映画の殿 第21号 さよなら、人類

【面白グッズを営業中のサムとヨナタン。陰気だなー!】

SNAKEPIPE WROTE:

週に何本かの映画を観る習慣は継続している。
例えば「スター・ウォーズ」のような大ヒット作を鑑賞することもあるけれど、どちらかと言えばアメリカ以外の国の作品に興味を持つことが多い。
最近のレンタルDVDは本編が始まる前に「これでもか」というくらい、長い時間をかけて同ジャンルの新作案内を「強制的に」付き合わせる傾向にある。
中には早送りすらさせてくれない仕様になっているものまであって、苦痛に感じることもあるほど。
宣伝するのは自由だけど、強制させられるのはイヤだよね?
たまには新作の中に「面白そう」と思う作品もあり、次に借りる候補にすることもある。
今回紹介する「さよなら、人類」(原題:En duva satt på en gren och funderade på tillvaron 2014年)も、新作案内で知った作品である。

「さよなら人類」と書いて検索すると、初めにヒットするのはイカ天バンドである「たま」の「さよなら人類」なんだよね。(笑)

わざわざ載せなくて良い?(笑)
ちょっと懐かしかったものだから!
「さよなら、人類 映画」って書かないとちゃんと検索できないので、皆様気を付けましょうね!

「さよなら、人類」はスウェーデン人の監督、ロイ・アンダーソンの作品である。
えっ?ローリー・アンダーソン?

これもわざわざ載せないでも。(笑)
ちょっと懐かしかったものだからね!(2回目)
80年代を経験した人は間違い易いから、気を付けようね!

脱線から本筋に話を戻そうか。(笑)
「さよなら、人類」についてだったね。

公式ページから簡単なあらすじを引用させてもらおう。

面白グッズを売り歩くセールスマンコンビ、サムとヨナタンが物語の中心となり、さまざまな人生を目撃する。
喜びと悲しみ、希望と絶望、ユーモアと恐怖を、哲学的視点をスパイスにしてブラックな笑いに包み込む傑作!

前述したように、新作案内を観て「さよなら、人類」に興味を持つことになったSNAKEPIPE。
どうして気になったんだろう?
少し淡い、地味なトーンが北欧の風景を感じさせる映像。
寂しい気分になるブルーグレーのフィルターがかかったような色。
セリフの少なさは、どんなストーリーが展開されるのかを不明にする。
中にはあるんだよね、ほんの何分かの予告を観ただけで「あーなってこうなって最後はこんな感じで終わりだよね」と予想できてしまう映画!
もしかしたらその予想は外れるのかもしれないけど、観たいと思う気分は著しく削がれてしまうよね。
SNAKEPIPEは特に権威に弱いわけではないけれど、「ヴェネチア国際映画祭グランプリ受賞」と言われると、更に興味が増してしまう。(笑)
ブラック・ユーモアというのも惹かれるしね!

いよいよ鑑賞!
「3つの死」と題されたショートフィルムが始まる。
この3つの物語がかなりブラック!
死を扱っているにも関わらず、「フッ」と片側の頬を持ち上げるようなニヒルな笑いを誘うんだよね!
別にニヒルじゃなくてもいいけど!(笑)
「3つの死」が終わると、あらすじにあるサムとヨナタンが中心になった物語が展開する。
これも場面場面を組み合わせたような、いうなれば「4コマ漫画」が連続している雰囲気なんだよね。

特徴的なのは、定点に置かれたカメラ。
まるで自分がこちらから見ているかのように錯覚してしまう。
通常映画の場合は、例えば驚いた主人公の顔をアップにするなど、カメラの焦点が変化するんだよね。
「さよなら、人類」にはそれが一切ないの。
アンダーソン監督は構図にこだわり、絵作りを第一に考えているんだろうなと思ったSNAKEPIPE。
そうしてみると、絵としての完成度の高さが解るんだよね。

以前「SNAKEPIPE MUSEUM #04 Cindy Sherman」の中で、ジム・ジャームッシュ監督の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」について書いたことがある。

「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は、全てのシーンが一枚写真として完成している、言うなれば連続スチール写真映画だったんだ!

と結論付けたSNAKEPIPE。
絵作りを第一に考えている映画ということになるね。
映画の殿 第16号」で特集したのはタルコフスキー監督の「ストーカー」。
この映画についても似た感想を持ったSNAKEPIPE。

「ストーカー」も「ストレンジャー・ザン・パラダイス」と同じで、写真集を観る感覚の映画だと感じたSNAKEPIPE。
しかもそれは廃墟写真集なんだよね!(笑)

引用ばかりで申し訳ない。
映画の中にも、まるで写真集みたいに撮られている作品があるということを言いたくて書いてみたよ!

今回鑑賞した「さよなら、人類」は、写真集というよりは画集を観ているように感じたSNAKEPIPE。
スナップショットを描いたような画家、例えばエドワード・ホッパーの作品などに近い感覚かな。

そこで!
今回の「映画の殿」では、「さよなら、人類」をあえて油絵風に加工して載せてみることにしたよ。
映画とは違う雰囲気で楽しめるんじゃないかな?
書いている文章は映画とは全く関係なくて、絵として観た時のSNAKEPIPEの勝手な感想なのでよろしくね!(笑)

先に書いた定点カメラがよく分かる場面だよね。
窓から外を眺める男。
恐らくキッチンだと思われる場所で、夕食の支度をしている背中を向けている女。
男の表情はよく分からないけれど、これから楽しい食事が始まるというよりは、深刻な話をしなければならないために憂鬱だ、と考えこんでいるように見えてしまう。

日曜日に、いつもよりゆっくり眠っていた夫婦が、電話によって起こされた情景と想像する。
電話の主はかつての旧友?
それとも母親から?
もう少し惰眠を貪っていたかった夫は、すっかり目覚めて話に夢中になっている妻とその相手から完全に除外され、孤独を感じているように見える。

大きなデスク、革張りのソファ、鷲?がダイナミックに描かれた絵画のあるオフィスにいるのは、恐らく政治家か会社の重役クラスの重鎮に間違いないだろう。
そんな金持ちそうな男が、渋面で電話を受けているということは、きっと何か重大な問題が起きているに違いない。
会社の金を横領していた事実がバレた?
パパラッチにスキャンダルを握られた?
何にせよ、この男に一大事が起こっているように見える。

賑やかだった店内は閑散としている。
仕事帰りに軽く飲み、同僚と上司の悪口を言い合い、ウサを晴らす。
これで明日はまたリセットされた1日の始まり。
ところが中にはリセットできない人もいる。
もしかしたら愚痴を言い合う相手もいないのかもしれない。
帰っても迎えてくれる家族がいないのかもしれない。
閉店まで1人で店にいる男には強い寂寥感が漂っているように見える。

何事かを考えながら窓から身を出し、通りを眺める男。
後ろにいる女はスリップ姿なので、直前までベッドにいたようだ。
今日で終わりにしよう、と言うつもりなのになかなか言い出せない。
女も2人の関係が終焉に近付いていることは薄々気付いていた。
沢田研二の「時の過ぎゆくままに」を彷彿とさせる情景に見えてしまう。(古い!)

エドワード・ホッパーの作品に1番近いのはこれかな。
夜のレストラン。
映画の中ではもっと暗い時間だったのに、加工していたら明るくなってしまった。(笑)
レストランの中にいる人を外から見ると、自分だけが孤独に感じてしまう。
この経験をしたことがある人、多いんじゃないだろうか。
写真家アッジェが撮った写真や、ユトリロの絵画のように見える。

SNAKEPIPEが想像した勝手な物語は映画とは関係ないので注意!(笑)
絵だけを見て、色んなお話作ってみるのも楽しいかもしれないね。

ロイ・アンダーソン監督の「さよなら、人類」は「散歩する惑星」(原題:Sånger från andra våningen 2000年)、「愛おしき隣人」(原題:Du levande 2007年)と合わせて3部作になっているらしい。
SNAKEPIPEが鑑賞したアンダーソン監督の作品は、「さよなら、人類」が初めてだったけれど、他の2作品も同じように「絵作り」されているのだろうか。
また機会があったら確認してみたいと思う。

時に忘れられた人々【22】同名異曲編

【今回の主役はこの方々。相変わらず意味不明の人選だな】

ROCKHURRAH WROTE:

変更後に一回もブログを書いてなかったので自分で語ってなかったが、5月後半からやっと当ブログのリニューアルが出来て、何とか自分の思ってた形に近くなってきたよ。
たまたまこの期間に訪問してくれた人は目まぐるしくデザインや色、背景などが変わって面食らったはず。今どきは素人でもやらないぶっつけ本番で修正しながらのリニューアルだったのでかなりドキドキしたよ。
見る人が見ればわかる通りロトチェンコもどきに作ってみたんだが、どうだろうか?

さて、今回の企画はひねりも小技もなく「同じタイトルだけど別の曲だよん」というROCKHURRAHにしては珍しいストレートなもの。
色々ひねくれた企画ばかり考えすぎて書けない事が多かったからたまにはこういう路線でやってみるよ。直球なので前置きも能書きもなくさっさと始める事にするか。

クズ、ゴミというようなタイトルがこれほど似合う男たちが他にいようか?
パンク以前のグラム・ロックの頃にアメリカで活躍していた伝説的なバンド、ニューヨーク・ドールズの名曲。
派手なメイクと悪趣味スレスレのオカマのようなファッション、そしてデタラメに粗雑なロックンロールとごつい歌声。全てのマイナス要素が合わさって奇跡的にカッコ良くなるという「最低で最高」の見本が彼らだったな。ありきたりなコメントですまん。
「Trash」は1973年発表、代表曲満載の1stアルバムに収録されてる。
マルチ・ミュージシャンとして有名なトッド・ラングレンによるプロデュースが彼らの持つ荒々しさを台無しにした、などと不評ではあるが、それはライブ活動をメインとするバンドのスタジオ盤には一番ありがちな評価だ。
リアルタイムでライブを見れなかった我々はこれを聴くしかない。

映像はTV出演のものらしく演奏に迫力がないんだけど、デヴィッド・ヨハンセン、アーサー”キラー”ケイン、ジェリー・ノーラン、シルヴェイン・シルヴェイン、そしてジョニー・サンダースという黄金期のメンバーが明瞭に見れるからこれを選んでみた。ジョニー・サンダースの髪型がぺったんこで地味な印象だが他のメンバーは大体いつもこんな感じ。ヨハンセンのスケスケ衣装も道化師のようなシルヴェインも、アーサー・ケインのはみ出した肉もすごい。
全てがToo Muchにデフォルメされていて、上品で健全なロック・ファンには受け入れられないだろうが、後のパンクに与えた影響は計り知れないバンドだったなあ。

それと同名のタイトルなのがこれ、ロキシー・ミュージックが1978年に再結成した時のアルバム「マニフェスト」に収録されている。
ロキシー・ミュージックと言えば「ダンディ」とか「ソフィスティケートされた大人のロック」とか、そういうイメージで語られる事が多いがそれは70年代後半になってからの話。初期の頃はかなりヘンなバンドだった。
ちょうどグラム・ロック全盛の頃にデビューした時はギンギンの派手な衣装と髪型でカッコイイと言うよりは色物バンドみたいだった。
上に書いたニューヨーク・ドールズがロックンロールを極端にデフォルメしたような音楽だとすればロキシー・ミュージックのはプログレッシブ・ロックのデフォルメ化とでも言うのか。的外れかも知れないがROCKHURRAHはそんな印象を持っていたよ。
まあとにかくロキシー・ミュージックは今までに味わったことのないようなユニークな音楽性を持っていて、たちまち有名バンドになってしまった。

強烈な個性の要だったのはこもった声と粘着質な歌い方でロック・ヴォーカルの概念を根本から変えたブライアン・フェリー。そして孔雀のような派手な衣装と不気味な髪型で異彩を放っていたインテリ、ブライアン・イーノ。サックスを時に美的、時にノイズ楽器にまでしてしまうアンディ・マッケイ。この三人の出たがり男が中心となってユニークな音楽が形成された。
が、イーノが脱退してからは元キング・クリムゾンのジョン・ウェットンや元カーヴド・エアのエディ・ジョブソンなど凄腕ミュージシャンのバックアップもあり、ヨーロッパ的美学(何じゃそりゃ?)を極めた洗練されたスタイルを完成させる。

この曲はそういった全盛期が過ぎ去った後の時代の作品だ。
彼らが活動してなかった時期に登場したロンドン・パンクとニュー・ウェイブ。
これらの音楽は従来のロックを根本から覆すだけのインパクトがあったのは確かだった。
見て見ぬフリをして今まで通りの音楽作りをした古いバンドも多かったが、デヴィッド・ボウイーやロキシー・ミュージック、ビー・バップ・デラックスなど元から斬新な事をしていたバンドにとっては脅威だったに違いない。ん?そんなことない?
我関せず、という独自の音楽を展開していても何らかの変化はあったのじゃないか?とROCKHURRAHは勝手に想像するよ。
「Trash」はそういうパンクな若い世代の「薄っぺらさ」をおちょくったような内容の歌だったはず。ツッパったりイキガッたりしても所詮は17歳というような感じかな?
全ロキシー・ミュージックの曲の中で最も軽くインスタントな雰囲気に満ち溢れてて、プロモーション・ビデオもどうでもいいようなクオリティ。しかもやけにノリノリなのがウソっぽいな。もしこの一曲だけでロキシー・ミュージックを評価されたら自分たちこそトラッシュ扱いされてしまう危険性をはらんだ曲だと言える。

「野心、野望」というような意味のタイトルがこの曲。
大昔は下北沢、高円寺、阿佐ヶ谷に三店舗を構えた中古ゲーム屋の取締役だったという意外な過去を持つROCKHURRAHだが、ゲームの世界で燦然と輝くビッグ・タイトルだったのが光栄というメーカーの「信長の野望」「三國志」などのシミュレーション・ゲームのシリーズだった。
流行り廃れがあまりなく、金を持った大人が好むソフトなので割と高価でもコンスタントに売れるというメリットがあり、結構儲けさせて頂いたよ、という同時代の同業者だった人もいるだろう。関係ないが子会社のエルゴソフトはMac用の日本語入力システム(Windowsで言うところのATOKみたいなもの)を販売していて、この当時のMac派はデフォルトの「ことえり」の出来が悪いこともあって、みんなお世話になっていたな。
その大ヒットした「信長の野望」は海外版では「Nobunaga’s Ambition」と呼ばれていたのをふと思い出しただけで何行にも渡って関係ない思い出を語ってしまったよ。

ヴィック・ゴダード&サブウェイ・セクトはロンドン・パンクの時代に活動していたバンドだ。初期はクラッシュと同じマネージャーだった事からクラッシュのツアーで前座として同行、必然的に注目を浴びる存在となった。
日本ではほとんど知られてなかったが「Original Punk Rock Movie」という当時のパンク・ロッカーなら誰でも見てるビデオがあって、そこに数曲登場してたので、多少知られるようになった。が、シングルは割と入手困難だった事を覚えている。

彼らの音楽は当時のパンク・ロックの中では異端と言うべきスタイルで、歌も演奏も割とヘロヘロ、ステージ衣装なども特になくてただのセーター着てたりする。しかも曲と曲の間に一言も喋らなかったり、人前で何かをする資格がないと言われそうなバンドだった。
アンダートーンズとかもそうだったが、ロック的なカッコ良さとは無縁の地味さだったなあ。
アルバムもリアルタイムではリリースされなかったし、後にラフ・トレードから「回顧録」などというタイトルでシングル・コンピレーションが出ただけ。
これで消えてしまうかのようなタイプの音楽だったが、1980年にちゃんとリリースしたアルバムではパンク要素もほとんどなく、ノーザン・ソウルに傾倒した珠玉の音楽を作り上げ、さらにその後にはなぜか突然全編フェイク・ジャズというビックリな転身を図る。
かなりの偏屈な変人という噂だが確かに一筋縄ではいかない音楽遍歴を持っているな。ミュージシャン受けも良く元オレンジ・ジュースのエドウィン・コリンズや小山田圭吾も彼の大ファンだったという話も聞いたことがある。
パステルズなどのアノラック系ギター・ポップの元祖とも言えなくはないし、パンクの時代には地味扱いされてた音楽も他の時代には評価されまくってるというわけだ。

「Ambition」はオルタナティブ・チャートの1位を取った曲で彼らのパンク時代の代表曲。動いてる映像がないんでアレだが、たぶんライブ映像でもほとんど動いてないし面白くなさそうな顔して歌ってるだけ。初めて聴いた時は不安定な歌声に不安になったが先の展開が読めない曲調とちゃんとカタルシスのあるサビでファンになったよ。何とも言えない魅力があるんだよね。ジーザス&メリーチェインもこの曲のカヴァーをやってたな。それにしても野望というタイトルには全く似つかわしくないバンドだなあ。

後にティアドロップ・エクスプローズのメンバーとして知られるようになるデヴィッド・バルフとアラン・ギルがパンクの時代からやっていたのがデレク・アイ・ラブ・ユーという変わった名前のバンド(ユニット?)だ。1980年代以降の音源しか残ってないのでどんな事をやっていたか不明だが、デヴィッド・バルフはリヴァプールの音楽界で非常に著名な人物、いたるところでその名前が出てくるな。
最も有名なのは伝説的パンク・バンドだったビッグ・イン・ジャパンのメンバーだった事だ。ビル・ドラモンド、イアン・ブロウディ、ジェーン・ケーシー、ホリー・ジョンソン、バッジー、そしてデヴィッド・バルフなどが在籍していた。
名前を知らない人が読んでも「?」だろうがメンバーのほとんどが後の80年代には有名人になるから伝説的と言われていたわけだ。
いちいち書くとものすごく長くなってしまうから昔に書いたこの記事を参照して頂きたいが、何とこの記事にも別のリンク参照してくれと書いてるな。昔から割といいかげんなROCKHURRAHだった事がよくわかる。
こういう伝説的バンドだったんだが、中でもバルフはティアドロップ・エクスプローズやリヴァプールの数多くのバンドをリリースしていた中心的レーベル、Zooレコーズをビル・ドラモンドと共に立ち上げて、カメレオンズというプロデュース・チームもやっていたヒットメーカーだった。
その後にはブラーやシャンプー、ジーザス・ジョーンズなどを抱えるFoodレーベルのオーナーとして君臨していた。ミュージシャンとして稼いだリヴァプールの著名人はたくさんいるが、レーベル・オーナーとしてここまでビッグになった人はあまりいないのじゃなかろうか?

さて、デヴィッド・バルフから1000ポンド貰いたいくらいに宣伝してしまったが彼がデレク・アイ・ラブ・ユーに関わっていたのは初期だけで、その後はアラン・ギルの方が主導で地元のミュージシャンと共に細々とやっていたという印象。
一緒にやっていたメンバーの中には後にオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークで大成する二人も関わっていたり、細々の割には比較的豪華。
時代によって聴いた印象も随分違うが、初期の頃はチープでか細いエレクトロニクスを多用するようなバンドだったが中心のアラン・ギルがギタリストなのでいわゆるエレポップと初期ニュー・ウェイブとの折衷のような音楽だった。

ところが(やっと本題に入ったが)1983年に出たこの「Ambition」で突然にメジャー志向のダンサブルなエレクトロニクスに大変身。あまりいないとは思えるが従来からのファンをビックリさせるような加齢で、じゃなく華麗で派手な音楽を見事に完成させた。
ヒプノシス(レコード・ジャケット・ワークを手掛ける有名なアーティスト集団)によるジャケットも明らかにメジャー志向。
ティアドロップ・エクスプローズの時はいなくてもいいとまで思われていた(あくまでROCKHURRAHの個人的感想だが)アラン・ギルに一体何が起こったのかは不明だが、これはまさにタイトル通り「野望」を感じる80年代的ダンス・チューンの決定版。
大音量でかけると聴いてるのが恥ずかしくなるくらいにキメキメの予定調和に満ち溢れた曲だが、本気出せば地味なバンドでもこれくらいは出来るもんだな、と感心したよ。が、そんな大きな野望を秘めた曲だったが、たぶん全然ヒットもしなかったように記憶する。このビデオも全然プロモーションビデオじゃない雰囲気だしなあ。

ひとつひとつを軽く流せばもっと数多くの同名異曲を紹介出来たはずだが、思ったより細かく書いてしまったな。まだネタはあるからこれからまたパート2とかやりそうな予感だよ。

ではまた来週、Tot ziens(オランダ語で「さよなら」の意味)。

収集狂時代 第5巻 高額ソファ編#01

【ソファに座る人物といえば、やっぱりベーコンさんだね!】

SNAKEPIPE WROTE:

気付くと6月も今週で終わり、2016年も既に半分終了することになるんだねえ。
時の経つのは速いなあ!
それにしてもジメジメして蒸し暑い。
恐らく睡眠が浅いせいだろう、朝起きるのが辛いよね。
あー、せめて休日はお昼寝してのんびりしたいなあ!
映画観た後で少し横になっていたら、いつの間にか眠っちゃった、というのが理想的。(笑)
一眠りするのに丁度良いソファ、ないかな?

今回の「収集狂時代」は世界で最もお値段が高いソファを特集してみよう。
SNAKEPIPEが購入可能かどうかは別として、ね!(笑)

第5位はアストンマーチンの1965年モデルAston Martin DB6のデザインを使用したこちらのソファ!
アストンマーチンといえば、即座に連想するのが007シリーズでジェームズ・ボンドが乗っている車種ということ。
1965年だと丁度時代的に近いのかなと思って調べてみたけれど、どうやら「ボンド・カー」として使用されていたのはDB5だったみたい。
007のファンには残念だったかもしれないけど、世界にはカーマニアの方、大勢いるからね。
そのような愛好家がよだれをたらすような逸品に違いないよね!

このソファに座ってカーアクション全開の映画を鑑賞なんて、気分が盛り上がるよねー!
やっぱりボンド・カーみたいに、何か仕掛けを考えたくなるよね。
撒菱撒く装備とか、ミサイル発射ボタンとか?(笑)

気になるお値段は$7,300、日本円にして745,000円程。
現在、イギリスがEU離脱により円が高くなっているからね。
購入を決めるなら今だよ!
ただし幅が狭そうなので、まずはダイエット、という人もいるかも?(笑)

続いて第4位。
1978年に制作された、世界的に有名なデザイナーであるイームズのソファである。
足の部分はアルミニウム製、クッションはウレタン製、そして上にレザーを使用した、非常にシンプルなデザインだよね。
このソファが病院の待合室に置いてあったとしても、何の不思議もないくらいじゃない?
えっ、SNAKEPIPEに見る目がないせい?(笑)

いや、絶対に実物目の前にすれば、気になるはずだよ。
イームズソファだもんね!
気になるお値段は$9,800、日本円で約100万円也!
世界的に有名なデザイナーのソファで100万円とは、お手頃過ぎて驚いちゃうよね?
しかも世界の高いソファにしては、安い気がするなあ。
何かランキング間違ってない?(笑)

次は第3位のご紹介!
フランスのPlume Blancheがデザインしたソファね。
あんまり画像がなくて、どんな形状になっているのか、この角度からだけだと分からないんだよね。
Plume BlancheのHPも発見できなかったし。
ちょっと大きめの椅子、といった感じなのかも?
ちょっとSFっぽい流線型のシンプルなデザインがお洒落だよね。
このソファの最大の特徴はダイヤモンドが埋め込まれていること!

ダイヤは上の画像に4箇所見える、あの場所に埋まっているのかしら?
縫い目が交差してるところ、 ちょっとポチッとしてない?
でももしあの場所だとしたら、お尻と背中に当たりそうだよね。
ツボ押し効果が期待できるのかも?(笑)

0.5カラットのダイヤ付きのソファのお値段、なんと$184,000!
日本円で約1880万円!
ここでやっと「世界ランキング」らしいお値段になってきたね。
ちょっと気になったので0.5カラットのダイヤ1粒のお値段を検索してみると、大体30万円以下で購入可能みたいね。
30万円だとして、それが4つの場合には120万円。
2000万円近いソファにはオマケみたいなものだね。
このソファは50台限定の商品とのこと。
買った方にツボに効くのかどうかを聞いてみたいよね!(笑)

いよいよ大詰めが近付いてきたよ!
フランスの自動車メーカー、プジョーのソファがランクイン。
車のメーカーが家具を扱うことってあると思うけど、このソファは常識を覆す、まるでアート作品のような出来栄え!

Onyx Sofaという名前のこのソファについては、リンク先に詳しい情報が載ってるので参照してみてね。
デザイナーであるPierre Gimberguesはヴォルヴィック火山の溶岩石を切り出し、カーボンファイバーと組み合わせて3mの長さに仕上げているんだよね。
メタリックな素材が大好きなSNAKEPIPEには、たまらない逸品!
なんともいえない重厚感、そして今まで観たことがない個性的なデザインも素晴らしいよね!
恐らく溶岩石の切り出し方によって、一点ずつデザインも変化しそうだよね。
まさに一点もの、という感じかな?
気になるお値段は$185,000、第2位と僅差の$1,000違い!
日本円で約1890円だね。
オブジェとしても良さそうだけど、座り心地はどうだろう?
おしり痛くならないかな?(笑)

ついに第1位の発表だよ!
イスラエル出身の工業デザイナー、ロン・アラッドによってデザインされたStainless Steel Sofaの圧倒的な存在感!
うっひゃー!
シルバー色でピカピカ光る物が大好きなSNAKEPIPEにとっては垂涎の的だよ。(笑)
どうやらお買い上げになったのはニューヨーク近代美術館、通称MoMA!
やっぱりこのソファは実用性を求めるというよりは、アート作品ってことになるのかな?
気になるお値段は$300,000、日本円で約3000万円ね。
現代アートの作品として考えると、そこまで高額ではない気がするね?
ロン・アラッドのHPには手がけた作品がたくさん載っていて、どれを見てもスタイリッシュでカッコ良いんだよね!

「収集狂時代 第3巻」では椅子の世界ランキングについて書いている。
その時の1位は33億円だったんだよね。
ソファの1位は3000万円。
この差は一体なんだろうね?

世界ランキングとして検索しているけれど、その中でもSNAKEPIPEの琴線に触れた逸品を紹介してみたよ!
画像を見ているだけでもワクワクして、眠気が覚めてしまった。
これで当分ソファは買わないで済みそうだね。(笑)

好き好きアーツ!#41 鳥飼否宇 part15–昆虫探偵–

【アンドレ・マッソン、1942年のリトグラフ。】

SNAKEPIPE WROTE:

小学生だった頃、木登りが大好きだった。
木の表面を這う虫や、葉から葉へ飛ぶ虫なんてへっちゃら。
どちらかと言えば、同じ木に集う仲間のような感覚を持っていた。
お気に入りの木を秘密基地にして、放課後を過ごすことが多かった。
ある時、作文に秘密基地について書き、クラス全員の前で発表することがあった。
文章が上手かったせいか(?)、SNAKEPIPEの秘密基地はクラスの男子の好奇心を煽ってしまったようだ。

「秘密基地の場所、分かったから!」

数日後、男子から突然言われる。
放課後になり、気もそぞろに基地に向かう。
木の上に隠していた小さいノートが地面に落ちている。
男子の言葉は嘘じゃなかったようだ。
秘密基地が発見され、荒らされたのだ。
怒り?
悲しみ?
敗北感?
なんとも表現できないような複雑な感情。
頭が真っ白になっていた。
目の前のノートから視線を外せないまま、立ち尽くすしかなかった。

その日以来木登りをやめてしまったのである。
あれほど仲間意識を持っていた昆虫のことも嫌いになってしまったのは、その経験からではないか、と分析しているSNAKEPIPE。
ううっ、今思い出しても苦い味が広がるなあ…。

今回の「トリカイズム宣言」は大ファンである本格ミステリ大賞受賞作家・鳥飼否宇先生2002年の作品、「昆虫探偵―シロコパκ氏の華麗なる推理」についての特集!
長過ぎる前振りでお分かり頂いたように(笑)、現在では昆虫が苦手になってしまったSNAKEPIPE。
そんな人でも、鳥飼先生の「昆虫探偵」を読めるのだろうか?
答えはイエス!
「昆虫探偵」では昆虫が擬人化されて登場するので、あんまり虫々した虫(変な表現だけど)になってないんだよね。(笑)
「昆虫探偵」は前口上、後口上、そして7つの話で構成される連作短編で、それぞれの短編のタイトルがミステリー小説のパロディになっている点も注目。
今回は元ネタ小説のカバーを使って、短編ごとに書いていこうかな!

2008年の記事「不条理でシュールな夏」でも少し触れたことがあるカフカの「変身」。
SNAKEPIPEの人格形成に必要だった小説、と書いているね。
ちなみに昔、家に住み着いていたクモに「ザムザ」と命名していたこともあったっけ。(笑)

「昆虫探偵」は、パッとしない人間だった葉古小吉が「変身」してヤマトゴキブリになったところから話が始まるんだよね。
ぎゃー!Gはちょっと…。
できるだけ遭遇したくない相手!
現実ではそうだけど、「昆虫探偵」の中ではユーモラスな存在なんだよね!
葉古小吉は昆虫界ではペリプラ葉古という名前になっていた。
どうやら学術名から取られたようだけど、検索するのが怖いのでやめておこう。
画像も一緒に出てくるからね。(笑)
ペリプラ葉古は人間だった頃、昆虫とミステリー小説が大好きだった、という設定から熊ん蜂探偵事務所の助手になるのである。
事務所の所長はクマバチのシロコパκ(カッパ)という名探偵!
この2匹(ふたり)に加え、口の悪い雌刑事(おんなでか)・クロオオアリのカンポノタスが難事件に挑む物語なのである。

第一話 蝶々殺蛾事件

横溝正史先生の「蝶々殺人事件」をもじったタイトルが付いているけれど、「人」の部分が「蛾」になっているところがポイント!
「昆虫探偵」の中では「匹」や「虫」などを「人」や「者」としてルビがふられている。
この細かい部分のこだわりに気付くと、より一層楽しめるんだよね!
単なる設定としてのみ、擬人化されているわけではないことが分かるし。

実はSNAKEPIPE、「蝶々殺人事件」未読なんだよね。
「えっ、読んでなかった?」
とROCKHURRAHにも言われてしまった。
読まないとね!(笑)

文中に出てくる「羊たちの沈黙」は「あの手の映画」の先駆け的存在であり、SNAKEPIPEの映画ベスト10には絶対入るフェイバリット!
ドクロメンガタスズメについての解釈は、なるほどねえと感心して読む。
SNAKEPIPEは、髑髏柄が絵になるから採用したんだろう、と単純に考えていたからね。(笑)

第一話である「蝶々殺蛾事件」はムクゲコノハという蛾がオオムラサキという蝶によって殺されたのでは?という事件を解決する話である。
美しい蝶であるオオムラサキの名前がササキアokm(オカマ)というオスだったり、ムクゲコノハはL・ジュノbgn(ビジン)だったり、ネーミングセンスも抜群!(笑)
これらも学術名を元に考えられてるみたいだけど、なかなか気が利いてるよね。

事件はその生物の特徴を知っていないと解けないんだよね。
そういう意味では恐らく生物学者や昆虫に詳しい人じゃない限り、謎解きできないんじゃないかな?
前代未聞のミステリー小説だよね。(笑)

第二話 哲学虫の密室

笠井潔氏の「哲学者の密室」のタイトルをもじっているとのこと。
この小説も非常に面白そう!
そして気になるのが、カバーに使用されている絵。
ヒエロニムス・ボッシュみたいだけど、ちゃんと確認できなかったよ。(笑)
「者」が「虫」になった第二話に登場するのは、ダイコクコガネ。
地中に作った育児室から子供が失踪した、という事件である。
地中の、糞球の中から、母親を見張りをくぐり抜けるという3重の密室における失踪という難題!
これもまた生物ならではの特徴が生かされた謎の解明になっている。
第二話のネーミングも最高で、4578でロクデナシ、11041でイトオシイ、0931でオオクサイ!(笑)

謎解きもさることながら、SNAKEPIPEが一番気になったのは子育てする昆虫がいるという点。
羽化するまで見守るなんて!
自然界の生存競争って本当に過酷で、その中を生き抜いて種の保存を一番に考えていくってすごいことだよね。
3cm足らずの昆虫にも知恵があって、それがDNAで継承されているという事実には驚かされる。

第三話 昼のセミ

北村薫氏の「夜の」のパロディだという。
氏の作品は何冊か読んだことがあるけれど、この作品は未読!
読みたいリストがどんどん増えるね。(笑)

第三話では行き倒れの外国虫、ティティウスシロカブトが登場する。
昔大好きだったゲーム「どうぶつの森」で、夜中にしか現れないヘラクレスオオカブトを採るのに苦労したことを思い出すね。
2006年に「最近はまっていること2」として画像載せてたね。(笑)
ひゃー!10年前だよ、こわいこわい。

外国虫であるティティウスシロカブト、TIT(タイタン)からアメリカのジュウシチネンゼミが全く鳴かないという話を聞き、調査に出るにしたシロコパκとペリプラ葉古。
外国虫の会話の時にはちゃんと「オーイエース」などと英語交じりの日本語になっているところが面白い。(笑)

第三話の謎は、かなり深刻な問題提起だよね。
この小説が書かれた2002年は今から14年前だけど、その時点でこのような現象が報告されているとしたら、現在はもっと危ないかもしれないね?
鳥飼先生の小説には、警鐘を鳴らし危機感を持つことを教えてくれる話があるのも魅力の一つだと思う。

蝉は土の中での生活が長くて、地上に出てからは短命とは聞いていたけれど、ジュウシチネンゼミは16年もの間土の中にいるとは驚き!
そういう種類の蝉がいることすら知らなかったからね。
虫生(じんせい)いろいろだねえ。(笑)

第四話 吸血の池
二階堂黎人氏の「吸血の家」を一文字変えたパロディね。
吸血と聞いて一番最初に浮かぶのは蚊かな。
ぶうぅぅぅーんと耳元で聞いたあの独特の音だけど、最近あまり聞かないんだよね。
えっ、加齢で音が聞こえなくなる?
そのせいなのかなあ?(笑)

第四話はその蚊が主役ではない。
フチトリゲンゴロウが体液を吸われた状態で殺されているのが発見された、という事件を見ていたG・パル*(アスタ) というアメンボが話を進行させる。
聞いているのは、すでにお馴染みになった熊ん蜂探偵事務所の2匹である。

思いもよらない肉食の方法を持つ昆虫がいる、ということが書かれていて恐ろしくなってしまう。
オタマジャクシや小魚を昆虫が食べるとは!
水面に浮かんだ昆虫を魚が食べるのは知っていたけど、逆もあるんだね。
そういえば蟻の大群が牛を飲み込むように覆い尽くし、あっという間に骨にしてしまう映像観たことあったっけ。
昆虫も怖いなあ。
体外消化、なんて初めて聞く言葉だったよ。
なるほどそれで吸血の池、なのね。(笑)

第四話の中で面白かったのは「手のひらを太陽に」についての解釈。
アメンボだって生きているという歌詞は失礼だ、とG・パル*が怒るのである。
ケラに「お」が付いている点にも言及されていて、確かにそうだと納得する。
今まで(というか子供の頃)は、意味を考えずに歌わされていたので、全然気付いてなかったことなんだよね!
3文字にしたいなら「おケラ」じゃなくても、いるだろうに。(笑)
そして飴のように甘い匂いがするからアメンボだったことも知らなかったよ!

第五話 生けるアカハネの死

山口雅也氏の「生ける屍の死」の「屍」が「アカハネ」になっているね。(笑)

アカハネは地名の赤羽じゃなくて(笑)、アカハネムシで、有毒のベニボタルに擬態している甲虫だという。

そのアカハネムシ、名前をシュードピロ・2356(シガナイ)から依頼を受ける熊ん蜂探偵事務所。
依頼内容は擬態の効果なく、仲間が殺(や)られている、というものだった。

捕食者が行う擬態と被食者の擬態についての説明は非常に興味深かった。
狩る側と食われる側、それぞれ知恵比べしてるってことね。

環境に適したように進化させたり、例えば体毛の色を変化させたりして生存競争に勝っていこうとする生物を知ると、
「何故人間にはその能力がないのか?」
といつも考えてしまうSNAKEPIPE。
退化してしまったのか、元々持っていない能力なのか。
生き物としての弱さを痛感するなあ。

第六話 ジョロウグモの拘

京極夏彦氏の「絡新婦の理」からのパロディだね。
2008年に「鵼の碑も蜂の頭もないよ」という京極夏彦氏の「妖怪シリーズ」に関する覚書を書いているSNAKEPIPE。

「んな、ばかな!」というラスト近くは息をつかせぬ激しい展開。
最後まで読んだらまた最初に戻らないといけない小説その2。

と書いていたね。
ちなみに「最初に戻らなきゃいけない小説その1」は「鉄鼠の檻」としているね。
いつ出るか、と待っていた京極夏彦の新作予定の「鵼の碑」は、一体どうなってしまったのか。
待っていたことすら忘れていたよ。

自分で書いた覚書を読んで、今までの「妖怪シリーズ」を思い出したけど、かなり記憶が薄れてきてるなあ。(笑)
以前だったら「あの分厚い本」を持ち歩くのは大変だったけど、今なら電子書籍で読めるからね!
そういう意味では便利な世の中になったもんじゃわい。(笑)

子供の頃に祖母の住んでいた田舎で大きな蜘蛛を見た記憶がある。
子供の目には天井一面が蜘蛛の巣に見えるくらいの巨大さ。
あれは何という種類の蜘蛛だったんだろう。
祖母宅の縁側の下にあった蟻地獄で遊んだのは、楽しかったなあ!
昆虫嫌いになる前の話だね。(笑)

第六話で最初に登場するのはジョロウグモ。
張ったクモの糸が、いつの間にか切られる事件が発生したという。
ああ、蜘蛛の糸!
好き好きアーツ!#08 鳥飼否宇 part2–太陽と戦慄/爆発的–」でも少し触れたっけ。
芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」の中では、糸を切るのはお釈迦様だったけれど、第六話には別の犯虫(はんにん)がいるんだよね。

この話もその種ならではの理論(というのか)があるんだよね。
ジョロウグモの名前の由来も初めて知ったよ。
勉強になるよね!(笑)

第七話 ハチの悲劇

法月綸太郎氏の「一の悲劇」の「一」が「ハチ」になってるよ。(笑)

第七話の主人公は熊ん蜂探偵事務所の探偵であるシロコパκなんだよね。
「昆虫探偵」の最終章は、驚くような内容になっていた。
まさかそんなことになるとはね。(笑)

そして後口上で、更にびっくり仰天させられてしまうのだ!
たまに四足で駆けている夢を見るSNAKEPIPEにとっては他人事じゃない気がするね。
読み終わって、シロコパκやペリプラ葉古に会えないのを残念に思う。
いつの間にか親しみを感じていたみたいだね。

「昆虫探偵」は昆虫の世界における事件を、その昆虫の特徴に基づいて謎解きする非常に珍しいミステリー小説なんだな、と再認識する。
登場するのが全て昆虫だもんね!
その中に光るネーミングセンスやギャグ、それぞれの昆虫の生き生きとした存在感、そしてタイトルまでパロディにしているところも含め、鳥飼先生にしか書くことができない独創的な小説だと思う。
「昆虫探偵」の続編、読みたいなあ!
もっと昆虫のことを知りたいと思ってしまうね。
あれ?昆虫、苦手じゃなかったっけ?(笑)