映画の殿 第04号 ヒロイック・ファンタジー三選

【ほとばしる汗と筋肉!スポーツの秋?】 

ROCKHURRAH WROTE:

映画通は全然唸らないとは思うが、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEの2人が自分の主観で何かネタに出来ると感じたものだけを特集するのがこの「映画の殿」という企画だ。
SNAKEPIPEの書いたものは割とオーソドックスな感想だったり、ためになるレビューだったりするけど、ROCKHURRAHの方はあまり感想文のようなものは書けないから、どちらかと言うと映画以外の部分から攻めてゆくという方向性でやっていこうかと今思いついた。

さて、今回書きたいのはSFやファンタジーで古典中の古典と言える作品を題材とした映画について。
ROCKHURRAHはミステリーや古典的な探偵小説は子供の頃から読んでいたんだが、SFやヒロイック・ファンタジー(特に海外の)はそこまで詳しいわけではない。
兄が2人いて読書家だったので、自分独自の路線を見出す前の少年時代には、当然影響を受けて同じ小説を読んでいたのが始まりだった。兄たちが特に好んでいたのがSFやヒロイック・ファンタジーだったのでその辺に置いてあった本というのがコナンや火星シリーズ、レンズマンにスカイラークにエルリックにノースウェスト・スミスなどなど。例の挙げ方がメチャクチャ(しかも実際にちゃんと読んだものは少数)で済まないが今何となく思い出したのがこれらの作品。
どれが面白いのかわからずに(主に表紙や挿絵で面白そうなのを選んで)テキトウに断片的に読んだものだった。今考えると随分とマセた小学生だったなあ。

そんなROCKHURRAHの少年時代なんだが、中でもよく覚えているのが(つまり好きだった作風が)エドガー・ライス・バロウズの「火星シリーズ」とロバート・E・ハワードの「英雄コナン・シリーズ」だ。どちらもこの手のジャンルでは王道過ぎて、今どき誰も語らないくらいのシロモノなんだが、少年時代に読んでワクワクした感触は数十年経った今でも忘れるものではない。
ちなみにバローズと呼ぶのが最近では主流らしいがROCKHURRAHはずっとバロウズと読み書きしていたので、ここではその書き方にしておく。

それらの小説を一応原作とした映画が近年、なぜか公開されて、DVDにもとっくの昔になっていて「こりゃ懐かしいわい」と借りて両方とも観たのが今回のネタとなったわけ。

エドガー・ライス・バロウズの代表作とも言える火星シリーズ、その第一作目「火星のプリンセス」を元ネタとしたのが「ジョン・カーター」という2012年の映画。
何と原作から100年の時を経てやっとこさ本格的な映画化、さらにディズニー製作というのにビックリだったが、これについては製作が進んでいる頃から情報は得ていた。
ついでに、莫大な制作費をかけたにも関わらず予想よりは流行らなくてディズニー映画としては「コケた」部類の映画だという風評も知ってはいた。
どうせ原作とは違うものになるだろうし、全然期待してなくて映画公開時も観に行く事もなかったんだが、一応DVDになった時に借りてみた。

この作品を全く知らない人のために一応書いておくが、エドガー・ライス・バロウズが「火星のプリンセス」を発表したのは今から約100年ほど前、日本では何と大正時代にあたる。
バロウズはこの「火星シリーズ」以外でも「金星シリーズ」「月シリーズ」「地底世界ペルシダー・シリーズ」などヒット作を連発したベストセラー作家だった。これらを知らない人でもターザンの原作者と言えば大体誰でもわかるだろう(オリジナルの「ターザン」を読んだり映画で観たりした人は今どきさすがに少なかろうが、知名度という点で)。
宇宙や太古のような世界を舞台にしたからSFの範疇に位置する作品、というわけではなくて、話の内容はどちらかと言うと異郷の地で繰り広げられる冒険活劇と言うべきか。
正義のヒーローが悪漢に捕らえられた姫を助けにゆく、というような王道極まりない設定で、そこに至るまでの道には一切ひねりもない。まあ、そんな大昔に書かれた小説であっと驚くひねりがないのは当たり前と言えるか。

南北戦争の士官だったジョン・カーターがアリゾナ奥地でなぜだか火星にワープ(というより幽体離脱)してしまう。その火星はキュリオシティとかの映像によって現在我々が知り得た火星ではなく、100年前の1912年にバロウズが想像した火星バルスームであり・・・などといちいち書いてたらこの時代のSFについてなんか語れないな。
ROCKHURRAHは科学的な根拠なんか全然気にしない事にしよう。
さて、火星に着いたらビックリんな事に、ちょっとジャンプしただけで数十メートルもの跳躍が出来るという現象(重力の違い)に気付く。士官だからやや強く鍛えた男だったんだろうが、この火星では誰もが度肝を抜かれるような超人的な能力を持つ事になるのだ。人はちょっと跳べるだけでこんなに強くなる、という事が少年時代には驚愕だった。
ただピョンピョンと無人の火星を飛び回るだけでは小説にならぬから、バロウズは火星人を登場させる。どうやらこの火星では四本の腕を持つ緑色人種と地球人的な赤色人種、さらにいくつかの怪物のような生物がいる模様。タコの火星人はいないのか?それらの種族は互いに争いあっていて、ジョン・カーターも抗争に巻き込まれてしまうというような大筋だ。

火星に着いた後のストーリーは後のSFや「スターウォーズ」あたりに多大な影響を与えたのは間違いない。仲間になる四本腕の異形の緑色人種、タルス・タルカスや美女のお姫様デジャー・ソリス、マスコット的な火星の番犬(ただし全然かわいくない)などのキャラクター設定に似たものは、スペース・オペラと呼ばれるこういうジャンルの小説にはお約束のように手を変え品を変え登場していたのだろう。
そういった後世に登場したSFやアニメの偉大な元祖がこの火星シリーズというわけだ。
この手の冒険活劇は荒唐無稽だの子供っぽいだの陳腐だのと評されたりもするが、全てがリアルで科学的考証に基づいたSFだけが尊いわけじゃない。これはこれで立派な大衆娯楽なのは明らかだ。

原作についてばかり書いたがこの映画は昔の時代には実現出来なかった特撮が、技術の進歩により100年もかかってようやくちゃんとした映画になったという点が評価出来る。「映像化不可能」という制限が今ではCGなどの発達で不可能じゃなくなったからね。確かにこれを着ぐるみやハリボテ、大規模なロケなどで全部アナログで作ってたら大変だもんね。

さて、主役をやっている2人については特に感想もない、というのが正直なところ。特に悪くもないけど、原作と比べてどうなんだろうか?
主人公のジョン・カーターを演じたのは同じ年にヒットした「バトルシップ」でも熱血バカ船長を演じたテイラー・キッチュなる男。
デジャー・ソリス役は「姫」というにはちょっと歳を取り過ぎてる気がするいかつい女、リン・コリンズ。絶世の美女役をやるのはちょっとなあ、と感じる。
原作では身長3メートルを超える大男タルス・タルカス(と言うより緑色人種全て)もこの映画では割と人並みの縮尺になっていたのも残念。何か細くてカマキリ星人にしか見えないんだよね。弱そう。
熱烈なファンが多い原作だけに、この辺のちょっとした齟齬が不評の原因だったのか?原作とここが全然違うというあら探しはいくらでも出来るけど、何も許さなければ永遠に映画化は不可能という気もする。

ちなみにこの「ジョン・カーター」より前の2009年に「アバター・オブ・マーズ(原題Princess Of Mars)」なる作品が出来上がってたりする。
こちらは80年代に一世を風靡したポルノ女優、トレイシー・ローズがデジャー・ソリス役をやっているようなんだが、この映画の時一体何歳なのか?と思うと怖くて観れないんだよね。上のリン・コリンズよりも明らかに年長だと思われる。ジョン・ウォーターズの映画「クライベイビー」の時はカッコ良いロカビリー不良少女役で良かったんだが。

あれ、もしかして映画の感想たったこれだけ?そうなんです、まだ次のコナンもあるし先を急ぐのです。

「英雄コナン・シリーズ」は1930年代に発表されたロバート・E・ハワードによる小説で、いわゆるヒロイック・ファンタジーの世界で燦然と輝く強烈なヒーロー、コナンの冒険物語だ。

ヒロイック・ファンタジーは剣と魔法の世界、こういうのを読んだ事ない人でもドラクエくらいは知ってるだろう。それらの元祖的存在がこのコナン・シリーズというわけ。拳銃自殺した人気作家というインパクトの強さもあって、日本での知名度も高い作品だ。

舞台となるのは 1万2000年ほど昔のハイボリア時代というハワード創作による架空の時代。主に古代のヨーロッパとアジア大陸、アフリカ大陸あたりと思われる地域が物語に登場する。この架空の時代には北方の辺境に蛮族が住むキンメリアという土地があり、コナンの出身地はそのあたりという設定になっている。キンメリアは実際に古代ウクライナあたりにあった土地で騎馬民族が住んでいたらしいが、ハワードのキンメリアはさらに北の最果てということになっているらしい。
そのウクライナ人の遠い祖先であるコナンは勇猛、というより獰猛極まりない荒武者で剣も馬も達人、とにかく人間離れした荒々しい田舎の蛮族で、決して正義のヒーローではないと描かれているのが「火星シリーズ」のジョン・カーターと違うところ。
盗賊、海賊の奴隷になったと思えばあっという間にそれらの軍団を乗っ取り牛耳るなんて事は朝飯前。ただの筋肉バカではないから悪巧みやどこかの要塞を落とすなんて芸当も得意技。ただし魔法と女にはちょっぴり弱いからダマサれたりしてピンチに陥る。んが最後にはやっぱり剣と筋肉で勝つ、というのがこのシリーズの定番だ。ジョン・カーターがデジャー・ソリス一筋なのに対し、コナンは毎回ボンドガール並に美女をとっかえひっかえというプレイボーイぶり。この時代に人気があったのもよくわかるよ。
さらにコナンのシリーズは彼の冒険が時代順ではなく、いきなり王様時代からエピソードが始まる。その後の作品で若造時代が描かれていたり、もしリアルタイムで読んでたら世界観を把握しにくいかもね。

英雄コナンは80年代にアーノルド・シュワルツェネッガー主演で2回映画となっているが、「コナン・ザ・バーバリアン」はそれのリメイクみたいな感じでジェイソン・モモア主演、2011年に映画化されている。
ハワード原作のエピソードをちょこっとだけ色々とくっつけて一本にしたという雰囲気映画の典型なんだが、前述した通りの原作なので仕方なかったのかな?
「征服王コナン」を原作通り忠実に映画化したらダーク・ファンタジーの超大作になるんじゃなかろうか?と思うが、もう王になった後のコナンが戦争で負けて落ちぶれた後に再び王位奪還するという話なので映画一作目にはあまり向かない内容。この映画のコナンはもっと前の少年から青年時代を描いている。

シュワルツェネッガー版の太い腕や体が動きづらそうで、ややもっさりした戦闘シーンだったのに対して、このモモア版の方はかなり機敏に動いていた。主にその戦闘スピードの違いが気になる点だったが、SNAKEPIPEは「本当に重い大剣で斬るというよりはぶつけて戦ってゆく打撃戦」というような点でシュワルツェネッガー版にリアルさを見出していたよ。何だかプロの発言みたいだね(笑)。
ジェイソン・モモアはハワイ出身の目つきがトロンとしたタイプの大男なんだが、コナンの狂戦士ぶりを表現するにはいい素材だったかも。この辺は人によって好き嫌いが分かれるので見比べるのも面白いだろう。
ロバート・ロドリゲスの映画「プラネット・テラー in グラインドハウス」のヒロインだった片足マシンガン娘、ローズ・マッゴーワンがすごいメイクと髪型で悪役やってたのがかなりのインパクト。

コナンと火星シリーズだけで良かったんだが、ついでというかオマケでこちらの紹介もして終わりにしよう。

「ソロモン・ケーン」は上のコナン・シリーズと同じくロバート・E・ハワードが原作で、2009年に映画化されている。が、日本では未公開でDVDだけ発売されたらしい。

原作の年度はコナン・シリーズとほぼ同じくらいの1930年代前後だが、このソロモン・ケーンやハワードの他の作品はROCKHURRAHの少年当時にはシリーズとしてまとまった本も出版されてなく、ほとんど読めなかったように記憶する。
ROCKHURRAHは兄との会話でソロモン・ケーンやキング・カルなどハワード作品の主人公の名前を知ってただけで、それが一体どういう話でどういう活躍をするのか全然知らないというわけ。知らずに書くなよ、とファンに言われそうだな。
日本では大体全部読めたコナンだけがヒットして、他の作品はロクに紹介されなかったのだろうか?海外ではこれらの作品のコミックス版などもあり、日本よりは確実に知名度も高かったはず。

そういう背景を踏まえての映画化なんだろうけど、このソロモン・ケーンはコナンなどと比べるとクールなカッコ良さが際立つダーク・ヒーローだ。
まず見た目がカッコイイ。ツバ広の帽子をまぶかにかぶって全身黒ずくめ、レイピアと呼ばれる(初期のファイナル・ファンタジーなどではおなじみの)細身の剣に銃を持ったダブル武装。原作は知らないが映画では剣も銃もさらに二倍持っていたかな?

舞台は16世紀の英国あたり。 Wikipediaなどで調べるとソロモン・ケーンはピューリタン(清教徒)という設定になっているようだが、原作読んでないからその辺は不明。なぜ清教徒の彼が一軍を率いてアフリカあたりで残虐な略奪をしてたのかも不明。その時ちょっと悪魔に呪われてしまう不覚があって、彼はその武力を封じて、故郷のイングランドに戻る事になる。静かな生活を望んだケーンだったが、例のごとく悪の妖術師に捕らえられた恋人を救うために、再び剣を手にするといった感じだ。

あらすじ書いてもちっとも面白くなさそうな平凡なストーリーしか想像出来ないだろうが、それはROCKHURRAHのあらすじがヘタなせいだ。
日本未公開なのが惜しいくらいに結構面白くて、B級のチャチい映画の雰囲気はなかった。主役の英国人俳優ジェームス・ピュアホイの存在感がイマイチという印象もあるが、そもそもあのソロモン・ケーンの格好したらどの役者がやってもそれなりに見えるんじゃなかろうか?
この人は最初に書いた「ジョン・カーター」でも火星の提督役だったらしいが全然記憶に残ってない。レンタルで観たのが一体いつだったか?もう一年くらいは経ってるはずだから忘れてしまうなあ。

というわけで今回は荒ぶる男三人の映画を語ってみたが、映画の感想はやっぱり少ないな。しかもROCKHURRAHの語りで興味を持って観る人もほとんどいなさそう。 これらの作品は単に映画化が遅かっただけで、原作の方はこの手のあらゆるルーツとも言えるような時代を超えた輝きを持っている。イマドキの若者受けは絶対にしなさそうだが、そういうオリジナルに敬意を持って次の世代に受け継いで欲しいものだ。

久々のブログ登場のROCKHURRAHだったが、得意の音楽ネタじゃないからこれでも結構しんどかったよ。涼しくなると調子良くなるから、また色々と書いてゆきたいものだ。

アメリカン・ポップ・アート展鑑賞

【デニス・ホッパー撮影のアンディ・ウォーホル。大好きな一枚だ!】

SNAKEPIPE WROTE:

国立新美術館ポップ・アート展やってるよ」
長年来の友人Mから連絡があったのは、随分前のことだ。
展覧会は開催期間が長いので、どうしても絶対早く観たいと思うもの以外は、期間中に行かれたら行こうね、という約束をする。
8月中は夏休みのために入場者数が多く鑑賞しづらいだろう、というのが先延ばしにしていた理由になる。
そしてついに9月に入ってから、約束通りに六本木に繰り出したのである。

国立新美術館は、SNAKEPIPEにとっては「シュールレアリズム展」「マン・レイ展」に続く3回目の来館だったけれど、友人Mは初めてになるらしい。
そのためSNAKEPIPEが美術館までの道のりを案内するようなカタチになってしまった。
例の「大学院大学」が見えてきた時にはホッとする。
方向感覚に優れた友人Mから「信じられない!」と何度も言われた経験のある筋金入り方向音痴のSNAKEPIPEにとって、道案内することは大仕事だからね!(笑)
予想通り来館者は思ったよりも少なく、SNAKEPIPE命名の「国立系」もそれほど見かけない。
やっぱり8月を避けて正解だったようだ。

ここで少し「ポップ・アート」について書いてみようか。
「ポップ・アート」と聞いて誰もがまず一番初めに思い浮かべるのは、アンディ・ウォーホルだろう。
マリリン・モンローをモチーフにした作品やウォーホルが監督した映画だったり、もしかしたらヴェルヴェット・アンダーグラウンドを連想する人もいるだろう。
SNAKEPIPEもアンディ・ウォーホルについては以前より興味があり、ドキュメンタリー形式の本を読んだり映画を観たりしてウォーホルとは一体どんな人だったのか、何をしていたのかを知りたかった。
最も興味を持ったのは「ファクトリー」と呼ばれたウォーホルのスタジオに集まる人々とその行動かな。
ニコが一日バスタブに浸かって読書をしていた、なんて文章を未だに覚えているくらい。(笑)
ウォーホルと同じように銀髪にしたイーディ・セジウィックの可愛らしさ!
イーディのポストカードはずっと飾っていたっけ。
60年代は、なんとも言えない魅力にあふれた憧れの時代なんだよね!

他にポップ・アーティストといえば、ロイ・リキテンシュタインを思い出すね。
あれ?
もうこれ以上出てこない!
「ポップ・アート」と聞いて、ちゃんと認識できているアーティストが非常に少ないことに今更ながら気付き驚くSNAKEPIPE。
断片的に作品は鑑賞しているみたいだけど、どうやら「ポップ・アート」としてまとまった展覧会を観たことがないんだね。
これはやっぱり行って確認しないと!(笑)

「ポップ・アート展」は日本美術および現代美術の世界有数のコレクターとして知られている、ジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻のコレクションを展示しているとのこと。
パワーズ夫妻はポップ・アートがまだ評価を確立する以前からその真価を見抜き、作家を直接支援することによって、世界最大級のポップ・アート・コレクションを築き上げたらしい。
これだけの作品をプライベートでコレクションできるなんて余程の資産家だろうし、広大な敷地を持つ邸宅に住んでいるんだろうね!(笑)
夫妻の名前からして判るように、「キミコ」は日本女性なんだよ。
一体ジョンとキミコにはどんなロマンスがあったんだろうね?
そんなお話も聞いてみたかったなあ。(笑)

会場に入ってみると、「ポップ・アート展」はアーティスト別に部屋が区切られ、そのアーティストの全貌を知ることができるように配置されていた。
それでは気になったアーティストについての感想をまとめていこうか。

1. ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg)

1925年テキサス州生まれのロバート・ラウシェンバーグは、アメリカにおけるネオダダの代表的な作家として活躍し、のちのポップ・アートの隆盛にも重要な役割を果たす。
2008年、82歳で心不全のため死去。

実は今回の展覧会の中で、SNAKEPIPEが感銘を受けたのがロバート・ラウシェンバーグだったんだよね!
フォト・モンタージュを取り入れていたり、タイポグラフィも登場していたので、ネオダダと聞いて納得!
「コンバイン(結合)・ペインティング」と呼ばれる様々なオブジェの組み合わせに激しい筆触のペイントを加えた作品群は迫力があってカッコ良い!
上の作品「ブロードキャスト」も「コンバイン・ペインティング」で、中央辺りにラジオが内蔵されていて、実際に放送を聴くことができたらしいね。(笑)
ロバート・ラウシェンバーグの名前は耳にしたことがあるけれど、実際に作品を鑑賞するのは初めてだったのかも。
もっとロバート・ラウシェンバーグについて知りたいし、個展が開催されるなら是非鑑賞してみたいな!

2.ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)

ジャスパー・ジョーンズは1930年ジョージア州生まれ。
上述のロバート・ラウシェンバーグと同じようにネオダダやポップ・アートの先駆者として活躍したアーティストである。
wikipediaによれば、どうやらロバート・ラウシェンバーグと同じビルに住んでいたことから友人関係にあったらしい。
同じ方向を向いたアーティストが近くにいるってものすごい偶然だよね!

ジャスパー・ジョーンズといえば、アメリカ国旗やダーツの的をモチーフにした作品が代表作といえるだろうね。
もちろん代表作の展示もあったけれど、今回の展覧会では、左のような様々な色を使った線の絵が一面全てに展示されている部屋があり驚いてしまう。
友人Mと顔を見合わせ、首をひねる。
抽象絵画といったら良いのかすら判らないけれど、どうもSNAKEPIPEには理解できない世界観だなあ。

3.アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)


アンディ・ウォーホルは1928年ピッツバーグ州生まれ。
上述したようにポップ・アートといえばウォーホルというくらいの有名人だよね!
1987年胆嚢手術を受けるも、容態が急変し心臓発作のため58歳で死去。

今回の展覧会の目玉が「200個のキャンベルスープ缶」だった。
誰もが知っているというくらいの有名な作品だと思うけれど、SNAKEPIPEが知っていたのはどうやらシルクスクリーンで印刷されたものだったみたい。
今回展示されていたのは、印刷されたものではなく、描かれている作品だった。
近くに寄って鑑賞してみると、ちょっとフォントが歪んでいたり、一番下の列は同じ銘柄が並んでいるのを発見して楽しくなってしまった。
描き続けているうちに、少し飽きてきたのかも?(笑)

他にもマリリン・モンローだったり電気椅子などの有名な作品が展示されていたけれど、あまりにも見慣れすぎているためか確認作業をしている気分になった。
今回の展示で異質だったのは、スポンサーでありコレクターであるキミコ・パワーズの肖像が並んでいたこと。
なんと部屋の全てがキミコだったんだよね!
依頼をして作ってもらったのかもしれないけど、展覧会に自分の顔が並んでいる光景とはいかがなものか?(笑)
ウォーホルの作品には違いないけど、知らない家族のポートレートを無理矢理観させられてる気分になってしまったよ。

4.ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)

1923年ニューヨーク州生まれのロイ・リキテンスタインも、アンディ・ウォーホルと同じくらい有名なポップ・アーティストだよね。
1997年肺炎のため73歳で死去。

漫画の一コマを印刷インクのドットを含めて描いた作品群は、非常にインパクトが強く印象に残りやすい。
今回の展覧会では、その細かなドットの一つ一つが描かれていることを実際に目にすることができて嬉しかった。

リキテンスタイン作のドットが描かれてたコーヒー・カップも展示。
黄色いカップに黒いドット柄。
この雰囲気、どこかで観たよねと友人Mと顔を見合わせる。
そうか!草間彌生のかぼちゃのシリーズにそっくりなんだね!(笑)

他にも数人のアーティストの作品が展示されていたけれど、作品数が少なかったし、ポップ・アートの範疇に入るのかよく判らない作品もあった。
ポップ・アートの定義って難しいよね。
wikipediaによれば

雑誌や広告、漫画、報道写真などを素材として扱い、
大量生産・大量消費社会をテーマとして表現する、
現代美術の芸術運動のひとつ

とのこと。
この文章読んでも、ウォーホルとリキテンスタインの作品について書いているだけで、充分に説明されているとは言い難いよね。(笑)
SNAKEPIPEがポップ・アーティストについて即答できないのも無理ないかも?

1950年代にイギリスでポップ・アートが始まり、1956年にリチャード・ハミルトンが雑誌や広告の魅力的な商品やゴージャスなモデル写真を切り貼りしたコラージュで、ポップ・アートの先駆的作品を制作していたとは知らなかった。
左に載せたハミルトンの作品「Just what is it that makes today´s homes so different, so appealing?」の中にはロリポップキャンディーの包み紙にポップの文字があるんだよね。
評論家であるローレンス・アロウェイが商業デザインなどを指して「ポピュラーなアート」という意味で使用したときに「ポップ・アート」という言葉が誕生したという話も今回初めて知ったよ!
前から知っていたはずのポップ・アートだったのに、意外と何も知らなかったことが判っただけでも新発見かな。(笑)
そしてネオダダからポップ・アートへ移行していった、ということについても知識がなかったんだよね。
現代アートに興味がある、と言っておきながらまだまだ未熟者のSNAKEPIPE。
もっと勉強が必要ね。(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #22 Hannah Höch

【人間と動物のハイブリッドを見事なコラージュで表現!】

SNAEKPIPE WROTE:

先日鑑賞したのは森美術館で開催されている「ラブ展」。
美術館のHPで確認したところ、目新しい作品展示がないことは知っていたけれど、一応観ておこうかということで出かけたのである。
聞いたことがある名前と観たことがある作品が並び、安心して(?)鑑賞することができた。
ジョンとヨーコの映像まで流れていて笑ってしまった。
確かに、ラブなんだけどさ!(笑)
荒木経惟の「センチメンタルな旅」をラブ展で観るとは思わなかったな。
草間彌生のニョロニョロ水玉コーナーは撮影可能だったので、同行した友人Mとお互いを撮影して楽しんだ。
まー可もなく不可もなくといった感じで、特別ブログに特集するような話題がなかったのが残念。

以前から何度も書いているように、夏休みであるこの時期には子供向け、もしくは家族向けの企画が目白押しで好みの展覧会がほとんどないんだよね。
アート鑑賞中毒気味のSNAKEPIPEは、いつもと同じようにネットで作品を検索することにした。
テーマを決めることなく観ていると、何度も「これは!」と思う作品に出会う。
そして作者を確認すると何度も同じアーティストの名前と判明する。
これはそのアーティストが好みってことだよね!(笑)
今回は何度もSNAKEPIPEの琴線に触れたアーティスト、ハンナ・ヘッヒについて書いてみたいと思う。

ハンナ・ヘッヒは1889年ドイツ生まれである。
右の写真がご本人なんだけど、少し年齢のいった小泉今日子って感じか?
1912年から1914年までベルリンのアーツ・アンド・クラフツの大学で勉強する。
この時の専攻はカリキュラム・グラス設計およびグラフィックアートだった。
1914年、第一次世界大戦の最中、学校を卒業する。
1915年、アーツ・アンド・クラフツの博物館のグラフィックス・クラスの国立研究所に入り学校教育に戻る。
この年、ベルリン・ダダで活動していたラウル・ハウスマンと知り合う。
この出会いにより、ハンナ・ヘッヒは1919年にはダダイストとして活動することになる。
ハウスマンとハンナ・ヘッヒはフォト・モンタージュという技法を開発し、作品を発表するのである。
恋人でもあったハウスマンとの関係は1922年に終わる。
1938年にピアニスト、カート・マチスと結婚するが1944年に離婚。
1978年に亡くなるまで、フォト・モンタージュの作品を作り続けていたらしい。
フォト・モンタージュで思い出すのはマックス・エルンストの「聖対話」かな。
横浜美術館で鑑賞した話は「マックス・エルンスト-フィギィア×スケープ」を参照して下さい。
あの作品が1921年だったから、まさにこの時代!
フォト・モンタージュを発明したのがハウスマンとハンナ・ヘッヒだったということは、エルンストの作品は技法を流用したということになるんだね。
いずれにしても1920年代の作品って素晴らしい物が多くて大好き!

1919年の作品「Cut with the Kitchen Knife through the Beer-Belly of the Weimar Republic」という作品が左の画像である。
タイトルを直訳すると「ワイマール共和国のビール腹を包丁で切り開く」といったところか?(笑)
どうやらハンナ・ヘッヒはベルリン・ダダの中では唯一の女性アーティストだったようで、男性達の女性蔑視を感じていたようだ。
女性解放を謳ってはいるものの、実際は口先だけだったんだね。
そのためこの作品でベルリン・ダダ・グループとドイツの社会全体の偽善を告発しているみたい。
タイトルの「キッチンナイフ」を女性の代名詞として、「ビール腹」を男性の代名詞として置き換えると解り易いね。
その時代は男勝りな性格の女性に対して称賛と女性的な役割を果たしていないという抗議の両方が存在していたというから、ハンナ・ヘッヒがフェミニズムを意識していたのも納得できる。
ハンナ・ヘッヒの作品は男性と女性の写真に更に何かを加えるという特徴があるのは、男女同権を訴える意味があるのかもしれないね。

Bauerliches Brautpaar (Peasant Wedding Couple)は1931年の作品である。 農夫の夫婦、というタイトル。
頭部と足だけという斬新なスタイル!
ミルク樽を運ぶための道具を持つ2人の手。
どうしてこんな構図を思いついたんだろう?
不思議な魅力のある作品だと思う。

ハンナ・ヘッヒのコラージュには人の顔を使った物が多い。
そしてそれらがひどく歪んでいたり、あるべき場所から故意にズレて配置されていたりして、鑑賞者をドキリとさせる。
上と左のフォト・モンタージュも両目の位置や口がズレている。
そして体に対して頭が大きい。
なんともアンバランスで、不安な感じがするんだよね。
これらの作品を観たROCKHURRAHが
「まるで福笑いだね」
と感想をもらす。
ははあ、なるほど!(笑)
日本の正月にはお馴染みのあの福笑いも、これらの作品と同じように、目や鼻がヘンな位置にくるからおかしいと笑ってしまう遊びだよね。
ハンナ・ヘッヒが実際に目隠しして作ったのかどうかは不明だけど、似た雰囲気はあるよね!
ただ福笑いとは違って、これらの作品に可笑しみは感じない。
どちらかというと内面に淀んでいたドス黒い感情が表出したような不気味さを感じてしまう。
きっとそれがハンナ・ヘッヒの個性なんだろうね。

1963年の作品「Grotesque」。
この時にはもうハンナ・ヘッヒは74歳だと思うんだけど、まだまだ現役で活動していたとは恐れ入る。
そして全然衰えない想像力と、フォト・モンタージュを使用した「若いもんには負けない」スタイリッシュな作品に驚かされる。
これもまたハンナ・ヘッヒの特徴である男女の顔を使った切り貼りがされてるんだけど、男性の片目だけ何かの動物に入れ替わってるね。
どうしてこの作品のタイトルがグロテスクなんだろう?
年配の男性と若く美しい女性の対比のせい?
いやあ、そうは言っても誰しもが年齢を重ねていくもの。
それをグロテスクと言っちゃあ酷だよね。(笑)

フォト・モンタージュをマネして作ってみようと思った場合、今だったらフォトショップなどを使用して、レイヤーを部分的に消したり、重ねたりすればなんとなくそれらしいものは作れるだろう。
表面的な技法を取り入れることは可能なんだけれど、ハンナ・ヘッヒが作っていたような作品とはまるで違うものになってしまうのがオチだ。
ハンナ・ヘッヒは雑誌などを実際に切リ抜いて、重ね付けしていた。
素材や材料の違いだけではなく、その時代の空気感を纏い、情熱の持ち方が作品に反映され、重要なエッセンスになっていたのではないだろうか。
特に戦争中の作品などは「これが最後になるかも」といったような切迫感を持ちながらの制作には鬼気迫るものがあったに違いないだろうし。
ダダのフォト・モンタージュが魅力的なのは、そういう理由もプラスされてるからかもしれないね?

「The Journalists」は1925年の作品である。
これはフォト・モンタージュではなくて油絵の作品だけど、まるで切り貼りされたような作風だよね。
ハンナ・ヘッヒはフェミニストなので、一部のパーツを巨大化して男性を皮肉っぽく描いてみせたのかもしれない。
例えば似顔絵などのイラストの世界などでは、特徴を目立たせる目的で一部のパーツをデフォルメして描いているのをよく見かけるけど、その元祖って感じだろうか。
もしかしたらその当時、本当に活躍していたジャーナリスト達だったのかもしれないね?
かなり漫画っぽく描かれた油絵もお気に入り!(笑)

1910年代から活動していたハンナ・ヘッヒは、生き辛かったのかもしれない。
世界情勢や歴史認識の知識に乏しいSNAKEPIPEは、ドイツでも男尊女卑があったという事実に驚いてしまった。
ヨーロッパでは日本よりもずっと早い時期から男女同権を掲げていると勝手にイメージしていたからね。(笑)
権利は定められていても、実際は違っていたということなんだろうけど。
もしかしたらその女性蔑視の経験が、作品制作のエネルギーになっていたのかもしれない。
そして同時に、この時代だったからこそ、これらの作品ができたとも言える。
ハンナ・ヘッヒは時代と共に、情熱的に生きた女性なんだろうね。

ハンナ・ヘッヒのような独創的でエネルギッシュなタイプの女流アーティストを知ると、元気が出てくるSNAKEPIPE。
素晴らしい作品を作っているアーティストにありがとうを言いたいね! (笑)
新たな発見があった時にはまた特集したいと思う。

CULT映画ア・ラ・カルト!【14】Santa Sangre

【サンタ・サングレのポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

CULT映画ア・ラ・カルト!」で特集してきたアレハンドロ・ホドロフスキー監督の3部作も今回でついに最終回を迎えることになった。
ホドロフスキー監督が「初めて商業映画を意識して制作した」という「サンタ・サングレ」である。
「サンタ・サングレ」(原題:Santa Sangre)は1989年制作のイタリア・メキシコ合作映画で、前作「ホーリー・マウンテン」から16年の時を経て完成した映画である。
その間に「Tusk」という映画を撮っているけれど、ホドロフスキー監督が自らの作品として認めているのは「CULT映画ア・ラ・カルト!」で特集している3本らしいので、この言い方で良いと思っている。
では早速「サンタ・サングレ」についてまとめてみようか。
※鑑賞していない方はネタバレしてますので、ご注意下さい。

物語は主人公フェニックスの少年時代と青年時代の2部構成になっている。
まずは少年時代について記述しよう。

フェニックスはグリンゴ・サーカスという名前のサーカスを率いる両親の元に生まれ育つ。
フェニックス自身も「小さな魔術師」というニックネームを持ち、マジシャンとして活躍している。
感受性豊かな優しい性格のため、泣いているシーンが多い。
そのため父親から「男にしてやる」という名目で、胸にその名の通りのフェニックス(不死鳥)の刺青をされる。
このシーンは父親がナイフの先で傷を付けることで刺青を仕上げていたため、フェニックスの胸は血だらけ!
本当に痛そうに泣き叫んでいたので、SNAKEPIPEも自分の胸をさすってしまったほど!

フェニックスの父親、オルゴはアメリカ人。
前述したようにグリンゴ・サーカスの団長である。
どうしてアメリカに帰らずメキシコにいるのかは「アメリカで女を殺したせい」と噂されるような暴力的な人物である。
酒飲みで女好き、といういわゆるだらしのない男なのに、団長なのが不思議だよね?(笑)
かなりの太っちょだけれど、スパンコールギラギラの衣装を着け、同じくスパンコールのカウボーイハットまでかぶっている。
そしてフェニックスに施したのと全く同じ刺青を胸に入れている。

フェニックスの母親、コンチャ。
「テラノ兄弟に両腕を切断され、強姦された挙句血の海に置き去りにされた少女リリオ」を聖女として祀る宗教団体の熱狂的な信者である。
その狂信ぶりはイカれてる雰囲気さえ漂う。
目がすごいんだよね!
そして聖女として祀られている少女リリオの像もかなり怖い!
何故だか髪をおさげにして、セーラー服着てるの!
メキシコにも似た制服あるのかしら?

コンチャもサーカスの一員として、髪の毛を使った空中吊りで演技をする。
コンチャはヒステリーで非常に嫉妬深い妻だ。
夫であるオルゴが他の女と一緒にいるとナイフをかざして脅しをかける。
演目の途中であっても激しい嫉妬心を抑えることはできず、夫と女を追いかけてしまうほど。

サーカス団に全身刺青の女が新しく加わることになる。
肉体美をアピールするのがこの女の得意な芸当。
その他に玉乗りするとか空中ブランコやるとか、そういう芸は持っていないみたい。
そのためなのか、団長であるオルゴを得意の肉体攻撃で魅了しようとする。
オルゴの芸はナイフ投げ。
全身刺青女を的の前に立たせ、ナイフを投げていく。
まるでそれが性行為の代替であるかのように、刺青女はナイフが1本、また1本と投げられる度に身をよじるのである。

全身刺青女が一緒に連れてきたアルマという少女も、サーカス団で火縄を渡る芸の特訓中である。
アルマは聾唖者で口をきくことができない。
恐らくそのため両親から見捨てられ、全身刺青女の手に渡ったものと思われる。
サーカスと聞くとちょっと物悲しく感傷的な気分になってしまうのは、こういう事情がたまに透けて見えるからだろう。
全身刺青女からイジメられても、アルマは強く清らかな精神のままサーカス団に溶け込んでいる。
そしてそんなアルマに心惹かれているのがフェニックスだ。

ついに団長と全身刺青女は一線を越えようとする。
その2人の後を追ったコンチャは嫉妬と怒りで気も狂わんばかり。
硫酸を手に2人のいる場所に向かうと、夫オルゴの局部に硫酸を降りかけるのである。
怒ったオルゴはコンチャをナイフ投げの的へ連れて行き、その場で両腕を切断する。
あのナイフがそんなに切れ味良かったとは!
その姿はコンチャが狂信していた聖女リリオそのものだ。
そしてオルゴは最後にグリンゴ・サーカスを目に収めた後、首を切って自害するのである。
全裸で局部を抑えながら少し歩いた後自害するシーンは「エル・トポ」の中にも登場したね。
その様子を泣き叫びながら見ていたフェニックス。
フェニックスはコンチャにトレイラーに閉じ込められていたせいで、行動できなかったのだ。
全身刺青女はアルマを連れて車で逃走してしまう。
車の後ろの窓から悲しそうにフェニックスを見つめるアルマ。
ここまでで少年時代のお話終了!
こんな惨劇が目の前で繰り広げられてしまったら、少年はどうなってしまうんだろうね?

青年になったフェニックスは障害者施設にいた。
言葉を喋らず、胸の刺青のように自分を鳥だと思っているらしい。
人間用の食事には見向きもせず、生の魚を見ると奇声を発し、ガツガツとむさぼるように食べ始める。
このシーン、どうみても本当に生のまま食べてるように見えるんだよね!
役のためとはいえ、大変だっただろうねえ。

ある日フェニックスは障害者達と共に映画「ロビンソン・クルーソー」を観に外出することになる。
そこに客引きの男が現れ、映画より楽しいことをしよう、と障害者達を誘う。
コカインを吸わされ、障害者達が連れて行かれたのは相撲取り並の体格の年配娼婦の前だった。
5人の障害者まとめて全員で20ドルという娼婦に、俺の取り分は15ドルだと主張して交渉成立。
アコギな商売してるよね、客引きの男!
この客引きの男の名前がテオ・ホドロフスキーなんだよね。
監督との血縁関係については不明!(笑)
他の4人は娼婦に連れられて行き、フェニックスは仲間に加わらず町をさまよう。
通りは客を待っている娼婦たちであふれている。
フェニックスがふと目をやった先に、先程の客引きと陽気にサンパを踊る女がいる。
なんとその女はグリンゴ・サーカスにいた全身刺青女だった。

全身刺青女はグリンゴ・サーカスの時もそうだったように、その肉体とお色気だけをウリにしているので、サーカス団から逃げた後は娼婦になっていたようだ。
律儀にも(?)あの聾唖者のアルマの面倒もみているようで、同居している。
2人の軍人を客に取り、そのうちの一人をアルマに相手させようとする。
この軍人、恐らく巨人症だと思われる。
その巨人相手に格闘し、窓から逃げて難を逃れたアルマ。
なんとか夜露がしのげる場所を確保し、朝にようやく家に帰る。
そこで全身刺青女の亡骸を発見するのだった。
全身刺青女の殺害シーンはまるでアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」を思わせる演出がされている。
カーテンごしにナイフで上から下へと斬りつけるのである。
殺人者の姿は見えず、ただ赤いマニキュアをした女の手だけがヒントである。
一人ぼっちになってしまったアルマの心の拠り所は、グリンゴ・サーカスで生き別れたフェニックスだった。

映画「ロビンソン・クルーソー」の翌日、フェニックスは両腕のないコンチャの呼びかけに応じて、障害者用施設を抜け出す。
そしてコンチャと一緒に「コンチャと魔法の手」という演目を劇場で披露している。
これはフェニックスがコンチャの手の代わりに、二人羽織状態で後ろから動きを付けている出し物である。
フェニックスの爪には赤いマニキュアが塗られている。
本物の女性の指のようなきめ細やかな動きに感心してしまうね!
二人羽織は演目だけではなく、家の中でもコンチャの手の代わりを務めるのである。

この劇場の他の演目に「制服の処女ルビー」というストリップショーがあるんだけど、このルビーちゃんがすごいインパクト!
メキシコ人は、もしかしたら老けて見えるのかもしれないけど、どうみてもルビーちゃんは40代に思えるよ!
黒板と机を配置した教室を演出したステージに、セーラー服に髪をおさげにして登場!
まずはこのアンバランスさがなんとも言えずシュールな感じがする。
ちょっと昭和レトロな雰囲気もあるよね?(笑)
コンチャが崇拝し、聖女リリオとして祀っていたのもセーラー服とおさげ髪だったので、ホドロフスキー監督は余程気に入っていたに違いない。(笑)
観客のおじさん達もやんややんやの大歓声で、ルビーちゃん大人気だし!
このストリッパー、ルビーちゃんから「あたしと組まない?」と誘いを受けるフェニックス。
いつの間にか父親譲りのナイフ投げの技を身に付けているフェニックスは、ルビーちゃんをナイフ投げの的の前に立たせるのだった。
この時フェニックスの脳裏をよぎるのは、かつて父親の前で身をくねらせて的の前に立っていた全身刺青女。
強烈な記憶は今でも色鮮やかにフェニックスに影響を及ぼしているようだ。
そこにやってきた母親、コンチャ。
父親にしていたのと同じように、フェニックスが自分以外の女と接触していると、強い反発心と嫉妬心で怒りに打ち震えるのだ。
「その女を殺しなさいっ!」
そうコンチャから命令されると、自分の意志とは関係なくコンチャの指示通りに手が動いてしまう。
ルビーちゃんの腹部めがけてナイフを投げてしまうフェニックス。
コンチャの命令は絶対である。
逆らうことなんてできないんだ。

ルビーちゃんの死体を自宅に運び、庭に埋める。

今までにも大勢の女性を手にかけ、同じように庭に埋めてきたんだろう。
大勢の埋められていた女性たちが花嫁のベールをかぶり、ワラワラと土から出てくるシーンがある。
ここだけ見ているとまるでホラー映画のようで、かなり不気味だった。
タイトルつけるなら「brides of the living dead」って感じか?(笑)
不気味といえば、フェニックスが自宅に招いた史上最強の女子プロレスラーは、どこからみても男性にしか見えないんだよね!(笑)
上の写真がその女子プロレスラーなんだけど、身長の高さ、体つきのゴツさ、顎のラインなど全てが男!
コンチャと力の強い彼女(?)を対決させようと企てていたようだ。
それなのに、なんとも残念なことにコンチャの命令のほうが勝っていたんだねえ。
「彼女を殺すのよ!」
コンチャ、本気で女だと思ってたのかなあ?(笑)

「コンチャと魔法の手」を上演している劇場を手掛かりに、アルマはフェニックスの住所を探し出す。
家の中の様子から、恐らく全ての察しがついたんだろう。
フェニックスの目を開かせ、真実と向き合わせようとする。
全ての真実を受け入れたフェニックスは、やっと本来の自分自身と自分の手を取り戻すことができるのだった。

急に最後の部分だけかなりぼやかして書いてみたよ。
そこが核心に触れる部分なので、ネタバレし過ぎはヤボかな、と。(笑)
母親に支配される息子の主題は、前述したヒッチコック監督の「サイコ」でお馴染みだと思う。
ただしホドロフスキー監督はメキシコで実際に起きた連続殺人事件を元にこの映画の構想を練ったらしい。
20人以上の女性を殺し、自宅の庭に埋めていたホルヘ・カルドナという犯人にも直接インタビューまでしていたというから驚きだよね!
そのホルヘ・カルドナが母親からの支配を受けていたのかどうか、その事件そのものについての調べがつかなかったのではっきりしたことは不明。
構想から7年の月日が経ってからの映画化ということだから、どうしても撮りたかった作品なんだね。

冒頭に書いた「商業映画を意識した作品」という意味については、
・ストーリー展開がはっきりしていたこと
・他2作に比べるとグロいシーンが少なかったこと
・ラテン音楽の多用とダンスのシーンなどから陽気な雰囲気を感じたこと
という3つがパッと思いついたことかな。
いかにもホドロフスキー監督らしい、と思える演出のほうがはるかに多かったので、「エル・トポ」と「ホーリー・マウンテン」に比べてみれば、という前置きが必要かもしれない。

「サンタ・サングレ」を英語に訳した「ホーリー・ブラッド」と叫んでいたのが少女リリオを祀っていた教会でのコンチャだった。
少女が流した血は聖なる血だ、というのだ。
根拠は不明だけどね!
両腕を切断された、で思い出すのがデビッド・リンチの娘であるジェニファー・リンチの処女作「ボクシング・ヘレナ」(原題:Boxing Helena 1993年)である。
この映画は主演女優の降板騒ぎや、最低映画賞といわれるラジー賞を獲ったという悪評で有名な映画になってしまっている。
最終的に主役に収まったのは、「ツイン・ピークス」でオードリー役を演じていたシェリリン・フェン
少女リリオのように両腕のみならず、両足までも切断され椅子に腰掛けているのが、左の写真。
元々自分勝手で奔放な性格という設定だったせいもあり、とても聖女とは呼べないタカビー(死語)な女性だったよ。
改めて鑑賞しなおしてみたけど、ラジー賞に納得してしまったSNAKEPIPE。
エロと猟奇と狂気が中途半端なんだよね。
どうせやるならどれか一つを突出させても良かった気がする残念な作品だった。
「サンタ・サングレ」と同じジャンルに分類されるオチの付け方なのに、「ボクシング・ヘレナ」には非難の言葉が多いのも中途半端さが原因かな、と思われる。

ホドロフスキー監督についてもう少し調べてみよう。
「サンタ・サングレ」で演じられた少年時代と青年時代のフェニックスは2人共、ホドロフスキーの実の息子!
ん?ここで疑問が。
一体ホドロフスキー監督には何人の息子がいるんだろうね?(笑)

「エル・トポ」に出ていた、あの裸の少年。
ブロンティス・ホドロフスキーは1962年メキシコ生まれの長男。
wikipediaのページがフランス語なので、はっきりしたことは不明だけど、どうやら俳優や演出家をやっている模様。
ホドロフスキー監督の最新作「リアリティのダンス」ではアレハンドロ・ホドロフスキーの父親役、つまりブロンティスからみるとおじいちゃんを演じているらしい。
自伝的小説「リアリティのダンス」に中にブロンティスに関する記述がある。
どうやらブロンティスは6歳まで母親とアフリカにいたらしい。
そしてその後フランスにいるアレハンドロ・ホドロフスキーの元に来たというのだ。
そのため6歳までは父親不在の生活を送っていたとのこと。
「エル・トポ」は1970年の制作なので、ブロンティスは父親の元に行ったばかりで撮影してたんだね!
「ホーリー・マウンテン」にも「サンタ・サングレ」にも出演していたようだけど、どの役だったのかは不明。

アクセル・ホドロフスキーは「サンタ・サングレ」の中でフェニックスの青年時代を演じた。
映画に関する記述ではアクセルだけど、小説「リアリティのダンス」の中にヒントがあった。
アクセル・クリストバル・ホドロフスキー!
クリストバル・ホドロフスキーは1965年生まれの次男坊。
詩人、画家、作家、映画監督の他にサイコ・マジックも手がけているらしい。
サイコ・マジックとはアレハンドロ・ホドロフスキーも行なっていたサイコセラピーの一種で、依頼人の悩みを家系図を元に作成した系統樹や依頼人が見た夢などを利用して、根本となる問題点を導き出し、問題解決にあたるものである。
実際にどのような方法を用いて問題解決をしたのか、という実例については小説「リアリティのダンス」の中に事例があるので参照して下され!
詩人やサイコ・マジックを手がけているということで、もしかしたらクリストバルが一番ホドロフスキー監督の影響を受けているのかもしれないね?
それらは父親であるアレハンドロが行なってきたことを伝承しているみたいだからね。
クリストバルのHPがスペイン語で書かれているので、読解できないのがもどかしいね!
何の役なのかは不明だけど、映画「リアリティのダンス」にも出演している模様。

アダン・ホドロフスキーは「サンタ・サングレ」でフェニックスの少年時代を演じた。
1979年生まれというから、長男と17歳も差がある三男坊!
ホドロフスキーが50歳の時に生まれた、と書いてあったよ。
「サンタ・サングレ」撮影時は9歳くらいだった計算だよね。
このアダンは、現在Adanowskyという名でミュージシャンになっている。
wikipediaによると、どうやら一番初めにアダンにギターを教えてくれたのは、あのジョージ・ハリスンだったらしい!
アレハンドロ・ホドロフスキーが友達だったから、というのが理由らしいけど、ビートルズ・ファンには垂涎の的だろうね。(笑)
アダンもアナーキストの役で「リアリティのダンス」に出演しているみたい。

恐らく息子はこの3人だと思われるんだけどね?
どうやらそれぞれの母親は別らしい。
それなのにホドロフスキー色が濃く出ているところがすごいよね。(笑)
実は他にも映画の中にホドロフスキーって名前があるのを発見したんだけど、それが息子なのか親戚なのかはよく分からなかった。
娘も一人いるらしいんだけど、この方は映画とは無縁だったのかな。

来年日本公開予定の「リアリティのダンス」の前に、ホドロフスキー監督の3部作についてまとめてみたよ。
これで復習は完了だね!
そして小説「リアリティのダンス」も読了し、3人の息子達についても調べたので予習もできたかな。(笑)
来年の公開が本当に待ち遠しい!