AIのコリーダ

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【初シリーズがやっと登場。藤竜也じゃないよ(古い)】

ROCKHURRAH WROTE:

実に・・・実に久しぶりの登場になるROCKHURRAHだが、書いてる本人も一番最後に書いたのがいつだったか覚えていないほど。

最近のITトレンドとかにはすっかり疎くなってしまったから、いつ頃にそういうサービスやアプリケーションが登場したのかわかってないが、個人的にツボにはまって楽しんでいるのが、いわゆるAI(artificial intelligence)、人工知能によるお絵かきを使って遊ぶことだ。

プロンプトと呼ばれるキーワードのようなものを入力すると全自動でアートっぽく見えるものが出来上がる、というようなシロモノをたまたま知って、ROCKHURRAHはひたすらにテキトウな語句を入力して遊んでいるだけだ。
本来の使い方は不明だが、こういうのを使っていかにリアルな人物やCG美女などを作ったかを競うようなギャラリーもあり、ROCKHURRAHの思うようなアートとは無縁の世界だなと感じる。

しかし使い方次第では魅力的な画像生成AIについて、きっと色々なクリエイティブ業界で賛否両論分かれて大真面目に論争していたりするんだろうな。

音楽の世界でもAIで「誰々風」みたいな楽曲が作れるようなのがあって、前に誰かが作ったニック・ケイヴ風の音楽を本人が完全否定して「問題外」と言ってた、というような記事をどこかで読んだことがあるよ。
うーん、ニック・ケイヴという個人名以外は全て何だったか覚えてないから、「誰かが」とか「どこかで」とかあやふや極まりない引用になってるな、書かなきゃ良かったレベル(笑)。

時間と精魂込めて作品を作ってる人から見たら「こんなの芸術でも何でもないよ」と言われること間違いないだろうけど、手軽にそれっぽく作れるならば、AI技術に賛成する人も多いだろうな。
ウチとしてはNHKドキュメンタリーのようにこういう技術の発展にYESだNOだと意見するつもりもないので、ただこういうので遊んでみましたよん、というだけの記事を書いてみよう。

ROCKHURRAH的な使い方としてはこのプロンプトに、例えば好きな80年代バンドの曲名や歌詞を入力したらどんなものが出来上がるか?という興味があったので試してみた。
本当はまだまだ実験、研究段階なんだけど、ブログネタとしては割と面白いと思ったので今後シリーズ化してみたいと思ってるよ。
シリーズ・タイトルはズバリ「AIのコリーダ」。
最初は「AIと青春の旅立ち」とか「AIの不時着」なども考えたがどうもしっくり来なくてコリーダにしてみた。
大島渚でもクインシー・ジョーンズでもなく、スペイン語の闘牛(コリーダ)に着目したというわけだ。
つまり毎回ひとつの「お題」に沿って、1人のAI画伯×1つのアーティストによる真剣勝負で生成した画像を展示するという構成にしてみたのだ。
そこまで深い考えがあるとは誰も思ってないような安易なタイトルだったな。

さて、記念すべき第一回ということで、個人的に多くの影響を受けた、ROCKHURRAHにとっての原点とも言えるバンドを題材にしてみよう。

ビル・ネルソンズ・レッド・ノイズが1979年に発表した唯一のアルバム「Sound On Sound」が今回のお題だ。

邦題は「触れないで!僕はエレクトリック!」
当時は「何だこりゃ?」とみんなで笑っていたが1曲めのタイトルが「Don’t Touch Me(I’m Electric)」、今にして思えば真っ当で的確な邦題だったと言えるな。
日本盤のキャッチコピーが「21世紀の扉を開ければ、ほらそこはエレクトリック・ゾーン」などとあって、その辺の昭和感覚が懐かしい。
ROCKHURRAH世代が子供の頃に夢見た未来世界と現在はまるで違うからな。

1970年代前半にイギリスで生まれ世界的にも広く流行したのがグラム・ロックというジャンルだ。
誰もが知っているデヴィッド・ボウイやTレックス、ロキシー・ミュージックなどを代表とする、音楽とファッション、ヴィジュアルが合体したムーブメントなんだが、王道を嫌うROCKHURRAHはコックニー・レベル、そしてビーバップ・デラックスなど日本ではそこまで大メジャーではないバンドに傾倒していった。
まだパンクが始まる2年ほど前の話だ。

コックニー・レベルやビーバップ・デラックスについてはウチのブログ記事「ふたりのイエスタデイ」でも特集しているから、そちらを読んでもらえればROCKHURRAHがいかにこの2つのバンドを愛していたかがよくわかるだろう。

ビーバップ・デラックスは1974年に「Axe Victim(美しき生贄)」でデビューしたヨークシャー出身のバンドで、化粧をしていたから最初はグラム・ロックの一派に挙げられていた。
ビル・ネルソンによるポップで美しいギター・サウンドやSFをコンセプトにしたトータルなアルバム作り、後のニュー・ウェイブに多大な影響を与えたバンドとして知られている。

そのビーバップ・デラックスの解散後、ビル・ネルソンはパンクや初期ニュー・ウェイブに触発されてレッド・ノイズを結成した。
メンバーはビーバップ・デラックスから引き継ぎでビル・ネルソンと行動を共にする舎弟アンディ・クラーク(デヴィッド・ボウイの「Ashes To Ashes」や「Fashion」などでシンセサイザーを担当)やビルの実弟イアン・ネルソンなど。
後にビル・ネルソンが展開する自宅スタジオでの宅録レコーディングでも彼をサポートしていたから、気心の知れた内輪で作ったバンドがレッド・ノイズだったというわけか。

レッド・ノイズはアルバム1枚だけ残して解散。
活動中にライブ・レコーディングを含むシングルは発表していたから、このバンドがスタジオ録音と変わらぬクオリティでライブをすることは知っていたが割と最近までレッド・ノイズのライブ映像はないものだと思っていた。
が、久しぶりに検索してみたら3曲もTV番組で演奏していて嬉しかったので今回のお題にしたというわけだ。

シングル「Revolt Into Style」のジャケットでも着ていた軍服や学ランのような制服は、おそらく未来社会の地球防衛軍とか何かの組織の制服、というコンセプトなんだろうな。
髪をばっさり切ってニュー・ウェイブっぽくしたビル・ネルソンの中には、自分こそが今(1979年当時)巷に溢れているニュー・ウェイブ、特にテクノやエレポップ、シンセ・ポップと呼ばれるジャンルの偉大なオリジナルの一人という自負があったに違いない。

今回はこのライブ映像で演奏される3曲を元にAI画伯に描いてもらおう。

やる前は「どうせこんなもの大したの作れないだろう」と思ってたのにいきなり好みの絵柄が出来てしまった。
使ってみたサービスのAIがなかなかに賢いからなんだろうが、これくらいなら「私の作品です」などと言いはる人もいるだろうな、と思えるレベル。
曲のタイトルや歌詞だけでは漠然としすぎてるから、ちょっとだけ秘密の言葉を加えると良い、などとどこかに書いてたからROCKHURRAHもそれに倣ってみたよ。

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ビデオの1曲目「Don’t Touch Me, (I’m Electric) / 僕はエレクトリック」というキーワードで作ってみたのがこれらの作品(?)

これを表現する画家は誰がいいかな?と考えた時に思いついたのがフランシス・ピカビアだったので、今回のAI画伯は全てピカビアもどきという事で展示するよ。

昔、「ロックマガジン」でそういう感じの企画があって、その時も確かビル・ネルソンとピカビアの組み合わせだったのを無意識に模倣してしまったようだと気づいたが、もう何十枚の画像を作った後なので許してもらおう。

フランシス・ピカビアは20世紀前半に活躍した画家で実家は金持ち(大使の息子)、フランスとスペインとキューバの血が入った生まれついてのコスモポリタン、放埒息子として割と自由に生きてきたらしい。
スピード狂で生涯に127台だったか172台だったかの車を買い替え所有していたというから、貧乏で不遇な芸術家とは無縁の趣味的なライフスタイルを満喫してたに違いないよ。
マルセル・デュシャンやマン・レイ、ギョーム・アポリネール、トリスタン・ツァラなどなど、交友関係も豪華。

その作品は印象派から始まりキュービズム、ダダイスム、機械の時代、怪物の時代、透明の時代、抽象の時代などなど、生涯で画風やスタイルを目まぐるしく変えた、捉えどころのない画家としても有名だ。
既成の枠を壊したという点で、そして活躍した時代的にもダダイスムの代表的な画家の一人として挙げられる事が多いが、ROCKHURRAHもこの時期のピカビアが最も素晴らしいと思っているよ。

ROCKHURRAHが作ってみたものはうーむ、本家のピカビアと比べるとカラフル過ぎという気はするが、機械の時代や怪物の時代という雰囲気のもちらほらあるな。
似てるとか似てないとか抜きにして個人的にはなかなか良いんじゃない?という気がする。

「Don’t Touch Me, (I’m Electric)」はレッドノイズの中で最もアグレッシブな楽曲。
ウルトラヴォックスの「Young Savage」や「ROckwrok」、XTCの「Radios In Motion」あたりのパンクから初期ニュー・ウェイブに通じる曲と同じような路線だと思うが、思ったほどにシンセサイザーなどの電子楽器が入ってないのにデジタルなパンクに聴こえるところがビル・ネルソンの面目躍如だな。
RCサクセションも「俺は電気」というタイトルでカヴァーしてたが「触れないで!僕はエレクトリック!」の方がよほど雰囲気あるよね。

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ビデオで2曲目にやっているのがシングルにもなった「Furniture Music / 僕はファニュチャー・ミュージック」だ。
ミュージックに対して一人称の「僕は」とつける邦題が意味不明だが、フランシス・ピカビアと交流のあった音楽家、エリック・サティの「Furniture Music」から発想を得たのは間違いない。カヴァーではない。

家具の音楽とはその名の通り、家具のようにそこに存在してても当たり前な、日常に溶け込む音楽という意味合いの曲で、後のアンビエント・ミュージックの元祖的なものだった。

ピカビアとサティは共にバレエ公演の仕事(舞台美術と音楽)をしていて、ルネ・クレール監督のショート・フィルム「幕間」にも仲良く出演している。

さてぃ、絵の方についてはタイトルにFurniture、Musicとついてるから楽器モチーフの絵柄が多いな。
この10枚でピカビアっぽさはほとんど感じないとも言えるが、これはROCKHURRAHが入力した秘密の言葉が失敗だったかもね。
このように必ずしも思い通りにいかないところが逆に意欲に繋がるけど、発想が貧困でもいい絵は描けてしまうところが怖い技術でもあるな。自分自身のセンスだと勘違いする人も多いだろうからな。

関係ないがROCKHURRAHの人生初のAI体験と言えば同じ世代の人ならばわかってくれよう、誰でも知ってる大ヒットゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズのIVだった。
今にして思えば子供だましのような学習機能だったが、これがAIというものなのか?と戸惑いながらも遊んでいた記憶があるよ。

ピカビア要素を気にしなければ結構好みの絵柄だと思うのを選んでみた。
自分じゃ何年かけても描けそうにないけど1枚を数秒で作ってくれるAI画伯、偉いよ。

ビル・ネルソンの方の「Furniture Music」はギターのソロもなく割と淡々とした曲調のもので、他にもいい曲がいっぱいでROCKHURRAHが青春時代には聴きまくっていた「Sound On Sound」の中では地味な曲。
ただ、シンセサイザーの音が少しでも多いというだけでテクノポップ(シンセ・ポップ)要素が強いという当時の風潮を考えてシングルにしたのかな?

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最後の曲「Stay Young / ステイ・ヤング」。
邦題が「僕はステイ・ヤング」じゃなくて逆に違和感を覚えるのはROCKHURRAHだけか。

スタジオ録音の原曲はパンクでニュー・ウェイブなのに途中で素っ頓狂なハーモニカのソロが入ってて、この辺の遊び心が好きだったんだよ。
ビーバップ・デラックスでもおもちゃの楽器や瓶、缶などで音楽を作ってたしな。
さすがにライブでハーモニカは登場しなかったが、レッドノイズのライブ映像が観られるだけでもファンならば歓喜すること間違いなし。

プロンプトの入力がイマイチだったのか人間男女の絵柄が多いけど、ほんのすこーしだけピカビアっぽさもあるのかな?
え?皆無?
今回の中では一番普通の絵画的な出来となったのが不思議でもある。
まあ贋作画家でもない限り、何々っぽいなどと簡単に言われたくはないし、真似するだけがAIでもないってことか。

本当はピカビアの絵は21世紀に生まれたこんなミクスチャー技術より遥かに斬新だったと言えるが、名前を出して申し訳ないというくらいのお粗末なもんでしたな。
画像をこんなに使ったのも初めて。

そうは言ってもこの可能性は追求したいと思ってるので、毎回似たようなのやってると飽きられてもまた書いてみたいよ。

では、マタオアゲモンソ(鹿児島弁で「また会いましょう」)

ふたりのイエスタデイ chapter22 /ジューシー・フルーツ

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【ジューシー・フルーツの1stアルバム「Drink!」】

SNAKEPIPE WROTE:

その訃報を知らせてくれたのはROCKHURRAHだった。
1月11日にイエロー・マジック・オーケストラの高橋ユキヒロが亡くなってしまったとは!
70歳なんて、まだまだこれからなのに。
強いショックを受けたSNAKEPIPEだよ。

学生時代、ポスターを作るという美術の授業があった。
その時SNAKEPIPEが制作したのは高橋ユキヒロのポスターだった。
YMOが世界で活躍していることがとても誇らしくて、メンバーの中で一番好きだった高橋ユキヒロをテーマにしたんだよね。
ケント紙を真っ黒に塗り、シルバーのスプレーで銀河を描き、音楽雑誌から切り取った高橋ユキヒロの写真を貼り付け、宇宙を散歩しているイメージにした。
「YUKIHIRO TAKAHASHI」を黄色でレタリングしたっけ。
今思えば、フォト・コラージュの手法を取り入れてたし、ちょっと横尾忠則風のポスターだよね。(笑)

テクノポップ全盛だった当時、ヒカシューと共にSNAKEPIPEの心を捉えていたグループがあった。
それはジューシー・フルーツ
紅一点、ギターでヴォーカルのイリアが大好きだったんだよね。
デビュー曲であり、最大のヒット曲「ジェニーはご機嫌ななめ」を載せておこう。

聴きながら一緒に歌ってしまうSNAKEPIPE。
学校での学芸会(?)でもイリアになりきって歌ったことも思い出したよ。(笑)
記憶によれば、プロデュースをしていた近田春夫は「幼稚園児のヌード」をコンセプトにしていたと語っていたはず。
今だとしたら問題発言になるのかもしれないけれど、当時のSNAKEPIPEは「バンドを表現するのにピッタリ!」と思っていたよ。
可愛らしい雰囲気のバンドだったからね。

デビュー曲の「ジェニーはご機嫌ななめ」以降は、地声で歌っているイリアは、元ガールズのメンバー。
和製ランナウェイズを目指していたらしく、お色気とロックをミックスさせたガールズ・グループでギターを担当していたみたい。
ってことはジョーン・ジェット役だね!(笑)

次はもう少しロック色が強い3番目のシングル曲「十中八九N・G」ね。
この曲も好きだったなあ!

ジューシー・フルーツは何度も解散と再結成を繰り返して、現在は活動中らしい。
バンドのサイトもあったので見てみると、今年の4月に「イカ天レコ発イベント」に出演するんだって!
何故今になって「いかすバンド天国」のレコード発売なんだろうね?
SNAKEPIPEが好きだったスイマーズも出るみたい。(笑)
ジューシー・フルーツと「いかすバンド天国」の接点が不明だけど、かつて好きだったバンドが活躍している様子を知るのは嬉しいね!

ふたりのイエスタデイ chapter21 /ヒカシュー

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【ヒカシューの1stアルバムは所持していなかったよ】

SNAKEPIPE WROTE:

2020年4月の「ふたりのイエスタデイ chapter18 /JAPAN」の中で「一番初めに行ったライブはJAPAN」と書いていたSNAKEPIPE。
ところが最近になってその記憶が勘違いだったことが分かった。
JAPANよりもはるかに昔、ヒカシューの野外ライブに行ってたんだよね!

ヒカシューとは1977年頃から活動している日本のテクノポップ・バンド。
P-MODEL、プラスチックスとともに「テクノ御三家」と呼ばれた、とwikipediaに書かれているよ。
ヴォーカルの巻上公一(画像中央)のキャラクターがインパクトあるんだよね。(笑)
その昔、インタビューを受けている巻上公一が「日本語をはっきり歌うことを心がけている」と話していたっけ。
SNAKEPIPEもよく覚えてるわ。(笑)
どちらかというとコミック・バンドの雰囲気があるヒカシューだけど、独特の個性を持った文学性の高い歌詞にも惹かれたんだよね!

そんなヒカシューのファンになったSNAKEPIPEの昔話をしよう。

まだ子供だったSNAKEPIPEは、同級生2人と共にライブ会場に向かった。
その2人は、特別ヒカシューのファンではなかったので、単なるお付き合いだったと思う。
電車を乗り継いで行ったはずなので、両親の許しを得て子供だけでよくたどり着けたもんだよ。(笑)
そしてどのようにしてライブの情報を知ったのか。
今となっては全く覚えていないけれど、ヒカシューのライブを観たことだけは確かだよ。
友人2人は、「もっと近くに行かなくて良いの?」と気遣ってくれたけれど、首を横に振る。
現地にいることや動いているヒカシューのメンバーを目の当たりにしていることだけで興奮していたため、遠くから眺めているだけで満足だった。
あの時のことを失念していたとは、SNAKEPIPEも駄目だねえ。(笑)

あの時から何十年経ってるんだろう。
今でも時々頭をよぎるヒカシューの曲。
当ブログにも、SNAKEPIPEだけではなくROCKHURRAHの記事にも登場してるんだよね。
今回は改めて「ふたりのイエスタデイ」としてまとめてみよう!

ヒットした代表曲「20世紀の終わりに」が発売されたのが1979年、今から40年以上前のこと。
元々演劇をやっていたというメンバーが集ってできたバンドだと知らずとも、映像を観ただけで役者っぽい雰囲気を感じるよね。
映像の最初に、司会の近田春夫が写っているのも嬉しいね。(笑)
wikipediaによれば、近田春夫がヒカシューのプロデュースを買って出たという。
そんなつながりがあったんだね!
すでに21世紀になってしまった現在でも、新鮮に響くメロディと詩。
恐らく、この曲でファンになったSNAKEPIPEだけど、レコードを買った記憶がないんだよね。
次に紹介する曲も1stアルバムに入っていたようだけど、誰かに録音してもらってカセットで聴いていたのかも。

インターネットラジオで80年代ニュー・ウェイヴを聴くことが多い。
たまにかかるのがクラフトワークの「モデル」。
ヒカシューは、その曲に日本語の歌詞をつけて1stアルバムに収録しているんだよね。
クラフトワーク版はもちろんのこと、ヒカシューのバージョンも素晴らしくて大好き!
SNAKEPIPEは、クラフトワークの曲にヒカシュー版の歌詞で歌っているよ。(笑)
今から思えば、1984年にザ・スターリン遠藤ミチロウが出したカセットブック「ベトナム伝説」で、ストゥージズの「I Wanna Be Your Dog」に日本語の歌詞をつけていた元ネタかもしれないね?
なんて古い話をしてるんだろうか。(笑)

ヒカシューの出したアルバムを調べてみると、どうやらSNAKEPIPEは1984年に発売された「水に流して」までは聴いていたみたいだよ。
「水に流して」は購入していたし。
夢中になって聴いていたことは間違いないけれど、やっぱり一番気に入っていたのは1stアルバムだったみたい。
「プヨプヨ」や「ドロドロ」は、何かある度に歌詞が頭をよぎるほど!
ここまで強烈なインパクトを持つヒカシューなので、好き嫌いがはっきり分かれるタイプのバンドだろうね。
恐らくSNAKEPIPEのように好きになってしまった人は、その呪縛を解かれることはないであろう。(大げさ)

ヒカシューは結成40周年を迎える現在も活動中だという。
最近はどんなことをやっているのか調べてみる。
オフィシャル・サイトもあるし、活動中の映像もYouTubeで観ることができるよ!
40年前とほとんど変わっていない歌声に驚く。
演奏がアヴァンギャルドになっているくらいで、ヒカシュー要素は健在!
ヒカシューの真髄は全くブレていなくて、嬉しくなる。
「水に流して」以降のヒカシューを改めて聴いてみたいと思ったよ。
やっぱりヒカシュー、好きだわ。(笑)

俺たちワイルド班

【ワイルドさを意識しすぎてもはや何者だかわからんリンク】

ROCKHURRAH WROTE:

前に遅ればせながら任天堂SWITCHを買った話はちょっとだけしたが、「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」を早解きではなくゆったりと楽しんでるROCKHURRAHなのだった。

ウチの生活パターンとして毎日は難しいので、週末にだけ数時間プレイするのが習慣になってるけど、自分で操作しないSNAKEPIPEも一緒にこの冒険を楽しんでくれているのが一番嬉しい。
かつては中古ゲーム屋の取締役にまでなったという経験を持つROCKHURRAHなのだが、ここ数年はゲームをやる時間さえなくて、最後にやってたゲーム機が任天堂のWiiまで。
完全に現役からは遠ざかっていたのだ。

最初の「ゼルダの伝説(ディスクシステム)」をプレイして以来このゲームの虜になったROCKHURRAH。
筋金入りのマニアとまではいかないが、初期からのファンだというのは間違いないよ。
64の時もゲームキューブの時もWiiの時もゼルダが出るたびにハードを買い替えてたが、SWITICHは最初の頃入手困難でやる時間もないから、と自分に言い聞かせて諦めてたんだよ。
そしてやっと普通に買えるようになったのは「ブレス オブ ザ ワイルド」が出てからすでに数年も経った頃。
どうせならのんびりゆったりこの世界を楽しんでゆこうと思い、何ヶ月もやってるわけだ。

このゲームは自由度が高いのがウリのひとつだけど、次にどこに行って何をやるかはプレイヤー次第。
そこが難しくもあるけど、寄り道がまた楽しい仕掛けになっていて、飽きさせない作りはさすがだと思う。

SNAKEPIPEはゲームをやってる時は視界が狭くなる(それ以外の時も視界は狭い)ROCKHURRAHのサポート役として優秀で、横から敵が来てるとか体力回復とか、ROCKHURRAHが気づかない部分で助言をしてくれるので、非常に助かっているよ。
このコンビで幾多の試練を乗り越えてきたもんだ。

敵が近づいてるのも気づかなかったり戦闘に夢中になり体力回復を疎かにする、などアクション系ゲームをやる者としてはいかがなものか?というボンクラぶりだが、それでもROCKHURRAHはなぜか難易度の高いゲームを好んでやって、ちゃんとクリアしてるという猪突猛進タイプなんだよね。

相当に難易度高いと思われた「モンスター・ハンターG」も小技をほとんど使わずに全クリアしたのも懐かしい思い出。

二人が一番熱意を持ってやっているのが世界各地にある祠(ダンジョン)を見つけて開放してゆくというもので、全部で120あまりもある祠のうち、かなりの数を踏破している。残りがだんだん少なくなって寂しくなるけどね。

このゲームの中で大半を占めるのがフィールドの中をあちこち駆け巡って、何かないかと探す行為。

高い山の上まで登る事もあればパラセールで向こう側まで滑空して行ったりもあるけど、基本的にはとにかく大陸の隅々まで走り回ってる画面が最も多いと思うよ。

タイトルにもある「Breath Of The Wild」は訳せば野生の息吹ってとこか。 確かに動物や鳥や魚、野菜や果物などを獲って野山を駆け巡るサバイバル生活はこのタイトルそのものだね。

さて、この前置きでわかる通り、今回はワイルドがタイトルに入った1970〜80年代の曲を選んでみようか。

まずはパンクの時代。
夜な夜な酒を飲みドラッグをキメて道端で眠るようなヤツらが多数いたような時代だから、ワイルドな出来事はたぶん結構あったような印象がするが、手っ取り早く思い出したこの曲からにしてみよう。
ジェネレーションXの2ndシングル「Wild Youth」だ。

ビリー・アイドルはゴリラ顔のジーン・オクトーバーが率いるパンク・バンド、チェルシーの初期メンバーだったが、早々に脱けて正解だったと、心から思えるほど成功したパンク・バンドがこのジェネレーションXだったね。
ピストルズ、ダムド、クラッシュなどに続くパンク第2世代の中でも見た目が良くて曲や演奏も良い、このバンドは自分の名前通りにアイドル的な人気があったな。
ロンドン・パンクの最も初期にロンドンSSという伝説のバンド(クラッシュのミック・ジョーンズやダムドのブライアン・ジェイムスもメンバーだったが大分裂してそれぞれのバンドが生まれた)をやっていたトニー・ジェイムスもジェネレーションXの創立メンバーだった。
後にジグ・ジグ・スパトニックというキワモノで一世を風靡したが、あのインチキっぽいところも好みだったよ。

個人的には北九州市小倉の図書館に視聴覚室があって、ソファに座ってヘッドフォンでリクエストしたレコードが聴けるというサービスが大のお気に入りだったROCKHURRAH少年。どこの図書館でもああいうサービスはあったのかな?
ここで隣のヤンキー友達は永ちゃんとかクールスとか(なぜか比較的真面目に)聴いてたが、自分だけはパンクの世界に浸って東京に行きたいと念じてたのを思い出す。
で、その時のBGMがジェネレーションXの2nd「人形の谷」だったりワイヤーの「消えた椅子」だったりで、とにかくパンク、ニュー・ウェイブ浸りの毎日だったよ。
聴いてたROCKHURRAHも素晴らしいが、それを図書館の限られた予算で仕入れてくれたのが誰なのかは知らないが素晴らしい。
視聴覚室のお姉さんがなぜかパンク好きでリクエストから話が弾むこともあって、そういう何気ない共感が嬉しかったものよ。
ここまで書いて前にもブログでほぼ同じようなこと書いてたなと思い出した。
うーむ、書くのも久しぶりだから仕方なかろう(偉そう)。

ジェネレーションXは日本でも1stと2ndの2枚のアルバムが出てて、この当時のパンク・バンドとしては一般的にも知名度は高かったんじゃないかな。
この曲「Wild Youth」も1stシングルの「Your Generation」もアルバム未収録だから当時は英国盤のシングル買わないと聴けない曲ではあったが、YouTubeが普及して以来はどこの地方にいてもタダで聴ける観れるいい時代になったもんだな。
インターネットでこういう動画観れるのが当たり前の世の中になる前は、ビデオやDVDでも買わない限り観れない動画も多かった。

普段はTシャツ一丁という安上がりな格好が多いジェネレーションXだが、このビデオの時は珍しく全員革ジャンで決めてるのが気に入ったので、オフィシャルのビデオではないこっちを選んでみたよ。
いつもパンクのライブとか見て思ってたけど一曲やって汗だくになった革ジャンはどうするのか?
鋲ジャンだったら錆びそうだな。

80年代ニュー・ウェイブと言えば長らく主流だったのがエレポップ、シンセ・ポップ、日本ではテクノポップと呼ばれたような音楽。
モロにこのジャンルではなくてもシンセサイザーのような電子楽器がどんな音楽にも侵入していって、その手の楽器を全く使わないバンドの方が少ないとさえ思えるような時代だったね。

その手の音楽は当然ながら都会的でスマートだったわけで、無人島テクノとか原生林エレクトロなんてものは(たぶん)なかったと思う。だって電気ないもんね。

そういう音楽へのアンチテーゼという程の気構えはなかったろうけど、部族的なビートに色々な民族の音楽や唱法、そしてファッションを掛け合わせ、ワイルド全部盛りのような世界観で80年代初頭に大ヒットしたのがこのアダム&ジ・アンツだった。

元々は一風変わったパンク・バンドとして登場して、1stシングル「Young Parisians」などはシド・バレットのソロかと間違えるようなパンクとは思えない曲で、「これをデビュー曲にするか?」と仰天してしまう。
このままではコアなファンやアダム・アントのルックス目当てのファンはついても、パンクの世界で大成はしないと思ってたもんだ。しかしメンバーを総入れ替えして(経緯は省略)、当時のニュー・ウェイブ好きだったら誰でも知ってるド派手な海賊ルックで起死回生の大ヒットを飛ばしたのが1980年のこと。

ちょうどその頃に人気だったのがグラム・ロックのニュー・ウェイブ版とも言えるニュー・ロマンティックと呼ばれるバンド達。
化粧したり派手な髪型や衣装はグラムを踏襲してるものの、グラム特有の下品さや毒気はそんなになくて、音楽性もそれぞれのバンドでマチマチだったが、クラブで踊るような曲が多かったのが時代背景にピッタリだったんだろう。
アダム&ジ・アンツはそういうのとは一線を画した路線ではあったけど、古い時代のカッコいい男たちになりたいというコスプレ願望を満たすという意味では、ニュー・ロマンティックの一方の代表格だったと思うよ。

ちょうど同時代にマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドがロンドンでやっていたブティック、ワールズ・エンドが展開していたのが海賊をモチーフとしたコレクションだった。
そしてこの店の2人とは色々な深い関わりがあるのがアダム・アント。
パンクの時代にはセディショナリーズでセックス・ピストルズ。
その後の時代はワールズ・エンドでアダム&ジ・アンツ。
ファッションと音楽が密接に結びついて、時代の寵児となったのにはちゃんとワケがあって仕掛け人もいたというわけだ。

海賊のような衣装に金モール、インディアンのようなメイクで多国籍、時代考証もメチャクチャ。
見た目のインパクトはすごかったけど、同時代ではそういうのに憧れるガキの音楽、みたいに蔑まれるような評価もあった。
ちびっ子ファンも多かったからね。
しかし個性という点では際立っていて、他に類を見ないユニークな音楽性で個人的にはとても高く評価しているバンドだ。
今でも「Stand And Deliver」がかかるとノリノリになるROCKHURRAH家なのだった。

アフリカのブルンジという国のあたり、ルンディ族のドラミングに発想を得たという(Wikipediaによると)2人のドラマーによる連打がこのバンドの独特のリズムを作っていた。
さらに普通のパンクやニュー・ウェイブとは違ったコード進行だったり奇声のようなコーラスや掛け合い、その辺のミクスチャー具合が大変にうまく、当時としては唯一無二とも言える音楽性を誇っていたと思うよ。

「Kings Of The Wild Frontier」は1980年に出た彼らの2ndアルバムのタイトル曲でアルバム自体も全英1位になった。
シングルにもなっていて、その翌年の全英1位となった大ヒット曲「Stand And Deliver」や「Prince Charming」ほどの熱狂ぶりはなかったけど、「何かすごいバンドが最近流行ってるぞ」という注目度のきっかけにはなったんじゃなかろうか。

ビデオを観てこの時代のカッコ良さは感じるものの、曲の方は決してノリノリでもなくポップでもない。
むしろ聴きにくいと思う人がいるかも知れない。
オルタナティブなバンドが同じような事をやっても大して話題にならなかったろうに、この曲や「Prince Charming」のようにポップ・チャートでヒットする要素があまりないような曲さえも力技で無理やりヒットさせてしまう、これがアダム・アントの持つ特異な魅力なんだろうな。
話題のツイン・ドラムもブルンジというよりは和太鼓っぽくもあり、どこの夏祭りに出しても違和感なし。

上のアダム&ジ・アンツの初期メンバーをマネージャーのマルコム・マクラーレンが全部引き抜いて新たに作ったのがこのバウ・ワウ・ワウだった。
初期メンバーと言えばまだアダム・アントが海賊になる前で、あまりキャッチーではないパンクをやってたという印象だが、これが新バンドのバウ・ワウ・ワウになった途端に強烈なジャングル・ビートを前面に出すようになったように思ったものだ。
元々はこういう感じの音楽をしようという腹案があって、それがアダム・アント側と辞めたバンド側のどっちも実現させたというだけに過ぎないのか、どっちかがアイデアをパクったのか、その辺は遠く離れた日本人が推理してもわかるはずのない真相があるんだろうね。

まあとにかく両者は別の道を歩んで、大体同じくらいの時代に部族ミクスチャーな音楽とヴィジュアルで大成功を収めた、似たような傾向のバンドとして語られる事が多い。

このバンドのヴォーカル、アナベラは当時まだ14歳というビルマ系の少女。
レコードはもう古い、これからはどこでも持ち運べるカセットテープの時代が来る、というようなコンセプトの「C-30 C-60 C-90 Go」でデビューしたのが1980年。
ちなみにタイトルの意味が不明の若人も多かろうが、C-30とかはカセットテープの規格みたいなもんで、要はA面B面合わせて30分の録音が出来るというもの。
ROCKHURRAHはこの時代はウォークマンではなくアイワのカセットボーイという録音も出来る携帯型カセット・プレイヤーを持ち歩いていて、確かにどこでも音楽に浸っていたもんだ。
買ったレコードの好きな曲を集めて自家製コンピレーション・テープを山のように作っていたなあ。
長く聴けるからTDKやソニーのC-90を使用する事が多かったけど、最後にちょっとだけ余るのがイヤで短い曲を間にチョイスして時間調整するのが得意技だったな。
この熱意がMD、CD-R、そしてiPodのようなさらに小型化したプレイヤーの時代にはあまりなくなっていたから、便利さではなく、やっぱりレコードをモニターしながら音量レベルの調整してリアルタイムで録音、という行為が好きだったんだろうな。

そういう小型プレイヤーの思い出とは関係なしに、バウ・ワウ・ワウが推奨していたのは大型のラジカセで、こいつを持ち運びながら街なかのどこででもミュージック・スタート、周りはみんな踊るぜという迷惑行為だったな。
ビデオもそういう感じだったし。
それと同時代くらいか、アメリカでもラップやヒップホップの流行で大型ラジカセがもてはやされたから、世界的な流行だったんだろうね。
ROCKHURRAHの実家でもマランツの超大型ラジカセがあって・・・ん?この話はもういい?

バウ・ワウ・ワウはその後もマネの「草上の昼食」を真似した全裸ジャケットの「ジャングルでファン・ファン・ファン」という1stアルバムで物議を醸して、問題になればなるほど知名度も上がっていった。
マネが問題じゃなく未成年のアナベラが全裸という方ね。
ジャケットの差し替えを求めて親が訴訟問題を起こしたんだったな。
しかし本人の方は本当にメンバーや撮影スタッフ全員の前で平気で晒す(メイキング映像がある)というのもさすが、これこそワイルドな女王と言うべきかな。

このバンドの核となるのは原始的なズンドコのドラムだが、派手なモヒカンのくせにやたらとうまいマシュー・アッシュマンのギターにも注目だよ。
確かポールキャッツのボズと幼馴染だったか同じ学校だったか昔一緒にバンドやってたかで(ものすごく記憶があいまいですまない)、要するにネオ・ロカビリー系ギタリストとしてもやってゆけるだけのテクニック持ってたと言いたかっただけ。
ギターもグレッチだしね。90年代に亡くなっているが、いいギタリストだったよ。

ビデオの「Go Wild In The Country」は1981年の1stアルバム「ジャングルでファン・ファン・ファン/See Jungle! See Jungle! Go Join Your Gang Yeah, City All Over! Go Ape Crazy!(タイトル長すぎ!)」に収録でシングルにもなった大ヒット曲。
歌いだしはちょっと元気ないように見えてあまりワイルド感がないんだけど、辛抱して観てるとそのうちこなれてきたのか、かなりアグレッシブにワイルドを連呼する。
しかしライバルなのかはさておいて、アダム・アントの見事な着こなし術の前ではアナベラ、インパクトだけじゃ太刀打ち出来ないなと、逆に差を見せつけられる結果となり残念。
まあ本来ならば中高生だもんな。

ワイルドが少ないわけじゃないけど、今回はひとつのバンドにつき長すぎたので、ちょっと少ないけどこれで終わりにしよう。

ワイルドと言えばイギリスでは1950年代から60年代に起きた若者文化、テディボーイ通称テッズとそこから発展した、カフェレーサーと呼ばれたロッカーズがパンクより前の反逆のルーツ的存在だった。
ノートンやトライアンフのような英国バイクを改造して、カフェでジュークボックスの曲が終わるまでにバイクをかっ飛ばすというのが流行ってたようで、キメキメなライダースに憧れた若者も多かったろう。

そういうテッズやロッカーズが何を聴いてたかと言うと、そこんとこだけアメリカのロカビリーと一緒なのが唯一の弱点。
イギリスにもバンドはいたけど世界を牽引するような魅力を持った大スターが現れてないんだよな。
後の時代のパンクやスキンヘッズのように、自分たちのアンセムとなるものがないとムーブメントとしては弱く、ファッションとしてたまに復活はしてもライフスタイルにするにはちょっと足りない、とROCKHURRAHは思うよ。

アダム・アントのところで少し書いたが、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドがパンク以前にやってたのがレット・イット・ロックというテディボーイ・スタイルの店だった。
そこに集っていたのかは不明だが、同じくテッズやロッカーズというスタイルを取り入れたのがエディ・テューダーポールを中心としたテンポール・テューダーだった。

ロンドン・パンク初期の1977年に結成された彼らはセックス・ピストルズの映画「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」で数曲歌い、テューダーポールは俳優としても出演して注目された。
映画館のモギリ役だったけど・・・。
この時、ピストルズは大スター、ジョニー・ロットンが抜けてシド・ヴィシャスが死んで、主役不在の状態だったが、テューダーポールをヴォーカルとして新生ピストルズの話もあったとかなかったとか。
結局は両者が結びつく事はなかったけど、スタイルが違いすぎるから当たり前という気がするよ。

テンポール・テューダーは結局パンクの時代にはリアルタイムでレコードを出さず、1stシングルは1980年代になってから。
エコー&ザ・バニーメンで有名なコロヴァ・レーベルからなぜかポツンと1枚だけ出したが、このレーベルはベット・ブライト(元デフ・スクール)やロリ&カメレオンズなどリヴァプール勢が多いという印象があり、テンポール・テューダーのようなバンドがここから出す自体、違和感があったよ。
ベット・ブライトも「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」に出演していたので、もしかしたらその縁でこのレーベルを紹介してもらったとか、そういう話もあったのかな?

それ以降はスティッフ・レーベルからリリースを続けたテンポール・テューダーだが、1980年から81年くらいの短い期間に2枚のアルバムと6枚くらいのシングルを出してて、これはかなりの勢いだと思うよ。
彼らの特徴としては中世の騎士団とか、そういうコスプレを好んでやっててレコード・ジャケットも鎧甲冑に大剣と盾、まさになりきり度合いとしては海賊アダム&ジ・アンツと双璧のバンドだったと思う。

音楽の方はパンクとロカビリー、ロックンロールをうまくミックスさせ、そこにスキッズやビッグ・カントリーのようなスコティッシュのトラッド要素も盛り込んだ雄大な曲調が得意技。

「Go Wilder」は1980年の1stアルバムに収録の曲だがシングルにはなってない曲。
映像もプロモーションではなくライブのものだと思われるが、とにかく暴れまくりの大げさなアクションが大好きなエディ・テューダーポールの激しい動き。
演奏も良くてライブでこのクオリティはなかなかだと思える。
全盛期に観たかったよな。

プロモ・ビデオでも毎回いい味出してるのがワイルド丸出しのロッカーズ、ギタリストのボブ・キングストンだが髪型と濃い顔立ち、ファッションが魅力的。
テンポール・テューダー以外の活動をしてない(パール・ハーバーのアルバムにちょっとだけ参加)のが惜しい人材だったよ。

本当はもう少しワイルドについて書きたかったけど、今回も時間切れとなってしまった。
ROCKHURRAHのブログはあまりサラサラと書けないのが難点だが、時間がある時やじっくり書けそうな時にはまた登場したいと思ってるよ。

「ブレス オブ ザ ワイルド」も佳境に入り、あとはボス戦のみなんだけど、この世界でもう少し楽しんでいたいから、色々な事をやり込んでいきたいと思ってるよ。
続編が今年だと思ってたのに延期になってしまったからなあ。

ではまた、Muraho(キニヤルワンダ語で「さようなら」)!