CULT映画ア・ラ・カルト!【14】Santa Sangre

【サンタ・サングレのポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

CULT映画ア・ラ・カルト!」で特集してきたアレハンドロ・ホドロフスキー監督の3部作も今回でついに最終回を迎えることになった。
ホドロフスキー監督が「初めて商業映画を意識して制作した」という「サンタ・サングレ」である。
「サンタ・サングレ」(原題:Santa Sangre)は1989年制作のイタリア・メキシコ合作映画で、前作「ホーリー・マウンテン」から16年の時を経て完成した映画である。
その間に「Tusk」という映画を撮っているけれど、ホドロフスキー監督が自らの作品として認めているのは「CULT映画ア・ラ・カルト!」で特集している3本らしいので、この言い方で良いと思っている。
では早速「サンタ・サングレ」についてまとめてみようか。
※鑑賞していない方はネタバレしてますので、ご注意下さい。

物語は主人公フェニックスの少年時代と青年時代の2部構成になっている。
まずは少年時代について記述しよう。

フェニックスはグリンゴ・サーカスという名前のサーカスを率いる両親の元に生まれ育つ。
フェニックス自身も「小さな魔術師」というニックネームを持ち、マジシャンとして活躍している。
感受性豊かな優しい性格のため、泣いているシーンが多い。
そのため父親から「男にしてやる」という名目で、胸にその名の通りのフェニックス(不死鳥)の刺青をされる。
このシーンは父親がナイフの先で傷を付けることで刺青を仕上げていたため、フェニックスの胸は血だらけ!
本当に痛そうに泣き叫んでいたので、SNAKEPIPEも自分の胸をさすってしまったほど!

フェニックスの父親、オルゴはアメリカ人。
前述したようにグリンゴ・サーカスの団長である。
どうしてアメリカに帰らずメキシコにいるのかは「アメリカで女を殺したせい」と噂されるような暴力的な人物である。
酒飲みで女好き、といういわゆるだらしのない男なのに、団長なのが不思議だよね?(笑)
かなりの太っちょだけれど、スパンコールギラギラの衣装を着け、同じくスパンコールのカウボーイハットまでかぶっている。
そしてフェニックスに施したのと全く同じ刺青を胸に入れている。

フェニックスの母親、コンチャ。
「テラノ兄弟に両腕を切断され、強姦された挙句血の海に置き去りにされた少女リリオ」を聖女として祀る宗教団体の熱狂的な信者である。
その狂信ぶりはイカれてる雰囲気さえ漂う。
目がすごいんだよね!
そして聖女として祀られている少女リリオの像もかなり怖い!
何故だか髪をおさげにして、セーラー服着てるの!
メキシコにも似た制服あるのかしら?

コンチャもサーカスの一員として、髪の毛を使った空中吊りで演技をする。
コンチャはヒステリーで非常に嫉妬深い妻だ。
夫であるオルゴが他の女と一緒にいるとナイフをかざして脅しをかける。
演目の途中であっても激しい嫉妬心を抑えることはできず、夫と女を追いかけてしまうほど。

サーカス団に全身刺青の女が新しく加わることになる。
肉体美をアピールするのがこの女の得意な芸当。
その他に玉乗りするとか空中ブランコやるとか、そういう芸は持っていないみたい。
そのためなのか、団長であるオルゴを得意の肉体攻撃で魅了しようとする。
オルゴの芸はナイフ投げ。
全身刺青女を的の前に立たせ、ナイフを投げていく。
まるでそれが性行為の代替であるかのように、刺青女はナイフが1本、また1本と投げられる度に身をよじるのである。

全身刺青女が一緒に連れてきたアルマという少女も、サーカス団で火縄を渡る芸の特訓中である。
アルマは聾唖者で口をきくことができない。
恐らくそのため両親から見捨てられ、全身刺青女の手に渡ったものと思われる。
サーカスと聞くとちょっと物悲しく感傷的な気分になってしまうのは、こういう事情がたまに透けて見えるからだろう。
全身刺青女からイジメられても、アルマは強く清らかな精神のままサーカス団に溶け込んでいる。
そしてそんなアルマに心惹かれているのがフェニックスだ。

ついに団長と全身刺青女は一線を越えようとする。
その2人の後を追ったコンチャは嫉妬と怒りで気も狂わんばかり。
硫酸を手に2人のいる場所に向かうと、夫オルゴの局部に硫酸を降りかけるのである。
怒ったオルゴはコンチャをナイフ投げの的へ連れて行き、その場で両腕を切断する。
あのナイフがそんなに切れ味良かったとは!
その姿はコンチャが狂信していた聖女リリオそのものだ。
そしてオルゴは最後にグリンゴ・サーカスを目に収めた後、首を切って自害するのである。
全裸で局部を抑えながら少し歩いた後自害するシーンは「エル・トポ」の中にも登場したね。
その様子を泣き叫びながら見ていたフェニックス。
フェニックスはコンチャにトレイラーに閉じ込められていたせいで、行動できなかったのだ。
全身刺青女はアルマを連れて車で逃走してしまう。
車の後ろの窓から悲しそうにフェニックスを見つめるアルマ。
ここまでで少年時代のお話終了!
こんな惨劇が目の前で繰り広げられてしまったら、少年はどうなってしまうんだろうね?

青年になったフェニックスは障害者施設にいた。
言葉を喋らず、胸の刺青のように自分を鳥だと思っているらしい。
人間用の食事には見向きもせず、生の魚を見ると奇声を発し、ガツガツとむさぼるように食べ始める。
このシーン、どうみても本当に生のまま食べてるように見えるんだよね!
役のためとはいえ、大変だっただろうねえ。

ある日フェニックスは障害者達と共に映画「ロビンソン・クルーソー」を観に外出することになる。
そこに客引きの男が現れ、映画より楽しいことをしよう、と障害者達を誘う。
コカインを吸わされ、障害者達が連れて行かれたのは相撲取り並の体格の年配娼婦の前だった。
5人の障害者まとめて全員で20ドルという娼婦に、俺の取り分は15ドルだと主張して交渉成立。
アコギな商売してるよね、客引きの男!
この客引きの男の名前がテオ・ホドロフスキーなんだよね。
監督との血縁関係については不明!(笑)
他の4人は娼婦に連れられて行き、フェニックスは仲間に加わらず町をさまよう。
通りは客を待っている娼婦たちであふれている。
フェニックスがふと目をやった先に、先程の客引きと陽気にサンパを踊る女がいる。
なんとその女はグリンゴ・サーカスにいた全身刺青女だった。

全身刺青女はグリンゴ・サーカスの時もそうだったように、その肉体とお色気だけをウリにしているので、サーカス団から逃げた後は娼婦になっていたようだ。
律儀にも(?)あの聾唖者のアルマの面倒もみているようで、同居している。
2人の軍人を客に取り、そのうちの一人をアルマに相手させようとする。
この軍人、恐らく巨人症だと思われる。
その巨人相手に格闘し、窓から逃げて難を逃れたアルマ。
なんとか夜露がしのげる場所を確保し、朝にようやく家に帰る。
そこで全身刺青女の亡骸を発見するのだった。
全身刺青女の殺害シーンはまるでアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」を思わせる演出がされている。
カーテンごしにナイフで上から下へと斬りつけるのである。
殺人者の姿は見えず、ただ赤いマニキュアをした女の手だけがヒントである。
一人ぼっちになってしまったアルマの心の拠り所は、グリンゴ・サーカスで生き別れたフェニックスだった。

映画「ロビンソン・クルーソー」の翌日、フェニックスは両腕のないコンチャの呼びかけに応じて、障害者用施設を抜け出す。
そしてコンチャと一緒に「コンチャと魔法の手」という演目を劇場で披露している。
これはフェニックスがコンチャの手の代わりに、二人羽織状態で後ろから動きを付けている出し物である。
フェニックスの爪には赤いマニキュアが塗られている。
本物の女性の指のようなきめ細やかな動きに感心してしまうね!
二人羽織は演目だけではなく、家の中でもコンチャの手の代わりを務めるのである。

この劇場の他の演目に「制服の処女ルビー」というストリップショーがあるんだけど、このルビーちゃんがすごいインパクト!
メキシコ人は、もしかしたら老けて見えるのかもしれないけど、どうみてもルビーちゃんは40代に思えるよ!
黒板と机を配置した教室を演出したステージに、セーラー服に髪をおさげにして登場!
まずはこのアンバランスさがなんとも言えずシュールな感じがする。
ちょっと昭和レトロな雰囲気もあるよね?(笑)
コンチャが崇拝し、聖女リリオとして祀っていたのもセーラー服とおさげ髪だったので、ホドロフスキー監督は余程気に入っていたに違いない。(笑)
観客のおじさん達もやんややんやの大歓声で、ルビーちゃん大人気だし!
このストリッパー、ルビーちゃんから「あたしと組まない?」と誘いを受けるフェニックス。
いつの間にか父親譲りのナイフ投げの技を身に付けているフェニックスは、ルビーちゃんをナイフ投げの的の前に立たせるのだった。
この時フェニックスの脳裏をよぎるのは、かつて父親の前で身をくねらせて的の前に立っていた全身刺青女。
強烈な記憶は今でも色鮮やかにフェニックスに影響を及ぼしているようだ。
そこにやってきた母親、コンチャ。
父親にしていたのと同じように、フェニックスが自分以外の女と接触していると、強い反発心と嫉妬心で怒りに打ち震えるのだ。
「その女を殺しなさいっ!」
そうコンチャから命令されると、自分の意志とは関係なくコンチャの指示通りに手が動いてしまう。
ルビーちゃんの腹部めがけてナイフを投げてしまうフェニックス。
コンチャの命令は絶対である。
逆らうことなんてできないんだ。

ルビーちゃんの死体を自宅に運び、庭に埋める。

今までにも大勢の女性を手にかけ、同じように庭に埋めてきたんだろう。
大勢の埋められていた女性たちが花嫁のベールをかぶり、ワラワラと土から出てくるシーンがある。
ここだけ見ているとまるでホラー映画のようで、かなり不気味だった。
タイトルつけるなら「brides of the living dead」って感じか?(笑)
不気味といえば、フェニックスが自宅に招いた史上最強の女子プロレスラーは、どこからみても男性にしか見えないんだよね!(笑)
上の写真がその女子プロレスラーなんだけど、身長の高さ、体つきのゴツさ、顎のラインなど全てが男!
コンチャと力の強い彼女(?)を対決させようと企てていたようだ。
それなのに、なんとも残念なことにコンチャの命令のほうが勝っていたんだねえ。
「彼女を殺すのよ!」
コンチャ、本気で女だと思ってたのかなあ?(笑)

「コンチャと魔法の手」を上演している劇場を手掛かりに、アルマはフェニックスの住所を探し出す。
家の中の様子から、恐らく全ての察しがついたんだろう。
フェニックスの目を開かせ、真実と向き合わせようとする。
全ての真実を受け入れたフェニックスは、やっと本来の自分自身と自分の手を取り戻すことができるのだった。

急に最後の部分だけかなりぼやかして書いてみたよ。
そこが核心に触れる部分なので、ネタバレし過ぎはヤボかな、と。(笑)
母親に支配される息子の主題は、前述したヒッチコック監督の「サイコ」でお馴染みだと思う。
ただしホドロフスキー監督はメキシコで実際に起きた連続殺人事件を元にこの映画の構想を練ったらしい。
20人以上の女性を殺し、自宅の庭に埋めていたホルヘ・カルドナという犯人にも直接インタビューまでしていたというから驚きだよね!
そのホルヘ・カルドナが母親からの支配を受けていたのかどうか、その事件そのものについての調べがつかなかったのではっきりしたことは不明。
構想から7年の月日が経ってからの映画化ということだから、どうしても撮りたかった作品なんだね。

冒頭に書いた「商業映画を意識した作品」という意味については、
・ストーリー展開がはっきりしていたこと
・他2作に比べるとグロいシーンが少なかったこと
・ラテン音楽の多用とダンスのシーンなどから陽気な雰囲気を感じたこと
という3つがパッと思いついたことかな。
いかにもホドロフスキー監督らしい、と思える演出のほうがはるかに多かったので、「エル・トポ」と「ホーリー・マウンテン」に比べてみれば、という前置きが必要かもしれない。

「サンタ・サングレ」を英語に訳した「ホーリー・ブラッド」と叫んでいたのが少女リリオを祀っていた教会でのコンチャだった。
少女が流した血は聖なる血だ、というのだ。
根拠は不明だけどね!
両腕を切断された、で思い出すのがデビッド・リンチの娘であるジェニファー・リンチの処女作「ボクシング・ヘレナ」(原題:Boxing Helena 1993年)である。
この映画は主演女優の降板騒ぎや、最低映画賞といわれるラジー賞を獲ったという悪評で有名な映画になってしまっている。
最終的に主役に収まったのは、「ツイン・ピークス」でオードリー役を演じていたシェリリン・フェン
少女リリオのように両腕のみならず、両足までも切断され椅子に腰掛けているのが、左の写真。
元々自分勝手で奔放な性格という設定だったせいもあり、とても聖女とは呼べないタカビー(死語)な女性だったよ。
改めて鑑賞しなおしてみたけど、ラジー賞に納得してしまったSNAKEPIPE。
エロと猟奇と狂気が中途半端なんだよね。
どうせやるならどれか一つを突出させても良かった気がする残念な作品だった。
「サンタ・サングレ」と同じジャンルに分類されるオチの付け方なのに、「ボクシング・ヘレナ」には非難の言葉が多いのも中途半端さが原因かな、と思われる。

ホドロフスキー監督についてもう少し調べてみよう。
「サンタ・サングレ」で演じられた少年時代と青年時代のフェニックスは2人共、ホドロフスキーの実の息子!
ん?ここで疑問が。
一体ホドロフスキー監督には何人の息子がいるんだろうね?(笑)

「エル・トポ」に出ていた、あの裸の少年。
ブロンティス・ホドロフスキーは1962年メキシコ生まれの長男。
wikipediaのページがフランス語なので、はっきりしたことは不明だけど、どうやら俳優や演出家をやっている模様。
ホドロフスキー監督の最新作「リアリティのダンス」ではアレハンドロ・ホドロフスキーの父親役、つまりブロンティスからみるとおじいちゃんを演じているらしい。
自伝的小説「リアリティのダンス」に中にブロンティスに関する記述がある。
どうやらブロンティスは6歳まで母親とアフリカにいたらしい。
そしてその後フランスにいるアレハンドロ・ホドロフスキーの元に来たというのだ。
そのため6歳までは父親不在の生活を送っていたとのこと。
「エル・トポ」は1970年の制作なので、ブロンティスは父親の元に行ったばかりで撮影してたんだね!
「ホーリー・マウンテン」にも「サンタ・サングレ」にも出演していたようだけど、どの役だったのかは不明。

アクセル・ホドロフスキーは「サンタ・サングレ」の中でフェニックスの青年時代を演じた。
映画に関する記述ではアクセルだけど、小説「リアリティのダンス」の中にヒントがあった。
アクセル・クリストバル・ホドロフスキー!
クリストバル・ホドロフスキーは1965年生まれの次男坊。
詩人、画家、作家、映画監督の他にサイコ・マジックも手がけているらしい。
サイコ・マジックとはアレハンドロ・ホドロフスキーも行なっていたサイコセラピーの一種で、依頼人の悩みを家系図を元に作成した系統樹や依頼人が見た夢などを利用して、根本となる問題点を導き出し、問題解決にあたるものである。
実際にどのような方法を用いて問題解決をしたのか、という実例については小説「リアリティのダンス」の中に事例があるので参照して下され!
詩人やサイコ・マジックを手がけているということで、もしかしたらクリストバルが一番ホドロフスキー監督の影響を受けているのかもしれないね?
それらは父親であるアレハンドロが行なってきたことを伝承しているみたいだからね。
クリストバルのHPがスペイン語で書かれているので、読解できないのがもどかしいね!
何の役なのかは不明だけど、映画「リアリティのダンス」にも出演している模様。

アダン・ホドロフスキーは「サンタ・サングレ」でフェニックスの少年時代を演じた。
1979年生まれというから、長男と17歳も差がある三男坊!
ホドロフスキーが50歳の時に生まれた、と書いてあったよ。
「サンタ・サングレ」撮影時は9歳くらいだった計算だよね。
このアダンは、現在Adanowskyという名でミュージシャンになっている。
wikipediaによると、どうやら一番初めにアダンにギターを教えてくれたのは、あのジョージ・ハリスンだったらしい!
アレハンドロ・ホドロフスキーが友達だったから、というのが理由らしいけど、ビートルズ・ファンには垂涎の的だろうね。(笑)
アダンもアナーキストの役で「リアリティのダンス」に出演しているみたい。

恐らく息子はこの3人だと思われるんだけどね?
どうやらそれぞれの母親は別らしい。
それなのにホドロフスキー色が濃く出ているところがすごいよね。(笑)
実は他にも映画の中にホドロフスキーって名前があるのを発見したんだけど、それが息子なのか親戚なのかはよく分からなかった。
娘も一人いるらしいんだけど、この方は映画とは無縁だったのかな。

来年日本公開予定の「リアリティのダンス」の前に、ホドロフスキー監督の3部作についてまとめてみたよ。
これで復習は完了だね!
そして小説「リアリティのダンス」も読了し、3人の息子達についても調べたので予習もできたかな。(笑)
来年の公開が本当に待ち遠しい!

映画の殿 第03号 悪魔の追跡

【2組のカップルの行方や如何に?!】

SNAKEPIPE WROTE:

毎週末に映画を鑑賞する習慣はずっと続いていて、特別な用事がない限りは1週間に3本の映画を観ていることになる。
1ヶ月で約12本!
1年なら144本ということになるんだねえ。
計算してみるとその本数の多さに驚いてしまう。
それらの膨大な映画の中から、新作やカルト系を除いた琴線に触れる1本をご紹介しよう!という企画の「映画の殿」。
第3号は「悪魔の追跡」について特集してみようか。

悪魔の追跡」(原題:Race with the Devil)は1975年のアメリカ映画である。
イージー・ライダー」でキャプテン・アメリカを演じていたピーター・フォンダと「ワイルド・バンチ」や「デリンジャー」で圧倒的な存在感を見せたウォーレン・オーツが出演しているオカルト映画と聞いたら気になっちゃうよね!(笑)

YouTubeに当時の予告があったので載せておこう。

字幕なしだし、「きゃー!」みたいな絶叫だけが印象に残る映像。
さて、一体どんなお話なんだろう?

※鑑賞していない方はネタバレしてますので、ご注意下さい。

鑑賞後、一緒に観ていたROCKHURRAHと共に黙りこんでしまう。
なんとも言えないイヤーな後味の悪さ!
えっ、これで終わっちゃうの?という驚きの結末だったのである。

ロジャー(ピーター・フォンダ)とフランク(ウォーレン・オーツ)がそれぞれの妻を伴って出かけた旅行先で、悪魔崇拝者達による人身御供の儀式を目撃してしまったことから、その関係者から度重なる嫌がらせを受け続ける映画である。
あらっ、簡単に書き過ぎ?(笑)
ホラー映画などで「悪魔の○○」という邦題が付けられていることって多いけど、この映画に限っては本当にタイトルそのまんまなんだよね!
これは逆に珍しいかも?

この映画はストーリーがどうのというよりも、その嫌がらせがメインなんだよね!
儀式を目撃した後に関係者が逃げる4人を追いかけ、車の窓ガラスを割る。
割れた窓ガラスに「沈黙せよ」と書かれた警告を示すメモを残す。
ペットを殺害する。
ガラガラヘビを車内に潜ませる。
積んでいたバイクにキズを付ける。
長距離電話を全て使用不可にする。
車ごと体当たりしてきて暴走させる、などなど儀式の夜以来、心の休まる時がないほど加速する嫌がらせ。
親切そうに見える人も、結局はみんなグル!
保安官も、出会う人全てが信用できない状況だ。


その他の嫌がらせとしては、冷たい人々の視線がある。
一言も喋らず、ただ見つめるだけの人達。
それは嘲笑だったり、少し非難を含きつつ哀れみを感じているような視線である。
この視線攻撃、かなりゾッとするよー!
旅行に出た4人のうち、一番視線や雰囲気の異常さに敏感なのはロジャーの妻のケリーで、最初に視線を感じた時には「もう旅行をやめて帰ろう」と提案をしている。
ところがフランクにとっては、長年の夢であった長期旅行である。
俺は絶対に帰らない、スキーに行くんだと言って譲らない。
フランクの妻のアリスも折れて、同行することに同意してしまう。
なんでこの時に帰らなかったの?って思う人は多いと思う。
SNAKEPIPEもそう思った。
この時点なら、まだ窓ガラスを割られ、不審なメモが残っているだけだったのにね!
ただ、こんなに執拗に嫌がらせをしてくる儀式関係者が4人を無事に帰したかどうかは判らないけどね。(笑)


映画の舞台はテキサス州で、出発地点はサンアントニオ。
調べてみるとテキサス州というのはアメリカで2番目に面積の広い州とのこと。
ちなみに1番はアラスカ州だって。納得。(笑)
テキサス州を縦断した先に位置するコロラドを目指す旅というから、かなり移動距離が長いよね。
最初のキャンプ地である儀式のあった場所がどこだったのか不明だけど、きっと4人はラストまでテキサス州から出てないはず。
そしてそんなに広いテキサス州に、どれだけの数の悪魔崇拝者がいるのか謎なんだけど、4人が行く先々に悪魔崇拝の仲間がいることになってるの。
あの儀式の時に集っていたのは、多くても15人くらいだったんだけどねえ?

この粘着質タイプの追跡者というと思い出すのが「ノーカントリー」かな。
自分にとって都合が悪い相手をずっと追い詰めて殺害する。
「悪魔の追跡」の儀式関係者達も「み~た~な~!」としつこいところが似てるんだよね。(笑)
カーアクションのシーンでは、追いかけてくる運転手が見えなくて、誰が運転してるのか分からない。
これはスティーヴン・スピルバーグの「激突!」からの引用なのかしら?
追いかけられる恐怖というのは、SNAKEPIPEもよく夢の中で経験するんだけど、心臓バクバクなって本当に怖いと思う。
もしかしたらSNAKEPIPEが一番嫌なことなのかも?(笑)
そして他所の土地で邪険にされるのは「イージー・ライダー」も同じだったよね。

最終的には車の周りを儀式関係者に取り囲まれてしまう。
そこで映画は終わっちゃうんだよね。
逃げられなかったということはハッキリしてるけど、その後どうなったのかは鑑賞者にお任せ、という終わり方。
どーもすっきりしないよね。(笑)
4人を取り囲みたいなら、もっと早い段階でいくらでもチャンスがあったのにね?
その意味からも、この映画は嫌がらせによる恐怖体験を主題にしてると考えられるよ。

結局のところ4人はどうしたら良かったんだろう?
初めに警告文が来た時点でサンアントニオまで引き返せば良かったのか?
保安官に報告しなければ自宅の住所などを知られることもなかったのでは?
そもそも儀式を目撃しなかったら目的地まで楽しい旅が続いたんだろうか、など様々な疑問が湧いてくる。
それにしてもピーター・フォンダとウォーレン・オーツだったら、本当はもっとカッコ良く立ち回れたんじゃなかろうか?(笑)

これから夏休みで車で遠出しようとか、自転車で遠くまで野宿しながら出かけるなんて人も多いと思う。
そんな時、もしかしたらその土地での禁忌に触れる可能性もあるよね。
ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも人の気配のない場所を好む傾向があるので、この映画を教訓にしよう!
どうぞ皆様もお気を付け下さいませ!(笑)

アンチヴァイラル鑑賞

【アンチヴァイラルのトレイラー】

SNAKEPIPE WROTE:

今年の4月中旬にデヴィッド・クローネンバーグ監督の最新作「コズモポリス」を観に行った。
主人公が所有するキャデラックに、複数の人が交代で乗車し、そこで繰り広げられる会話や行為を描いた映画だった。
一緒に観に行った友人Mは途中から爆睡していたというほど、淡々として動きがなく単調で、SNAKEPIPEもブログのネタにすることができなかったんだよね!
あとから解説や他の人の感想を読み、多少は理解できたけれど、風刺と言われてもねえ?
結局のところは好みじゃなかったんだろうね。(笑)

そのクローネンバーグ監督の息子が初監督した映画が公開されるというニュースを持ち込んだのは、またもや友人Mだった。
「面白そうだから観に行こうよ!」
「コズモポリス」の時も同じセリフを言ってなかったか?(笑)
トレイラーを確認すると、確かにちょっと面白そうである。
公開する劇場を調べてみると、関東地方で埼玉、千葉、東京、神奈川のそれぞれ1館でのみ上映とされている。
SNAKEPIPEと友人Mが近いのは渋谷シネマライズだった。
そしてびっくりなことに上映期間はたったの3週間のみ!
無名監督の作品上映って、最近はこんなもんなの?

いくら初監督作品とはいっても、お父さんは有名な監督だから、2世監督なわけだよね?
2世タレントとか2世俳優とは違って、あんまり話題にならないのかな?
2世監督としてパッと思い付くのは、フランシス・コッポラ監督の娘、ソフィア・コッポラデヴィッド・リンチの娘、ジェニファー・リンチかな。
上の話とは関係ないけれど、デヴィッド・リンチのサイトにセカンド・アルバムに関するニュースがあったよ!
なんと7月15日に発売予定らしい。
もしかしたら今は、映画制作より音楽に興味があるのかしら?(笑)
話を元に戻して。
そして今回2世監督として追加されることになったのが、デヴィッド・クローネンバーグの息子、ブランドン・クローネンバーグである。
1985年生まれというから、28歳の若手ですな!(笑)

3週間しか上映していないので、慌てて予定を合わせ渋谷に向かう。
シネマライズ、随分久しぶりだなあ。
前に何を観に行ったのか、思い出せないほど。
もしかしたらフランシス・ベーコンを描いた「愛の悪魔」だったかもしれないな。
長らくご無沙汰だったシネマライズに向かい、当日のチケットを買うために販売開始時間前に待っていたのは、なんとSNAKEPIPE1人だけ!
もしかしたら行列しているかもという予想は大きく外れた。(笑)
館内に入って更にびっくり。
約200人が入れる劇場に、お客さんはたったの15人のみ!
SNAKEPIPEと友人Mを含めての数である。
これで経営が成り立つんだろうか、と余計な心配までしてしまう。
ゆったり鑑賞できるのは有難いけど、大丈夫か、シネマライズ?(笑)

ではあらすじに感想を加えながら書き進めてみよう!


近未来の話。
この世界ではセレブリティとの究極の繋がりを求めて、様々な病気に感染したセレブリティのウイルスが売買されている。
セレブリティのウイルスをマニアに注射する「ルーカス・クリニック」に勤務する注射技師シド・マーチが主人公。
シドは巧妙なセールストークで、ウイルスの販売に貢献する。
「熱狂的なファンのあなたには、こちらのウイルスはいかがでしょう?」
高いお金を払って、セレブリティと同じ病気になりたいと思う客がいることが不思議だけど、この世界ではその行為が成立するみたいだよ。(笑)
自分のウイルスを売るセレブリティにも疑問を感じるけどね?


「ルーカス・クリニック」では真面目そうな社員ということで通ってるシドだけど、実は希少価値の高いウイルスを外部に持ち出し、闇マーケットに横流しするという違法行為を行なっている。
客に注射した後の残りを自分に注射して、自宅でウイルスだけを取り出すんだよね。
そんなことができる装置まで隠し持ってるし、闇販売ルートまで確保してるんだから恐れ入る。
そして闇ルートが確立されているほど、たくさんの人がセレブのウイルスに関心があるということも判るよね。


ある日、大人気のセレブリティで究極の美の持ち主ハンナが原因不明の重病に冒されて突然死亡。
映画の中では「中国で原因不明のウイルスに感染」と言われていたよ。
なんだか本当にありそうだよね。(笑)
ハンナの死の直前、ハンナから直接採取したウイルスを自らの肉体に注射していたシドも、異様な幻覚症状に見舞われる。
ハンナを死に至らしめた特殊なウイルスの唯一の宿主となったシドは、何者かに追われ始める。
そしてウイルスをめぐる巨大な陰謀の真相究明に乗り出すのだが…。
というところで、あらすじに関しては終わりにしておこうかな。
本当はラストを知ろうが知るまいが、どっちでも良いタイプの映画だと思うんだけどね。

SNAKEPIPEがこの映画で一番面白いと感じたのは、上に書いたそのまま「ウイルスの売買」って行為だったから。
熱狂的なファンが、憧れの人に少しでも近付きたいと思い、その人が身に付けていた物と同じ物を購入する、オークションで縁のある物を多額のお金で手に入れる、似た顔に整形する、なんていうのは今でも行なっている人が多い行為だよね。
それをもっと突き進めていくと、病気を共有したい、細胞が欲しいというレベルになっても不思議ではないなあと思うのである。
SNAKPIPEはいくらファンだとしても、「同じ病気になりたい!」とか「うつされたい!」とは思わないけどね。(笑)

ブランドン・クローネンバーグのインタビューによれば、この映画は細胞からステーキ肉を作るというような、実際の技術から着想を得たという。
そして誰かに夢中になり過ぎると、それは一種の狂気になるというのがテーマとのことらしい。
着想から8年かけて完成させたというから、かなり強い思いがある作品なんだね!

それ以外のSNAKPEIPEの感想は、と言うと。
主人公シドを演じるケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、この役柄を非常にうまく演じていたんだけど、顔や腕とか背中のそばかすが物凄いんだよね。
役作りのために描いたのかな?と思ってしまうほど。
手が血だらけの上の写真でも判るよね。
この映画が108分みたいだけど、恐らく90分くらいは具合が悪い状態だったよ! 主人公がここまで具合が悪い映画っていうのも珍しいよね。(笑)


お父上であるデヴィッド・クローネンバーグ監督と同じように「ボディ・ホラー」というジャンルで括られている映画なので、細胞科学の知識が全くないSNAKPIPEには
「今、彼は一体何をやってるんだろう?」
と思うような場面があったんだよね。
シドが自分にウイルスを注射しているのは、てっきりセレブへの憧れのためだと勘違いしていたから尚更かもしれない。
そして自分の血液からウイルスだけを取り出す作業も、観ている時には意味不明だった。
鑑賞前には解説を全く読まなかったので、帰宅後に調べてみてやっと意味が理解できたような次第。

病気のウイルスに顔があり映像化できるとか、ウイルスをコピーされないようにガードをかける、もしくはコピーガードを外すといったような、まるでパソコンで使うような言い方がされているのはは面白かった。
病気のウイルスとして出てくるのが、歪んだ顔の画像。(上の写真)
その歪みによって不調が判るとされてるんだけど、この画像ってまるでフランシス・ベーコンだよね。(笑)
悪いウイルスの画像コレクション、あったら欲しいな!
と書いてからまた調べてみたら、ベーコンからの影響を受けていることが載っていたよ。
ああ、やっぱり!って感じだね。

もう一つ気になったこと。
SNAKEPIPEは、欧米諸国の人達の考え方として「私は私」というような、個性とか個人としての自立や確立を尊重し、自己顕示欲が強い人種だと思ってるんだよね。
この映画の中では、ほんの数人のセレブだけを対象に、その人達に近付きたいと誰もが思っているというところが理解し難かったな。
もう少しマニアックなファンが登場しても良かったかもしれないよね?(笑)
元々SNAKEPIPE自身が特定の誰かに憧れるということがないから、余計解らなかったのかもしれないけどね。
熱烈に支持する誰かがいる人には、共感できるのかな?

「この前のお父さんの映画よりは面白かったかな」
とは友人Mの感想。
冒頭に書いた「コズモポリス」と比べて、ということだけど、そうは言いながらもまた少し寝ていたらしいので、本気の発言かどうかは不明である。(笑)

残念ながら、SNAKEPIPEはデヴィッド・クローネンバーグ監督の初期の傑作と言われている「ラビッド」や「ヴィデオドローム」を観てないんだよね。
どうやらROCKHURRAHはかなり早い段階からクローネンバーグ作品に触れていたらしく、「ラビッド」も「ヴィデオドローム」も「スキャナーズ」も鑑賞済とのこと。
さすがホラー好きだね!(笑)
「アンチヴァイラル」には、それらとの関連を指摘するような解説が載っていたけれど、考察できないのが悔しいな。

そういえば「コズモポリス」では主人公の婚約者の役どころだった女優が、「アンチヴァイラル」ではセレブリティ役で登場していたね。
親子で同じ女優を採用するとは。
やっぱり好みが似ているのかしらね?

渋谷のシネマライズでは6月14日まで上映しているようなので、気になる方はご鑑賞あれ!
シネマライズのトイレ、ものすごく80年代っぽくて、なかなか良かったよ!(笑)

CULT映画ア・ラ・カルト!【13】The Holy Mountain

【フランス版のポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

毎年開催されているカンヌ国際映画祭は、多少ニュースで知るくらいでほとんど注目したことはない。
1990年に敬愛するデヴィッド・リンチ監督が「ワイルド・アット・ハート」でパルムドールを受賞した時は、さすがに興奮したっけ。
まさかリンチがカンヌでグランプリとは!ってね。(笑)

あれから22年の時を経て、今年のカンヌにはSNAKEPIEPが興奮するネタがあったのだ!
それは「藁の楯」じゃなくて(笑)、アレハンドロ・ホドロフスキー監督のニュース!
今年の2月に入手したホドロフスキー監督の自伝「リアリティのダンス」が映画化されることは知っていたけれど、実際に映画が完成していてカンヌで上映されたと聞いて小躍りしたのである!
観たい!観たい!絶対観たい!!!うおぉーーーーっ!
そのニュースを知り、トレイラーを発見して鑑賞した夜には、「リアリティのダンス」の夢まで見てしまった!
強い気持ちは夢に現れやすいなあ。
えっ、じゃあこの前夢の中でコバルヒンを一緒に食べた小倉智昭に対しても強い気持ちがあったのか!(笑)

「リアリティのダンス」を読んで、ホドロフスキーに対する興味は益々増すばかり。
ホドロフスキー原作のバンド・デシネまで購入してしまった。(笑)
それについてはまた別の機会にブログでまとめてみたいと思っている。
本日は84歳にしてまだまだ現役バリバリの映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの「ホーリー・マウンテン」について書いてみよう。

「ホーリー・マウンテン」(原題:The Holy Mountain)は、メキシコとアメリカの合作映画で1973年に製作されている。
日本公開は1988年とのこと。
当然ながら観に行ってるSNAKEPIPEなんだけど、1回目の鑑賞ではストーリーについていくのが精一杯だったように思う。
それから何度繰り返し観たことだろう。
そしてホドロフスキーの自伝である「リアリティのダンス」を読んで、今回再び「ホーリー・マウンテン」を鑑賞したSNAKEPIPE。
「ホーリー・マウンテン」を撮影していた頃の話も所々に登場するし、なんといってもホドロフスキーの生き様や信念を知ることによって、より一層映画の理解が深まるように思う、たぶん。(笑)
では早速「ホーリー・マウンテン」の感想をまとめてみようかな。

※ネタバレを含みますので、映画を観ていない方はご注意下さい。

とても有難いことにトレイラーがあったので、載せておこう。
なんとも摩訶不思議で残酷な美しい映像にウットリしちゃう。
ところが単なる映像の羅列じゃなくて、ちゃんとしたストーリーが展開されてるんだよね。
Wikipediaにはものすごく簡単に

錬金術師は、不老不死の秘法を知る賢者達から秘法を奪う為に、修行の末、賢者達が住む聖なる山(ホーリー・マウンテン)に至るが…。

と一行で書かれているけど、ここではもう少し詳しく書いていこうか。
「ホーリー・マウンテン」は3つのパートに分かれている。
一番初めはキリストに似た風貌の男の話。


何故だか分からないけれど、地べたに寝ていた男、役柄は盗賊とされている。
第1部の主人公はこの盗賊ね。
そして盗賊にいたずらを仕掛けるが、次第に仲良くなる両手両足のないフリークスも登場する。
ホドロフスキー映画には欠かせない(?)タイプの役者さんといえるかな。
盗賊はフリークスを抱きかかえ、町を散策する。
そこで様々な出来事に遭遇するのである。

軍隊による民衆の虐殺。
皮をはいだ動物を十字架に磔にし行進する軍隊。
それらを笑いながらカメラに収める観光客。
「エル・トポ」に出てきた街に近い雰囲気だね。
「ヒキガエルとカメレオンのサーカス団」は動物を使って戦争ごっこを見せる。
爆発で吹き飛ぶカエルやカメレオンの映像は、少しグロい。 


キリスト像を製造し、安売り(!)販売している太っちょ達に酒を飲まされ、呑んだくれた盗賊は眠っている間に型取りをされてしまう。
見た目がキリストを思わせるから、というのが理由だろう。
1000体もの自分と同じ姿をしたハリボテの中で目覚め、気が狂ったように叫ぶ盗賊。
見事としかいいようのない異様な光景だ。
実際に作ったんだろうけど、この一枚写真だけでも迫力あるよね!
盗賊は自分に似たハリボテ一体だけを抱え、再び歩き始める。


次に出会うのが娼婦の集団。
黒いシースルーのトップスに黒い短パンに白いベルト、腿まである白いブーツという全員が同じ服装をしている。
年齢も少女からミドルまで幅広い。
その中でチンパンジーを連れている、目に力がある女性が盗賊に惹かれ、あとを付いて行く。

ハリボテを教会に預けようとすると、本物のキリスト像を抱いて眠っている司祭がいる。
こっちが本物だから偽物のハリボテは持って帰れ!と盗賊を追い返してしまう。
そして何故だか盗賊は、ハリボテの顔を食べ始めるのである。
モリモリ食べてるんだけど、このシーンはかなりウエップな状態。
多分実際には食べられる素材でできてるんだろうけどね。(笑)

次に遭遇するのは上をじっと見上げている人々。
一体何を見つめているのかと思うと、高い塔から金色の錨のような形のオブジェがスルスルと降りてくる。
錨には袋に入ったゴールドが入っていた。
盗賊は目ざとくゴールドに目をやると、その錨に乗って一人だけ塔の中に入ってしまう。
このシーン、まるで「蜘蛛の糸」なんだけど、今回は一人だけが招待されるってことで良いみたい。(笑)
ここで盗賊は錬金術師に出会うのである。


ここからが第2部の始まり。
この錬金術師こそ、我らがアレハンドロ・ホドロフスキーご本人!
「エル・トポ」の時と同じように、監督・脚本と更に俳優までこなしてるスーパーなお方だよね。(笑)
錬金術師だけに、誰もが持っているモノを素材にしてゴールドを創りだしてしまうのだ。
盗賊も「ゴールドが欲しい」と答えたばかりに、かなり苦しみながらも、本来自分が持っているモノを使用してゴールド獲得!
実はこれ、排泄物なんだよね。
まさかと思うけど、本気にして試した人いないよね?(笑)
「己自身もゴールドになれるのだ」
というものすごく説得力のある言葉を受け、盗賊は錬金術師の弟子になる。
「錬金術を学びたいのなら、この連中と組め」と権力のある実業家や政治家達を紹介する錬金術師。
ここで出てくるそれぞれの権力者達の説明が、「ホーリー・マウンテン」の中で、SNAKEPIPEが一番好きな部分なんだよね!(笑)

守護星が金星のフォンは肉体にやすらぎと美を与える仕事に就いている。
実際に何をやっているかというと、ベッドやマットレス、織物、洋服や化粧品の製造販売を行なっている。
人間は中身よりも外見を大事にする、ということから人造的な筋肉や面も製造する。
その面は死ぬまで使用可能とのこと!
これがあったら美容整形必要なしだね。(笑)

棺桶に関するビジネスもあり、死体に電子装置の仕掛けをして、死体が動くようにするというかなりブラックな商売まで手がけているようだ。
創業者である父親が会社の中での絶対的存在であり、その父親が会社経営に関する意見をミイラ化した母親の陰部に触れることによって決定するエピソードや、フォンには何十人ものワイフが存在しているところも面白い。

次は守護星が火星のイスラである。
男装の麗人といった感じで、女性2人とベッドを共にしているので、恐らくレズビアンという設定だと思われる。
イスラが行なっているのは、兵器の製造販売である。
爆撃機、水素爆弾、光線銃、細菌兵器、反物質波、発癌性ガスなどのかなり物騒なものだ。
誇大妄想狂にするための薬や、善良な人間を獰猛にする薬なども作り、実験も行なっている。
若者用の武器としてサイケデリックなショットガンや手榴弾でできたサイケなネックレス、ギターの形をしたロックンロール銃、仏教徒用の銃、ユダヤ教徒用、キリスト教徒用など様々なバリエーションの銃を見せてくれるんだよね。
よくもまあ、作ったもんだと感心しちゃうよ。(笑)
イスラが寝ていた部屋にあった絵画も興味深く観ていたSNAKEPIPE。
あれは誰かの作品なのかな?

クレンの守護星は木星、そして現代美術のアーティストである。
立派な屋敷に住み、運転手付の車で愛人を伴ってアトリエに向かう。
専用のアトリエではクレンの奇妙な作品が制作、展示されている。
ボディ・ペインティングした生身の女体をオブジェとして実際に触れる作品や、絵の具を臀部に塗り紙の上に座らせて一点物に仕上げるアクション・ペインティングだったり。
クレンは人体をテーマにしたアートを展開しているようだ。
最後に登場するのは「ラブ・マシーン」という機械式の女体マシーンだ。
男根をイメージした長い棒をうまく操ることで、「ラブ・マシーン」に様々な変化を起こさせるという、なんだか本当にありそうだけどバカバカしい作品である。
触れる作品というとつい思い出してしまうのが、江戸川乱歩の「盲獣」だな。
乱歩だったらクレンの作品を評価するかもしれないね?

セルの守護星は土星だ。
子供相手の商売をしている。
サーカス団を持っており、自らピエロに扮して象に乗り町を練り歩く。
向かった先はセルのおもちゃ工場。
その工場に入る前にピエロから女社長の服装に着替え、まるで別人になってしまうのだ。
そして工場内を視察する。
ここはただのおもちゃ工場ではない。
政府の政策を取り入れ、戦争や革命を想定し子供を軍事教育するためのおもちゃを開発しているのである。
ペルーとの戦争を望んだ場合、敵対心を高めるためにペルー人を悪者に設定した人形や漫画を作ったり、強烈な臭いの下剤を作り商品名をペルーの首都にし、悪=ペルーというイメージを植え付けるのだ。
15年先を見越してというから、なんとも壮大な計画だよね。
実際にこういったことが行われた場合には、まんまと計画通りに喜んで戦争に行く人間に育つだろうね。
なんとも恐ろしいね!

バーグの守護星は天王星だ。
母親なのか妻なのかよく分からない立場の、まるでジョン・ウォーターズ監督の映画でお馴染みのディバインみたいな女性と同居している。
「私達のベイビー」としてベッドに寝かされているのは大蛇!
哺乳瓶でミルクをあげたり、蛇用ロンパースのような編み物までしているほどの可愛がりよう。
バーグは大統領の財政顧問をやっている。
大統領からの呼び出しを受け、財政に関する報告をする。
「赤字対策のため今後5年間に400万人の口減らしが必要です」
というヒドイ内容!
それを聞いていた大統領はすぐに電話をかけ
「ガス室の準備をしろ」
と命じるんだよね。
学校、図書館、博物館、ダンスホール、売春宿で使用せよ、と人が大勢集まりそうな場所をチョイスする大統領!
「ホーリー・マウンテン」には民衆を虐殺するようなシーンがたくさん登場するので、この大統領の発言は「いかにもありそう」と思ってしまうね。

アクソンの守護星は海王星。
モヒカンの警視総監である。
なんとこの警視総監、睾丸コレクションをしていて、今回めでたく1000組を集めたというのだ。
「今日がおまえの最良の日だ。その勇気を讃えよう」
コレクションに寄贈した若者に向けて言葉をかけるアクソン。
このコレクション、一体何の意味があるんだろうね?(笑)
このアクソン役の俳優は、ホドロフスキーに「スタッフになりたい」と電話をしたらしい。
実際に会った時ホドロフスキーから「役者として出演してみないか」と言われ「本当は役者になりたかったけど、勇気がなくてスタッフとして応募した」というやりとりがあった話が「リアリティのダンス」の中にあった。
ホドロフスキーは素人を使うことで知られているので、こんなことは日常茶飯事なのかもしれないね?
でも演技が初めてという感じはなくて、堂々と見事に警視総監を演じていたと思うよ、アクソン!

ルートの守護星は冥王星だ。
建築家である。
着物のような衣装に身を包み、ミッキーマウスを思わせる衣装の子供達とかくれんぼ。
そういえば「ホーリー・マウンテン」の冒頭で頭を丸刈りにされる女性2人はマリリン・モンローみたいな白いドレスと髪型だったね。
ドレスを剥ぎ、頭を丸める行為はマリリン・モンローを別人にし、そのイコンそのものを剥奪するようなことなんだろうかね?
対アメリカってことなのかしら?
あまり深く考えなくても良いのかもしれないけど?
ルートは棺桶型のシェルターを提案する。
食事や風呂は別の施設で供給し、シェルターはただの寝床として活用するという計画だ。
「家や家庭のない街!人間よ自由であれ!」をスローガンにこの計画のプレゼンテーションするんだけど、まるでそれは以前鑑賞した「メタボリズムの未来都市展」に似ていて興味深かったな。

そして第2部の初めから登場していた錬金術師の一番弟子のような女性も、一行の中に入ってるんだよね。
この女性に関しては名前も出てこないし、エピソードを示すような映像もないので勝手に想像するしかないね。
当然のように守護星がどれ、なんて話もない。
頭にピッタリしたヘルメットのような帽子をかぶっているだけで、他は全裸状態。
首輪やイヤリング、付け爪などのアクセサリーを大量に装着していて、とてもカッコ良い。
体中に梵字のような刺青が入っていて、背中にはケーリュケイオンが彫られている。
どうやらギリシャ神話に出てくる杖のことらしいんだけど、詳しくないので意味を知りたい方はご自分でお願いします!(笑)

最後の全裸・梵字の女性以外の紹介した7人は、それぞれ守護星を持っている。 ホドロフスキーがタロットに造詣が深いということもあって、「ホーリー・マウンテン」のあちらこちらにタロットが散りばめられているのだ。
この守護星に関する部分も恐らくタロットと深い関わりがあるものと思われるけれど、SNAKEPIPEがタロットに詳しくないので意味については割愛。(笑)
一応守護星ということについてだけ調べてみたら、太陽、月、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星が守護星ということになるらしい。
上記の7人以外の星ということになると太陽、月、地球が残るんだけど、錬金術師と盗賊と全裸の女性の守護星はどれなんだろうね?
こうして錬金術師を師として、弟子の9人が錬金術を極め、不老不死の知恵を求め聖なる山に登るのである。

ここからが第3部。
金や権力があっても人は必ず死ぬ、と錬金術師は言う。
インドのメルー山、道教のコンロン山、ヒマラヤのカラコルム、哲学の山、薔薇十字会の山、聖ヨハネのカバラ山などの伝説で語られている不老不死に関する記述は全て同じで

9人の不死の賢者が頂上に住み、そこから現世を支配している
彼らは死を超越する術を持っていて4万年も生き続けている

という内容らしい。
彼らにできたのだから、我々にもできるはずだというのが錬金術師の言い分である。
薔薇十字会の古文書により、9人の賢者の居場所がロータス島の聖なる山であることが判明。
賢者から術を奪うためには、我々も賢者にならなければというもっともな理屈を披露され、弟子達は賢者になり悟りを開くべく修行を開始する。


まずは儲けたそれぞれの金を燃やし、執着を捨てる修行。
権力のある連中は金持ちだから、かなりの大金が燃やされる。
続いては自己の意識を捨てる修行。
弟子達は自分にそっくりの蝋人形を火で燃やす。
今までの自分にさようなら、ということなんだろうね。
こうしてようやく聖なる山に向けて旅立つのである。

旅の途中で何人かの「その道の達人」に出会い、修行を重ねる弟子達。
圧力を利用し体から毒素を排除する、野生の植物からできた青汁を飲み、裸でお花畑を駆け回り、坐禅を組み瞑想する。
このような修行を続けていくうちに、自分自身が自然の一部となり、今まで見過ごしたり聴き過ごしてきた事柄に気付くようになるという、かなり宗教的な内容になっている。
実際にホドロフスキーが禅の修行をしていたことも影響してるんだろうね。
更には自分の葬式の体験。
今まで自分が生きてきたことの全てを捨て去り、無になろうというもの。
これもかなり色濃く東洋思想が反映されているようだね。
そして新しく生まれ変わり、ここでやっと賢者として認められたようだ。

小型の船でロータス島に向かう。
島に上陸した時に全員が頭を丸め、坊主になってしまう。
そして服装も全員同じだから、途中から誰が誰なのか判らなくなっちゃうんだよね。(笑)
悟りや知恵を求めてやってくる人が多いロータス島だけど、皆が途中で挫折して現世での楽しみに心を奪われてしまうようだ。
似非宗教家も台頭し、ロータス島はまるで観光地のようになっている。
それらの誘惑にも負けず、聖なる山を目指し登山する一行。
指が凍傷になったという一人に「肉体への執着が残っているせいで、頂上に辿り着けない」という理由から指を切断し捧げ物にさせる。

そうしてやっと頂上付近に到着。
ここでは高さゆえに死の幻影を見るであろう、と錬金術師が妙な予言をした通りに弟子達を襲う恐怖体験。
これは自分が恐れを感じているものが夢に出るのと同じだね。
埋められて走れない馬、降ってくる金貨で顔中が血だらけになる男、闘犬に興奮する男、顔をゲンコツで殴られ大量の白い液体を浴びせられる女、
老婆に去勢される男、大量の毒グモに全身を這われる男、巨大な乳房のある初老の男性からミルクをかけられる男。
このシュールなシーンも大好きなんだよね!

こうしていくつもの難題に立ち向かい、やっと9人の賢者がいる場所まで辿り着くことができた。
白装束の賢者達はもう目の前に見えている。
あとは賢者から術を奪い、自分達が賢者に成り変われば良い、というところまで到達したわけだ。
ここまで来れば師は必要ないだろう、と錬金術師は盗賊に「私の頭を切り落としなさい」と命じ、盗賊は実行する。
ところが実際に切っていたのは、ヤギの首だった。
「ハハハハ」と笑いながら、錬金術師は「教えることがある」と言う。
旅の途中から一行の後を付いてきたチンパンジーを連れた娼婦を盗賊に引きあわせ、「このまま山を降りて幸せに暮らせ」と言うのである。
修行の段階では様々な執着を捨てることを学ばせた後で、「愛が一番」と説く錬金術師に少し疑問を感じちゃうけどね?(笑)

こうして盗賊は頂上を極め、賢者になることはなく現世へと戻っていくのである。
残りの弟子達は瞑想の後、白装束の賢者達を襲うために近づくが…。
えっ、うそ?という展開が待っているので、ここは書かないでおこう。
このラストについては賛否両論あるみたいだけど、SNAKEPIPEはアリだと思った。
だってラストがどうのという映画じゃないからね、「ホーリー・マウンテン」は!
場面ごとの描写を楽しむことができれば、それだけで充分だと思う。
意味とか解釈は、SNAKEPIPEには必要ないなあ。

たくさんの動物が、実際にはあり得ない場所や状況で登場する。
多用されるシンメトリーの構図。
ちょっと稚拙な感じのする残酷で不思議な絵。
和洋折衷な雰囲気の衣装。
どのシーンを切り取っても写真集が出来上がるほどの完成度の高い美意識には脱帽してしまう。
SNAKEPIPEは前作の「エル・トポ」をまとめたブログでも全く同じことを言ってるんだけど、ホドロフスキーの美学に完全ノックアウトされてるから許してちょ!(笑)

ブログで記事にするためという大義名分を得たおかげで、何日間も繰り返し「ホーリー・マウンテン」を目にすることができた喜びったら!
何度でも何度でも観ていたいと思う、中毒性のある映像世界にどっぷり浸かることができて幸せだった。
「リアリティのダンス」を鑑賞する前までには、もう一つ「サンタ・サングレ」についての記事もまとめておきたいと思っている。
そうして一度キチンと整理した上で「リアリティのダンス」に臨みたいものだ。

果たして日本公開はされるんだろうか?
非常に気になるところだ。