好き好きアーツ!#07 横尾忠則

【ROCKHURRAH RECORDSのポスターを横尾忠則風に制作。なんか中途半端。(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

今回は好き好きアーツの7回目として、画家横尾忠則氏について書いてみたいと思う。
画家、と言ってみたけれど元々はグラフィックデザイナーであり俳優業や著作も数多くマルチな活躍をしている横尾氏。
何回か回数に分けて書かないと横尾忠則の全貌については語り尽くせないので、SNAKEPIPEの気になったことを書いていきたいと思う。

恐らくSNAKEPIPEが一番初めに横尾作品を目にしたのはTVドラマ「ムー」のタイトルバックであろう。
子供だったので、当時はそれが横尾作品とは知らずに観てたけど。(笑)
今では「You Tube」でも観られるので、改めて鑑賞してみた。
ものすごく斬新!
続編の「ムー一族」のタイトルも横尾氏によるもので、これも面白い。
70年代は実験的なことをやってたんだなと感心してしまう。
続いては横尾忠則の出発点であるポスターについて書いてみようか。

ポスター制作をしていたのは60年代後半から70年代にかけての、いわゆるアングラ文化、今だとカウンターカルチャーというジャンルになるのかな。
映画、写真、演劇の告知ポスターが有名である。
残念ながらリアルタイムで観ていたわけではないため、氏の展覧会で鑑賞しポストカードになった物を入手した次第である。
一目見ただけで氏の作品と判る特徴的な色づかいや構成に影響を受けた人も多いだろう。
題材となっている写真、映画、演劇もかなり特徴があるので、相乗効果で更に迫力がある。
時代、と言ってしまえば簡単だけど、当時を知らないSNAKEPIPEから見ると、まさに激動の時、これから何か始まるぞ、というザワザワしたエネルギーを感じる時代だったのではないかと想像する。
経験していない者にとっては憧れの時代なのである。
その時代に18歳くらいで新宿近辺をうろついてみたかった!
それじゃただのフーテンか。(笑)

その時代、1969年に横尾氏主演の映画、「新宿泥棒日記」が公開されている。
監督は大島渚
唐十朗もゲスト出演していて、まさに横尾氏のポスター通りである。
新宿紀伊國屋で本を万引きして、店員に咎められるところから始まる映画で、横尾が岡ノ上鳥男というふざけた名前で登場。
映画の内容はあまりよく覚えてないけれど、途中から劇中劇のような展開でハチャメチャだったように記憶している。
その辺りも時代っぽい感じなのかな。

横尾氏は著作の中で三島由紀夫氏、ビートルズからの影響について語っているが、その結果がインドへの興味になったようだ。
著作の中で横尾氏は
「君はもうインドに行ってもいいようだ」
と三島由紀夫氏に言われたと書いていたが、それはインドという大きな存在を受け止める精神力に合格点が出た、という解釈でイイのかな。
横尾氏の「なんでも受け入れる」ような姿勢はインドからの影響なのかもしれない。
あっちの世界と交信ができる、UFOを呼ぶことができる、など聞く人によっては笑うか疑うような話をたくさん書いている横尾氏だからね。

夢の中での話も非常に多く、絵画の題材を夢から取ることもあるようだ。
横尾氏は「夢日記」を書いていて、かなり赤裸々に綴られた内容に読み手が赤面してしまうこともある。
以前何かのインタビューで「何故だか何日も連続で夢の中に滝が出てきたから、滝シリーズを描いた」と語っていた横尾氏。
横尾氏にとって夢は啓示や暗示と考え、非常に重要な要素として捉えているようだ。
ん?これって敬愛する映画監督デヴィッド・リンチと一緒じゃん!(笑)
そういえばリンチも横尾氏も少年時代に好きだったものをずっと思い続けてるし。
書いているうちに共通点を発見するとは!
今頃気付くSNAKEPIPEが鈍いのか?(笑)
リンチは還暦過ぎても「気分はまだ19才のまま」と語っているけれど、恐らく横尾氏も同じような心境ではないだろうか。

リンチと横尾氏、ということで大きく違っているのは結婚観か。
横尾氏は仕事の関係で知り合い、会って3日目にはプロポーズ!
仲睦まじい様子はHPで確認することができるように、「一人の女性をずっと愛し続けていく」タイプである。
3日目に結婚を決意できるほど「この女性しかいない」と確信が持てた、直感に優れている、ということになるのか。
一方リンチはと言うと3回の結婚と離婚を経験、お付き合いしていた有名人にイザベラ・ロッセリーニがいたり、現在の恋人と噂されているのはナスターシャ・キンスキーとのことでこの手の話題に尽きないほどのプレイボーイぶり。(笑)
この点に関しては全く二人のタイプは違ってるんだね。
ってまるでワイドショーみたいだからこのくらいでやめるか。(笑)

かつては「横尾」という文字があると書籍でも雑誌でも画集でも、なんでも手に入れないと気が済まないほどに熱中し、展覧会にも足を運んでいたSNAKEPIPEだったけれど、横尾氏の露出度が高過ぎてだんだん追いつかなくなってしまった。
SNAEKPIPEが最後に観たのは2002年の「横尾忠則 森羅万象」展での「Y字路」シリーズまで。
そのため最近の活動については詳しくない。
確か去年だったか手にした雑誌がまたもや「横尾忠則特集」をやっていて、今までの作品の紹介に加えて現在描いているテーマについても載っているのを見かけた。
現在は「温泉」をテーマにしているそうで。
久しぶりにHPを観たら金沢21世紀美術館で公開制作が開催されていた模様。
いや~、金沢じゃ簡単に行かれないよね。(笑)
また近場で展覧会が開催されたら行きたいと思う。

好き好きアーツ!#06 東松照明

【コンストラクテッド・フォトをSNAKEPIPEが制作。】

SNAKEPIPE WROTE:

今回は好き好きアーツとして日本を代表する写真家・東松照明氏を取り上げたいと思う。
とは言っても東松照明写真論として何冊も本が出ているので感想、のような書き方が無難だろう。

東松照明氏を知ったのは随分前のことだ。
以前にも書いたことであるが、SNAKEPIPEの父親は写真家である。
そして父親が東松照明氏の大ファンだったのである。
父親がいつもカバンの中に入れている写真がある。
取り出すと嬉しそうに顔をほころばせる。
それは東松照明氏と父親が一緒に写ったスナップ写真である。
先日のHELL-RACERとの記念写真に嬉々としているSNAKPIPEと同じように、父親にとってのアイドルは東松氏のようだ。
恐らく東松氏の偉業と実物とを知らない人は、「誰この人?」と中年男性二人が写った写真を怪訝に思うことだろう。
そう、東松氏は偉業を成し遂げた写真家、父親から見れば神様的な存在なのである。
実際にそのことに気付いたのはSNAKEPIPE自身が写真を撮り始めてからのこと。
どんな世界でも同じだろうけれど、その道に踏み込まないと「良し悪し」や「すごい!」の基準が解り辛いからだ。

東松照明氏の簡単な略歴を書いてみよう。(Wikipediaを参照)

1930年 愛知県名古屋市生まれ
1954年 愛知大学法経済学部経済学科卒業
「岩波写真文庫」のカメラマンスタッフになる
1956年 フリーとなる
1958年 日本写真批評家協会新人賞受賞
1959年 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立
(東松氏が「イネ」を集団名に考えていた話は有名である)
1961年 「hiroshima-nagasaki document 1961」
(第5回日本写真批評家協会作家賞)
1963年 アフガニスタンを取材
1972年 沖縄に移住
1974年 「New Japanese Photography」展
(ニューヨーク近代美術館)
荒木経惟らと「ワークショップ写真学校」を開講
1975年 写真集「太陽の鉛筆」で日本写真家協会年度賞
翌年芸術選奨文部大臣賞
1984年 「SHOMEI TOMATSU Japan 1952-1981」展
(ウィーン近代美術館など)
1992年 「SAKURA +PLASTICS」展(メトロポリタン美術館)
1995年 紫綬褒章受章
1998年 長崎に移住
1999年  「日本列島クロニクル―東松照明の50年」展
(東京都写真美術館)日本芸術大賞受賞
2000年 「長崎マンダラ展」(長崎県立美術博物館)
2002年 「東松照明展 沖縄マンダラ」(浦添市美術館)
2003年 「東松照明の写真 1972-2002」展
(京都国立近代美術館)
2004年 「Skin of the Nation」展
(ワシントン、サンフランシスコを巡回)
2006年 「愛知曼陀羅-東松照明の原風景」展
(愛知県美術館)
2007年 「東松照明:Tokyo曼陀羅」展(東京都写真美術館)

SNAKEPIPEが観に行った写真展が1999年の「東松照明の50年」展である。
この展覧会は「50年」と銘打ってあるだけに観ごたえ充分!
こうして全体像をみせてもらわないと、同じ写真家が撮った写真だとは分からないほどに多様なシリーズが展開されていた。

東松氏はいくつもの顔を持つ写真家なのである。
それぞれのテーマについて書いてみよう。

ドキュメンタリー写真として一番有名なのは「長崎」だろう。
戦争の傷跡を刻名に、冷静な目で描写している写真群。
原爆が落ちてから16年経った1961年から撮影を開始した、とのことであるが、文章にはできない写真が雄弁に長崎を伝える。
あまりにも有名な止まった時計の写真や溶解した瓶の写真は言いようもない独特の雰囲気を出している。
他には「チューインガムとチョコレート」の横須賀や「太陽の鉛筆」の沖縄、といった地名シリーズがある。
どのシリーズも長崎と同じように冷静でシャープな視線で事象を追いかけている。

アート系写真と呼びたい写真群もある。
海に流れついた漂流物を撮影した「プラスチックス」。
電子部品を自然物と混ぜて撮影したコンストラクテッド・フォト「ニュー・ワールド・マップ」や「キャラクターP・終の住処」もある。
「アスファルト」「廃園」「ゴールデンマッシュルーム」などはまるで実験映像のような感じ。
これらはすべて構図、色彩共にバッチリの素晴らしい仕上がり!
コマーシャル・フォトの先駆けとも言えるだろう。
悔しいくらい真似たくなるようなカッコいい写真ばかりである。

ネイチャーフォト、と言ってもいいシリーズもある。
長崎の諫早湾を撮った「ブリージングアース」。
千葉、和歌山、静岡などの岩場を写した「バイオ・バラエティ」。
岩場、とタイトルになければ宇宙写真のように見えてしまう不思議な写真群である。
東松氏の手にかかるとネイチャーフォトもまた違った趣きになってしまう。
非常にカッコいい。
これもまた真似たくなる写真だなあ。(笑)

ここまで顔を使い分け雰囲気を出すことができる写真家はそうそういない。
東松氏はバランス感覚、美的感覚共に非常に優れてるんだなあ、と感心。
そしてこれだけ多くの人物写真を撮れるのは、人格的にもバランスがいいからだと推測できる。
沖縄の人を撮るのに実際移り住み人々に慣れ親しんでから撮影を始めた、というエピソードを聞いたこともある。
ものすごい情熱!
意思の強さ!
うーん、3拍子どころか7拍子以上揃っちゃうんじゃないかね?(笑)

SNAKEPIPEが写真を撮り始めてしばらく経ってのこと。
今からもう10年以上は前のことだ。
その当時東松氏は千葉県の上総一ノ宮に住んでいたのである。
「東松さんのところに遊びに行って、ついでに写真を観てもらう?」
なんてアイデアを父親が口にしたことがあった。
そ、そんな!SNAKEPIPEみたいなド素人の写真を雲の上の写真家の方に観て頂くなんて恐れ多いにも程がある!
しかも遊びに、なんて気軽には行かれない!
そんなの無理、無理!と即座に断ったSNAKEPIPE。
今となっては
「あの時、行く!と言っておけば良かったな」
と後悔している。
偉大な写真家に会える機会なんてそう多くはないからだ。
そしてきっと父親もSNAKEPIPEをダシにして、本当は自分が神様にお目にかかりたかったのに違いない、と。

御年78歳の東松氏、ずっと元気で新作発表をお願いしたいところである。
2007年に写真美術館で開催された「Tokyo曼荼羅」は行かれなかったけれど、次回の写真展には是非足を運びたいと思う。
きっとまた「こんな写真が撮りたい!」と悔しい思いをするんだろうな。(笑)

好き好きアーツ!#05 ツインピークス

【理想の上司像?リンチ扮する耳の遠いゴードン・コール】

SNAKEPIPE WROTE:

かつて熱狂していたのは1990年から1991年のことだった。    
振り返ってみるともうすでに18年の時が過ぎていた、とは驚きである。    
その時に生まれた子供は高校卒業している計算か!    
ぐわっ!考えると恐ろしい!(笑)

今回「好き好きアーツ」として取り上げるのは崇拝する映画監督、デヴィッド・リンチが手がけたTVシリーズ「ツインピークス」である。    
世界中を謎解きに巻き込み、大ブームになった番組である。    
SNAKEPIPEと同じように熱狂した方も多いと思う。    
18年の歳月を経て、もう一度初心に帰って鑑賞するとどうなるのか。    
しっかり記憶している部分もあるけれど、大方は忘れてるしね!    
そして一度も観たことがないROCKHURRAHにも興味を持ってもらいたい、と思ったのである。

最初に「ツインピークス」体験をしたのは、まだそれがTVシリーズになるとの情報が全く入っていない段階での「パイロット版」からだった。    
一体パイロット版を何回観たことだろう?    
何回観ても難解で(笑)その時から謎解きの虜になってしまった。    
後から考えればこの時点での謎の究明は不可能だけれど、なんとも言えない不安で不吉な雰囲気、ラストの25年後の世界(日本版だけ収録されていたらしい)などに魅了された。    
そしてツインピークスがTVシリーズである情報がやっと入ってきたのである。

TVシリーズの第1話から第7話までを観たのは、「日本初公開」として抽選で選ばれた人だけが入場できる渋谷パルコでの企画であった。    
初公開、というだけあって、まだビデオ発売前、当然のことながらWOWWOWでの放映よりも前のことである。    
抽選に当たった時は、まるで宝くじ3億円が当たったのと同じくらい嬉しかった!    
1話から7話ということはおよそ7時間、そしてその間に「リンチ評論家」滝本誠氏と川勝正幸氏のトークイベントも入り、およそ10時間近くを会場で過ごした。    
それでも疲れず、「次は、次は?」と熱狂していたSNAKEPIPE。    
若かったから、か?(笑)
     
7話まで、というのがミソで観た方は記憶にあると思うけれど、クーパー捜査官がドアを開けた瞬間にピストルで撃たれるシーンまで、である。    
会場中から「えーーーっ!」という悲鳴に近い声が発せられた。    
もちろんSNAKEPIPEも叫んでしまった。(笑)    
以前「かもめはかもめ、リンチはリンチ」の時にも書いたけれど、7話以降を観るためにWOWWOWにも加入。    
必死の思いで追いかけたツインピークスである。    
今は第1話から最終の29話までと映画版「ローラ・パーマー最期の7日間」を連続して観られるようになったので、幸せな限りである。(観たことがない方は簡単なあらすじがWikipediaに載っているので、そちらをご参照下さい。)

ドーナツとコーヒーを片手に、改めて鑑賞して一番初めに持った感想は    
「その後のリンチの集大成だな」    
である。    
異界、異形、夢、が多用されているからだ。

ロストハイウェイ」以降、頻発する「ここではない場所」の原型は、遡れば「イレイザーヘッド」にもすでに現れていたけれど、映画の核を成すものではなかった。    
「異界」として重要な役割を持つ出現はツインピークスからだったんだ!    
ホワイトロッジ、ブラックロッジとして表現される空間は仏教的に言い換えれば、金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅のようなものではないだろうか。    
そう、ツインピークスの中には(広い意味での)東洋思想がちりばめられているのだ。    
チベット、チベット死者の書からの引用、瞑想、ヨガなど。    
盆栽や尺八など、日本的な小道具も使われていたし。    
元々リンチ自身が瞑想を好み、夢のお告げ(?)から映画のヒントを得る監督なので、非常に色濃くリンチ表現主義(とでも言おうか)が反映されているようだ。    
「魂はどこから来て、どこへ行くのか」    
というセリフをウィンダム・アールに言わせ、死に行く間際のリーランドに向かい    
「光を見つけて。光の中へ。光の中へお行きなさい」    
とクーパーが誘導する。    
アメリカのTVドラマでチベット死者の書とは!(笑)    
   
恐らくTVの放送コードというものは、ここ最近では日本でもかなり変わってきていると思うが、世界的に見ると最も厳しく設定しているのはアメリカではないだろうか。    
いくら18年前とはいっても、よくこれでOKが出たものだ、と感心してしまうほどの異形オンパレード!    
パイロット版で度肝を抜かれた「小人ダンス」はもちろんであるが、 巨人、片腕、片目などが登場する。    
異形の人、というのは強いインパクトを持っているので、印象に残るシーンを作るには欠かせないとリンチが考えているのではないだろうか。    
その後のリンチ作品にも異形は数多く登場する。    
そして異形を発見すると「ああ、リンチだ」と安堵してしまうのである。    
それほどまでに異形とリンチはマッチしている。    
そしてツインピークスと同じ年、「羊たちの沈黙」も公開されていることに気付く。    
異形や猟奇、精神病理的な「以前であれば触れてはならない」とされていた領域への開眼年が1991年と言えるのかもしれない。

ツインピークスは大きく分けるならば、第1部はローラ・パーマー事件、第2部はウィンダム・アールとブラックロッジの2部構成になっている。    
ほとんどの人が第1部のローラの事件が(一応の)解決をしたあたりで、トーンダウンして、第2部のウィンダムアールの話のほうは忘れているのではないだろうか。    
かくいうSNAKEPIPEも同様で、途中からは初めて観るお話のような気がしてならなかった。    
覚えがなかったせいもあるのだろうが、第2部もかなり面白かったのである。    
少しオカルトの要素が混ざり、より精神世界に深く入り込んでいく後半は、やっぱりアメリカ人には相容れない内容だったのだろうか。    
恐らくリンチはもっと語りたかったはずである。    
がっ、視聴率低迷のため打ち切られることになってしまったとは誠に残念!    
そのためやや強引なラストになったのかな。    
ま、一応は解決になってるけどね!

そしてTVシリーズ後に制作されたのが「ローラ・パーマー最期の7日間」である。    
これも一応は後付けながら、謎の究明に役立つ物語と言えるだろうけど、実際には観終わった後で首をかしげてしまった。    
より謎が深まったように感じたのはSNAKEPIPEだけだろうか?    
「ここではない場所」ブラックロッジが絡んでくると、一体今がいつのことなのか、誰が生きていて誰が死んでいるのか、などだんだん分からなくなってくる。    
あの赤いカーテンと幾何学模様のジュータンの、なんとも魅惑的な不思議な空間。    
行ってみたいような、怖いような。

18年の時を経ても、全く色あせていない謎だらけのツインピークス。    
一度も観たことのない方はもちろん、体験したことのある方ももう一度鑑賞してみてはいかがでしょう?    
全部を観るのには約33時間かかるけどね!    
お約束は、ドーナツとコーヒー。    
絶対食べたくなるもんね!(笑)

好き好きアーツ!#04 スタンリー・キューブリック

【キューブリック作品をキューブにしてみた。イカス!】

SNAKEPIPE WROTE:

特別に好み選んでいるわけではないのに、実はほとんどの作品を観ている映画監督にスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)がいる。
既知の通り1999年に亡くなってしまったので、もう新作の鑑賞ができなくなってしまい残念である。
最近ROCKHURRAHとよく映画鑑賞をするのだが、ほとんどが旧作。(笑)
キューブリック作品も多く登場している。
今更ながらではあるが、SNAKEPIPEが自分自身のまとめの意味も含めて好きな作品について書いてみたいと思う。

年代順に、ということで最初は「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」から。
改めて鑑賞してみたが、やっぱりすごい!
これが1968年に公開されていた、という事実も調べて2度びっくり。
40年前とは思えない程に洗練された美しい映像に圧倒される。
その後の宇宙モノ(例えばスターウォーズなど)ほとんどすべてがこの映画からの影響を受けているだろうな。
「人類の夜明け」の猿のシーンがとても印象的。
「武器の所持」と「仲間殺し」の始まりである。
きっと地球上でもあんな感じで物事が始まったんだろうなあ。
急に出現する物体「モノリス」に猿と一緒に動揺してるうちに舞台は宇宙へ。

意志と感情を持ってしまったコンピュータ、HAL9000の存在が怖い!
機械なので表情は見えないけれど、どの位置からでも監視が可能な赤い光が不気味。
思考部分を徐々に削除されて言語が乱れていくシーンは「ハンニバル」を思い出させる。(あの食事のシーン!)
仲間を失い、一人になった船長の絶対的な孤独も恐怖だ。
そして人類未踏の木星への道のりがキレイだけれど、目が開けていられないほどの光の洪水。
ラストシーンは個人個人で違う感想を持つのではないだろうか。
「スターチャイルド」と名前が付いているので、転生や誕生でいいのかな。
原作も読んでいるはずなのに、昔のことなので忘れてしまった!
頭が冴えている時に観ないと、かなりゆっくり静かに映像が流れるシーンが多いため眠くならないように注意が必要かも。(笑)
それにしても「モノリス」といい「HAL」といい、未だに見かけるネーミング!
影響力絶大な映画の一本だと思う。

続いては「時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)」1971年について。
この映画に関しては「アドビ製じゃないFIREWORKS」の時にも少し書いているけれど、もう少し書き足してみようか。
この映画の素敵なところはファッションと美術!
白いシャツにサスペンダー付きの白いパンツ、編み上げブーツにボーラーハット(山高帽)を合わせたところがポイント!
紳士の国イギリスなので、帽子はマナーなのかな。
いや、それにしても通常ならあの服装にあの帽子は合わせないんじゃないの、というところを合わせてスタイリッシュに見せたところが素晴らしい。
ADICTSをはじめ、HATTRICKERS(笑)などのPUNKバンドや、数多くのOi!バンドにも影響を与えているファッションだ。
70年代初期にはモロに影響を受けたCOCKNEY REBELなどというバンドもいたらしい。(ROCKHURRAH談)
現代でも十分通用するファッションだと思う。

この映画の美術監督は誰だったんだろう?
調べてみるとピーター・シールズとラッセル・ハッグと出てきたが、他の映画で特別目立った活動はしていない模様。
色彩、フォルムや空間のバランス、壁にかかっている絵画の一つ一つがすべて素晴らしい。
SNAKEPIPEもコレクションしたくなるような作品がいっぱいである。
なんといってもお気に入りは「コロヴァ・ミルク・バー」で、あんなバーがあったら行ってみたい!
あのマネキン人形も一体欲しい。(笑)
ストーリーや以前書いたスラングなどの魅力はもちろんだけれど、細かい演出がカッコいい映画である。
早回しの映像はどうやら松本俊夫監督の「薔薇の葬列(1967年)」からの影響を受けているらしい。
やっぱり?そっくりだもんね!(笑)

続いては1980年の「シャイニング(The Shining)」。
何度観ても怖い映画である。
ジャック・ニコルソンの怪演が見事なのは言うまでもないけれど、奥さん役の女優さんや息子役など、すべてが完璧!
時々挿入されるイメージが更に恐怖心を煽り効果的である。
姉妹が手をつないで並んだショットは写真家ダイアン・アーバスからの影響だな。
ん?意外とキューブリックは流用が得意な監督なのか?(笑)
大量の血液がものすごい勢いで流れ出て、部屋中いっぱいに広がるシーンは背筋が冷たくなる。
キューブリックは人が恐怖を感じるための最大公約数を知っていたのだろう。
ネット上で発見した2004年の記事によるとロンドン王立大学の研究チームがホラー映画の恐怖度を決定づける数学的公式を開発し、世界最高のホラーを「シャイニング」に決定したらしい。
ホラー映画の重要要素は緊張感、リアリズム、血に加えて、緊張感を高める音楽、現実と虚構のバランス、どれくらいの血や内臓が含まれているかを考慮し研究開発した、というから信憑性が高い!
堂々の一位とはすごいぞキューブリック!えらいぞ、ジャック!(笑)
原作のスティーヴン・キングがこの映画を気に入らなかった、という記事を読んだけれど、いやいや素晴らしいですよ!キングの旦那さん!(←人差し指くねくねシャイニング中)

最後に1987年の「フルメタル・ジャケット(Full Metal Jacket)」。
ベトナム戦争を描いた映画である。
割と最近観た記憶があったのに、かなり前だったとは!(笑)
前編、後編と2部構成になっている映画で前編だけ強く印象を持っていた。
結局のところ前述のシャイニングと同じで「人格崩壊」がテーマなんだよね。
ジャック・ニコルソンの演技と比較してしまうとかわいそうだけれど、迫力が違うためやや狂人らしさに欠けるのが残念。

後半は戦場のシーン。
アメリカ兵に対する対照的な女性の姿が印象的だった。
かたやお色気勝負、アメリカ兵は金の成る木と体とくねらせる女。
かたやどこかで厳しい訓練を受けたのか凄腕のガンマン(ウーマン)。
「Shoot Me!」を繰り返すシーンはなんとも言えない残酷な気分とせつなさとが混ざった、かなり複雑な心境になってしまった。
うーん、やっぱりどうも戦争映画は得意じゃないな。

キューブリック作品は他にも「ロリータ」「博士の異常な愛情」「アイズ・ワイド・シャット」を観ているが、上の4本でやめとくか。
「キューブリックは最高の恐怖映画監督」としてまとめにしよう。