時に忘れられた人々【29】情熱パフォーマンス編4

【今回のテーマを何となく三流映画ポスター風にしてみた】

ROCKHURRAH WROTE:

書いた本人もここまで続くとは夢にも思ってなかった「情熱パフォーマンス」その第四弾を今日は認めてみようか。 認めて、じゃわかりにくいがこれは「したためて」と読む。

タイトルの意味を考えなくてもわかるが、この特集では「何だかよくわからんが情熱的に見えるかも知れない」映像を選んで紹介している。
ただ、ROCKHURRAHが今までにピックアップしたのは大半が70〜80年代のもので、中には誰も知らんようなインディーズのビデオも多数。
みんなが知っている、金をかけて丁寧に作られたプロモーション・ビデオとは随分違ったB級映像が多いので、テレビでやってるような面白映像特集とは違うとあらかじめ断っておくよ。
たぶんもっと探せばエモーショナルなものはたくさんあるだろうけど、たまたま元から知ってたり見つけたりしたものだけしか書いてないというわけね。
個人でやってる事だから調べにも限界があるし、情熱ベストテンみたいな感じにはならないし、オチもないが、そこは許してね。
どんどん言い訳長くなるなあ。

【殴る 蹴る!】
Howard Devoto〜Luxuria

おっと、いきなり威勢のよい情熱パフォーマンスが期待出来そうなテーマだね。
殴るとか蹴るとかは物騒で嫌いな人は多いだろうが、太古の昔から人間が自然にやってきたアクションのひとつだからなあ。そういう原初的アクションで一番多いのはたぶん「逃げる」じゃなかろうかと思うが、専門家でもないからハッキリはわからないよ。

ROCKHURRAHは子供の時に「空手バカ一代」などの格闘漫画が意外と好きで全巻集めてたもんだ。しかもなぜか父親の部屋に大山倍達の自伝のような本があり、それを読んで変な感銘を受けた記憶がある。片方の眉毛を剃って山ごもり修行(生えるまで出てこれない)とかね。

今とは違ってなのか今でもなのかは不明だが、空手と聞くと偏見を示す親が多いし、実際に通った学校でも柔道部はあっても空手部はなかった。やっぱり危険があるからというPTAの圧力なのかね?
そう言えば家の近場に空手道場があって、友達と見に行った事もあったな。
影響は受けたものの別に空手がやりたいと願ったわけでなく、ただ空手家というのを見てみたかっただけ。
想像したのは窓の木枠から覗くと気合の入った掛け声がしてて、活気のある組手とかしてるという典型的な絵柄だったんだけど・・・実際は全く人の気配もなくてがっかりしたもんだ。二度と行かなかったけどちゃんと門下生がいて稽古とかやってたんだろうか?

ブルース・リーの影響で誰でもクンフーの真似事をして10人にひとりは通販で買ったヌンチャクやトンファー持ってたような時代もあったな。ROCKHURRAHもその一人でヌンチャク持ってたが、真ん中の鎖が肉に食い込む気がして使いづらかった記憶だけ残ってる。ブルース・リーのマネだから無論上半身ハダカでやってたんだろうが、別にそこまでマネしなくても服着てやれば良かったな。バカな子供時代だったよ。
毎回全然関係ない回想になってしまうのが情けない・・・。

さて、そんなエピソードとはまるで関係なかった殴る蹴るだが、この暴力的表現のプロモに果敢に挑戦したのが、そういうのがとても似合いそうにないこの人、ハワード・ディヴォートだ。

ROCKHURRAHのブログにも何回も登場してるけど、パンク史上に燦然と輝くバズコックスの初代ヴォーカリストだったのがこの人だった。
この頃の「Boredom」や「Breakdown」などは今でも愛聴しているパンクの大傑作。
このシングル一枚だけでバズコックスを早々に脱退してしまったから、1stアルバムから聴いてるよというファンでも、入手困難だった「Spiral Scratch(1stシングル)」を買わない限りハワード・ディヴォートのヴォーカルは知らなかったりする。
今の時代じゃなくてリアルタイムでの話ね。

で、やめた後は(バズコックス全盛期と同じ時代に)マガジンというバンドを始めて、パンクとはまた違うアプローチで独自の音楽世界を作ってゆく。
聴いた人だったらわかる通り、かなり粘着質のいやらしいヴォーカル・スタイルで頭が禿げ上がった顔つきも不気味だし、特に女性受けはしなさそうな雰囲気が満々のバンドだったね。
この怪しい、妖しい屈折した世界こそが最大の魅力で、ROCKHURRAHも大好きだったバンドだ。
パンクではなくてニュー・ウェイブという音楽を最も感じたのがROCKHURRAHにとってはこの時代のマガジンであり、XTCやワイアーなどだった。
そのマガジンも1981年には解散してしまい、ファンは彼がこの後どうなるのか再起を願って待っていた。

そしてやっとこの話に辿り着いたよ。
満を持してソロとして1983年に出たのが上の曲「Rainy Season」というわけだ。マガジンの最後の方も割と明るく健康的なイメージになってしまい、古くからのファンはちょっと物足りなかったと個人的な感想を持ってたが、これまた従来のハワード・ディヴォートの退廃的で気怠いイメージとは違った清々しい曲調。
大半の人がこの人に求めてた音楽とは違うような気がするけど、その辺は関係者じゃないからよくはわからん。83年というとまだまだネオ・サイケとかのダークな音楽がもてはやされた時期なんだけど、敢えてそういう音楽とは一線を画したんだろうかね?

問題のビデオの方は暴力的表現とはまるで無縁だからショッキングな描写苦手な人も安心して下さい。ハッキリは不明だけど、どうやら別れた彼女が出ていこうとしてるところをこっそり覗きに来た男の話なのかな?ストーカー?暴力よりももっと卑劣な気がするが、このストーカー行為が妙に似合ってしまう男、ハワード・ディヴォートもいかがなものか。しかも未練たらたらという設定の相手の女の方も、割とどうでもいいタイプ。
後半に苛立ち、ヤケになって、出た!飛び蹴り!(笑)
マガジンの頃は極めて気怠い歌声で、こういうアクティブな事をしそうにないと勝手に思ってただけにこの情けない飛び蹴りには唖然としたよ。マガジンではステージの映像以外はほとんどなかったけどこのソロへの意欲の表れなのか、ヤブの中を進んだり燃えたり埋まったり、結構体張った演技してるな。

このソロ以降、ハワード・ディヴォートの中で何か吹っ切れたものがあったのか、ただ面白くなさげに歌うだけではなく、パフォーマーとしての素質が開花してゆく。
1986年には元キュアーやピート・シェリー(ディヴォートが脱退した後のバズコックス)のバンドにいたというNokoなる人物とラグジュリアというユニットを結成する。
名前から勝手に判断して女性とのデュエットか何かだと思ってたけど全然違ってた。
うーん、ノコ?知らんなあ。
このユニットやってた当時はMTV系の番組を全然観てなかったしレコード・ジャケットはダンボールみたいだったし、買うまでに至らなかったのだ。
マガジンやソロの時は中途半端に横や後ろの髪を伸ばしてて、余計に禿げた額が強調されて不気味だったけど、こんな風にすっきり刈ってしまえば良かったんだね、デビュー10年目にして今頃やっと気付いたかディヴォート(笑)。うん、この髪型だったらとても似合うよ。

88年くらいに出たのがこの1stシングル「Redneck」だ。
こちらでは緊縛される、その後激しく殴る、回る、などなど意味不明のハンドパワーが炸裂する情熱パフォーマンスを惜しげもなく披露してくれる。マジシャンかよ、と思ってしまうくらい。
マガジンのライブを現地で観たわけじゃないから昔からこういうステージ・アクションのあった人なのかどうかは不明だけど、こんなに動く人だったんだね。
ラグジュリアの曲もノコのギタープレイも明らかにメジャー志向でいつヒットしてもおかしくない音楽性だったのに、たぶんあまり売れなかったんだろうな。
むしろせっかくのキャラクターなんだから、不気味で粘着質を極めた方が良かったんじゃないかと個人的には思ってしまうけどね。

【白ける!】
Sort Sol(with Lydia Lunch) / Boy-Girl

「白ける」という言葉自体が情熱的とは言い難いし「!」マークも似合わない気がするが、気のせいか?あらら、この記事から流用したフレーズだな。セルフ盗作。

近年では日常会話で白けるなんてあまり言わないような気がするが、どんな時代にでも同じような意味の若者言葉は出て来るんだろうね。新しい言葉が出てくるだけ老人よりまだマシか。

1970〜80年代には珍しかったデンマーク出身のバンドがこのソート・ソルだった。僧と剃るではない。
このバンドの前身がパンク時代に活躍したかどうか不明だが、とにかく知名度はおそろしく低かったバンド、Sodsという。後の時代の発掘者によって多少は知られる存在になったと思うけど、これを偶然持ってた奇特な一人がROCKHURRAHだったのだ。
自分で作ったベスト盤のカセット・テープ(時代ですな)に彼らの「Television Sect」とか録音してかけまくってたから、ROCKHURRAHが働いてた店の客は知らず知らず聴いてるはず。え?知らん?
いかにもパンクなジャケットで音も期待通りのラウドなものだったから嬉しくなって吹聴していたけど、覚えてる人も皆無だろうな。

このソッズ、カタカナで書くと情けないが、実はそれを入手するより前に出会ったのが80年代初期に一世を風靡した、ベガーズ・バンケット傘下の4ADというレコード・レーベルにて。
このレーベル所属アーティストたちによるコンピレーション・アルバム「暗闇の舞踏会」というのが出て、ROCKHURRAHも飛びついて買ったんだけど、バウハウスやバースデイ・パーティ、リマ・リマなど伝説のバンドに混じって妙に耳に残る曲が収録されていた。それがソート・ソルの「Marble Station」だったのだ。ソート・ソル=ソッズというわけで探したわけでなくて、後になってソッズが同一のバンドだと気付いたというわけ。

その後、1983年に出た1stアルバムでどういう縁があったのか知らないが、アメリカの裏女王といつもROCKHURRAHが評しているリディア・ランチと共演している。これはその貴重なビデオなのだ。

ちょっと前にも書いたが、ヒステリックで落ち着きのない、70年代ニューヨークの前衛的音楽として話題になったのがノー・ウェイブと呼ばれるムーブメント(?)。
リディア・ランチはその一派で活躍した、ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスの金切り声ヴォーカルとして伝説的に有名な女性だ。
その後の絶叫金切り声ヴォーカリスト達に多大な影響を与えた偉大なパイオニアですな。
本当にこの当時のリディア・ランチはアングラ・パワー満開のものすごいインパクト。

その後はソロになってアンニュイにジャズっぽくなってみたり、バースデイ・パーティの美形ギタリスト、ローランド・ハワードやニック・ケイヴ、当時の恋人だったジム・フィータスと共演したり、どちらかというと人の作品のゲストとしてよく知られている。
自分自身の作品よりもよそのビデオに出演してる方がよく見かけるもんね。

さて、そのソート・ソル、長く続いてるしデンマークではそこそこの人気はあるんだと推測するが(デンマーク映画のサントラとかも手がけてる)、日本ではほとんど無名に近い存在。
ここのヴォーカリストSteen Jørgensen(読めん)も眉毛がなくて後ろ髪だけ長い、昔の暴走族みたいな凶相だな。
「撮影中にガム噛むのやめなさい」とか言ってもヤンキーだから聞く耳持たないんだろうな、ざけんなよ。
曲はラウドなカウパンク調のリズムで好みな感じなんだが、この男が実につまらなさそうな表情で歌い上げる。TV画面の中のリディアはそれに対して、実に嫌そうにふてくされて白けた顔つきで二番を歌い、最後にキレておしまい。何じゃこりゃ「そのココロは?」と聞きたくなってしまうくらい、愛想も尽きた心の通じ合わない映像だな。
何しろアングラの女王なもんで、知名度の割には動いた鮮明な映像が驚くほど残ってないのがリディア・ランチなのだ。おばちゃんになる前の、全盛期に割と近い(1984年)姿で動いてる貴重な映像だと思う。情熱パフォーマンスとしてはかなり苦しいが、この見事な白けっぷりが見てもらいたかっただけ。

【吹っ飛ぶ!】
Kate Bush / Army Dreamers

「吹っ飛ぶ」は自発的なパフォーマンスとは言い難い気がするが、派手さという点では申し分ないので被害者には申し訳ないがまあいいか。自分が吹っ飛んじまうのはごめんだが。
さて、タイトルがアーミーときて吹っ飛ぶ、とくれば見なくても大体内容はわかるというものだ。予想を覆すようなのは用意出来なかったよ。

ROCKHURRAHはまだ故郷の小倉にいた頃、スクーターの事故で中央分離帯に突っ込んでえらく危ない目に遭った事がある。つつじの枝がちょっと腹に刺さったけど死んだりしなくて良かった。これが唯一の吹っ飛び体験。あん?関係ないよね。

誰もが認めるウィスパー・ヴォイスの第一人者、ケイト・ブッシュはROCKHURRAHが好んで取り上げるニュー・ウェイブ系のアーティストではないけど、時代的にはピッタリ一致しているので珍しくもここで取り上げる事にしよう。何だか偉そうな書き方だな。

ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアとアラン・パーソンズ・プロジェクトのオーケストラ・アレンジを手がけてたアンドリュー・パウエル(個人的にはコックニー・レベルが印象的)によってプロデュースされた曲が大ヒットしたのが1978年。
デビュー前の諸事情があったのは確かだけどその辺を知らないこちらとしては「彗星のように登場した」美人女性シンガーと言う事で、日本でも大々的に売れたのを覚えてるよ。
まるでアイドルのようなルックスだけど歌は本物だし、流れとしてはアイドルのポップスというよりはプログレの系譜だし、ヴィジュアル的にロクなのがいなかった当時のロックの世界に久々に登場したスター性のある女性シンガーだったわけだな。
ウィスパー・ヴォイスとは書いたものの、いわゆるロリータっぽさはなくてデビュー時から魔女とか妖精とかそんな感じ。
がしかし、残念ながらその活動が認められてコンスタントに売れたのはイギリス本国だけで、他の国ではそこまで人気が浸透しないうちに飽きられてしまったという気がする。

この曲は1980年に出た7枚目のシングル曲。その直前の「バブーシュカ」がヒットしたのでこちらは全然印象にないな。
デビュー曲から全曲ちゃんとしたプロモーション・ビデオを作っていたのはこの時代ではまだ珍しいけど、ケイト・ブッシュは自信のあるパントマイムや露出度の高い(がさほどセクシーではない)、体を張った映像を作り続けていたのが偉いね。こういうのが普及する時代を予見してたわけだからね。いわゆるMTVがまだなかった頃だから、日本では同時代には知られてない映像だったんじゃなかろうか。
戦場でお目々バッチリの化粧などけしからん、などと怒られそうだがそのうち吹っ飛ぶわけだから大目に見てやってよ。

【ぶった斬る!】
The Plasmatics / Butcher Baby

最後はこれ、ぶった斬る。日常生活でこのアクションをしてるのは辻斬りか木こりくらいのものだろうか?まあ表現としてはポピュラーだけど自分自身では滅多にやらない行為だと思うよ。

剣や刀を使ったゲームは多いから、そういうのでぶった斬る疑似体験は出来るだろう。
最近は全然ゲームをしなくなったROCKHURRAHだけど、一時期はかなりの時間をゲームに費やしていた。元々は「ゼルダの伝説」が大好きでゲームキューブ版の「風のタクト」などはSNAKEPIPEと二人で熱狂して攻略していった思い出がある。SNAKEPIPEはあの2頭身の子供リンクがお気に入りだったんだよ。巷で話題のNintendo Switchの新しいゼルダもいつかはやりたいけど、今はまだ予定なしだな。
「モンスターハンター」もネットワークなしで最も長い時間プレイしたゲームかも知れない。武器や防具を作るために死ぬほど駆けずり回ったからね。あれで作った片手剣や大剣などは「ぶった斬る」のニュアンスに最も近いものじゃなかろうか。

さてそのぶった斬るという派手な情熱パフォーマンスに挑戦して、のみならずライブでは日常的に斬りまくってたのがアメリカのパンク・バンド、プラズマティックスだ。
「1977年にニューヨークで結成」などと紹介されているが、いわゆるニューヨーク・パンクとして取り上げられる事はあまりないから、きっと仲間はずれだったんだろう(テキトーに書いただけで詳細は不明)。キワモノだしね。
ウェンディ・O・ウィリアムスという裸にビニールテープ貼っただけの女性ヴォーカルによる過激パフォーマンスで有名で、確か最初の頃はベーシストが日本人だった。メンバー全員「マッドマックス」シリーズのどれかに悪役としてそのまんま登場しても全然違和感ないルックスだね。
大昔、パンクが日本で最初に紹介された頃、NHKでパンクとは?みたいなドキュメンタリーがあって、そこにプラズマティックスが出てるのを見た覚えがある。ROCKHURRAHはこの頃はロンドン・パンクにしか興味なかったのでこれを見てカッコイイとは思わなかったよ。

プラズマティックスは今回の「ぶった斬る」以外にも数々の情熱パフォーマンスをやってるはずだけど。
爆走するトレーラーに乗って何百台も積み上げたTVに衝突、その後走る車の屋根の上に立ち最後は車が爆発、というような引田天功並みのパフォーマンスをスタントなしでやったのが自慢でしょうがなくて、何度も何度もその場面がフラッシュバックするビデオも残っている。うわ、一文のセンテンス長すぎたな。

この「Butcher Baby」は彼らのデビュー曲でこのライブ・ビデオも有名なもの。後の時代のセクシー系女性パフォーマーがやったような全てをすでにこの時代にやり尽くしてるな。
有名なのがこのチェーンソーによるギター解体ショーなんだが、この時はやっぱりギブソンではなくてフェルナンデスとかグレコとかにするのかね?え?そんなセコいこと考えるなって?

過激さを極めまくって、世間からはすぐに忘れ去られてしまって、最後(1998年)には自分まで拳銃自殺という幕引きでウェンディはいなくなってしまったが、もういくら過激とか言われる女性シンガーが出てきてもこれほどのセンセーショナルな人を見た後じゃ小粒にしか思わないだろうね。

それにしても毎回毎回飽きもせず、タイトルがちょっと違うだけで同じような内容の記事をよく書けるな、と自分でもマンネリ化を危惧してるよ。
そろそろ何か新しい事を考えないとな。
ROCKHURRAHも眉毛剃って山にこもって企画考えてくるか。

それではまた、خداحافظホダーハーフェズ(ペルシャ語で「さようなら」)。

時に忘れられた人々【28】読めん!編 dos

【忘れちゃならないこのバンド。え?読めん?】

ROCKHURRAH WROTE:

前回、中途半端で終わってしまった頭悪そうな企画、その第二弾を書いてみよう。
読めないバンド名特集、とかいうのがネットに色々出てたりもするんだけど、当て字を使いまくった最近の日本のバンドとか字体そのものが読みにくいバンドとか、ウチがやるものとは主旨が違う。こちらは何と発音するのかROCKHURRAHの学力でわからなかったようなのを挙げてるだけなんで、読める人には一目瞭然、トンチも要らないものばかりなのだ。

何の勉強もせずに言語が最初から読める人はいないわけで、今のROCKHURRAHがその状態なのに読めんと言ってるのはバカバカしい話だとは思うよ。しかしそんな生真面目な事を言ってたらこの企画が成立しないので、そういう事はある程度無視して進めてみよう。ゆるいなー。

前回のWirtschaftswunderもそうだったが、ドイツやロシアなどのバンドをここに持ってくるのはある意味、反則という気がする。予備知識なしで読めるはずがないからね。
だがROCKHURRAHは古くから、ほとんどリアルタイムでドイツのニュー・ウェイブを追っかけてきたので、「読めん!」というバンドがこの国に数多く存在していたのは確かな記憶だ。がしかし、追っかけてきたんなら読めるようになっとけよ、という気もするけどね。
読めないバンドを必死でどこかから探して来たわけじゃなく、この記事を最初に書き始めた時からドイツ物が多くなるのは予想していたこと。
うーむ、言い訳で数行も使ってしまったよ。

さて、そんなROCKHURRAHがデビュー当時から読み方に頭を悩ませていたのがPalais Schaumburgだった。一般的にはどうか知らないが個人的ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの知名度ランキングではDAF、デイ・クルップス、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、デア・プランに続くくらいの位置付け、まあベスト5に入るって事か。
Einstürzende Neubautenなんてのも普通のレベルじゃ「読めん!」になってしまうけど、まあこの手のバンドの中では知名度高いと思ったので今回の特集では見送ったよ。
このバンドが出た当時は周りのみんながノイバウンテンと言ってたのを思い出す。「ン」は一体どこから読み取ったのか、永遠の謎だなあ。

話がそれてしまったが、実はPalais Schaumburgの読み方は今でも人によってマチマチだと思える。
多くの人がこう呼んでて記事にも書かれてるのがパレ・シャンブルグ、これが正解でいいのかね?

当時のロックマガジンという雑誌でドイツまでノイエ・ドイッチェ・ヴェレを取材に行った(と記憶してるが詳細不明)阿木譲が、この雑誌で書いてたのはパライス・シャウンブルグという読み方。
他に参考にする記事がこの当時にはなかったから、ROCKHURRAHも最初の頃はずっとそう呼んでた。
ノイエ・ドイッチェ・ヴェレなんてマイナーなものを特集するのは80年代初頭にはこの雑誌かフールズ・メイトくらいしかなかったもんね。

しかし、シャウムブルクという同じ綴りの地名がドイツにあるから、ますます惑わされてしまうよ。そこには本当にシャウムブルク城があるらしいから、特に何のヒネリもないバンド名だと思える。
アメリカ読みすればシャンバーグ(イリノイ州にある村)だと。和風シャンバーグとかありそうだね。
うーむ、こんなにありふれたバンド名についてここまで悩んでるのはROCKHURRAHくらいのもんか?

で、まだ認めたわけじゃないが(笑)一般的に言うパレ・シャンブルグ、これは後にソロで有名になるホルガー・ヒラー、後のThe Orbに参加するトーマス・フェルマンなどによるハンブルグのバンドで1980年にデビューした。
後にメンバーが有名になったからちょっと神格化されたりもしてるらしいが、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレという括りの中では割とオーソドックスな編成のバンドだった。
これでロックと言えるの?と思えるバンドが他にウヨウヨいた中で、ちゃんとギター、ベース、ドラムという基本的なロック・バンドの構成だったからね。ラッパ系も入ってて他のドイツのバンドと比べると電子楽器度合いが低いね。この記事でも書いてたか。

これは1981年に出た1stアルバムに収録の曲で、おそらくTV出演のパフォーマンスだと思うけど、パレ・シャンブルグというバンドの個性が最もよくわかる映像だと思う。
この当時のホルガー・ヒラーはパッと見には頭の良さそうな美少年という感じ。曲はアヴァンギャルドでフリーキーなのに見た目や踊りがアイドル風というギャップがすごいね。

先ほど書いた5大バンドの中でもDAFのガビは極太眉毛の脂ぎった顔つき、クルップスのユーゲンは不気味で冷酷そうな顔つき、デア・プランのピロレーターはますます不気味で危ない目つき、ブリクサは美形だが人間離れした顔つき。
こんな中ではホルガー・ヒラーのルックスが一番まともに見えてしまうね。

上の曲「Deutschland kommt gebräunt zurück」などはどこかの部族の音楽みたいだが、ここに奇妙で調子っぱずれの効果音や歌が入るところがこのバンドの真骨頂。調和してないけど絶妙にポップな部分があるんだよね。
ポップなものとイビツなものが同居するというと美術におけるダダイスムを思い浮かべてしまうが、パレ・シャンブルグの音楽はROCKHURRAHにとってはそういう感じ。
まあこれに限らず、ドイツの音楽にはやっぱりアートの影響を感じるものが多いね。

お次はこれ、まるでポジパンか?というようなジャケットで有名なフランスのJacques Higelin。読めん、ではないけど・・・。

これ以上バカな逸話を書きたくはないんだが、パンクやニュー・ウェイブばかりを追い求めていた若き日のROCKHURRAH。
このジャケットを見て実際にフランスのポジティブ・パンクのレコードだと勝手に思い込み、買って帰ったという思い出がある。
しかもROCKHURRAHの知る参考文献なども当時はなかったので、これをずっとヒゲリンだと思いこんでたもんだ。当時周りにいた友達の中ではROCKHURRAHが一番音楽に詳しかったから、周りの人間もずっとヒゲリンだと思ってたに違いない。ゴブリンがあるならヒゲリンもありだよね。

フレンチ・ミュージックを聴いてるような人には説明不要の大物だけど、ジャック・イジュランという異端シンガーがこの人。なーんだイジュランかよ、どう見てもヒゲリンだよね(笑)。
そういう関係の音楽をあまり知らなかったし、ROCKHURRAHが読んでるような音楽雑誌にも出てくるはずがない人だから、これは間違えても仕方あるまい(←偉そう)。

若い頃はフランス映画にいくつか出演していてそれから音楽家、というキャリアは去年亡くなったピエール・バルーとも通じるが、実際そのバルーのレーベルからもレコードを出していたようだ。
ブリジット・フォンテーヌやイザベル・アジャーニとのデュエットでも有名。

そのイジュランの1979年作「悪魔のシャンパーニュ」が間違って買ったレコードだったんだが、これは従来のフレンチ・ミュージックにあまり馴染まなかったROCKHURRAHにでもわかりやすい、ロックっぽい要素がある音楽だった。
退廃的で背徳的、演劇とシャンソン、そしてロックとのハイブリッド。
当時好きで聴いてたコックニー・レベルのスティーブ・ハーリィが好きだったらこの曲も好きでしょう、というような曲もあったし、いくつかの曲はニュー・ウェイブっぽくも感じた。ポジパンではなかったけどね。
上の曲もフランス語だからわからないけど邦題は「強姦罪」。さすがフランス(←意味不明)。

さて、これは冷静に読めば軽く読めてしまうんだが、馴染みのない言語ということで挙げてみた。Brygada Kryzysというポーランドのバンドだ。
これがポーランド語なのかどうかも知らないし、ポーランドのロック事情もよくわからん。まあ本当はそんな状況で書くべきではなかったんだろうね、と数行で後悔してるよ。

ポーランドと言えば世界的に見ても他所の国に侵害された、とか分割されまくった、とか苦渋の歴史ばかり目につくような国だと勝手に思っていた。そういうところをあまり語れないのでROCKHURRAHには深みがないんだろうが、どんな国であっても若者は勝手に育って、そしてロックを知る。うん、強引だな。

実はこのバンドもカタカナ読みで書いたサイトがほとんどないんだが、レコード盤にちゃんとバンドの英語読みが書いてるという親切さ。それによるとBrygada Kryzys=Crisis Brigadeという意味らしい。エキサイト翻訳してみると危機旅団、まあ意味はわかるかな。
ポーランド音楽を日本に紹介しているサイトによるとブリガダ・クリジスと読むんだな。

このバンドが結成されたのは1981年、まだポーランドが共産主義で戒厳令が敷かれていた頃だった。
バンドがどういう主義を持ってやってたのかは知らないが、戒厳令下でちゃんと活動出来たのか謎だ。
何時どこにでも地下世界があるという事でいいのかな?
上の映像で出てるジャケットのレコードはROCKHURRAHも見かけた事あったけど、これはジョニー・サンダースを出してた事で知られるイギリスのジャングル・レコード傘下のフレッシュ・レコードからリリースされていた。
フレッシュの方もUKディケイやファミリー・フォッダーなど、クセのあるバンドをリリースしていたな。
ジャケットからすれば共産党のポスターっぽいし「ワルシャワは燃えているか」などと勝手な邦題をつけたくなるような雰囲気だが、音楽は意外な事に割とキャッチーで、スカやレゲエの要素があるパンクでビックリ。 軽いとか言われそうだけど、この時代の英米のパンクにも決してひけを取ってないと思ったよ。

この曲「Telewizja」はテレビジョンの事でこれまた盤面に英語読みが書かれていた。バンドかレコード会社か知らないがとっても親切だね。ここまでわからせたいんだったらバンド名も曲名も英語にすれば?という声が聞こえてきたが、きっとどこかの米国かぶれだろう。

最後もまた読めん大国、ドイツに戻ってきてしまったが、これはどうかな?
ジャケット見れば書いてあるからわざわざ書くまでもないがDie Zimmermännerという、これまたノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンド。
実はこれもまたPalais Schaumburgと同じで、決定的な正解の読み方がないと思えるバンド名なんだよね。単に単語が長いから読めないと錯覚してるだけで、よく見れば読めそうなもんだ。

ディスク・ユニオンではディー・ツィマーメナーと書いてあってこれが多くのサイトでも使われてるけど、個人的には何かしっくり来ないんだよなあ・・・。
ROCKHURRAHは根拠は不明だがデイ・ツィマーマンナーと呼んでたよ。

Zimmerは単体では「ゴムのキャスターまたは車輪とハンドルの付いた軽い枠組みの器具(商標名ジマー)」などと書かれていたが一体何の事か?台車みたいなもんか?
同じ綴りで映画音楽の有名な作曲家ハンス・ジマーというのもいたな。がしかし本名にはツィマーと書かれていて不可解。どっちなんだよ?
Zimmermannになるとドイツ人の名字になり、これまたジンマーマン、シメルマン、ツィンマーマン、ツィンメルマン、チンメルマンなどと訳者によって解釈は色々。もうどうでもいいとさえ思える。
宇宙からやって来た正義の使者チンメルマン。悪党をシメるために地獄の底から蘇ったシメルマン・・・。
絶対にスーパーヒーローにはなれない名前だな。

このDie ZimmermännerはTimo Blunckという、これまた読めん人のやってたスカファイターというバンドが改名してこんな読めんバンドになったとの事。確かに初期の曲はスカっぽかったな。
Timoはパレ・シャンブルグのメンバーでもあったから、今回のブログの主旨「読めん」においては最重要人物と言える。

で、やってるのがこの当時のドイツでは滅多にないお洒落で涼しげ、ネオ・アコースティックな音楽。
ネオアコの本場、チェリーレッド・レコードでも出してたからお墨付きのもんだったんだろう。
当時はどんな音楽やっててもドイツ産であればノイエ・ドイッチェ・ヴェレという風潮があったけど、このバンドはそういう枠を超えて洗練されたものだったな。
その後大ヒットした話も聞かないから、英国に進出してもやっぱりバンド名が悪かったんだろうと推測するよ。いくらお洒落っぽくしててもチンメルマンじゃなあ・・・え?違う?

というわけで読めんバンド特集の二回目も無事に終わってメデタシ。
次もあるかどうかを一句詠んでみたがひどい出来。

三回目、ないとは言い切れないトレス(Tres)。

それではまた、Que te vaya bien.(スペイン語で「元気でね」)

時に忘れられた人々【27】読めん!編

【世界一可読性の低い、ROCKHURRAH RECORDS幻の2ndシングル。読めん!】

ROCKHURRAH WROTE:

今では廃れてしまった音楽や文化など、ROCKHURRAHがどこかから拾ってきた「昔のこと」を好き勝手に書いてゆくのがこの企画だ。
たまには少年時代に読んでた小説とかの特集も書くけど、大半は自分が最も好きで追いかけてた70年代のパンクや80年代のニュー・ウェイブという音楽ネタばかりで、イマドキの旬な要素は皆無という内容。
まあ、ここまで過去の事しか書かない人間も珍しいのではないかと自分では思うね。

さて、そういう主旨のシリーズ記事なんだが、最近はネタも少なくなってきて結構バカっぽい方向性になってるのが悩みの種。などと言いながらも、またもや頭悪そうなテーマを考えてみた。
題して「読めん」。

ROCKHURRAHは一応、70〜80年代洋楽ニュー・ウェイブ専門のレコード屋の端くれだし、今はネットが普及してるから検索して、そりゃ読めないバンド名も「こう読むんだ」とわかるよ。
でも当時の音楽雑誌でその綴りのまんま書かれていて、読めなかったバンド名はたくさんあったなあ、と回想したわけだ。全てカタカナ表記してくれてるわけじゃなく、記事を書いたライターによってはそのまんま書いてたりするからね。

昔は友達と音楽についてよく語ってたから、ROCKHURRAHがはじめて読めないバンド名を口に出した時は、たぶん口ごもったりしてたんだろうな。
ん?「今でも滑舌悪くて大抵の言葉は口ごもってるよ」という声がどこかから聞こえてきたが空耳だろう。

パンク世代ではおなじみ、誰でも知ってるSiouxsie And The Bansheesのスージーだって、デビュー当時に誰かがカタカナ読みをし始める前は読めない人が多かったんじゃなかろうか?
え?読めた?

全てのバンドが英語なわけじゃないし、辞書にも載ってなくて、誰も口に出さないバンド名はいつまでもよくわからないまんま。
90年代後半になってようやくネット回線が実用レベルになり、ネットで検索が出来た時は便利になったなあと痛感したもんだよ。それまでは過去の音楽雑誌を延々と読み返して調べたりしてたからね。今では考えられないね。

というわけで妙な雑学には詳しいが、学のないROCKHURRAHが読みにくかったバンドを挙げてゆこう。
ちなみに語学に割と通じてるような人にはバカバカしい内容なので、これ以降は読まないで下さい。

フランス語に堪能だったら即座に読めるんだろうが、英語さえも覚束ないROCKHURRAHはゆっくり読んでもたぶん読めなかったに違いない。
Lizzy Mercier Desclouxの1979年作、デビュー・アルバムだ。
当時、音楽雑誌の裏表紙の広告などでこのジャケットは大々的に出てたから、見覚えのある人(今はすでにおっさんおばさんになってるだろうが)も多かろう。
彼女を知ってる人だったら読めて当然だけど、はじめての人、読めたかな?

ニュー・ウェイブ初期の頃、ZEというレーベルがあって、ROCKHURRAHが注目していたスーサイドやリディア・ランチ、そしてジェームス・チャンスのコントーションズなどなど、ニューヨーク・パンクからノー・ウェイブへと続くバンドのレコードをやたらと出していた。
ノー・ウェイブは一般的には「?」だろうけど、不協和音出しまくりの難解&前衛的な音楽の一派たち。この記事で少しだけ書いたね。
まだまだ身上潰すほどレコードを買ってなかった時代だからそこまで買い集めはしなかったが、リジー・メルシエ・デクルーもこのZEレーベルから日本盤が出ていたので「読めん」などという事がなく、最初から名前は認識出来ていた。もし輸入盤でしか知らなかったら「この曲誰?」と聞かれても誤魔化すしかなかっただろうな。

リジー・メルシエ・デクルーはフランスのアーティストだが、いわゆるフレンチ・ポップとかアイドル的な要素はあまりなくて、やはりパンク、ニュー・ウェイブ以降の女流シンガーだと言える。
ZEレーベルは二人の創始者ジルカ&エステバンの頭文字から取ったレーベル名だけど、エステバン(Eの方)の彼女だったように記憶する。
ノー・ウェイブ系の変わったバンドもリリースするようなレーベルにしては(キッド・クレオールとかも出してたが)割と聴きやすく、ジャケットも清々しいショートカットで「ファンになろうかな」と一瞬は思ったROCKHURRAH少年(当時)だった。
しかし同じ頃はニューヨークの太めの裏女王リディア・ランチがアイドルだったので、ファンになることは断念したけど(大げさ)。
2004年に癌で亡くなったが、自由奔放な活動をした素晴らしい歌姫だったという印象を持つ。

上に挙げた曲も、80年代初期のおしゃれでちょっと先鋭的なカフェバーのBGMとかにはなかなか良かったんじゃなかろうか?
しかしレコード出すたび、姿を見るたびになんか全然印象が違ってて、ファンクだったりアフリカだったり、やってる音楽もその時によって違ったりする。まさに女は気まぐれ。
次に見た時にはもう違った顔になってたから、デビュー・アルバムのジャケット写真が写りの良い奇跡の一枚だったことがわかる。
後期の方が好きって人の方が多いかも知れないが、ROCKHURRAHにとってはやっぱりあの当時のニュー・ウェイブ感漂う1stが一番良い。プラスチックスのチカちゃんみたいな歌い方だね。

フランス語つながりでこれも書いてみるか。
たぶん初等フランス語なので読めなかったのはROCKHURRAHくらいのもんだろうが、Deux Fillesという二人組。
さっきのDesclouxもそうだったが最後に発音しない「x」とかつくとROCKHURRAHはもうダメなんだな。 勉強しろよ、と言われればそれまで。
この名前で調べるとやたらケーキ屋が出てきて太ってしまったが、ドゥ・フィーユと読むらしい。二人の女の子という意味らしいね。ふーん、みんな読めるんだ?

さて、ジャケット写真見て違和感ありありだけど、女の子でも何でもなくて、実は女装の男二人組のユニットなんだよね。
やってる変態は後にキング・オブ・ルクセンブルグとして名を馳せるサイモン・フィッシャー・ターナー、初期のザ・ザのメンバーだったコリン・ロイド・タッカーの二人。
架空の女性二人になりすまし、そのプロフィールまでまことしやかに捏造し、ライブまでやってたらしいよ、この変態。これが82年くらいの話。

80年代後半に大手インディーズ・レーベルだったチェリー・レッドから派生したエル・レーベルというのがあったんだが、その中で最も活躍した貴公子がキング・オブ・ルクセンブルグだった。文字通りルクセンブルグの王様がイギリスの音楽界でデビューした、というよくわからん設定の捏造ミュージシャン。
税金対策のためにバンドを始めたんだと。
ルクセンブルクからよくクレーム来なかったな。(昔はルクセンブルグだったのが最近ではルクセンブルクと表記するようになったらしいので、敢えて表記マチマチにしてる)
というようにサイモン・フィッシャー・ターナーは筋金入りのなりすまし男なんだが、音楽的才能は確かでキング・オブ・ルクセンブルグの時は優雅なポップスターだったり、デレク・ジャーマンの映画サントラとかでもおなじみの音響工作人だったり、幅広い魅力を持つ。

このドゥ・フィーユもアンビエント感漂う作品やこの曲みたいなアヴァンギャルドなコラージュっぽい音楽まで、その多彩ぶりが伝わってくるね。
「女の子二人組」らしさはまるでないジャンルで、このジャケットとかで出すんだったら偽造ヴォーカルくらい入れたら?とも思ったけど、そのギャップも狙ってやってるんだろうかね?
アンビエント風の方はヴィニ・ライリーのドゥルッティ・コラムみたいだったが、上の曲などは実験的で結構好み。
ROCKHURRAHも遥か昔、高校生くらいの時にこういう感じのダビング音楽を作ってたよ。
この手の音楽の中では秀逸なセンスだと思う。さすが王様(←すっかりダマサれてる)。

続いてはオーストラリアのパット見はニュー・ロマンティック系バンド、Pseudo Echo。これのどこが「読めん」なの?と大抵の人に言われてしまうが単にPseudoという単語を知らなかっただけ、辞書持ってくるのも忘れたよ。

オーストラリアと言えば80年代初頭にちょっとしたブームになって、メン・アット・ワークとかINXSとか大人気だったな。
ROCKHURRAH的に言えばもっとアングラなバースデイ・パーティとかサイエンティスツとかSPKとかが即座に出て来るが、どれもコアラやカンガルーが似合わないなあ。
さて、直訳すれば「まがい物の反響(?)」というスード・エコーだが、バンド名の由来は知らない。中古盤屋でよくジャケットは見かけていたけど、注目したこともなかったしね。だがしかしこの曲は知ってる・・・。

この異常なまでにノリノリの「ファンキータウン(リップス・インクのカヴァー)」が有名だとのことだが、いかにもまさしく80年代だねえ。どうやら腕に覚えがあるらしく、ギター・ソロもメチャメチャ楽しげ。この曲を愛してやまないんだろうなあ。
ポップ・ウィル・イート・イットセルフもこのフレーズ使ってたけど、スード・エコー版の方が直球バカっぽくて潔い。

ちなみにROCKHURRAHだけが読めなかったこのPseudo、他にもPseudo Code(疑似コード)というベルギーのバンドがいたな。
確かレコードじゃなくてカセットで持ってたような気がする。
こちらはエレクトロニクスを駆使した実験的なよくあるインダストリアル・ノイズ系。実験的なくせによくあるとはこれいかに?
この手の似たような音楽がたくさん存在してるからあまり目立たないけど、70年代からやってるから割と先駆者なのは確か。

さて、フランス語までは軽く読めてもこれはそうそう読めないと思える。
Wirtschaftswunderというドイツのバンドなんだけど、どう?読めた?
元の意味は「第二次大戦後の(ドイツの)急速な経済復興の奇跡」というような言葉(勝手に意訳)だから、ドイツ史や経済を専攻した人ならば即座にわかる言葉なんだろうけど、そんなことを知る由もなかったROCKHURRAHは何てバンド名かわからずに苦労したよ。

ノイエ・ドイッチェ・ヴェレというドイツ産ニュー・ウェイブの中でも、日本ではあまり知られてない部類のバンドだったのがこのヴィルツシャフツヴンダーだろうか。このバンドをカタカナ読みで書いた雑誌があったのかどうかは覚えてないが、いつの間にかそう呼んでたから、どこかで知ったんだろうね。情報を得たとしたらやっぱりロックマガジンかな?
初期はかなり変わったテイストのバンドで何枚か持ってたシングルのジャケットも不気味、音楽も奇抜なものだった。後年、なぜかメジャー志向になったと思われるアルバムを手に入れたが、変なバンドという先入観が強かったのであまり印象に残ってないよ。やっぱり初期のC級なチープ感が良かったな。

これがその不気味な1stシングルの裏ジャケット。表もほとんど変わらないからひどいとしか言いようがないね。ROCKHURRAHが大昔に書いた「売る気があるのかどうか」で書けばよかったくらい。
このバンドはノイエ・ドイッチェ・ヴェレの高名なインディーズ・レーベル、アタタックとチックツァックという二大レーベルにまたがって活躍したが、これはその伝説的1stシングル。がしかし、ジャケットがトホホだったため、中古盤屋で50円で買った思い出の一枚だ。
掘り出し物がたくさんあったあの時代、良かったなあ。
曲は聴いてわかる通りグニャグニャの不条理系。クラウス・ノミが初期DEVOの演奏で歌ったみたいな感じと言えばわかりやすいか?

結構長く書いてしまったから今回はこの辺で終わりにするが、ROCKHURRAHの「読めん遍歴」はこんなもんじゃない。恥の上塗りとも思えるがまた後日、この続きを書いてやろう。

それではまた、Auf Wiedersehen(ドイツ語でさようなら。読めん・・・)。

時に忘れられた人々【26】同名異曲編3

【もうマンネリとしかいいようのないトップ画像。ネタが尽きた!】

ROCKHURRAH WROTE:

他に書ける題材もあるにはあるんだが、書いていてなぜか筆が重いような企画が多くて中断してるネタが多数。ん?パソコンのキーボードだから筆が重いとは言わないか? キーがヘヴィで・・・ますます変か?
まあ書きやすいかどうかは気分次第なので、いずれスラスラと仕上がる時も来るでしょう。
今日は割と簡単そうだったからこれ。
まさかパート3まであるとは思わなかったが「同じタイトルなのに全く別の曲」というシリーズにしてみよう。

毎度毎度書いてる事だけど、ROCKHURRAH RECORDSではどんな時代でも”気分はいつも80年代ニュー・ウェイブ”なので、その手の選曲しかしないという姿勢を貫いてる。

時代の流れで完全に息絶えたかと思ってたレコードやカセットテープが復活して、これを知らない若い世代に人気だという。
レコードはまあ復活して当然だと常々思っていたが、まさかカセットまでリバイバルとは予想もしなかったよ。 「80年代を現在進行系のまま」などというテーマでずっと取り組んでたウチのサイトだが、思わず「懐かしい」などと現在進行系を無視した言葉が出てきてしまう。
個人的に言えば大昔の小倉(北九州市)、ベスト電器やデオニーという今あるのかどうかわからん家電屋に行くと、毎回バカのように3本セットになったカセットテープを買い漁っていたなあと思い出す。
TDKやソニー、そしてスキッズのリチャード・ジョブソンがイメージ・キャラクターだったBASFのテープなどなど。
自分で聴くのもあったけど、友達に自分が選曲したベスト盤みたいなカセットを贈るのが大好きだったよ。
音量レベル調節とか頭出しとか難しかったけど、時間があればずっと飽きもせずレコードを録音してるような子供だったな。

温故知新と言うべきか、そういうのがまた注目されるなら、ROCKHURRAHが毎回書いてる80年代満載のこのブログもいつの日か大注目される可能性もあるかもね。え?そんなことはあり得ない?

ちょっと書いたら懐かしくなって関係ない事を延々と書いてしまった。 だから今回も70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブばかりを当たり前のように選曲するよ、というひとことが言いたかっただけだ。 長々と綴った回想は全然意味なしだったな。

相変わらずよくわからん前置きばかりで前にも読んだ人だったらうんざりだろうけど、そういうわけで今回も始めてみよう。

「バナナスプリット」というのは「トムとジェリー」や「原始家族フリントストーン」「チキチキマシン猛レース」などでおなじみのハンナ・バーベラ・プロダクションによるアメリカのTV番組だとのこと。

子供の頃はTVアニメや漫画が大好きで再放送もしょっちゅうやってたから、知らず知らずのうちにかなり多くのものを観ているな。特にこの頃は外国アニメやTVドラマが大変に多かった時代。
同じ作者なんて認識はこの頃にはまるでなかったけど、同世代の人なら誰でもいくつかの番組がスラスラ思い出せるはず。

試しに調べてみたら「出て来いシャザーン!」で有名な「大魔王シャザーン」や「ドボチョン一家の幽霊旅行」もハンナ&バーベラ作なんだね。二つとも大好きだったのにこいつは知らなかったよ。
ちなみに「幽霊城のドボチョン一家」という別物のアニメも同時代にあったそうで、ROCKHURRAHが観ていたのがどっちだったか実は全然覚えてないよ。何じゃそりゃ紛らわしい。

さらに詳しく調べてみたら好きだったのはハンナ&バーベラ作の方じゃなくて「幽霊城のドボチョン一家」の方だと判明した。 全く別のスタジオが作った作品なのにタイトル(邦題)やテーマソングがほとんど同じってすごくない?
制作した方には(たぶん)全く責任がなく、日本語吹き替え版のテレビアニメ独自のテーマソングらしいが、これは完全にどっちかが盗作したとしか思えないレベル。
しかもちょっと「Munsters」まで入ってるよ。
あまりの事に仰天して腰を抜かしたので今の記事とは関係ないけど特別に両方貼っておくよ。

仰天から立ち直ったので続きを書くが、どっちも作詞作曲が同じ人で同じ局の放映、つまり盗作ではなくて替え歌を流用したらしい。あービックリした。
がしかし、歌くらいもう1曲作り直せよ。
「ドボチョン一家の幽霊旅行」の方はドボチョン伯爵がなぜか「はけしゃけ」に聴こえるのが気になって仕方ない。

で、話は「バナナスプリット」に戻るが、この番組は実は全く観た事がなくて、単に歌を知ってるというだけに過ぎない。日本で放映してたのかな? どうやらアニメではなく着ぐるみ動物たちによるバンドのコメディらしいが、内容を知らなくてもこの歌はとても有名だから知ってるよ。

本来のタイトルは「Banana Split」ではなくて「The Tra La La Song」というらしいが、これを70年代にパンクでカヴァーしたのが米国ロサンゼルスのディッキーズ(The Dickies)によるもの。 関係ないが90年代には助平なオルタナ・クイーンと呼ばれたリズ・フェアもカヴァーしてるな。

ディッキーズと言えばチノパン?と誰もが連想してしまうが、70年代後半から活動してる長寿バンドだ。 アメリカのパンクはロンドン・パンクとはやや違うものも色々あるんだが、このディッキーズとかは普通にロンドン・パンクに近い音楽。
ちょっとコミック系が入ったスタイルのようで、全員がちっちゃくなってしまった(「だからどうしたの?」と言いたくなる)レコードジャケットでも有名だったな。
ブラック・サバスの「パラノイド」をパンク風にアレンジした曲とかが有名だけど、もっとバカっぽくコミカルな曲調のものが個人的にはお気に入りだった。
「プードル・パーティ」なんかは同じコミック・パンク・バンド系のトイ・ドールズの元祖みたいだもんね。

この 「Banana Split」も同じ路線のもの。 誰もが「この曲のパンク風はこんな感じ」と想像した通りの典型的な演奏と歌で軽快、コミカルな内容。
バナナがマイクになってるね。
ヴォーカルの前髪パッツンの髪型もすごい。前にこの記事でも同じような事を書いたな。 コミカルな雰囲気のバンドは多いけど、本当にコミック・バンドを目指してるわけじゃなかろうから、この映像見て実際に笑う人はいないだろうと思えるのが苦しいところだね。

その「Banana Split」と同じタイトルなのがこちら、ポルトガル出身の美少女シンガー(当時)、リオ(Lio)の代表曲。 育ちはベルギーで主にフランスで活躍してたらしいが、1979年にデビューした時にまだ若干16歳。

フレンチ・ロリータという言葉がある通り、フランスでは伝統的な系譜だったのがこういうアイドル系美少女によるフレンチ・ポップスだ。
リオはそういう中で(時代的に)ニュー・ウェイブ世代のフレンチ・ロリータというような路線でデビューした。 邦題もズバリ「美少女リオ」。ここまであけすけだと誰も文句が言えないね。
たぶんそこそこ人気はあったに違いないが、日本ではそこまで知名度はなかったのかな?

ベルギーからフランスの音楽界で大活躍したという例では、ROCKHURRAHが大好きなプラスティック・ベルトランを想像してしまうが、その手の路線とも違っていた。
ピンク色の服装でただ踊ってるだけという手抜きプロモの作りは一緒だけど。
それにしてもこの衣装は一体?光沢のない竹の子族みたいなもんか。

同じくベルギーのB級テクノで有名なテレックス(マルク・ムーラン)がバックバンドをやっていて、リオの曲もこの当時のテクノ、エレポップと呼ばれた音楽の延長線にある。
まだユーロビートなんてなかった時代だからね。
途中の「う、きゅん、う、きゅん(以下リフレイン)」というような電子音がいかにもで、こんなんでも当時はノリノリだったよ。
リオが自分自身で入れる合いの手みたいな「ぅんー」もピコ太郎の元祖みたいなもんか。

彼女はただの軽薄テクノだけじゃなく、フランスの初期パンク・バンド、スティンキー・トイズのファンだった事でも知られる。
アルバムにも確か彼らのカヴァー曲が収録されて向こうでは大ヒットしたはず。
スティンキー・トイズ、ROCKHURRAHも好きだったんだよね。
このバンドの紅一点、ヴォーカルのエリ・メディロスはきつい目つきで無愛想な雰囲気なんだが、80年代アイドル風の明るいリオとどこで接点があったんだろうか?
睨まれたりしてないだろうか、こっちが心配になるよ。

レコードには「Dedicated To Kevin Ayers (ソフト・マシーンの初期メンバー)」などとも書いてあり、只者じゃないアイドルを目指してたと見える。

このプロモではまだ子供っぽかったリオだが、90年代になってまたしても「Le Banana Split」を新たなミックスで発表して、その時は結構お色気路線になっていた。
コンスタントに活動はしてたようだが、ROCKHURRAHが初期と90年代のリオしか知らないというだけの話。 写真で見るとずっとお色気路線だった事がわかる。
その90年代のは何と同じ曲のヴァージョン違い5曲も入っててげんなりしてしまうが、一過性のアイドルで終わらなかったところが見事だね。

本当はなるべく長いタイトルが見事に一致した曲について書きたかったんだが、ROCKHURRAHの捜索能力がイマイチなので勘弁してやってね。

実にありふれたタイトルだが「Jealousy」。 このタイトルがついた曲もわんさかあるんだが選んだのは井上陽水・・・ではなくて。
今回よりによって選んだのがこちら。
ロンドンの下町、イーストエンド出身のバンド、ウェステッド・ユース(Wasted Youth)だ。
何か同じような名前のバンドが複数存在するのでややこしいが、同名バンド特集ではないので説明は抜きにするよ。

イーストエンドと言えばかつては犯罪の巣窟とか貧民街とか言われていたが、今はおしゃれな街に変身してるとの事。彼らが活動してた70年代後半くらいはまだ治安が悪かったんだろうな。

ウェステッド・ユースは1979年頃からわずか2〜3年しか活動してないバンドで知名度も低いし、ヒット曲もほとんどない。
ネオサイケと呼ばれる音楽にドップリという人は現在ではほとんどいないだろうが、そういうジャンルのファンでも「聴いたことないよ」って人も多かった。
オリジナルで出たアルバムはわずか1枚のみで、解散後に何枚かライブやコンピレーションみたいなのが出てるだけ。
シングルやオリジナル・アルバムはブリッジハウスというパブが作ったインディーズ・レーベルから細々(あくまで想像)と出てただけ。
これじゃカルト的扱いのバンドになるのも仕方ないだろうな。
このパブのハウスバンドみたいなもんだったのか?その辺は見てきたわけじゃないから不明だけど、パブ自体は立派でロリー・ギャラガーなど大物も出演してたらしい。

同郷だったオンリー・ワンズのピーター・ペレットがお気に入りのバンドで確か数曲プロデュースしてるはずだが、そのピーター・ペレット本人が80年代にはもはや「消えたミュージシャン」の筆頭に挙げられていたもんなあ。

ROCKHURRAHはこんな不遇な彼らが好きだったが、曲もその辺の「なんちゃってネオサイケ」とは全然違う本格派。
見た目も声も良かったのに大して話題にならなかったのは何で?と思っていたもんだ。
アルバムのジャケットがカーキ色みたいな薄く目立たない色で何を表現してるかさっぱりわからないとか、よりによってノリの悪い曲(結構サイケ)ばっかり選んでアルバムに収録したんじゃない?とか、ラフ・トレードみたいに大手インディーズに販売を委ねず宣伝活動を全然しなかったんじゃないかとか、売れなかった原因がさっぱりわからないよ。
コンピレーションに収められた未発表曲は名曲揃いなのにね。

この曲「Jealousy」は1980年のデビュー曲なんだけど、そんな彼らの動いてる映像が見れる唯一の曲。 うーん、第一印象が大事なデビュー曲でこんな地味なスローテンポの曲を選ぶか・・・。
しかしシド・バレットとルー・リードが出会ったかのような気怠い鼻声はあらゆるネオサイケの中でもトップクラスの表現力。今見てもカッコイイと思えるよ。
この前髪、これこそ80’sの極みだね。
しかし最後のあたり、みんなで肩を組むシーンがこの手のバンドではありえない展開。ジャニーズか?とツッコミたくなってしまうよ。

このバンドはインディーズ界でもあまり表に出て来なかったけど、ギタリストのロッコー・ベイカーが後にフレッシュ・フォー・ルルでちょいとばかし有名になったな。
キーボードのニック・ニコルはペルシアン・フラワーズというバンドやってたが、これまた幻と言えるほどの地味な活動。偶然シングルを持ってたが、たぶん昔に売ってしまったな。
ヴォーカリストのケン・スコットは後にスタンダード曲「ストーミー・ウェザー」を歌ったり、相変わらず誰にも知られないような活動してたな。
同時期に元スキッズのリチャード・ジョブソンが同じ曲を歌っていたのでジャズに疎いROCKHURRAHでも知ってるよ。なぜか関係ないのに2回もリチャード・ジョブソンが登場してしまった。

今はインターネットで何でも検索出来る、などと思ってる人が多いが、例えばこのバンドについて日本語で語ってるのがROCKHURRAH以外にはほとんどいないと推測される寒い状況。
まあ希少な内容のサイトをやってるという点で、ウチにも存在価値くらいはあるかな。

何か今回は横道にそれた発言ばかり多くて先に進まないな。

さて、その「Jealousy」と同じタイトルの曲をやってて、人があまり語らないバンドがこれ、ブートヒル・フット・タッパーズ(The Boothill Foot-Tappers)だ。

1980年代半ばのイギリスのバンドだが、カントリー&ウェスタンやブルー・グラス、フォークにトラッド、スカなどの音楽性がミックスされたアコースティックな音楽性が特徴。

ちょうど同時期にデビューして大人気となったポーグスあたりとパッと見には似てるが、聴いた感じあまりアイリッシュは感じなかった。
楽器編成もバンジョー、アコーディオンなど共通する部分はあるけど、ポーグスにあるマンドリン、笛がこちらにはなく、ポーグスにないウッドベースとウォッシュボード(洗濯板)がこっちにはある。

この頃はニュー・ウェイブが一段落して、ハードだの暗黒だの暴力だのエレキだの化粧だの、この辺の路線に皆が飽いていた時代。
それでなのか何なのか、大昔からあるような音楽を引っ張り出してきて、それに「ネオなんとか」と付けて新ジャンルにするのが流行っていたよ。
大まかに言えばこのブートヒル・フット・タッパーズもネオ・アコースティックの一種には違いないんだけど、カウパンク以外でイギリス人があまりしないカントリー系統への傾倒は割と斬新だったね。

まだこの時代にはそんな言い方はなかったけど、後に東京スカンクスのダビすけが提唱した「ラスティック」という総称(?)に当てはまるような音楽。
ウェスタン・スウィング、カントリー、ブルーグラス、ケイジャン、テックス・メックス、アイリッシュ・トラッド、ヒルビリー、ロカビリー(サイコビリー)、マカロニ・ウェスタンのテーマソングなどなど、上に挙げた一般的にはあまり馴染みのない音楽をうまい具合にミックスさせたようなバンドが後には続々出て来るが、このバンドとかもその先駆けみたいな感じかな。

女性3人がいて2人がヴォーカル(1人は洗濯板)かと思いきや、実は男ヴォーカルもいて曲によって使い分ける柔軟な構成。
「Jealousy」はスカ要素が強い名曲だが、他の曲ではかなり履いてテンション、じゃなかったハイテンションのバンジョーが炸裂するようなのもあり、この手のジャンルとしては素晴らしい完成度だったよ。
個人的に好きだった「Get Your Feet Out Of My Shoes」などはジョン・デンバーのファンに聴かせても「いい曲だね」と言われるくらいのエバーグリーンな名曲(ウソ)。
そしていい味出してるアコーディオンのキャラクター。
同時代に活躍した百貫デブばかりによるサイコビリー(ネオ・ロカビリーっぽいけど)&ラスティックの伝説的バンド、The Blubbery Hellbelliesのスリムが参加してるのもファンにとっては見逃せない。
大好きだったんだよね。

ブートヒル・フット・タッパーズはいわゆるクラブ・ヒッツなどでは欠かせない名曲を残してるが、レコードの時代は結構入手困難だったし同時代にはたぶん日本でレコードは出てなかった。
こんなに完成度高いのにね。
そういう意味ではちょっとマイナーな存在だけど、後に再評価されてCD化もしたな。

もうひと組、つまりあと2曲書こうと思ってたけど、案外長くなってしまったので今日はここまで。
ということでまだまだパート4までありそうな雰囲気だな。
もう飽きた?うん、ROCKHURRAHも。

それではまたチョムリアップ・リーア(クメール語で「さようなら」)。