映画の殿 創刊号 レヴォリューション6

【こんな雑誌あったの覚えてるだろうか?】

ROCKHURRAH WROTE:

何と三ヶ月以上もブログをサボってしまったよ。
前は月イチくらいでは一応ROCKHURRAHも書いてたのに情けない。
この三ヶ月間、ROCKHURRAHの身にのっぴきならぬ出来事が降り掛かって、そのためやむなくSNAKEPIPEに毎回登板してもらっていた・・・なんて事は全然ないんだけどね。

久々のブログだけど、今後も全く変わる予感はしないので、今年も相変わらずよろしく。←今年初登場なので抱負、遅すぎ?

タイトルでもわかる通り一応、新境地としてシリーズ化が予定されてる記事を書いてみようか。
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEはDVDなどで毎週末にいつも映画を観ている。SNAKEPIPEだけは友人Mと一緒に映画館に行ったりはするけど、ROCKHURRAHはSNAKEPIPEとだけしか映画館に行かない。
だから観た映画もほとんどは共有していて、SNAKEPIPEの方が少し多くの新作映画を観ているという状況。観てきて書けそうなものは大抵ブログに書いてくれてるし、SNAKEPIPEは「CULT映画ア・ラ・カルト」という自分の特集記事も持っている。
ん?しばらく文章書いてないうちに、何だかヘタな散文風になってないか?気のせい?
ROCKHURRAHはSNAKEPIPEのようにうまく感想を書けない体質なので、映画の事を何か書くにしても少しは違った視点でやってみようかと思いついたのが今回からのこの企画、というわけだ。

創刊号だからROCKHURRAHならではという視点、つまり映画の中で使われた音楽について少し語ってみようか。ちなみに毎回こうするという方針は現時点で決めてないから、次は全然違うテーマかもよ。

まずは2002年のドイツ映画「レヴォリューション6」について。
この映画を観たのはまるっきりの偶然。
映画通でも何でもないROCKHURRAHは公開時には当然全く知らなかったし、まだ京都に住んでた頃だな。当時、話題になったのかどうかさえ知らない。観たのは去年くらい、家の近くのTSUTAYAの「発掘良品」コーナーで偶然手に取ったのが出会いだ。
5枚で1000円とかやってて、最後の1枚が決まらないからテキトウに決めた中の1枚だと思う。

イギリスで70年代後半に起こったパンクの映像を見ると必ず若者のデモ集団と警察の小競り合い、といった(反)社会的な面を強調した場面が出てくるが、この映画の発端は80年代のドイツでのお話。GRUPPE36(グループのドイツ語)なるパンク集団のデモンストレーション・フィルムがそのままタイトルバックとなっていて、これがなかなかスタイリッシュで良い。パンクの捉え方がイギリスでも他の国でも違ってくるのは当たり前だが、ドイツの場合は何となく、より政治的な側面が強いという印象を持つ。このGRUPPE36の場合もそういうことを目指した団体のようでもあり、単なるお祭り騒ぎのデモ行為よりは少しだけ過激派のように見える。やってる事はチャチいけど、パンクはテロ組織ではないから、このくらいのイキがりがリアルなところ。
そんな若者6人組は廃墟ビルのようなところをおそらく不法占拠、アジトとしているところが羨ましい。ROCKHURRAHもこういう若者時代を過ごしたかったよ。
このまま話が進めばパンク青春映画となったんだろうが、舞台は彼らが暴れていた15年後の現代(公開時の2001年頃)となる。かつて仕掛けられたまま不発に終わった時限爆弾装置があるきっかけで再起動し、家がまるごと吹っ飛ぶような大事件となってしまう。 犯人はこのGRUPPE36達なんだが、メンバーはもう40代くらいのいい大人になってしまっている。それぞれ違う道を歩いているわけだが、それぞれがちょっとした問題を抱えていたり、成功した者もいたりイマイチのもいたり、この辺は映画的にはよくあるパターン。ところが今でも二人でつるんで、いい歳こいてまだデモ行為やスプレーによる落書きなどをやってるのもいて、これが本作の主人公。ROCKHURRAHもいまだにパンクだし(見た目は若干変わったがな)、成功もしてないし、やってる事や考え方は80年代と変わってないし進歩しない。大まかに言えば同類という事になるのかな?
時限爆弾テロ事件は大きなニュースになっているし、警察の押収物の中には当時の彼らの犯行だとバッチリわかってしまうものが含まれているらしい。こりゃヤバイという事で、バラバラになった昔の仲間がイヤイヤながらまた集結し、警察に潜入して証拠品を取り返そうという計画がこの映画の本題となる。
狙いはいいし、面白くなって当然というような話なんだが、その後があまり盛り上がらなかったりで評価しない感想も多く見受けられる。
ROCKHURRAHはこういう話は好きなんだが、もっとスリリングに出来る話を敢えてそうしなかったというような意見もあるなあ。まあ人はどうでもいいから、個人的に面白ければそれでいいか。

この映画のテーマ曲に使われていたのがROCKHURRAHも好きだったドイツのニュー・ウェイブ・バンド、フェールファーベンの「Ein Jahr (Es geht voran)」・・・と思ってビックリしたら、どうやらJan Plewkaなる人のカヴァーらしい。まさかメジャーな映画でノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(何度もしつこいがドイツのニュー・ウェイブの事)の曲がかかるとは思わなかったから、という意味のビックリだ。
フェールファーベンはドイツでも最も早くから活動してたローファイなパンク・バンド、Mittagspauseを母体とするバンドだ。このバンドはDAFの母体でもあるからノイエ・ドイッチェ・ヴェレのファンならばその名を知っていよう。そこから派生したフェールファーベン自体はドイツでは割と国民的人気を誇るビッグネームらしく、最近でもおそらく活動してるようだ。しかしそれはドイツ国内のみの話。遠く離れた日本ではどう考えてもフェールラーベン(キツネのマークでおなじみの北欧アウトドア・ブランド)の知名度以下なのは間違いない。
しかしこのバンドのヴォーカルは大好きで、巻き舌べらんめえ口調の歌い方はドイツ屈指の実力だと思う。 こちらが元歌。

この映画の感想を色々調べていたが、フェールファーベンについて言及した記事が見当たらなかったので、この辺がROCKHURRAHならではという事かな。単にここが書きたかっただけでよくぞここまで引っ張れたなあ。

この映画の原題は「Was tun, wenn’s brennt?」ということだが、「レヴォリューション6」というのは邦題だったのか。調べようと思って検索したらネコのノミ取り薬レヴォリューション6%などが出てきて、いきなりやる気をなくしてしまったニャン。タイトル付けた人は事前に調べなかったんかね?

本当はもう一作書こうと思ってたが、今回は疲れたのでちょっと短いけどここまで。シリーズ化予定しておきながら次はあるのかな?
それでは続きを乞うご期待。

ゼロ・ダーク・サーティ鑑賞

【ゼロ・ダーク・サーティのポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

かなり前から「ハート・ロッカー」を監督した、キャスリン・ビグローの新作情報は知っていた。
2011年5月1日のウサーマ・ビン・ラーディン殺害に関する映画だという。
最近よく見かける「Based on a true story」(事実に基づいた話)とのこと。
ミリタリー系映画で、しかも事実に基づいているとは!(笑)
全面協力したCIAによる国家機密の漏洩が問題視される、なんて聞いただけでもワクワクしちゃうよ。
公開日を心待ちにしていたSNAKEPIPEである。

公開されてすぐに出かけたSNAKEPIPEとROCKFURRAHは、映画館の選択に失敗した。
この日は非常に風が強く、飛ばされそうになりながらやっとの思いで映画館に到着。
土曜日の初回だったため、それほどお客さんは入っていないのに…。
何故だかSNAKEPIPEとROCKHURRAHが予約した座席周辺だけ満員状態!
前日に座席予約状況を確認した時には、まばらだったはずなのに。
その周辺以外はガラ空きなのに、何故?
映画はゆっくり、広々した場所で鑑賞したかったなあ。
しかも初めて行ったその映画館は、通路が狭く出入り口は一箇所のみ。
万が一の災害や火災の時、退路が確保できるとは思えない構造だった。
どことは言わないけれど、2度と行かない映画館に決定!(笑)

※ネタバレしていますので、鑑賞前の方はご注意下さい。
長い長い新作映画の予告がやっと終わり、ようやく本編の上映が始まる。
映画の冒頭は9.11同時多発テロの音声を再現していた。
「ママ、助けて」や「怖い」といった生々しい声を暗闇の中で聞くのである。
SNAKEPIPEは幸いにも、9.11で友人や知人を失っていない。
ニュースでしか知らないのにも関わらず辛くなってしまうのだから、実際にテロを経験した人や大切な人を失った人はどう感じただろうか。
経験の有無や、国際情勢に明るいか、など人によって捉え方が違うと思うけれど、2011年にウサーマ・ビン・ラーディンが殺害されたニュースを聞いた時にも、 「ずっと捜索を続けていたんだ!」
という驚きがあったのは、SNAKEPIPEだけだろうか。
「ゼロ・ダーク・サーティ」は10年にも及ぶ、ウサーマ・ビン・ラーディン捜索、捕獲作戦と殺害を描いた作品である。

主人公は20代半ばのCIA女性分析官、マヤ。
アメリカ人女性の中では、かなり華奢な体格。
イメージするCIAとは、かけ離れた外見である。
「高校の時にリクルートで」と、何故CIAになったのかを問われたマヤが話していた言葉。
高校生?リクルート?
そもそもCIAって?(笑)
CIAとは、アメリカ中央情報局(Central Intelligence Agencyの略)で、対外諜報活動を行うアメリカ合衆国の情報機関とのこと。
活動内容は、情報収集、情報操作なんて書いてあるけど、難しいよね?
アメリカのCIAと並んでロシアのKGBなどは、国のために秘密裏に工作活動をしている機関という認識で良しとするか。(笑)
それにしてもCIAの「I」がインテリジェンスの略だとは知らなかったな。
当然だろうけど、優秀な人が就ける職業だよね!

どうやったらCIAの一員になれるんだろう?
検索して出てきた答えが本当のことなのか検証できないけれど、一応情報として載せてみようか。
運転免許証を持ち、視力、聴力、健康状態が良好で、世界中にあるCIA海外支局での勤務が可能な、23歳から35歳までの米国市民なら、誰でもCIAに応募できるとのこと。
ただし、やはりインテリジェンスな集団なだけあって、IQが通常の人間よりもかなり高い人が採用されるらしい。
応募資格だけならクリアできても、IQレベルのクリアに加えて採用試験の合格、そして厳しい訓練に参加して心身鍛錬をする。
身元を隠して任務を遂行することが多いため、外国に派遣された人が逮捕をされてもCIA本部が助けてくれるとは限らない、なんてこともあるみたいだよ。
かなり過酷な任務が待っているというのに、CIAには毎年多くの人が応募するとのこと。
採用されても、「CIAに合格したよ!」と自慢もできないのにね。(笑)
愛国主義者が多い国民性ということなのかな?
そしてきっと主人公マヤは、高校時代に実施されたIQテストで興味深い結果を出して、青田買いされたのではなかろうか?
これ、ただのSNAKEPIPEの予想だから当てにしないでね。(笑)

頼りなさそうに見える、今回の主人公マヤは、その優秀なCIAの中でも更に抜きん出た才能を持つ分析官。
何年経っても、ウサーマ・ビン・ラーディンの居場所どころか、情報すら掴みきれていないパキスタン・イスラマバードのCIA秘密基地にマヤが送り込まれるのである。
着任早々、ウサーマ・ビン・ラーディンを守る傭兵のフォーメーションについての指摘をしたり、アラブ系の名前についての知識の深さを知らしめる。
ははあ、これがマヤが抜擢された理由なんだな、と解り始めるのだ。
アメリカで議論がされたという、拷問のシーンでも最初は目をそむけていたのに、徐々に慣れたのか男性に拷問させながら、平然とした顔で質問を繰り返す。
華奢とか頼りないって言って、ごめんなさいっ!

ひたすら顔写真とにらめっこ、拷問シーン、拷問ビデオの検証などの地道な似たような時間の長いこと!
CIAによる捕えたイスラム教徒への拷問は、かなり強烈。
あれを見て、マネをする人がいないかとヒヤヒヤしちゃったSNAKEPIPE。
すごーく苦しそうだったからね。
拷問を行なっていたCIAの男性が
「もう嫌だ。アメリカに帰る。100人以上拷問してるよ。」
と言った時はホッとしてしまった。
拷問の最中は、ちっとも嫌そうな顔してなかったから。
ああ、この人も普通の良識を持った人なんだって思ったからね。
そして、それだけの人数を捕えて口を割らせようとしても、ウサーマ・ビン・ラーディンの居場所が分からないんだ、ということも同時に知ることになる。
これ、単なるイメージだけど、イスラム圏の方って結束が堅い感じするよね?
絶対裏切らない、それこそ死んでも喋らない。

やっと「第2の人生をやり直すことができる」程の金額と引き換えに、ビン・ラーディンの情報提供をしてくれる医師とコンタクトを取ることに成功する。
CIA基地内で医師を出迎えるCIA職員。
「ようこそいらっしゃいました」
歩み寄った矢先、爆発が起きる。
情報提供者である医師は情報ではなく、爆弾を運んできたのだった。
CIA職員も多数犠牲となり、情報も得られないという最悪の状態である。

外部と接触すればテロの可能性があり、捕虜の拷問による自白もままならない。
自ら外出しても襲撃されてしまう。
そんな八方塞がりの状況下で、マヤは今まで集めた写真や映像などの資料を再点検し、あることに気付く。
かつて死亡した、と伝えられていた重要人物が別人ではないか、と言い出すのだ。
これ、確かにものすごく重要なポイントね。
何故なら、アラブ系の方の顔を区別するのって難しいと思うから。
上の写真は「ゼロ・ダーク・サーティ」の中で使用されていた、壁に貼られたテロリストの顔写真一覧である。
ターバン巻いて口髭や顎髭はやして、全体に白っぽいユルユルの服装だと誰が誰だか判断し辛いよね?
アラブ系の事情に詳しいマヤは、顔の判別も得意だったのね。
再調査してみると、本物の(?)重要人物はまだ生きていて、その人物こそがビン・ラーディンの連絡係だ、と判明する。

ここから一気に話が進んで行く。
連絡係の足取りを追い、その棲家を特定。
衛星写真で家を撮影すると、女性3名と男性2名の存在が浮かぶ。
何かしらのセンサーにより、それらの人物が全て成人している男女であることが判明。
「女性が3名いるならば、3組の夫婦と思われるため、男性がもう1名いるはず」
とマヤが推測する。
男性もう1名は本当にいるのか?
男性がいると仮定した場合、それが標的であるビン・ラーディンなのか?
ビン・ラーディンが衛生写真で確認できたのならば、話は簡単だったけれど、その確認ができないまま月日だけが流れていく。

マヤは「なんで突入しないのよっ!」とイライラしていたけれど、確証もないのにアメリカ軍が突然民家に押し入るわけにはいかないもんね?
万が一ビン・ラーディンがいなかったら、と考えると及び腰になってしまうのもうなずける。
それなのに何故だかマヤは「100%この家にいる」と断言するのだ。
この自信、どこから来るんだろう?
もちろん状況から判断して、ということになるんだろうけど、SNAKEPIPEは「単なる勘」だと思った。
そしてその「マヤの勘」に賭けて、突入にGOサインを出したアメリカ政府はすごいな!

ついに捕獲作戦が幕を開ける。
舞台となるのは、アフガニスタンとの国境から100マイル離れた、パキスタンの郊外アポッターバードにあった、広さ38000平方フィート(3530m2)のビン・ラーディンの3階建ての隠れ家である。
公開されている情報と設計図を元に、ヨルダンにこの隠れ家を完全再現しちゃったというから驚きだね!
確かに写真などで確認できる建物と、区別ができない程の出来栄えだったよ。
そして作戦決行の日と同じような、月のない暗い夜を選んで撮影したとのこと。
実際の作戦を再現する映像だから、このあたりからの画面が暗いんだよね!
それでも暗闇の中で何が行われているのか、手に汗握るような緊張感を持って食い入るように画面を見つめてしまう。
上の写真は、シールズ隊員が装着している赤外線スコープから見た映像を再現した様子である。

ああ!赤外線スコープ!(笑)
SNAKEPIPEが一番初めにスコープから覗いた映像を観たのは恐らく「羊たちの沈黙」だろう。
バッファロー・ビルがFBI訓練生であるクラリス・スターリングを覗き見するシーンである。
見る/見られるという立場の違いは、見られる側に弱者であることを認識させ、見る側にはより強力な優位性を与えていた。
加えて「覗き」という行為の変態性も露呈してくれた、秀逸な演出だったよね!
何度観ても、あのシーンはドキドキするSNAKEPIPE。
そのため赤外線スコープとか暗視スコープという言葉を聞くだけで、ドキドキする、という条件反射が起きてしまうのだ。
どちらにしても赤外線スコープを使う時というのは、相手には知られないように秘密に行動する時。
「ゼロ・ダーク・サーティ」の突入シーンも当然ながら、気付かれないように侵入する状況である。

ゼロ・ダーク・サーティ(深夜0:30)、作戦決行の時間である。
「あのUBLの捕獲だって!?」
作戦内容を聞いた時に驚き、ウサーマ・ビン・ラーディンの頭文字からUBLと呼んでいたネイビーシールズ対テロ特殊部隊「DEVGRU」がステルス型UH-60ブラックホークヘリコプター2機に分乗する。
建物の敷地内にロープをつたって降下、建物を急襲する。
約40分後には邸宅を制圧してしまう。
そして屋内に隠れていたビン・ラーディンも殺害するのである。
とても意外だったのが、本当に本物のビン・ラーディンが潜んでいたのに、警護する人員が建物内に配属されていなかったこと。
SNAKEPIPEは、あれほどの重要人物だったら、24時間・360度をギッチリ重厚な隙のない警備体制を敷いているはずだと勝手に思い込んでいたよ。
映画の中では一人だけビン・ラーディン側の男性が発砲していたけれど、あっさりシールズにやられていて、その後応戦する気配すらなかった。
建物を制圧した後は証拠品として、殺害したビン・ラーディンの遺体やハードディスク関連を押収し、ヘリコプターで運び込み、作戦は終了するのである。

ここでSNAKEPIPEにはちょっと疑問が。
アメリカ側からすれば「9.11同時多発テロ首謀者であるビン・ラーディンを殺害するための作戦」ということだけど…。
パキスタンから見ると、領土内に不法侵入され、民家を襲撃、発砲、殺人、更には略奪行為をされたということになるのでは?
Wikipediaによれば、やっぱりパキスタン側から主権侵害であると非難があったとのこと。
世界的には歓迎の声が多かったようだけど、立場を変えてみると違う感想を持つこともあるよね。

「100%この家にいる」と断言したマヤの勘は大当たりだった。
ヘリコプターで運ばれたビン・ラーディンと思われる遺体と対面したマヤは無言でうなずく。
間違いない、ビン・ラーディンだ、と。
マヤの確認が決め手となり、ついにアメリカ大統領の、あの発言「Justice has been done」を聞くことになる。
こうして10年に及んだマヤの追跡は終わるのである。
全く表には出てこない、匿名のまま任務を終えるCIA職員の活動が良く解る映画だった。
今でも世界のどこかで、この映画のモデルとなった女性CIA分析官が活躍してるんだよねえ。




20XX年X月X日に何があった、また違う日にはこんなことがあった、というように実に淡々と映画が進んでいくため、ドキュメンタリー映画を観ている気分にさせられた。
前作のアカデミー賞を総なめにした「ハート・ロッカー」も戦争映画だったし、今回も「女流監督」というイメージとはかけ離れたクールな視線で撮られた作品である。
男女同権を謳っているアメリカ社会に属している主人公マヤが、性差別を感じさせる場面に直面したシーンを採り入れている辺りに、女性の目線を読み取ることができるかもしれない。
そしてこの感想は同性だから感じることなのかもしれないけどね?

この映画を監督したキャスリン・ビグローとはどんな女性なんだろう?
上の写真は演技指導中の(?)キャスリン・ビグロー監督である。
一番右に写ってる女性なんだけど、スラリとした長身で、監督ご本人がこの映画の主役でも良かったと思ってしまうほど決まってるよね?
サングラスを外したお姿がその次の写真。
OH~ッ!ビューチホーーーッ!(笑)
1951年生まれの61歳?見えない、見えないっ!
こんなに素敵な、美貌の女性が監督していたなんてビックリ!
「ターミネーター」や「エイリアン2」でお馴染みの、ジェームズ・キャメロン監督は5回結婚しているらしいんだけど、キャスリン・ビグローはその3回目の時のお相手なんだって。
第82回アカデミー賞を元夫婦で争い、主要部門は元妻が勝ち取ることになるとは。(笑)
SNAKEPIPEは「アバター」を観たことがないし、「タイタニック」もこれから先鑑賞することはない映画と断定できるので、キャメロン監督作品よりずっとキャスリン・ビグロー監督作品が好み。
キャスリン・ビグロー監督の次回作はどんな映画になるんだろう?
「ハート・ロッカー」の冒頭で
War is a drug(戦争は麻薬だ)
という言葉があったけれど、ビグロー監督自身が中毒になっていたとしたら、次もまた戦争を題材にした映画になるんだろうか?
楽しみに待ちたいと思う。

SNAKEPIPE MUSEUM #19 Kendell Geers

【いきなり暗闇からこんな人が現れたら腰を抜かしちゃうよね!(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

「芸術は爆発だ!」でお馴染みの岡本太郎が、「なんだこれは!?」を褒め言葉(?)として使っていたのをテレビで見たことがある。
人をびっくりさせるような新鮮な驚きを持った作品こそ素晴らしい、という意味だったと記憶している。
現代アートというジャンルは、作品に理念や解説がくっついて初めて作品として成立するような傾向があるけれど、SNAKEPIPEは岡本太郎式にびっくりたまげたり、笑ってしまったり、持って帰りたくなるほど好きと思うような鑑賞方法で展覧会を巡っている。
人それぞれ鑑賞スタイルがあってもいいじゃないか、とグラスの底に顔があってもいいじゃないか風に言ってみよう。(笑)

面白いアーティストいないかなあ、と検索していたら目に飛び込んできたのが上の作品。
まさに「なんだ、これは!」というインパクトの強さ!
タイトルを確認すると「FUCK FACE」と書いてある。
ははあ、なるほど。
顔にFUCKで、まんまじゃん!(笑)
この人は一体誰?と調べることにしたのである。

このアーティストは南アフリカ、ヨハネスブルグ出身のケンデル・ギアーズ
今までアメリカやヨーロッパのアーティストについてはブログに書いたことがあるけれど、アフリカ大陸のアーティストは初お目見えだね。
南アフリカと聞いて連想するのはアパルトヘイトと喜望峰だけで、他には全く知識のないSNAKEPIPE。
先日起きたアルジェリアのテロ事件もアフリカだったけれど、日本企業が進出しているなんてことも全然知らなかったし。
恥ずかしながら世界情勢関連って本当に疎いんだよね。
予備知識としてWikipediaで南アフリカについて読んでみたら、アパルトヘイトは既に廃止されていること、白人の割合が10%以下で、それ以外は有色人種であること、平均寿命が48歳(!)、更にアパルトヘイト廃止後に失業率が上がり、治安が悪化していることなどを知る。
記事を読んでいる限りでは、あまり足を踏み入れたくない土地みたいだね。
さて、こういった予備知識を頭に入れた上でケンデル・ギアーズについて、再度調査を開始!
日本ではほとんど記事になっていないようなので、英語の説明文を自分で訳したんだよね。
文章としておかしな表現だったり、誤訳があったらごめんなさい。(笑)

ケンデル・ギアーズは南アフリカ内では少数派の白人で、アフリカーンス語を話す労働者階級の家庭に生まれる。
15歳で反アパルトヘイト運動に参加するために家を出る。
前線で活動した経験を経て、政治的意味を持つ個人的思念、惨めさを伴う詩的な表現、性的興奮を伴う暴力行為といった複雑な要素を融合したアートを目指す、と書いてあるんだけど意味不明だよね?
どうやらこれがケンデル・ギアーズの本質みたいなんだけどね。
1993年、ベニスにあるマルセル・デュシャンの作品「泉」に放尿し、国際的に非難されたらしい。(笑)
同年5月ベニス・ビエンナーレにおいて学生および市民の革命のスタートを示す「1968年5月」に生年月日を変更する。
この日付がWikipediaなどにも載る公式なケンデル・ギアーズの生年月日になっちゃってるから、実際の生年月日は不明なんだよね。(笑)
そして1993年以降、世界中の様々なギャラリーで作品を発表している。

ケンデル・ギアーズについて検索している時に
「彼はアート界の問題児」
のような記事を見つけたことがある。
彼自身の行動もさることながら、作品の暴力性や政治的なメッセージなどが物議を醸すためらしい。
左の作品は「Self Portrait」(1995年)である。
割れたハイネケンの瓶なんだけど、なんでこれがセルフポートレートなの?
これにはちょっと説明が必要だよね。
ハイネケンはケンデル・ギアーズの先祖であるボーア人のように、南アフリカへ輸入されたことから、このビールをアパルトヘイトが正当な政治制度であると確信している、価値およびボーア人のモラルを表現しているんだって!
植民地支配からの自己の解放へのシンボルとしての作品、ということらしい。
ものすごく乱暴に言ってしまえば、ハイネケンを悪(習慣や価値など)に見立て、瓶を割ることで悪に打ち勝ったワタクシ、ということなんだね。
うーん、この割れた瓶の写真から、ここまで発展させて考えるのは難しいねえ。
他にもこのハイネケンビールの割れた破片を使った作品もあったけど、きっと同じような民族的な意味があるんだろうなあ。
一番初めに書いたけれど、このような説明がされないと理解できない作品っていうのは、なるべくなら敬遠したいSNAKEPIPE。
だったら紹介するなって言われそうだけどね。(笑)
ケンデル・ギアーズの作品制作におけるスタンスについて、非常に解り易い例だと思って書いてみたよ。
えっ?解り難い?(笑)

ハイネケンビールの使用は、上の文章にも出てきたマルセル・デュシャンが始めたレディメイドの概念を踏襲しているよね。
ケンデル・ギアーズの作品にはレディメイドが多く登場する。
右の作品「Carciac Arrest」は警察官が持つ警棒を2つ合わせて十字架にし、更にそれらを並べてハート型にしている作品。
ケンデル・ギアーズは例えばLOVE & HATEのような相反する事象を組み合わせることで複雑な意味を含ませることを得意としているので、このような作品を提示するんだね。
警棒シリーズは他にも警棒を円形に並べたタイプや壁一面を迷路ゲームのように配置したタイプなど、いくつかのパターンが存在する。
無機的で硬質なメタリック素材が大好きなSNAKEPIPEには、どの作品もとても美しく感じられ、家が広かったら壁に飾りたいと思ってしまう。
本来であれば、警棒を見て美を感じることはないだろう。
並べて作品として展示されるとガラリと印象が変わってしまう点は面白いね!

ちょっと小さくて判り辛い左の作品は、「POSTPUNKPAGANPOP」(2008年)というインスタレーションである。
素材がなんとレーザー・メッシュとされているので、カミソリの網ってことかね?
軍事境界線に使用されるという説明がされているんだけど、島国である日本人にはあまり馴染みのないもの。
一応画像検索して出てきたのが左の写真。
有刺鉄線がチクっとする感じだとしたら、レーザー・メッシュはザックリって感じだね。
変な角度で刺さってしまったら肉が削げそう…怖い!
それがラビリンスになっているらしいので、カミソリだらけの迷路を歩いて鑑賞する、とても危ない作品なんだね。
しかも床は鏡面仕上げというから、迷路が更に拡張している気分になりそう。
アート作品鑑賞というよりは、むしろ拷問を受けてる感じだよね?
作品の解説によれば、神秘的な真実の探求を目的としているとのこと。
SNAEKPIPEにはチキンレースみたいな肝試しのように見えるよ。
これも一種のレディメイドになるのかな。
ケンデル・ギアーズは物騒なブツが得意なんだね!


ここからは民族的、宗教的テーマについての作品について見ていこう。
左「Country of my skull」(2010年)は、南アフリカの作家Antjie Krogの著作「Country of My Skull」(1988)からインスピレーションを得て作られた作品。
ニューカレドニアの人喰いトロフィーとのことで、ケンデル・ギアーズの根源に由来する彫像という説明がされていたけれど、先祖なのかな?
その本の中に何か書かれているのかもしれないね。
この点に関しては不明だけど、cannibal trophyという発想に惹かれるよ。

右上「Losing my religion」(2007年)は仏像に単語を書き連ねた作品。
右下「Fuckface (Skul Version)」(2005年)のデザインされた文字にとても似ているように見えるので、やっぱり「FUCK」と書き連ねているのかな?
仏像にFUCKね。(笑)
これも宗教関係者から抗議されそうな作品なのかも。

デミアン・ハーストの「For the Love of God」という、スカルにダイヤモンドをびっしり貼り付けた作品は2007年作なので、スカルにFUCKと書き連ねたケンデル・ギアーズのほうが早いんだね。
何故だかこの「Fuckface (Skul Version)」のケンデル・ギアーズ自身の解説にはナイン・インチ・ネイルズの「Closer」の詩が載っていて、謎だった。
ただしナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーが、かつてシャロンテート事件が起きた家に住んでいたと読んだことがあるので、どこかに通じる部分があるのかもしれないね?

その共通点かもしれない一つに、FUCKという単語がある。
「Closer」の歌詞の中にも
I want to fuck you like an animal
なんて感じで登場するんだよね。
ケンデル・ギアーズの作品にもFUCK関係がたくさん!
例えば左の作品「FUCK Forever」は、恐らくハリウッド映画に登場するような女優のパロディだろうね。
こんなスマイルで「FUCKよ永遠に!」なんて言われてもねえ。(笑)
実はこのインクで描かれたモノトーンのシリーズは、大股開きの女性や、性器をこれ見よがしに見せつけるようなポーズを取る男性バージョンがある。
きっと日本の美術館での展示は無理だろうね。(笑)
先日の会田誠展にも市民団体から抗議があった、という記事を読んだばかりだしね。
数枚並べて展示したら、さぞやインパクトがあって素敵だろうなと思うし、ポスターがあったら欲しいなあ!

ケンデル・ギアーズの作品は、とても挑発的で暴力的である。
加えてユーモアも含まれているのが特徴的だね。
そのユーモアがブラックな性格だから、余計に印象に残りやすい。
実際に前線で活動する運動家だったという経歴が、かなり色濃く作品に影響していることが解るし、だからこそアナーキーな作品が多いんだろうね。
作品を使って実際に政治問題の告発を行い、安全確保のために身を隠す経験までしているケンデル・ギアーズはアート界のゲリラ指導者といえるだろう。
好き嫌いもあるだろうし、恐らく敵も存在するだろうけれど、思いっ切り奔放にパンクな姿勢でアートなレジスタンス活動を続けて欲しいと願ってしまう。
ケンデル・ギアーズ展覧会、是非鑑賞してみたいものだ。

Ted 鑑賞

【Tedのアメリカ版ポスター。テディには***がないのにね!(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

先週、カルト映画「エル・トポ」の記事をかなり慎重に深く考察しながら時間をかけて書いたSNAKEPIPE。
その翌週にコメディ映画について書くことになるとは自分でもびっくり!
この落差がまたROCKHURRAH WEBLOGということなのかな。(笑)

長年来の友人Mと先日映画を観に行った時のこと。
本編が始まる前の映画予告の中にあったのが「Ted」だった。
「面白そう!これ絶対観に行こうよ!」
と興奮気味に誘ってくるMを横目で見ながら、わざわざ映画館で鑑賞しなくても良いのではないか、と密かに思うSNAKEPIPE。
考え方が古いのかもしれないけれど、映画館で観るのは特別な映画という意識を未だに持っているためである。
特にコメディ映画を映画館で鑑賞したことは今まで皆無のはず。
できれば鑑賞後に映画についてじっくり考えるような、重厚な映画を観たいと思っている。
ところが友人Mは、どんなジャンルでも封切り映画を観るために気軽に映画館に足を運ぶタイプ。
「Ted」鑑賞の返事をなんとなく濁していたのに、友人Mは2人分の座席指定の予約を済ませるという強行手段に出た!
こうしてSNAKEPIPEも「Ted」を映画館で鑑賞することになったのである。

「Ted」のあらすじを簡単に書いてみようか。
※ネタバレしないように用心して書いているつもりですが、鑑賞前の方はご注意下さい。
舞台は1985年のクリスマス、7歳の友達がいない少年・ジョンへ両親がテディベアのぬいぐるみをプレゼントする。
ジョンはぬいぐるみにテディという名前を付け、テディが実際に喋って友達になってくれると良いのに、と流れ星を見ながら祈る。
翌日、ジョンの願いが叶ってテディが本当に喋り、生きたぬいぐるみとなることから物語は始まるのである。

時が経ち、27年後の2012年。
少年だったジョンは35歳、映画の中では中年独身男とされている。
実際には35歳はまだ中年の域には達していないと思うけどね。(笑)
そしてかわいいテディベアだったテディも、ジョンと同じように年を取っていて、同じく中年のクマという設定になっている。

二人はずっと仲良し、いつでも一緒。
27年間も生活を共にしているから、気心が知れるのも当たり前だよね。
酒を飲む、大麻を吸う、しかもオンナ好きというカワイイぬいぐるみには似合わない行動をするテディ。
水パイプで大麻を吸引しながら
「この前のと品質が違うな。売人に文句言わなきゃ」
なんて台詞まで出てきて、かなりの不良テディベアなのである。(笑)

ジョンには4年付き合っている彼女・ロリがいるけれど、どうしても結婚に踏み切れない。
それはテディと一緒に暮らしているからよ、私とテディのどっちを選ぶの!と山口百恵の「絶体絶命」ばりに迫られ、テディとの別居を決意するジョン。
住居は別になっても、やっぱりテディとジョンは連絡を取り合い、関係を断ち切ることができない。
ついにロリの堪忍袋の尾が切れる。
ジョンとロリはもう関係を修復することが不可能になってしまう…。

「Ted」の最大の面白さは、かわいいはずのテディベアが毒舌家の不良中年という設定だろう。
マジックマッシュルームに始まり、大麻、コカイン、酒、女、と本当に人間と同じ欲求を持ってるんだよね。
そしてそのギャップが魅力!
「なんで***を付けてくれなかったんだ。メーカーにクレーム何度も入れたよ」
と、女性の上に馬乗りになった後言ったテディの台詞。
***の部分は想像通りの単語だよ。(笑)

「Ted」のポイントの2つ目は、テディとジョンにとっての原点が1980年に実写映画化された「フラッシュ・ゴードン」という点かな。
クィーンの「フラッシュッ!ああ~っ!」でお馴染みのテーマ曲を使った映画。
実はSNAKEPIPE、曲は知ってるけど映画を観てないんだよね。
「フラッシュ・ゴードン」自体をほとんど知らないの。
ROCKHURRAHは「フレッシュ・ゴードン」は観たらしいけど。(笑)
「Ted」の中には「フラッシュ・ゴードン」のパロディだと思われる台詞や登場人物が現れるので、「フラッシュ・ゴードン」を知っていたら、もっと楽しめたはず。
「Ted」がDVDになる前に鑑賞しておこうかな。(←また観るつもり)
子供時代に読んだ漫画や観ていた映画のヒーローに憧れ、それが大人になっても変わらないというのは、子供っぽさを表現したかったのかもしれないけれど、決して悪いことじゃないよね。
同じヒーローに憧れたジョンとテディの仲良しぶりが微笑ましかった。

テディの誕生が80年代ということで、「Ted」の中には80年代テイストもたくさん出てくるんだよね。
もしかしたら最近の若者は知らないような、80年代に活躍したミュージシャンの名前が出てきたり、音楽も80年代だったり。
詳しくは語らないけれど、映画の中で男が身をくねらせながら踊る曲がTiffanyの「I Think We’re Alone Now 」なのである。

曲が流れた瞬間に
「ティッ、ティファニー!!!」
と声を合わせて驚いたSNAKEPIPEと友人M。
あまりに懐かしいもんね。(笑)
多分映画館にいた人の中でティファニーと即答できた人は少ないんじゃないかな?
※上の画像をクリックするとミュージックビデオが流れます

特に女の子だったら、子供時代に大好きなぬいぐるみや人形がいて、一緒に遊んだり抱いて眠った経験があると思う。
そしてそのぬいぐるみに名前を付けて、喋らせてみたり、一緒に会話しているように一人二役を演じたことがあるんじゃないかな。
SNAKEPIPEにも当然のように名前を付け一緒に遊んだ、大好きなぬいぐるみ達との思い出がある。
ぬいぐるみや人形が本当に喋ったり動いたりしたら、どんなに楽しいだろう?と想像する人も多いはずだ。
ものすごく単純な、誰でも思いつくような発想なのに、何故今まで誰も映画にしなかったのか不思議だよね。
Wikipediaに「Ted」はR15指定のコメディ映画としては、異例のヒットだと書いてあった。
確かにめざましテレビの映画興行収入ランキングで1位と発表していたのを聞いて驚いたSNAKEPIPEだったけれど、鑑賞してそのヒットの理由は解ったなあ。

「あー面白かったね」
席を立とうとするSNAKEPIPEに、
「マーク・ウォールバーグはこんな演技もできるんだねえ」
としみじみ語る友人M。
「主役の俳優、ほら、お兄さんがニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの」
ここでSNAKEPIPEにも判った。
「もしかしてマーキー・マーク?」
「そーそ!あのラップの!」
マーキー・マークか!
SNAKEPIPEはかつてラップ系音楽を聴いていた時期があったため、このCD持ってるんだよね。(笑)
「Good Vibrations」はとてもカッコ良い曲で、お気に入りだったよ!
ところがこれもまたWikipediaからの情報によると、マーク・ウォールバーグはマーキー・マークだったことを封印したがっているらしい。
過去恥部ってことなのかな?
恥ずかしいことないから、堂々としていて欲しいと思ったSNAKEPIPEである。

驚くようなストーリー展開もなく、くつろいで楽しく鑑賞できた。
特にぬいぐるみ遊びを経験をした人には、子供時代の夢が叶う映画だしね!
80年代を経験した人にとっても、笑いどころがあるのでお勧めかな。
動いているテディが本当にカワイイんだよね。
「テディ、欲しいー!」
と叫んだSNAKEPIPEと友人Mである。(笑)