80年代世界一周 伯刺西爾編

【頑張れ伯刺西爾、負けるな伯刺西爾】

ROCKHURRAH WROTE:

暦の上ではやっと秋になったけど、まだまだイヤな暑さが続くね。
毎年暑さが激烈になってきてる気がするのはROCKHURRAHだけなのかな?
今まで暑くても食欲が落ちたりする事がなかったけど、今年はとにかくまず水分、ほとんど夏バテと言える状態が続いた。

ちなみに年齢と共に頭髪が柔らかく細くなったROCKHURRAHだがヒゲは相変わらず硬く、しかもあらゆる方向に伸びてるので整えてもあまりきれいにならないという厄介な顔つき。このためマスクをしてると繊維を突き破って少し出てきたりでみっともないし、汗をかくと口の周りが人一倍湿気に覆われて、大いに不快となる。
好んでマスクをつけてるとしか思えないような人もいるだろうが、こんなものつけたまま夏の屋外に出るとは苦痛極まりない。

どうでもいい前置きは短く切り上げて本題に入ろう。
今週は久々に書くシリーズ「80年代世界一周」にしてみよう。

洋楽と言えばイギリスやアメリカの音楽が真っ先に入ってくる日本だけど、それ以外のあまり紹介されないような国に焦点を当ててみようというのが趣旨の企画ね。
そしてROCKHURRAH RECORDSの最大の特徴と言えば1970年代~80年代のパンクやニュー・ウェイブばかりを執拗に語るという時代錯誤も甚だしい音楽ネタばかり。
現代の世界中の音楽はどこにいても配信出来るし知る事は出来る。
しかし、ネットもコンピューターも未発達の80年代バンドについては情報も少なくて探すのも大変だけど、少しでもその国の音楽事情がわかればという興味があって始めた企画だ。
そこまではナイスなアイデアだったんだけど・・・・。
20代の頃に世界を放浪してたような実績もまるでないROCKHURRAHが書いてるわけで、信憑性も全くないし、ウソをまことのように伝える筆力もないしで、何だかとても中途半端な記事になるのがやる前からわかってるというシロモノ。

さて、今週はどこの国に焦点を当てようか迷ったんだが、意外な事に比較的動画が多かったここに決めたよ。

タイトルにもある通り、今週は伯刺西爾編にしてみよう。
個人的に今はじめて使った漢字を含む四文字だが、これでブラジルと読むらしい。
誰もが知ってるかどうか不明だが、日本とは昔からとっても仲良しの国であり、南米の中では最も馴染みの深い国だと思う。
サンバにボサノヴァなど有名な南米音楽のメッカでもあるけど、ROCKHURRAHが言うようなパンクやニュー・ウェイブに結びつくようなものが果たして見つかるのか?

ではそろそろ始めるか。

ブラジルはおろか海外渡航歴がほとんどないROCKHURRAHだから、思い入れも思い出も全くない状態でこれから書き進めなきゃいけない。
知りもしない国についてのそんな特集をハナからやらなければいいと思う人もいるだろうが、そういう事を気にしてたらウチのブログは一歩も前に進まないに違いないよ。
だからこれからは無知と偏見に満ち溢れた内容になるだろう(断言)。

ブラジルと聞いて人がイメージするものは色々だろうが、ROCKHURRAHの場合は小学生くらいの時にはじめてこの国を認識した。

本を読んでるような印象が全く無かった父親だったが、なぜか本棚に極真空手の始祖、大山倍達の自伝やアントニオ猪木の自伝などがあって、父親が不在の時に読んだものだった。
とても厳しくて怖い存在の父親であまり親子交流の思い出もないけれど、プロレスが大好きで全日本、新日本、国際プロレスなどの試合はTVでよく観てたのを思い出す。アントニオ猪木の本はそれで持ってたんだろうな。
ROCKHURRAHが子供の頃はプロレスや空手、柔道、ボクシングなどの格闘技漫画が大流行していて、いわゆるスポ根漫画全盛期。個人的にもその時代の大半の作品は読んでるはず。
だから実在のレスラーの嘘か誠かわからないような逸話も漫画で知ったようなものだった。
大型バスを歯で引っ張ったとかそういう類いの話ね。
梶原一騎原作のものはかなり話に尾ひれをつける大げさなものが多かったから、いくら子供でもあまり信憑性があるとは思わなかったけどね。
個人的にはジャイアント馬場の「こんなので本当にKO出来るのかよ」とツッコみたくなるウソっぽい必殺技が好きで、全日本プロレス派だったROCKHURRAH。北九州に興行に来た時には会場にも行き、ブッチャーにタッチしようとして出来なくて、レフェリーのジョー樋口をわずかに触る事が出来ただけ。そう言えば黒い魔神ボボ・ブラジルなんてのもいたなあ。ブラジル人じゃなかったけど。
猪木や新日本プロレスにはそこまでシンパシーを感じてなかったんだが、自伝を読むとさすが、一代であそこまで登りつめるだけの事はあると感心したものだ。

ブラジルと言えばコーヒー、その広大なコーヒー園の労働力としてアフリカの奴隷が使われていたわけだが、それが奴隷制度廃止により、労働力を各国からの移民に求めるようになる。これが19世紀の終わり頃の話ね。
日本からも大量の移民がブラジルに移り住んで日系人が誕生するわけだが、猪木もその(第何次だかわからない)移民のうちの一家族だったという話。アントニオなどとついてるが日系人ではない、なんてのはみんな知ってるよね。
その猪木は少年時代から重いコーヒー豆の袋を担がされる労働に従事して、あの体格と筋肉を形成したわけだ。
強くなったのは偶然ではなくちゃんとした理由があるんだね。

などというどうでもいい回想は言うまでもなくこれから書く事には全くの無関係で伏線も何もない。省略したら大して書く事がなくなる場合にROCKHURRAHがよく使う手法だね。

さて、最初に登場するのはブラジルの本格的パンク・バンド、Os Replicantesだ。
南米で唯一、ポルトガル語を公用語とするブラジルではO(男性)やA(女性)などの定冠詞をつける場合があり、Osというのはその複数形だね。男性形だからオス、ではなくてオーエスと読むらしい。Replicantesは読んでの通り「ブレードランナー」に出てきたレプリカントの事ね。

軍事政権が長く続いたブラジルでは1970年代の一番大事な時代に、ロック的な土壌があまり大っぴらに発達する事が出来なかったという歴史がある。「80年代世界一周」で前に書いたポーランドとかと同じようなもんだね。
別にロックが禁止されてたわけじゃないみたいだが、反体制的なものが弾圧されるのはどこの国でも一緒。
ロックではどうしてもそういう表現が多くなるのは当たり前だから、こういう不遇の時代を乗り越えてみんなやってきたわけだ。
だからと言って検閲されそうにないような、花や緑や何のほころびもない青春などをテーマに歌っても若者の共感を得られるはずはないからなあ。
「おお牧場はみどり」などはコード進行も初期パンクと同じようなテイストだから、そういうカヴァーを考えた輩がいてもおかしくはないが、その歌詞じゃやっぱり人を感動させられないってものだ、ホイ。

そういう背景があって、軍事政権が終わった1985年くらいからやっと本格的にロック、あるいはパンクで自由に表現する事が可能になったというわけだ。他の自由な国に比べるとだいぶ遅れて感じるのはこの辺がポイントだね。

Os Replicantesは1983年に結成してから今でも活動してるらしい古株。
ブラジルでも南部の港町ポルト・アレグレの出身で、この町がどんなもんかは知らないが、訳せば「陽気な港町」の通り、おそらく活気のある威勢のいい若者が多く育ったに違いない。
パンクやロックの発達は遅れたが元からサンバやボサノヴァ、ショーロなどの複雑で独自な音楽はあったブラジルは、当然ながら達者な演奏者が多く、いわゆるストレートなパンクは意外と少ないと個人的には思ったよ。このバンドのような典型的なパンクは逆に新鮮だ。
ビデオもいかにも悪ふざけしたような若気の至りで頭悪そうだが、見た目も音楽も元気なこういうノリはいくつになっても好きだよ。

リオ・デ・ジャネイロやサンパウロといった南米の大都市に比べて忘れがちなのが首都、ブラジリアだろう。
前にSNAKEPIPEが書いた「オスカー・ニーマイヤー展とここはだれの場所?鑑賞」で登場したブラジルを代表する建築家、オスカー・ニーマイヤーとルシオ・コスタがやりたい放題に作った人工的未来都市、こんな企画がまかり通って本当に出来てしまったウソのような首都だと言う。何もなかった土地に翼を広げた鳥のようなかたちの町並みが広がり、未来的なデザインの建物が配置されている世界遺産だ。
やっぱりブラジルというのは国のお偉方だろうが何だろうが、何かを実現する行動力というか熱い情熱に漲ってる民族性なんだろうね。
実際には内陸部で交通が不便だとか他の都市に遠い(リオやサンパウロから車で16時間くらい)とか、生活するには色々不評だとは思うけど、SFっぽい未来的な都市に住みたければブラジリアが一番だね。
ウチの場合は未来都市への憧れがあっても、やっぱり近くにスーパー三軒くらいあって欲しいし、そのうち一軒は角上魚類であって欲しいし、薬屋もサンドラッグかトモズが近くにあって欲しい・・・などなど実生活での変なこだわりがあるからなあ。

そんなブラジリア出身で80年代ブラジルを代表するバンドだったのがLegião Urbanaだ。ポルトガル語を直訳すれば「都市軍団」となって意味不明だが、我がROCKHURRAH RECORDSのBinary Army(現在絶版中、ROCKHURRAH RECORDSのブランド)も二進法軍団だから仲間みたいなもんか。
相変わらずROCKHURRAHには「読めん!」というバンド名だから検索してみたら、レジァオン・ウルバーナと読むらしい。
ブラジルのパンクやニュー・ウェイブについての知識もないから見てきたようには書けないが、この国の最も有名で影響力のあるニュー・ウェイブ・バンドだったようだ。
ヴォーカルが電車男(TV版)、もしくは河野防衛大臣みたいなメガネ男で大人気バンドのフロントマンとは思えないが、これで国民の心をガッチリ掴んだというのが驚き。何とこのヴォーカリスト、ヘナート・フッソの伝記映画まであるという。

これがそのトレイラーだがドキュメンタリーではなく演じてるのは別人の俳優。当たり前か。
90年代に30代半ばで死亡したヘナート・フッソ、ジミヘンやジム・モリソン、イアン・カーティスなどと同じように神格化されているのかな?
トレイラーの中でスティッフ・リトル・フィンガーズの曲に合わせて歌っているシーンがあるが、本当にその通りパンクのなかったブラジルでパンクの啓蒙活動をして人気となったようだ。
その時のバンドがAborto Elétrico(アボルト・エレトリコ=電気妊娠中絶)というパンク・バンドだったが紆余曲折を経て1984年くらいにLegião Urbanaとして再出発する。この当時のブラジルではまだ珍しかったジョイ・ディヴィジョンやU2、スミスなどの影響を受けた音楽だと言われているが、確かに陽気そうなブラジルの中でそういう音楽性というのは滅多になさそうだね。

上の(トレイラーではない方)ビデオ「Que país é esse?」は1987年のヒット曲でジョイ・ディヴィジョンもスミスも感じなかったけど確かにU2には似てる壮大な曲。U2ならこの曲を5分以上の大作にするところを3分以内にまとめたのがさすが。
え?評価する視点がおかしい?

ブラジルに限らずスペイン、ポルトガルや南米のラテン民族は強い女性が多いという印象があるね。
Netflixで大人気のスペイン・ドラマ「ペーパーハウス」でもトーキョー、ナイロビ、ラケル警部、とにかく爽快に強い女性が出てくるし、言葉の語感だけでも大声でハキハキした受け答えが強い意志を持った人に見えてしまう。

サンパウロで1982年に結成されたAs Mercenáriasもまた、強い女性を感じさせるバンドだ。
またまたROCKHURRAHには「読めん!」だが、アス・メルセナリアスと呼ぶそうだ。 
Os Replicantesの時に書いた通り、Aが女性の定冠詞でその複数形だからアスというわけか。Assではないんだな。直訳すれば「傭兵」というバンド名だが、上の都市軍団と同じく、ここでも何かと戦ってるらしいな。

ニュー・ウェイブ世代の女性バンドと言えばスリッツ、レインコーツ、モデッツ、マニアD、マラリア、クリネックスなどが即座に思い出されるが、初期ニュー・ウェイブ時代はどれもやっぱりトンガッた(今どきたぶん言わない表現だな)女という印象が強い。
普通の女の子やかわいい、優しげな女性ヴォーカルがニュー・ウェイブの中で独り立ち出来るのはネオアコやギターポップなど、もう少し後の時代になってからだからね。
アス・メルセナリアスもそういう初期ニュー・ウェイブの女性バンドを踏襲するスタイルだが、「ブラジルのスリッツ」と言われるのがよくわかる音楽性。ただスリッツのほどに広がりはなく、割と単調なビートに引っ掻くようなギターや力強い歌声が絡む、力技でグイグイ押してゆくバンドという印象だ。さすが傭兵。
フリーキーな部分はあってもパンク的な要素の方が強いからROCKHURRAHとしてはスリッツよりむしろ好みだよ。

しかしこれまで出てきたどのバンドも「長く続いた軍事政権」の終焉間近である80年代前半に出てきたもの。
デビューはしたもののレコードをリリース出来ないから、ようやく出せたのが80年代後半になってから、もしくはずっと後になって発掘音源みたいな感じで再評価されたり、バンドの勢いを保ったままというのは難しいだろうにね。
映像で見るのはそういう規制がなくなって、堰を切ったように自由に表現出来る場を得た時期なのだろうか。実際に見てきたわけじゃないから、この辺の事情がはっきりわからないのがもどかしいな。

元々ロック的な土壌があまりなかったブラジルでパンクやニュー・ウェイブが意外なほど浸透してたのも驚きだけど、こういう電子楽器を使ったエレポップまであったのにビックリ・・・というのもお国柄に対する偏見なんだろうね。
サッカーでもカーニバルでもパッと思いつくのは陽気でお祭り好きなイメージだから、チマチマとシーケンサー打ち込んでるようなブラジル人をあまり想像出来ない。
ただ、先にも書いたように近未来的な人工都市を現実に作ってしまうような国でもあり、現在ではIT大国になっているという話もあり、侮るなかれ(自分に向けた言葉)。

そんなブラジルで上に書いたようなパンク/ニュー・ウェイブのバンドより先に人気となっていたのがこのAzul 29というバンドらしい。パンクに限らず反体制的なロックバンドに規制がかかってた80年代前半のブラジルで、あまり反体制っぽく見えない単なるポップスやエレクトロニクスを使ったこういうグループなら問題なく音楽活動が出来たというわけなのかな?
その辺は不明だけど、80年代前半にこのバンドはヒットして人気があったという。
「読めん!」バンド名が多いブラジルだけどこれは簡単に読めたよ、アズールはポルトガルやスペインで青のことだね。フランス語ではアジュールと言うらしい。
彼らの1984年のヒット曲が「Video Game」というから、おそらく当たり障りのない歌詞に違いない。

ものすごいマニアではないからあまり大っぴらには言わなかったが、子供の頃からゲームが大好きで、TVゲーム黎明期の頃からのキャリアを持つROCKHURRAHだった。その趣味(?)が高じてゲーム屋の取締役にまでなった経歴を持つ。
結構好みと適性があって、あの時代誰もがやってたインベーダーは相当練習してもイマイチ、代わりに得意だったのが風船割りとブロック崩しだったな。大ヒットしたパックマンも苦手で代わりにディグダグが得意。時代は大幅に飛ぶが「ストリートファイターII」よりも「鉄拳」といったように微妙な好みが激しくて、どのゲームも得意とは言い切れない。まあ万能な人はいないからみんなこんなもんか。
「ゼルダの伝説」や「モンスターハンター」なども根性で最後まで勝ち進んだ経験があり、その分析能力と機動力を生かしてより一層のスキルアップをを目指したいと考えております(履歴書)。

さて、そんなデジタル世代を84年に高らかに歌い上げたAzul 29のヒット曲が「Video Game」。
「スター・トレック」か「宇宙家族ロビンソン」のような服装は明らかに「ブラジルのクラフトワーク」を狙ったものと考えるが、なぜか音楽やってる人には到底見えないようなおっさんメンバーもチラホラ。細かい事を気にしないおおらかな国民性だから、これでもいいのだ。

書き始める前からわかってた事だがブラジルについて個人的な思い出などまるでないという事。これが敗因となって今回のブログも意味もないところで苦戦してしまったよ。
何とかごましてここまで書いてきたが、もういいかブラジル、さらばブラジル(無責任)。

最後は1982年にサンパウロで結成された大所帯バンド、Titãsだ。
レジァオン・ウルバーナと同じくブラジルを代表するバンドのひとつらしいが、これでチタンスと読むそうだ。
ギリシャ神話の巨人タイタンがポルトガル語ではチタンスになるようだが、この綴りを見ても「ン」は一体どこから?と思ってしまうのはROCKHURRAHだけか?そう言えばサンパウロもSão Pauloで「ン」の部分が見えないが、これがポルトガル語ってヤツなのか。

メンバーが8人くらいいるそうでヴォーカルも3人くらい、とても賑やかそうなのが取り柄のこのバンド。
長く続いてるバンドなので音楽性も時代によってもさまざま。
この辺の雑多さで思い浮かぶのはフランスのマノ・ネグラだけど、彼らほどの強力なバイタリティは感じない。ただラテン系ニュー・ウェイブの個性をうまく世の中に伝えた功績は大きいと思うよ。

1986年に出た3rdアルバム「Cabeça Dinossauro 」は不気味な坊主の鉛筆画みたいなジャケットで、とてもこんな曲が入ってるとは思えないけど、シングルにもなった「Aa Uu」はそこに収録。
最初はアッアとかウウッとかしか言わないのでちょっとバカっぽいけど、ちゃんと歌詞はあるようで良かった。
服の色がどんどん変わってゆくだけのシンプルなビデオだけど、いかにも80年代ミュージック・ビデオといった雰囲気でなかなか効果的に仕上がっているね。

以上、80年代ブラジルのパンクやニュー・ウェイブはこれくらいしかないわけじゃなく、意外とたくさんのバンドがいるし、音楽性もこちらが想像したよりもずっと高い表現力を持っていたりする。
そしてビデオを色々見る限りでは、軍事政権による表現の規制うんぬん、なんてまるでなかったかのように感じてしまうよ。

本当はブラジルに限定せずに南米全部でひとつに纏めようと思ったんだが、他の南米もまだまだいそうだから、それはまた別の機会に書いてみよう。

それではまた、ジャジョエシャペヴェ(南米先住民言語グアラニー語で「さようなら」)

ふたりのイエスタデイ chapter19 /Altered Images

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【オルタード・イメージの1st アルバム】

SNAKEPIPE WROTE: 

学生だった頃、SNAKEPIPEが所属していたのは美術部だった。 
当時はシュールレアリスムという言葉すら知らずに、想像画を描いていたっけ。
写真を見ながら似顔絵を描くのも好きで、クラスメイトに頼まれて描いたこともあった。
アントニオ猪木を色紙に描いて欲しいとの注文を受け、そっくりに描けたのは良かったけれど、顔が長過ぎて色紙から顎がはみ出るハプニングがあったことを思い出した。
それでも似ていたので、友人は本当に喜んでくれたっけ。(笑)
忌野清志郎を描いた時は、自分でもびっくりするほど上出来で、友人に絵を渡すのをためらうほどだった。
こうして思い出してみると、SNAKEPIPEは絵の才能があったのかもしれないね?

当時のSNAKEPIPEにとってアイドルだったのは、オルタード・イメージの紅一点、クレア・グローガン!
クレアちゃんは1980年代初頭のイギリスでも大人気で、ファッション・リーダー的な存在でもあったらしい。
クレアちゃんはリチャード・ギアのファンで、もし彼氏だったら閉じ込めて一歩も外に出られなくする、と雑誌で読んだ遠い記憶が。(笑)
なんでこんなどうでもいいこと覚えてるのかね。
SNAKEPIPEが自分のために似顔絵を描いたのは、このクレアちゃん。
使用したのがこの画像なんだよね!
当時見ていた画像があって良かった、と安堵したのも束の間、これは「透かし入」のストック・フォト…。
他にないのかと探したけれど、見つからなかったのが残念。
この画像を見ながら鉛筆で似顔絵を描いたなあ。(笑)
懐かしい!

ここでオルタード・イメージについて少々説明を。
2018年1月にROCKHURRAHが書いた「俺たちハッピー隊」の内容と重複するけどね!
スコットランドのグラスゴーで1979年に結成されたポスト・パンク/ニューウェーブ・バンド。
メンバーは5人で、全員がスージー・アンド・ザ・バンシーズの公式ファンクラブのメンバーだったという。
そのため結成当時は、バンシーズみたいなダークな音楽だったというけど、クレアちゃんの声とはアンマッチだよね。(笑)
バンシーズがスコットランドでギグを行った時デモテープを渡し、その結果1980年の「カレイドスコープ・ツアー」の前座として同行したという。
オルタード・イメージの名前を有名にしたエピソードなんだね。
そして1981年、イギリスのヒットチャート2位を記録する大ヒットが「Happy Birthday」だよ! 

本当は公式プロモーション・ビデオが良かったんだけど、なぜだか「お住いの国では再生できません」って出てきちゃうんだよね。
当時のSNAKEPIPEも好んで聴いていた曲だよ。
飛び跳ねて歌うクレアちゃんもかわいいね!
この曲は2005年に発売されたロンドンナイト25周年記念特集のCDにも入っていて、とても懐かしかったなあ。

オルタード・イメージは、ヴォーカルのクレアちゃんだけがクローズアップされていたため、他のメンバーについては良く知らないんだよね。(笑)
どうやら画像の右から2番目の男性(Steve Lironi)と結婚したみたいだけど、それは調べて知ったこと。
オルタード・イメージは1983年に解散したけれど、ヒットしたのは1曲だけじゃないんだよね。
今でも80年代を特集するインターネット・ラジオを聴いていると、何曲もかかるし。

解散後、クレアちゃんはソロになったけれどパッとせず、女優業に専念したらしい。
今でも活動してるようで、17歳からのキャリア40年とは驚きだよ。
クレアちゃんと「ちゃん付け」で書いているけど、もう58歳だからね。

最後にもう1曲、「I Could Be Happy」を載せようか。
当時を思い出しながら、気持ちを少女に戻してみよう。
これもSNAKEPIPEにとっての若返り療法だよ!(笑) 

ニッチ用美術館 第6回

【前回と色合い、音楽が違うだけ。次はもっとがんばります】

ROCKHURRAH WROTE:

久しぶりに登場するROCKHURRAHだよ。
3/1以降全く書いてなかったからね。

「ステイホーム」などと言われて久しいが、ROCKHURRAHは毎日どうしても外に出なきゃいけない業種なので、人との接触を7〜8割減など到底出来ないのが恨めしい。
本当は家でやることいっぱいあるし、ステイホーム大好きなのにね。「家にいなきゃならない」なんて言ってる人たちが羨ましいよ。
5/2からはGWでようやくゆっくり出来ると喜んでる。

ニュースで毎日のように渋谷の街は人が激減とか電車はガラガラなどと報じているけど、ウチの近所なんていつもと全然変わらない状況。朝にはアクティブ・シニアたちのウォーキングやジョギング、バス待ちの行列、スーパーはどこに行っても人で溢れかえっているよ。自粛なんてあったもんじゃない。
こんなに無防備な人々が何でマスクだけは目の色変えて欲しがるのか、理解に苦しむよ。

さて、これまた久々、ROCKHURRAHが独自のセレクトでレコード・ジャケットを展示するシリーズ企画「ニッチ用美術館」の6回目を開催してみよう。
ステイホームでヒマだからってROCKHURRAHのブログを読んでる人はほぼいないとは思うけど、一応説明しておこう。
このシリーズ企画は1970年代のパンクや80年代のニュー・ウェイブばかりを今でもずっと聴き続けて語り続ける変人、ROCKHURRAHが「何かちょっといいぞ」と気になったレコードのジャケットを美術館っぽい展示でいいかげんなコメントをするだけというもの。
時代の隙間に埋もれてしまったようなバンドも取り上げるし、美術と80年代音楽文化の狭間を埋める、などという意味合いを込めてニッチ用などとタイトルにつけたが、その内容はどうだろうか?ヒマと興味のある方はぜひ読んでみてね。

今回の「ニッチ用美術館」では、マネじゃないけど偶然似てしまった雰囲気のジャケットを特集してみたので、同じチャプターの中に2つ(場合によっては3つ)のジャケットを展示しているという趣向。

ROOM1 睛眸の美学 

睛眸は「せいぼう」と読み、瞳や黒目の事らしい。うーむ、ROCKHURRAHもそうだが、この歳になるまでこんな漢字書いた事ないよって人も多いに違いないし、たぶん日常的には使わないはずだよね。
「睛眸スデニ輝キヲ失匕ケリ」などとどこかの文豪が書いてそうだけど原典は不明。
そんな睛眸を自分たちのキャラクターでうまく表現したジャケットがこれ、1980年に発表されたレジデンツの「Commercial Album」だ。向かい合ってる人の目玉が実はメンバーの顔だったっていうデザインだけど、いちいち書かなくてもわかるか。

現在では謎の覆面集団として名を知られるバンドだがその歴史は1960年代後半から始まっていて、詳しい歴史はWikipediaあたりで調べてみればすぐにわかるだろう、などと最初からいきなりの説明放棄でいいのか?この企画?
ROCKHURRAHはリアルタイム(初期は70年代)ではさすがに聴いてないけど、まだレジデンツについてあまり人が語ってないくらいの時代には何枚か持っていた。
どちらかというとアメリカよりもイギリスの音楽に興味があったROCKHURRAH(当時まだ少年)だが、レジデンツやペル・ユビュ、リディア・ランチにコントーションズなどは早くから注目しててアメリカ嫌いなわけではない。ポップなものもアヴァンギャルドなものも同時進行で愛してきたから、この頃の音楽的嗜好はしっちゃかめっちゃかだったな。まあそれこそがニュー・ウェイブ初期を通過した人たち共通の思い出だと言える。とにかく情報が少なかったからレコード探しも当たりを引くかどうかの博打みたいなもんだったからね。

レジデンツの音楽を最初に聴いた時は従来のロックとは明らかに違うとは感じたが、そこまで前衛的だと思わずにすんなりと受け入れてしまった。元々プログレとかロクに知りもしないくせに聴いてたような子供だったから、ロック的にはこうあるべしという固定観念もなかったのが逆に良かったんだろう。

ペル・ユビュやレジデンツはカセットテープに録音して、ヤマハのスクーターに乗り誰もいない工業地帯の空き地に出かけて、ヘッドフォンで一人聴きながら過ごしていたもんだよ。
色んな記憶をなくしてしまったけど、あの時の空も服装もなぜだか今でも覚えてるのが不思議。

テープ・コラージュによる奇妙でアンバランスな、断片的とも思える楽曲は既存の商業ロックを嘲笑うような毒々しさに溢れていたけど、強烈なノイズとかではなかったからソフトな主旋律だけが脳に残るような感じ?
表現力が乏しいから陳腐で意味不明だけど、何十年も経った今でも彼らの曲を口ずさむ事が出来るのは、やっぱり強いインパクトがあったからだろうな。

「Commercial Album」はレジデンツの中では聴きやすいとされてるアルバムで、1分の曲が40曲入った架空のCMソング集みたいな感じ。上のビデオはおそらくオフシャルなものじゃなくてアップロードした人のオリジナルなのかどこかから集めたものなのか出典が不明なんだけど、アニメーションがきれいで気に入ったよ。
視聴回数が今日の時点で85回、チャンネル登録者数22人しかいなくて不憫だから、YouTubeに飛んで(リンクして)ぜひ全曲観ていただきたいものだ。
おっと、久しぶりにブログ書いたから自分がどんな語り口だったのか忘れてしまって、大真面目に語ってしまった。あの時の空は覚えてるくせにね。

西川きよしもビックリのこの睛眸、これもインパクト大のジャケットだな。
目玉飛び出たキャラクターが最も登場する漫画と言えば日野日出志が日本一だと思うが、子供の時は夢に出てくるほど怖い漫画をよく読んでいたな。楳図かずおとどっちが怖いか、などと友達と真剣に議論していたのも思い出す。
日野日出志はギャグ漫画的な絵柄なのに不気味でグロくて怖い話というギャップがあり、そのバッド・テイストを愛好する人も多かったよね。
人の名前や色んな事をすぐに忘れてしまうROCKHURRAHだが、「蔵六の奇病」や「幻色の孤島」「毒虫小僧」など今でもスラスラタイトルが出てくるという事は、それだけインパクトが強かったってわけだね。個人的にはちょっと地味だが「百貫目」とか、本当にあったかも知れないなと思える話が好きだったけど、うむ、自分でもさっきから気づいていたがこの思い出話に睛眸要素はひとつもなし。ついでにニッチ用美術館でアート的に語る要素もなし。
しかも冷静に見れば目玉ビョッコリ以外は特に似てもいないかな。

そんな不気味なジャケットで話題となったのが、1984年に発表されたエイリアン・セックス・フィーンドの2ndアルバム「Acid Bath」だ。その前後にカセット・テープでの作品をいくつか出してるけどね。
カセットをダビングするのは大変と思うけど、たぶん何百本とか作ってライブ会場やレコード屋に頼んで売ってたりしたんだろうな。この時代のインディーズ・バンドはこういう地道な活動でファンを増やしてたもんだよ。
エイリアン・セックス・フィーンドは1980年代前半にイギリスの音楽シーンで大流行したポジティブ・パンクの代表的なルックスと音楽性を持ったバンドだった。
ポジティブ・パンクという言葉自体が誰かが勝手につけた名称で、同じ音楽性を指す言葉も例えばゴシックだのダーク・サイケ、ダーク・ウェイブだの、ちょっとずつニュアンスは違うんだろうが複数存在してるのがややこしい。
日本では略しやすいからかポジティブ・パンク、ポジパンとみんな言ってたな。
当時を知る人には説明の必要もないが死体やゾンビのような白塗りメイクで不健康、退廃の極みといった雰囲気を持ち、多くのバンドは反キリスト教っぽい歌、ジャケットやバンド名のロゴなどもワザと不気味なモチーフ。こういうバンドが数多く現れてきてブームを作っていった。セックス・ギャング・チルドレンやサザン・デス・カルト、ヴァージン・プルーンズやスペシメンなどなど。

ROCKHURRAHはヴィジュアル的にこういうバンドのマネをした事はないが、元々ホラー映画など不吉大好きな傾向があったから、すごーくのめり込んでこのジャンルを片っ端から集めまくっていたな。本当は上に挙げたバンド名の何倍も、この手の音楽のものはとりあえず買っていたくらい。
白塗りメイクじゃないバンドもこのジャンルにはいたし、同時期に同じようなゾンビ・メイクでサイコビリーのいくつかのバンドも活動してたから、初心者にとってはますますわかりにくいジャンルだったな。

ポジパンがイギリスでブームになった一因は、ロンドンにあったバットケイブというクラブにそれ系の人が集結していたというのが大きいと思う。元はアンワンテッド(カタカナで書くと情けない)というパンク・バンドにいたスペシメンのオリーやそのメンバーが主催していたポジパンの一大聖地、そこに行けばポジパン界のスター達を間近で見れるというならファンは地方からも詰めかけるに違いない。
バットケイブに集っていたバンドのコンピレーション「Batcave Young Limbs And Numb Hymns」というレコードが出てて愛聴していたが、その中にもこのバンドは収録されていたな。
個人的にはヴォーカリストののっぺらした長い顔が嫌いでエイリアン・セックス・フィーンドはあまり好きなバンドではなかったけど、日本ではポジパンの代表バンドみたいな扱いでなぜか人気が高かった。
ビデオも新宿のツバキハウスでのライブ映像だが、ゴシックともポジパンとも言いかねる普通の聴衆に囲まれて勝手が違う様子。しかしライブは思ったよりちゃんとしてて、さすが百戦錬磨の外タレだな。
しかし熱演してるのに悪いが、美形ヴォーカリストが多いポジパンの中では異質に感じてしまうよ。
間延びした顔とパンダ目と白塗り化粧により、カッコ良さを通り越して滑稽さ、不気味さが際立ってるよね。

おっと、久しぶりに書いたからこの企画がどういうのだったか忘れて、いつもと同じような調子で書いてしまったよ。美術館的要素もほとんどないと思えるが、ROCKHURRAHの書くものはいつもワンパターンだと思ってれば間違いなし(偉そう)。

ROOM2 伯纳德の美学

どう見ても日本で普通に使われる漢字じゃないから「読めん!」のも当たり前だとは思うが、これは中国語で書いた人名ベルナール(またはバーナード)の事らしい。日本では外人の名前はカタカナにするけど中国では当て字や独自の漢字を用いるからね。ベルの部分がベルリン(伯林)と同じなのはわかるけど。
第5回の記事でアンナ・ドミノを書いた時に苦し紛れで中国表記を使ったのと同じパターンだな。
SNAKEPIPE MUSEUM #02 Bernard Faucon」でも書かれていたフランスの写真家ベルナール・フォーコン(フォコン)の作品がそのまんまジャケットに使われているのがこれ。ROCKHURRAHは個人的には写真家について詳しくはないが、写真の道を志していたSNAKEPIPEの話やブログで知った一人がベルナール・フォーコンだった。少年のマネキンを使って日常的、あるいはちょっと非日常的な光景を撮った写真で有名らしい。
後ろが火事なのに談笑してる子供というシチュエーションがどういう意図なのかはわからないけど、無邪気な子どもたちというよりは、三島由紀夫の「午後の曳航」に出てくる少年たちを思い出したよ。え?知らない?自分で調べなさい。

最近の子はどうか知らないけど、ROCKHURRAHが子供の頃はG・I・ジョーという米軍兵士のアクション・フィギュアが流行っていて、これで遊んだって人も多いと思う。これが高かったのかコンバットに興味なかったのか覚えてないが、ROCKHURRAHはタカラが出してた変身サイボーグという亜流のおもちゃで遊んでいた。全身が可動するのは一緒だが本体は透明になってて、これに例えばウルトラマンとかの着ぐるみを着せて変身するというシロモノ。ちょっと伸びるビニールかゴムかの素材で出来たピッタリのスーツは着せるのも脱がすのも一苦労で、確か無理やり脱がそうとして生地が破れた情けない思い出があるよ。

ちなみにずっと後にはミリタリーに傾倒するROCKHURRAHだが、この当時は兵士ではなくモデルガンに興味があった。コルト・キャバルリーや357マグナム、南部十四年式やベレッタという意味不明の傾向(時代も国もバラバラ)で集めたモデルガンをぶっ放したり、わざわざ福岡のMGC(というモデルガン・メーカーの直営店?があった)まで買いに行ったりしてたもんな。 ん?思い出話はもういい?

ベルナール・フォーコンの作品のアート的主題とかについては漠然とわかる気はするが説明する気はない。
ただG・I・ジョーを実物大の球体関節人形にしたら、ROCKHURRAHでもこういう着せ替え遊びをしたり写真も撮るだろうな、という衝動はあるよ。周りの人がもっともらしく意図を考えるけど、アーティスト自身は案外遊びの延長だったりするかな、とも思う。

そんな伯纳德の写真が発表されたのと同時期にジャケットに採用したフランスのバンドがJoli Garçon、1980年リリースの「Tarawa Pacifique 」というアルバム。バンド名はジョリ・ギャルソンでいいのかな?
フランス語でかわいい少年というような意味だからジャケットそのまんまだね。ベルナール・フォーコンの作品がどういう経緯でこのバンドのジャケットに使われたかは全く不明だけど、割と有名な写真作品をほぼリアルタイムで使用するとは贅沢だね。その心意気の割には世間的にはたぶん知られてないバンドのまま終わったっぽいし、アルバムもこの1枚のみしか出してない。

フランスは元々ロックがあまり根付いてない国という印象があるから、従来のロック的なものを排除したようなタイプのニュー・ウェイブが好まれるのかも知れない。このバンドを聴いた印象はフランスのパンクの延長とかフレンチ・ミュージックのニュー・ウェイブ的解釈と言うよりは、もっと無国籍などっかの歌謡曲をニュー・ウェイブ風にアレンジしたみたいに感じたよ。
悪い意味ではなくてイギリスのニュー・ウェイブを聴き慣れた耳には新鮮だとは思った。
しかし演奏に自信あるのか知らないが曲によってはイントロや間奏がちょっと長めで、そこが冗長で人気バンドになれなかった原因かもね。

本家が出てしまった後ではちょっと苦しいが、同じようにマネキンを使ったジャケットないかと思って探したらこれが見つかった。
1983年に発表されたゼルダの2ndアルバム「Carnaval 」だ。
単にマネキン使って外で撮影してるところが共通点なだけで「偶然似てしまった雰囲気のジャケット」というほどではないけど、ROCKHURRAHの情報収集能力なんてせいぜいこの程度。

日本のパンクやニュー・ウェイブには疎いROCKHURRAHなんだが、ゼルダもバンド名やメンバーの顔は知ってても曲の方はあまり印象にない(この当時)というのが正直なところだった。
メンバー全員女性のバンドで演奏面でのハンディキャップとかあるだろうに、長く第一線で活動して支持されてきたという事実は揺るぎないし、この世代で日本のガールズ・バンドと言えば必ず名前が出てくるのも間違いない。 革新的なものに目を奪われがちのニュー・ウェイブの世界だったが、代表的に生きるというのも難しい事だと思うよ。

代表的なだけに残ってる映像も多いんだが、なぜか「Carnaval 」からの動いてる映像があまりなかった。
これは大貫憲章とNOKKOが司会やってたTV番組のもの。ゼルダと言えば確かにこういう服装でこういう帽子だったなと記憶がよみがえる。ついでに大貫憲章もこういう帽子がトレードマークだったな。
懐かしき黄金時代の80年代だね。

ROOM3 經緯の美学

今回は自粛とか言って二つ目までのチャプターで許して貰おうかと思ったけど、最後がゼルダじゃROCKHURRAHらしくない、などと思って無理してしまった。
久々に出かける用事もない連休だから、もう少し頑張るか。

經緯と書いて「けいい」と読む、あるいは「いきさつ」では当たり前すぎるのであまり一般的じゃないこの読み方を敢えてしてみよう。一般的じゃないと書いたものの、元々は織物で使われる用語でこれを「たてぬき」と読むらしい。こっちの方がオリジナルだったとは。
そう言えば地球の縦横には経度、緯度などという見えない線が引かれてるようだがこれも經緯だな。

日本では縦書きも横書きも漢字もカタカナもひらがなもあり、文字にとっては万能の便利な国だけど、外国人にとってはややこしいに違いない。英米でも縦の看板には英語が縦書きされてはいるけど。
この縦横文字を効果的に使ったのは市川崑監督の横溝正史シリーズがよく知られてるね。あの時代には斬新でスタイリッシュに見えたし、影響を受けたエヴァンゲリオンとかでもさらに多くの人に知られた。うーむ、それさえもすでに20年以上昔の話か・・・。 

そんな經緯をうまくあしらったジャケットと言えばこれ、1979年に発表されたクラッシュの3rdアルバム「London Calling」と言いたいが、多くの人が知る元ネタは1956年、エルヴィス・プレスリーのこのレコードだろう。ただ、たしなみとしてプレスリーを多少は知ってても、ウチの専門はパンク/ニュー・ウェイブだからこれを語るのはちょっと違う。
オリジナルをすっ飛ばしてクラッシュの方から語らせてもらおう。
ってほど語る内容もないよう。
誰でも知ってるパンクの王道音楽だから敢えてヒネたROCKHURRAHが語るような切り口も見当たらないなあ、家でSNAKEPIPEとは語っているけどね。ROCKHURRAH家はいつまでも時が止まった80年代で羨ましかろう?
一部でしか知られてないがある方面では絶大な人気を誇った漫画家、桜玉吉の漫画に精神を患った作者本人と担当者が突然、「PILのライブ行ってきた?」というような今が80年代真っ盛りみたいなギャグが始まって大いに受けたのを覚えてる。患ってるから現実逃避して、楽しかった80年代にトリップしてるという見事な描写なんだが、事情を知らない人からは「何これ?」と言われるようなカルトな魅力を持ってたな。ウチの場合はナチュラルに80年代会話が出来るからそれが素晴らしい。

ROCKHURRAHがまだパンクにのめり込んでいた少年だった頃。
レコードは買ったり図書館の視聴覚室に行って聴いたりしたけど、一番苦労したのがファッション面だった。住んでいた北九州の小倉はパンクな服などまだ手に入らず、自分で破いたり染めたり、かなり情けないパンクのつもり少年だった。この辺が金さえ出せば一応それっぽいパンクな身なりになれる東京との大いな温度差だと思ってた。地方のコンプレックスというヤツだね。
そんな小倉の旦過市場横、80年代くらいの話で今の小倉とは大きく違うはずだがゼマック・ホラヤという紳士服チェーン店があり、入り口の横を曲がった先に古い靴屋があった。そこの店先に店のオリジナルっぽい理想的なラバーソールの靴が置いてあり、ずっと憧れていたのを思い出す。その当時でも福岡に行けば確かどこかでロボットのラバーソールが手に入ったはずだが、それよりも遥かにデザイン的に優れていた。
かなり高かったから憧れていても結局買う事はなかったけど、地方の田舎町のおっさんしか行かないような店でなぜラバーソールが置かれていたのか不思議。

話が各方面に飛んでROCKHURRAHの脳内經緯がわからない人には意味不明だろうが、連想が連想を生んだ先だけを突然言い出すのでそうとうに理解されないタイプだろうな。やっぱり何か患ってるのかもね。

「London Calling」はパンク史上に残る名盤だとは思うが、個人的には1stや2ndの方がが好きだ。などと言ってはこの企画が成り立たないからこのビデオをチョイスした。
これは1982年に中野サンプラザで行われた来日公演の模様。何と当時、NHKの番組でTV放送したという伝説の映像だ。ROCKHURRAHも実家のビデオで録画して持ってたが、β規格が廃れてから再生出来る機器がなく、いつのまにか消失してしまったな。
労働組合か運動会で使いそうな「団結」の鉢巻き、ジョー・ストラマーが巻くとこれさえもカッコ良く見えてしまうのがクラッシュのすごいところ。 

クラッシュのジャケットは各方面に絶大な影響を与え、これをマネしたりパロったジャケットも色々出てきた。探せば他にもたくさんありそうだけど、本日の展示はこれでおしまいとする。
1995年に発表されたレッド・ホット・ロッキン・フッドのシングル「Red Hot Warrior」が題材の秀逸さでは一番だと思ってるよ。重量物のウッドベースだからインパクトも強烈。この後本当に打ち壊したのか?それは不明だがROCKHURRAHだったら勿体なくて出来ないな。

 レッド・ホット・ロッキン・フッドは1990年代後半に大活躍した日本のサイコビリー・ミクスチャー・バンドだったが、メンバー全員が後に別のバンドで活躍したというインディーズ界のスーパー・バンド。
日本ラスティック界の大御所、東京スカンクスから影響を受けて始まったというこのバンドは高速スラップ・ベースと何を言ってるのか聞き取れないふざけた歌い方、スカンクスにはない爆音ギターなどの要素がうまくミックスされて、その筋では大人気だった。うーむ、しかしこれもまた20年以上前の話。月日が経つのは早いね。

「ドクターペッパー」はノリやすく大合唱しやすいから大人気の曲。ちょうど彼らが活躍してた頃にROCKHURRAHは東京にいなかったから、ライブには行けなかったのが悔やまれる。上のジャケットのシングルとアルバムでヴァージョンが違ってるけど、どちらも最高。

以上、今回はひとつのチャプターで2つのバンドを書いたから疲れたし、ニッチ用美術館の企画自体がかなり面倒ではあるけど、自分でも好きなシリーズだから、また書いてゆきたいよ。

ではまた、DaH jImej !(クリンゴン語で「さよなら」)
  

ふたりのイエスタデイ chapter18 /JAPAN

20200412 02
【JAPANのアルバム 「Tin Drum」】

SNAKEPIPE WROTE:

2020年2月に「ふたりのイエスタデイ chapter17 /Sigue Sigue Sputnik&RUN DMC」 を書いてから、
「一番最初に行ったライブはなんだろう」
と思ったSNAKEPIPE。
先週書いた「ROCKHURRAH紋章学 アルコール・ボトル アーティスト編」でも、POGUESのライブに行ったことを思い出したり、過去には意外と「来日公演」に行っていたからね。
じっくり考え、遠い記憶をたどってみる。
「そうだ!JAPANだ!」

動画を載せたのは、恐らくSNAKEPIPEが一番最初にJAPANを見たであろうプロモーション・ビデオ。
「Life In Tokyo」は1979年の曲だって?
今から何年前かと考えると恐ろしい。(笑)
2015年2月に書いた「ふたりのイエスタデイ chapter07 / Duran Duran」でも登場した「火曜日だったか水曜日の夜7時から始まるローカル番組」で、見たんだよね!
この番組は司会者が進行役となり、独自のセレクションでプロモーション・ビデオを流していた。
リクエストにも応じていて、JAPANはよく流れていたっけ。
このちょっとモヤがかかったような白っぽいバックに、ハレーションが起きているような強いスポットライトに浮かび上がる前髪長めのヴォーカリストの映像は、何度も見たよ。
いつもリクエストが一番最後だったので
「それでは皆さん、また来週!」
と司会者が言った後、ほんの何十秒かだけ映像が続き、CMで終わってしまう。
そのため、今回初めて全編を視聴したよ。(笑)

ここまで「JAPAN」と何度も書いているけれど、「日本がどうしたって?」と思う人も多いかもね?(笑)
「JAPAN」というのは、1974年にヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンを中心にイギリスで結成されたバンドなんだよね。
「なんとなくJAPANという響きが浮かんだだけ」(Wikipediaより)という、あまり意味のない理由により、バンド名を決めたというデヴィッド・シルヴィアン。
イギリスではパッとしなかったのに、日本では大人気!
バンド名も親近感を増す要因だったのかもしれないけど、なんといっても女子が好んだのはそのルックス。
まるで少女漫画に出てきそうだもんね!
JAPANの曲はほとんどデヴィッド・シルヴィアンが作詞・作曲していたことも、今回初めて知ったよ。
ギターもピアノもこなすし、天は二物も三物も与えてるじゃないの!
何故か写真家・作家の藤原新也と親交があり、以前藤原新也のHPで一緒にモーターボートに乗っている画像を見たことがあるよ。
アルバムのジャケットに藤原新也の写真が使用されているんだって。
バンド名だけじゃなくて、実際に日本との関わりも深いみたいだね。

JAPANのベースはミック・カーン。
ミック・カーンのベースは、一度聴いただけで特徴をつかむことができるほど。
うねるような音なんだよね。
何か奏法名があるのかもしれないけど、ミック・カーン以外でこんなベースは知らないよ。
ジャズとかフュージョンで使われることが多いフレットレス・ベースをロックの世界で個性的に使ったのがミック・カーン、ということになるみたいだね。
真っ赤な髪で真っ赤なスーツ、ギロギロした目!
一見強面に思えるのに、実は猫好きだって。(笑)
さすが猫がいっぱいいるキプロス出身だけあるよね。

上に載せた「Visions Of China」が発表されたのが1981年。
同じ年に日本で出版された「MUSIC LIFE」新年号の表紙を飾るJAPANのメンバーだよ。
メンバーについて、ヴォーカルとベースしか書いていなかったけれど、この画像をもとに少し説明してみよう。
上の左がドラムのスティーブ・ジャンセン。
中央にいる金髪のデヴィッド・シルヴィアンの実弟なんだよね。
並んで写っている画像によっては、似て見えることもあるよ。
言われないと分からないことが多いかも?(笑)
上の右はミック・カーンでしょ。
下の左がキーボードのリチャード・バルビエリ。
モノトーンの服装が多い印象があるよ。
口紅も黒かったしね?
下の右がギターのロブ・ディーン。
2015年8月にROCKHURRAHが書いた「ロックンロール世界紀行 Transit05」によれば、この頃の「MUSIC LIFE」にJAPANが登場することが多かったという。
表紙だったりグラビアで特集される、とかね。
そうしたことも日本での人気につながったんだろうね。

JAPANの初来日は1979年で、最初から日本武道館で公演を行っている。
恐らく当時の最大収容人数を誇る会場が日本武道館だったんじゃないかな?
チケットが完売できるほどの人気だったってことだもんね。
SNAKEPIPEは、その時代より少し後輩にあたるので(笑)、ライブを観たのは1982年の武道館だよ。
チケットが余ったから誰か行かない?と学校の先輩から誘われ、実はあまりJAPANを知らないのに思わず手を上げてしまったんだよね。
そのチケットはとても良い席で、1階席の前から数えたほうが早いようなステージに近い席だった。
曲を聴くというよりも、 メンバーの顔を見に行った、という感じかな。(笑)
一番人気はヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンだけれど、実際にステージを観たSNAKEPIPEに強いインパクトを与えたのはミック・カーンだった。
笑いながら瞬きをしない鋭い目つきで軽いステップを踏み、ベースを弾く。
ステージを右に左へとカニ歩きする様は、今でもはっきり覚えているよ。
そのミック・カーンは2011年にガンのため亡くなっている。
52歳じゃ若過ぎるよね。

今回JAPANについて調べていたら、思っていたよりも多くの曲を知っていたことが分かったよ。
そのうちの1曲がこの「Adolescent Sex」(1978年)だった。
曲は聴いたことがあったのに、JAPANだとは知らなかった。
初期の頃はロック色が強かったんだね。

JAPANは1982年に解散している。
SNAKEPIPEが武道館に行った翌年ということになるね。
一度でも実物を観られて良かったよ!

JAPANは、遅過ぎたグラム・ロック、早過ぎたニュー・ロマンティックという微妙な立ち位置のバンドだったのかな。
デヴィッド・シルヴィアンの知的さと美意識のためなのか、ヒット・チャートを独占するようなキャッチーな代表曲には恵まれなかったのかもね。
ただし、それは音楽性の高低についての話ではない。
恐らくJAPANは様々なミュージシャンに影響を与えているバンドには違いないし、いわゆる美形ビジュアル系バンドの元祖だろうね。
今回改めて振り返り、そんなことを思ったSNAKEPIPEだったよ!