時に忘れられた人々【26】同名異曲編3

【もうマンネリとしかいいようのないトップ画像。ネタが尽きた!】

ROCKHURRAH WROTE:

他に書ける題材もあるにはあるんだが、書いていてなぜか筆が重いような企画が多くて中断してるネタが多数。ん?パソコンのキーボードだから筆が重いとは言わないか? キーがヘヴィで・・・ますます変か?
まあ書きやすいかどうかは気分次第なので、いずれスラスラと仕上がる時も来るでしょう。
今日は割と簡単そうだったからこれ。
まさかパート3まであるとは思わなかったが「同じタイトルなのに全く別の曲」というシリーズにしてみよう。

毎度毎度書いてる事だけど、ROCKHURRAH RECORDSではどんな時代でも”気分はいつも80年代ニュー・ウェイブ”なので、その手の選曲しかしないという姿勢を貫いてる。

時代の流れで完全に息絶えたかと思ってたレコードやカセットテープが復活して、これを知らない若い世代に人気だという。
レコードはまあ復活して当然だと常々思っていたが、まさかカセットまでリバイバルとは予想もしなかったよ。 「80年代を現在進行系のまま」などというテーマでずっと取り組んでたウチのサイトだが、思わず「懐かしい」などと現在進行系を無視した言葉が出てきてしまう。
個人的に言えば大昔の小倉(北九州市)、ベスト電器やデオニーという今あるのかどうかわからん家電屋に行くと、毎回バカのように3本セットになったカセットテープを買い漁っていたなあと思い出す。
TDKやソニー、そしてスキッズのリチャード・ジョブソンがイメージ・キャラクターだったBASFのテープなどなど。
自分で聴くのもあったけど、友達に自分が選曲したベスト盤みたいなカセットを贈るのが大好きだったよ。
音量レベル調節とか頭出しとか難しかったけど、時間があればずっと飽きもせずレコードを録音してるような子供だったな。

温故知新と言うべきか、そういうのがまた注目されるなら、ROCKHURRAHが毎回書いてる80年代満載のこのブログもいつの日か大注目される可能性もあるかもね。え?そんなことはあり得ない?

ちょっと書いたら懐かしくなって関係ない事を延々と書いてしまった。 だから今回も70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブばかりを当たり前のように選曲するよ、というひとことが言いたかっただけだ。 長々と綴った回想は全然意味なしだったな。

相変わらずよくわからん前置きばかりで前にも読んだ人だったらうんざりだろうけど、そういうわけで今回も始めてみよう。

「バナナスプリット」というのは「トムとジェリー」や「原始家族フリントストーン」「チキチキマシン猛レース」などでおなじみのハンナ・バーベラ・プロダクションによるアメリカのTV番組だとのこと。

子供の頃はTVアニメや漫画が大好きで再放送もしょっちゅうやってたから、知らず知らずのうちにかなり多くのものを観ているな。特にこの頃は外国アニメやTVドラマが大変に多かった時代。
同じ作者なんて認識はこの頃にはまるでなかったけど、同世代の人なら誰でもいくつかの番組がスラスラ思い出せるはず。

試しに調べてみたら「出て来いシャザーン!」で有名な「大魔王シャザーン」や「ドボチョン一家の幽霊旅行」もハンナ&バーベラ作なんだね。二つとも大好きだったのにこいつは知らなかったよ。
ちなみに「幽霊城のドボチョン一家」という別物のアニメも同時代にあったそうで、ROCKHURRAHが観ていたのがどっちだったか実は全然覚えてないよ。何じゃそりゃ紛らわしい。

さらに詳しく調べてみたら好きだったのはハンナ&バーベラ作の方じゃなくて「幽霊城のドボチョン一家」の方だと判明した。 全く別のスタジオが作った作品なのにタイトル(邦題)やテーマソングがほとんど同じってすごくない?
制作した方には(たぶん)全く責任がなく、日本語吹き替え版のテレビアニメ独自のテーマソングらしいが、これは完全にどっちかが盗作したとしか思えないレベル。
しかもちょっと「Munsters」まで入ってるよ。
あまりの事に仰天して腰を抜かしたので今の記事とは関係ないけど特別に両方貼っておくよ。

仰天から立ち直ったので続きを書くが、どっちも作詞作曲が同じ人で同じ局の放映、つまり盗作ではなくて替え歌を流用したらしい。あービックリした。
がしかし、歌くらいもう1曲作り直せよ。
「ドボチョン一家の幽霊旅行」の方はドボチョン伯爵がなぜか「はけしゃけ」に聴こえるのが気になって仕方ない。

で、話は「バナナスプリット」に戻るが、この番組は実は全く観た事がなくて、単に歌を知ってるというだけに過ぎない。日本で放映してたのかな? どうやらアニメではなく着ぐるみ動物たちによるバンドのコメディらしいが、内容を知らなくてもこの歌はとても有名だから知ってるよ。

本来のタイトルは「Banana Split」ではなくて「The Tra La La Song」というらしいが、これを70年代にパンクでカヴァーしたのが米国ロサンゼルスのディッキーズ(The Dickies)によるもの。 関係ないが90年代には助平なオルタナ・クイーンと呼ばれたリズ・フェアもカヴァーしてるな。

ディッキーズと言えばチノパン?と誰もが連想してしまうが、70年代後半から活動してる長寿バンドだ。 アメリカのパンクはロンドン・パンクとはやや違うものも色々あるんだが、このディッキーズとかは普通にロンドン・パンクに近い音楽。
ちょっとコミック系が入ったスタイルのようで、全員がちっちゃくなってしまった(「だからどうしたの?」と言いたくなる)レコードジャケットでも有名だったな。
ブラック・サバスの「パラノイド」をパンク風にアレンジした曲とかが有名だけど、もっとバカっぽくコミカルな曲調のものが個人的にはお気に入りだった。
「プードル・パーティ」なんかは同じコミック・パンク・バンド系のトイ・ドールズの元祖みたいだもんね。

この 「Banana Split」も同じ路線のもの。 誰もが「この曲のパンク風はこんな感じ」と想像した通りの典型的な演奏と歌で軽快、コミカルな内容。
バナナがマイクになってるね。
ヴォーカルの前髪パッツンの髪型もすごい。前にこの記事でも同じような事を書いたな。 コミカルな雰囲気のバンドは多いけど、本当にコミック・バンドを目指してるわけじゃなかろうから、この映像見て実際に笑う人はいないだろうと思えるのが苦しいところだね。

その「Banana Split」と同じタイトルなのがこちら、ポルトガル出身の美少女シンガー(当時)、リオ(Lio)の代表曲。 育ちはベルギーで主にフランスで活躍してたらしいが、1979年にデビューした時にまだ若干16歳。

フレンチ・ロリータという言葉がある通り、フランスでは伝統的な系譜だったのがこういうアイドル系美少女によるフレンチ・ポップスだ。
リオはそういう中で(時代的に)ニュー・ウェイブ世代のフレンチ・ロリータというような路線でデビューした。 邦題もズバリ「美少女リオ」。ここまであけすけだと誰も文句が言えないね。
たぶんそこそこ人気はあったに違いないが、日本ではそこまで知名度はなかったのかな?

ベルギーからフランスの音楽界で大活躍したという例では、ROCKHURRAHが大好きなプラスティック・ベルトランを想像してしまうが、その手の路線とも違っていた。
ピンク色の服装でただ踊ってるだけという手抜きプロモの作りは一緒だけど。
それにしてもこの衣装は一体?光沢のない竹の子族みたいなもんか。

同じくベルギーのB級テクノで有名なテレックス(マルク・ムーラン)がバックバンドをやっていて、リオの曲もこの当時のテクノ、エレポップと呼ばれた音楽の延長線にある。
まだユーロビートなんてなかった時代だからね。
途中の「う、きゅん、う、きゅん(以下リフレイン)」というような電子音がいかにもで、こんなんでも当時はノリノリだったよ。
リオが自分自身で入れる合いの手みたいな「ぅんー」もピコ太郎の元祖みたいなもんか。

彼女はただの軽薄テクノだけじゃなく、フランスの初期パンク・バンド、スティンキー・トイズのファンだった事でも知られる。
アルバムにも確か彼らのカヴァー曲が収録されて向こうでは大ヒットしたはず。
スティンキー・トイズ、ROCKHURRAHも好きだったんだよね。
このバンドの紅一点、ヴォーカルのエリ・メディロスはきつい目つきで無愛想な雰囲気なんだが、80年代アイドル風の明るいリオとどこで接点があったんだろうか?
睨まれたりしてないだろうか、こっちが心配になるよ。

レコードには「Dedicated To Kevin Ayers (ソフト・マシーンの初期メンバー)」などとも書いてあり、只者じゃないアイドルを目指してたと見える。

このプロモではまだ子供っぽかったリオだが、90年代になってまたしても「Le Banana Split」を新たなミックスで発表して、その時は結構お色気路線になっていた。
コンスタントに活動はしてたようだが、ROCKHURRAHが初期と90年代のリオしか知らないというだけの話。 写真で見るとずっとお色気路線だった事がわかる。
その90年代のは何と同じ曲のヴァージョン違い5曲も入っててげんなりしてしまうが、一過性のアイドルで終わらなかったところが見事だね。

本当はなるべく長いタイトルが見事に一致した曲について書きたかったんだが、ROCKHURRAHの捜索能力がイマイチなので勘弁してやってね。

実にありふれたタイトルだが「Jealousy」。 このタイトルがついた曲もわんさかあるんだが選んだのは井上陽水・・・ではなくて。
今回よりによって選んだのがこちら。
ロンドンの下町、イーストエンド出身のバンド、ウェステッド・ユース(Wasted Youth)だ。
何か同じような名前のバンドが複数存在するのでややこしいが、同名バンド特集ではないので説明は抜きにするよ。

イーストエンドと言えばかつては犯罪の巣窟とか貧民街とか言われていたが、今はおしゃれな街に変身してるとの事。彼らが活動してた70年代後半くらいはまだ治安が悪かったんだろうな。

ウェステッド・ユースは1979年頃からわずか2〜3年しか活動してないバンドで知名度も低いし、ヒット曲もほとんどない。
ネオサイケと呼ばれる音楽にドップリという人は現在ではほとんどいないだろうが、そういうジャンルのファンでも「聴いたことないよ」って人も多かった。
オリジナルで出たアルバムはわずか1枚のみで、解散後に何枚かライブやコンピレーションみたいなのが出てるだけ。
シングルやオリジナル・アルバムはブリッジハウスというパブが作ったインディーズ・レーベルから細々(あくまで想像)と出てただけ。
これじゃカルト的扱いのバンドになるのも仕方ないだろうな。
このパブのハウスバンドみたいなもんだったのか?その辺は見てきたわけじゃないから不明だけど、パブ自体は立派でロリー・ギャラガーなど大物も出演してたらしい。

同郷だったオンリー・ワンズのピーター・ペレットがお気に入りのバンドで確か数曲プロデュースしてるはずだが、そのピーター・ペレット本人が80年代にはもはや「消えたミュージシャン」の筆頭に挙げられていたもんなあ。

ROCKHURRAHはこんな不遇な彼らが好きだったが、曲もその辺の「なんちゃってネオサイケ」とは全然違う本格派。
見た目も声も良かったのに大して話題にならなかったのは何で?と思っていたもんだ。
アルバムのジャケットがカーキ色みたいな薄く目立たない色で何を表現してるかさっぱりわからないとか、よりによってノリの悪い曲(結構サイケ)ばっかり選んでアルバムに収録したんじゃない?とか、ラフ・トレードみたいに大手インディーズに販売を委ねず宣伝活動を全然しなかったんじゃないかとか、売れなかった原因がさっぱりわからないよ。
コンピレーションに収められた未発表曲は名曲揃いなのにね。

この曲「Jealousy」は1980年のデビュー曲なんだけど、そんな彼らの動いてる映像が見れる唯一の曲。 うーん、第一印象が大事なデビュー曲でこんな地味なスローテンポの曲を選ぶか・・・。
しかしシド・バレットとルー・リードが出会ったかのような気怠い鼻声はあらゆるネオサイケの中でもトップクラスの表現力。今見てもカッコイイと思えるよ。
この前髪、これこそ80’sの極みだね。
しかし最後のあたり、みんなで肩を組むシーンがこの手のバンドではありえない展開。ジャニーズか?とツッコミたくなってしまうよ。

このバンドはインディーズ界でもあまり表に出て来なかったけど、ギタリストのロッコー・ベイカーが後にフレッシュ・フォー・ルルでちょいとばかし有名になったな。
キーボードのニック・ニコルはペルシアン・フラワーズというバンドやってたが、これまた幻と言えるほどの地味な活動。偶然シングルを持ってたが、たぶん昔に売ってしまったな。
ヴォーカリストのケン・スコットは後にスタンダード曲「ストーミー・ウェザー」を歌ったり、相変わらず誰にも知られないような活動してたな。
同時期に元スキッズのリチャード・ジョブソンが同じ曲を歌っていたのでジャズに疎いROCKHURRAHでも知ってるよ。なぜか関係ないのに2回もリチャード・ジョブソンが登場してしまった。

今はインターネットで何でも検索出来る、などと思ってる人が多いが、例えばこのバンドについて日本語で語ってるのがROCKHURRAH以外にはほとんどいないと推測される寒い状況。
まあ希少な内容のサイトをやってるという点で、ウチにも存在価値くらいはあるかな。

何か今回は横道にそれた発言ばかり多くて先に進まないな。

さて、その「Jealousy」と同じタイトルの曲をやってて、人があまり語らないバンドがこれ、ブートヒル・フット・タッパーズ(The Boothill Foot-Tappers)だ。

1980年代半ばのイギリスのバンドだが、カントリー&ウェスタンやブルー・グラス、フォークにトラッド、スカなどの音楽性がミックスされたアコースティックな音楽性が特徴。

ちょうど同時期にデビューして大人気となったポーグスあたりとパッと見には似てるが、聴いた感じあまりアイリッシュは感じなかった。
楽器編成もバンジョー、アコーディオンなど共通する部分はあるけど、ポーグスにあるマンドリン、笛がこちらにはなく、ポーグスにないウッドベースとウォッシュボード(洗濯板)がこっちにはある。

この頃はニュー・ウェイブが一段落して、ハードだの暗黒だの暴力だのエレキだの化粧だの、この辺の路線に皆が飽いていた時代。
それでなのか何なのか、大昔からあるような音楽を引っ張り出してきて、それに「ネオなんとか」と付けて新ジャンルにするのが流行っていたよ。
大まかに言えばこのブートヒル・フット・タッパーズもネオ・アコースティックの一種には違いないんだけど、カウパンク以外でイギリス人があまりしないカントリー系統への傾倒は割と斬新だったね。

まだこの時代にはそんな言い方はなかったけど、後に東京スカンクスのダビすけが提唱した「ラスティック」という総称(?)に当てはまるような音楽。
ウェスタン・スウィング、カントリー、ブルーグラス、ケイジャン、テックス・メックス、アイリッシュ・トラッド、ヒルビリー、ロカビリー(サイコビリー)、マカロニ・ウェスタンのテーマソングなどなど、上に挙げた一般的にはあまり馴染みのない音楽をうまい具合にミックスさせたようなバンドが後には続々出て来るが、このバンドとかもその先駆けみたいな感じかな。

女性3人がいて2人がヴォーカル(1人は洗濯板)かと思いきや、実は男ヴォーカルもいて曲によって使い分ける柔軟な構成。
「Jealousy」はスカ要素が強い名曲だが、他の曲ではかなり履いてテンション、じゃなかったハイテンションのバンジョーが炸裂するようなのもあり、この手のジャンルとしては素晴らしい完成度だったよ。
個人的に好きだった「Get Your Feet Out Of My Shoes」などはジョン・デンバーのファンに聴かせても「いい曲だね」と言われるくらいのエバーグリーンな名曲(ウソ)。
そしていい味出してるアコーディオンのキャラクター。
同時代に活躍した百貫デブばかりによるサイコビリー(ネオ・ロカビリーっぽいけど)&ラスティックの伝説的バンド、The Blubbery Hellbelliesのスリムが参加してるのもファンにとっては見逃せない。
大好きだったんだよね。

ブートヒル・フット・タッパーズはいわゆるクラブ・ヒッツなどでは欠かせない名曲を残してるが、レコードの時代は結構入手困難だったし同時代にはたぶん日本でレコードは出てなかった。
こんなに完成度高いのにね。
そういう意味ではちょっとマイナーな存在だけど、後に再評価されてCD化もしたな。

もうひと組、つまりあと2曲書こうと思ってたけど、案外長くなってしまったので今日はここまで。
ということでまだまだパート4までありそうな雰囲気だな。
もう飽きた?うん、ROCKHURRAHも。

それではまたチョムリアップ・リーア(クメール語で「さようなら」)。

時に忘れられた人々【23】同名異曲編2

【今回はナチュラル志向と着飾ったのが競演】

ROCKHURRAH WROTE:

どこの天気予報でも「今年は記録的な猛暑になる」というような予報が出ていて、真夏の暑さが大嫌いなROCKHURRAHは気が滅入っている。
今のところ猛暑というよりはおそろしい湿度で、部屋の中にいても蒸し蒸しという日々が続いてるけど、そんな中、やって来ました。去年に引き続きまたまたエアコンの不具合。
去年の夏のブログ記事で書いた通り、真夏の最も暑い時期に我が家のエアコンから恐怖の水漏れが起きてしまい、応急で下に貼ったゴミ袋に毎日のように大量の水が滴り落ちるという事件が発生した。
水を慌てて拭き取ろうとした際にぐるぐる回っている部分に指を突っ込んでしまい、あわや骨折か?と思うくらいの怪我をした悪夢の思い出。あれで数ヶ月は指の感覚がおかしくなってしまったからね。
去年はメーカーに来てもらったのに結局、原因は不明だがなぜか改善されてしまった。自分でドレンホースやドレンパンのつまりも解決したから、改善されなきゃウソなんだけどね。
今年もとりあえずは大丈夫なはずなんだけど、またもやすごく暑い日から突然大量の水が垂れてきて大パニック。応急の対処法はすでに会得していたけど、個人的にイヤな出来事ばかり続いてたし、よりによって自分の誕生日にこんな問題まで抱え込んで頭が痛いよ。
結局、一週間水漏れのまま耐えて週末に業者に来てもらい、やっと(たぶん)解決したという始末だ。
おそらくの原因は本体内部のドレンホースより排水の穴の方が位置が高かったため、水が逆流してたんじゃないか?というお粗末なもの。つまりは最初の設置ミスだとの事。確かに最初の時はよくわからんバイトの小僧みたいなのが取り付けに来たもんな。
貴重な時間をこれで何時間も無駄にしたけど、とりあえずは真夏の水漏れの心配がなくなったようで良かったよ。

人にとってはどうでもいいような前置きだったな。しかも今日の記事とは何も関係ない。
さて、今回も引き続き「同名異曲」について書いてみよう。
最近はどうだかわからないけど、90年代くらいはバンド名もタイトルもひとつの単語のみというようなシンプル過ぎなのが流行ってた時期があったな。それだったら同名のタイトルというのも結構あったんだろうな。
ウチのブログでは70年代や80年代の音楽についてばかり書いてるから、そこまでいくらでも同じタイトルの曲が転がってるわけじゃないけど、何とか探してみたよ。

Son Of A Gunというのは英語でよく使われる言い回しのようで「船の大砲の下で生まれた子供」というような意味らしい。ん?何じゃそりゃ。
日本で言うなら「橋の下で生まれた子供」とかと同じような使い方なんだろうが、そもそも今の時代にそんな会話あるのかね?
そのままの意味では使いドコロがわからんけど「ロクデナシ」とか「ちくしょうめ、この野郎」というようなニュアンスらしい。サノバビッチにサノバガン、どちらにしても慣用句が嫌いでスラングっぽい言葉を全然使わないROCKHURRAHには理解しがたい言葉だなあ。

そんなタイトルを代表曲につけたのが越路吹雪、ではなくて1980年代後半にスコットランドで活動していたヴァセリンズだ。
ユージンとフランシスの男女ペアが中心のアノラック系ギター・ポップのバンドでジャケットも二人の世界だが、デュオではなくユージンの友人や兄弟なども含めた編成だった。日本で言えばチェリッシュみたいなもんか?

キング・オブ・アノラックってほどにキングな活動はしてないが、パステルズのスティーヴン・パステルに見出され、彼の53rd&3rdというレーベルから出したのがこの「Son Of A Gun」というデビュー曲。

ニルヴァーナのカート・コバーンが彼らの曲を大々的にカヴァーして、90年代にはにわかに再評価されまくった(レコードもプレミアついて高騰)が、80年代後半のリアルタイムでは割と細々と活動していたという印象がある。活動期間も短かったから知る人ぞ知るようなバンドだったな。
まあ音楽性もヴォーカルも80年代的に言えば「ヘタウマ」。
初々しい感じのバンドだからインディーズでこじんまりとマイペースにやってゆくのが本来の姿だね。後にすっかり老けてしまってから奇跡の再結成を果たした。
少しはしたたかになった模様だが、基本的には相変わらずの路線でファンをなごませた。
彼氏は少しギターとかやってるけどギンギンのバンド野郎じゃなくて、彼女は彼氏の影響で歌とか歌い始める。音楽業界の事とかよくわからないけど好きな音楽と彼氏とでささやかに宅録とかしたい。ヴァセリンズはそういったカップルとか内輪で音楽をやっている者にとっては光明と言える存在だったんだろうな、と勝手に推測してみたよ。

こちらもまた同じタイトルを持つ曲、リヴァプール出身のラーズによるもの。
「There She Goes」という不朽のヒット曲によって知られるが、曲は知ってるけどどんなバンドがやってるのかよく知らないという人も多かったんじゃなかろうか?
80年代後半にデビューして人気、知名度も上がってきた頃、曲やレコーディングの出来に不満を持ったバンド側が発売をキャンセル。しかしレーベルはバンドの意向を無視して勝手に作りかけだったアルバムをリリース。楽曲は全てバンド側の意図してない出来のまま世界に出回ってしまったわけだ。
そういう激しい諍いがあって、大人気バンドになる可能性があったラーズは活動停止してしまったという経緯がある。
彼らの有名なアルバムはヴォーカリストのリー・メイヴァースが「買うな!」と言った作品だとの事だが、その1曲目に「Son Of A Gun」は入っている。

親しみやすく素朴なメロディにやや乱暴な歌い方が絡むというスタイルは少し後で出てきたオアシスなどの原型だと言える。かなり60年代な雰囲気なのでその辺が好きな人に熱烈支持されていたね。
しかしこの映像はまだいい方なんだけど服装とかに全く無頓着なタイプ。基本的にジャージとかネルシャツとか楽なのが一番、という姿勢で貫いているな。
大人気バンドになる可能性があった、と書いたものの、絵にならないなあ。

では絵になるこちらで仕切り直しといこうか。

Spellboundは日常生活ではあまり使われない単語だとは思うが、呪文で縛られたとか魅せられたとかそういう意味だそうだ。
ロンドン・パンク初の女性ヴォーカリストとして出発して、後にはゴシック、ポジティブ・パンクの元祖的存在だったスージー&ザ・バンシーズの1981年、4thアルバムに収録されてシングルにもなったのがこの曲だ。
Banshee(アイルランドの死の妖精)をバンド名につけ、初期の頃から割とダークな曲調を好んでたスージー・スーが歌うにはピッタリのタイトルだと言えるね。
あまりにも有名なバンドだから今さら書くような事もないけど、この後の女性ヴォーカル・バンドのひとつの路線を作った偉大なバンドだったと思う。

映像は森のなかをスージーやバンド・メンバーが走り回る割とアクティブなもの。白塗り化粧で退廃的、運動や汗とは無縁の印象があったけどライブでは動くだろうしそんなでもないのか?ドイツのベルフェゴーレにも海辺を全力疾走しまくるというミュージック・ヴィデオがあったが、バンシーズはやっぱり森の中の方が似合うね。森の奥にいるシャーマンという感じがするから。

ROCKHURRAHは昔から海よりは山、森や渓流の風景に惹かれるが、実際はそんな山の中に滅多に行かないしアウトドアな人間ではない。憧れは人一倍強いんだけど、気軽に行けないようなところにばかり暮らしているからなあ。
冬場は寒いからちょっと、だけど、こんなに蒸し暑い夏は深山の奥で暮らしたいという願望が沸き起こる。
高校生の頃、住んでた家の近場に小倉(福岡県)の足立山という小さな山があった。秘境でも森でもないが、雑木林くらいはあるだろうという程度の山だ。
ある日の朝、なぜか学校に行かずその山を目指してひたすらに歩いて歩いて登ったという変な出来事を思い出す。
通学のバスを降りて山へ入る道を歩いて行ったのだが、その後の一日をどうやって過ごしたのか、どうやって帰ったのかをまるっきり覚えてないのだ。
学校サボってまで山に入る動機もひとつも思い出せない。
運悪く体育教師に目撃されたらしく、後に学校に来てない事が発覚すると予想した以上の大問題に発展した。当たり前だが家に連絡されて翌日も呼び出されて大目玉をくらった事だけは覚えてる。自分の行動は全く覚えてないくせにね。
その時の心境はまるっきりわからないが、今にして思えば何かに導かれてどこかを目指した、これも神秘体験の一種だったんだろうかね?
おっと、今回の記事には全く関係ない思い出話だったよ。

そんなバンシーズの名曲と同名タイトルなのがこれ、ピンク・ミリタリーの1979年に発表した12インチ・シングルに収録(1stアルバムには未収録)。
ん?紹介する順番が逆だった事に今気付いたよ。「Spellbound」というタイトルではこちらの方が早かったんだね。
「同名異曲編」の1の方でも書いたが、デヴィッド・バルフが関わっていたビッグ・イン・ジャパンというリヴァプールのパンク・バンドがあって、そこの歌姫だったのがジェーン・ケーシーだった。
このバンドからは

  • 後にフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドで大ヒットするホリー・ジョンソン
  • ライトニング・シーズで大ヒットするイアン・ブロウディ(キングバード名義でプロデューサーとしても有名)
  • KLFでチルアウトというハウス・ミュージックの元祖となったビル・ドラモンド
  • 上に書いたスージー&ザ・バンシーズに参加するバッジー(後にスージーと結婚して離婚)

などなど、有名ミュージシャンが最初に始めたバンドとして伝説となっているが、ジェーン・ケーシーがビッグ・イン・ジャパンの後に始めたのがピンク・ミリタリーだった。
ジェーン・ケーシーと言えば70年代後半のパンク・ガールの中でも最も退廃的な美しさを誇り、異様なメイクや奇抜な服装でも有名。リヴァプールの中では一歩抜きん出たファッショナブルな存在だったと個人的には思う。
しかしピンク・ミリタリーの音楽はそういう派手な見た目とは裏腹に案外地味な感じだった。
他のメンバーがビッグ・イン・ジャパンとは違う方向性で有名になったのとは対照的だけど、ある意味、ビッグ・イン・ジャパンを最も継承していたのは彼女だったんだろうね。
スージー&バンシーズあたりとも通じるダークな曲調にジェーンの気怠い感じの歌声が響く地味な楽曲。時代的にネオ・サイケに属するような音楽だがポジティブ・パンクとかゴシック的要素はあまり感じない。むしろそっち方面に行ってたら大成したかも知れない、という風貌だが、音楽の方はそんなにドギツくない。

映像の方はレコードではなくリハーサル・トラックの音源との事だが、ビッグ・イン・ジャパンやリヴァプールの大半のバンドがライブをやったであろう、エリックスというライブハウスでの珍しい写真がスライドで出てきて、マニアにとってはかなり価値が高いもの。当時はものすごく盛り上がってたんだろうな。行きたかったなあ。
ピンク・ミリタリーや後のピンク・インダストリーはヒットしなかったらしく、プロモもTV出演の映像とかもほとんどないのでこれで許して。

まだまだ探せば同じタイトルの違った曲は出てきそうだけど今回はここまで。
ではまた、Até mais tarde(ポルトガル語で「またね」)!

時に忘れられた人々【22】同名異曲編

【今回の主役はこの方々。相変わらず意味不明の人選だな】

ROCKHURRAH WROTE:

変更後に一回もブログを書いてなかったので自分で語ってなかったが、5月後半からやっと当ブログのリニューアルが出来て、何とか自分の思ってた形に近くなってきたよ。
たまたまこの期間に訪問してくれた人は目まぐるしくデザインや色、背景などが変わって面食らったはず。今どきは素人でもやらないぶっつけ本番で修正しながらのリニューアルだったのでかなりドキドキしたよ。
見る人が見ればわかる通りロトチェンコもどきに作ってみたんだが、どうだろうか?

さて、今回の企画はひねりも小技もなく「同じタイトルだけど別の曲だよん」というROCKHURRAHにしては珍しいストレートなもの。
色々ひねくれた企画ばかり考えすぎて書けない事が多かったからたまにはこういう路線でやってみるよ。直球なので前置きも能書きもなくさっさと始める事にするか。

クズ、ゴミというようなタイトルがこれほど似合う男たちが他にいようか?
パンク以前のグラム・ロックの頃にアメリカで活躍していた伝説的なバンド、ニューヨーク・ドールズの名曲。
派手なメイクと悪趣味スレスレのオカマのようなファッション、そしてデタラメに粗雑なロックンロールとごつい歌声。全てのマイナス要素が合わさって奇跡的にカッコ良くなるという「最低で最高」の見本が彼らだったな。ありきたりなコメントですまん。
「Trash」は1973年発表、代表曲満載の1stアルバムに収録されてる。
マルチ・ミュージシャンとして有名なトッド・ラングレンによるプロデュースが彼らの持つ荒々しさを台無しにした、などと不評ではあるが、それはライブ活動をメインとするバンドのスタジオ盤には一番ありがちな評価だ。
リアルタイムでライブを見れなかった我々はこれを聴くしかない。

映像はTV出演のものらしく演奏に迫力がないんだけど、デヴィッド・ヨハンセン、アーサー”キラー”ケイン、ジェリー・ノーラン、シルヴェイン・シルヴェイン、そしてジョニー・サンダースという黄金期のメンバーが明瞭に見れるからこれを選んでみた。ジョニー・サンダースの髪型がぺったんこで地味な印象だが他のメンバーは大体いつもこんな感じ。ヨハンセンのスケスケ衣装も道化師のようなシルヴェインも、アーサー・ケインのはみ出した肉もすごい。
全てがToo Muchにデフォルメされていて、上品で健全なロック・ファンには受け入れられないだろうが、後のパンクに与えた影響は計り知れないバンドだったなあ。

それと同名のタイトルなのがこれ、ロキシー・ミュージックが1978年に再結成した時のアルバム「マニフェスト」に収録されている。
ロキシー・ミュージックと言えば「ダンディ」とか「ソフィスティケートされた大人のロック」とか、そういうイメージで語られる事が多いがそれは70年代後半になってからの話。初期の頃はかなりヘンなバンドだった。
ちょうどグラム・ロック全盛の頃にデビューした時はギンギンの派手な衣装と髪型でカッコイイと言うよりは色物バンドみたいだった。
上に書いたニューヨーク・ドールズがロックンロールを極端にデフォルメしたような音楽だとすればロキシー・ミュージックのはプログレッシブ・ロックのデフォルメ化とでも言うのか。的外れかも知れないがROCKHURRAHはそんな印象を持っていたよ。
まあとにかくロキシー・ミュージックは今までに味わったことのないようなユニークな音楽性を持っていて、たちまち有名バンドになってしまった。

強烈な個性の要だったのはこもった声と粘着質な歌い方でロック・ヴォーカルの概念を根本から変えたブライアン・フェリー。そして孔雀のような派手な衣装と不気味な髪型で異彩を放っていたインテリ、ブライアン・イーノ。サックスを時に美的、時にノイズ楽器にまでしてしまうアンディ・マッケイ。この三人の出たがり男が中心となってユニークな音楽が形成された。
が、イーノが脱退してからは元キング・クリムゾンのジョン・ウェットンや元カーヴド・エアのエディ・ジョブソンなど凄腕ミュージシャンのバックアップもあり、ヨーロッパ的美学(何じゃそりゃ?)を極めた洗練されたスタイルを完成させる。

この曲はそういった全盛期が過ぎ去った後の時代の作品だ。
彼らが活動してなかった時期に登場したロンドン・パンクとニュー・ウェイブ。
これらの音楽は従来のロックを根本から覆すだけのインパクトがあったのは確かだった。
見て見ぬフリをして今まで通りの音楽作りをした古いバンドも多かったが、デヴィッド・ボウイーやロキシー・ミュージック、ビー・バップ・デラックスなど元から斬新な事をしていたバンドにとっては脅威だったに違いない。ん?そんなことない?
我関せず、という独自の音楽を展開していても何らかの変化はあったのじゃないか?とROCKHURRAHは勝手に想像するよ。
「Trash」はそういうパンクな若い世代の「薄っぺらさ」をおちょくったような内容の歌だったはず。ツッパったりイキガッたりしても所詮は17歳というような感じかな?
全ロキシー・ミュージックの曲の中で最も軽くインスタントな雰囲気に満ち溢れてて、プロモーション・ビデオもどうでもいいようなクオリティ。しかもやけにノリノリなのがウソっぽいな。もしこの一曲だけでロキシー・ミュージックを評価されたら自分たちこそトラッシュ扱いされてしまう危険性をはらんだ曲だと言える。

「野心、野望」というような意味のタイトルがこの曲。
大昔は下北沢、高円寺、阿佐ヶ谷に三店舗を構えた中古ゲーム屋の取締役だったという意外な過去を持つROCKHURRAHだが、ゲームの世界で燦然と輝くビッグ・タイトルだったのが光栄というメーカーの「信長の野望」「三國志」などのシミュレーション・ゲームのシリーズだった。
流行り廃れがあまりなく、金を持った大人が好むソフトなので割と高価でもコンスタントに売れるというメリットがあり、結構儲けさせて頂いたよ、という同時代の同業者だった人もいるだろう。関係ないが子会社のエルゴソフトはMac用の日本語入力システム(Windowsで言うところのATOKみたいなもの)を販売していて、この当時のMac派はデフォルトの「ことえり」の出来が悪いこともあって、みんなお世話になっていたな。
その大ヒットした「信長の野望」は海外版では「Nobunaga’s Ambition」と呼ばれていたのをふと思い出しただけで何行にも渡って関係ない思い出を語ってしまったよ。

ヴィック・ゴダード&サブウェイ・セクトはロンドン・パンクの時代に活動していたバンドだ。初期はクラッシュと同じマネージャーだった事からクラッシュのツアーで前座として同行、必然的に注目を浴びる存在となった。
日本ではほとんど知られてなかったが「Original Punk Rock Movie」という当時のパンク・ロッカーなら誰でも見てるビデオがあって、そこに数曲登場してたので、多少知られるようになった。が、シングルは割と入手困難だった事を覚えている。

彼らの音楽は当時のパンク・ロックの中では異端と言うべきスタイルで、歌も演奏も割とヘロヘロ、ステージ衣装なども特になくてただのセーター着てたりする。しかも曲と曲の間に一言も喋らなかったり、人前で何かをする資格がないと言われそうなバンドだった。
アンダートーンズとかもそうだったが、ロック的なカッコ良さとは無縁の地味さだったなあ。
アルバムもリアルタイムではリリースされなかったし、後にラフ・トレードから「回顧録」などというタイトルでシングル・コンピレーションが出ただけ。
これで消えてしまうかのようなタイプの音楽だったが、1980年にちゃんとリリースしたアルバムではパンク要素もほとんどなく、ノーザン・ソウルに傾倒した珠玉の音楽を作り上げ、さらにその後にはなぜか突然全編フェイク・ジャズというビックリな転身を図る。
かなりの偏屈な変人という噂だが確かに一筋縄ではいかない音楽遍歴を持っているな。ミュージシャン受けも良く元オレンジ・ジュースのエドウィン・コリンズや小山田圭吾も彼の大ファンだったという話も聞いたことがある。
パステルズなどのアノラック系ギター・ポップの元祖とも言えなくはないし、パンクの時代には地味扱いされてた音楽も他の時代には評価されまくってるというわけだ。

「Ambition」はオルタナティブ・チャートの1位を取った曲で彼らのパンク時代の代表曲。動いてる映像がないんでアレだが、たぶんライブ映像でもほとんど動いてないし面白くなさそうな顔して歌ってるだけ。初めて聴いた時は不安定な歌声に不安になったが先の展開が読めない曲調とちゃんとカタルシスのあるサビでファンになったよ。何とも言えない魅力があるんだよね。ジーザス&メリーチェインもこの曲のカヴァーをやってたな。それにしても野望というタイトルには全く似つかわしくないバンドだなあ。

後にティアドロップ・エクスプローズのメンバーとして知られるようになるデヴィッド・バルフとアラン・ギルがパンクの時代からやっていたのがデレク・アイ・ラブ・ユーという変わった名前のバンド(ユニット?)だ。1980年代以降の音源しか残ってないのでどんな事をやっていたか不明だが、デヴィッド・バルフはリヴァプールの音楽界で非常に著名な人物、いたるところでその名前が出てくるな。
最も有名なのは伝説的パンク・バンドだったビッグ・イン・ジャパンのメンバーだった事だ。ビル・ドラモンド、イアン・ブロウディ、ジェーン・ケーシー、ホリー・ジョンソン、バッジー、そしてデヴィッド・バルフなどが在籍していた。
名前を知らない人が読んでも「?」だろうがメンバーのほとんどが後の80年代には有名人になるから伝説的と言われていたわけだ。
いちいち書くとものすごく長くなってしまうから昔に書いたこの記事を参照して頂きたいが、何とこの記事にも別のリンク参照してくれと書いてるな。昔から割といいかげんなROCKHURRAHだった事がよくわかる。
こういう伝説的バンドだったんだが、中でもバルフはティアドロップ・エクスプローズやリヴァプールの数多くのバンドをリリースしていた中心的レーベル、Zooレコーズをビル・ドラモンドと共に立ち上げて、カメレオンズというプロデュース・チームもやっていたヒットメーカーだった。
その後にはブラーやシャンプー、ジーザス・ジョーンズなどを抱えるFoodレーベルのオーナーとして君臨していた。ミュージシャンとして稼いだリヴァプールの著名人はたくさんいるが、レーベル・オーナーとしてここまでビッグになった人はあまりいないのじゃなかろうか?

さて、デヴィッド・バルフから1000ポンド貰いたいくらいに宣伝してしまったが彼がデレク・アイ・ラブ・ユーに関わっていたのは初期だけで、その後はアラン・ギルの方が主導で地元のミュージシャンと共に細々とやっていたという印象。
一緒にやっていたメンバーの中には後にオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークで大成する二人も関わっていたり、細々の割には比較的豪華。
時代によって聴いた印象も随分違うが、初期の頃はチープでか細いエレクトロニクスを多用するようなバンドだったが中心のアラン・ギルがギタリストなのでいわゆるエレポップと初期ニュー・ウェイブとの折衷のような音楽だった。

ところが(やっと本題に入ったが)1983年に出たこの「Ambition」で突然にメジャー志向のダンサブルなエレクトロニクスに大変身。あまりいないとは思えるが従来からのファンをビックリさせるような加齢で、じゃなく華麗で派手な音楽を見事に完成させた。
ヒプノシス(レコード・ジャケット・ワークを手掛ける有名なアーティスト集団)によるジャケットも明らかにメジャー志向。
ティアドロップ・エクスプローズの時はいなくてもいいとまで思われていた(あくまでROCKHURRAHの個人的感想だが)アラン・ギルに一体何が起こったのかは不明だが、これはまさにタイトル通り「野望」を感じる80年代的ダンス・チューンの決定版。
大音量でかけると聴いてるのが恥ずかしくなるくらいにキメキメの予定調和に満ち溢れた曲だが、本気出せば地味なバンドでもこれくらいは出来るもんだな、と感心したよ。が、そんな大きな野望を秘めた曲だったが、たぶん全然ヒットもしなかったように記憶する。このビデオも全然プロモーションビデオじゃない雰囲気だしなあ。

ひとつひとつを軽く流せばもっと数多くの同名異曲を紹介出来たはずだが、思ったより細かく書いてしまったな。まだネタはあるからこれからまたパート2とかやりそうな予感だよ。

ではまた来週、Tot ziens(オランダ語で「さよなら」の意味)。