3.11

【ありきたりだが今日はこれが限界】

ROCKHURRAH WROTE:

体験した人々にとって、一生忘れる事のない日になったのは間違いない。いつかはこういう日が来るのを誰もが予感してたに違いないが、鳥や動物のように危険を察知したからと言ってすぐに逃げる事が出来ない。自由のない生き物だな、と誰もがつくづく思うだろう。

ROCKHURRAHが働いている場所は自宅からわずか2駅という近場。しかし駅間が長いのと、直線を歩いてゆける道路がない事、そして日常的に車も歩きもそんなに使わないので、いざ歩くとなった時にどこを通れば知った道に出られるかよくわからない。おまけに津波警報も出されてたので海際を歩くわけにもいかない。そんなわけで自宅に帰り着くのに4時間もかかってしまった。これはまだ統計的には幸せな部類だろう。
SNAKEPIPEとはいつまでも電話もメールも繋がらない状態。ただ地震発生直後にメールをもらっていたので、取りあえずの無事だけはわかっていた。

SNAKEPIPEは全く逆方向の都内で働いているし、ROCKHURRAHよりはずっと遠い場所なので、歩いて帰るのは困難と思える距離だ。しかもよりによって前日から足を負傷していて、長時間の歩きは不可能と思える。こういう時に頼りにならない筆頭のJR、最初から「終日運休」と高らかに宣言してしまった。そのJRでしか自宅に辿り着けないSNAKEPIPEは上に書いた理由もあって、ずっと職場待機。ついにそのまま夜を明かす事になってしまった。いつまでも余震が続いていて、揺れてない時間の方が短く感じるほどだったので、こんなペシャンコになりそうな我が家よりはちゃんとしたビルにいた方が安全だという好判断だ。

自宅の一駅前くらいでようやくSNAKEPIPEとメールが復旧して、お互いの無事も確認出来た。しかしここまでの長かった事。
先に自宅に辿り着いたROCKHURRAHだったが冷蔵庫の中身は床に散乱してベトベト、現在使ってない古いiMacは下に落下、いきなり何もやる気が起きない状態。歩き疲れてヘトヘトだったし、地震情報もあまり繋がらない携帯も気になりっぱなし。こんな時に落ち着いて部屋の片付けをする気分にもなれなかった。服を着たままただ地震情報を眺めるだけで夜を過ごした。JRは相変わらずダメだったが、地下鉄は復旧も早くて、違う路線を使えば何とかSNAKEPIPEも近場まで帰って来れる事を知って少しホッとする。

そして翌日の朝、やっと近場の駅に着いたSNAKEPIPEを迎えに行って再会する事が出来た。

まとめも何もあったもんじゃないし、こんな日に予定通り「ネオサイケ編2(前回のブログ記事の続き)」など書く気にもなれないから、通常のブログも一休み。来週にはちゃんとしたものを書けると思うので、今回はこういう簡単な報告だけで許してもらおう。
ではまた来週。

シュルレアリスム展~ポンピドゥセンター所蔵作品

【マン・レイ展の時も似た写真だったね。マン・ネリ!】

SNAKEPIPE WROTE:

まず初めに。
本日3月6日は我らが鳥飼否宇先生の誕生日!
鳥飼先生、おめでとうございます!!!
SNAKEPIPEも2日前に誕生日を迎えました。(笑)

2010年8月に「マン・レイ展~知られざる創作の秘密」を鑑賞しブログに書いたSNAKEPIPEだけれど、実はその時に2011年2月より同じ国立新美術館で「シュルレアリスム展」を開催することを知ったのである。
シュルレアリスム!(笑)
ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも大好きなジャンルである。
2008年に「不条理でシュールな夏」というタイトルでシュールについて書いたっけ。
人の想像力の頂点に立つ運動、とも言えるであろうシュルレアリスム。
今回国立新美術館で展示されるのはパリのポンピドゥセンター所蔵作品とのこと。
パリだもんねー!シュールの本場だもんねー!(笑)

今回展示される作家もルネ・マグリット、サルバドール・ダリ、ジョルジョ・デ・キリコを含む総勢47名!
それぞれ単独で展覧会やって欲しいような著名な方々ばかり。
作品数約170点に加え当時の雑誌やポスターなど120点も展示、というかなり大がかかりな展覧会のよう。
これは期待できそうだよね!

SNAKEPIPEお気に入りのジョルジョ・デ・キリコから始まった展覧会は、1924年にシュルレアリスム宣言をしたアンドレ・ブルトンの著作の中の言葉からほとんどのテーマが選ばれ、年代順に展示されていた。
アンドレ・ブルトンはシュルレアリスムの父であり立役者というべき人物だけど、ご本人が残してるのは著作だからねえ。
言葉と、本人の写真だけが展示されてたね。

170点もの展示作品の中から特に気に入った作品についてまとめてみようかな。

「三本の糸杉」は遠くからでもその発色の良さに目を奪われる作品だった。
糸杉って植物だよね?
描かれているのは、どちらかというと鍾乳洞の中にあるオブジェ化した石灰岩のようにみえるね。
不思議な物体だけど、なんだかとても素敵。
家に飾りたくなる逸品だね!
エルンストは今回展示数が多くて、版画作品や写真作品などもあった。
本当はそれぞれ感想を書きたいくらいなんだけど、エルンスト特集じゃないからね。(笑)
エルンスト展があったら観に行きたいな。

ヴィクトル・ブローネル「光る地虫」はいかにもシュルレアリスムらしい作品で、謎の生物がいるんだよね。(笑)
ブローネルについての情報が少なくて、ルーマニアの画家ということくらいしか分からないんだけど、とても面白い作品がたくさんあった。
まるで漫画のキャラクター設定をしているかのような作品やイタズラ書きみたいなデッサン風のものまで展示されていて楽しめた。
今まで知らなかった名前なので要チェックですな!(笑)

アンドレ・マッソン「迷宮」。
ギリシャ神話の中に出てくるミノタウロスをモチーフして、その内部(内臓)を迷宮として捉えている作品らしい。
どうやら解説を読むとニーチェが、バタイユが、と神話と哲学などが混ざった観点から描かれた作品のようなので詳細はその道の専門家の方にお願いして。(笑)
そういった思想的な部分を抜きにしても「どうだ!」といわんばかりの迫力のある作品だった。
好みは分かれるかもしれないけどね。
マッソンのことはよく知りマッソン!(プッ)
調べてみたらマッソンってジョルジュ・バタイユの「眼球譚」に挿絵描いてたんだって?
あらま、じゃ観て知ってるはずだよね?
そういえば昨日SNAKEPIPEが見たのが、手の上に自分の眼球乗せてる夢だったなあ。
思いっきりシュールだわ!
眼球は思ったよりも大きくて、プニョプニョしてたよ。
なんて恐ろしい夢なんでしょ。
それにしても眼球ないのに見てたってところが破綻してるよね。(笑)

マッソン作品は非常に多く展示されていて
「またマッソン!」
「またまたマッソン!」
などと言いながら鑑賞。(笑)
「夏の愉しみ」という作品はまるで鳥飼否宇先生の「昆虫探偵」の挿絵に丁度良さそうでニヤリとしてしまった。

フランシス・ピカビア「ブルドックと女たち」はシュールという括りに入るのかちょっと疑問だけど、とても好きな作品である。
さすがに横尾忠則先生が傾倒し、師と仰いでいたのが良く解るね。
女性は雑誌に掲載された写真から描いてるらしいし、ブルドックもやはりまた違う写真から採用されたとのこと。
作風はもちろんのこと「あれ」と「これ」を混ぜて一つの作品にしちゃうところも横尾先生に影響を与えてるのかもね?
今回ピカビアの作品は3点展示されていて、どの作品も恐らく「具象の時代」と呼ばれる時代の作品だったみたい。
年代によって作風がガラリと変わる画家だったらしいので、また違う時代の作品も観てみたいな!

最後に立体作品、アルベルト・ジャコメッティ「喉を切られた女」のご紹介。
ジャコメッティといえば針金みたいに細い人物の彫刻作品が有名なスイスの彫刻家。
そのイメージがあったので、今回のシュルレアリスム展の中に入っているのが意外だったSNAKEPIPE。
ところがどうやら時代的にもばっちり1920年代にパリにいたらしいし、ブルトンをはじめシュルレアリスト達との交流もあったとか。
今回展示されていた左の作品は、まずタイトルからしてシュール。
どれどれ、解説を読んでみようか。
どうやらフランス語でカマキリと恋人(女)が「ラマント」と同じ音になることからカマキリを女に見立てて制作された彫刻らしい。
うーん、フランス語知らないから教えてもらわないと言葉遊びを知らないままになっちゃうね。
でも今回の彫刻は意味が解らなくても充分面白かった。(笑)

非常に期待して出かけたシュルレアリスム展だったけれど、簡単に言ってしまうと可もなく不可もなくという感じかな。
粒揃いだけれど、突出してもいない平均的な展示だったように思う。
SNAKEPIPEが観たかったハンス・ベルメールは写真作品1点のみだったり、マルセル・デュシャンの作品もちゃんとした形のものは1点だけ。
「大ガラス」などはデッサンだけ、だったしね。(笑)

当時の雑誌やポスターなども含めて展示されていたり、今までSNAKEPIPEが全く名前を知らなかった作家の作品を鑑賞することができたのはとても良かった。
シュルレアリスムをいろんな角度から眺めて、運動そのものに焦点を当てた企画自体も興味深かったけどね。

とどのつまりは自分が好きな作家の展覧会が観たいんだろうね。(笑)
シュルレアリスムはまだこれからも勉強していきたいジャンルだね!

時に忘れられた人々【08】80’s ネオサイケ

【伝説のネオ・サイケ・バンド、幻の1stシングル(ウソ)】

ROCKHURRAH WROTE:

こないだ「【07】グラム・ロック編」をやったのが書いてる本人の記憶にも新しいというのに、またまた懲りずにこの企画をやってしまう。しかも音楽ジャンルが違うだけでパターンはまるで同じだよ。ROCKHURRAHのネタもあらゆる意味で枯渇しまくってるな、大丈夫なのか?

さて、今回取り上げるのは80年代初頭に一部で流行ったジャンル、ネオ・サイケについて。
それより一昔前に流行ったフラワー・ムーブメントやサイケデリックは知っていても、ネオ・サイケについては知らない人も多かろう(特に若い人)。

音楽はファッションの流行と同じで適度な周期で回っているもんだが、この80年代初期のネオ・サイケだけは再び流行ったという記憶がない。
ROCKHURRAHはそういう音楽情勢についてハナから詳しくもないし、もし知らないところで流行った事があったとしてもムーブメントという程の大きさではなかったんだろう、きっと。
というわけで「ウチの親が若い頃聴いてたよ」というような家庭でもない限り、今の若者にはとても馴染みの薄い音楽だろうと推測する。ROCKHURRAH RECORDSでも最も売れないジャンルだし。

ネオ・サイケの定義とかは案外説明するのが難しいんだが、本家アメリカのサイケデリックとは聴いた感じからして違うようなものが多い。ごく簡単に言えばシリアスで内気っぽく、根暗で(完璧な死語)センチメンタルな音楽という雰囲気か?
そういう音楽を志した若者たちだから、見た目も地味なバンドが多く、暗い色合いの服装でうつむき加減に演奏して歌うというスタイルが主流。だからライブとか見てもそんなにテンション上がらないだろうし、80年代以降に再流行しない最大の原因がやっぱり「面白みのない音楽」という事かね。

その辺のニュアンスを伝える能力がないので、下にROCKHURRAHが選んだのを見て、聴いて、あとは若いもん同士で勝手に納得して欲しい。何じゃこの投げやりな前説は?
では映像とコメント入ります。

バズコックスの初代ヴォーカリストだったハワード・デヴォートによるニュー・ウェイブ初期のバンド。
ネオ・サイケが本格的に起こったのは1980年前後だろうが、このマガジンあたりが直接の元祖と言えるのではなかろうか。
粘着質のいやらしい声とちょびファンキー(ROCKHURRAHが今テキトウに命名)なゆったりしたベースライン、そしてキーボードによる妖しい曲調を得意にしていた。
割と大作志向で曲もイントロも長いんだが、その辺の冗長さを我慢出来れば彼らのまとわりつくような曲の虜になる人もいるだろう。
ハワード・デヴォートの気怠い声と大儀そうなヴォーカル・スタイルは「そんなに疲れたんならバンドやらなきゃいいじゃん」とさえ思えるほど。通勤電車の中で聴いたもんならあんた、朝からやる気はなくなって休みたくなる事必至という危険な音楽でもある。ああかったるい。
ネオ・サイケとして紹介されるケースはほとんどないバンドだが、この倦怠感に影響を受けたバンドも多いはず。バウハウスのピーター・マーフィもソロでマガジンの曲をカヴァーしていたな。

初期は誰もが知ってる通り、紅一点ヴォーカリストのいるパンク・バンドの元祖だったわけだが、スージー・スーはポップな曲を歌っていてもいつも直線的でモノトーンな印象がする。
というわけで上のマガジンなどと同じくネオ・サイケの始祖だと言える。
この当時はキュアーのロバート・スミスとつるんでいたようで、映像でも右側にちょこんとギター弾いてる目立たない男がそうだと思うが、まさに借りてきたネコ状態。
後にヒットを連発して人気バンドになるキュアー(註:デビュー時期は70年代後半だが、ワールドワイドな活躍をするより前の時代)だが、この頃はまだ大舞台に慣れてなかったのかな。

いわゆる正統派叙情派ネオ・サイケの代表選手、エコー&ザ・バニーメンの初期の曲。
彼らの出身地リヴァプールの音楽(80年代当時)が叙情派ネオ・サイケの宝庫だったわけで、その数多いバンドたちの頂点にあったのがこのバニーズ(当時風の略称)なわけだ。
こういう髪型で線の細そうなルックス、古着のコートとか合わせれば誰でもバニーズ風になれるという模倣しやすさもあったから、当時の少女漫画とかでも大人気のファッションだったね。
ネオ・サイケは暗くてあまりキャッチーな音楽ではなかったが、彼らは見た目とは大違いの骨太な力強さを持っていたと思う。
ネオ・サイケを志す者たちの目標だったかどうかはわからないが「80年代のドアーズ」という位置に最も近かったのがこのバンドなんじゃなかろうか。

当ブログ「リヴァプール御三家編」でも取り上げたティアドロップ・エクスプローズや上のエコー&ザ・バニーメンだが、シリアスな印象のバニーズに対して、ジュリアン・コープ率いるこのバンドは正体の掴めない変化球が多いという印象がある。
正統派のネオ・サイケ、アラブ風の曲調、ファンク風、テクノ風まであって良く言えばヴァラエティ豊かなんだが、散漫な印象を受ける人の方が多いだろうね。
何回も同じような事書いたが、天真爛漫でワガママな個性をそのまんま発散させたのがジュリアン・コープの魅力だと言える。
そんなティアドロップ・エクスプローズの中で最も好きな曲がこれ。明るくてポップで子供っぽい、まさにドリーミーな曲調。こちらは80年代のシド・バレットという位置に最も近かったのではなかろうか。

初期はエコー&ザ・バニーメンと同じ牛乳石鹸、じゃなかったコロヴァ・レーベル(牛のマークでリヴァプール・マニアにはお馴染み)よりレコードを出していたサウンド。
ヴォーカルのエイドリアン・ボーランドはその前にアウトサイダーズというバンドもやっていたな。
この曲を聴いてわかるように文学青年ネオ・サイケのようなひ弱さはなく、日本ではほとんど無名ながらも、割とエモーショナルな名曲を残したいいバンドだった。
残念な事にこのエイドリアン・ボーランド、99年に自殺しているが、大メジャーなネオ・サイケだけを聴いてるような人(現代では稀だとは思うが)も是非この機会に再評価して欲しいバンドだ。

デビュー当時はバウハウスの後継者というような扱いで、確かにピーター・マーフィの歌い方を彷彿とさせる点はあったけど、見た目も曲もよくある感じで期待の程には活躍しなかったバンドだと思える。
ヒットした「Away」とか聴く限りでは確実にアメリカ寄りの音で失望したものだ。
ただしなかなか良いメロディのセンスもあって、この曲や初期の「Boxes」などは正統派ネオ・サイケを目指す者たち(しつこいが今の時代にいるのか?)にも響く何かがある。大好きなバンドじゃない時は紋切り型のコメントだな。

さて、この辺で比較的名の通ったバンドはおしまいにして、私的マイナー80年代タイムといきましょうか。ではミュージック、スタート。

ネオ・サイケにどっぷりというマニアでも意外と知らないこのバンド。
デビューした時は「フランスのジョイ・ディヴィジョン」などと一部で熱狂的に騒がれたものだ。
アメリカ生まれのテオ・ハコラは世界各地を放浪して、たどり着いたパリでバンドをはじめた。それがこのオルケストル・ルージュ(ROCKHURRAHは80年代風にオーケストラ・ルージュと呼びたい)だ。
1stアルバムはジョイ・ディヴィジョンと同じくファクトリー・レーベルのマーティン・ハネットがプロデュースした事、そしてライブ・アルバムではジョイ・ディヴィジョンのカヴァー曲を演奏した事から「フランスのジョイ・ディヴィジョン」と称されるようになったというわけ。
がしかし、直接的にそっくりな部分はそんなにない。
このバンドの特徴としては哀愁のあるヴァイオリン、そしてロカビリーやカントリーの世界でお馴染みのヒーカップ唱法(しゃっくりのような歌い方)、この2つが最大の個性となっている。
マイナーなバンドゆえにYouTubeがほとんどなかったのでこのビデオとなった(VHSから変換した動画らしく、音がトラッキングで乱れてる)が、本当は2ndアルバムの最初の3曲、これがROCKHURRAHのフェイバリット・ソング(ネオ・サイケ部門)だ。
特にハコラの同郷の大偉人、ジョセフ酋長を歌った「Chief Joseph」は今でも愛聴しているスーパー名曲なので、まだ聴いた事ないネオ・サイケ野郎は草の根を分けてでも探し出し、入手するべし。ROCKHURRAH、全部持ってる、ウソつかない、売る気ない。あ、CD出てたのか?
ちなみにこの曲はデビュー・シングルで1stアルバムにも収録されているが、全裸でヴァイオリンというインパクトある内容。

うーむ、ここまで書いたところでもはやかなりの長さになってしまったし、疲労困憊という状態。2回に分ける予定はなかったし、いくら書いても喜んで読んでくれる人もほとんどいなさそう。がしかし、どうしても続きが書きたいので、また後日に仕上げるとしよう。
景気よく「ミュージック、スタート」などと書いた後で情けないが、この続きを書き終えるまでに、地に潜む現代のネオ・サイケ諸君(そんなのいないか?)は仲間を集めてROCKHURRAHの元へ急ぐのじゃ。何だかわからんが「三国志」みたいでちょっと君主っぽいぞ。今の時代に大真面目で絶滅音楽とも言えるネオ・サイケについて熱く語るのも楽しくなって来た。この高揚感が次まで続けば良いけどなあ。

またまた続く

SNAKEPIPE MUSEUM #08 Michael Kenna

【世界の果てまで俺を連れてってくれるか?】

SNAKEPIPE WROTE:

今日のSNAKEPIPE MUSEUMはマイケル・ケンナを取り上げてみたいと思う。
マイケル・ケンナは風景写真家だからSNAKEPIPEが好きなのは珍しい、と思われる方も多いだろうね?
確かにマイケル・ケンナは自然写真が有名だもんね。
ただ写真の中には無機物と自然の調和、のようなモチーフもあるんだよね。
無機物も自然の一部と考えてるように感じられるのだ。
その点がSNAKEPIPEと同じ!(笑)
以前洋書で写真集を観た瞬間に「いい!」と思い、即決で買ってしまったことがある。
お値段は確か1万円近かったから高額だったのに…。
決してお金持ちとは言えないSNAKEPIPEに購入決断させるとは!
恐るべし、マイケル・ケンナ!(笑)

マイケル・ケンナは1953年イギリス生まれ。
現在はワシントン州のシアトル在住とのこと。
世界中を旅して風景を撮影している写真家である。
ハッセルブラッドの6×6カメラを使うことが多いらしい。
世界的にもかなり有名で、いくつか賞も受賞しているよう。
日本では北海道を撮影していて、写真集「HOKKAIDO」(まんま!)を出しているみたい。
撮影された特徴的なミズナラの木は「ケンナの木」としてファンが多かったとか。
ミズナラ?
おおっ!我らが鳥飼否宇先生の「樹霊」の中にも出てきたね!
残念ながらその「ケンナの木」はもう伐採されちゃったらしいけどね。

マイケル・ケンナの写真の特徴はなんといっても圧倒的な静謐感。
音のない、シーンとした世界。
人が登場しないため、未来的な印象を受ける。
それは人類が滅亡した後の終末的未来?
言うなればSFの領域になるのかもしれない。
マイケル・ケンナがいわゆる一般的な風景写真家と違うのはここなんだろうね。

燃えるような緑がキレイとか咲き誇る美しい花などという風景写真ならば、誰でもある程度の撮影はできるだろう。
そして実際に「〇〇フォトサロン」みたいなギャラリーではその手の写真展が今でもたくさん開催されているし。
撮影側も鑑賞側のどちらにとっても「最も害のない」ジャンルだろうね。
カレンダー用の写真を観ても、だいたい似た雰囲気だし。(笑)

観て癒しを感じる写真というのは人それぞれなので、上に書いたようなカレンダー的風景写真を観て清々しい気分になる人も多くいるだろう。
SNAKEPIPEだったら、と考えてみるとパッと浮かんだのは例えばマイケル・ケンナの空っぽの風景なんだよね。
なんにもなくてガラーンとした、人のいない場所。
以前取り上げたスティーブン・ショアーの時にも似たような文章を書いていたけれど、どうやらSNAEKPIPEは人がいない風景が好きなんだね。(笑)
同じように「空っぽ」の写真家とはいっても、スティーブン・ショアーの写真にはノスタルジーがあるけれど、マイケル・ケンナにはない。
人を寄せ付けない、いやそれ以上に拒絶しているような冷たさがあるんだよね。
何百年後なのか何千年後なのか分からないけど、かつて人類がいて文明があった形跡だけを撮影した写真という感じ。
だからといって世紀末的な絶望感は持たない。
一回りして、またスタートに戻ったような気分である。
これってもしかしたら輪廻転生?
はたまた雑念のない忘我の境地?(笑)
そんなことを考えながら、癒されるSNAKEPIPEなのである。