ふたりのイエスタデイ chapter18 /JAPAN

20200412 02
【JAPANのアルバム 「Tin Drum」】

SNAKEPIPE WROTE:

2020年2月に「ふたりのイエスタデイ chapter17 /Sigue Sigue Sputnik&RUN DMC」 を書いてから、
「一番最初に行ったライブはなんだろう」
と思ったSNAKEPIPE。
先週書いた「ROCKHURRAH紋章学 アルコール・ボトル アーティスト編」でも、POGUESのライブに行ったことを思い出したり、過去には意外と「来日公演」に行っていたからね。
じっくり考え、遠い記憶をたどってみる。
「そうだ!JAPANだ!」

動画を載せたのは、恐らくSNAKEPIPEが一番最初にJAPANを見たであろうプロモーション・ビデオ。
「Life In Tokyo」は1979年の曲だって?
今から何年前かと考えると恐ろしい。(笑)
2015年2月に書いた「ふたりのイエスタデイ chapter07 / Duran Duran」でも登場した「火曜日だったか水曜日の夜7時から始まるローカル番組」で、見たんだよね!
この番組は司会者が進行役となり、独自のセレクションでプロモーション・ビデオを流していた。
リクエストにも応じていて、JAPANはよく流れていたっけ。
このちょっとモヤがかかったような白っぽいバックに、ハレーションが起きているような強いスポットライトに浮かび上がる前髪長めのヴォーカリストの映像は、何度も見たよ。
いつもリクエストが一番最後だったので
「それでは皆さん、また来週!」
と司会者が言った後、ほんの何十秒かだけ映像が続き、CMで終わってしまう。
そのため、今回初めて全編を視聴したよ。(笑)

ここまで「JAPAN」と何度も書いているけれど、「日本がどうしたって?」と思う人も多いかもね?(笑)
「JAPAN」というのは、1974年にヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンを中心にイギリスで結成されたバンドなんだよね。
「なんとなくJAPANという響きが浮かんだだけ」(Wikipediaより)という、あまり意味のない理由により、バンド名を決めたというデヴィッド・シルヴィアン。
イギリスではパッとしなかったのに、日本では大人気!
バンド名も親近感を増す要因だったのかもしれないけど、なんといっても女子が好んだのはそのルックス。
まるで少女漫画に出てきそうだもんね!
JAPANの曲はほとんどデヴィッド・シルヴィアンが作詞・作曲していたことも、今回初めて知ったよ。
ギターもピアノもこなすし、天は二物も三物も与えてるじゃないの!
何故か写真家・作家の藤原新也と親交があり、以前藤原新也のHPで一緒にモーターボートに乗っている画像を見たことがあるよ。
アルバムのジャケットに藤原新也の写真が使用されているんだって。
バンド名だけじゃなくて、実際に日本との関わりも深いみたいだね。

JAPANのベースはミック・カーン。
ミック・カーンのベースは、一度聴いただけで特徴をつかむことができるほど。
うねるような音なんだよね。
何か奏法名があるのかもしれないけど、ミック・カーン以外でこんなベースは知らないよ。
ジャズとかフュージョンで使われることが多いフレットレス・ベースをロックの世界で個性的に使ったのがミック・カーン、ということになるみたいだね。
真っ赤な髪で真っ赤なスーツ、ギロギロした目!
一見強面に思えるのに、実は猫好きだって。(笑)
さすが猫がいっぱいいるキプロス出身だけあるよね。

上に載せた「Visions Of China」が発表されたのが1981年。
同じ年に日本で出版された「MUSIC LIFE」新年号の表紙を飾るJAPANのメンバーだよ。
メンバーについて、ヴォーカルとベースしか書いていなかったけれど、この画像をもとに少し説明してみよう。
上の左がドラムのスティーブ・ジャンセン。
中央にいる金髪のデヴィッド・シルヴィアンの実弟なんだよね。
並んで写っている画像によっては、似て見えることもあるよ。
言われないと分からないことが多いかも?(笑)
上の右はミック・カーンでしょ。
下の左がキーボードのリチャード・バルビエリ。
モノトーンの服装が多い印象があるよ。
口紅も黒かったしね?
下の右がギターのロブ・ディーン。
2015年8月にROCKHURRAHが書いた「ロックンロール世界紀行 Transit05」によれば、この頃の「MUSIC LIFE」にJAPANが登場することが多かったという。
表紙だったりグラビアで特集される、とかね。
そうしたことも日本での人気につながったんだろうね。

JAPANの初来日は1979年で、最初から日本武道館で公演を行っている。
恐らく当時の最大収容人数を誇る会場が日本武道館だったんじゃないかな?
チケットが完売できるほどの人気だったってことだもんね。
SNAKEPIPEは、その時代より少し後輩にあたるので(笑)、ライブを観たのは1982年の武道館だよ。
チケットが余ったから誰か行かない?と学校の先輩から誘われ、実はあまりJAPANを知らないのに思わず手を上げてしまったんだよね。
そのチケットはとても良い席で、1階席の前から数えたほうが早いようなステージに近い席だった。
曲を聴くというよりも、 メンバーの顔を見に行った、という感じかな。(笑)
一番人気はヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンだけれど、実際にステージを観たSNAKEPIPEに強いインパクトを与えたのはミック・カーンだった。
笑いながら瞬きをしない鋭い目つきで軽いステップを踏み、ベースを弾く。
ステージを右に左へとカニ歩きする様は、今でもはっきり覚えているよ。
そのミック・カーンは2011年にガンのため亡くなっている。
52歳じゃ若過ぎるよね。

今回JAPANについて調べていたら、思っていたよりも多くの曲を知っていたことが分かったよ。
そのうちの1曲がこの「Adolescent Sex」(1978年)だった。
曲は聴いたことがあったのに、JAPANだとは知らなかった。
初期の頃はロック色が強かったんだね。

JAPANは1982年に解散している。
SNAKEPIPEが武道館に行った翌年ということになるね。
一度でも実物を観られて良かったよ!

JAPANは、遅過ぎたグラム・ロック、早過ぎたニュー・ロマンティックという微妙な立ち位置のバンドだったのかな。
デヴィッド・シルヴィアンの知的さと美意識のためなのか、ヒット・チャートを独占するようなキャッチーな代表曲には恵まれなかったのかもね。
ただし、それは音楽性の高低についての話ではない。
恐らくJAPANは様々なミュージシャンに影響を与えているバンドには違いないし、いわゆる美形ビジュアル系バンドの元祖だろうね。
今回改めて振り返り、そんなことを思ったSNAKEPIPEだったよ!

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