ビザール・ツリー選手権!45回戦

【木をテーマにしているので選んだ曲。ロバート・スミスの目線が変!】

SNAKEPIPE WROTE:

いつの間にか8月に入っていて、オリンピックも開催されている。
もうすぐお盆という、本来であれば休み前のウキウキした時期なのにね。
コロナの影響で帰省したり、旅行に行くことも難しいのは残念だよ。
今回は非日常的な景色を観て、旅行した気分を味わう記事にしてみよう。
こんなところに行ってみたいな、というSNAKEPIPEの願望ね!
近所の公園を散歩するだけでもリフレッシュするので、木をテーマに選んでみたよ。
早速紹介していこう! 

暑い日本から脱出して、水辺で涼もうか。
なんと美しい湖の色!
そして水面から垂直に林立している木々。
どうやらこの木はエゾマツの変種であるトウヒのようだけど、すでに枯れてしまっているらしいよ。
湖のブルーに映える白いトウヒのコントラストが見事だよね。
この風景を眺めることができるのは、カザフスタン共和国にあるカインディー湖。
そして水面より上は枯れてしまったけれど、水面下では画像のように別の世界が広がっているという。
藻類や他の水生植物が、水没したトウヒを覆い、水中の森を形成しているとは!
植物の生命力の強さを感じるね。

続いてはポーランド北西部にあるクシュヴィ・ラスという森に行ってみよう。
おや?木の幹がくにゃっと曲がってるよね?
この木はヨーロッパアカマツとのこと。
とても不思議な景観だけど、どうしてこんな形になったのかは、未だに解明されていないという。
仮説の中には「宇宙人説」や「木が意志を持った説」などがないのが残念!
自分なりの仮説を立てに、現地に赴いてみたいよ。
ミステリー好きにはたまらない森だよね。(笑)

森の奥深くに分け入る。
気持ちの良い空気を深く吸い込み、森林浴を楽しむ。
と、そこに、、、。
まるで巨人が見下ろしているような光景。
急に現れたら立ちすくんでしまうかもしれない。
これはブルガリアのバルカン山脈にあるブナの木だという。
任天堂のゲーム「ゼルダの伝説」に出てくる「デクの樹」様のように、神秘的な精霊に見えてしまうよね。(笑)
方向音痴だけど、こんな森を歩いてみたいよ! 

続いてはアフリカ大陸に渡ろうか。
ナミビアにあるナミブ=ナウクルフト国立公園の中にある「死んだ沼」を意味するデッドフレイと呼ばれる木々は、なんとすでに枯れているんだとか。
言ってみれば木のミイラだよね。
500年以上、この姿のまま保っていられるのは、極度の乾燥のためだという。
まるでインドのターセム・シン監督の映画みたいな風景は、訪れる価値あるよね!(笑)

木にペイントするなんてイタズラはやめなよ、と言いたいあなた!
ちょっと待って!(笑)
この木は、多くの色を持つ樹皮が特徴のレインボーユーカリだという。 
まるで蛍光塗料を塗ったように見えるよね?
フィリピンやパプア・ニューギニアに生息しているんだって。
たまに街路樹の幹の外皮が剥がれ、ウッドランド迷彩に見える時に興奮するROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
レインボーユーカリを見たら、どんな反応になるのか。
今から楽しみだ。(いつ行くのか?)

強風により斜めになってしまった木。
バックの空模様も怪しげで、寒い印象を受けるよね。
こういう風景に憧れるROCKHURRAH RECORDS。
北欧の景色かと思っていたのに、ニュージーランドの南島だったとは意外だよ。
ちょっと暗めの80年代のニューウェーブ・バンドが、プロモーション・ビデオ撮ったら似合いそうじゃない?
この例え、分かってくれると嬉しいよ。(笑)

最後はアメリカのカリフォルニアに行ってみよう。
幹や枝が、まるで回転するようにねじれた存在感抜群の木!
青空をバックに、どっしりと大地に根を張っているよね。
まるでマックス・エルンストの絵画作品に出てくるような印象だよ。
これはメトシェラと名付けられた、推定樹齢が4850年を超えている長寿の木とのこと。
さすがに何かが宿っている雰囲気あるよね。
メトシェラは、保護のために場所の公表がされていないという。
ホワイトマウンテンのどこかにあるらしいので、メトシェラを探す旅も楽しいかもよ?(笑)

今回はビザールな木を鑑賞する世界旅行を計画してみたよ。
カザフスタン→ポーランド→ブルガリア→ナミビア→パプア・ニューギニア→ニュージーランド→アメリカと7ヶ国を駆け抜けるなんて素敵じゃない?(笑)
今度はまた別のビザールな風景も探してみよう!
 

ニッチ用美術館 第7回

【夏っぽく暑苦しいタイトルバックにしてみました。鬱陶しいよう。】

ROCKHURRAH WROTE:

ここしばらくブログ執筆者(大げさ)としては全然登場しなかったROCKHURRAHだよ。
特に忙しかったわけでも病気だったわけでもなく、SNAKEPIPEがブログを書いてる横でただぼんやりしてただけ・・・うーん、相変わらず書いてて情けないな。

そう言えば連休前、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは二人して同じ会場、同じ時間で予約出来たのでコロナ・ワクチン接種に行ってきたよ。
区がやってる役所仕事だと思って、どうせ待たされたり不快になる事が多いと予想していたが、ヘタな病院よりもずっとシステマティックに手順が進み感心した。
看護師もスタッフも毎日数多くこなしてるからだろうが、熟練の極みでストレスがなかったのは良かった。
ちょっとでも様子が変だったらすぐに駆けつけて「大丈夫ですか?」と至れり尽くせり。
ここまで手厚い看護を受けた事ない人も多数だと思うから、感激する人もいるだろうな。

注射自体は痛くもなくあっという間に終わり、気分悪くなる事もなく「大したことなかったね」などと言いながら帰宅。
先にワクチンを打ったSNAKEPIPEの友人Mが色々な助言をしてくれたので予備知識はあったが、翌日から2日くらいは腕に筋肉痛のような痛みが出た。
よく言われるように腕が上がらないというほどはなかったけど、連休はどこも行かずダラダラ過ごして回復に努めたよ。
8月に2回目があるけど、その時の方が副反応が重いというから気をつけないとね。

久しぶりにブログを書く気にはなったけど何を書こうか迷ってたら「ニッチ用美術館」というSNAKEPIPEからのリクエストがあった。
そうだね、ROCKHURRAHが書いてるものの中では、アイデアとしては一番出来がいいシリーズ(自画自賛)だから。
では頑張って書いてみようか。

さて、毎回のように説明してる「ニッチ」とは生態的地位とかくぼみ、適所などの意味を持つけど、音楽とアートワークの隙間を埋めたいとROCKHURRAHが考え命名した企画というわけだ。
簡単に言えばレコード・ジャケットを展示して美術と音楽の両サイドから語ってゆくという素晴らしい企画なんだけど、キュレーターとしてのROCKHURRAHがB級なもので、いまだに人々を感動させられないでいるのが現状。

そして説明がしつこいがROCKHURRAH RECORDSは70年代のオリジナル・パンクと80年代ニュー・ウェイブしか語らないという、めったにない類いのレコード屋だから、展示物もその範疇にあるもの限定。
これ以外のものは語れないがよろしいか?(偉そう)

ROOM1 烏拉的米爾の美学

予備知識もなくこれを読める現代日本人はいないと思うが、烏拉的米爾と書いてウラジーミルと読むらしい。
ロシアの都市名を漢字表記してた時代にはこう書いていたんだろうけど、みんなスラスラ読めたのかな?
100%当て字だとはわかっていても、いちいちこういう字を当てはめようと考えた人がいたのがすごい事だと思うよ。こういうのを一日中考えるような仕事があったらしてみたいとさえ思える。

さて、その烏拉的米爾は人名としてもポピュラーでレーニンやプーチンもウラジーミルだそうだ。
人名の方は漢字表記するのかは不明だが。
ついでに、ROCKHURRAHはロシア人の名前をウラジーミルではなくてウラジミールと疑いもなく呼んでいたが、これはチェコ人とかの読み方で、ロシア的にはウラジーミルだという話。裏地見るではない。
知らなかったけど一ヶ月後には忘れていそうな豆知識だったな。

1910年くらいから1930年代頃まで盛んだったロシア・アヴァンギャルドという芸術運動、その中でも斜め直線や円形を大胆にあしらった構図や色使いの見事さで、ドイツのバウハウスと共にROCKHURRAHが大好きなジャンルなのがロシア構成主義だ。
これはROCKHURRAHもSNAKEPIPEも過去に何度も力説してるから、ROCKHURRAH RECORDSの基本ポリシーとなるデザインと言っても良い。

以前に銀座グラフィック・ギャラリーでアレクサンドル・ロトチェンコの企画展に感銘してからすでに10年近く。
それ以前からROCKHURRAHのスクリーンセーバーはずっとロシア構成主義のものを使っていたんだが、OSを新しいのに変えたら残念ながら使えなくなってしまった。
うーむ、それくらいずっと大好きなデザインだと言いたいだけで、数行も費やしてしまった。
ロシア構成主義の趣旨とは真逆のムダの多い文章だな。

ロトチェンコやリシツキーなどのポスターは有名だが、派手で斬新な構図を得意とするステンベルク兄弟も映画ポスターなどで活躍した素晴らしいアーティストだ。
色使いもとってもカッコいい。
そしてやっと烏拉的米爾につながったが、ウラジーミル(兄)とゲオルギー(弟)の二人でステンベルク兄弟だったというわけ。
兄弟でポスターを制作する分担は不明だが、初期の藤子不二雄みたいに合作してたのかね?

やっぱりパンクやニュー・ウェイブと一緒で、時代の波が一番きてる瞬間に人々が求めるものを提示して、華々しく活躍した者が寵児となる。
1920〜30年代のステンベルク兄弟がまさにそれだったんだろう。

弟の方は30年代にバイクで事故死、それ以降は目立った活動をしてないようだ。
ウラジーミルは弟の死を国家的な暗殺と信じ、後悔したまま(社会主義に反する芸術家弾圧が進んでいたソ連から亡命しなかったため)その後の人生を隠遁者のように送ったというような話。
本人がそう言ってるだけで真偽のほどは不明だけど、確かにそういう話はありそうだよね。

例えばメスキータもユダヤ人だったというだけでナチスによって殺されてしまったり、芸術でも何でも、やってる事が戦争や歪んだ社会体制によって踏みにじられる事に怒りを感じるよ。
今の時代でも何もかも自由な事なんてないし、多数のつまらん意見が個人を殺す事だっていくらでもある。

思わずシリアスになってしまったが、話を進めよう。
そんなステンベルク兄弟の作品をジャケットとして使用したのがザ・サウンドの1stアルバム「Jeopardy」だ。

このジャケットは1926年のソヴィエト無声映画「The Crime of Shirvanskaya」のポスターを使ったものだが、オリジナルのポスターはカラーだったのをなぜかモノクロのジャケットにしている。映画はもちろんモノクロなので別に違和感はないんだけど。
この映画、邦題が一切見当たらないので日本で公開された事もないんだろうけど、そして何者なのかは不明だが、シルヴァンスカヤなる人物が主役を務める映画が何本かあった模様。
シリーズ化されてたのかな?

ザ・サウンドは1980年代前半、ネオ・サイケの時代に活躍したバンドで、初期はエコー&ザ・バニーメンと同じコロヴァ・レーベルよりレコードを出していたな。
何か覚えがあるなと思ってたら去年の記事、「俺たちダーク村」で書いてたのを思い出した。

エイドリアン・ボーランドというちょっとぽっちゃり顔のソングライターが中心人物だったが、パンクの時代にはアウトサイダーズ、初期ニュー・ウェイブの時代にはセカンド・レイヤーというバンドで活躍していた。そのどちらでも才能を発揮していたが、このザ・サウンドが彼の集大成とも言える優れたバンドだった。

ちなみにネオ・サイケというジャンル名は、実際にやっている音楽とあまり一致しないという事で後の時代にはダーク・ウェイブなどと言われてたようだが、ROCKHURRAHはネオ・サイケで覚えた80年代世代だからこのまま書きすすめるよ。

1stアルバム「Jeopardy」のトップを飾る名曲がこの「I Can’t Escape Myself」だ。
ゆったりしたイントロからサビの盛り上がりが初期U2っぽいけど、こちらの方が先輩だね。
ボノはこの辺から影響を受けたのかもしれないな。
哀愁を帯びた良いメロディと、そんなに緻密にまとまってないラフな演奏が大器の片鱗を漂わせていたザ・サウンドだが、歌がいいだけで見た目やキャラクターとしての魅力には乏しかった。
バンド名もただのサウンドじゃ抽象的過ぎてイメージもまるで湧いてこないよな。

同ジャンルの有名バンド、ジョイ・ディヴィジョンやエコー&ザ・バニーメンのように国際的な人気になるほどの活躍はなかったが、たまにインディーズ・チャートに名前が出る程度。
ネオ・サイケという暗くて重苦しい音楽ではヒットする方が難しいので、それでもこのジャンルでは中堅どころとしてのネームバリューはあったというべきか。

ザ・サウンドの人気がどれほどだったかのかは正確に知る術はないが、具体的な例で言うなら80年代に下北沢のUK EDISON(南口降りた右側のビル2Fにあった)で2ndアルバムがしばらく面出しされて置いてたのを目撃、それで初めてこのバンドのレコードを買ったという思い出がある。
ステンベルク兄弟のジャケットの1stは後に中古盤で買ったんだよな、などと人によってはどうでもいい事をなぜか何十年も覚えてるROCKHURRAH。
ちょっと前の事をすぐに忘れるくせに変な部分にだけ異常な記憶力なんだよな。
しかも具体的な例が人気や知名度を知る材料に全くなってない。

ぽっちゃりの割には鋭く狷介な目つきのエイドリアン・ボーランドはその後、精神を病んで、ザ・サウンドの解散後10年以上経ってから電車に飛び込み自殺で生涯を閉じた。
バンド以降の音楽キャリアもちゃんとあったのに、プライベートとかについてはよくわからないからね。
まさに「I Can’t Escape Myself」そのものの人生だったな。

ROOM2 黯然の美学

この「ニッチ用美術館」という企画の最も大変な苦労はチャプターごとにつける○○の美学、ここになぜか難読熟語を当てはめるという形式を勝手にROCKHURRAHがやり始めたのが全ての元凶だよ。
最初の頃はそんなにこだわってなかったはずなのに、チャプター・タイトルをつけるのに大変時間がかかる。
まさにニッチもサッチもいかない状態。
漢字で書くと「二進も三進も」となるのも初めて知ったよ。

例えば上のジャケット見てROCKHURRAHがすぐに連想する言葉がアンニュイなんだけど、最近ではこの言葉も滅多に聞かないな。
物憂げとか倦怠とかを意味するフランス語だが、80年代的には「アンニュイな表情した彼女」などと誰でも使ってた言葉だろう。
で、アンニュイに相当する難しい言葉を様々な方面から調べてみるが、得意の当て字もなくROCKHURRAH本人も別に漢字博士なわけでなく、ここで大変な労力を使って何とかそれっぽいのを考えたのが黯然。
あんぜんだから暗然でもいいのにわざと難しい漢字にしただけ。

黯然とは「悲しみでくらく沈んでいるさま」だとあるが、うーん、そういう表情とはちょっと違うかもな。
というわけでさんざん考えた難読漢字がジャケットをうまく言い表してない失敗もあるということだ。
相変わらずだが言い訳長いな。

さて、こんな黯然なちょっと良さげなジャケットで80年代初頭に人気だったのがB-Movieというバンド。
このジャケットの曲「 Nowhere Girl 」や同時期の「Remembrance Day 」が割とヒットして、当時は聴きまくっていた人も多かったはず。
この有名なジャケットを撮ったのがピーター・アシュワースという写真家で、80年代ニュー・ウェイブの有名ジャケットを数々手掛けた人。ヴィサージやアダム&ジ・アンツ、ソフトセル、ユーリズミックス、アソシエイツなどなど、あれもこれも知ってるジャケットの多くはこの人の写真、というくらいに売れっ子だったようだ。

英国ノッティンガム近くのマンスフィールドという郊外出身のB-Movie、元々はパンク・バンドをやっていたそうだが1stシングルもヒットした曲に比べるとアグレッシブで暗めの初期ニュー・ウェイブという感じがなかなか素晴らしい。

代表曲「 Nowhere Girl 」は元々1980年にオリジナルを発表したが、これは普通のバンド編成に初期デペッシュ・モードのようなチープなシンセを取って付けただけのようなヴァージョン。
それがあまり売れなかったからなのか1982年に大々的にメジャーっぽいアレンジをほどこして、どこに出しても恥ずかしくない哀愁のエレポップ・サウンドに仕上げたのがようやくヒットしたという経緯がある。
上に展示したレコード・ジャケットも80年ヴァージョンよりは遥かに良くて、ソフトセルやザ・ザで一儲けしたサム・ビザール(レーベル)の本気が垣間見える名盤。
が、いいバンドだから売れるというわけでもなかったようで、2曲はヒットしたものの誰でも知ってるバンドにはなり得なかった。
何でかはわからないが1stアルバム発表が85年、レコード・デビューしてから5年もの歳月が流れた頃で、世間から忘れ去られてしまうほどの遅咲きバンドだったな。
レーベルもちょこちょこ替わってるし苦労したのかね。

ビデオで歌ってるのが売れ線を意識した方のヴァージョンだが、ヴォーカリストの動きも明らかにメジャー狙い。
Bムーヴィーというバンド名とは裏腹なんじゃない?
最初のヴァージョンももったり感はあるけど味わい深く、本当はこんな風に変身したくないバンドだったんじゃないかな?と想像するよ。
インディーズで2曲もヒットしないバンドが多い中、後世に残る名曲を残しただけでも良しとしなければ。

ROOM3 软盘の美学

馴染みのない漢字だがこれはある種の人々になら読めると思う。
中国語でフロッピーディスクの事をこう書くらしい。

フロッピーディスク自体を知らない人や見たことない人、そういう世代も多いだろうけど、IBMが発明した古いパソコンの記憶媒体だ。
大まかに言うと四角いプラスティック板のような3.5インチとさらに大きな5インチのサイズのものがあったな。ちょうど上の画像みたいなヤツね。
ROCKHURRAHが大昔に使ってたモニタ一体型のMac(iMacとかよりもっと昔の時代)にはまだ3.5インチフロッピーを差し込めるようになってたが、それでもフロッピーディスクはあまり使った記憶がない。記録出来る容量が少なすぎたからね。

5インチの方はそれより前に働いてたゲーム屋になぜか古いパソコンが置いてあり、どうでもいいような仕事に使ったり、どうでもいいようなゲームをしたり、要するに役に立ってなかった。
頻繁にディスクの入れ替えしないと先に進めなくて、ものすごく面倒な割には大したことない機械だと思っていたよ。
この時代はまだMacなど知らずMS-DOSだったしなあ。

そんな厄介な大型フロッピーディスクをヒントにデザインされたのがニュー・オーダー初期の大ヒット曲「Blue Monday」だ。

英国マンチェスターで70年代末に設立されたファクトリー・レコーズはニュー・ウェイブの歴史において最も重要なレーベルのひとつだと全世界的に認められているはず。
TV番組の司会者だったトニー・ウィルソンを中心に作られたインディーズ・レーベルだが、地元のジョイ・ディヴィジョンを獲得してから歴史が変わるほどの発展を遂げた。
ちょうどパンクからニュー・ウェイブへの変換期で、人々が何か従来とは違った音楽を求めていた頃に出てきたというタイミングの良さもあったな。
暗くて重苦しかったり、風変わりでカッコ良さとは無縁だったり、実験的でポップスとは無縁のものだったり、方向性は色々だけど、従来のロックだったらヒットしそうにない部類のバンドも次々と話題になってゆく、そんないい時代だったのが70年代末のイギリスだったわけだ。
ジョイ・ディヴィジョンはそこまで風変わりなバンドではなかったが、世界との隔絶や絶望、死など負のベクトルに向かってゆく歌詞とぴったりな演奏、暗いバンドは数多くあっても(その多くはジョイ・ディヴィジョン以降だが)、ここまで突き詰めたのは他にいないのではなかろうか?と思えた。
その絶望のクライマックスがイアン・カーティスの首つり自殺というショッキングな幕切れだったのは、今ここでROCKHURRAHが書かなくても周知の事実だろう。

ヴォーカリストが死んだからといって神格化とか伝説にするのは意味がないが、深くリスナーの心に残る傷跡となったジョイ・ディヴィジョンは実像以上に過大評価されまくって、現代に至るまで何十年も多くの人に影響を与え続けている。

今回はジョイ・ディヴィジョンを語るつもりで書いてないからここまでにするが、ショックで活動休止となっていたバンドはその後、残りの3人でニュー・オーダーとして活動を再開する事になった。

ファクトリー・レコーズはリリースしたレコード以外にも、例えば飼ってた猫にも規格番号をつけるといったユニークなレコード会社だったが、そのセールスに貢献したのは昔マーティン・ゼロという名前で活動していた名プロデューサー、マーティン・ハネット。
そしてレーベルとしてのトータルなデザインに関与していたピーター・サヴィルの存在だろう。

世界的に有名なジョイ・・ディヴィジョンの1stアルバムのレコード・ジャケットは、その道の人じゃない限りわからないような天文学の分野から持ってきたデザインだそうだ。
CP1919という初めて発見されたパルサーからのパルス信号だという。
そういうところからヒントを得るセンスもピーター・サヴィルの手腕なんだろう。

上の12インチ、超大型フロッピーディスクと呼ぶべきデザインもニュー・オーダーのスタジオに置いてあったものを、ピーター・サヴィルがデザイン的に感ずるものがあってこのジャケットに採用したという話がある。
横の方のカラーチャートみたいな配列にもちゃんと意味があるそうだが、わかる人でもわからん暗号みたいなもの。

実用的に作られただけのものが整然とした美しさになるというのはインダストリアルなデザインでも今や当たり前だが、1983年当時ではどうだったのか?
80年代半ばくらいにパソコンではなくワープロを買って「これはすごく画期的」などと喜んでたレベルのROCKHURRAHには確かに斬新だったろうな。

ニュー・オーダーの初期はジョイ・ディヴィジョンの曲調の延長線という路線だったが、演奏は同じでも不世出のヴォーカリスト、イアン・カーティスがいないという喪失感に満ちあふれていて、個人的にはあまり聴く事はなかったな。
しかし途中からシンセサイザーなどの電子楽器をうまく取り入れ、ジョイ・ディヴィジョンの時代にはなかったダンサブルなバンドへと方向転換したのが成功して、当時のイギリス物が好きな人だったら誰でも知ってる知名度を得た。

イアン・カーティスの死から3年経ってリリースされた「Blue Monday」はニュー・オーダーの人気を決定づけた名曲。
月曜日にイアンの自殺を知ったことからつけられたタイトルで、過去の呪縛を断ち切らなかったバンドの苦悩が逆に聴衆の心を掴み、大ヒットとなった。

ビデオはタイトルにそうあったので1985年に初来日した時のライブ映像なんだろうが、2分以上もあるイントロで用意は十分かと思いきや、何だ?この高音は?
ヴォーカルが1オクターブ、歌の音程を間違えてそのままいつもの音程に戻すというハプニング映像で、見ている方がコケてしまうくらいの情けなさ。

ジョイ・ディヴィジョン時代にはギタリストだったバーナード・サムナーが付け焼き刃のヴォーカルという事はわかるが、もう歌い始めて数年経つのにまだ拙いというのは、よほど大舞台に弱いタイプなんだろうか?

 ROOM4 俊邁の美学

今回はたまたま選んだものが暗いのばかりになってしまったから、最後くらいは明るく終わりにしたいと思って、急遽予定を変えて別のジャケットを展示したよ。

一般的にはあまり使われる事はないと思うが、ROCKHURRAHとかよりもずっと上の世代だったら普通に使ってたかも知れない表現だな。
俊邁と書いて「しゅんまい」と読み、才知がすぐれていることという意味だそうだ。

子供の時に知能テスト、IQテストというようなものを受けた記憶はあるが、本人には結果を知らせない意向だったのか、親が知ってても教えてくれなかったのか?どういうシステムなのかはよくわかってないが、自分のIQはわからないでいる。
ROCKHURRAHの時代と制度が変わっても全然おかしくないから、今の時代の子はそういうのはどうなってるんだろうか?

この類いのテスト問題自体がものすごく嫌いなタイプのものだったので、どっちにしても良くはないに違いない。
嫌いなタイプの問題で意外と高得点ってのも考えにくいからね。

今回選んだジャケットの主人公が俊邁だという噂だが、書き始めた後でレコード・ジャケットについて語る「ニッチ用美術館」と俊邁は全然関係ない事に気づいた。
うーん、ジャケット自体に感ずるものは特にないなあ。
首の部分が長くなるモンタージュ写真みたいなものだが、不気味に感じる事はあっても美的に素晴らしいとは思えないよ。
どうやらグレース・ジョーンズの髪型がスパッと角刈りみたいになった有名なジャケットのアートワークを手掛けたフランス人によるフォト・コラージュみたいだが、意図は不明。

さて、そんな俊邁を言いふらすタイプの才女がこの人、クリスティーナという女性シンガー。
IQ165、ハーヴァード大を卒業した天才というキャッチフレーズでデビューした彼女は、1978年に元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルがプロデュースしたシングルでデビュー。
このレコードがZEレコーズというレーベルの最初のリリースとなった。

ZEレコーズはニューヨークに拠点を置くインディーズ・レーベルで、2人の創始者、マイケル・ジルカとマイケル・エステバンの頭文字を取ってZEを名乗り、アメリカのニュー・ウェイブ推進に貢献した。
この二人の経歴もエリートとしか言いようのないもので、普通の若者が仲間の協力で拙くインディーズ・レーベルを立ち上げたというような貧乏エピソードとは無縁のものだった。
この辺がイギリスとアメリカの温度差だと感じてしまうよ。

そのZEは世界的に有名なメジャー・レーベル、アイランドの傘下だった事もあり、インディーズ・レーベルとしてはかなり有名になった部類だと思う。
ROCKHURRAHがよく読んでた音楽雑誌の裏表紙とかがZEの広告だったりして、何だかよくわからんが興味を持って買ったレコードもあったのを思い出す。

このレーベルは所属ミュージシャンの傾向も意味不明で、キッド・クレオール&ココナッツやWAS(NOT WAS)などの売れ線ファンク系を主力としながらもフランスのリジー・メルシエ・デクルーを売り込んだかと思えば、一方ではコントーションズやリディア・ランチ、スーサイドなどのアンダーグラウンドで活動していたバンドも精力的にリリースしていた。
偏ってると言えばそうだが、単にニューヨークやパリを拠点とした最先端っぽいのを無差別に集めてみましたといった雑多なもの。
だからROCKHURRAHはZEレコーズについてはレーベルとしての魅力はあまり感じないというのが正直な感想だが、人によってはこのレーベルを絶賛してるのもいるから、捉え方は色々なんだろう。

さて、そのZEレコーズの看板歌姫としてリジー・メルシエ・デクルーと共にレーベルが強力にプッシュしていたのが本作の主人公、クリスティーナだ。

頭の良さだけでなくお色気もあるコケティッシュなシンガーとして売り出したかったようで、下着姿や露出度の高いドレスなど、ちょっと後の時代にマドンナがやるような路線の先輩と言えるような位置だったな。
ただし写真写りがいい時と悪い時の差が大きく、もしかしたら写りのいい奇跡の一枚を選んでジャケットにしたのかも、と思ってしまう。
デビュー当時が20代前半だったとしたら顔が大人び過ぎてる、平たく言えばもっと歳に見えるのもマイナスだったかな。
たまにクランプスのポイズン・アイビーっぽく見える時があって、それはそれでコケティッシュと言うべきか・・・。
インディーズのシンガーであまりプロモーション・ビデオも残ってないようなので、容姿がいまいちわからないよ。

「Ticket To The Tropics」は1984年に出た2ndアルバム収録でシングルにもなった曲。
今回展示した首長のジャケットであるこの2ndアルバム、邦題が「胸騒ぎのクリスティーナ」という恥ずかしいものだが、ちょうど同時期に少年マガジンで連載していた「胸騒ぎの放課後」を思い出す。
いつもそこだけ飛ばして読んでたなあ、という薄情なコメントしか出てこないが、それもまたいい思い出(ウソ)。

このアルバムを最後にクリスティーナは表舞台から姿を消すが、ZEレコードの首脳の片割れマイケル・ジルカと結婚。
逆に言えばジルカ氏が所属アーティストに手を出したという事が発端となって、ZEレコードに亀裂が生じ、そのうちレーベルとしての活動は休止したようだ。よくある喧嘩別れってヤツか。

その当時のニュー・ウェイブのエッセンスのひとつだった、割と無機的な声で60年代ポップスっぽい感じを歌うという手法は成功していて、本作も個人的にはなかなか良いと思える。
「ノー・ウェイブ(NYで流行ったノイジーでアヴァンギャルドな音楽)・シンガー」などと形容されることもあるが、アルバムを聴いてる限りはそんな感じはしない。
ROCKHURRAHの耳がおかしいのか?
その一年前くらいにイギリスで流行ったコンパクト・オーガニゼーション(マリ・ウィルソンで有名なレーベル)のやっていた事をアメリカっぽく、よりゴージャスに展開したという雰囲気はするね。え?全然違う?

結局、マイケル・ジルカとも離婚してその後にクリスティーナが何をやってたのかはよく知らないが2020年3月、つまり去年に新型コロナウィルスによって亡くなっている。
まだ流行り始めの頃で治療などが何なのかわからないうちに、だと思うと全然他人事には思えなくて恐ろしくなるよ。
うーむ、最後は明るく終わりたいと思って曲調だけで選んだのに残念な結果に終わってしまったな。

とにかく夏が大嫌いなROCKHURRAH RECORDSは毎年毎年言い続けてるけど、早く涼しくなって湿度も下がって欲しいと願うのみ。
ついでにコロナもいいかげんに国を挙げて、国民が一致して拡大を防ぐように誰もが努力して欲しいよ。

それではまた、ラーマス ブン(ルーマニア語で「さらば」)。

GENKYO 横尾忠則 鑑賞

20210725 top
【毎度同じ構図で看板を撮影。マンダース展が続いている?】

SNAKEPIPE WROTE:

東京都現代美術館で横尾忠則展が予定されていることは、かなり前から知っていた。
先日出かけた「アナザーエナジー展」で「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」のフライヤーを手に取る。
改めて確認すると、開催が7月17日からじゃないのっ!
このブログで何度も書いているけれど、開催中止になった展覧会を経験して以来、これはと思った時には、なるべく早く出かけることにしているSNAKEPIPE。
早速「GENKYO展」のチケット予約をしたのである。

例年よりも早く梅雨が明け、ギラギラした太陽が顔を出した風の強い日、ROCKHURRAHと東京都現代美術館に向かう。
到着するまでの間で、もう汗だく。
これだから夏って嫌なんだよねえ。
開館と同時刻に予約していたため、少し早目に着いたのにもかかわらず、すでに開館待ちの行列ができていた。
人数制限はされているので、そこまでの混雑ではないはずだけど?

体温測定され、手指の消毒を終えたら、いよいよ入場。
同じ時間帯に何人を上限としているのか不明だけど、会場入口付近は混雑していたよ。
密が避けられているとは言えない状態だったかな。
「GENKYO展」はいくつかのチャプターに分けて構成されていた。
それぞれについて感想をまとめていこう!
非常に残念なことに、一部を除いて撮影が禁止されていたんだよね。
画像は「GENKYO展」を紹介する他サイトから転用させて頂いたよ。

神話の森へ

横尾忠則が「画家宣言」をした1980年の夏からの作品がぎっしりと展示されていた。
ここだけで24点とは驚き!
最初の部屋に人が集まっていた、と先に書いたけれど、鑑賞するために時間がかかるのは当然かもしれない。
画像は1986年の「戦士の夢」。
この時期の作品には、スーツ姿の人物が登場することが多いんだよね。 
電飾をフレームにして「YOKOO」という文字が光る「赤い叫び」など、実験的な作品が面白かったよ。

多言宇宙論

カンヴァスの上にカンヴァスを貼り付けるという、コラージュによる作品が展示されていた。
刻まれた2枚の絵が複雑に絡み合って、想像力を掻き立てる。
画像は1988年の「薔薇の蕾と薔薇の関係」ね。
ダダイズムについて詳しくなった今は、これらの作品群がグッとくるよ! 
恐らく以前も鑑賞していたはずだけどね?(笑)
展示作品数は36点だよ!

リメイク/リモデル

「リメイク/リモデルといえばロキシー・ミュージックの曲にあったような?」
ROCKHURRAHからの指摘を受け、調べてみるとあったんだよね。(笑)

さすがROCKHURRAH、よく知ってるよね!
展覧会に話を戻そう。
ピンク色の肌色をした女性たちを、何度も描き続けた作品群が並んでいる。 
「よだれ」や「花嫁」は、ミュージアム・ショップでよく見かけるモチーフとなってしまい、今では少し食傷気味かな。
最初に観た時にはインパクト強かったけどね!
画像はアンリ・ウッソー・ヨコオとしてアンリ・ルソーの作品のパロディ物。
名前からして、もうパロディだけどね!(笑)
「フットボールをする人々」ではボールの代わりに首が、「森の中の散歩」には首をくくった女性の姿が描かれている。
これらは1967年制作というから、「状況劇場」のポスター制作と同時期ということだね。
横尾忠則のこうしたブラック・ユーモア、大好きだよ!(笑)

越境するグラフィック

「状況劇場」や「天井桟敷」といった演劇のポスターが、壁一面にぎっしり並んでいる。
こちらも「よだれ」と同じように、ミュージアム・ショップではお馴染みのモチーフになってしまったけれど、やっぱり好きな作品群なんだよね。
ほとんどの作品が1960年代に制作されているので、当時の日本人が、いかにアートに関して意識が高かったのか分かる。
SNAKEPIPEが憧れる時代の2番目が1960年代後半の新宿だから。(笑)
画像は1966年の「切断された小指に捧げるバラード」ね。 
横尾忠則が憧れた高倉健のポスターなんだけど、「死んでもらいましょー」と刀を振っているポーズとバックの波など、構図のバランスが秀逸! 
上部に書かれている文章も、ふざけてて面白いよ。(笑)

滝のインスタレーション

これは体験型のインスタレーションだったんだよね。
あえて画像を載せなかったのは、ネタバレになっちゃうから。(笑)
方向音痴で車酔いしやすい、三半規管が弱いSNAKEPIPEのような人は要注意かも。
実際SNAKEPIPEは、ちょっと怖い思いをしたからね。
もしかしたらそんな恐怖を味わえる人のほうが、インスタレーションの効果があるのかもしれないけど?

地球の中心への旅

横尾忠則は子供時代に読んだ小説や憧れていたキャラクターを、ずっと愛し続けているアーティストなんだよね。
画像は1996年の「実験報告」という作品で、左隅にいる少年2人が知らない世界を覗き見ている構図になっている。 
その少年こそが横尾忠則なんじゃないかと想像する。
幼児性を大事にすることを公言しているという横尾の、「少年シリーズ」とでもいうべき作品群は、ノスタルジーを感じさせるよね。
ROCKHURRAHも好きなシリーズと言っていたよ!
さすがは元少年、同調できるんだろうね。(笑)

死者の書

バックが赤い作品群が続く。 
まるで写真現像の暗室の中にいるような気分になる赤色の世界。
あの赤い光、SNAKEPIPEは好きだったな。
横尾忠則にとっての赤色は、どうやら空襲により赤く染まった空を表していると説明に書いてあったよ。
画像は1997年の「運命」という作品で、少年と少女が吊橋を渡っているところだね。
腰から上が見えないので、もしかしたら死者を表現しているのかもしれない。
吊橋を渡った先には、何が待っているんだろう?

Y字路にて

過去に何度も横尾忠則の展覧会で鑑賞しているY字路シリーズだけれど、なんとも言えない魅力があって大好きなんだよね。
このシリーズを知ってから、たまたま歩いた道沿いにY字路を見つけると嬉しくなってしまうSNAKEPIPE。
絵になるY字路って難しいけどね。(笑)
画像は2001年の「暗夜光路 赤い闇から」という作品。 
赤く染まった墓場が見える左の道が、とても怪しげなY字路だよね。
右の道も、暗闇に消えていて不安になりそう。
さあ、どっちの道を進もうか?(笑)

タマへのレクイエム

15年の時を共に過ごした愛猫であるタマ。
2014年に亡くなってしまったという。
そのタマを描いた作品群が並んでいた。
かつてSNAKEPIPEの実家にも猫がいて、14年間アイドルとして君臨していたことを思い出す。
あの時の喪失感が蘇り、泣きそうになってしまった。
ペットではなくて家族なんだよね。
かわいいタマの様子が生き生きと描かれていて、いかに大事にされていたかがよく分かる。
このブースを観るのはちょっと辛かったよ。

横尾によって裸にされたデュシャン、さえも

タイトルは、マルセル・デュシャンの作品である「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」をモジり、作品は「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」というデュシャンの遺作のパロディなんだよね。
木製のドアの隙間から覗く、という行為により見てはいけない物を盗み見るといういかがわしさ。
そしてデュシャンの場合には、両足を広げた女性が見える仕掛けになっているという。
横尾忠則バージョンでは、そこまでの猥褻さがなかったのが残念。(笑)

終わりなき冒険

横尾忠則の作品に温泉シリーズや銭湯シリーズがあることを知らなかったSNAKEPIPE。
芸者が銭湯で湯浴みしている様子を描いた、2004年の「湯の町睡蓮(芸者鏡)」は遊び心いっぱいなんだよね。 
画面中に「LOTUS(蓮)」の文字が書かれ、芸者の顔はピカソ風!
右の芸者は顔が「LOTUS」というアルファベットで仕上げられている。
蓮といえば、有名なのはモネの「睡蓮」だよね。
バックがモネ調になっているのもパロディなんだろうな。
横尾忠則のこういうセンス、良いよね!(笑)

西脇再訪

横尾忠則の故郷である兵庫県西脇市。
西脇で過ごした少年時代の思い出が描かれた、2018年の「回転する家」。
Y字路の奥に広がる空は空襲で赤く染まっている。
手前には横尾忠則の記事が載った新聞を握った手が描かれている。
因果関係は不明だけど、横尾忠則に刻まれた記憶なんだろうね。
西脇を題材にした作品は、物悲しい気分になるよ。

原郷の森

横尾忠則の最新作が鑑賞できるブース。
画像は2020年の「高い買い物」。
もしかしたら横尾忠則が購入したアート作品を描いているのかもしれない。
タッチが具象っぽいので、よく分からないけど。(笑)
他に「寒山拾得」というシリーズが展示されていたよ。
ここで思い出すのが、我らが鳥飼否宇先生の小説「逆説的」に登場するホームレスで通称「じっとく」。
この時「寒山拾得」の画像を載せていたっけ。
横尾忠則の最新作と鳥飼先生の小説がリンクしたようで、楽しくなってしまった。(笑)

WITH CORONA(WITHOUT CORONA) 

コロナウイルスの感染拡大により、かつて発表した作品や写真に、マスクをコラージュした作品群が展示されていた。
敬愛する映画監督デヴィッド・リンチの肖像画や、岡本太郎とのツーショット写真にもマスクがされている。
2021年7月の時点で、マスク付きの作品は700点ほどになるという。
このブースのみ撮影が許可されているので、何枚も撮ってみたよ。
本当はマスクの作品が増えるのは喜ばしいことではないので、早く日常に戻れると良いね!

東京都現代美術館で2002年に鑑賞した「森羅万象」も、かなりボリュームがある展覧会だったことを調べて思い出したよ。
「GENKYO展」は、約20年前を上回る規模の大展覧会で、横尾忠則回顧展といった雰囲気だった。
ここまでまとまった数の作品を観るのが初めてのROCKHURRAHも大満足だったという。
現在85歳の横尾忠則、これからの作品も期待して待っていよう!

アナザーエナジー展:挑戦しつづける力 鑑賞

20210718 top1
【会場入口を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

森美術館で開催されている「アナザーエナジー展:挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人」を観に行こう、と長年来の友人Mから誘いを受ける。 
展覧会は9月26日までの日程だけど、いつ開催中止になるか分からないからね。
鑑賞したい企画は早目に行くことにしたのである。

梅雨がまだ明けていない7月、当日はくもり空。
天気は不安定なので、ゲリラ豪雨が発生してもおかしくない状況の中、六本木に出かける。
実際その前日にはゲリラ豪雨により道路が冠水した、なんてニュースが流れていたんだよね。
雨でも大丈夫な防水タイプのブーツを履いて出発!
この日はほとんど雨は降らなかったけど、備えあれば憂いなしだからね。(笑)

チケット予約制になった森美術館に来るのは初めてかも。
以前は行列していた場所はガランとして、係員との接触なく、予約したQRコードを読み取らせるだけで入場可能になる。
SNAKEPIPEは友人Mとの2枚分を予約していたので、機械で紙チケットに交換してからの入場だった。
非接触が徹底されているし、係の方が、とても丁寧でわかりやすい説明をしてくれたことに好感を持った。
最近では、接客業に就いている人に腹が立つことが多いので、森美術館のスタッフは素晴らしいと感じたよ!
さすが森ビルだよね。(笑)

入場者数を制限しているため、展覧会も全く混雑なく鑑賞することができる。
これから先は、ずっとこうなっていくんだろうね。
観客が多過ぎて、人の頭の隙間からやっと作品の一部を観ることができた「没後150年 歌川国芳展」 のような混雑ぶりは辟易だったから。
コロナの影響で、良いこともあるんだね。

いよいよ会場へ。
森美術館は、一部を除いて撮影オッケーなんだよね!
バシバシ撮りましょう。(笑)
「アナザーエナジー展」は、世界の女性アーティスト16人の作品が展示されている。
SNAKEPIPEが感銘を受けたアーティストについてまとめていこうかな!
鑑賞した順番に紹介していこう。

アンナ・ベラ・ガイゲルは1933年、リオ・デ・ジャネイロ生まれ。
今年88歳になるんだね。
今回の「アナザーエナジー展」は、ベテランの、つまりは高齢の女性アーティストを特集しているので、80代は当たり前。(笑)
驚くのは、皆様活動を続けているアーティスト、ということ!
ガイゲルの2021年の作品も展示されていたしね。
載せた画像は、1969年制作のコンピューターで作成した自画像。
小さくて分かりづらいと思うけど、アスキー・アート、つまりアルファベットや記号で顔が出来上がっているんだよね。
当時は斬新な手法だったんじゃないかな?
ガイゲルはシルクスクリーンやコラージュなど、様々な手法で作品を制作している。
映像も手がけていて、会場で流されていたよ。
右の画像は1978年制作の「ローカライゼーション」という作品。
タイトル画面で目を引いたのが「musica Kraftwerk」の文字。
音楽がクラフトワーク! (笑)
残念ながら会場では音が出ていなかったので、どんなBGMだったのか不明だけど。
ガイゲルの作品のタイトルが「幾何学的なブラジルの在り方」や「方程式」など、女性のまろやかさというよりは、理知的で強くカッコいいところが特徴なんだよね。
そうしたところも含めて、好きなタイプのアーティストに出会えて嬉しいよ!

エテル・アドナンは1925年ベイルート生まれ、現在96歳!
詩人で小説家、哲学者でありアーティストだなんて、どれほど才能に溢れた女性なんだろうね? 
フランス語、トルコ語、ギリシャ語と英語も話せるという才女は、現在も創作を続けているという。
美しい色彩の作品群に目を奪われる。
並べて飾りたくなるよ。
これらの作品は2017年から2018年に制作されたものだというので、アドナン93歳というから驚いちゃうよ!
1929年生まれの「水玉女王」草間彌生も負けていられないよね。 (笑)

アンナ・ボギギアンは1946年カイロ生まれの75歳。
その年令を若い、と感じてしまうのはSNAKEPIPEだけ?(笑)
大きなインスタレーションのタイトルは「シルクロード」なんだよね。
鏡を床にして、ロープで吊り下げられているのは、「絹織物」に携わる人達みたい。
ボギギアンは、世界各地の文化や歴史を題材に作品制作を行っているという。
絵画作品では富岡製糸場を題材にした作品があったよ。
他の国をテーマにした作品も観てみたいね。

続いては1942年東京生まれの宮本和子。
日本人アーティストなのに、SNAKEPIPEは初耳だよ。
どうやら1964年以降、ニューヨークを活動拠点にしているという。
画像は1979年の「黒い芥子」。
壁や床に刺した釘に糸を張った作品なんだけど、これが素晴らしいのよっ!
見つめ続けていると、意識がどこか遠くに飛んでいきそうなくらい。
だから「芥子」なのか?(笑)
右の作品も糸と釘の作品で、使用された釘は300本以上とのこと。
「黒い芥子」には1900本以上の釘が使われているそうなので、再現するのが大変だろうね。
シンプルなのに、インパクトがある作品に目が釘付け。
釘だけに?(笑)
糸を使った作品で思い出すのは、2019年9月に鑑賞した「塩田千春展:魂がふるえる」 だよ。
塩田千春の糸は混沌だけど、宮本和子は整然とした構築とでもいうのか。
同じ素材でも印象は正反対だね。

続いてはミリアム・カーン。
「アナザーエナジー展」のフライヤーに使用されているのはカーンの作品なんだよね。
1949年スイス生まれ、現在72歳。
カーンのブースで作品を目にすると、グッと引き込まれる。
実はフライヤーの絵を観た時には、なんとも思わなかったんだけどね。(笑)
画像は2018年の作品「描かれた」。
どういった状況なのか不明だけど、黒い空に赤い線が不気味に見える。
女性2人は、裸体で逃げている途中なのかもしれない。
なんとも不穏な空気に包まれた不思議な印象の作品だよね。
カーンの作品を観ている時に感じたのは「リンチの作品に似ている」ということ。
次の作品、2004年の「夢で見た図書館」は、夢というフレーズと、赤い建物がいかにもリンチっぽいんだよね。(笑)
友人Mに話しかけると、同じことを思っていたそうだ。
カーンの意図を知らなくても、魅力的な作品だと感じたよ。
カーンの作品を多く所蔵しているのが六本木にあるWAKO WORKS OF ARTのようで、常設展を開催するお知らせが出ている。
これも是非行ってみたいね!

ベアトリス・ゴンザレスは、1932年コロンビア生まれの89歳。 
画像上は「縁の下の嘆き」で2019年の作品。
首都ボゴダの街中にポスターを装って貼られたという。
かわいい作品かと思いきや、内戦の犠牲者を悼む市民の姿とのこと。
この作品がプリントされたマグカップを購入しなかったことを悔やみ、帰宅後通販で注文したSNAKEPIPE。
いいな、と思った時に買わないと駄目だね。(笑)
下は「悲嘆に直面して」という2019年の作品。
どちらも2年前の制作だって。
80代になっても、政治的な主題を通してメッセージを発信し続けている姿に感服するよ!

アルピタ・シンは1937年インド生まれの84歳。
とてもカラフルで、画像下の作品は、まるでメキシコのフリーダ・カーロを思わせるタッチじゃない?
絵の中に文字や地図が描かれていて、物語になっているみたい。
タイトルは「私のロリポップ・シティ:双子の出現」で、2005年の作品なんだよね。
画像上は、2015年の「破れた紙、紙片、ラベルの中でシーターを探す」。
横幅が約3m程の大きな作品なんだよね。
作品の右側に、まるで餓鬼のような邪悪な存在が人を襲っている場面が描かれている。
これらは若い女性が襲われるインドの現状を表現しているそうで、とても怖い作品だったよ。

最後も日本人アーティストね。
三島喜美代は1932年大阪生まれの89歳。
先に書いた宮本和子同様、初耳のSNAKEPIPEはモグリなのかも。
長く創作を続けている日本女性アーティストを知っただけでも、来て良かった展覧会だよ。
そして2人とも好みのアーティストなんだよね。(笑)
三島喜美代の作品は、観ただけでは意味が分からないかもしれない。
実は陶やセラミックで制作された「ゴミ」なんだよね。(笑)
流れていく情報や消費社会へのアイロニー、などと意味を解釈しなくても、観ただけですごいと思う作品だよ!
画像下は1965年制作の「夜の詩 Ⅰ」で、新聞や雑誌をコラージュした作品ね。
1950年代にフォト・コラージュの作品を制作していた岡上淑子の「沈黙の奇蹟」でも、外国の雑誌を使用していたことを思い出すよ。

世界のベテラン女性アーティスト16人が一同に会した「アナザーエナジー展」、見応え充分だった。
年齢を言い訳にせず、創作を続ける意志の強さ、枯れることのない創造意欲に感銘を受けたSNAKEPIPE。
全く知らなかったアーティストの作品を鑑賞することができて良かった。
やっぱり森美術館の展覧会は行かないとね、と友人Mと語り合ったよ。(笑)
次はどんな企画なんだろう?
サービスも展覧会の質も高い、森美術館に期待だね!