俺たちメジャー衆

【相変わらず取って付けたようなビデオで飽きるね】

ROCKHURRAH WROTE:

タイガー・ウッズが実に久々の復活優勝で沸いた今年のマスターズ・トーナメント。
月曜の朝にニュース速報とかでも話題になったからゴルフ・ファン以外の人でも目にしたとは思うけど、日本では深夜から朝の時間にかかってしまうためリアルタイムで観られない人も多かったことだろう。
ウチもそのパターンでゴルフ中継は録画しておいて夜にちょっとずつ観るくらいしか時間が取れない。だからタイガー・ウッズ優勝の瞬間を観たのはその週の後半になってからだった。

いきなりROCKHURRAHのブログとは思えないスポーツネタで意外に思う人も多いだろうが、実はROCKHURRAHもSNAKEPIPEもBSでやっているPGAツアーの試合はほぼ毎週、欠かさず観ているくらいのゴルフ好き(この記事にも書いてるな)なのだ。実際の観戦ツアーに出かけるというほどの熱烈さはないから、半端なものではあるけど。

タイガー・ウッズは去年のPGAツアー最終戦、ツアー・チャンピオンシップでも復活優勝をしているけど、メジャー大会での優勝は11年ぶりなのでより一層の話題になってるというわけ。
背中や膝を何度も手術して、さらに愛人問題のスキャンダル、逮捕などでどん底の不振にあえいでいたのが去年くらいから復調してきて、やっとまた頂点に返り咲いた。この不屈のど根性(たぶん死語)にファンならば歓喜するよね。

多くの人が期待した「劇的な逆転優勝」というのとはちょっと違っていて、去年の全英オープンで優勝したイタリアのフランチェスコ・モリナーリが二度の池ポチャで自滅して何とかトップ。
いつの間にか追いついてきたダスティン・ジョンソンやブルックス・ケプカといった近年のメジャー・チャンピオン達、メジャー大会での優勝はまだないが上位の常連であるザンダー・シャフリーなどの混戦となって、最後は一打スコアを落としてもギリギリ逃げ切って勝ったという「辛勝」だったね。
タイガーはマスターズだけでも5度目の優勝というから、あとマスターズを勝ちさえすればキャリア・グランドスラム(4大メジャー大会全制覇)達成になるローリー・マキロイに分けてあげたいくらいだよ。

さて、このタイガー・ウッズのマスターズ優勝記念としてROCKHURRAHが陳腐な頭脳で考えたのがゴルフ用語にまつわる「俺たち〇〇シリーズ」だ。
知っての通り、70年代のパンクや80年代ニュー・ウェイブばかりに焦点を当てて記事にしている、現代とは思えない内容のROCKHURRAHブログ。パンクやニュー・ウェイブとゴルフは滅多な事では結びつかないと予測して実際にそうだった。だから苦肉の策で「ゴルフでも使われる用語をワンポイントで含んだ曲名」を選んで何とか記事にしてみよう。うーん、苦しい。

ゴルフの4大メジャー大会の中でも特に知名度が高いのがマスターズだが、ROCKHURRAHの世代で言えば往年の有名ゴルフ・ゲーム「遙かなるオーガスタ」で特におなじみの人も多かったはず。
大昔に中古ゲーム屋の店長をしていた頃にも入荷するとすぐに売れてしまうくらいに人気だったが、友達の家で徹夜でやっていた割にはあまりうまくならなかった記憶がある。
今では操作自体もあまり覚えてないけど、変なキャディーがつまらんアドバイスをしてくる、というどうでもいい記憶ばかりいつまでも覚えてるよ。

そのマスターズとはたぶん全然違う意味なんだろうが、とにかくマスターという言葉が入ったので選んでみたのがこの曲「Your Master Is Calling」。ピンク・ターンズ・ブルーはビデオを見る限りそんな風には見えないが1985年に結成されたドイツのバンドだ。
1979年くらいから1984年くらいまでのノイエ・ドイッチェ・ヴェレは好きで良く聴いてたROCKHURRAHだけど、バンド名が英語というだけでこのジャンル好きとしてはテンションが下がってしまう。ジャケットは有名でレコード屋でも良く見かけていたけど素通りしていたな。
改めて聴いてみたが80年代前半のネオ・サイケにも通じる哀愁のある曲調。ただしもう時代は80年代後半、しかもドイツだと考えるとちょっと微妙な立ち位置にいたのは間違いないバンドだな。
ヴォーカルの顔のペイントも寝てる間に落書きされたに違いなく、それだけ油断してる選手(ん?違うのか)には優勝のチャンスはないだろう。

ゴルフ場でグリーンと言えばホールが設けられていて、パットをするための区画なのは誰でも知ってる通りだが、この芝にもベント、高麗、バミューダにポアナなどなど、様々な種類があって素人にはわかりにくい部分。
癖があったり転がりにくかったり、逆に滑りが良すぎたり、その芝目を読んで適切なパットを出来るのが一流のプロというものだ。
パットがイマイチだけど世界一になったようなゴルファーは滅多にいないと思えるから、グリーン上がゴルフの中でも最重要な場所なのは間違いないだろう。ちょっと前はジョーダン・スピースがパットの名手と呼ばれていたけど最近は低迷してるので、今は抜きん出てうまい選手は見当たらないな。

グリーンと曲名についた歌は多数あったけど、どれもこれもゴルフのグリーンとはたぶん全く関係ないだろうと思われる。今回はパットだけにパッと思いついたこの曲で。

ロンドン・ パンクの時代にスタートしてネオ・モッズの頂点に君臨したメジャー・チャンピオンがジャムだが、その5枚目のアルバム「Sound Affects」に収録されていた名曲が「Pretty Green」だ。
この曲はいつものジャムの構成と同じなのになぜか聴いた印象がいつもと違う、その違和感とギリギリのバランスが面白い。5枚目ともなると円熟の境地になるくらいのキャリアなのにね。
同時期の大ヒット曲「Going Underground」が当時のジャムに期待されている要素が全て詰まった代表作なのと「Pretty Green」は対照的だと個人的には感じたけど、そんなでもない?

1パット目が入らなかったという事で2パット目がこれ。
グリーンと聞くといつも真っ先に思いつくくらいにROCKHURRAHに多大な影響を与えたのがマーチ・ヴァイオレッツのデビュー曲「Grooving In Green 」だ。相変わらずゴルフのグリーン要素は皆無だと思うけどね。

1980年代前半にイギリスで起こったのがポジティブ・パンクというムーブメントだ。
それよりちょっと前にバウハウスやジョイ・ディヴィジョン、スージー&ザ・バンシーズなどによって暗くゴシックな雰囲気を持つバンドがパンクに代わるものとして台頭してきたんだが、その発展型として毒々しい化粧やホラー映画の要素を取り込んだのがポジティブ・パンクの始まり。
ポジティブとは名ばかりの退廃的なバンドが蔓延って、バットケイヴというナイトクラブを中心に数年間栄えたものだ。
しかし見た目ばかりにこだわって音楽性に乏しいバンドも続々登場したり、同じ系統ばかりで飽きられたり、もうそんな時代じゃないんじゃないの?という風潮もあって80年代半ばには大体消滅してしまった。
そういうバットケイヴ的なこけおどしを抜きにしてゴシックやダーク・サイケを独自に突き詰めたバンドが地方都市から生まれていったのもこの時代だ。イギリス北部のリーズからシスターズ・オブ・マーシーやこのマーチ・ヴァイオレッツが登場して、化粧しなくても立派にゴシック道(?)を突き進める事を証明した。
この2つのバンドが同じマーシフル・リリースというレーベルから登場したけど、重苦しくひたすらに暗黒なシスターズ・オブ・マーシーに対してマーチ・ヴァイオレッツの方は男女混声の掛け合いやドラマティックな曲調で新境地を切り開いた。
上のビデオは2016年とかその頃のものだと思うんだがやってるのは1982年のこの曲、30年以上も経って尚も当時のままで観客を沸かせているのがすごい。最終的にゴスの帝王と呼ばれたのはシスターズ・オブ・マーシーだが、マーチ・ヴァイオレッツのちょっといかがわしいB級のイメージがやっぱり大好きで、ROCKHURRAHも今でもこんな昔の曲でノリノリになってるよ。

バンカーも誰でも知ってるゴルフ用語で主に砂の窪地の事だね。
PGAのコースには誰かがつけた通称のようなものが数多く存在していて、マスターズの開催されるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブでは11から13番ホールの「アーメンコーナー(最後は神に祈るしかない難所)」などが有名だが、バンカーにもちょっとした名前がつけられている事も多い。
オークモント・カントリー・クラブにある「教会の椅子」などは見た目そのまんまの大きなバンカーで捕まると苦戦すると言われている。が、トップレベルにいる選手たちは大抵は何事もなかったかのようにバンカーを脱出するワザを持っていてバンカー=大ピンチというほどでもないシーンもよく見かけるね。

ゴルフ用語のバンカー以外ではさらに一般的ではない意味でしか(たぶん)使われない言葉だけど、意外な事にバンカーがタイトルについた曲は予想よりも多かったのでビックリ。どれにしようか悩んだがちょっと珍しそうだったので今日はこれにしてみよう。
Poésie Noireというベルギーのバンドなんだけどポエジー・ノワール(またはノワレ)でいいのかな?
ROCKHURRAHがやってる「80年代世界一周」という英米以外のニュー・ウェイブを探してくるシリーズ企画記事でまだベルギーは特集してないけど、もしかしたらまたそこで登場するかもね。
1985年くらいから活動していてシスターズ・オブ・マーシーやデッド・カン・ダンスのツアー・サポートをしたような経歴らしいからその音楽もたぶんそういう傾向にあるんだろう。
そのものズバリ「Bunker Song」と題されたビデオの曲は1989年くらいのもの。
しかしヴォーカルの見た目はキュアーのロバート・スミスを彷彿とさせるようなメイク、それなのにヴォーカルは予想外のドスの利いた低音でかなり意外なスタイル。曲は往年のエレポップの王道を意識したようなもので、全体的なアンバランスが逆に新鮮だよ。さすがニュー・ウェイブ大国ベルギー物は一味違うね。

 「ゴルフなんて全く知らないよ」って人以外なら大抵は知ってると思うけど、規定打数より一つ少なくそのホールを上がれたらバーディ。パー4を3打で終わらせればいいってわけだ。ものすごくコンディションが悪くてごくたまに全部パー以上のプラス何打とかでも優勝出来る場合があるが、通常はバーディやイーグルをいかに多く取るかで優勝が決まると言っていい。

ゴルフ用語ではそういう意味を持つバーディだが、辞書を見ると一般的には「小鳥さん」となってるよ。ただの小鳥じゃなくてなぜか小鳥さんという敬称付きなのがよくわからん。
この言葉ですぐに思い浮かんだのがペル・ユビュの「Birdies」だ。

ロンドンパンクと同じ頃の1977年に1stアルバムを出したオハイオ州クリーブランドのバンドがペル・ユビュでROCKHURRAHのブログでもたびたび登場している。
デブでかなり変なヴォーカリスト、デヴィッド・トーマスを中心にしたバンドだが、アヴァンギャルドでフリーキーな演奏と絶妙のタイミングで入るノイズが混沌として入り混じった、非常にユニークなスタイルを持っていた。
最初の頃はまだロック的な格好良さもあったけど、マーキュリーやフォノグラムのメジャー・レーベルからよくぞ出せたもんだ。80年代くらいからアヴァンギャルドなセンスに磨きをかけた割と難解な作風になってゆくけど、この頃からようやく日本盤も出て、逆に知名度も上がっていったという妙な経歴のバンドだ。
「Birdies」はその日本盤が出た4thアルバムに収録の曲。

日本でも2枚組のサントラLPが出た「アーグ・ミュージック・ウォー」という音楽ドキュメンタリー映画があって、その当時に注目だったバンドの珍しいライブ映像が観れると期待していたもんだ。ところが日本で映画が公開されたのかされなかったのか不明だが、ROCKHURRAHは結局ずっと観る事はなかった。
上のライブ・ビデオはその映画のものだと思うが、デヴィッド・トーマスの明らかに異常だと思える目つきや奇妙なパフォーマンスのインパクトはさすがだね。巨体なのに意外と身軽で小鳥さんジャンプなどが観れる貴重な映像だな。

PGAツアーの試合を行っているのは大抵が世界の一流ゴルフ・コースで、ホテルやリゾート施設に併設されたカントリー・クラブなんだろうな。たまにすごく僻地っぽかったり砂漠の中だったりするけど、都会の近くよりは別世界みたいな感じがしていいな。

世界の一流品やラグジュアリーなものには全く関心がないROCKHURRAHだけど、ゴルフの場合はどうしても金持ちとか高級とかの印象を持ってしまうよ。試合中にギャラリー、マスターズの場合はパトロンと呼ぶらしいけど観客の服装とかを見ると特にそんな感じはしなくて普通だから、「周りは金持ちばかり」などと緊張する事はないんだろうけど。ROCKHURRAHと同じようにヒゲ、長髪、帽子、サングラスというギャラリーも多数見かけるから違和感はないかもね。

そんな数多くのドラマが生まれるカントリー・クラブをタイトルにしたのがアソシエイツの大ヒット曲「Club Country」だ。アソシエイツも何度もウチのブログでは取り上げてるけど、オペラ風の高音ヴォーカリスト、ビリー・マッケンジーの歌声と複雑怪奇に旋律が絡み合う曲作りが特徴のバンド。
日本ではヒットしそうにない要素たっぷりだけどイギリスではなぜか評価が高かったんだよね。
1982年に出た彼らの3rdアルバム「Sulk」は最もヒットした2曲が収録された代表作だけど、その頃が栄光のピークだったと言える。
その後は主要コンビ2人の喧嘩別れでどちらもパッとしない音楽活動を続けていたが、ビリー・マッケンジーが自殺(ずいぶん後になってからだけど)という最悪の結末となってしまう。

ビデオはそういう悲劇の片鱗もなかった人気絶頂の頃のもので、お色気ヴァイオリニストなども配置したゴージャスなステージとなっている。転落したけど見事に復活したタイガー・ウッズのように強い精神を持って続けて欲しかったよ。

というわけで書き始める前から書いてる本人が企画倒れになるのを確信していたけど、見事にタイガー・ウッズ優勝記念とはかけ離れた内容になってしまったね。ただしマスターズと絡めて書ける機会が今日しかなかったから、無理して書いてみたよ。
連休になったらもう少し時間をかけて何か書きたいね。

ではまたジュー ガン マイ(タイ語で「また会いましょう」)。 

俺たちペイン団

【マンネリだけど完治祈願でPainに関するビデオを作ってみたよ】

ROCKHURRAH WROTE:

半月ほど前にちょっと無理をしてしまい、急に腰を痛めてしまった。
その手の代表的な痛みというと誰もが思うのがぎっくり腰か椎間板ヘルニア、たぶんそれに近いものなのかな?
実はこの歳まで腰痛に悩まされた経験が一度もないのでよくわからないが、ぎっくり腰だろうがヘルニアだろうが、もっと激痛で動けなくなるという話をよく聞く。そこまでじゃないので毎日ちゃんと歩いて働いてはいるんだが、本当はもっと安静にしてないと治りにくいのは確かなんだろう。
ゆるい服装で家にいる時は日常の動作は問題なく出来るのに、靴を履いてバッグを持って歩くとだんだん痛みが出てくる。上半身と下半身がそこで分離したみたいな、かなりイヤなタイプの痛みなので早く完治したいものだよ。

というわけで最近ROCKHURRAHはこればっかり書いてるという噂の「俺たち◯◯シリーズ」、今回のテーマは自分にとって今一番密接な「痛み=pain」としてみよう。

割とポピュラーな英語で誰でも知ってるだろうし一部の薬の名前やペインクリニックという医院の名前で使われたりする。 が、日本人がこれをわざわざ英語で使う機会はあまりないと思える単語だな。
ペイン自体は体の痛みだけでなく精神的な痛みにも使える便利な単語らしいので、これが含まれる曲名も割と多く存在してるに違いない。さっそく探してみよう。

毎回ブログを書くのにどれだけ時間がかかってるんだ、と言われてしまうけど今回は無理な姿勢を長時間続けたくないという意向もあって、とにかく手っ取り早く書くというのをモットーにした。
だから動画を探す時間も短縮して「音と静止画のみの動いてない動画」みたいなのも採用したよ。
本当はなるべく動いてるようなのでやりたいんだけど、プロモ・ビデオもライブ映像もないようなマイナーどころから見つけて来てるので、仕方ないね。

最初に登場してもらったのは日本ではあまり知名度ないと思うが、プリンセス・タイニーミートの1986年の名曲「 Angels in Pain」だ。

歌詞の意味がまるでわかってないのにタイトルについてとやかく言うのも意味なしだが「痛みの天使」とはこれいかに?苦痛の中に光明を見出すというよくあるアレか?
そういう系列に疎いROCKHURRAHにはよくわからんがドーパミンとかエンドルフィンとかセロトニンとか、人の体の中で抑制したりバランスを取ったりするその能力はすごいなあと思いました。
大人とは思えないとても幼稚な感想で申し訳ない。
確かに電車とかで揺れるととたんに痛む背中・腰なんだが、気の持ちようでちょっとしたはずみに痛みが緩和する事がある。継続的な痛みで急に症状が良くなるはずがないので、これは脳内の何かが作用して暗示をかけてるんだなと思ったよ。これこそが痛みの天使というわけか。え?全然違う?

アイルランドのダブリンでパンクからニュー・ウェイブを通過した近所の悪ガキどもが兄弟とか従兄弟とかも巻き込んでバンドみたいなものを始めた。
1970年代後半から80年代にかけてはどこの都市でもそういうのがたくさんいたのは間違いないが、ひとつのバンドをやるにはメンバーが多すぎたのか(推測)だいぶ違う方向性で2つのバンドが同時期に生まれた。それがU2とヴァージン・プルーンズだった。
この2つのバンドはメンバー間で血縁関係があったり親交が深かったり、まさに兄弟バンドと言えるかも知れない。U2のボノとヴァージン・プルーンズのグッギ、ギャヴィン・フライデーは若い頃に同じ悪ガキ集団にいたというからね。
などと見てきたような書き方してるがもちろん見てもいないしインタビューしたわけでもない。

ROCKHURRAHは大成功したU2についてはあまり興味なかったけど、ヴァージン・プルーンズは大好きでよく聴いていたものだ。
女装した不気味なヴォーカル二人のデュエット。そして何とも言えない禍々しさに溢れたドギツイ音楽、当時熱狂して集めていたポジティブ・パンクというジャンルの中でもトップクラスの異端派変態的バンドだった。
彼らの独創的な音楽やパフォーマンスはROCKHURRAHのヘタな説明よりは映像観てもらった方が手っ取り早いだろう(いいかげん)。こんな感じね。

ん?もしかしてこの映像は前にも使ったか?しかも今回のペインとは特に関係ないよ。

そのヴァージン・プルーンズの初期メンバーでごく短い間在籍していたのがビンティ(Haa-Lacka Binttii)、プルーンズ脱退後に始めたのがこのプリンセス・タイニーミートというわけだ。

英国インディーズ・レーベルの最大手ラフ・トレードからセンセーショナルなデビューをした(ジャケットが国によっては発禁レベル?)にも関わらず、結局ちゃんとしたアルバムが出ずに短命に終わってしまったバンドだったな。 

歌い方にヴァージン・プルーンズからの影響が強く感じられるが電子楽器(言い方古い?)を多用してちょっとダンサブル、異端だけどなぜかポップという路線が個人的には好み。
グッギやギャヴィンという異常性が確立されたすごいキャラクターと比べると深みがないように感じてしまうが、愛すべき不肖の弟分という雰囲気が漂っていてプルーンズのファンからも支持されていたようだ。実際はどっちが年上かは全然知らないけどね。

さて、次のペイン団はこれ、カメレオンズの「Pleasure And Pain」だ。

「喜びと痛み」と聞くとSM的なものを連想してしまうが、英語さっぱりのROCKHURRAHは相変わらず歌詞とかは全く抜きにして話を進める。メンバーの見た目などから判断してそういう要素はたぶんないと思うよ。
キリスト教の国々で耐え忍ぶものと言えば試練などと言われたりするが、現代だろうが原始時代だろうが試練なんてものはどこにでも存在してる。物理的に乗り越えられないようなものに直面した時は内部に助けを求める・・・などと延々と書くつもりはまるでないけど、個人的にROCKHURRAHの今の痛みの状態じゃとても「喜び」などとは結びつかないよなあ。

1980年代初頭のニュー・ウェイブを語る時に必ず出てくるのがネオ・サイケデリックという音楽だが、60年代のサイケデリックとはだいぶ違ったニュアンスも感じられる。
一番多かったパターンと言えば、暗くてメランコリックな曲調と黒っぽい服装、うつむき加減の内向的な歌が特徴というバンド達。それらと同時代に本気の60年代型サイケ野郎がごっちゃに活動していたので、軽く一括りには出来ないジャンルではあるけど。

ジョイ・ディヴィジョンあたりをこの手の音楽の元祖として、その影響下にあるバンドが続々生まれたのもこの時代。そういう幾多のフォロワー的バンドを詳細に語るだけでも一冊の本が出来そうなくらいなんだが、ROCKHURRAHにはもちろんそんなウンチクもないのでネオ・サイケデリックに関しては当ブログでちょこっと書いたくらい。
それらとは少し違う路線で時代を乗り越えたバンドも多く存在してるけど代表的なのはエコー&ザ・バニーメンやサウンド、そしてこのカメレオンズとかになるのかな。え?後ろの2つは知らない?

カメレオンズはエコー&ザ・バニーメンと同じタイプの正統派ネオ・サイケのバンドで80年代前半に活躍した。本当のサイケデリックを知ってる世代には上記の「暗くてメランコリックな曲調と・・・」という雰囲気に属するのが正統派だと評されるのに違和感を覚える人も多くいた事だろう。
後の時代にはあまり「ネオ・サイケ」という言葉も使わずダーク・ウェイブなどと言われたりするジャンルだけど、その方が特徴を言い表してるのかもね。

カメレオンズと言えば・・・。
若き日のROCKHURRAHが上京してまだ住むところも決まってない頃、カメレオンズの「As High as You Can Go」という12インチ・シングルを買って、自分のステレオさえ持ってないのに友人の家でひっそり聴いていたのを思い出す。
家もなく仕事もなくただ音楽への情熱だけで、なーんの用意もないまま東京に出てきてしまった考えのない若き日のROCKHURRAHだが、その時も今も基本はほとんど変わってないのに自分でも驚いてしまう。
六畳一間くらいの部屋にこっそり居候してたから昼間でもコソコソしてたんだよね。
「ひっそり」というのはそういう意味。
出かける時は大家に会わないように静かに速足で部屋を飛び出したものだった。忍者みたいだね。
仕事を探し住む場所を探し、ここを出て行こうとしてたのにうまくゆかなくて、もがいていたな。
詳細はこの記事で書いたけど、友人には本当に迷惑かけたよ。

「Pleasure And Pain」はこのシングルに収録の曲でタイトルからすれば全然違った意味の曲なんだろうが、ROCKHURRAHにとっては「自分=真っ昼間に何してるかわからない怪しい人」この肩身の狭い思いこそがある意味のペインだったな。この頃はどこにも居場所を見つけられずさまよってたからね。

初期のエコー&ザ・バニーメンやティアドロップ・エクスプローズなどと似たような雰囲気のバンドで彼らよりもずっと長く活動しているカメレオンズ。ルックス的なスター性があまりないからか日本での知名度は低かったけど、地味で堅実ないい曲を数多く残していて80年代ネオ・サイケが好きだった人にはおなじみのバンドだと言える。
メンバーが描いたちょっと不気味なイラストのジャケットでも有名。

そう言えば元ビッグ・イン・ジャパンのメンバーだったビル・ドラモンドとデヴィッド・バルフによるプロデュース・チームで、初期Zooレーベル(リヴァプールの伝説的レーベル)のプロデュース活動をしていたのもカメレオンズという名前だったな。 このカメレオンズとは関係ないけどつい思い出してしまった。

カメレオンズの事を書いててさらに思い出したのがこれ。
またまた「俺たち〜」と書いてるのに女性アーティストになってしまったが、ピンク・インダストリーの1983年作「Enjoy The Pain」にしてみよう。個人的にはある意味ペイン団の女ボス的存在。

いやいや「痛みを楽しめ」などと言われても全くその気にはなれないこの鈍痛。これまでの他のタイトル見てても妙にネガティブじゃないものが続いてるな。多くの人が痛みの中に何か活路を見出したいんだろうか?
これまで骨折も大きな病気も怪我もなかったROCKHURRAHだが、それでも何度かは痛くて苦しい体験はしている。一ヶ月も続いた痛みはあっただろうか?と記憶をたぐってみても思い出せないって事は、そこまでひどいものはなかったんだろうね。痛みを語れるほどの人間じゃないな。

ウチのブログでも何度も書いてるけど(例えばこれ)、リヴァプールのニュー・ウェイブの歴史で最もルーツとなったパイオニア的存在がデフ・スクールとビッグ・イン・ジャパンの2つのバンドだった。
これを本気で書き始めるとえらい文章量になってしまうから敢えて詳しく書けないという事も何度も書いたな。

ビッグ・イン・ジャパンはリヴァプールのニュー・ウェイブ初期を支えたインディーズ・レーベル、Zooレーベルとも深く関わっている重要バンドだった。
パンクの時代、1977年くらいにデビューしたこのバンド、活動はごく短期間でシングル2枚しか出してないが、メンバーのほとんどが後に名を残した伝説のスーパー・グループなのだ。
時間短縮のためにメンバーの名前を出すだけにとどめるが、

  • ビル・ドラモンド(Zooレーベル経営者、後のKLF)
  • デヴィッド・バルフ(Foodレーベル経営者、ティアドロップ・エクスプローズなど多くのバンド参加)
  • イアン・ブロウディ(後のライトニング・シーズ、キングバード名義でプロデュース多数)
  • ジェーン・ケーシー(後のピンク・ミリタリー、ピンク・インダストリー)
  • ホリー・ジョンソン(後のフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)
  • バッジー(後のスージー&ザ・バンシーズなど) 

大げさな書き方した割には冷静に見るとあまり誰でも知ってるような人材は出てないけど、80年代ニュー・ウェイブに詳しい人ならばすごいメンツだったとわかってくれるだろうか。

その中で今回主役となるのはジェーン・ケーシー嬢。などと当時のままの記憶で書いてるがすでに現在は60歳くらいにはなってる計算。うーむ、時が止まってるのはROCKHURRAHの頭の中だけなのか。
ビッグ・イン・ジャパンの派手なイメージを担っていたのがスキンヘッドで不気味なメイクをしたジェーン・ケーシーとまだこの頃はパンク野郎だったホリー・ジョンソンの二人だった。

このバンドは短命に終わり、メンバーはそれぞれ次の活動を始めるがジェーン・ケーシーは1979年くらいにはすでにピンク・ミリタリーを結成していたな。
アーティストとしての主義なのか何なのかわからないが、この頃はそのヴィジュアルを前面に出すことがあまりなくなって、断片的な画像でしかこのバンドを知る事が出来ないのが残念。もちろん動いてる映像も皆無。
スージー&ザ・バンシーズの暗い曲をさらに地味にしたような音楽をやってて、本当にこの人、見た目の割にはずいぶん控えめな印象なんだよな。

たぶんピンク・ミリタリーはあまり売れなかったバンドだと思うけど、エレクトロニクスな要素を強くしたピンク・インダストリーとして再起を図った(?)のが1981年。
こちらはピンク・ミリタリーよりは少しは売れたのかな?
それにしてもレコード・ジャケットも割とぞんざいで、音楽は相変わらず地味でキャッチーさがない曲が多い。リズムの使い方などは現代でも通じるものがあるだけに実に惜しい。
この美貌とファッション・センスを活かせばもっとスターになれたかも、などと思ってしまうが、それを売り物にせず音楽活動をしていたのは立派だ。

ビデオも少しだけ残っててこの「Enjoy The Pain」はオフィシャルなプロモなのか何なのか不明だけど、実写映像と絵画の効果がこの時代には結構斬新なもの。ちょっとデヴィッド・リンチの作品っぽいなと素人目には思ったけど、SNAKEPIPEはどう見るだろうか?

ペイン団の最後はこれでいいかな。
クロックDVAの1981年の曲「Piano Pain」だ。

うーん、これまでタイトルについてどうでもいいコメントをしてきたが「ピアノの痛み」なんぞ知ったこっちゃない。
実家にエレクトーンなどというどうでもいい楽器が置いてあったがこれを取り入れたプロのミュージシャンは滅多にいないと思える(この辺ははっきり知らないけど)。
鍵盤と言えばアコーディオンもなぜかあったけど、部屋で奏でるには意外と音が大きすぎて、結局家族の誰も使いこなせてなかった気がする。
中学生くらいになるとキース・エマーソンやリック・ウェイクマンなどの影響を受けて、家にピアノのあるのが羨ましかったが、そういう友人を持った事もなかった。
結局、ピアノよりは自力で購入出来るギターを持ったけど、ロクに練習もしなかったので演奏力もないままだよ。

英国ヨークシャー州シェフィールドと言えばパンク、ニュー・ウェイブの時代にキャバレー・ヴォルテールやヒューマン・リーグが登場した事で知られているけど、クロックDVAもこの辺の出身だ。
中心人物アディ・ニュートンはヒューマン・リーグと名乗る前のザ・フューチャーというバンドにも在籍していたけどデビュー前に脱退している。「ズーランダー」のムガトゥ(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドがメジャー・デビューする前に脱退したという設定)みたいだね。
この後釜として入ったのが不気味な髪型で後世に名を残すフィル・オーキーだったという。

そのアディ・ニュートンによるクロックDVAもヒューマン・リーグと同時期にデビューした。ROCKHURRAHがまだレコード漁りを始めた頃からいるので名前は何十年も前から知ってるが意味不明のバンド名だな、とずっと思っていたよ。DVAはロシア語で「2」を表すらしいが、それがわかってもやっぱり意味不明。セクション25とかTV21とか同じ頃にそういう系統のバンド名が登場したけど流行っていたのかね?

音楽性はヒューマン・リーグとは大違いで、重苦しいリズムにアヴァンギャルドなサックスが飛び交い、低音の呪文のようなヴォーカルがかぶさってゆくというもの。相変わらず表現が陳腐だな。
まだニュー・ウェイブが登場して細分化されてないような混沌の時代に生まれた刺激的な音、こういうバンドがあったからこそ後の実験的な音楽が発展していったんじゃなかろうか。

体調や時間の関係もあったからちょっと短いけどこの辺でやめておくね。
腰は一回痛めると持病のようになって再発しやすいらしい。安静に療養出来るような境遇じゃないからなかなか治らないけど、早く自由に歩き回れるくらいには回復したいものだ。

それではまた、スローンラート(アイルランド語で「さようなら」)。

俺たちヴァリー部

【恒例のValleyにちなんだビデオ。時間不足でいいかげん】

ROCKHURRAH WROTE:

タイトルに同じ単語が含まれた曲を集めて、いいかげんなコメントしてゆくだけのお手軽企画がこの「俺たち○○シリーズ」だ。
ただし時代は1970年代から80年代、パンクとニュー・ウェイブからほとんど選曲するというのがROCKHURRAH RECORDSの流儀なのだ。今、この時代にこの手の音楽に興味ある人がどれくらいいるのかは全然わかってないが、読む人をかなり選ぶブログなのは間違いない。

さて、どんな単語でもいいんだけど、今回はたまたま思いついたのでValleyという単語がつく曲を選んでみたよ。
谷とか谷間を意味する言葉なのは大抵の人が知ってるとは思うが、これをカタカナ英語で言ったり書いたりする機会はあまりないはず。
日本のカタカナ表記が曖昧なのかバレー、ヴァリー、ヴァレー、ヴァレイなどといくつもの表記がされてて、一体どれが最もポピュラーなのかよくわからないよ。 
バレーなどと書くとバレーボールのバレーと間違いそうだが、あれはVolley、つまりサッカーのボレー・シュートと同じ綴りでさらにややこしい。じゃあ何でボレーボールにしなかったんだ?と思ってしまうよ。
というわけでかなりあやふやなこの言葉、ROCKHURRAHは迷った末にヴァリーを採用したが、大多数の人にとってはどうでもいいよね。

谷間と言えばROCKHURRAHが思い出すのが子供の頃に大好きだった望月三起也の漫画「ワイルド7」。
この中のエピソードに「谷間のユリは鐘に散る」というのがあって、他の鮮烈な長編(註:「ワイルド7」はコミックス1冊だけで終わるエピソードもあれば数冊に渡って繰り広げられる長編エピソードもあった)に比べると印象は薄いんだけど、タイトルだけは即座に思い出したよ。
世の中の悪党をやっつけるために悪党、犯罪人の中から選抜した白バイ部隊というのがワイルド7の設定なんだけど、読者の度肝を抜くド派手なアクションとストーリー展開に夢中になった少年(今はおっさん)も多かった事だろう。まだタランティーノもロバート・ロドリゲスも登場してなかった時代、70年代初頭の日本にこんな派手なアクション漫画があったのは全世界に誇れる事だと思うよ。
メンバー全ての描写が細かくて本当に生き生きしてたからね。

などと関係ない回想にひたってしまったが、これはもう本気で全く関係ないので書いた本人もビックリ。 

ヴァリー部として真っ先に挙げたいのがスキッズのヒット曲「Into The Valley」だ。
彼らの最も有名な曲であり70年代パンクでValleyと言えばこれが決定版というほどの知名度。
タイトルをGoogle翻訳してみると「イントゥザバレー」だって、うーむ。そりゃ訳になってないぞよ。
次にエキサイト翻訳で直訳してみると「谷に」だとさ。それ以上の意味はないんだろうけどなんかそっけないぞ。

このブログでも何度も書いてるけど、スキッズは70年代後半にデビューしたスコットランドのパンク・バンドだ。こんな記事でも特集したね。
中心となるのはヴォーカルのリチャード・ジョブソンとギターのスチュワート・アダムソンで残りのメンバーはパートタイムみたいな感じだったな。後にヴィサージでスティーブ・ストレンジの相方になるラスティ・イーガン(元リッチ・キッズ)や元ウェイン・カウンティ&エレクトリック・チェアーズのJJジョンソンなどもパートで働いていたね。

パンクとは書いたが初期のスキッズにいわゆるロンドン・パンクっぽさは特になく、スコットランド民謡のバグパイプみたいなギターとリチャード・ジョブソンの野太いヴォーカル、応援団風の男っぽいコーラスが一体となったところに独自性があったな。
それからパワー・ポップのような路線にもなったし、ニュー・ウェイブ世代の正統派ブリティッシュ・ロックみたいな方向に落ち着くかと思いきや、この辺でスチュワート・アダムソンが脱退。
自身のバンド、ビッグ・カントリーを結成しスキッズの路線をことごとく継承、そしてスキッズ以上の大人気バンドになってしまった。大半の曲をアダムソンが書いてたのでスキッズ路線を継承して当たり前なんだけどね。
音楽的な要だったアダムソンが抜けて、最後の方のスキッズはよりトラッド色を全面に打ち出した予想外の方向に進んで行くが、これはあまりポップでもなくロックっぽさも大幅に減少というマニアックな世界。当然元からのスキッズ・ファンに受け入れられず、売れるはずもなく、ここで解散という事になる。
実はROCKHURRAHはこの時代のスキッズを高く評価してるんだけどね。

「Into The Valley」はそんな末期のスキッズなど想像も出来なかった1979年、彼らにとっては初期のシングル。
本国イギリスでヒットしたから日本でもリリースされた数少ないパンク・シングルの一枚だな。
この邦題、というかカタカナ・タイトルが「イントゥ・ザ・ヴァリー」、ROCKHURRAHがタイトルにヴァリーを採用したのはここからなんだよ。「俺たちバレー部」じゃ当たり前過ぎる全然違う話を想像してしまうからね。

誰でも知る大物パンク・バンド以外は義理で一枚出して、売れなかったらそれ以外のシングルは出さないというのが日本のレコード会社のやり方なんだろうかね?
結局、売れなかったのかスキッズのシングルは日本ではたぶんこの一枚のみ。
アルバムの方も1st「恐怖のダンス」と3rd「アブソルート・ゲーム」のみが出て、どう考えても売れそうじゃなかった4th「Joy」はともかく、売れそうだった2nd「Days In Europa」も出さなかったのは何で?と思ってしまうよ。当時、ヴァージン・レーベルを出してたのはビクターだったかな。

さて、これはライブ映像ではあるけど音声の方はスタジオ録音そのまんま、いわゆるプロモーション・ビデオになるのかな?このビデオの頃はまだ19歳くらいだったリチャード・ジョブソンのスポーツマンらしい激しいアクションが大げさ過ぎるけど、今でもノリノリになれる大名曲。みんなで拳を振り上げて「アホイ、アホイ!(船乗りが他の船に呼びかける「おーい」というような意味の言葉)」と怒鳴れば気分はもう1979年だね。

お次のヴァリー部はこれ、ジェネレーションXの1979年作「Valley Of The Dolls」だ。
同年に出た彼らの2ndアルバム「人形の谷」のタイトル曲でもありシングルにもなったけど、このアルバムには「King Rocker」という強烈なヒット曲があり、その陰に隠れてあまり知名度はない曲。
イチイチ翻訳する必要はなさそうだけどGoogle翻訳してみると、ちゃんと「人形の谷」になってたよ。

「Valley Of The Dolls」という原題を検索すると出てくるのはジャクリーヌ・スーザンのベストセラー小説「人形の谷間」とそれを映画化した「哀愁の花びら」だが、60年代にチャールズ・マンソン・ファミリーの一員によって惨殺されたシャロン・テートが出演していた映画として一部で有名。
ジェネレーションXの曲はタイトルが一緒なだけでおそらく何も関係なさそうだけど。

ジェネレーションXは上のスキッズなどと同じく、ロンドン・パンクの第二世代くらいにデビューしたバンドだが、レコード・デビューがやや遅かっただけでパンク初期から有名人だったのが後にソロとして大ヒットするビリー・アイドルだった。元チェルシーだしね。
後にド派手な見た目と音楽でセンセーショナルな話題を振りまいたジグ・ジグ・スパトニックを結成するトニー・ジェイムス、少年っぽさが残るアイドル系ギタリスト、ボブ・アンドリュースなど、ルックスの良さもあってさらに曲も良い。
ジェネレーションXは他のパンク・バンドと比べるとバラード的大作志向があり、いわゆるチンピラなだけのバンドよりはずっと構成力も演奏力もあり、つまりはこの時代に売れる要素が詰まったバンドだったと思うんだけど、予想ほどには大ヒット曲もなかったのが残念。
パンク直後のニュー・ウェイブ世代にうまく乗り換えする事もなく、割と短命に終わってしまったという印象があるけど、最初の二枚のアルバムは聴きまくったものだ。

「人形の谷」は特にROCKHURRAHの地元、北九州の図書館の視聴覚室で何度もリクエストして聴いてた覚えがある。ここのお姉さんがパンク好きだったからよく通ってたんだよね。
こんなに聴いてたくせになぜか自分では持ってなくて、東京に出た数年後にひっそり買ったんだった。
この頃はまだ知らない新しいバンドを仕入れるのにほとんどの金を使うという方向性だったからなあ。

ビリー・アイドルの歌声も聴けばすぐにわかる特徴のあるもので、顔立ちのインパクトも際立ってるな。

今回集めたヴァリー部はパンク系が多いけど、次はコープス・グラインダーズの「Valley Of Fear」にしてみよう。しつこくGoogle翻訳してみたら「恐怖の谷」となってた。シャーロック・ホームズのシリーズに同名タイトルがあるが、このジャケット写真見てたらあまり関係はなさそう。

元はニューヨーク・ドールズ(の母体となるバンド)のギタリストだったというリック・リヴェッツがドールズ脱退した後に作ったのがこのコープス・グラインダーズだ。ちなみにリヴェッツが辞めた代わりにドールズに入ったのがシルヴェイン・シルヴェインだった。
コープス・グラインダーズの初期にはドールズのアーサー・”キラー”・ケインもいたというからまさにドールズ直系。
そっくりな名前の日本のバンドがいるので間違えられやすいが、別にマネしたわけではなくてたぶん「人間ミンチ」という70年代のB級ホラー映画の原題がCorpse Grinders、どちらのバンドもここから取ったんじゃないかな? 

ニューヨーク・ドールズと言えばあらゆるバッド・テイストが集まって奇跡的にもその筋の主流となってしまったバンドとして名高いが、ニューヨーク・パンクを語る上では外せない最低で最高のロックンロール・バンドだね。

で、このコープス・グラインダーズの方はベースとギターにそのDNAが流れていたわけで1stシングルは確かにラウドでB級テイストに満ち溢れた乱暴なパンク路線、ホラー映画っぽいメイクもドールズ時代にはなかった新要素なので、これは好きだった。
しかし”キラー”・ケインがいなくなった後の本作、1984年に出た唯一のオリジナル・アルバム「Valley Of Fear」ではリズム・マシーンにシンセサイザーまで取り入れた迫力ない異端のロックンロールが展開してゆく。このチープさウソっぽさも魅力なんだけど、ニューヨーク・ドールズ直系を想像してた人にはあまり受けなかったかもね。
見た目からするとポジティブ・パンクやサイコビリーのバンドみたいでもあるが、それともちょっと違う独自のアングラ感があるので、ROCKHURRAHはその点を評価しているよ。

時間があまりないので手早くいってみよう。
お次のヴァリー部はこれ、ROCKHURRAHの大好きなスクリーミング・デッドの「Valley Of The Dead」。1982年のデビュー・シングルだな。
またまた翻訳してみると「死の谷」、え?いちいち翻訳しなくてもわかる?

「死の谷」と聞いても特に何も思い出さなかったが、橘外男の「死の蔭(チャブロ・マチュロ)探検記」というのを急に思い出した。少年時代は戦前戦後くらいの探偵小説が大好きで教養文庫の小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭、香山滋、橘外男などを片っ端から読み漁っていた。夢野久作だけは米倉斉加年が扉絵を書いてた角川文庫版の方が好きだったけど、他の作家はこの教養文庫のシリーズが最も手軽で探すのに苦労しなかったから愛読してたものだ。
橘外男は全然興味ないタイプの著作も多かったけど、刑務所に入ってたなどかなりの無頼漢で独特の魅力があった作家だ。
小倉(福岡県北九州市)のナガリ書店や福家書店、宋文堂などなど、今はあるのかどうかさえ知らないけど、当時よく行ってた本屋が懐かしい。ROCKHURRAHが少年の頃の小倉には輸入レコード屋がほとんどなかったから、本屋に行けばROCKHURRAHがすぐに見つかるというくらいに長時間をこの辺で過ごしたものだ。
これまた全然関係ない話だったか。時間ないなら先を急げよ、と本人に突っ込まれてしまうありさま。

スクリーミング・デッドはいわゆるポジティブ・パンクと呼ばれた音楽で「永遠の中堅」とROCKHURRAHが常に思ってたバンドだ。初期はレコード出す金もなかった(?)ようでカセットを自主制作販売してたみたいだが、結局シングルのみでアルバムも出さずに解散してしまったところが中堅以下。
ちょっと鼻にかかったチンピラ声でパンクっぽいのから日本のGSみたいな曲調までを歌い上げるところが個人的には好みだった。 彼らのディスコグラフィを調べてみると、当時はほぼ全シングルを所有していた事が判明した。それくらい気に入ってたんだろう。
ポジティブ・パンク、ゴシックという音楽のような重苦しさはあまりなく、単にホラー要素があるパンクというだけで、音楽的な印象は違うが上のコープス・グラインダーズとかと同じような立ち位置なのかも。そう言えばジャケットの構図も似てるしね。 

動かない動画が続いたので飽きてきたろうから、お次は動きのあるこれを選曲してみよう。
ソニック・ユースとリディア・ランチによる「Death Valley 69 」だ。ヴァリー部としてはこれを見過ごすわけにはいかないからな。
もはや翻訳する必要性はないけど律儀にやってみたら「デスバレー69」、そりゃそうだ。
車のボンネットで目玉焼きが出来ると評判のデスヴァレーはアメリカ人だったら誰でも知ってるところなのかな?ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも地理には疎く、日本に住んでても阿寒湖と屈斜路湖の区別さえつかないけどね。
パット見のタイトルはカッコイイけど、デスヴァレーは国立公園だから日本で言えば「十和田八幡平(国立公園)78」などとタイトルつけるのと同じノリかね? 

ソニック・ユースは1980年代初頭から活動していたニューヨークのバンドでロック界随一の巨人(推測)のサーストン・ムーアとキム・ゴードンの夫妻がバンドの中心だった。
独特のギターによるノイズとパンクやサイケデリックがごちゃ混ぜになったような音楽は90年代以降ではよくあるオルタナティブってヤツだけど、彼らが始めた頃はまだアングラなものだったな。
それよりちょっと前の時代、ニューヨークで流行ってたノー・ウェイブという動きがあったけど、ソニック・ユースのはそこまでヒステリックではない感じ。最初はどちらかというとイギリスのオルタナティブ系と呼ばれた音楽寄りだったと記憶するよ。 個人的にはこの初期の頃の方が好きだった。 
こないだ観てきてSNAKEPIPEが記事を書いてくれたマイク・ケリーやゲルハルト・リヒターなどレコード・ジャケットにもこだわったバンドだね。 

この曲は1985年の「Bad Moon Rising」に収録されてシングルにもなった大作。
この頃はまだ大人気になる前のインディーズ・バンドだったにも関わらず映画風のプロモーション・ビデオが作られている。
ゲストの金切り声ヴォーカリストがノー・ウェイブ界の裏女王、リディア・ランチという組み合わせ。
ビデオはカルト宗教っぽい感じがしてかなり不穏な雰囲気の危ないもの。銃社会アメリカだから、この映像はシャレにならんぞ、というリアルさがあるな。 

何だか明るくない系統のものが続いたから最後はあまり毒のなさそうなのにしてみよう。
Allez Allez、綴りは難しくないのにこういうのが一番読めん・・・とずっと思ってたバンドだがディスク・ユニオンによるとアレ・アレというらしい。ではそれでいってみよう。
アレ・アレの「Valley Of The Kings」だ。
「どんだけ英語が苦手なんだよ」と言われそうだが例によって翻訳してみると予想通り「王の谷」。

NHKスペシャルとかで去年くらいやってたピラミッド特集や王家の谷、などと聞くとついつい興味を持ってしまうが、SNAKEPIPEもそういう知的好奇心が豊富なタイプで良かった。
二人の見た目からはすごく意外だけど歴史モノも好きで、王家の谷とはまるで関係ないが「英雄たちの選択」とかも毎回観てるからね。

アレ・アレはリアルタイムでレコード屋ではよく見かけたジャケットだったが、レゲエかアフリカンのような印象があったから、その辺が苦手なROCKHURRAHは素通りしていたよ。
実はアフリカともジャマイカとも関係なさそうなベルギーのバンドで黒人も一人しかいない、それでもアフロとかファンク、ダブという夏向けの曲調でたぶん人気もあったらしい。本格派ではなくてあくまでニュー・ウェイブの一種だったらニセモノ音楽が大好きなROCKHURRAHでも理解できるだろう。
という事でずっと食わず嫌いだったこのバンドのビデオを観てみたら、これがなかなかいいでないの。
バックのメンバーは何だかわからないがバカっぽい派手な動きをしているしヴォーカルの紅一点はこの衣装と姿だったらクールじゃないか?と思わせておきながら結構微妙な表情だし、決して暑苦しくならない感じがいかにもニュー・ウェイブ世代。

今回はかなり遅くなってしまってSNAKEPIPEにも迷惑かけてしまったよ。
次からは下準備して取り掛かるからね。

それではまた、パアラム(タガログ語で「さようなら」)。

俺たちハッピー隊

【何だかわからんけどハッピーそうなビデオを作ってみた】

ROCKHURRAH WROTE:

今年の元旦ブログはROCKHURRAHが書いたけど、本当はその次の記事も担当するつもりでいた。
が、色々と個人的にやりたい事があったので、先週はSNAKEPIPEに代わってもらって一週間遅れになってしまったよ。

2018年の1月も半ばになってまだまだ正月気分真っ只中の人はそんなにいないとは思うけど、一応年始を祝うつもりで選んだのがこの「ハッピー」というテーマだ。
うーん、見た目といい性格といいハッピー向けじゃないと自覚しているROCKHURRAHだから、あまりメデタイ事は書けないとは思うが他に目ぼしいテーマもないし、何とか書いてみよう。

最近では年賀状さえ書かない人が増えてるに違いないのは世間の事情に疎いROCKHURRAHでもわかるが、子供の頃は最もポピュラーな「A Happy New Year」を迷いもなく書いてたに違いない。
近年は正月らしい事もほとんどしないし「正月、何がめでたい」と佐藤愛子風に思ってしまう我が家なのだった。
SNAKEPIPEと二人では人並みに祝うけどね。

ウチのブログの「ROCKHURRAH POSTCARD」というシリーズ記事は過去にROCKHURRAH RECORDSが作った年賀状や暑中見舞いがアーカイブされてるんだが、2010年からは年賀状らしいHappy New Yearの文言も一切なくなり、2011年からは英語でさえなくなったという経緯がある。一体何考えて何が言いたいのかさっぱりわからん年賀状だろうな。
SNAKEPIPEが書いてる「ビザール・ポストカード選手権」というシリーズ記事に「貰った人が困惑するようなポストカード」という記述があるけど、ウチの年賀状こそまさにそれだね。

さて、相変わらずどうでもいい前置きだったけどいきなり本題に入れないタイプだから仕方ない。
では今回のお題、ハッピー隊に出てきてもらいましょう。
あ、ちなみに初めて当ブログの記事を読む人には到底わかってもらえないから説明するけど、このシリーズ記事は単に同じキーワードが曲名についたものを選んで、無理やりひとまとめの仲間にしてしまった記事を書こうという主旨のお手軽企画。 他の企画と違い広範囲から選べるというROCKHURRAH側のメリットがあるだけなんだけど。

1980年代前半のハッピー隊で筆頭に出てくる曲は個人的にこれかな。
70年代パンクの雄、ダムドのデタラメ男、キャプテン・センシブルが80年代にソロとして発表した奇跡の大ヒット曲がこの「Happy Talk」だ。
パンク・ファンなら知っての通りダムドはセックス・ピストルズ、クラッシュと並び有名過ぎるパンク・バンドだが、全英チャートに入るようなヒット曲は「エロイーズ(全英3位)」くらいのもので、有名なあの曲やこの曲も通常のメジャー・チャートとは無縁の世界。
キャプテン・センシブルはドラキュラ・メイクのヴォーカリスト、デイヴ・ヴァニアンと対比を成すコミカルで陽気そうなキャラクターが際立った名物男で最初はベーシスト、それからギタリストになった。丸いサングラスとベレー帽をトレードマークにしていて、モヘア(パンク初期の重要アイテムとしてモヘアのセーターというのが流行っていた)を通り越した着ぐるみのようなモコモコのステージ衣装でギター弾いたり、派手さという点ではパンク界随一の目立ちぶりだったな。そのキャプテンがソロとなり、いきなり全英No.1に輝いたのがこの曲だったのでファンはみんなビックリというのが1982年の話。
「パンクもやり尽くしたしそろそろ大ヒットでも出してみっか」と軽い冗談のノリで作ったようにファンには見えるこの曲、元々はブロードウェイ・ミュージカル、後に映画にもなった「南太平洋」の有名な挿入曲だった。
過去にも色んなカヴァー曲が存在しているが、それをなぜパンク界のやんちゃ男がカヴァー?というインパクトでミスマッチ感はすごいけどね。
メチャメチャでもなくパンク風でもなく、ちゃんとしたゴージャス(?)なアレンジになっているのはさすが。マリ・ウィルソンなどを手掛けたNew Musikのトニー・マンスフィールドの手腕も光る名作ですな。

キャプテンがオウムに歌いかけるばっかりのプロモーション・ビデオもあったけど今回はTV出演の模様を選んでみた。横でギター持ってコーラスしてるのが往年のギター・ポップ・ファンならば唸るガールズ・トリオ、ドリー・ミクスチャーの勇姿だ。キャプテン・センシブルが見初めて(?)コーラス隊に抜擢、その中の一人が後に嫁さんだか恋人だかになったという話だね。ドリー・ミクスチャー単体としては80年代にちょっとだけレコード出してはいたものの、 こういうヒット番組の出演は不可能なくらいのマイナーな存在。キャプテン・センシブルと一緒に活動したからこその晴れ姿だと考えると複雑な気持ちだろうね。家族や親戚、友達はちゃんと録画してくれたかな?

まあとにかく曲調といい楽しげな様子といい、ハッピー度満点の出来。

続いてのハッピー隊もパンクから選んでみた。
これまた有名なバズコックスの「Everybody’s Happy Nowadays」だ。
セックス・ピストルズがマンチェスターで初めてライブを行った時に観客はわずか数十人だったという話だが、そこに集まった人間が後のマンチェスターの音楽シーンを引っ張ってゆき、パンクからニュー・ウェイブの時期にマンチェスターは音楽の産地に発展してゆく。
ジョイ・ディヴィジョンで有名なファクトリー・レーベルを設立したトニー・ウィルソンなどもその数十人の一人だったとの事だが、バズコックスのメンバーもセックス・ピストルズやパンクの衝撃によってバンド結成したというような話を聞いた事がある。まあ自分で観てきたわけじゃないから全ては人の話、誰と誰がその場にいたかなんてはっきりわかったもんじゃないが。
そういうわけでマンチェスターのパンク・ロックの中で最も著名だったのがバズコックス。
田舎町ではないと思うがまだパンクが生まれてなかったマンチェスターにパンク啓蒙運動を起こした功績は大きい。
最初はジョニー・ロットンの歌い方をいやらしく粘着質にしたようなトカゲ目のハワード・ディヴォートがヴォーカリストで、パンク界では有名過ぎる4曲入りシングル「Spiral Scratch」を発表。
ピストルズやクラッシュなどバズコックス以前のパンク・バンドはみんなメジャー・レーベルと契約してレコードを出してるが、バズコックスは自身のニュー・ホルモンズという英国初のインディーズ・レーベルからシングルを出した事でも有名。これこそインディーズの元祖だね。
個人的にはこの時代のバズコックスが最良でROCKHURRAHも苦労してオリジナル盤の「Spiral Scratch」を所有していた大ファンだったが、ハワード・ディヴォートは早々にこのバンドを脱退して次のマガジンを結成。これまたパンクからニュー・ウェイブに移り変わる時代の最も重要なバンドだと思ってるけど、その重要なヴォーカリストが抜けた後にはギタリストだったピート・シェリーがヴォーカル兼任でバズコックスは続いてゆく。

世間的にはむしろここからが快進撃で1979年くらいまでに立て続けにシングルをリリース。
もちろんアルバムもリリースしてるんだがバズコックスの場合は「パンク・ロック=シングルの時代」という認識を裏付けるようにシングル曲がとにかくどれも有名だね。パンク/ニュー・ウェイブ中心で聴いてきた人の多くがバズコックスの曲を聴いて即座にわかるくらいに知名度抜群。
ハワード・ディヴォートのいた頃こそが本当のパンクだったとは思いつつも、その後のバズコックスはポップで親しみのある楽曲をパンク的疾走感で包み込む、そのバランス感覚とセンスで突出していたバンドとして確固たる地位を築いた。彼らに影響を受けたバンドも実に数多く存在しているだろう。

で、この「Everybody’s Happy Nowadays」は彼らのキャリアではもう中盤以降の79年に発表されたシングル。10枚目くらいか?
個人的な思い出を語るならばこのシングルはROCKHURRAHが北九州から東京に出てきた一番最初に買ったレコードだった。まだ住むところもなく友人の家に居候してた頃(この記事参照)、当時は恵比寿にあったパテ書房という古本屋&レコード屋を探して歩いて、そこで購入したもの。何もそこに行かなくても当時は輸入盤屋とかでも入手出来たはずだけど、行った記念みたいなものでね。
帰って友人U尾と彼女のY里ちゃんと三人で聴いたのを思い出す。バズコックスをたぶん知らないはずのY里ちゃんがサビを真似して歌ったのに驚いたもんだ。要するに初めて聴いても一緒に歌えるキャッチーなメロディという実証ね。

ハワード・ディヴォートの歌い方を踏襲したピート・シェリーだったがヴォーカリストとしての力量はとても覚束なく、いつ破綻するかのスレスレの線で歌っていて聴衆の方がヒヤヒヤしてしまうくらいの素っ頓狂な歌。
レコードはまあその中の一番いいテイクを使ったんだろうが、これがライブともなるとスリリングさ満点のものになる。
今回のライブ映像もあまりのヘタレ声、ちょっと頭おかしいんじゃないの?と思えるくらいの歌いっぷり思わずに笑ってしまうような出来で、初めて見た人はビックリするんじゃなかろうか?もはやヤケクソとしか思えないヴォーカルがすごい。
これはまた別の意味で「もしかして街中で見かけるハッピーな人なんじゃないか?」という恐るべき映像だな。

前も「俺たち○○シリーズ」なのに女性ヴォーカルの曲を選んでしまった事があったけど、男のバンドばっかりだと制約になってしまうから、もはや「俺たち」にこだわる必要はないとの結論に達したよ。いいかげんだな。

というわけで80年代前半のハッピー隊としてはこれを出さないわけにはいかない、オルタード・イメージズ1981年のヒット曲「Happy Birthday」だ。ニュー・ウェイブ界の本格的アイドルとして好き嫌いは抜きにして知名度は高いバンドだろう。

この当時のイギリスの主流だったニュー・ウェイブの世界で女性ヴォーカルは色々存在していたけど、どちらかというと男勝り、または奇抜すぎなのが多かったなという印象。
ROCKHURRAHの記憶を呼び覚ましてみてもリディア・ランチ(イギリスではないが)とかビッグ・イン・ジャパンのジェーン・ケーシーとかが自分の中のアイドル的存在ではあったけど、一般で言うところのアイドルとはかけ離れてるし、そもそもこの時代に彼女たちの動いてる姿さえ観ていない。わずかの写真やインタビュー記事、そしてレコードだけで勝手にファンになってしまっただけだ。

オルタード・イメージズの紅一点、クレアちゃん(SNAKEPIPEがいつもクレアちゃんと言うのでROCKHURRAHもなぜかちゃん付け)はそういう風潮の中、アイドル的だけどちゃんとニュー・ウェイブという括りで語れるところが新鮮だったのかもね。
スコットランドのグラスゴーで結成された5人組でクレアちゃん以外のメンバーはあまり存在感なく、メンバーが変わっても気付かないだろうな。女性ヴォーカルのバックバンドというのは大体がそういう傾向にあるのかな?とも思ったが単にROCKHURRAHが人の顔を覚えられないだけかも。
元々はスージー&ザ・バンシーズの追っかけから始まって、本当にツアーの前座に抜擢されたというラッキー過ぎる経歴を持つバンドだが、そのバンシーズのベーシスト、スティーヴ・セヴェリンがプロデュースしたアルバムも売れたはず。なぜかヒットした「Happy Birthday」だけはバズコックスとかをプロデュースしていたマーティン・ラシェントのプロデュースというところが気になるな。
デビュー曲とかは割と暗くてスージー&ザ・バンシーズの影響を感じるけど、この曲は元気ハツラツでバンシーズっぽさはないもんなあ。バンドのやりたかった方向性とレコード会社の売りたかった路線の違いに「修正感」を感じるのは気のせいかな? 
確かに1981年当時の女性シンガーの中ではクレアちゃんはキュートな部類に入るけど、やっぱりアイドルっぽく売りたかったんだろうなと勝手に想像するよ。 

代表曲は何度も書いたから誰でもわかる通り上の「Happy Birthday」。
全英2位に輝いて一躍オルタード・イメージズの名を全国に広めたが、当時よくあった一発屋ではないんだよね。
このバンドはさらなるハッピー隊向けの楽曲を作ってクレア、じゃなかったくれた。

「I Could Be Happy」は「Happy Birthday」に続く曲なんだが既に飽きられたのか、前曲ほどにはヒットしなかった。この辺からゆるやかな下降が始まっていて83年にはもう解散してしまった。結構短命なバンドだったな。
ウェディングドレスみたいな衣装で大きなリボンをつけた姿は良かったが、この踊りや振り付けのせいで垂れ下がって、日本で言うところの幽霊みたいになってしまったのが惜しまれる。いい娘だったのにね。

さて、お次のハッピー隊はこれ、ボルショイが1985年にリリースした「Happy Boy」だ。
ボルショイと聞くと即座にサーカスと連想してしまうが、ボルショイもボリショイも綴りは同じなんだね。
このバンドもボリショイと呼んだ方が耳馴染みはいいと思うんだがなぜかボルショイ。どうでもいい数行だったな。

今どきは隣町にサーカス団がやってくる、なんてシチュエーションは滅多にないと思えるが、ROCKHURRAHが子供の頃はまだまだサーカスの巡業も盛んだったな。懐かしき昭和の風物詩だよ。
少年時代に好きだった漫画「夕焼け番長」にもサーカスの少年とのエピソードがあったのを今でも覚えてる。
空中ブランコの姉弟が巡業先で一時的に転校生となって学校にやってくる。プロだから鉄棒の大車輪以上の大技も軽くこなせるけど弟は暴力的でイヤなヤツ。
その前のエピソードで主人公、赤城忠治が死力を尽くして倒した少年院帰りのワルのパンチを軽く受け止め、握力で逆に拳を締め付けるところには「なるほど」と感心したものだ。空中ブランコで姉の体重を受け止めるからものすごい握力になってるわけ。こんな強敵と戦う羽目になってしまうというストーリーだが、70年代の梶原一騎原作の典型的パターンだったな。
ボリショイから連想して全然違う話になってしまったよ。

そのバンド名の割には特にロシアとは関係ないイギリスのバンドがこのボルショイだ。ロシア語で大きいという意味らしいよ。そのバンドが日本で初めてお目見えしたのがミニ・アルバムの「Giant」、英語で巨人、巨大なものを表すのはみなさんご存知だが、よほどの大物好きだったのかね?
カラフルだけどあまり見かけないような独特の色調のジャケットも気にっていた。フレッシュ・フォー・ルルのアルバムもそういう雰囲気で好きだったから、ROCKHURRAHはもしかしたら色調に反応するタイプなのかも。

彼らがデビューした時期はもうネオ・サイケもポジティブ・パンクも下火になった頃だったが、後期バウハウスの雰囲気を残したような曲調でこの手のが好きな人間にとってはなかなか理想的なバンドだった。この「Giant」の中の「Boxes」とかは愛聴したもんだ。ところが一年後の「Away」でU2とかのメジャー受けしそうな路線になってしまい個人的には「どうでもいいバンド」に成り下がってしまった。あくまで個人の感想なので人によってはこっちの方が断然いいと思えるかも知れないけどね。

Happy Boy」はそのミニ・アルバム「Giant」にも収録されているしシングルにもなった曲。この頃はまだメジャー受けしそうな曲調ではないし、途中が実写に着色したアニメ調になってるビデオもなかなか雰囲気あるね。
ただしこのヴォーカルがすごく信用出来ない顔立ちで絶対に金を貸したくないタイプ。割と美形で人気もあったとは思うけど、女性ファンは騙されないように気をつけた方がいいよ。などと今この時代に言ってももう遅いか。

本当はもうちょっとハッピー隊があったんだけど、今日はあまり時間がなくなってしまったのでここでおさらばするよ。相変わらず時間の使い方がヘタなので、これを改善するのが今年の抱負かな。

ではまたドヴィヂェーニャ(クロアチア語で「さようなら」)。