CULT映画ア・ラ・カルト!【05】恨み・女任侠編

【お色気玲子とクールな芽衣子。どちらがお好み?】

SNAKEPIPE WROTE:

今回のCULT映画ア・ラ・カルト!は70年代の女ヤクザ映画でテーマが恨みになっている2つのシリーズについて特集したいと思う。
恨みと言えばこの人、ご存知梶芽衣子
そしてもう一人は池玲子
二人がそれぞれ主演した「修羅雪姫」と「姐御伝シリーズ」について書いてみよう。

まずは「修羅雪姫」から。
これは小池一夫原作、上村一夫の漫画が元で、映画化されたのが1973年。
その漫画は未読のSNAKEPIPEなので、どこまで原作に忠実でどこが違っているのかを書くことができないのが残念だ。
時は明治時代、日露戦争の後が舞台になっている。
SNAKEPIPEには時代考証などは所詮無理な話だけれど、それにしても明治時代にこんな女性刺客がいたとはびっくり!

簡単にあらすじを書いてみよう。
あまりに不当な理由で亭主と子供を殺された女が、殺したメンバーの一人を殺害し投獄される。
そして復讐を託すために獄中で子供を産む。
雪の降る日に生まれたからという理由で名前は雪という女の子だ。
出産後に母は帰らぬ人となる。
修羅の道を行く運命を背負い母の恨みをはらす目的で生まれてきた子供、という設定だ。
恨みをはらす、というのは母の亭主を殺した残りの3人を同じ目に遭わせるというものである。

獄中で母親に「雪をよろしく」と頼まれた女が幼い修羅雪を連れて行った先がお寺。
そこの和尚さんが剣豪だったため特訓を受けるのだ。
寺の和尚さんが殺人マシーンにするために少女をしごくシーンがすごい!
しかも和尚さん役は水戸黄門様で有名な西村晃
ますますギャップを感じてしまう。
普通に考えて和尚さんが復讐に手を貸すというのは設定としておかしいと思うけれど、映画ということで良しとするか。(笑)
とても女の子相手とは思えないほどキツい特訓を受け、雪は剣の腕を上げ、空中で回転するような技も身につける。
こういうアクロバット的な要素も含まれているので、アクション映画として観ても面白いんだよね。

そして成長した修羅雪は女刺客として「その道」で有名で、いろんな仕事を請け負って生活しているようだ。
そのため賭場にも自由に出入りできて、壺振りまでやってるからすごい!
「入ります」「よ、ござんすか」のあれ、ね。
ここら辺はヤクザ映画らしいシーンで、梶芽衣子は凛とした雰囲気があるからよく似合っていた。
ふすまが花札の柄になっていて、その前に座る白黒の縦縞の着物を着た修羅雪がとてもカッコいい!

話の途中から登場する新聞記者役の黒沢年男演じる足尾龍嶺。(若い!)
なんと特訓をしていた和尚の知り合いで、修羅雪の身の上を知ることになる。
いつしか修羅雪の味方のような存在になっていく。
が、とても悲しい事実が発覚。(ここではあえて言わないでおこうか)
修羅雪は少しは心を通わせていたと思われる足尾龍嶺に対しても、ほとんどためらわずバッサリ。
恋愛よりも当初の目的「恨みをはらす」ほうが先、という初志貫徹ぶり!
シビれる~!

修羅雪の母の恨みをはらす目的は成就し、めでたしめでたし。
とならないのは次回作があることでも分かるよね。
修羅雪はすっかり「おたずね者」になっちゃって。

というところから始めるのが「修羅雪姫 怨み恋歌」1974年公開作品だ。
前作からの続きなので、時代設定などはもちろん全て同じ。
「日本勝った、日本勝った、ロシア負けた~」
なんて歌を子供が歌っているシーンも出てきた。
あの歌は本当にあったのかな?

修羅雪は警察に追われ続け、ついに御用となってしまう。(表現古い?)
37人を殺害した罪ということで絞首刑を言い渡されるが、執行当日に何者かの手により身柄を拘束されてしまう。
「命の恩人」と思った人物は、修羅雪の腕を買い仕事をしてもらいたいと切り出すのだった・・・。

と、まるでWikipediaのあらすじのような書き方をしてみたけど。(笑)
囚人として馬車で移送されている修羅雪を開放しに来た賊(?)が面白かった。
時代ということを考えてだろうけど、「おかめ」の仮面を付け帽子をかぶり馬に乗って来るのだ。
せめて般若の面くらいにして欲しかったんだけどね。
ちょっと間が抜けて見えたのはSNAKEPIPEだけかしら?(笑)

仕事の依頼をするのが秘密警察所属の岸田森演じる菊井。
あまり岸田森が出演している映画って観たことないんだけど、すごい役者さんだね。
まずは顔がすごい!
ドラキュラ役、と聞いて納得だね。
この菊井という男が非常に嫌なヤツで、修羅雪のライバルといったところか。

今回は原田芳雄が修羅雪の淡いロマンスの相手といった役どころで登場。
無政府主義者(アナーキスト)、明治時代当時は反政府主義者とみなされ、いつでも警察にマークされている兄(伊丹十三)がいる設定だ。
この伊丹十三の妻役として吉行和子
この映画で吉行和子の濡れ場を見ることになるとは思いもよらなかったわい。(笑)

今回の修羅雪は前回よりも更にアクション度アップ!
着物姿の女で馬にまたがるのは初めて観た!
横座りじゃなくて、またがってるとこね。(笑)
坂を下りながらの殺陣シーンは難しかったんじゃないかな。
海際での波しぶきをあげながらの横走り殺陣はチャンバラではお馴染みだけど、キレイな女性でのバージョンはあまりないよね。
ラストの急な階段での殺陣。
梶芽衣子は「他の役者さんが上手に動いてくれただけです」なんてインタビューで答えてたけど、動きがきれいでとても様になっていると思う。

ラストではまたちょっと心を通わせていた原田芳雄を背中から一突き!
今回は「とどめをさす」のが「優しさ」ともいえたけど。
修羅雪はどうも恋愛が似合わない設定みたいね。

心の中にメラメラと炎が燃えてるのに、ぐっと睨みつけるまなざしだけで表現ができる女優はあまりいないと思う。
もしかしたら日本特有の文化なのかもしれないけど、仁義な世界というのはストイックな感じだからね。
タランティーノ監督が修羅雪姫から影響を受けて映画を製作した、というのは分かる気がするね。

さて続いては梶芽衣子にはないものを持った女優、池玲子の登場だ。
池玲子って誰、という人が多いと思う。
たまたまROCKHURRAHが石井輝男監督について調べている時に知った女優だったのだ。
石井輝男はこのブログで何度か紹介しているけど、カルトな映画をたくさん残したお気に入りの監督である。

「不良姐御伝 猪の鹿お蝶」は1973年の東映作品。
普通のヤクザ映画かと思いきや、観始めて5分もしない内にびっくりする。
なんと池玲子、全裸で殺陣!(笑)
入浴シーンからいきなり襲われ、反撃に出るという設定だったから不自然ではないにしてもタイトルバックが始まる前にすでにお色気満点!
雪が降る中を全裸でバッサバッサと斬りつけるのは、なんともお見事。
一体どんな展開になるのかとても楽しみになる。

池玲子扮する葛西杏子、通称「猪の鹿お蝶」は子供の頃に目の前で父親を殺される。
父の恨みをはらす、というストーリーである。
時代設定も明治時代の同じ頃、身内の恨みをはらすために女が頑張る、という大筋も前述の修羅雪姫とほぼ同じ!
ただどちらも同じ1973年公開作品で、どっちが先なのかよく分からなかった。

梶芽衣子の修羅雪姫は剣の腕前で悪人をなぎ倒していったけれど、池玲子の猪の鹿お蝶は使えるものはなんでも使う。
武器はドスも拳銃も使う。
相手が敵と分かっていても、自分の肉体まで差し出しとどめをさす。
女だからできる、いや女ならではの方法で手段を選ばず目的達成するところが梶芽衣子との大きな違いだ。

そしてその脱ぎっぷりの良さには恐れいってしまうほど。
ヌードモデルをやっていたというだけあって、さすがに整ったプロポーション。
演技力もあって、殺陣の動きもいい。
池玲子、すごい!とすっかりファンになってしまった。(笑)

お色気シーンあり、でもやっぱり任侠の道も忘れてないのよ、というミックス感が新しい感じがする。
明治時代だから鹿鳴館、と外人がいっぱい出てくるのも珍しい。
スウェーデンの女優クリスチーナ・リンドバーグまで出演しているし。
セリフが英語になっちゃうところもあって、国際的な映画でもある。

最後にどんでん返しがあったけれど、猪の鹿お蝶は当初の目的である父の仇を討つ。
雪の降る中、足をひきずりながら歩いて行くところで終了。
一体猪の鹿お蝶はどうなっちゃったのか、と想像にお任せしますというラストね。

次回作の「やさぐれ姐御伝 総括リンチ」も1973年と同年の作品だ。
こちらの監督が石井輝男。
1年のうちに2本も撮ってるってすごいパワフルだね!

今回の姐御伝シリーズは前作の続き、というわけではなくて別の物語が進行する。
池玲子の「猪の鹿お蝶」という設定だけが同じ。
麻薬密売しているヤクザにお蝶が関わる話である。

今回はタイトルバックの殺陣のシーンで、またまたやってくれてる池玲子。
誰も着物に刀入れてないと思うのに、どんどん着物が脱げていつの間にか全裸に。(笑)
池玲子=全裸殺陣の構図が出来上がったね。
面白過ぎだよ!

麻薬取引に利用された女スリ集団やまた別のズべ公グループ(死語)など、女ばかりの集団が入り乱れ、その時代にこんなに悪さをする女が多かったのかなと疑問。
最後にはそれらの女集団が一丸となって麻薬密売ヤクザを撲滅するために立ち上がる。
そしてその時にまた全員がわざわざ脱いじゃうところがおかしい!
あまり必然性がないところでヌードお披露目があるんだよね。
その昔「女ばかりの水泳大会」などでよく「出ました、ポロリ!」なんてヤラセ放送があったけど、そんなの目じゃないほどの女全員脱ぎまくり!(笑)
あそこまで「あっけらかん」としていると笑いになるから面白い。

前作に比べると「恨み」の度合いが低いため、壮絶感はあまりない。
いくつかの女集団が出てきたことで話も複雑になっていて、スカッとしない。
この映画の魅力は池玲子だけ、かな?(笑)

梶芽衣子と池玲子、名前も似てるし。
恐らく梶芽衣子の向こうを張るような女優として存在してたのかなと想像する。
今回の修羅雪姫と姐御伝も役柄に近いものがあるしね。
他にも梶芽衣子主演の「野良猫ロック」に対抗したと思われる池玲子の「女番長ブルース」があるので、またの機会に書いてみたいと思う。

ヒートパンクでぶっ飛ばせ!

【ギャグで作ったBINARY ARMY新商品(うそ)】

SNAKEPIPE WROTE:

11月でも暖かい日が続いたかと思ったら、ここのところ急に冬らしく寒くなってきましたな!
寒がりのSNAKEPIPEは防寒対策万全にしないと!
アウターはもちろんだけれど、インナーにも気を遣うこれからの時期。
周りを見渡せば目に付くのが「あたたか○○」という文字。
この言葉、弱いのよね~!(笑)
そして「あたたか」インナーの知名度ナンバーワンであり、このインナー戦争の先陣を切ったのはユニクロのヒートテック。
薄手だけど温かいと評判だったので、是非試したいと思った時にはすでに完売。
結局手に入れることができなかったため、今年は発売された9月に購入。
やっと着用し、感想が書けるようになった次第。(笑)
寒くなった、とは言っても真冬の厳しい本当の寒さとまではいかない今だからかもしれないけど、確かにヒートテックは温かいかも。
あの薄さでは想像できない温かさ、というギャップが余計に温かいと感じさせるのかもしれない。
1月2月の寒さに対してはどうなるのか、今から楽しみである。

ユニクロのヒートテックは大ヒット商品で、「ユニクロ一人勝ち」なんて記事を見たこともある。
購買側である消費者は単なる記事として見たり読んだりするだけだれど、その記事で悔しい思いをしているのはユニクロの同業者、販売側だろう。
ユニクロに続け、とばかりにクリソツ商品を開発し自社オリジナルとして販売しているようだ。
軽く調べただけでも以下のように種類豊富。

西友の「エコヒート」
ファッションセンターしまむらの「ファイバーヒート」
イオン「ヒートファクト」
イトーヨーカドー「パワーウォーム」
セシール「スマートヒート」
ワールド「ホットビート」
ニッセン「ヒートアルファ」
ミスターマックス「ヒートモーション」

うーん・・・。
ヒートテックに続いてのネーミングだからとは思うけど、みんな「ヒート」という言葉を入れてるのね。
ユニクロ商品に近い品質ですよ、ということもアピールしたいんだろうけど・・・。
どうしても二番煎じ感があるね。
よくぞここまでヒートに絡めた言葉を考えたもんだ、と笑いまで出てくるし。(笑)
ウチでも笑えるネーミングで「あたたかインナー」をギャグで作ってみよう、とROCKHURRAHが創作してくれたのが上の写真。
温かさに加えて除菌効果があり、冬でも軽やかな足取りで寒さを乗り切りましょうという逸品。
分かる人には分かるだろうけど、レッド・ホット・ロッキン・フッドのジャケットパロディね。
クラッシュじゃないからね。
除菌でジョーキングか。プッ!
こんなのあったらいいかもね?(笑)

続いてはアウター編。
秋から冬になって少し寒くなってくると俄然元気が出てくるROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
レザーはいろんな時期で着ているから冬ならでは、の素材ではないので特別な感情はない。
これからの時期威力を発揮するのがフライトジャケットである。
SNAKEPIPEは元々高校生の頃から上野の中田商店で買い物をするような軍物好きだったけれど、ROCKHURRAHの影響でより拍車がかかっている。
フライトジャケットとはその名の通り、軍用機に搭乗するパイロットが着ていたジャケットのこと。
MA-1やN-3Bを着ている男性はよく街で見かけるよね。
軍関係の洋服や小物類はハイテックな素材を使用し、機能性に優れ、デザインもシンプルで素敵!
NASAが開発した新素材、なんて言葉に滅法弱いROCKHURRAHとSNAKEPIPEにとって軍関係物はワクワクする世界である。
軍にはご存知のように陸・海・空と3つの種類があるけれど、その中でも空軍のジャケットがお気に入りだ。

その昔SNAKEPIPEはとある量販店でMA-1のグランドクルー用(整備する人用)を手に入れていた。
これはかなり小さめサイズで着心地が良く、シンプルなデザインでコーディネイトし易かったため気に入っていた。
これ以外のMA-1はどれを着てもしっくりこなかった。
ROCKHURRAHがバズリクソンズのMA-1を持っていたが、「丈が短い」という理由でSNAKEPIPEにくれた。
せっかく高い買い物したのにね!(笑)
ちなみにROCKHURRAHはこれ以外にも「丈が短い」もしくは「丈が長過ぎる」ジャケットを多数所持。
何故だか丁度いい着丈にめぐり合わないようで。
そして短か過ぎた場合はSNAKEPIPEが着ることになるのだ。うひひ。(笑)

バズリクソンズの肉厚感と温かさを実感してからはSNAKEPIPEもフライトジャケットの魅力の虜になった。
今ではROCKHURRAHと二人合わせるとかなりの数を所持している。
軽くそれぞれのジャケットについての感想を書いてみようか。

MA-1 スカジャンなどと同じデザインで、クセがなく着易い。
初期型と裏がオレンジの後期型では随分雰囲気が変わるので、重さやデザインにもかなりの違いがあるよう。
メーカーによっても、作られた時期によっても丈の長さや横幅に違いがあるため着比べて一番合うものを選びたいね。
CWU-45P MA-1に続いて購入したのがこれ。
フラップがベルクロになっている大きなポケットが非常に使い易い。
MA-1のポケットにちょっと不安を感じることがあったため、このポケットには大満足!所持しているのはノーメックス(耐燃素材のこと)ではないけれど、MA-1より温かく感じる。
もしかしたら細身のタイプだったからか?
CWU-45Pには小さめの丸い襟が付いててかわいいんだけど、本当に寒い時期にはちょっと物足りない。
そのためSNAKEPIPEはムートンで取り外し可能な襟を制作。これで更に機能性とデザイン性アップ!最高だね!(笑)
N-3B これ、街でぶかぶかな大きさのセージグリーン色を着ている男性よく見かけるよね。
どうにもこの「ぶかぶか」加減がカッコ悪くて嫌だったので、SNAKEPIPEは子供用を購入。
小さめで着るととても良かった。(笑)
というか子供用は通常売られていないのかもしれないね。
あまりヴィンテージとか正規品にこだわりがないので、自分が気に入れば良い、と考えているからこれでオッケー!さすがにヘヴィゾーン用(-30℃まで対応)とされているだけあって、抜群の保温力!
ROCKHURRAHは名門グリーンブライヤー社製のいいN-3Bを愛用してたらしいけど、これまたサイズが大きかったため人にあげてしまったらしい。
ずっとN-3Bを欲しがっていたけれど、今年ようやく購入。
やっぱりちょっと大きいけど。(笑)
B-10 SNAKEPIPEが購入したのはB-10をモデルにしたアメリカ古着の恐らく子供用。(笑)
襟部分にファーが付いているため、ある程度の寒い季節にならないと着られないけれど、厚みはMA-1程度。
実はあまり役に立たないけれど、かわいいからオッケー!
ROCKHURRAH所持もB-10モデルの偽物。(笑)
コピー品ではなく、B-10をアレンジした全くの別物というところか。
襟のファーが異常なまでにゴージャスで、いきなり成金っぽくなってしまう。
成金っぽいB-10ってどうなの?(笑)
B-15 ROCKHURRAH所持の紺色のB-15Cは、かつてマリリン・モンローが着た写真で有名なタイプ。
初期型はナイロン素材じゃなくて、コットンツイルのものでジッパーが中央ではなくカッコいい。
B-15は何故かサイコビリーの方がよく着てるね。
防寒性は抜群だけど、ドカジャンとの区別がつき辛いため着用の際に注意が必要かも。(笑)
B-3 以前「劇的ビフォ→アフターpart2」でも書いたことがあるけれど、古着屋でダサいB-3を購入し、それをM-445タイプにリフォームした逸品!
ってことでB-3として書くのはヘンか?(笑)
SNAKEPIPEもずっとB-3のムートン狙ってるんだけど!
こんなに寒がりなんだから持ってないとね?(笑)
防寒着としてはチャンピオンだろう。
N-2B たまたま古着屋で小さいサイズを見つけて購入したものの、まだ一度も手を通していないため温かさや着心地について書けないのが辛い。(笑)
その昔渋谷に大勢いたチーマーがよく着用していたのを目にしたな。
このタイプはフード部分が大きな襟にも変わるので、恐らく肩部分はかなり温かいだろうね。
これから着るのが楽しみ!
N-1 これは番外編で、フライトジャケットなくて海軍のデッキジャケットなんだけど!(笑)
表地はコットン、裏地はモコモコで温かな逸品。
さすがに海で寒くない仕立てになっているため、風や冷たい空気の進入を極力防ぐように設計されている。
寒い冬にもってこいのデザインだね。ROCKHURRAHが所持しているのはCOMFORTEMPという素材のもので、自動的に快適な温度に調節するハイテク機能の優れもの。
ご丁寧に温度計まで付いてるし。(笑)
軽くて温かいけど、膨らんで見えるのが玉にキズ。

こんな感じで、フライトジャケットについて書いてると軽くてもこんなに長くなってしまった。(笑)
SNAKEPIPEは「うんちく」までは語れないけれど、少しでもその魅力をお伝えできたらいいなと思う。
まだまだ持っていないタイプはいっぱいあるので、いつか全てのフライトジャケットを所持してみたいものである。
今回はアメリカ軍についてだけ特集したけれど、ヨーロッパ軍物もとっても素敵なので、これもコレクションしたいな!
ただし国別にしないとダメだからコーディネイトが難しいけどね。(笑)

JUMPIN’, KICKIN’, TWISTIN’ SHOES

【髪型と靴は外せない最重要アイテム】

SNAKEPIPE WROTE:

今までメガネ、帽子、髪型と音楽に関わりのある分野の特集を記事にしたことがある。
今回はこれも音楽と密接に関わっているアイテム、靴を取り上げてみよう。
最近はあまり主義主張を靴に求める人は少なくなったのかもしれないが、80年代は靴を見ればその人の好きな音楽や主義などを垣間見ることができるほどの重要アイテムだった。
かくゆうSNAKEPIPEも子供で貧乏だったけれど(今は大人で貧乏か)靴だけは絶対に外せない、妥協してはならないお洒落アイテムと考えていた。

その頃履いていたのはROBOTのラバーソールだった。
少しゆるめの裂け目のあるボロボロのジーンズをロールアップして履くラバーソール。
この時に靴と同じように重要なアイテムはソックスだった。
格子柄やボーダーなどのなるべく派手目のソックスと組み合わせるのがポイント。
当時は今と違ってそこまで派手なソックスは少なかったのでよく歩いて探したものだった。
その足元にツンツンとんがりヘアで充分パンクを演出できた。
お小遣いに対してROBOTのラバーソールは目ん玉飛び出るほど高くて、それでも欲しくて欲しくて買った一番の宝物だった。
SNAKEPIPEは写真のような一番オーソドックスなタイプしか持っていなかったけれど、なんとROCKHURRAHはハラコタイプや色違いで何足も所持していたというから驚くじゃありませんか!
今よりお金持ちだったのね。(笑)
今はラバーソールといえばGEORGE COXが有名でネットでも買えるけれど、80年代には原宿に直営店があったことからA STORE ROBOTがダントツ人気だった。
竹下通りにパンク御用達の丸玉商店という店があり、そこでGEORGE COXが買えた。
日本製のラバーソールといえば今では知る人ぞ知る、COZO COMPANYがなかなか良いのを作ってたらしい。(ROCKHURRAH談)
ラバーソール=パンクというわけではなくて、前述したように髪型や服装が組み合わさってパンクになるのよね。

ラバーソール履いてリーゼントだったらロカビリーだし。
ラバーソールのトゥ部分が細めでコンビネーションだったりして、パンクのバージョンとは若干の違いがあったりするみたい。
ただしこれはネオロカ以降のことらしい。
それ以前の本格派ロカビリーはダブルコバの靴を履くとか。
ダブルコバって何、という方のために簡単に説明をすると靴のヘリ部分のステッチが2重になっている靴のこと。
結局ワンサイズ外側にせり出した形の靴で、ロカビリーの人は好んでこういう靴を履いていた。
昔は代官山にジュビリーという店があって、全国のロカビリアン達の憧れだったようで。
なんとここでも出てくるROCKHURRAHの自慢(?)だけれど、そのジュビリーシューズの赤いスウェードを持っていたとか!
ボーリングシャツにズートパンツなどとコーディネイトするのがお気に入りだったとのこと。
ROCKHURRAH、ネオロカもやっていたとは!
その高価なジュビリーシューズはあっさり捨ててしまったというから恐るべし。
でもズートパンツはずーっと穿けないしね。(笑)

続いては編み上げブーツタイプ。
編み上げブーツで有名なブランドといえばDr.MartensやGetta Grip!
マーチンやゲッタグリップ(ここからカタカナ表記)はパンク、スキンズ、ハードコア、サイコビリーなどなど攻撃的な音楽を好む人々が愛用している靴だ。
今でこそマーチンなどは靴の有名量販店でも軽く手に入ってしまうブランドになっているけれど、80年代はあまり日本に輸入されていなかったと思う。
SNAKEPIPEも原宿で見つけて大喜びで購入したっけ。(遠い目)
ROCKHURRAHもROBOTで買ったのが最初だったとのこと。
靴ヒモの色を黄色や赤に変えて、よりパンクっぽさを演出したものだ。
トゥ部分のスチールを露出させるスタイルが流行ったこともあったっけ。
懐かしいな。(笑)

マーチンに比べるとゲッタグリップはアーミーっぽさが強まるため、ゴツさ倍増!
ちょっとぶつかったり踏まれたりしたくらいじゃビクともしない頑強さは素晴らしい。
ROCKHURRAHはサイコビリー時代に迷彩柄のツナギと合わせて履いていたとか。
今でもSNAKEPIPEもROCKHURRAHもライブに行く時によく履く靴である。
満員電車とか人混みにも怖くないのでお薦めの逸品。(笑)
ただし!ゲッタグリップのHPを確認したところ、編み上げタイプは売ってないのかな?
しかもMADE IN ENGLANDは廃版になっている模様。
これはマーチンも状況が同じで、現行品はMADE IN CHINAに変わってしまっているようだ。
ちょっと風格がなくなっちゃったなあ、と悲しい気分である。
ENGLAND製、持ってて良かった。(笑)

ここで例外(?)を挙げるならば、パンクの中でもスニーカーがトレードマークのバンドのこと。
ご存知、ラモーンズ
ラモーンズはメンバーの苗字が同じだし、ほとんど似たような服装でまるで4つ子状態。
アメリカンタイプのライダースにTシャツ、ジーンズ、ジャック・パーセルのスニーカーがお決まりのスタイル。

最初に書いたように、現在は靴を見てもその人の主義主張を感じることが少なくなっている。
最近は「ロックテイスト」なる不思議な言葉が流行ってるようだし、実際に「ロックテイストな靴」は昔のヘヴィメタルの人が履くような靴だったりする。
生き様と主義主張とファッションが組み合わさることでパンクなのよ!
トレンドやマストアイテムが必要なもんには負けんばい!(笑)

昔の名前で出ています、か?(其の一)

【異界の場末にて好評営業中のROCKHURRAH RECORDS!】

ROCKHURRAH WROTE;

今週は本業なんだか趣味なんだか、今ではROCKHURRAH RECORDSなどという看板を一応掲げて細々と通販やってるROCKHURRAHがその昔に通っていたレコード屋について語ってみよう。今回はちょっと自伝風。

本当は「あのレコード屋はどこに行っちゃったんでしょうねぇ」というような文章にする予定だったんだが最近レコード屋通いも全然ご無沙汰、つまり消えてしまったところも実はまだ現存するところも知らない状態なので消えたレコード屋特集とはならなかった。おそらく日本一音楽雑誌を読まない現役レコード屋(?)であるROCKHURRAH、自慢にもならないが簡単に言えば情報不足というわけだ。

今でもレコード・コレクターと呼ばれるような人間はいて、各地で掘り出し物を見つけて狂喜している事と思う。ただ可哀想なのは最近ではそういう人々がはしご出来るほどに店の数が多いわけじゃないし一日レコード屋巡りをしても収穫は少ないに違いない。
インターネットが普及した90年代後半以降はコレクターが欲しがるようなレコードの流通価格が平均化してしまい、西新宿で買おうが西大路で買おうが要するに日本全国値段は変わらないというような状況、これじゃあ面白くも何ともないもんだ。時代は加速をつけてつまらない方向に向かっているな。

ROCKHURRAHが音楽に目覚めてレコード屋通いをはじめた頃はまだ音楽も文化も渾沌の時代だ。地元小倉からわざわざ高速バスに乗って福岡のレコード屋まで仕入れに行っていた。東京よりは出島が近いってのに、南蛮渡来の輸入盤屋なんてものは北九州にはロクになかったからだ。
その頃福岡でお目当てのレコード屋とくればレコード・プラントKBCとベスト電器の中にあったサウンド・ベストの2軒だった。当時の天神を知る人は納得してくれよう。知らない人も多かろうから軽く書いてみよう。

KBCは九州朝日放送、つまりテレビ朝日の九州版といった放送局のことで、その電波塔の下で輸入盤屋をやっていたのだ。九州では(たぶん)いち早くタワー・レコードKBCとなった(その後に出来たタワー・レコードとは別物)し、その後にはトラックスという名前で福岡の音楽シーンを盛り上げた伝説のレコード屋だ。その他の年代はスコーンと抜けてるがパンク、ニュー・ウェイブの時期には随分通ったもんだ。
センスの良い展示の仕方と音楽に対する情熱、愛情のこもった店でROCKHURRAHの音楽遍歴のルーツとも言える店。今でも愛聴しているJoy DivisionThis Heatになぜか同日に巡り合ってしまったのもこの店だ。Pere Ubuとの衝撃的な出会いもここだったなあ。
個人的な付き合いは特になかったけど後のトラックスの店長Tさん(当時はここで働いていた)の事を知らなければ、もしかしたらROCKHURRAHは今のような人生を送ってなかったかも。

サウンド・ベストの方はさすがに記憶もあやふやなんだが、関東方面にもちらほらある家電量販店ベスト電器(福岡が本店)の中のレコード・コーナーがここだった。
どこの家電量販店にもあるCDコーナーみたいなもんか?と多くの人が思うだろうが、それが大違い。売り場主任なのか何なのかよくは知らないが博多弁でまくし立てるその人がなぜか好き勝手にパンク始めました、という風情の店作り、量販店の中でこれは尋常じゃないと思ったものだ。特に当時の福岡ではあまり手に入らなかった7インチ・シングルを多く扱っていたのがパンク的で良かった。
最初は「何この店?変わってるな」という感覚で買ったんだが、レジでいちいち買ったレコードにマニアックなコメントを言ってくれる。量販店の中だから無論店員さんもパンクな髪形でも服装でもない、なのにスピリットはパンクそのもの。そのミスマッチが面白くて通ったものだ。
KBCではニュー・ウェイブをメインで、サウンド・ベストではパンクばっかりという同時進行で音楽を買い漁っていたのが当時の楽しみだった。スタンプ・カードがいっぱいになって最初に引き換えで貰ったのがプラスティック・ベルトランの1stアルバムだというのもいかにもROCKHURRAH的だと思える。

この人は後に独立してセブンティーズ・レコーズという素晴らしいレコード屋をはじめたんだが最初は神社の鳥居をくぐったような怪しい飲み屋ビルの片隅でやっていた。ゴミのような風景に妙にマッチしていてここも大好きな店だったんだが、レコードに付いているコメント、キャプションの類いもローカル色豊かで「こげん凄かレコード、買わな損ばい」などという感じ。博多弁は博多っ子ではないROCKHURRAHがテキトウに書いたのでそういった雰囲気だと想像して。
この店はROCKHURRAHがその後上京して東京で働いている間に火事で焼失してしまったらしい。盆や正月に帰省してセブンティーズに行くのが楽しみだったのに。
その後別の場所で復活したんだが、音楽への熱い意気込みを貫いた尊敬出来る大先輩だと言える。

この後、ROCKHURRAHは永らく東京で生活することになるんだが、長くなりそうなんでその東京編は次回という事にして今回は博多編のみにしておこう。

ごく短い期間ではあったが東京から出戻りだったROCKHURRAHは小倉よりは都会っぽくて住みやすそうな福岡に住んでいた。ここで運命の導きにより(大げさ)前述のレコード・プラントKBCと再会してしまうのだった。去年のブログ「マルワランド・ドライブ」で書いた通り、テキ屋一家に連れられて巡業していた後の話。
縁があってそのKBCが当時やっていたトラックスというレコード屋で働く事となったのだ。トラックス自体はすでにあったんだが、ちょうどその時、天神に新しく出来た大型ショッピングモールのワンフロアまるまる使って巨大レコード屋に生まれ変わろうというリニューアル企画があって、そのオープニング・スタッフとして採用されたのだ。
それ以前にも中古レコード店や輸入レコード店、なぜかレコード洗いのバイト(笑)まで経験していたんだが、どれもこれもアングラ感漂う世界。いわゆるメガストア系でははじめての体験だ。ここは服装も髪形もまるっきりの自由で好きなスタイルで働く事が出来たのが素晴らしい。
オープン前に徹夜で什器やCDの移転作業をやったり、何の因果かエルビス・コステロとトイレで並んでしまったり、短い間でもなかなか充実した日々が送れた。
がしかし、元来のアンダーグラウンド病であるROCKHURRAHなのでやっぱり巨大店舗には向いてないなあと痛感する事もあってこの店から、というより福岡から再び去ってしまった。パンクやニュー・ウェイブに出会った少年時代、そしてパンクな青春を送った日々、その時から比べると時代の勢いが確実に衰えてるのを感じたのもこの頃だ。

なんて、珍しくセンチメンタルな雰囲気で書いてしまったが、この後ROCKHURRAHはどこをほっつき歩いてSNAKEPIPEと出会ったのか?
詳しくは次回の第2部「立志篇」にて、乞うご期待!