SNAKEPIPE MUSEUM #25 David Lynch Snowmen

【雪だるまの顔に国の違いはあるんだろうか?】

SNAKEPIPE WROTE:

先週と今週の週末にかけて、40年ぶりと言われるような大雪に見舞われた関東地方。
2013年の夏は猛暑で大変だった記憶が薄らいできたかと思うと、今度は雪に苦しめられるとは、トホホ!
子供の頃は、雪が降ると嬉しかったはずなのに。
雪合戦はあまり記憶にないけど、空を見上げて降ってくる雪を見ていると空に吸い込まれそうな不思議な感覚に心が踊ったり。
真っ白な地面に一番で足跡を付けることに快感を覚えたり。
思い返してみると、雪の思い出にはワクワクした楽しいものが多いんだよね。
一体いつから「雪だと大変」に変化しちゃったんだろう?
この変化が子供心を忘れてしまった、ということなのかな。
それはちょっと悲しいね!
今回のSNAKEPIPE MUSEUMは、雪をテーマにした作品について書いてみようか。
これで少しは雪を楽しむ気持ちが戻ってくるんじゃないかな?

雪に関するアート作品で、SNAKEPIPEが自宅に飾りたいと思う作品を探してみたけれど、なかなか難しかった。
例えば雪の写真だと、ほとんどがネイチャーフォトで被写体は風景や動物になってしまう。
もちろん素晴らしい作品はたくさんあるんだけど、SNAKEPIPEの好みじゃないのよ。(笑)
リンチの作品、あったじゃない」
と提案してくれたのはROCKHURRAH。
あっ、そうだった!
2012年11月の「好き好きアーツ!#18 DAVID LYNCH—CHAOS THEORY OF VIOLENCE AND SILENCE」で記事にしているように、リンチの個展をラフォーレ・ミュージアムで鑑賞した時に「雪だるま」をモチーフにした写真群があったっけ!


敬愛する映画監督であるデヴィッド・リンチは自称19歳!(笑)
実際の年齢は68歳なんだけど、雪を楽しむ気持ちを忘れていないんだもの、やっぱり子供心を持ち続けているってことだよね。
これは2007年にパリのカルティエ現代美術財団で行った個展「The Air is on Fire」で個展用のカタログと同時に出版された「Snowmen」という写真集から抜粋した写真である。
「雪だるま」と「カルティエ」なんて、普通なら同時に並ぶはずのない単語だよね。(笑)
大変申し訳ないんだけど、前述したラフォーレ・ミュージアムで鑑賞した時には、「Snowmen」の意味が解らなかったSNAKEPIPE。
「なんで雪だるま?」
としか感想を持っていなかったんだけどね。
ちゃーんとあるんだよね意味がっ!(笑)

I like the nowhere part of America…
They’re little truthful places,
but they’re not obvious.

リンチの言葉である。
確実にどこかに存在している、アメリカのなんでもないような場所が好き、とはいかにもリンチらしいね!(笑)
そんなどこにでもあるような田舎町を舞台に映画を制作するのが、リンチの得意としているスタイルだもんね!
田舎町や郊外が決して「のどか」で平穏な場所ではないんだよ、と教えてくれた(?)のが「ブルーベルベット」や「ツイン・ピークス」だったからね。

「Snowmen」に関しては

– old neighborhood
– gray days
* – quiet

「昔馴染みの近所、どんよりした日、静か」のキーワードで撮影に臨んだとのこと。
「quiet」の左にあるアスタリスクは原文のまま、なのでタイプミスじゃないことをお断りしておくよ!
撮影したのは子供時代を過ごしたことがあるというアイダホ州のボイシらしい。
リンチ自身が雪だるまを作ったわけじゃなくて、誰かが作った完成品を撮ったんだって。
この点がちょっと残念?(笑)

1枚ずつ鑑賞していると意味が解りにくいんだけど、写真集で一連の流れを追うと解ってくることがある。
そう、これは九相詩絵巻なんだよね。
形あったものが溶けて、地面と一体になっていく様。
九相詩絵巻と同じように考えると「無常」ということになるんだろうね。
リンチが「無常」を雪だるまで表現し、それを理解したカルティエ現代美術財団が「C’est si bon!」って言ったんだろうね! (笑)

There’s the relationship of shapes, one to another, that are pleasing,
and just this word ‘pleasing’ gets into something maybe about love.

カルティエ現代美術財団の個展カタログでリンチが語った言葉である。
やっぱり仏教的な雰囲気を感じるよね。
こうして調べていくと「Snowmen」を壁に飾りたくなってきたよ!
「Snowmen」鑑賞し続けていたら、SNAKEPIPEも「ドグラ・マグラ」の呉一郎みたいに精神に異常をきたしてしまうかもしれないけど?(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #24 Jim Dine

【工具好きにはたまらないね!】

SNAKEPIPE WROTE:

過去のブログの中で何度か書いたことがあるけれど、SNAKEPIPEはピカピカ光るシルバー色が大好き!
千葉県民であるにもかかわらず、クリスマスで盛り上がるディズニーランドよりもホームセンターのほうが魅力的だと感じてしまう。
何故ならホームセンターには工具類が置いてあるから!(笑)
この「工具類好き」についてはかつて「インダスとリアル(意味不明)」なんてブログにしたこともあったっけ。
記事の中にスパナでオブジェを作り、トイレに飾っていた写真を載せている。
なかなか良い出来栄えに我ながら満足していたSNAKEPIPEだったけれど、なんと工具類をアートのモチーフとして採用していた大御所アーティストがいたとは知らなかった!

その大御所アーティストの名前はジム・ダイン
アート系に詳しい人じゃなくても左に載せたようなハートの絵は見たことあるんじゃないかな?
SNAKEPIPEもジム・ダインとはハートの人という認識しか持ってなかったんだよね。
ううっ。
ここでもまた発覚してしまったポップアートの知識のなさ!
今頃になってこんなに好みの作品を作っていることを知るとはね!

ジム・ダインは1935年オハイオ州生まれ。
ポップアートのアーティストともネオダダの運動家ともしても知られているらしい。
一番上に載せた画像「Tool Series」は1973年の制作とのこと。
どうやらジム・ダインはおじいさんの代から金物屋をやっていて、工具類には幼少の頃から親しんでいたらしい。
MoMAにもTATEにも「Tool Series」が所蔵されていて、非常に有名な作品だったと知ったよ。
SNAKEPIPEが全然知らなくてごめんなさい!
ジム・ダインは現在78歳。
でもまだまだ現役で活動しているみたいんなんだよね。

 上の作品は2008年制作の「With Aldo Behind Me」である。
1973年から35年を経てもまだ登場する工具類は、ジム・ダインにとって最も重要なモチーフの1つであり、自分の分身ともいうべき存在なんだろうね。
工具を愛する気持ちはSNAKEPIPEも同じ。
また工具使ったオブジェ作ろうかな。
もっとジム・ダインについて勉強しないとね。(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #23 Xavier Mascaró

【物々しい鉄の甲冑軍団がかなり不気味で良い感じ!】

SNAKEPIPE WROTE:

ペドロ・アルモドバル監督作品鑑賞から、すっかりスペイン熱に浮かされているSNAKEPIPEとROCKHURRAH。
他の監督によるスペイン映画はもちろんのこと、ワインやお菓子までスペイン産を好んで選ぶようになっているほどだ。
もっとスペインについて知りたい、と思っている時にふと気付いたのがアートの世界のこと。
スペインには有名なアーティストがたくさんいて、アート量産国だったんだよね!
誰もが知っているピカソを始め、ダリやミロ、エル・グレコにゴヤ、ベラスケスと世界的に知られている画家のオンパレード!
「アンダルシアの犬」でお馴染みの映画監督ルイス・ブニュエルもスペイン出身だったよね。
今まで特別意識していなかったけれど、スペイン人の作品に慣れ親しんでいたことを改めて認識したよ。

そういえば現代アートの世界はどうなっているんだろう?
今回の「 SNAKEPIPE MUSEUM」はスペインの現代アーティストを紹介してみたいと思う。
スペインの現代アーティストと検索した時に一番初めに目に飛び込んできたのが、一番上に載せた画像だったんだよね。
どっしりと重厚感のある、まるで闇の世界から出現したかのようなダークな雰囲気を持った彫刻はSNAKEPIPEの好みそのもの!
アートがしっかり根付いた土地には、やっぱり面白い作品を作るアーティストがいるんだね。
この作品を作ったのは一体誰?

今回SNAKEPIPEが気になったアーティストは、1965年パリ生まれのスペイン人、ザビエル・マスカロ
一家は1968年にスペインへ移住する。
1988年に美術学位を取得し、バルセロナ大学を卒業した翌年から青銅細工の制作を開始。
1995年には、鉄を使用した彫刻を始める。
1998年に個展を開催。
現在はメキシコシティとマドリードを行き来する生活を送っている。
国際的にも著名なスペインの芸術家のうちの1人である、とのことである。

6体の作品が並んでいる、左の写真は2012年に制作された「Warriors」である。
画像が小さいので判り辛いと思うけれど、ところどころが朽ち果てたように穴が開いていて、もう少し経ったら崩れ落ちてしまうような状態である。
素材は鉄を使用しているのに、ガッチリとした安定ではなく、不安を感じさせるという矛盾がテーマなのかもしれないね。
タイトルも「勇士」なのに、強そうで勇敢なイメージとは程遠いところにも注目かな。
一番上の画像では、黒い鉄が年月を経て錆びてきて、赤銅色に変色しているところが凄みになっていたのとは別の印象を持つ。
様々な表情を与えられた鉄を鑑賞するのは初めてかも?

右の作品は「Bastet」という2011年から2012年にかけて制作された作品である。
陶器、鉄、木材や樹脂など複数の素材が使用されているらしい。
恐らく犬などの動物をモチーフにしていると思うけれど、まるで縄がかけられているような状態で、更に横向きの画像では判断が難しいね。
囚われてるようだけれど悲壮感はなく、何故だか静謐な雰囲気を感じてしまう。
きっとこの作品も年月の経過が何かしら作用して、また違う印象を残す作品に変化するんだろうね。
時間を作品に組み込んでいるのが、ザビエル・マスカロの特徴みたいだね。

 2013年の「Tribal song」はより土着的な、原始宗教を思わせる作品だね。
そうか、とここで思い付く。
左の顔はまるで埴輪みたいだよね?
はい、ここで問題です!
弥生時代の後の250年頃から飛鳥時代の前の600年末頃までの時代を、何時代というでしょう?
正解は、古墳時代でした!(笑)
Wikipediaで古墳時代や埴輪について調べてみると、そこに参考資料として載っている画像はまさにザビエル・マスカロ!
「武装男子立像」は鎧に身を包んだ戦士だし、「馬形埴輪」も「Bastet」に似てるんだよね。
埴輪という文化が日本特有のものなのか、大陸から渡ってきたのかSNAKEPIPEは詳しくない。
似たような文化がどこの国にもあるのかもしれないけれど、SNAKEPIPEは埴輪に似てると感じたよ。
ザビエル・マスカロの作品を観て惹かれたのは、 日本人の血が騒いだからなのかもしれないね?(笑)
誰もが持っている遠い祖先の記憶を胸に、改めてザビエル・マスカロの作品を鑑賞してみようか。
もしかしたらこれが古きを訪ね新しきを知ることなのかもしれない。
いつかザビエル・マスカロの作品を実際に鑑賞してみたいね!

SNAKEPIPE MUSEUM #22 Hannah Höch

【人間と動物のハイブリッドを見事なコラージュで表現!】

SNAEKPIPE WROTE:

先日鑑賞したのは森美術館で開催されている「ラブ展」。
美術館のHPで確認したところ、目新しい作品展示がないことは知っていたけれど、一応観ておこうかということで出かけたのである。
聞いたことがある名前と観たことがある作品が並び、安心して(?)鑑賞することができた。
ジョンとヨーコの映像まで流れていて笑ってしまった。
確かに、ラブなんだけどさ!(笑)
荒木経惟の「センチメンタルな旅」をラブ展で観るとは思わなかったな。
草間彌生のニョロニョロ水玉コーナーは撮影可能だったので、同行した友人Mとお互いを撮影して楽しんだ。
まー可もなく不可もなくといった感じで、特別ブログに特集するような話題がなかったのが残念。

以前から何度も書いているように、夏休みであるこの時期には子供向け、もしくは家族向けの企画が目白押しで好みの展覧会がほとんどないんだよね。
アート鑑賞中毒気味のSNAKEPIPEは、いつもと同じようにネットで作品を検索することにした。
テーマを決めることなく観ていると、何度も「これは!」と思う作品に出会う。
そして作者を確認すると何度も同じアーティストの名前と判明する。
これはそのアーティストが好みってことだよね!(笑)
今回は何度もSNAKEPIPEの琴線に触れたアーティスト、ハンナ・ヘッヒについて書いてみたいと思う。

ハンナ・ヘッヒは1889年ドイツ生まれである。
右の写真がご本人なんだけど、少し年齢のいった小泉今日子って感じか?
1912年から1914年までベルリンのアーツ・アンド・クラフツの大学で勉強する。
この時の専攻はカリキュラム・グラス設計およびグラフィックアートだった。
1914年、第一次世界大戦の最中、学校を卒業する。
1915年、アーツ・アンド・クラフツの博物館のグラフィックス・クラスの国立研究所に入り学校教育に戻る。
この年、ベルリン・ダダで活動していたラウル・ハウスマンと知り合う。
この出会いにより、ハンナ・ヘッヒは1919年にはダダイストとして活動することになる。
ハウスマンとハンナ・ヘッヒはフォト・モンタージュという技法を開発し、作品を発表するのである。
恋人でもあったハウスマンとの関係は1922年に終わる。
1938年にピアニスト、カート・マチスと結婚するが1944年に離婚。
1978年に亡くなるまで、フォト・モンタージュの作品を作り続けていたらしい。
フォト・モンタージュで思い出すのはマックス・エルンストの「聖対話」かな。
横浜美術館で鑑賞した話は「マックス・エルンスト-フィギィア×スケープ」を参照して下さい。
あの作品が1921年だったから、まさにこの時代!
フォト・モンタージュを発明したのがハウスマンとハンナ・ヘッヒだったということは、エルンストの作品は技法を流用したということになるんだね。
いずれにしても1920年代の作品って素晴らしい物が多くて大好き!

1919年の作品「Cut with the Kitchen Knife through the Beer-Belly of the Weimar Republic」という作品が左の画像である。
タイトルを直訳すると「ワイマール共和国のビール腹を包丁で切り開く」といったところか?(笑)
どうやらハンナ・ヘッヒはベルリン・ダダの中では唯一の女性アーティストだったようで、男性達の女性蔑視を感じていたようだ。
女性解放を謳ってはいるものの、実際は口先だけだったんだね。
そのためこの作品でベルリン・ダダ・グループとドイツの社会全体の偽善を告発しているみたい。
タイトルの「キッチンナイフ」を女性の代名詞として、「ビール腹」を男性の代名詞として置き換えると解り易いね。
その時代は男勝りな性格の女性に対して称賛と女性的な役割を果たしていないという抗議の両方が存在していたというから、ハンナ・ヘッヒがフェミニズムを意識していたのも納得できる。
ハンナ・ヘッヒの作品は男性と女性の写真に更に何かを加えるという特徴があるのは、男女同権を訴える意味があるのかもしれないね。

Bauerliches Brautpaar (Peasant Wedding Couple)は1931年の作品である。 農夫の夫婦、というタイトル。
頭部と足だけという斬新なスタイル!
ミルク樽を運ぶための道具を持つ2人の手。
どうしてこんな構図を思いついたんだろう?
不思議な魅力のある作品だと思う。

ハンナ・ヘッヒのコラージュには人の顔を使った物が多い。
そしてそれらがひどく歪んでいたり、あるべき場所から故意にズレて配置されていたりして、鑑賞者をドキリとさせる。
上と左のフォト・モンタージュも両目の位置や口がズレている。
そして体に対して頭が大きい。
なんともアンバランスで、不安な感じがするんだよね。
これらの作品を観たROCKHURRAHが
「まるで福笑いだね」
と感想をもらす。
ははあ、なるほど!(笑)
日本の正月にはお馴染みのあの福笑いも、これらの作品と同じように、目や鼻がヘンな位置にくるからおかしいと笑ってしまう遊びだよね。
ハンナ・ヘッヒが実際に目隠しして作ったのかどうかは不明だけど、似た雰囲気はあるよね!
ただ福笑いとは違って、これらの作品に可笑しみは感じない。
どちらかというと内面に淀んでいたドス黒い感情が表出したような不気味さを感じてしまう。
きっとそれがハンナ・ヘッヒの個性なんだろうね。

1963年の作品「Grotesque」。
この時にはもうハンナ・ヘッヒは74歳だと思うんだけど、まだまだ現役で活動していたとは恐れ入る。
そして全然衰えない想像力と、フォト・モンタージュを使用した「若いもんには負けない」スタイリッシュな作品に驚かされる。
これもまたハンナ・ヘッヒの特徴である男女の顔を使った切り貼りがされてるんだけど、男性の片目だけ何かの動物に入れ替わってるね。
どうしてこの作品のタイトルがグロテスクなんだろう?
年配の男性と若く美しい女性の対比のせい?
いやあ、そうは言っても誰しもが年齢を重ねていくもの。
それをグロテスクと言っちゃあ酷だよね。(笑)

フォト・モンタージュをマネして作ってみようと思った場合、今だったらフォトショップなどを使用して、レイヤーを部分的に消したり、重ねたりすればなんとなくそれらしいものは作れるだろう。
表面的な技法を取り入れることは可能なんだけれど、ハンナ・ヘッヒが作っていたような作品とはまるで違うものになってしまうのがオチだ。
ハンナ・ヘッヒは雑誌などを実際に切リ抜いて、重ね付けしていた。
素材や材料の違いだけではなく、その時代の空気感を纏い、情熱の持ち方が作品に反映され、重要なエッセンスになっていたのではないだろうか。
特に戦争中の作品などは「これが最後になるかも」といったような切迫感を持ちながらの制作には鬼気迫るものがあったに違いないだろうし。
ダダのフォト・モンタージュが魅力的なのは、そういう理由もプラスされてるからかもしれないね?

「The Journalists」は1925年の作品である。
これはフォト・モンタージュではなくて油絵の作品だけど、まるで切り貼りされたような作風だよね。
ハンナ・ヘッヒはフェミニストなので、一部のパーツを巨大化して男性を皮肉っぽく描いてみせたのかもしれない。
例えば似顔絵などのイラストの世界などでは、特徴を目立たせる目的で一部のパーツをデフォルメして描いているのをよく見かけるけど、その元祖って感じだろうか。
もしかしたらその当時、本当に活躍していたジャーナリスト達だったのかもしれないね?
かなり漫画っぽく描かれた油絵もお気に入り!(笑)

1910年代から活動していたハンナ・ヘッヒは、生き辛かったのかもしれない。
世界情勢や歴史認識の知識に乏しいSNAKEPIPEは、ドイツでも男尊女卑があったという事実に驚いてしまった。
ヨーロッパでは日本よりもずっと早い時期から男女同権を掲げていると勝手にイメージしていたからね。(笑)
権利は定められていても、実際は違っていたということなんだろうけど。
もしかしたらその女性蔑視の経験が、作品制作のエネルギーになっていたのかもしれない。
そして同時に、この時代だったからこそ、これらの作品ができたとも言える。
ハンナ・ヘッヒは時代と共に、情熱的に生きた女性なんだろうね。

ハンナ・ヘッヒのような独創的でエネルギッシュなタイプの女流アーティストを知ると、元気が出てくるSNAKEPIPE。
素晴らしい作品を作っているアーティストにありがとうを言いたいね! (笑)
新たな発見があった時にはまた特集したいと思う。