ふたりのイエスタデイ chapter20 /ファンカ・ラティーナ

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【Haircut 100のアルバム「ペリカン・ウェスト」のジャケット】

SNAKEPIPE WROTE:

毎週楽しみに観戦しているアメリカPGAツアー。
ほとんどの試合はアメリカ本土で開催されているけれど、選手はアメリカ人ばかりではない。
世界各国から参加していて、最近では南米の活躍が目立つ。
チリやアルゼンチンでゴルフ、というイメージはないけれど、実際に選手が活躍しているから驚いてしまうね。
南米といえば、サッカーにサルサやボサ・ノヴァ、サンバなどのラテン音楽と思ってしまうのはステレオタイプ過ぎるのかな?

80年代に流行ったニュー・ウェイブに、ラテン音楽をミックスするジャンルがあった。
ファンカ・ラティーナと呼ばれ、一世を風靡したんだよね。
ファンクとラテンをミックスさせた造語は、誰が考えたのやら?
この言葉はもしかしたら日本だけで通用している言葉だったのかもしれないけれど、当時はジャンルとして確立されていたように思う。
いくつものバンドが、ラテン要素を含んだ曲を発表していたんだよね。
ノリの良さと一緒に歌えるメロディーラインで、SNAKEPIPEも大好きだったよ!

Haircut 100の「Favorite Shirts」はファンカ・ラティーナを代表する曲と言っても過言ではない。
そしてこの曲の邦題「好き好きシャーツ」が、当ブログのカテゴリー「好き好きアーツ」の元ネタ!(笑)
2020年8月の「ふたりのイエスタデイ chapter19 /Altered Images」で、オルタード・イメージのクレアちゃんの肖像画を描いたことを書いたけれど、実はこのバンドのヴォーカルも描いていたことも思い出した。
ニック・ヘイワード(トップ画像一番左)がアイドル的な風貌で、とても人気があったからね。

軽快なギターのカッティングが印象的で、本格的なファンクでもラテンでもないけれど、ニュー・ウェイブ世代のライト・リスナー向けラテン音楽入門になったバンド、とROCKHURRAHが語っているよ。
そしてHaircut 100の特徴は、トップのレコード・ジャケットでも分かるように、白いセーターをインにして、その上からサスペンダーを使用するスタイルだったり、お坊ちゃま風の服装が多かったこと。
なんとセーターの上からのサスペンダーは、当時はROCKHURRAHも真似ていたらしいよ。(笑)
その頃ROCKHURRAHは、地元の北九州在住だったので、そういう服装を理解してくれるのは、限られた人だけだったみたい。
苦労したんだねえ、ROCKHURRAH!(涙)

良家のご子息がバンドをやってる、みたいな風貌なのにファンクっぽいノリの良い音楽だったというギャップも魅力だったんだよね。
ファンクにラテンというと、みずみずしい印象にはなりづらいのに、Haircut 100には爽やかさがある。
彼らのおかげで(?)ファンカ・ラティーナが幅広い世代に支持されて、一大ムーブメントになったのでは、とROCKHURRAHが推測しているよ。
Haircut 100は他にも「Love Plus One」(邦題:渚のラブ・プラス・ワン)などヒット曲を出している。
この邦題も非常に気になるけれど、レコード会社の人のセンスだろうね。(笑)

続いてはModren Romanceの登場だよ!
「Ay Ay Ay Ay Moosey」(邦題:今夜はアイ・ヤイ・ヤイ!)もノリノリになっちゃうダンス・チューンだよね。(笑)
そしてまた気になるのが邦題なんだけど、SNAKEPIPEとROCKHURRAHはこのタイトルで覚えてるんだよ。
当時は原題を知らなかったしね。
そして今回初めて動いている姿を観たよ。
こんな顔だったとは知らなかったね。

ファンカ・ラティーナについて書くことをROCKHURRAHに話すと、次々とバンド名が出てくるんだよね。
Blue Rondo à la Turkのような長いバンド名もスラスラ口にできる。 
若いうちに覚えたことって忘れないものだね。(笑)
曲は「Me and Mr. Sanchez」。
とても懐かしいよ!
Blue Rondo à la Turk解散後、結成されたMatt Biancoもヒットしたね。

これも長いバンド名のRip, Rig & Panic
そんなに長くないか?(笑)
この映像は、どうやらイギリスのホームドラマの中で「You’re My Kind of Climate」を演奏しているシーンらしい。
それでこんな扮装をしてるんだね。
音楽に合わせているのか、ドラマの展開のせいなのか、かなり民族音楽要素が強い。
ヴォーカルのネナ・チェリーは服装のせいはもちろんだけど、「Buffalo Stance」の頃とはまるで別人だわ!

Pigbagは、上に書いたRip, Rig & Panicと一緒に「The Pop Group」というバンドを組んでいたという。
解散後、メンバーがそれぞれバンドを作ったってことだね。
The Pop Groupは硬派なメッセージ色の強いバンドだったらしいけれど、Pigbagのヒット曲にいたっては歌詞がない!
インストゥルメンタルの「 Papa’s got a brand new pigbag」は、日本ではHONDAのCMでも使われていたっけ。
ああ、懐かしき80年代よ!(涙)

最後はアメリカのバンドにしよう。
Kid Creole & the Coconutsは音楽性はもちろんのこと、そのファッションにも注目が集まったんだよね。 
1940年代頃流行したダブダブのシルエットをした「ズート・スーツ」を身に着け、イカサマ師かチンピラかといったインチキ臭い風貌のキッドがヴォーカルだった。
ここでもまたROCKHURRAHのエピソードがあるんだけど、ズート・パンツも着ていたらしいよ!
音楽とファッションが密接に絡んでいた時代だからね。

思い出しながらツラツラと書き綴ってみたけれど、とても懐かしくなってしまったね!
どうしてファンカ・ラティーナのようなムーブメントが起きたのかは謎だけど、日本でもジュディ・オングの「魅せられて」、久保田早紀の「異邦人」や庄野真代の「飛んでイスタンブール」がヒットしたように、異国情緒ブームが起きたことがあったもんね? (古い!)
仕掛け人がいるのかもしれないけれど、世の中の流れが同じような方角を向くことってあるのかもしれない。

久しぶりにファンカ・ラティーナを聴いたら楽しくなってしまった。
さあ、踊ろう!
みんなでアイ・ヤイ・ヤイ!(笑)

80年代世界一周 亜爾然丁編

【予想外に豊富だった80年代亜爾然丁ロッカーの面々】

ROCKHURRAH WROTE:

以前に南米の80年代パンク、ニューウェイブ特集をしようと思ったら、予想外に層が厚かったからブラジルのみしか出来なかった。
それで今度は残りの南米について書いてみようか。
南米の音楽事情について全然詳しいわけでもなく、人から見たら何で書きたいのかがわからないというくらいのシロモノになるのは間違いないが、大体いつも割といいかげんに書いてるブログなので細かい事は気にしないで。

一口に南米と言っても相当な国がひしめいてて、地理や歴史に詳しくない人は国名を全部言えないのではないかと思う。
ROCKUHURRAHもスリナムとかガイアナなどはこれまでの人生で一度も話題にした事ない国名だったよ。
ブラジル以外の南米主要国はほとんどがスペイン語圏だから、国によって音楽のニュアンスが大きく変わる事はないような気がするな。
どうせその国の80年代がどうだったか?なんて知りもしないから、テキトーな順番で矢継ぎ早に書いてゆこう。

まず今回はブラジル以外の南米の国では一番メジャーそうな国、領土も南米二位という大国アルゼンチンから。
漢字で書くとタイトルのように亜爾然丁となる。爾がルで丁がチンなんだね。

この国に対するROCKUHURRAHのイメージは貧困で(どの国でもそうなんだが)アルゼンチン・タンゴとかガウチョとかフォークランド紛争(古い)とか、その辺の月並みなものしか思い浮かばないよ。
去年観に行った「永遠に僕のもの」や結構ヒットした「人生スイッチ」もアルゼンチン映画だったな。
その両方のプロデューサーだったペドロ・アルモドバル監督作品の常連、セシリア・ロスもアルゼンチン人だし、スペインとアルゼンチンは結構密接に関係してるという印象を勝手に持ってるよ。
ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれてるそうだし、旅番組とかで見てもたぶん好きな感じの国だと思った。
この国の80年代がどうだったかなんて知らないが、前回特集したブラジルと同じく、意外とパンク、ニューウェイブも発達してたのかな。

アルゼンチンのパンクとして真っ先に名前が挙がる大御所がこのLos Violadoresだ。スペイン語で「違反者」を意味するバンド名だがカタカナ表記したサイトが見つけられず、イマイチ読み方がわかってない。
そのまま読んでヴィオラドレスなどと書いて検索したら舞踏会か結婚式で着るようなすごいドレスが出てきたからきっと違うんだろうな。

1981年にブエノスアイレスで結成した4人組で最初の頃は割とガラの悪い見た目だったが、人気が出た頃にはニューヨーク・ドールズとハノイ・ロックスとダムドが合わさったようなルックスになっていた模様。ヴォーカルのPil Trafaは確かに南米を感じさせないルックスでロックスターになるのもよくわかるよ。
途中で何度か活動休止期間もあったようだが、1983年から現在までコンスタントにレコードも出していて、本国ではたぶん最も成功したパンク・バンドなんだろう。

ビデオの曲は1985年に出た2ndアルバムに収録でシングルにもなった代表曲「Uno Dos Ultraviolento」。
勝手に直訳すれば「ワン、ツー、超暴力」で何だかよくわからないタイトルだが、 血気盛んなラテン民族には大好評だったに違いない。
ベートーベンの「歓喜の歌」をイントロに使ったポップでパンクな曲調は日本で言えばラフィンノーズの「聖者が街にやってくる」とか思い出してしまったが、ちょうど同じ年の曲なんだよね。
曲の構成とかサビのハモリとか妙にラフィンノーズっぽいノリを感じるけど、こっちの方が軽いな。
どっちも影響を受けたものは違うかも知れないけど、日本もアルゼンチンも発想は同じようなものだと確認出来て良かった良かった。

ビデオでは「時計じかけのオレンジ」を模したヴォーカリスト、この辺もパンクの世界では世界共通に影響を受けてるというのがわかるね。こりゃ確かに「ワン、ツー、超暴力」だわ。

似てると言えばもう一つ思い出していいかな。
ギタリストはこの手のバンドには珍しくギブソン・エクスプローラー(コピーモデルかも知れないが)という珍妙な形のギターを持ってて、高校の時に先輩から借りて持ち帰ったのを思い出したよ。
当時は誰が使ってたか思い出せないが(おそらくフュージョン系)B.C. リッチとかアレンビックとかあまり伝統なさそうなギターが流行ってたから、色んなギターを弾いてみたいという欲求が強かったんだろう。
何行も書いたくせに、見た目の割には弾きにくくはないという感想くらいしかない。
大体同じようなフォルムのギブソンのファイヤーバードはヴィンテージ感があってカッコいいのに、この違いは何だろう?

アルゼンチンと言えば忘れちゃならない、80年代で最も知られたバンドがこのSoda Stereoだろう。
Sodaは単体ではソーダなんだろうがなぜかこのバンドはソダ・ステレオと呼ばれているそだ。
いや、スペイン語でもソーダでいいだろうに、などとどうでもいい感想をまず持ってしまうが、1982年に結成された3人組。
1984年に出た1stアルバムは驚くほどたくさん南米各国で再発を含めリリースされまくってるが、南米以外ではアメリカで随分後になって出たくらい。どうやら南米だけで大人気のバンドらしい。
などと無責任に書いたがラテンアメリカで初めて100万枚を超えたバンドらしく、全世界(大半は南米だと思うが)で700万枚も売れたレジェンド級の活躍をしたらしい。ここまで書いて気付いたが訂正するくらいなら書き直せば良かった。

そのアルゼンチンの伝説、Soda Stereoは1982年にブエノスアイレスで結成、1997年に解散するまでコンスタントにレコードを出して大成功を収めたという。1枚のレコードにつき30〜50くらいの各国盤がリリースされてるようなので、それはものすごい人気だったんだろう。
パンク的な要素はあまりないけどロックとラテン、レゲエ、スカなどが実にうまくミックスされていて、この辺はずっと後の時代のマノ・ネグラあたりに通じる痛快なノリの良さ、勢いを感じる。

ビデオはアルバム・デビューより前の1983年の映像だが「Te Hacen Falta Vitaminas」(自動翻訳による勝手な邦題「あなたはビタミンが必要です」)はデビュー曲で1stアルバムにも収録されている、ヤンチャで元気のいい様子が伝わる名曲。
個人的にニュー・ウェイブに関しては後進国だと思っていた認識が大きな間違いだと反省したよ。

しかしヴォーカルのグスタボ・セラティは2010年(バンド解散後)にライブ後、脳卒中で4年間も昏睡状態となり2014年に55歳で死去している。
うーん、大成功したロックスターの死としてはやりきれないが、前回のブラジル編で書いた、国民的スターだったヘナート・フッソも30代だったな。
大スターであろうとなかろうと、何か自覚症状があった時は深酒とかのせいにせずに早めの検診を、としか言いようがないよ。

有名なバンドが続いた後で一気に情けなくなってしまうが、このTrixy y Los Maniáticosも1981年に結成したアルゼンチン・パンクの先駆者のようだ。はっきりは読めん、だがトリクシー&ロス・マニアティコスでいいのかな。
後にソロとなったトリクシー嬢(おばちゃんっぽいが)は最初に書いたLos Violadoresのバッキング・ヴォーカルなどもやってたみたいだから、その辺の縁でアルゼンチンのパンク・シーンが出てきたのかな。
何しろレコードのような音源も出してなくてずっと後にカセットが出たのみ、主要な曲はトリクシーのソロ曲とかぶってるし、とにかく情報がなさ過ぎて困ってしまうようなバンドだ。

なのにYouTubeにはTV出演の映像とか残ってるし何曲も聴けたりする。一体どうなってるんだ?
映像は悪いし上の2つのバンドと比べると明らかにクオリティは低いが、ラテンでも立派にロックンロールしてるぞという堂々とした姿勢が心を打つ(大げさ)。

レコード・リリースさえないインディーズ中のインディーズ・バンドが晴れてTV出演したという貴重な映像には違いない。
「ウチらはライブ・バンドやけんスタジオ盤なんか出さんっちゃ(なぜか突然方言)」などと言ったのかどうか、これこそがパンクの生き方なのかどうかは知らんが、そういうバンドを見つけるのこそが80年代世界一周の目指すところだよ。

長身でこの髪型やルックスは「フジヤマママ」で知られる女性ロッカー、パール・ハーバー(一時期クラッシュのポール・シムノンの奥さんだった)をちょっと思い出す。その辺を意識してるのかな?

で、また情報が少ないバンドその2、Alerta Rojaもアルゼンチンの最も初期パンク・バンド、Los Psicópatasが名前を変えたという3人組だ。
Los Psicópatasは1979年の結成で、その後Estado de Sitioと改名した後、三度目の正直でレコード・デビューした時にはAlerta Rojaになったらしい。全部読めん。日本語に訳すと「非常警報」というバンド名でいかにもだな。
一番上に書いたLos Violadoresよりも早い1982年にシングルを出し、83年と86年にアルバムも出してるようだがたぶん相当入手困難、忘れた頃の2013年にやっとこれまでの活動全曲入りのCDが出た。

そんな零細バンドなのになぜかちゃんとした映像が残ってて、これまた不思議の国アルゼンチン。
ビデオは1983年に出た1stアルバム収録の曲「Atrincherado(塹壕)」だ。
曲はLos Violadoresなどと比べるとラウドで荒々しく暗い雰囲気、あまり南米っぽくは感じないね。
このバンド、荒削りなパンクの1stも独特なダークさを展開した2ndもすごく良いので、中古盤屋でその全曲入りCD見つけたらぜひ買って欲しいくらいだよ。
ヴォーカルがちょっと垢抜けない(という言葉の方が垢抜けないが)しギターはベイ・シティ・ローラーズみたいなチェック・マフラーだし、見た目はともかく曲作りは相当のレベル、おそるべしアルゼンチン。

どこかの空き地みたいなところでビデオカメラさえあればタダで撮れるだろうけど、後ろの建物の壁に「BERLIN PUNX」と書いてあるように見えるからさらに意味不明。わざわざベルリンに撮りに行ったのか、ベルリンのパンクがアルゼンチンで落書きしたのか、どうでもいい事ばかり気になるよ。

割とストレートなノリのある音楽を好むのかは知らないが、アルゼンチンではイギリスの80年代のような暗い傾向のものはあまり見つからなかった。知識もないし探し方が悪かっただけかも知れないけどね。
ちょっといいなと思うと静止画だけのビデオで退屈だから不採用というのが多かったよ。
そんな中で無理矢理見つけたのがこれ、Los Pillosというバンド。

Pillosという言葉をGoogle翻訳してみたらラスカルズになって意味不明、日本語に翻訳してラスカルズって何だよ?
律儀に辞書で調べてみたらずる賢い奴、悪党、悪人、不良、ちんぴらなどなど、ラスカルズという語感でこんなの(写真)を思い浮かべてたのにガッカリだよ。
さて、そんなゴロツキどもは1984年にブエノスアイレスで結成、アルバム1枚だけ出して88年にはもう解散した短命のバンドだ。

長髪長身でダブルのライダース着て仁王立ち、という姿はラモーンズを意識してるのかはわからないけど、情感こめて歌う姿がちょっと気持ち悪い男。やってるのは全然違うタイプの内向的な線の細い音楽で、バンド名とのギャップを感じるよな。
しゃがんでて後に立つギタリストの、曲調に合ってるのか合ってないのかわからんグニャグニャしたフレーズだけが耳に残る。これだけが聴かせたかったかのようなプレイ。この全体的なアンバランス加減が理解されなかったんだろうかね。

見た目だけは欧米に負けてないぞ、というルックス重視だったのがVirusというバンド。
現在の状況を考えるとシャレにならないバンド名だが、80年代とかには何も考えず気軽に色んな名称にも使ってた言葉で、Discogsという音楽データベース・サイトで検索するとVirus (29)などと出てきて、ジャンルを問わず多くのバンドがVirusを名乗っていた事がわかる。このバンド名で29番目に登録されたというわけね。29どころかたぶんもっといっぱいあるに違いない。
韓国の女子ゴルファーで同姓同名が6人もいて、イ・ジョンウン6とか5とかいたのを思い出してしまったよ。

Virusは結成も1979年と早く、アルゼンチンのパンク・バンドが結成後にレコード・デビューするまで随分手間取ってるのを尻目に、1981年には早々とメジャーレーベルから1stアルバムを出してるやり手バンドでもある。
まあやってる音楽が違っててこちらは大衆受けのするポップなバンドで、TV出演映像とかもたくさん残ってるから比較のしようもないけどね。
この曲は1981年に出た初期のシングル「Wadu-Wadu」でたぶん大ヒットした代表曲。
ライブはたぶん86年くらいの映像かな(推測)。
ラテン歌謡をロックバンドがやるとこういう風になるんだろうな。ドラムやギターはもう少し違った傾向のものをやりたいのに無理してこういう路線にさせられてるように感じてしまうよ。全体的にはニュー・ウェイブというよりはもっと耳障りの良い、ROCKHURRAH的にはどうでもいい類いのシロモノ。
ヴォーカルが長髪美青年みたいなルックスでティーンの人気をさらってたのだろうと勝手に推測する。
別の時代の映像はポジパンみたいな化粧してる姿もあったので余計に見た目と音楽性のギャップがすごい。

このVirusの快進撃は続いて、デビューから1987年までは毎年アルバムが出ていたんだが、88年にヴォーカルのフェデリコ・モウラがエイズで死去、その後は弟が後を継いでヴォーカルとなったという。
まるで「タッチ」の逆みたいな感じだが、デヴィッド・ボウイの前座なども務めた事があるというからアルゼンチンではSoda Stereoと双璧をなすバンドだったんだろう。
Soda Stereoの場合は解散後だったけど、メインのヴォーカリストがいなくなった後に残されたバンドの継続というのもかなり難しい問題だろうね。
これから忘年会シーズン、年末年始を控えてるのでバンドのヴォーカリストの方は特に健康に気をつけてご自愛を。

ではまた、テゥパナンチス カマ(ケチュア語で「さようなら」) 

映画の殿 第40号 アウェイデイズ

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【本編で流れるバンド達とフーリガンどもの記念撮影。縮尺合ってないな】

ROCKHURRAH WROTE:

映画館まで観に行った作品をこの「映画の殿」というシリーズ企画で取り上げる事は今までなかったんだけど、何と2年半も自分で書いてなかったのに気づいたから、こっちの方で書いてみよう。

新宿シネマカリテで細々と上映中の「アウェイデイズ」を観たい、とSNAKEPIPEを誘ったのは珍しくROCKHURRAHの方だった。
映画に関する興味の範囲がとっても狭く、大作や話題作にはまず行かない。
よほどの事がない限り映画館まで観に行きたいとは言わないROCKHURRAHなので「珍しく」なのだ。

ネットで面白そうな映画ないかな?と探していて、この映画の予告編を見たら突然、初期ウルトラヴォックスの「Young Savage」がかかっていたから「こりゃ観るしかない」と単純に思い込んだだけの話。
公開日を待って出かけようと計画したが、週末に別の用事が入ってるし上映期間が短そうだし、それで平日の夜を選んで行ってきたのもウチとしては珍しい出来事。

新宿シネマカリテは駅前映画館と言ってもいいくらいにアクセス抜群の位置にある小さな映画館。
過去にはジョニー・サンダースの映画「Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡」を観に行ったけど、この時もROCKUHURRAHが行きたがって観たんだった。
その手の音楽映画が多いってわけか。
19:20からの夜の上映だったけど、客の入りは予想よりは多く、ただし映画館としては情けないくらいのボチボチでかわいそうになるくらい、この業界も厳しいなと思ったよ。
しかも客層のほとんどが何でこの映画に来たのかわからないようなタイプの人々で理解に苦しむ。
まあ「とんかつDJアゲ太郎」とか行かずにここを選んだだけでも良しとしよう。

「アウェイデイズ(Awaydays 2009年)」は英国の作家ケヴィン・サンプソンによる小説が原作の映画で、2009年の作品なのになぜか11年も経ってやっと日本で公開されたというもの。
1979年のリヴァプールを舞台とした破滅的な青春映画に仕上がっていて、この当時のパンクやニュー・ウェイブがふんだんに使われているのが売りとなってる。

タイトルの”Awaydays”はフットボールのサポーターがライバル・チームの試合に遠征する事が本来の意味なんだが、この映画の中で扱ってるのは熱狂的すぎてタチの悪いフーリガンども。だから遠征といっても試合そっちのけで相手チームのフーリガンと乱闘やらかすのが目的、サッカーの試合シーンは皆無というありさま。
そんな人はいないけどフットボール青春映画だと勘違いしてサッカー好きの彼氏と観に行かないように。

1979年、イギリスのマージーサイドにあるバーケンヘッドという街が舞台となっている。
有名な都市リヴァプールの対岸にある街だそうで、造船所があるらしい。
ROCKUHURRAHが育った北九州で言えば戸畑と若松みたいなものか?地域の人以外にはさっぱりわからん例えだったかな。

主人公カーティは公務員をやっている若者で父親や妹と同居しているが、どうやら母親はすでに他界している模様。
具体的に何をしているのかはわからなかったが、叔父さんが上司を務める役所みたいなところで仕事中に似顔絵描いたりしてて、何もお咎めがないといういい身分。
おまけにアートスクールにまた戻りたいと言ったら「そりゃでかした」みたいに言われるお気楽な環境だよ。

しょっぱなから言うのも何だがこのカーティ、顔立ちも設定もファッションも全然イケてるとは思わなくて(おしゃれな人が多かった1979年だからなおさら)、主人公なのにどうでもいいキャラ。
パッとしないけどもう少し存在感がある俳優なら他にもいるだろうに、と思ってしまうよ。

妹とも仲が良く、写真は(こっちの勝手な理由で)遅れてしまった誕生日だかクリスマスだかのプレゼントを給料日に一緒に買いにゆくシーン。
孤独で平凡で面白くなかろうけど、これだけ見てると問題ない生活で恵まれてる方だと思うよ。
妹は高校生くらいなのか、あまり描写は出て来なかったが彼氏の代わりにお兄ちゃんに甘えるような、まだ幼い感じがする。写真では1960年代に誕生したイギリスのアウトドア・ブランド、マウンテン・エクイップメントのダウン・ベストを着ているね。こんなどうでもいい事を映画評で語るのはROCKUHURRAHくらいか。

カーティは地元リヴァプールの売出し中バンド、エコー&ザ・バニーメンのライブ会場でエルヴィスという若者に出会い、友達になる。
この映画のもう一人の主人公エルヴィスはカーティよりは顔立ちもまともだし、服装や髪型はすごく若い頃のジュリアン・コープをイメージしたような感じ。
革のジャケットにセーターはいかにも1979年、ニュー・ウェイブ以降のイギリスのバンドでありがちなファッションだし、大きめのM-65とか肩章のついたミリタリーっぽい服装とか、この時代のリヴァプールで流行ったものだ。

劇中でエコー&ザ・バニーメンらしきバンドを演じてるのはラスカルズだとの事だが、うーん、1970年代と80年代ばかりを語るROCKUHURRAHだからこの辺の(2000年代)バンドについては知らん、興味ないとしか言えない。
見た目だけでもせめてもう少し似たのはいなかったのかと残念な気持ちになるよ。

これが本物のエコー&ザ・バニーメンで曲は「All That Jazz」ね。
1980年に出た1stアルバムに収録。

リヴァプール出身としては最も有名になったバンドで、一番最初の頃はドラムがなく、ドラムマシーンを使っていた。
コルグのドラムマシーンがエコーと呼ばれてて(何でかは不明)、それがバンド名の由来になったという話。
ドラムがいなかった初期の頃もすごく良くて愛聴してたもんだ。
レコーディングのテクニックを使わなくてもシンプルなコードだけでも、後世に残る曲を作れるという見本みたいなのが初期のバニーズ(80年代的略称)だった。
うーん、上の曲とは関係ない感想だったな。
名曲揃いの1stの中では地味な曲で、何でこの曲を敢えて選んだんだろう?と思ってしまうよ。

エルヴィスは「パック」と呼ばれるフーリガンの一員で、カーティはその集団の仲間になりたがっているという設定。
エルヴィスのツテにより「俺の友達」みたいな感じでパックに出入り出来るというわけだ。
つまらん願いだが、願いは叶ったね。

イギリスを語る時に誰もが労働者と中流階級の格差、隔たりみたいなものを言うが、大昔の「小さな恋のメロディ」でも坊っちゃんの主人公、労働者階級の娘(ヒロイン)、労働者階級の親友という構図があって、その中での恋や友情が難しかったのを思い出す。
この映画もその辺の格差友情をテーマにしてるんだろうが、そこまで階級差を感じるものでもなかったから「小さな恋のメロディ」の方がよほど心に響いたよ(大げさ)。
もう一つの大きなテーマはあるんだけど、ネタバレなしで書くつもりだからエルヴィスの心情はしまっておこう。

パックに属するのは労働者階級の頭悪そうな奴らばかり(全く迫力ないが)、30代で6人の子持ち男がリーダーという、見るからにどうでもいいような集団。
そんな中にアートスクールなど行ってたカーティが入って受け入れられるものか、というのがエルヴィスの見解だが、うん、その通り。
一見さんお断りのような排他的な集団なんだよね。
こういうヤンキーどもの中でいっぱしに認められるにはもっとバカでクレイジーな事をしなけりゃいけない。

無理してなのか本気でこういう事をやって「はけ口」にしたかったのかは不明だけど、カーティはどんどんエスカレートして暴力的になる。右は乱闘中にキレたカーティのクレイジーさを表した写真だが、本編ではもっと変顔を見せてくれるよ。
カーティとエルヴィスのフラストレーションがあまり描かれてなかったから、おとなしい人が急に暴れだした、単なる危ない人が主人公の映画にしかなってなかったのが残念。え?描かれてたけど読み取れなかっただけ?

乱闘シーンでかかるのがマガジンの「The Light Pours Out Of Me」だ。
1978年の1stアルバムに収録でずっと後にバウハウスのピーター・マーフィーがカヴァーしてたな。
サッカー・チームとしてはリヴァプールの宿命のライバルだと思えるのがマンチェスター・ユナイテッド。マガジンはその敵地(?)マンチェスター出身のバンドだね。
シングル1枚だけでバズコックスを辞めたハワード・ディヴォートがやってたバンドで、粘着質のいやらしいヴォーカルと重厚で妖しい雰囲気の演奏が魅力だった。この曲単独のライブ・クリップがなかったので途中から貼り付けてみたよ。
これだけ画面のデカさが違うけど、諸事情があるので気にしないで。
マガジンは素晴らしいバンドなのでこの映画で興味持った人がもしいたら、ぜひ全曲聴いて欲しい。

左の写真見てわかる通り、何でこんな軍団に属したかったのかわからんほどにカッコ良くないのがパックの面々。
「アウェイデイズ」の原作者も監督もこの時代に実際にこういう事をやってたらしいので、これがその当時のリアルな姿で間違いないんだろうがなあ。
モッズやOi!(スキンズ)、テッズなどと違ってライフスタイルと音楽、ファッションが一致した集団じゃないのは仕方ない。単に同じチームを熱烈に応援してるだけの集まりだからね。
サッカーだからアディダスの限定モデルのスニーカーというのはわかるけど、そしてみんな制服みたいに同じ服装してたのはわかるけど、主人公を含め俳優たちの着こなしが全然似合ってなくて、SNAKEPIPEもROCKHURRAHも「こりゃひどい」という事で見解が一致したよ。

日本で言えばヤッケまたはカッパってところだろうが、アノラックというプルオーバー型のマウンテンパーカーみたいなもの。
ピーターストームというメーカーのはイギリス軍も使ってた由緒正しいアウターなんだが、雨が多く傘をさしたくない人が多いイギリスでは大変に重宝するから、アクティブな若者に大人気となる。

音楽的に言えば80年代にスコットランドで発生したギターポップの一派をアノラック(みんな着てたのが由来)と呼んでいたり、その後にマンチェスターで大ブームとなったマッドチェスターというムーブメントの頃に流行ったスカリーズというスタイルもアノラックが重要アイテムとなる。
どちらにも言える事だが、いわゆるスカッとカッコ良いロック・ミュージシャンのファッションとはほど遠い、その当時としては冴えない格好だった。
ROCKHURRAHも一時期アノラックなギターポップを聴いて、アノラックな音楽を作っていたが、こんな格好はしてなかったもんな。

今はゴアテックスとかの防水アウターがものすごく普及して立派な街着になってるから、マウンテンパーカーとかのヴァリエーションのひとつとして、またアノラックが流行り物になってるみたいだね。
確かにゲリラ豪雨とかスタジアムや野外フェスとかで雨が降った時には役立ちそう。

話が大幅にそれてしまったが、こんな乱闘ばかりしてるバカな集団と切れたがっているエルヴィスは音楽や芸術を愛する若者で、パックの中では浮いた存在。
同じく音楽好きのカーティとはいい関係になれると思っていたのだが・・・。
カーティはなぜか知らないがそんなバカな軍団の仲間になりたがっていて「そのココロは?」と問いたくなるよ。
エルヴィスと「仲間になるな」「いや、フーリガン王に俺はなる」などと諍いを起こしながらも友情を育んでゆく(?)。

写真はリヴァプールに実在したレコード屋プローブに仲良く買い物に行くところ。
並みの「アウェイデイズ」評では決して教えてくれないROCKHURRAHならではの得意分野になるが、妙なところで考証がしっかりしているのがこの映画の(個人的には)評価出来る部分。
レコード屋のドアにはリヴァプールに実在した伝説のライブハウスEric’sのポスターが貼られててマニアならニンマリしてしまう。

エリックスは70年代後半から80年代に花開いたリヴァプールのニュー・ウェイブ・バンドの多くがホームグラウンドにしていたライブハウスで、デフ・スクールやビッグ・イン・ジャパンなどを元祖として、数多くの有名バンドが巣立って行った場所だ。
物語の1979年には「言い伝え」並みの伝説的バンド、クルーシャル・スリーから別れた3人がエコー&ザ・バニーメン、ティアドロップ・エクスプローズ、ワー!ヒートという偉大なバンドをそれぞれ立ち上げて、その後に人気となる。その夜明け前くらいの時代だ。
ただしクルーシャル・スリーなどと探しても発掘音源も出てこない。
ただ単に有名になったミュージシャンが学生時代に一緒にやろうと始めたバンドに過ぎず、インタビューとかで「昔こういうバンドやってたんだよね」くらいのシロモノ。実際にちゃんと活動してたかさえ怪しいのに、ここまで有名になったバンド名というのも珍しい・・・。
そういう意味での「言い伝え」というわけだ。

他にも80年代ニュー・ウェイブ好きなら誰でも知るデッド・オア・アライブやフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、オーケストラル・マヌヴァース・イン・ザ・ダークなどなど、みんなエリックスのお世話になってるのは確か。
リヴァプール出身のバンドについて語っていたら「サタンタンゴ(7時間超えの長い映画)」が終わるほど。
実際は誰も知らんようなバンドがその何十倍もひしめき合ってたのが80年代リヴァプールの世界だ。

で、入ってゆくレコード屋プローブもリヴァプール好きにはたまらないプローブ・プラスというレーベルを持っていて、ちょっとマイナー系が多いが、メロトーンズやハーフ・マン・ハーフ・ビスケットなどは愛聴してたもんだ。愛聴多いな。
話がまた大幅にそれてしまったが、まともな映画評じゃなくてこの脱線こそがROCKHURRAHの書ける部分なのは確か。

この事をぜひ書いて欲しいという要望があったから書くが、映画の中で何回も出てくるのが頭突き。
レコード屋のシーンでも登場したんだけど、イギリスではポピュラーなケンカ術なのだろうか?不意打ちという点では有効だろうけど、これもまたフットボール文化の国ならでは。

エルヴィスが普段何をやってるのかは知らないが、途中で私物を売ってる古道具屋みたいな露店に立ってたから、きっとそういう仕事をしてるんだろうかね。ブラブラしてそうな割には意外といい部屋に住んでいるんだよね。
こんな出口のない生活を「いつ終わる?」とか、抜け出してベルリンに行きたいとか、彼らくらいの歳にもっと情けない四畳半の極貧暮らしをした我が身を思うと羨ましいばかり。
世の中には上も下(「男おいどん」とか「マイ・ディア・ミスター」のイ・ジアンとか)もあるからROCKHURRAHくらいでもまだマシな方なんだろうね。

写真中央に写ってるのが上に書いたリヴァプール・パンクの偉大な先駆者、ビッグ・イン・ジャパンのポスターで、これにもニヤリとしたROCKHURRAHだった。
このバンドが偉大なわけではなく、メンバーの大半が後の時代に有名になるという点で、80年代リヴァプール好きなら最重要だと言えるバンドなのだ。
「 From Y To Z And Never Again 」はたった2枚しか出なかった彼らの2ndシングルでROCKHURRAHも持ってたよ。
これまたリヴァプールを代表するZOOレーベルの記念すべき最初のシングルだったね。だからこんなに大きなポスターがあったのか。
本物が残ってたのか後から美術の人が作ったのか知らないが、この時代の音楽好きの部屋をうまく再現したものだ。
当時はものすごいヴィジュアルのジェーン・ケーシーがROCKHURRAHのアイドルで、Eric’sレーベルからの1stシングルも2枚も持ってたな。

エルヴィスの会話の中で「ダレク・アイのライブに行こう」と名前だけ出てきたのがこれ、リヴァプールの相当マニアじゃないと知らないマニアックなバンドがDalek I Love You。
後にティアドロップ・エクスプローズの主要メンバーになるデヴィッド・バルフェとアラン・ギルを中心にしたB級バンドだ。
かつてはROCKHURRAHも数枚持ってたが、錚々たるメンバーの割にはチープで、熱烈に好きになる要素がなかったな。
デヴィッド・バルフェは上に書いたビッグ・イン・ジャパンのメンバーでもあったけど、ブラーやシャンプーで有名なフード・レーベルのオーナーとして後の時代に名高い人だ。
Dalek Iには後のオーケストラル・マヌヴァース・イン・ザ・ダークのアンディ・マクラスキーもいたけど、複雑怪奇なリヴァプールの人脈をいちいち語ると「アンビアンス(上映時間720時間という世界一長い映画)」が終わってしまうほど(大げさ)。

後半になるとせっかく仲を育んだ二人の行き違いが増えて、さらにパック内での内紛、カーティの家庭内事情が情けない暴行事件にまで発展して、映画としては一番見どころとなる。この辺については敢えて書かないけどね。

ハナからまともな映画感想にはならないと自分で予想してたけど、ROCKHURRAHの書きたい部分が映画のテーマや物語ではなく、79年のリヴァプールや音楽について。興味の方向が違うので他の人の参考にはならないだろうな。

物語の冒頭、カーティが全力疾走するシーンで使われていたのがウルトラヴォックスの「Young Savage」、予告でも使われていたからこれがメインテーマとなるのかね。
映画の舞台となったリヴァプールとは特に関係なさそうだから、単に監督か音楽監督が当時好きだったから使ってみた、という感じかな?
元々タイガー・リリーというグラム・ロック寄りのパブ・ロック・バンドをやってたのがウルトラヴォックスと改名して、パンクの初期から活動してたバンド。
当時大ヒットしたチューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンが影響を受けたと公言して、そこから再評価されたけど、早すぎたニュー・ウェイブ・バンドだったね。
日本では三宅一生が出てたサントリーのCMで使われたので有名になり、ニュー・ロマンティックの時代に活躍した印象が強いけど、ミッジ・ユーロ加入前のジョン・フォックス時代が最高(ミッジ・ユーロもPVC2とかリッチ・キッズの頃は良かったけどね)って人も多いだろう。そんな初期ウルトラヴォックスの代表曲がこれ。釘を打つようなリズムと早口言葉のようなアグレッシブなヴォーカルに痺れるね。

過去に何度もジョン・フォックスを「エラの張ったオバチャンみたいな顔」とブログ記事で書いたのに、今はじめて自分で気づいたかのように「オバチャンみたいな顔だね」とSNAKEPIPEに言われてしまった。うーむ、人の記事全然読んでないな。

ライブハウスでカーティがナンパしようとした女の子が実はエルヴィスの幼馴染(?)だったというシーンで使われていたのがジョイ・ディヴィジョンの「Insight」だ。この曲は他のシーンやエンド・クレジットでもしつこく使われていたな。よほどこの曲が好きだったと見える。
「Insight」を歌ってるライブ映像がなかったから、これは誰かが他の映像と組み合わせて捏造したものだけど、一応動いてる映像が欲しかったんで我慢するか。イアン・カーティスの伝記映画「コントロール」のシーンが合成されてるね。
マガジンと同じくリヴァプールの宿敵、マンチェスターを代表するバンドで、今でもあちこちに名前が出てくるほど信者が多いね。
1979年はジョイ・ディヴィジョンがファクトリー・レコードから1stアルバムを出した頃で、誰もが熱狂・・・とまでは言わないが至るところで「すごいバンド」と評判になってた頃だね。
エルヴィスがジョイ・ディヴィジョンから特に影響を受けてたような言動もあったが、ROCKHURRAHも大昔に書いた記事にある通り、このバンドから連想する数々の思い出があるよ。

音楽的にも文化的にもこの当時の北九州に馴染めず疎外感を持っていた若き日のROCKHURRAH、映画のエルヴィスのように「この街を逃げ出したい」といつも考えていたもんだ。
楽しみは高速バスに乗って福岡まで一人でレコードを買いにゆくだけという孤独な少年だったが、そんな危険な精神状態の時に出会ったのがジョイ・ディヴィジョンだった。

関係ないけどROCKHURRAHが高1の時、直接知らない先輩が飛び降り自殺をしたというショッキングな出来事があった。
その先輩が綴った、世に出る予定のなかった文学作品が死後に自費出版されて、不謹慎だとは思うが興味本位で買ったものだ。
それから何十年・・・ROCKHURRAHの出た高校の人以外、誰も知らないだろうと思ったその人の遺作と日記が普通にアマゾンとかに売ってて、知ってる人も多数だと知り、とても驚いた。
山田かまちと一緒で17歳で夭折した作家として、普通に文学作品として語られているのだ。
逼塞感に満ち溢れたその人の詩を読むとイアン・カーティスと見事にオーバーラップしてしまう。
なんて事を思い出した次第。

ちなみにウチのブログにはじめてコメントを頂いたのがこの記事(上のリンク)で、北九州出身のミステリー作家、鳥飼否宇先生からのコメントだった事にSNAKEPIPEと二人で大喜びしたものだ。
それからも何度もコメントを頂いて、それを励みに14年も休まずブログを続けられた。
これもジョイ・ディヴィジョンやディス・ヒートにペル・ユビュといった音楽を、偶然同じ頃に同じ北九州で聴いてたという奇妙な「縁」から始まったんだな。
どこにも居場所がないような故郷の街だったけど、その窮屈さが懐かしくもあるよ。
いや、文脈的に今書くような話じゃないのは承知だけど、自分で当時に書いた事を読み返して懐かしむのも老化現象のはじまりなのか?

ブログの後半は映画というよりはROCKHURRAHのいつものパターンとなってしまったね。

全体として当時のニュー・ウェイブがふんだんに使われているところはいいけど、音楽がとても盛んなリヴァプールを舞台にした割にはご当地のバンドがあまり使われてなかったのが残念なところ。ポスターとかマニアックに用意したんだから余計にね。

最後に映画とは関係ないが、ライブ・クラブ、エリックスの歴史を振り返る映像で締めくくろう。
曲はジョニー・サンダースでこれまたリヴァプールとは特に関係ないけどな。ピート・ワイリーのWah!がこの曲をカヴァーしてたからそっちにしてれば良かったのに。

ネタバレを全然しないように書いてきたから映画後半の筋も全く触れてないけど、まあ明るく終わる雰囲気の映画じゃないのは予想通りだろうね。
カーティとエルヴィス、そしてパックの面々との関係がもっと描かれていたらもう少し映画としては見どころがあったんだろうが、そこまで深い絆もなかったところが逆にリアルな当時の姿だったのかな、と思うよ。

おそらく大ヒットするとは思えないし、公開が終わった後でDVDになったり、どこかで配信されるかさえ不明の映画だから、11年後でも観れて良かったよ。

それではまた、Ta-ra for now!(リヴァプール的表現で「またね!」)

俺たちダーク村

【森の中の田舎町で繰り広げられる難解なドラマ】

ROCKHURRAH WROTE:

世間一般の流行りからすると「大変遅ればせながら」だけど、今年の春くらいからNetflixに加入して、週末になると映画やドラマを楽しんでいるROCKHURRAHとSNAKEPIPEだった。
字幕ものばかりだから平日の食事時とかには集中して観れない。 それで週末が多くなるんだけど、ドラマの続きが気になって最近では平日の夜にもなるべく時間を作るようにしている。 食事の支度や洗い物、風呂など省略出来ない部分ばかりだから、苦労はするけど頑張ってるよ。
ちなみにウチは食事や昼の弁当などインスタントなものは一切使わず、レンジで調理などはしないという方針で長年やってる家庭なので毎日、結構手間ヒマかけて作ってる。偉い?

Netflixはよその動画配信サービスにはないようなちょっとマイナーな映画とかも扱ってはいるが、誰もが言うように映画の方はタイトル数が少なくてイマイチという弱点がある。代わりにドラマが結構充実してて面白いから、今のところはそっちの方で満足してるよ。

Netflixに入ったら絶対に観るべきといわれてる大人気ドラマもちゃんと観ていて不覚にもハマってしまったが、その話はまた今度するかしないか? 
現在熱心に観ているのがドイツの「DARK」というタイムトラベル・ファミリー・ドラマだ。
darkという意味のドイツ語はdunkelだと思うが、これは原題も英語のdarkになってて世界向け仕様だな。

ドイツの一体どこよ?と問いたくなるほど森林地帯の過疎の町を舞台に繰り広げられる、タイトル通りのダークな物語。

田舎町で子供の失踪事件が発端、と聞くとあの映画やこのドラマなどを即座に思い出すだろうけど、ややこしいのは主要登場人物が何人も「これでもか?」というくらいに過去や未来に飛びまくる事。
ドイツ人の難しい名前や姓、顔を覚えるのもすぐには出来ないというのに、いくつもの時代にまたがって話が進行するから最初の方は意味不明の部分が多かったよ。
同じ人物だけど子供だったり年寄りになって登場したり、その関連性がわかってくるまでが大変。
ある時からその辺の謎が徐々に解けてゆき「これがここに繋がるんだ」という見事な展開となる。

あと少しで観終わるとは思うがまだROCKHURRAH家では進行中なので、詳しくは書けないけどね。
設定がドイツの田舎町という事で登場人物の顔やキャラクターが地味、というかあまり華がない俳優ばかりなのが惜しいところだね。
Netflixで大ヒットしたスペインのドラマ「ペーパーハウス」で、全員主人公になれるくらい際立ったキャラクターが数多く登場したのを観た後だったから、余計に地味に感じるよ。
その代わりに原発近くの荒涼とした風景、森の奥深さがとても印象的。地の果てや洞窟好きなROCKHURRAHはこんなところで暮らしたいとまで思ったよ。

さて、恒例だがタイトルにもあるしこの前置きでバレバレだけど、今回の「俺たち〜」シリーズはずばりDARKで行こう。
「暗い」とか「闇の」などという代表的な意味以外にも黒ずんだ、濃い、わかりにくい、秘した、暗愚な、陰険な、不機嫌な・・・などなど、世の中のネガティブさを一身に背負ったかのような幅広い表現に使われる言葉だとわかる。
ROCKHURRAHは思えば子供時代からそういう意味ではずっとダークな人間だったな。自分にとって一番身近な特徴かも知れないよ。

この「俺たち〜」シリーズは毎回同じ単語が曲名に含まれるものを選んで、さらに70年代パンクや80年代のニュー・ウェイブと呼ばれた音楽限定でロクでもないコメントをしてゆくだけという安直な企画だ。

そして、そんなどこにでもありそうなDARKをテーマに今回も書いてみようと思ったが、探し方が悪かったのか、思ったほどにはパンク、ニュー・ウェイブの世界はダークだらけじゃなかったのがとても意外。
毎回いくつかのYouTube動画を貼り付ける構成なんだが、全く動いてない静止画に音楽だけじゃ物足りなくて、なるべくライブやプロモなど動きのあるものを選ぶ関係で、動画がありそうにないマイナーなのは割愛しているせいもあるけどね。
世の中にダークは蔓延ってると思ってたから案外少ないなという感想だよ。

ROCKHURRAHがダークと聞いて真っ先に思い浮かぶのがこのバウハウスの名曲「Dark Entries」だ。

彼らがデビューしたのは1979年で、まだパンク以降のニュー・ウェイブがそこまで細分化されてない時代だが、80年代前半に起こるポジティブ・パンク通称ポジパンの元祖的な存在として名高い。

ポジパン、ゴシックというそれ系の一群を指す言葉がまだなかった時代、人は何と言ってたか知らないがROCKHURRAHとその仲間はこういう音楽の事をダーク・サイケと呼んでたなあ。
出どころは不明だが、暗い音楽の総称をネオ・サイケと呼んでたから、叙情派の線の細いネオ・サイケと区別するためにそう言ってたんだろう。
ちなみにネオ・サイケと呼ばれる音楽の中で60年代サイケデリックの影響を強く感じるようなのは実際は少なく、単にコード進行がマイナー調でメランコリックな曲調のものを、多くの人々はネオ・サイケと呼んでただけ。
ずっと後の時代にはこういう暗い路線のニュー・ウェイブはダーク・ウェイブと呼ばれるようになったらしいが、まあ五十歩百歩のネーミング・センスだよね。

そういうカテゴライズは大多数の人にはどうでもいいものだろうが、80年代のイギリスでも様々なバンドに影響を与えまくったのがバウハウス。
逆立てた髪とクッキリした化粧顔のピーター・マーフィーやダニエル・アッシュのヴィジュアルは後のポジパンにも受け継がれるものだし、それまでのグラム・ロックやパンクとは明らかに違う暗い曲調に魅せられた人も多かった。
決して売れ線の音楽とは言えないけれどヴィジュアルの良さもあって、バウハウスはこの手のバンドとしては異例の人気を誇り、短い活動期間でも強烈な印象を残したと言えるだろう。

たった3年ほどの活動期間で一時代を築いたバウハウスは解散、ピーター・マーフィーはジャパンのミック・カーンとちょっとの間だけダリズ・カーというユニットを組んでたな。
個人的にデヴィッド・シルビアンのヴォーカルはあまり好みじゃなかったから、ジャパンの音楽にピーター・マーフィーのキレのある声が絡むというこれは、企画モノだったとしてもなかなか良かった。
アート好きにはいちいち説明の必要もないがバウハウスの次はダリ、そして次は?と思ったらその後は凡庸にも単なるソロとなってしまって残念。
マガジンやペル・ユビュのカヴァーもナイスだしプロモでは逆さ宙吊り歌唱、と体を張ったパフォーマンスも健在だったが、時代が色々変わってゆく頃だったから、いつの間にか最前線から消えてしまったな。
一方の残りの3人はダニエル・アッシュの副業トーンズ・オン・テイルを経て、デヴィッドJとケヴィン・ハスキンスの兄弟を加えた仲良し3人組、ラブ&ロケッツを結成。
パッと見たら区別がつかないような似たようなジャケットのレコードを何枚も出して結構長く続いたはずだけど、ROCKHURRAHもその後はよく知らない。今でも仲良しなのかな?

バウハウスの初期シングル曲はアルバム未収録のものが多く、その時代に輸入盤屋がないような土地に住み、日本盤アルバムしか持ってなくてベスト盤も買わなかった人は、代表曲の多くを知らないというちょっと変わった境遇のファンになってしまう。
そんな人には出会った事ないが、その当時はそういう人もいたんだろうな。
1980年に出た2ndシングルの「Dark Entries」もシングル曲なんだが、ポール・デルヴォーの絵を使ったジャケットも美しく「夢にデルヴォー(© 府中市美術館)」などと独り言を言いたくなる。
エントリーは入場、加入、出場、入り口などの意味があるから直訳すれば闇入場。え?違うのか?
1stアルバムの邦題も「暗闇の天使(In The Flat Field)」などという意訳を超越したタイトルだったから「闇入場」でもいいじゃないかと思うが、今回のテーマであるダークというキーワードにはうってつけの曲なのではなかろうか。

バウハウスはライブも完璧に素晴らしいバンドだったから公式のライブ・ビデオが当時から出てて、ROCKHURRAHもダビングして持ってたのを何度も観たもんだった。上のビデオはその時の映像と一緒だけど観客もノリノリ、全盛期のライブ観てたら感動したに違いない。光と闇、静と動、白と黒、口にするのはたやすいけど、その辺をひっくるめてライブで表現出来る実力はさすが。

何年か前の話、MacのOSがMojaveという日本人には言いづらい愛称でリリースされた頃、目玉機能のひとつとして紹介されたのがダークモードという代物。
何のことはない、メニュー周りとかアプリケーションの背景が黒っぽくなって目が疲れないとか、黒っぽくておしゃれでカッコいいとかその程度のもので情けなくなった覚えがあるよ。そんな機能くらい最初から付けとけよと思ってしまった。
そのうちiPhoneのiOSにもその機能がついて、悪態をつきながらもROCKHURRAHもダークモードにしてるが、こんなものを目玉にしてるようじゃアップルの先行きも危ないものだ、とその頃は強く思ったもんだ。
ジョブスが亡くなってから先進性も冒険もなくなり、延長線みたいなことばかりしてて、古くからのMac好きが喝を入れたくなるのが今のアップルだ。そう思ってるのはROCKHURRAHだけではあるまい。

相変わらずその話とは何も関係ない驚きの展開になるわけだが、続いてのダーク村民はこれ、ザ・サウンドの「New Dark Age」だ。
日本ではあまり知名度ないけど、70年代末に始まったいわゆるネオ・サイケというジャンルの中では中堅以上の存在だろう。
元々、パンクの時代にアウトサイダーズというバンドをやってたエイドリアン・ボーランドがセカンド・レイヤーという2人組ユニットを79年頃始めて、そのメンバー2人がそのまんま中心となったバンドがザ・サウンドだった。
70年代後半の初期ニュー・ウェイブを熱心に漁ってた人(今はおっさんになってても)だったら「懐かしい」と喜ぶ人もいなくはないだろう。
セカンド・レイヤーはジャケットもカッコ良かったしジョイ・ディヴィジョン系列の音楽の中ではピカイチのセンスを持ってた通好みの音楽だったもんね。
その鋭敏な音楽センスを持ってたのが上のビデオ中央のぽっちゃり男だとは、その当時は思いもしなかったよ。

ザ・サウンドはエコー&ザ・バニーメンと同じコロヴァ・レーベルから1980年にデビューして、音楽誌や批評家たちから絶賛されてたバンド。ネオ・サイケという音楽を好む人達が求める理想の音、というようなソングライティングのうまさが光ってたからね。
しかし、どこの輸入盤屋でも比較的簡単に入手出来た割には実際に持ってる人や聴いた人が少ないバンドだったな。
ROCKHURRAHが下北沢の有名な古本屋&レンタルビデオ屋で働いてる頃に知り合った数人と「サウンドいいよ」などと盛り上がっていて、わずかにその周辺に広がった思い出があるけど、全世界にはその思いが伝わらなかったようだ。

1stアルバムの「I Can’t Escape Myself」や「Heyday」も文句なしだけど、ネオ・サイケという範疇に限って言えば1981年に出た2ndアルバムが、この手のジャンルの代表的な1枚にしてもいいくらい王道の出来だ。
初期のU2とか好きな人には間違いなくオススメ、などと三流レコード屋みたいなコメント(ROCKHURRAH自身がそうだったか)をしてみるが、今の時代に現在進行系みたいにこんなバンドの事を語ってる人いるんだろうか?いやない。

その2ndアルバムの最後を飾るのがこの「New Dark Age」なんだが、わざわざ動画探して貼り付けるのをためらうほど、このバンドはルックスの面でかなり難ありだった。
エイドリアン・ボーランドはデブなだけなら問題なかったが、目つきが怖くて何されるかわかったもんじゃないね。

そう、この人はこの時代はたぶんマトモで87年くらいまではコンスタントにレコードも出していた。
ザ・サウンドの後もちゃんと活動はしてるんだけど、いつの頃か精神を病んでしまい、1999年に電車に飛び込み自殺してしまった。
大多数の人は運転見合わせを恨み、運転再開後は何事もなかったかのようにすぐに忘れ去られてしまうのが飛び込み自殺。
体もバラバラになってしまうし、個人的にはこんな死に方を選ぶ人の気が知れないよ。
三回くらい自殺未遂があった末の自殺だから、この時未遂だったとしても遅かれ早かれという気はするが、何ともやりきれない末路としか言いようがないよ。

ダークと言えば思い出すのがラース・フォン・トリアー監督の数々の映画。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」がすでに20年前の映画だと知って愕然とするが、時の移り変わりは早いものですな。
ROCKHURRAHは昔からこの監督の作品を知ってたわけでなく、近年になって矢継ぎ早に旧作を観た覚えがある。
ハウス・ジャック・ビルト」をSNAKEPIPEと一緒に観たからなのか、その前なのかは覚えてないけど、主要なのは大抵観てるはず。とてもイヤな思いをする作品もあったけど引き込まれるものもあって「ドッグヴィル」や「アンチクライスト」、それに「ハウス・ジャック・ビルト」は好みのものだったな。
鬱三部作なんてのもあるくらい、この監督の作品は全体的にダークなものばかりだけど、好みのダークだったりイヤなダークだったり、ダークの種類にも色々あるって事だね。二行で四回以上もダークという言葉を使ったROCKHURRAHの神経も危ないな。

さて、重苦しいダークが続いたから違う路線もやってみるか。次の村民はこの人、スネークフィンガーの「The Man in the Dark Sedan」だよ。
元パブ・ロックの有名バンド、チリウィリ&ザ・レッドホット・ペッパーズのメンバーだったと書いても知らない人多数だろうが、そういう前歴を持つマルチ・ミュージシャンがどういう接点なのかわからないが、全米の前衛音楽集団(意味不明)レジデンツと出会い、そのサポートメンバーとなる。
チリウィリ&ザ・レッドホット・ペッパーズはイギリスのバンドにも関わらずブルースやカントリーにジャズ、ブギウギといった要素を詰め込んだアメリカ満載の音楽でROCKHURRAHはパスしたくなるような音楽だった。が、それだけの要素を詰め込むには大変に音楽的造詣が深くないと出来ないはず。
そしてレジデンツも古今東西の音楽を解体し、異常な音響工作で再構築をするのが得意(と個人的には思ってる)なバンドで、おそらく大変な音楽的造詣の深さを持ってるはず。
その両者が出会って一緒に活動してたわけだが、音楽的造詣の深さを感じさせないグンニャリした音空間に酔いしれたファンも多かろう。これぞ前衛の奥深さ(いいかげん)。

「The Man in the Dark Sedan」はスネークフィンガーのソロで1980年に出た2ndアルバムにも収録されたシングル曲。
MTVとかよりも前の時代だと思うけど、そしてこの時代にはレジデンツもスネークフィンガーも相当マイナーなアーティストだったはずだけど、なぜか立派なプロモーション・ビデオが存在していて、ラルフ・レコード(レジデンツが主催するレーベル)はちゃっかり販売してたな。

謎の奴隷みたいな集団に車をひかせて歌い跳ねるというだけのバカっぽい変な映像だが、曲もレゲエ調で一般的な意味のダーク要素は皆無。
スネークフィンガーは往年のテニス・プレイヤーだったジョン・マッケンローをちょっと思い出す不敵な顔つきだな。
周りはアングラ劇団なのか単なるエキストラなのかわからんが、ほとんどレジデンツと同じような雰囲気で、それなりに金のかかったビデオが存在してる事自体が驚き。

その後も元キャプテン・ビーフハート&マジック・バンドのメンバーなどとヴェスタル・ヴァージンズというバンドを組んで80年代後半も活躍していたが、87年のツアー中に心臓麻痺であっけなく死亡。
不謹慎なのを承知で言えば、彼の場合はやりきれない、と言うよりは好きなように生きて死んだ、という感じがする。
それもキャラクターなのかね。

今回のブログはとても時間がかかっている。
個人的にあまり時間がないのに、そして大した事も書いてないのに、書き方がまとまらなくてうなってる状態だよ。
気軽に何でも書けるような筆力があればなあ。ん?無駄な事を書かなければもっと早く終る?

で、次は初の女性村民。暗くはないけどとにかくダークという言葉がタイトルに含まれてるだけ。こんなんでいいのかダーク村?
80年代半ばにかの香織がやってたニュー・ウェイブ・カンツォーネ・バンド、ショコラータの「Nina From the Dark Moon」だ。
本場イタリアでもカンツォーネを取り入れたニュー・ウェイブなんて滅多にないと思えるから、このバンドの先進性は世界レベルだと思える。
かの香織は実家が江戸時代から続く造り酒屋の12代目跡継ぎだそうで、ショコラータのイメージとは結びつかないが、一度飲んでみたいものだ。

次もまた全然タイプの違う女性村民、リディア・ランチがやってたバンド、8・アイド・スパイ(カタカナで書くと情けない)の「Ran Away Dark」。
ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンで70年代後半に隆盛を極めたノー・ウェイブというジャンルの音楽があったが、不協和音だらけのノイジーな演奏にヒステリックなヴォーカルというバンドが多く、知らない人が聴いたらどのバンドも区別がつかないようなシロモノ。
リディア・ランチはこのノー・ウェイブの中心的な女性ヴォーカリストでティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスというバンドで活躍してたが、その後に始めたのが8・アイド・スパイだ。
メンバーと音楽スタイルが違ってもリディア・ランチのヴォーカル・スタイルは大して変わらず、一部の人にしか受け入れられないような音楽だったな。

無駄な事を書かずに簡素にしてみたけど、やっぱりこれじゃROCKHURRAHとは言えないなあ。いつも通り、ごちゃごちゃ書いた方がしっくりくるね。

Anne Clarkと検索してもなぜか女物の時計が出てくるばかり、まるでそんな人いなかったかのような扱いで、何か情報操作でもしてるのか?などど勘ぐってみる。まあ単に検索する人がとても少ないだけか。

アン・クラークはイギリスのシンガー、というよりはポエトリー・リーディングの女流詩人というような人。
80年代前半に活躍してレコード屋でとてもよくジャケットを見かけてたものだ。
ジャケットの雰囲気からしてベルギーのレ・ディスク・デュ・クレプスキュール(というレーベルがあった)あたりの女性シンガーかと勝手に思ってて、アンテナとかアンナ・ドミノとかと同類だと決めつけてた。
そしてZTT(トレヴァー・ホーンのレーベル)のアン・ピガールと混同してて同じ人だと思ってたもんだ。
第一、ずっとアンネ・クラークだと思ってたよ。実際は勝手な思い違いだったけど、そこまで大きな違いでもなかったので良しとしよう。

アン・クラークは渋いというか地味というか、アーテリーやカーメル、ザ・ルームくらいでかろうじて知られてるレッド・フレームというレーベルから83年にデビューして、このレーベルの中では筆頭くらいの出世はしたかな。
ただ、ボーイッシュにも程があるという残念な顔つきと、かわいげがない鋭い目つきで損してたタイプ。

そのアン・クラークの一番のヒット曲がこれ、1984年に出た「Our Darkness」だ。
男女2人で楽器担当の男とちょっとぽっちゃりな女ヴォーカルというとヤズーを思い出すが、意識してるのかどうか。
このビデオでは控えめな相方デヴィッド・ハーロウは、本当はモヒカンでヤズーのヴィンス・クラークと間違えそうな見た目の男。
他にも80年代前半に活躍した女流ピアニスト、ヴァージニア・アストレイや、元ウルトラヴォックスのジョン・フォックスなどともコラボしていた模様で懐かしい。

ちょっとイントロ長すぎて歌を聴く前に飽きてしまうが、エレクトロニクスの無機質な演奏によく合うスタイルの硬質な歌声でなかなかいいではないか。
詩の朗読とエレクトロニクスというのが珍しいスタイルで、曲にノッてるのかどうかは不明だが意欲的なのは確か。あとは厳しい顔つきだけが残念だね。

最後のダーク村民はこれ。
アメリカのシカゴ出身のDA! だ!曲は1981年リリースの「Dark Rooms」だ!
誰でも読める綴りだけにどう読むのが正しいのかよくわからんけど、ディーエー!なのかダ!なのか。
アメリカのTV番組出演の映像があったが、その時は司会者が「ダー」と言ってたからそれでいいんだろうね。
日本語でこのバンドについて書いてるサイトがなさそうだけど、たぶんみんなどう読めばいいのかわからないに違いないよ。

シカゴ・パンクなんてのがあるのかどうか知らなかったけど、1970年代後半から80年代前半にかけてこのDA!は活躍してたようだ。が、ビデオ見てわかる通り、その当時のアメリカの音楽とは思えないダークな音楽性と見た目で、こりゃ生まれる場所を間違えたなあ、と残念な気持ちになるよ。
明らかにイギリスの暗い系列の音作りで、イギリスだったらもっと話題になってたかも知れない。
メンバーは少し入れ替わりがあったみたいだけど、このビデオの時はギター以外は全員女性という珍しい構成。
ベース&ヴォーカルはびっくりしたような顔のローナ・ドンリーで、スージー・スーみたいな歌声だね。
シングルを2枚しか出してない弱小バンドなのにいち早くプロモーション・ビデオまで作って、これからのやる気は充分だったんだろうな。

しかしDA! は1982年に早々と解散し、その後ローナ・ドンリーはヒップ・ディープ・トリロジーというグランジっぽいバンドを始めた。これもなかなか良いバンドで凝ったプロモまで作って、これからのやる気は充分だったはずだが、アルバム1枚しか出してないところを見ると人気出なかったんだろうね。
その後は音楽活動から遠のいて図書館司書になった模様。
そして2013年、初婚なのかどうかは不明だが53歳で結婚して、まだ新婚のうちに突然の心臓発作で死んでしまった。
うーん、事象だけを追うと報われないような一生だけど、その時々は輝いていただろうし、運命を左右するのもその時の決断だったりするから、決して不幸な死とは言えないのかもな。

ドラマの方の「DARK」はここでこの人がこの人と会うと未来がひどいものになるから、それを阻止するために奮闘する人もいれば、自分勝手な都合だけで過去や未来に飛んで運命の歯車の一部になる人もいる。
ROCKHURRAHは迷わず、自分勝手な都合で80年代に戻って人生を修正したいと思うが、どうやってもマトモで立派な人にはなってないだろうな。きっとそういう生き方がしたいんだろう。

それではBis nächstes Mal! (ドイツ語で「また今度ね」)