SNAKEPIPEの九州旅行記 part2

【九州で行った思い出の数々】

SNAKEPIPE WROTE:

さて、今週も引き続き九州旅行記を書いてみようかな。
今回の旅行のメインは先週書いた軍艦島上陸だったわけだけれど、それ以外にもいくつかの観光地(?)に足を運んだROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
とは言ってもこの二人のことなので、一般的ないわゆる観光地ではないんだけどね。
これからおでかけされる方の参考に、というよりは日記をしたためるような感覚で徒然に思い出すままに綴ってみよう!

初めに長崎に着いたROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
その日のうちに行ったのが長崎県美術館だった。
ここは平成17年に開館した、まだ5年くらいしか経っていない新しい美術館で、水を取り入れた斬新な設計がされている。
スペインのプラド美術館と提携しているようで、日本ではこの美術館でのみプラド美術館グッズが買えるとのこと。
美術館に行くと必ずミュージアムショップに足を運ぶSNAKEPIPEなので、限定グッズという響きは非常に魅力的である。
スペインって結構有名アーティストいっぱいいるんだよね。
ピカソ、ダリ、ミロ、ベラスケス、ゴヤ、ガウディ等々。
スペイン美術のコレクションも所蔵しているようなので、とても楽しみに出かけた。

長崎美術館は出島ワーフのすぐ近くの、海辺にある美術館だった。
かなり広大な敷地を持っていて、館内に入らなくても周りを散歩するだけでも気持ちが良い雰囲気。
こんな美術館が近所にあったらいいだろうなー!
館内に入ってみると、すぐ1階にミュージアムショップ発見。
まずはお目当てのプラド美術館グッズを散策。
ダリやピカソモチーフのグッズはいろいろあったけど、「これ絶対欲しい!」と思うような琴線に触れる商品は少なめ。
恐らく一番レアだったのはキリンや犬といった動物をモチーフにして「Museo del Prado」と書いてあるプラド美術館独自のグッズなんだろうなあ。
本当はいくつか種類があったはずだけど、マグカップが一点しか置いてなかったりして期待していただけにちょっとガッカリ。
東松照明の「長崎」ポストカードが何枚かあったのが嬉しかったけどね!

では早速所蔵されているスペイン絵画、常設展を観に行こう。
須磨 弥吉郎なる人物がスペインで購入した絵画を軸に構成されている「須磨コレクション」。
展示されていたのはほとんどが宗教画だった。
どんな人物の作品か、と目を近づけてみると
「作者不詳 (アラゴン派あるいはカタルーニャ派) 」
「作者不詳 (フランドル派) 」
のように作品のほとんどが「作者不詳」と記されている!
しかもアラゴンとかカタルーニャと言われても知らないし!
だったらそんなこと語るにゃ、って?(ぷっ)
「須磨コレクション」恐るべし!

いくつかの部屋を渡り歩いた後、やっと最後の部屋になってダリ、ピカソ、ミロという馴染み深い名前が登場して安心。
まさか展示物のほとんどが「名無しの権兵衛」だったらどうしようかと思ってたんだよね。
良かった、良かった。(笑)
今まで知らなかった日本人でとても好みの画家の作品に出会えたのは収穫だったかな。
古沢岩美という画家のシュールな作品は、まるでダリ・ミーツ・横尾忠則といった感じで、とても素敵だった。
帰りにもう一度ミュージアムショップに寄って、ポストカードがないか探したけど見つからなかったのが残念だったな。
この画家については調べてみよう、と頭にメモ!(笑)

九州の旅行だったら長崎以外にどこにしようか、と考えた時に
「やっぱり外せないのは福岡だよね」
ということになった。
前回の九州旅行ではあまり食べられなかった「とんこつラーメン」を食べたい、というのも旅行の目的だしね!(笑)
福岡で行ってきたのが海ノ中道にあるマリンワールド
意外と水族館に行くのが好きなROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
海の中ってよく知らないから魚の、特に大きな魚を目にする経験が楽しいのかもしれないね。
行ったのが平日でしかも小雨が降るような肌寒い日だったせいか、海ノ中道駅で降りたのはROCKHURRAHとSNAKEPIPE以外にはカップル一組だけ。
駅では駅長の九太郎が出迎えてくれた。
九太郎はトカラヤギで今年の10月に駅長に就任したばかりらしいね。
お腹空いてたのか、SNAKEPIPEをじっと見つめて柵をカリカリかじってたよ。(笑)
やっぱりヤギって目が怖いよね~!

薄暗い空の下、駅から歩いて約10分。
あまりに人気がない整備された場所を歩いていると、まるで外国に迷いこんでしまったような感覚になるね。
などと話しているうちに見えてきたのが巨大な建物、マリンワールドだ。
こんなに広大な敷地を持つ水族館とはびっくり!
福岡って大抵の建物やビルがすごく大きくて、都内とは縮尺が違うみたい。
地図で見てほんの少しの距離と思っていると全然違うなんてことが「ざら」だもんね。

マリンワールドは人が少なかったおかげで、とてもゆっくり観ることができた。
一番迫力があったのが「パノラマ大水槽」。
1階と2階の吹き抜けになっている巨大は水槽には、様々な魚達が悠々泳いでいた。
この水族館のウリがサメだったみたいで、確かにサメがいっぱい!
ガラス越しにもかかわらず、サメはやっぱりすごい!
なんといっても表情のない、あの目に恐怖を感じるね。
怖い、と思いながらもあの水槽の前にはつい長居してしまった。
3階建の館内はかなり見ごたえ充分で大満足!

天神から西鉄電車に乗って行ってきたのが太宰府天満宮
駅名が「だざいふ」って書いてあるのを見て感激するSNAKEPIPE。
九州の人には何も珍しくないんだろうけど、歴史の教科書の中で「菅原道真が太宰府に左遷させられる」と書いてあるのを読んで知識として知ってるだけの地名だからね。

この太宰府にはどうして来たかったのか、というとそれはもちろん学業のため!
というのはウソで(笑)、太宰府名物の梅ヶ枝餅を出来立てのアツアツ状態で食べたかったから、というのが真相。
以前「VIVA LA 物産展!」という記事の中で

「梅ヶ枝餅」は餅の部分が非常に薄くて、もちもちだけれどパリパリ感もある、なんとも不思議な食感の大福(?)。
本来は出来立てのアツアツを頂くそうだが、自宅で食べてもおいしかった。(笑)

と書いているSNAKEPIPE。
そう、今回はその「本来の頂き方」で梅ヶ枝餅を堪能したかったのである。
太宰府天満宮までの参道、右も左もおみやげ屋さんがズラリと並んでいる。
名物の梅ヶ枝餅を扱うお店もいっぱいで、どのお店で買ったらいいのか迷うほど。
結局は以前にも食べた「かさの家」で購入。
うわー!出来立ての熱い梅ヶ枝餅は、また格段に美味しいなー!
念願が叶ってゴキゲンなSNAKEPIPEである。

せっかく太宰府天満宮まで来たならもう少し足を伸ばしてみない?とROCKHURRAHから提案される。
近くに観世音寺という寺があり、そこで巨大な仏像を拝観できるというのだ。
実はROCKHURRAH、以前より仏像を拝観するのが趣味なのである。
パンクやミリタリーとは違った一面をお持ちで。(笑)
仏像のメッカ、京都や奈良では簡単に拝観できる巨大仏だけど、九州では珍しいから、というのが理由らしい。
太宰府駅前より「まほろば号」というコミュニティバスに乗って観世音寺へ。
またもや全然人気のない場所に来てしまったよ。(笑)
拝観料を払い、靴を脱いでいざ宝物殿の中へ。

「うわー!大きい!」
頭が天井に届きそうなほど身長の高い仏像、仏像、仏像!
そんなに仏像について詳しくないSNAKEPIPEだけれど、間近に観る巨大仏像の迫力は恐怖さえ感じるほど。
光による劣化を抑えるためだろうけど、部屋が全体的に薄暗かったのも効果的だったんだよね。
拝観者はROCKHURRAHとSNAKEPIPEの二人だけ。
人が入った時を見計らって、関係者が仏像の説明テープを回している。
そのテープの声だけが鳴り響いている巨大仏像いっぱいの部屋。
しかもその仏像はほとんどが平安時代の作品。
平安時代って「鳴くようぐいす平安京」だから794年から「いい国作ろう鎌倉幕府」の1192年鎌倉時代まで、だよね。(笑)
一番新しくても800年以上前の作品とは、本当にびっくり。
彫刻の技術って随分進んでたんだなあ、と感心してしまう。
全部で14、5体くらいの仏像を拝観できて大満足。
あの日が寒くなければ、荘厳で、ちょっと恐怖を感じる空間にもうしばらく身を置いておきたかったな、と思う。

福岡行ったら寄ってみよう、と言っていたのがミリタリーセレクトショップ、WAIPER
この店はミリタリー系通販サイトではWIPの名前でかなり有名。何度か買い物をしたことがあったけれど、実店舗に行ったことはなかったのである。(福岡だから当たり前か)
こんな場所にミリタリーショップがあるんだろうか、というような住宅街の一角にWAIPERはあった。
1階が倉庫になっていて、2階が店舗。
通販のページで見ていた商品、全てが店内に置いてあるわけではない模様。
店内にパソコンが置いてあり、そこで店員も商品検索してから倉庫に物を取りに行ったり、金額を調べたりしていた。
「さすが」と感心してしまったのが、WAIPER1階倉庫横にあった自動販売機。
左の写真がそれだが、販売機までちゃんと(?)ウッドランド迷彩にしてあるんだよね。
これは非常におしゃれだね。
気に入ってしまった。(笑)
他にもう1店舗、SWATにも行ってきた。
このお店は上野の中田商店と秋葉原のECHIGOYAを足して2で割ったような感じだった。
ミリタリーショップ巡りも計画に入っていたので、遂行できて良かったばい!

今回食べたラーメンの中でSNAKEPIPEが気に入ったのは博多駅近くにある「おっしょいラーメン」。
なんとも正統派な感じのラーメンで、何気なく入った店だったせいもあり余計に美味しく感じられた。
通販もやってるようなので、今度買ってみようかな。(笑)
それにしてもSNAKEPIPEは割と大衆的、というか本場の人からは笑われてしまうような味を美味いと言ってるみたい。
前回の九州旅行で大絶賛した「金龍」の「やみつきラーメン」などはいわゆるチェーン店の味らしいし。(笑)
まだまだ九州には知らない場所、食べてないラーメン、いっぱいだからね。
また探索しに行こーっと!

SNAKEPIPE、 軍艦島初上陸!

【軍艦島の写真が撮れるなんて感激!】

SNAKEPIPE WROTE:

「そろそろ帰省しようかな」
とROCKHURRAHが言ったのが8月のことだった。
ROCKHURRAHはこのブログの「ABOUT US」にも書いてあるように、福岡出身の九州男児。
現住所は千葉県内のため、なかなか簡単に帰れないのである。
前回帰省したのが「SNAKEPIPE、九州初上陸!」を書いた2007年9月なので約3年前ということになる。
せっかく遠い九州に行くので、SNAKEPIPEがまだ行ったことがない長崎にでも足を伸ばしてみようかという話になった。
いくら九州男児とはいえ、ROCKHURRAHも長崎をよく知らないと言う。
「福岡と長崎はすごく遠いからね」
遠い?うそー。地図で見るとそんなに遠く感じないけど本当かな?(笑)
どうやら交通手段があまりないため、北九州の人でも長崎は近くて遠い場所らしい。
それならばROCKHURRAHの実家に電話して長崎情報を聞いてみよう!
実はROCKHURRAHのお母さんというのが、かなりの旅行好きで九州の旅ならお任せというくらいの情報通なのである。
「長崎だったら軍艦島かね~」
とあっさり答えるROCKHURRAH母!
ええっ、ちょ、ちょっと待って!
どうして長崎=軍艦島なの???
しかもどうしてSNAKEPIPEが廃墟好きだって知ってるの?
どうしてどうして、即答で軍艦島って言うの?
と、いくつもの「?」が頭に浮かんだSNAKEPIPE。
前から何人もの写真家の作品の中に軍艦島の写真があり、廃墟といえば軍艦島だとは知ってはいたけれど、それが長崎から行かれる場所にある島だとは知らなかった。
そして現在も島が残っていて、上陸までできるなんて!
まさにドンピシャ!
ど真ん中のストレートでSNAKEPIPEとROCKHURRAHの旅の目的がはっきりしたのである。
なんでもないようにかるーく答えてくれたROCKHURRAH母に感謝だね!(笑)

早速軍艦島上陸ツアーについて調べることにする。
なんと今では軍艦島ツアーは、九州方面で割とポピュラーなものらしく、いくつかの海運会社がツアーを企画しているほど。
軍艦島を周遊するツアー、上陸するツアーと2つのコースを選べるようになっていて料金もそれぞれ設定されている。
中に入りたいんだから当然上陸コースを選択だよね!(笑)
ただし上陸するのにあたって、「私はルールを守ります」という誓約書を書かなきゃいけないんだって。
しかも天候によっては上陸できない可能性もあるのでご了承ください、ときた!
「風速が5メートルを超えるとき」や「波高が0.5メートルを超えるとき」などいくつかの、海の専門家にしか判らない上陸できない基準があるらしい。
最悪の場合は欠航だって…。困るね~。
これは運を天に任せて、予約してみるしかないね。
その時にならないと分からないんだもんね!

予約を入れて早3ヶ月が経過!
ついに旅行の1週間前になった。
週間天気予報で軍艦島上陸ツアーの日の予報を見ると、、、
えっ、なんでこの日だけ雨なの~?
他の日は全部晴マーク付いてるのに!!!
予報が外れてくれることを祈りながら旅行出発まで過ごすSNAKEPIPEとROCKHURRAH。
残念ながら天気予報の雨マークが晴に変わることはなかったのである。

そして軍艦島ツアー当日。
こんな時に限って予報は大当たり。
朝から強い雨が降っている長崎。
ああああ~、長崎はぁ~今日もぉ~雨ぇだったぁ~!(内山田洋とクールファイブ)
ツアーがどうなるのか分からないけれど、上陸できなかったら周遊、それもダメだったら欠航。
うーん、それでも結構!(ぷっ)
一か八か行って確認するしかない、と長崎港ターミナルへ。
長崎港って町からとても近い場所にある港でびっくり!
歩こうと思えば長崎駅からだって徒歩圏内だもんね。
こんな場所から船に乗って軍艦島に行かれるとは驚き!

ターミナルの中にはいくつもの海運会社のチケット売り場があり、それぞれツアーの時間が違っているらしい。
予約したツアーのカウンターを見ると「満員」と書いてある。
すごい人気だね、上陸ツアー!
SNAKEPIPEとROCKHURRAHは早めに到着したため、他の開運会社のツアー客と共に時間まで待機。
素人だから判るはずもないのに、空を見上げて雲の様子を観察したり波の高さを測ったりして成り行きを見守っていた。
別の海運会社のツアーの
「まもなく乗船時間です」
というアナウンスが聞こえてきたため少し安心する。
そしてついに予約していた海運会社のアナウンスも聞こえてきた。
乗船できるらしい!
やったー!まだ上陸できるのかは行ってみないと分からないけどね。

約40分の船の旅。
その間もずっと雨は振り続いていて、窓に雨粒が叩き付けられている。
にじんで霞んだ風景を見ながら船員の説明を聞いていた。
「2時の方向に見えて参りましたのが端島、通称軍艦島でございます」
を聞いた頃、なんと空が少し明るくなってきたのである!
これはひょっとしたら行けるかも!(笑)
船着場に到着し、なんの不安もないまま上陸に成功。
雨は完全に上がり、薄く陽も射してきた。
すごいね!強運だね!(笑)
雨上がりに廃墟を撮影できるなんて最高だね!
他の人はどうだか分からないけど、廃墟、特にコンクリートの廃屋が雨で濡れてるなんてたまらないからね!
まさに「ヨダレもの」でホクホク顔のSNAKEPIPEである。

ただしここでも注意事項。
雨が降っても傘はささないこと。
決められたルートを歩き、列を乱さないこと、等々。
撮影に関しては何も言われなかったのでそれは良かった。
でもねえ、3箇所を決められた通りに全員が歩いて説明を聞き、
「はい、撮っていいですよ」
と言われた場所を撮影ってどうかなあ?
きっと誰が撮っても同じ写真ができちゃうんじゃないだろうか。
以前「超驚愕現代アートコレクション」にも書いた
「誰でも撮影オッケーな作品をあえてSNAKEPIPEが撮らなくてもいいかな」
という気分にもなった。
とは言っても、あの軍艦島で撮らないっていうのも、ねえ?
結局は撮りまくったんだけどね。(笑)

崩れ落ちそうになっている建造物の迫力は、やっぱり写真やテレビで観るのとは全然違っていた。
今回は前述したように雨に濡れた後だったので、特にその存在感が増したように思う。
本当は決められたルート以外にも入れたら、もっと好みの写真が撮れて良かったんだけどね。(笑)
SNAKEPIPEが観ていた写真家の軍艦島の作品は、恐らく1975年の無人化から2009年のツアー開始までの間に撮影されたものだったんだろうな。
きっとルートも決められていない、自己責任での立ち入りでね。
今更遅いけど、せっかくだったらその時期に行ってみたかったな!(笑)

日頃の行いが良いため、軍艦島上陸作戦大成功だったSNAKEPIPEとROCKHURRAH。
旅行の目的の一つは達成できたね。
他にもあるいくつかの目的のためまだまだ旅は続くのである。
(つづく、かな?)

SNAKEPIPE MUSEUM #06 Margaret Bourke-White

【巨大なコンクリートの建造物。フォート・ペック・ダムだって。カッコいい!】

SNAKEPIPE WROTE:

フォトジャーナリスト、と聞いてまず初めに思い浮かべるのは誰だろう。
ロバート・キャパユージン・スミスセバスチャン・サルガドとか?
日本人だったら沢田教一桃井和馬、雑賀辰巳(SPEED GRAPHER!)もしくは現在流行りの(?)戦場カメラマン・渡部陽一あたりか。
例外はいるけれど、有名なのはほとんどが1970年より前に活躍したカメラマンだろうね。
今回、具体的に取り上げたいと思うのは1930年代から1950年代までにフォトジャーナリズムの世界で評価が高かった人物についてである。

百聞は一見にしかず、の言葉通りに一枚の写真が力を発揮した時代。
テレビも、ましてやインターネットなんて存在しなかった頃に画像の魅力は計り知れなかったに違いない。
1936年にアメリカで創刊された写真を中心にした雑誌「LIFE」はその象徴的な存在と言えるだろう。
「LIFE」紙面を飾った錚々たるカメラマンはほぼ全員が男性。
ま、カメラ’マン’だし。(笑)
フォトジャーナリストって世界中を飛び回り、危険な場所で目を覆いたくなるような悲惨な状況などを写真におさめる職業というイメージだよね?
まさに「男の世界」って感じ。
ところがそんな「男の世界」で大活躍した女性がいたからたまげちゃうよね!

随分前のことだからタイトルは失念してしまったけれど、恐らく「ライフ」に掲載された写真を集めたような写真集を観ていたんだと思う。
ドキュメンタリー要素が強い写真群に混ざって、インダストリアルで構成美を感じる写真がある。
「これ、いい!」「これも好き!」
と思って作者の名前を確認すると必ずMargaret Bourke-Whiteと書いてある。
マーガレット?えっ、女性?
いやあ、まさかこんな男性的な写真を女性が撮るなんてことはないよね。
と思っていたのに、本当に作者は女性だったのである。

上の写真を撮影したのがマーガレット・バーク=ホワイト女史。
「ライフ」の創刊号表紙を飾った写真である。
マーガレット・バーク=ホワイトは1904年ニューヨーク生まれ。
紹介文を読んでいると「the first female」という言葉がズラリと並ぶ。
「女性初」の「ライフ」写真家、「女性初」の従軍記者、「女性初」の戦場写真家、そして「世界初」ソ連の工場写真を撮った人物、という次第。
なんたって20世紀初頭に「男の世界」へ行ったパイオニアだもんね!
ちょっと前に「ガテン系」に行く女性が話題になったことがあったけど、もっとずっと前にやっちゃってたんだね、マーガレット!(笑)

どうやらマーガレット女史は初めから写真に夢中だったようで。
写真を勉強したいがために大学をいくつも渡り歩いたらしい。
ものすごい情熱家だよね!
最初は商業写真の世界に入ったようなんだけど、その時のお得意様が製鉄会社。
おお!鉄!スティール!インダストリアルーーー!(笑)
それを知って大きくうなずいてしまう。
だってマーガレット女史の写真には無機質な物が多いから。
だからSNAKEPIPEの好みなんだなあ、と納得。

いろいろ写真観てたら、なんと戦闘機と共に写っているマーガレット女史を発見!
左の写真1943年、第二次世界大戦中に撮影されたセルフポートレイトらしい。
(多分)B-3の上下を着込んで、左手にはゴーグル付きの飛行帽、右手には大型カメラを持っている。
40年代に兵士じゃないのに女性がミリタリーファッションを着てたなんて、更にびっくり!
きっと飛行機に乗って写真撮りまくってたんだろうな。
くーっ、やってくれるね、マーガレットったら!
写真家としても素敵だけど、ミリタリーファッションの着こなしまでお見事。
しかも女優か、というようなルックスだし!
益々憧れちゃうよね!
ワンピース」のルフィが「すっげえ!」と言いながら目をキラキラさせてる、あんな状態のSNAKEPIPEなのである。(笑)

マーガレット女史はカッコいい写真いっぱい撮ってるんだよね~。
コレクションできるなら、きっと何枚も購入しちゃうな!
とは言っても、マーガレット女史の全ての写真を購入したいというわけではない。
やっぱり前述したように、無機質でインダストリアルな構成美を誇る作品がお目当て!

今後もジャーナリズム寄りの作家について書くことがあるかもしれないけれど、SNAKEPIPEはジャーナリズムの是非や倫理、ましてやテロリズムや戦争そのものについて言及したいわけではないことを付け加えさせて頂く。
あくまでも作家の作品について書きたいだけだからね!

Funnyちゃんミュージック

【ファーにいちゃんミュージック】

ROCKHURRAH WROTE:

今回取り上げるのはROCKHURRAHが好きな子供っぽい音楽の数々だ。
子供っぽいの解釈も定義も人によってマチマチだから読んでくれたみなさんと全てを共感出来るとは思わないが、ROCKHURRAHが考えるのはごく普通に稚気を感じるようなファニーな歌、というニュアンスでいいだろう。
子供の歌だからって決してアンパンマンやドラえもんの歌をパンク風にカヴァーしたもの、とかは選ばないつもりなので安心して。ちなみに電車や街中で見かける本物の子供はちっともかわいくないし大嫌いなんだが、これから取り上げるような音楽を好んで育ったような子供がいたら少しは考え直してもいいかな(ウソ)。

もう一つちなみにタイトルはビル・ネルソンズ・レッド・ノイズの名曲「Furniture Music」からのパクリだ。ビル・ネルソンのタイトルの元ネタが現代音楽家エリック・サティにあるから、かなり由緒正しいパクリであることは確か(自慢)。
さて、前置きはこれくらいにして始めるか。

Faust / I’ve Got My Car & My TV

まずはファウストのこの曲から。
ジャーマン・ロックの中でも前衛的でロック以外の要素を取り入れたフリー・スタイルの音楽は70年代にはクラウト(酢漬けキャベツ)・ロックと呼ばれた。
プログレッシブ・ロックやサイケデリック、さらにはフリー・ジャズや民族音楽の影響も感じられたり、つまりは70年代に考えられるミクスチャー・ミュージック的実験の結果がこれらクラウト・ロックと呼ばれる音楽には詰まっていたという事だね。
後のニュー・ウェイブの時代に花開く事になるごった煮音楽のひとつのルーツがここにある、とも言えるが、最悪の結果となってしまうようなものも見受けられる。
ファウストの場合はその辺のバランス感覚、センスが抜群で、今聴いても古臭くない革新的な部分を数多く持っていたと思える。この辺については当ブログの鳥飼否宇先生について書いた記事にも少し書いているから、興味ある人は左上の検索窓で参照してみて。
この曲は中でも大好きなものでメロディもアレンジも斬新の極み。ピンク・フロイド初期の大名曲「Bike」を初めて聴いた時と同じくらい感動した。

Young Marble Giants / Colossal Youth

パンクがニュー・ウェイブに代わった時代、全く新しいような音楽も生まれたが、過去からある音楽に何でも「ニュー」とか「ネオ」などと付けてしまった慣わしがあって、ネオ・アコースティックと呼ばれる音楽もこの辺りに登場した。
スコットランドの3人組ヤング・マーブル・ジャイアンツはその元祖的存在とも言われていたが、実は雰囲気の割にはアコースティック楽器を全然使ってないぞ、という点が秀逸だったね。
ウチの商品ページのコメントにも書いているが、兄+弟+清楚な三つ編み女子という、永遠の三角関係を予感出来るような組み合わせによる素朴過ぎる音楽。
簡単なギター・リフ、それに少しだけファンキーなチョッパー風ベース、その2つがメインの楽器でリズム代わりにもなり、あとは拙い歌だけという簡素さはこの時代にはかなり目新しいものだった。
スタジオでもライブでもほとんど変わらない模様で、ギタリスト(兄)がキーボード弾いてる間はギターはお休み状態。かなり素人っぽいね。今の時代の人が理解するのは難しいかも知れないが、うるさいパンクの後にこんなのが登場したらかなり目立つのは間違いない。
60〜70年代にスティールアイ・スパンやフェアポート・コンベンションが一部の曲でやっていたトラッド+清純女性ヴォーカルというスタイルを踏襲しつつも、こちらの方が童謡に近いからより子供の歌っぽいのかもね。

Mano Negra / Noche De Accion

80年代後半から90年代初頭にかけてフランスで大活躍した大所帯バンドがマノ・ネグラだ。
ROCKHURRAHもこのバンドが大好きでほとんどのアルバムを所持している。
ヴォーカル、マヌー・チャオというスパニッシュ系フランス移民がメインとなっていて、兄弟や従兄弟など大勢が参加してマノ・ネグラとなったのだが、それ以前にホット・パンツというミルクシェイクス(ビリー・チャイルディッシュ)っぽいビート・バンド、Los Carayosというラスティック風のバンドをやっていたのも一部では有名?
マノ・ネグラとなってフランスで大ヒット、日本でも人気あって、伝説となった原宿ホコ天のライブや川崎クラブチッタでの圧倒的なライブ・パフォーマンス(このライブは「パチンコ地獄」というライブ・アルバムになっている)など、今でも語り継がれているほど。
彼らの音楽はパンク、レゲエ、スカ、ロカビリー、ラップ、アラブにキューバなどなど、短い曲の中にものすごく濃いものが凝縮されているのが特徴で、生命力に溢れた素晴らしい音楽だ。
フェルナンド・メイレレス監督の傑作映画「シティ・オブ・ゴッド」の中のブラジル人悪ガキ軍団とも共通する、したたかな強さがこのバンドの最大の魅力だと思う。
しかしホット・パンツ時代は随分キメキメのリーゼントだったのがマノ・ネグラになるとだらけたルーズなファッションとなって、上半身裸に七分丈パンツというどうでもいい格好がお気に入りの様子(笑)。
同時代にフランスでヒットしたレ・ネグレス・ヴェルトの伊達っぷりと比べると見た目的にはちょっと・・・なのが難点だな。
この曲は大傑作アルバム「Pachanka」に入っている景気の良い楽しい曲で、作業用のBGMとしても最適。

XTC / Do What You Do

パンク・ロックのちょっと後、英国ヴァージン・レーベルからデビューしたのが若くて威勢の良いこのバンド、XTCだった。
とにかく勢いがあって斬新でパワーに溢れたバンドだったので、初期ニュー・ウェイブを語る時には欠かせない名前だったと言える。
最初はアンディ・パートリッジのひっかくようなギターのカッティングが特に印象的で、素晴らしい名曲を量産していた。
しかし80年代初頭の「Black Sea」をピークとしてだんだん職人芸のデコレーション・ポップの世界に入ってゆき、遂には得意だったライブもやらなくなって、完成度だけが生き甲斐の若年寄のようになってしまう。
それ以降を評価する人も多数なんだが、ROCKHURRAHはやはり初期の元気いっぱいなXTCだけが好きだった。
この曲は1stアルバムに収録、軽く作ったような短いものでXTCにとってはさほど重要な曲じゃないのかも知れないが、こういう路線をもっと続けていて欲しかったな。

Plastic Bertrand / Le Petit Tortillard

ROCKHURRAH大好きバンドとして過去のブログでも何度か書いたベルギーのパンク貴公子(?)プラスティック・ベルトラン。
彼の曲はどれもこれも子供のまんまで夢いっぱいハッピーな気分になれるところが素晴らしい。
元々はベルギーでハブル・バブルというバンドをやっていてドラム担当だったらしいんだが、なぜかフランスでインチキ・パンク男として空前の大ヒット、それがプラスティック・ベルトランの代表曲「恋のウー・イー・ウー」だったというわけ。ROCKHURRAHは1stアルバムのアメリカ盤と日本盤、それに日本盤のシングル(「恋のパトカー」と改題)を所有して、いつも身近にベルトランがあったわけだが、オリジナルはフランス盤なので入手困難だった時代もありましたなあ。
この曲はダムドの「Jet Boy, Jet Girl」をはじめ、ソニック・ユースなど軽く10以上のバンドがカヴァーしているという被カヴァー率がおそろしく高い曲であまりにも有名。
当のベルトランもアイドル的大スターだから映像もたくさん残ってはいるが、演奏も演奏してるメンバーも映ってなくて一人で飛んで跳ねて回って歌ってるだけ、しかも歌は口パクらしく一体どこがパンクなの?と数多くの人に突っ込まれることは必至のいいかげんさ。というかその部分、その姿勢がパンクだったのでしょう、たぶん。
選んだ曲はその「恋のウー・イー・ウー」ではなくてアルバム1曲目の大好きな曲。邦題は確か「おとぎの列車」だったかな(笑)。

Klingonz / Pick Pick Yum Yum

結構長くなってしまったのでこれが最後、クリンゴンズ初期の名曲がこれだ。
ストレイ・キャッツなどが80年代に流行らせたネオ・ロカビリーに独自の病的なネジレ具合をミックスしたのがサイコビリーという音楽。
サイコ刈りと呼ばれるモヒカン・リーゼントのような奇抜な髪型と刺青というスタイルが主流で、80年代前半に流行したポジティブ・パンクのようなゾンビ風メイクのバンドまで現れ、特異な個性を持った変な奴らがゴロゴロしていたという時代だ。
ディメンテッド・アー・ゴーなどがその代表格だが、このクリンゴンズも一歩突き抜けたバカさ加減が人気のバンドだった。
サイコビリーはどうしてもかわいくはならない音楽だから上記のバンドらとは「ファニー」のニュアンスが違っているんだが、調子っぱずれで奇妙という部分では充分子供っぽいと思って選んでみた。

大昔のテレビ・アニメなどと違って今はアニメ・ソングにも子供っぽい部分がなくなってきてる傾向にある。
子供だから子供っぽい歌が好きなどという道理もないしね。
そんな時代に少しでも人と違う子供に育てたい元ロック少年少女だった親がいたら、自分の子供と一緒に歌うのもいいかもね(全然本心じゃないが)。