メスキータ展 鑑賞

20190804 top
【東京ステーションギャラリー前を撮影。光が反射してますな】

SNAKEPIPE WROTE:

どうしても行きたい展覧会がある、とROCKHURRAHから提案されたのが東京ステーションギャラリーで開催されている「メスキータ展」だった。 
展覧会のポスターには、まるで漫画のような絵が載っている。
メスキータって初耳だけど、どんなアーティストなんだろう?

1868年 アムステルダムでユダヤ人の家庭に生まれる。
1885年 国立応用美術学校に入学し建築を学ぶが、1年後に国立教育大学に転ずる。
1893年 初めてエッチングを試みる。
1895年 バティック(ろうけつ染め)の技法を始める。
1896年 初めて木版画を制作。
1900年 染織デザイナーとして、カーテンやテーブルクロスなどのデザインに従事。
1902年 この年から、ハールレムの応用美術学校で教師として働く。
1904年 M. C. エッシャーが同校に入学し、メスキータの指導を受ける。
1908年 この頃、アムステルダム動物園に通い、異国の動物たちをテーマに多くの木版画を制作。
1909年 ロッテルダムで初めての個展を開催。
1919年 リトグラフで多くの作品を制作。
1921年 グラフィックアート協会の会長に就任(~1924)。
1926年 応用美術学校が廃校となり、教師を辞める。1933 国立視覚芸術アカデミーの教授となる(~1937)。
1940年 ナチスによるオランダ占領。オランダのユダヤ人迫害は、他のナチス占領地域と比べて最も過酷であったと言われる。
1944年 1月31日夜、妻、息子とともにナチスに拘束される。アトリエに残された作品は、エッシャーや弟子たちが命懸けで持ち帰って保管した。妻とメスキータは3月11日にアウシュヴィッツで、息子は20日後にテレージエンシュタットで殺された。  

東京ステーションギャラリーのHPから転記させて頂いたよ。 
いつもなら略歴をそのまま載せることはないんだけどね。
エッシャーとナチスについての記述があったので、改変しなかったよ。

漫画チックに見えたメスキータの作品だったけれど、今から150年前に生まれた人だったとはびっくりだよ。
そして最初にポスターで見た作品が木版画だったとは意外だね。
この作品を実際に会場で鑑賞すると、バックの網の目部分が非常に細かく繊細に彫られていることが分かり、その技に驚嘆したSNAKEPIPEだよ。
ROCKHURRAHが絶対行きたいと言うのも納得。
東京ステーションギャラリーに行くのは、初めてのこと。
道に迷わないと良いけど?

東京ステーションギャラリーはまさにその名の通り、東京駅直結の場所だったので、方向音痴のSNAKEPIPEでも問題なく到着できたよ。(笑)
美術館の入り口には大きな看板があり、横には「メスキータ展」の宣伝用映像が流れていた。
その様子はトップ画像で確認できるよね。
チケットは、自動販売機になっていて、まるで駅の改札で切符を買うみたい。
エレベーターで、会場である3階に向かう。
アクセスの良さが原因なのか、会場はかなり多くのお客さんで溢れている。
「エッシャーが命懸けで守った男」というコピーが効果的だったのかも。(笑)

作品の前に立ち、鑑賞することはできるくらいの人の多さ。
少しずつ感想を書いていこうかな。
東京ステーションギャラリーでは、作品は全て撮影不可だったのが残念だよ。
「メメント・モリ」と題された作品は、メスキータ本人と対峙する頭蓋骨がモチーフになっている。
1926年に制作されているので、この時メスキータは58歳くらい?
もう少し年寄りに見えてしまうよ。
1920年代といえば、ROCKHURRAH RECORDSにとって憧れの時代!
ついフランスやドイツのアートを考えてしまうけど、オランダはどんな状況だったんだろうね。
シュールレアリズムや構成主義の影響はあったのかな。
「メメント・モリ」は「死を忘れるな」という意味なので、ゆっくりと死へ向かう自分と、未来の自分(頭蓋骨)というダブル自画像なのかもしれないね。

白と黒のコントラストが強烈な「トーガを着た男」は、1923年の作品。
ものすごくシンプルな線だけで、男の顔や輪郭が見事に表現されているんだよね。
それにしても「トーガ」って何だろう? 
調べてみると「古代ローマ市民が着用した外衣で、半円形または楕円形の布をからだに巻くように袈裟がけに着る物」らしい。
マントとかショールといった感じかな?
まるで80年代のニューウェーブ時代にいた人みたいだよね、とROCKHURRAHと話す。
やっぱり1920年代、良いよねえ!

「これカッコいいっ!」 
ROCKHURRAHが興奮気味に感嘆の声を上げる。
体の輪郭が彫られていないのに、光と影、体の立体感が表現されているところに着目したらしい。
メスキータの木版画は、その手の手法を取り入れていることが多かったよ。
それにしてもROCKHURRAH、鑑賞の仕方がプロっぽくないか?(笑)
左が「喜び」で右が「悲しみ」と題された1914年の作品である。
100年以上前に、こんな作品が存在していたとは驚いちゃうよ。
ポスターになっていたら、購入していたこと間違いなし!
残念ながら、ミュージアム・ショップで見つけることができなかったよ。

「こ、これはっ!」
すごいよね、と「喜び」と「悲しみ」の感想を言い合いながら隣の作品を観た瞬間、思わずSNAKEPIPEが発した言葉なんだよね。
1922年の作品「エクスタシー」 である。
「カッコいい」を連発していた矢先、この作品に遭遇し驚く。
同じ作者の作品とは思えないほど、コミカルに映ってしまったよ。
思わず「プッ」と吹いてしまったほど。
天高く両手を上げた裸婦もさることながら、両脇の顔もすごいよね!(笑)
そしてタイトルが「エクスタシー」(恍惚)とは。 
SNAKEPIPEには、あまり恍惚の表情に見えなくて、かなり意味不明の作品だったんだけどね。
ビザール・ポストカード選手権!34回戦」 で紹介した「ハルナー」を思い出してしまったよ。
どこが似てるかと言われると答えに詰まるけど、なんとなく雰囲気が近い気がしたんだよね。

メスキータは木版画を制作する前に、実際にモデル(もしくは知人?)のデッサンをしてるんだよね。
油絵も描いていたし、水彩なども扱っていたみたい。
左は「緑色の服の女」、1913年のパステル画なんだけど。
まるで別人の作品に見えてしまうんだよね。
木版画以外は、メスキータらしさが全く垣間見えないの。
どうしてこの手の絵から、カッコいい木版画に生まれ変わるのか?
非常に不思議でならないよ。(笑)

メスキータは人物以外にも、植物や動物をモチーフにした作品を多く残している。
略歴にも「動物園に通った」と書いてあるよね。 
動植物にも、たくさんカッコいい作品があるんだけど、あえてこの作品を選んだのには訳があるの。
どこかでみたことがあるような気がして、あとで調べようと思っていたからなんだよね。
調べて思い出したのがこの作品。
どお、ちょっと似てない?(笑)
河鍋暁斎の版画、「雨中白鷺図」なんだよね。 
もちろん河鍋暁斎は1889年に亡くなっているので、メスキータのほうが40年以上後の時代だけど。
オランダの有名な画家であるゴッホも浮世絵に影響を受けた一人だったので、後年のアーティストも日本の版画を見る機会はあったのかもしれないね?
そう考えるとオランダと日本のつながりを感じてしまうよ。

メスキータは版画や絵だけではなく、デザインの世界でも活躍していたという。
これは1918年から1932年に、アムステルダムの出版社が刊行していた「WENDINGEN」という建築と美術の月刊誌なんだって。
メスキータがデザインした表紙、なんてオシャレなんだろうね!
ヨーロッパはこの時代から、アートと建築を別のジャンルとして分離しないで、同じ次元として捉えていることを改めて知ったよ。
バウハウスも同時代だから、同じ思想だろうね。
月ごとにテーマを変えて刊行していたようで、どんな雑誌だったのか見てみたかったな!

総点数約240点という、大掛かりな展覧会だったよ。
鑑賞を終えると、足が棒になってる感じだったからね。(笑)
出口に向かうと待っていたのは、大きなポスターだった。
このエリアだけは撮影オッケーとのこと。
もちろん複製だけど、大きさがあったので迫力満点!
こんなロール・カーテンあったら嬉しいな。(笑)

略歴にも書いてあるけれど、メスキータはユダヤ人だったため、ナチスに拘束され命を落としている。
その事実を知った時、強いショックを受けた。
こんなに偉大なアーティストが悲惨な最期を遂げたなんて、悔しい気持ちになったよ。
先月2019年7月に記事を書いた「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」でも、ナチスが暗い影を落としていたことを思い出したSNAKEPIPEである。

「メスキータ展」は、多くの素晴らしい作品を鑑賞することができて大満足だった。
ROCKHURRAH、誘ってくれてありがとう!(笑)

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