ふたりのイエスタデイ chapter17 /Sigue Sigue Sputnik&RUN DMC

20200202 top
【一世を風靡したレコード】

SNAKEPIPE WROTE:

ROCKHURRAH RECORDSでは、何かしらの作業をする時にラジオを聴くことが多い。
何かしらの作業とは、皿洗いや掃除などの家事や、趣味のミシンを踏んだりする時のことだ。
見た目とは違って、意外とマメに色々やってるんだよね。(笑)
そんな時、重宝しているのがインターネットラジオである。
iTunesのインターネット・ラジオでお気に入りだった、80’sニューウェーブやパンク専門チャンネルが次々とサービスを停止してしまったのは、非常に残念。
インターネット・ラジオの仕組みがよく分からないんだけど、個人が独自にサービスとして提供しているものなのかな。
コマーシャルが途中で入る番組の場合は、広告収入を得ていることが分かるけど、曲だけをかけているチャンネルもあるからね。
今回サービスを停止したのは、広告収入を得ていないだろうと思われる種類のチャンネルだったから、仕方ないのかもしれない。
少しでも好みの曲がかかるチャンネルを探して聴いている今日このごろである。

先日もまたインターネットラジオを聴いていると、非常に懐かしい曲が流れてきた。
ジグ・ジグ・スパトニックの「Love Missile F1-11」である。

このビデオが1986年のものらしいけど、当時の近未来像がよく分かるよね。
ブレードランナー(原題:Blade Runner 1982年)」の世界観と「マッドマックス(原題:Mad Max 1979年)」のイメージを合体させたみたいだもんね。(笑)
改めて鑑賞すると、ジグ・ジグ・スパトニックのメンバーは、まるでフィギュア人形みたいな出で立ち。
「Love Missile F1-11」はループするリズムに、ほんの何フレーズかのセリフが入るシンプルな曲だけれど、耳に残る。
メンバーのど派手なルックスもあり、かなり話題になったものだ。

ジグ・ジグ・スパトニックのデビューは華々しかったんだよね。
記者会見の模様をテレビで見た記憶があるよ。
「デビューにあたって」なのか「シングル曲をリリース」だったのか、会見の主旨については覚えていない。
ただメンバーの誰かが、タバコのマルボロの煙を全く吐かずに吸っていたことが強く印象に残っている。 
イギリス人がマルボロを吸ってるということと、吸った煙の行方が気になったんだよね。(笑)
そして「何か新しいことが始まりそう!」と思ってワクワクしたっけ。

ジグ・ジグ・スパトニックは元ジェネーレーションXのトニー・ジェイムスが中心となって結成された。
ジェネレーションXといえば、ビリー・アイドルがヴォーカルだったパンク・バンド!
ポップな曲調とバラード曲が多いのが特徴だったバンドだった。
バンド解散後、ビリー・アイドルはソロとして、トニー・ジェイムスはジグ・ジグ・スパトニックとして活動を続けたってことだね。
一発屋だと思われているジグ・ジグ・スパトニックだけど、当時もう1曲流行った曲があるんだよ。

基本的なラインは変わらないんだけど。(笑)
「ブレードランナー」を意識しまくってるおかげで、カタカナの文字が踊ってるね。
この2曲ですっかりファンになってしまったSNAKEPIPE。
LPも12インチのレコードも購入し、聴き込んだものよ。(遠い目)

そして日本公演が発表され、すかさずSNAKEPIPEは長年来の友人Mとチケットをゲット!
会場がどこだったのか忘れてしまったけれど、1階の前から2列目だったか3列目という絶好のポジションだったんだよね!(笑)
聴くというよりは、メンバーを観たいと思っていたので、来日公演を楽しみにしていたのに…。
公演は中止になり、チケットは払い戻しになってしまった。
中止の理由について説明されたのかも覚えていないけれど、今調べてみると「観客の暴動に加え、メンバーが客席に瓶を投げたため、暴力的なバンドと見なされた」や「チケットの売れ行きが悪かった」などと書かれている。
実際の理由が何にせよ、公演が中止になり、SNAKEPIPEと友人Mは非常にガッカリしたよ。
どうやら2002年に来日しているようだけど、やっぱり80年代のキラキラした時代に観たかったよね!

喜び勇んでチケットを手にしたのにもかかわらず、来日が中止になった別の公演を思い出した。
それはRUN DMC
RUN DMCとは1980年代に一世を風靡したヒップ・ホップ・グループ。
1986年にリリースした「Walk This Way」が大ヒット!

ビデオにも登場しているエアロスミスの曲をサンプリングした、ロックとラップを融合させた曲なんだよね。
RUN DMCは音楽だけではなく、そのファッションも注目されていた。
スポーツウェアのadidasとゴールドのチェーンとカンゴールのハットを組み合わせたスタイルは、当時の日本でも大流行したっけ。
藤原ヒロシや高木完がヒップ・ホップ・グループ、TINY PUNXを結成したのもこの頃だったね。
最先端でオシャレな人はラップ系に傾倒していった。
当然のように若かりし頃のSNAKEPIPEも流行に乗っていたよ。(笑)
TINY PUNXの「建設的」も12インチ・シングルも持ってたなあ。
その当時のことを2008年4月に「ファッション雑誌なんかいらない!」という記事に書いているね。

実はRUN DMCは何度か来日公演を行っている。
ネットでの情報によれば、1986年のNHKホールが初来日みたいだね。
それ、行ったわ。(笑)
次に観に行ったのは、横浜の菊名の辺りだったように記憶しているけれど、わざわざ泊りがけにしたんだよね。
踊り過ぎてSNAKEPIPEが転倒する、なんてこともあったっけ。(笑)
SNAKEPIPEがノリノリになっていた曲は、確かこれ。

そして恐らく3回目の来日公演が中止になったような?
場所がどこだったのかまでは覚えていない。
そして中止の理由がなんだったのかも、はっきりしなかったような気がする。
今でもRUN DMCのCDは何枚か所持しているし、今聴いてもやっぱり好き!
ロック要素が強いし、ラップの声が良いんだよね。
ノリノリになり過ぎて、転ばないようにしないと。(笑)

RUN DMCは3人組のグループだけれど、2002年にスクラッチDJだったジャム・マスター・ジェイが射殺されるというショッキングな事件により、活動休止になったという。
そんなRUN DMC、つい数日前にテレビで観てびっくりしたよ。
2020年1月26日に行われたグラミー賞授賞式でのパフォーマンスとのこと。
エアロスミスと共演した、というニュースだったんだよね。
真ん中のスティーヴン・タイラーと左のDMCは、観てすぐに分かったけれど。
右の人は誰?(笑)
なんとRUNだったとは驚いちゃうね。
かなり体重が増して、全くの別人になっているもんね。
ちなみに上に載せた画像では、一番左がRUNだから、違いがよく分かると思うよ。
それにしても元気な姿を久しぶりに見て嬉しかったな!

今回の「ふたりのイエスタデイ」は、1986年にSNAKEPIPEが好きだった2つのグループを紹介してみたよ!
1986年って今から何年前よ?
34年前?
ひーーーー!(笑)

 

ふたりのイエスタデイ chapter18 /JAPAN

20200412 02
【JAPANのアルバム 「Tin Drum」】

SNAKEPIPE WROTE:

2020年2月に「ふたりのイエスタデイ chapter17 /Sigue Sigue Sputnik&RUN DMC」 を書いてから、
「一番最初に行ったライブはなんだろう」
と思ったSNAKEPIPE。
先週書いた「ROCKHURRAH紋章学 アルコール・ボトル アーティスト編」でも、POGUESのライブに行ったことを思い出したり、過去には意外と「来日公演」に行っていたからね。
じっくり考え、遠い記憶をたどってみる。
「そうだ!JAPANだ!」

動画を載せたのは、恐らくSNAKEPIPEが一番最初にJAPANを見たであろうプロモーション・ビデオ。
「Life In Tokyo」は1979年の曲だって?
今から何年前かと考えると恐ろしい。(笑)
2015年2月に書いた「ふたりのイエスタデイ chapter07 / Duran Duran」でも登場した「火曜日だったか水曜日の夜7時から始まるローカル番組」で、見たんだよね!
この番組は司会者が進行役となり、独自のセレクションでプロモーション・ビデオを流していた。
リクエストにも応じていて、JAPANはよく流れていたっけ。
このちょっとモヤがかかったような白っぽいバックに、ハレーションが起きているような強いスポットライトに浮かび上がる前髪長めのヴォーカリストの映像は、何度も見たよ。
いつもリクエストが一番最後だったので
「それでは皆さん、また来週!」
と司会者が言った後、ほんの何十秒かだけ映像が続き、CMで終わってしまう。
そのため、今回初めて全編を視聴したよ。(笑)

ここまで「JAPAN」と何度も書いているけれど、「日本がどうしたって?」と思う人も多いかもね?(笑)
「JAPAN」というのは、1974年にヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンを中心にイギリスで結成されたバンドなんだよね。
「なんとなくJAPANという響きが浮かんだだけ」(Wikipediaより)という、あまり意味のない理由により、バンド名を決めたというデヴィッド・シルヴィアン。
イギリスではパッとしなかったのに、日本では大人気!
バンド名も親近感を増す要因だったのかもしれないけど、なんといっても女子が好んだのはそのルックス。
まるで少女漫画に出てきそうだもんね!
JAPANの曲はほとんどデヴィッド・シルヴィアンが作詞・作曲していたことも、今回初めて知ったよ。
ギターもピアノもこなすし、天は二物も三物も与えてるじゃないの!
何故か写真家・作家の藤原新也と親交があり、以前藤原新也のHPで一緒にモーターボートに乗っている画像を見たことがあるよ。
アルバムのジャケットに藤原新也の写真が使用されているんだって。
バンド名だけじゃなくて、実際に日本との関わりも深いみたいだね。

JAPANのベースはミック・カーン。
ミック・カーンのベースは、一度聴いただけで特徴をつかむことができるほど。
うねるような音なんだよね。
何か奏法名があるのかもしれないけど、ミック・カーン以外でこんなベースは知らないよ。
ジャズとかフュージョンで使われることが多いフレットレス・ベースをロックの世界で個性的に使ったのがミック・カーン、ということになるみたいだね。
真っ赤な髪で真っ赤なスーツ、ギロギロした目!
一見強面に思えるのに、実は猫好きだって。(笑)
さすが猫がいっぱいいるキプロス出身だけあるよね。

上に載せた「Visions Of China」が発表されたのが1981年。
同じ年に日本で出版された「MUSIC LIFE」新年号の表紙を飾るJAPANのメンバーだよ。
メンバーについて、ヴォーカルとベースしか書いていなかったけれど、この画像をもとに少し説明してみよう。
上の左がドラムのスティーブ・ジャンセン。
中央にいる金髪のデヴィッド・シルヴィアンの実弟なんだよね。
並んで写っている画像によっては、似て見えることもあるよ。
言われないと分からないことが多いかも?(笑)
上の右はミック・カーンでしょ。
下の左がキーボードのリチャード・バルビエリ。
モノトーンの服装が多い印象があるよ。
口紅も黒かったしね?
下の右がギターのロブ・ディーン。
2015年8月にROCKHURRAHが書いた「ロックンロール世界紀行 Transit05」によれば、この頃の「MUSIC LIFE」にJAPANが登場することが多かったという。
表紙だったりグラビアで特集される、とかね。
そうしたことも日本での人気につながったんだろうね。

JAPANの初来日は1979年で、最初から日本武道館で公演を行っている。
恐らく当時の最大収容人数を誇る会場が日本武道館だったんじゃないかな?
チケットが完売できるほどの人気だったってことだもんね。
SNAKEPIPEは、その時代より少し後輩にあたるので(笑)、ライブを観たのは1982年の武道館だよ。
チケットが余ったから誰か行かない?と学校の先輩から誘われ、実はあまりJAPANを知らないのに思わず手を上げてしまったんだよね。
そのチケットはとても良い席で、1階席の前から数えたほうが早いようなステージに近い席だった。
曲を聴くというよりも、 メンバーの顔を見に行った、という感じかな。(笑)
一番人気はヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンだけれど、実際にステージを観たSNAKEPIPEに強いインパクトを与えたのはミック・カーンだった。
笑いながら瞬きをしない鋭い目つきで軽いステップを踏み、ベースを弾く。
ステージを右に左へとカニ歩きする様は、今でもはっきり覚えているよ。
そのミック・カーンは2011年にガンのため亡くなっている。
52歳じゃ若過ぎるよね。

今回JAPANについて調べていたら、思っていたよりも多くの曲を知っていたことが分かったよ。
そのうちの1曲がこの「Adolescent Sex」(1978年)だった。
曲は聴いたことがあったのに、JAPANだとは知らなかった。
初期の頃はロック色が強かったんだね。

JAPANは1982年に解散している。
SNAKEPIPEが武道館に行った翌年ということになるね。
一度でも実物を観られて良かったよ!

JAPANは、遅過ぎたグラム・ロック、早過ぎたニュー・ロマンティックという微妙な立ち位置のバンドだったのかな。
デヴィッド・シルヴィアンの知的さと美意識のためなのか、ヒット・チャートを独占するようなキャッチーな代表曲には恵まれなかったのかもね。
ただし、それは音楽性の高低についての話ではない。
恐らくJAPANは様々なミュージシャンに影響を与えているバンドには違いないし、いわゆる美形ビジュアル系バンドの元祖だろうね。
今回改めて振り返り、そんなことを思ったSNAKEPIPEだったよ!

ファッション雑誌なんかいらない!

【SNAKEPIPEがスタイルのお手本にしてきたアーティスト達】

SNAKEPIPE WROTE:

世の中にはファッション雑誌が溢れているけれど、今まで一度もその手の雑誌を買ったことがない。
美容院で待たされる時間に渡されるそれらをパラパラめくった経験はあるけれど、全く意味のない記事の羅列、結局興味がない文章や写真が踊っているだけだ。
痩せる、モテるための情報やマストバイアイテムの記事。
実際にこの手の情報を頭から信じて実行している人がいるのだろうか?
友人関係には一人も見当たらない人種である。
では一体今までSNAKEPIPEが何を参考にしたりお手本にしてファッションを考えてきたか、というと音楽である。
その時々に聴いていた音楽からの影響を受けてファッションを決めていたのだ。
これはROCKHURRAHも同じだったようで。
では、ルーツを求めて過去にタイムスリップしてみよう。(笑)

きちんとした自己表現の意思を持ってファッションを決めたのは、やっぱりニューウェイブの頃だろうか。
それ以前にも上野の中田商店で軍モノを好む少女だったSNAKEPIPEの原型はすでに出来上がっていた、とも言えるけれど。(笑)
ニューウェイブの時代といえば世の中テクノカット、もしくは刈り上げが一般的。
服装も今から見ると笑ってしまうような逆三角形スタイルや、黒ファッション。
当時のイギリス系アーティストは帽子をかぶる人が多く、それを「あみだ」にするのが流行。
前髪は長めで目にかかるようにたらしていた。
当然のようにSNAKEPIPEもそれを模倣。(笑)
刈り上げに長めの前髪。
なんといっても憧れはイギリスだったので、コートに帽子、が基本だった。
ROCKHURRAHもアダム・アントヘアカット100みたいな服装だったらしい。(笑)

続いてパンク時代。
本来はパンクのほうがニューウェイブよりも時代が前だけれど、SNAKEPIPEのパンクへの目覚めがニューウェイブより後になっているので順番が逆になっている。
ロールアップしたジーンズに派手目のソックスを見せるように穿き、足元はラバーソール(ROBOT)が基本スタイルだった。
髪はうなじを刈り上げ頭頂部はツンツン立たせた。
結局ラバーソールや編み上げ靴(Dr.マーチン)という足元とツンツンヘア、破れたジーンズだけがパンク要素だ。(笑)
ROCKHURRAも靴にはかなりこだわりがあったそうで、ゲッタグリップやマーチン、ROBOTなど何足も所持していたとか。
今よりも金持ちだったらしい。(笑)

パンクの次はラップ!
どうして急にラップに目覚めたか、というとRUN DMCである。
RUN DMCの登場はショッキングで、音楽もファッションも急進的だったのだ。
全身をAdidasできめ、そこにゴールドの太いチェーンネックレス、そしてKANGOLのハット。
当時のお洒落人種の代表、藤原ヒロシや高木完なども真似た服装をしていたし、実際にラップグループ「TINY PUNKS」でユニットを組んだりしていた。
時代的な流れに乗り、SNAKEPIPEもAdidasにゴールドチェーン。(笑)
当時の写真を見るとちょっと恥ずかしいぞ!

お次はネオGS。
ファントムギフトに代表されるムーヴメントで、当時はある一部で盛り上がっていた。
これは60年代に流行ったGS(グループサウンズ)の現代版である。
ファントムギフトも初めはオックスのような王子様ファッションに身を包み、タンバリンを手にしていた。(だんだんワイルドに変化していったけど)
観客もやはり当時のファンと同じような古着。
サイケデリックな柄の化繊のワンピースやブラウス、ベルボトムにロンドンブーツなど古臭い服装だった。
SNAKEPIPEもそんな服装だったな。
「60年代からワープしてきたの?!」
なんてよく言われたものだ。(笑)

続いてレゲエ。
まず、基本は全身日焼け。(笑)
冬でも日焼けサロンに通って色黒をキープしていたほどだ。
服着てたら見えないのにねっ!
服装はALBA LOSAやme janeなどのリゾート系ファッション。
ヤシの木柄には目がなかった。(笑)
夏になるとワクワクし、冬にはげんなりしていた時期。
今とは逆だったのね!

続いてテクノ、ラウンジへとマイブームは移っていくのであるが、この頃は特別音楽からの影響は受けていない。
特にテクノ系のイベントに出かけるようなこともなかったので、テクノ好きの人がどんな服装なのかもよく知らない。(笑)
そして数年前から再びパンクに戻ってきたところである。

ROCKHURRAHはここまで異なるジャンルに音楽の趣味がまたがることがなかったようで、パンク、ニューウェイブ、ネオロカ、サイコビリー、スカなどに影響を受けたファッションだったとか。
ニューウェイブ時代にはいろいろな服装に浮気していたみたいだけど、見せてもらったのはペイル・ファウンテンズ気取りとシスターズ・オブ・マーシー気取りの写真。(笑)
ネオロカ時代はヴィンテージ古着にこだわり、かなり本格的な服装だったらしい。
サイコビリー時代に、住んでいた上の部屋がうるさかったのでわざわざ迷彩つなぎを着用、サイコ刈りという「こわもて」の格好で怒鳴り込みに行った経験を持つ。
ROCKHURRAHは家の中でもサングラスなので、かなり怖かったのでは?
そして当然のようにうるさかった上の部屋はそれ以来静かになったらしい。(笑)

服装の歴史について書いていたけれど、これってもしかしたら「恥ずかしい過去」のコーナーみたい?(笑)
今はもう音楽雑誌を読んだり見たりしていないし、お手本にしたいと思うアーティストもいない。
オリジナルで洋服作るのが一番だな、と思ったからね!
BINARY ARMYそろそろ活動再開しないと!(笑)