誰がCOVER・・やないねん2

【本文中に出てきたバンドをCOVER ART化してみたよ】

ROCKHURRAH WROTE:

いいかげん恥ずかしくなってきたこのタイトルだが、すでにシリーズ化してしまったから急にタイトルだけ変えるわけにもいかなくなってしまった。
現存するロック青少年のほとんどには意味不明だろうが、70年代にこのシリーズ・タイトル(誰がCOVERやねん)と似た名前のバンドがいて、このタイトル自身がパクリなわけなんだが、特に好きだったバンドのわけでもないし、まあどーでもいい話だな。

そういうわけで去年11月に書いたこの記事の第二弾を今回は書いてみよう。何と一年ぶり、間が開きすぎ。

カヴァー・ヴァージョンの一種ではあるけど、どちらのバンドにも著作権というか所有権がある曲を集めてみました、というパターンね。ネタ的には結構苦しいんだが、何とかまとめてみましょう。
ROCKHURRAH RECORDSのいつものお約束、70〜80年代の音楽限定でね。

Fehlfarben vs D.A.F.
1970年代のパンク誕生からニュー・ウェイブの時代、ドイツでも次々と新しい世代の音楽が生まれていた。
それらは英米の音楽からの影響も大きかったがドイツ独自のロック文化も取り入れたものが多く、だからというわけじゃないだろうがノイエ・ドイッチェ・ヴェレというドイツ語の一括りになって海外で紹介されていった。
わかりやすく言えばジャーマン・ニュー・ウェイブという事だが、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレと言った方がしっくり来るのは確か。ヌーベルバーグとかと同じパターンで語感の問題ね。

ノイエ・ドイッチェ・ヴェレについて語るのが今回の目的ではないから、その辺の話はまた別の機会にしておこう。書き始めたらすごく長くなりそうだからね。

そういうドイツのニュー・ウェイブ・シーンで登場したバンドの中で早くから知られたのが通称ダフ(D.A.F)と呼ばれるDeutsch-Amerikanische Freundschaftだろう。
日本でも80年代はじめに数枚はレコードが出ていたはず。
このブログでも過去に何回かは書いた事があるかな?
初期はヒステリックなギターと重苦しいリズムによるインストの曲ばかりで聴く人をかなり限定するノイズ、アヴァンギャルドな要素満載の音楽だったが、2ndアルバムではちゃんと歌も入っていて、この時期は随分多くの人に理解されて、ドイツ出身ではかなり有名なバンドとなった。
その後は単調に反復するエレクトロニクスなビートと超大型マユ毛のいやらしい顔立ちの男、ガビ・デルガド=ロペスの執拗ないやらしいヴォーカル・スタイルを武器に知名度を上げていった。
まあマニアックな層には受け入れられるけど、一般的な音楽の世界では知らない人も多いでしょう、というくらいの知名度なんだけど。

そのDAFの代表曲とも言えるのがこの「Kebab Träume」だろう。
ああ、このタイトルならば語学力皆無のROCKHURRAHでも少しはわかるよ。
ケバブと言えば 中東圏の串焼きだな。今では日本でもメジャーな食べ物だと思うが、DAFが活躍してた頃はまだそんなにポピュラーではなかったかも知れない。トラウムはドイツ語で夢の事らしいが、いわゆるトラウマとは違うのか?
それで直訳すれば「ケバブの夢」というようなタイトルになるんだが、「少しはわかるよ」などと書いたけど、やっぱり何の歌だかさっぱりわからん。
歌詞をエキサイト翻訳したら最後に「私たちは明日のトルコ人です!」などと連呼してるようだが、ドイツ語わからんから余計に意味不明。一体何が言いたいのか?ガビ・デルガド=ロペス。
この曲はシングル・ヴァージョンの方が有名だが、こちらの「ドイッチェランド、ドイッチェランド」と合唱が入る方のヴァージョンが個人的に気分が高揚して好き。

ガビ・デルガドはDAFをやる前にMittagspauseというバンドに在籍していたが、そこでやっていたメンバーが中心になって結成したのがフェールファーベンだ。
1979年から現在でまでやってるというからかなりの長寿バンド。
前にROCKHURRAHが書いた記事「映画の殿 創刊号」でも少し取り上げたな。
日本では知名度はほとんどないが、ドイツでは国民的ロック・バンドだと思われる。
最初は結構ダークなパンクだったが途中でファンカ・ラティーナみたいになったり、ニュー・ウェイブのバンドとして進化していったらしい。
ROCKHURRAHはこのバンドのごく初期の頃しか知らないから、あまり詳しくは書けないのだ。
聴いてた頃はややファンキーな曲調とサックスとか絡む演奏でドイツ版のマガジン(元バズコックスのハワード・ディヴォートがやってたバンド)というような印象だったが。

ここでやっとDAFとフェールファーベンが繋がったわけだが、一応同じバンドの出身で共有してるのがこの曲「Militürk」だ。
タイトル後ろの方のtürkはトルコの事だからやっぱり「私たちは明日のトルコ人です!」という内容の歌なのか?
聴けばわかる通り、DAFの「Kebab Träume」と同じ曲なんだよね。
こちらの方はピーター・ヘインという一見マジメそうだが実はべらんめえ口調の豪快な巻き舌ヴォーカルが心地良いヴァージョン。

Bruce Wooley And The Camera Club vs The Buggles
80年代を生きてて洋楽好きでこの曲を知らない人は珍しいでしょうというくらいの超有名曲「ラジオスターの悲劇」、これも元ネタが一緒で別れた2人により個別に別ヴァージョンがリリースされたという例。

もちろん有名なのはニュー・ウェイブ界随一の超大型メガネ男、トレヴァー・ホーンによるバグルスのヴァージョン。
特に音楽好きじゃなくても聴いた事ある人は多いはず。

この曲はMTVの一番最初に流れた曲としても知られているな。
前にも書いたが70年代はビデオというものがなかった為、TVの音楽番組にでも出ない限り動いているミュージシャンを見れなかった時代。
それが80年代になってMTVとかの普及でその場にいないミュージシャンの動いている姿も全国で見れるようになって、プロモーション・ビデオがものすごく発達した、いわばその象徴がバグルスのこの曲というわけ。
ってほど大げさではないけど、レコード製作よりも遥かに金をかけて大掛かりなPVをしきりに作っていた時代だったよね。
しかしそういうビッグ・ビジネスと歌っている内容はおそらく裏腹で、テクノロジーの進歩で失われてゆく昔ながらの稼業の悲哀、といった感じなのだろうか。
かつてはみんなが集っていたレコード屋、CD屋も廃れゆくようなイヤな時代になってるな。
科学が発達するならもっと違うところで能力使えよ、と言いたくなる。

そのバグルスと共にこの名曲を作り上げた片割れがブルース・ウーリーだった。
キャッチフレーズは「三人目のバグルス」。
元々は3人で一緒にやってたんだが、バグルスの2人と別行動になってしまい(この辺の経緯は熱烈なファンじゃないから知らないが)自身のバンド、カメラ・クラブを立ち上げてみたものの、バグルス、イエス、アート・オブ・ノイズとヒット連発のトレヴァー・ホーンに比べると悲しいくらいに地味な存在だったな。
「ラジオスターの悲劇」はヴァージョンとしてはこっちの方が先だったような記憶があるが、世間ではすっかりバグルス版の方が定着してしまったからね。メガネのデカさでは互角と思えるが。

どちらのヴァージョンもそこまでニュー・ウェイブという感じはしないけど、バグルスの方がエフェクト使ったりでやや派手な印象。もしかしてじゃんけんで言うところの「あと出し」効果か?

ちなみにこのカメラ・クラブにはまだ駆け出しだった頃のトーマス・ドルビーも在籍していたな。
そのちょっと前のガールズ・アット・アワ・ベストというバンドにもいたし、彼が有名になる直前にはこういう地道な活動していたんだね。

The Teardrop Explodes vs Echo And The Bunnymen
1980年代はリヴァプール出身のバンド達が大躍進した時代で、デッド・オア・アライブやフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなど誰でも知ってるメジャーなバンドを数多く輩出した土地だった。
リヴァプール勢が躍進するルーツになったのが70年代のデフ・スクールやビッグ・イン・ジャパンだったが、その辺についてもこの記事 やあの記事などで紹介したな。
この2つのバンドから多くの新たなバンドやプロデューサー、レーベルなどが生まれ、リヴァプールの音楽の中心になってゆくんだが、ちょうどその頃にデビューしたのがリヴァプール御三家と勝手にROCKHURRAHが吹聴している3つのバンドだ。

イアン・マカラック、ジュリアン・コープ、ピート・ワイリーの3人が元々同じバンドの出身で音楽活動を始めたのは上にリンク貼った「あの記事」で明らかな通り。
3人は分裂してそれぞれのバンドを始めるが、日本で知名度が高かったのは世界最大級のタラコくちびる男、イアン・マカラック率いるエコー&ザ・バニーメンだけだった。
ちょうどネオ・サイケと呼ばれる音楽がニュー・ウェイブの世界で脚光を浴びていた時期とバニーズ(当時はエコバニもしくはバニーズと略していた)が目指した音楽がドンピシャに合致していたため、彼らはまたたく間に人気バンドとなった。
このバンド名の由来はほとんど覚えてないんだが、使っていたドラムマシーンの名前がエコーというところからふざけてバンマスにした、という想像でよろしいか?ジャッキー吉川みたいなもんか?
彼らは1stアルバムの頃はすでにドラマーがいてエコーはバンマスの座を退いていたはずだが、その前のシングル曲では確かに活躍していた事が伺える。

デビュー・シングルの曲はアルバムとは全然違うヴァージョンでこのエコーの単調なビートにイアンの鼻にかかった歌声が展開するというシンプルながらも衝撃的だった名曲。
好き嫌いは抜きにして、この声を聴けばすぐにイアン・マカラックだとわかる、その個性が彼らの最大の武器だったなあ。

そのエコー&ザ・バニーメンがデビューする直前には御三家のもう一人、ジュリアン・コープとシャロウ・マッドネスなるバンドをやっていたんだが、この時に共作したのが上の曲「Read It In Books」だ。
結局、シャロウ・マッドネスは世に出る事はなかったバンドで、地元で同時代に関わりがあった人しかその存在を知らないという点で伝説のバンドみたいなものだが、2人が本当に一緒にやっていたという証がこの曲だと言える。

このバンドのドラムだった人のテープレコーダーに残っていたという伝説のデモ・ヴァージョンが流出していたので載っけてみたよ。
ヴォーカルはイアン・マカラックでやっぱりバニーズ版の方に近い出来なのがわかる。後にワイルド・スワンズをちょこっとだけヒットさせるポール・シンプソンもこのバンド出身らしい。ティアドロップ・エクスプローズにも少し在籍していたな。彼のオルガンのおかげでティアドロップ・エクスプローズの要素も充分に感じる事が出来る。
ジュリアン・コープは単なるベーシストに徹していて「らしく」はないけど、世に出なかったバンドのデモテープとしてはかなりドラマティックな部類で、マニアックなファンならば「さすが」と感心するに違いない。

ジュリアン・コープがバニーズと同じ頃に始めた自身のバンドがティアドロップ・エクスプローズだが、これも同時期のネオ・サイケに属する中では重要なバンドだと言える。
日本ではほとんど紹介されなかったのでそんなに有名にはならなかったけど、本国ではバニーズにもひけを取らないスター性のあるバンドだった。
バニーズがギター中心のシンプルな楽曲なのに対して、このバンドではオルガンやシンセサイザー、トランペットなども入り、より複雑な構成が特色となっている。
この時代にはまだイギリスのアーティストがあまりやってなかった中東風のエキゾチックなネオ・サイケにもアプローチしていたかと思うと、ものすごくポップな普通のヒット曲もやるという具合に正体がつかみにくい奥深さを持っていたな。
正体がつかめないという点で、ジュリアン・コープ自身の自由奔放なわけのわからなさも相当なもんだった。
バニーズの個性とはまた別の方向性を持った不思議な魅力に溢れていて、好き嫌いがかなり分かれてしまうジュリアン・コープのこもった歌い方も気に入っていた。

彼らもタイトルを「Books」とだけ縮めて同じ曲を録音している。
キーボードとベースラインのあたりが上に書いたシャロウ・マッドネスと同じようにドラマティックで壮大、曲としての完成度はこちらの方が高いと個人的には思うが、みなさんの感想はどうだろうか?

このティアドロップ・エクスプローズ版をプロデュースしたのが同郷リヴァプールのデフ・スクール出身の著名プロデューサー、クライブ・ランガー。 バニーズの方は確か初期は同じくリヴァプールのビッグ・イン・ジャパン出身のイアン・ブロウディ(キングバード)がプロデュースだったので、こちらのプロデューサー同士の同郷対決(?)も興味深い。
二人とも80年代ニュー・ウェイブ界屈指のヒットメーカーだからね。

今回は同じ楽曲を別れてしまった2人が別のバンドでそれぞれ録音というパターンだったが、偶然にも眉毛、メガネ、唇という部分で世界最大級を誇る人物が関わっていたな。いや、単なる偶然でオチは何もないんだけど。まあこんな感じで、これからも80年代をいつまでも引きずったままやってゆくのでよろしく。

CULT映画ア・ラ・カルト!【15】「一寸法師」「陰獣」

【タランティーノもびっくり!赤い妖艶な世界】

SNAKEPIPE WROTE:

物心ついた頃から好きだったのは、何故だかエロ・グロ・ナンセンスに分類されてしまうような怪しげな世界である。
日本の小説でお気に入りだったのは、江戸川乱歩と夢野久作。
もしかしたら「好き」と公言するのをためらってしまう人もいるだろうね。
乱暴に言ってしまえば「変態好き」を認めてしまうことになりかねないからだ。
SNAKEPIPEはブログでお気に入りの映画やアーティストを紹介しているけれど、やっぱり「ちょっと変」で「あやしげ」な世界観が多いのは自認しているし、恥ずかしいとは思っていない。
「江戸川乱歩最高!」などと大きな声で言うし、賛同してくれるROCKHURRAHや友人と同じ世界観を分かち合うことを喜びとしている。
ROCKHURRAHは昔の探偵小説の大ファンで、乱歩も当然のごとくほとんどの作品を読破しているからね!

最近はずっとスペイン映画の鑑賞を続けていたけれど、たまには初心に帰って(?)日本のカルト映画を観ることにした。
江戸川乱歩の小説が昭和の時代に映画化されていることを教えてくれたのはROCKHURRAHだった。

江戸川乱歩の一寸法師」というタイトルで、「一寸法師」が原作の映画ね。
原作は大正15年から昭和2年まで朝日新聞に連載された新聞小説だったとのこと。
「パノラマ島奇譚」と同じ頃の作品らしいね。映画版は1955年の作品で、モノクロである。
主人公である小林を演じているのは宇津井健
小林という役名だけど、「少年探偵団」の小林少年とは別物だからね!(笑)
とても役者とは思えないほど地味な風貌に加え、ボソボソした声でセリフは棒読み!
素人の演劇クラブみたいな演技で驚いてしまう。
どうして主役になれたのか不思議に思ってしまうのはSNAKEPIPEだけじゃないと思うよ。(笑)
その小林がたまたま遭遇した交通事故現場で、不思議な子供に遭遇するところから映画は始まるのである。

子供だと思っていたのは実は小人。
その小人を追いかけているところで、学生時代の友人である百合枝とばったり再会し、百合枝から相談を持ちかけられるのである。
百合枝は実業家である山野大五郎の後妻になっていて、先妻の子である三千子の継母という設定。
その三千子が家出をしたという。

百合枝を演じていたのは三浦光子という女優。
SNAKEPIPEは昔の邦画をほとんど知らないので、この女優は全然知らないけれど、 Wikipediaには出演した数多くの映画の情報が載っていて、有名な女優だと知ったよ。
1954年に制作された「悪魔が来たりて笛を吹く」にも出演していたみたいだから、横溝正史とも縁があったのね!
残念ながらこの作品は未鑑賞なんだよね。
いつか観てみたいな!
確かに美人で、苦悩する人妻といういかにも乱歩が好きそうな役どころを見事に演じていたと思う。
「江戸川乱歩の一寸法師」の中で、ちゃんと演技ができていたのはもしかしたらこの女優だけだったかもしれないね。(笑)

そんな百合枝に小人は一目惚れしていたのだった。
長い間思いを寄せながら、心を打ち明けることができなかった小人は奇策を考え、百合枝の前に姿を現し告白する。
「一寸法師」はミステリーのジャンルになる小説なんだろうけど、乱歩が最も表現したかったのはこの告白のシーンじゃないかな、と推測する。
役者ではない本物の小人が出演し、更に変装をして喋っているせいで、セリフが聞き取り辛いんだけど、それだけに何故だか真に迫っているように見えてしまう。
具足を使い平均的な男性の身長に変装したり、軽業でひょいひょい高いところに登ったりするのは、本当に乱歩の世界そのもの!
この時代だからこそできた配役なのかもしれないね。

時代という点では、町並みやエキストラの人々のファッションなどもさすがに現代では再現できない乱歩風の世界が広がっていた。
特に寺と民家がつながっているような、乱歩らしいトリックが見事に映像化されていたのは嬉しかった。
手や足が天井からぶらさがっている人形店の店内も「いかにも」な雰囲気でニヤリとしてしまったよ。

ニヤリといえば、ほんのチョイ役で登場しているのが天知茂
なんと探偵の助手という役どころなんだよね。
明智先生!
先生が事件を解決したほうが良かったんじゃないでしょうか?(笑)
もう一人、丹波哲郎も脇役で出演しているのも見逃せないね。
ほとんどセリフのない役だったけれど、存在感は抜群。
若かった頃の役者の顔を発見するのも、昔の映画を鑑賞する醍醐味の1つだよね!

もう1本鑑賞した作品は「陰獣」。
「江戸川乱歩の一寸法師」より約20年後の1977年制作なので、今回はカラーである。
主役は探偵小説家の寒川光一郎。
演じていたのはあおい輝彦である。
あおい輝彦といえば、一番初めに思いつくのは「犬神家の一族」での犬神佐清!
「犬神家の一族」は1976年で「陰獣」は1977年だから横溝正史作品、江戸川乱歩作品と2年連続出演とは、すごいぞ輝彦!(笑)
寒川役も好演していたよ。
探偵小説家が本当に謎解きに駆り出され、まさかあんなことに巻き込まれるとはね!(笑)

まるで寒川を付け狙っているかのように、寒川と複数回遭遇する小山田静子。
夫は実業家の小山田六郎って「一寸法師」の時の設定と同じじゃない?(笑)
更に寒川に相談を持ちかけるところまで「一寸法師」と同じなんだよね。
ま、苦悩する美人妻っていうが乱歩のお気に入りだから良しとしようよ!

「陰獣」での一番のポイントは変装にあると思っている。
未だに変装と聞けば、頭に浮かぶのは「陰獣」の中での変装のこと。
映画を観る前から
「あの変装シーンは映像化してくれるだろうか」
という変な心配をしていたSNAKEPIPEだったけれど、そんな心配は全く無用だった。
キチンと順序立てて変装シーンを見せてくれたのである。
ではその画像を一挙公開!(笑)

髪を丸髷にした後、前歯に金歯を差す。

メガネをかける。

頬に含み綿を入れる。

膏薬を貼る。

なんと不思議なことに、美人妻の小山田静子がおばちゃんみたいな別人になっちゃったよ!(笑)
「丸髷、金歯、含み綿、膏薬」が女の変装バージョン、「白髪、黒メガネ(もしくは眼帯)、杖」 が男の変装バージョンというのがROCKHURRAH RECORDSでの常識だよ。(笑)
小山田静子を演じた香山美子 は、2面性を持つ静子を非常に良く演じていたと思う。
乱歩が生きていたら喜んだんじゃないかな?(笑)

「陰獣」は他にもチョイ役で大物俳優がたくさん登場しているので、どのシーンで誰が出ているかを探すだけでも面白いんだよね。
原作に忠実で、良い役者が揃っている傑作だと思う。
江戸川乱歩ファンにお勧めだね!

「陰獣」は昭和3年(1928年)に3回に分けて連載された小説で、当時も大人気だったとWikipediaに載っている。
85年を経過した現代でも、全然古さを感じさせない小説だよね。
さすが、乱歩!
やっぱり江戸川乱歩、大好きだ!(笑)

コレクション♪リコレクション VOL. 2 色彩のラプソディー展鑑賞

【川村記念美術館行きのバス停にて撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

10月なのに30℃を超える気温を記録した暑い日に、久しぶりに展覧会に行くことにしたSNAKEPIPEとROCKHURRAH。
今年は猛暑、台風、竜巻と異常気象のオンパレード。
体力に自信がないSNAKEPIPEにはとてもキツいなあ。
年齢的な関係もあるのかな。(笑)
今年の夏は暑いせいで、休日はひきこもってばかりいた。
せっかくの秋だからお出かけしようと決めたのが、佐倉にある川村記念美術館
9万坪の広い敷地内に併設されている美術館は、まるで小旅行に出かけたような気分になる気持ちの良い場所だ。
熱中症対策用の飲み物を用意し、佐倉に向かったのである。

川村記念美術館は2011年9月に鑑賞した「モホイ=ナジ/イン・モーション」以来約2年ぶりになるんだね。
モホリ=ナギ展覧会も素晴らしかったし、川村記念美術館がコレクションしている作品群も、こだわりが感じられ大変満足したことを覚えている。
今回はそのコレクションの中から「リコレクション」としてテーマを決めて展示しているシリーズの2回目とのこと。
これは期待できそうだね!(笑)

佐倉駅の川村記念美術館行きのバス停で待つこと10分。
同じようにバスを待っているのは女性2人組と他に女性1人のみ。
無料送迎バスは大型マイクロバスで立派なタイプなので、お客さんが5人程度しか乗っていないのは、ちょっともったいないくらい。
経営状態を勝手に心配してしまうよ。(笑)
佐倉近辺の住人だったら車を所持しているのが当たり前で、SNAKEPIPEとROCKHURRAHのように、何かしらの交通機関を利用しないとダメな人ばかりじゃないだろうけどね!

20分程度で美術館に到着。
駐車場には車がたくさん停まっていて、やっぱり他の人はマイカーで来るんだなと納得。
美術館に行く人は少なくても、自然散策路の散歩を目的とする人が多いみたいだからね。
おかげで美術館内はガランとしていて、ゆったり鑑賞することができたよ!(笑)

今回の展覧会の目玉はフランク・ステラエーリヒ・ブラウアーの展示である。
フランク・ステラのコレクションは川村記念美術館で今までにも鑑賞しているけれど、今回は「フランク・ステラ・ルーム」として大型の作品16点を鑑賞できるとのこと。
常設展示に加えて企画展へとつながる順序に沿って鑑賞していく。
常設展では前回も鑑賞していたけれど、やっぱりマックス・エルンストの作品に目を奪われる。
2012年5月に横浜美術館にて「マックス・エルンスト-フィギィア×スケープ」を鑑賞した時にも非常に感銘を受けたね!
やっぱりダダとシュルレアリスムには興味津々だよ!(笑)

川村記念美術館にはもう1つお目当てがある。
世界に3つしかないマーク・ロスコの作品7点が展示されている「ロスコ・ルーム」である。
今回は本当にお客さんが少なかったので、「ロスコ・ルーム」はSNAKEPIPEとROCKHURRAHの専用貸し切り部屋になってしまった!
なんてラッキーなんでしょ!(笑)
言葉にできない、なんとも言えない感覚に襲われる部屋なんだよね。
真ん中にあるソファに座ってぐるりと展示されているロスコの絵をじっと観ていると、まるでトリップしているように意識が飛ぶ。
できるだけ長い時間滞在したい空間なんだけど、美術館の監視員と警備員にじーーーっと見られているのは苦痛。(笑)
特に今回は2人しか部屋にいなかったから余計だよね。
ちょっと名残惜しい気持ちを残しつつ、2階の企画展へ向かう。

【ヒラクラⅢ  1968年】

「フランク・ステラ・ルーム」はかなり広い2部屋を使用し、大型の作品を展示していた。
複雑な形のキャンバスに幾何学模様を描いたミニマル・アートからコレクションが始まる。
ミニマル・アートとは視覚芸術におけるミニマリズム(Minimalism)であり、装飾的・説明的な部分をできるだけ削ぎ落とし、シンプルな形と色を使用して表現する彫刻や絵画のことだという。
ミニマル・アートの先駆者としてロシア構成主義のアレクサンドル・ロトチェンコの名前が挙がっているのを発見!
やっぱり好きな雰囲気の作品は根本でつながってるんだね。(笑)
極彩色なのにバランスが良くて、部屋に飾りたい逸品がたくさんあったよ!
幾何学模様の美しさを堪能できるね!

【Western Driefontein 1982年】

フランク・ステラの別ラインは立体的な作品群である。
川村記念美術館の入り口にも、「リュネヴィル」というかなり大きなフランク・ステラの立体作品が展示されているんだよね。
川村記念美術館はフランク・ステラのコレクションとしても世界的に有名だというから「ロスコ・ルーム」と併せて、高い評価を受ける美術館といえるだろうね!
「フランク・ステラ・ルーム」に展示されていた立体作品も、とても素晴らしかった。
どの作品も「家に飾りたい」と思ってしまう逸品ばかり。
ステンレススチールやアルミニウムを素材にしている作品が多いので、「シルバー色でピカピカ光るもの」に目がないSNAKEPIPEにはよだれもの。(笑)
現在77歳のフランク・ステラは、現役で活動を続けているという。
もっとたくさんカッコ良い作品を作って欲しいよね!(笑)

【Cast thy bread upon the waters:For thou shall find it after many days】

もう1つの企画展がウィーンの画家、エーリヒ・ブラウアーの版画である。
旧約聖書の「ソロモンの箴言」から抜粋したテクストを元に制作された、12点の連作版画だという。
2012年9月に行った「ジェームス・アンソール展」も全く知らないベルギーの画家の展覧会だった。
今回のエーリヒ・ブラウアーも今まで聞いたことないんだよね!

エーリヒ・ブラウアーは1929年ウィーン生まれ。
リトアニアからの移民でユダヤ系だったため、少年期にはナチスによる迫害や強制労働を経験したという。
1945年にウィーンの美術アカデミーに入学し、同時に歌唱法も学んだというから多芸だよね。
1946年、ギュータースローに師事する。
この時同じようにギュータースローから教えを受けた画家たちは、ウィーン幻想的レアリスム派と呼ばれるらしい。
もちろんエーリヒ・ブラウアーも中心人物の一人だったのね。
それにしても、幻想的レアリスムってシュルレアリスムとは違うのかね?(笑)

その後フランス、スペイン、北アフリカなどを旅行しダンサーや歌手として生活費を稼いだらしい。
「芸は身を助く」を実践していて、アレハンドロ・ホドロフスキーに経歴が似てるね。
1955年の結婚を機に名前を「Arik」に改名。
これはヘブライ語で「神のライオン」を意味するらしいよ。
1956年にウィーンで個展を開催して以来、現在に至るまで活動を続けているアーティストとのこと。
絵画だけではなく、ミュージシャンとしての活動もあり、数々のアルバムもリリースしているとはびっくり!
舞台馴れしている雰囲気は上の写真でも判るよね。
まだまだ元気でおシャレな紳士だから80代には見えないよ。
今回の展覧会で初めて存在を知ることができて良かったなあ!

【With thou set thine eyes upon that which is not? For riches certainly make themselves wings. They fly away as an eagle toward heaven. 】

「ソロモンの箴言」を題材にした12点の作品は、大きく逸脱せず、内容を視覚化していて解り易い。
色彩の鮮やかさやモチーフの面白さは、遠目でも瞬間的に目に入ってくるほどインパクトが強い。
近寄ってじっくり鑑賞すると、かなりグロテスクな要素も含まれていることに気付く。
上の作品では流線型の物体から緑色の女の足が伸びているんだよね。
なんだかよく分からない想像上の物体が多く登場して、作品全体を不気味にしている。
「これよ!まさにこれ!」
と口角泡を飛ばし、興奮するSNAKEPIPE。
前述したジェームズ・アンソールに求めていたグロテスクな要素が満載で素晴らしい!(笑)
ジェームズ・アンソール展もこんな風に、たくさんのグロテスクを展示してくれたら良かったのに期待ハズレだったからね。

最後に一点だけ、残念なこと。
なんでミュージアムショップにブラウアー関連商品が一点もなかったんだろう?
せめてポストカードだけでも置いて欲しかったなあ!
SNAKEPIPEのように図録を楽しみにしているような客もいることを知って欲しいな、と思う。

小さな残念なことはあったけれど、大好きな雰囲気の画家に出会えて、とても嬉しかった。
行って良かった、素敵な展覧会だったよ!
さすがに川村記念美術館、最高だね!(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #23 Xavier Mascaró

【物々しい鉄の甲冑軍団がかなり不気味で良い感じ!】

SNAKEPIPE WROTE:

ペドロ・アルモドバル監督作品鑑賞から、すっかりスペイン熱に浮かされているSNAKEPIPEとROCKHURRAH。
他の監督によるスペイン映画はもちろんのこと、ワインやお菓子までスペイン産を好んで選ぶようになっているほどだ。
もっとスペインについて知りたい、と思っている時にふと気付いたのがアートの世界のこと。
スペインには有名なアーティストがたくさんいて、アート量産国だったんだよね!
誰もが知っているピカソを始め、ダリやミロ、エル・グレコにゴヤ、ベラスケスと世界的に知られている画家のオンパレード!
「アンダルシアの犬」でお馴染みの映画監督ルイス・ブニュエルもスペイン出身だったよね。
今まで特別意識していなかったけれど、スペイン人の作品に慣れ親しんでいたことを改めて認識したよ。

そういえば現代アートの世界はどうなっているんだろう?
今回の「 SNAKEPIPE MUSEUM」はスペインの現代アーティストを紹介してみたいと思う。
スペインの現代アーティストと検索した時に一番初めに目に飛び込んできたのが、一番上に載せた画像だったんだよね。
どっしりと重厚感のある、まるで闇の世界から出現したかのようなダークな雰囲気を持った彫刻はSNAKEPIPEの好みそのもの!
アートがしっかり根付いた土地には、やっぱり面白い作品を作るアーティストがいるんだね。
この作品を作ったのは一体誰?

今回SNAKEPIPEが気になったアーティストは、1965年パリ生まれのスペイン人、ザビエル・マスカロ
一家は1968年にスペインへ移住する。
1988年に美術学位を取得し、バルセロナ大学を卒業した翌年から青銅細工の制作を開始。
1995年には、鉄を使用した彫刻を始める。
1998年に個展を開催。
現在はメキシコシティとマドリードを行き来する生活を送っている。
国際的にも著名なスペインの芸術家のうちの1人である、とのことである。

6体の作品が並んでいる、左の写真は2012年に制作された「Warriors」である。
画像が小さいので判り辛いと思うけれど、ところどころが朽ち果てたように穴が開いていて、もう少し経ったら崩れ落ちてしまうような状態である。
素材は鉄を使用しているのに、ガッチリとした安定ではなく、不安を感じさせるという矛盾がテーマなのかもしれないね。
タイトルも「勇士」なのに、強そうで勇敢なイメージとは程遠いところにも注目かな。
一番上の画像では、黒い鉄が年月を経て錆びてきて、赤銅色に変色しているところが凄みになっていたのとは別の印象を持つ。
様々な表情を与えられた鉄を鑑賞するのは初めてかも?

右の作品は「Bastet」という2011年から2012年にかけて制作された作品である。
陶器、鉄、木材や樹脂など複数の素材が使用されているらしい。
恐らく犬などの動物をモチーフにしていると思うけれど、まるで縄がかけられているような状態で、更に横向きの画像では判断が難しいね。
囚われてるようだけれど悲壮感はなく、何故だか静謐な雰囲気を感じてしまう。
きっとこの作品も年月の経過が何かしら作用して、また違う印象を残す作品に変化するんだろうね。
時間を作品に組み込んでいるのが、ザビエル・マスカロの特徴みたいだね。

 2013年の「Tribal song」はより土着的な、原始宗教を思わせる作品だね。
そうか、とここで思い付く。
左の顔はまるで埴輪みたいだよね?
はい、ここで問題です!
弥生時代の後の250年頃から飛鳥時代の前の600年末頃までの時代を、何時代というでしょう?
正解は、古墳時代でした!(笑)
Wikipediaで古墳時代や埴輪について調べてみると、そこに参考資料として載っている画像はまさにザビエル・マスカロ!
「武装男子立像」は鎧に身を包んだ戦士だし、「馬形埴輪」も「Bastet」に似てるんだよね。
埴輪という文化が日本特有のものなのか、大陸から渡ってきたのかSNAKEPIPEは詳しくない。
似たような文化がどこの国にもあるのかもしれないけれど、SNAKEPIPEは埴輪に似てると感じたよ。
ザビエル・マスカロの作品を観て惹かれたのは、 日本人の血が騒いだからなのかもしれないね?(笑)
誰もが持っている遠い祖先の記憶を胸に、改めてザビエル・マスカロの作品を鑑賞してみようか。
もしかしたらこれが古きを訪ね新しきを知ることなのかもしれない。
いつかザビエル・マスカロの作品を実際に鑑賞してみたいね!