生誕100年 岡本太郎展

【岡本太郎展のポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

5月8日まで東京国立近代美術館岡本太郎展が開催されている。
生誕100年ということで充実したコレクションが観られるようなので足を運んでみた。
岡本太郎については特に詳しく知っているわけではなく、太陽の塔の作者だということ、青山に岡本太郎記念館がありそこのカフェでお茶を飲んだことがある程度である。
まとまった数の作品を観るのは今回が初めて。

以前東京国立近代美術館に行ったのがいつだったのか思い出せない。
カンディンスキーだったかゴーギャンだったかを観に行ったような?
東京メトロ竹橋駅を降りてほんの2、3分で美術館に到着。
美術館の向いには皇居のお堀が広がり、満開の桜がとても美しい。
この日は非常にお日柄が良く、眩しいくらいの陽射しと上着が要らないような気温でお出かけ日和。
岡本太郎展は大盛況だと聞いていたけれど、この日は余計に拍車がかかったようで大混雑の中での鑑賞となってしまった。
六本木にある国立新美術館でも感じたことだけど、どうも「国立系」と命名したくなるお客さんが多いんだよね。
これがちょっと苦手なんだな。(笑)

岡本太郎については、「芸術は爆発だ!」に代表される、あのキテレツな言動からご存じの方が多いアーティストだと思うけれど、ここで簡単に説明をしてみようか。
岡本太郎は1911年に漫画家である父・岡本一平と小説家である母・岡本かの子との間に生まれる。
1930年から1940年までパリに滞在。
この時パリでシュールレアリズムの立役者であるアンドレ・ブルトンジョルジュ・バタイユらと交流。
パリ大学で美学・哲学・心理学・民俗学を学ぶ。
1940年帰国、兵役と抑留を経験。
1946年から1996年に亡くなるまで精力的に作品を発表する。
岡本太郎の経歴の中でSNAKEPIPEが注目したいのは、芸術家の両親から生まれた点。
そしてパリ時代にシュールレアリズムの真っ只中に身を置いていた点かな。
本人の資質はもちろんだけれど、既成概念に囚われず自由奔放な反逆精神を育んだのはやはり家庭の力が大きいと思うからね。
そして18歳という多感な時期でのパリは、非常に刺激的だったはず。
シュールレアリズムの洗礼を直に受けるなんて、羨ましい限り。(笑)

会場に入ってまず最初に目に飛び込んできたのが立体作品。
まるで仏像を展示しているかのように、赤い布の上でライトアップされていて面白い。
岡本太郎と聞けば、恐らくほとんどの人が絵画よりも立体作品を思い浮かべると思うので、この空間に入ると
「ああ、岡本太郎展に来たな」
と思うこと間違いなし。(笑)
10体程の、思い思いの動きをした立体作品はとてもユーモラスだった。
サイズが割と小さめだったので、どれか一体お持ち帰りしたかったくらい。(笑)

立体作品の部屋から後は「~の対決」というタイトルが付けられ、年代順に7つの章に分けられて展示されていた。
前述したように岡本太郎にはパリ時代という10年間がある。
この時期を第1章<ピカソとの対決>としてまとめられていた。
岡本太郎は1932年にピカソの絵を観て感動、そして乗り越えなければいけない目標として定めたらしい。
ピカソに立ち向かうと決意するとはすごいよね!(笑)
ただこの時期の岡本太郎が残しているのはシュールな印象の油絵。
素敵な曲線が描かれていて、とても好きな雰囲気だった。

第2章は<「きれい」な芸術との対決>。
ここでは1946年頃からの作品がまとめられている。
パリ時代のシュールな雰囲気とはガラリと作風が変化し、一言で言うとアヴァンギャルドになるのかな。
黒のバックに赤色が特徴的な絵が多く、強いメッセージ性を感じる。
けれど、どうやらメッセージの伝達を岡本自身は望んでいなかったようだ。
きっと己の思うまま、好きなように描いていたらこうなった、という解釈が一番良いのかもしれないね。
上の写真にある「森の掟」という作品には背中にジッパーを付けた生き物が描かれていて、ジッパー好きのSNAKEPIPEにはたまらない。(笑)
派手な構図とタッチに驚きますな!

第3章は<「わび・さび」との対決>。
縄文土器を観て戦慄し、日本の美を再発見する岡本太郎。
東北や沖縄に出向き、各地の風習や祭りなどを取材し執筆活動を行う。
それらの影響を受けたと思われる立体作品や絵画は更に力強く印象的だ。
赤のバックに黒い線がうねるように描かれている「装える戦士」という作品は、まるで梵字のようで、書とも絵画とも呼べるようで興味深い。
このポストカードがあったら欲しかったのにな。
そうそう、ミュージアムショップで楽しみにしていた海洋堂制作のフィギュアが販売終了していたのも残念だった。
ガチャガチャ、やりたかったのになあ!(笑)

第4章は<「人類の進歩と調和」との対決>。
ついに時代は1970年の大阪万博。
そう、あの有名な太陽の塔である。
SNAKEPIPEは未だに大阪に行ったことがなく、当然ながら太陽の塔の現物も観たことがない。
写真や映画「20世紀少年」の中で観たことがあるくらいか。(笑)
太陽の塔は今観てもその斬新さに驚くし、世界的に経済大国となった日本を象徴するイベントのシンボルとして岡本太郎を起用した、ということに再び驚いてしまう。
どういう経緯があって太陽の塔の建設が決定したのかはよく知らないけれど、1970年に約70mという高さの、顔デザインの塔はかなり衝撃的だったのではないだろうか。
その決定をした当時の役員(委員?)に拍手を贈りたいくらいである。
あの塔を観た世界の人はインパクトの強さはもちろんのこと、日本の奔放さ、自由さにびっくりしたのではないかと思う。
原初的な祭りをイメージして作られた、というこの塔。
いつか現物を観てみたいものである。

第5章は<戦争との対決>。

太陽の塔建設と並行して進められていたという、メキシコオリンピックにあわせて計画されたホテルの壁画。
「明日の神話」というタイトルで、原爆で焼かれても悲劇を乗り越えようとする力を表現した作品らしい。
岡本太郎版のゲルニカ、という感じかな?
今回展示されていたのは下絵だったけれど、それでも幅11mもあり余程遠くから鑑賞しないと全体像を把握できなかった。
作品の力強さは上の小さい画像からでも充分伝わると思う。
ただ立ち尽くし見つめることしかできなかったSNAKEPIPEである。
この壁画のメキシコ版、現在は渋谷に設置されているとのこと。
まだ実物観ていないので、今度渋谷に行った際に鑑賞してこよう!

第6章は<消費社会との対決>。
ここでは展覧会以外で発表された作品群が紹介されていた。
ある年齢以上の方だと懐かしい「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」のロバートブラウンのグラスの展示や「宇宙人現わる」という特撮SF映画に関する仕事などを観ることができる。
「芸術活動を広汎な大衆と結ぶことに意欲的だった」と書いてあり、そこが岡本太郎の面白いところだなと思った。
芸術を閉ざされた、ある一部の人にだけ理解されれば良しとするアーティストが多いように思うので、この岡本太郎の姿勢には驚嘆する。
ただし、最近よく見受けられる「アーティストが自分の作品を安易に商品化」している現状には悲しみを覚えるSNAKEPIPEだけどね。

第7章は<岡本太郎との対決>。
タイトルに行き詰まったのか?(笑)
最後の部屋に展示してあったのは全て「眼」の絵!
壁一面にある複数の眼にさらされていると、落ち着かない気分になる。
イメージ的には「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる目目連っていう妖怪みたいな感じね。
よくもこれだけ繰り返し同じテーマに取り組んだな、と感心してしまうほど大量の眼。
「執拗に目玉を描き込んでいるのは、新しい世界に呪術的にはたらきかける戦慄的な現代のマスクを創造しようとしているため」
とは岡本語録である。
呪術とか戦慄なんて言葉が並んでいるので非常に禍々しく聞こえてしまうけれど、作品の一つ一つに恐ろしさは感じない。
心の赴くまま描き殴ったような荒々しさとユーモラスが同居しているように思う。

岡本太郎は1930年代よりパリで「ピカソを超える」という目標を持ち、活動を続けてきた。
昔テレビで岡本太郎がピカソについて語っているのを観たことがある。
「ゲルニカを観た瞬間、涙がワーッと出てきて止まらなかった」
と興奮気味にジェスチャーまじりで喋っていた。
ゲルニカを一目観て泣けるとはすごい人だ、と思った記憶がある。
今回100年祭ということで年代順にテーマに沿って鑑賞して感じたのは、ピカソと岡本太郎は良く似てるな、ということだ。
ピカソはアフリカ彫刻に感銘を受け、インスピレーションを得て作品に活かしていた。
岡本太郎は縄文土器に感銘を受け、ピカソと同じようにインスピレーションを得て作品に活かしている。
二人ともどんどん「子供のような絵」になっている点も似ていると思った。
芸術を突き詰めていくと、観念とか理屈とか全く抜きにして、本当に素直な子供の目になっていくものなのか。
天才のことはよく分からないけどね。(笑)

人からの評価などは全く気にせず、本当に自分のやりたいことをやり、描きたい絵を描いた自由人。
長いものに巻かれない、反逆精神を残した日本人離れした感覚の持ち主だった岡本太郎。
生誕100年展を観終わって、圧倒的なエネルギーとパワーを感じた。
こんなに元気を与えてくれる芸術家はもう現れないかもしれないね?

SNAKEPIPE MUSEUM #09 Edward Hopper

【1930年代のニューヨーク。とても素敵な映画館ね!】

SNAKEPIPE WROTE:

現代アートでは観た瞬間に「面白い!」と感じる3次元モノが好きだけれど、アート全般として考えると主流はやはり2次元モノ。
SNAKEPIPE自身も、今まで経験したことがあるのは絵や写真という紙媒体だけだし。
そして平面モノの場合は瞬間的な面白さ、というよりもじっくり鑑賞するのが好み。
シリアスでちょっと物悲しい雰囲気の作風に共感を覚える傾向が強い。
今まで紹介してきたSNAKEPIPE MUSEUMのほとんどが当てはまるかな?

今回特集するエドワード・ホッパーも同じ種類の画家になりそうね。
たまに鑑賞したくなるのがホッパーの画集なのである。
ホッパーの特徴は、スナップショットのようにアメリカの風景や人物を切り取って描いている点にある。
まるで映画のスチール写真のようにも見える作品なんだよね。
ホッパーは1882年生まれのアメリカの画家。
1925年くらいから1940年代あたりがホッパーの活躍していた時代のようで、丁度ハリウッドの黄金時代に重なる年代になりそうね。
そう言われてみると、ホッパーの絵に登場している人物の服装というのが
男性:三つ揃いのスーツ。ネクタイ。中折れ帽
女性:ブラウスにスカート。もしくはワンピース。
といった「紳士・淑女」の服装。
この時代のファッションって憧れるんだよね。(笑)

ホッパーの展覧会に行ったのは何年前だったんだろう。
調べてみると2000年夏のBunkamuraだった。
ぎょっ!すでに11年も前のことになるとは…。(とほほ)
確か行ったのが夜で、あまりに人が多くて鑑賞どころじゃなかった記憶がある。
前述したように「じっくり鑑賞するのが好み」なのに、叶わず憤慨。(笑)
仕方なく図録とポストカードだけ購入して帰ったんだっけな。
ホッパー人気にちょっとびっくりしたSNAKEPIPEだった。

ホッパーの絵の魅力はやっぱり物語性だろうか。
上の絵も鑑賞者が様々なドラマを創作して、自分なりの解釈を持つと思う。
映画館の通路脇で頬杖をつき、ややうつむき加減に何か考え事をしている女性。
映画は上映中なのにも関わらず、物思いに耽けるとは余程彼女にとっての重要事項なんだろう。
髪もキレイにセットして、恐らくデート用におめかし?
観客がまばらなところから、どうやらそれほど人気がある映画じゃないのか、もしくは封切りから時間が経っている映画、と推測。
観客が少ないため、誰も彼女に注意を払う人はいないようだ。
おかげで彼女は思考を邪魔されないで済んでいる。
一体何を思っているんだろう?

ホッパーのどの絵にも共通して感じるのは強烈な孤独だ。
夜にひょっこり顔を出す、誰もが持っているやりきれない諦念感。
ホッパーの絵を差し出されると
「自分だけが疎外感を持っているんじゃないんだ」
と鑑賞者は安心するのかもしれない。
そしてそれが人気の秘密なのかもしれないね?

ロック少女のバイブル?The Runaways鑑賞

【左側が映画版ランナウェイズ。右側が本物だけど区別つかないね!】

SNAKEPIPE WROTE:

美容院に行ってきた。
腰に届くくらいのストレートロングヘアを保持してきたSNAKEPIPEだけれど、ここらで思い切りイメージチェンジをしてみようと思ったのである。
いきなりイメチェンといってもどんな髪型が良いのか分からない。
参考にしてみよう、と画像検索したのがジョーン・ジェット
1982年に「アイ・ラブ・ロックンロール」をヒットさせたジョーンは、女性とは思えないほどパワフルなギタープレイに凛とした雰囲気を持つ中性的な魅力の持ち主。
「カッコ良い姐御!」
と一目見たときからファンになってしまったSNAKEPIPEなのである。

イメチェンはジョーン・ジェットみたいな狼カットにしてみてはどうか?
ん?今は狼カットって言わないの?古い?(笑)
今はウルフカットって言うのか。
なんだい、英語にしただけじゃん!(怒)
そこで久しぶりにジョーン・ジェットの画像を検索すると、なにやら若い頃の写真がいっぱい載ってる。
と、思ったらそれがジョーンに成り切って写っているクリステン・スチュワートだったのである。
なんだこれは?と調べて、ランナウェイズの映画化を知った次第。
結局髪型はやっぱり狼カットにする勇気がなくて、ただ切っただけ。
30cmくらいバッサリ切ったからイメチェンにはなったかな?(笑)

ランナウェイズとは1975年から1979年に活動していたアメリカのガールズ・ロックグループである。
ヴォーカル・シェリー・カーリー
リズムギター・ジョーン・ジェット
リードギター・リタ・フォード
ベース・ジャッキー・フォックス
ドラム・サンディ・ウエスト
5人の平均年齢16歳、というティーンエージャーばかり。
ヴォーカルのシェリーがコルセットにガーターベルトというセクシーコスチューム、大股開きで歌う大胆さが話題だったようである。
どうやら日本でも大人気だったみたい。
ランナウェイズ最大のヒット曲「チェリー・ボンブ」のシングルレコードを所持していたSNAKEPIPEだけれど、残念ながら当時の人気はほとんど知らないんだよね。

ランナウェイズの映画化を知ってから数週間経過。
なんとなく毎日落ち着かない日々が続いているため、予定を立てる余裕がなかったんだね。
計画停電で昼間の時間に電気が使えなくなった3月のある日のこと。
急遽外出を決め、ROCKHURRAHと渋谷に向かった。
映画「ザ・ランナウェイズ」は東京では渋谷PARCOにあるシネクイントだけの単館上映。
先日観た「マチェーテ」も新宿での単館上映だったけど、最近は日本映画ばかりで外国映画はあんまり上映してないのかな?
実際映画館の中に入ってびっくり。
観客が10人くらいしかいなかったんだよね。(笑)
座席を指定するタイプの映画館だったけど、これじゃ指定の意味ないよー!
それなのに前方真ん中付近は人気があったようで、10人しかいない観客の中の4人くらいが固まって座ってるのがおかしかった。
周りはガラーンとしてるのにね!
空いてる映画館は好きなので、この日に行って良かったな。(笑)

映画が始まってすぐにびっくりする。
ジョーン・ジェット役のクリステン・スチュワート、似過ぎ!
かなり意識して真似たのかもしれないけど、顔からスタイルまで全部似てるからね。
これはかなり驚きだよ!
シェリーに扮するのはダコタ・ファニング
現在17歳ってことは撮影してる時は15歳とか16歳だったんだね。
丁度ぴったりシェリーと同じ年齢で演じるとは。
それにしてもアメリカの女の子はオトナっぽいね。(笑)

映画は1975年、ジョーン・ジェットとシェリー・カーリーが15歳というところから始まる。
75年というとロンドン・パンクより1年早く、音楽シーンはまだグラム・ロックの時代ね。
グラムについて知りたい方はROCKHURRAHの記事「時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side A」と「時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side B」を読んで頂くと有効ですな!(笑)
シェリーはデヴィッド・リンチじゃなかった、デヴィッド・ボウイに夢中。
ジョーンはスージー・クアトロを手本にしていたらしい。
思春期だから現状に不満を感じるお年頃よね。
解るわぁ~!(笑)
自分にとってのアイドルをマネて、大人のフリを始める時期。
ジョーンはロックがやりたい!と一生懸命ギターを練習する。
ある程度弾けるようになったところで、プロデューサーのキム・フォウリーに自分の売り込み!
ここらへんが若さって素晴らしい、と思えるところ。(おばさんっぽい?)
怖い物知らずの当たって砕けろ状態なんだけど、なんとこれがすんなり受け入れられる。
更にドラムのサンディ・ウェストを紹介されて「二人でやってみろ」とのこと。
二人で練習してるところにベースが入り、ギターがもう一人参加し、とだんだんバンドっぽくなってきた。
最後にフォウリーがシェリー・カーリーのルックスを見定め、ヴォーカルに勧誘。
ランナウェイズ結成である。

それにしてもこのキム・フォウリーというプロデューサー、かなり気色悪いタイプ。
いかつい顔・体型なのにグラムっぽくしっかり化粧してるんだよね。(笑)
パンクっぽいアクセサリーも付けてたし。
本人はどんなだったんだろう、と検索して出てきたのが左の写真。
ご本人登場なんだけど、どお?
本人も音楽活動をしていて、どうやら現在も活動している模様。
こうして見るとあの映画の中でフォウリーを演じていた人はかなり忠実だったことが判明。(笑)
少女達を操って、どんどんフォウリーが思う通りの理想にバンドを近づけて行く課程はとても面白かったけど、タイプはまるでマルコム・マクラーレン
なんとなく胡散臭い、でも商才には長けてる仕掛け人的な雰囲気がそっくりだった。
「チェリー・ボンブ」を即興で作るシーンはかなりウソっぽかったな。
あんなに簡単にできた曲なんだろうか?(笑)

バンドはフォウリーの売り込みにより、メジャーデビューが決定。
どんどん上り調子になるところは観てみてワクワクした。
日本公演のシーンでは、
「よくもここまでやったもんだ」
と驚いてしまうほど、当時の日本人を再現。
ファッションや髪型をじっくり研究したんだろうね。
本当に1976年って感じだったよ。(笑)
恐らく日本公演の頃がピークだったのかもしれないね。
良い時は長く続かず、バンドはバラバラになってしまう。
シェリーだけに人気が集中することに嫉妬し、不満の声をあげるメンバー。
当のシェリーもロックスターが背負う犠牲に苦痛を感じるようになってくる。
みんなでロックをやろうよ、と最後まで言っていたのはジョーンだけだった…。

話自体は割とありきたりで、特別な展開もなく終わった。
当時の雰囲気はよく伝わってきたし、なんといってもシェリーとジョーンがよく頑張って演じてたね!


ジョーン・ジェットは15歳から現在の50代に至るまで、首尾一貫してロックをやり続けている。
雰囲気はほとんど変わっていないし、やっぱり今でもカッコいい!
画像検索している時に気になったのが上の写真。
どうやらUS Navyのヘリコプターに乗る時に撮られた写真みたい。
ジョーンは米軍支持者で軍のための演奏を行っていると書いてあった。
上のスタイルも決まってるし!
ピシッと筋を通す意志の強さに勇気と元気をもらったよ。
これからもずっと付いていくぜ、ジョーン姐さん!(笑)

大人社会科見学—河口湖・富士山—

【バスの中から撮影した失敗作。(笑)チラリと見える美しい富士山】

SNAKEPIPE WROTE:

3月4日はSNAKEPIPEの誕生日である。
毎年プレゼントを考えてくれるROCKHURRAHが
「今年は温泉旅行にしようか」
と提案してくれた。
おおっ!
あ、憧れの露天風呂付き客室の温泉旅行!(笑)
場所をどこにするか考え、せっかくなので富士山が見える温泉にしようということになった。
富士山が見える露天風呂とは!(笑)
なんだかものすごく贅沢な温泉旅行になりそう。
わくわくして旅行を楽しみにしていたSNAKEPIPE。

旅館の予約を入れたのは2月の下旬である。
もちろん3月11日にあのような災害が起きるなんて予想もしていなかった。
計画停電の関係もあり、大丈夫なのか不安になりながらも旅館に確認したところ
「お待ちしております」
とのこと。
なんとなく言葉に濁りを感じたけれど、せっかくの旅行だもの。
行くったら行く!

3月の下旬、ついに予約していた日になった。
宿のある河口湖畔に行くために河口湖駅に向かう。
河口湖駅、という駅があることも知らないSNAKEPIPE。
実は千葉県内と東京都内以外はほとんど行ったことがないんだよね!
山梨県は今回初めて足を踏み入れる場所になるみたい。
河口湖駅に着いてまずびっくりしたのはその寒さ!
高く積み上げられた雪が道の両側に見られる。
今年は確かに寒いけれど、この時期に山梨県はまだ雪なんだね!
あっ、富士山があんなに大きい!
頂上にはもちろん雪が残っている。
とても美しい富士山を間近に見られるなんて感激だよ!

旅館に行くまでには時間があるため、まずは河口湖北原ミュージアムに行くことにした。
以前森アーツセンターで開催された「超驚愕現代アートコレクション」がとても興味深かったので、北原コレクションをもっと鑑賞したかったのである。
まずは腹ごしらえ、と北原ミュージアムに隣接するハッピーデイズカフェで昼食。
河口湖が一望できる高台にあるカフェは、室内がとても暖かかった。
BGMはビートルズ。
北原さんのチョイスだろうね。(笑)

お腹を満たしてミュージアムへ。
「懐かしの広告キャラクター展」という昭和30年代に生まれた企業キャラクターが特集されていた。
SNAKEPIPEが知っていたのはペコちゃんとサトちゃんくらいだったけど、じっと観ていたら
「こちらのポコちゃんは、現在の評価価格150万円でございます」
と職員が近寄って来て説明を始める。
いや、別に買うつもりないんだけど…。(笑)
1階で鑑賞していると、スーッと職員が近寄って来て説明を始めるので逃げ腰になってしまった。
説明を受けて嬉しいと思う人とそうじゃない人がいるからね。
2階に行くと付いてこなかったのでちょっとホッとする。
自分の好きなように鑑賞したいからね!
レコード、雑誌、香水瓶、ポスター、薬の箱、そしてもちろんブリキのおもちゃなど
「よく集めたねー!」
と感心してしまう貴重なコレクションの数々。
昭和のデザインって良い物がたくさんあるんだね。
復刻されることはないのかしら?
とても楽しいミュージアムで行って良かったと思う。

次に向かったのは山梨宝石博物館
特別宝石に興味を持っているわけでも、石の付いたアクセサリーを持っているわけでもないけれど石の持つパワーを感じてみたいと思い行ってみたのである。
説明によれば、ここは日本で唯一の宝石専門博物館とのこと。
いろんな石が展示されているのだ。
入ってみてびっくり!
まるで巨大な宝石屋さんに入ったみたい。
黒を基調にした室内にガラスケースがズラーッと並んでいる。
その中に今まで聞いたこともないような名前の石がこれでもか、というくらい展示されている。
原石から始まり、磨くとこんなに光り輝くんですよ、という段階も解る寸法。(笑)
高さ180cmもある巨大な水晶の展示もあり、まるで御神体みたいな雰囲気。
あの水晶を発掘した人は驚いただろうなー!

そろそろ旅館のチェックインの時間。
河口湖をゆっくり散歩、と洒落込みたいところだけど、雪が降ってきたよ!
寒いのなんのって!
万が一に備えて防寒してきて本当に正解。
まさかこんなに気温が低いとは思わなかったからね。
そのせいなのか車も人もほとんど通っていない。
河口湖ってもっと観光が盛んなのかと思ってたけど?

旅館に着いて人が少ない理由が分かった。
予想通り、震災と計画停電の影響でキャンセルが多発したらしい。
そのためなんと旅館のお客さんはほとんどいないとのこと。
幸いにもROCKHURRAHとSNAKEPIPEが到着した日、停電は中止。
ここまでガランとした旅館も珍しいね。
大浴場まで貸切状態になっちゃったし。
泳いじゃったからね!(笑)

部屋に案内されてびっくり!
目の前に富士山がっ!
頂上付近には雲がかかってしまったけれど、あれは紛れもなく富士山だ!(笑)
部屋に付いている露天風呂は24時間いつでも入れる状態で、寒さのために表面から湯気が立っている。
なんて素晴らしい環境なんでしょ!
早速露天風呂に入り、冷えた体をほぐす。
頭は寒いけれど、首から下はホカホカ。
頭寒足熱を実践してとても気持ちが良い。
あー!極楽、極楽!
来て良かった、と思った瞬間である。(笑)

旅館の中で特筆すべき事項といえば、翌朝朝食を取るためにホールに向かう時のこと。
すでに着替えを済ませていたので、SNAKEPIPEは自分のブーツを履いて食事処に行こうとすると
「旅館では下駄だよ」
とROCKHURRAHが主張する。
同じく着替えを済ませていたにも関わらず下駄で行く?
見ると靴下に無理矢理下駄を突っ掛けている!
5本指ソックスならまだしも、普通の靴下だよ?(笑)
服はミリタリー系装備なのに、足元は下駄!
はっきり言ってヘン!
歩き辛かったらしく、スタスタ歩くSNAKEPIPEに追いつくのが大変みたい。
「待って~」
とまるで老人のようなROCKHURRAHに大笑いした。(笑)
ところが食事処に同じスタイルの、下駄・靴下おっさんがいるんだもの!
また大笑いしたSNAKEPIPEだった。

朝食を終えた後すぐに出発。
この日の予定は樹海の風穴氷穴である。
西湖に向かうレトロバスに乗って約40分。
雪道を歩いてお目当ての風穴へ。
思っていたのと全然違って青木ヶ原樹海も雪景色。
もっとジャングルっぽい道を歩くんだと想像してたんだよね。(笑)
「おおっ、エコバニごっこができる!」
「U2ごっこもできるかも?」
「シャイニングごっこもできるじゃん」
(注:上記のバンドや映画はどれも雪深い中での撮影をしていたため)
などと他愛もないことを話しながら、エコバニになりきって記念撮影。
80年代にタイムスリップだよ!(笑)

そうこうしているうちに風穴に到着。
ツララは垂れ下がってるわ、手すりは凍ってるわ、足元は滑るわ!
滑りやすいので足元に気を付けてと言われてはいたものの、まさか凍ってるとは思わなかったよ!(笑)
階段を降りて降りて洞窟内に入って行くと、ライトアップされた巨大な氷の塊が!
昨日は水晶で、今日は氷。
巨大な塊ばかりを観てるなあ。(笑)
なんとも神秘的で幻想的で、滑りそうになりながら降りた苦労を忘れた。

去年の夏、猛暑を乗り切るための涼しい場所をテレビで紹介していた時に、風穴を観たことを思い出す。
風穴から出て来た人のメガネが温度差のために曇って、
「中はとても涼しかったです」
と答えていた記憶がある。
ところが!
この日もかなり風のある寒い日だったため、風穴洞窟内のほうが暖かく感じたほど。
サングラスも曇らなかったし。(笑)

風穴のチケット売り場の方に氷穴の行き方を聞いてみると
「この左の道をまっすぐ行って、三叉路に出たら一番左をまっすぐです」
と簡潔な答え。
そんなに大変じゃなさそう、と歩いて行くことにする。
がっ、前述したように青木ヶ原樹海は雪景色。
当然ながら雪かきされているわけではないので、完全な雪道を歩くことになった。
一番積もっているところで約30cmの積雪量というところか。
そこをザクザク音を立てながら氷穴目指して歩くROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
なんだかまるで軍隊の雪原地帯訓練みたいだよ!(笑)
こんなに長い雪道を歩いたことがないので、大変だけれど嬉しくて張り切って行進してしまった。
さすがにこんな悪路では誰も徒歩で氷穴に向かおうとは思わなかったらしく、雪の青木ヶ原樹海に存在しているのは樹木と行進する2人のみ!
風で木々が揺れる音と2人の足音しか聞こえない。
晴れていたせいもあるけれど、その静寂はとても心地良かったな。

それにしても…。
歩いても歩いても全く「氷穴はコチラ」なんて書いてある看板が見当たらない。
道を間違えたとは考えにくいけれど、ここは青木ヶ原樹海…。
万が一道に迷ったら…ぐわ!こ、怖い!
「とにかくこの道を進んで行くしかないよ!ね!」
と自分に言い聞かせるように、口に出して言いながら行進を続ける。
歩き続けること約1時間。
トラック車体の青色が遠くに見えた時は本当にホッとした。
やっと氷穴に到着したよ!
雪道の行進、楽しかったな!と言えるようになったし。(笑)

いよいよ、氷穴である。
風穴を見学して来ているので、同じような洞窟なんだろうと思っていたら!
氷穴は洞窟に入るまでが風穴以上に過酷!
凍った急な階段を降りて、降りて、降りて。
まだ下に降りるのか、と思っていると
「こんなに狭い隙間は行かれないよ~」
と先頭で降りていたROCKHURRAHが尻込みしている。
人が一人ようやく通れるくらいの大きさの穴を降りないと洞窟に到達しないようだ。
へっぴり腰になっているROCKHURRAHに、後ろから頑張れ!と声をかける。
「わー」とか「ひゃー」とか何かを叫びながらROCKHURRAHの降下完了。
SNAKEPIPEのほうが小柄なので(当たり前か)そこまで恐怖を感じないで降下。
そこが最後の試練で、残りの行程はそんなに苦労しないで歩いて見学。
氷穴は洞窟内よりも、降りる課程が印象的だったね!

河口湖駅に向かうバスの中のこと。
観光旅行で来ていたらしいアメリカ人女性2人が乗っていた。
ずっと2人で喋りまくり。
どうして外国人ってあんなにお喋り好きなんだろ?
そのうち、その女性のうちの1人が
「オーマイガッ!」
と言うと、もう一人も
「オー!ジーザス!」
となんだかとても驚いている様子。
何かと思うとバスの窓からくっきりキレイな富士山が見えるではないですか!
外国人2人は写真を撮り始めた。
負けじ、とSNAKEPIPEもカメラを構える。
だけど、動いてる車内からの撮影って難しいよねー。(上の写真参照)
バスの運転手さんも気を利かせて、かなり徐行運転をしてくれている。
あんなにキレイな富士山が見えただけで良かったな!(負け惜しみ)

1泊2日の旅行だったけれど、今まで行ったことがない場所で初めて目にする物や経験ができてとても有意義だった。
またいつの日か温泉旅行に出かけたいな!