時に忘れられた人々【11】あの人の職務経歴編 A

【あんなに輝いてたミュージシャンのビフォー→アフター。見たくないなあ】

ROCKHURRAH WROTE:

今が旬じゃなくて過去に忘れ去られてしまった人々にだけ焦点を当てた「時に忘れられた人々」シリーズもすでに10回を超えてしまった。当初は色々なジャンルで取り上げてゆきたかった企画なんだが、音楽以外の分野ではわずかに作家の国枝史郎とヴィンテージ漫画特集をやっただけ。随分と偏ってしまったなあ。小説とかについては書ける事も多いんだけど、ブログを書くためにまた読みなおして・・・、というほどのヒマが今はないから、どうしても疎かになってしまう。
やっぱり記憶だけで書ける音楽の事が一番書きやすいし、ROCKHURRAHは何だかんだ言っても音楽バカ(過去音楽限定)なのかも知れないね。

というわけで今回選んでみたのは「あのミュージシャンが前はこんな事やってました」という前歴特集。
ただし「ダムドのデイブ・ヴァニアンが昔は墓掘り人夫だったらしい」とかそういう意味の前歴ではなく、単に前はこういうバンドをやってた、という程度の記事なのでけっこう苦しいものがあるのは書く前からわかりきってるが、それでも何とかまとめてしまえるROCKHURRAHの筆力にも一票もらいたいものだ。

Slik – Forever And Ever

この一回前「情熱パフォーマンス編」でもトップバッターだったミッジ・ユーロのさらに昔の姿。そこまで大好きなミュージシャンというわけでもないのに二回連続で出てくるのは、この人のスタイルの変化が急激でネタにしやすいからだろうか。

スリックは80年代にウルトラヴォックスで大スターとなるダンディ男、ミッジ・ユーロが70年代半ばにやっていたバンドだ。このユーロにケニー・ヒスロップ、ビリー・マッキサック、ラッセル・ウェッブを加えた4人がスリックのメンバーなんだが、ユーロ以外の三人はスリックの後のバンドPVC2を経た後、スコットランドでホット・ヴァルブスをやっていたウィリー・ガードナーと合体してゾーンズとなる。ちなみにウィリー・ガードナーは70年代に人気のあったアレックス・ハーヴェイの従兄弟として知られている。もうひとつちなみに、ホット・ヴァルブスというのはビー・バップ・デラックスのシングル・タイトルからつけたバンド名で、ゾーンズもビーバップ・デラックスそっくりの部分もあった。よほどのマニアじゃない限りは知らなくてもぜーんぜん大丈夫なバンドの解説にこれだけの文章を書いてしまった・・・。
もしかして親切を通り越して鬱陶しい男なのか?ROCKHURRAH。

ミッジ・ユーロ自身はこのスリックの後に初のパンク・バンド経験となるPVC2(メンバーはスリックと同一)を経て、いよいよリッチ・キッズのフロントマンとなるのは前回のブログに書いた通り。PVC2はホット・ヴァルブスと同じスコットランドのZOOMレーベルよりシングルを出していたな。マイナーだったが荒々しく理想的なパンクをやっていて、後のリッチ・キッズでも演る「Put You In The Picture」などのパンク名曲を残している。こっちのヴァージョンの方がリッチ・キッズ・ヴァージョンよりもずっと重くてカッコイイぞ。

さて、後の事ばかり書いてしまったが、このスリックは演奏がちゃんとうまくて作曲能力もあるベイ・シティ・ローラーズの対抗馬、というような位置づけでポップなロックをやっていた。センテンス長いな。まあアイドル路線とまではいかないが、そういうつもりでレコード会社としては売りたかったバンドなのだろう。76年にロンドン・パンクが始まる直前の時代の話。街中タータン・チェック、ベイ・シティ・ローラーズ旋風吹き荒れた70年代の日本では全く知られる事すらなかったバンドだ。
メンバー全員なぜか野球の格好だもんな。なぜスコットランドで野球なのか?日本でもベースボール・シャツとか着てる人はいるにはいたが、スリックとはたぶん何も関係ない単なる野球好きなのは間違いない。
このスリックのメンバーだった人たちにとってはそういうヴィジュアル面も触れられたくない過去なんだろうなあ。

で、そういう恥ずかしい経歴を持ったミッジ・ユーロ、野球のあとは単なる白無地Tシャツでリッチ・キッズ(前回のブログ参照。本当はもっとちゃんとした服装してる時もあった)、そして80年代になると突然オシャレに目覚めたのかスティーブ・ストレンジ率いる洒落者集団ヴィサージに加入、さらにジョン・フォックスの抜けた後のウルトラヴォックスに加入。
この二つは80年代初頭にロンドンで大人気だったニュー・ロマンティックスというムーブメントの中心となる。知らない人のために一応書いておくが男が女みたいに着飾ってリッチでゴージャスな雰囲気の音楽をやってたのがニュー・ロマンティックスだ。70年代のグラム・ロックの発展型みたいなもんだが、あれより遥かに夜会系。

関係ないがROCKHURRAHはニュー・ロマンティックスの分野で大成功したアダム&ジ・アンツのファンだった。彼らの推進した海賊ルックに触発されて、小倉のど田舎で勘違い甚だしい海賊ファッションもどき(全然そうは見えなかった)に身を包み、スクーターをぶっ飛ばしていたもんだ。若気の至りでちょっと中央分離帯に突っ込んで、植え込みの木の枝が腹に刺さったりしたなあ。
ああ恥ずべき過去、ミッジ・ユーロとお互い様だね(笑)。

The Nosebleeds – Ain’t Bin To No Music School

これまた日本ではほとんど紹介されなかったマンチェスター発の70年代パンク・バンドでノーズブリーズ。日本語に訳せば鼻血ーズというようなもんか。
マンチェスターと言えばかなり大物のパンク・バンドを輩出した事で知られる音楽先進都市だ。バズコックス、マガジン、スローター&ザ・ドッグス、ドローンズ、ワルシャワ(後のジョイ・ディヴィジョン)などなど、70年代パンクのファンとっては聖地みたいなもんだ。そこでひっそりとデビューしたのがこのノーズブリーズだ。たぶんシングルしか出してなくて解散したはずだが、マンチェスター系のバンドを集めたオムニバスでちょっと知られた程度。魚の位で言うならうぐいクラス。

このバンドは最初はエド・バンガーというシンガーが始めたものだが、80年代に活躍したドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリーがメンバーだった事で知られている。
ドゥルッティ・コラムと言えばマンチェスター発のレコード会社、ファクトリー・レーベルにおいて、ジョイ・ディヴィジョンと並ぶ看板だったバンドだ。
初期ではごく簡単なリズムのみ、そこにヴィニ・ライリーの透明感溢れるギターが展開するといった、簡素極まりないネオ・アコースティックな音楽が新鮮でファンも多かった。通常のロック形態のバンドというよりはヴィニのギター・プレイによる音のスケッチ、それを記録した作品という印象だった。
アンビエントとかイージー・リスニングとかそういう世界は全くわからんし、野卑でゴテゴテしたインチキ音楽大好きのROCKHURRAHだが、こじゃれたカフェのBGMとかには最適な音楽だったのは確かで、そういう音楽を愛するファンに支えられて、この手のインスト主体のバンドとしてはかなり売れたんじゃなかろうか。←またしてもセンテンス長すぎだな。来年の目標は簡潔な文章か?
音は地味だがこのヴィニ・ライリー、まさにこの時代の少女漫画に出てくるような繊細な顔立ちの美青年で、そのルックスからも女性ファンが多かったものだ。何と今でも美中年のようで、羨ましい限りですなあ。

前置きが非常に長くて何が書きたかったか忘れたほどだが、そんなか細い音楽で有名なヴィニ君が、その前はこういうパンク・バンドにいたというのが驚き。
しかしドゥルッティ・コラムを知る人が聴けば一目瞭然「Ain’t Bin To No Music School」の途中のギターはまさしくヴィニ・ライリー風で、その辺のミスマッチ感覚がありそうでない個性となっている。

このノーズブリーズの大変に珍しい、動いてる動画があったのでついでに載せておこう。ん?ヘンな言い回しだったがYouTubeには動いてない動画も結構あるからね。

ノーズブリーズはもう一人、ニュー・ウェイブ界の大物を輩出したバンドとして知られている。前述のエド・バンガーが抜けた後に二代目ヴォーカルとなったのが後のスミスで有名人となるモリッシーだったらしい。

パンクの時代はまだニューヨーク・ドールズのファン・クラブ英国会長とかそういう身分だったモリッシーがどういう経緯でノーズブリーズに加入したのかはよく知らないし、第二期ノーズブリーズは残念ながら持ってなくて曲も知らないんだが、あの声やひねくれた歌詞でパンクをやっていたのだろうか?それはまたそれで異色には違いないかな。

ヴィニ・ライリーもモリッシーもROCKHURRAHの好みとは違うが、やはり第一人者となるには独創性が必要。両者とも好みではないがそのプラスアルファの個性は充分持っていたと思えるので、そういう点では尊敬に値する人物だと言える。ただ、それが好きに繋がらないのが人の心と言うものなのかね?
またしても「好きじゃないなら書くなよ」という声が聞こえてきそうだな。ファンにも殴られそう。それでは退散しますかな。

今回は何となく生真面目な文章になってしまって、面白くはなかったな。
その割にはたった二つのバンドだけで結構長くなってしまった。いつもはもっとたくさん紹介するのに、個人的に週末が忙しかったので、こんなもんで許して。
同じネタでもう少しは書けそうだからまた次も書きます。

時に忘れられた人々【10】情熱パフォーマンス編

【情熱あり過ぎ!アーモリー・ショウの元気ハツラツ・パフォーマンス】

ROCKHURRAH WROTE:

ミュージシャンにとっての表現方法は歌詞、楽曲、演奏、そしてパフォーマンスといった部類に大別出来るだろうが、1980年代に普及したプロモーション・ビデオによって、それらの魅力を余さず同時に伝える事が出来るようになった。
音楽を聴いて歌詞カード(あるいは訳詞)を読みながらミュージシャンが動いてる姿を想像する、といった70年代くらいまでの視聴方法と比べると格段にわかりやすい。ライブ映像を編集しただけのシンプルなものから映画、現代アートのようなものまで、進化をやめてしまった音楽(あくまで個人的感想)と反比例してプロモーション・ビデオの世界は新しい試みを次々と導入していった。

今回の企画はそういう前フリとは特に関係なく、簡単に言えばちょっと奇妙な情熱的表現方法に取り憑かれてしまった男達のヘンなプロモーション・ビデオ特集だ。このブログをご存知の方にとっては当然なんだが、相変わらず70〜80年代のパンク、ニュー・ウェイブ限定で、アナクロにやってゆこう。ものすごくヘンというほどの事はなくてたまたま観てて「変だ」とROCKHURRAHが思ったものだけを紹介するので、さほど期待しないで読んでつかあさい。

【迫る!】 Rich Kids / Marching Men
セックス・ピストルズの代表曲ほとんどを作曲したにも関わらず追い出されてしまったという不遇なベーシスト、そしてパンク界屈指のメロディメーカーであるグレン・マトロック。
彼がピストルズの後にに結成したのがスーパー・グループとも言えるリッチ・キッズだ。

  • ミッジ・ユーロ(元スリック、元PVC2、後のウルトラヴォックス、後のヴィサージ)
  • スティーブ・ニュー(ピストルズの2ndギタリスト他、パンク、ニュー・ウェイブの数々のバンドでプレイ)
  • ラスティ・イーガン(後のスキッズ、後のヴィサージ)

これにマトロックを加えた四人組なんだがパンクやニュー・ウェイブに詳しい人ならばすごいメンバーだった事はよくわかるはず。
このバンドは日本ではアルバム一枚発表したっきり、すぐに解散してしまったんだけど、ポップで素晴らしい名曲も残していて、個人的には大好きだった。
特に代表曲「Ghosts Of Princes In Towers」などは今聴いても気分が高揚するし、たぶん一生好きだと断言出来る。

さて、この「Marching Men」はアルバムには入ってるけど特に代表曲という事はないと思う。リリースした頃はまだMTVなどもない時代でPVを作るバンドも少なかったはず。さすが大手EMIだし元セックス・ピストルズだし、お客様感謝デー大売出し火曜市というワケかね?

このビデオの意図は不明だが見て頂くとわかるように、とにかくフロントの3人の表情、迫り具合が尋常じゃない。何だかわからんが迫力満点。 ミッジ・ユーロ(中央のギター男)と言えばジョン・フォックス脱退後のウルトラヴォックス、そして80年代のニュー・ロマンティック・ブームを支えたダンディ男の代表だよ。そうなる数年前はただの白いTシャツでこんなことやってたとは驚き。
しかもこの人は歌うときの大仰なシャウトっぷりがかっこ良くも情けない。 左側の化粧男スティーブ・ニューも負けず劣らずの形相。この人はギター・プレイも鮮やかな美少年という印象があったけど、リッチ・キッズ以外で目立ったパーマネントなバンドをやってないのが残念。去年ガンで亡くなったのだがずっと化粧男のままだったんだね。
そしてこのバンドの主役、グレン・マトロックはと言えばいい意味でいつも通り。確かに迫ってはいるが横の二人ほどのインパクトはなく、ここでも主役は取れないのか?いい曲を書くんだけどねえ。

【なりきる!】 Tenpole Tudor / Wunderbar
エドワード・テューダーポールはパンク初期から活動していて、ピストルズの映画「グレート・ロックンロール・スウィンドル」に出演した(掃除機を持って歌う映画館のモギリ役)事により注目されたパンク・コメディアンとも言えるべき人。
彼が率いるバンドがこのテンポール・テューダーだ。
このバンドはロカビリーやテディ・ボーイ(テッズ)風の要素とパンク・ロック、そしてスコットランド民謡の壮大さを併せ持つ「ありそうでない組み合わせ」が新鮮で素晴らしかった。ビリーもパンクもアイリッシュも大好きなROCKHURRAHにとってはドンピシャの理想バンドだったのだ。
同時代には海賊ルックで大ヒットしたアダム&ジ・アンツや壮大な応援団風+スコットランド民謡風パンクの王者スキッズなどと共に、この手の音楽好きを唸らせる男気あるロックを展開した。
そんな彼らのこだわりはある意味でのコスプレ精神に表れている。レコード・ジャケットのメンバー写真は中世の騎士であったり海賊であったり三銃士だったり、そのなりきり衣装は見ているだけで楽しい。そしてテューダーポールの身軽で大げさ過ぎる身のこなし、ステージ・アクションとしても派手の極み。そりゃいくら何でもオーバー過ぎでしょう、というくらいのシロモノ。

この曲は「Swords Of A Thousand Men(メンバーが騎士団になって大暴れするPVも必見)」と並ぶ彼らの代表曲で壮大かつコミカルな曲調、サビの「ブンダバー」という合唱では思わず拳を振り上げる事必至の大傑作だ。
今回は海賊に扮してるんだね。というか格好違うだけでコンセプトは騎士の時とほぼ一緒。ちなみにWunderbarはワンダフルと同じような意味のドイツ語だそうな。 先にも書いたがまだPVというものがあまりないくらいの時代にこの大掛かりなロケ、いっそのことテンポール・テューダー主演で映画にでもなってくれたら素晴らしいものが出来上がっていたろうに。

【踊る!】 The Teardrop Explodes / Treason
何だかウチのブログでティアドロップ・エクスプローズ率がかなり高いな。
そこまで命をかけて追いかけたバンドではないのに、何度も書いてる気がするよ。 その昔、70年代後半にエコー&ザ・バニーメンのイアン・マカラック、ワー!のピート・ワイリーと共に活動していたのがジュリアン・コープだ。
三人はそれぞれ別のバンドを始めて独自の活躍をしてゆくのだが、自身の音楽性に磨きをかけて正統派ネオ・サイケの代表格になったエコー&ザ・バニーメン以外の二つのバンドは、やってる事もやりたい事もその時によって違っていたという印象。

特にこのティアドロップ・エクスプローズの主人公、ジュリアン・コープは一番の問題児でクセモノだったな。
いわゆる美形ではないのだが80年代少女漫画に出てくるようなルックスで人気があってもおかしくはない素養はあった。がしかしその才能を昇華する事なく、総合的に見て意味不明の部分を数多く持っていた。ファンにとってはこの不安定さが魅力だったんだが、一般的にはかっこいい変わり者という意見が多い事だろう。

さて、このビデオ、彼らの代表曲でネオ・サイケの名曲と言われている曲なんだが、顔や体に不可解なペインティングをしたジュリアン本人が、まるで土方巽のような暗黒舞踏で踊りまくる。
売る気があって作ったプロモーション・ビデオとは思えない出来にファンも苦笑。カッコイイのを通り越してカッコ悪くさえある。
この後ソロとなって一時期は人気絶頂な頃もあったんだが、なぜか古代巨石文明に関する著作や日本のアングラなロックに関する著作など、方向性不明の活動が目立つ鬼才。相変わらず不可解な面が多いなあ(笑)。

【くねる!】 Der Plan / Hey Baby Hop
DAFやデイ・クルップス、フェールファーベン、ホルガー・ヒラーなどと並ぶジャーマン・ニュー・ウェイブ(ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ)の代表格がデア・プランだ。
ドイツの老舗インディーズ・レーベルであるアタタック・レーベルの中枢としても有名だな。他のドイツのバンド同様、シンセサイザーがメインの三人組で「ドイツのYMO」と評される事も多い。確かに当時のテクノ・ポップという分野ではYMOは世界的に著名だったからね。
しかしデア・プランは単なる音楽にとどまらず、シュールレアリスム的アートやパフォーマンスの一環として音楽活動をやっているというスタイルだったかな?違う?

そんな彼らの奇妙でチープなパフォーマンスがこのPVだ。
素人目にはショッカーの怪人(仮面ライダー)と何ら変わらないかぶりものとタイツ姿で、くねくね気持ち悪いダンスを気持ち良さそうに踊っている。
どうやらロケ地には日本も含まれているようで、そう言えば80年代半ばにこのアタタック・レーベルを西武グループのWAVEがお気に入りで、しきりに招聘していたのを思い出す。しかしわざわざ日本までやってきて小学生をビビらせてどうする?という意図不明なパフォーマンスだな。

【走る!】 Belfegore / All That I Wanted
ベルフェゴーレもデア・プランと同じくドイツのバンドで、幾分ゴシック要素のあるダークな曲調を得意としていた。
元デアKFC(豪快デジタル・パンクの第一人者、トミ・シュタンフがやっていた伝説のパンク・バンド)のメンバーが中心人物との事で、見た目もパンクっぽくてなかなかカッコイイし、メンバーに黒人がいた事もあってリズムも良い。

こんなベルフェゴーレの代表曲が本作。
とにかくメンバーを含む老若男女、さまざまな業種の人々が海辺で走りまくるというもの。革大好きマッチョ野郎どもだし、体力自慢のバンドなんだろうが、その運動量がすごい。ここまで健康的な躍動感に溢れたゴシック・バンドは他にないだろうと思える。

というわけで情熱溢れる(一部勘違いの)パフォーマンスを紹介してみた。
完全な変質者でもお笑いでもなくて、やってる本人たちは大マジメだったりカッコイイと思ってたりするのが今回のポイントだな。その中途半端な世界をROCKHURRAHは愛してゆきたいよ。

時に忘れられた人々【09】似非南国音楽

【夏になると何故か聴きたくなるリップ・リグ+パニック。素晴らしい!】

ROCKHURRAH WROTE;

準備期間を入れると1ヶ月以上もかかってしまった未曽有の大引越しが終わってようやく落ち着いてきた。要るモノ、要らないモノ、宝モノ、そして何だかわからないモノで溢れかえった元の我が家だったので、整理整頓するのも一苦労。
SNAKEPIPEの働きがなかったら到底快適と言える状態にはならなかっただろう。
本当にありがとう、SNAKEPIPE。
尚、書いてる本人も忘れていたがROCKHURRAH RECORDSの通販業務もすでにひっそりと再開しているのでお忘れなく。へぇー、通販もやってるんだ?

さて、そういう前フリとは全く関係なく、久々の「時に忘れられた人々」シリーズをお送りしよう。
今回のテーマはかなり短絡的だが、暑い夏にピッタリの80年代流インチキ夏音楽特集としよう。毎回説明するのもいいかげんアレだが、ROCKHURRAH RECORDSは1980年代くらいの音楽や文化を大得意にしている人間がやっておりまして、特に強いのはこの時代にニュー・ウェイブと呼ばれた音楽について。だからその手の記事ばっかり書いてるという時代錯誤の殿堂を目指しているワケだ。説明長いな。
で、そういうニュー・ウェイブ世代の中で夏っぽいと勝手に思った曲を紹介してゆこうというのが今回の趣旨。夏っぽいと言っても決して「燃えろいい女(世良公則&ツイスト)」とかは紹介しないからROCKHURRAHブログの初心者は誤解しないように。

夏だ、暑い。アイスキャンディ欲しい!という時にピッタリな曲。
バウ・ワウ・ワウは80年代初期に人気があったバンド。
ニューヨーク・ドールズ、セックス・ピストルズ、アダム&ジ・アンツなどの仕掛け人として辣腕を振るった(後で全部のバンドを裏切った)パンク界で最も有名な詐欺師マルコム・マクラーレン。
彼がアダム・アント抜きのジ・アンツ+14歳のアナベラ嬢を無理やりくっつけて売り出したというからその胡散臭さは折り紙つきだ。しかしビルマ系モヒカン少女アナベラの歌も演奏もこの時代には充分革新的だったのは間違いなく、インチキ夏音楽と銘打ってはいてもバカには出来ない。
個人的に明日は大変忙しいのであまり詳しくは書けないが、この曲は60年代にストレンジラブズがヒットさせた名曲のカヴァーでいわゆるボー・ビート(ボ・ディドリーが開発した独特のズンドコなリズム)が心地良いですな。

夏だ、暑い。サルサソースの何か食わせろ!というわけで今度はニセ・ラテンだよ。
サルサと言えばROCKHURRAHにとってはこれしかない。80年代インチキ音楽をこよなく愛する者どもには定番中の定番だな。
80年代初期に何故か流行ったファンカ・ラティーナという音楽の代表選手がこのモダン・ロマンスだ。
同じファンカ・ラティーナのヘアカット100やブルー・ロンド・ア・ラ・ターク(マット・ビアンコの前身)は聴いてたんだが、このモダン・ロマンスにはあまり興味なかったなあ。
ラテン音楽に造詣が深いワケではないが、何故か理由もなくサルサは好きじゃなかったという意味不明の経緯がある。何じゃそりゃ、好きじゃないなら書くなよ、とまた言われてしまいそう。

夏だ、暑い。テキーラ飲ませろ!というわけで今度はテックス・メックス系インチキ音楽入ります。
やってるのはテキサスでもメキシコでもなくてフランス、スペイン、アラブなどのごちゃまぜバンド、マノ・ネグラ。
前に当ブログ「Funnyちゃんミュージック」でも紹介したがこの陽気な勢いが大好きなんだよね。
そしてカヴァー曲なんだが原曲はテックス・メックス界の王冠男、ジョー・キング・カラスコの名曲。
この人は陽気で軽薄な一面も多いけどやる時はやる、というインチキ音楽のお師匠さん的な存在。正直言って知らない人の方が多いこんな曲をカヴァーするマノ・ネグラのセンスに脱帽、脱王冠だよ。

夏だ、暑い(しつこい)。カレー食わせろ!って時はこれ。
80年代にちょっとだけ流行ったモンスーンだ。
そういうムーブメントがあったのかどうかは知らないけどインド風ニュー・ウェイブとでも言えば良いのか?別にインドでやってたわけではなくインド系英国人シーラ・チャンドラ嬢の歌声を当時流行っていたエレ・ポップ+インド風に仕上げたというシロモノ。
引越しのレコードを段ボールから無造作に掴み取ってレコード棚に戻すという作業をしていた時、なぜだか同じミュージシャンのレコードが一番前に来るという事が5回くらい続いて「これは何かの啓示か?」と思ったものだ。トランプの中からAだけを取り出すようなもので、こんな偶然が続くのは奇跡的だからだ。
そのミュージシャンとはビー・バップ・デラックス、レッド・ノイズ、そしてソロと活躍したビル・ネルソンであり、過去にはマニアと言われるくらいに買い集めていた。何でこんな話を急に書いたかというと、このモンスーンの演奏のゲスト・ギタリストとしてビル・ネルソンが参加していたからだ。わざわざ数行も書くほどでもなかったか?
さて、この曲は誰でも知ってるビートルズのカヴァーでインド風、ニュー・ウェイブ風のいかにもな出来。シーラ・チャンドラーの涼しげな美声が心地良いね。

夏だ、暑い。暴走させろ!というわけで髪型やファッション・センスが大昔のレディース(暴走族)とかタケノコ族を思わせるダニエル・ダックス嬢のこの歌。
別にこの人が英国版ヤンキーのわけでもなく彼氏が暴走族のわけでもないけど、偶然センスが似通ってしまったの図。
元々はレモン・キトゥンズというバンドで割と前衛アートな感じのパフォーマンスをしていたんだが、ソロとなってからはポジティブ・パンク、ゴシックの殿堂バッド・ケイブというクラブで退廃的なメイクと独特の音楽をやって、よくある女性アーティストとはひと味違う路線を展開していた。
完成したのはインド、ガムランに中東風、そしていわゆるスワンプ・ロックと言えばいいのか?アメリカ南部の泥臭い要素を取り入れたサイケデリックかつ無国籍な音楽だった。
要するに何だかわからん欧米っぽくない雰囲気なんだけど、美人女性シンガーと呼ばれる部類で南部系音楽を志すのも珍しいな。しかもこの顔からは信じられない野太い声と声量。やっぱりヤンキー入ってるんでねえか?

夏だ、暑い。アフリカ行かせろ!って人はあまりいないとは思うが、日本に居ながら手軽にアフリカ気分を味わう事が出来るインチキ・アフロがこれだ。
XTCはニュー・ウェイブ初期の77年から活動していたバンドで最初の頃はいかにもニュー・ウェイブといった斬新さで、見事な勢いの曲を量産していた。基本はビートルズのように英国風味の音楽を得意とするバンドだが、たまにこういう曲をやったりする。誰もが思うようなアフリカンな感じそのもの、非常にわかりやすいね。

夏だ、暑い。バナナ食わせろ!って人も滅多にいないか。
単に南方系果物のタイトルが付いてるというだけで「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね(中原めいこ)」と大して変わらぬ世界か?
キング・カートは80年代初期にパンク+ロカビリーでパンカビリーと言われた音楽をやっていた英国のバンド。
いち早くサイコ刈りのような髪型をしていたし、大まかに言えばサイコビリーの一派でいいのかな。
陽気でハチャメチャでふざけたステージ、そして威勢のいいロックンロールで曲も良い。ROCKHURRAHも大好きなバンドだ。
この曲はそういうバンドの悪ふざけの一環なのか「サイコビリーがファンカ・ラティーナに挑戦してみました」という珍しい試みをやっている。何だかイカ天バンドKUSU KUSUを思い出すような曲だな。
本格派のサイコビリーから見れば不評かも知れないが、バナナ迷彩柄の服装にバカっぽい映像、キング・カートの魅力に溢れた傑作だと言えよう。

以上、インチキな香りのする夏っぽい音楽をROCKHURRAHが選んでみたが、今回はあまり時間がなかったので、こんなもんで許して。でもやっぱり夏は大嫌いだよ。活動したくなくなってしまう。
というワケで冬になったらまた会いましょう(ウソ)。

時に忘れられた人々【08】80’s ネオサイケ part2

【私的ネオ・サイケ名盤コレクション】

ROCKHURRAH WROTE:

色々と今、語らなければならない事はあるに違いないが、ROCKHURRAH RECORDSの方針として、今回からはいつも通りのブログに戻る事にする。

さて、今回は予告通りに80年代前半のネオ・サイケと呼ばれた音楽特集、そのパート2といこう。
読んでないけど何だか気になる人はパート1から先に読んでね。

前回の最後で地に潜むネオ・サイケ残党を募ったが全く反響はなかったので、いよいよこのジャンルは本当に廃れてしまったのかも知れないね。というわけで一人で時代錯誤に挑む事にしよう。
今回はいよいよマイナーなもの中心に、とも思ったがそもそもこういうジャンルで世界的に大ヒットしたバンドはないと思える。メジャーとかマイナーとかは抜きにして思いつくままに書いてみよう。
では始めますか。

80年代ニュー・ウェイブの初期に活躍したバンドを数多く抱える、インディーズの中でも名の通ったレコード・レーベルと言えばラフ・トレード、そしてチェリー・レッドあたりが最大のものだった。
チェリー・レッドはそれまでのパンク、ハードコア・パンクの集大成とも言える歴史的コンピレーション・アルバムをリリースしたり、パンク方面でも有名なレーベルなんだが、もう一つ、ネオ・アコースティックというパンクとは正反対の運動も推進していて、ちょっと変わった方針の会社だったな。
フェルトはそんな中に出てきたバンドだった。
ローレンスという美形ヴォーカリストが中心で人気者になれるルックスを持っていたのに、レコード・ジャケットも曲も地味の極み(初期)。インストの曲も多くて、はかなく繊細なギターによる工芸品のような音楽が特色だった。
陳腐な表現ですまん。
本来はネオ・アコの分野で語られるバンドなんだろうけど、哀愁の名曲というと必ずこの曲が頭に浮かんで来る。ROCKHURRAHが前回から書いているネオ・サイケの代表的な曲調ともそんなに変わらない世界なのでここに紹介した次第。
ちなみにこのローレンスはフェルトの後でデニムというバンドを始めたんだが、これが上記の繊細で叙情的な旋律とは正反対のもの。グラム・ロックにパブ・ロック、80年代のニュー・ウェイブなどがごっちゃまぜになったインチキっぽいB級ポップスをやっていて、紛い物大好きなROCKHURRAHの路線とかなり一致している。
興味ある人は是非聴いてみて欲しい。

ネオ・サイケの世界では有名な英国ミッドナイト・レーベルの中心的存在がこのサッド・ラヴァーズ&ジャイアンツだ。
叙情派ネオ・サイケの中でも群を抜いて正統派だと思えるし哀愁度の高さもかなりのレベル、しかしヴォーカルも演奏も致命的に特徴がなく、生真面目に面白くない側面を持ったバンドだったなあ。
そんな感想を持っているROCKHURRAHも実は初期シングルやアルバムも持ってたし、好きで集めてた時代もあった。
あまりの地味さにこのバンドを飛び出した(?)トリスタンが結成したスネーク・コープスはなかなかドラマティックな曲調だったが、本家サッド・ラヴァーズの方はあくまでも中庸路線。ビデオの映像はたぶんバンドとは何の関係もなさそう。
これだけ特徴のないのもある意味個性なのかも。

80年代初期は世界各国でニュー・ウェイブが盛んだった時期だが、あまりロックの世界で語られる事がなかったオランダでも頑張っているバンドがあった。
ディック・ポラックの率いるメカノがネオ・サイケの世界では有名なものだった。
前に商品ページでも書いたが、メカノとは穴の開いた平べったい棒のようなパーツで、これを自由にネジ留めして飛行機とか機関車とかさまざまなものを作るという欧州の知育玩具の事だ。まあレゴ・ブロックみたいなもんか?
それをバンド名にしてレコード・ジャケットもメカノをモチーフにしたシュルレアリスム絵画風の素敵なもの、というバンドだったが、音の方も英国製軟弱ネオ・サイケと比べて図太くシンプルで、ある意味豪快さも漂わせていた。
全部が全部そんな感じではないけど、数あるジョイ・ディヴィジョンもどきの中では個人的に高得点なバンド。
ちなみに別の国にも同名バンドが存在しているから非常にわかりにくい。
今回紹介するフリューはそのメカノのトルソー・レーベルからリリースされたバンドで、メカノとはメンバーもかぶっている兄弟バンドみたいな感じ。
兄貴よりは少し繊細とかアラビアン風要素があるとか細かい特徴は違うが、素人目にはほとんど同じようなものだ。
あまり多くの人が語るようなバンドではないので紹介してみた。
トルソー・レーベルには他にもジョイ・ディヴィジョンを彷彿とさせるミック・ネスという暗黒なバンドもいて、人とは違うネオ・サイケを探してる人には強力にオススメ出来る。

詳細はよくわからないが前回に書いたオーケストラ・ルージュなどと同じくフランスのネオ・サイケ・バンド。
フランス=ナポレオンという事で非常にわかりやすいな。ネオ・サイケでどんなバンドがあったっけな?と思い探してる時に、ふとこのバンドを思い出したというわけ。
バンド名以外に特にフランスっぽい要素もなくてここで取り上げる事もなかったかな。

ネオ・サイケというよりはポジティブ・パンク、ゴシック系のバンドとして語られる事が多いが、明確なジャンルの判別はあまり意味が無いので、ROCKHURRAHとしてはネオ・サイケとして扱う事にしよう。
ちょいとぽっちゃり少年顔のヴォーカルが「美形」と「かわいい」の狭間で揺らぐ(大げさな表現)、主に叙情派好きの女子に大人気だったバンドだ。
ただしその音楽は見た目よりは遥かに本格派で、ファンになるにはそれなりのネオ・サイケ通である事が望ましい。
まあそんな事は全然気にしなくて見た目から入るのも構わないけどね。何だこのどうでもいいような言い方は?
この曲は知ってる人は誰でも知ってる、ローリング・ストーンズのカヴァー。
原曲はサイケデリックな名曲だが、このダンス・ソサエティの方はいかにも80年代ネオ・サイケ風に仕上がっている。

これまたメカノと同じく同名バンドがいるために誤解を受けやすいが、80年代初期のネオ・サイケ・バンド。
確かロンドンの下町イーストエンドあたりのバンドだったように記憶する。
ブリッジハウスというレーベルからリリースされていたが、オンリー・ワンズのピーター・ペレットのお気に入りバンドとして一部では有名だった。
歌も演奏もルックスも良く、ポップな曲もあればヘヴィなのもあり、その辺のネオ・サイケ・バンドよりは通ウケする内容だったな。
80年代のヴェルベット・アンダーグラウンドという位置に近かったと個人的には思うが日本ではほとんど無名のまま終わってしまった。
ギタリストのロッコー・ベイカーはいち早くフレッシュ・フォー・ルルに参加してそちらの方が多少知られている程度。
ウェステッド・ユースは個人的に好きな雰囲気の曲が多く、輸入盤屋で結構探して少しずつ手に入れた思い出がある。
今ではネオ・サイケ要素は全くないROCKHURRAHだが、どんな音楽でも一番輝いていた時代があって、その最盛期に熱中して聴けた事は幸せだったんだと思う。だから聴かなくなってもこういうジャンルの音楽があった、そして自分が好きだったという事を忘れたくないから、ROCKHURRAH RECORDSを続けてるんだろうな。

「ネオ・サイケとは」と語る時に必ず出てくるようなバンド達を見事にすっ飛ばして書いてるような気もするが、そのイビツなバランスもROCKHURRAHの特色と言えるのかもね。
最後は何とスイスのネオ・サイケ、ブルー・チャイナを紹介しよう。ルドルフ・ディートリッヒなどという大仰な名前の人物が中心となっていたようだが、さすがにスイスの音楽事情となると調べるのも困難。
同じくスイスの初期ガールズ・バンドだったクリネックス(リリパット)の初期メンバーだったとの事だが詳細は不明。
男なのでガールズ・バンドにいられなくなったんじゃなかろうかと推測する(笑)。
何だかよくわからんコメントばかりで、こんなんでいいのか?とも思うが仕方ない、つまりよく知らないバンドという事。
かつてスイスのバンドでガールズ・フロム・タヒチというのを持っていたが、そこでこのルドルフ・ディートリッヒがプロデュースしていたような記憶がある程度。
今回は敢えて違う曲を紹介したが、ビートルズのサイケデリック名曲「Tomorrow Never Knows」をカヴァーしていたな。CDが出てるとかそういう情報はとんと知らないが、レコードの方はかなり希少で値段も高かったはず。
そのB面に収録されているこの曲も大好きな哀愁の名曲。

さて、ネオ・サイケなどという地味で生真面目な音楽を2回に分けて書いてきたが、あまり面白くも深くもない内容になってしまったな。
まあ完全に廃れてしまったような音楽について語るのは個人的には楽しい行為なので、今後も需要などに関わらず不定期に「忘れられた人々」について書いてゆこう。