ロック少女のバイブル?The Runaways鑑賞

【左側が映画版ランナウェイズ。右側が本物だけど区別つかないね!】

SNAKEPIPE WROTE:

美容院に行ってきた。
腰に届くくらいのストレートロングヘアを保持してきたSNAKEPIPEだけれど、ここらで思い切りイメージチェンジをしてみようと思ったのである。
いきなりイメチェンといってもどんな髪型が良いのか分からない。
参考にしてみよう、と画像検索したのがジョーン・ジェット
1982年に「アイ・ラブ・ロックンロール」をヒットさせたジョーンは、女性とは思えないほどパワフルなギタープレイに凛とした雰囲気を持つ中性的な魅力の持ち主。
「カッコ良い姐御!」
と一目見たときからファンになってしまったSNAKEPIPEなのである。

イメチェンはジョーン・ジェットみたいな狼カットにしてみてはどうか?
ん?今は狼カットって言わないの?古い?(笑)
今はウルフカットって言うのか。
なんだい、英語にしただけじゃん!(怒)
そこで久しぶりにジョーン・ジェットの画像を検索すると、なにやら若い頃の写真がいっぱい載ってる。
と、思ったらそれがジョーンに成り切って写っているクリステン・スチュワートだったのである。
なんだこれは?と調べて、ランナウェイズの映画化を知った次第。
結局髪型はやっぱり狼カットにする勇気がなくて、ただ切っただけ。
30cmくらいバッサリ切ったからイメチェンにはなったかな?(笑)

ランナウェイズとは1975年から1979年に活動していたアメリカのガールズ・ロックグループである。
ヴォーカル・シェリー・カーリー
リズムギター・ジョーン・ジェット
リードギター・リタ・フォード
ベース・ジャッキー・フォックス
ドラム・サンディ・ウエスト
5人の平均年齢16歳、というティーンエージャーばかり。
ヴォーカルのシェリーがコルセットにガーターベルトというセクシーコスチューム、大股開きで歌う大胆さが話題だったようである。
どうやら日本でも大人気だったみたい。
ランナウェイズ最大のヒット曲「チェリー・ボンブ」のシングルレコードを所持していたSNAKEPIPEだけれど、残念ながら当時の人気はほとんど知らないんだよね。

ランナウェイズの映画化を知ってから数週間経過。
なんとなく毎日落ち着かない日々が続いているため、予定を立てる余裕がなかったんだね。
計画停電で昼間の時間に電気が使えなくなった3月のある日のこと。
急遽外出を決め、ROCKHURRAHと渋谷に向かった。
映画「ザ・ランナウェイズ」は東京では渋谷PARCOにあるシネクイントだけの単館上映。
先日観た「マチェーテ」も新宿での単館上映だったけど、最近は日本映画ばかりで外国映画はあんまり上映してないのかな?
実際映画館の中に入ってびっくり。
観客が10人くらいしかいなかったんだよね。(笑)
座席を指定するタイプの映画館だったけど、これじゃ指定の意味ないよー!
それなのに前方真ん中付近は人気があったようで、10人しかいない観客の中の4人くらいが固まって座ってるのがおかしかった。
周りはガラーンとしてるのにね!
空いてる映画館は好きなので、この日に行って良かったな。(笑)

映画が始まってすぐにびっくりする。
ジョーン・ジェット役のクリステン・スチュワート、似過ぎ!
かなり意識して真似たのかもしれないけど、顔からスタイルまで全部似てるからね。
これはかなり驚きだよ!
シェリーに扮するのはダコタ・ファニング
現在17歳ってことは撮影してる時は15歳とか16歳だったんだね。
丁度ぴったりシェリーと同じ年齢で演じるとは。
それにしてもアメリカの女の子はオトナっぽいね。(笑)

映画は1975年、ジョーン・ジェットとシェリー・カーリーが15歳というところから始まる。
75年というとロンドン・パンクより1年早く、音楽シーンはまだグラム・ロックの時代ね。
グラムについて知りたい方はROCKHURRAHの記事「時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side A」と「時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side B」を読んで頂くと有効ですな!(笑)
シェリーはデヴィッド・リンチじゃなかった、デヴィッド・ボウイに夢中。
ジョーンはスージー・クアトロを手本にしていたらしい。
思春期だから現状に不満を感じるお年頃よね。
解るわぁ~!(笑)
自分にとってのアイドルをマネて、大人のフリを始める時期。
ジョーンはロックがやりたい!と一生懸命ギターを練習する。
ある程度弾けるようになったところで、プロデューサーのキム・フォウリーに自分の売り込み!
ここらへんが若さって素晴らしい、と思えるところ。(おばさんっぽい?)
怖い物知らずの当たって砕けろ状態なんだけど、なんとこれがすんなり受け入れられる。
更にドラムのサンディ・ウェストを紹介されて「二人でやってみろ」とのこと。
二人で練習してるところにベースが入り、ギターがもう一人参加し、とだんだんバンドっぽくなってきた。
最後にフォウリーがシェリー・カーリーのルックスを見定め、ヴォーカルに勧誘。
ランナウェイズ結成である。

それにしてもこのキム・フォウリーというプロデューサー、かなり気色悪いタイプ。
いかつい顔・体型なのにグラムっぽくしっかり化粧してるんだよね。(笑)
パンクっぽいアクセサリーも付けてたし。
本人はどんなだったんだろう、と検索して出てきたのが左の写真。
ご本人登場なんだけど、どお?
本人も音楽活動をしていて、どうやら現在も活動している模様。
こうして見るとあの映画の中でフォウリーを演じていた人はかなり忠実だったことが判明。(笑)
少女達を操って、どんどんフォウリーが思う通りの理想にバンドを近づけて行く課程はとても面白かったけど、タイプはまるでマルコム・マクラーレン
なんとなく胡散臭い、でも商才には長けてる仕掛け人的な雰囲気がそっくりだった。
「チェリー・ボンブ」を即興で作るシーンはかなりウソっぽかったな。
あんなに簡単にできた曲なんだろうか?(笑)

バンドはフォウリーの売り込みにより、メジャーデビューが決定。
どんどん上り調子になるところは観てみてワクワクした。
日本公演のシーンでは、
「よくもここまでやったもんだ」
と驚いてしまうほど、当時の日本人を再現。
ファッションや髪型をじっくり研究したんだろうね。
本当に1976年って感じだったよ。(笑)
恐らく日本公演の頃がピークだったのかもしれないね。
良い時は長く続かず、バンドはバラバラになってしまう。
シェリーだけに人気が集中することに嫉妬し、不満の声をあげるメンバー。
当のシェリーもロックスターが背負う犠牲に苦痛を感じるようになってくる。
みんなでロックをやろうよ、と最後まで言っていたのはジョーンだけだった…。

話自体は割とありきたりで、特別な展開もなく終わった。
当時の雰囲気はよく伝わってきたし、なんといってもシェリーとジョーンがよく頑張って演じてたね!


ジョーン・ジェットは15歳から現在の50代に至るまで、首尾一貫してロックをやり続けている。
雰囲気はほとんど変わっていないし、やっぱり今でもカッコいい!
画像検索している時に気になったのが上の写真。
どうやらUS Navyのヘリコプターに乗る時に撮られた写真みたい。
ジョーンは米軍支持者で軍のための演奏を行っていると書いてあった。
上のスタイルも決まってるし!
ピシッと筋を通す意志の強さに勇気と元気をもらったよ。
これからもずっと付いていくぜ、ジョーン姐さん!(笑)

大人社会科見学—河口湖・富士山—

【バスの中から撮影した失敗作。(笑)チラリと見える美しい富士山】

SNAKEPIPE WROTE:

3月4日はSNAKEPIPEの誕生日である。
毎年プレゼントを考えてくれるROCKHURRAHが
「今年は温泉旅行にしようか」
と提案してくれた。
おおっ!
あ、憧れの露天風呂付き客室の温泉旅行!(笑)
場所をどこにするか考え、せっかくなので富士山が見える温泉にしようということになった。
富士山が見える露天風呂とは!(笑)
なんだかものすごく贅沢な温泉旅行になりそう。
わくわくして旅行を楽しみにしていたSNAKEPIPE。

旅館の予約を入れたのは2月の下旬である。
もちろん3月11日にあのような災害が起きるなんて予想もしていなかった。
計画停電の関係もあり、大丈夫なのか不安になりながらも旅館に確認したところ
「お待ちしております」
とのこと。
なんとなく言葉に濁りを感じたけれど、せっかくの旅行だもの。
行くったら行く!

3月の下旬、ついに予約していた日になった。
宿のある河口湖畔に行くために河口湖駅に向かう。
河口湖駅、という駅があることも知らないSNAKEPIPE。
実は千葉県内と東京都内以外はほとんど行ったことがないんだよね!
山梨県は今回初めて足を踏み入れる場所になるみたい。
河口湖駅に着いてまずびっくりしたのはその寒さ!
高く積み上げられた雪が道の両側に見られる。
今年は確かに寒いけれど、この時期に山梨県はまだ雪なんだね!
あっ、富士山があんなに大きい!
頂上にはもちろん雪が残っている。
とても美しい富士山を間近に見られるなんて感激だよ!

旅館に行くまでには時間があるため、まずは河口湖北原ミュージアムに行くことにした。
以前森アーツセンターで開催された「超驚愕現代アートコレクション」がとても興味深かったので、北原コレクションをもっと鑑賞したかったのである。
まずは腹ごしらえ、と北原ミュージアムに隣接するハッピーデイズカフェで昼食。
河口湖が一望できる高台にあるカフェは、室内がとても暖かかった。
BGMはビートルズ。
北原さんのチョイスだろうね。(笑)

お腹を満たしてミュージアムへ。
「懐かしの広告キャラクター展」という昭和30年代に生まれた企業キャラクターが特集されていた。
SNAKEPIPEが知っていたのはペコちゃんとサトちゃんくらいだったけど、じっと観ていたら
「こちらのポコちゃんは、現在の評価価格150万円でございます」
と職員が近寄って来て説明を始める。
いや、別に買うつもりないんだけど…。(笑)
1階で鑑賞していると、スーッと職員が近寄って来て説明を始めるので逃げ腰になってしまった。
説明を受けて嬉しいと思う人とそうじゃない人がいるからね。
2階に行くと付いてこなかったのでちょっとホッとする。
自分の好きなように鑑賞したいからね!
レコード、雑誌、香水瓶、ポスター、薬の箱、そしてもちろんブリキのおもちゃなど
「よく集めたねー!」
と感心してしまう貴重なコレクションの数々。
昭和のデザインって良い物がたくさんあるんだね。
復刻されることはないのかしら?
とても楽しいミュージアムで行って良かったと思う。

次に向かったのは山梨宝石博物館
特別宝石に興味を持っているわけでも、石の付いたアクセサリーを持っているわけでもないけれど石の持つパワーを感じてみたいと思い行ってみたのである。
説明によれば、ここは日本で唯一の宝石専門博物館とのこと。
いろんな石が展示されているのだ。
入ってみてびっくり!
まるで巨大な宝石屋さんに入ったみたい。
黒を基調にした室内にガラスケースがズラーッと並んでいる。
その中に今まで聞いたこともないような名前の石がこれでもか、というくらい展示されている。
原石から始まり、磨くとこんなに光り輝くんですよ、という段階も解る寸法。(笑)
高さ180cmもある巨大な水晶の展示もあり、まるで御神体みたいな雰囲気。
あの水晶を発掘した人は驚いただろうなー!

そろそろ旅館のチェックインの時間。
河口湖をゆっくり散歩、と洒落込みたいところだけど、雪が降ってきたよ!
寒いのなんのって!
万が一に備えて防寒してきて本当に正解。
まさかこんなに気温が低いとは思わなかったからね。
そのせいなのか車も人もほとんど通っていない。
河口湖ってもっと観光が盛んなのかと思ってたけど?

旅館に着いて人が少ない理由が分かった。
予想通り、震災と計画停電の影響でキャンセルが多発したらしい。
そのためなんと旅館のお客さんはほとんどいないとのこと。
幸いにもROCKHURRAHとSNAKEPIPEが到着した日、停電は中止。
ここまでガランとした旅館も珍しいね。
大浴場まで貸切状態になっちゃったし。
泳いじゃったからね!(笑)

部屋に案内されてびっくり!
目の前に富士山がっ!
頂上付近には雲がかかってしまったけれど、あれは紛れもなく富士山だ!(笑)
部屋に付いている露天風呂は24時間いつでも入れる状態で、寒さのために表面から湯気が立っている。
なんて素晴らしい環境なんでしょ!
早速露天風呂に入り、冷えた体をほぐす。
頭は寒いけれど、首から下はホカホカ。
頭寒足熱を実践してとても気持ちが良い。
あー!極楽、極楽!
来て良かった、と思った瞬間である。(笑)

旅館の中で特筆すべき事項といえば、翌朝朝食を取るためにホールに向かう時のこと。
すでに着替えを済ませていたので、SNAKEPIPEは自分のブーツを履いて食事処に行こうとすると
「旅館では下駄だよ」
とROCKHURRAHが主張する。
同じく着替えを済ませていたにも関わらず下駄で行く?
見ると靴下に無理矢理下駄を突っ掛けている!
5本指ソックスならまだしも、普通の靴下だよ?(笑)
服はミリタリー系装備なのに、足元は下駄!
はっきり言ってヘン!
歩き辛かったらしく、スタスタ歩くSNAKEPIPEに追いつくのが大変みたい。
「待って~」
とまるで老人のようなROCKHURRAHに大笑いした。(笑)
ところが食事処に同じスタイルの、下駄・靴下おっさんがいるんだもの!
また大笑いしたSNAKEPIPEだった。

朝食を終えた後すぐに出発。
この日の予定は樹海の風穴氷穴である。
西湖に向かうレトロバスに乗って約40分。
雪道を歩いてお目当ての風穴へ。
思っていたのと全然違って青木ヶ原樹海も雪景色。
もっとジャングルっぽい道を歩くんだと想像してたんだよね。(笑)
「おおっ、エコバニごっこができる!」
「U2ごっこもできるかも?」
「シャイニングごっこもできるじゃん」
(注:上記のバンドや映画はどれも雪深い中での撮影をしていたため)
などと他愛もないことを話しながら、エコバニになりきって記念撮影。
80年代にタイムスリップだよ!(笑)

そうこうしているうちに風穴に到着。
ツララは垂れ下がってるわ、手すりは凍ってるわ、足元は滑るわ!
滑りやすいので足元に気を付けてと言われてはいたものの、まさか凍ってるとは思わなかったよ!(笑)
階段を降りて降りて洞窟内に入って行くと、ライトアップされた巨大な氷の塊が!
昨日は水晶で、今日は氷。
巨大な塊ばかりを観てるなあ。(笑)
なんとも神秘的で幻想的で、滑りそうになりながら降りた苦労を忘れた。

去年の夏、猛暑を乗り切るための涼しい場所をテレビで紹介していた時に、風穴を観たことを思い出す。
風穴から出て来た人のメガネが温度差のために曇って、
「中はとても涼しかったです」
と答えていた記憶がある。
ところが!
この日もかなり風のある寒い日だったため、風穴洞窟内のほうが暖かく感じたほど。
サングラスも曇らなかったし。(笑)

風穴のチケット売り場の方に氷穴の行き方を聞いてみると
「この左の道をまっすぐ行って、三叉路に出たら一番左をまっすぐです」
と簡潔な答え。
そんなに大変じゃなさそう、と歩いて行くことにする。
がっ、前述したように青木ヶ原樹海は雪景色。
当然ながら雪かきされているわけではないので、完全な雪道を歩くことになった。
一番積もっているところで約30cmの積雪量というところか。
そこをザクザク音を立てながら氷穴目指して歩くROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
なんだかまるで軍隊の雪原地帯訓練みたいだよ!(笑)
こんなに長い雪道を歩いたことがないので、大変だけれど嬉しくて張り切って行進してしまった。
さすがにこんな悪路では誰も徒歩で氷穴に向かおうとは思わなかったらしく、雪の青木ヶ原樹海に存在しているのは樹木と行進する2人のみ!
風で木々が揺れる音と2人の足音しか聞こえない。
晴れていたせいもあるけれど、その静寂はとても心地良かったな。

それにしても…。
歩いても歩いても全く「氷穴はコチラ」なんて書いてある看板が見当たらない。
道を間違えたとは考えにくいけれど、ここは青木ヶ原樹海…。
万が一道に迷ったら…ぐわ!こ、怖い!
「とにかくこの道を進んで行くしかないよ!ね!」
と自分に言い聞かせるように、口に出して言いながら行進を続ける。
歩き続けること約1時間。
トラック車体の青色が遠くに見えた時は本当にホッとした。
やっと氷穴に到着したよ!
雪道の行進、楽しかったな!と言えるようになったし。(笑)

いよいよ、氷穴である。
風穴を見学して来ているので、同じような洞窟なんだろうと思っていたら!
氷穴は洞窟に入るまでが風穴以上に過酷!
凍った急な階段を降りて、降りて、降りて。
まだ下に降りるのか、と思っていると
「こんなに狭い隙間は行かれないよ~」
と先頭で降りていたROCKHURRAHが尻込みしている。
人が一人ようやく通れるくらいの大きさの穴を降りないと洞窟に到達しないようだ。
へっぴり腰になっているROCKHURRAHに、後ろから頑張れ!と声をかける。
「わー」とか「ひゃー」とか何かを叫びながらROCKHURRAHの降下完了。
SNAKEPIPEのほうが小柄なので(当たり前か)そこまで恐怖を感じないで降下。
そこが最後の試練で、残りの行程はそんなに苦労しないで歩いて見学。
氷穴は洞窟内よりも、降りる課程が印象的だったね!

河口湖駅に向かうバスの中のこと。
観光旅行で来ていたらしいアメリカ人女性2人が乗っていた。
ずっと2人で喋りまくり。
どうして外国人ってあんなにお喋り好きなんだろ?
そのうち、その女性のうちの1人が
「オーマイガッ!」
と言うと、もう一人も
「オー!ジーザス!」
となんだかとても驚いている様子。
何かと思うとバスの窓からくっきりキレイな富士山が見えるではないですか!
外国人2人は写真を撮り始めた。
負けじ、とSNAKEPIPEもカメラを構える。
だけど、動いてる車内からの撮影って難しいよねー。(上の写真参照)
バスの運転手さんも気を利かせて、かなり徐行運転をしてくれている。
あんなにキレイな富士山が見えただけで良かったな!(負け惜しみ)

1泊2日の旅行だったけれど、今まで行ったことがない場所で初めて目にする物や経験ができてとても有意義だった。
またいつの日か温泉旅行に出かけたいな!

どの車にしようカー?

【マイトガイ・小林旭1964年のヒット曲。いろんな車が出てくるよ!】

SNAKEPIPE WROTE:

先日免許の更新に行ってきた。
実はSNAKEPIPE、普通自動車免許を持っているのである。
取得したのは20歳の時…今からかなり前のことである。(笑)
そしてなんと免許取得してから、今まで一度も運転をしたことがない。
完全なペーパードライバーである。
身分証明書として活用しているので、5年毎の更新も行っている。
当然ながらゴールド免許だ。(笑)

千葉県運転免許センターは幕張の海近くにある。
ここもどうやら埋め立て地だったようで、地震の影響を強く受けた地域のよう。
そこかしこにひび割れや隆起した地面が見られる。
日曜だったため、混雑を予想していたけれど、恐らく普段の日曜より人が少なかったような?
一日仕事になると覚悟していたけれど、30分の優良講習も無事に終わり、めでたく更新終了。
これで平成28年まで安泰!(笑)

嫌々自動車学校に通い、やっと免許を手にした時には
「やっぱり車買おうかな」
と真剣に考えたものである。
あの時に「この車がいいな」と思っていた車種は、やっぱり今でも好きだ。
前置きが長くなったが、今日はSNAKEPIPEが好きな車特集にしてみようかな。
SNAKEPIPEは全然車について詳しくないので、スペックがどうのとか燃費・価格がどうのというような現実的な話はよく分からない。
「デザインとして好き」「乗ってみたいな」というレベルの話なのでご了承頂きたい。

一番欲しかった、気に入っていた車はミニである。
家の近所に確か(曖昧な記憶)ブルーのミニクーパーが駐車していて、いつもカワイイ車だなと思っていた。
そしてその車の中にユニオンジャックが飾ってあり、ブルーと旗の青/赤/白がとても鮮やかだった。
いつかあの車を手に入れたら、同じようにユニオンジャックを飾りたいとまで思っていた若かりし頃のSNAKEPIPE。(笑)
最近のミニはあの頃見ていたタイプとデザインが変わってしまい、以前感じていたトキメキはなくなってしまった。
調べたところによると、2001年からはBMWがミニを生産販売してるんだね。
どうやらSNAKEPIPEが好きなのはブリティッシュ・モーター・コーポレーション社製のクラシックタイプみたいだね!
この車に乗る時はやっぱりパンクの服装で、音楽ガンガンかけて走りたいもんだ!(笑)

続いてはダットサントラック。
この車も何故だかとても好きなタイプ。
特に大きな荷物を運びたい、という目的があるわけでもないのにね!
四角くて大きな車体で、派手な色だったら最高にオシャレ!
写真は50’Sっぽいブルーだけど、赤とか黄色、ピンクなどどの色もよく似合う。
シンブルに黒にして何か描いてもカッコいいね。
ROCKHURRAHによるとかつてダットサントラックはネオロカやサイコビリー系の人に人気があったとのこと。
物理的にウッドベースを積むため、というのも理由だろうけど、やっぱりダットサントラック→50’S→ロカビリーのイメージが湧くからかな?
今はウッドベースが積めるくらいの車はいくらでもあるけど、昔はあんまりなかったからね。
車体に派手なペイントをして、サイコビリーな服装で暴走したらサイコーだろうね!(笑)

もう一台とてもお気に入りなのはジープ。
ジープというのは、クライスラー社の四輪駆動車のことで、今回SNAKEPIPEが取り上げたいのはジャングルとか砂漠を駆け抜けるのに最適な(?)軍隊が使用しているタイプのこと。
調べてみるとジープには歴史があって、軍用でもモデルがいくつもあるみたい。
水陸両用なんていう魅力的なのもあったみたいね!
冷暖房もなく、屋根は幌だけだから実際には乗るのに苦労するんだろうけどね?
この車の時にはウッドランド迷彩上下で、できれば都会以外を走りたいね!

と、書いていたら
「俺も好きな車あるんだよ」
とROCKHURRAHが語り出す。
免許も持っていないのに、車について一言あるとは!(笑)
ではROCKHURRAH版も書いてみようか。

アルファロメオ・ジュリエッタ・スパイダー
1960年代のロボットのおもちゃで最もポピュラーな顔、そのデザインのルーツはこの車あたりじゃなかろうか?
流線型のボディに 「カッコイイ」と「かわいい」の狭間で揺らぐ顔立ち。
この当時のアルファロメオのデザインはどれをとっても好きなんだけど、中でもこのジュリエッタは華麗な印象を受ける。

「ロミオとジュリエット」にちなんで「(アルファ)ロメオとジュリ エッタ」というわけらしい。
日本の車であまり女性名をつけたものを見ないが(知らないだけ?)、さすが外国は粋なネーミングをするもんだ。アルファロメオはエンブレムもカッコ良くて大好き。 (以上ROCKHURRAH談)おおっ!イタリアの車がお気に入りとは。
やるねえ、ROCKHURRAH!(笑)
確かにとてもカッコ良い車だね。
この車に乗る時は、ワンピースを着て、頭にスカーフを巻きサングラスというチンピラのスケ風にしたいね。
ぷっ、今時「スケ」って言わないか!(笑)

シュビムワーゲン
SNAKEPIPEが書いたようにジープの無骨でヘビーデューティな魅力は確かに憧れる。
ドイツ軍が作ったこのシュビムワーゲンはそういう王道とは少し違った独特のセンスで、これに魅了された人も多いはず。
ROCKHURRAHも子供の頃に大好きだった車でタミヤのプラモデルでも何度も同じ物を作っていた記憶がある。
水陸両用の車というよりはタイヤのついたボートといった斬新なデザインで、実用的(だったかどうかは知らないが)でありながらちゃんとカッコイイところがさすがドイツ。
しかし排水性はほとんどなさそうなこの車、もし水が中に入ってしまったらどうするんだろうね? (以上ROCKHURRAH談)この車もカッコ良いねー!
ホイールまで迷彩になってるし。
やっぱりこの車の時はフレクタン迷彩の上下で乗りたいよね!(笑)

今回は「こんな車が欲しいなあ」という企画にしたけれど、SNAKEPIPEが運転する機会はこれから先もないだろうなあ。
実際のところ上に載せた車はどれも日本の道には似合わなそうだしね。(笑)

時に忘れられた人々【08】80’s ネオサイケ part2

【私的ネオ・サイケ名盤コレクション】

ROCKHURRAH WROTE:

色々と今、語らなければならない事はあるに違いないが、ROCKHURRAH RECORDSの方針として、今回からはいつも通りのブログに戻る事にする。

さて、今回は予告通りに80年代前半のネオ・サイケと呼ばれた音楽特集、そのパート2といこう。
読んでないけど何だか気になる人はパート1から先に読んでね。

前回の最後で地に潜むネオ・サイケ残党を募ったが全く反響はなかったので、いよいよこのジャンルは本当に廃れてしまったのかも知れないね。というわけで一人で時代錯誤に挑む事にしよう。
今回はいよいよマイナーなもの中心に、とも思ったがそもそもこういうジャンルで世界的に大ヒットしたバンドはないと思える。メジャーとかマイナーとかは抜きにして思いつくままに書いてみよう。
では始めますか。

80年代ニュー・ウェイブの初期に活躍したバンドを数多く抱える、インディーズの中でも名の通ったレコード・レーベルと言えばラフ・トレード、そしてチェリー・レッドあたりが最大のものだった。
チェリー・レッドはそれまでのパンク、ハードコア・パンクの集大成とも言える歴史的コンピレーション・アルバムをリリースしたり、パンク方面でも有名なレーベルなんだが、もう一つ、ネオ・アコースティックというパンクとは正反対の運動も推進していて、ちょっと変わった方針の会社だったな。
フェルトはそんな中に出てきたバンドだった。
ローレンスという美形ヴォーカリストが中心で人気者になれるルックスを持っていたのに、レコード・ジャケットも曲も地味の極み(初期)。インストの曲も多くて、はかなく繊細なギターによる工芸品のような音楽が特色だった。
陳腐な表現ですまん。
本来はネオ・アコの分野で語られるバンドなんだろうけど、哀愁の名曲というと必ずこの曲が頭に浮かんで来る。ROCKHURRAHが前回から書いているネオ・サイケの代表的な曲調ともそんなに変わらない世界なのでここに紹介した次第。
ちなみにこのローレンスはフェルトの後でデニムというバンドを始めたんだが、これが上記の繊細で叙情的な旋律とは正反対のもの。グラム・ロックにパブ・ロック、80年代のニュー・ウェイブなどがごっちゃまぜになったインチキっぽいB級ポップスをやっていて、紛い物大好きなROCKHURRAHの路線とかなり一致している。
興味ある人は是非聴いてみて欲しい。

ネオ・サイケの世界では有名な英国ミッドナイト・レーベルの中心的存在がこのサッド・ラヴァーズ&ジャイアンツだ。
叙情派ネオ・サイケの中でも群を抜いて正統派だと思えるし哀愁度の高さもかなりのレベル、しかしヴォーカルも演奏も致命的に特徴がなく、生真面目に面白くない側面を持ったバンドだったなあ。
そんな感想を持っているROCKHURRAHも実は初期シングルやアルバムも持ってたし、好きで集めてた時代もあった。
あまりの地味さにこのバンドを飛び出した(?)トリスタンが結成したスネーク・コープスはなかなかドラマティックな曲調だったが、本家サッド・ラヴァーズの方はあくまでも中庸路線。ビデオの映像はたぶんバンドとは何の関係もなさそう。
これだけ特徴のないのもある意味個性なのかも。

80年代初期は世界各国でニュー・ウェイブが盛んだった時期だが、あまりロックの世界で語られる事がなかったオランダでも頑張っているバンドがあった。
ディック・ポラックの率いるメカノがネオ・サイケの世界では有名なものだった。
前に商品ページでも書いたが、メカノとは穴の開いた平べったい棒のようなパーツで、これを自由にネジ留めして飛行機とか機関車とかさまざまなものを作るという欧州の知育玩具の事だ。まあレゴ・ブロックみたいなもんか?
それをバンド名にしてレコード・ジャケットもメカノをモチーフにしたシュルレアリスム絵画風の素敵なもの、というバンドだったが、音の方も英国製軟弱ネオ・サイケと比べて図太くシンプルで、ある意味豪快さも漂わせていた。
全部が全部そんな感じではないけど、数あるジョイ・ディヴィジョンもどきの中では個人的に高得点なバンド。
ちなみに別の国にも同名バンドが存在しているから非常にわかりにくい。
今回紹介するフリューはそのメカノのトルソー・レーベルからリリースされたバンドで、メカノとはメンバーもかぶっている兄弟バンドみたいな感じ。
兄貴よりは少し繊細とかアラビアン風要素があるとか細かい特徴は違うが、素人目にはほとんど同じようなものだ。
あまり多くの人が語るようなバンドではないので紹介してみた。
トルソー・レーベルには他にもジョイ・ディヴィジョンを彷彿とさせるミック・ネスという暗黒なバンドもいて、人とは違うネオ・サイケを探してる人には強力にオススメ出来る。

詳細はよくわからないが前回に書いたオーケストラ・ルージュなどと同じくフランスのネオ・サイケ・バンド。
フランス=ナポレオンという事で非常にわかりやすいな。ネオ・サイケでどんなバンドがあったっけな?と思い探してる時に、ふとこのバンドを思い出したというわけ。
バンド名以外に特にフランスっぽい要素もなくてここで取り上げる事もなかったかな。

ネオ・サイケというよりはポジティブ・パンク、ゴシック系のバンドとして語られる事が多いが、明確なジャンルの判別はあまり意味が無いので、ROCKHURRAHとしてはネオ・サイケとして扱う事にしよう。
ちょいとぽっちゃり少年顔のヴォーカルが「美形」と「かわいい」の狭間で揺らぐ(大げさな表現)、主に叙情派好きの女子に大人気だったバンドだ。
ただしその音楽は見た目よりは遥かに本格派で、ファンになるにはそれなりのネオ・サイケ通である事が望ましい。
まあそんな事は全然気にしなくて見た目から入るのも構わないけどね。何だこのどうでもいいような言い方は?
この曲は知ってる人は誰でも知ってる、ローリング・ストーンズのカヴァー。
原曲はサイケデリックな名曲だが、このダンス・ソサエティの方はいかにも80年代ネオ・サイケ風に仕上がっている。

これまたメカノと同じく同名バンドがいるために誤解を受けやすいが、80年代初期のネオ・サイケ・バンド。
確かロンドンの下町イーストエンドあたりのバンドだったように記憶する。
ブリッジハウスというレーベルからリリースされていたが、オンリー・ワンズのピーター・ペレットのお気に入りバンドとして一部では有名だった。
歌も演奏もルックスも良く、ポップな曲もあればヘヴィなのもあり、その辺のネオ・サイケ・バンドよりは通ウケする内容だったな。
80年代のヴェルベット・アンダーグラウンドという位置に近かったと個人的には思うが日本ではほとんど無名のまま終わってしまった。
ギタリストのロッコー・ベイカーはいち早くフレッシュ・フォー・ルルに参加してそちらの方が多少知られている程度。
ウェステッド・ユースは個人的に好きな雰囲気の曲が多く、輸入盤屋で結構探して少しずつ手に入れた思い出がある。
今ではネオ・サイケ要素は全くないROCKHURRAHだが、どんな音楽でも一番輝いていた時代があって、その最盛期に熱中して聴けた事は幸せだったんだと思う。だから聴かなくなってもこういうジャンルの音楽があった、そして自分が好きだったという事を忘れたくないから、ROCKHURRAH RECORDSを続けてるんだろうな。

「ネオ・サイケとは」と語る時に必ず出てくるようなバンド達を見事にすっ飛ばして書いてるような気もするが、そのイビツなバランスもROCKHURRAHの特色と言えるのかもね。
最後は何とスイスのネオ・サイケ、ブルー・チャイナを紹介しよう。ルドルフ・ディートリッヒなどという大仰な名前の人物が中心となっていたようだが、さすがにスイスの音楽事情となると調べるのも困難。
同じくスイスの初期ガールズ・バンドだったクリネックス(リリパット)の初期メンバーだったとの事だが詳細は不明。
男なのでガールズ・バンドにいられなくなったんじゃなかろうかと推測する(笑)。
何だかよくわからんコメントばかりで、こんなんでいいのか?とも思うが仕方ない、つまりよく知らないバンドという事。
かつてスイスのバンドでガールズ・フロム・タヒチというのを持っていたが、そこでこのルドルフ・ディートリッヒがプロデュースしていたような記憶がある程度。
今回は敢えて違う曲を紹介したが、ビートルズのサイケデリック名曲「Tomorrow Never Knows」をカヴァーしていたな。CDが出てるとかそういう情報はとんと知らないが、レコードの方はかなり希少で値段も高かったはず。
そのB面に収録されているこの曲も大好きな哀愁の名曲。

さて、ネオ・サイケなどという地味で生真面目な音楽を2回に分けて書いてきたが、あまり面白くも深くもない内容になってしまったな。
まあ完全に廃れてしまったような音楽について語るのは個人的には楽しい行為なので、今後も需要などに関わらず不定期に「忘れられた人々」について書いてゆこう。