Transformation鑑賞

【東京都現代美術館サブエントランス付近を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

木場にある東京都現代美術館のページを観ていたら、ちょっと面白そうな企画が開催されている模様。
「トランスフォーメーション」と題された企画展で、「変身-変容」がテーマらしい。
ポスターにマシュー・バーニーの写真を持ってきているのも気になるところだ。

「変身-変容」と聞いてまず初めに思うのは「変身願望」、ファッションだったり化粧だったり。
今風の言葉で言うならばコスプレ、とか?
「○○みたいになりたい」と思うのって老若男女問わず持ってる願望だよね?
もしくはカフカの「変身」みたいな不条理世界を思い浮かべる人もいるかな。
恐らく様々な角度から「変身-変容」を捉えアートの領域に持っていった企画なんだろう、と勝手に解釈していたSNAKEPIPE。
「この展覧会は、『変身-変容』をテーマに人間とそうでないものとの境界を探るものです。」
なんて書いてあるし!
どんなアートに出会えるんだろうと楽しみに、終了1週間前に慌てて行ってきたのである。

良く晴れた、ここ最近にしては暖かい日。
木場駅から歩いて15分くらいかかるので、天候が悪い日にはなるべく行くのを避けたい美術館なんだよね。(笑)
天気が良い日には公園の中を散歩しながらブラブラ歩くと気持ちのいいコースになる。
今回は「大陶器市」が公園内で開かれていて、横目で見ながら歩いてみた。
近くにこんな公園があったらウォーキングやジョギングにいいだろうね!

そしていざ美術館へ。
会期終了間際の割には人が入っていたかな。
ここの美術館は企画によって1Fから3Fまでを使用して展示することがあるんだけど、今回も1Fと3Fで展示。
順路は3Fから、とのこと。
わくわくしながら行ってみる。

一番初めに目にしたのは、パトリシア・ピッチニーニという作家の作品。
この作家は以前「医学と芸術展」でゲームボーイで遊んでいる現物そっくりの子供(老人?)2人、という作品を観たことがあったな。
ブログに作品の感想も書いてあるし。(笑)
今回の作品は動物(カモノハシだったらしい)と人間を合成させた新生児をシリコンみたいな素材で作った作品。
とても解り易い「変容」で安心。(笑)
ところがホッとしたのもつかの間、同じ作家による次の作品はなんと映像作品。
説明を読むと、どうやら「海で溺れた少女にいつの間にかエラが発生する」作品らしい。
映像作品って鑑賞するのが難しいよね。
椅子がない場合が多いし、何分かかるのか分からないし。(笑)
大抵の場合、映像作品はチラッと観て立ち去ることが多いSNAKEPIPE。
ピッチニーニには悪いけど、次に行かせてもらうね!(笑)

と次々に作品を観て歩いていると、今回の展示は映像がほとんどだったんだよね。
チラ観ばっかりになってしまった。
今回の展示の最大の目玉はマシュー・バーニーの「クレマスター3」の映像を流すことだったんだろうけど、その方法がひどい!
関連する彫刻作品と写真も同時に展示していて、なんと映像は小さい薄型テレビ2台を天井付近から吊るして流しているのである。
椅子もない部屋で、地べたに座って上を見上げて鑑賞するお客さん達。
3時間あるっていう映像をあの姿勢で観なければいけないとは!
しかも画面小さ過ぎ!
首が痛くなっちゃうよー!
実はSNAKEPIPE、2002年(?)に東京都写真美術館で上映した「クレマスター3」観てるんだよね。
当たり前だけど、椅子に座って、大画面で。(笑)
今回も、もっとちゃんと観たかったよね!

今回の展示で興味深かったのはヤン・ファーブルの胸像シリーズ。
鹿とかヤギ、もしくは架空の動物の角を付けた作家本人がモデルになった胸像を18種類展示していた。
単純明快な「変身-変容」だったし、観ていて楽しかった。
SNAKEPIPEだったらどの角にしようかな、と考えるのも面白かったし。(笑)
「ファーブル昆虫記」を書いたジャン=アンリ・ファーブルが曽祖父なんだって?
それで昆虫をモチーフにした作品も制作してるみたいね。

もう一人あげるならばシャジア・シカンダーというパキスタンの作家も興味深かった。
アラビア文字を使ったり、インクをにじませて描いたようなドローイングは色使いがキレイだった。
わざとなのか、拙い技法を使ったビデオ作品も紙芝居的な面白さがあった。
どこかインド的な、中国的な不思議な感覚は新しく思えるね。

今回の「トランスフォーメーション」は企画する側と鑑賞する側に温度差があったような気がする。
期待して出かけただけに残念。
でも上にある宣伝観たら、面白そうだって思わない?(笑)

映像作品を作る作家には是非、5分以内で終わる作品に仕上げて欲しいと思ってしまった。
そうでなければせめて何分の作品なのか知らせてもらいたい。
SNAKEPIPEとROCKHURRAHがせっかちなのかもしれないけどね。(笑)

六本木クロッシング2010展

【青山悟氏のGlitter Pieces #1。これが刺繍とはすごいね!】

SNAKEPIPE WROTE:

久しぶりに美術館に行ってきた。
連れはこのブログに何度か登場している長年来の友人M。
一緒にアート系の展覧会や映画に行くことが多い友人である。
今回は六本木にある森美術館で開催されている「六本木クロッシング2010展」へ。
この企画は「日本のアートシーンの“明日”を見渡すべく、多様なジャンルのアーティストやクリエイターを紹介する」というもの。
あやふやだけど確か1回目を観に行ったはず。
その時は小粒だけど結構面白い作品があった印象を持った記憶があるので、今回も楽しみにして出かけたのである。

今回の展示作品の中で観る前から知っていたのは写真家の2人の作品。
森村泰昌氏と志賀理江子氏。
森村氏は有名なのでご存知の方も多いだろうけど、簡単に説明を。
本人が有名な絵画の中に入ったり、有名人に成りきるパロディを表現するアーティスト。
本物そっくりに仕上げていて、笑いを誘うんだよね。
本当は写真美術館で開催されていた森村氏の展覧会を観に行こうと思っていたのに、もう終わっちゃったんだよね。(笑)
そうは言っても日曜美術館で特集されていたのを観てある程度は満足しちゃったんだけど。
その番組でも紹介されていたビデオ作品が上映されていた。
かなりパロディを多く含んでいて、アートなのかお笑いなのか区別が付かない感じだったけどね。
それにしても森村氏は徹底的に模写を追求していて感心しちゃうね!

志賀理江子氏は第33回木村伊兵衛賞を受賞した写真家。
ロンドンを拠点に写真活動をしている国際派。(表現古い?)
ドキュメンタリー的でちょっと不気味な写真だな、とSNAKEPIPEは思っている。
今回展示されていた作品は受賞作の「CANARY」からのもので、写真をずらっとイーゼルに並べていた。
写真集より観易くなっていたけれど新しさはなし。
写真集で観た時に感じたぞわっと感やインパクトが薄らいでしまっていた。
写真集だと「次はどんな写真が来るんだろう」と怖々ページをめくる「怖いもの見たさ」があるけど、並べてるとそれが消失していたからかな。
カラーがとてもキレイだったけど。

今回の展示の中で「ほおっ」と声を上げたのが青山悟氏の作品群。
写真や文字などをまるで絵画のように刺繍で作り上げているのである。
刺繍だよ、と言われないと判らないほどの精緻さ。
黒とメタリックの糸を使用しているので、光に反応して鈍い光沢がとても素敵だった。
ブックカバーにしたい!(笑)

もう一点、友人Mと「キレイだねー!」と言い合ったのが鈴木ヒラク氏の反射板を使ったインスタレーション。
キラキラしていて素敵だった。
あんな壁が我が家にあったらうれしいなー!(笑)

感想を持った作品はそれくらいで、他は
「卒業制作って感じね」
と言ったMの発言に集約されてしまうようなものばかり。
ほんとそんな感じだったんだよね。
頭でっかち過ぎ、こじつけ過ぎで、「だから何?」と言いたくなってしまう展示の多さにびっくり。
いいのかなあ、あれで?(笑)
ま、そういう感想は行って観てきたから言えるのであって、例えば森美術館の公式HPだけを観ても解らないもんね。
今回は今まで観に行った展覧会の中で一番の(?)不作でがっかりだったけど、これに懲りずにまたアート鑑賞しに行こーっと!

好き好きアーツ!#06 東松照明

【コンストラクテッド・フォトをSNAKEPIPEが制作。】

SNAKEPIPE WROTE:

今回は好き好きアーツとして日本を代表する写真家・東松照明氏を取り上げたいと思う。
とは言っても東松照明写真論として何冊も本が出ているので感想、のような書き方が無難だろう。

東松照明氏を知ったのは随分前のことだ。
以前にも書いたことであるが、SNAKEPIPEの父親は写真家である。
そして父親が東松照明氏の大ファンだったのである。
父親がいつもカバンの中に入れている写真がある。
取り出すと嬉しそうに顔をほころばせる。
それは東松照明氏と父親が一緒に写ったスナップ写真である。
先日のHELL-RACERとの記念写真に嬉々としているSNAKPIPEと同じように、父親にとってのアイドルは東松氏のようだ。
恐らく東松氏の偉業と実物とを知らない人は、「誰この人?」と中年男性二人が写った写真を怪訝に思うことだろう。
そう、東松氏は偉業を成し遂げた写真家、父親から見れば神様的な存在なのである。
実際にそのことに気付いたのはSNAKEPIPE自身が写真を撮り始めてからのこと。
どんな世界でも同じだろうけれど、その道に踏み込まないと「良し悪し」や「すごい!」の基準が解り辛いからだ。

東松照明氏の簡単な略歴を書いてみよう。(Wikipediaを参照)

1930年 愛知県名古屋市生まれ
1954年 愛知大学法経済学部経済学科卒業
「岩波写真文庫」のカメラマンスタッフになる
1956年 フリーとなる
1958年 日本写真批評家協会新人賞受賞
1959年 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立
(東松氏が「イネ」を集団名に考えていた話は有名である)
1961年 「hiroshima-nagasaki document 1961」
(第5回日本写真批評家協会作家賞)
1963年 アフガニスタンを取材
1972年 沖縄に移住
1974年 「New Japanese Photography」展
(ニューヨーク近代美術館)
荒木経惟らと「ワークショップ写真学校」を開講
1975年 写真集「太陽の鉛筆」で日本写真家協会年度賞
翌年芸術選奨文部大臣賞
1984年 「SHOMEI TOMATSU Japan 1952-1981」展
(ウィーン近代美術館など)
1992年 「SAKURA +PLASTICS」展(メトロポリタン美術館)
1995年 紫綬褒章受章
1998年 長崎に移住
1999年  「日本列島クロニクル―東松照明の50年」展
(東京都写真美術館)日本芸術大賞受賞
2000年 「長崎マンダラ展」(長崎県立美術博物館)
2002年 「東松照明展 沖縄マンダラ」(浦添市美術館)
2003年 「東松照明の写真 1972-2002」展
(京都国立近代美術館)
2004年 「Skin of the Nation」展
(ワシントン、サンフランシスコを巡回)
2006年 「愛知曼陀羅-東松照明の原風景」展
(愛知県美術館)
2007年 「東松照明:Tokyo曼陀羅」展(東京都写真美術館)

SNAKEPIPEが観に行った写真展が1999年の「東松照明の50年」展である。
この展覧会は「50年」と銘打ってあるだけに観ごたえ充分!
こうして全体像をみせてもらわないと、同じ写真家が撮った写真だとは分からないほどに多様なシリーズが展開されていた。

東松氏はいくつもの顔を持つ写真家なのである。
それぞれのテーマについて書いてみよう。

ドキュメンタリー写真として一番有名なのは「長崎」だろう。
戦争の傷跡を刻名に、冷静な目で描写している写真群。
原爆が落ちてから16年経った1961年から撮影を開始した、とのことであるが、文章にはできない写真が雄弁に長崎を伝える。
あまりにも有名な止まった時計の写真や溶解した瓶の写真は言いようもない独特の雰囲気を出している。
他には「チューインガムとチョコレート」の横須賀や「太陽の鉛筆」の沖縄、といった地名シリーズがある。
どのシリーズも長崎と同じように冷静でシャープな視線で事象を追いかけている。

アート系写真と呼びたい写真群もある。
海に流れついた漂流物を撮影した「プラスチックス」。
電子部品を自然物と混ぜて撮影したコンストラクテッド・フォト「ニュー・ワールド・マップ」や「キャラクターP・終の住処」もある。
「アスファルト」「廃園」「ゴールデンマッシュルーム」などはまるで実験映像のような感じ。
これらはすべて構図、色彩共にバッチリの素晴らしい仕上がり!
コマーシャル・フォトの先駆けとも言えるだろう。
悔しいくらい真似たくなるようなカッコいい写真ばかりである。

ネイチャーフォト、と言ってもいいシリーズもある。
長崎の諫早湾を撮った「ブリージングアース」。
千葉、和歌山、静岡などの岩場を写した「バイオ・バラエティ」。
岩場、とタイトルになければ宇宙写真のように見えてしまう不思議な写真群である。
東松氏の手にかかるとネイチャーフォトもまた違った趣きになってしまう。
非常にカッコいい。
これもまた真似たくなる写真だなあ。(笑)

ここまで顔を使い分け雰囲気を出すことができる写真家はそうそういない。
東松氏はバランス感覚、美的感覚共に非常に優れてるんだなあ、と感心。
そしてこれだけ多くの人物写真を撮れるのは、人格的にもバランスがいいからだと推測できる。
沖縄の人を撮るのに実際移り住み人々に慣れ親しんでから撮影を始めた、というエピソードを聞いたこともある。
ものすごい情熱!
意思の強さ!
うーん、3拍子どころか7拍子以上揃っちゃうんじゃないかね?(笑)

SNAKEPIPEが写真を撮り始めてしばらく経ってのこと。
今からもう10年以上は前のことだ。
その当時東松氏は千葉県の上総一ノ宮に住んでいたのである。
「東松さんのところに遊びに行って、ついでに写真を観てもらう?」
なんてアイデアを父親が口にしたことがあった。
そ、そんな!SNAKEPIPEみたいなド素人の写真を雲の上の写真家の方に観て頂くなんて恐れ多いにも程がある!
しかも遊びに、なんて気軽には行かれない!
そんなの無理、無理!と即座に断ったSNAKEPIPE。
今となっては
「あの時、行く!と言っておけば良かったな」
と後悔している。
偉大な写真家に会える機会なんてそう多くはないからだ。
そしてきっと父親もSNAKEPIPEをダシにして、本当は自分が神様にお目にかかりたかったのに違いない、と。

御年78歳の東松氏、ずっと元気で新作発表をお願いしたいところである。
2007年に写真美術館で開催された「Tokyo曼荼羅」は行かれなかったけれど、次回の写真展には是非足を運びたいと思う。
きっとまた「こんな写真が撮りたい!」と悔しい思いをするんだろうな。(笑)