80年代世界一周 波蘭土編

【波蘭土は伝説的なバンドばかり】

ROCKHURRAH WROTE:

2019年の後半はブログを大々的にサボってしまってSNAKEPIPEに迷惑をかけたが、今年は少しは頑張って書いてゆきたいと思うよ。一応な。

全然関係ない話から入るが、BS12というチャンネルに個人的には大注目してて、ウチが(と言うかROCKHURRAH個人的なものが多いけど)懐かしいと思えるようなドラマをひっそり再放送してたりする。
何年か前の話。
大昔に大好きだった「傷だらけの天使」を再放送してるのに途中から気付いて録画してみたが、最初の数話が録れてなくてブルーレイ保存版が焼けない。こういうのは1話からちゃんと並べて焼きたいからね。そういう悔しい思いをしたのがこのチャンネルを初めて知ったキッカケだった。
子供から青年時代にかけて愛読してた「まんが道」のドラマ版を80年代にやってたのさえ知らなかったけど、それは運良く第1話から録画して観る事が出来た。 
運悪く完全に見逃したのが井上ひさし原作の珍しいミステリー「四捨五入殺人事件」。子供の時に原作を読んだ事あるから、他愛もない話ではあるけど、ドラマ版も観てみたかったよ。
さらに脱線するが井上ひさし原作のドラマでは、大昔に石坂浩二がやってた「ボクのしあわせ(モッキンポット師の後始末)」を子供の時に観てたので、どこかでそんなのを再放送してくれたら嬉しいんだが。
さらに海外ドラマもなかなかでドイツの大スケール・ドラマ「バビロン・ベルリン」、ウチでもシーズン1は観てた「ハンニバル」などなど、BS12偉い!と賛辞を惜しまないROCKHURRAHなのだった。
そして極めつけが大昔に楽しく観てた革新的ホームドラマ「ムー」の再放送。
同じく大好きで観ていたSNAKEPIPEと一緒に観る事が出来て嬉しいよ。
こんな時代にまた見れるとは偉い!BS12! 
などと大絶賛してBS12をここまで持ち上げてるROCKHURRAH RECORDSだから、いずれは番組プロデューサーの目にも留まるだろう(希望)。ぜひ続編の「ムー一族」もやって下さいね。 

何で突然こういう関係ない話になったかと言うと、その「ムー」の中で郷ひろみや登場人物の口ぐせになってるのが「一応な」というギャグなのか何なのかよくわからない受け答え。
これでやっと冒頭の文章につながったけど、うーむ、たったこの一言を説明するのに、ここまでの行数書いたのはROCKHURRAHくらいしかいないだろうな。

さて、久しぶりのブログだから何をやろうかと迷ったけど、今回は去年の3月以来やってなかった「80年代世界一周」という企画にしてみよう。
80年代ニュー・ウェイブの中でも、あまり多く取り上げられないような国のバンドに焦点を当てるというナイスな企画なんだけど、 これを専門的に語ってゆければ非常に有意義な記事になったに違いない。
が、そこまで英米以外のニュー・ウェイブに通暁してるわけでもなくて、偏った聴き方しかしてないROCKHURRAHがかなりいいかげんに書いてるので、真面目に研究してるマニアな人とは絶対に語り合えないレベルだよ。

今週は東ヨーロッパの波蘭土=ポーランドに焦点を当ててみよう。
世界一周などとシリーズ・タイトルつけた割には世界の歴史や地理、文化などには全く詳しくないROCKHURRAHだが、やっぱり頭の中にあった場所と地図のポーランドの位置が大きく外れていたよ。
大国ロシア(ソ連)とドイツに挟まれて、例えば国取りシミュレーション・ゲーム的に言えばかなり不利な立地だと言える。実際に過去にはその2つの国によって侵攻されまくってポーランドという国が消滅していた時代もあった、そういう悲惨な歴史が色濃く残る国という印象だ。
今回のブログのテーマはポーランドの80年代ニュー・ウェイブについてだから、政治的な事は抜きにして語りたいんだけど、80年代にはどうしてもまだ社会主義による規制が多かったのは確か。

ポーランドの民主化運動を弾圧するために1981年から戒厳令が敷かれ、「連帯」と呼ばれる労働組合(反共産主義)が取り締まられたり、夜間外出禁止などの規制があったという。民衆の力によって結局は民主化が進み、戒厳令は停止されたんだけど、81〜83年というのがちょうどその時期に当たる。
映画とかでよくあるように夜間外出で怪しいヤツと憲兵に見つかり、逃げたら銃殺・・・というほどではないとは思うけど、実際はどの程度の厳しさだったのか。
そういう戒厳令の中、どうやって彼らは音楽活動をしてたのか、その辺の知識不足は見てきたわけじゃないからわからないけど、まあ堅い話は抜きにして始めようか。

ポーランドと言えば真っ先に思い浮かぶのが首都ワルシャワ、国名よりも有名かも知れないね。
ワルシャワと言えばショパン、などと観光ガイドブックには書いてあるようだが、ROCKHURRAHの世代ではデヴィッド・ボウイの「ワルシャワの幻想」と答える人が多いだろう。
SNAKEPIPEだったら間違いなくボウイではなくスターリンかな?
昔から王道嫌いなROCKHURRAHだけど、80年代初頭くらいまでのデヴィッド・ボウイは一通りは聴いて影響は受けてるのは確か。ただ横顔がカッコいいジャケットの「Low」はちょっと苦手で眠くなる曲も含まれているな。
そこに収録されてる「ワルシャワの幻想」は大半がインストで短いヴォーカル部分は何語なのか不明の歌(ボウイ発案の言葉らしい)が入った名曲で、ジョイ・ディヴィジョンの元のバンド名もここからつけたワルシャワだった。
80年代のいつくらいだったろうか?吉祥寺にWarsawというレコード屋があったのを思い出す。
気になって調べてみたら1990年に開店とある。ROCKHURRAHの記憶もあやふやだな。
そこで一般的にはかなり無名だったベルギーのラ・ムエルテというバンドについて店員と話した時、勧めてきたレコードを全て、さらにそこに置いてないのもすでに持ってると言ったら「え?全部持ってるんですか?」と驚かれたのを覚えている。
これがROCKHURRAHにおけるワルシャワの連想なんだけど、ワルシャワという綴りも響きもいいね。

そんな憧れの地、ワルシャワ出身なのがこのバンド、Brygada Kryzysだ。
実は過去の記事「読めん!編」でも書いてたんだけど、ブリガダ・クリジスと書いてたサイトがあったので、それに倣ってみた。クライジズの方がしっくりくるけど。
パンク、ニュー・ウェイブ世代のポーランドを代表するバンドと言っていいだろう。
と言うより、少なくともその時代に日本の輸入盤屋でもレコードが見つけられた数少ないポーランドのバンドがこれくらいしかなかったんじゃないかな?
1979年に結成して80年代前半に活躍したらしいが、イギリスのフレッシュ・レコードというレーベルから出してたので日本でも少しは流通してたというわけ。
元々KryzysというバンドがあってそこからBrygada Kryzysになったようだが、どちらも共産主義のプロパガンダ・アート的なジャケットに魅力を感じながらも、個人的には素通りしてしまったのが悔やまれる。
フレッシュ・レコードから出てたアルバムは、倒れゆく文化科学宮殿(というイメージ)の横に、いかにも東欧系イケメンが立ってるというROCKHURRAH的には気になるジャケットだった。
いや、その当時は文化科学宮殿なんてものの存在を知らなかったから、エンパイアステートビルか何かだと思ってたに違いない。
実はちょっと前に「世界ふれあい街歩き」で知ったばかりの文化科学宮殿、スターリンが自分の威光を示すためにポーランドに建てたという悪名高き建造物で、地元の人間は貶しまくってたよ。そんなにイヤだったら壊してしまえばいいのにとも思うが、やっぱりもったいないのかね?
そういうスターリニズムの象徴のようなものをぶっつぶせ、と言ってるかのようなのがこのジャケットのコンセプトなのかな?と想像してみたよ。
がしかし、Kryzys名義のレコードはモロにプロパガンダ・アートみたいなのもあるし、「Komunizmu 」なんてタイトルもある。うーむ、ポーランド語も読めないし、反共産主義なのか支持派なのかよくわからんな。

その頃のポーランドはロックが盛んな自由な国ではなかっただろう(想像)けど、このバンドは一応英米にも通用する音楽性と見た目で、この国の音楽としてはかなり堂々としたものだった。
ちなみにポーランドを実質的に支配していたソ連のロックは、国が認めた国家公務員みたいな当たり障りのないロック・バンドもいたが、過激だったり思想的に反共産主義になるものは当然認められてなかったという事になるらしい。ポーランドもたぶん同じような政策だろうから、この手のバンドは反体制として抑圧されてたんじゃなかろうか。ポーランド人の友達もいないから本当は全然わかってないけど。

この曲ではないが、なぜかレゲエっぽい曲調もやってて、その辺はクラッシュやラッツあたりの影響なのかな。
上の曲「Wojna」はポーランド語で「戦争」の事だけど、本当の意味でこの国が自由を謳歌出来るような戦後になったのは日本よりずっと後になってからなんだよね。
うーむ、珍しくいいかげんじゃない方向に話を持っていけた気がするよ。

次もまたワルシャワのバンド、Dezerter。
普通に読んでデザーターかと思ったらデゼルテルなどとよそでは書かれてた。エレキテルみたいなもんか?

1981年にSS-20というバンド名で活動を始めたらしいが、SS-20というのは旧ソ連の核搭載中距離弾道ミサイル、Raketa Sredney Dalnosti (RSD) Pionerという物騒なシロモノ。
そういうバンド名は日本で言えば原爆オナニーズみたいなもんか。
この時代の映像が残ってるが、これは本当にアンダーグラウンドな通路の奥で演奏してるという、こちらが想像する通りの「戒厳令下のポーランドでの非合法地下演奏集会」みたいな感じだった。
観てないけど「ソハの地下水道」というポーランド映画を思い出したよ。それよりもずっと前にポーランドの著名な監督、アンジェイ・ワイダによる「地下水道」というのもあり、これまた未見。
その辺の影響が強いのかもね、などといいかげんな感想を書いてみたけど信用しないように。
SS-20はその後、さすがにバンド名がヤバかったのかDezerterと改名したらしいが、ポーランドの人気、実力No.1パンク・バンドだという。No.2は知らないが。

今では世界のどんな国の音でも手に入るかも知れないけど、80年代初頭にリアルタイムでポーランド盤のレコードは入手困難だったんじゃなかろうか。
聴いてみるとこれはまさに正統派ハードコア・パンクでポーランド語とも見事にマッチしている、と思いきや歌詞の最後に一拍置いて「オー」という掛け声、これでいいのかNo.1。
演奏が速く歌も速いハードコアの場合は、どこの国の言葉もちゃんと一応それっぽく聴こえてしまうという錯覚効果があるからね。
試しにROCKHURRAHが定番としている各国語によるブログの締めくくりフレーズ「ではまた、ド・ヴィゼーニャ(ポーランド語で「さようなら」)」のド・ヴィゼーニャをこの曲で連呼してみてもたぶんそれなりのはず。

ビデオでは地下活動してるはずのバンドが(勝手な想像)こんなにたくさんの聴衆の前で堂々と演奏してて映像もちゃんとしてる、と思ったらこれはポーランドのヤロチンというちょっと笑ってしまう町で開かれる大規模な野外ロック・フェスティバルでの模様を収録したものだった。
木場公園の木場ストック(ウッドストックにかけた情けない野外フェス)よりはずっと面白そうだな。

こちらはワルシャワの西300kmほどにあるポズナン出身のLombardというバンド。
ポズナンは古くからある都市だという事だが、カラフルな壁や屋根がきれいなおとぎ話の街のような感じだね。
首都ワルシャワと同じく戦火にさらされたけど街並みは復元されていて、昔のまんまを残そうという住民たちの熱意に頭が下がるよ。こういうのが本当の民度の高さというものだね。
さて、そんな美しい街の出身であるLombardは1981年に結成、現在もまだやってるというから相当に息が長いバンドだ。
これもまた普通に読めばロンバードなんだけど、上のデゼルテルみたいな感じでロンバルドなどと言うのかな?
紳士服のメーカーとかでありそうだよね。ビジネスマンの強い味方、防水、防汚、防臭、防シワ加工がほどこされたロンバードの高級スーツ、とか。

このバンド、本来はたぶんニュー・ウェイブでも何でもなくて古臭くて垢抜けない(今どきあまり言わない表現)男たちのパッとしないバンドだったんだろうが、なぜかその頃目新しかったパンク、ニュー・ウェイブ系の美女に歌わせてみたら思いのほか成功したというパターン。しかもこのバンドはもうひとり歌姫を擁してるんだよね。
失礼な言い方なのを承知で言えば、こういうロックの後進国に限らずイギリスでもアメリカでも垢抜けない男たちに囲まれた歌姫という形態のバンドが割とあるような気がする。レコード会社が「あんたたちのルックスでは売れそうにないから歌手志願のこの娘と一緒にやればデビューさせてやろう」みたいな戦略もあるだろう。
ダサいバンドが美人を誘ったらうまくヴォーカルになってくれたって話もあるにはあるだろうけど、こちらのロンバードはどうなのかね?日本語の情報が全くないのでその辺は全て想像ね。 

Małgorzata Ostrowskaという(読めん)ヴォーカル女性の見た目はかなり頑張ってるけど、バックバンドのどうでも良さが漲っててかわいそうになってしまうよ。
「パッとしないかも知れないけど楽曲作ったのは俺たちなんだよ」などと言い張るかも知れないが、うーん、もう少しセンスのいいバックバンドと出会ってたらMałgorzata嬢もポーランドを代表する歌姫になれたかも。

お次はこちら、ワルシャワの南に位置するプワヴィという工業都市出身のSiekieraというバンド。
うーむ、日本語にすると「斧」というバンド名なのはわかったが、カタカナで書いてくれてるサイトが見つからないのでROCKHURRAH得意の「読めん!」だよ。たぶんみんな自信を持って読めんに違いない。
普通に読むとシェキエラなんだろうが、どうせまた違うんだろうな。

京都のJet Setというレコード屋はROCKHURRAHも何回か行ったことあるけど、そこのコメントでは「’80s欧州最大級の音楽フェスJarocin Festivalでも多くの観客を沸かせた伝説のバンド」と評されているな。
おお、デゼルテルの時にも出てきたヤロチン・フェスね。
しかし「伝説の」などと書いてはいるものの当時の日本で紹介されてたのかね?数少ないマニアはいたんだろうけど、いつ、いかなる時に伝説となったのか知りたいよ。

どうやら初期はOi!スキンヘッドとハードコア・パンクの折衷みたいなバンドだったとの事だけど、同名の別バンドじゃないかと思って調べてみたら、やっぱり同じバンドらしい。うっそー、初期と後期で見た目と音楽性が全く違うのにビックリだよ。レコード・デビューした時にはすでに後期のサウンドになっていたと言うべきか。本当なのかな?

上の方のビデオの曲「Misiowie Puszyści」は1986年に出た1stシングルのB面の曲。
日本語に訳すと「ずんぐりしたクマ」などと、ほのぼのしたタイトルだが副題の「Szewc zabija szewca」は「靴屋は靴屋を殺す」という意味不明のもの。確かに聴けばそんな感じだね(いいかげん)。
鋭角的なギターと呪術的な歌、イギリスの暗めのバンドのエッセンスも取り入れた、この時代のポーランドとしてはかなり通好みの音楽。チープだけど「いかにも」な場所で撮影されたビデオも雰囲気にバッチリ合ってるね。
イギリスやドイツのダークなパンクが好きだったら気に入るかも。
しかし上のハードコアと同じバンドなのか?今でも信じられんぞ。 

ポーランドのロックだとかニュー・ウェイブ時代の事情をさっぱり知らずに書いてるから、最も重要なバンドをすっ飛ばして書いてたりするのは当たり前。そういう知らぬもの勝ちな態度で書いてきたけど、最後はこのRepublikaだ。
これはどう考えてもリパブリカで読み方間違ってないよな。
そして、どうせまたポーランドの伝説的なバンドなんだろうなあ。
共和国という意味のバンド名で多くの共和国はナントカRepublikaとなるが、ポーランドだけはRzeczpospolitaという特殊な単語が使われた共和国になる。何でかは不明だし今知ったけど明日には忘れる知識だなあ。 

Republikaはワルシャワ北西のトルンという世界遺産の街出身で、1981年くらいから活動してるとの事。
とても有名なポーランドのバンドらしく、英訳された歌詞まで載ってるビデオもあったしトリビュート・バンドまで存在してるそうだ。
ビデオももう少し凝ってて面白いものもあったんだが、これはデビュー曲の「Kombinat」でおそらくライブ風景という珍しいもの。原曲は1983年リリースだがたぶんその頃の映像だと思う。
日本でも使うコンビナートという言葉、元はロシア語だったのも今、調べて初めて知ったよ。
ブログの内容によるけど、何かわからないものに対して調べる事によって少しは何かの知識を得る。
人から教えられた事よりもその方が後に残る記憶になるね。 

ヴォーカルがキーボードの割にはテクノやシンセポップの要素は特になく、初期ニュー・ウェイブ時代の簡素なアイデアをそのまんま楽曲にしたような懐かしい感じがするよ。歌い方や曲調はヒカシューに似てると横でSNAKEPIPEが言ってたが、見た目の割には結構情感たっぷりに歌い上げるタイプ。なぜか真上からのカメラアングルもライブ映像としては斬新。
結構、芸達者なヴォーカルらしくて途中からキーボードをフルートに替えて熱演してるさまがロキシー・ミュージックに途中から参加したエディ・ジョブソンを思い出す。あっちはキーボードからヴァイオリンに持ち替えてのソロ・パートだったけど。

以上でポーランド編は終わりとするが、動画のないバンドは敢えて取り上げなかったから、かなり偏ったものとなったのは間違いないよ。この国のパンクやニュー・ウェイブなら任せろというほど詳しい国はないから、今後もこういう姿勢になるのは間違いないね。

それでは皆さん、風邪やインフルエンザに気をつけて。
ド・ゾバチェーニャ(ポーランド語で「ではまたね」) 

80年代世界一周 南斯拉夫編

20190317【予想外に80年代ニュー・ウェイブの宝庫】

ROCKHURRAH WROTE:

毎回いつも書いてることだが、ROCKHURRAHが書くシリーズ記事はどれも、1970年代から80年代あたりのパンクやニュー・ウェイブと呼ばれた音楽ばかりをピックアップして特集にしている。
この「80年代世界一周」というのは日本に最も入って来やすいイギリスやアメリカ以外のニュー・ウェイブに焦点を当てた企画で、あまり馴染みのないバンドについてROCKHURRAHがいいかげんなコメントつけるだけという内容だ。
今どきこの手の80年代を大真面目に学ぼうとしてる人は少ないとは思うが、そういう人たちにとっては実に当てにならない読み物だという事だけは確かだよ。

さて、スペイン、イタリア、スイスと今まで書いてきたけど、今回は今はなき国に焦点を当ててみよう。
タイトルにもある通り南斯拉夫、これは一体どこの国?
かつてはひとまとめにユーゴスラビアと言ってたけど、1990年代に激しい内戦の末、今はいくつかの少国家に分裂してしまったという。これは歴史や世界情勢に疎いROCKHURRAHなんかより皆さんの方がよほど知ってると思われるが、ウチのテーマはそういうところにはないのも明らか。

ユーゴスラビアのニュー・ウェイブと言うと真っ先に思い浮かぶのがライバッハの存在だ。
ROCKHURRAHも好きなジャンルではあるんだけど、実は今日はライバッハ抜きにして語ってみたいと思う。
「何だかよくわからんがナチスっぽい、軍国主義っぽい」とか「今でも見え隠れする第二次大戦の爪痕」とか、ユーゴスラビアの音楽に対する勝手な偏見をROCKHURRAHが持ったのはこのバンドに原因があるからだ。 
たぶんそんな国じゃないはず。 

「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの連邦国家」とあるようにとても複雑な他民族国家だったらしいが、これだけのものが割と近場に混じり合ってると、かなり色んなものがミクスチャーされた文化になるのは当たり前だと想像出来るよ。

ではさっそくその独自の音楽文化に触れてみよう。

まずはユーゴスラビアのパンクと言うと必ず名前の挙がるPankrtiというバンドから。パンクルティとカタカナで書いてるサイトがあったからその読み方でいいのかな?

彼らは1977年にスロベニアで結成されたバンドだとの事。
旧ユーゴスラビアで一括りにされてた頃はそんな事なかっただろうが、独立して観光名所となったクロアチアなどと比べるとイマイチの知名度だと思える。街の屋根はみんな赤煉瓦色という印象だね。
こんな国にもパンク・バンドがいたとは。

パンクルティはその頃のユーゴスラビア版ニュー・ウェイブ(パンクを含む)、Novi Valというムーブメント(?)の中心的存在だったという話だが、驚くのはイギリスのパンクとのタイムラグがほとんどなく、社会主義のユーゴスラビアにもそういう波があったという事実だ。
うーん、パンクやニュー・ウェイブを若年より聴いてきたROCKHURRAHだけど、ノヴィ・ヴァルなどという動きがあった事など全く知らなかったよ。
ネットが普及した後の時代はそういう情報もすぐにキャッチ出来るんだろうけど、我等の時代にはそんな情報は日本には入ってなかったろうからね。ユーゴ帰りの友達もいなかったし。
社会主義という事に対する偏見、内戦やその後の分断された状況を断片的に見て勝手に勘違いしてたわけだけど、実は英米の影響がとってもすんなり入ってきて、さらに独自の味付けをこの当時から加えたバンドが数多くひしめいていたんだね。そういうユーゴスラビアの音楽事情にビックリするばかりだよ。
旧ユーゴは社会主義とは言っても昔のソ連や中国と比べると自由度が割と高かったらしいけど、よほど反体制じゃない限りは弾圧される事もなかったようだ。行って見てきたわけじゃないから詳しくはわからないけどね。

この曲「Totalna Revolucija(自動翻訳による邦題:総革命)」は80年に出た1stアルバムに収録。
演奏のチャチさはあるものの、イギリスのヘタなパンク・バンドよりは聴き応えのある曲が多数収録された名盤で、何だかよくわからんジャケットじゃなければどこでも通用してたに違いない。
曲はどこかで聴いたような既視感に溢れているが、今はどうしても思い出せない。何かのパクリだと思った人は教えて欲しいよ。ここまで出かかってるのに、何の曲だったかなあ?

これは聴けばすぐにわかる、セックス・ピストルズの「Anarchy in the U.K.」をカヴァー・・・と思いきや無理やりイタリアの革命歌と合体させてしまったという力技の一曲。
Bandiera Rossa」とは赤旗の事。
スキンヘッドのOi!とは対極にあるんだろうけど、結局は集団が拳を振り上げてみんなで合唱するような曲というのは、どちらの思想でも似通ったものになるんだろうな。「愛と幻想のファシズム」を思い出してしまったよ。

続いては上のパンクルティと同時期から活躍していたParafというバンド。パラフでいいのか?
ユーゴスラビアのパンクを集めたコンピレーション「Novi Punk Val 78-80」というアルバムでどちらのバンドも収録されてるが、こちらはクロアチアのバンドらしい。
アドリア海の真珠と評される美しくのどかな国、屋根がみんな赤茶色という印象ばかりだけど、こんな国にもパンクが根付いていたとは驚くばかり。

「Narodna Pjesma(自動翻訳による邦題:国民の歌)」は1980年に出た1stアルバム収録の曲だが、上記のノヴィ・ヴァルのオムニバスにも入ってる名曲。
見た目はニュー・ウェイブっぽいけどヴォーカルは結構なダミ声で曲調はスティッフ・リトル・フィンガーズやチェルシーあたりの王道パンクを思わせる。英米の70年代パンク・バンド達に混じっても遜色ない実力派バンドだと思うよ。1stアルバムの何が表現したいのかわからないジャケットじゃなければどこでも通用してたのに・・・。

「Rijeka」と題されたこの曲、クロアチアの都市名であり「川」という意味もあるらしい。
上のパンクルティがピストルズだったのに対してこちらはジョニー・サンダース&ハートブレイカーズやラモーンズでお馴染みのパンク史に残る名曲「Chinese Rock」をそのまんまクロアチア語か何かでカヴァー。
カヴァー(替え歌)対決としてはパンクルティの方が一枚上手だったね。
中国の革命歌と無理やり合体させたりしなくて良かったのか?

割とシリアスなバンドが続いたけどユーゴスラビアのニュー・ウェイブ(ノヴィ・ヴァル)はこちらが思ってるよりも遥かに奥深く、今頃知っても遅いかも知れないが、個人的にはかなり興味深いよ。
いいバンドに出会うために、時には面白くもないバンドさえも買い漁っていた青春時代に出会ってれば、きっとのめり込んだに違いない高レベルのバンドが色々いるもんだ。

このSarlo Akrobataは1979年結成のセルビアのバンドだとの事。サルロ・アクロバタでいいかな?
セルビアと聞いてもとっさには何も出てこないくらいヨーロッパの「あの辺」に疎いROCKHURRAHだけど、見どころはきっとたくさんあるに違いない(段々ぞんざいになってきた)。風景を検索してみたら「しつこい」と言われそうだけど屋根がみんな赤茶けた感じで、どれがどの国だか本気で区別がつかんよ。 

Sarlo Akrobataは上のビデオを観てもわかる通り、かなりコミカルでふざけたプロモーション映像が多いバンドで、三人のとぼけたキャラクターが絶妙。特にペドロ・アルモドバルか?というような髪型と体型のメンバーは顔だけで笑いを取れるし、悪ガキがそのまんま大人になったようなドラマー(真ん中の小柄な男)の動きや表情もお茶目。 

「Oko Moje Glave (自動翻訳による邦題:私の頭について)」は1981年の1stアルバムには未収録だが同年に出た「Paket Aranžman」というセルビアのニュー・ウェイブを集めたコンピレーションに収録。
シングルとアルバムを一枚ずつしか出してないバンドのはずなのになぜかプロモーション・ビデオがいくつか存在していて謎が深まる。
動きや歌はコミカルなのに演奏はタイトなベース・ラインとちょっとアヴァンギャルドなギター、スカやおそらく自国の伝統的な旋律なども取り入れていて、その構成力もお見事。 
英米のマネだけじゃなくてちゃんと独自路線を見出している、これぞ色んな国のニュー・ウェイブを知る醍醐味だと言える。

こちらのPekinska Patka(北京ダック)なるバンドも1978年結成のセルビア出身。
ビデオ見てわかる通り、「時計じかけのオレンジ」の影響を強く受けたバンドだと思える。
「時計じかけのオレンジ」と言えば70年代から活躍していたアディクツを真っ先に思い浮かべるが、日本にもハットトリッカーズという本格派のバンドがいたなあ。
大好きだったロビンが解散してもう8年にもなるが、最近はパンクやサイコビリー系のライブも全く行かなくなってしまった。ハットトリッカーズを単独で観た事はないけど、2011年以前にパンク系のイベントで知ったバンド。実に凝った衣装とメイクで一度観たら忘れないインパクトがあったものだ。

個人的な思い出話はどうでもいいとして、さて、このPekinska Patkaは素顔に付け鼻、ハットをかぶったというだけのお手軽コスプレでビデオの内容も 「時計じかけのオレンジ」の暴力シーンを元ネタにしたもの。
チープではあるけれどイギリスのバンドでも、まだそこまで凝ったプロモーション・ビデオがなかった時代だと考えれば、なかなか頑張ってるね(偉そう)。いつもこのコスチュームなわけではなく、このビデオだけこういうスタイルみたいだ。

「Stop Stop(自動翻訳による邦題:止まれ止まれ)」は1980年の1stアルバムに収録された曲で子供向けアニメ(あくまで70〜80年代の)のテーマ曲みたいな感じだが、テンポも速くてノリがいいね。ROCKHURRAHが言うところの「Funnyちゃんミュージック」という括りでもピッタリな内容。

これまたセルビアのバンドで1979年結成のElektricni Orgazamだ。
エレクトリチュニ・オルガザムと読むらしいがノヴィ・ヴァルの中で生まれたバンドとしては一番長続きしてる大御所だとの事。何と今でも活動してるらしいからね。
「Krokodili dolaze(自動翻訳による邦題:ワニが来る)」は81年の1stアルバム収録で最も初期の曲だけど、このアルバムに収録の曲だけでも何曲分もプロモーション・ビデオがあってそれもまた謎。
普通はシングル曲くらいしか作らないと思うのに、売れる気満々だったのかねえ?そういうお国柄なのか?
ヴォーカルの爛々とした目つきや動きがかなり不気味。アングラ演劇でもやってたんだろうか。
ライブのビデオもあったけどこの目つきで変な前かがみになったりシャープな動きで飛び跳ねたり、一人だけ異常なアグレッシブさだったよ。
しかも違うビデオを見るたびに長髪だったりクリクリのパーマだったり音楽性も変わったり、イメチェンし過ぎの印象があるよ。Wikipediaで見るとジャンルがパンク、ニュー・ウェイブ、ポスト・パンク、ネオサイケ、ガレージなど、まさにカメレオン・バンド。

後半は全てセルビアのバンドだけになってしまったがそれだけ音楽が盛んで層が厚いというわけなのかな?
このIdoli(イタリア語で「アイドル」を意味する)も同じで、そもそも上に書いたSarlo Akrobata(サルロ・アクロバタ)とElektricni Orgazam(エレクトリチュニ・オルガザム)、そしてIdoli(イドリ)の3バカ、じゃなかった3バンドはセルビアのニュー・ウェイブを集めたコンピレーションに仲良く収録されているのだ。
他のバンドがパンクっぽい見た目なのに対してこのイドリはヴォーカルがメガネ男という事もあって、割と軟弱な印象がある。軟弱もまたニュー・ウェイブの重大要素なのは間違いないので、こういう路線もあるよって事だね。
「Zašto su danas devojke ljute(自動翻訳による邦題:今日の女の子はなぜ怒っているのですか)」は81年に出た1stミニ・アルバムに収録。
ちなみにレコードを見た事ないような若年層でミニ・アルバムを小さいアルバムだと勘違いしてる人がいるんじゃないかと心配になったから言っておくが、曲数が少ない収録時間の短いアルバムの事だからね。え?誰でも知ってる?

ビデオはお揃いの服装のメガネ男がなぜだか手をつないでるというもので、きっとこれもまたニュー・ウェイブの重大要素についての歌なんだろうな。

ノヴィ・ヴァルのバンド達を追って紹介してきたが、これらが最も良かったのは80年代初頭くらいまでの時代。そこから徐々に政情は悪くなってゆき、国は分断されてバラバラになってしまった。
その手の話にはノー・コメントのROCKHURRAH RECORDSだが、この時代のユーゴスラビアのバンドが思ったよりも遥かに進んでた事に驚き、今さらながらこの国に興味を持ったよ。 

さて、次はどこの国に飛ぼうか。
ではまたナスヴィーデニエ(スロベニア語で「さようなら」)。  

80年代世界一周 瑞西編


【スイス人のイメージとはかけ離れた面々】

ROCKHURRAH WROTE:

一体いつまでかかるんだ、と言われそうだがまだまだ引っ越し荷物の整理がつかない。
ウチの場合少し特殊で、いわゆる家具っぽいモノは極めて少ない。代わりに物流倉庫とかで使ってそうなスチールラック(アングル棚)をたくさん持っていて、金属大好きな趣きのある部屋にしてるのが特色。
穴のいっぱい開いた柱やビス、これはイギリス生まれの組み立てDIY玩具、メカノにも通じる世界でROCKHURRAHには魅力的な収納家具なのだ。
しかしこれが結構な大きさのものなので作るも分解するのも厄介。毎回引っ越しの時は全部バラして全部組み立てるという儀式を行ってるんだが、面倒なのは確かだ。
おまけに工具やカッター、ハサミなど何でこんなに見当たらないんだ?というほどどこかに置きっぱなしにして見つからずいつも何かを探してる状態。二人とも5S活動の整理整頓がちっとも出来ない体質なのかも。

さて、そんな状況で今回書いてみるのはちょっと久しぶりだが「80年代世界一周」というシリーズ企画だ。
世界中を旅してもいないし、世界情勢にも疎いROCKHURRAHだからその国の魅力をお届けする、などという内容とは程遠いのは間違いないね。ハナから何の情報も持ってないから逆にいいかげんに書きやすいかな?と思って選んだ今回のテーマはスイス。
タイトル見てわかる通り、当て字で表すと瑞西になるらしいが、この当て字も今回初めて知ったくらい。

うーん、旅番組とかで見たようなありきたりなイメージは色々湧いてくるけど実際にどんな国なのかはさっぱりわからない。ウチが扱おうとしてるのは別に観光情報ではなくて70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブについてだから、余計に旅番組とはかけ離れた内容なのは間違いない。少なくともスイスらしくアルペンホルンやヨーデルを巧みに取り入れたバンドなんてのとはまるで違うと予想するよ(当たり前)。
ではどんなバンドが過去にいたのか時代を遡ってみよう。

スイスと言えば真っ先に思い浮かぶのがこのバンド、クリネックスだね。
英国インディーズ・レーベルの大手、ラフ・トレードがディストリビュートした事もあってニュー・ウェイブ時代のスイスのバンドとして日本でも最も知られた存在だった・・・と言うか他のスイスのバンドなんて「知らん」という人が多数なのではなかろうか?
ウチもティッシュは断然クリネックス派でありスコッティもエリエールも問題外だと思ってるが、昔は高嶺の花(大げさ)だったクリネックスも近所のスーパーやドラッグストアでは他のメーカーと大差ない価格になってしまってる状況。クリネックスが安くなったわけではなくて他のものが高くなっただけなのか?うん、誰もそんな話はどうでもいいのわかってるから。

で、クリネックスはスイスのチューリッヒで1978年に結成した全員女性のバンドだった。
この当時の女性バンドとしてはスリッツ、レインコーツ、モデッツ、マラリアなどと共にクローズアップされて後に続く女流バンド達に多大な影響を与えたから知名度も高いわけだ。
この手のバンドは男性を凌駕するほどのパワーもテクニックもないからアイデア勝負になりがちなんだけど、そのアイデアまでもが何となく似てしまいがちなのが少し弱点ではあるね。パンクっぽいところからスタートして試行錯誤してスカスカの演奏とエキセントリックなヴォーカルに活路を見出したというパターン。演奏力があまりないから少しズレてしまったような部分が偶然実験的となるところはニュー・ウェイブ初期の黄金比だと言えるね。これは当然、貶した評価ではなくて大好きなワイアーなどもそういう系列だし。

クリネックスはスイスでもレコード出してたようだけどROCKHURRAHはラフ・トレードから出てたシングルで上のビデオの曲を知ったよ。
スタジオ・ライブみたいな映像が結構残ってるから本国ではスイス・ウェイブの立役者として人気もあったんだろう。ヴォーカルがちょっとぽっちゃりの田舎娘っぽいけど、ニュー・ウェイブがまだ細分化する前の時代の「パンクに近いけどパンクではない何か新しいもの」を感じさせるバンドだったな。個人的にはスリッツやレインコーツよりも好きな感じだよ。

上に書いたクリネックス・ティッシュはアメリカのキンバリー=クラーク社の商品だとの事。そこから訴えられたらしく、このバンドはクリネックスというバンド名では活動出来なくなってリリパットと改名した。だからと言って特に音楽性が激変したわけじゃないけど、ヴォーカルが田舎娘から田舎のおばちゃんみたいな人に代わったり、曲作りやアレンジでだいぶこなれてきた感じはするね(いいかげん)。
スタジオ・ライブの映像ではよりによって撮影が入る時になぜこの服装?というようなセンスだったがこのプロモ(?)の時はそれなりに80年代風にしてていいね。

こちらはスイス初のパンク・バンドとされるチューリッヒのNasal Boysだ。結成は1976年だというからロンドン・パンクと同じ頃にやってたんだね。
パンクと同時期か少し前に結成したというようなバンドは世界中にいるだろうけど、聴いてみたら古臭いロックと変わらなくてガッカリという経験も多かったもんだ。けれどもこのNasal Boysはちゃんと本気のパンク路線だったのでスイスにもこういう系統がいるのが意外だった。
まあ現代的に見ればパンク自体が古臭いロックなんだろうけどね。

この映像も1977年のものらしいから、スイスでも英米と変わらないパンクの波が押し寄せていたのは確かだろう。クラッシュやダムドの前座もした事あるというから実力もあったに違いない。観客もノリノリで人気の高さを物語るね。ただし前にやった「80年代世界一周」はスペインとイタリア、どちらも言語に特色があった国だけどスイスの場合、ドイツ、フランス、イタリア、それにロマンシュ語といった言葉もマチマチ。だから「この辺がスイスらしいよね」という響きがないのが残念。

これまた1978年にはExpoというバンド名に改名しててアルバムも出してるようだが、Nasal Boys名義ではシングル1枚のみしかリリースしてない。パンクには多かった一発屋のひとつなんだろうけどライブの映像が残ってるだけまだマシだと言えるね。

そのNasal Boysのギタリストだったのがルドルフ・ディートリッヒなるどこかの王侯貴族みたいな名前の人。何と本名らしいから思わず「殿下」と言いたくなるね。
彼がその後に結成したのがスイス初かどうかは不明だが本格派ネオ・サイケ・バンド、ブルー・チャイナだ。
当時読んでた音楽雑誌でネオ・サイケと呼ばれた暗い音楽が数年間はもてはやされた時期があって、そこでも絶賛されてたからROCKHURRAHはレコード屋巡りの日々で必死に探してたもんだ。
買ったのはおそらく下北沢のレコファンだったと思うけど一時期はなぜか2枚同じレコードを持ってたな。
ビートルズの「Tomorrow Never Knows」のカヴァーだったけど人があまり知らないスイスだし珍しいし、自慢げに自分の選曲テープに入れてたのを思い出す。
カヴァー曲だけでなくオリジナルも好みにピッタンコ、ROCKHURRAHにとっては青春の思い出の1枚だったな。専門的な事はまるでわからないしあやふやな記憶だけで書いてるが、確か彼の所有する(だったか単にレコーディングしただけか不明瞭)スタジオがすごく音質の良い事で知られてて「さすが音の反響が違うね」などといいかげんな感想を持ってたもんだ。

チューリッヒと言えば個人的に真っ先に思いつくのがトリスタン・ツァラによって始まったチューリッヒ・ダダだ。ダダダではない。有名なキャバレー・ヴォルテールを中心として花開いたダダイスム運動はアートの世界で一番好きな分野かも知れない・・・って程には全然詳しくないんだけどね。
そういう攻撃的アートが生まれた土壌が昔からある国なわけで、スイス=平和でのどかな牧歌的音楽という先入観が間違いだったと気付くね。そう言えばさっきのリリパットの時に書き忘れたけど彼女達のレコード・ジャケットでモロに1920年代のダダっぽいのがあったなあ。 

この「We Talk」は1983年に出た1stアルバムに収録の曲。曲調とかはよくあるネオ・サイケの王道だがビデオの冒頭に出てくる変な説明書イラストみたいなのが気になって仕方ない。他の曲では鉄柱みたいなものをハンマーで叩いたり、デイ・クルップスを思わせるような行為までして意外と体を張ってるな。侯爵とは思えないよ(ウソ)。この辺のイビツなセンスが魅力なのかも。

ルドルフ・ディートリッヒはスイス・ウェイブの中心的存在らしいけど、その彼とブルー・チャイナのメンバーがプロデュースしたのがこのバンド、ガールズ・フロム・タヒチだ。スイスのバンドなのになぜにチャイナにタヒチ?
1984年に出た12インチ1枚のみしかリリースがなく、スイスのバンドに興味がある人(かなり少なそう)にとっても幻のバンドとも言える。
ROCKHURRAHは当時渋谷にあったゼスト(レコード屋)で偶然に見つけて所有していたが、とっても珍しいものなのでやっぱり自慢げに自分の選曲テープによく収録していたものだ。人が知らないようなバンドを見つける事が生きがいだったと見える。
ガールズ・フロム・タヒチはパンクっぽい直線的な攻撃性とダークな曲作りが魅力のバンドで、たった4曲を知るのみだけど今でもしっかりと記憶に残ってるって事はやっぱり聴き込んでたんだろうな。フランスのAusweisと雰囲気的には似た感じ、と言ってもマイナー過ぎて誰もわかっちゃくれまい。

次はこれ、黒衣の女性3人組によるポジティブ・パンク/ゴシック系バンド、The Vylliesだ。
1983年、まさにポジパン全盛期の頃にデビューしてるから、スイス初のゴシック系という事でよろしいのか?
このジャンルで全員女性というのは珍しいし、怖そうな魔女お姉さん3人組というヴィジュアルもあってポジパン本場の英国でも話題沸騰、というわけにはいかなかったらしい。
ROCKHURRAHもレコード屋で何度も彼女達のレコードを見かけたのにジャケットが好みじゃなかったので買った事はなかったな。勝手にバナナラマみたいなのを想像していたよ。
なぜかデビュー・シングルはギリシャから出してるんだね。
1985年と1987年にアルバムも2枚出してるけど個人的にこういう系統の音楽を聴かなくなった時期に当たるから、実は今回初めてYouTubeで彼女達の曲や動いてる姿を知った。なかなか見た目がいいしプロモーション映像とかもあって本国では人気があったのがよくわかるよ。
曲は教会の鐘の音で始まるモロにゴシックな感じで否が応でも期待出来るイントロ。電子楽器による打ち込み反復ビートと単調なベースだけで呪術的に歌い上げるのだが結構クセになりそうな曲で気に入った。途中でヴォーカル女性が「ア、アー、ア、アー」などと叫ぶあたりの狂気の雰囲気もクールなだけじゃない魅力。こんなドレスで楽器持つのもいいね。という事で今頃になってこのバンドを評価してもどうにもならないが、メンバーは今でも老魔女なのだろうかね?

さて、意外と層が厚くヴァラエティに富んだスイス・ウェイブだがタイムリミットなのでそろそろ最後にしよう。このバンドも忘れちゃならない。
前にこんな記事 でも書いてたGrauzoneだ。あの記事を書いたのは2015年の事だがその頃から「読めん」などと書いてて今でも読めん。素直にグラウゾーンでいいのかな?
スイスだけどドイツ語なのでどちらかというとノイエ・ドイッチェ・ヴェレに通じるような音楽なんだろうけど妙にポップだったり実験的だったりするので全部のレコード聴かないと正体がわからないタイプ。ビデオにも本人たちが全然出てないしね。しかも一体何が言いたいのかコンセプトがよくわからん。
タイトル「Eisbaer」はおそらくシロクマの事だと思うけど果たしてこのビデオと歌詞が合ってるのだろうか?
この曲がドイツやオーストリアでチャートに入ったそうだけど演奏や歌は初期ニュー・ウェイブを感じるものでなかなか気に入ったよ。

個人的に重要な書類を今から探さないといけないのであまり集中してブログが書けなかったけど、もう少しちゃんと落ち着いたらまた何か書けるかな。まずは部屋をちゃんとして何がどこにあるかわかるようにしないとね。

ではまたsta bain!(ロマンシュ語で「さようなら」)

80年代世界一周 伊太利編

20180909_top.gif
【ファッション大国だけあって見た目にこだわるバンドが多い】

ROCKHURRAH WROTE:

1970年代のパンクやその後のニュー・ウェイブを系統立てて研究してるわけでもないんだが、ちょっと聴いて気になる曲があれば興味を持って少しは調べる。
音楽好きの人間は大体そうやって幅を広げてゆくんだろうけどROCKHURRAHの場合は80年代でピッタリ時が止まったまま。90年代も21世紀になってもずっと80年代ばかり回遊してるという特異体質(?)なのかも知れない。
それだけずっと70〜80年代ばかりを追い求めてきたなら少しはマニアックな見識が増えても良さそうなものなのに、そこまでにはなってないところが実に弱いなあと自分でも思ってるよ。生半可な知識で色んな部分を食いかじった結果「これだけは誰にも負けない」という専門的な人材にならなかったからね。

昔の音楽雑誌を思い出してみると例えば「フランスのニュー・ウェイブ事情」みたいな特集はたぶんどこかでやってたと思う。それが続けて世界各国にまで特集の幅が広がったかどうか、肝心なところは覚えてないけど、そういう雰囲気を目指して企画したのが「80年代世界一周」というシリーズだ。
ROCKHURRAHは専門家でも何でもないのでその国の80年代がどんなだったかもわかってないんだけど、その程度の半端な意気込みだけで進めてゆこう。

さて、思いついた当初から長続きしそうにない企画だと自覚しているけど、第2回はイタリアにしてみよう。
大好きな国はスペインだと事あるごとに書いてたけど、我が家のスペイン・ブームが来る前はイタリアも憧れの国だったのだ。

SNAKEPIPEがイタリア物の革製品を扱ってる店で働いていた事もあって、前々からデザインや色使いの斬新さ、素材の良さなどをROCKHURRAHも聞かされていた。だから観光地めぐりのイタリアじゃなくて、日本ではあまり知られてない職人の工房とか(服飾制作用の)パーツ探したりとか、そういう目的で行ってみたい国だと思っていたんだよ。

ROCKHURRAHが個人的に興味あるのは20世紀はじめにイタリアで起こったFuturismo(未来派)という芸術運動だ。ファシズムと結びついて破壊的な行為、戦争を礼賛するような過激な思想なのはいただけないが、純粋に美術として見た時に好みのデザインが多いというだけ。

音楽の世界ではイタリアと言えばオペラ発祥の地だしクラシック音楽やカンツォーネなど、古くから音楽がすごく栄えた地だという印象がある。
そういう要素に近い(?)というわけではないだろうが、70年代にはイタリアン・プログレッシブ・ロックなどというくくりがあってそれなりに著名なバンドが色々出てたんだけど、ROCKHURRAHにとってあまり興味ある分野ではなかったからその辺もノーコメントだな。ホラー映画好きだったからその手のテーマ曲を多く手がけたゴブリンくらいか。

その後、イタリア独自の発達をしたパンクやニュー・ウェイブというのもあまり話を聞かないので、ドイツでノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)が起こって色んなバンドが次々出てきたほどには盛り上がらなかったんだろうなと想像するよ。何かは起こってたんだろうけどシーン全体を牽引する仕掛け人みたいなのがいないとなかなか大きなムーブメントにはならないからね。

第1回のスペインと同様、ロックンロールとかグラム・ロックとかパンクやニュー・ウェイブに直接結びつきそうな音楽の下地があまりないと思える国だから期待もせずに探してみたが、さてどうだろうか?
なお、今回もイタリア語の名前は読めんので、カタカナ表記はあまりしないつもり。 

まずはこれから、Kandeggina Gangという全員女性のパンク・バンドだ。
Kandegginaって何?と思って調べてみたらこのバンドしか出て来なかったからきっと造語なんだろう。
Candegginaというのはイタリアで洗濯用の漂白剤だそうで、日本で言えばワイドハイターEXとかそういうもの。たぶんそれのスペルを変えてバンド名としたのに違いない。勝手に「コインランドリーで意気投合した女4人で結成、メンバー全員洗濯好き」などというストーリーを想像してしまうよ。

ヨーロッパを見回してみるとフランスのスティンキー・トイズやベルギーのプラスティック・ベルトランなどはイギリスのパンク・ロックと大体同じ頃にすでに活動していて時差がほとんどないと思うんだが、こういうのに相当するイタリアのバンドが思い当たらない。
いたのは間違いないんで単にROCKHURRAHが疎いだけかも知れないけど、だからイタリアに目立ったシーンがなかったように感じてしまう。イタリアと言えばまずジョルジオ・モロダーとか連想してしまうもんね。

そういうわけで同時代のバンドを思い出せなかったけど数年遅れて出てきたのがこのバンド。
1979年にミラノで結成、1980年に唯一のシングルをリリースしたKandeggina Gangはイタリアで本格的なガールズ・パンク・バンドの先駆けとなるわけかな?
ちゃんと映像が残ってるだけでも先駆けガールズ・バンドの中では恵まれてる方なんだろうけど、やってる事はスリッツやモデッツ、レインコーツにクリネックスなどと言った女流パンク・バンドの先駆けたちに追随するような音楽性。上記のバンド達よりはまだかわいげがあるけど、そこまで実験的な内容でもない。
ふう、わずか数行に「先駆け」という言葉を多用してしまったのが情けないが、このバンドはイタリア語という以外には特に目立った個性は感じられないな。第1回スペイン編で書いたアラスカが初期の段階でかなり完成された独自のパンクだったのに比べるとちょっと魅力に乏しいかな。

本人たちもそれに気づいたのかKandeggina Gangはこの1曲だけで解散。ヴォーカルのジョヴァンナ・コレッティ嬢はJo Squilloと名乗り別のバンドを始めた。正式な発音に近く表記するならジョー・スクイッロなんだろうが日本人が発音しにくいのでスキーロでいいのかな?まあとにかくJo Squillo Eletrixという次のバンドはイタリア語がパンクに見事に調和していて、元気でお茶目そうなJo Squilloの個性がやっと発揮されたバンドだと思ったよ。

1981年に出たヒット・シングルがこの「Skizzo Skizzo」だ。
Skizzoって何?と思って例のごとく調べてみたらどうやらイタリアで売ってる清涼飲料水・・・ではなくて台所用洗剤の商品名らしい。パッケージがやたら紛らわしくて子供が本当に誤飲とかしてしまいそう。
しかしそれにしても漂白剤の次は洗剤、よほどそういう系列が好きなのかねえ。

ビデオはウルレーションと呼ばれるアフリカなどの甲高い雄叫び(SNAKEPIPEに今教えてもらった)で始まり、バカっぽいけど自分の名前入りのトレーナー着て踊る姿はハリキリ若奥さんには見えてもパンクとは思えない。けど曲調はしっかりパンクや初期ニュー・ウェイブの真っ只中にあるようなもので、覚えやすい連呼型。

この曲「Violentami(レイプ?)」もパンチのある歌声と明るいキャラクターでノリノリになれるね。タイトルからすると笑って歌える内容ってはずはないんだけどなぜに明るい?
曲調はまるでラモーンズのモノマネだし、コンセプトはまるで違うけどレジロスあたりに通じる元気の出るバンドで気に入ったよ。

ジョー・スキーロはその後もソロ・シンガーとしてイタリアでは人気あったようでお色気セレブみたいな画像がたくさん出てくるが、日本ではたぶんあまり知られてない存在だと思う。歳を取ってもパンク精神を忘れずにお茶目なおばちゃんでいて欲しいね。

ジョー・スキーロのKandeggina Gangよりも前の1970年代後半から活動してたのがGaznevadaだ。
ガズネヴァダって何だ?と思って調べたが情報まるでなし。
ネット上には「80年代初期に活躍したイタリアン・テクノポップ・バンドGaznevada・・・」などと判で押したような言葉が並んでるだけで、このバンドと本気で向かい合った日本人はいないように感じる。
無論ROCKHURRAHもそれ以上に語れる材料を持ってないからおあいこ以下だけどね。

どうやら初期の方ではパンクから始まってニュー・ウェイブに至り、という点では他の多くのバンドと同じなんだけど、それからイタロ・ディスコの方面でヒットしてしまったので方向転換したように感じる。

「A.Perkins」はジグ・ジグ・スパトニックとドイツのヴィルツシャフツヴンダーを足したかのような落ち着きのない演奏と効果音に彩られた不気味な名曲。なぜアンソニー・パーキンスなのかは不明だがイタリア、なかなかやるな。
え?ヴィルツシャフツヴンダー(Wirtschaftswunder)知らない?ドイツ編を書くかも知れないので詳しくは語らないがノイエ・ドイッチェ・ヴェレと呼ばれたムーブメントの中でも飛び切りのヘンな迫力に満ち溢れたすごいバンド。このバンド名を例えに使うのはROCKHURRAHの中ではかなり上等の賛辞なのだ(←偉そう)。

上の曲とこの曲が同じバンドの同一アルバムに入った曲(「Psicopatico Party」1983年) だと言うのが信じられないくらいだよ。音楽性の幅が広すぎるのも問題だよな。

で、このビデオの「 I.C. Love Affair」はどうやらヒットした曲らしく、彼らの代表作。
聴けばまあ確かに売れ線のオーラ漂う、少なくとも1983年の音楽事情を思い出せば、どこに出しても恥ずかしくないオシャレな名曲なんだろうな。個人的には上の「モロにニュー・ウェイブ真っ最中」路線で突っ走って欲しかったけどね。

上に書いたガズネヴァダとメンバーがかぶってるそうだがご覧の通り、顔面TV仕様なのでどれが誰だかさっぱりわからん。読めん!というバンド名が続いたがThe Stupid Set、これなら英語なので読めるね。

顔がテレビと言うと真っ先に思い出すのがビル・ネルソンがやっていたビーバップ・デラックスだ。
1978年に出た最後のアルバム「Drastic Plastic(プラスティック幻想)」の裏ジャケ一面にTV顔のメンバーが写っててコンセプトとしては全く同じ。
1980年に出たのがThe Stupid Setのシングル「Hello I Love You」なんだが、ビーバップ・デラックスを知っててやってりゃ完全な盗作、知らなくてもこれくらいのコンセプトなら誰でも思いつくというシロモノではあるが。

このバンドも先に書いたガズネヴァダもイタリアの古都ボローニャの出身だとの事。
旅番組とかでもたびたび出てくる人気観光地だが街全体が煉瓦色という印象だ。
そんな古い街並みにもパンクやニュー・ウェイブの波が押し寄せたらしくて、ボローニャという都市がイタリアのパンクやニュー・ウェイブにとっては重要な地域だったらしい。見てきたわけじゃないから割といいかげんに書いてるけど。

ビデオの曲は(たぶん)ロック好きなら誰でもわかる通り、ドアーズのカヴァー。エレクトロニクスと言うよりはエレキって感じのチープな演奏にちょっとキーボードが入ってるだけで気分は初期テクノポップだよね。これぞ80年代前半ニュー・ウェイブの真骨頂。プラスティックスとかにも通じるね。
英米や日本でも同時代に紹介されてれば話題になったと思うけど、この当時イタリアに注目してたレコード業界の人はプログレ系ばかりだもんね。イタリアに限らず世界にはそういう例がたくさんあって、ちゃんと時代を見る目があればいくらでも音楽は活性化出来たのに、見る目のない年老いた業界人と見る目はあっても資金不足の若造ばかりだったな。

こちらは職人の街フィレンツェのバンド、Diaframmaだ。
ディアフランマと読むのかな?
日本語に訳すと「横隔膜」、何だそりゃ?というバンド名だが何か理由があるのだろう。
どうやらイタリアの初期ニュー・ウェイブとしては人気、知名度もあったみたいでそういうTV番組の特集とかでも必ず最初の方で映像が流れたりする。代表的な存在だったのかね?
旅番組とかでもたびたび出てくるフィレンツェだが街全体がやっぱり煉瓦色という印象だ。こんな街からこういうバンドが出てきたのは意外という気がする。

「Illusione Ottica(錯視)」は1982年に出た彼らのデビュー・シングル(のB面)だが、ジョイ・ディヴィジョン風の暗く沈んだ曲調にイアン・カーティスをかなり意識したステージ・アクションで明らかに真似っ子路線。
オリジナル(イアン・カーティス)にはない動きを模索してるような振り付けがわざとらしいよ。
イタリア語の響きがこういう音楽に合ってるのか合ってないのか?
イタリア、そしてフィレンツェと言えばゴシックよりもルネッサンスだとどこかで読んだが、建築に限らず音楽の世界でもイタリアのイメージではこういう陰気なのはあまり発達しなかったと勝手に思ってたよ。

Diaframmaはバンドとして紆余曲折があったらしくて、最初の頃はギターのみだったFederico Fiumaniが結成10年目くらいでついにヴォーカルとなってからは初期とは違う路線でたぶんもっと人気バンドとなっていった模様。

1989年の「Gennaio(1月)」はいきなり走ってきてドアップというエモーショナルさが炸裂したギターポップ風の音楽で、同じバンドとは思えないほどになってる。歌詞もとても字余り・・・。
このFederico氏、80年代型イタリアのファッション・モデルっぽい見た目に自信を持っている模様で、ギターを弾く時にざんばらりと落ちる前髪などにも、計算されたいい男ぶりが垣間見える。
80年代リヴァプールのザ・ルームというバンドも「俺っていい男オーラ」が漂うヴォーカリストだったが、それを思い出してしまうよ。

Federicoには悪いが初期と後期、どっちがいいかと言われたらイアン・カーティスの影響受けすぎて(ヴォーカルは違う人)思わず笑ってしまう初期の方がやっぱり好みだよ。

 イタリアが70年代のプログレッシブ・ロックだけでなく、80年代のニュー・ウェイブでもなかなか個性的なバンドを輩出していた国だと、今この時代に再認識しても遅すぎか?

最後はこのバンドにしてみよう。CCCP Fedeli alla lineaだ。ドイツのベルリンで結成したイタリア人のバンド、そしてバンド名がソビエト社会主義共和国連邦とはこれいかに?
CCCPの後についてるFedeli alla lineaがわからなかったからGoogle翻訳してみると「ラインに忠実なCCCP」などとさらにわけのわからない事を言ってきたよ。

いかにもハードコアという見た目のGiovanni Lindo Ferrettiを中心とするバンドなんだが、メンバーの中に意味不明のパフォーマンスをするだけの男女2人がいて、ヴォーカルのGiovanniを加えた3人が変な踊りや儀式のようなよくわからん事を披露するという鬱陶しい形式のライブらしい。
衣装なども毎回趣向を凝らして女性メンバーはファッション・モデルっぽい感じ。歌を歌うわけでもなくてランウェイを歩くみたいにウロウロしてたり、かなり不審な存在。
個性的という点では際立っているけど、何かメッセージ性がありそうな割にはやりたい事があまり伝わってこないのがちょっと残念なバンドだ。 色物バンドってほど受けを狙ってるわけでもないし、言葉の壁を越えるような何かがあれば良かったんだけど。

さて、まだまだ探せば色々出てくるはずのイタリアーノ・バンド達。いつもの事だが時間がおしてしまったので残念だが今回はここまでにしよう。

それではチ・ヴェディアーモ(イタリア語で「じゃあまたね」)!