佐伯祐三 自画像としての風景 鑑賞

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【東京ステーションギャラリーに行く道沿いにあったポスター】

SNAKEPIPE WROTE: 

東京ステーションギャラリーで開催されている「佐伯祐三 自画像としての風景」の情報を、「日曜美術館 アートシーン」で知ったSNAKEPIPE。
佐伯祐三はSNAKEPIPEの父親が好んだ画家だったため、実家にあった画集を幼少の頃から鑑賞していたんだよね。
構図や色彩に魅力を感じたものだよ。
学生時代に美術部だったSNAKEPIPEは、美術部担当の教師とも佐伯祐三について話をしたことを思い出す。
「佐伯祐三の絵は、モノクロになっても黒が潰れてないんだよ。すごいよ」
とその教師が感嘆の声を上げたことまで覚えているよ。(笑)

恐らく今までどこかの美術館で、佐伯祐三の作品は鑑賞したことがあるはずだけど、東京での大回顧展は18年ぶりとのこと。
およそ100点以上の作品を鑑賞することができる展覧会、行くしかないよね!
早速チケット予約をしたのである。

ここで佐伯祐三の経歴を書いておこう。

1898 大阪生まれ
1918 東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学
1924 パリへ渡航
1926 日本に帰国
1927 2回目の渡仏
1928 死去

わずか30年の生涯だったとは!
そして1920年代に佐伯祐三がパリにいたということも、今回初めて知ったよ。
SNAKEPIPEがその時代に憧れを持つのも、子供の頃に佐伯祐三作品を観た記憶によるのかもしれないね?

3月後半、久しぶりに東京ステーションギャラリーに向かう。
前回は2020年7月の「開校100年 きたれ、バウハウス」だったので、約2年半ぶりになるんだね。
少し早めの時間に到着すると、ギャラリー前には大行列ができてるじゃないの!
こんな光景は初めてかも。
コロナに対する規制が少しずつ緩和されたせいなのか、予約枠を広げているのかもしれない。
SNAKEPIPEとROCKHURRAHも行列の最後尾に並ぶ。
周りの観客チェックをすると、7〜8割が高齢者に見えたよ。
SNAKEPIPEの父親もファンだった画家なので、高齢者が多いのも納得だけどね!

ようやく順番になり、入場できることになった。
会場に向かうエレベーターに、身動きが取れなくなるほどお客さんを詰め込むスタッフの対応に驚いてしまう。
他の人たちも「まだ乗せるの?」と声を出していたよ。
コロナの時には、ソーシャル・ディスタンスが取れていて良かったのにね。
会場に着くと、多くのお客さんでごった返している。
初期の作品にはあまり興味がないので、少し足早に観て回ったよ。(笑)
気になる作品を紹介していこう。
東京ステーションギャラリーは撮影禁止なので、SNAKEPIPEが撮った画像ばかりではないことを書いておこう。

1924年に渡仏した佐伯祐三は、フランスの画家ヴラマンクに作品を見せ、罵倒されたことで作風を変えたとされている。
そして代表作とされているのは、パリ時代に描かれたものなんだよね。
今回の展覧会でSNAKEPIPEにとっての一番は、1925年の作品「靴屋(コルドヌリ)」。
載せた画像は、アーチゾン美術館が所蔵している「靴屋」。
会場には隣に、もう少しクローズアップした「靴屋」が並んで展示されていて、そちらは茨城県近代美術館の所蔵作品だという。
この作品には震えが来るほど、強烈に興奮したSNAKEPIPE。
大好きな作品だよ!(笑)
会場を出たところに大型ポスターが貼ってあったので、撮影できたんだよね。

佐伯祐三は、フランスの画家であるユトリロの影響を受けているといわれる。
1914年に描かれたユトリロの「ベルリオーズの家」を載せてみたんだけど、確かに雰囲気近いよね?
この家は、モンマルトルのランドマークだったらしいけれど、そう聞かなければ殺風景な建物の絵、としか思わないかも。
壁の色味が非常に好みだよ!

更に時代をさかのぼり、ユトリロに影響を与えていた写真家の話ね。
アッジェは1890年代後半から、パリの街を撮影し、画家や舞台美術家、パリ市歴史図書館などに資料として写真を売っていた人物。
アッジェの写真をユトリロも買っていたらしい。
参考に画像を載せてみたけど、ユトリロよりも佐伯祐三の作品に影響を与えてるように見えるね。
ずっと昔に、SNAKEPIPEの父親と「アッジェすごい」と話したことを思い出したよ。
アッジェ自身はアートのための撮影じゃなかったようだけど、マン・レイに価値を見出されて有名になったらしい。
佐伯祐三が最初にコンタクトしたヴラマンクも同様、アッジェも経歴が面白過ぎ!(笑)
いつか詳しく調べてみたいと思ったよ。

上のアッジェ作品にも見ることができるように、店の看板を多く作品に取り入れたのが佐伯祐三なんだよね。
「佐伯フォント」と名付けたくなる、独特のタイポグラフィが魅力的!
1927年の「ガス灯と広告」は、左に人物が2人いるけれど、主役は壁一面に貼られたポスターだよね。
1920年代のポスターといえば、2017年3月に鑑賞した「カッサンドル」の作品も貼られていただろうと想像する。
きっと佐伯祐三も目にしていたはずだよね。(笑)

佐伯祐三を知らなかったROCKHURRAHだけれど、鑑賞していくうちに興味を持ったようで、「これ好き!」と言うほどになる。
1925年の「壁」は、トマス・ルフの作品のようだよね。
タイトル通り、キャンパスいっぱいに描かれた壁と小さな窓。
「佐伯フォント」ではないけれど、タイポグラフィも入っている。
「こんなに日本人離れした画家がいたとは!」とはROCKHURRAHの言葉。
パリにはたったの3年ほどしか滞在していないのに、一体何枚描いたのかというほど多くの作品を残しているんだよね。

ROCKHURRAHが一番気に入ったのが、「ピコン」という1927年の作品だという。
黒と強い赤が印象的で、右側にある街路樹は、ほとんど一筆描きのような線だけで表現されている。
「ピコン」とは、フランスで歴史のあるオレンジ・リキュールらしいね。
ほろ苦い味わいでクセになるんだとか。(笑)
ほとんどの佐伯祐三作品は、美術館に所蔵されている中で、この「ピコン」は個人蔵と書かれているよ。
ピコンを使ったカクテルを片手に、作品鑑賞と洒落込んでいるのかもしれないね?(笑)

1928年の「モラン風景 」は、雲の表現が特徴的な作品なんだよね。
絵の具を直接キャンパスに塗ったのではないかと思える大胆さ!
親戚の誰かが、佐伯祐三本人に聞いたような解説が書かれていたように記憶しているけど、どうだっただろう?(笑)
一枚をモノクロにしてみたのは、前述した美術教師の言葉を思い出したから。
元がそんなに黒っぽい作品ではないけど、黒色の中にも濃淡があることが分かる。
美術の先生が言った通りだわ。(笑)
最晩年の、まさしく命を削りながら描いた鬼気迫る作品と知ると、より一層感慨深いよね。

展覧会のミュージアム・ショップには必ず立ち寄るROCKHURRAH RECORDS。
佐伯祐三展のチラシにも採用されていた「郵便配達夫」が、キャラクター化されてTシャツやバッグにプリントされているじゃないの!
原画のままプリントではなく、完全に漫画になっているところに驚いてしまう。
これではまるで「アルプスの少女ハイジ」のおじいさんじゃないの!(笑)
見た瞬間に「なんだ、これは!」と声を出したSNAKEPIPE。
夭折の画家として太く短い生涯を送った佐伯祐三、のようなキャッチコピーとは裏腹なオリジナル・グッズに唖然としたよ。

ミュージアム・ショップにはがっかりしたけれど、多くの佐伯祐三作品を鑑賞することができて本当に良かった!
筆使いやキャンパスのひび割れなど、間近で観ることで細かいディテールを確認できたことも嬉しかった。
改めて佐伯祐三のファンになったし、1920年代のフランスにも一層強い憧れを持ったよ!
一緒に行ってくれたROCKHURRAHにも感謝だね。(笑)

合田佐和子展 帰る途もつもりもない 鑑賞

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【展覧会のポスターを撮影】

SNAKEPIPE WROTE: 

「この展覧会に行きたい」
ROCKHURRAHから誘われたのは三鷹市スポーツと文化財団で開催されている「合田佐和子展 帰る途もつもりもない」だった。
合田佐和子の名前は聞いたことがあるけれど、作品については覚えがないSNAKEPIPE。
ROCKHURRAHは音楽雑誌「ROCK MAGAZINE」の表紙や、山崎春美がやっていたタコのレコード・ジャケットなどで馴染みがあるという。
会場である三鷹市美術ギャラリーは三鷹駅直結の、非常にアクセスの良い場所なので、まるで土地勘がないROCKHURRAH RECORDSにも安心。(笑)
そもそも三鷹駅で降りたことないんだよね。

SNAKEPIPEの誕生日である3月4日は、晴れてお出かけ日和だった。
この日に「合田佐和子展」を鑑賞したんだよね!
三鷹駅に降り立ち、周りを見渡すと、駅周辺にスーパーやドラッグストアなど、こじんまりとまとまっていて便利が良さそう。
「住みやすそうな街だね」
と話しながら会場へ。
開館したばかりだけれど、すでに数人のお客さんが会場入りしていたよ。
非常に残念なことに、作品の撮影は禁止。
そのため当ブログで使用している画像は、購入した図録からなので、ご了承ください。

まずは合田佐和子の経歴をまとめてみよう。

1940 高知県高知市生まれ
1959 武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)本科商業デザイン科に入学
1963 同校卒業後、唐十郎主宰の劇団状況劇場・唐組、寺山修司主宰の天井桟敷の宣伝・舞台美術などに参加
1965〜 各地で個展・オブジェ展を開催
1971 独学で油彩を始める
1980〜 ポラロイド、パステル、鉛筆、写真、ビデオ、エッチングを発表
2003 渋谷区立松濤美術館にて「合田佐和子 影像 絵画・オブジェ・写真」展を開催
2016 心不全のため死去、享年75歳。

唐十郎の状況劇場や寺山修司の天井桟敷といったアングラ演劇との関わりについても経歴に載っているところからも分かるように、いわゆる正統派じゃない女性なんだよね。(笑)
合田佐和子が作品と共に写っている画像がこれ。
1969年に発行された雑誌の表紙だって。
いかにも60年代後半といった雰囲気!
これを観ただけで、面白そう。(笑)

会場は年代順に作品が展示されていた。
1964年頃、合田佐和子は作品を入れたダンボール箱を抱えて、美術評論家の瀧口修造を訪ねたらしい。
載せた画像の「Watch-Angels」のような作品を瀧口修造に見せたんだろうね。
シュルレアリスムやダダイズムの情報を知らず、自発的にこうしたオブジェを制作していたとは驚いてしまう。
小さな人形があちらこちらに散りばめられていて、とてもキュートだね!(笑)
そして瀧口修造から個展の開催を後押しされたんだとか。
スタートから「御墨付き」だったんだね。

「イレイザーヘッドだ!」
思わず叫んでしまったのは、1966年の「幼きものへ」。
実際には、合田佐和子は蛇をモチーフにしていたらしいし、制作年もリンチの「イレイザーヘッド」より10年も前だけど。
素材は、紙粘土や布を使用しているという。
1967年に開催された個展の案内文に、白石かずこは「異色」という言葉を書いている。
「異形」や「異端」など、「異」という漢字は、どうしてSNAKEPIPEを魅了してしまうんだろう。(笑)

1969年に銀座の画廊で開催された個展の様子。
人形のインスタレーションだという。
かなり不気味な「頭部人形」が目を引く。
江戸川乱歩の「芋虫」を連想してしまうよ。
カラーの作品は「イトルビ」と名付けられた女の顔。
ガラスケースの中で、横向きに転がされた状態の「イトルビ」を観て「欲しい!」と思ったSNAKEPIPE。
大きさは、ほんの10cm程度なのに、存在感が抜群!
表面は滑らかで、とても美しい女の顔だったよ。
これらの作品を観た寺山修司が関心を寄せたというエピソードは納得だね!

1971年から、独学で描き始めたという油絵で、最も有名なのはマレーネ・ディートリッヒをモチーフにした作品かもしれないね。
スーパー・リアリズムというのか、精緻な出来にうっとりしちゃう。
何枚もディートリッヒを描いているのに、合田佐和子自身は「ディートリッヒはあまり好きではない」と語っていたらしい。
好みの女優ではないけれど、題材としては良いということなのか。(笑)
このキャプションを読んでから、ディートリッヒの作品を見つける度に「あまり好きではないけど」と口に出しながら鑑賞したSNAKEPIPEだよ。(笑)

1974年の作品「猫眼の少女」のようなシュールな作品もあったよ!
元々暗い色調が好きなSNAKEPIPEにとっては、よだれが出そう、いや、出てしまったのがこれ。(笑)
不気味さと可愛らしさが混在していて、素晴らしいよ!
今回の展覧会は三鷹市の施設での開催だったため、カタログの販売のみで、グッズなどはなかったんだよね。
この作品を使ったグッズがあったら、絶対買ってたよ。
前述の「イトルビ」のレプリカとかも欲しかったなあ。

経歴に書いていなかったけれど、合田佐和子は1971年に渡米してるんだよね。
海外の経験があることと、洋画のスターを描く画家ということで来日したミュージシャンとの対談をしていたとか。
そしてファンだった、ルー・リードのインタビューをして、アルバム・ジャケットまで手掛けたというから、ファン冥利に尽きる経験をしてるよね。(笑)
ルー・リードといえば、ベルベッド・アンダーグラウンド!
やっぱり合田佐和子は、サブカルチャーの女性なんだね。

かつてROCKHURRAHも所持していたという「ROCK MAGAZINE」の表紙を集めたもの。
先に書いたルー・リードの一件からも、合田佐和子自身ロック好きだったみたいだよね。
「ROCK MAGAZINE」は、音楽のみならずアートや文学などにも造詣の深かった、音楽評論家の阿木譲による、かなりマニアックな音楽雑誌だったとROCKHURRAHが語る。
北村昌士の「Fool’s Mate」と共にROCKHURRAHが最も影響を受けた雑誌なんだとか。
確かに、この表紙を見て手に取る人は、ロック好きなだけじゃなくてアートにも興味がある人だろうね。
SNAKEPIPEも読んで見たかったな!

最後に紹介するのは、天井桟敷のポスターね。
これは1977年に初演された「中国の不思議な役人」。
美術は合田佐和子、衣装はコシノジュンコと書かれているよ。
これだけでも豪華なのに、出演は伊丹十三、山口小夜子って、どんな演劇だったんだろうね?(笑)
カタログに舞台のスチール写真が載っていて、いかにも天井桟敷っぽい雰囲気だったことが分かるよ。
きっとSNAKEPIPEの好みに違いない。(笑)

200点以上も作品が展示されていて、非常に見応えのある展覧会だった。
合田佐和子についてほとんど知らなかったSNAKEPIPEの心を「わしづかみ」にする、大好きな作品群に感激したよ!
そしてこの展覧会に誘ってくれたROCKHURRAHに感謝だね。(笑)

交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー 鑑賞

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【冬の日差しで強い影ができた庭園美術館の看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE: 

東京都庭園美術館は、他の美術館にはない独自の切り口で展覧会の企画をしているので、マメにチェックするように心がけている。
美術館の舞台である旧朝香宮邸が重要文化財なので、背景に合う作品選びをしているのかもしれない。
2015年「マスク展」、2019年「岡上淑子展」、2022年「奇想のモード展」など、ユニークな展覧会を鑑賞した総合的な感想ね!
そして今回は「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」で、1910年代から30年代のモダニズムについての企画だというから、ROCKHURRAH RECORDSの大好物。(笑)
NHKの日曜美術館アートシーンでも紹介されていたので、少し時期をズラして、2月の寒い日、ROCKHURRAHと目黒に向かったのである。

東京都庭園美術館は目黒駅から歩いて10分程度の距離だけど、日なたを選ばないと指先や耳が冷たくなってくる。
何度か訪れているので道に迷うことはないけれど、寒い中を歩くと美術館への道のりが更に遠く感じる。
庭園美術館の門を入ってから、旧朝香宮邸までも敷地が広いため、なかなかたどり着けない。(笑)
気候が良い時なら、周りの植物を眺めながらゆっくり行くんだけどね。
ようやく到着すると、開館と同時のチケット予約だったのに、すでに数名のお客さんがいる。
そして何やらサークルになって、説明を受けている7、8名くらいの団体までいるじゃないの!
うーん、はっきり言って鬱陶しい。(笑)
その団体とは、入り口で遭遇しただけだったから良かったよ。

前述したように旧朝香宮邸は重要文化財なので、撮影は禁止なんだよね。
素敵な企画ばかりなのに、この点だけが本当に残念でならないよ。
そのため使用している画像は、購入した図録からのものなので、ご了承ください!

SNAKEPIPEが今回の展覧会で一番注目したのが、テキスタイルや壁紙のデザインだったよ。
目移りするほど素敵なデザインがいっぱいあった中で、3種類をチョイス!
全てアトリエ・マルティーヌがデザインした壁紙だよ。
上が「ジギタリス」で左下が「アーティチョーク」、右下は「アイリス」。
黒を背景にした鮮やかさや、野菜をモチーフに中間色を使用した素晴らしいデザインセンスに脱帽!(笑)
1912年にこんな壁紙を使って室内を装飾していたなんて羨ましい限り。
SNAKEPIPEも欲しくなったよ!(笑)

ダゴベルト・ペッヒェ、1912年の作品「蓋つきの物入れ」。
高さが16cmほどの小さな陶器なんだけど、細工が細かいんだよね。
黒をベースに白色だけで模様を入れた、まさにモダンな逸品!
こんなに可愛らしい小物入れに一体何を入れたら良いんだろうね?
密封容器ではないから、茶葉などは無理みたいだし。
当時の暮らしぶりが分からないけど、きっと容器に見合う素敵な使い方をしていたんだろうなあ。
想像するだけでも楽しいね!

左はポール・ポワレが1910年から11年にデザインしたテキスタイルをシルクにプリントして作られたタイ。
原色使いが何とも派手で、使いこなすのが難しそう。
もしかしたら1910年代のほうがファッションに貪欲で、冒険する人が多かったのかも?
右はラウル・デュフィのスカーフで、モチーフは「連合国」だって。
各国の国旗で縁取られ、中央には6名の騎馬隊の勇姿があるよ。
これもシルクにプリントされてるんだけど、当時の染色技術が高いことが分かるよね。
染色の歴史に詳しくないので、詳しい方には叱られてしまうかもしれないけれど、こんなに細かい部分もくっきりと残っていることに驚いたよ。
このスカーフのデザインを使って、せめてハンカチでもミュージアム・ショップで売ってたら良かったのに!

右側は1923年にピエール・シャローが制作したフロア・スタンド。
「修道女」と名付けられているんだよね!
確かに遠目では、くるぶしまでの長いワンピースを着て、白い頭巾をかぶっているシスターのように見えるよ。
秀逸なネーミングに笑いそうになる。
「修道女」を配した室内画が左なんだけど、とてもオシャレだよね!
上部に三角形を組み合わせたシンプルなデザインは、現代でも通用するはず。
レプリカの販売希望だよ!

ROCKHURRAH RECORDSが憧れている1920年代。
上で紹介してきたような美しいデザインに囲まれて、街や生活の全てが文化的だったように想像する。
そんな時代を生きた紳士淑女は、きっと皆様オシャレだったよね!
載せたポスターは、1929年の「カンデーのゴム靴と雪靴」で、エドゥアール ・ガルシア・ベニートによるもの。
深めの帽子をかぶり、大きな襟巻きをした女性が傘をさし、颯爽と歩いている様子が描かれている。
長靴のポスターなので、赤色で強調しているよね。
色味を抑えたシンプルな構図でも、宣伝効果は抜群!
とても気に入った作品だよ。

上のポスターで女性がかぶっていた帽子は、きっとこんな感じだったんじゃないかな。
ブリム(つば)が小さくて、すっぽりと深くかぶるタイプ。
載せたのは、カラフルな糸をふんだんに使用して刺繍されてる帽子なんだよね。
素晴らしい出来に目を見張ったよ!
そして驚くのは、サイズの小ささ。
日本人と頭の大きさが違うんだよね。
こんな帽子が似合う1920年代の女性たち、益々憧れるよ!

同時代、日本にもモダンの先駆者がいたんだね。
SNAKEPIPEは初めて知る名前のようだけど、「日本初の商業デザイナー」とされる斎藤佳三!
載せた画像は「表現浴衣」と題された、大胆な模様の布だよ。
この布を使って実際に浴衣が縫われていて、その制作年が1930年頃になっていたので、布はそれより前に完成しているんだね。
大胆なデザインにROCKHURRAHからも感嘆の声が上がる。
斎藤佳三について調べてみると、あまりの偉業にびっくり!
図案家、作曲家、舞台美術家、演出家、ドイツ表現主義の紹介者、2度の渡航により20世紀初頭の西欧表現主義と多面的な活動によって「総合芸術」を目指した人物だというから只者ではない!
斎藤佳三については、もっと調べたいと思う。

森谷延雄、1925年の作品「『朱の食堂』の肘掛椅子」の派手さは、画像でも伝わらないかもしれない。
岡本太郎みたいに「なんだこれは!」と口にすること間違いなしの、圧倒的な存在感だったからね。(笑)
森谷延雄は家具やインテリアのデザイナーで、1920年から22年にロンドンでデザインを学んでいたという。
ハートをモチーフにしたモダンな椅子が、とてもオシャレだったよ!

1920年から21年にフランシス・ジュールダンがデザインした「コーヒー・サーバー」。
黄色をベースに、白と黒がポイントカラーにしてとてもキュートだよね。
「かわいい」「欲しい」
と2人で騒いだ逸品!
1920年代、恐るべし!

展覧会は、旧朝香宮邸から新館へと続き、第4章は1926年から1938年までを特集していた。
大好きなバウハウスを中心に作品が展示されていたよ!
その中で目が釘付けになったのが、1929年「U.A.M. 現代芸術家連盟」のポスター(もしくは冊子の表紙?)。
「U」「A」「M」を効果的に配置し、単純な仕掛けながらもインパクトのある仕上がりになっているデザインだよね!
まさにバウハウス的で気に入ったよ!
こんなデザインをROCKHURRAH RECORDSでも作ってみたいね。

1910年代から30年代のモダンを特集した企画展は、展示数のボリュームもあり鑑賞できて良かった!
東京都庭園美術館の情報は忘れずにチェックしていこう。
今度はどんな展覧会になるのか楽しみだよ!

ポスターでみる映画史 Part 4 恐怖映画の世界 鑑賞

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【国立映画アーカイブ入り口を撮影】

SNAKEPIPE WROTE: 

2022年1月、今からおよそ1年前に「MONDO 映画ポスターアートの最前線」を鑑賞した国立映画アーカイブで、「ポスターでみる映画史 Part 4 恐怖映画の世界」が開催されている。
ホラー映画好きのROCKHURRAHと一緒にお出かけしたよ!

前回の企画展では、全作品の撮影が可能だったのに、今回は個人所蔵のポスターも展示されているため、一部を除いて撮影禁止。
楽しみにしていたのに、非常に残念だよ。
そのため使用している画像は、SNAKEPIPEとROCKHURRAHの撮影によるものだけではないんだよね。

会場に入ると、お客さんが意外と多くて驚く。
前回行った時は、開館と同時くらいの時間に入場していたため、もっとゆったり鑑賞できてたみたいね。
入場すると、まずは常設展の「日本映画の歴史」からスタート。
以前鑑賞した時と、ほとんど同じ内容だったので、サラサラっと鑑賞して終了!
順路に沿って歩いて行くと、企画展会場に到着する。

第1章は「恐怖映画の古典」で、「カリガリ博士(原題:Das Cabinet des Dr. Caligari 1919年)」や「吸血鬼ノスフェラトゥ(原題:Nosferatu: Eine Symphonie des Grauens 1922年)」、画像には入っていないけれど、「フランケンシュタイン(原題:Frankenstein 1931年)」など、観ていなくてもタイトルは知っている有名な作品のポスターが展示されている。
ガラスケースの中にあったのはパンフレットだったけれど、映画ポスターを載せたのが「肉の蝋人形(原題:House of Wax 1953年)」。
これは1933年に制作された映画のリメイクとのことだけど、ROCKHURRAH RECORDSが観たのは、1953年から約50年後に3度目に映画化された「蝋人形の館(原題: House of Wax 2005年)」だよ。
鑑賞したのは、かなり昔のことなので、詳細は覚えていないけれど、とても怖かったことは覚えているよ。
機会があったらもう一度観てみたいね。

第2章は「狂気と幻想を求めて」で、50年代から60年代の映画が特集されていた。
サイコ(原題:Psycho 1960年)」のような有名な作品も展示されていたけれど、SNAKEPIPEが気になったのは「顔のない眼(原題:Les Yeux sans Visage 1960年)」。
まるで「犬神家の一族 (1976年)」に登場する犬神佐清(とされる人物)が、かぶっていたマスク姿のような女性に興味が湧く。
Wikipediaであらすじを読んでみると、ストーリーはアルモドバル監督の「私が、生きる肌(原題:La piel que habito 2011年)」に近いと感じたよ。
「私が、生きる肌」のWikipediaに「ペドロ・アルモドバルは、本作公開の10年前に原作を読んだ。時間をかけて脚色し、ジョルジュ・フランジュの『顔のない眼』とフリッツ・ラング脚本のスリラー映画に影響を受けた」と書かれていたので、「やっぱり!」と納得したSNAKEPIPEだよ。(笑)

血を吸うカメラ(原題:Peeping Tom 1960年)」はインパクトが強くて印象に残ったよ。
恐怖で歪んだ女性の顔に入るヒビ。
右下にはガーターベルトを見せ、ピンヒールを履いた半裸の女性が描かれている。
そして冷酷そうにカメラを構える男。
ポスターだけで鑑賞意欲をそそられるよ。(笑)
レコードだったら「ジャケ買い」みたいな感じだね。
Wikipediaに載っているストーリーを読んでみると、期待を裏切らず(?)、カルトっぽい雰囲気なので、いつか観てみたい映画だよ!

第3章「未知なるものの襲来」、第4章「より鮮烈に、より残酷に」には、ROCKHURRAHが大好きなホラー映画のポスターが並んでいた。
映画と共にポスターについても詳しいため「これは数種類あるバージョンの中でも出来が良くないタイプ」など、ROCKHURRAHが解説してくれる。
数あるお気に入りのポスターの中で、今回選んだのは「悪魔のいけにえ(原題:The Texas Chainsaw Massacre 1974年)」。
ROCKHURRAHは、このポスターを使用して、オリジナルTシャツを作成し、愛用していたという。
販売目的じゃないので、著作権がなどと目くじら立てないでね。(笑)
好きな映画のポスターに囲まれて、とても楽しそうなROCKHURRAHだったよ!

特別コーナー「アジアの恐怖映画と近年のヨーロッパ恐怖映画」に、先日鑑賞した「簞笥(原題:장화, 홍련 2003年)」のポスターを発見!
この映画を観るきっかけになったのは、大好きな韓国のバラエティ番組「三食ごはん 山村編」。
ヨム・ジョンア、ユン・セアとパク・ソダムの3人が怖そうに観ていたのが「簞笥」だったんだよね。
「三食ごはん」では、女優らしからぬ食べっぷりを披露していたジョンアが、一体どんな演技をしているのか気になり鑑賞。
登場人物が非常に少なく、舞台はほとんどが室内。
そしてどうやら元ネタである韓国の古典怪談の設定だけを使用し、ストーリーは大幅に変更していたらしい。
静かな雰囲気のホラーで、ジョンアは美しい継母を好演していたよ!

第5章と第6章は「日本の恐怖映画」が集められていた。
気になったポスターは「八つ墓村(1977年)」。
この映画については2012年10月に書いた「好き好きアーツ!#17 鳥飼否宇 part4–妄想女刑事–」 で触れていて、金田一耕助を渥美清が演じたことの違和感を訴えているよ。
山崎努の鬼気迫る演技と「とぼけた」石坂浩二との対比が観たかったのに!
ポスターは米倉斉加年によるもの。
観た瞬間にROCKHURRAHが「米倉斉加年だ!」と呟く。
夢野久作の表紙を手掛けていたので、画風について知っているとのこと。
和洋折衷でくっきりした色使いが美しいよね!

ホラー映画のサントラが流れて、音からも恐怖を感じることができるブースもあったよ。
こじんまりした企画展だけど、展示数は100点を超えてたんだね。
撮影が可能だったら、もっと嬉しかったかも。(笑)
また別の企画で訪れたいね!