アイ・オー・レッツゴー

【MacとUbuntu、柄物同士の共存】

ROCKHURRAH WROTE:

先日のSNAKEPIPEによる「Win族大移動」事件の後日談というわけじゃないが、パソコンというのはいつ何時壊れるかわかったもんじゃないという事を今更ながら痛感した無防備な二人。
そこで今回はROCKHURRAHも「いい機会だから」と便乗して、新しいハードディスクを増設してみた。
と言うかROCKHURRAHのパソコンはiMacで、内部に新たなハードディスクを搭載するのは無理なんで、外付けのを買ってきてUSBに接続しただけ、終わり・・・。
ん?これじゃ話にならない?もう少し話を増設してみるか。

買ってきたのはアイ・オー・データ製の大人気激安500GBのヤツ。
ウチのブログではおなじみのY電機にてポイント使用したおかげもあるけど、今時は1万しない金額で買えてしまう。SNAKEPIPEの買った内蔵よりも安いよ。すでにテラバイト超える機種が主流になってる(?)のか、メモリもハードディスクも実に安くなったもんだ。
前にバッファローのFirewire接続のを使ってたけど、実はアイ・オー・データのは初めて。何とMacの外付け起動ディスクとしても使える優れものなのにこの安さ。
早速現在のシステムごと完全にバックアップしてみる。

使ったのはMac用バックアップ・ソフトでCarbon Copy Clonerというもの。ハードディスクに付属のソフトは見当たらず、オフィシャル・ページで探してもMac用のそういうソフトがどうしてもダウンロード出来なかったが、逆にこのCarbon Copy Clonerの方が(たぶん)使いやすかった。これでフリーとは素晴らしい。このブログでも称賛してつかわそう。
それから待つ事しばし、バックアップが終わったのでドキドキしながら再起動。
ちなみにMacの場合はOptionボタン押しながら再起動すると起動するシステムが選べる。BootCampでもおなじみ。
うん、ちゃんとめでたく(日本語変か?)内蔵からでも外付けからでも起動出来てる。内蔵ハードディスクから起動出来なかったら恐ろしいけど。
出来ると書いていた機種を買ったのだから出来て当たり前の事だが、昔はブータブル(そこからシステムを起動出来る)の外付けハードディスクはあまりなかったので、こんな事でも感動してしまう。
要するにひとつのディスプレイで2つのMac OSが起動出来るという環境だ。

完全な同期をさせてイザという時のクローン、とも考えたが、それじゃあまり面白くない。新たな外付けの方は今までやらなかったような事に使ってみたいと考えて、やってみたのはいわゆるヴァーチャル・マシンというようなものをMac環境でやってみようという試み。

このヴァーチャル・マシンと呼ばれるような技術はMacでもおなじみ、Boot CampとかParallels DesktopとかCrossOverとかVM Ware Fusionとか、さまざまな選択肢が現在ではある。どうでもいいが全体的に名前どうにかならないかね?。
ROCKHURRAHはこういう技術には疎いんだがやりたい事だけは明確で、要するにMacの中でウィンドウズやLinuxといった他のOS(で動くソフト)を動かしてみようというもの。
実は昔むかし、そういう事に興味あった時期にはまだ実用化にはほど遠い環境しかなくてがっかりしていた技術だが、今はもう完全に実用化されていて、ハードディスクの空き容量もメモリーもそこそこあるからという事で今回実験してみたのだ。

Parallels Desktopが最も評判良いようだが、ROCKHURRAHが試してみたのはこの中で最も金がかからなさそうな3つ(笑)。

まずはCrossOver Macなるもの(の体験版)。
これはMacの中にウィンドウズをインストールするのではなくて、ウィンドウズ用のアプリケーションをそのままMacで使おうという技術で、詳しくは・・・わからん。
ただウィンドウズOSが不要という手軽さへの興味から試してみたが、使えるアプリケーションがまだまだ少ないなという印象。ものによっては「予期せぬ理由で終了しました」というのもあり、使えるか使えないかはほとんどバクチ。特にMacではほとんど発達してないジャンルのフリーソフトとか。ROCKHURRAHがどうしても使いたかった某ウィンドウズ専用のフリーソフトは運良く完璧に使えたが、うーん、それだけのために買うかどうかは微妙なところ。博打好きな方はどーぞ。

次も似たようなものだがMikuInstallerなるもの。これはいかにも個人っぽいアプリケーションなので(?)上記のCross Overよりもさらに冒険なんだが、タダで使えるのでチャレンジしてみた。これまた何だかよくわからない代物だが、Macの中でウィンドウズの実行環境が得られるというWineというものを簡単に組み込む事が出来るらしい。何じゃそりゃ?と思ってる初心者でもたぶん全然大丈夫。理由はわからなくてもちゃんと仕事はしてくれる。Mac OSのインストールDVDに付属するデベロッパ・ツールとかX11とか、他にもインストールしなければならないもの(初期状態ではインストールされてない)があるが、それさえ事前に済ませておけばこのWineを組み込む事は(たぶん)簡単。
X11はフォトショップに匹敵するフリーソフト、GIMPとかを使うのにも必要なものだから興味ある人は事前にインストールしておくと良い。
このMikuInstaller、画面はしょぼいが結果としてCross Overとほぼ同じ。
出来ないアプリケーションはやっぱりインストール出来ないところまで一緒だけど、ROCKHURRAH環境ではやはり使いたいアプリケーションが一応使えた。運試しがしたい方はどーぞ。

上記のふたつはあくまでMacの中でウィンドウズのソフトをそのまま動かす、という少し強引なものだったが、次にROCKHURRAHが試したのがMacの中にヴァーチャルなウィンドウズ領域を作り、そこでウィンドウズそのものを動かすというもの。使ったのは無料で試せる太っ腹なVirtualboxなるもの。

かつて期間限定版として使った事あるVM Ware Fusionとだいたい同じようなものだが、むしろこっちの方が実用的ですっかり気に入ってしまった。現在はJAVAやMySQLなどでおなじみSun Microsystemsが買収したようだが、ちゃんと日本語だしわかりやすい。
これで無料とは素晴らしい出来。ウィンドウズOSは必要だがMacでウィンドウズや他のOSを動かしてみたい人にはオススメ出来るものだ。

Virtualbox本体のMac版をインストールし、新規ゲストOSをインストールする設定が出来たらもうOK。新しいパソコンにウィンドウズをインストールするのと同じ要領でいとも簡単にヴァーチャル・マシンは完成する。ウチの場合はXP持ってなかったのでウィンドウズ2000をインストールしてみる。
つまずいたのは最初にCD/DVDドライブをマウントしてなかったためにインストール画面が出て来なかった事。
・・・まあ説明読みながらやってれば問題なくわかるのでROCKHURRAHが愚かだっただけの事。
変な部分で手間取ったが無事にインストール成功、がしかし、画面は640×480、16色とひどいものでこのままじゃ使い物にならん。

どうやらゲスト・アディションなるものをインストールしないと設定変えられないらしい。そこで必死で公式ページとか探してみてもどこにもそんなもの見当たらない。一体どこにあるのか?気付くと上のメニューにちゃんと項目があるしイメージ・ファイルとしてマウント出来るようにもなってる。あっ、本体に付属してたのか。ファイルをダウンロードしてインストールするものだと思っていた。これまたROCKHURRAHの注意力のなさが原因だな。

このゲスト・アディションをインストールすればちゃんとフルカラーで大画面表示が出来るようになる。さらにMacの中で動いてるウィンドウズとその外側にあるMacの間で自由にマウスカーソルの移動が出来るようになる。この段階でMacのウィンドウズの中にウィンドウズのデスクトップ画面(の中にウィンドウズのアプリケーション)が表示されるという、ひと昔前には考えられない出来事が実現した。使ってるMacとゲストOSのメモリーとかで色々バランスを考えないと動作がもたついたりするが、バランスが良かった場合はかなり快適に動いてくれてなかなか良い状態。現在売られているiMacくらいならば余裕で使えるレベルだ。

この後、怒濤のようにWindowsアップデートを繰り返さないとならないのが時間もかかって難儀だったが、なぜか途中から再起動が出来なくて、妙な縦のスジみたいなもんが入った画面で固まってしまう。バグなのか設定がおかしいのかアップデートのせいなのかわからんけど、この問題は書いてる今もまだ解決してない。
ウィンドウを閉じようとすると「ゲストOSのシャットダウン」みたいな項目が選べるので毎回それで終了しているありさまだ。

まあおかしくなってもメインOSではなくてヴァーチャル・マシンだからそこまで痛手ではない、というところがヴァーチャル・マシンのいいところだな。本気でウィンドウズやりたければウィンドウズ機を買うだろうし、その辺の使い分けは個人の勝手。ROCKHURRAHは極端なMac信者であり、ウィンドウズを入れてやりたかった事はそんなに多くなかったから、無料でこれだけの事が出来たVirtualboxに大変満足している。

ウィンドウズ2000で調子に乗って、今度は巷で評判のLinux系完全フリーのOS、Ubuntuまでインストールしてみた。これはさらに簡単で、Ubuntuのページに最初からVirtualbox用の仮想ハードディスク・イメージがある。Virtualbox起動後、新規でUbuntu用の設定を作る。このハードディスクを設定する際にあらかじめダウンロードした上記のディスク・イメージを選択すればインストールさえいらないという手軽さ。
見た目は渋い和柄のXPという感じだが、かなりクセが強いOSという感じ。
この方面に対する知識がないから使いこなすのはまだまだ先だろうが、最初から多数の無料アプリケーションが入ってるからかなり楽しげな予感がしている。

Virtualbox+Ubuntuの場合は完全に無料で楽しめるから、興味ある人はやってみてくんなまし(死語)。

マルワランド・ドライブ


【今回の話を元にSNAKEPIPEが制作、廃墟遊園地写真】

ROCKHURRAH WROTE:

暑い夏もようやく終わり過ごしやすい季節に、と思った八月後半だったが、やっぱり今年もしぶとく蒸し暑さが残ってるね。

夏生まれのROCKHURRAHだが、暑さには滅法弱く、一番辛い季節が真夏なのだ。
とは言っても単純に暑さだけの問題じゃなく、今までの夏を回想すると何だかひどい事ばかりがすぐに思い出される=夏嫌いという回路になってるのかも知れない。
今回はそういう過去について書いてみよう。
年代は敢えて明らかにしないがちょっと前から昔々のお話。

福岡に住んでいたある夏の事、ROCKHURRAHは「縁日などで屋台を運営する事を生業にしている一家」に連れられて九州の夏祭り巡業ツアーに参加した事がある。
委細面談、即決、高時給という言葉に惹かれ面接場所のドアを開けたとたんに見えてしまったトラの毛皮の敷物。まあ上記のような稼業をしている事務所ではありがちだな・・・と思って初日は福岡の東の方にある神社の夏祭りでデビューした次第。
ここでは最初ビールなど冷やしドリンク担当となった。これは簡単で氷水の中から取り出して売る程度だったからちょろいもんだ。

ところが翌日からの巡業について全く説明がなかったため、また同じ場所でやるのかと勘違いしてとてつもない軽装で気軽に出かけたのが運の尽き。
トラックの助手席から見る風景が違う、などと思っていたらいつの間にか車は高速に入って、着いた先は名も知れぬ山の中のとある村。ここで今夜の村祭りの屋台設営をするのじゃ、という指令とともに初めて今回のツアーの日程が明らかになった。何と福岡から山間部を巡業しながら最終的には大分県の夏祭りまで、約一週間もの間をこの一家と共に過ごすというプランだった。
ちょっと待ってよ、まさか出張とは思ってもいなかったROCKHURRAH。着替えもなく汚れてもいいどうでもいい格好のまま、ロクに金も持たずに完全な手ぶらでこの巡業に参加してしまったのだ。金を持たずに、というのはここから逃げ出してバスや電車に乗って家に帰る事も出来ないという事だ。これじゃどうしようもない、もう一週間この一団のメンバーとして過ごすしかない運命。

こういう職種の経験がある人はそんなに多くはないだろうし、ROCKHURRAHが経験した例が一般的かどうかは全然わからないのだが、主に下っ端は食べ物関係で偉くなるとくじやお面といった設営や下準備があまりいらない商材を扱う事が出来るようだ。当然ながらROCKHURRAHも主にたこ焼きやソフトクリームなどの食べ物屋台で雑用をやらされた。水がない場所という現場もあって、その時は70リットルのポリバケツ一杯の水を台車もない状態で屋台まで何とか持って帰るというとんでもない苦行も経験した。出来るわけないでしょうという状況。たまたまこの時のバイトは一人のみで(他のバイトは全て逃走)、同じ境遇の仲間もまるっきりいないから余計に辛かったんだろう。
食事は車でファミレスとか弁当とか、最低限の保障はしてくれたし、別府のスーパー温泉みたいなところにも連れて行ってくれた。宿はビジネスホテルのツインの部屋で数人雑魚寝という高待遇(笑)。んがしかし、着替え持ってないんだよね。一週間同じパンツだよ。

たこ焼きは多少のコツ覚えて焼けるようになったが少し客が混んでくると売り子と作り手を同時に出来る程の技能がないもんだから、すぐに焦がしてしまうありさま。ソフトクリームに至ってはどうしてもうまくクルクル巻きに出来ず、曲がったままの不安定極まりない作品を平気で売るような低レベル。
これじゃいかんと思ったのかリーダー格の夫婦が最終日近くには自分の屋台のアシスタントとして抜擢してくれて、少しは気楽な仕事が出来るようになった。
やったのはいわゆるベビーカステラというような代物でその屋台では「東京ケーキ」などという名前がついていた。ボロは着ててもサングラスにサイコ刈りという(この時代のこの地方では)特異な風貌は逆に受け、リーダーの読みは当たったらしい。
「東京から来たの?」などと純朴な質問をするお客さん。この時実際に東京からの出戻りだったROCKHURRAH、まさか大分県の山奥で東京ケーキの呼び込みをやるとは。

予想してたような怖い出来事もなく、無事に一週間の仕事を終えて真夜中、帰りの夜道で交通事故直後の車に出くわしたり、かなりインパクトの強い体験ではあった。二度とやりたくはないけど。

別のある年の夏。またしても実家のある北九州で帰省中の出来事も書いておこう。
他の地域の人にはあまり馴染みがないかも知れないがここには平尾台というカルスト台地があり、山口県の秋吉台に秋芳洞があるように鍾乳洞がある。日本三大カルストのひとつらしいが、鍾乳洞の方は三大の中に入ってないからそこまでの規模ではないのかも知れない。
北九州からだと秋芳洞もそんなに遠くないという事もあって、幼少の頃より、他の地域の人よりは鍾乳洞に慣れ親しんでいたものだ。
ほとんどは遠足とかそういう行事で訪れていたんだが、たぶんこの時は久生十蘭の「地底獣国」とか小栗虫太郎の「人外魔境」とかそういう小説の影響か何かで洞窟探検大好き、という心情だったのだろう。

秋芳洞は規模も大きいためにエレベーターなどの施設もあり観光客も多く、スケールの大きな鍾乳洞が満喫出来るのは去年の「SNAKEPIPEの九州旅行記」にも書いてある通り。それに比べ平尾台の鍾乳洞はまだ、というか整備する気も費用もないのか入るには多少の覚悟がいる鍾乳洞だ。入洞する時は靴を脱いでサンダル、というかぞうりに履き替えないとならない。これは地下を流れる川の中に入っていかないと先に進めないためだ。まだ未開の立ち入り禁止部分や照明ないような場所もあり、道に迷ったらかなりデンジャラス。

しかし今回書きたいのはその洞窟の中での出来事ではなくて帰りの恐怖体験なのだ。
福岡の山奥で生まれ北九州で育ったROCKHURRAHもすっかり東京の時間感覚に慣れてしまって、洞窟を出たのは17時を少し過ぎたくらいの、夏場ではまだ明るい時間。今はどうか知らないが、この時点ですでに最終バスは出た後という事態に気付いて慌ててしまった。田舎で本数も少ないし最終も驚くほど早いんだよね。

そしてどう判断を間違ったものか、この平尾台を歩いてふもとまで(少なくともバスの通ってる場所まで)降りるという、あってはならない決断をしてしまう。行きに車で送ってもらった時にはそんな距離に感じなかった、という乗らない人特有の錯覚なんだろう。
まあほんの気軽な散歩という気持ちで歩き始めた。まだ携帯電話のない時代でこんな道路には店もコンビニも公衆電話もなかった。タクシーなんかもまるっきり通らない。だから歩く以外に帰る手段はなかった。
そのうち、今までの人生で一度も出会った事がないような濃霧がいつのまにか発生していて、2メートル先は全く見えないくらいの薄暮時の山道で歩道もないというところを歩く羽目に。これはヘタしたら遭難deathという大変危険な状況で一時間以上は歩いただろうか。

この時の状況を思い返すならば、異界と世界をつなぐ道からの帰還、というようなもので、もし冷静に周りを見渡す事が出来ていたら、絵的にはかなり素晴らしかったのではなかろうか(大げさ)。

ちなみにタイトルにあるマルワランドというのは平尾台に実在した遊園地で、すでに大昔からかなり寂れていたか潰れて廃墟化していたような記憶がある。北九州付近には丸和というスーパーのチェーン店があるから、もしかしたらそのスーパーの経営だったのかも知れない。
マルワランドは今ではすっかりなくなったらしいが、今回の話をSNAKEPIPEにしたら想像の中での風景を写真で作ってくれた。

この話のオチは大した事ないが本人にとっては劇的で、帰りの遅いROCKHURRAHを案じた兄が濃霧の中、車で探しに来てくれて無事に帰還する事が出来た、というもの。この時そのマルワランドがまだ存在していたのか見えたのかは全く記憶に無いが、まさにタイトルそのまんま。

デヴィッド・リンチ・ファンならばニヤリとしてくれるだろうか?

誰がCOVERやねん

【パロディ・カヴァーの元祖と言えばこの人】

ROCKHURRAH WROTE:

さて今回はタイトルでわかる通りカヴァー・ヴァージョンについて書いてみよう。
と言っても例のごとくROCKHURRAH流に最近のは全くなし。パンクやニュー・ウェイブ時代のちょっと偏屈なものをメインで。リンクが非常に多くてかなり読みにくいけども許して。
※タイトル下及び黄色文字色のリンクは全て音や映像が出ますので注意。

オリジナル・パンク時代で最もカヴァーが目立つバンドはやっぱりダムドが筆頭だろうか。デビュー・シングルのB面でいきなり「Help」だし、イギー・ポップ&ストゥージスの「1970(I Feel Alright)」、スウィートの「Ballroom Blitz」、ジェファーソン・エアプレインの「White Rabbit」、セックス・ピストルズの「Pretty Vacant」などなど、後の時代のバンド達に多大な影響と勇気を与えた節操のないカヴァーぶりはさすが。
スウィートのこの曲はサイコビリー系でも多くのバンドがなぜかカヴァーしてるんだが、ひとつの曲に対してカヴァーが集中するのはサイコビリーの奇妙な傾向だと思える。別の機会にその事も書いてみようか。
話がそれたがダムドのカヴァーでROCKHURRAHが好きなのはベルギーのプラスティック・ベルトランによる大ヒット曲「Ça Plane Pour Moi(「恋のウー・イー・ウー」「恋のパトカー」などという邦題がつけられてたな)」を「Jet Boy, Jet Girl」と歌っていたものだ。ん?これは単なる替え歌と言うべきか?

続けてニュー・ウェイブ時代のカヴァー・ヴァージョンについて考察してみようと思ってたんだが、実はあんまり面妖なカヴァーが見つからなかった。
例えばバウハウスがTレックスデヴィッド・ボウイのカヴァーするのはそりゃ当たり前、というようなパターンが多くて、あまり飛躍がないんだな。
そんな中でちょっとだけROCKHURRAHの心に引っかかったのは元ティアドロップ・エクスプローズジュリアン・コープが人気絶頂の頃にペル・ユビュの「Non-Alignment Pact」をカヴァーした事。今でも大した知名度はないけど、この当時(86年頃)はまだペル・ユビュはごく一部の好き者だけにしか知られてない(なかなか売ってなかったし)カルト的な、かなり難解で珍妙なバンドだった。この曲だけ聴くとストレートにカッコ良いけどね。
ジュリアン・コープは甘い顔立ちでアイドル・ポップスター的な面もあったが、亀の甲羅を背中にしょったジャケット(それじゃ花輪和一もしくは河童の三平でしょう)、と言うような奇怪な面もあり、むしろそれが本質だったように感じる。その辺に通じるものがあるのかも。そう言えば前述のバウハウスのピーター・マーフィーもソロでペル・ユビュの「Final Solution」をカヴァーしていたな。

パンク、ニュー・ウェイブとは直接関係ないかも知れないがSNAKEPIPEお気に入りのもちょこっと紹介してみようか。
フランスのアラブ系移民バンド、ラシッド・タハはクラッシュの名曲「Rock The Casbah」を大胆にカヴァー。と言うか元歌がそれ風なので逆にこっちの方がオリジナルのように聴こえてしまうな。このバンドはゴングなどで知られるプログレ・ギタリスト、スティーブ・ヒレッジも参加しているのがすごい。クラッシュのミック・ジョーンズがゲストでギター弾いてる映像などもあるので興味ある方は調べてみるべし。

音楽性は違うがドイツとチリ、テクノとラテンという相容れなさそうな組み合わせで活躍していたセニョール・ココナッツも面白い。ラテン・ミュージックでなぜにクラフトワークとかYMOとかカヴァーするか?という意外性と、聴いてみたら完璧にしっくりきてるというアレンジの上手さが素晴らしい。昔ドイツで活躍していたロスト・グリンゴスあたりを思い出してしまう。

あと、原曲とはかけ離れた楽器で演奏するというパターンで気に入ったのはYouTubeなどで見かける二人組。アマチュアが趣味でやってるっぽいんだが、これがウクレレでラモーンズ、バズコックスからBlubbery Hellbellies(!)、ゲイリー・ニューマン、ヴィサージまでカヴァーしてしまうという強者。彼らの場合はとぼけた味のビデオが楽しげ(ただ弾いてるだけなんだが)でかなり素晴らしい。

逆にこれはひどいカヴァー・ヴァージョンだと自信を持ってオススメ出来るのがアダム・アント。スパイス・ガールズの「Wannabe」をとんでもなくへっぽこにカヴァーしていたのをYouTubeで偶然見つけてビックリしたものだ。かつてはアダム&ジ・アンツで全英一位になってROCKHURRAHも大ファンだったものだがここまで堕ちるか?一体どうして?

意表をついたカヴァーと言えば最後にROCKHURRAHお得意の番外編としてこの人を挙げないわけにはいかない。マッド・モンゴルズやSxTxH、そしてソロとして名高いサイコビリー界の伝説(?)Mad Masato。カッコいい曲の間にさりげなくやっているのは山口百恵の「秋桜」、そしてなぜか「暴れん坊将軍」のテーマ。好きだからやってるのか狙ってやってるのかは不明だが何だかすごい。関東付近で滅多にライブやらないのが残念だが、もっと活動して欲しいアーティストの一人だ。

ゾンビが鷹を生んだ?

【タイトルにちなんでこの映像  ↑クリックしてみてね(音が出ます)】

ROCKHURRAH WROTE:

ちょっと過ぎてしまったが6/13は金曜日ということで安直ではあるがホラーな話題にしてみようか。
元々ROCKHURRAHは「映画と言えばホラー」というくらいに結構この手の映画を好んで見ていて一時期はかなりのめり込んでいたんだが、SNAKEPIPEが怖いの苦手、なので最近はとんとご無沙汰のジャンルでもある。そしてやっぱりROCKHURRAH RECORDSの音楽ジャンルと同じく70〜80年代のものを最も好んでいる。

その中でも最も好きな作品は意外な事に本格派王道ホラー映画の代表、ジョージ・A・ロメロ監督のいわゆるゾンビ三部作だ。あまり人が知らないようなB級ホラーをどこかから見つけて来たりはしなかった点が自分で少し「らしくない」と思うけど、メジャーだろうが何だろうが好きなものは仕方ない。
今年はちょうどロメロ監督のデビュー40周年(だと思う)なので話題としてはちょうどいいかな。

ホラーに詳しくない人はこの監督の名前聞いてもピンと来ないだろうけど、簡単に言えば誰でも知ってる単語、ゾンビ(Zombie)を世の中に知らしめた人だ。他のジャンルの映画も撮っているけど、ロメロと言えばゾンビ映画の第一人者として圧倒的に有名だ。
それ以前に「ふたりのシーズン」などのヒット曲で有名なゾンビーズという英国バンドがあったけども、これは名前だけなので割愛。

このロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/Night Of The Living Dead(1968年)」「ゾンビ/Dawn Of The Dead(1978年)」「死霊のえじき/Day Of The Dead(1985年)」が70〜80年代にうじゃうじゃと量産されたゾンビ映画の中でも燦然と輝く金字塔である事は間違いない。

デビュー作である「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のイントロ部分、墓参りにやって来た兄妹の後ろに隠しもせずに堂々とゾンビは現れ、そして襲う。
ただの酔っ払いや与太者と違うのはからんで襲うだけでなく食いつく事にある。
「何か起こりそう」というようなホラー映画にありがちな演出がないところがまずは個人的に好ましい。
ロメロ作ゾンビの共通点でもあるのだが、あまり科学的説明はなくて「何だかよくわからないけど至る所で甦ってしまった」というような部分が怖い。例えるならば新種の伝染病みたいなもので、どういう原因で発生してどういう対策を取ればいいのかまだわからないという過程ね。
わからないながらも登場人物は建物の中に逃げ込み、ひとまずはゾンビどもの来襲を避ける。が、この中でもさまざまなエゴによる対立や差別などが起きてうまく纏まらないのがもどかしい。
結局は人間側の団結は崩壊、最後に生き残った主人公は・・・これはもうテーマといい映像といい、ホラー映画の名画とされるのがわかる作品だね。
オリジナルはモノクロだから直接的なスプラッター描写もあまりなく、出てくるゾンビも妙にスタイリッシュだったり(笑)小粋なホラーなので万人にオススメ出来る作品?

それから約10年後、やっと夜明けがやって来る。
世界中の人々を怖がらせた衝撃の大作「ゾンビ」の登場だ。
「ナイト・オブ〜」に比べると格段にスケールアップした舞台設定、そしてロメロ監督のゾンビにリアリティを与えた世界一の特殊メイク・アーティストであるトム・サビーニ(「ゾンビ」以前の吸血鬼青春映画「マーティン」も必見!)の参加により、前作ではなかった直接的スプラッター描写のオンパレード。気の弱い人は見ないで下さいという映像がこれでもか、という位ふんだんに使われていて、これは凄過ぎる。
・・・と思ってさっきまた観賞したんだが、そこまでグロくはなくて血みどろ描写も控えめ。
ロメロの場合は恐怖の表現というよりはシチュエーション作りのうまさが光っている。この作品で好きなのはゾンビ対人間の攻防というよりも、生き残った人間がほとんどいない巨大ショッピング・センターで極限状況の中でも楽しんでしまう主人公たち、という部分だ。その裏側に救いようがない状況があるだけに、余計リアルなものがあるし、共感も出来る。タフで頼りになるSWAT隊員二人と一般人の男女カップルという奇妙な組み合わせも効果的だ。そしてこの映画のラストも言うまでもなく救いようがない。

この後、ロメロの影響を受けたゾンビ映画がたくさん生まれるが、これを超えた作品は出る筈がないとさえ思える大傑作だ。

そして三部作の中では最も評価が低い「死霊のえじき」となる。これはゾンビが遂に世の中の大半になってしまい、生き残った人間の方が隠れて暮らすという逆転の世界でのお話。ちょっとだけ進化して知能と感情があるように見えるバブというゾンビ、それを飼いならしてゾンビとの共存をはかる博士、でも飼いならす為にはえさの人肉が必要という「歩み寄る事は出来なさそうな設定」は面白かったが、前2作と比べるとキャストがイマイチだという印象がある。それでも二番煎じのその辺のゾンビ映画よりはずっと出来はいいんだけど。

ジョージ・A・ロメロ以外のゾンビは認めないかと言うと、そうでもなくて、総合的に欠点は多くても何となく気に入った作品は他にもある。少しだけついでに書いておくか。

サンゲリア/Zombie2(1979年)」
イタリアン・ホラーの巨匠(?)ルチオ・フルチの有名なゾンビ映画。
このゾンビはロメロ版のと比べるとかなり汚いのが特色であまり新鮮さはないが、ロメロのように人間ドラマといった部分はほとんどなく、ひたすら残酷さのみを追求している。ある意味こちらの方が王道かも。
死にそうな目に遭って助かったけど帰って来たらビックリというパターンもいかにも。関係ないが主役俳優の名前がイアン・マカロック(笑)。エコバニかよ。

ゾンゲリア/Dead & Buried(1981年)」
邦題からしてウソくさいが実は意外と好み。
これは見た事ない人が多いだろうけど田舎町で起こった殺人事件、謎の解明というような部分もあり、なかなか面白いストーリーで少しオススメ。いわゆるゾンビ風のゾンビは出て来ないのでホラーと言うよりはミステリーとかサスペンスっぽいのかな。

バタリアン・リターンズ/Return Of The Living Dead3(1993年)」
これはゾンビ青春映画というようなノリでこれまでのホラー女優のイメージを覆すパンク(と言うよりはゴシック&ポジパン系?)な雰囲気のミンディ(メリンダ)・クラークが熱演。後に「キラークイーン 舌を巻く女」という怪作でも主演していたな。

ホラー映画の中でも特にゾンビ物はROCKHURRAHの好きな音楽、サイコビリーにも多大な影響を与えている。ROCKHURRAH自身もホラー好きからサイコビリー好きになった一人だから、そっち方面からもまた書きたいと思っている。
ではまた来週来襲します(ウソ)。