時に忘れられた人々【13】パワーポップ編2

【私的パワーポップを表現して作ってみたが、意味不明】

ROCKHURRAH WROTE:

前回は特に詳細な解説を書いたわけでもないのに、たった4つのバンドしか紹介出来なかった。一体どんなところに無駄な文章を費やしているのか検証してみたが、自分の欠点は自分ではわからないもんだな。特に問題ないという事で今週も進めてみよう。

というわけでパワーポップ編の第2部だ。とは言ってもWikipediaの「パワーポップ」の項で述べるようなバンドはROCKHURRAHとしてはほとんど興味ないような部類が多いね。世間一般もROCKHURRAHもどっちも勘違いはしてないと思うけど、自分がそう思うようなバンドだけをピックアップしてゆきたい。

Skids / Charade

この「時に忘れられた人々」の第1回でも特集したスキッズ。前回の最後に書いたレジロスと同じくスコットランドのバンドだ。彼らがデビューしたのはロンドン・パンク第2世代くらいの77年なんだが、もう初期の頃からパワーポップと紙一重の音楽を完成させていた。だからパワーポップ編にエントリーしててもおかしくはないだろう。今回はスキッズだけを深く掘り下げて書くつもりではないから、どんなバンドか知らない人はこちらを読んでみてね。

スキッズの最大の武器で特徴はいかにもスコットランドのバグパイプ風曲調をギターで演奏する雄大なスケールの曲なんだが、こちらの方はパワーポップというニュアンスよりはもっと正統派のロックな感じがするので、今回は敢えてもっと80年代ポップ風の曲を選んでみた。スキッズのアルバムは3枚目までが大体同じ路線でこういうパワーポップ風の曲、ちょっと陰影のある壮大な曲、そして応援団風の元気ハツラツな曲がバランス良く収録されていて、どのアルバムを聴いてもハズレなしの完成度だ。4枚目だけが異質で通常のロック要素がない、トラッドに傾倒した円熟の世界が展開するもの。パンクとかパワーポップ目当ての人がいきなりこのラスト・アルバム「Joy」を買うと吃驚仰天なのは間違いない。

さて、この曲は個人的に最も好きな2ndアルバム「Days In Europe」に収録のヒット曲だ。最初はビー・バップ・デラックス、レッド・ノイズのビル・ネルソンがプロデュースしていて、シンセサイザーが入りすぎ=スキッズっぽくないとの事で後にミック・グロソップがプロデュースし直したのが一般的に普及している。けど、オリンピックなレトロ・ジャケットとビル・ネルソン色が濃いアレンジはやっぱり素晴らしい。 プロモもちゃんとあるんだけど、今回は「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演時の映像。これがリチャード・ジョブソン自慢の黄色いジャンプスーツ(宇宙服?)だ。「宇宙家族ロビンソン」もビックリ。そして注目すべきは2ndアルバム時のドラマー、ラスティ・イーガンだろう。リッチ・キッズ、そして後のヴィサージでも活躍するニュー・ロマンティックの重要参考人なんだが、この時の髪型が「ヤンキー烈風隊」を彷彿とさせるもの。70年代後半の小倉(ROCKHURRAHの出身地)には服装だけパンクでこういう髪型のがいっぱいいたなあ。 この曲以外にも元気になれる名曲がたくさんあるバンドなので興味ある人は調べてみてね。

Fingerprintz / Tough Luck

スコットランドばかり続くけど、こちらのフィンガープリンツもまたまたスコティッシュ。 後の時代のネオアコ、ギターポップでもスコットランドは産地だったから、良質なポップが生まれやすいのかもね。 こちらは日本ではほとんど無名に近いバンドだけど、いつもビックリしたような顔をしているジミー・オニールによる70年代後期のバンド。後にサイレンサーズというバンドが少しヒットしたから、その関係で知られる程度。

前回XTCの項でも書いたけど、70年代後半、ニュー・ウェイブ初期の頃のヴァージン・レーベルは良質のバンドをたくさんリリースしていたものだ。その中でもROCKHURRAHが勝手に御三家だと思ってるのがXTC、マガジン、スキッズなんだが、このフィンガープリンツもヴァージン・レーベルで御三家の牙城を崩すべく頑張ってきた中堅バンドという印象がある。ただし知名度ないって事はそれら御三家には全然及ばなかったというわけだが。 聴いてわかる通りジミー・オニールの歌はヴォーカルに個性と魅力ある上記のバンドと比べるとはなはだ頼りなく、今の言葉で言うならヘタレという形容がピッタリのもの。以前に当ブログ「軟弱ロックにも栄光あれ」という記事で紹介した時に「曲はすごく良くてパンクというよりはパワー・ポップ系なのにパワーないぞ、というところが魅力」と書いたが、まさしく言い得て妙。うまいなあROCKHURRAH(自画自賛)。

この曲は彼らの1stアルバム「Very Dab」に収録された代表曲。世紀の名曲「Hey Mr.Smith」もこのアルバムに収録されているからどちらにしようか悩んだが、よりパワーポップっぽいこちらを選んでみた。何度聴いてもヘナチョコな声がたまらんなあ。

The Undertones / My Perfect Cousin

あれ、また「軟弱ロックにも栄光あれ」で書いたのと同じバンドが出てきてしまった。パワーポップと言いながらも違う路線に行ってるんじゃないか? アンダートーンズはアイルランド出身のパンク・バンドだが、見た目や声がパンクの典型的なものとはずいぶん違うから、パンクとして語るよりはパワーポップの方が違和感ないような気がする。 いつも中途半端な7:3の長髪と60〜70年代の大学生(もしくは予備校生)っぽいファッション・センス、そして甲高いヴォーカルが最大の特徴であるフィアガル・シャーキーを中心としてパンク第二世代で大ヒットしたから、知ってる人も多いだろう。 短くてキャッチーな名曲はどれもポップ・ソングの見本のようだし、後にソフトなサイケデリックっぽくなってゆく過程もファンが多い。

この曲は彼らの2ndアルバム「僕のいとこはパーフェクト」に収録されている。初期に代表曲が多いからこの2ndはそんなにシングル・ヒットはないんだが、後のギターポップのファンが聴いても納得出来る良質な曲がギッシリ詰まっている。しかし改めて見るとよくこの風貌でトップ・バンドになれたな。クラッシュやピストルズとかが持ってるオーラとは全く別次元でロック・スター要素は皆無、隣の普通のお兄さんが売り物だったのか?

The Neighborhoods / Prettiest Girl + No Place Like Home

よし、最後はこれ。今回の企画で初めて書くアメリカ、ボストンのバンドだが、この後にレモンヘッズやチューチュー・トレイン、ヴェルベット・クラッシュあたりに続いてゆくアメリカン・パワーポップについて書く気はまるでないから、これだけで許してね。

ネイバーフッズ、知ってる人は少ないと思えるが70年代後期にデビューしたバンドだ。ROCKHURRAHも大昔に偶然手に入れただけのただの通りすがり。このバンドについては初期の頃の印象しか知らないが、実は長く続けてるようでちゃんと公式サイトもあったから逆にビックリ。 ジェットコースターに乗ってバンザイしてる子供っぽいジャケットだったからなめてかかったが、音を聴いてガツンときた。初期のジャムを聴いた時のような勢いのあるタイトな演奏と曲。ジャムと同じく3人組なんだが、まさかアメリカのバンドとは思えなかった。

シングル1枚所持していただけで、その後自分の音楽志向も変化していったから追い求める事はなかったが「No Place Like Home」はよく人に作ってあげたベスト盤に入れてたもんだ。その時の映像がこれなんだが、当時は動いてる姿も知るはずもなく、数十年経って久々にこの曲に再会したわけだ。 まるでギター初心者用セットみたいな水色ストラトキャスター、ベースの軽薄なシマシマ、そして盛り上がった変な髪型。映像だけ見るとかなり素人っぽいが実は場馴れした演奏で、初期ジャムが好きな人なら感銘を受ける事間違いなし(特に2曲目)。最後のドラムを蹴倒すところもカッコイイね。髪型とベースのシマシマがなかったらもっと点数高かっただろうに。

今回もやっぱり4バンドか。一言コメントじゃないから一日にかけるのはこの程度が限度だね。書いてる本人が飽きてきたしパワーポップはここまで。多くの人々が語るパワーポップとは少し違っていただろうし、大半が単なるポップなパンク・バンドなんじゃなかろうか?とも思った。無理やり捏造したパワーポップという曖昧なジャンルだから記事も無理やりだけど、こういう路線が好きな人には少しはタメになったんではなかろうか。 ではまた、サバラ(古い)。

時に忘れられた人々【13】パワーポップ編1

【ポップなパワーを表現してみたが、意味不明】

ROCKHURRAH WROTE:

最近は女ロック特集ばっかりやってるが、忘れちゃならないのがこの「時に忘れられた人々」シリーズ、要するに今の時代にあまり語られる事がなくなった人々に焦点を当てたROCKHURRAHの主力記事というわけだ。 今回はヒネリもなく直球で行こうと先ほど決心した次第で、ズバリ単純明快にパワーポップの事を語ってみよう。 パワーポップと言ってもかなり曖昧なジャンルで、色んなところから色んなものがパワーポップ扱いされてる昨今だが、ROCKHURRAHはやっぱり70〜80年代英国をメインで書きたい。通常パワーポップと呼ばれている音楽とはかけ離れているかも知れないけど、解釈は人それぞれという事で。 直球勝負だから今回は妙に長くて言い訳がましい前置きもなしでさっさと始める事にしよう。

と思ったがそもそもパワーポップについて何も語ってなかった事に今気付いた。パワーポップとはズバリ、パワーがあってポップなロックの事だ。改めて解説するまでもなかったか(笑)。起源はザ・フーとの事だがそんな昔からの事を連綿と書き綴ってパワーポップ史を完成させるつもりはないから、これは省略しよう。 70年代パンクの後でニュー・ウェイブが始まり、その辺に湧き出てきたバンドの中で近い傾向のものが一緒くたに紹介されてた時代。パワーポップもその中のひとつのジャンルには違いないが、実は「俺たちはパワーポップに属する」などと自称していたバンドはほとんどいないかも。その存在自体に「?」マークがつく勝手なネーミングだが、割と一般的に使われるジャンル名だし誰でもわかる音楽だからまあいいか。 いやはや、やっぱり前置き長かったですか?

Bram Tchaikovsky / Girl Of My Dreams

1stアルバムの邦題がズバリ「パワーポップの仕掛け人」だから、誰が何と言っても代表選手なのは間違いないね。ブラム・チャイコフスキーなどと大仰な名前が付いているが単なるイギリス人。元々はパンクの時代くらいに活躍していたモーターズというバンドの出身だ。パンク直前に流行ったパブ・ロックの分野で人気だったダックス・デラックス、ここのニック・ガーヴェイが作ったのがモーターズだった、などと話すと長くなってしまうのでこれまた省略。 ブラム・チャイコフスキーはモーターズではあまり目立たなかったが、1978年にここを離れて自分のバンドを結成。それがBram Tchaikovsky’s Battle Axeだ。 年号苦手な人は「ソロの道、行くなや(1978)ブラム・チャイコフスキー」と覚えておくと良い。 しかし戦斧かあ、重くて使いづらいからあまり好きじゃないんだよね。ん?モンハンじゃないのか? シングルのジャケットがバイクにまたがったイラストだったし、勝手にバイク好きだと断定してたので、自分の暴走族(?)の名前をそのままバンド名にしたものだと推測していたものよ。日本で紹介された時にはバトル・アックスは名乗ってなく、個人名だけで3人組のバンドだったが、元ヘヴィメタル・キッズ(というヘヴィメタルじゃないバンド)のメンバーなどが脇を固めていて渋さこの上もない。

そう、ブラム・チャイコフスキーの事を語る時にROCKHURRAHが最も言いたいのがこの「渋み」なのだ。パワーポップなどと呼ばれてはいても彼の声や風貌、そして曲調にはどこか陰り、錆びのようなものを感じてしまう。我がオンライン・ショップで彼の事を紹介した時「暴走族で言えばナンバー2という感じ」と書いたが、言い得て妙。 さて、この彼の大傑作アルバムが冒頭で書いた「パワーポップの仕掛け人」だ。この後も少しアルバムを出すけど、1stが完璧にベスト盤。いまではさっぱり行かなくなったけど、80年代の文化屋雑貨店や宇宙百貨を思い出すようなキッチュ(死語?)なレコード・ジャケットも魅力的。前に当ブログ「春色ジャケット大特集(なわけない)」でも紹介したな。ギターのジャカジャーンというかき鳴らし方が絶妙のタイミングで入ってきて、しかも極上のポップ・センス。個人的にROCKHURRAHはブラム・チャイコフスキー登場以前からギターはジャカジャーンというダイナミックな奏法を得意としていたので、まるで自分がデビューしたかのような喜びで友人たちに紹介しまくっていたのを思い出す。 その彼の代表作がこの「Girl Of My Dreams」だろう。ザ・フーの「The Kids Are Alright」とか好きな人だったら必ず昇天間違い無しの名曲。赤白ボーダーのTシャツと言えばラフィン・ノーズのチャーミーか楳図かずおだろうが、これがノースリーブとなるとブラムのトレードマークとなる。しかしなんでこの人は歌う時に切ない、と言うよりは情けない苦しげな顔立ちになるんだろうね。もしかしてパワーポップのくせに体力ないのか?見た目はアレだけど、曲は最高なのでこれこそパワーポップと胸を張って言い切れる。

XTC / Radios In Motion

元々はプログレなどのレーベルだったがパンク直後の時代に元気なアーティストをたくさん抱えて、大躍進したのがヴァージン・レコードだろう。XTCはそのヴァージンの中でも筆頭という扱いでデビューしたバンドだ。オンライン・ショップやブログでも何度か書いたから、個人的にはいまさらなんだけど、初期のXTCの持つ圧倒的な勢いと演奏力は誰もが認めるものだった。アンディ・パートリッジの引っ掻くようなギターと素晴らしい声量のヴォーカル、時にはいびつでネジレまくったかのような曲調になるアヴァンギャルドな部分もあるけど、それでも余りある素晴らしいポップなセンス。そしてコリン・ムールディングの方はもっと正統派の曲を作る。XTCはこの2人によるバランス感覚が優れていて、新しい世代の大衆音楽として大活躍していた。ビートルズや10ccなどと同じようにポップと実験性が同居していたんだよね。 4作目の「Black Sea」くらいまでは素晴らしい勢いだったけど、残念な事にXTCはその後、ライブをやらない宣言をしてしまった。スタジオで音をコネコネするのは製作者にとっては楽しい出来事だろうけど、まとまりが良すぎて次第につまらない世界になってしまう(個人的感想。この後のXTCがいいという人も多数)。 「Radios In Motion」はそんなROCKHURRAHが一番好きなXTCの曲。デビュー曲じゃないしシングル曲でもないけど、1stアルバム「White Music」の1曲目。輸入盤を買い漁っていてデビュー当時から知ってるよ、というファン以外は普通この曲が最初に聴く曲となるだろう。性急なドラム、単調なベース、そしてウィルコ・ジョンソン直系かと思われるギターのストロークがかぶさったところで歓声をあげた人は多かろう。時代的にはまだパンクのヴァリエーションのひとつ、荒々しくパワーがあるのは当たり前とも言えるけど、このものすごい勢いとポップなセンスはまさしくニュー・ウェイブそのもの。パワーポップの殿堂入りは間違いなしの名曲だ。ちなみに輸入盤で買って歌詞カードもなかったバカ少年ROCKHURRAH(英語力皆無)は、この曲のカタカナ歌詞を「オゼザメッセンジャバチャイドー、アタタガリニチベイ・・・」などと勝手に作って友人と合唱していたものだ。今でも知力アップはしてないけど、ああ、バカな少年時代。

Buzzcocks – I Can’t Control Myself

バズコックスは誰もが知ってる通り初期パンクの重要なバンドだが、パワーポップの直接の元祖としても語られる事が多い。ポップでパワーのあるパンクはパワーポップでもあるというような曖昧だけど当たり前な境界線でいいわけだ。どんなにポップでもモヒカンだったらパワーポップとは言わないとか、アグレッシブな音楽や歌詞だったらパンクとか、その辺も聴く人次第で曖昧。 まあともかくバズコックス、マンチェスターを代表するパンク・バンドだったわけで、一番初期にはマガジンのハワード・デヴォートがヴォーカルだったというのも有名な話。1stアルバムの時にはもう脱退してたんだけど、デヴォート在籍時の珍しい映像がこの曲だ。聴いてわかる人はわかる「Wild Thing」で有名な60年代バンド、トロッグスのカヴァー曲をやっておる。デヴォートのグニュグニャなヴォーカル・スタイルは素晴らしいが、実は原曲の方が遥かにパワフル。こりゃいきなりパワーポップ失格か? デヴォートが抜けた後はギタリストのピート・シェリーが不束ながらもヴォーカルに昇格したわけだが、この腑抜けたヴォーカル・スタイルと艶もスター性も皆無なルックスでもなぜかバッチリとファンの心を鷲掴みにした。そういう点では奇跡のパンク・バンドだと言える。つまりそういう地味なルックスを抜きにして、純粋に歌の良さだけでバズコックスはヒットしたわけだ。確かに誰の耳にも残る素晴らしい名曲をいくつも残してるからね。ROCKHURRAHも貶してはいるがバズコックスの大ファンだ。ボックス・セットまで持ってるよ。

その作曲センスの良さを世間に知らしめたのが1st収録、4枚目のシングルだったこの曲「I Don’t Mind」だ。3rdシングル「What Do I Get?」と共に代表曲と言っても良い。安定感がなくて問題アリアリの演奏と素っ頓狂なシェリーのヴォーカル、この紙一重の危うさと絶妙な曲の良さがたまらない魅力だよ。

The Rezillos / Destination Venus

初期パワーポップの中でROCKHURRAHが即座に思い出すバンドばかりを書いてきたけど、このレジロスもパンク/パワーポップの狭間にあるバンドでパワーポップ好きの誰もが納得出来る名曲をたくさん残しているな。大好きで来日公演まで行ったのはウチのブログでも前に書いた通り(参照記事)。 スコットランド、エジンバラのバンドだと聞いても全然ピンとこないくらいに派手でギンギンに楽しいステージ、そしてグリッター的な衣装。まあ同時代のスコティッシュとして黄色原色のジャンプスーツとか平気で着てたスキッズがいるから、スコットランド=地味で田舎っぽいとは思ってないけど、アメリカのバンドだよと言われても普通に信じるくらいレジロスはスコティッシュっぽくない。レーベルもイギリスっぽくなくてサイアーだったしね。

このバンドの最大の魅力は縦横の縮尺が少し変なサングラス男ユージンと元気いっぱいで明るいフェイの男女ヴォーカルによる楽しげな掛け合いのステージだろう。特に短髪美女ヴォーカルの草分け、フェイは数年前に観たライブでもまだミニスカート着用で78年当時と比べても衰えた感じはしなかった。まさに女は不老不死。てなわけで初期XTCと同じく、勢いのある演奏に2人の声が絡むとレジロスのポップ・ワールドが炸裂する。 50〜60年代のポップ・カルチャーとレトロSF(と言うかSFコミック)などの要素がパンクのフィルターを通して見事に融合した世界。アメリカのB-52’sと似たような感じでさらにお手軽、わかりやすいのがレジロスの音楽だ。 レヴィロスと名前を変えて活動している時もあるけど、どちらもパンク、ロックンロール、ロカビリー、ガレージ、50’s、60’sという要素がごった煮で、もちろん今回書いたようにパワーポップのファンも大絶賛出来る内容、素晴らしい世界だ。

まあ今回のブログ全体に言える事だけど、拙いコメントなど不要だね。これらのバンドを知らない人はビデオを見れば単純明快にパワーポップを知る事になるだろう。音楽の好みは人によって違うだろうけど、こういうものを求めてる人にはドンピシャな内容なのは間違いない。

一回で終わるつもりで書きだしたけど案外長く書いた割にはまだ4バンド。ROCKHURRAHの一日の活動量を超えてしまったから(人としてどうか?と思えるほど低い活動量だな)、続きはまた近日に書く事にしよう。

時に忘れられた人々【12】情熱パフォーマンス編2

【情熱ないパフォーマンスの頂点、Trioの「Da Da Da」】

ROCKHURRAH WROTE:

今回の「時に忘れられた人々」は前に一度だけ試しに書いてみた「情熱パフォーマンス編」の第二部にしてみよう。
この時のテーマの概要はこちらの記事でわかっていただけるはず。
目に見える行動だけが情熱とは言えないが、抑えきれない何かの情熱を素直に映像として表すのは見ていて気持ちが良いものだ。

さて、今回はそういう情熱映像をピックアップしてみたんだが、なぜだか最初に出てきたのがドイツ物ばかりという結果になってしまった。だから今回は「情熱パフォーマンスinドイッチェランド編(長い・・・)」という事にしてみよう。

ドイツの音楽と言っても人によって印象は様々だろうが、今回ROCKHURRAHが語るのは80年代にノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(要するにドイツのニュー・ウェイブの事)と呼ばれた音楽について。
実はこのシリーズ企画を考えた当初から予定していたのがノイエ・ドイッチェ・ヴェレ特集だが、聴くのも書くのも難しいジャンルだから、ずーーーっと先延ばしにしていたという経緯がある。 一般的にはあまり知られてないジャンルだからこそ、ものすごいマニアも存在しているわけで、そういう人たちが語るウンチクとROCKHURRAHの考えが全然一致してないのも書けなかった一因だ。
要するに小難しくなくノイエ・ドイッチェ・ヴェレを語りたいわけね。だからバンドが何を語りたいか、何を思って音楽やってるかなんて事ぜーんぜん気にしないで書いてみよう。

【跳ねる!】 DAF / Der Mussolini

正式にはDeutsch Amerikanische Freundschaft(独米友好同盟)だが、そんな長いバンド名を毎回語るのもかったるいのでダフと呼ぶ人が多い。

ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの一番初期に大活躍して、世界的に最も知られたドイツのニュー・ウェイブ・バンドと言ってもいいだろう。
1stアルバムは工場の機械の中でバレリーナが踊ってるというインパクト溢れたレコード・ジャケットで、これに惹かれて買った人も多かろう。しかしこのアルバム、曲名クレジットも何もなく、内容的にはヴォーカルが入ってないインストゥルメンタルであり、そもそも曲というよりは音の断片を羅列しただけという、荒削りな素材集みたいなものだった。
ノイズ、アヴァンギャルドといった音楽に全く触れた事がない人が聴いたら「何じゃこりゃ?」な内容なのは確か。逆にディス・ヒートとかそういうのが好きな人にとってはかなりドンピシャな音かも知れない。ギターのフリー・スタイルなぶっ飛び具合はすごい。

DAFと言えば一般的にはシーケンサーなどのエレクトロニクス楽器を駆使した暴力的&直線的なビートという印象だが、それが確立するのは2nd以降の話だ。メンバーの脱退が相次ぎ、最終的にはガビ・デルガド=ロペスといういやらしく濃い顔のヴォーカルとロバート・ゴール(Wikipediaではゲアルと書いてるがしっくりこないなあ)の男二人組となる。
「ファシストっぽい」とか「ゲイっぽい」とかそういう話題にのぼるような顔立ちに衣装だから、誤解されても仕方ないだろうね。「男二人の友情」というようには世間は見てくれないからね。 その二人が作り上げたのが単純明快なビートに乗って、ガビの粘着質なヴォーカルが展開してゆくというスタイル。この時期の代表作が今回取り上げた「デア・ムッソリーニ」だろう。この手の音楽の元祖的存在なのは確かだが、エレクトロニクスによる単調な主旋律とビートがずっと続くだけで、よくぞまあヒットしたものだと思える。

さて、その彼らのライブ風景だが、まさに右に左に飛び跳ねまくって歌い踊るガビのアクション全開の出来。4分近い曲でここまで動きまわるとは恐ろしい運動量だな。アグレッシブなハードコア・パンクのバンドでもこんなには動かんでしょう。 ライブで何曲やるのかはわからないが、一回のステージで精根尽き果てるのは間違いない。

【回る!】 Die Krupps / Machineries Of Joy

上記のDAFと同じく、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの初期から活動していたのがデイ・クルップスだ。
元々Maleというパンク・バンド出身のユーゲン・エングラーが中心となったもので、商業的にも割と成功したように思える。 初期の彼らの特徴はいわゆるメタル・パーカッションを多用した音作りにあった。
ユーゲン・エングラーが独自に作り上げたシュタロフォンと呼ばれる楽器は工場で拾ってきたような鉄板(と言うより延べ棒のようなもの)を鉄琴のような形にして、それを鉄の棒で叩くというシンプル極まりないものだった。それが普通の市販されてる(市販されてるのか?)鉄琴とどこがどう違うのかは鉄琴学に詳しくないROCKHURRAHごときにわかるはずもないが、彼らのシングル・ジャケットに誇らしげに写真が載っている。自慢だったのは間違いない。

初めて動いているクルップスを見たのは福岡天神の親不孝通りにあった80’s Factoryというライブハウスだった。
いや、そこにクルップスが来日したとかそういう話じゃなくて、当時の外国のニュー・ウェイブ状況を伝えるという啓蒙的なフィルム・イベントで、ワイアーのコリン・ニューマンやジョイ・ディヴィジョン、デア・プランなどの映像と共に見た記憶がある。まだプロモーション・ビデオとかが気軽に見れないような時代で、音楽大好きだったROCKHURRAH少年は深く感動したものだった。現地に行って現物を見た人以外で、こんなマイナーなバンドのライブ姿を見れたのはかなり早かったのではなかろうか?

おっと、話が逸れてしまったが、ここで見たクルップスは確かにランニング姿でこのシュタロフォンを叩きまくり歌っていた。
エレクトロニクスを駆使したデジタルな音楽っぽいのに、やってる事は体育会系でアナログ極まりない。この時代のそういう未完成な音楽は好きだね。
しかも鉄板を鉄の棒で叩きまくるわけだから肩や肘への負担が半端じゃない。これ以上続けたら肩をこわしてしまうぞよ、などと医者に止められたかどうかは知らないが、ユーゲン・エングラーにはそういう「巨人の星」みたいなスポ根逸話まで残っているようだ。手のスジが「ピキッ!」といかなかったからその後もバンドを続けていられるんだろうけどね。

このバンドのもう一つの特徴というか何というか・・・彼らは自分たちの代表作「Wahre Arbeit Wahrer Lohn」をこよなく愛し続けて30年余り。この曲のヴァージョン違いミックス違いが常識で考えられないくらい存在しているのがすごい。バカのひとつ覚えと言えなくもないが、そこまでひとつの曲にこだわり続けるのが情熱パフォーマンスの真骨頂だね(笑)。

さて、紹介するのも元歌は「Wahre Arbeit Wahrer Lohn」で、これをイギリスの同系列バンド、ニッツァー・エブとコラボレートしてやっている。最初に歌ってる花形満みたいな髪型の人はニッツァー・エブの人で、その後にホイッスル吹きながら現れるのがこのバンドの顔、ユーゲン・エングラーその人だ。
ROCKHURRAHが見た80年代初期のクルップスじゃないから得意のハンマービートも控え目なんだが、動いてる映像がヘヴィメタル・バンドになってしまった後(後にそうなってしまう)くらいしか残ってないので仕方がない。
【回る!】の意味はいちいち解説しなくても映像見れば一目瞭然でしょう。

【じゃれる!】 Palais Schaumburg / Wir Bauen Eine Neue Stadt

後にソロとして活躍するホルガー・ヒラーを中心としたパレ・シャンブルグ(当時の「ロック・マガジン」的に読めばパライス・シャウンブルグ)も初期ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの中で重要なバンドだった。
彼らの特徴は他のドイツのバンドに比べてエレクトロニクスの使用率がかなり低いという事が挙げられる。通常ロックで使われる楽器+トランペットというオーソドックスな編成はメタル・パーカッションやシンセ使って当たり前のドイツ音楽界では逆に少数派なのかも。
ただし、その編成で普通のロックをやるかと言うと大違いで、実験性と革新性に溢れていてROCKHURRAHも大好きだった。特にドイツ語による字余りすぎラップといった風情の「Madonna」やファニーなデビュー曲「Telefon」は今でも愛聴している。

そんな彼らの代表作がこの曲。決してポップな曲でもないのにプロモは80年代風軟弱ダンスが炸裂するというアンバランスなもの。音を消して映像だけだとすごい軽薄そうに見えてしまうが、実は割と重厚というギャップが素晴らしい。

ホルガー・ヒラーはこの後バンドを脱退してしまいソロの道を歩むが、なぜか「うる星やつら」の主題歌で有名な小林泉美(千葉県船橋市出身)と結婚して離婚したり、ちょこちょこっと日本でも話題に上るような活動をしていたな。

【壊す!】 Einstürzende Neubauten

一般的には「読めん!」って人も多いだろうが、アインシュタルツェンデ・ノイバウテン(崩壊する新建築という意味だそうな)はドイツが生んだノイズ/ジャンク系の真打ちだと言える。パッと見には長身の美形男、ブリクサ・バーゲルトを中心にして、元アプヴェルツのマーク・チャン、F.M.アインハルトなどのクセモノが揃った超藝術集団だ。

ブリクサはその人間離れしたマスクなもんで、当時の音楽雑誌の表紙とかにもよくなっていた。
それを見た面食い女子達がファンになって買ったりしていたものの、正直言ってその何%がノイバウテンの音楽を理解して好きになっていただろうか? インダストリアルとかアヴァンギャルドとか言うはたやすいけど、これほどとっつきにくい音楽も他にないかも。
この映像を見ればわかる通り、電気ドリルやバーナー、数々の廃材などを持ち込んでそれを打ち鳴らす、穴を掘るといった現代アート風パフォーマンスのつもりだろうが、限りなく工事現場作業に近いシロモノ。しかも専門家が見たら手つきがなっとらん、と叱られる事必至の三流ぶりだよ。そしてその結果生まれた音楽が前衛的でとっつきにくいのは当たり前だとも思える。

個人的な事を言うなら今、家の前でガス管取り替えとかの工事やってるが、そこから生まれる騒音と大差ない世界だもんな。 今回は「壊す」という映像が欲しかったからこの曲にしたが、本当は代表作である「Yu-Gung」とかは随分わかりやすくカッコ良い名曲だと思う。石井聰互が監督した「半分人間」などもインダストリアル好きにはたまらないだろうね。

今回は情熱パフォーマンスとは言ってもあまり面白くもないものばかりになってしまったな。まあドイツのニュー・ウェイブ自体が英米のとはちょっとニュアンスが違っていて、面白さやカッコ良さのツボも異質だから、この程度で許してくんなまし。

ではビス・ネヒステ・ヴォッヘ!

時に忘れられた人々【11】あの人の職務経歴編 B

【経歴ではなく人柄重視でお願いします】

ROCKHURRAH  WROTE:

前回のこの企画は特に好きでもない人々についてなぜか長々と書いてしまって、珍しくたった三人しか語れなかったな。情熱だけが饒舌の元じゃないって事だね。

さて、年も明けたし職務経歴編の第二弾を書いてみようか。

The Nipple Erectors – So Pissed Off

80年代半ばに登場したポーグスはアイリッシュ・トラッドとパンクをミックスさせた音楽スタイルで最も成功したバンドとして知られている。

パンクやニュー・ウェイブ以降の世代ではスキッズやテンポール・テューダーなどがトラッド要素を持ったバンドとして活動していた。が、これもあくまでも本来ならフォークのミュージシャンが結びつくような音楽にたまたまパンクだった人が結びついた、というような図式。だから演奏はロックやパンクの延長線上にあり、メロディだけがトラッド要素というものだった。
ポーグスの場合はその逆で演奏はバンジョーやマンドリンにアコーディオンといった生楽器、トラッドをやってるバンドと変わらないのに、乱暴な歌い方やテンポが性急でパンクに通じるものがあった。
特にヴォーカリスト、シェインは飲んだくれでケンカばかりしてるような印象がある名物男で、彼のチンピラ・カリスマ的個性で知名度を上げて行った。
最も知られているのは3rdアルバムからのヒット曲で今でもクリスマス・ソングとしては人気が高い「Fairytale Of New York」だろうか。個人的には「Sally MacLennane」や「Bottle Of Smoke」などの威勢の良い曲の方が好きだが。
シェインはその後、アル中でヘロヘロになってしまいバンドを脱退、というか追い出されたような形になったが、3rdまでのポーグスは本当に大好きで今でも愛聴してる。

さて、そのシェインがポーグス前にやってたのがThe Nipple Erectors(その後Nips)というパンク・バンド。これはパンク界では比較的有名なバンドなんで、知ってる人は知っているだろう。ただしポーグスがヒットしたから注目、再発掘されたようなバンドなんで、現役でやってた時代にはそんなに知名度はなかった。
ROCKHURRAHはパンク・ロック初期のバンドたちの映像を集めたビデオ、しかもVHSではなくてベータという今時の子供は誰も知らないような規格のテープ(古い・・・)を所持していたが、この冒頭でニップル・エレクターズをやる前くらいの時代のシェインの姿を確認出来る。クラッシュの「White Riot」をBGMに暴れまわるという映像だが、その時のビデオテープ版には全く何のクレジットもなくて、だからこの時のシェインは単なるよく目立つ一般人だったんじゃなかろうか?
このバンドは単純なスリー・コードだけどさすがにインパクトあるシェインの歌い方がカッコ良くて大好きなバンド。ちょっとテッズ風だったり時代によってはモッズ風の要素もあったけど、シェイン以外のメンバーの面構えもいいね。化粧濃い目の短髪女は後にメン・ゼイ・クドゥント・ハングでも活躍したな。
しかし「あの人の職務経歴」などと書いておきながらアイリッシュ+パンクの前がパンクだったというだけで、何ら飛躍がなく当たり前の展開に書いた本人もビックリ。もしかしてネタの選択を間違ったかな?ひねりが全くなくてごめん。

Killjoys – Johnny Won’t Get To Heaven

楽器についてあまり詳しくない一般的な人にフィドルと言っても通じない場合があるが、これはカントリーやブルーグラス、ケイジャンなどの民族的な音楽で使われるヴァイオリンの事だ。クラシック系と呼び名が違うだけね。
そのフィドルを曲のイントロで実に印象的に使った名曲「カモン・アイリーン」を80年代前半に大ヒットさせたのがデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズだ。
デキシーと名乗っていても船幽霊なわけではなく(当たり前か?)、れっきとしたイギリスのバンドでデキシーランド・ジャズとかの要素もなさそう。この曲の頃は全員で裸にオーバーオール、そして首にはバンダナという、何が由来なのかよくわからないスタイルも話題になったもんだ。英国北部で60年代モッズの時代に流行ったノーザン・ソウルっぽい音楽を再現してみました、という路線だったので、北部=炭鉱労動者=オーバーオールという三段論法で推理してみたが、自分でも全然しっくり来ないなあ。きっとこのルックスには「特に意味はない」という答えなんだろうね。
ROCKHURRAHもかつて試しに裸の上にオーバーオールを穿いてみた事があったが、肩に食い込むし、こんなんで作業出来るわけないよ。部屋着でもイヤ。というかこの場で個人的な着心地レビュー書いてる場合じゃないな(笑)。

そしてデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの中心だったのがモジャモジャ頭のヒゲ男、ケヴィン・ローランドだ。本当は色男なんだが大ヒットした頃はこのようにダーティでムサイ奴を演じてたわけだ。見た目の割には声が高いのが魅力なのか玉にキズなのかよくわからない。

その彼が70年代にやっていたのがキルジョイスというパンク・バンドだ。ガチャガチャしたラウドな演奏のロックンロールでROCKHURRAHも好きな感じだが、たぶん同時代にはシングルくらいしか出してないバンドだったはず。後にDVD化されたパンクのビデオがあって、そこに演奏シーンが収録されていて、シングルだけのバンドとしては珍しく鮮明な映像が残っている。メンバーに女性二人いて、長身のベース女はミニスカートで激しくベースを弾くというパフォーマンスがなかなかアグレッシブだ。そう言えば上に書いたニップル・エレクターズもポーグス初期も女ベーシストだったな。

パンク魂のまんまアイリッシュ・トラッドを取り込んだシェインと、パンクを捨ててアイリーンとの愛に走った男ケヴィン。ちょっと違うような路線でも似てる部分もあり、どちらも男の生きざまと言えるだろう。締まりのない締めくくりで申し訳ない。

ではまた来週。