ヨコハマトリエンナーレ2017鑑賞


【メイン会場だった横浜美術館を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

2017年5月の記事「SNAKEPIPE MUSEUM #42 Wael Shaky」の最後に

横浜トリエンナーレでは映像作品も鑑賞できるのだろうか?
今からとても楽しみだ!(笑) 

と書いている。
たまたまSNAKEPIPE MUSEUMで特集したアーティストの作品が、横浜トリエンナーレに出展されることを知り鑑賞するのを待ちかねていたんだよね!
横浜トリエンナーレに行くのも初めてのこと。
3年に1度開催されているというので、恐らく前回は長年来の友人Mとの間で話題には上りながらも、結局行かなかったんだろうね。
今年こそは!と喜び、ROCKHURRAHと共に横浜に向かったのである。

横浜トリエンナーレ、どうやら正式名称は全てカタカナ表記のヨコハマトリエンナーレのようなので、ここからはカタカナで統一していこうかな。
ヨコハマトリエンナーレは、いくつもの会場にまたがって開催されているという。
みなとみらい駅すぐの場所にある横浜美術館赤レンガ倉庫1号館、 横浜市開港記念会館、という3つの会場があるというので、あらかじめ下調べをする。
恐らく全部を回りきれないだろう、と思ったからね。
時間的にも、体力的にも難しそうだもん。(笑)
ROCKHURRAHとの会議の結果、横浜美術館と赤レンガ倉庫の2つの会場だけを鑑賞することに決定する。
ROCKHURRAH RECORDSの目的は横浜観光ではなく、作品鑑賞にあることから、作品数が多く展示されている会場2つを選択したのである。
そしてその2箇所であれば、徒歩での移動が可能なことも理由だった。
一応無料バスが出ている、という情報はあったけれど、どれほどの人が利用するのか、時刻表通りの行動ができるのかも不明だしね?

この日の横浜は晴天。
前日は雨降りだったので、腫れたこの日は絶好のお出かけ日和だった。
少し歩くと汗ばむ程の気温、元々横浜は「人がいっぱい」という印象があるけど、この日は特に多かったように思う。
今から思えば、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは前日の雨模様の時に行ったほうが良かったのかもしれないね。

最初に赤レンガ倉庫に向かうことにする。
赤レンガ倉庫といえば、あの観光名所だよね。
最近少しSNAKEPIPEの方向音痴が感染しつつあるROCKHURRAHと、自他ともに認める完全な方向音痴のSNAKEPIPE。
赤レンガ倉庫までテクテク歩いて向かう。
「多分こっちだと思う」という危なっかしい2人で、なんとか赤レンガ倉庫へ。
ところが、ヨコハマトリエンナーレのヨの字もないじゃないの!
もう一度確認すると「赤レンガ倉庫1号館」だって。
赤レンガ倉庫に1号館と2号館があることを知らなかったよ。(笑)
ショップやレストランが入っているのが2号館で、それを目指して歩いていたようで。
一体1号館はどこ?
この時赤レンガ倉庫の敷地ではドイツ・ビールが飲めるオクトーバーフェストなるイベントが行われていたんだよね。
このイベント目的のお客さんが大勢で賑わっていて、ビール買うための列なのか、行列も出来ている状態。
大きなテントができているわ、ビール会場のための囲いがあるわ、赤レンガ倉庫1号館の入り口が分からない!
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは赤レンガ倉庫1号館に行きたいんですけど〜!
テントや囲いをぐるっと回って通り抜け、やっと見つけたのがこの入口。
右がビールのフェスタの白いテントで、それに隠れるようにヨコハマトリエンナーレの看板が…。
非常に分かり辛かったと思うのは、ROCKHURRAH RECORDSだけかしら?
赤レンガ倉庫としては、ヨコハマトリエンナーレよりもオクトーバーフェストのほうに力を入れてる感じだったよ。
それでもなんとか無事にたどり着いて良かった。(笑)

赤レンガ倉庫内が会場なので、2017年正月に行ったBankART1929と似た雰囲気を感じる。
無機的なバックは非常に好みの空間だよ。
そこで出会ったのが宇治野宗輝の作品「プライウッド新地」だった。
機械音が鳴り響く。
何かと思うと、ジューサーミキサーが回転している音のようだ。
そしてその様子がスクリーンに映し出されている。
かなりインダスとリアル!(笑)
リズム音、ギター音、モーター音などが絡み合い、インダストリアルな音楽が完成する。
これらは全て自動なんだよね。
そのうちギターについた触手(?)が動き出した!
影だけ見ると、まるで昆虫だよね。
複雑な装置の動きと重低音、音に合わせた照明などの全てが、会場で体験しないと分からない現代アートでとても気に入った!(笑)
会場にいた係の人に「これは誰の作品ですか?」と聞きに行ったSNAKEPIPE。
「うじのさん、です」と言われて初めて日本人の作品だと知り驚く。
勝手に海外のアーティストだろうと思っていたんだね。
ドイツのアーティストという印象だったから。
宇治野宗輝は1965年東京生まれ。
1988年東京芸術大学卒業。
2001年から個展を開催し、海外でも作品を発表しているようである。
東京では山本現代でやることが多いみたいだから、機会があったら鑑賞したいアーティストだよ。

照沼敦朗は、絵画の中に動きを取り入れた作品を展示していたよ。
ちょっと漫画っぽい作風なんだよね。
右は映像が組み込まれている作品で、モノクロームの世界に突然光が差し込む様子は、ちょっと不気味だった。
細かく描き込まれている背景には、謎の日本語も書いてあったよ。
もう一点は鮮やかなカラー作品で、途中からプロジェクション・マッピングのような映像が重なり、幻想的な雰囲気になっていた。

2010年に鑑賞した「六本木クロッシング2010展」で、「ほおっ」と声を上げた、と感想を書いていたのが青山悟の作品だった。
その時に鑑賞した作品も展示されていたね。
実は鑑賞していないはずのROCKHURRAHに指摘されてから気付いたんだけどね。(笑)
どこかで観て知ってるような?と思ってたSNAKEPIPEは、かなり記憶力が低いなあ。
今回はアンティークプリントに刺繍を施した作品が展示されていた。
全てをびっちり刺繍している作品とは違って、一部分だけにカラーが入ることで印象が変わる効果を狙っているのか?
この作品の場合は赤い服の部分が刺繍なんだよね。
SNAKEPIPEの個人的な好みでは、全てが刺繍の作品のほうに軍配が上がってしまう。
恐らくびっちり刺繍は初期の作品で、一部刺繍が最近のようなので、変化しているんだろうね。
刺繍アーティストとして作品を作り続けているのはすごいことだと思う。

 「まるでフランシス・ベーコンだね!」とROCKHURRAHと言い合ったのが小西紀行の作品だった。
小西紀行、と検索しようとすると、どうやら「妖怪ウォッチ」の作者が同姓同名のようで、画家のほうの小西紀行がなかなかヒットしないんだよね。(笑)
もしかしたら本人のHPはないかもしれないので、ギャラリーが紹介しているページを貼っておこう。
家族や身近な人物のスナップ写真を元に描いているみたいなんだけど、かなり抽象化されていて鑑賞者が自由に感想を持つことができる。
そしてSNAKEPIPEが持った感想は「残酷な雰囲気の絵」だったんだけどね?
あれ?家族の肖像画からは離れてるかな。(笑)
今まで全然知らなかったアーティストなので、鑑賞できて良かったと思う。

赤レンガ倉庫1号館の展示は、とても満足した。
観られて良かったね、と話しながらランチに向かう。
ところがこのランチが大失敗!
なんと1時間も並ぶ羽目になるとはね。
横浜の昼時をナメたらあかんぜよ。
あんなに人が大勢いるからねえ。
仕方なかったとはいえ、並ぶことが苦手なROCKHURRAH RECORDSには辛い時間だった。
次回からの教訓にしよう。 

ヨコハマトリエンナーレのメイン会場は横浜美術館なので、赤レンガ倉庫1号館の展示に満足していたROCKHURRAHとSNAKEPIPEは、期待を胸に横浜美術館に入ったのである。
が、、、どうしたことでしょう。
横浜美術館の展示作品は、どれも「学芸会レベル」に感じてしまうものばかり。

大好きな写真家、畠山直哉の作品が展示されていたのは嬉しかったけど、特に新鮮さはない。
恐らく今まで観たことがない作品だったのが「カメラ」という作品群。
撮影年度が1995年から2009年というから、撮りためているテーマなのかもしれないね。
「LIME WORKS」や「Underground」で衝撃を受けたSNAKEPIPEは、あそこまでカッコ良い写真を撮る写真家ならば、もっとすごい作品を見せてくれるのでは?と期待して待っていたっけ。
Wikipediaで畠山直哉を調べてみたら、2015年に紫綬褒章を受章していたらしい。
今はどんな写真を撮っているんだろうね。

横浜美術館の展示で感想を書きたいと思うのは、ヨコハマトリエンナーレに行くきっかけになったワエル・シャウキーだね。
ガラスや粘土を使用した操り人形を制作し、その人形を実際に動かした映像作品をてがけているアーティスト。
エジプト出身というところに驚き、その人形の不気味さが気に入ったSNAKEPIPEは、是非とも実物を鑑賞してみたいと思っていたのである。
そしてついに人形とご対面!
確かに人というよりはワニだったり馬のように見える顔立ちだったけれど、実物はそこまで不気味ではなかった。
これは照明や背景の影響かもしれないね?
動かすことを想定して制作されているので、人形単体で鑑賞する場合とは印象が違うんだろうね。
会場には大きなスクリーンが配置され、ワエル・シャウキーの映像作品が流れていた。
ちゃんと日本語訳も入っていたので、本当はもっと鑑賞したかったけれど、ここに辿り着くまでにすっかりお疲れモードのROCKHURRAH RECORDS。
ほんの少しの時間だけ鑑賞して終了してしまった。
前述したように、横浜美術館の展示作品はどれも「?」と感じてしまうものばかり。
赤レンガ倉庫1号館で大満足してからの落胆は、その格差が大きかっただけに疲労につながってしまった。
ランチの待ち時間も、ね。(笑)

ヨコハマトリエンナーレは大規模な企画展示なのかと思って期待していただけに、がっかり感のほうが強くなってしまった。
今回横浜市開港記念会館に行かなかったのは、正月に鑑賞した作品と同じ展示作品だったからである。
柳幸典も観ていたら、がっかり感は少し薄れたかもしれないなあ。(笑)
横浜美術館は常設展が素晴らしい、好きな美術館なだけに残念でならない。
3年後のトリエンナーレはどんな展示作品が並ぶんだろう?
観念的過ぎない、一目で「驚くようなアート」が観られると良いね! 

サンシャワー:東南アジアの現代美術展鑑賞

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【いつも通り国立新美術館の看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

長年来の友人Mと久しぶりに約束した。
7月、8月の2ヶ月間は外出するのをやめているからである。
夏の間というのは毎年そうなんだけど、 ファミリー向けや子供向けの企画が多いため、鑑賞したいと思う展覧会が少ないことが一つ。
最も大きな理由は、子供連れの家族がいる環境で不快な思いをすることが多いからである。
初めから分かっているので、避けられるシチュエーションは回避するのがベターだもんね!
ということで夏休みが完全に終了した9月になったら行こうね、と約束していたのが東南アジアの現代アートを特集した展覧会だったのである。

ASEAN設立50周年記念として企画された「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」は六本木にある森美術館国立新美術館との2館で同時に開催されるという。
アジア10ヵ国から86組のアーティストが選出され、作品が展示されるらしい。
よくブログに書いていることだけれど、例えば女子ゴルフの世界でも圧倒的に強く存在感を示しているのは韓国の選手なんだよね。
台湾やタイの選手も多い。
現代アートの世界でもアジア系の活躍がめざましいことは予想がつく。
アジアには独特の文化があるので、一体どんな現代アートに出会えるかと思うとワクワクしちゃうね!

友人Mと約束をしたのは、朝のうちだけ雨が降り、日中は秋を感じるような涼しい日だった。
出歩くには丁度良かったね、と言い合いながら、国立新美術館を目指して歩く。
せっかくなので2館共鑑賞することにしたのである。

国立新美術館に到着してチケットを購入しようとした時、友人Mが「あっ」と叫ぶ。
何かと思うと、友人Mは森美術館の年間パスポートを持っているので、森美術館にはフリーパスで入れる。
この場合、国立新美術館でのチケット割引はどうなるのか、ということに気付いたというのである。
早速国立新美術館のチケット売り場にいた女性に確認してみる。
「あっ、えっと、それは、、、」
絵に描いたような「しどろもどろ」状態で、呆れるほど!
見かねた様子の隣にいた別の受付女性が「森美術館のシステムについては当館では分かりかねます」ときっぱり。
仕方ないので、友人Mが森美術館に電話して確認する。
結局森美術館に先に行き、森美術館のチケットを提示すると国立新美術館のチケットが200円割引になることが判明。
最初に国立新美術館に行ってしまったのが間違いだったね。
同時開催をうたって、2館共通鑑賞用のチケット販売まで行っているんだから、これくらいの質問に対する回答くらい用意しておくのが当たり前じゃないのかな。
それにしても「国立系」であんなチケット売り場の対応で良いのかね?
接客業にまるで向いていないタイプだったからね。

友人Mとプリプリ怒りながら森美術館に向かう。
SNAKEPIPEは通常の2館共通鑑賞用のチケットを購入。
友人Mが年間パスポートを出し、国立新美術館も行きたいと言った瞬間に、チケット売り場の女性は
「森美術館のチケットをお持ち頂いて、国立新美術館でチケットを購入して頂ければ800円になります」
と即答するではないの!
完全に森美術館の勝ちだね。
スタッフの対応も良かったし。

「サンシャワー展」のトレイラーを見つけたので載せておこうか。
会場の雰囲気がわかりやすいもんね!

会場に着いてまず目に飛び込んできたのが、天井から吊るされたゾウ(エレファント)である。
現代アートの特色の一つに「びっくりする(させる)」があるので、これは大成功!
これは、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「ブンミおじさんの森」でも知られるタイの映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクンと、タイ人アーティストのチャイ・シリによる、8メートルの巨大ゾウの立体と映像作品をあわせたインスタレーションとのこと。
映像作品のほうは、あまり意識していなかったけど、ゾウには驚かされたよ。
撮影オッケーだったので、何枚も撮ってしまったね。(笑)

今回の「サンシャワー展」はほとんどの作品の撮影がオッケーだったんだよね。
一部だけは動画も含めて不可だったけど、基本的にオッケーなのはとても良いね!
お客さん達、仲間と一緒に写ったりして楽しんでたよ。
インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオスというアジア10ヵ国からの作品の展示、ということでお客さんもアジア系の方がとても多かった。
ま、そんなことを言ってるSNAKEPIPEもアジア人なんだけど!(笑)

それでは気になった作品を紹介していこうかな。
SNAKEPIPEが撮影したことを証明するため(?)あえて作品だけをトリミングせずに載せることにしたよ!
リュウ・クンユウ(Liew Kung Yu)は1960年マレーシア生まれのアーティスト。
213×575cmという大型の4枚で1セットになっている作品である。
遠目で観ると色鮮やかな色彩が目に飛び込んでくる。
「わあ!きれい!」
思わず声が出てしまった。
フォトモンタージュなんだけど、今まで観たことがある作品とはスケールが違うんだよね。
近付いてじっくり鑑賞すると、作品の秘密を知ることができる。
なんと同じ写真を何枚も重ねて立体感を出してるんだよね!
ちょっと横からも撮影してみたんだけど、言ってること分かってもらえるかな?
鳥の写真が4枚(?)重ねられている。
どの部分も同じように立体になっているというのは、正面から観た場合であっても、奥行きを感じさせる作品になるんだね。
ナショナリズムやアイデンティティにまつわる問題を様々な表現方法によって掘り起こすアーティストという説明を見つけたけど、意味や解釈抜きでも、最初の象と同じように新鮮な驚きがあったよ。
この作品はなかなか衝撃的で、「欲しい!」と思ってしまった。(笑)

マウン・デイ(Maung Day)は1979年ミャンマー生まれ。
デイ、と聞くと反射的にジェイソンと思ってしまうのはSNAKEPIPEだけか?
ミャンマーのファミリーネームにもあるんだね。(笑)
マウン・デイの作品は、まるでいたずら書きのように見えるんだけど、ちょっと毒を感じさせるんだよね。
かわいらしさに混ざった毒気、が甘さと辛さと酸っぱさが混ざりあったアジア料理みたいじゃない?
ちょっと例えがおかしいかな?(笑)
マウン・デイの絵画が、例えばエコ・バッグになってたら欲しかったな。
そういう物販がなかったんだよね、残念ながら。

ポー・ポー(Po Po)も同じくミャンマーのアーティストで、1967年生まれというからマウン・デイより12歳以上年上になるんだね。
撮影オッケーでブログに載せるのも可能なんだけど、作家名と作品名やライセンスについての決まり文句を書く必要がある、と森美術館のHPに注意書きされてるんだよね。
その決まりに則って出来る限り調べて書いてるんだけど、このポー・ポーの作品名が「水」なのか「風」なのか、それとも「空」なのか、はっきりしないんだよね。
確か展示されてた順番で「風」じゃないかと思ってるだけど、間違ってたらごめんなさい!
ポー・ポーは、仏教思想体系のひとつであるアビダルマにおける宇宙の四代要素に幾何学模様を組み合わせ抽象的な概念を視覚化させているんだって!
そうね、よくわかるわ!(うそ)
SNAKEPIPEは色の美しさと、ミニマルアートらしいシンプルさが気に入ったんだけど、それで良いよね?(笑)

モンティエン・ブンマー(Montien Boonma)は微笑みの国、タイのアーティスト。
どうやら2000年に亡くなっているみたいだね。
この作品、外から観ると「なんじゃこりゃ?」なんだけどね。
下からくぐって、すっぽり頭を「なんじゃこりゃ」の中に入れてみると!
穏やかな仏像の顔が現れる仕掛けなんだよね。(写真右)
タイトルの「溶ける虚空/心の型」が外見と心を意味しているのかもしれないね。
この作品はどうやって制作されたのか不思議。
顔から作って、外側を固めたのかなあ。
この作品は福岡アジア美術館が所蔵しているそうなので、福岡でまた体験できるかもしれないね!

さて、ここまでが森美術館での展示作品の紹介だったよ。
お昼にドカンと美味しいトンカツ食べて、再び国立新美術館に向かうSNAKEPIPEと友人M。
展覧会の「はしご」はあまりやらないけれど、たまにはいいか。(笑)

全体的な印象としては、国立新美術館の展示のほうが戦争に代表される苦しみや悲しみを根幹にした作品が多かったように思う。
アウン・ミンは1946年ミャンマー生まれ。
戦争を体験している世代なんだよね。
タイトルは「五大陸に流れ落ちた赤い涙」だけど、これは涙ではなく血も連想してしまうよね。

FX ハルソノはインドネシアのアーティスト。
アウン・ミンと同世代の1949年生まれだという。
こちらも赤い作品だったんだけど、2m近い高さがある大きさだった。
遠くから見ると赤いライトが綺麗だったけれど、近寄ってみるとそれは墓標のようで。
人の名前が書いてあり、墓地(?)の写真が並んでいる。
完全に死をテーマにした作品なんだよね。

 ヘリ・ドノ(Heri Dono)はインドネシアの伝統的な影絵芝居「ワヤン・クリ」で使用される人形をモチーフにしたアート作品を制作していたね。
部分だけしか撮影していないので分かり辛いけど、逆さまにされた人形の上には煮えたぎった(ように見える)鉄鍋があるんだよね。
多分拷問の一種なんだと思うんだけど?
壁に小さく貼ってある紙に、作品が動く時間が書かれているのを発見した。
どうやらこの作品は動くんだね!
30分おきに動かしているようなんだけど、待つには長かったので、残念ながらどんな動きをするのか確認できなかった。
きっと拷問に苦しむ人達、という感じなんじゃないかな。

国立新美術館の展示は書いているように、少し重苦しくて「グッとくる」作品にはなかなか出会えなかった。
そんな中、SNAKEPIPEが狂喜したのはミン・ウォンの作品を鑑賞することができたこと!
ミン・ウォン(Ming Wong)は1971年シンガポール生まれだけれど、ベルリンで活動しているアーティストである。
作品は既に映像化された作品をリメイクすること。
ただし、登場人物全てを一人で演じるという「映像版森村泰昌」なのである。
顔立ちが「ワハハ本舗」の梅ちゃんに似ているところも注目しているSNAKEPIPE。
今回の作品を動画で撮影したので載せておこう。

2011年の記事「ゼロ年代のベルリン展鑑賞」に以下の文章があるね。

「実生活を営むヨーロッパにおいても、映画の中でも『よそ者』を演じるウォンが示すのは、アイデンティティとは演じることで存在し補強されるが、その存在を維持するためには演じ続けなくてはならない」

解説や解釈ではこんなにカッコ良いこと言われてるけどね。
SNAKEPIPEにとっては「変身願望が強い人」という認識なんだよね。(笑)
そして今回もやってくれてたよ!
なんと今回はアラン・レネ監督の「去年マリエンバートで」(原題:L’Année dernière à Marienbad 1961年)を一人全部役で。(笑)
やっぱり笑ってしまったよ。
いいわ、ミン・ウォン!やっぱりファンだわ!(笑)

重苦しかった 空気がミン・ウォンのおかげで吹き飛んだけど、今回の2館同時開催は失敗だったんじゃないかな。
森美術館の展示にミン・ウォンが入っていれば、単館で良かったような?
国立新美術館は寄せ集めの感じがしたし、スペースを埋めるためなのかアジア雑貨を販売する店舗まで併設されていたし。
元々アジア雑貨は好きで、店舗を見つければ入って商品の品定めをすることが多いので、こんなやり方では子供だましのように思ってしまう。
チケット売り場からケチがついていたから余計だけどね。(笑)

アジアの1980年代から現代までのアート作品を集めた展覧会だけれど、アーティストの年齢を確認すると最も若くて1980年代生まれがほんの数人いることを確認した。
ほとんど40歳以上のアーティストだったようで、結構年齢層高めだったんだね!
大御所を集めたということなのか、若手が少ないのか?
どちらにしてもアジアのアーティストの作品がここまで大規模に展示される機会は少ないと思うので、鑑賞できて良かったと思う。
国立新美術館にはもう少し頑張って欲しいね。(笑)

写真家ソール・ライター展 鑑賞

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【Bunkamuraの会場前でポスターを撮影。歪んだポスターが良い感じ】

SNAKEPIPE WROTE:

今年の4月に「これぞ暁斎!」を鑑賞したBunkamuraザ・ミュージアム の予告に、とても気になる写真展があった。
写真家ソール・ライター展」である。
SNAKEPIPEはかつて写真に夢中になったことがあるけれど、全てのジャンルについて勉強したわけではない。
例えば写真家といっても商業写真家なのかアート作品を撮る写真家なのか、のような違いがあるからね。
それはきっと音楽でも絵画でも、どの世界でも同じだろうね。
「音楽好きですか?」
と質問されたことがある。
「はい」と答えても、質問者と話が合うとは限らないからね。(笑)
ちなみにその時の質問者の意図した「音楽」とはクラシック音楽を指していたようで、パンクなどのロックを「音楽」と考えるSNAKEPIPEとは完全に違っていたんだよね。
もちろん全く話はできなかったよ。

何故こんな話をしたのかというと、今回鑑賞したソール・ライターという写真家の名前を一度も聞いたことがなかったから!
SNAKEPIPEが知らないジャンルの写真家なんだろう、と予想した通りファッションフォトからスタートした人みたいなんだよね。
これはとても面白そう!
ソール・ライター展観に行こうね、と長年来の友人Mと約束する。

ここで簡単にソール・ライターの年表をまとめてみよう。(BunkamuraのHPより抜粋)

1923年 12月3日、ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれる。
1930年代 ニューヨークのタルマディカル・アカデミーで学ぶ。
1935年頃 初めてのカメラ・デトロラを母親に買ってもらい、写真を撮りはじめる。
1946年 画家を志し移住したニューヨークで、表現主義の画家、リチャード・プセット・ダートと出会ったことで写真への関心が芽生える。
1951年 「ライフ」誌にモノクロ写真のフォトエッセイ<The Wedding as a Funeral>が掲載される。
1958年 「ハーパーズ・バザー」誌でカメラマンとして仕事を始める。
1960年代- 「エル」「ショウ」「ヴォーグ(英国版)」各誌のためにファッション写真を撮影。その後1980年代まで続く。
2006年 ミルウォーキー美術館でカラー写真による初の個展「In Living Color: Photographs of Saul Leiter」開催。
2008年 パリ、アンリ・カルティエ=ブレッソン財団で「Saul Leiter」展開催。
2013年 11月26日、ニューヨークにて死去。享年89歳。

「ライフ」「ハーパーズ・バザー」「エル」「ヴォーグ」など、世界的に有名な雑誌で活躍していたフォトグラファーだったんだね!
ファッション・フォトで有名な写真家といえば、例えばリチャード・アベドンヘルムート・ニュートンくらいしか思い出せなかったSNAKEPIPEなので、前述したようにソール・ライターは初耳じゃった。(笑)
商業写真というのは「作り込む」タイプの写真なので、構図もピントもバッチリ、ビューティフルなモデルの化粧も衣装もバッチリ決めた上でシャッターを切る、という印象がある。
色彩と構図のバランス感覚に優れているのがファッション写真家だと思うので、ソール・ライター展を非常に楽しみにしていたんだよね!

あともう少しで終了というところで、ついに約束を果たすことができた。
友人Mはしっかりとソール・ライター展の割引券まで用意してくれていたよ。(笑)
会期終了間際だったからなのか、いつでもそうだったのかは不明だけど、意外とお客さんは入っていたね。
先日の河鍋暁斎ほどではないけれど。 

それでは早速印象に残った作品を紹介していこうか。
展示はモノクローム写真から始まっていた。
実は載せた写真は展覧会には展示されていなかった作品だと思うんだけど、モノクローム写真にソール・ライターらしさがよく出ていたように感じる。
この作品もそうなんだけど、人間と対峙して撮るのではなく、人を風景の一部としてとらえてるんだよね。
目を見ないで話す人がいるけれど、SNAKEPIPEはきっとソール・ライターはそんなタイプだったんじゃないかと想像する。
面と向かって 「撮らせて欲しい」なんて言わない。
物陰からこっそりと盗み撮る。
人が写っている写真はほとんどの場合、相手が気付いていない状態で撮っているし、正面から写しているのは腰辺りで構えたノーファインダー。
その撮影スタイルが変わるのがファッションフォトなんだよね。

モデルとカメラマンという関係がはっきりするとソール・ライターのカメラの位置が変化していることが分かる。
きちんと目の高さにカメラがあるんだよね。
ソール・ライターにとって重要だったのが、「明確な立場」なのではないか。
モデルは撮られることを前提にソール・ライターの前にいるわけだからね。
スナップの場合は、単なる通行人だからソール・ライターとの関係性が見い出せない。
「撮って良い」にはならないんだろうね。
それでも密かに撮るわけだけど。(笑)
それにしてもファッションフォトとして観た場合、この写真は変わってるなあ。
ソール・ライターはモデルをスタジオの照明当てた状態ではなくて、街に連れ出してスナップ写真を撮るように撮影している。
こんな写真が当時の雑誌に掲載されていたとしたら、かなり衝撃的だったんじゃないかな。

元々は画家を目指していたソール・ライターにとって、ファッションフォトに手を染めたのは、生活費を稼ぐためだったらしい。
その割には(?)成功した人になると思うんだけどね。
仕事を離れて本来の自分らしさを表現したのが、カラー写真だと思う。
今回の展覧会のポスターにもなっている作品は、遠目で見たら写真に見えないよね。
これもまた相手に気付かれない窓ガラス越しの撮影。
結露した水滴と構図のバランスの良さ。
背景の黄色も効いている。
この写真を観て展覧会を鑑賞したいと思ったSNAKEPIPE。
これはきっと画家的な色彩感覚とファッションフォトを経験し、更に盗み撮りに優れたソール・ライターだからこその作品だよね。
盗み撮り、と書くと褒め言葉に聞こえないかな?(笑)

赤い傘が印象的な作品も、上に書いた感想と全く同じなんだけどね。
構図と色彩の素晴らしさ。
この作品は、デザインに近い感覚だろうね。
絵画で言えば、日本画の空間を意識した雰囲気になるのかな。
ソール・ライターの作品は動より静。
作品だけ見ていると、ソール・ライターがアメリカ人という気がしないんだよね。
寒そうな写真が多いせいもあるけど、ヨーロッパの写真家のように感じてしまう。
自分を売りこむのは美意識が許さず、作品について語るのも苦手だったというから、最小限の人間関係の中で、自分の楽しみのためだけに撮影していたようだね。
それにしてもたまたまだけど、選んだ写真が全て縦位置だ。
SNAKEPIPEも縦位置で撮影するのが好きだったから、無意識にチョイスしちゃったのかも。

今回の展覧会でSNAKEPIPEが一番気に入ったのがこれ!
「white circle」という1958年の作品である。
50年代にこんな抽象的な写真を撮っているとは。
まるで現代アートだよ。
得意の窓ガラス越し、赤・黒・白という3色を使用するのも赤い傘の作品と同じなんだけど。
抽象画家のマーク・ロスコが写真を撮ったら、こんな感じになるんじゃないか?と思ってしまうような作品。
非常に気に入ってしまったよ。
スマートフォンの待ち受け画面にしようかな。
うーん、SNAKEPIPEもこんな写真を撮ってみたい!
久しぶりにジェラシーを感じる作品に出会ってしまったな。
そしてまたもや縦位置写真だったね。(笑)

ソール・ライターは自分で撮影した写真に着色した作品も制作してるんだよね。
あれっ?この手法は2015年の「Gerhard Richter Painting展 鑑賞」でゲルハルト・リヒターが「オーバー・ペインテッド・フォト」と命名していた手法では?
2016年のROCKHURRAH RECORDSの年賀状制作でも取り入れたっけ。(笑)
リヒターとソール・ライター、手法は同じでもそれぞれ全然雰囲気違う作品になっているよね。
ソール・ライターの作品は絵画に近く完成されている。
リヒターはむしろ写真を潰してしまい、別物に見せる色の使い方だったからね。
ソール・ライターは水彩絵の具を使っているようなので、言ってみれば「塗り絵」みたいな感じになるのかな。

水彩画も展示されていて、その色使いの美しさに驚いてしまう。
不調和と不調和を重ねると調和になるような色彩。
マイナスとマイナスでプラスになるって感じ?(笑)
色の選択が独特で、友人Mは「すごーくきれい!」とうっとりしていたよ。
ほとんどがA4くらいの小さいサイズの絵画だった。
写真を撮りながら絵も描いていたのかな。
絵を描きながら色彩感覚を研ぎ澄ましていたのかもしれないね。 
絵画もアメリカ人を感じないなあ。(笑) 

1940年代後半から1950年代に撮影されたソール・ライターのカラー写真は、長い間現像されずに保管されていたという。
これは当時カラーの現像にお金がかかったこと、カラーの色味をコントロールするのが難しかったことなどが理由のようだ。
そして1994年頃に写真用品メーカー・イルフォード社が補助金を提供し、およそ50年の歳月を経て初めて写真が世に出ることになったというのだ。
そしてその写真が衝撃を与え、ソール・ライターの評価につながったのだという。
この時ソール・ライター71歳なのかな。
写真家として認知されるには、かなり遅咲きの人生だったんだね。
SNAKEPIPEがソール・ライターの名前を知らなかったのは、こんな事情があったことも原因していたのかも。

先日鑑賞した「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」(原題:Finding Vivian Maier 2013年)という映画を思い出した。
これはたまたまオークションで落札したモノクロフィルムのネガから撮影者を追うドキュメンタリー映画で、撮影した女性ヴィヴィアン・マイヤーは一枚の写真も発表することなくこの世を去っていたのである。
人から評価されること、認めてもらうことなんて関係なく、純粋に撮りたいから撮っていたんだよね。
結局ヴィヴィアン・マイヤーの写真は死後、世に出て人々を驚愕させることになる。
ソール・ライターは生きているうちに写真が日の目を見たわけだけど、ちょっと似てるなと感じたよ。

一枚の写真を観て、気になった展覧会に足を運べて良かったと思う。
最近はあまり写真に興味がなくなっていたので、今まで知らなった写真家の、ジェラシーを感じるような作品に出会えたことは大きな収穫だった。
写真家 ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」(原題:In No Great Hurry: 13 Lessons in Life with Saul Leiter 2012年)というドキュメンタリー映画があったそうで、それを鑑賞したらもっとソール・ライターを知ることができるだろうね。
いつか観てみたいと思う。 

これぞ暁斎!鑑賞

20170416 11【展覧会のフライヤーをウォーホル風に加工(by R)】

SNAKEPIPE WROTE:

「混んでいるのは覚悟して出かけよう!」
渋谷にあるBunkamura ザ・ミュージアム で開催されている「これぞ暁斎!世界が認めたその画力」展への友人Mからの誘いである。
これまで何度も友人Mから誘われて、映画や展覧会を鑑賞している。
今回話題に上った河鍋暁斎展は、SNAKEPIPEも開催されていることは知っていたけれど、つい及び腰になっていた展覧会なんだよね。
理由は、昨年の伊藤若冲展での混雑を経験しているから!
2011年に開催された「没後150年 歌川国芳展」の混雑ぶりに辟易したことも思い出す。
河鍋暁斎も人気がある絵師だから、きっと人の頭の間から覗くように作品鑑賞するんだろうなあ。
友人Mとは前述した展覧会の全てをご一緒しているので、展覧会の様子を知ってるからね。
そこで一番最初の「覚悟」という言葉になるのである。

映画の場合は、封切られた場合はほとんどDVD化されて、半年後くらいには自宅で鑑賞することができる。
展覧会の場合は、その期間内にその場所で鑑賞しない限り二度とお目にかかれないことがあるからね。
海外からの特別展示で、今回のように個人所蔵のコレクション公開の場合は特に後悔のないようにしないと。(ぷっ)
今回の展覧会は「世界屈指の暁斎コレクションとして知られるイスラエル・ゴールドマン氏所蔵の作品」だという。
ゴールドマン・コレクションと名付けられているんだけど、ゴールドマン氏とは一体何者なの?
HPを見つけることができたので、ゴールドマン氏の経歴を知ることができたよ。
わずか11歳にして浮世絵の魅力に取り憑かれ、1981年にハーバード大学(!)を卒業してから浮世絵のディーラーとして活動している人物とのこと。
河鍋暁斎に関しては、たまたまオークションで「達磨」の絵を55ポンドで落札してから、コレクションを始めて35年だというから驚いちゃうよね。
55ポンドって今のレートでだけど、7500円くらいよ。
河鍋暁斎の作品が1万円以下だったとは!
それを見抜いたゴールドマン氏はさすがだね。(笑)

そのゴールドマン氏の35年かけたコレクションが観られるんだから、やっぱり行かなくちゃ。
会期が4月16日までだから、早くしないと終わっちゃうしね?
Bunkamuraザ・ミュージアムに出かけるのは、かなり久しぶりじゃないかな。
晴れているけれど、風の強い日に渋谷に向かったSNAKEPIPEである。
友人Mと会場に入ったのは、オープンして間もない時間だったにもかかわらず、予想通り人が多い。
国芳とか若冲ほどではないかな?(笑)
中高年の女性が7割といったところか。
えっ、自分を棚に上げてる?(笑)

混雑している展覧会で迷惑行為だなと思うのは
・混雑のため縦一列の行進状態で鑑賞しているのに、一箇所で立ち止まり微動だにしない
・友人同士で話し合いながら歩き、平気でぶつかる
・大きなリュック背負ったままの鑑賞(しかも急に方向転換など)

最初2つの行為をするのが、大抵の場合髪の色が白い方。
周りが見えていない、自分のことしか考えていないタイプ。
大きなリュックは男性に多いんだけど、電車のマナーと同じなのにね?
大きな荷物はロッカーに入れようよ!
混雑している場所だからこそ、相手との距離感を測りながら気持ち良く鑑賞したいよね。
ま、こんな感じでイライラさせられる行為は「覚悟」していたから、想定内か。(笑)

ここで簡単に河鍋暁斎についてまとめてみようか。

1831年 下総国古河石町(現在の茨城県古河市)生まれ。
1837年 浮世絵・師歌川国芳に入門。
6歳か7歳で弟子入りしたってことなんだね?
1840年 狩野派の絵師・前村洞和に再入門。
1849年 洞白より洞郁陳之(とういくのりゆき)の号を与えられる。
これで狩野派をめでたく卒業したことになるみたいだね。
9年で終了するのは、かなり優秀とのこと。
河鍋暁斎は当時のアカデミックな教育を受けていたことになるんだね。
1857年 江戸琳派の絵師・鈴木其一の次女お清と結婚、絵師として独立する。
父の希望で河鍋姓を継承したという。
1881年 第2回内国勧業博覧会に出品した「枯木寒鴉図」が「妙技二等賞牌」を受賞。
この年、お雇い英国人建築家ジョサイア・コンダーが入門する。
コンダーとは親しくしていたようで、コンダーが所蔵していた作品が多数海外に流出したみたいね。
1889年 胃癌のためコンダーの手を取りながら逝去。
57歳の生涯を終える。

歌川国芳や狩野派に弟子入りし、独自の路線を決定していった河鍋暁斎。
今回の展覧会では6つのチャプターで河鍋暁斎の生涯を伝えていたよ。
章ごとの解説は展覧会HPに作品と共に詳しく書かれているのでそちらを参照してくだされ! (笑)
SNAKEPIPEは気になった作品の感想を書くことにしよう。
残念ながら今回の展覧会では撮影が禁止されていたので、自分で撮影した写真じゃないんだけど…。
日本画の場合は禁止が多いなあ。

河鍋暁斎といえば、骸骨と思ってしまうSNAKEPIPE。
骸骨がダンスしている作品は以前何かの展覧会で観たことがあったよ。
左の画像は「三味線を弾く洋装の骸骨と踊る妖怪」(1871〜1889年)である。
まるでONE PIECEのブルックか、と思ってしまうよね。
楽器も持ってるし。(笑)
ONE PIECEには「元ネタこれだな」と思うキャラクターが多数いるからね。
この三味線骸骨が明治時代に描かれているというのは衝撃的だよ。
PUNKやMETALのジャケットになってもおかしくない感じだもんね!
ミュージアムショップで、この骸骨のワッペンを見つけたのでROCKHURRAHへのプレゼント用に迷わず購入したよ。(笑)

スマホの待ち受け画面にしたい!と思ったのが鴉シリーズ。
黒の濃淡で鴉を表現する技巧の素晴らしさ。
1羽のバージョンも2羽のタイプもあって、どちらも構図ばっちりでカッコ良い作品だった。
恐らく年表にあった 「妙技二等賞牌を受賞」した作品というのは、枯れ木にいる鴉を描いた作品だと思うので、右の画像のような感じなのかな?
「当時すでに暁斎に注目していた外国人たちは、こぞって鴉の絵を求めました。鴉は暁斎を一挙に海外に知らしめた作品となりました」
とHPに書かれているように、この鴉を見たら衝撃を受ける外国人は多いだろうね。
構図、間の取り方、黒一色での豊かな表現。
中国の水墨画も墨一色で表現することが多いけど、ここまで空間を多く使わないからね。
このバランス感覚は素敵だなあ。

こちらも鳥だけど、全く印象が違う作品だよね。
シンプルな線の表現、抑えた色合い。
明治時代の作品なんだけど、まるで現代アート!
河鍋暁斎は伝統的なものから、西洋画、浮世絵などありとあらゆる画法を研究して作品に取り入れていたという。
雨の表現は浮世絵風、鳥は漫画風。(笑)
河鍋暁斎の作品って漫画の元祖かなと感じるのが多いんだよね。

これはそのまま水木しげるだー!(笑)
「百鬼夜行図屏風」は、本当は横に6枚なんだけど、HPのスペースの関係で3枚ずつ縦2段に並べているのでよろしく。
妖怪がたくさん描かれているんだけど、なんともユーモラスな表情なんだよね。
鬼とか妖怪といえば異形の恐ろしい存在のはずなのに、河鍋暁斎の手にかかると楽しそうな世界になってしまう。
Wikipediaで確認したところ、特に水木しげるが河鍋暁斎の影響を受けたことは書かれていなかったけれど、 「ゲゲゲの鬼太郎」の世界観に似て蝶だよね。(笑)
この屏風、レプリカで良いから販売して欲しいなあ!
せめてポスターにしてくれたら良かったのに。

落ち着いた色合いの作品ばかりじゃないよ!
うわ、鮮やかな色、と声を上げてしまった作品がこちら。
「名鏡倭魂」 は1874年の作品なんだよね。
鏡を使って魔物退治をしている、という図なのかな。
歌川芳員や月岡芳年でも観たことがある強烈な直線の使い方が印象的。
2016年夏に鑑賞した「怖い浮世絵展」の感想でも「漫画の一コマみたい」と感想を書いているSNAKEPIPEだけど、この作品に関しても同じように思ったね。
小さいので分かり辛いだろうけど、細かい部分も描かれているので、じっくり観るのは面白いよね。
展示会場では「じっくり」はほどほどにね。(笑)

「地獄太夫と一休」で驚いたのは、太夫の着物の柄!
色とりどりの柄が丁寧に描きこまれている。
地獄太夫というのは、 室町時代の伝説の遊女らしく、一休に弟子入りしていたらしい。
遊女で弟子入り?
美貌もさることながらセンスがある女性だったようで、絵師の題材になっているとのこと。
どうして室町時代の遊女を明治時代に描いたのかは謎だけど、着物の柄が地獄を表していたというのがすごい。
自らを地獄と名付ける事自体が驚きだけどね?
河鍋暁斎は遊郭に入り浸っていたとの記述があって、それが帯や着物の柄を描くためだったとも言われているのが納得できてしまう仕上がり。
こんな柄のテキスタイル、素敵だろうな!
この柄を再現した手ぬぐいとか、スカーフを作ってほしかったなあ。
毎回ミュージアムショップの商品化する基準に疑問を持ってしまうんだよね。

ゴールドマン・コレクションを観て感じたのは、河鍋暁斎のユーモラスさ。
骸骨も妖怪も性も、笑いに変えてしまう表現は、持って生まれた性質によるものか?
観ていて「ぷっ」と吹いてしまう作品が多かったんだよね。
いかにも狩野派、と感じるどっしりした雰囲気の作品から、まるで「いたずら書き」のようなサラサラと筆を走らせている作品もあり、河鍋暁斎の幅の広さを鑑賞することができたのは良かった。
その「サラサラ」と軽く描いているように見えるのに、特徴を捉えているところがさすがだよね。
今回のコレクションには無残絵と呼ばれる残酷なシーンを描いた作品は皆無だったのは残念だったこと。
海外に多く流出している作品も集めた河鍋暁斎の全貌を知るような展覧会があったら観てみたいな!