日本を変えた千の技術博 鑑賞

20190214 top
【千の技術博の看板を撮影。バックにうっすらと積もる雪が見えるね】

SNAKEPIPE WROTE:

昨年の10月から国立科学博物館で開催されている「明治150年記念 日本を変えた千の技術博」を、今頃になって鑑賞した。
上野公園では、他に東京都美術館で「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」の展示もあり、どちらにしようか迷った結果「技術博」に決めたROCKHURRAH RECORDS。
2016年10月に鑑賞した「驚きの明治工藝」や「ビザール・マッチ選手権!33回戦」、「ビザール・ポストカード選手権!34回戦」で、日本の洗練されたデザインや卓越した技術力を知り、もっと明治・大正時代について知りたいと思っていたからね!
現在放映されているNHKの大河ドラマ「いだてん」の中で、天狗倶楽部というスポーツ大好き集団が登場する。
天狗倶楽部は明治42年頃から活動を始め、昭和初期には自然消滅したらしい団体だ。
ROCKHURRAH RECORDSは、天狗倶楽部のユニフォームに着けられているワッペンに注目したのである。
やや丸みを帯びたフォントを使用し、天狗をTNGと短縮した素晴らしいデザインなんだよね。
想像しているよりもずっと進んでいた明治時代以降の日本の文化に益々興味が湧いてくる。

3連休を利用して展覧会を鑑賞しようと計画したROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
鑑賞日を連休初日に設定してみたけれど、その日の東京は雪の予報!
雪の日に出かけたといえば、2018年3月に「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」 を鑑賞した日も大雪だったっけ。
あの時は、雪だから空いてるかもしれない、という予想が大きく外れてチケット買うのに30分以上並んだんだよね。
まさか今回も雪の日だから余計に人が多いってことはないだろうか、と不安に感じながら小雪がちらつく上野公園を歩いたのである。

予想最高気温は1℃か2℃だったはずなのに、完全防備していたせいもあり、そこまでの寒さを感じない。
更に全く大雪にもならず、長い傘をさす必要もないほどの小雪。
「備えあれば憂いなし、だから」
と言い聞かせながら歩くSNAKEPIPEだけれど、膝までの長靴は大げさだったなあ。(笑)

国立科学博物館前まで来ると、数人の人だかりがある。
やっぱり混んでいるのかも、と思ったのも束の間、チケット売り場にはすんなり到着。
会場内には「そこそこ」の人は入っていたけれど、展示物の前が黒山の人だかりで全く見えないということもなく、少し待ったり順番を変えて歩いていれば、必ず鑑賞できるくらいの余裕はあった。
撮影もオッケーだったので、バシバシ撮ってきたよ!
ただし、会場内は少し暗かったんだよね。
スポットライトを当てているせいで、しっかりと影ができてしまい、写真撮影には向かない状態だったことを最初にお断りしておこうかな。
決してSNAKEPIPEの腕が悪かったせいじゃないからね。(笑)
それでは気になった展示物を紹介していこう!

元はアメリカの「学校・家庭用掛図」で外国人が描いた図を、日本人が模写したもの。
「小學用博物圖」と旧字体で書かれているように、これは小学生用の植物図鑑だったんだろうね。
明治9年(1876年)に輸入されたネタを元に日本語訳版を作ったのが、これ!
日本人が外国文化を積極的に取り入れ、自分のものにしようとしていたことがよく分かるよね。
右上に「大阪師範学校 天野 皎 譚」と書かれているので、天野さんが描いたのかもしれないね?
8枚同じような掛図があるようなので、並べて見てみたいよ。 
学術用に制作されているはずなのに、アート作品に見えるところが面白いね!

こちらも教育用に制作されている展示品だよ!
明治28年(1895年)に島津製作所が製作販売していたという人体模型図なんだよね。
内臓がパーツごとに下部に並べられているところに、笑いと残酷さという相反する感情を持つことになって複雑な気分。(笑)
笑いがあるホラー映画、みたいな感じね。
明治時代にこんな模型が売られていたことに驚いたよ。
2010年1月に「医学と芸術展 MEDICINE AND ART」を鑑賞した時にも、17、18世紀にドイツで製作された象牙のミニチュア人体模型図を鑑賞したことを思い出す。
あの時も学術目的で製作された物品なのに、アート作品よりもアートだった感想を持ったんだよね。
この人体模型図も「おままごと」のように遊んでみたい衝動に駆られた逸品だよ!

何故病院に旗が必要なのか不思議だよ。
「奥羽追討陸軍病院(平潟口)の病院旗」とのこと。
明治元年(1868年)の物だという。
赤の生地に黒の菊の御紋は目立つよね。
明治時代のこのセンス、カッコ良いと思うよ。

これは一体なんだろう?
「世進電話雙録(よはすすむでんわすごろく」だって。
明治26年(1893年)に電話の使い方を主題にして作られた双六だという。
明治になって26年が経過しても、描かれた人物の服装は着物が主流だったことが分かるよね。
「文明開化」で「鹿鳴館」でドレスを着て踊る女性ばかりではなかったんだね。
電話の歴史としては、1878年に日本製の電話機が完成した、とWikipediaに書いてある。 
電話がだんだんと一般庶民に普及してきた頃に作られた双六ということになるんだね。
それにしても、この双六、遊んで楽しいのかな?(笑)

明治時代には薬の研究も進んでいたようで、薬の広告も展示されていたよ。
三共株式会社(現在の第一三共株式会社)が明治32年(1899年)に消化酵素剤「タカヂアスターゼ」、明治35年(1902年)に副腎髄質ホルモン剤「アドリナリン」を商品化して、販売していたことを初めて知ったSNAKEPIPE。
 「The Adrenalin Family」と書かれている広告は明治38年(1905年)の物。
フォントの使い方、素敵だよね!
それにしても明治から大正時代にかけて様々な研究を成功させていた医学博士である高峰譲吉、もっと知りたいと思ったよ。

このポスターに関しては、何のキャプションも提示されていなかったんだよね。
別の場所で似たようなポスターに付けられていたのは、大正9年(1919年)「生活改善ポスター」 だったので、恐らく同じタイプだと思われる。
「家庭の改良は先づ 臺所設備から」と書かれていて、右上に昔ながらの土間の様子が描かれ、中央には改良版としての台所の様子が描かれている。
大正時代にはもう現代とそれほどの違いがないキッチンが存在していたことになるよね。
L字型のシンクや食器棚、3口のコンロ(下部はオーブン?)に換気扇まで描かれている。
服装は和装のままではあるけれど、一般庶民にも椅子の生活が始まっていることにも驚いたよ!

重工業の分野でも大きな発展があった明治時代以降の日本。
詳しいことはよく分からないので、説明できないのが苦しいところ。(笑)
ただSNAKEPIPEは鉄やステンレスを使用している部品や鋼材に興味があるんだよね。
インダストリアル・デザインが大好きなROCKHURRAH RECORDSは、実際に可動して何の目的で使われていたか、というよりもそのカッコ良さに目を奪われる。
無理矢理名付けるならば、インダストリアル美、略してインダス美?インダ美?イン美か? 
短くすればするほど、本来言いたいこととは違ってくるのでやめようか。(笑)
この画像は「スターリングエンジン」だって。
かなり大型だったけど、何に使われていたんだろう。
チャコールグレーの塗料が印象的で、光の加減によっては鈍色に見え、更に重厚感が増す。
上部にある車輪状のフォルムまで含めて、インダストリアル好きにはたまらない逸品だったよ!

この車に大反応していたのはROCKHURRAHだった。
マツダのコスモスポーツは、1967年に世界で初めて販売されたロータリーエンジン搭載車だという。
ROCKHURRAHは子供の頃に、ウルトラマン・シリーズや石坂浩二の「平四郎危機一髪」などのドラマで使用されていた、この車が大好きだったらしい。
プラモデルでも作っていたそうで、それが大反応の理由のようだね。
確かに車に疎いSNAKEPIPEが見ても、昔の車には確かな個性と造形美があると思ったよ!
イタリア車だと言われても納得してしまう流線型は、まるでサメをモデルにしたように見える。
こんな車が一般道を走っていたかと思うと驚いてしまうね。

最後は「二式一一五〇馬力発動機」ね。
数字にすると「2式1150馬力発動機」なんだけど、やっぱり漢数字で書いたほうが「ザ・日本製」で良いみたいだね。(笑)
「隼」や「零戦」といった日本の戦闘機に搭載された航空機用のエンジンだという。
またこのフォルムが素晴らしいんだよね!
イン美の世界を堪能できる逸品だよ。(笑)
展覧会を鑑賞しているお客さんの大半は、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEのような鑑賞法ではなくて、飛行機や電車好きのマニアだったようで、この発動機の前から動かない人がいっぱい!
「デザインがカッコ良い」
という感想を持つSNAKEPIPEも負けず劣らず写真撮影していたので、戦闘機好きだと思われたかもしれないね?
そしてこの発動機はお土産コーナーで、Tシャツとして売られていたのを発見。
版画のような1色刷りでのプリントでは、一体何なのか不明な物体にしか見えないのでは?
せっかく作るなら、もっと出来栄えを考えて企画して欲しいと思う。

大抵の展覧会でのミュージアム・ショップには不満があるけれど、今回もひどかった。
誰が「蚕」のぬいぐるみ(体長約70cm)を買うんだろう?
クリアファイルにクッキーや缶バッジは、いつでも販売されている企画品だけど、実際売れる物なんだろうか。
明治時代以降の展覧会ということもあり、ショップの半分は昭和を感じさせる駄菓子屋のような雰囲気になっていて、これもまた興醒めの一因だったよ。
展覧会でのお土産、購買意欲をそそる逸品の開発をして欲しいなあ。

日本の明治・大正時代については、これからも調べていきたいね。
この時代の展覧会があったら、また鑑賞したいと思うよ!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です