映画の殿 第40号 アウェイデイズ

20201101 top
【本編で流れるバンド達とフーリガンどもの記念撮影。縮尺合ってないな】

ROCKHURRAH WROTE:

映画館まで観に行った作品をこの「映画の殿」というシリーズ企画で取り上げる事は今までなかったんだけど、何と2年半も自分で書いてなかったのに気づいたから、こっちの方で書いてみよう。

新宿シネマカリテで細々と上映中の「アウェイデイズ」を観たい、とSNAKEPIPEを誘ったのは珍しくROCKHURRAHの方だった。
映画に関する興味の範囲がとっても狭く、大作や話題作にはまず行かない。
よほどの事がない限り映画館まで観に行きたいとは言わないROCKHURRAHなので「珍しく」なのだ。

ネットで面白そうな映画ないかな?と探していて、この映画の予告編を見たら突然、初期ウルトラヴォックスの「Young Savage」がかかっていたから「こりゃ観るしかない」と単純に思い込んだだけの話。
公開日を待って出かけようと計画したが、週末に別の用事が入ってるし上映期間が短そうだし、それで平日の夜を選んで行ってきたのもウチとしては珍しい出来事。

新宿シネマカリテは駅前映画館と言ってもいいくらいにアクセス抜群の位置にある小さな映画館。
過去にはジョニー・サンダースの映画「Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡」を観に行ったけど、この時もROCKUHURRAHが行きたがって観たんだった。
その手の音楽映画が多いってわけか。
19:20からの夜の上映だったけど、客の入りは予想よりは多く、ただし映画館としては情けないくらいのボチボチでかわいそうになるくらい、この業界も厳しいなと思ったよ。
しかも客層のほとんどが何でこの映画に来たのかわからないようなタイプの人々で理解に苦しむ。
まあ「とんかつDJアゲ太郎」とか行かずにここを選んだだけでも良しとしよう。

「アウェイデイズ(Awaydays 2009年)」は英国の作家ケヴィン・サンプソンによる小説が原作の映画で、2009年の作品なのになぜか11年も経ってやっと日本で公開されたというもの。
1979年のリヴァプールを舞台とした破滅的な青春映画に仕上がっていて、この当時のパンクやニュー・ウェイブがふんだんに使われているのが売りとなってる。

タイトルの”Awaydays”はフットボールのサポーターがライバル・チームの試合に遠征する事が本来の意味なんだが、この映画の中で扱ってるのは熱狂的すぎてタチの悪いフーリガンども。だから遠征といっても試合そっちのけで相手チームのフーリガンと乱闘やらかすのが目的、サッカーの試合シーンは皆無というありさま。
そんな人はいないけどフットボール青春映画だと勘違いしてサッカー好きの彼氏と観に行かないように。

1979年、イギリスのマージーサイドにあるバーケンヘッドという街が舞台となっている。
有名な都市リヴァプールの対岸にある街だそうで、造船所があるらしい。
ROCKUHURRAHが育った北九州で言えば戸畑と若松みたいなものか?地域の人以外にはさっぱりわからん例えだったかな。

主人公カーティは公務員をやっている若者で父親や妹と同居しているが、どうやら母親はすでに他界している模様。
具体的に何をしているのかはわからなかったが、叔父さんが上司を務める役所みたいなところで仕事中に似顔絵描いたりしてて、何もお咎めがないといういい身分。
おまけにアートスクールにまた戻りたいと言ったら「そりゃでかした」みたいに言われるお気楽な環境だよ。

しょっぱなから言うのも何だがこのカーティ、顔立ちも設定もファッションも全然イケてるとは思わなくて(おしゃれな人が多かった1979年だからなおさら)、主人公なのにどうでもいいキャラ。
パッとしないけどもう少し存在感がある俳優なら他にもいるだろうに、と思ってしまうよ。

妹とも仲が良く、写真は(こっちの勝手な理由で)遅れてしまった誕生日だかクリスマスだかのプレゼントを給料日に一緒に買いにゆくシーン。
孤独で平凡で面白くなかろうけど、これだけ見てると問題ない生活で恵まれてる方だと思うよ。
妹は高校生くらいなのか、あまり描写は出て来なかったが彼氏の代わりにお兄ちゃんに甘えるような、まだ幼い感じがする。写真では1960年代に誕生したイギリスのアウトドア・ブランド、マウンテン・エクイップメントのダウン・ベストを着ているね。こんなどうでもいい事を映画評で語るのはROCKUHURRAHくらいか。

カーティは地元リヴァプールの売出し中バンド、エコー&ザ・バニーメンのライブ会場でエルヴィスという若者に出会い、友達になる。
この映画のもう一人の主人公エルヴィスはカーティよりは顔立ちもまともだし、服装や髪型はすごく若い頃のジュリアン・コープをイメージしたような感じ。
革のジャケットにセーターはいかにも1979年、ニュー・ウェイブ以降のイギリスのバンドでありがちなファッションだし、大きめのM-65とか肩章のついたミリタリーっぽい服装とか、この時代のリヴァプールで流行ったものだ。

劇中でエコー&ザ・バニーメンらしきバンドを演じてるのはラスカルズだとの事だが、うーん、1970年代と80年代ばかりを語るROCKUHURRAHだからこの辺の(2000年代)バンドについては知らん、興味ないとしか言えない。
見た目だけでもせめてもう少し似たのはいなかったのかと残念な気持ちになるよ。

これが本物のエコー&ザ・バニーメンで曲は「All That Jazz」ね。
1980年に出た1stアルバムに収録。

リヴァプール出身としては最も有名になったバンドで、一番最初の頃はドラムがなく、ドラムマシーンを使っていた。
コルグのドラムマシーンがエコーと呼ばれてて(何でかは不明)、それがバンド名の由来になったという話。
ドラムがいなかった初期の頃もすごく良くて愛聴してたもんだ。
レコーディングのテクニックを使わなくてもシンプルなコードだけでも、後世に残る曲を作れるという見本みたいなのが初期のバニーズ(80年代的略称)だった。
うーん、上の曲とは関係ない感想だったな。
名曲揃いの1stの中では地味な曲で、何でこの曲を敢えて選んだんだろう?と思ってしまうよ。

エルヴィスは「パック」と呼ばれるフーリガンの一員で、カーティはその集団の仲間になりたがっているという設定。
エルヴィスのツテにより「俺の友達」みたいな感じでパックに出入り出来るというわけだ。
つまらん願いだが、願いは叶ったね。

イギリスを語る時に誰もが労働者と中流階級の格差、隔たりみたいなものを言うが、大昔の「小さな恋のメロディ」でも坊っちゃんの主人公、労働者階級の娘(ヒロイン)、労働者階級の親友という構図があって、その中での恋や友情が難しかったのを思い出す。
この映画もその辺の格差友情をテーマにしてるんだろうが、そこまで階級差を感じるものでもなかったから「小さな恋のメロディ」の方がよほど心に響いたよ(大げさ)。
もう一つの大きなテーマはあるんだけど、ネタバレなしで書くつもりだからエルヴィスの心情はしまっておこう。

パックに属するのは労働者階級の頭悪そうな奴らばかり(全く迫力ないが)、30代で6人の子持ち男がリーダーという、見るからにどうでもいいような集団。
そんな中にアートスクールなど行ってたカーティが入って受け入れられるものか、というのがエルヴィスの見解だが、うん、その通り。
一見さんお断りのような排他的な集団なんだよね。
こういうヤンキーどもの中でいっぱしに認められるにはもっとバカでクレイジーな事をしなけりゃいけない。

無理してなのか本気でこういう事をやって「はけ口」にしたかったのかは不明だけど、カーティはどんどんエスカレートして暴力的になる。右は乱闘中にキレたカーティのクレイジーさを表した写真だが、本編ではもっと変顔を見せてくれるよ。
カーティとエルヴィスのフラストレーションがあまり描かれてなかったから、おとなしい人が急に暴れだした、単なる危ない人が主人公の映画にしかなってなかったのが残念。え?描かれてたけど読み取れなかっただけ?

乱闘シーンでかかるのがマガジンの「The Light Pours Out Of Me」だ。
1978年の1stアルバムに収録でずっと後にバウハウスのピーター・マーフィーがカヴァーしてたな。
サッカー・チームとしてはリヴァプールの宿命のライバルだと思えるのがマンチェスター・ユナイテッド。マガジンはその敵地(?)マンチェスター出身のバンドだね。
シングル1枚だけでバズコックスを辞めたハワード・ディヴォートがやってたバンドで、粘着質のいやらしいヴォーカルと重厚で妖しい雰囲気の演奏が魅力だった。この曲単独のライブ・クリップがなかったので途中から貼り付けてみたよ。
これだけ画面のデカさが違うけど、諸事情があるので気にしないで。
マガジンは素晴らしいバンドなのでこの映画で興味持った人がもしいたら、ぜひ全曲聴いて欲しい。

左の写真見てわかる通り、何でこんな軍団に属したかったのかわからんほどにカッコ良くないのがパックの面々。
「アウェイデイズ」の原作者も監督もこの時代に実際にこういう事をやってたらしいので、これがその当時のリアルな姿で間違いないんだろうがなあ。
モッズやOi!(スキンズ)、テッズなどと違ってライフスタイルと音楽、ファッションが一致した集団じゃないのは仕方ない。単に同じチームを熱烈に応援してるだけの集まりだからね。
サッカーだからアディダスの限定モデルのスニーカーというのはわかるけど、そしてみんな制服みたいに同じ服装してたのはわかるけど、主人公を含め俳優たちの着こなしが全然似合ってなくて、SNAKEPIPEもROCKHURRAHも「こりゃひどい」という事で見解が一致したよ。

日本で言えばヤッケまたはカッパってところだろうが、アノラックというプルオーバー型のマウンテンパーカーみたいなもの。
ピーターストームというメーカーのはイギリス軍も使ってた由緒正しいアウターなんだが、雨が多く傘をさしたくない人が多いイギリスでは大変に重宝するから、アクティブな若者に大人気となる。

音楽的に言えば80年代にスコットランドで発生したギターポップの一派をアノラック(みんな着てたのが由来)と呼んでいたり、その後にマンチェスターで大ブームとなったマッドチェスターというムーブメントの頃に流行ったスカリーズというスタイルもアノラックが重要アイテムとなる。
どちらにも言える事だが、いわゆるスカッとカッコ良いロック・ミュージシャンのファッションとはほど遠い、その当時としては冴えない格好だった。
ROCKHURRAHも一時期アノラックなギターポップを聴いて、アノラックな音楽を作っていたが、こんな格好はしてなかったもんな。

今はゴアテックスとかの防水アウターがものすごく普及して立派な街着になってるから、マウンテンパーカーとかのヴァリエーションのひとつとして、またアノラックが流行り物になってるみたいだね。
確かにゲリラ豪雨とかスタジアムや野外フェスとかで雨が降った時には役立ちそう。

話が大幅にそれてしまったが、こんな乱闘ばかりしてるバカな集団と切れたがっているエルヴィスは音楽や芸術を愛する若者で、パックの中では浮いた存在。
同じく音楽好きのカーティとはいい関係になれると思っていたのだが・・・。
カーティはなぜか知らないがそんなバカな軍団の仲間になりたがっていて「そのココロは?」と問いたくなるよ。
エルヴィスと「仲間になるな」「いや、フーリガン王に俺はなる」などと諍いを起こしながらも友情を育んでゆく(?)。

写真はリヴァプールに実在したレコード屋プローブに仲良く買い物に行くところ。
並みの「アウェイデイズ」評では決して教えてくれないROCKHURRAHならではの得意分野になるが、妙なところで考証がしっかりしているのがこの映画の(個人的には)評価出来る部分。
レコード屋のドアにはリヴァプールに実在した伝説のライブハウスEric’sのポスターが貼られててマニアならニンマリしてしまう。

エリックスは70年代後半から80年代に花開いたリヴァプールのニュー・ウェイブ・バンドの多くがホームグラウンドにしていたライブハウスで、デフ・スクールやビッグ・イン・ジャパンなどを元祖として、数多くの有名バンドが巣立って行った場所だ。
物語の1979年には「言い伝え」並みの伝説的バンド、クルーシャル・スリーから別れた3人がエコー&ザ・バニーメン、ティアドロップ・エクスプローズ、ワー!ヒートという偉大なバンドをそれぞれ立ち上げて、その後に人気となる。その夜明け前くらいの時代だ。
ただしクルーシャル・スリーなどと探しても発掘音源も出てこない。
ただ単に有名になったミュージシャンが学生時代に一緒にやろうと始めたバンドに過ぎず、インタビューとかで「昔こういうバンドやってたんだよね」くらいのシロモノ。実際にちゃんと活動してたかさえ怪しいのに、ここまで有名になったバンド名というのも珍しい・・・。
そういう意味での「言い伝え」というわけだ。

他にも80年代ニュー・ウェイブ好きなら誰でも知るデッド・オア・アライブやフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、オーケストラル・マヌヴァース・イン・ザ・ダークなどなど、みんなエリックスのお世話になってるのは確か。
リヴァプール出身のバンドについて語っていたら「サタンタンゴ(7時間超えの長い映画)」が終わるほど。
実際は誰も知らんようなバンドがその何十倍もひしめき合ってたのが80年代リヴァプールの世界だ。

で、入ってゆくレコード屋プローブもリヴァプール好きにはたまらないプローブ・プラスというレーベルを持っていて、ちょっとマイナー系が多いが、メロトーンズやハーフ・マン・ハーフ・ビスケットなどは愛聴してたもんだ。愛聴多いな。
話がまた大幅にそれてしまったが、まともな映画評じゃなくてこの脱線こそがROCKHURRAHの書ける部分なのは確か。

この事をぜひ書いて欲しいという要望があったから書くが、映画の中で何回も出てくるのが頭突き。
レコード屋のシーンでも登場したんだけど、イギリスではポピュラーなケンカ術なのだろうか?不意打ちという点では有効だろうけど、これもまたフットボール文化の国ならでは。

エルヴィスが普段何をやってるのかは知らないが、途中で私物を売ってる古道具屋みたいな露店に立ってたから、きっとそういう仕事をしてるんだろうかね。ブラブラしてそうな割には意外といい部屋に住んでいるんだよね。
こんな出口のない生活を「いつ終わる?」とか、抜け出してベルリンに行きたいとか、彼らくらいの歳にもっと情けない四畳半の極貧暮らしをした我が身を思うと羨ましいばかり。
世の中には上も下(「男おいどん」とか「マイ・ディア・ミスター」のイ・ジアンとか)もあるからROCKHURRAHくらいでもまだマシな方なんだろうね。

写真中央に写ってるのが上に書いたリヴァプール・パンクの偉大な先駆者、ビッグ・イン・ジャパンのポスターで、これにもニヤリとしたROCKHURRAHだった。
このバンドが偉大なわけではなく、メンバーの大半が後の時代に有名になるという点で、80年代リヴァプール好きなら最重要だと言えるバンドなのだ。
「 From Y To Z And Never Again 」はたった2枚しか出なかった彼らの2ndシングルでROCKHURRAHも持ってたよ。
これまたリヴァプールを代表するZOOレーベルの記念すべき最初のシングルだったね。だからこんなに大きなポスターがあったのか。
本物が残ってたのか後から美術の人が作ったのか知らないが、この時代の音楽好きの部屋をうまく再現したものだ。
当時はものすごいヴィジュアルのジェーン・ケーシーがROCKHURRAHのアイドルで、Eric’sレーベルからの1stシングルも2枚も持ってたな。

エルヴィスの会話の中で「ダレク・アイのライブに行こう」と名前だけ出てきたのがこれ、リヴァプールの相当マニアじゃないと知らないマニアックなバンドがDalek I Love You。
後にティアドロップ・エクスプローズの主要メンバーになるデヴィッド・バルフェとアラン・ギルを中心にしたB級バンドだ。
かつてはROCKHURRAHも数枚持ってたが、錚々たるメンバーの割にはチープで、熱烈に好きになる要素がなかったな。
デヴィッド・バルフェは上に書いたビッグ・イン・ジャパンのメンバーでもあったけど、ブラーやシャンプーで有名なフード・レーベルのオーナーとして後の時代に名高い人だ。
Dalek Iには後のオーケストラル・マヌヴァース・イン・ザ・ダークのアンディ・マクラスキーもいたけど、複雑怪奇なリヴァプールの人脈をいちいち語ると「アンビアンス(上映時間720時間という世界一長い映画)」が終わってしまうほど(大げさ)。

後半になるとせっかく仲を育んだ二人の行き違いが増えて、さらにパック内での内紛、カーティの家庭内事情が情けない暴行事件にまで発展して、映画としては一番見どころとなる。この辺については敢えて書かないけどね。

ハナからまともな映画感想にはならないと自分で予想してたけど、ROCKHURRAHの書きたい部分が映画のテーマや物語ではなく、79年のリヴァプールや音楽について。興味の方向が違うので他の人の参考にはならないだろうな。

物語の冒頭、カーティが全力疾走するシーンで使われていたのがウルトラヴォックスの「Young Savage」、予告でも使われていたからこれがメインテーマとなるのかね。
映画の舞台となったリヴァプールとは特に関係なさそうだから、単に監督か音楽監督が当時好きだったから使ってみた、という感じかな?
元々タイガー・リリーというグラム・ロック寄りのパブ・ロック・バンドをやってたのがウルトラヴォックスと改名して、パンクの初期から活動してたバンド。
当時大ヒットしたチューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンが影響を受けたと公言して、そこから再評価されたけど、早すぎたニュー・ウェイブ・バンドだったね。
日本では三宅一生が出てたサントリーのCMで使われたので有名になり、ニュー・ロマンティックの時代に活躍した印象が強いけど、ミッジ・ユーロ加入前のジョン・フォックス時代が最高(ミッジ・ユーロもPVC2とかリッチ・キッズの頃は良かったけどね)って人も多いだろう。そんな初期ウルトラヴォックスの代表曲がこれ。釘を打つようなリズムと早口言葉のようなアグレッシブなヴォーカルに痺れるね。

過去に何度もジョン・フォックスを「エラの張ったオバチャンみたいな顔」とブログ記事で書いたのに、今はじめて自分で気づいたかのように「オバチャンみたいな顔だね」とSNAKEPIPEに言われてしまった。うーむ、人の記事全然読んでないな。

ライブハウスでカーティがナンパしようとした女の子が実はエルヴィスの幼馴染(?)だったというシーンで使われていたのがジョイ・ディヴィジョンの「Insight」だ。この曲は他のシーンやエンド・クレジットでもしつこく使われていたな。よほどこの曲が好きだったと見える。
「Insight」を歌ってるライブ映像がなかったから、これは誰かが他の映像と組み合わせて捏造したものだけど、一応動いてる映像が欲しかったんで我慢するか。イアン・カーティスの伝記映画「コントロール」のシーンが合成されてるね。
マガジンと同じくリヴァプールの宿敵、マンチェスターを代表するバンドで、今でもあちこちに名前が出てくるほど信者が多いね。
1979年はジョイ・ディヴィジョンがファクトリー・レコードから1stアルバムを出した頃で、誰もが熱狂・・・とまでは言わないが至るところで「すごいバンド」と評判になってた頃だね。
エルヴィスがジョイ・ディヴィジョンから特に影響を受けてたような言動もあったが、ROCKHURRAHも大昔に書いた記事にある通り、このバンドから連想する数々の思い出があるよ。

音楽的にも文化的にもこの当時の北九州に馴染めず疎外感を持っていた若き日のROCKHURRAH、映画のエルヴィスのように「この街を逃げ出したい」といつも考えていたもんだ。
楽しみは高速バスに乗って福岡まで一人でレコードを買いにゆくだけという孤独な少年だったが、そんな危険な精神状態の時に出会ったのがジョイ・ディヴィジョンだった。

関係ないけどROCKHURRAHが高1の時、直接知らない先輩が飛び降り自殺をしたというショッキングな出来事があった。
その先輩が綴った、世に出る予定のなかった文学作品が死後に自費出版されて、不謹慎だとは思うが興味本位で買ったものだ。
それから何十年・・・ROCKHURRAHの出た高校の人以外、誰も知らないだろうと思ったその人の遺作と日記が普通にアマゾンとかに売ってて、知ってる人も多数だと知り、とても驚いた。
山田かまちと一緒で17歳で夭折した作家として、普通に文学作品として語られているのだ。
逼塞感に満ち溢れたその人の詩を読むとイアン・カーティスと見事にオーバーラップしてしまう。
なんて事を思い出した次第。

ちなみにウチのブログにはじめてコメントを頂いたのがこの記事(上のリンク)で、北九州出身のミステリー作家、鳥飼否宇先生からのコメントだった事にSNAKEPIPEと二人で大喜びしたものだ。
それからも何度もコメントを頂いて、それを励みに14年も休まずブログを続けられた。
これもジョイ・ディヴィジョンやディス・ヒートにペル・ユビュといった音楽を、偶然同じ頃に同じ北九州で聴いてたという奇妙な「縁」から始まったんだな。
どこにも居場所がないような故郷の街だったけど、その窮屈さが懐かしくもあるよ。
いや、文脈的に今書くような話じゃないのは承知だけど、自分で当時に書いた事を読み返して懐かしむのも老化現象のはじまりなのか?

ブログの後半は映画というよりはROCKHURRAHのいつものパターンとなってしまったね。

全体として当時のニュー・ウェイブがふんだんに使われているところはいいけど、音楽がとても盛んなリヴァプールを舞台にした割にはご当地のバンドがあまり使われてなかったのが残念なところ。ポスターとかマニアックに用意したんだから余計にね。

最後に映画とは関係ないが、ライブ・クラブ、エリックスの歴史を振り返る映像で締めくくろう。
曲はジョニー・サンダースでこれまたリヴァプールとは特に関係ないけどな。ピート・ワイリーのWah!がこの曲をカヴァーしてたからそっちにしてれば良かったのに。

ネタバレを全然しないように書いてきたから映画後半の筋も全く触れてないけど、まあ明るく終わる雰囲気の映画じゃないのは予想通りだろうね。
カーティとエルヴィス、そしてパックの面々との関係がもっと描かれていたらもう少し映画としては見どころがあったんだろうが、そこまで深い絆もなかったところが逆にリアルな当時の姿だったのかな、と思うよ。

おそらく大ヒットするとは思えないし、公開が終わった後でDVDになったり、どこかで配信されるかさえ不明の映画だから、11年後でも観れて良かったよ。

それではまた、Ta-ra for now!(リヴァプール的表現で「またね!」)

俺たちダーク村

【森の中の田舎町で繰り広げられる難解なドラマ】

ROCKHURRAH WROTE:

世間一般の流行りからすると「大変遅ればせながら」だけど、今年の春くらいからNetflixに加入して、週末になると映画やドラマを楽しんでいるROCKHURRAHとSNAKEPIPEだった。
字幕ものばかりだから平日の食事時とかには集中して観れない。 それで週末が多くなるんだけど、ドラマの続きが気になって最近では平日の夜にもなるべく時間を作るようにしている。 食事の支度や洗い物、風呂など省略出来ない部分ばかりだから、苦労はするけど頑張ってるよ。
ちなみにウチは食事や昼の弁当などインスタントなものは一切使わず、レンジで調理などはしないという方針で長年やってる家庭なので毎日、結構手間ヒマかけて作ってる。偉い?

Netflixはよその動画配信サービスにはないようなちょっとマイナーな映画とかも扱ってはいるが、誰もが言うように映画の方はタイトル数が少なくてイマイチという弱点がある。代わりにドラマが結構充実してて面白いから、今のところはそっちの方で満足してるよ。

Netflixに入ったら絶対に観るべきといわれてる大人気ドラマもちゃんと観ていて不覚にもハマってしまったが、その話はまた今度するかしないか? 
現在熱心に観ているのがドイツの「DARK」というタイムトラベル・ファミリー・ドラマだ。
darkという意味のドイツ語はdunkelだと思うが、これは原題も英語のdarkになってて世界向け仕様だな。

ドイツの一体どこよ?と問いたくなるほど森林地帯の過疎の町を舞台に繰り広げられる、タイトル通りのダークな物語。

田舎町で子供の失踪事件が発端、と聞くとあの映画やこのドラマなどを即座に思い出すだろうけど、ややこしいのは主要登場人物が何人も「これでもか?」というくらいに過去や未来に飛びまくる事。
ドイツ人の難しい名前や姓、顔を覚えるのもすぐには出来ないというのに、いくつもの時代にまたがって話が進行するから最初の方は意味不明の部分が多かったよ。
同じ人物だけど子供だったり年寄りになって登場したり、その関連性がわかってくるまでが大変。
ある時からその辺の謎が徐々に解けてゆき「これがここに繋がるんだ」という見事な展開となる。

あと少しで観終わるとは思うがまだROCKHURRAH家では進行中なので、詳しくは書けないけどね。
設定がドイツの田舎町という事で登場人物の顔やキャラクターが地味、というかあまり華がない俳優ばかりなのが惜しいところだね。
Netflixで大ヒットしたスペインのドラマ「ペーパーハウス」で、全員主人公になれるくらい際立ったキャラクターが数多く登場したのを観た後だったから、余計に地味に感じるよ。
その代わりに原発近くの荒涼とした風景、森の奥深さがとても印象的。地の果てや洞窟好きなROCKHURRAHはこんなところで暮らしたいとまで思ったよ。

さて、恒例だがタイトルにもあるしこの前置きでバレバレだけど、今回の「俺たち〜」シリーズはずばりDARKで行こう。
「暗い」とか「闇の」などという代表的な意味以外にも黒ずんだ、濃い、わかりにくい、秘した、暗愚な、陰険な、不機嫌な・・・などなど、世の中のネガティブさを一身に背負ったかのような幅広い表現に使われる言葉だとわかる。
ROCKHURRAHは思えば子供時代からそういう意味ではずっとダークな人間だったな。自分にとって一番身近な特徴かも知れないよ。

この「俺たち〜」シリーズは毎回同じ単語が曲名に含まれるものを選んで、さらに70年代パンクや80年代のニュー・ウェイブと呼ばれた音楽限定でロクでもないコメントをしてゆくだけという安直な企画だ。

そして、そんなどこにでもありそうなDARKをテーマに今回も書いてみようと思ったが、探し方が悪かったのか、思ったほどにはパンク、ニュー・ウェイブの世界はダークだらけじゃなかったのがとても意外。
毎回いくつかのYouTube動画を貼り付ける構成なんだが、全く動いてない静止画に音楽だけじゃ物足りなくて、なるべくライブやプロモなど動きのあるものを選ぶ関係で、動画がありそうにないマイナーなのは割愛しているせいもあるけどね。
世の中にダークは蔓延ってると思ってたから案外少ないなという感想だよ。

ROCKHURRAHがダークと聞いて真っ先に思い浮かぶのがこのバウハウスの名曲「Dark Entries」だ。

彼らがデビューしたのは1979年で、まだパンク以降のニュー・ウェイブがそこまで細分化されてない時代だが、80年代前半に起こるポジティブ・パンク通称ポジパンの元祖的な存在として名高い。

ポジパン、ゴシックというそれ系の一群を指す言葉がまだなかった時代、人は何と言ってたか知らないがROCKHURRAHとその仲間はこういう音楽の事をダーク・サイケと呼んでたなあ。
出どころは不明だが、暗い音楽の総称をネオ・サイケと呼んでたから、叙情派の線の細いネオ・サイケと区別するためにそう言ってたんだろう。
ちなみにネオ・サイケと呼ばれる音楽の中で60年代サイケデリックの影響を強く感じるようなのは実際は少なく、単にコード進行がマイナー調でメランコリックな曲調のものを、多くの人々はネオ・サイケと呼んでただけ。
ずっと後の時代にはこういう暗い路線のニュー・ウェイブはダーク・ウェイブと呼ばれるようになったらしいが、まあ五十歩百歩のネーミング・センスだよね。

そういうカテゴライズは大多数の人にはどうでもいいものだろうが、80年代のイギリスでも様々なバンドに影響を与えまくったのがバウハウス。
逆立てた髪とクッキリした化粧顔のピーター・マーフィーやダニエル・アッシュのヴィジュアルは後のポジパンにも受け継がれるものだし、それまでのグラム・ロックやパンクとは明らかに違う暗い曲調に魅せられた人も多かった。
決して売れ線の音楽とは言えないけれどヴィジュアルの良さもあって、バウハウスはこの手のバンドとしては異例の人気を誇り、短い活動期間でも強烈な印象を残したと言えるだろう。

たった3年ほどの活動期間で一時代を築いたバウハウスは解散、ピーター・マーフィーはジャパンのミック・カーンとちょっとの間だけダリズ・カーというユニットを組んでたな。
個人的にデヴィッド・シルビアンのヴォーカルはあまり好みじゃなかったから、ジャパンの音楽にピーター・マーフィーのキレのある声が絡むというこれは、企画モノだったとしてもなかなか良かった。
アート好きにはいちいち説明の必要もないがバウハウスの次はダリ、そして次は?と思ったらその後は凡庸にも単なるソロとなってしまって残念。
マガジンやペル・ユビュのカヴァーもナイスだしプロモでは逆さ宙吊り歌唱、と体を張ったパフォーマンスも健在だったが、時代が色々変わってゆく頃だったから、いつの間にか最前線から消えてしまったな。
一方の残りの3人はダニエル・アッシュの副業トーンズ・オン・テイルを経て、デヴィッドJとケヴィン・ハスキンスの兄弟を加えた仲良し3人組、ラブ&ロケッツを結成。
パッと見たら区別がつかないような似たようなジャケットのレコードを何枚も出して結構長く続いたはずだけど、ROCKHURRAHもその後はよく知らない。今でも仲良しなのかな?

バウハウスの初期シングル曲はアルバム未収録のものが多く、その時代に輸入盤屋がないような土地に住み、日本盤アルバムしか持ってなくてベスト盤も買わなかった人は、代表曲の多くを知らないというちょっと変わった境遇のファンになってしまう。
そんな人には出会った事ないが、その当時はそういう人もいたんだろうな。
1980年に出た2ndシングルの「Dark Entries」もシングル曲なんだが、ポール・デルヴォーの絵を使ったジャケットも美しく「夢にデルヴォー(© 府中市美術館)」などと独り言を言いたくなる。
エントリーは入場、加入、出場、入り口などの意味があるから直訳すれば闇入場。え?違うのか?
1stアルバムの邦題も「暗闇の天使(In The Flat Field)」などという意訳を超越したタイトルだったから「闇入場」でもいいじゃないかと思うが、今回のテーマであるダークというキーワードにはうってつけの曲なのではなかろうか。

バウハウスはライブも完璧に素晴らしいバンドだったから公式のライブ・ビデオが当時から出てて、ROCKHURRAHもダビングして持ってたのを何度も観たもんだった。上のビデオはその時の映像と一緒だけど観客もノリノリ、全盛期のライブ観てたら感動したに違いない。光と闇、静と動、白と黒、口にするのはたやすいけど、その辺をひっくるめてライブで表現出来る実力はさすが。

何年か前の話、MacのOSがMojaveという日本人には言いづらい愛称でリリースされた頃、目玉機能のひとつとして紹介されたのがダークモードという代物。
何のことはない、メニュー周りとかアプリケーションの背景が黒っぽくなって目が疲れないとか、黒っぽくておしゃれでカッコいいとかその程度のもので情けなくなった覚えがあるよ。そんな機能くらい最初から付けとけよと思ってしまった。
そのうちiPhoneのiOSにもその機能がついて、悪態をつきながらもROCKHURRAHもダークモードにしてるが、こんなものを目玉にしてるようじゃアップルの先行きも危ないものだ、とその頃は強く思ったもんだ。
ジョブスが亡くなってから先進性も冒険もなくなり、延長線みたいなことばかりしてて、古くからのMac好きが喝を入れたくなるのが今のアップルだ。そう思ってるのはROCKHURRAHだけではあるまい。

相変わらずその話とは何も関係ない驚きの展開になるわけだが、続いてのダーク村民はこれ、ザ・サウンドの「New Dark Age」だ。
日本ではあまり知名度ないけど、70年代末に始まったいわゆるネオ・サイケというジャンルの中では中堅以上の存在だろう。
元々、パンクの時代にアウトサイダーズというバンドをやってたエイドリアン・ボーランドがセカンド・レイヤーという2人組ユニットを79年頃始めて、そのメンバー2人がそのまんま中心となったバンドがザ・サウンドだった。
70年代後半の初期ニュー・ウェイブを熱心に漁ってた人(今はおっさんになってても)だったら「懐かしい」と喜ぶ人もいなくはないだろう。
セカンド・レイヤーはジャケットもカッコ良かったしジョイ・ディヴィジョン系列の音楽の中ではピカイチのセンスを持ってた通好みの音楽だったもんね。
その鋭敏な音楽センスを持ってたのが上のビデオ中央のぽっちゃり男だとは、その当時は思いもしなかったよ。

ザ・サウンドはエコー&ザ・バニーメンと同じコロヴァ・レーベルから1980年にデビューして、音楽誌や批評家たちから絶賛されてたバンド。ネオ・サイケという音楽を好む人達が求める理想の音、というようなソングライティングのうまさが光ってたからね。
しかし、どこの輸入盤屋でも比較的簡単に入手出来た割には実際に持ってる人や聴いた人が少ないバンドだったな。
ROCKHURRAHが下北沢の有名な古本屋&レンタルビデオ屋で働いてる頃に知り合った数人と「サウンドいいよ」などと盛り上がっていて、わずかにその周辺に広がった思い出があるけど、全世界にはその思いが伝わらなかったようだ。

1stアルバムの「I Can’t Escape Myself」や「Heyday」も文句なしだけど、ネオ・サイケという範疇に限って言えば1981年に出た2ndアルバムが、この手のジャンルの代表的な1枚にしてもいいくらい王道の出来だ。
初期のU2とか好きな人には間違いなくオススメ、などと三流レコード屋みたいなコメント(ROCKHURRAH自身がそうだったか)をしてみるが、今の時代に現在進行系みたいにこんなバンドの事を語ってる人いるんだろうか?いやない。

その2ndアルバムの最後を飾るのがこの「New Dark Age」なんだが、わざわざ動画探して貼り付けるのをためらうほど、このバンドはルックスの面でかなり難ありだった。
エイドリアン・ボーランドはデブなだけなら問題なかったが、目つきが怖くて何されるかわかったもんじゃないね。

そう、この人はこの時代はたぶんマトモで87年くらいまではコンスタントにレコードも出していた。
ザ・サウンドの後もちゃんと活動はしてるんだけど、いつの頃か精神を病んでしまい、1999年に電車に飛び込み自殺してしまった。
大多数の人は運転見合わせを恨み、運転再開後は何事もなかったかのようにすぐに忘れ去られてしまうのが飛び込み自殺。
体もバラバラになってしまうし、個人的にはこんな死に方を選ぶ人の気が知れないよ。
三回くらい自殺未遂があった末の自殺だから、この時未遂だったとしても遅かれ早かれという気はするが、何ともやりきれない末路としか言いようがないよ。

ダークと言えば思い出すのがラース・フォン・トリアー監督の数々の映画。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」がすでに20年前の映画だと知って愕然とするが、時の移り変わりは早いものですな。
ROCKHURRAHは昔からこの監督の作品を知ってたわけでなく、近年になって矢継ぎ早に旧作を観た覚えがある。
ハウス・ジャック・ビルト」をSNAKEPIPEと一緒に観たからなのか、その前なのかは覚えてないけど、主要なのは大抵観てるはず。とてもイヤな思いをする作品もあったけど引き込まれるものもあって「ドッグヴィル」や「アンチクライスト」、それに「ハウス・ジャック・ビルト」は好みのものだったな。
鬱三部作なんてのもあるくらい、この監督の作品は全体的にダークなものばかりだけど、好みのダークだったりイヤなダークだったり、ダークの種類にも色々あるって事だね。二行で四回以上もダークという言葉を使ったROCKHURRAHの神経も危ないな。

さて、重苦しいダークが続いたから違う路線もやってみるか。次の村民はこの人、スネークフィンガーの「The Man in the Dark Sedan」だよ。
元パブ・ロックの有名バンド、チリウィリ&ザ・レッドホット・ペッパーズのメンバーだったと書いても知らない人多数だろうが、そういう前歴を持つマルチ・ミュージシャンがどういう接点なのかわからないが、全米の前衛音楽集団(意味不明)レジデンツと出会い、そのサポートメンバーとなる。
チリウィリ&ザ・レッドホット・ペッパーズはイギリスのバンドにも関わらずブルースやカントリーにジャズ、ブギウギといった要素を詰め込んだアメリカ満載の音楽でROCKHURRAHはパスしたくなるような音楽だった。が、それだけの要素を詰め込むには大変に音楽的造詣が深くないと出来ないはず。
そしてレジデンツも古今東西の音楽を解体し、異常な音響工作で再構築をするのが得意(と個人的には思ってる)なバンドで、おそらく大変な音楽的造詣の深さを持ってるはず。
その両者が出会って一緒に活動してたわけだが、音楽的造詣の深さを感じさせないグンニャリした音空間に酔いしれたファンも多かろう。これぞ前衛の奥深さ(いいかげん)。

「The Man in the Dark Sedan」はスネークフィンガーのソロで1980年に出た2ndアルバムにも収録されたシングル曲。
MTVとかよりも前の時代だと思うけど、そしてこの時代にはレジデンツもスネークフィンガーも相当マイナーなアーティストだったはずだけど、なぜか立派なプロモーション・ビデオが存在していて、ラルフ・レコード(レジデンツが主催するレーベル)はちゃっかり販売してたな。

謎の奴隷みたいな集団に車をひかせて歌い跳ねるというだけのバカっぽい変な映像だが、曲もレゲエ調で一般的な意味のダーク要素は皆無。
スネークフィンガーは往年のテニス・プレイヤーだったジョン・マッケンローをちょっと思い出す不敵な顔つきだな。
周りはアングラ劇団なのか単なるエキストラなのかわからんが、ほとんどレジデンツと同じような雰囲気で、それなりに金のかかったビデオが存在してる事自体が驚き。

その後も元キャプテン・ビーフハート&マジック・バンドのメンバーなどとヴェスタル・ヴァージンズというバンドを組んで80年代後半も活躍していたが、87年のツアー中に心臓麻痺であっけなく死亡。
不謹慎なのを承知で言えば、彼の場合はやりきれない、と言うよりは好きなように生きて死んだ、という感じがする。
それもキャラクターなのかね。

今回のブログはとても時間がかかっている。
個人的にあまり時間がないのに、そして大した事も書いてないのに、書き方がまとまらなくてうなってる状態だよ。
気軽に何でも書けるような筆力があればなあ。ん?無駄な事を書かなければもっと早く終る?

で、次は初の女性村民。暗くはないけどとにかくダークという言葉がタイトルに含まれてるだけ。こんなんでいいのかダーク村?
80年代半ばにかの香織がやってたニュー・ウェイブ・カンツォーネ・バンド、ショコラータの「Nina From the Dark Moon」だ。
本場イタリアでもカンツォーネを取り入れたニュー・ウェイブなんて滅多にないと思えるから、このバンドの先進性は世界レベルだと思える。
かの香織は実家が江戸時代から続く造り酒屋の12代目跡継ぎだそうで、ショコラータのイメージとは結びつかないが、一度飲んでみたいものだ。

次もまた全然タイプの違う女性村民、リディア・ランチがやってたバンド、8・アイド・スパイ(カタカナで書くと情けない)の「Ran Away Dark」。
ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンで70年代後半に隆盛を極めたノー・ウェイブというジャンルの音楽があったが、不協和音だらけのノイジーな演奏にヒステリックなヴォーカルというバンドが多く、知らない人が聴いたらどのバンドも区別がつかないようなシロモノ。
リディア・ランチはこのノー・ウェイブの中心的な女性ヴォーカリストでティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスというバンドで活躍してたが、その後に始めたのが8・アイド・スパイだ。
メンバーと音楽スタイルが違ってもリディア・ランチのヴォーカル・スタイルは大して変わらず、一部の人にしか受け入れられないような音楽だったな。

無駄な事を書かずに簡素にしてみたけど、やっぱりこれじゃROCKHURRAHとは言えないなあ。いつも通り、ごちゃごちゃ書いた方がしっくりくるね。

Anne Clarkと検索してもなぜか女物の時計が出てくるばかり、まるでそんな人いなかったかのような扱いで、何か情報操作でもしてるのか?などど勘ぐってみる。まあ単に検索する人がとても少ないだけか。

アン・クラークはイギリスのシンガー、というよりはポエトリー・リーディングの女流詩人というような人。
80年代前半に活躍してレコード屋でとてもよくジャケットを見かけてたものだ。
ジャケットの雰囲気からしてベルギーのレ・ディスク・デュ・クレプスキュール(というレーベルがあった)あたりの女性シンガーかと勝手に思ってて、アンテナとかアンナ・ドミノとかと同類だと決めつけてた。
そしてZTT(トレヴァー・ホーンのレーベル)のアン・ピガールと混同してて同じ人だと思ってたもんだ。
第一、ずっとアンネ・クラークだと思ってたよ。実際は勝手な思い違いだったけど、そこまで大きな違いでもなかったので良しとしよう。

アン・クラークは渋いというか地味というか、アーテリーやカーメル、ザ・ルームくらいでかろうじて知られてるレッド・フレームというレーベルから83年にデビューして、このレーベルの中では筆頭くらいの出世はしたかな。
ただ、ボーイッシュにも程があるという残念な顔つきと、かわいげがない鋭い目つきで損してたタイプ。

そのアン・クラークの一番のヒット曲がこれ、1984年に出た「Our Darkness」だ。
男女2人で楽器担当の男とちょっとぽっちゃりな女ヴォーカルというとヤズーを思い出すが、意識してるのかどうか。
このビデオでは控えめな相方デヴィッド・ハーロウは、本当はモヒカンでヤズーのヴィンス・クラークと間違えそうな見た目の男。
他にも80年代前半に活躍した女流ピアニスト、ヴァージニア・アストレイや、元ウルトラヴォックスのジョン・フォックスなどともコラボしていた模様で懐かしい。

ちょっとイントロ長すぎて歌を聴く前に飽きてしまうが、エレクトロニクスの無機質な演奏によく合うスタイルの硬質な歌声でなかなかいいではないか。
詩の朗読とエレクトロニクスというのが珍しいスタイルで、曲にノッてるのかどうかは不明だが意欲的なのは確か。あとは厳しい顔つきだけが残念だね。

最後のダーク村民はこれ。
アメリカのシカゴ出身のDA! だ!曲は1981年リリースの「Dark Rooms」だ!
誰でも読める綴りだけにどう読むのが正しいのかよくわからんけど、ディーエー!なのかダ!なのか。
アメリカのTV番組出演の映像があったが、その時は司会者が「ダー」と言ってたからそれでいいんだろうね。
日本語でこのバンドについて書いてるサイトがなさそうだけど、たぶんみんなどう読めばいいのかわからないに違いないよ。

シカゴ・パンクなんてのがあるのかどうか知らなかったけど、1970年代後半から80年代前半にかけてこのDA!は活躍してたようだ。が、ビデオ見てわかる通り、その当時のアメリカの音楽とは思えないダークな音楽性と見た目で、こりゃ生まれる場所を間違えたなあ、と残念な気持ちになるよ。
明らかにイギリスの暗い系列の音作りで、イギリスだったらもっと話題になってたかも知れない。
メンバーは少し入れ替わりがあったみたいだけど、このビデオの時はギター以外は全員女性という珍しい構成。
ベース&ヴォーカルはびっくりしたような顔のローナ・ドンリーで、スージー・スーみたいな歌声だね。
シングルを2枚しか出してない弱小バンドなのにいち早くプロモーション・ビデオまで作って、これからのやる気は充分だったんだろうな。

しかしDA! は1982年に早々と解散し、その後ローナ・ドンリーはヒップ・ディープ・トリロジーというグランジっぽいバンドを始めた。これもなかなか良いバンドで凝ったプロモまで作って、これからのやる気は充分だったはずだが、アルバム1枚しか出してないところを見ると人気出なかったんだろうね。
その後は音楽活動から遠のいて図書館司書になった模様。
そして2013年、初婚なのかどうかは不明だが53歳で結婚して、まだ新婚のうちに突然の心臓発作で死んでしまった。
うーん、事象だけを追うと報われないような一生だけど、その時々は輝いていただろうし、運命を左右するのもその時の決断だったりするから、決して不幸な死とは言えないのかもな。

ドラマの方の「DARK」はここでこの人がこの人と会うと未来がひどいものになるから、それを阻止するために奮闘する人もいれば、自分勝手な都合だけで過去や未来に飛んで運命の歯車の一部になる人もいる。
ROCKHURRAHは迷わず、自分勝手な都合で80年代に戻って人生を修正したいと思うが、どうやってもマトモで立派な人にはなってないだろうな。きっとそういう生き方がしたいんだろう。

それではBis nächstes Mal! (ドイツ語で「また今度ね」)

80年代世界一周 伯刺西爾編

【頑張れ伯刺西爾、負けるな伯刺西爾】

ROCKHURRAH WROTE:

暦の上ではやっと秋になったけど、まだまだイヤな暑さが続くね。
毎年暑さが激烈になってきてる気がするのはROCKHURRAHだけなのかな?
今まで暑くても食欲が落ちたりする事がなかったけど、今年はとにかくまず水分、ほとんど夏バテと言える状態が続いた。

ちなみに年齢と共に頭髪が柔らかく細くなったROCKHURRAHだがヒゲは相変わらず硬く、しかもあらゆる方向に伸びてるので整えてもあまりきれいにならないという厄介な顔つき。このためマスクをしてると繊維を突き破って少し出てきたりでみっともないし、汗をかくと口の周りが人一倍湿気に覆われて、大いに不快となる。
好んでマスクをつけてるとしか思えないような人もいるだろうが、こんなものつけたまま夏の屋外に出るとは苦痛極まりない。

どうでもいい前置きは短く切り上げて本題に入ろう。
今週は久々に書くシリーズ「80年代世界一周」にしてみよう。

洋楽と言えばイギリスやアメリカの音楽が真っ先に入ってくる日本だけど、それ以外のあまり紹介されないような国に焦点を当ててみようというのが趣旨の企画ね。
そしてROCKHURRAH RECORDSの最大の特徴と言えば1970年代~80年代のパンクやニュー・ウェイブばかりを執拗に語るという時代錯誤も甚だしい音楽ネタばかり。
現代の世界中の音楽はどこにいても配信出来るし知る事は出来る。
しかし、ネットもコンピューターも未発達の80年代バンドについては情報も少なくて探すのも大変だけど、少しでもその国の音楽事情がわかればという興味があって始めた企画だ。
そこまではナイスなアイデアだったんだけど・・・・。
20代の頃に世界を放浪してたような実績もまるでないROCKHURRAHが書いてるわけで、信憑性も全くないし、ウソをまことのように伝える筆力もないしで、何だかとても中途半端な記事になるのがやる前からわかってるというシロモノ。

さて、今週はどこの国に焦点を当てようか迷ったんだが、意外な事に比較的動画が多かったここに決めたよ。

タイトルにもある通り、今週は伯刺西爾編にしてみよう。
個人的に今はじめて使った漢字を含む四文字だが、これでブラジルと読むらしい。
誰もが知ってるかどうか不明だが、日本とは昔からとっても仲良しの国であり、南米の中では最も馴染みの深い国だと思う。
サンバにボサノヴァなど有名な南米音楽のメッカでもあるけど、ROCKHURRAHが言うようなパンクやニュー・ウェイブに結びつくようなものが果たして見つかるのか?

ではそろそろ始めるか。

ブラジルはおろか海外渡航歴がほとんどないROCKHURRAHだから、思い入れも思い出も全くない状態でこれから書き進めなきゃいけない。
知りもしない国についてのそんな特集をハナからやらなければいいと思う人もいるだろうが、そういう事を気にしてたらウチのブログは一歩も前に進まないに違いないよ。
だからこれからは無知と偏見に満ち溢れた内容になるだろう(断言)。

ブラジルと聞いて人がイメージするものは色々だろうが、ROCKHURRAHの場合は小学生くらいの時にはじめてこの国を認識した。

本を読んでるような印象が全く無かった父親だったが、なぜか本棚に極真空手の始祖、大山倍達の自伝やアントニオ猪木の自伝などがあって、父親が不在の時に読んだものだった。
とても厳しくて怖い存在の父親であまり親子交流の思い出もないけれど、プロレスが大好きで全日本、新日本、国際プロレスなどの試合はTVでよく観てたのを思い出す。アントニオ猪木の本はそれで持ってたんだろうな。
ROCKHURRAHが子供の頃はプロレスや空手、柔道、ボクシングなどの格闘技漫画が大流行していて、いわゆるスポ根漫画全盛期。個人的にもその時代の大半の作品は読んでるはず。
だから実在のレスラーの嘘か誠かわからないような逸話も漫画で知ったようなものだった。
大型バスを歯で引っ張ったとかそういう類いの話ね。
梶原一騎原作のものはかなり話に尾ひれをつける大げさなものが多かったから、いくら子供でもあまり信憑性があるとは思わなかったけどね。
個人的にはジャイアント馬場の「こんなので本当にKO出来るのかよ」とツッコみたくなるウソっぽい必殺技が好きで、全日本プロレス派だったROCKHURRAH。北九州に興行に来た時には会場にも行き、ブッチャーにタッチしようとして出来なくて、レフェリーのジョー樋口をわずかに触る事が出来ただけ。そう言えば黒い魔神ボボ・ブラジルなんてのもいたなあ。ブラジル人じゃなかったけど。
猪木や新日本プロレスにはそこまでシンパシーを感じてなかったんだが、自伝を読むとさすが、一代であそこまで登りつめるだけの事はあると感心したものだ。

ブラジルと言えばコーヒー、その広大なコーヒー園の労働力としてアフリカの奴隷が使われていたわけだが、それが奴隷制度廃止により、労働力を各国からの移民に求めるようになる。これが19世紀の終わり頃の話ね。
日本からも大量の移民がブラジルに移り住んで日系人が誕生するわけだが、猪木もその(第何次だかわからない)移民のうちの一家族だったという話。アントニオなどとついてるが日系人ではない、なんてのはみんな知ってるよね。
その猪木は少年時代から重いコーヒー豆の袋を担がされる労働に従事して、あの体格と筋肉を形成したわけだ。
強くなったのは偶然ではなくちゃんとした理由があるんだね。

などというどうでもいい回想は言うまでもなくこれから書く事には全くの無関係で伏線も何もない。省略したら大して書く事がなくなる場合にROCKHURRAHがよく使う手法だね。

さて、最初に登場するのはブラジルの本格的パンク・バンド、Os Replicantesだ。
南米で唯一、ポルトガル語を公用語とするブラジルではO(男性)やA(女性)などの定冠詞をつける場合があり、Osというのはその複数形だね。男性形だからオス、ではなくてオーエスと読むらしい。Replicantesは読んでの通り「ブレードランナー」に出てきたレプリカントの事ね。

軍事政権が長く続いたブラジルでは1970年代の一番大事な時代に、ロック的な土壌があまり大っぴらに発達する事が出来なかったという歴史がある。「80年代世界一周」で前に書いたポーランドとかと同じようなもんだね。
別にロックが禁止されてたわけじゃないみたいだが、反体制的なものが弾圧されるのはどこの国でも一緒。
ロックではどうしてもそういう表現が多くなるのは当たり前だから、こういう不遇の時代を乗り越えてみんなやってきたわけだ。
だからと言って検閲されそうにないような、花や緑や何のほころびもない青春などをテーマに歌っても若者の共感を得られるはずはないからなあ。
「おお牧場はみどり」などはコード進行も初期パンクと同じようなテイストだから、そういうカヴァーを考えた輩がいてもおかしくはないが、その歌詞じゃやっぱり人を感動させられないってものだ、ホイ。

そういう背景があって、軍事政権が終わった1985年くらいからやっと本格的にロック、あるいはパンクで自由に表現する事が可能になったというわけだ。他の自由な国に比べるとだいぶ遅れて感じるのはこの辺がポイントだね。

Os Replicantesは1983年に結成してから今でも活動してるらしい古株。
ブラジルでも南部の港町ポルト・アレグレの出身で、この町がどんなもんかは知らないが、訳せば「陽気な港町」の通り、おそらく活気のある威勢のいい若者が多く育ったに違いない。
パンクやロックの発達は遅れたが元からサンバやボサノヴァ、ショーロなどの複雑で独自な音楽はあったブラジルは、当然ながら達者な演奏者が多く、いわゆるストレートなパンクは意外と少ないと個人的には思ったよ。このバンドのような典型的なパンクは逆に新鮮だ。
ビデオもいかにも悪ふざけしたような若気の至りで頭悪そうだが、見た目も音楽も元気なこういうノリはいくつになっても好きだよ。

リオ・デ・ジャネイロやサンパウロといった南米の大都市に比べて忘れがちなのが首都、ブラジリアだろう。
前にSNAKEPIPEが書いた「オスカー・ニーマイヤー展とここはだれの場所?鑑賞」で登場したブラジルを代表する建築家、オスカー・ニーマイヤーとルシオ・コスタがやりたい放題に作った人工的未来都市、こんな企画がまかり通って本当に出来てしまったウソのような首都だと言う。何もなかった土地に翼を広げた鳥のようなかたちの町並みが広がり、未来的なデザインの建物が配置されている世界遺産だ。
やっぱりブラジルというのは国のお偉方だろうが何だろうが、何かを実現する行動力というか熱い情熱に漲ってる民族性なんだろうね。
実際には内陸部で交通が不便だとか他の都市に遠い(リオやサンパウロから車で16時間くらい)とか、生活するには色々不評だとは思うけど、SFっぽい未来的な都市に住みたければブラジリアが一番だね。
ウチの場合は未来都市への憧れがあっても、やっぱり近くにスーパー三軒くらいあって欲しいし、そのうち一軒は角上魚類であって欲しいし、薬屋もサンドラッグかトモズが近くにあって欲しい・・・などなど実生活での変なこだわりがあるからなあ。

そんなブラジリア出身で80年代ブラジルを代表するバンドだったのがLegião Urbanaだ。ポルトガル語を直訳すれば「都市軍団」となって意味不明だが、我がROCKHURRAH RECORDSのBinary Army(現在絶版中、ROCKHURRAH RECORDSのブランド)も二進法軍団だから仲間みたいなもんか。
相変わらずROCKHURRAHには「読めん!」というバンド名だから検索してみたら、レジァオン・ウルバーナと読むらしい。
ブラジルのパンクやニュー・ウェイブについての知識もないから見てきたようには書けないが、この国の最も有名で影響力のあるニュー・ウェイブ・バンドだったようだ。
ヴォーカルが電車男(TV版)、もしくは河野防衛大臣みたいなメガネ男で大人気バンドのフロントマンとは思えないが、これで国民の心をガッチリ掴んだというのが驚き。何とこのヴォーカリスト、ヘナート・フッソの伝記映画まであるという。

これがそのトレイラーだがドキュメンタリーではなく演じてるのは別人の俳優。当たり前か。
90年代に30代半ばで死亡したヘナート・フッソ、ジミヘンやジム・モリソン、イアン・カーティスなどと同じように神格化されているのかな?
トレイラーの中でスティッフ・リトル・フィンガーズの曲に合わせて歌っているシーンがあるが、本当にその通りパンクのなかったブラジルでパンクの啓蒙活動をして人気となったようだ。
その時のバンドがAborto Elétrico(アボルト・エレトリコ=電気妊娠中絶)というパンク・バンドだったが紆余曲折を経て1984年くらいにLegião Urbanaとして再出発する。この当時のブラジルではまだ珍しかったジョイ・ディヴィジョンやU2、スミスなどの影響を受けた音楽だと言われているが、確かに陽気そうなブラジルの中でそういう音楽性というのは滅多になさそうだね。

上の(トレイラーではない方)ビデオ「Que país é esse?」は1987年のヒット曲でジョイ・ディヴィジョンもスミスも感じなかったけど確かにU2には似てる壮大な曲。U2ならこの曲を5分以上の大作にするところを3分以内にまとめたのがさすが。
え?評価する視点がおかしい?

ブラジルに限らずスペイン、ポルトガルや南米のラテン民族は強い女性が多いという印象があるね。
Netflixで大人気のスペイン・ドラマ「ペーパーハウス」でもトーキョー、ナイロビ、ラケル警部、とにかく爽快に強い女性が出てくるし、言葉の語感だけでも大声でハキハキした受け答えが強い意志を持った人に見えてしまう。

サンパウロで1982年に結成されたAs Mercenáriasもまた、強い女性を感じさせるバンドだ。
またまたROCKHURRAHには「読めん!」だが、アス・メルセナリアスと呼ぶそうだ。 
Os Replicantesの時に書いた通り、Aが女性の定冠詞でその複数形だからアスというわけか。Assではないんだな。直訳すれば「傭兵」というバンド名だが、上の都市軍団と同じく、ここでも何かと戦ってるらしいな。

ニュー・ウェイブ世代の女性バンドと言えばスリッツ、レインコーツ、モデッツ、マニアD、マラリア、クリネックスなどが即座に思い出されるが、初期ニュー・ウェイブ時代はどれもやっぱりトンガッた(今どきたぶん言わない表現だな)女という印象が強い。
普通の女の子やかわいい、優しげな女性ヴォーカルがニュー・ウェイブの中で独り立ち出来るのはネオアコやギターポップなど、もう少し後の時代になってからだからね。
アス・メルセナリアスもそういう初期ニュー・ウェイブの女性バンドを踏襲するスタイルだが、「ブラジルのスリッツ」と言われるのがよくわかる音楽性。ただスリッツのほどに広がりはなく、割と単調なビートに引っ掻くようなギターや力強い歌声が絡む、力技でグイグイ押してゆくバンドという印象だ。さすが傭兵。
フリーキーな部分はあってもパンク的な要素の方が強いからROCKHURRAHとしてはスリッツよりむしろ好みだよ。

しかしこれまで出てきたどのバンドも「長く続いた軍事政権」の終焉間近である80年代前半に出てきたもの。
デビューはしたもののレコードをリリース出来ないから、ようやく出せたのが80年代後半になってから、もしくはずっと後になって発掘音源みたいな感じで再評価されたり、バンドの勢いを保ったままというのは難しいだろうにね。
映像で見るのはそういう規制がなくなって、堰を切ったように自由に表現出来る場を得た時期なのだろうか。実際に見てきたわけじゃないから、この辺の事情がはっきりわからないのがもどかしいな。

元々ロック的な土壌があまりなかったブラジルでパンクやニュー・ウェイブが意外なほど浸透してたのも驚きだけど、こういう電子楽器を使ったエレポップまであったのにビックリ・・・というのもお国柄に対する偏見なんだろうね。
サッカーでもカーニバルでもパッと思いつくのは陽気でお祭り好きなイメージだから、チマチマとシーケンサー打ち込んでるようなブラジル人をあまり想像出来ない。
ただ、先にも書いたように近未来的な人工都市を現実に作ってしまうような国でもあり、現在ではIT大国になっているという話もあり、侮るなかれ(自分に向けた言葉)。

そんなブラジルで上に書いたようなパンク/ニュー・ウェイブのバンドより先に人気となっていたのがこのAzul 29というバンドらしい。パンクに限らず反体制的なロックバンドに規制がかかってた80年代前半のブラジルで、あまり反体制っぽく見えない単なるポップスやエレクトロニクスを使ったこういうグループなら問題なく音楽活動が出来たというわけなのかな?
その辺は不明だけど、80年代前半にこのバンドはヒットして人気があったという。
「読めん!」バンド名が多いブラジルだけどこれは簡単に読めたよ、アズールはポルトガルやスペインで青のことだね。フランス語ではアジュールと言うらしい。
彼らの1984年のヒット曲が「Video Game」というから、おそらく当たり障りのない歌詞に違いない。

ものすごいマニアではないからあまり大っぴらには言わなかったが、子供の頃からゲームが大好きで、TVゲーム黎明期の頃からのキャリアを持つROCKHURRAHだった。その趣味(?)が高じてゲーム屋の取締役にまでなった経歴を持つ。
結構好みと適性があって、あの時代誰もがやってたインベーダーは相当練習してもイマイチ、代わりに得意だったのが風船割りとブロック崩しだったな。大ヒットしたパックマンも苦手で代わりにディグダグが得意。時代は大幅に飛ぶが「ストリートファイターII」よりも「鉄拳」といったように微妙な好みが激しくて、どのゲームも得意とは言い切れない。まあ万能な人はいないからみんなこんなもんか。
「ゼルダの伝説」や「モンスターハンター」なども根性で最後まで勝ち進んだ経験があり、その分析能力と機動力を生かしてより一層のスキルアップをを目指したいと考えております(履歴書)。

さて、そんなデジタル世代を84年に高らかに歌い上げたAzul 29のヒット曲が「Video Game」。
「スター・トレック」か「宇宙家族ロビンソン」のような服装は明らかに「ブラジルのクラフトワーク」を狙ったものと考えるが、なぜか音楽やってる人には到底見えないようなおっさんメンバーもチラホラ。細かい事を気にしないおおらかな国民性だから、これでもいいのだ。

書き始める前からわかってた事だがブラジルについて個人的な思い出などまるでないという事。これが敗因となって今回のブログも意味もないところで苦戦してしまったよ。
何とかごましてここまで書いてきたが、もういいかブラジル、さらばブラジル(無責任)。

最後は1982年にサンパウロで結成された大所帯バンド、Titãsだ。
レジァオン・ウルバーナと同じくブラジルを代表するバンドのひとつらしいが、これでチタンスと読むそうだ。
ギリシャ神話の巨人タイタンがポルトガル語ではチタンスになるようだが、この綴りを見ても「ン」は一体どこから?と思ってしまうのはROCKHURRAHだけか?そう言えばサンパウロもSão Pauloで「ン」の部分が見えないが、これがポルトガル語ってヤツなのか。

メンバーが8人くらいいるそうでヴォーカルも3人くらい、とても賑やかそうなのが取り柄のこのバンド。
長く続いてるバンドなので音楽性も時代によってもさまざま。
この辺の雑多さで思い浮かぶのはフランスのマノ・ネグラだけど、彼らほどの強力なバイタリティは感じない。ただラテン系ニュー・ウェイブの個性をうまく世の中に伝えた功績は大きいと思うよ。

1986年に出た3rdアルバム「Cabeça Dinossauro 」は不気味な坊主の鉛筆画みたいなジャケットで、とてもこんな曲が入ってるとは思えないけど、シングルにもなった「Aa Uu」はそこに収録。
最初はアッアとかウウッとかしか言わないのでちょっとバカっぽいけど、ちゃんと歌詞はあるようで良かった。
服の色がどんどん変わってゆくだけのシンプルなビデオだけど、いかにも80年代ミュージック・ビデオといった雰囲気でなかなか効果的に仕上がっているね。

以上、80年代ブラジルのパンクやニュー・ウェイブはこれくらいしかないわけじゃなく、意外とたくさんのバンドがいるし、音楽性もこちらが想像したよりもずっと高い表現力を持っていたりする。
そしてビデオを色々見る限りでは、軍事政権による表現の規制うんぬん、なんてまるでなかったかのように感じてしまうよ。

本当はブラジルに限定せずに南米全部でひとつに纏めようと思ったんだが、他の南米もまだまだいそうだから、それはまた別の機会に書いてみよう。

それではまた、ジャジョエシャペヴェ(南米先住民言語グアラニー語で「さようなら」)

ROCKHURRAH RECORDS暑中見舞い2020

20200726 top
【ドイッチェランド感満載のポストカード】

ROCKHURRAH WROTE:

今年の梅雨は久々に典型的な雨続き、ジメッとした蒸し暑さばかりでまだ夏っぽい天気とは言えない日々が続いてるね。
夏の暑さもどんよりの湿気も大嫌いなROCKHURRAHは、すでに夏をすっ飛ばして秋の到来を待ちかねているよ。

前回のROCKHURRAHの記事でも書いた通り、使ってるMacを新しいのに買い替えたのはいいが、前の機種から環境を全部移行せずに必要なアプリケーションだけをインストールし直したり、うまくインストール出来なかったりで思ったより悪戦苦闘してしまった。
64ビット・オンリーになってしまったために、前は使えてた32ビットのアプリケーションが使えなくなってるのが一番の痛手だよ。
Photoshopに代表されるアドビ製品(ROCKHURRAHが持ってた古いヴァージョン)をはじめ「こいつもダメなのか?おまえまでもか?」と落胆するほど多くのアプリケーションが使えなくなってしまったよ。
主要なものはすでにヴァージョンアップはしてるんだろうけど、ずっと更新されてなくて永遠に使えなくなったような予感のする弱小アプリケーションを愛用してる場合が多いのだ。

そこで方向性を転換して、Macの仮想化を実現するParallels Desktop、VMWare Fusionという2大アプリケーションを導入して、その中でCatalina(現ヴァージョンのMac OS)より古いヴァージョンのOSをインストールしてみようと思いついた。
どちらもかなり前に試してみた事があったけど、その頃は自分のマシンのスペックが低すぎて実用化にはならないと痛感した覚えがある。しかもMacの中にMac OSを入れた事はなかった。
幸いなことにどちらのアプリケーションもCatalina対応のヴァージョンが出てて、期日限定の試用版がダウンロード出来るみたいなので早速試してみたよ。
Parallelsの方は面白いようにすんなりと目指す環境が出来て拍子抜けするくらいだったがVMWareの方、ちょっとクセが強くてさらに悪戦苦闘を何日も続けたのが個人的には、この夏一番の苦い思い出となってしまった。
まずインストールした直後の画面が異常に小さい。Retinaディスプレイに最適化、などと書いてあるくせにディスプレイ解像度が低いまんまでいくらやっても変えられず苦労したよ。
調べてみるとVMWare Toolsをインストールしないとダメみたいなんだが、インストールしようとすると「OSのヴァージョンが新しすぎます」などと無理難題を言ってくるのでイヤになる。
結局何度やり直したかわからないほどの労力をかけて、やっと普通の解像度に出来た時には試用版の期限切れ間近というありさま。
VMWareの方はParallelsに比べてマイナーな存在なのか、調べる記事が少ないから自分の症状に当てはまるようなのが見つからず、それが敗因となったわけだ。解像度くらいオプション(VMWare Tools)をインストールしなくても初期状態でやっとけよ、と言いたくなる。

ここまでして新しいOSにする意味がないようにも感じるけど、すでに今年の秋にはさらに新しいOSがリリースされるらしい。
自分がどんどん時代遅れになってしまうのは構わないし、ROCKHURRAH RECORDSがそれをテーマとしてきたのも間違いないが、進化しても古いものを切り捨てないようなテクノロジーも同時にあって欲しいもんだ。

さて、冒頭にも書いた通り、全然暑中見舞いって実感が湧かないような天候が続いてる今年の夏だけど、毎年恒例なので今年も作ってみたよ。
見てわかる通り、先週SNAKEPIPEが記事にしてくれたばかりのバウハウスの影響をモロに受けたもの。
今に始まったわけじゃなくてずっと影響を受け続けているのがバウハウスと構成主義なので、インスタントに作ったとは言ってもウチの根本スタイルには違いないよ。
作った時にはバウハウスをイメージしたけど、後から見直すと80年代のFactory Recordsのジャケットみたいにも感じる。
同じようなものを取り入れて出力してるので似てしまうのも仕方ないね。

梅雨が明けてもこれから一ヶ月以上は個人的に大嫌いな季節が続くけど、早くマスクをしなくて済む世の中になって欲しいね。

ではまた、Bis bald! (ドイツ語で「またね」)