石元泰博写真展 伝統と近代 鑑賞

20201213 top
【東京オペラシティアートギャラリーの入り口を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

友人Mから勧められ、Netflixで公開されている韓国ドラマを観ているROCKHURRAH RECORDS。
韓流ブームのきっかけとなった「冬のソナタ」(古い!)だったら手を出さなかったはずの韓国ドラマ。
最近はドラマの質が変わってきたよ、という友人Mの言葉を信じて観てみたのである。
なんとこれが、面白いじゃないの!(笑)
言った通りでしょ、と得意気に鼻をふくらませる友人Mと「ドラマに出てくる食べ物が気になるよね」と話す。
今まで複数回韓国に行き、本場の味を堪能している友人Mから
「新大久保に行ってジャージャー麺を食べよう」
という提案があった。
第72回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得した映画「パラサイト 半地下の家族」にも出てきたジャージャー麺。
韓国ではポピュラーなメニューみたいだね。
他にもドラマなどで出てくるメニューは、どれも美味しそう。
SNAKEPIPEも食べてみたいよ!(笑)

新大久保でランチを食べる前に、展覧会に行くことにする。
選んだのは、東京オペラシティアートギャラリーで開催されている石元泰博写真展。
生誕100年の記念企画だという。
写真の教科書に必ず出てくる大御所だよね!
石元泰博の個展を観るのは初めてなので、とても楽しみだよ。
恵比寿にある東京都写真美術館では11月23日まで「生命体としての都市」 として写真展が開催されていたことを知る。
後から知ったので残念だけど、行っておくべきだったなあ。
 
12月なのに暖かい日が続いたけれど、展覧会鑑賞の日は急に気温が下がってしまった。
寒暖差が激しいと余計に寒く感じるよね。
ギャラリー前で友人Mと待ち合わせる。
オペラシティアートギャラリーは2020年2月の「白髪一雄」展以来だね。
会期が10月10日からだったせいか、お客さんはとても少ない。
展覧会は2階から始まっていて、今までと違う順路だったよ。 
撮影は決められたスペースから遠景のみ許可されていた。
クローズアップは駄目なんだって。
SNAKEPIPE撮影の画像だけではないのが残念だよ。

まずは石元泰博の年表を展覧会サイトから転用させていただこう。 

1921 高知からの農業移民の長男としてサンフランシスコで誕生
1924 両親と高知に移住
1939 高知の農業高校を出て単身渡米、カリフォルニアに住む
1942 前年12月8日の真珠湾攻撃をうけ、日系人収容所に収監される
1944 収容所から解放されシカゴに行く
1947 シカゴの写真クラブに入会。モホリ=ナギらの著作に触れ、モダニズム/アヴァンギャルドの写真に開眼
1948 シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称ニュー・バウハウス)入学(1952年卒)
在学中にモホリ=ナギ賞を2回受賞する
1953 来日し、1958年まで滞在。桂離宮を初訪問し、敷石を撮影
1955 桑沢デザイン研究所講師を務める
1956 川又滋子(滋)と結婚
1958 初の写真集『ある日ある所』発刊
シカゴに戻り3年間滞在
1966 東京造形大学教授を務める
1969 日本国籍取得
『シカゴ、シカゴ』発刊
1977 『伝真言院両界曼荼羅:教王護国寺蔵』発刊
翌年、芸術選奨文部大臣賞、日本写真協会年度賞、世界書籍展の「世界で最も美しい本」金賞を受賞を受賞する
1993 勲四等旭日小綬章受章
1996 文化功労者に選ばれる
2012 東京都の病院で亡くなる

1920年代にアメリカで生まれた日本人というのが、当時どれくらい存在していたんだろう?
そして幼少の頃に帰国してから、再びアメリカに渡り小学校で英語の勉強をした、と会場の年表に書いてあったんだよね。
18歳で小学校に入れることにも驚きだけど、その勇気に感服するよ。
その後バウハウスの流れを汲んだ学校で学んでいたとは、羨ましい限り!
石元泰博の写真がカッコ良いのは、元来持っているセンスに加えて、バウハウスのデザインを学んだからなのかもね?

写真展は16のチャプターで構成されていた。
初期作品が並んでいた第1章は、バウハウスらしい作品がたくさんあって嬉しくなった。
マン・レイを思わせる実験的な作品や、フォト・コラージュもあったよ。
構成を意識した構図が目を引く。
ニュー・バウハウスで学んだ日本人は、石元泰博以外にいたんだろうか。
現在はイリノイ工科大学の学部として残っているらしいけれど、モホリ=ナギが教鞭をとっていた時代が最高なんじゃないかな?

石元泰博にはいくつかのシリーズがあるけれど、写真にのめり込んでいく原点になったであろうシカゴを撮影した作品が魅力的だった。
50年代から60年代のシカゴに暮らす人々、ビル群など、「時代」を捉えていることはもちろんだけれど、それだけではない。
まるで映画のスチールみたいに、すべてがカチッと決まってるんだよね。
ポスターにして飾っておきたいくらい。

写真美術館の展覧会ポスターで使用されていた写真がこれ。
ビルを見上げて撮影しているけれど、構図のとり方や白と黒のバランスが絶妙。 
バウハウスらしさ全開の作品だよね!
とてもカッコ良いので、待受画面にしようかな。(笑)
シカゴを舞台にした作品には、人物写真も多数展示されていたよ。
黒人を被写体にしていることが多かった。
正面からカメラを構えることができたということは、近所に住んでいたのかもしれないね。

桂離宮を撮影したシリーズも展示されていた。
桂離宮とは、京都市西京区桂にある皇室関連施設で、宮内庁が管理しているという。 
石元泰博は桂離宮撮影のため1ヶ月間、京都の高級旅館に泊まり、多額の借金を作り親に土地を手放させたというエピソードが展覧会の年表に載っていたよ。
撮影のために、どうしてそこまで高級旅館を選んだのかは謎だよね。
親子に亀裂が入った原因となった桂離宮の撮影だけれど、1957年に第1回日本写真批評家協会作家賞を受賞している。
載せた画像は敷石の作品だけど、これまたバウハウス!
純和風の建築や庭園を、切り取り方や構図でこんな形で見せてくれるとは驚きだよ。
なんで桂離宮なんだろう、とぼんやり観ていたSNAKEPIPEの目がぐわっと見開いたね。
桂離宮は予約制で参観が可能だというので、機会があったら訪れてみたいと思ってしまった。
石元泰博の作品を観たせいだね。(笑)

京都にある東寺の国宝「伝真言院曼荼羅」を接写拡大したシリーズは圧巻だった。
展示室全体が曼荼羅の部屋になっていたからね。
ROCKHURRAHが東寺の曼荼羅ポスターを持っていたので、全体図としては観たことがあったけれど、拡大されると細部が明らかになり違った印象を受けるよ。
載せた画像左から2番目は胎蔵界曼荼羅の中央部分かな。
調べてみると「伝真言院曼荼羅」は、2011年8月に鑑賞した「空海と密教美術展」で公開されていたみたいなので、実物を目にしていたのかも。(あやふや)
「世界で最も美しい本」に選ばれた写真集も観てみたいね。

展覧会の最後は伊勢神宮を撮影したシリーズだった。
正面に鳥居の写真がドーンと展示され、ここから聖域に入るおごそかな場所、という静寂を感じることができる。
江戸時代に「お伊勢参り」がブームだったというけれど、令和の現在でもROCKHURRAH RECORDSはお参りしたことないんだよね。
いつか行ってみたい場所だよ!

石元泰博写真展は、サブタイトルにあるように伝統的な建築や素材を、斬新な切り取りで見せてくれた写真が並んだ素晴らしい展覧会だった。
それぞれのシリーズごとの写真集を観てみたいし、できればシカゴと桂離宮の写真集は手に入れたいと思ったよ。
「シカゴ、シカゴ」は中古で58,000円、「桂離宮」は15,000円だって。
ちょっと考えよう。(笑) 

観て良かったね、と言いながら友人Mと新大久保に向かう。
念願のジャージャー麺と韓国酢豚(タンスユク)を食べ、大満足だったよ!(笑) 

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