ふたりのイエスタデイ chapter06 / Bill Nelson’s Red Noise

【チープな未来主義に満ち溢れた、大好きなジャケット】

ROCKHURRAH WROTE:

誰でも少年少女時代にその後の自分の生き方のルーツとなる事柄を見出すとは限らないが、人はさまざまなものに影響を受けて自分を形成する。
子供の時からそれが首尾一貫する場合もあるし、輝いているものがその時によってコロコロと変わる人もいる。
ROCKHURRAHの場合はそれが良かったのかどうかはわからないが、ずーっといつまでも変わらない部分があって、しかもある程度以上に間口を広げることがなく、進化も発展もないままだ。
少年時代に出会ったパンクやニュー・ウェイブという、これから先にもうリアルタイムでは生産される事がない音楽にずっと入り浸った標本みたいなもんか?

そんなROCKHURRAHのルーツを語ってゆくのがこの「ふたりのイエスタデイ」というシリーズ記事だ。
今回はROCKHURRAHの原点とも言えるアーティストについて語ってみよう。

いつも自分の周りに70年代ロックがかかっている、そして部屋の中のすぐ近くにギター2、3本は置いてあるような家庭でROCKHURRAHは育った。だがしかし、悲しいことに古いロックが大好きな二人の兄からの影響はあまり受けてなくて、洋楽に目覚めた最初の頃はプログレッシブ・ロックなどを聴いていた。
少し成長して自分なりの音楽を模索していた頃に見つけたのがスティーブ・ハーリィ&コックニー・レベルとビー・バップ・デラックスの2つのバンドだ。この2つからの影響が今のROCKHURRAHの音楽嗜好のルーツだと言える。コックニー・レベルについてはこの企画「ふたりのイエスタデイ」の第一回で書いたな。だから今度はビー・バップ・デラックス=ビル・ネルソンについて。

最初に知ったのはやはり兄からの勧めだったと思うが、家にはレコードは一枚もなかった。同じ頃にロックに傾倒していった友達、K野とその頃に良く行ってたのが小倉(福岡県北九州市)の東映会館裏にあったダウンビートという小さなレコード屋だった。断っておくが現在の小倉の市街地とたぶん全然配置が違っているはず。この店は今でもあるのかも知れないが、ROCKHURRAHがまだ小倉に住んでいた頃はその場所にあったのだ。
ん?東映会館もうないのか?
今の小倉に住む若手にも話が通じないかもね。

いつものごとく話がそれたがそのダウンビートという店で初めて買ったのがビー・バップ・デラックスの5枚目のアルバム「ライブの美学」という7インチ・シングル付きの国内盤だった。
青年時代以降ならばすぐにわかるフリッツ・ラングの「メトロポリス」に出てきた女性型アンドロイドがジャケットに使われたこのアルバム、当然ながら買った当時はそんなもの知る由もなかったが。
ちなみに2回も店名出した割にはこの店の思い出は特になくて、買ったの覚えてるのはこの一枚のみ。普通の小さなレコード店だったなあ。

ビー・バップ・デラックスは1974年、コックニー・レベルよりもさらに一年遅れでレコード・デビューした英国のバンドだが、初期はコックニー・レベルと同じように遅咲きのグラム・ロック・バンドという扱いだった。
ただ、他の典型的グラム・ロックと少し違う点はビル・ネルソンというギタリスト兼シンガーが目指す世界が彼のSF的嗜好を反映したもので、歌詞もタイトルも音楽もかなりSFっぽいのが特徴。
そのSFも高尚なものではなく、例えて言えば40〜50年代の人が思うレトロなSF漫画的未来だったりする。
彼らの4枚目のアルバム「Modern Music」でビル・ネルソンが腕にはめているのは腕時計型のTV、もしくは受信機のようなものでApple Watchの登場を遠い昔に予見したもの。・・・しかしその大きさが予想外の巨大なものでちょっと笑ってしまう。このアルバムが出た数年後には薄型のデジタル時計を誰でもつけていたし、彼の予見した未来よりも現実のテクノロジーの方がずっと早かった、という図。

そういうイメージもあって特に日本ではこのバンドは割と不遇な評価を同時代には受けていた。ボウイーやマーク・ボランほどのスター性はなく、ブライアン・フェリーやスティーブ・ハーリィほどの異色さがない、器用貧乏のような印象だ。
しかしビル・ネルソンのギターは当時のどのギタリストよりも美しく、無駄がないメロディアスなものだった。
後の時代のニュー・ウェイブにかなりの影響を与えたのは間違いないだろう。

そのビー・バップ・デラックスのライブ盤をいきなり買って聴いたのが全ての始まりだった。曲もビル・ネルソンのギターもポップでカラフルだけどまさにタイトル通り「ライブの美学」にあふれたもの。
当時のロック・ギタリストとは一線を画する流麗な音色に痺れて、たちまちファンになった。そしてROCKHURRAHはビー・バップ・デラックスの他のアルバムを買い漁る・・・というわけにはいかなかった。
彼らは大手レコード会社、東芝EMIから全てのレコードが国内盤で出ていたけどリアルタイムで追いかけてたわけではなく、ファンになったのも解散後の話だ。
しかも地方都市なもんだからロクなレコード屋がなかったので、小倉中を探してもレコードは見つからない。一枚くらいは見つけたけど、それと先のライブ盤を擦り切れるほどに聴き込んだものだ。

かつての記事で書いた福岡の輸入レコード屋行きをする前の時代だったから、そこまで行動範囲も広くなかった。当時東京にいた兄に頼んで買ってもらい、帰省の時に受け取るというような事をして一枚一枚、どうにかして集めたもんだ。この頃のレコードにかけるエネルギーは今考えてもすごかったよ。
やがて全部のレコード、といってもたかが6枚のアルバムなんだけど、その全てを手に入れた。

大筋には関係ない話だけどここでひとつ。
ライブ盤の内袋には化粧したビル・ネルソンの横顔が写っていて非常にカッコイイ人だと思っていたんだが、これはあらゆる写真の中で最も写りが良い奇跡の写真を使っているという事が全部のレコードを手に入れて判明した。本来のビル・ネルソンはあごのしゃくれ方と目つきが特徴的で、心の中では「傷だらけの天使」に出てた頃のショーケンにちょっと似てる(上の写真、一番右)と思っていた。

左の写真がデビュー当時から現在に至るまでのビル・ネルソンの顔の変遷ね。
彼の音楽やギターに関する記事はたくさん出てくるけど、顔やファッション・センスについてあまり書く人がいないから、ウチらしくちょっと書いて見たよ。全盛期の頃はまるで70年代の芸人か明智小五郎をやってた時の天知茂か、という幅広ネクタイのスーツ姿、とてもこれでグラムロック出身者には見えないな。

ビー・バップ・デラックスの最後のアルバム「プラスティック幻想」はもうとっくにパンクもニュー・ウェイブも始まっていた1978年の作品だが、彼らのこれまでの音楽とはちょっと違っていて、ほとんどニュー・ウェイブと言ってもよい音楽が展開してゆく。冒頭の「電気じかけの言葉」はまるでラ・デュッセルドルフのようだし「新たな精密度」のギター・ソロはかつての美しいメロディよりも実験的でアヴァンギャルドなもの。トータルな完成度が非常に高いアルバム作りをするバンドと定評はあるが、中でもこのアルバムが彼らの最高傑作だと思っている。

さて、ようやくここで扉の写真にたどり着く。
ここまでの話が長かったにゃー。
ビー・バップ・デラックスを解散させた後のビル・ネルソンが次に始めたのがこのレッド・ノイズなるバンドだ。後期ビー・バップ・デラックスのキーボード奏者アンディ・クラーク、そしてビルの実弟でサックス奏者のイアン・ネルソンなどが参加してアルバム「Sound On Sound」(トップ画像)を1979年に発表した。
このバンドはビー・バップ・デラックスのラスト・アルバム「プラスティック幻想」の構想をさらに高密度で凝縮させたSFデジタル・パンクといった音楽で、これまでにないアグレッシブなものだった。

髪型も思い切ってバッサリ短くして楯の会みたいな軍服(というより学ランみたいなものか?)を全員で着用、その辺のイメージ戦略も今までとは違うからビックリした。
そこにはかつてのビル・ネルソンが得意としていた調和の取れたギター・ソロもなく、断片的な素材がそのまま短い楽曲に詰め込まれた印象があり、初めて聴いた時はその勢いに衝撃を受けたものだ。

専門のミュージシャンのサポートを受けずに彼自身がほとんどの楽器を担当した曲もあり、そのDIY精神が後の宅録ソロへ続く過程となっている。

「Sound On Sound」を一体どこで手に入れたのか、肝心なところを覚えてないが、このジャケットを見た瞬間に全身に電撃が走った。ラジカセとタイプライターと辞書でロボットを表現するとは一本取られたよ。
「まんが道」で藤子不二雄が水のグラスを通して見た机の上の文房具で未来都市の風景を描いた、というエピソードを思い出してしまった。
この写真は70年代の広告写真などで知られる十文字美信の撮影ということだが、松下電器によるもの。
実際に松下電器のナショナルだったかテクニクスだったかパナソニックだったかのポスターで使われていて、先に書いた友人K野の家に行く途中の電気屋の表に貼られていた。これを見て二人で「おぉ、ビル・ネルソン」と狂喜したものだ。

このジャケットが使われたのは確か輸入盤だけで、国内盤は真ん中にRED NOISEの文字だけが拡大されたシンプルなジャケットだった気がする。たぶん国内盤の発売元が東芝EMIなのでライバル松下のポスターなんか使っちゃいかんぜよ、というような事情だったのかね?違ってたらごめん。
この国内盤は一曲目「Don’t Touch Me!I’m Electric」にちなんで「触れないで!僕はエレクトリック」という恥ずかしい邦題だったなあ。ヘアカット100の「好き好きシャーツ」もひどいが、この時代の邦題やレコードの帯の謳い文句はかなりヘナチョコなので本当はそういう特集もしてみたいな。

書きたいことの数10%は削って高密度で凝縮させた文章にしたつもりだったが、さすがに付き合いの長いアーティストを書くと長くなってしまうな。前置きが長すぎて肝心のレッドノイズ部分がアッサリし過ぎ?
でも疲れたのでまた今度ね。

ビザール・ショッピングバッグ選手権!16回戦

【デ・ラ・ソウルの「Shopping Bags」】

SNAKEPIPE WROTE:

昔はよく電車の中で見かけた、ティファニーのショッピングバッグ。
水色が変色してボロボロになっているのに、後生大事に持ち歩いている女性を何人も見たものだ。
「私、ティファニーで買い物したんだから!」
と誇示したかったんだろうね。
確かにお洒落なショッピングバッグだと、包んでもらって渡されると嬉しいし、そのまま取っておくことも多い。
SNAKEPIPEは紙袋を持ち歩く習慣はないので、ボロボロになるまで使うことはないけど。(笑)
ショップで使用するお店専用の袋は、たいていの場合その店のロゴが入っていて、持っているだけでステイタスを感じる場合もあるだろうね。
前述したティファニーみたいに。
以前はファッション業界について多少の知識はあったけれど、最近はすっかり疎くなっているので、トレンドについてもほとんど知らない。
当然ながらショップの袋も分からないなあ。

世界のビザールな逸品をご紹介する「ビザール・グッズ選手権」、 今回はショップで使用するショッピングバッグについて特集してみたいと思う。
今どきについては分からなくても、ビザールには興味あるからね!(笑)

海外のショッピングバッグはユニークなタイプが多いね。
 では最初は持ち手を工夫したデザインから見ていこうか。
「FITNESS COMPANY」とロゴが入っているので、フィットネス関連の会社だと予想できるよね。(当たり前か)
持ち手がバーベルになっていて、それを軽々と持ち上げているように見えるところがポイント!
会社(ショップ)の特性を前面に打ち出した秀逸なデザインだと思うね。
このショッピングバッグの素材が紙なのか、ビニールなのかは不明。
そして何かフィットネス用品を購入した際に渡されるのか、通っている人用のバッグなのかも分からないけど、ちょっと欲しくなってしまうね。(笑)

 こちらも持つことで生きるデザインね。
うひゃー、輸血しながら歩いているなんて!
と勘違いしてしまうよね、これは。(笑)
「VOLUNTEERS NEEDED」と書いてあるので、「ボランティア募集」だね。
献血の呼びかけということなのかもしれないね?
ということは、輸血じゃなくて血が抜かれてる状態を表しているのかも?(笑)
献血とデザインが見事に融合されていて、こちらも良いね!
SNAKEPIPEは貧血気味なので、 今まで一度も献血したことないけど、こんなバッグもらえるならやってみたいね!

 持ち手を上手に使ったこちらはいかが?
一番初めに紹介したフィットネスクラブに通じる縄跳びのヒモを持ち手にしたショッピングバッグね!
下がっていても、上がっても絵になるところがポイント。
YKMと書いてあるので調べてみると、商品デザインやWEBデザイン、アプリの開発などを行っている会社みたいだね。
なるほど、そんな会社なら抜群のセンスで人目を引くショッピングバッグ作れるよね!
さすがだな、と感心しちゃうよ。(笑)

 同じようにヒモがポイントになっているけれど、かなりブラックな印象のショッピングバッグもあったよ!
眠っているようなおじいさんのポートレートがプリントされているだけなら、そんなに不思議じゃないけど?
なんと持ち手を引っ張ると!
おじいさんの首にロープがかかってしまうんだよね。(笑)
このショッピングバッグにはロゴが見当たらないので、詳細は不明。
おじいさんの顔が安らかなところが救いかな。(笑)
もしおじいさんが悶絶の表情だったら、犯罪めいて怖いもんね!

 ギョッとしちゃうショッピングバッグもあったよ!
えっ、そんな見せちゃって良いの?
と思わず目を疑ってしまうほどリアルな女性の下半身がプリントされているよね。
この写真は狙って撮影されたに違いないから、ぴったりバッチリな位置にバッグを抱えているから余計にドギマギしちゃう。
写真が小さくてどのショップで使用しているのかを探すことができないのが残念!
日本では見かけないセンスだよね。
目立つことは間違いないなし!
お店の宣伝にはもってこいだけど、持つ人はちょっと恥ずかしいかも?

今回紹介した5つとも、どれも一捻りしてあって面白いデザインだったよね!
無地にお店のロゴだけ入ったシンプルなショッピングバッグが主流だけど、せっかくなら個性をアピールして、ショッピングバッグ目当てのお客さんが来るくらいのデザインにしても良いのでは?
きっと世界には他にも面白いショッピングバッグあるだろうね。
また特集してみたいと思う。

野又穫 展 「Ghost」浮遊する都市の残像 鑑賞

【展覧会告知ポスターを撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

かつて新宿で働いていた時、週に1度は必ず青山ブックセンターに立ち寄り、日本の写真家や読み方も分からないような外国のアーティストの画集や写真集を鑑賞していたSNAKEPIPE。
どうしても自分の物にしたい時には、値段に関係なく購入することにしていた。
食事よりも写真集が大事だったんだよね!
ある時、ふと目に止まったのが左の画集。
表紙に全く日本語が書かれていないので、恐らく外国のアーティストだと勘違いして観ていたはずだ。
ページをめくるうちに手が震え、心臓がバクバクしてきたことを覚えている。
何故なら、その画集にはSNAKEPIPEが撮りたいと思っている景色や建築物がそのまま表現されていたから!
最後のページまで鑑賞し、その作者が日本人と判り驚いた。
よくよく見れば、「のまた」と書いてあるじゃないの。(笑)
もう居ても立ってもいられない!
値段もちゃんと確認しないままレジに向かい、画集を購入したのである。
自分でもどうしてなのか分からないけど、ものすごく急いで帰宅し、慌ててもう一度鑑賞したっけ。
画集や写真集を購入したからといって、作品が自分の物になるわけじゃないけど、いつでも手に取って鑑賞できる安心感が重要だったんだね。

そんな衝撃的な出会いをしたアーティストの展覧会が「二人のホドロフスキー 愛の結晶展 鑑賞」で初めて行ったアツコバルーで開催されている。
野又穫 展 「Ghost」浮遊する都市の残像をとても楽しみにしていたSNAKEPIPE。
友人Mと待ち合わせ、ROCKHURRAHも加わった例の怪しい3人組、再びアツコバルーに参上である。(笑)
前回お邪魔した際に、写真撮影やブログへの掲載も快く承諾して頂いたアツコバルーの美人さんと入り口でバッタリ!
美人さん、相変わらずキュート、お会いできて嬉しいわ。
怪しい3人組を覚えていてくれたようで良かった。(笑)

ここで簡単に野又穣氏のプロフィールをご紹介してみようか。

1955年  目黒区の染物屋に生まれる
1975年  東京芸術大学美術学部入学。形成デザインを専攻
1978年  安宅賞受賞
1979年  東京芸術大学美術学部デザイン科卒業 マッキャンエリクソン博報堂へ入社
1984年  マッキャンエリクソン博報堂を退職し独立
1995年  第45回(平成6年度)芸術選奨新人賞美術部門受賞(文化庁)
2007年  第17回(平成18年度)タカシマヤ美術賞受賞
2014年  女子美術大学芸術学部デザイン・工芸学科ヴィジュアルデザイン      専攻教授

なんとも華々しい経歴だよね!
芸大から広告業界にいたとは知らなかった。
やっぱりその辺りが日本人離れしたセンスの良さと関係あるんだろうね。

「Ghost 浮遊する都市の残像」展会場に入ると、先客が数人いたけれど、ゆっくり自分の好きなペースで観ることができた。
アツコバルーの室内は天井にパイプが這っているインダストリアルな雰囲気なので、野又穣氏の作品を展示するのにピッタリね!
作品に近付いてみると、筆の跡がわかる。
でも少し離れてみると、スーパーリアリズムのように精緻な作品にみえるところが不思議!
印刷物になると更に「まるで写真」にみえてしまうんだよね。(笑)

野又穣氏の作品は、どれも「行ってみたい」とか「目の前に立ってみたい」と思ってしまう建築物が描かれている。
非常に気になる階段や、小さな窓やドア。
SNAKEPIPE MUSEUM #3 Giorgio de Chirico」で書いた大好きな画家、デ・キリコに通じるシンメトリー構図。

 一体何のための塔なんだろう。
中で何が行われてるんだろう、
と想像するだけでワクワクする。

デ・キリコの建物に対しての感想を書いているけれど、野又穣氏の作品にも同じ感想を持ってしまうね。

ひと通り鑑賞し、飲み物を頂きながら野又穣氏の画集を観て談笑していると、アツコバルーの美人さんが話しかけてくれた。
そして教えてもらったのが、今回の展覧会の作品はほとんどが2014年制作だということ。
30点以上の作品が今年描かれているとは、そのスピードに驚いてしまうね!
更にテーマが渋谷だということも教えて頂いた。
もちろん渋谷そのものを描いているのではなくて、野又穣氏の空想としての渋谷という意味でね!
SNAKEPIPEが疑問に感じていた「動物」についても簡潔に答えて頂いて、大笑いしてしまったよ!
まさかそんな意味だったとはね!(笑)

今まではアクリル絵の具を使っていたけれど、「Ghost」では油絵だったというのも教えて頂いた。
「油絵、良いねえ」
と芸大出身の野又穣氏が言っていたというからビックリだよね。(笑)
展示作品はどれもカッコ良くて美しかったけれど、SNAKEPIPEが非常に気になったのは、野又穣氏が朝日新聞に連載しているというドローイング!
上の画像は今回の展覧会にはなかった作品だけど、鉛筆で描かれてるんだよね。
色鉛筆で着色されている作品もあって、身近な道具でこんなに素敵な絵を生み出せるなんて!
嫉妬してしまうよね、この才能!(笑)

 帰宅後、かつて写真撮影に夢中になっていた頃の自分の写真を引っ張りだしてみた。
左の写真は写真学校に通っていた頃に撮った一枚で、モノクロームのフィルムを使っていた写真をデジタル化したもの。
現像も焼き付けも自分でやっていた。
フィルムの魅力はたくさんあるけれど、現像してみないと何が写っているのか分からないドキドキ感があったことが一番かな。
左の写真は撮影している時から興奮していたけれど、現像して焼き付けてからも嬉しかった記憶がある。
この写真、ちょっと野又穣氏の作品っぽいよね?(笑)
こんな風景を追い求めて休日の度に撮影していたあの頃。
SNAKEPIPEも若かったねえ。(笑)

アツコバルーの美人さんが教えてくれた情報に、野又穣氏が震災によって意識が変化した話がある。
震災前は建築物というのがどっしり構えていて揺るぎないものと思っていたけれど、震災によって認識が変わったというのだ。
地震による津波で今まであった物全てが簡単に流され、崩壊してしまったことは日本人なら誰もが知っている事実だからね。
そのため「Ghost」では、モヤがかかっているように浮遊しているのだという。
確かにSNAKEPIPEが観てきた野又穣氏の作品は、全ての建物がしっかり地に建っていたから、その違いは大きいよね。

2012年に大好きな写真家畠山直哉氏の写真展「Natural Stories」を鑑賞したけれど、畠山直哉氏自身が震災に遭っているために、観ていて辛くなる写真が並んでいたことを思い出す。
鑑賞した写真展や展覧会は記録の意味もあって、ブログに残すことにしているSNAKEPIPEが「書けない」と感じてしまった唯一の展覧会なんだよね。
崩壊の美学とでも言ったら良いのか。
畠山直哉氏の写真も日本人離れした感性と抜群の色や構図で、SNAKEPIPEを魅了した作品を数多く発表してきた写真家だったのに、震災の影響でその感性に変化が生じたようで非常に残念に思っている。
そして実はSNAKEPIPEも、崩れていく様や廃墟に魅了されていたのに、震災後にその美を疑うようになってしまったのである。
今でも大好きな崩壊や廃墟だけど、 同時にあの時の映像や記憶が蘇ってきてしまう。
自分の身内も友人の誰一人も被害に遭っていないのに、である。

SNAKEPIPEには3月11日が誕生日の友人がいて、毎年「おめでとう」を言うのが習慣になっている。
2012年に「おめでとう」を言うと
「この日のおめでとうは言いづらいでしょ?でもね、私は再生の日と考えることにしたから、ありがとうと言うね」
と答えてくれた。

野又穣氏は認識の揺らぎを見事に昇華し、表現しているんだと感じた。
きっとSNAKEPIPEの友人と同じように、自分の中で震災の折り合いがついているんだろうね。
画集でしか観ていなかったアーティストの作品を肉眼で観ることができて、本当に嬉しかったな!
アツコバルー、面白そうな企画がこれからもあるので、また行ってみたいと思う。
今回もまた撮影許可して頂いてありがとうございました!
アート談義、とても楽しかったです。(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #29 Wangechi Mutu

【「Riding Death in My Sleep」2002年の作品】

SNAKEPIPE WROTE:

今回のSNAKEPIPE MUSEUMはアフリカのケニア出身のアーティストをご紹介してみよう。
アフリカ系といえば「SNAKEPIPE MUSEUM #19 Kendell Geers」で特集したのが南アフリカのケンデル・ギアーズがいたっけ。
恐らく日本で開催される現代アート展では、アフリカ大陸からの作品を目にすることは少ないと思う。
そして自分の好みのアーティストに出会える確率も非常に小さいよね。
Wangechi Mutuの作品に出会った瞬間、ハッとした。
色使いも構図もモチーフも、とても新鮮に感じたのである。
調べてから初めて、ケニア出身の女性だと解り驚いた。

ワンゲチ・ムトゥは1972年ケニアのナイロビ生まれ。
現在はニューヨークのブルックリンに住んでいるという。
どうしてもケニアと聞くと、広大なサバンナと野生動物を思い浮かべてしまうけれど、ナイロビのロレト修道院で教育を受けた後にはウェールズのユナイテッド・ワールド・カレッジで学んだというから、10代でイギリスに渡ってるのね。
1990年代にはニューヨークに移り、エール大学を卒業したのが2000年とのこと。
ずっと社会研究やアートと科学について勉強していたというから、最初に書いた「広大なサバンナ」のイメージとは大きく異なっているようだね。

作品もアメリカ、イギリス、ドイツ、モスクワなど、世界各国で展示されているようで、どうやら2006年には森美術館で「アフリカ・リミックス展」として開催された展覧会にも参加していたことを今更ながら知ったSNAKEPIPE。
さすが、森美術館は早いね!(笑)

ワンゲチ・ムトゥがどんな女性なのか気になって画像検索してみたら、あらまびっくり!
ファッショナブルで知的な美女だったの!
ダイアナ・ロス(左)に似てると思ったんだけど。
右がワンゲチ・ムトゥなのね。
どお?似てない?(笑)

ワンゲチ・ムトゥの作品は、ネット上で見ていると判り辛いんだけど、描いている部分に写真を組み合わせたコラージュがほとんどなんだよね。
SNAKEPIPEも現物を見ていないのでハッキリ言い切れないんだけど、拡大して見ると明らかに写真が使われているのが判る。
左は「Family Tree」(2012年)というコラージュ作品。
例えば手だったり、目の部分に写真が使用されているよね。
SNAKEPIPE MUSEUM #22 Hannah Höch」で特集したダダの女流アーティストであるハンナ・ヘッヒもフォト・モンタージュで素晴らしい作品を完成させていたよね!

フォト・モンタージュをマネして作ってみようと
思った場合、今だったらフォトショップなどを使用して、
レイヤーを部分的に消したり、重ねたりすれば
なんとなくそれらしいものは作れるだろう。
表面的な技法を取り入れることは可能なんだけれど、
ハンナ・ヘッヒが作っていたような作品とは
まるで違うものになってしまうのがオチだ。

とSNAKEPIPEは書いている。
その時代の空気感を纏い、情熱の持ち方が作品に反映され、重要なエッセンスになっていたのではないか、とも続けて書いていて、もうあんな作品を作ることなんて不可能だろうと思っていたんだよね。
ところが、ワンゲチ・ムトゥは最近の雑誌から切り抜いた写真を使用して、上のような作品を制作しているというから驚いちゃうよね!
ワンゲチ・ムトゥにはダダの影響もあるのかもね?

ケニア・ナイロビをあえて前面に打ち出しているような作品もある。
「Misguided Little Unforgivable Hierarchies」
(2005年)は直訳すると「小さな許しがたい階層の間違った指導」になるのかな?
訳が難しいんだけど、なんとなく言いたいことは判るよね?
人種問題、性差別問題、奴隷制の問題など、恐らくワンゲチ・ムトゥは差別についての問題を作品に含ませているんだろうね。
モチーフに女性を多様していることからも、自らが女性であり、アフリカ系であるということで訴えたいことがあるんだろうなと予想する。
ただしSNAKEPIPEは、 そういった主義主張について理解したいわけではなくて、作品を観て「好き!」と思った、ということを一番に考えているので、あんまり作品やタイトルについて調べなくても良いのかもしれないなあ。

アフリカっぽさだけじゃなくて、アジアを感じる作品もあるんだよね。
「The Bride Who Married a Camel’s Head」(2009年) は「駱駝頭と結婚した花嫁」と訳して良いのかしら?
花嫁といっても、ちっとも晴々しくなくて、手には何やら血飛沫が上がった物体があるし、花嫁の肌色もどす黒いし、髪の毛は蛇だし。
グロテスクで禍々しい雰囲気が素晴らしい!
背景の空間の使い方が秀逸で惹かれてしまうね。
パッと観た時にはヒンドゥー教の絵なのかと思ってしまったSNAKEPIPE。
他に思い出したのはワヤン・クリッ(Wayang Kulit) の人形かな。
ワヤン・クリッとはインドネシアのジャワ島やバリ島で行われる、人形を用いた伝統的な影絵芝居のこと。
そこで使われている人形に上の作品が似ているように感じたけれど、どうだろう?

ワンゲチ・ムトゥは、コラージュ作品だけではなく、彫刻やビデオ作品も手がけている。

「The End of eating Everything」(2013年)を観ることができるので載せてみようか。
現代アートのビデオ作品には、意味不明のものが多いので敬遠しがちだけど、この作品は時間も長くなくてストーリーもあって判り易かった。
ちなみに出演している女性はワンゲチ・ムトゥ本人ではないみたいよ。

ワンゲチ・ムトゥの特徴であり最大の魅力は異種混同。
それは人間と動物のハイブリッドだったり、機械と人の融合や土着的な題材と現代的な題材のミクスチャーだったり。
大陸や人種、宗教までもミックスされている面白さがある。
だからこそ国や人種の違いを超えて、どこかに懐かしさを感じるのかもしれないね。
観たことがあるような、初めて観るアート。
また森美術館でワンゲチ・ムトゥ展、企画してくれないかしら?(笑)

アフリカ大陸はまだまだ未知なので、これからも探索してみたいよね。
他の国のアーティストももっと調べていきたいな!