時に忘れられた人々【25】ゴージャス音楽の宴編

【ゴージャスさを勘違いして意味不明な画像】

ROCKHURRAH WROTE:

食欲の秋、などと言われていてもこのところ、皆さん知っての通り、野菜がバカ高くて困ってしまう。
見た目や書いてる記事からは想像も出来ないだろうが、毎日SNAKEPIPEと2人で献立に悩んでいるのだった。

自分に当てはめて考えるとバブル景気なんて全く実感した覚えがないけど、それでも80年代は今よりもずっと暮らしやすかったなあと、いい記憶ばかりが思い出される。
消費税なんてまだなかったから少なくとも「ふんだくられてる」感覚は買い物の時になかったからね。
ROCKHURRAHやSNAKEPIPEに限らず、80年代にまた戻りたい病の人はたくさんいるはず。まあ全然反響はないけど。

さて、本日はいかにも80年代的にゴージャスな音楽特集というROCKHURRAHには似合わない企画で書いてみよう。
もちろん、ウチの記事はパンクや80年代ニュー・ウェイブに限ってしか語らないという点で一部有名。
その後の時代の、いわゆる普通のゴージャスな音と誰もが思えるようなのはたぶん全部すっ飛ばすと思うよ。

ROCKHURRAHは今までの人生でゴージャスな体験を全然した事がないというくらい、贅沢も豪華も無縁の生活をしてるけど「どんな服を着てもそれなりのいい品に見えてしまう」と言われる点だけが少しは誇れる部分かな。SNAKEPIPEも300円で買った高価そうな服とか着てるしね。二人揃って只者じゃないオーラがあるってことかな(笑)。
関係ないがゴージャスというと真っ先に思い出すのが泉昌之の「かっこいいスキヤキ」に収録のこれ。いかにも80年代的な笑いのツボに溢れた漫画だったな。

「パンクや80年代ニュー・ウェイブに限って」などと書いてはみたものの、そもそもパンクやニュー・ウェイブにゴージャスなものはあるのか?

上流の家庭に生まれ何不自由なく暮らしていた若者が突然パンクに目覚めて、というシチュエーションも今だったらなくはないだろうけど、オリジナルの70年代ではあまり聞いたことない。
例えそういう経歴だったとしてもたぶん隠すだろうしな。
やっぱりパンクは労働者階級の音楽じゃないと格好がつかない気がする。当時は労働者どころか失業者がメインだもんな。無論ゴージャス要素はそこにはない。

親が汚い仕事で儲けた有力者の御曹司、親の不正、巨悪に気付いてからはアナーキストへの道を進んでパンクの世界に入ってゆく。
これまた三流映画ではありそうだが、そういった人は敢えてゴージャスを引きずらないのが当たり前。たとえ生まれは良くても堕ちたい願望があるだろうからね。
だからパンクとゴージャスを結びつけるのは難しいな。
スキッズのリチャード・ジョブソンなんかは元々の生まれ育ちが悪くて、スキッズで儲かったから徐々に品のあるブリティッシュ・トラッドな紳士に変身していった。これは逆のパターンで珍しい上昇志向だね。

80年代のニュー・ウェイブになると少しは状況が違ってきて、ニュー・ロマンティックのように着飾った華やかなスタイルが流行した時期もあった。がしかし、これもたぶんパッと見だけの華麗な世界。
やってたバンドは金持ちになったろうしゴージャスな生活も可能だとは思うが、その聴衆は大半がただの一般人。着飾った男がクラブから帰った家は安アパートとかそんなもんだろうよ、と想像する。

これからコメントしてゆくのも泉昌之と同じで何となく服装が豪華に見えるとか、曲がゴージャスに聴こえるとか、シャネルの支店前でプロモ撮ったとか、その辺の短絡的なものなので本当の上流階級的なものは想像しないでね。

80年代的にゴージャスを感じる音楽というと真っ先にこのバンドを思い浮かべたのはROCKHURRAHだけではあるまい。
好き嫌いは抜きにして誰もが認めざるをえない「メローな」「ソフィスティケートされた」「ゴージャスな」という三拍子が最も似合うのがこのブロウ・モンキーズだろう。
R&Bやソウル、ブルースなどブラック・ミュージックなら何でもござれというレコード・マニアの真髄で、3万枚ものレコードを所持していたというDr.ロバートによるバンドだ。
マニア過ぎてレコード屋の上に住んでた噂があるが、すぐに買いに行けるという以上のメリットはなさそう。せめてレコード屋ごと買った、くらいの爆買いエピソードが欲しかったよね。

数多く聴けば偉いのか?という事はなかろうけど、より多くを知れば多くのものが見えてくるのは確か。造詣ばかり深くて自分でやってみたらヘッポコ、というパターンは多いけど、彼らはちゃんと見事に消化してるのが偉いな。
ブラック・ミュージックが苦手で個人的にはこの路線にはあまり興味が持てないけど、またしても「好きじゃないならコメントするなよ」と言われてしまいそう。
とても冷酷そうな顔だし、すぐに裏切られそうなところが超ビッグ・ネームにならなかった原因か?

映像の方はサイズ間違ったんでないの?というほど巨大なダブルのスーツに目を奪われるが、これは30年代のギャングが着用してたズートスーツのヴァリエーションのひとつなんだろうな。PACHUCOと呼ばれたメキシコ系のメチャメチャ悪そうな若手ギャング(予備軍)とかでも有名になったスタイルだな。
ギャングが人一倍ラグジュアリーなものを好むのは世界共通だから、このスタイルでゴージャスと感じたのは特に間違いではなさそう。良かった良かった。
ゴージャス要素の定番、黒人コーラス隊とサックス、華麗なダンスまで披露して完成されすぎだな。投げたギターを片手でキャッチしたり、イヤミなまでの二枚目ぶり。特撮なしでそれくらい特訓しろよ。
「どこまでカッコつけとんねん」と関西方面からのツッコミはなかったのか?

ゴージャスの重要な要素である「金ピカ」。金ピカと来れば即座に思い浮かべるのがこのバンド、ABCだ。
別にマツケンサンバでも(うーん、微妙に古い)いいじゃないか?と言われそうだが、あくまでも80年代で語りたいのでこれに決めた。
80年代前半に大流行したニュー・ロマンティックとファンカ・ラティーナという二大潮流の狭間で見事に大ヒットしたバンドだ。

元々は地元シェフィールドで活動してたヴァイス・ヴァーサというバンドを母体としてるんだけど、これがABCとは似ても似つかぬ音楽のもの。ダークでポップ性があまりないエレクトロニクス主体の音楽だけど、ソフトセルから売れ線の要素を取り除いたかのような方向性だった。
そこに後のABCのヴォーカルとなるマーティン・フライが加わってどういった経緯でかはわからんが、1982年くらいには華麗な転身を遂げて、ABCとしてたちまちヒットチャートを賑わすバンドとなった。

マーティン・フライは音楽ジャーナリストだったという話だが、パンク初期にサブタレニアンズをやってた音楽ライター、ニック・ケントとか「Sniffin’ Glue」というファンジン(パンク初期にあった私設音楽雑誌)を出してたオルタナティブTVのマーク・ペリーとか、評論→バンドへの転身はそれほど珍しくない経歴なのかも。
上記の二人ほど骨はないに違いないが、音楽情勢に詳しいという強みを生かしてヒットを連発したところだけは見事?

彼らの代表曲「ルック・オブ・ラブ」 などはいまだにGoogleの予測変換で「るっくお」と入力した時点で候補にあがるくらいに大ヒットしたし、プロモで使われていたからカンカン帽も流行したな。

この時代はカルチャー・クラブやウルトラヴォックス、ピッグバッグにジョン・フォックス、エレクトリック・ギターズ、シンプル・マインズなどなど、日本のCMにもニュー・ウェイブ系の音楽が続々と使われて、使われたバンドは間違いなく有名になるという傾向があったが(ん?エレクトリック・ギターズだけが例外的に完璧な一発屋だったな)ABCもそのパターンだったね。
ロキシー・ミュージックをもう少し若い世代で80年代風にしたらこういう感じ、というコンセプトなんだろうけど、ブライアン・フェリーよりは役者向け、映画のワンシーンみたいなジャケットも有名だね。

上の映像も大ヒットした数曲のうちのひとつだけど、いや、お恥ずかしい。単に金ラメのスーツ(金の推定含有率0%)を着てるというだけで短絡的にゴージャス部門にしてしまったよ。確かにこの服装で成金っぽく見えないのはワンランク上の着こなしだね。ストーカーっぽく女優につきまとってるのに最後になぜか成就してるっぽいのも謎の展開。

関係ないがROCKHURRAHの出身地、福岡には成金饅頭という巨大などら焼きみたいなおみやげがあるのをふと思い出した。
やたら重いからおみやげとして買ったことはないけど、一人分に個装されてないから割と不親切な部類のおみやげだったなあ。

ゴージャス特集、自分にその要素とブラック・ミュージックに対する造詣が全くないもんだから既に企画失敗の自覚があるが、何とか先に進めてみよう、トホホ。何でこんな特集考えてしまったんだろう?

マリー・アントワネットを例に挙げるまでもなく、女性の盛り上がった髪型は古今東西、ゴージャスの重大な要素だったのは間違いない。80年代ニュー・ウェイブの世界で最も盛り上がった女性と言えば必ず思い浮かぶのがこのビーハイブ(蜂の巣)・ヘアをトレードマークにしたマリ・ウィルソンだろう。
それより前の70年代にアメリカではB-52’sがこの髪型で鮮烈なデビューをしていたから目新しいものではなかったが、今回の括りが髪型自慢ではなくゴージャスなので、マリ・ウィルソンの方に焦点を当ててみよう。

思いっきり60’sのガールズ・スタイルとこの髪型でショーダンサーやコーラス隊を引き連れた「大物風」ステージだから、いかにもアメリカンな感じがするが、れっきとしたイギリス人によるフェイクなもの。

70年代パンクの時代にAdvertisingというパワーポップのバンドがあったんだが、そのメンバーだったトット・テイラー。彼が80年代になって作ったインディーズ・レーベルがコンパクト・オーガニゼーションというもの。ちなみにこのAdvertisingにいたサイモン・ボズウェルは後に映画音楽の作曲者として有名になり、ホドロフスキーの「サンタ・サングレ」なども手がけているな。

コンパクト・オーガニゼーションからデビューした中で注目された歌姫の筆頭がこのマリ・ウィルソンとスウェーデンのヴァーナ・リントだが、このどちらもトット・テイラーの60年代好きが反映されている。
ヴァーナ・リントの方は架空のクールな北欧女スパイというイメージ(諜報機関で通訳してたという噂もあり)で音楽もそれ風。後のエル・レーベル、そして”渋谷系”と呼ばれたクルーエル・レコードやトラットリア・レコードなどに影響を与えた(たぶん)ような感じかな。何と世界的に有名なリンツ・チョコレートの令嬢、との事だがスイス生まれのメーカーなのになぜスウェーデン?なところが詳細不明で、またミステリアス。
対するマリ・ウィルソンの方はモータウンとかの歌姫の再来を目指した音楽と見た目でかなりヒットした記憶がある。ん?マリ・ウィルソンについて書こうとしてるのにマリ・ウィルソン部分が異常に少ないな。まあいいか。
そしてこのどちらの歌姫も本格派ではなく、エレクトロニクスをうまく使って「それ風」に仕上げたイミテーションなもの、というのがポイントだった。

「Just What I Always Wanted(マリのピンクのラブソング)」という情けない邦題で世間を湧かせた曲が最大のヒットなんだが、プロモの方はROCKHURRAHが個人的に唯一シングルを持ってた懐かしさで「(Beware) Boyfriend」にしてみた。
どっちもトット・テイラーの作詞作曲なんだが、何かのカヴァーなのかと思うくらいに60年代満載の出来。元New Musikのトニー・マンスフィールドがプロデュースで、この手のフェイクとしては抜群の完成度だな。
日本ではフィリピンのジャズ・シンガー、マリーンが歌った「ボーイフレンド」のカヴァーの方が有名だったけど、ゴージャスさではこの巨大な髪型には到底太刀打ち出来ないね。

ゴージャスとかリッチとかに無理やり当てはめて今回は書いてるが、ニュー・ウェイブの音楽は大まかに言えばロックの範疇にあるもの。しかし生粋にロックだけのものではなく、やっぱりR&Bとかソウルとかモータウンとか、ブラック・ミュージックを取り入れた音楽の方がよりゴージャスに見えてしまうという結果になってしまった。単にROCKHURRAHがあまり考えもせずにセレクトしただけかも知れないけど。

髪型とか金ピカとか、雰囲気だけでゴージャスをいいかげんに書いてきたが、最後のこれは見た目じゃなくて本物のゴージャスな音楽だ。
何度も当ブログで書いてきた80年代リヴァプールだが、エコー&ザ・バニーメンのイアン・マカラック(今は違う発音するみたいだが、80年代的に書けばマカラック)、ティアドロップ・エクスプローズのジュリアン・コープと共にバンドを始めたのがピート・ワイリーだった。
そのバンド、クルーシャル・スリーは世に出ることなく、3人ともメンバーを取っ替え引っ替えした結果、上記のバンドが生まれるが、ピート・ワイリーは70年代末にワー!ヒートを結成して本格デビューする。

3つのバンドともにネオ・サイケと呼ばれた分野で活躍するけど、本格派正統派のエコー&ザ・バニーメン、色んなものを盛り込み過ぎて何がやりたいのかよくわからんティアドロップ・エクスプローズ、そしてハードだが抽象的なギター・サウンドとメッセージ性が強い(推測)ヴォーカルのワー!ヒート、という具合にそれぞれ特徴あるアプローチで支持されていった。

ピート・ワイリーの場合はその情熱が一般的には理解されにくいタイプだったからか、日本では特に知名度は低いが、レコード出すたびにちょっとだけバンド名を変えるという変なこだわりもマイナス・ポイントだったかな。Wah!Heat、Wah!、Shambeko Say Wah!、J.F.Wah!、Mighty Wah!、Wah! The Mongrelなどなど、列記したどこからどこまでがひとつのバンド名なのかわからん。他の人にとってはどうでもいい部分だね。

初期は甲高い声でエモーショナルな歌唱と暗めの曲調を得意としてた(シアター・オブ・ヘイトあたりと似た感じ)バンドで「Seven Minutes To Midnight」などは個人的にとっても思い出に残る曲なんだが、82年あたりから音楽性をガラッと変える。
「Remember」や「Story Of The Blues」「Hope」、この三部作がゴスペルとかR&B要素をロックにうまく取り入れた大傑作となっている。
元々黒人ベーシスト、ワシントン(プロモのバーテン役)が初期からの重要なメンバーだったのでブラック・ミュージックへの傾倒は当然と言えるが、ここまで珠玉の名曲をモノに出来るほど大成するとはデビュー当時思ってもいなかったのでビックリしたもんだ。

ビデオではゴージャス要素が全然見えないが、車に水しぶきかけられてもハートは錦だよ、というような意気込みが精神的なゴージャス。むむ、苦しいか?

「Story Of The Blues」は本来はパート2まである超大作なんだけど、ビデオは前半部分のみ。サビの壮大な盛り上がりはニュー・ウェイブの歴史に残る名曲だな。

この後、マイティ・ワー!になってやっと日本で本格的にリリースされたけど、84年のシングル「Come Back」も壮大路線を受け継ぐ力強い傑作。まあこの時期の彼らの全てがこういう傾向ではなく、ちゃんとロックな曲も多いしアフロ要素まで見え隠れする。シングルとアルバムできっちり両方とも披露してるのが「かぶれ」じゃないところか。

この前後にワイリーのパートナーとして大活躍した美女、ジョシー・ジョーンズは残念ながら2015年に亡くなったが、日本ではその情報さえ皆無に等しいのが悲しい。いかにも80年代ニュー・ウェイブを象徴する服装とルックスで気に入ってたのを思い出す。まさにファビュラスだったよ。
リヴァプール御三家の中でROCKHURRAHが最も熱心に集めていたのがピート・ワイリー関連だったが、ウチのブログでは何かの記事のおまけでチョロチョロ書いてるだけだったので、珍しく熱弁をふるってみたよ。

うん、苦手と言いながらも何とかここまで書けて良かった。やっぱりROCKHURRAHにはゴージャスな音楽は向いてないね。次回はルンペンプロレタリアートからロックスターに上り詰めた人物特集にしてみるか(ウソ)。

ではまた、До свидания(ロシア語でさようなら)。

時に忘れられた人々【24】小栗虫太郎 第2篇

【こんなシーンはないけどイメージ化してみたよ。陳腐】

ROCKHURRAH WROTE:

この「時に忘れられた人々」というシリーズ企画で小栗虫太郎について書いたのがすでに二年前の事。

「黒死館殺人事件」だけが虫太郎の魅力の全てではないし、他にも個人的に大好きな作品はあるんだが、それはまた別の機会に・・・。

などと書いた「別の機会」が二年後の今日というわけだ。
その間に熟考を重ねたわけではないし、たまたまなんだけど、喜んでスイスイと虫太郎について書けるほどの筆力がないというだけの話だね。
この話題に限らず、思いついてはみたものの、全然完成してないブログの下書きがいくつもあるのがROCKHURRAHの現状だ。
今さら言うのも何だが、遅いし格別気が利いてるわけでもないし、ものを書くのにすごく向いてないんじゃなかろうか? (笑)
書くことが決まりさえすれば結構ハイペースで一気に仕上げるSNAKEPIPEみたいになりたいよ。

小栗虫太郎について知らない人がこのブログの、この記事を読んでるかどうかは不明だけど、よくわからん人は前回の記事を読んでね。
関係ないが、なぜかウチの記事が知らぬ間に「NAVERまとめ」などというサイトに二つも掲載されていた。本人が知らないとは・・・。

まあこのように難解な奇書「黒死館殺人事件」は発表当時(昭和初期)の世間を仰天させた長編小説で、「殺人事件」などとタイトルについてる癖に一向にそれらしくない。
現実の事件や人間の動きはあまり描写される事なく、紙面の大半を探偵の法水麟太郎が衒学的知識のひけらかしで埋め尽くす・・・。
中学生くらいで読んで「何じゃこりゃ?」と唖然としたものだ。ペダントリーという言葉をここで初めて知ったよ。
しかしこのまやかしだらけ、何度読んでもスッキリしない大長編には中毒性が秘められていて、1980年代以降の言葉で言うならサブカルチャーやカルト的な魅力を持った作品ということになるだろうか。大マジメに書かれてはいるがバカミスの一種と言ってもいいくらい。

同時代には夢野久作の「ドグラ・マグラ」もあり、探偵小説の二大奇書と言っても差し支えないだろう。ちなみにWikipediaなどには中井英夫の「虚無への供物」を加えた三大奇書と書かれているが、時代も随分違うし無理やりだな、と個人的には思う。

小栗虫太郎は「黒死館殺人事件」みたいな作風のみの作家ではなく、他にも非常に変わった作品を遺している。今回、特集しようと思っているのがそのうちのひとつのジャンル「人外魔境シリーズ」だ。

これは探偵小説作家を数多く見出した雑誌「新青年」に1939年から1941年まで連載された短編集で、いわゆる秘境冒険小説の一種だ。秘境!魔境!

先日、NHKで放送された 「大アマゾン 最後の秘境」といった番組でも明らかな通り、この21世紀でも一般的に知られてない秘境が地球上にはまだ残されているらしい。
「人外魔境」が出た時代だったらもっと数多くの秘境、謎の場所が世界中にあったのは間違いないだろう。
もしかしたら今では観光地や世界遺産になってるようなところでも小栗虫太郎の時代には魔境だったかも知れないからね。

誰でもみんな、というわけじゃなかろうが、ROCKHURRAHは子供の頃から秘境だの未確認生物だのが大好きだった。文献を読み漁って研究するほどのディープなマニアにはならなかったが、TVのスペシャル番組とかでその手のがあると楽しみにしている(同時に裏切られる)ような少年だった。

そういう嗜好があったからこそ、この「人外魔境」に若年の頃から出会う事が出来た。
確かまだ小栗虫太郎を知る前に「少年キング」で連載されていたのを読んでて、後から虫太郎が原作だったと知ったように記憶する。水木しげるや桑田次郎などが漫画化した作品ね。この時代の少年漫画雑誌は探偵小説を元ネタにしたようなのが多くていい時代だったなあ。
その後も小栗虫太郎だけでなく久生十蘭の「地底獣国」や香山滋の「 オラン・ペンデクの復讐」など、文明世界とは違った場所で繰り広げられる小説は色々と探しまくって次から次へと読んでいた。
ROCKHURRAHの「ヒマがあれば古本屋か中古レコード屋巡り」という後年の趣味が確立したのがこの時代だったのは間違いない。

さて、前置きだの回想だのが長くて飽きてきたが「人外魔境」はそれぞれのタイトルと出てくる魔境のキャッチフレーズを読んでるだけで心が高揚してくるような魅力を持った小説だ。
虫太郎の魅力の多くは「ルビ付き漢字」の多用にあり、これが単にカタカナで書いた単語よりもずっとイマジネーションを刺激するのだ。しかしブログのようなWEBではルビ付けるのが結構面倒くさくなるので、その辺の魅力をうまく伝えられないのが残念。
全部挙げてたらキリがないけど、いくつか書いてみるか。

「有尾人(ホモ・コウダスツ)」
コンゴ北東部にある「悪魔の尿溜(M’lambuwezi)」が舞台。
大絶壁の下に広がる大湿林、上空を真っ黒に埋め尽くす蝿や蚊、毒虫の大群のため、歩きでも飛行機でもたどり着く事が出来ないというド秘境だ。恐ろしい。
ふとした事で人間に捕らえられた尻尾のある猿人ドドが発端となって、主人公たちが悪魔の尿溜を目指す話。誰も辿りつけないと言ってるのに割となりゆきで大掛かりな探検隊が編成されるのがすごい。
通常の冒険物だったらまあその話だけで一編モノに出来るけど、平凡を嫌い奇異を好む作家、虫太郎らしくそこには異常なロマンスもあり、聞いたことないような奇病もあり、よくぞこんな話を考えたな。「マックス、モン・アムール」などと呟きたくなる。

そう、この後に続く作品にも趣向を凝らした美女や変な女たちが次々と登場して、エンタテインメント性も忘れてないのが「人外魔境シリーズ」なのだ。
しかし世紀の発見と思える有尾人そのものについては案外ぞんざいな記述しかないので、うーむ、読者もわかったようなわからんような。

「天母峰(ハーモ・サムバ・チョウ)」
第三話であるこの作品から、シリーズ物の主人公である世界的な鳥獣採集人、折竹孫七が登場する。当時の日本人の誰も見たことないような新種、あるいは貴重な生物を発見して捕獲し、その道では世界的に有名らしい。
そして各国に出入り出来るという立場を利用して、実はアジアの奥地を秘密測量しているという裏の顔を持つ人物。スパイ的な活動もあるわけだ。
まさに第二次世界大戦が始まった頃の小説であるから、大東亜共栄圏の構想に基づいて書かれた日本の英雄が折竹孫七だったのだ。

規制が強かったからこの時代、探偵小説は書く事が難しくて、作家は時代劇に走ったりこのような冒険小説(多くは軍国主義寄り)に走ったり、反戦小説書いて捕まったり、岡山に疎開したり、色々と大変だったわけだな。

この話に出てくるのはチベットの巴顔喀喇(パイアンカラ)山脈にある「天母生上の雲湖(Lha mo Sambha cho)」。
4万フィートにも及ぶ大積乱雲に覆われていてどこにあるやらさっぱりわからんという現世の楽園らしい。毘沙門天の楽土がその頂にあるという。どうしたら行けるのだろう?教えて欲しい。ん、「ガンダーラ」の元祖みたいなもんか?
その謎の楽土を目指す折竹。
同行するのが山に登った事もない男と頭の足りないサーカス娘というすごいメンツだ。 小栗虫太郎は必ず意外性のある人物を無理やり話の中に登場されるという癖があるが、まさにそのアンバランスこそファンにとっての魅力。
乱歩の「鏡地獄」を流用したような描写まであり、両方のファンにとってはたまりませんな。
そこに行く目的も壮絶で「祖国をなくした人間がどこの地図にもない安住の地を求める」という、激動の時代だからこその理由だ。

作者(小栗虫太郎)の元を訪れた友達の折竹が冒険譚を語るという構成が多いが・・・しかしいきなり出てきた最初から折竹の秘密(スパイ的活動)を読者にばらしてしまうとは。とんでもなく口が軽いぞ、虫太郎。

「太平洋漏水孔(ダブツクウ)漂流記」
ニューギニア付近(?)の海にある「海の水の漏れる穴(Dabkku)」。
巨大な渦巻きの中心が陥没していて穴が開いてるように見える。
中にいくつか島があるが渦巻きのせいで行っても絶対に帰って来れない場所らしい。しかも温度が45℃もあるという。
うーん、暑さにとても弱いROCKHURRAHならずとも大抵の人間は行けるはずない。
この話は折竹が若い頃に出会った世にも奇妙な物語、という形式で語られる。

主人公は独逸ニューギニア拓殖会社(ドイッチェ・ノイ・ギネア・ゲゼルシャフト)というまるでDAF(Deutsch Amerikanische Freundschaft)のような名称の会社に勤めるドイツ人幹部、若くてお洒落との事だ。
趣味が高じてカヌーの長い旅から帰ってみると、何とニューギニアがドイツの占領下からオーストラリアの支配下に変わったという。
海の上にいる間に戦争が始まったというわけね。
周りみんな殺されてしまい、復讐のために敵国司令官の子供を誘拐。んがしかし、勘違いで司令官の子供の友達である日本人の子供を誘拐してしまう。あーあ。
そしてこれまた成り行きで、子供連れで日本を目指す大冒険の旅をする。
そしてまたありえないような身の上の少女まで登場し、三人で日本を目指すのだが。
「オジチャン、オチッコが出たいよ」
「黒死館殺人事件」で初めて知って、難解な小説を書くという先入観で読むと同じ作者とは思えない表現にビックリするね。そして想像するだけで怖い「島」。

この時代の話だから今では問題となるような差別描写も出てくるけど、大海原の小さな舟という密室で違った目的の人間が一緒にいる。この閉塞的なシチュエーションを考えだした虫太郎は素晴らしい、と初めて読んだ時は快哉を叫んだものだ。後のどんなパニック映画もこの域を超えてないと思えるからね。

「幽魂境(セル・ミク・シュア)」
グリーンランド中部高原の北緯75度あたりにある「冥路の国(Ser-mik-suah)」。
1万フィートの大氷河の中にあり、生身の人間が踏破出来る場所ではないと記述されている。死んだエスキモーが橇を駆って氷の涯に向かってゆくという神秘譚が語られる。
「死骸になってから行かされるなんて、おいらの種族はなんて手間がかかるだべえ(エスキモー、アル・ニン・ワの談話)」
そして先占問題(その土地を一番最初に見つけた国の所有権になる)までも絡めた壮大な話だ。その場所が何とグリーンランド(デンマーク領)の内部にあり、発見したのが折竹孫七だと言う。 つまりグリーンランドの内部に日本が先占宣言出来る土地があるというのが今回の話のポイントとなる。
で、今回もまた意外性ありすぎのメンツで冥路の国を目指す。
出てくるのは無疵のルチアーノ(ラッキー・ルチアーノ)、その情婦で魔窟組合の女王、牝鶏フロー(ニッキー・フロー)というニューヨークのギャングスター一味。
ヒロインはサーカスの怪力女、おのぶさんという大姉御だ。
第一話は猿人ドドだったが、ここでは鯨狼(アー・ペラー)という奇獣が出てくる。
何でこんな組み合わせでグリーンランド奥地?などと思ってては虫太郎ワールドにはついてゆけない。これを必然に変える強引な展開こそ虫太郎の素晴らしいところだね。

以上、4つだけピックアップしてみたが、未読の人にこのわけのわからない魅力が伝わっただろうか?

魔境冒険物とは言ってもハリウッド映画並みの大アクション・シーンや恐怖のクリーチャーを期待されても困るし、短編集なので部分的にはあらすじのようなサラッとした描写しかなかったりするのが物足りない感じはする。
これが「黒死館殺人事件」のように延々と描写されてたらそれも困るが、程よいヴォリュームだったらな、と残念に思うよ。
しかしこの小説が太平洋戦争突入直前に書かれた日本人のイマジネーションによる産物だと考えれば、その凄さが多少は理解出来るというものだ。
まさに珍しい漢字とルビの大伽藍。

80年代的に言えばこれだね。
元ゲルニカのメンバーだった大田螢一による「人外大魔境」というアルバムより。
と言ってもゲルニカのフロントは戸川純と上野耕路の二人だったんだけど。太田螢一はグニャグニャした不気味な絵柄のイラストでも有名だね。実写版「ドグラ・マグラ(松本俊夫監督)」のポスターとか描いてたな。そしてこちらは虫太郎。
ヒカシューの巻上公一や細野晴臣、鈴木慶一などと共に作ったグロテスクでイビツなニュー・ウェイブ歌謡がこれだ。
関係ないけど「フールズメイト(音楽雑誌)」の編集長だった故・北村昌士がやってたバンド、YBO²は「ドグラ・マグラ」という大傑作を出してたな。
二大異端作家、音楽で蘇る。
関係あるかどうか不明だが東京ロッカーズのS-KENも「魔都」などという久生十蘭みたいなタイトルの曲をやってて、異端探偵小説の大御所三人がこんな時代に出揃ったわけだ。

小栗虫太郎は「黒死館殺人事件」で得た「異常でとにかく変な、難しい小説を書く人」という固定観念を覆すべく、様々な作風の(これまたイビツではあるんだが)ものを書いてきた。
新伝奇小説と銘打った「二十世紀鉄仮面」や「青い鷺」などは江戸川乱歩における通俗物のように、探偵役が推理するだけでなく、実際に事件に巻き込まれてピンチになったり冒険したりする境地にも挑戦した。
「白蟻」や「潜航艇『鷹の城』」などは異常な舞台設定で起こるかなり奇妙なテイストを持った作品で虫太郎以外には書けないだろうというシロモノ。
そして秘境冒険小説の体裁を取ってはいるが何でもありの異常な世界「人外魔境」。

小栗虫太郎は三軒茶屋近くの太子堂をホームグラウンドにしてあまり出歩かなかったというような話を読んだ事があるが、この小説も何らかの文献で得た知識と自分の想像のみで書き進めたのだろうか。
実際にそんな場所(「人外魔境」の舞台になった土地)にそんな魔境があったのか?
これを今の情報量で考証するほどのヒマがROCKHURRAHにないからわからないが、かなりの大ぼらが混じった幻想の中の魔境なんだろうと想像する。
それは現実よりもずっと魅惑的な世界なので、このままでいいんだと思うよ。
魔境も神秘もずっといつまでもこの世にあり続けて欲しいからね。

さて、第3篇があるのかどうか?それは何年後なのか?
それではまた、Kwa heri.(スワヒリ語でさようなら)。

時に忘れられた人々【23】同名異曲編2

【今回はナチュラル志向と着飾ったのが競演】

ROCKHURRAH WROTE:

どこの天気予報でも「今年は記録的な猛暑になる」というような予報が出ていて、真夏の暑さが大嫌いなROCKHURRAHは気が滅入っている。
今のところ猛暑というよりはおそろしい湿度で、部屋の中にいても蒸し蒸しという日々が続いてるけど、そんな中、やって来ました。去年に引き続きまたまたエアコンの不具合。
去年の夏のブログ記事で書いた通り、真夏の最も暑い時期に我が家のエアコンから恐怖の水漏れが起きてしまい、応急で下に貼ったゴミ袋に毎日のように大量の水が滴り落ちるという事件が発生した。
水を慌てて拭き取ろうとした際にぐるぐる回っている部分に指を突っ込んでしまい、あわや骨折か?と思うくらいの怪我をした悪夢の思い出。あれで数ヶ月は指の感覚がおかしくなってしまったからね。
去年はメーカーに来てもらったのに結局、原因は不明だがなぜか改善されてしまった。自分でドレンホースやドレンパンのつまりも解決したから、改善されなきゃウソなんだけどね。
今年もとりあえずは大丈夫なはずなんだけど、またもやすごく暑い日から突然大量の水が垂れてきて大パニック。応急の対処法はすでに会得していたけど、個人的にイヤな出来事ばかり続いてたし、よりによって自分の誕生日にこんな問題まで抱え込んで頭が痛いよ。
結局、一週間水漏れのまま耐えて週末に業者に来てもらい、やっと(たぶん)解決したという始末だ。
おそらくの原因は本体内部のドレンホースより排水の穴の方が位置が高かったため、水が逆流してたんじゃないか?というお粗末なもの。つまりは最初の設置ミスだとの事。確かに最初の時はよくわからんバイトの小僧みたいなのが取り付けに来たもんな。
貴重な時間をこれで何時間も無駄にしたけど、とりあえずは真夏の水漏れの心配がなくなったようで良かったよ。

人にとってはどうでもいいような前置きだったな。しかも今日の記事とは何も関係ない。
さて、今回も引き続き「同名異曲」について書いてみよう。
最近はどうだかわからないけど、90年代くらいはバンド名もタイトルもひとつの単語のみというようなシンプル過ぎなのが流行ってた時期があったな。それだったら同名のタイトルというのも結構あったんだろうな。
ウチのブログでは70年代や80年代の音楽についてばかり書いてるから、そこまでいくらでも同じタイトルの曲が転がってるわけじゃないけど、何とか探してみたよ。

Son Of A Gunというのは英語でよく使われる言い回しのようで「船の大砲の下で生まれた子供」というような意味らしい。ん?何じゃそりゃ。
日本で言うなら「橋の下で生まれた子供」とかと同じような使い方なんだろうが、そもそも今の時代にそんな会話あるのかね?
そのままの意味では使いドコロがわからんけど「ロクデナシ」とか「ちくしょうめ、この野郎」というようなニュアンスらしい。サノバビッチにサノバガン、どちらにしても慣用句が嫌いでスラングっぽい言葉を全然使わないROCKHURRAHには理解しがたい言葉だなあ。

そんなタイトルを代表曲につけたのが越路吹雪、ではなくて1980年代後半にスコットランドで活動していたヴァセリンズだ。
ユージンとフランシスの男女ペアが中心のアノラック系ギター・ポップのバンドでジャケットも二人の世界だが、デュオではなくユージンの友人や兄弟なども含めた編成だった。日本で言えばチェリッシュみたいなもんか?

キング・オブ・アノラックってほどにキングな活動はしてないが、パステルズのスティーヴン・パステルに見出され、彼の53rd&3rdというレーベルから出したのがこの「Son Of A Gun」というデビュー曲。

ニルヴァーナのカート・コバーンが彼らの曲を大々的にカヴァーして、90年代にはにわかに再評価されまくった(レコードもプレミアついて高騰)が、80年代後半のリアルタイムでは割と細々と活動していたという印象がある。活動期間も短かったから知る人ぞ知るようなバンドだったな。
まあ音楽性もヴォーカルも80年代的に言えば「ヘタウマ」。
初々しい感じのバンドだからインディーズでこじんまりとマイペースにやってゆくのが本来の姿だね。後にすっかり老けてしまってから奇跡の再結成を果たした。
少しはしたたかになった模様だが、基本的には相変わらずの路線でファンをなごませた。
彼氏は少しギターとかやってるけどギンギンのバンド野郎じゃなくて、彼女は彼氏の影響で歌とか歌い始める。音楽業界の事とかよくわからないけど好きな音楽と彼氏とでささやかに宅録とかしたい。ヴァセリンズはそういったカップルとか内輪で音楽をやっている者にとっては光明と言える存在だったんだろうな、と勝手に推測してみたよ。

こちらもまた同じタイトルを持つ曲、リヴァプール出身のラーズによるもの。
「There She Goes」という不朽のヒット曲によって知られるが、曲は知ってるけどどんなバンドがやってるのかよく知らないという人も多かったんじゃなかろうか?
80年代後半にデビューして人気、知名度も上がってきた頃、曲やレコーディングの出来に不満を持ったバンド側が発売をキャンセル。しかしレーベルはバンドの意向を無視して勝手に作りかけだったアルバムをリリース。楽曲は全てバンド側の意図してない出来のまま世界に出回ってしまったわけだ。
そういう激しい諍いがあって、大人気バンドになる可能性があったラーズは活動停止してしまったという経緯がある。
彼らの有名なアルバムはヴォーカリストのリー・メイヴァースが「買うな!」と言った作品だとの事だが、その1曲目に「Son Of A Gun」は入っている。

親しみやすく素朴なメロディにやや乱暴な歌い方が絡むというスタイルは少し後で出てきたオアシスなどの原型だと言える。かなり60年代な雰囲気なのでその辺が好きな人に熱烈支持されていたね。
しかしこの映像はまだいい方なんだけど服装とかに全く無頓着なタイプ。基本的にジャージとかネルシャツとか楽なのが一番、という姿勢で貫いているな。
大人気バンドになる可能性があった、と書いたものの、絵にならないなあ。

では絵になるこちらで仕切り直しといこうか。

Spellboundは日常生活ではあまり使われない単語だとは思うが、呪文で縛られたとか魅せられたとかそういう意味だそうだ。
ロンドン・パンク初の女性ヴォーカリストとして出発して、後にはゴシック、ポジティブ・パンクの元祖的存在だったスージー&ザ・バンシーズの1981年、4thアルバムに収録されてシングルにもなったのがこの曲だ。
Banshee(アイルランドの死の妖精)をバンド名につけ、初期の頃から割とダークな曲調を好んでたスージー・スーが歌うにはピッタリのタイトルだと言えるね。
あまりにも有名なバンドだから今さら書くような事もないけど、この後の女性ヴォーカル・バンドのひとつの路線を作った偉大なバンドだったと思う。

映像は森のなかをスージーやバンド・メンバーが走り回る割とアクティブなもの。白塗り化粧で退廃的、運動や汗とは無縁の印象があったけどライブでは動くだろうしそんなでもないのか?ドイツのベルフェゴーレにも海辺を全力疾走しまくるというミュージック・ヴィデオがあったが、バンシーズはやっぱり森の中の方が似合うね。森の奥にいるシャーマンという感じがするから。

ROCKHURRAHは昔から海よりは山、森や渓流の風景に惹かれるが、実際はそんな山の中に滅多に行かないしアウトドアな人間ではない。憧れは人一倍強いんだけど、気軽に行けないようなところにばかり暮らしているからなあ。
冬場は寒いからちょっと、だけど、こんなに蒸し暑い夏は深山の奥で暮らしたいという願望が沸き起こる。
高校生の頃、住んでた家の近場に小倉(福岡県)の足立山という小さな山があった。秘境でも森でもないが、雑木林くらいはあるだろうという程度の山だ。
ある日の朝、なぜか学校に行かずその山を目指してひたすらに歩いて歩いて登ったという変な出来事を思い出す。
通学のバスを降りて山へ入る道を歩いて行ったのだが、その後の一日をどうやって過ごしたのか、どうやって帰ったのかをまるっきり覚えてないのだ。
学校サボってまで山に入る動機もひとつも思い出せない。
運悪く体育教師に目撃されたらしく、後に学校に来てない事が発覚すると予想した以上の大問題に発展した。当たり前だが家に連絡されて翌日も呼び出されて大目玉をくらった事だけは覚えてる。自分の行動は全く覚えてないくせにね。
その時の心境はまるっきりわからないが、今にして思えば何かに導かれてどこかを目指した、これも神秘体験の一種だったんだろうかね?
おっと、今回の記事には全く関係ない思い出話だったよ。

そんなバンシーズの名曲と同名タイトルなのがこれ、ピンク・ミリタリーの1979年に発表した12インチ・シングルに収録(1stアルバムには未収録)。
ん?紹介する順番が逆だった事に今気付いたよ。「Spellbound」というタイトルではこちらの方が早かったんだね。
「同名異曲編」の1の方でも書いたが、デヴィッド・バルフが関わっていたビッグ・イン・ジャパンというリヴァプールのパンク・バンドがあって、そこの歌姫だったのがジェーン・ケーシーだった。
このバンドからは

  • 後にフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドで大ヒットするホリー・ジョンソン
  • ライトニング・シーズで大ヒットするイアン・ブロウディ(キングバード名義でプロデューサーとしても有名)
  • KLFでチルアウトというハウス・ミュージックの元祖となったビル・ドラモンド
  • 上に書いたスージー&ザ・バンシーズに参加するバッジー(後にスージーと結婚して離婚)

などなど、有名ミュージシャンが最初に始めたバンドとして伝説となっているが、ジェーン・ケーシーがビッグ・イン・ジャパンの後に始めたのがピンク・ミリタリーだった。
ジェーン・ケーシーと言えば70年代後半のパンク・ガールの中でも最も退廃的な美しさを誇り、異様なメイクや奇抜な服装でも有名。リヴァプールの中では一歩抜きん出たファッショナブルな存在だったと個人的には思う。
しかしピンク・ミリタリーの音楽はそういう派手な見た目とは裏腹に案外地味な感じだった。
他のメンバーがビッグ・イン・ジャパンとは違う方向性で有名になったのとは対照的だけど、ある意味、ビッグ・イン・ジャパンを最も継承していたのは彼女だったんだろうね。
スージー&バンシーズあたりとも通じるダークな曲調にジェーンの気怠い感じの歌声が響く地味な楽曲。時代的にネオ・サイケに属するような音楽だがポジティブ・パンクとかゴシック的要素はあまり感じない。むしろそっち方面に行ってたら大成したかも知れない、という風貌だが、音楽の方はそんなにドギツくない。

映像の方はレコードではなくリハーサル・トラックの音源との事だが、ビッグ・イン・ジャパンやリヴァプールの大半のバンドがライブをやったであろう、エリックスというライブハウスでの珍しい写真がスライドで出てきて、マニアにとってはかなり価値が高いもの。当時はものすごく盛り上がってたんだろうな。行きたかったなあ。
ピンク・ミリタリーや後のピンク・インダストリーはヒットしなかったらしく、プロモもTV出演の映像とかもほとんどないのでこれで許して。

まだまだ探せば同じタイトルの違った曲は出てきそうだけど今回はここまで。
ではまた、Até mais tarde(ポルトガル語で「またね」)!

時に忘れられた人々【22】同名異曲編

【今回の主役はこの方々。相変わらず意味不明の人選だな】

ROCKHURRAH WROTE:

変更後に一回もブログを書いてなかったので自分で語ってなかったが、5月後半からやっと当ブログのリニューアルが出来て、何とか自分の思ってた形に近くなってきたよ。
たまたまこの期間に訪問してくれた人は目まぐるしくデザインや色、背景などが変わって面食らったはず。今どきは素人でもやらないぶっつけ本番で修正しながらのリニューアルだったのでかなりドキドキしたよ。
見る人が見ればわかる通りロトチェンコもどきに作ってみたんだが、どうだろうか?

さて、今回の企画はひねりも小技もなく「同じタイトルだけど別の曲だよん」というROCKHURRAHにしては珍しいストレートなもの。
色々ひねくれた企画ばかり考えすぎて書けない事が多かったからたまにはこういう路線でやってみるよ。直球なので前置きも能書きもなくさっさと始める事にするか。

クズ、ゴミというようなタイトルがこれほど似合う男たちが他にいようか?
パンク以前のグラム・ロックの頃にアメリカで活躍していた伝説的なバンド、ニューヨーク・ドールズの名曲。
派手なメイクと悪趣味スレスレのオカマのようなファッション、そしてデタラメに粗雑なロックンロールとごつい歌声。全てのマイナス要素が合わさって奇跡的にカッコ良くなるという「最低で最高」の見本が彼らだったな。ありきたりなコメントですまん。
「Trash」は1973年発表、代表曲満載の1stアルバムに収録されてる。
マルチ・ミュージシャンとして有名なトッド・ラングレンによるプロデュースが彼らの持つ荒々しさを台無しにした、などと不評ではあるが、それはライブ活動をメインとするバンドのスタジオ盤には一番ありがちな評価だ。
リアルタイムでライブを見れなかった我々はこれを聴くしかない。

映像はTV出演のものらしく演奏に迫力がないんだけど、デヴィッド・ヨハンセン、アーサー”キラー”ケイン、ジェリー・ノーラン、シルヴェイン・シルヴェイン、そしてジョニー・サンダースという黄金期のメンバーが明瞭に見れるからこれを選んでみた。ジョニー・サンダースの髪型がぺったんこで地味な印象だが他のメンバーは大体いつもこんな感じ。ヨハンセンのスケスケ衣装も道化師のようなシルヴェインも、アーサー・ケインのはみ出した肉もすごい。
全てがToo Muchにデフォルメされていて、上品で健全なロック・ファンには受け入れられないだろうが、後のパンクに与えた影響は計り知れないバンドだったなあ。

それと同名のタイトルなのがこれ、ロキシー・ミュージックが1978年に再結成した時のアルバム「マニフェスト」に収録されている。
ロキシー・ミュージックと言えば「ダンディ」とか「ソフィスティケートされた大人のロック」とか、そういうイメージで語られる事が多いがそれは70年代後半になってからの話。初期の頃はかなりヘンなバンドだった。
ちょうどグラム・ロック全盛の頃にデビューした時はギンギンの派手な衣装と髪型でカッコイイと言うよりは色物バンドみたいだった。
上に書いたニューヨーク・ドールズがロックンロールを極端にデフォルメしたような音楽だとすればロキシー・ミュージックのはプログレッシブ・ロックのデフォルメ化とでも言うのか。的外れかも知れないがROCKHURRAHはそんな印象を持っていたよ。
まあとにかくロキシー・ミュージックは今までに味わったことのないようなユニークな音楽性を持っていて、たちまち有名バンドになってしまった。

強烈な個性の要だったのはこもった声と粘着質な歌い方でロック・ヴォーカルの概念を根本から変えたブライアン・フェリー。そして孔雀のような派手な衣装と不気味な髪型で異彩を放っていたインテリ、ブライアン・イーノ。サックスを時に美的、時にノイズ楽器にまでしてしまうアンディ・マッケイ。この三人の出たがり男が中心となってユニークな音楽が形成された。
が、イーノが脱退してからは元キング・クリムゾンのジョン・ウェットンや元カーヴド・エアのエディ・ジョブソンなど凄腕ミュージシャンのバックアップもあり、ヨーロッパ的美学(何じゃそりゃ?)を極めた洗練されたスタイルを完成させる。

この曲はそういった全盛期が過ぎ去った後の時代の作品だ。
彼らが活動してなかった時期に登場したロンドン・パンクとニュー・ウェイブ。
これらの音楽は従来のロックを根本から覆すだけのインパクトがあったのは確かだった。
見て見ぬフリをして今まで通りの音楽作りをした古いバンドも多かったが、デヴィッド・ボウイーやロキシー・ミュージック、ビー・バップ・デラックスなど元から斬新な事をしていたバンドにとっては脅威だったに違いない。ん?そんなことない?
我関せず、という独自の音楽を展開していても何らかの変化はあったのじゃないか?とROCKHURRAHは勝手に想像するよ。
「Trash」はそういうパンクな若い世代の「薄っぺらさ」をおちょくったような内容の歌だったはず。ツッパったりイキガッたりしても所詮は17歳というような感じかな?
全ロキシー・ミュージックの曲の中で最も軽くインスタントな雰囲気に満ち溢れてて、プロモーション・ビデオもどうでもいいようなクオリティ。しかもやけにノリノリなのがウソっぽいな。もしこの一曲だけでロキシー・ミュージックを評価されたら自分たちこそトラッシュ扱いされてしまう危険性をはらんだ曲だと言える。

「野心、野望」というような意味のタイトルがこの曲。
大昔は下北沢、高円寺、阿佐ヶ谷に三店舗を構えた中古ゲーム屋の取締役だったという意外な過去を持つROCKHURRAHだが、ゲームの世界で燦然と輝くビッグ・タイトルだったのが光栄というメーカーの「信長の野望」「三國志」などのシミュレーション・ゲームのシリーズだった。
流行り廃れがあまりなく、金を持った大人が好むソフトなので割と高価でもコンスタントに売れるというメリットがあり、結構儲けさせて頂いたよ、という同時代の同業者だった人もいるだろう。関係ないが子会社のエルゴソフトはMac用の日本語入力システム(Windowsで言うところのATOKみたいなもの)を販売していて、この当時のMac派はデフォルトの「ことえり」の出来が悪いこともあって、みんなお世話になっていたな。
その大ヒットした「信長の野望」は海外版では「Nobunaga’s Ambition」と呼ばれていたのをふと思い出しただけで何行にも渡って関係ない思い出を語ってしまったよ。

ヴィック・ゴダード&サブウェイ・セクトはロンドン・パンクの時代に活動していたバンドだ。初期はクラッシュと同じマネージャーだった事からクラッシュのツアーで前座として同行、必然的に注目を浴びる存在となった。
日本ではほとんど知られてなかったが「Original Punk Rock Movie」という当時のパンク・ロッカーなら誰でも見てるビデオがあって、そこに数曲登場してたので、多少知られるようになった。が、シングルは割と入手困難だった事を覚えている。

彼らの音楽は当時のパンク・ロックの中では異端と言うべきスタイルで、歌も演奏も割とヘロヘロ、ステージ衣装なども特になくてただのセーター着てたりする。しかも曲と曲の間に一言も喋らなかったり、人前で何かをする資格がないと言われそうなバンドだった。
アンダートーンズとかもそうだったが、ロック的なカッコ良さとは無縁の地味さだったなあ。
アルバムもリアルタイムではリリースされなかったし、後にラフ・トレードから「回顧録」などというタイトルでシングル・コンピレーションが出ただけ。
これで消えてしまうかのようなタイプの音楽だったが、1980年にちゃんとリリースしたアルバムではパンク要素もほとんどなく、ノーザン・ソウルに傾倒した珠玉の音楽を作り上げ、さらにその後にはなぜか突然全編フェイク・ジャズというビックリな転身を図る。
かなりの偏屈な変人という噂だが確かに一筋縄ではいかない音楽遍歴を持っているな。ミュージシャン受けも良く元オレンジ・ジュースのエドウィン・コリンズや小山田圭吾も彼の大ファンだったという話も聞いたことがある。
パステルズなどのアノラック系ギター・ポップの元祖とも言えなくはないし、パンクの時代には地味扱いされてた音楽も他の時代には評価されまくってるというわけだ。

「Ambition」はオルタナティブ・チャートの1位を取った曲で彼らのパンク時代の代表曲。動いてる映像がないんでアレだが、たぶんライブ映像でもほとんど動いてないし面白くなさそうな顔して歌ってるだけ。初めて聴いた時は不安定な歌声に不安になったが先の展開が読めない曲調とちゃんとカタルシスのあるサビでファンになったよ。何とも言えない魅力があるんだよね。ジーザス&メリーチェインもこの曲のカヴァーをやってたな。それにしても野望というタイトルには全く似つかわしくないバンドだなあ。

後にティアドロップ・エクスプローズのメンバーとして知られるようになるデヴィッド・バルフとアラン・ギルがパンクの時代からやっていたのがデレク・アイ・ラブ・ユーという変わった名前のバンド(ユニット?)だ。1980年代以降の音源しか残ってないのでどんな事をやっていたか不明だが、デヴィッド・バルフはリヴァプールの音楽界で非常に著名な人物、いたるところでその名前が出てくるな。
最も有名なのは伝説的パンク・バンドだったビッグ・イン・ジャパンのメンバーだった事だ。ビル・ドラモンド、イアン・ブロウディ、ジェーン・ケーシー、ホリー・ジョンソン、バッジー、そしてデヴィッド・バルフなどが在籍していた。
名前を知らない人が読んでも「?」だろうがメンバーのほとんどが後の80年代には有名人になるから伝説的と言われていたわけだ。
いちいち書くとものすごく長くなってしまうから昔に書いたこの記事を参照して頂きたいが、何とこの記事にも別のリンク参照してくれと書いてるな。昔から割といいかげんなROCKHURRAHだった事がよくわかる。
こういう伝説的バンドだったんだが、中でもバルフはティアドロップ・エクスプローズやリヴァプールの数多くのバンドをリリースしていた中心的レーベル、Zooレコーズをビル・ドラモンドと共に立ち上げて、カメレオンズというプロデュース・チームもやっていたヒットメーカーだった。
その後にはブラーやシャンプー、ジーザス・ジョーンズなどを抱えるFoodレーベルのオーナーとして君臨していた。ミュージシャンとして稼いだリヴァプールの著名人はたくさんいるが、レーベル・オーナーとしてここまでビッグになった人はあまりいないのじゃなかろうか?

さて、デヴィッド・バルフから1000ポンド貰いたいくらいに宣伝してしまったが彼がデレク・アイ・ラブ・ユーに関わっていたのは初期だけで、その後はアラン・ギルの方が主導で地元のミュージシャンと共に細々とやっていたという印象。
一緒にやっていたメンバーの中には後にオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークで大成する二人も関わっていたり、細々の割には比較的豪華。
時代によって聴いた印象も随分違うが、初期の頃はチープでか細いエレクトロニクスを多用するようなバンドだったが中心のアラン・ギルがギタリストなのでいわゆるエレポップと初期ニュー・ウェイブとの折衷のような音楽だった。

ところが(やっと本題に入ったが)1983年に出たこの「Ambition」で突然にメジャー志向のダンサブルなエレクトロニクスに大変身。あまりいないとは思えるが従来からのファンをビックリさせるような加齢で、じゃなく華麗で派手な音楽を見事に完成させた。
ヒプノシス(レコード・ジャケット・ワークを手掛ける有名なアーティスト集団)によるジャケットも明らかにメジャー志向。
ティアドロップ・エクスプローズの時はいなくてもいいとまで思われていた(あくまでROCKHURRAHの個人的感想だが)アラン・ギルに一体何が起こったのかは不明だが、これはまさにタイトル通り「野望」を感じる80年代的ダンス・チューンの決定版。
大音量でかけると聴いてるのが恥ずかしくなるくらいにキメキメの予定調和に満ち溢れた曲だが、本気出せば地味なバンドでもこれくらいは出来るもんだな、と感心したよ。が、そんな大きな野望を秘めた曲だったが、たぶん全然ヒットもしなかったように記憶する。このビデオも全然プロモーションビデオじゃない雰囲気だしなあ。

ひとつひとつを軽く流せばもっと数多くの同名異曲を紹介出来たはずだが、思ったより細かく書いてしまったな。まだネタはあるからこれからまたパート2とかやりそうな予感だよ。

ではまた来週、Tot ziens(オランダ語で「さよなら」の意味)。