ふたりのイエスタデイ chapter17 /Sigue Sigue Sputnik&RUN DMC

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【一世を風靡したレコード】

SNAKEPIPE WROTE:

ROCKHURRAH RECORDSでは、何かしらの作業をする時にラジオを聴くことが多い。
何かしらの作業とは、皿洗いや掃除などの家事や、趣味のミシンを踏んだりする時のことだ。
見た目とは違って、意外とマメに色々やってるんだよね。(笑)
そんな時、重宝しているのがインターネットラジオである。
iTunesのインターネット・ラジオでお気に入りだった、80’sニューウェーブやパンク専門チャンネルが次々とサービスを停止してしまったのは、非常に残念。
インターネット・ラジオの仕組みがよく分からないんだけど、個人が独自にサービスとして提供しているものなのかな。
コマーシャルが途中で入る番組の場合は、広告収入を得ていることが分かるけど、曲だけをかけているチャンネルもあるからね。
今回サービスを停止したのは、広告収入を得ていないだろうと思われる種類のチャンネルだったから、仕方ないのかもしれない。
少しでも好みの曲がかかるチャンネルを探して聴いている今日このごろである。

先日もまたインターネットラジオを聴いていると、非常に懐かしい曲が流れてきた。
ジグ・ジグ・スパトニックの「Love Missile F1-11」である。

このビデオが1986年のものらしいけど、当時の近未来像がよく分かるよね。
ブレードランナー(原題:Blade Runner 1982年)」の世界観と「マッドマックス(原題:Mad Max 1979年)」のイメージを合体させたみたいだもんね。(笑)
改めて鑑賞すると、ジグ・ジグ・スパトニックのメンバーは、まるでフィギュア人形みたいな出で立ち。
「Love Missile F1-11」はループするリズムに、ほんの何フレーズかのセリフが入るシンプルな曲だけれど、耳に残る。
メンバーのど派手なルックスもあり、かなり話題になったものだ。

ジグ・ジグ・スパトニックのデビューは華々しかったんだよね。
記者会見の模様をテレビで見た記憶があるよ。
「デビューにあたって」なのか「シングル曲をリリース」だったのか、会見の主旨については覚えていない。
ただメンバーの誰かが、タバコのマルボロの煙を全く吐かずに吸っていたことが強く印象に残っている。 
イギリス人がマルボロを吸ってるということと、吸った煙の行方が気になったんだよね。(笑)
そして「何か新しいことが始まりそう!」と思ってワクワクしたっけ。

ジグ・ジグ・スパトニックは元ジェネーレーションXのトニー・ジェイムスが中心となって結成された。
ジェネレーションXといえば、ビリー・アイドルがヴォーカルだったパンク・バンド!
ポップな曲調とバラード曲が多いのが特徴だったバンドだった。
バンド解散後、ビリー・アイドルはソロとして、トニー・ジェイムスはジグ・ジグ・スパトニックとして活動を続けたってことだね。
一発屋だと思われているジグ・ジグ・スパトニックだけど、当時もう1曲流行った曲があるんだよ。

基本的なラインは変わらないんだけど。(笑)
「ブレードランナー」を意識しまくってるおかげで、カタカナの文字が踊ってるね。
この2曲ですっかりファンになってしまったSNAKEPIPE。
LPも12インチのレコードも購入し、聴き込んだものよ。(遠い目)

そして日本公演が発表され、すかさずSNAKEPIPEは長年来の友人Mとチケットをゲット!
会場がどこだったのか忘れてしまったけれど、1階の前から2列目だったか3列目という絶好のポジションだったんだよね!(笑)
聴くというよりは、メンバーを観たいと思っていたので、来日公演を楽しみにしていたのに…。
公演は中止になり、チケットは払い戻しになってしまった。
中止の理由について説明されたのかも覚えていないけれど、今調べてみると「観客の暴動に加え、メンバーが客席に瓶を投げたため、暴力的なバンドと見なされた」や「チケットの売れ行きが悪かった」などと書かれている。
実際の理由が何にせよ、公演が中止になり、SNAKEPIPEと友人Mは非常にガッカリしたよ。
どうやら2002年に来日しているようだけど、やっぱり80年代のキラキラした時代に観たかったよね!

喜び勇んでチケットを手にしたのにもかかわらず、来日が中止になった別の公演を思い出した。
それはRUN DMC
RUN DMCとは1980年代に一世を風靡したヒップ・ホップ・グループ。
1986年にリリースした「Walk This Way」が大ヒット!

ビデオにも登場しているエアロスミスの曲をサンプリングした、ロックとラップを融合させた曲なんだよね。
RUN DMCは音楽だけではなく、そのファッションも注目されていた。
スポーツウェアのadidasとゴールドのチェーンとカンゴールのハットを組み合わせたスタイルは、当時の日本でも大流行したっけ。
藤原ヒロシや高木完がヒップ・ホップ・グループ、TINY PUNXを結成したのもこの頃だったね。
最先端でオシャレな人はラップ系に傾倒していった。
当然のように若かりし頃のSNAKEPIPEも流行に乗っていたよ。(笑)
TINY PUNXの「建設的」も12インチ・シングルも持ってたなあ。
その当時のことを2008年4月に「ファッション雑誌なんかいらない!」という記事に書いているね。

実はRUN DMCは何度か来日公演を行っている。
ネットでの情報によれば、1986年のNHKホールが初来日みたいだね。
それ、行ったわ。(笑)
次に観に行ったのは、横浜の菊名の辺りだったように記憶しているけれど、わざわざ泊りがけにしたんだよね。
踊り過ぎてSNAKEPIPEが転倒する、なんてこともあったっけ。(笑)
SNAKEPIPEがノリノリになっていた曲は、確かこれ。

そして恐らく3回目の来日公演が中止になったような?
場所がどこだったのかまでは覚えていない。
そして中止の理由がなんだったのかも、はっきりしなかったような気がする。
今でもRUN DMCのCDは何枚か所持しているし、今聴いてもやっぱり好き!
ロック要素が強いし、ラップの声が良いんだよね。
ノリノリになり過ぎて、転ばないようにしないと。(笑)

RUN DMCは3人組のグループだけれど、2002年にスクラッチDJだったジャム・マスター・ジェイが射殺されるというショッキングな事件により、活動休止になったという。
そんなRUN DMC、つい数日前にテレビで観てびっくりしたよ。
2020年1月26日に行われたグラミー賞授賞式でのパフォーマンスとのこと。
エアロスミスと共演した、というニュースだったんだよね。
真ん中のスティーヴン・タイラーと左のDMCは、観てすぐに分かったけれど。
右の人は誰?(笑)
なんとRUNだったとは驚いちゃうね。
かなり体重が増して、全くの別人になっているもんね。
ちなみに上に載せた画像では、一番左がRUNだから、違いがよく分かると思うよ。
それにしても元気な姿を久しぶりに見て嬉しかったな!

今回の「ふたりのイエスタデイ」は、1986年にSNAKEPIPEが好きだった2つのグループを紹介してみたよ!
1986年って今から何年前よ?
34年前?
ひーーーー!(笑)

 

80年代世界一周 波蘭土編

【波蘭土は伝説的なバンドばかり】

ROCKHURRAH WROTE:

2019年の後半はブログを大々的にサボってしまってSNAKEPIPEに迷惑をかけたが、今年は少しは頑張って書いてゆきたいと思うよ。一応な。

全然関係ない話から入るが、BS12というチャンネルに個人的には大注目してて、ウチが(と言うかROCKHURRAH個人的なものが多いけど)懐かしいと思えるようなドラマをひっそり再放送してたりする。
何年か前の話。
大昔に大好きだった「傷だらけの天使」を再放送してるのに途中から気付いて録画してみたが、最初の数話が録れてなくてブルーレイ保存版が焼けない。こういうのは1話からちゃんと並べて焼きたいからね。そういう悔しい思いをしたのがこのチャンネルを初めて知ったキッカケだった。
子供から青年時代にかけて愛読してた「まんが道」のドラマ版を80年代にやってたのさえ知らなかったけど、それは運良く第1話から録画して観る事が出来た。 
運悪く完全に見逃したのが井上ひさし原作の珍しいミステリー「四捨五入殺人事件」。子供の時に原作を読んだ事あるから、他愛もない話ではあるけど、ドラマ版も観てみたかったよ。
さらに脱線するが井上ひさし原作のドラマでは、大昔に石坂浩二がやってた「ボクのしあわせ(モッキンポット師の後始末)」を子供の時に観てたので、どこかでそんなのを再放送してくれたら嬉しいんだが。
さらに海外ドラマもなかなかでドイツの大スケール・ドラマ「バビロン・ベルリン」、ウチでもシーズン1は観てた「ハンニバル」などなど、BS12偉い!と賛辞を惜しまないROCKHURRAHなのだった。
そして極めつけが大昔に楽しく観てた革新的ホームドラマ「ムー」の再放送。
同じく大好きで観ていたSNAKEPIPEと一緒に観る事が出来て嬉しいよ。
こんな時代にまた見れるとは偉い!BS12! 
などと大絶賛してBS12をここまで持ち上げてるROCKHURRAH RECORDSだから、いずれは番組プロデューサーの目にも留まるだろう(希望)。ぜひ続編の「ムー一族」もやって下さいね。 

何で突然こういう関係ない話になったかと言うと、その「ムー」の中で郷ひろみや登場人物の口ぐせになってるのが「一応な」というギャグなのか何なのかよくわからない受け答え。
これでやっと冒頭の文章につながったけど、うーむ、たったこの一言を説明するのに、ここまでの行数書いたのはROCKHURRAHくらいしかいないだろうな。

さて、久しぶりのブログだから何をやろうかと迷ったけど、今回は去年の3月以来やってなかった「80年代世界一周」という企画にしてみよう。
80年代ニュー・ウェイブの中でも、あまり多く取り上げられないような国のバンドに焦点を当てるというナイスな企画なんだけど、 これを専門的に語ってゆければ非常に有意義な記事になったに違いない。
が、そこまで英米以外のニュー・ウェイブに通暁してるわけでもなくて、偏った聴き方しかしてないROCKHURRAHがかなりいいかげんに書いてるので、真面目に研究してるマニアな人とは絶対に語り合えないレベルだよ。

今週は東ヨーロッパの波蘭土=ポーランドに焦点を当ててみよう。
世界一周などとシリーズ・タイトルつけた割には世界の歴史や地理、文化などには全く詳しくないROCKHURRAHだが、やっぱり頭の中にあった場所と地図のポーランドの位置が大きく外れていたよ。
大国ロシア(ソ連)とドイツに挟まれて、例えば国取りシミュレーション・ゲーム的に言えばかなり不利な立地だと言える。実際に過去にはその2つの国によって侵攻されまくってポーランドという国が消滅していた時代もあった、そういう悲惨な歴史が色濃く残る国という印象だ。
今回のブログのテーマはポーランドの80年代ニュー・ウェイブについてだから、政治的な事は抜きにして語りたいんだけど、80年代にはどうしてもまだ社会主義による規制が多かったのは確か。

ポーランドの民主化運動を弾圧するために1981年から戒厳令が敷かれ、「連帯」と呼ばれる労働組合(反共産主義)が取り締まられたり、夜間外出禁止などの規制があったという。民衆の力によって結局は民主化が進み、戒厳令は停止されたんだけど、81〜83年というのがちょうどその時期に当たる。
映画とかでよくあるように夜間外出で怪しいヤツと憲兵に見つかり、逃げたら銃殺・・・というほどではないとは思うけど、実際はどの程度の厳しさだったのか。
そういう戒厳令の中、どうやって彼らは音楽活動をしてたのか、その辺の知識不足は見てきたわけじゃないからわからないけど、まあ堅い話は抜きにして始めようか。

ポーランドと言えば真っ先に思い浮かぶのが首都ワルシャワ、国名よりも有名かも知れないね。
ワルシャワと言えばショパン、などと観光ガイドブックには書いてあるようだが、ROCKHURRAHの世代ではデヴィッド・ボウイの「ワルシャワの幻想」と答える人が多いだろう。
SNAKEPIPEだったら間違いなくボウイではなくスターリンかな?
昔から王道嫌いなROCKHURRAHだけど、80年代初頭くらいまでのデヴィッド・ボウイは一通りは聴いて影響は受けてるのは確か。ただ横顔がカッコいいジャケットの「Low」はちょっと苦手で眠くなる曲も含まれているな。
そこに収録されてる「ワルシャワの幻想」は大半がインストで短いヴォーカル部分は何語なのか不明の歌(ボウイ発案の言葉らしい)が入った名曲で、ジョイ・ディヴィジョンの元のバンド名もここからつけたワルシャワだった。
80年代のいつくらいだったろうか?吉祥寺にWarsawというレコード屋があったのを思い出す。
気になって調べてみたら1990年に開店とある。ROCKHURRAHの記憶もあやふやだな。
そこで一般的にはかなり無名だったベルギーのラ・ムエルテというバンドについて店員と話した時、勧めてきたレコードを全て、さらにそこに置いてないのもすでに持ってると言ったら「え?全部持ってるんですか?」と驚かれたのを覚えている。
これがROCKHURRAHにおけるワルシャワの連想なんだけど、ワルシャワという綴りも響きもいいね。

そんな憧れの地、ワルシャワ出身なのがこのバンド、Brygada Kryzysだ。
実は過去の記事「読めん!編」でも書いてたんだけど、ブリガダ・クリジスと書いてたサイトがあったので、それに倣ってみた。クライジズの方がしっくりくるけど。
パンク、ニュー・ウェイブ世代のポーランドを代表するバンドと言っていいだろう。
と言うより、少なくともその時代に日本の輸入盤屋でもレコードが見つけられた数少ないポーランドのバンドがこれくらいしかなかったんじゃないかな?
1979年に結成して80年代前半に活躍したらしいが、イギリスのフレッシュ・レコードというレーベルから出してたので日本でも少しは流通してたというわけ。
元々KryzysというバンドがあってそこからBrygada Kryzysになったようだが、どちらも共産主義のプロパガンダ・アート的なジャケットに魅力を感じながらも、個人的には素通りしてしまったのが悔やまれる。
フレッシュ・レコードから出てたアルバムは、倒れゆく文化科学宮殿(というイメージ)の横に、いかにも東欧系イケメンが立ってるというROCKHURRAH的には気になるジャケットだった。
いや、その当時は文化科学宮殿なんてものの存在を知らなかったから、エンパイアステートビルか何かだと思ってたに違いない。
実はちょっと前に「世界ふれあい街歩き」で知ったばかりの文化科学宮殿、スターリンが自分の威光を示すためにポーランドに建てたという悪名高き建造物で、地元の人間は貶しまくってたよ。そんなにイヤだったら壊してしまえばいいのにとも思うが、やっぱりもったいないのかね?
そういうスターリニズムの象徴のようなものをぶっつぶせ、と言ってるかのようなのがこのジャケットのコンセプトなのかな?と想像してみたよ。
がしかし、Kryzys名義のレコードはモロにプロパガンダ・アートみたいなのもあるし、「Komunizmu 」なんてタイトルもある。うーむ、ポーランド語も読めないし、反共産主義なのか支持派なのかよくわからんな。

その頃のポーランドはロックが盛んな自由な国ではなかっただろう(想像)けど、このバンドは一応英米にも通用する音楽性と見た目で、この国の音楽としてはかなり堂々としたものだった。
ちなみにポーランドを実質的に支配していたソ連のロックは、国が認めた国家公務員みたいな当たり障りのないロック・バンドもいたが、過激だったり思想的に反共産主義になるものは当然認められてなかったという事になるらしい。ポーランドもたぶん同じような政策だろうから、この手のバンドは反体制として抑圧されてたんじゃなかろうか。ポーランド人の友達もいないから本当は全然わかってないけど。

この曲ではないが、なぜかレゲエっぽい曲調もやってて、その辺はクラッシュやラッツあたりの影響なのかな。
上の曲「Wojna」はポーランド語で「戦争」の事だけど、本当の意味でこの国が自由を謳歌出来るような戦後になったのは日本よりずっと後になってからなんだよね。
うーむ、珍しくいいかげんじゃない方向に話を持っていけた気がするよ。

次もまたワルシャワのバンド、Dezerter。
普通に読んでデザーターかと思ったらデゼルテルなどとよそでは書かれてた。エレキテルみたいなもんか?

1981年にSS-20というバンド名で活動を始めたらしいが、SS-20というのは旧ソ連の核搭載中距離弾道ミサイル、Raketa Sredney Dalnosti (RSD) Pionerという物騒なシロモノ。
そういうバンド名は日本で言えば原爆オナニーズみたいなもんか。
この時代の映像が残ってるが、これは本当にアンダーグラウンドな通路の奥で演奏してるという、こちらが想像する通りの「戒厳令下のポーランドでの非合法地下演奏集会」みたいな感じだった。
観てないけど「ソハの地下水道」というポーランド映画を思い出したよ。それよりもずっと前にポーランドの著名な監督、アンジェイ・ワイダによる「地下水道」というのもあり、これまた未見。
その辺の影響が強いのかもね、などといいかげんな感想を書いてみたけど信用しないように。
SS-20はその後、さすがにバンド名がヤバかったのかDezerterと改名したらしいが、ポーランドの人気、実力No.1パンク・バンドだという。No.2は知らないが。

今では世界のどんな国の音でも手に入るかも知れないけど、80年代初頭にリアルタイムでポーランド盤のレコードは入手困難だったんじゃなかろうか。
聴いてみるとこれはまさに正統派ハードコア・パンクでポーランド語とも見事にマッチしている、と思いきや歌詞の最後に一拍置いて「オー」という掛け声、これでいいのかNo.1。
演奏が速く歌も速いハードコアの場合は、どこの国の言葉もちゃんと一応それっぽく聴こえてしまうという錯覚効果があるからね。
試しにROCKHURRAHが定番としている各国語によるブログの締めくくりフレーズ「ではまた、ド・ヴィゼーニャ(ポーランド語で「さようなら」)」のド・ヴィゼーニャをこの曲で連呼してみてもたぶんそれなりのはず。

ビデオでは地下活動してるはずのバンドが(勝手な想像)こんなにたくさんの聴衆の前で堂々と演奏してて映像もちゃんとしてる、と思ったらこれはポーランドのヤロチンというちょっと笑ってしまう町で開かれる大規模な野外ロック・フェスティバルでの模様を収録したものだった。
木場公園の木場ストック(ウッドストックにかけた情けない野外フェス)よりはずっと面白そうだな。

こちらはワルシャワの西300kmほどにあるポズナン出身のLombardというバンド。
ポズナンは古くからある都市だという事だが、カラフルな壁や屋根がきれいなおとぎ話の街のような感じだね。
首都ワルシャワと同じく戦火にさらされたけど街並みは復元されていて、昔のまんまを残そうという住民たちの熱意に頭が下がるよ。こういうのが本当の民度の高さというものだね。
さて、そんな美しい街の出身であるLombardは1981年に結成、現在もまだやってるというから相当に息が長いバンドだ。
これもまた普通に読めばロンバードなんだけど、上のデゼルテルみたいな感じでロンバルドなどと言うのかな?
紳士服のメーカーとかでありそうだよね。ビジネスマンの強い味方、防水、防汚、防臭、防シワ加工がほどこされたロンバードの高級スーツ、とか。

このバンド、本来はたぶんニュー・ウェイブでも何でもなくて古臭くて垢抜けない(今どきあまり言わない表現)男たちのパッとしないバンドだったんだろうが、なぜかその頃目新しかったパンク、ニュー・ウェイブ系の美女に歌わせてみたら思いのほか成功したというパターン。しかもこのバンドはもうひとり歌姫を擁してるんだよね。
失礼な言い方なのを承知で言えば、こういうロックの後進国に限らずイギリスでもアメリカでも垢抜けない男たちに囲まれた歌姫という形態のバンドが割とあるような気がする。レコード会社が「あんたたちのルックスでは売れそうにないから歌手志願のこの娘と一緒にやればデビューさせてやろう」みたいな戦略もあるだろう。
ダサいバンドが美人を誘ったらうまくヴォーカルになってくれたって話もあるにはあるだろうけど、こちらのロンバードはどうなのかね?日本語の情報が全くないのでその辺は全て想像ね。 

Małgorzata Ostrowskaという(読めん)ヴォーカル女性の見た目はかなり頑張ってるけど、バックバンドのどうでも良さが漲っててかわいそうになってしまうよ。
「パッとしないかも知れないけど楽曲作ったのは俺たちなんだよ」などと言い張るかも知れないが、うーん、もう少しセンスのいいバックバンドと出会ってたらMałgorzata嬢もポーランドを代表する歌姫になれたかも。

お次はこちら、ワルシャワの南に位置するプワヴィという工業都市出身のSiekieraというバンド。
うーむ、日本語にすると「斧」というバンド名なのはわかったが、カタカナで書いてくれてるサイトが見つからないのでROCKHURRAH得意の「読めん!」だよ。たぶんみんな自信を持って読めんに違いない。
普通に読むとシェキエラなんだろうが、どうせまた違うんだろうな。

京都のJet Setというレコード屋はROCKHURRAHも何回か行ったことあるけど、そこのコメントでは「’80s欧州最大級の音楽フェスJarocin Festivalでも多くの観客を沸かせた伝説のバンド」と評されているな。
おお、デゼルテルの時にも出てきたヤロチン・フェスね。
しかし「伝説の」などと書いてはいるものの当時の日本で紹介されてたのかね?数少ないマニアはいたんだろうけど、いつ、いかなる時に伝説となったのか知りたいよ。

どうやら初期はOi!スキンヘッドとハードコア・パンクの折衷みたいなバンドだったとの事だけど、同名の別バンドじゃないかと思って調べてみたら、やっぱり同じバンドらしい。うっそー、初期と後期で見た目と音楽性が全く違うのにビックリだよ。レコード・デビューした時にはすでに後期のサウンドになっていたと言うべきか。本当なのかな?

上の方のビデオの曲「Misiowie Puszyści」は1986年に出た1stシングルのB面の曲。
日本語に訳すと「ずんぐりしたクマ」などと、ほのぼのしたタイトルだが副題の「Szewc zabija szewca」は「靴屋は靴屋を殺す」という意味不明のもの。確かに聴けばそんな感じだね(いいかげん)。
鋭角的なギターと呪術的な歌、イギリスの暗めのバンドのエッセンスも取り入れた、この時代のポーランドとしてはかなり通好みの音楽。チープだけど「いかにも」な場所で撮影されたビデオも雰囲気にバッチリ合ってるね。
イギリスやドイツのダークなパンクが好きだったら気に入るかも。
しかし上のハードコアと同じバンドなのか?今でも信じられんぞ。 

ポーランドのロックだとかニュー・ウェイブ時代の事情をさっぱり知らずに書いてるから、最も重要なバンドをすっ飛ばして書いてたりするのは当たり前。そういう知らぬもの勝ちな態度で書いてきたけど、最後はこのRepublikaだ。
これはどう考えてもリパブリカで読み方間違ってないよな。
そして、どうせまたポーランドの伝説的なバンドなんだろうなあ。
共和国という意味のバンド名で多くの共和国はナントカRepublikaとなるが、ポーランドだけはRzeczpospolitaという特殊な単語が使われた共和国になる。何でかは不明だし今知ったけど明日には忘れる知識だなあ。 

Republikaはワルシャワ北西のトルンという世界遺産の街出身で、1981年くらいから活動してるとの事。
とても有名なポーランドのバンドらしく、英訳された歌詞まで載ってるビデオもあったしトリビュート・バンドまで存在してるそうだ。
ビデオももう少し凝ってて面白いものもあったんだが、これはデビュー曲の「Kombinat」でおそらくライブ風景という珍しいもの。原曲は1983年リリースだがたぶんその頃の映像だと思う。
日本でも使うコンビナートという言葉、元はロシア語だったのも今、調べて初めて知ったよ。
ブログの内容によるけど、何かわからないものに対して調べる事によって少しは何かの知識を得る。
人から教えられた事よりもその方が後に残る記憶になるね。 

ヴォーカルがキーボードの割にはテクノやシンセポップの要素は特になく、初期ニュー・ウェイブ時代の簡素なアイデアをそのまんま楽曲にしたような懐かしい感じがするよ。歌い方や曲調はヒカシューに似てると横でSNAKEPIPEが言ってたが、見た目の割には結構情感たっぷりに歌い上げるタイプ。なぜか真上からのカメラアングルもライブ映像としては斬新。
結構、芸達者なヴォーカルらしくて途中からキーボードをフルートに替えて熱演してるさまがロキシー・ミュージックに途中から参加したエディ・ジョブソンを思い出す。あっちはキーボードからヴァイオリンに持ち替えてのソロ・パートだったけど。

以上でポーランド編は終わりとするが、動画のないバンドは敢えて取り上げなかったから、かなり偏ったものとなったのは間違いないよ。この国のパンクやニュー・ウェイブなら任せろというほど詳しい国はないから、今後もこういう姿勢になるのは間違いないね。

それでは皆さん、風邪やインフルエンザに気をつけて。
ド・ゾバチェーニャ(ポーランド語で「ではまたね」) 

ニッチ用美術館 第5回

【なぜか前よりも貧相になったオープニング映像】

ROCKHURRAH WROTE:

2017年の春から始めた新企画「ニッチ用美術館」なんだが、トップ画像を動画にするのがちょっと面倒な事もあって、なかなか新しい記事が書けないでいる。要するに記事の下準備に時間がかかるってわけね。

ちなみにタイトル見ればあのTV番組のパロディなのはすぐにわかるが、何でニッチなの?という説明が毎回必要なのがさらに難点。 まあ前回までの記事の冒頭にしつこく説明が書いてあるので律儀に読んでもらえればウチの方針もわかるだろう。
で、やってる事はROCKHURRAHの得意分野、70年代パンクや80年代ニュー・ウェイブの時代のレコード・ジャケットを展示して、それをアート的視点から語ってみようという試み。
しかし語るほどアート界に詳しくないというパラドックスに満ち溢れた記事になっていて、何だかよくわからん趣向になってるな。これがROCKHURRAHの底の浅いところ。

では時間もあまりない事だし、早速第5回目の展示を見てみるか。

ROOM1 鑵詰の美学

チャプターのタイトルが第2回から、なぜか普段使わないような難しい漢字でやるようになってしまったんだが、それを考えるのが面倒になったのでまた通常の読み書きが出来るタイトルに一部戻す事にした。そこまで面倒を苦にするタイプじゃなかったんだけど、最近個人的に週末にあまりヒマがなくてね。
日常的に鑵詰と書く人はあまりいないと思うが、普通は缶詰でコトが足りるよね。自分でもこの鑵の字は書かない(書けない)なあ。
同じような意味なら罐という漢字の方がもう少しポピュラーな気がするけど、あえて一般的ではないはずの鑵にしてしまった。
止せばいいのに調べてしまったら林芙美子や泉鏡花などもこの鑵詰を使用していた模様。

ROCKHURRAH家ではほとんど缶詰を食べないので、缶切りは昔ながらの安っぽい手動のものしか使わない。フチに引っ掛けてキコキコ上下に切ってゆくタイプね。何十年使ってる?というほどの年代物だけど何も問題ないよ。
ツナ缶やフルーツ缶などプルタブで引っ張って開ける形式のが増えたからか、最近では缶切りを使えない若者が増えているという話を聞いたのがすでに何年前なのか?
実はSNAKEPIPEも瓶や缶のフタを開けるのがあまり得意ではないんだけど、これは使い方知らないわけじゃなく単に腕力なさすぎなだけ(笑)。 

ちなみにこの缶詰というシロモノ、発明されたのは19世紀初めらしいが、これを開けるための缶切りが登場するのはそれから数十年経ってからの話だと聞いた事がある。それまではかなりバカっぽい開け方をしてたんだろうな、と想像するよ。斧で叩き割る、とか大鋏でぶち切るとか、銃で撃ち抜く、とかそういう開け方したんじゃなかろうか?
開ける時の苦労を全然考えずに発明者は「缶に入れる事によって保存が出来た、ワハハ便利!」などとはしゃいでたんだろうな。

さて、このどうでもいい導入部から鑵詰、鑵入りをテーマとしたジャケットになるのはミエミエだが、それ以前にジャケット写真を展示したから見れば一目瞭然だったな。
レコードのジャケット・アートという観点からはどうかな?とは思うけど、映画のフィルムを入れる缶のような形態で発表されて音楽界を驚かせたのが、パブリック・イメージ・リミテッド(PIL)の2ndアルバム「メタル・ボックス」だ。

「(パンク)ロックは死んだ」という有名な発言でセックス・ピストルズを脱退したジョニー・ロットンが本名ジョン・ライドンに戻りスタートさせたのがPILだった。
パンク・ロック以降のニュー・ウェイブの中で、既存のジャンルに当てはまらないような音楽をポスト・パンクと後の時代には言うようになったようだが、この時代に生まれた「何と呼べばいいのかわからない音楽」はみんなが勝手に何か名付けていたような感じだった。
ジョニー・ロットンの「ロックは死んだ」発言やワイアーの「ロックでなければ何でもいい」みたいな発言は一人歩きして様々な音楽論が交わされたけど、そこまで深読みしなくても、単純に昔のようなロックをやらないという意味合いでいいんじゃなかろうかと思うよ。パンク以降に生まれた音楽は何かの影響を足したり引いたりして自分なりのスタイルを作り上げてきたわけだからね。

パンクの大スターだったジョニー・ロットンのバンド、PILはセックス・ピストルズとは全然違った方向性で初期ニュー・ウェイブの時代に衝撃を与えたのは間違いない。
その2ndアルバム、1979年に発売された本作「メタル・ボックス」は缶に入った状態で売られているという見た目のインパクトが大きく、話題性も抜群だったな。
映画のフィルム入れる缶みたいだと連想したが、実は地雷をイメージしたものだったらしい。うーん、どっちも現物を見た事ないから何とも言えないな。

缶の中身はLPではなく12インチ・シングル3枚組という構成。
LPよりも高音質だという事でパンク以降に急速に普及した12インチ・シングル。
多くのバンドが7インチと12インチの両方を同時リリースして、12インチの方には少しボーナス・トラックをつけるという手法がポピュラーになったのも70年代後半からだったね。
ROCKHURRAHはどちらかというとパンク・ロックの象徴のような7インチ・シングルに魅力を感じて、こればっかりを集めてたけど、収納場所を考えれば全部12インチで統一した方が良かったのかも。
ちなみにレコードを缶に入れて発売するというアイデア自体はPILより前にもあったようで、グラモフォンというレコード会社がすでに1971年に商品化していたようだ。
が、ROCKHURRAHの全く興味ないような古いロックのものだったので知りもしなかったよ。

後にLPレコード2枚組として発売されたけど、同じレコードでこのようにコレクターズ・アイテム盤と通常盤みたいに発売する手法もこのレコードくらいから登場したように思う。そういう意味でもPILは先駆者だったんだろうね。

収録曲の中でも有名なのがこの「Swan Lake」、訳さなくてもわかる通り「白鳥の湖」を大胆にアレンジしたPILの初期代表曲でもある。シングルの時はなぜか「Death Disco」となってたな。
「地を這うような」とよく評されるジャー・ウォブルの重低音ベースラインと金属質なキース・レヴィンのギター、そこにジョン・ライドンのグニャグニャなヴォーカルが加わったPILの音楽は当時としてはとても斬新なものだった。
こういう音楽はポスト・パンクという言葉がまだ一般的でなかった時代にはオルタナティブという括りで語られていたように記憶する。
もちろん、90年代によく言われてた「オルタナ系」とはニュアンスも違うし、この当時は「オルタネイティブ」とみんな言ってた気がするよ。
この後にイギリスの新しい音楽はよりポップになる路線とこのように従来とは違う刺激的な音楽になる路線、PILやスリッツあたりから分岐されてゆきパンクもニュー・ウェイブも多様化していった。
普通だったら売れない路線でもそこそこの知名度や評価を得る、その先駆けになったバンドとしてPILの残した功績は大きいと思うよ。

ROOM2 渺乎の美学
通常の読み書きが出来るチャプター・タイトルに戻すとさっき書いたばかりなのにまた一般的じゃない小難しい表現にしてしまう。この辺にまだ迷いが感じられるな。
渺乎と書いて「びょうこ」と読む。
大変小さいさま、という意味合いらしいが昔の物書きでもない限り、たぶん使わないだろうな。ROCKHURRAHもこんな言葉を今まで使った事がないよ。
 
狭い日本の狭い部屋を考えたら電化製品でも何でもコンパクトになってゆくのは自然の流れ、というわけで1980年代以降はずっとその傾向になってきていたのは間違いない。
特に身につけて持ち運ぶものは小型化・軽量化が必須となっているのは皆さんご存知の通り。

最近では知る人も少ないけどMD、ミニディスクが90年代に登場した時にROCKHURRAHは飛びついて購入した。
フロッピーディスクをちょっと小型にした手のひらサイズが気に入ったのと、カセットテープよりは劣化が少なそうに感じたから、録音出来るソニーのMDウォークマンを持ってたよ。
当時持ってたMacはHDDの容量がとても少なくて、音楽だの映像だのを中に貯め込む事が出来なかった。
Macで録音したレコードを波形編集ソフトで編集、それをさらにMDに録音・・・などというかなり面倒な事を喜んでやってた記憶があるよ。よほどヒマだったのかねえ? 

スマホとかは軽量化も必要だけど、より大画面でより高性能というユーザーのわがままに翻弄されて、一定の大きさから脱却出来なくなってるのが実情だね。
映画「ズーランダー」で馬鹿らしいくらいの小さな携帯電話が出てきて笑ったけど、小型化を突き詰めるとああいうギャグにしかならない。シャレで実現化するメーカーがあったら一瞬だけでも話題になるだろうね。
SFやアニメにあるように目の前の空間がディスプレイになって・・・などというのが実現するかどうかは科学知識のないROCKHURRAHにはわからないけど、もっと違う新しいテクノロジーも生まれる可能性はあるだろうね。 

さて、これもまたジャケットアートについて語る「ニッチ用美術館」の主旨とは違うけど、レコードを聴くという根本的な事をとってもニッチに展開した功績により、ここに紹介したいと思う(偉そう)。
上のジャケットだけを見ても何だかよくわからん普通の感じだが中身はこうなってるのさ。

90年代くらいを知る人ならシングル盤のCDで8センチのものがあったのを覚えているだろう。いつの間にか消えてしまって見なくなったけど、あれを彷彿とさせるこの代物は実は小さなレコード盤なんだよね。そして左上にあるのがこのミニミニ・レコードを再生するための専用プレイヤー。
実用的じゃなくても意味不明の小さいポケットがついた服とか見ると「かわいー」と気に入ってしまうSNAKEPIPEだったらこれを評価してくれるだろうか?

このレコードを聴く事だけのために作られた小型プレイヤー、そしてこの小型プレイヤーでしか再生出来ない(試してみたわけでないから詳細は不明)小型レコード。この組み合わせ以外には全く意味をなさないシロモノという点で現代アート的手法と言えるんだろうか。
とにかく「誰にでも等しく体験出来る」という事に対するアンチテーゼなのかは不明だけど、問題作なのは確かだね。ROCKHURRAHの解釈は陳腐だね。

Die Geniale Dilletanten(天才的ディレッタント)というダダイストのグループを主宰していたヴォルフガング・ミュラーによってベルリンで誕生したDie Tödliche Doris(ディー・テートリッヒェ・ドーリス)、芸術活動の一環としてバンド形式のパフォーマンスを行っていた三人組だ。
ウチのブログでも何度も書いてきたノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)の中でもとびっきりの変わり種として名高い。
このレコードのセットもコレクター心をくすぐるユニークなものだが、他の作品でも別々にリリースされた2枚のレコードを同時にかけると第3の音楽が現れる、とか音楽そのものよりも現代アート的「こけおどし」みたいなものが話題となっていたね。
日本では「致死量ドーリス」という漫画のおかげなのか、バンドの予想を超える知名度を得たけど、漫画の読者が彼らの音楽を理解出来たか(聴いたりしてたのか)どうか不明。ちなみに昔は古本屋で働いてたから買い取りやクリーニングはしてたROCKHURRAHだけど、漫画は読んだことない。

ノイズと不協和音による破壊的で即興的な演奏をするバンドは山ほどいて、個人的に心地良いノイズもあれば不快なだけのノイズもある。そういう音楽は全くダメって人の方が世の中の大多数だとは思うけど、アーティストと聴き手の波長が合ってれば(または合わなければ)どんな音楽でも最高だったり最低だったりする。ん?当たり前?
このバンドはROCKHURRAHにとってはやりたい事があまり伝わって来ない類いだったけど、何枚かはレコードも持っていた。上述の第3の音の片割れも持ってたけどもう1枚は持ってないし、同時にかける2台のプレイヤーも持ってなかったから未体験。

そう言えば大昔に下北沢のレンタル店で働いていた折、同僚の子がこのプレイヤー付きレコード・キット「Chöre & Soli」を店に持ってきて自慢していたので、見たり触ったりした記憶がある。今だったら相当に高値のレコードだと思うけど、この頃は限定1000部でも普通に手に入れる事が出来た良い時代。
仕事中だからさすがに聴いてはいないけど、内容は理解に苦しむ変なアカペラだったはず。

ビデオの方は現代アートにありそうな不穏で不気味なもの。よくわからん映像作品として鑑賞はしても、これを聴いて「さすが」などと感銘を受けるほどROCKHURRAHの心は広くないよ。

ROOM3 益荒男の美学
一般的にあまり馴染みがなく、使われない言葉だとは思うが、ある年齢以上の相撲好きの人ならばすぐに読めてしまうだろう。1980年代後半に福岡出身で益荒雄(ますらお)という人気力士がいたからだ。
などと知った風に書いてるROCKHURRAHだが、相撲に興味を持って観ていた記憶は特にないなあ。さらに同郷だからといって応援するような意識もなく、何に対しても割と薄情な青年時代だったなと思うよ。それくらいでも名前を知ってる有名人だったという事だね。

益荒男とは「強く勇ましく、りっぱな男性」だというような意味らしいけど、パンクの世界で最も強そうな見た目と言えばOi!と呼ばれた一派かな?と思ってつけたのがこのチャプター・タイトルだ。ただし「りっぱな男性」かどうかは個人差があるので不明だけどね。

ロックに詳しくない人間と友達になった事があまりないので、そういう人たちがどんな認識を持ってたのかは知らないけど、想像するとおそらくハードコア・パンクと昔のヘヴィメタルの違いなどはイマイチわからんのじゃなかろうかと思えるよ。服装やアイテムも一部共通だしね。
今の時代はファッションと聴いてる音楽がまるで一致してない場合も多数なので断言は出来ないけど、逆にオイ!については特徴が顕著でヴァリエーションが少ないから、比較的わかりやすいジャンルじゃなかろうかと推測する。
とにかく一番の特徴はスキンヘッド、坊主頭。そして裾を短くロールアップしたジーンズにドクターマーチンやゲッタグリップなどの編上げブーツ。ジーンズはなぜかベルトではなくサスペンダーで吊るすのが定番。これにMA-1を着たら大体誰でもOi!、あるいはスキンズとして見た目は通用するでしょう、という世界。
服装や使われてるアイテムから、イギリスでは工場や物流倉庫の労働者たちに支持されて、70年代後半のパンク・ロック発生のすぐ後くらいからOi!のムーブメントは一大勢力になっていった。
ネオナチとOi!の集団の見分けがつきにくいために極右思想と誤解されたり、大規模な暴動事件により色々とトラブル、紆余曲折のあったジャンルだったが、あまり難しく深い思想を語らないROCKHURRAHだから、この辺を詳しく書くのはよそう。
ニッチ用美術館の趣旨とは違うからね。

さて、そんな時代背景をいいかげんに綴ってきたが、このジャケットはOi!の有名バンド、ビジネスの1stアルバムのものだ。
1979年結成との事だけど、レコード・デビューは少し遅く、このアルバムなども1983年の発表だ。
初めて知ったのはまだROCKHURRAHが小倉に住んでた頃、福岡のKBC(この記事にも書いてる伝説のレコード屋)で見かけて気になっていたものだ。
ガラの悪そうな工場労働者のイラストは80年代最初の頃のTシャツとかでいかにもありそうなもの。
大昔に竹下通りにあった「赤富士」で買った似たようなシャツを、修学旅行のみやげで友達にもらって喜んで着ていたのを思い出す。
まだその頃のROCKHURRAH少年はロシア構成主義もプロパガンダ・アートも知らなかったけど、こういうジャケットに惹かれるのは昔も今も好みが変わってないって事だね。ぶれてないけど進歩もしてないのか。
ジャケットのデザインとしてはむしろ下に小さく写ってるメンバーの写真が邪魔だと思えるよ。 

ビジネスはエンジェリック・アップスターツとか4スキンズとかちょっとカッコいいバンド名(あくまでも個人の感想です)に比べると、イマイチありきたりな名称だし、メンバーの見た目も地味でイマイチ。
要するに失礼ながらOi!を目指す若者が「マネしたい」と思うような要素があまりないようなバンドだったな。
しかし曲はカッコ良くて好みって人も多い事だろう。「バナナ・ボート・ソング」として有名な「Day-O」をちゃんとパンクの名曲としてカヴァーするようなセンスが玄人受けするバンドだったよ。
一般的なヒットとは無縁のバンドでプロモーション・ビデオやTV出演の映像とかもないけど、数少ない動いてる映像がこれ。うーん、曲は確かに王道だけどやっぱり見た目がなあ。客の方にむしろ益荒男がいそうだよ。

ROOM4 鶯乱啼の美学
一般的には使いそうのない言葉を必死で調べてわざわざ使ったのがミエミエのタイトルだが、鶯乱啼と書いて「おうらんてい」と読むらしい。誰がどんな時に使うのかは全く想像もつかないけど、昔の書物にでも出典があったのかね?「うぐいすが激しくそこかしこでさえずるさま」などと勝手な解釈をしてみた。
これは3月の異名との事だけど、ちょっと調べただけで数十もの異なる呼び名が出てきてビックリだよ。言葉遊びなのか新しい名称を発明したのか、昔の人の言葉や表現に対するこだわりには脱帽するばかり。
ヤバい、などと全国共通で使ってる場合じゃないよ。

で、何でこのジャケットのチャプター・タイトルが鶯乱啼なの?とまともに疑問に思ってくれる人も少ないはずだが、鶯乱啼→3月→弥生→彌生という事でやっとつながった。ROCKHURRAHのこじつけもひどすぎ。
描いた人はまるで違うとは思うけど、このジャケット見たら彌生しか思いつかなかったというワケ。草間彌生以前にも水玉や南瓜を描き続けた人はいたかも知れないけど、こういう模様を世界的に有名にしたのはたぶん彌生、きっと彌生(意味不明)。

このド派手なジャケットは1980年代後半に活躍したスペースメン3というバンドの1990年に出たシングルのもの。
彼らやメンバーのソニック・ブームは同時代というよりは少し後に一部で熱狂的なファンがいて評価が高かったという記憶があるが、デビューした80年代後半の頃は「久々に登場したドサイケのバンド」という印象だった。
単語みたいに書くと意味の通じない現代人もいるかも知れないから説明するが「すんげーサイケ」とか「超サイケ」とかではなく、なぜかこの時代にはドサイケと言う表現が一部では(もしかしてROCKHURRAHの周りだけ?)使われていたのだ。ド素人とかと同じような使い方かな?
確かにスペースメン3の最初の頃は本格的にサイケデリックを志すバンドとして、80年代のお手軽なネオ・サイケなどとは一線を画する路線だった。ただし個人的な好みで言うと、一体何が素晴らしかったのかROCKHURRAHにはイマイチわかってないバンドのひとつだった。
かつてネオ・サイケとかのレコードを漁ってた頃に1〜2枚は所持していたし、その後のソニック・ブームまで持ってたから何かを感じて買ったのは間違いないんだが・・・。

なんか抑揚がなくてどこを聴いても同じような感じ、しまいには寝落ちしてしまうような音楽だという印象なんだよ。音楽に何を求めるかは個人の嗜好だとは思うけど、ドラッグ・カルチャーが基本的にはないはずの日本では根付くのが難しい種類の音楽だと感じたよ。

上の彌生ジャケットのシングル曲「Big City」はそんな彼らの中ではノイジーなファズ・ギターも入ってない、珍しく聴きやすい一曲。同時代のマンチェスター・サウンド(マッドチェスター)あたりとも通じる雰囲気で、彼らのコアなファンからはたぶんあまり評価されないような気がするよ。
全く影響は受けてないだろうし偶然なんだろうけど、スキッズのヒット曲「Charade」のB面だった「Grey Parade」みたいなフレーズが後ろの方で流れているけど、スコットランド民謡とかに原典があるのかな?

初期とは演奏のスタイルが違うせいもあるけど、やっぱり根底にあるのは「抑揚がなく、どこを聴いても同じような感じ」の金太郎飴状態。オーストラリアのサイエンティスツというドサイケなバンドもそういう路線を得意にしてたのを思い出す。
ROOM4まで書いておいて言うのも何だが、実は今回選んだジャケットのバンド、個人的に聴き狂ってたようなのがなくて、そのせいもあって筆が重いんだよね。ここまで書いてそれを打ち明けるか?
ニッチ用美術館、わずか5回目で存続の危機だね。

ROOM5 安娜の美学
「○○の美学」が思いつかなくてついに当て字に走ってしまった、というくらいに今回のは、人によっては取るに足らないチャプター・タイトルで相当に悩んでしまった。

「安娜?うーん、聞いた事ない言葉だよ」と大部分の人が思うだろうけど、これは中国語でアンナという女性名を表記する時に使う漢字のヴァリエーションのひとつらしい。
日本ではAnnaはアンナでいいけど、中国になるとなぜか漢字表記される場合もあるようだ。カタカナがない国だからそうなってしまうのかね。大して調べずに行き当たりばったり書いてるから、その使い方のルールなんかも全然わかってないんだけど。
身近な例を言うと、かつてパソコンのメインボードを中心に扱う台湾の企業(の日本拠点)で働いた時に、社員はみんな外人の名前で呼び合っていて、ジェニファーだのアンディだの、一体どこの国?と思っていたものよ。

というわけで無理やり中国語の安娜をチャプター・タイトルにしてみたが、たぶん中国要素はまるでないなあ。

さて、美術館とタイトルに付けるくらいだから一つくらいは絵画風のジャケットを展示しなきゃな、と思って選んだのがこれ、1986年にリリースされたアンナ・ドミノの2ndアルバムだ。
うーん、選んでは見たものの、この手の普通の意味での風景画や静物画を特に苦手としているROCKHURRAH。
誰かの作風(強いて言えばセザンヌにちょっと近い?)でこんなのあったかも、くらいの印象しかなく、もし美術館で展示してあっても素通りしてしまうだろうな、という感想しか持てないよ。ごめんよ安娜さん。
このジャケットだけ見ても何だかよくわからんけど、裏ジャケはこの絵の延長である部屋の内部になっていて、椅子に座ったアンナ・ドミノ本人(おそらく)の似てない姿も描かれている。
自分の方を表ジャケットにしてないのはあまり気に入ってなかったのかもね(推測)。

アンナ・ドミノはアメリカ軍人の娘として、なぜか東京の米軍関係の病院で生まれたアメリカ人だ。若い頃にイタリアやカナダ在住の経験もあり、オンタリオ芸術大学でレコーディングの技術も身につけたという、羨ましいようなインターナショナルな経歴を持つ才女なんだね。
そんな彼女が活動の拠点としてレコードを出してたのがアメリカではなく、ベルギーのLes Disques du Crépusculeという有名レーベルだった。別に詳しくは書いてないが「ニッチ用美術館 第3回」でも少し取り上げたクレプスキュール・レーベル(ポール・ヘイグの項参照)は、80年代前半くらいにオシャレなカフェなどのBGMで需要が多く、そういう雰囲気のあるアーティストを続々とリリースしていたよ。
スピログラフ(曲線の模様を描く歯車のような定規)で描かれたようなレーベル・マークも知名度が高く、クレプスキュールのレコードは日本のレコード屋で簡単に手に入るくらいに、インディーズ・レーベルとしては最も普及していたと思うよ。
イザベル・アンテナとアンナ・ドミノはその中でもレーベルの看板娘として人気になったものだ。
アンナ・ドミノはとにかく80年代的な割と鋭い眼差しの美貌と髪型やファッションで、しかも上記のようなすごい経歴の才女。いかにもフランス風美女のイザベル・アンテナと比べるとちょっとキツめの印象があって好みが分かれるところ。

1stアルバムではタキシードムーンのブレイン・L・レイニンガーや後にリヴォルティング・コックスで有名になるベルギーの奇才リュック・ヴァン・アッカー、日本でもヒットしたヴァージニア・アストレイなどが参加していたが、上のジャケットの2ndはさらに豪華・・・かどうか微妙なメンバー。
同じくタキシードムーンのスティーブン・ブラウン、アソシエイツのアラン・ランキン、ベルギーのシンセ・ポップで有名なテレックスのマルク・ムーランとダン・ラックスマンなどが参加している。
プロモーション・ビデオかと思ったら映像をバックに、スティーブン・ブラウンと共に口パクで歌うアンナ・ドミノというリアルタイムのステージだったから少し驚いたよ。それにしても一分の隙もない美貌とスタイル。
この手の音楽に興味ない人でも思わず見とれてしまうに違いない(大げさ)。

本文よりもチャプターのタイトルに悩み、苦労してしまった今回の「ニッチ用美術館」だが、いいかげんながらも何とか書く事が出来たよ。
公開するのは本日10/13なんだけど、記事を書いてたのは大型台風接近と大ニュースになっていた土曜日の話。災害アラートが何度も鳴ったり、いつ停電になるかも知れないという状況でよくも、こんな関係ないブログを書いてたもんだ。

ではまた、オゲヴヮ(ハイチ語で「さようなら」)。

時に忘れられた人々【32】アウトドア編

20190630 top
【見事に山が全然似合わない野郎ども】

ROCKHURRAH WROTE:

最近、ブログ記事以外の事ばかりやってたので、実に久々の登場となるROCKHURRAHだ。

何をやってたかと言うと、ウチのブログの引っ越しで陰ながら悪戦苦闘していたのだ。
実はここ一ヶ月以上も色々な不具合が起きてて、定期的に当ブログを読んで下さる方々からも、愛想を尽かされかねない状態のままだったのだ。
不具合の原因も特定出来ないし、そこまで試行錯誤の時間もかけていられない。
一番手っ取り早いと思ったのが同じサーバー内で新しいブログを作って、引っ越しするという計画だった。
「その方が面倒」と思われる方も多いだろうが、Wordpress自体はごく簡単にインストール&移植出来るのであまり深く考えず、気軽に作ってしまったよ。

結果として新しい方で問題となった不具合は解消されたけど、あっちをやればこっちが変、というような連鎖で思ったよりは手間取ってしまった。
見た目がほとんど変わってないので実は移転した事に気付かない人も多いだろうけど、もう新しいブログに変わってしまったので、読んで下さる方はブックマークに登録して下さい。
http://rockhurrah.com/blog/
まだ内部リンクの修正とかが全然出来てないので全然違う記事や違う画像にリンクが飛んだり、ブログ運営としては致命的な点も多いのが痛い。しかし、こっそりいつの間にか修正してると思うので、どうか愛想を尽かさないでね。

相変わらず言い訳が長かったけど、今回はこれまた久々「時に忘れられた人々」シリーズを書いてみよう。なんと、このシリーズも2年くらい書いてなかったね。

ちょっと前までは雨が降っても気温がそこまで高くない日が続いて「これくらいの気候が一番いいよね」とSNAKEPIPEと2人で喜んでたのに、当たり前だが季節的にどんどん蒸し暑くなってきて、これからが個人的には最もイヤな夏となる。

先週のSNAKEPIPEの記事でも明らかなようにROCKHURRAHは絵に書いたような雨男だ。
「ハウス・ジャック・ビルト」を観に行った新宿でも、よりによって移動中だけ土砂降りの大雨。
その後のまた別の日、約束してたSCAI THE BATHHOUSEへ横尾忠則を観に行った時の事。
出かけようとドアを開けた途端に雨降り、この日は一日中ムシムシでじっとりしていたなあ。

雨降りが嫌いか?と聞かれると嫌いなのは雨自体じゃなく、傘をさして建物に入る時や乗り物に乗る時にまた畳んで、という煩わしい行為にあるんじゃないかなと思ってるよ。どこかの窓辺で雨を眺めたり雨音を聞いたりするのはむしろ好きだからね。小林麻美みたいだな。

2、3回振っただけで水滴がほとんど落ちるという超撥水の傘を知り、これはいいと買ってみたんだけど、ケチって安物を買ってしまい撥水力は全然なし。メーカーの謳い文句やレビューに完全に騙されてしまった悔しい体験をしたのは去年の事。同時に買ったSNAKEPIPEの有名な傘は文字通りの超撥水だったので一層トホホな思いで雨が降るたびに後悔してるよ。ほんの数千円の違いなのにね。

最近では格別にそういうのに興味なさそうな人でもゴアテックス素材のアウトドア・ウェアーを着てたりして雨なんかへっちゃらな人々が街中に溢れてる状態。街中でこれだからアウトドアのメッカ、山の中はそういうブランドの見本市みたいな状態だろうと想像するよ。

ROCKHURRAHも嫌いではないんだけど、機能性衣類と言えばアウトドアよりもミリタリーの方にどうしても目が行ってしまう。ただし本格的なものはどれも高いのが当たり前の世界だから、そういう熱も最近では少し醒めてきたよ。身につけるにしても、少しでも人とかぶらないマイナーなメーカーをわざわざ探してるもんな。

読んでる人にとっては脈絡のない話かも知れないけど雨→防水→アウトドアという連想が個人的に出来上がってしまっただけ。というわけで今回は夏のレジャー・シーズンに向けてアウトドア特集にしてみよう、というお粗末な前フリだったのだ。

ROCKHURRAHが好きな70年代パンクも80年代ニュー・ウェイブもアウトドアとは無縁のイメージだけど、単に外でビデオ撮影してるだけのものをいくつか挙げて、それでアウトドア特集とはかなり無理があるのは承知で進めてみよう。

不健康そうな見た目とは裏腹にアウトドア度満点?なのがこれ、ジーザス&メリーチェインの1985年の3rdシングル「You Trip Me Up」だ。
いや、単にどこかの砂浜に楽器持ち込んでるだけの映像なんだけど革ジャン、革パンと海辺の陽光、景色との不調和がなかなかだね。VOXのファントム(という五角形っぽいギター)を砂浜に挿したりして本物のヴィンテージだとしたらもったいない。

ROCKHURRAHも大昔に社員旅行でグアムに行った時、ジーザス&メリーチェイン(あるいはシスターズ・オブ・マーシー)とほぼ同じような服装でずっと通して、周りからは違和感を持たれまくったという思い出がある。
当時は自分のスタイルが絶対こうだという事に固執し続けていて、TPOに合わせて服装を変えるなど出来なかった若かりし頃。
今でもスタイルのヴァリエーションが極端に少なくて「今日はこれ風」みたいなのが全然なくて、いつでもどこでも同じような服装をしてるな。いい事なのか悪い事なのかは抜きにしてもあの頃と比べて何も進歩してないよ。

ジーザス&メリーチェインはジム・リードとウィリアム・リードを中心とした兄弟バンドで、スコットランドのグラスゴー近郊、イースト・キルブライドというニュータウンの出身。日本で言えば千葉ニュータウンや越谷レイクタウン出身みたいなもんか?
1980年代半ばにデビューしてまたたく間に人気バンドとなった4人組だが、初期には後にプライマル・スクリームで有名になるボビー・ギレスピーもメンバーだったな。
ストレイ・キャッツのスリム・ジム・ファントムが生み出したスタンディング・ドラム。
要するに立ったまま最小のドラム・セットを叩くだけというスタイルなんだが、ロカビリーでもないボビー・ギレスピーがそれを踏襲してたのが、ニュー・ウェイブのバンドとしては目新しいところ。
そして、生音で聴いたら何でもないような甘い60年代ポップス風の曲に、なぜかギターのフィードバック・ノイズを大々的にかぶせて、ルー・リードっぽく歌うという手法により一躍話題となった。
全く相反する要素(ノイズ+ポップ)によるうまい組み合わせは、デヴィッド・リンチ監督の言う「ハッピー・ヴァイオレンス」みたいなものだろうね。

このフィードバックによる甘美なポップというスタイルは当時としては斬新だったけど、それじゃ一発芸みたいなもので飽きられるに違いない。
って事でこの手のノイジーなポップは1stアルバムの数曲しかなく、残りは大体同じパターンのフィードバック・ノイズなしの甘い曲という路線で、なんかコード進行も似たり寄ったりの曲が多いな。
ROCKHURRAHは飽きたけど女性ファンを中心に、数年間は栄光を掴んでたバンドだったという印象だ。
限定盤のシングルや編集盤なども含めてレコードはかなり出してたような記憶があるけど、やっぱり最も初期の「Upside Down」や「In A Hole」「Never Understand」が一番良かったように思えるよ。

肝心のアウトドア要素については全く触れてないけど、太陽の下に出て大丈夫なのか?と思えるようなバンドなので、不問にするか。

次のアウトドア派はこれ、キッシング・ザ・ピンクの1983年の曲「Mr. Blunt 」だ。
ブラントは「鈍い」とか「なまくら」という意味らしいが・・・。
記事の最初の方に超撥水の傘について書いたけど、ケチった方じゃなくてそれより前に使ってたのが「風に強い」というニュージーランドのブラントという傘だった。
これはむしろそれなりに高級品と言えるくらいの値段だったけど、開いた形が気に入って買ってみたもの。
形も開いたり閉じたりも申し分なかったんだけど、折りたたんだ時にやたら大きくて重い、開いた時にはとても小さい(ちょっとした雨でも濡れる)というもの。折り畳み傘の「コンパクトに畳める」という重要な要素を一切無視した、ある意味すごい商品だな。
まさにこれこそブラントの名にふさわしい。

キッシング・ザ・ピンクはロンドンの王立音楽院の学生たち、その友達のホームレスなどが参加した大所帯バンドで、80年代前半に結成。全員で一軒家に共同生活をしながらバンドとしてのキャリアを築いていったという羨ましい境遇だよ。

1stシングルがいきなりジョイ・ディヴィジョンで有名なマーティン・ハネットによるプロデュース。
その後はマガジンやヒューマン・リーグ、デュラン・デュラン、オンリー・ワンズなどの名盤を手がけた事で高名なコリン・サーストン(デヴィッド・ボウイの「Heroes」のエンジニアだった)によるプロデュースという、80年代バンドとしては夢のようにラッキーな出だしを飾った、かなり恵まれたバンドだったと思える。
日本盤も出なかったし当時の日本ではあまり話題にならず、知名度がイマイチな英国バンドだったという気がするが、本国では「The Last Film」のヒットもあり、メジャーでもそこそこいけるニュー・ウェイブ・バンドだったんだろう。

他の曲のプロモーション・ビデオやTV出演の映像を見ると、パッと見は結構モード系のいかにも英国って雰囲気なんだけど、よーく見ると格別ルックスに自信がありそうなメンバーがいなさそう。
この時期のイギリスの準メジャーなバンドは「レコード会社に着させられた」ような衣装のバンドが多くて、そのパターンだったんだろう。
キッシング・ザ・ピンクは曲によって全然違った印象があって「こういうバンド」と一言では言えないところが特色か。ヴォーカルもその時によって違うような気がする。

ROCKHURRAHは当時このバンドの事を全く知らなかったけど、「Maybe This Day 」というシングルをなぜだか買ったのを覚えている。ジャジーな雰囲気の渋い曲でヴォーカルも男だか女だかわからないけど、その当時この系統のものを探してたわけではないから個人的にはイマイチの印象しかなかったよ。
しかしこの曲が一番「らしくない」曲調だったと後になってわかったのを思い出す。懲りずに入手した「The Last Film」は全然違う感じだったからね。

さて、ビデオの曲「Mr. Blunt 」は他のビデオ映像で見る彼らとは全然違っててカジュアルな私服。
どこかの牧場で演奏しながら歩いてゆくだけの映像でこれがアウトドアなのか?と聞かれれば「うーむ」と答えるしかないシロモノ。
このちょっと前に一瞬だけ流行った、キング・トリガーの「River」とかにも通じるドラム連打の曲調と、伸びやかに歌う楽しげな雰囲気が仲良しサークルっぽいね。今どきは誰も言わないと思うが「えんがちょ」なシーンもお約束だね。

お次はこれ、当ブログの「80年代世界一周 西班牙編」でも紹介したスペインの変なデュオ、Azul y Negroだ。
スペインのエレポップ、シンセ・ポップの分野では最も早くから活動してるとの事で1981年から2016年くらいまでコンスタントに作品を発表している大ベテランだ。
しかし、前にも書いた通り、ニュー・ウェイブのバンド(ユニット)とは思えない微妙な服装のヒゲおやじとラメ系が似合う長身の男という、どうにもチグハグなルックスの二人組。

今回のビデオ「Me Estoy Volviendo Loco(自動翻訳による邦題:私は夢中です)」は1982年のヒット曲だそうだが、見ての通りゴルフ場に白塗り女を連れてきて、芝の上で踊らせながら演奏するという、ありえないようなシチュエーション。
女は新体操上がりなのかリボンを使ったようなパフォーマンスしているのだが、この歌と踊りが一体何を表してるかが全く不明。このビデオがアウトドアなのか?と聞かれれば「ファー」と答えるしかないシロモノ。

そして注目なのがやっぱりヒゲおやじの眼力、一体何が嬉しいのかわからんが絶えず表情を変えてノリノリの様子。鍵盤をパシャっと叩いて指先を上げるオーバーアクションなんてピアノならともかく、シンセサイザー演奏の時にはそうそう見られないと思うけど、それを臆面もなくやってニヤニヤしてるよ。
フラメンコに闘牛といった派手なアクションが多いスペインのお国柄だから、これでいいのか。
アウトドアと言うよりは外で出会ったら厄介な怪しいおっさんと言ったところかな。

今回のROCKHURRAHの記事は珍しくメジャーなのが多いけど、そもそもあまりマイナーなバンドにはプロモーション・ビデオもない場合が多いから仕方ないね。
で、アウトドアと言えば思い出すのがこの曲、クラッシュの1982年のヒット曲「Rock The Casbah」だ。
ROCKHURRAHと同じくらいの世代(つまり80年代が青春の人々)にとって、夏に聴いて元気が出る曲の決定版だろう。働いてた喫茶店の有線でしょっちゅうリクエストしてたのが思い出だよ。

何人か音楽や服装の好みが合う友人がいて、たまり場にしてた店だったんだけど、ROCKHURRAHはマスターに誘われてバイトを始めたのだ。
マスターが生活破綻してるような人間で朝に来ない日もしょっちゅう、ROCKHURRAHが自分で店を開けてランチタイムまで一人で切り盛りしてたなあ。今、同じ事をやれと言われてもパニックになりそうだけど、若い頃は意外とそういう順応性があったんだな。

店にはもう一人、夕方からのバイト女がいて、結構ツンケンしたタイプのヤンキー上がり、しかもどうやらジューダス・プリーストとかアイアン・メイデンだとかそういうのが好きらしい。
パンクでニュー・ウェイブなROCKHURRAHとは水と油みたいなものだけど、そのうち打ち解けてしまったのも若い頃の順応力だよ。
その人のお姉さんが有線放送で働いてて、リクエスト受付だったから、矢継ぎ早に色々リクエスト電話してたもんだ。こっちは感じの良い人だったな。

友達はそういう店をたまり場にしてて結構長居するタイプだったんだけど、彼らは遊びに来てるだけでこっちは仕事中、そしていつかは友達も帰ってしまう。そういう、一人だけ取り残されたような寂しさも青春の思い出だよ。
うーむ、思い出話ばかりになって、もはや「時に忘れられた人々」もアウトドア要素もなくなってしまった気がするが、きっと気のせいだろう。

クラッシュのこの曲はドラマーのトッパー・ヒードンによるもので、ちょうど流行っていたファンカ・ラティーナとパンクとイスラム調がうまく融合した、ノリノリの名曲だと思う。
油田の中みたいな場所で演奏してるだけなのにとにかく絵になるカッコ良さ。アーミーな出で立ちのポール・シムノンに憧れたものだ。ミック・ジョーンズに至っては虫よけキャップ(顔のあたりがヴェールになってる)みたいなのをかぶったまんまで最後にやっと脱ぐという、ちょっと損な役回り。そして肝心の作曲者、トッパーがドラムじゃないというのが物悲しい。この時は薬物中毒ですでに脱退してるんだよね。

クラッシュはこういう暑そうなビデオもあるけど、「London Calling」のようなすごく寒そうな船の上のビデオもあって、全季節対応のアウトドア野郎だと言えるね(いいかげん)。

最後のアウトドアなビデオはこれ、1981年に出たバースデイ・パーティの「Nick the Stripper」だ。

1970年代後半にボーイズ・ネクスト・ドアという名前でデビューしたオーストラリアのバンドだが、全く同じメンバーでバースデイ・パーティと改名。
オーストラリアでそれなりに成功してた頃は割とポップで普通の印象があったけど、改名後は原始的なビートとヒステリックにかき鳴らした耳障りなギター、それにかぶさるニック・ケイヴの迫力ある歌声というフリー・スタイルな音楽性に開眼した。
メジャーなヒットとは無縁となったが、80年代初頭にオルタナティブな音楽のバンド達が次々に新しいスタイルを確立した時期にもてはやされて、インディーズの世界では確固たる地位を築いた重要なバンドだった。
ROCKHURRAHが書いた記事「俺たちバーニング・メン」でも同じような事書いてるな。

ビデオはサーカスのテントのようなところから外に出たバンドの面々が瓦礫か荒れ地みたいな野外パーティの中を練り歩くというもので夜のアウトドア満喫(?)の映像だ。
この頃のニック・ケイヴはまだ野生少年みたいな若々しいルックスで「10歳までフクロオオカミに育てられた」と言っても信じる人がいそうなくらい。タイトル通りに布をまきつけたパンツ一丁で、不気味な群衆の中で踊る映像は音楽ともピッタリで好みのもの。
ローランド・ハワードはタバコ吸いすぎというくらい、いつも咥えタバコの美形ギタリスト、ベースのトレイシー・ピュウはいつもテンガロン・ハットがトレードマークのナイスガイ。健康的なバンドとはとても言えないけど、この二人ともすでにこの世を去ってしまってるのが残念だよ。

バースデイ・パーティのライブを観る事はかなわなかったけど、その後のニック・ケイヴ&バッド・シーズの来日チケットは取る事が出来て、ど迫力のライブに感動したものだった。この時はブリクサ・バーゲルト(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)、バリー・アダムソン(元マガジン)、ミック・ハーヴェイ(元バースデイ・パーティ)、キッド・コンゴ・パワーズ(元ガン・クラブ)といった黄金のメンツで演奏も最高だったよ。

さて、海、牧場、ゴルフ場、油田、荒れ地と巡ってきたアウトドア特集だが、やる前からわかってたように通常の意味でのアウトドアな要素は皆無だったね。選んだバンドも不健康そうなのばかり。
昔は確か夏=アウトドアというイメージが定着してたけど、実際は夏の屋外と言えば熱中症や日焼け、雷雨やデング熱やマダニなどなど、危険がいっぱいという印象があるのは確かだね。
ブームと本気でやってる人との格段の差が現れるジャンルでもあるから、自然を侮らないようにね。

それではまたレヒットラオート(ヘブライ語で「さようなら」)。