い出すなあ。

カミュはここで、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出した(Wikipediaより)

またもや体を張って頑張る塩田千春。
内面の苦しみを体で表現した感じなのかな。
観ているほうまで苦しくなってしまうよ。

1999年のパフォーマンス。
自宅のバスルームで泥をかぶり、拭いきれない皮膚からの記憶を表現しているという。
ドイツに住み始めて3年が経過していたらしい。
皮膚からの記憶ってなんだろう。
日本人である存在を意味しているのか。
今まで生きてきた自分自身ということなのか。
はっきりは分からないけれど、今の自分をあまり好きではない状態だったように見えるよ。

泥と皮膚というのがテーマだったようで、上の作品と同年に制作されたインスタレーション。
体の不在を表すドレスは泥にまみれ、上部に設置されたシャワーでも皮膚の記憶を洗い流すことはできない、ということらしい。
ドレスは7mもあるとのこと。
目の前に泥まみれのドレスが出現したら、かなり迫力あるだろうな。
先日鑑賞したボルタンスキーにも、日を追うごとに電球が消えていくインスタレーションがあったように、時間経過を含んだ作品なんだろうね。 

黒や赤の糸を空間全体に張り巡らせたダイナミックなインスタレーションが、塩田千春の代名詞とのこと。
その片鱗が見えたのが1996年の「意識へ戻る」なのかもしれない。
使用されている材料は黒い毛糸、ガラス管、血。
血って一体何の血よ?
毛糸に血液入のガラス管を括り付けてるのかな。
心のモヤモヤした状態を表しているように見えるよ。
毛糸はこれからずっと使用していく材料になるんだね。

2010年のパフォーマンス。
ここでも塩田千春は、血を使ってるね。
血が連想させる家族や民族、国家、宗教などの境界を壁に喩え「その壁を超えることのできない人間の存在」を表現したという。
塩田千春の言葉をそのまま書いていると、「〜できない」という表現が多いことに気付く。
ここらへんがネガティブ思考というのか。
だからこそ表現できるとも言えるのかもしれないけど?
この作品の時、塩田38歳。
まだまだ全裸で頑張ってるよ!

この作品は、フィリップ・モリス.K.K.アート・アワード2002大賞受賞作とのこと。
糸がまるで繭のように人間を包み、人が眠っている姿は莊子の「胡蝶の夢」のように、夢と現実の間にいる世界を表しているという。
分かるような分からないような文章ですな!(笑)
ドイツで3年の間に9回引っ越しをし、自分の居場所を探していたという塩田。
安寧の場所は繭の中、と夢想したんだろうか。
そしてそんな状況になっても、日本に帰ろうとは思わなかったのか。
どうしてもドイツに留まる必要があったのかな。
作品から安心感は全く得られず、SNAKEPIPEは蜘蛛の糸を連想してしまった。
絡め取られて生贄になるイメージね。(笑)

燃えるような赤色の世界。
かなり大きなインスタレーションで、枠組みだけの船がいくつあっただろう。
この船は棺か、それとも魂の容れ物か。
そこから湧き出て上へ、上へと昇っていくのは、魂ではないのだろうか。
もしくは血管なのかも?
そんな想像をしながら会場を歩く。
どこを見ても赤が目に入る。
一体どれだけの毛糸が使用されているんだろう。
ここまで糸を張り巡らせるのは大変だったろうなあ。
言葉がなくても、見た瞬間「うわっ、すごい」と感じることができる。
これこそ現代アートだなあ!

次は黒の世界ね。
燃やされた(?)椅子やピアノに黒い糸が張り巡らされている。
これはイタリアのテキスタイルメーカーであるアルカンターラ社製の糸で、見た目がゴムっぽい感じだった。
赤が生なら、黒は死なのか。
かつてこの世の生を受けていた人たちの、想念が揺らめいているようだったよ。
なんとも言えない異様な雰囲気に圧倒される。
この作業に携わったスタッフの方は、悪夢にうなされたりしなかっただろうか?

古い木枠を並べたインスタレーション。
旧ベルリンで廃棄された木枠を使用したみたいね?
一つ一つに、それぞれの家の歴史があるんだよね。
塩田千春のインスタレーションは、コツコツと小さな作業を積み重ねていった結果、巨大な作品が完成しているパターンが多いみたい。
「個」が「群」になると、存在感が増して迫力が違うんだよね。
木枠の内側に入ってみると、閉塞感で息が詰まりそうだった。
多様な記憶の洪水に飲み込まれそうになったのかもしれないね。

最後の作品も「群」物ね。
これはROCKHURRAHが動画で撮影してくれたよ!

作家名/作品名:塩田千春《集積-目的地を求めて》この写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 – 非営利 – 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています
旅行かばんが赤い糸で吊るされている。
低い位置から徐々に高い位置へと連なっている。
バッグが揺れるんだよね。
まるで中に何か入っているみたい。
それは持ち主の記憶や念なのかもしれない。
まるであの世へ旅立つような印象を受けたよ。

塩田千春展はとても見応えがあった。
自分の存在とは何か、生きる目的を知るために苦しみ続けていた様子が表現されているように感じた。
作り続けながら、頭の中ではきっと様々な想いが巡っていただろうな。
かなり根気のいる作業を続けていて、努力家だなあとも思った。
こうした作品は、とても女性的に映るし、実際女性のアーティストが多いんじゃないかな。

2019年5月に鑑賞した東京都現代美術館の「百年の編み手たち〜ただいま/はじめまして」で鑑賞した、手塚愛子を思い出す。
手塚愛子もドイツ在住のようで、そんなところまで似ているとはね?
ドイツは住みやすいのかなあ。
移住を考えるか?(笑)

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