80年代世界一周 伯刺西爾編

【頑張れ伯刺西爾、負けるな伯刺西爾】

ROCKHURRAH WROTE:

暦の上ではやっと秋になったけど、まだまだイヤな暑さが続くね。
毎年暑さが激烈になってきてる気がするのはROCKHURRAHだけなのかな?
今まで暑くても食欲が落ちたりする事がなかったけど、今年はとにかくまず水分、ほとんど夏バテと言える状態が続いた。

ちなみに年齢と共に頭髪が柔らかく細くなったROCKHURRAHだがヒゲは相変わらず硬く、しかもあらゆる方向に伸びてるので整えてもあまりきれいにならないという厄介な顔つき。このためマスクをしてると繊維を突き破って少し出てきたりでみっともないし、汗をかくと口の周りが人一倍湿気に覆われて、大いに不快となる。
好んでマスクをつけてるとしか思えないような人もいるだろうが、こんなものつけたまま夏の屋外に出るとは苦痛極まりない。

どうでもいい前置きは短く切り上げて本題に入ろう。
今週は久々に書くシリーズ「80年代世界一周」にしてみよう。

洋楽と言えばイギリスやアメリカの音楽が真っ先に入ってくる日本だけど、それ以外のあまり紹介されないような国に焦点を当ててみようというのが趣旨の企画ね。
そしてROCKHURRAH RECORDSの最大の特徴と言えば1970年代~80年代のパンクやニュー・ウェイブばかりを執拗に語るという時代錯誤も甚だしい音楽ネタばかり。
現代の世界中の音楽はどこにいても配信出来るし知る事は出来る。
しかし、ネットもコンピューターも未発達の80年代バンドについては情報も少なくて探すのも大変だけど、少しでもその国の音楽事情がわかればという興味があって始めた企画だ。
そこまではナイスなアイデアだったんだけど・・・・。
20代の頃に世界を放浪してたような実績もまるでないROCKHURRAHが書いてるわけで、信憑性も全くないし、ウソをまことのように伝える筆力もないしで、何だかとても中途半端な記事になるのがやる前からわかってるというシロモノ。

さて、今週はどこの国に焦点を当てようか迷ったんだが、意外な事に比較的動画が多かったここに決めたよ。

タイトルにもある通り、今週は伯刺西爾編にしてみよう。
個人的に今はじめて使った漢字を含む四文字だが、これでブラジルと読むらしい。
誰もが知ってるかどうか不明だが、日本とは昔からとっても仲良しの国であり、南米の中では最も馴染みの深い国だと思う。
サンバにボサノヴァなど有名な南米音楽のメッカでもあるけど、ROCKHURRAHが言うようなパンクやニュー・ウェイブに結びつくようなものが果たして見つかるのか?

ではそろそろ始めるか。

ブラジルはおろか海外渡航歴がほとんどないROCKHURRAHだから、思い入れも思い出も全くない状態でこれから書き進めなきゃいけない。
知りもしない国についてのそんな特集をハナからやらなければいいと思う人もいるだろうが、そういう事を気にしてたらウチのブログは一歩も前に進まないに違いないよ。
だからこれからは無知と偏見に満ち溢れた内容になるだろう(断言)。

ブラジルと聞いて人がイメージするものは色々だろうが、ROCKHURRAHの場合は小学生くらいの時にはじめてこの国を認識した。

本を読んでるような印象が全く無かった父親だったが、なぜか本棚に極真空手の始祖、大山倍達の自伝やアントニオ猪木の自伝などがあって、父親が不在の時に読んだものだった。
とても厳しくて怖い存在の父親であまり親子交流の思い出もないけれど、プロレスが大好きで全日本、新日本、国際プロレスなどの試合はTVでよく観てたのを思い出す。アントニオ猪木の本はそれで持ってたんだろうな。
ROCKHURRAHが子供の頃はプロレスや空手、柔道、ボクシングなどの格闘技漫画が大流行していて、いわゆるスポ根漫画全盛期。個人的にもその時代の大半の作品は読んでるはず。
だから実在のレスラーの嘘か誠かわからないような逸話も漫画で知ったようなものだった。
大型バスを歯で引っ張ったとかそういう類いの話ね。
梶原一騎原作のものはかなり話に尾ひれをつける大げさなものが多かったから、いくら子供でもあまり信憑性があるとは思わなかったけどね。
個人的にはジャイアント馬場の「こんなので本当にKO出来るのかよ」とツッコみたくなるウソっぽい必殺技が好きで、全日本プロレス派だったROCKHURRAH。北九州に興行に来た時には会場にも行き、ブッチャーにタッチしようとして出来なくて、レフェリーのジョー樋口をわずかに触る事が出来ただけ。そう言えば黒い魔神ボボ・ブラジルなんてのもいたなあ。ブラジル人じゃなかったけど。
猪木や新日本プロレスにはそこまでシンパシーを感じてなかったんだが、自伝を読むとさすが、一代であそこまで登りつめるだけの事はあると感心したものだ。

ブラジルと言えばコーヒー、その広大なコーヒー園の労働力としてアフリカの奴隷が使われていたわけだが、それが奴隷制度廃止により、労働力を各国からの移民に求めるようになる。これが19世紀の終わり頃の話ね。
日本からも大量の移民がブラジルに移り住んで日系人が誕生するわけだが、猪木もその(第何次だかわからない)移民のうちの一家族だったという話。アントニオなどとついてるが日系人ではない、なんてのはみんな知ってるよね。
その猪木は少年時代から重いコーヒー豆の袋を担がされる労働に従事して、あの体格と筋肉を形成したわけだ。
強くなったのは偶然ではなくちゃんとした理由があるんだね。

などというどうでもいい回想は言うまでもなくこれから書く事には全くの無関係で伏線も何もない。省略したら大して書く事がなくなる場合にROCKHURRAHがよく使う手法だね。

さて、最初に登場するのはブラジルの本格的パンク・バンド、Os Replicantesだ。
南米で唯一、ポルトガル語を公用語とするブラジルではO(男性)やA(女性)などの定冠詞をつける場合があり、Osというのはその複数形だね。男性形だからオス、ではなくてオーエスと読むらしい。Replicantesは読んでの通り「ブレードランナー」に出てきたレプリカントの事ね。

軍事政権が長く続いたブラジルでは1970年代の一番大事な時代に、ロック的な土壌があまり大っぴらに発達する事が出来なかったという歴史がある。「80年代世界一周」で前に書いたポーランドとかと同じようなもんだね。
別にロックが禁止されてたわけじゃないみたいだが、反体制的なものが弾圧されるのはどこの国でも一緒。
ロックではどうしてもそういう表現が多くなるのは当たり前だから、こういう不遇の時代を乗り越えてみんなやってきたわけだ。
だからと言って検閲されそうにないような、花や緑や何のほころびもない青春などをテーマに歌っても若者の共感を得られるはずはないからなあ。
「おお牧場はみどり」などはコード進行も初期パンクと同じようなテイストだから、そういうカヴァーを考えた輩がいてもおかしくはないが、その歌詞じゃやっぱり人を感動させられないってものだ、ホイ。

そういう背景があって、軍事政権が終わった1985年くらいからやっと本格的にロック、あるいはパンクで自由に表現する事が可能になったというわけだ。他の自由な国に比べるとだいぶ遅れて感じるのはこの辺がポイントだね。

Os Replicantesは1983年に結成してから今でも活動してるらしい古株。
ブラジルでも南部の港町ポルト・アレグレの出身で、この町がどんなもんかは知らないが、訳せば「陽気な港町」の通り、おそらく活気のある威勢のいい若者が多く育ったに違いない。
パンクやロックの発達は遅れたが元からサンバやボサノヴァ、ショーロなどの複雑で独自な音楽はあったブラジルは、当然ながら達者な演奏者が多く、いわゆるストレートなパンクは意外と少ないと個人的には思ったよ。このバンドのような典型的なパンクは逆に新鮮だ。
ビデオもいかにも悪ふざけしたような若気の至りで頭悪そうだが、見た目も音楽も元気なこういうノリはいくつになっても好きだよ。

リオ・デ・ジャネイロやサンパウロといった南米の大都市に比べて忘れがちなのが首都、ブラジリアだろう。
前にSNAKEPIPEが書いた「オスカー・ニーマイヤー展とここはだれの場所?鑑賞」で登場したブラジルを代表する建築家、オスカー・ニーマイヤーとルシオ・コスタがやりたい放題に作った人工的未来都市、こんな企画がまかり通って本当に出来てしまったウソのような首都だと言う。何もなかった土地に翼を広げた鳥のようなかたちの町並みが広がり、未来的なデザインの建物が配置されている世界遺産だ。
やっぱりブラジルというのは国のお偉方だろうが何だろうが、何かを実現する行動力というか熱い情熱に漲ってる民族性なんだろうね。
実際には内陸部で交通が不便だとか他の都市に遠い(リオやサンパウロから車で16時間くらい)とか、生活するには色々不評だとは思うけど、SFっぽい未来的な都市に住みたければブラジリアが一番だね。
ウチの場合は未来都市への憧れがあっても、やっぱり近くにスーパー三軒くらいあって欲しいし、そのうち一軒は角上魚類であって欲しいし、薬屋もサンドラッグかトモズが近くにあって欲しい・・・などなど実生活での変なこだわりがあるからなあ。

そんなブラジリア出身で80年代ブラジルを代表するバンドだったのがLegião Urbanaだ。ポルトガル語を直訳すれば「都市軍団」となって意味不明だが、我がROCKHURRAH RECORDSのBinary Army(現在絶版中、ROCKHURRAH RECORDSのブランド)も二進法軍団だから仲間みたいなもんか。
相変わらずROCKHURRAHには「読めん!」というバンド名だから検索してみたら、レジァオン・ウルバーナと読むらしい。
ブラジルのパンクやニュー・ウェイブについての知識もないから見てきたようには書けないが、この国の最も有名で影響力のあるニュー・ウェイブ・バンドだったようだ。
ヴォーカルが電車男(TV版)、もしくは河野防衛大臣みたいなメガネ男で大人気バンドのフロントマンとは思えないが、これで国民の心をガッチリ掴んだというのが驚き。何とこのヴォーカリスト、ヘナート・フッソの伝記映画まであるという。

これがそのトレイラーだがドキュメンタリーではなく演じてるのは別人の俳優。当たり前か。
90年代に30代半ばで死亡したヘナート・フッソ、ジミヘンやジム・モリソン、イアン・カーティスなどと同じように神格化されているのかな?
トレイラーの中でスティッフ・リトル・フィンガーズの曲に合わせて歌っているシーンがあるが、本当にその通りパンクのなかったブラジルでパンクの啓蒙活動をして人気となったようだ。
その時のバンドがAborto Elétrico(アボルト・エレトリコ=電気妊娠中絶)というパンク・バンドだったが紆余曲折を経て1984年くらいにLegião Urbanaとして再出発する。この当時のブラジルではまだ珍しかったジョイ・ディヴィジョンやU2、スミスなどの影響を受けた音楽だと言われているが、確かに陽気そうなブラジルの中でそういう音楽性というのは滅多になさそうだね。

上の(トレイラーではない方)ビデオ「Que país é esse?」は1987年のヒット曲でジョイ・ディヴィジョンもスミスも感じなかったけど確かにU2には似てる壮大な曲。U2ならこの曲を5分以上の大作にするところを3分以内にまとめたのがさすが。
え?評価する視点がおかしい?

ブラジルに限らずスペイン、ポルトガルや南米のラテン民族は強い女性が多いという印象があるね。
Netflixで大人気のスペイン・ドラマ「ペーパーハウス」でもトーキョー、ナイロビ、ラケル警部、とにかく爽快に強い女性が出てくるし、言葉の語感だけでも大声でハキハキした受け答えが強い意志を持った人に見えてしまう。

サンパウロで1982年に結成されたAs Mercenáriasもまた、強い女性を感じさせるバンドだ。
またまたROCKHURRAHには「読めん!」だが、アス・メルセナリアスと呼ぶそうだ。 
Os Replicantesの時に書いた通り、Aが女性の定冠詞でその複数形だからアスというわけか。Assではないんだな。直訳すれば「傭兵」というバンド名だが、上の都市軍団と同じく、ここでも何かと戦ってるらしいな。

ニュー・ウェイブ世代の女性バンドと言えばスリッツ、レインコーツ、モデッツ、マニアD、マラリア、クリネックスなどが即座に思い出されるが、初期ニュー・ウェイブ時代はどれもやっぱりトンガッた(今どきたぶん言わない表現だな)女という印象が強い。
普通の女の子やかわいい、優しげな女性ヴォーカルがニュー・ウェイブの中で独り立ち出来るのはネオアコやギターポップなど、もう少し後の時代になってからだからね。
アス・メルセナリアスもそういう初期ニュー・ウェイブの女性バンドを踏襲するスタイルだが、「ブラジルのスリッツ」と言われるのがよくわかる音楽性。ただスリッツのほどに広がりはなく、割と単調なビートに引っ掻くようなギターや力強い歌声が絡む、力技でグイグイ押してゆくバンドという印象だ。さすが傭兵。
フリーキーな部分はあってもパンク的な要素の方が強いからROCKHURRAHとしてはスリッツよりむしろ好みだよ。

しかしこれまで出てきたどのバンドも「長く続いた軍事政権」の終焉間近である80年代前半に出てきたもの。
デビューはしたもののレコードをリリース出来ないから、ようやく出せたのが80年代後半になってから、もしくはずっと後になって発掘音源みたいな感じで再評価されたり、バンドの勢いを保ったままというのは難しいだろうにね。
映像で見るのはそういう規制がなくなって、堰を切ったように自由に表現出来る場を得た時期なのだろうか。実際に見てきたわけじゃないから、この辺の事情がはっきりわからないのがもどかしいな。

元々ロック的な土壌があまりなかったブラジルでパンクやニュー・ウェイブが意外なほど浸透してたのも驚きだけど、こういう電子楽器を使ったエレポップまであったのにビックリ・・・というのもお国柄に対する偏見なんだろうね。
サッカーでもカーニバルでもパッと思いつくのは陽気でお祭り好きなイメージだから、チマチマとシーケンサー打ち込んでるようなブラジル人をあまり想像出来ない。
ただ、先にも書いたように近未来的な人工都市を現実に作ってしまうような国でもあり、現在ではIT大国になっているという話もあり、侮るなかれ(自分に向けた言葉)。

そんなブラジルで上に書いたようなパンク/ニュー・ウェイブのバンドより先に人気となっていたのがこのAzul 29というバンドらしい。パンクに限らず反体制的なロックバンドに規制がかかってた80年代前半のブラジルで、あまり反体制っぽく見えない単なるポップスやエレクトロニクスを使ったこういうグループなら問題なく音楽活動が出来たというわけなのかな?
その辺は不明だけど、80年代前半にこのバンドはヒットして人気があったという。
「読めん!」バンド名が多いブラジルだけどこれは簡単に読めたよ、アズールはポルトガルやスペインで青のことだね。フランス語ではアジュールと言うらしい。
彼らの1984年のヒット曲が「Video Game」というから、おそらく当たり障りのない歌詞に違いない。

ものすごいマニアではないからあまり大っぴらには言わなかったが、子供の頃からゲームが大好きで、TVゲーム黎明期の頃からのキャリアを持つROCKHURRAHだった。その趣味(?)が高じてゲーム屋の取締役にまでなった経歴を持つ。
結構好みと適性があって、あの時代誰もがやってたインベーダーは相当練習してもイマイチ、代わりに得意だったのが風船割りとブロック崩しだったな。大ヒットしたパックマンも苦手で代わりにディグダグが得意。時代は大幅に飛ぶが「ストリートファイターII」よりも「鉄拳」といったように微妙な好みが激しくて、どのゲームも得意とは言い切れない。まあ万能な人はいないからみんなこんなもんか。
「ゼルダの伝説」や「モンスターハンター」なども根性で最後まで勝ち進んだ経験があり、その分析能力と機動力を生かしてより一層のスキルアップをを目指したいと考えております(履歴書)。

さて、そんなデジタル世代を84年に高らかに歌い上げたAzul 29のヒット曲が「Video Game」。
「スター・トレック」か「宇宙家族ロビンソン」のような服装は明らかに「ブラジルのクラフトワーク」を狙ったものと考えるが、なぜか音楽やってる人には到底見えないようなおっさんメンバーもチラホラ。細かい事を気にしないおおらかな国民性だから、これでもいいのだ。

書き始める前からわかってた事だがブラジルについて個人的な思い出などまるでないという事。これが敗因となって今回のブログも意味もないところで苦戦してしまったよ。
何とかごましてここまで書いてきたが、もういいかブラジル、さらばブラジル(無責任)。

最後は1982年にサンパウロで結成された大所帯バンド、Titãsだ。
レジァオン・ウルバーナと同じくブラジルを代表するバンドのひとつらしいが、これでチタンスと読むそうだ。
ギリシャ神話の巨人タイタンがポルトガル語ではチタンスになるようだが、この綴りを見ても「ン」は一体どこから?と思ってしまうのはROCKHURRAHだけか?そう言えばサンパウロもSão Pauloで「ン」の部分が見えないが、これがポルトガル語ってヤツなのか。

メンバーが8人くらいいるそうでヴォーカルも3人くらい、とても賑やかそうなのが取り柄のこのバンド。
長く続いてるバンドなので音楽性も時代によってもさまざま。
この辺の雑多さで思い浮かぶのはフランスのマノ・ネグラだけど、彼らほどの強力なバイタリティは感じない。ただラテン系ニュー・ウェイブの個性をうまく世の中に伝えた功績は大きいと思うよ。

1986年に出た3rdアルバム「Cabeça Dinossauro 」は不気味な坊主の鉛筆画みたいなジャケットで、とてもこんな曲が入ってるとは思えないけど、シングルにもなった「Aa Uu」はそこに収録。
最初はアッアとかウウッとかしか言わないのでちょっとバカっぽいけど、ちゃんと歌詞はあるようで良かった。
服の色がどんどん変わってゆくだけのシンプルなビデオだけど、いかにも80年代ミュージック・ビデオといった雰囲気でなかなか効果的に仕上がっているね。

以上、80年代ブラジルのパンクやニュー・ウェイブはこれくらいしかないわけじゃなく、意外とたくさんのバンドがいるし、音楽性もこちらが想像したよりもずっと高い表現力を持っていたりする。
そしてビデオを色々見る限りでは、軍事政権による表現の規制うんぬん、なんてまるでなかったかのように感じてしまうよ。

本当はブラジルに限定せずに南米全部でひとつに纏めようと思ったんだが、他の南米もまだまだいそうだから、それはまた別の機会に書いてみよう。

それではまた、ジャジョエシャペヴェ(南米先住民言語グアラニー語で「さようなら」)

ふたりのイエスタデイ chapter19 /Altered Images

20200830 top
【オルタード・イメージの1st アルバム】

SNAKEPIPE WROTE: 

学生だった頃、SNAKEPIPEが所属していたのは美術部だった。 
当時はシュールレアリスムという言葉すら知らずに、想像画を描いていたっけ。
写真を見ながら似顔絵を描くのも好きで、クラスメイトに頼まれて描いたこともあった。
アントニオ猪木を色紙に描いて欲しいとの注文を受け、そっくりに描けたのは良かったけれど、顔が長過ぎて色紙から顎がはみ出るハプニングがあったことを思い出した。
それでも似ていたので、友人は本当に喜んでくれたっけ。(笑)
忌野清志郎を描いた時は、自分でもびっくりするほど上出来で、友人に絵を渡すのをためらうほどだった。
こうして思い出してみると、SNAKEPIPEは絵の才能があったのかもしれないね?

当時のSNAKEPIPEにとってアイドルだったのは、オルタード・イメージの紅一点、クレア・グローガン!
クレアちゃんは1980年代初頭のイギリスでも大人気で、ファッション・リーダー的な存在でもあったらしい。
クレアちゃんはリチャード・ギアのファンで、もし彼氏だったら閉じ込めて一歩も外に出られなくする、と雑誌で読んだ遠い記憶が。(笑)
なんでこんなどうでもいいこと覚えてるのかね。
SNAKEPIPEが自分のために似顔絵を描いたのは、このクレアちゃん。
使用したのがこの画像なんだよね!
当時見ていた画像があって良かった、と安堵したのも束の間、これは「透かし入」のストック・フォト…。
他にないのかと探したけれど、見つからなかったのが残念。
この画像を見ながら鉛筆で似顔絵を描いたなあ。(笑)
懐かしい!

ここでオルタード・イメージについて少々説明を。
2018年1月にROCKHURRAHが書いた「俺たちハッピー隊」の内容と重複するけどね!
スコットランドのグラスゴーで1979年に結成されたポスト・パンク/ニューウェーブ・バンド。
メンバーは5人で、全員がスージー・アンド・ザ・バンシーズの公式ファンクラブのメンバーだったという。
そのため結成当時は、バンシーズみたいなダークな音楽だったというけど、クレアちゃんの声とはアンマッチだよね。(笑)
バンシーズがスコットランドでギグを行った時デモテープを渡し、その結果1980年の「カレイドスコープ・ツアー」の前座として同行したという。
オルタード・イメージの名前を有名にしたエピソードなんだね。
そして1981年、イギリスのヒットチャート2位を記録する大ヒットが「Happy Birthday」だよ! 

本当は公式プロモーション・ビデオが良かったんだけど、なぜだか「お住いの国では再生できません」って出てきちゃうんだよね。
当時のSNAKEPIPEも好んで聴いていた曲だよ。
飛び跳ねて歌うクレアちゃんもかわいいね!
この曲は2005年に発売されたロンドンナイト25周年記念特集のCDにも入っていて、とても懐かしかったなあ。

オルタード・イメージは、ヴォーカルのクレアちゃんだけがクローズアップされていたため、他のメンバーについては良く知らないんだよね。(笑)
どうやら画像の右から2番目の男性(Steve Lironi)と結婚したみたいだけど、それは調べて知ったこと。
オルタード・イメージは1983年に解散したけれど、ヒットしたのは1曲だけじゃないんだよね。
今でも80年代を特集するインターネット・ラジオを聴いていると、何曲もかかるし。

解散後、クレアちゃんはソロになったけれどパッとせず、女優業に専念したらしい。
今でも活動してるようで、17歳からのキャリア40年とは驚きだよ。
クレアちゃんと「ちゃん付け」で書いているけど、もう58歳だからね。

最後にもう1曲、「I Could Be Happy」を載せようか。
当時を思い出しながら、気持ちを少女に戻してみよう。
これもSNAKEPIPEにとっての若返り療法だよ!(笑) 

SNAKEPIPE MUSEUM #56 Charles Sheeler

20200823 08
【1940年、雑誌「フォーチューン」誌に掲載された作品「Fugue」】

SNAKEPIPE WROTE:

好みのアーティストはいないか、と検索を始める。
なかなか自分の求めるタイプは見つからないけれど、ドンピシャの作品やアーティストを発見した瞬間、歓喜する。
まるで宝物を掘り起こした気分なんだよね!(笑)

今回紹介するアーティストも、そんな検索で見つけたのである。
それは写真家であり画家のチャールズ・シーラー
まずは経歴を調べてみよう。

1883年 米国ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれる
1900〜03年 ペンシルベニア博物館工芸学校に通う
その後ペンシルベニア美術アカデミーに参加する
1908年 マクベスギャラリーに作品が展示される
1909年 パリを訪れた後、アメリカに帰国
5ドルでブローニーを購入し、独学で商業写真家となる
1939年 最初の妻と死別してから6年後、2度目の結婚をする
1942〜45年 メトロポリタン美術館の出版局に勤務し、
芸術作品や歴史的建造物を撮影する
1965年 死去

なんと!
写真の教科書に載っていても不思議ではないシーラーのことをシーラーなかったなんて。(プッ)
それにしても「画家では生活できないから商業写真だ!」と、すぐに切り替えるとは先見の明があるよね。
実際には写真でも絵画でもお金を稼ぐことができたようなので、良かったよ。
マルセル・デュシャンと友情を育み、1950年代にはアレン・ギンズバーグとの親交もあったらしい。
1920年代から1930年代にかけて、アメリカでプレシジョニズム(精密派)と呼ばれる絵画様式の第一人者としても名前が出てくるシーラー。
プレシジョニズムとは都市の風景や工場、倉庫、機械などの建造物を題材にして、写実的に描写する特徴を持つという。
この様式については、ものすごく興味があるよ。

検索していて最初に目に入ったのがこの画像。
インダストリアル好きの心を刺激する一枚だよ!
交差した鉄骨の向こうに見える煙突。
SNAKEPIPEが写真撮影に熱中していた頃、目指していたのはこんな風景を撮影することだったからね。
「Criss-Crossed Conveyors, River Rouge Plant, Ford Motor Company(交差コンベア、リバールージュ工場、フォードモーターカンパニー)」は1927年の作品で、フォード・モーター社の依頼により撮影されたようだね。 
近代の工場生産による技術を見せるための商業写真だったようだけど、記録写真というよりはアート作品だと思うよ。
こういう作品に巡り合うと、本当にワクワクしてくるんだよね!(笑)

他の作品も検索してみる。
工場の一部をクローズアップで撮影した作品。
「Ford Plant, River Rouge, Blast Furnace and Dust Catcher(フォード工場、リバールージュ、高炉、ダストキャッチャー)」も1927年の作品なので、撮影経緯は同じだろうね。
2010年11月に「SNAKEPIPE MUSEUM #06 Margaret Bourke-White」で特集したマーガレット・バーク=ホワイトが、雑誌「LIFE」の創刊号で表紙を担当したダムの写真を撮影したのが1936年。
シーラーはバーク=ホワイトより約10年前に、インダストリアルな写真を撮っていたことになるね。 
やっぱり1920年代は憧れだなあ!

分かるーーーっ!
煙突からの煙!
そして円筒に見える、並んだビス!
撮るわ、見たら絶対撮るわっ!
興奮気味のSNAKEPIPEはもうよだれタラタラだよ。(笑)
タイトルは「Industrial Study No.2」で1935年の作品だって。
やっぱりインダストリアルなんだね!
ちなみにこの作品、クリスティーズで$106,250、日本円で約1,120万円で落札されたらしい。
一体どんな部屋に飾られているんだろうね?

建造物を撮影するためなのか、どうしても縦位置が多くなるんだろうね。
SNAKEPIPEも縦位置が得意だったよ。
1952年に撮影された「Meta-Mold, Cedarburg, Wisconsin(メタモールド、シーダーバーグ、ウィスコンシン)」も、恐らく工場関係の写真だと思うけど、まるでパルテノン神殿みたいじゃない?(笑)  
表現が大げさか。
デヴィッド・リンチも似た雰囲気の写真を撮っていたことを思い出すね。
きっとリンチもシーラー好きだろうと想像する。
2人とも写真も撮れば絵も描くところも共通してるしね。

「Self-Portrait」と題された1923年の作品。
紙にクレヨン、ガッシュ、鉛筆で描かれているという。
この時、シーラーは40歳くらいかな?
後方に上半身がなんとなく見えているけれど、これがシーラー本人ということなんだろうね。
手前の電話機(?)がメインに見えてしまうので、最初はこれを擬人化してセルフポートレートと言ってるのかと勘違いしたのはSNAKEPIPEだけ?(笑)
自画像と呼ぶには、一風変わった趣向だよね。

「American Landscape」は1930年の作品。
これは油絵なんだよね。
これぞまさにプレシジョニズムといったところなのかな。
工場を描いているのにタイトルが「アメリカの風景」というところがポイント。
シーラーにとって見慣れた風景であり、恐らく対岸からの眺めを好んでいただろうと予想する。
SNAKEPIPEも同じ場所に立ったら、佇んで煙の行方を追うだろうな。(笑)

直線と影がくっきりして、まるでイラストのようじゃない?
「Cat-walk」は1947年の作品だって。
工場のクローズアップを絵画で表現している油絵なんだよね。
大きさは24 x 20 in. (61 x 50.8 cm)というから、そこまで大型ではないよね。
これにはかなりグッと来たSNAKEPIPE。
SNAKEPIPE MUSEUMに是非所蔵したいよ!
ちなみにクリスティーズのオークションで$1,332,500、日本円で約1億4,100万円だって。
それは残念。
いいな、と思ったら億超えかー!(本気で買うつもりか?)

チャールズ・シーラーを知ることができて本当に嬉しい。
「今頃知るなんて、本当に写真の勉強してたの?」と呆れ顔の方もいるかもしれないけどね!
日本での個展などは開催されていないみたい。
川村記念美術館あたりで大回顧展やってくれないかな。
没後55年ってことでどうだろう?

映画の殿 第39号 ユーロビジョン歌合戦

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【FIRE SAGA「VOLCANO MAN」のプロモーションビデオより】

SNAKEPIPE WROTE:

Netflixに入会して早3ヶ月。
ドラマや映画など充実のコンテンツを楽しんでいるROCKHURRAH RECORDS。
新作情報などは担当というわけではないけれど、ROCKHURRAHがチェックをしてくれてリストに入れておいてくれる。
休日にそのリストからチョイスして鑑賞するという寸法だ。
先日ROCKHURRAHが新作チェックをしていると、突然血相を変えて「大変!」と大声を出すではないか。
何事かと思いきや、我らがアイドル「ウィル・フェレルの新作がNetflixで公開されている」とのこと!
これにはSNAKEPIPEも悲鳴に近い声を上げてしまった。

ウィル・フェレルについては2014年9月の「映画の殿 第12号 ウィル・フェレル04」まで、特集記事を4回も書いている。
あれから約6年の間、実はウィル・フェレル関連の映画は複数本観ているんだよね。
ゲットハード/Get Hard (原題:Get Hard 2015年)」 、「パパVS新しいパパ  (原題:Daddy’s Home 2015年)」、「ズーランダー NO.2 (原題:ZOOLANDER 2 2016年)」、「カジノ・ハウス (原題:he House 2017年)」、「パパVS新しいパパ2  (原題:Daddy’s Home 2 2017年)」、「俺たちホームズ&ワトソン (原題:Holmes & Watson 2018年)」と列挙しただけでも6本?(笑)

本当はウィル・フェレル特集第5弾も書けるんだけど、それはまたの機会にして。
今回はNetflix制作の「ユーロビジョン歌合戦 〜ファイア・サーガ物語〜 (原題:Eurovision Song Contest: The Story of Fire Saga 2020年)」について感想をまとめようか。
まずはトレイラーね。

んも〜!この動画だけでも面白さが伝わってくるよねっ!(笑)
大ファンのウィル・フェレルがおかしな扮装してるだけでワクワクしてくるよ。
それにしても公開されたのが2020年6月26日だったというのに、気付いたのが遅過ぎるかも。
いや、鑑賞できたから良しとしよう!

では簡単なあらすじを書いておこう。

ラースは若い頃から歌手になることを夢見てきたが、その夢は周囲から理解されず、父親との仲違いの原因にすらなっていた。
そんなある日、ラースが率いるバンド、ファイア・サーガがユーロビジョン・ソング・コンテストのアイスランド代表に選出された。
ラースは夢を叶える最後のチャンスがやって来たと喜び、長年の相棒、シグリットと共に会場へと乗り込んだ。
しかし、ヨーロッパの優れた才能が集う大会で見せ場を作るのは、ラースの想像以上に難しいことであった。(Wikipediaより)

主人公ラースを演じるのがウィル・フェレル。
あらすじにもあるように子供の頃からの夢が「 ユーロビジョン・ソング・コンテスト」に出場し、優勝することなんだよね。
そのきっかけになったのがABBA! 
大人(中年)になった今でも、ラースにとってのアイドル。
部屋には年季の入ったポスターが飾られているよ!
そして映画にも登場した、ABBAが「ユーロヴィジョン」で歌っていた映像がこれ。 

ABBAがヒットチャートを賑わせたのが1970年代後半。
懐かしいと感じる人は、ある程度年齢を重ねた人だよね。
SNAKEPIPEが好きだったのは「ヴーレ・ヴー」かな!(笑)

「ユーロヴィジョン」について、ほとんど知識がないSNAKEPIPEなので、少し調べてみたよ。
正式名称は「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で、1956年から始まり60年以上の歴史がある毎年恒例の大会だという。
欧州放送連合加盟放送局によって開催される、国別対抗の歌合戦といったところか。
長い歴史の中で、優勝した有名アーティストは1974年のABBAと1988年のセリーヌ・ディオンみたいね。

何十年も心に描いた夢を追いかけて、成長した(というより年を取った)ラース。 
共に時を過ごしているのが、幼馴染のシグリット。
演じているのはレイチェル・マクアダムス。
2人はずっと生まれた故郷である、アイスランドのフーサヴィークを離れずにいる。
フーサヴィークについて調べると、アイスランドの北に位置し、ホエール・ウォッチングなどの観光業や漁業などで成り立っている小さな町とのこと。
画像でもバックに漁船が並んでいるよね。 

夢の実現のためにモチベーションを持ち続けるのは、非常に大変なことだと思う。
ラースとシグリットは、協力し合いながらオリジナル・ソングを制作していく。
画像は2人の脳内ミュージック・ビデオなんだよね。
土地に根ざした曲作りをしているという設定なのか、この時のタイトルは「VOLCANO MAN(火山男)」!(笑)
この手のコスプレをさせたら、ウィル・フェレルはノリノリよ!
「VOLCANO MAN」は、父親の乱入により中断されてしまうんだけど、このミュージック・ビデオの完成版が観たいんだよね。
素晴らしい出来だったから!(笑)

乱入してきたラースの父親であるエリックを演じたのがピアース・ブロスナン。
鑑賞し終わって調べるまで、全然気付いてなかったよ!
ブロスナンと言えばジェームズ・ボンドだよね。
1995年から2002年まで5代目ジェームズ・ボンドとして活躍していたっけ。
現在67際とのことだけど、年齢よりは老けて見えるようにしてたのかも。
ウィル・フェレルが53歳で、その父親だから。(笑) 

自立するように諭されても、やっぱり夢を捨てきれないラース。
そのラースを支えるシグリットは、ラースの願いを聞いてもらおうとエルフの元に参上する。
嘘みたいな本当の話らしいけど、アイスランド人の60%以上がエルフは存在すると信じているらしい。
エルフというのは、ゲルマン神話に起源を持ち、日本語では妖精あるいは小妖精と訳されることも多い、北ヨーロッパの民間伝承に登場する種族であるとのこと。(Wikipediaより)
日本でいうなら座敷童子みたいな感じ?違う?(笑)
シグリットは完全にエルフを信じていて、お願い事がある度に軽食や飲み物を捧げ、お祈りしているようなんだよね。
そのおかげなのか、ラースとシグリットは「ユーロヴィジョン」参加資格を得る。
やっぱりエルフの力も関係してるのかな?
様々なアクシデントに見舞われながらも、本戦まで勝ち進んで行くところはミラクルだったね。(笑)

地元であるフーサヴィークにあるパブに、とても気になる人物がいたよ。
ニールスという役で、ラースとは腐れ縁といった関係のようで。
演じていたのはオラフル・ダッリ・オラフソン。 
気になるので調べてみると、やっぱりそうだ!
2015年5月にROCKHURRAHが書いた「映画の殿 第14号 映画の中のニュー・ウェイブ01」の中で紹介したベン・スティラー主演の映画「LIFE!(原題:he Secret Life of Walter Mitty 2013年)」で、ヒューマン・リーグの「Don’t You Want Me (愛の残り火)」をカラオケで歌っていた酔っぱらい!(笑)
かなり大ウケだったシーンに出演していたのが、このオラフルだったんだね。
今回もオラフルは、怖いような真顔で強烈な印象を残している。
「ヤォ・ヤォ・ディン・ドンを演れ!」

民謡調の曲に、パブのお客さんたちはノリノリ!
「ディン・ドン!」
と言いながら拳を振り上げる。
いつの間にかSNAKEPIPEも一緒に歌っていたよ。(笑)
みんなが大好きな曲なんだよね。

ユーロヴィジョンのロシア代表として参加するアレクサンダー・レムトフが、物語の重要人物として登場する。
演じているのはダン・スティーヴンスで、ベン・スティラーが主演した「ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密(原題:Night at the Museum: Secret of the Tomb 2014年)」にも出演していたようだけど、あまり覚えていないよ。 
またもや関連映画としてベン・スティラー主演が出てきたね。(笑)
「ファイア・サーガ物語」ではシグリットを誘惑する、ラースのライバルという役どころ。
ウィル・フェレル映画の黄金パターンを支える感じだね。

歌唱力のあるウィル・フェレル、他の出演者たちに混ざっても引けを取ってなかったね。
SNAKEPIPEは「ユーロヴィジョン」について知らなかったけれど、日本でも放映されているようなので、大会について詳しい方も多いんじゃないかな?
「ファイア・サーガ物語」では、「ユーロヴィジョン」の過去の優勝者たちが出演していたようだよ。
かなり個性的な面々もいて、強烈な印象を残している。
当たり前だけど、みなさん本当に歌がうまい!(笑)

 ウィル・フェレルの黄金パターンとはダメダメ人間が頑張って栄光を掴む、というスポ根系のストーリー展開のこと!
これは大抵の主演映画で採用されていて、初めから分かっちゃいるけどやめられない。(笑)
ウィル・フェレルのダメ男ぶりが最高なんだよね!
今回も当然のように同様の展開だったけれど、なんともハートウォーミングな(死語?)エンディングにホッとしたよ。
みんなハッピーになって良かった、良かった!

「ファイア・サーガ物語」は大人気のようで、関連商品が販売されているみたい。
ロゴがデザインされたTシャツは$13、約1,400円。
カラー展開は驚きの27色、サイズはSから5XLまでと充実のラインナップ!
実際ウィル・フェレルがFIRE SAGAのTシャツを着ている映像もあったので、アメリカでは気軽に手に入るグッズなのかも? 
他にもマグカップやステッカーなどもあり、欲しくなっちゃったよ。(笑)

ウィル・フェレルの新作を存分に楽しんで、とても幸せな気分!
まだまだこれからもコメディ映画の帝王として君臨して欲しいね。